最近の若い人たちの間では、殺すということと死ぬに任せるということとの 区別がきちんとできていない人が多いようです。これは怖いことです。 …私は学生さんたちにこういいます。 「高い木に登っていた人が、すべって木から落ちてくるとしよう。 高さが何十メートルもあるところから落ちてくるのだ。 落ちたら助かることは絶対にない。 では、その場合に、どうせ死ぬのだからといって、 下でやりを構えて、その人を突き刺してもよいか」と。
違いはわかりますね。作為と不作為との違いです。---森川功、『生命倫理の基本原則とインフォームド・コンセント』
大学には最近、授業評価という制度があり講義後に無記名で学生が 講義の評価をすることになっているが私への評価で最も多いのが 「こくばんの字がきたない」というものである。 そう書いている字の方が私よりはるかにきたない。 しかも「黒板」という漢字が書けない。 講義する先生への関心も薄い。 今学期、私への授業評価に「この講義は語り口が良い。 さすが芸能人」と書かれた。人をなんだと思ってる。 こんな講義は続けられるか。
---森本敏、拓殖大学教授、産経新聞2004年2月16日正論から
昨夜は新聞を読んでから早目に寝た。 たっぷり寝たので風邪の心配はなさそうだ。
大学に来て勉強。
某大学病院の屋上で昼食。 某氏におごっていただく。感謝。
ベンタムの勉強。今日は久しぶりにゆっくり勉強ができる。
ちょっと喫茶店に行って新聞を読む。
ちょっとメールなど。
あ、ヒマだったら翻訳の推敲をするべきなのか。すっかり忘れていた。
小石川まで行ってスーパーで買物。 それから某韓国料理屋で晩ごはん。 顔から汗をかきながら食べる。うまい。
そういえば、 学振のときの科研費が2月6日から使えるようになった。 今月末までに使い切らなければならないわけだが、 すでに某本屋にお世話になっているので、 ほぼ使い切っている。 お金が余ったらノートパソコンを買うつもりだったが、 結局本だけで終わってしまった。 来年度も科研費が当たるといいが…。
遅寝遅起き。 朝食はご飯と納豆など。健康な生活を目指そう。
米国と韓国の研究チームが、ヒト胚のクローンに成功したとのこと。 『ネイチャー』に載ったそうなので、信頼がおける研究だそうだ。 (追記: あれ、その後のニュースでは『サイエンス』になっているな)
シャワー。わ、大学に行かねば。
大学へ。
そういえば、昨夜、 Windowsでフォルダの移動(ドラッグアンドドロップ)をするときに、 「よいしょっと」と声を出していることに気付き、センリツした。
イギリスで泊まるところを探し始める。 プロメテウスは一ヶ月前までに部屋を予約すべきだ。 ドイツの方もさっさとやろう。
生協でお菓子など非常食の買い出しへ。ついでに弁当も買って食べる。 新聞読む。
夕方から某ミーティング。 『IRBハンドブック』という本の紹介。被験者に対する支払の問題や、 実験の内容を事前に知らせないことの倫理性など、おもしろい話を聞く。
それにしても首こりがひどい。なるべくストレッチをしているのだが。
そういえば、つまらない話だが、レイチェルズのThe Elements of Moral Philosophyの翻訳の訳者あとがきに 「翻訳に当たっては、生硬な逐語訳はなるべく避け、 日本語として自然な文体になるように工夫したが…」云々とあるのは良いのだが、 それに続けて、「意外と迷ったのが、人名の表記である。 古典的な哲学者なら分かるが、比較的最近知られるようになった人や初めて 聞く人はどのように表記すればよいのか」(211頁)と書いてあるのには、 「本人か本人を知っている外国人の研究者に聞いたらいいじゃないか」 と思わず突込んでしまった。 いや、まあ、ひょっとするとそうできない事情が いろいろあるのかもしれないけれども。
帰宅してひさしぶりに自炊。 チンゲンサイとエビの炒めもの。 はじめて片栗粉を使ってみる。そこそこ。
『巨塔』。原告敗訴。信念を貫いた里見助教授はひどいことに…。
眠い。寝よう。
まだ起きてる。DVDでLife Is Beautifulを少し見たり。
英国で陪審に参加する人の43%しかちゃんと理解していないそうな。 `beyond reasonable doubt'というのは普通の英国人でも難しいらしい。
遅寝遅起き。お昼に起きてしまう。 今日は研究日なのでゆっくり勉強しよう。
それにしても首が。これはやっぱりコンピュータの使いすぎだと思う。 もうちょっと姿勢に気をつけよう。
部屋の片付け。ダンボールをかなり空けたので、 ようやくサンテラスに光が入るようになった。 ファイルやガラクタは、少しずつ捨てなければ。
洗濯も少しする。
BBC World Serviceを聞きながら片付けをしていたが、 この放送はほんとに勉強になる。ラジオ2だけ聞いてないで、 こっちも聞くようにしないとなあ。
ちょっと用事で九段下へ。パスタ屋で食事をして戻ってくる。
今日は全然勉強していないので、発作的に大学に来てしまう。
お昼ごろにちょっと駒沢大学の方に行き、中華料理。 それから両国にある江戸東京博物館に行き、円山応挙展を見る。なかなか。
この時期に写生(写実主義)が流行したのは、技巧的な狩野派があきられていたこと、 本草学などの実学が写実的な絵画を必要としていたことなどが関係しているそうだ。 相学(人相学)というのも流行っていたそうだ。メモ。
夕方から大学へ。
某翻訳の推敲。
さすがに今日は誰もいなくて静かだ。
カレーを食べてから帰宅。 春一番が吹いたそうだが、今晩はほんとに暖かい。
夜中、ちょっと買物をしにスーパーへ。 ついでに、ビデオ屋も見つける。 そのうち加入しよう。
朝遅くに起床。朝食を食べたあと、部屋を少し片付ける。 もうすぐサンテラスが使えるようになりそう。
ベンタムの文献の入ったダンボールを自転車の荷台に載せて、大学へ。
本郷の駅前で昼食を取ったあと、 散歩がてら梅まつりをやっている湯島天神に行き、 さらに足を伸ばして旧岩崎邸を見物に行く。すごい。 この木造二階建の洋館を設計したジョサイア・コンドルは、 東大法文館教室も設計したとあったので、今度見に行ってみよう。
ちょっと某翻訳の推敲。毎日まめにやることにしよう。
いったん家に戻り、夕食(エビとチンゲンサイ炒め、納豆、その他)を作って 食べたあと、本を抱えて大学に戻ってくる。今日は寒い。
まだ大学。いろいろ論文を読んで勉強中。
早起きして朝から某発表会を聴講に行く。
いろいろ興味深い発表を聞く。
帰宅して昼食。かぼちゃ、メカブなど。
哲学の卒論は、 「とりあえずこの文献を読んでみました」的なものが多いんじゃないかと思うが (自分もそうだった)、医学の方には、ちゃんと形式があり、 一応みなその形式に従っている。 これは社会科学も同じだと思うが、
というような「型」がある。おもしろいのは、文献研究の場合もこれと 同じ型を使用しているので、研究の方法は、「MedlineでAというキーワードと BというキーワードのAND検索で行なった」とか書いてある。
それはともかく、こういう型は重要なので、自分の論文を書くときにも きちんと念頭に入れておかなければならない。とくに方法については ややもすれば単に「批判的に検討した」という以上のことが言えない 場合があるので、概念分析を行なった、推論の妥当性を検討したなど、 もっと意識的になる必要がある。
ところで、上の型を主要な哲学者の研究に(適当に)当てはめてみると どうなるか。まずデカルト。
う。哲学史理解の浅さがバレるな。つぎにロック。
これも適当だが、次はベンタムの民主政体論。
いかん、こんなことをやっている場合ではない。
ちょっと転寝してから大学に戻り、再び某発表会へ。
某発表会を最後まで聞く。 今日は少しサボったものの、 朝から晩まで聴講していたので偉い。 しかし、 明日も続くので、 最後までがんばらないと。
いろいろと無能感に悩まされながら、 書籍部へ行くと、 読むべき本の量に圧倒され、さらに無能感が増す。 まあそう言っていても始まらないので、 とりあえず勉強しよう。
科研費を使い切らないといけないので、 本と辞書をたくさん注文し、 購買部で買い出しをしてから戻ってくる。
翻訳を少しと、分配的正義の勉強を少し。
帰宅。つかれたので新聞を読みながらテレビ。
う、確信犯的に寝坊してしまった。早く大学に行かねば。
午前中、某発表会のマイク持ちなど。精神的につかれた。
スープパスタ(完熟トマト)を食べる。
夕方、某ミーティング。某発表会の講評も聞く。
それから後楽園に行き、ユニクロで少し服を買う。 ついでにシビックホール(文京区区役所)の25階のレストランで夕食を食べる。 ここは見晴らしが良くてすばらしい。
それから帰宅。
萌え単、 買ってみるか。
いろいろな場所にメールを送(りつけ)る。
新聞。
白書はちゃんと目を通すようにしなければ、と思う。
早寝早起き。外に古新聞を出しに行ったら、回収業者がすぐに来てもっていった。 熾烈な争いがあるようだ。
朝、某スタバで新聞を読んでから大学へ行くと、 ちょうど某勉強会が始まるところだった。 すっかり忘れていたので、あやうく遅刻するところだった。 スケジュール管理にはくれぐれも気をつけよう。
いろいろと雑用など。イライラしているわけではないのだが、 精神が落ち着かない。一呼吸して、明日の準備をしなければ。 喫茶店にでも行くか。
昼下がり、弁当を買いに生協に行くと財布を持ってきていなかったので、 いったん帰宅して適当に食べ、また大学に来る。明日の準備。
夜、購買部でちょっと買物したあと、 シビックホールに行き、住民票をもらってくる。 母親と待合わせをしていたので、今日も25階で食事をする。
つかれたが、明日の準備をせねば。
比較的早寝早起き。朝方、ピアノが弾けないにもかかわらず、 中学か高校のクラスの歌の伴奏をさせられるという悪夢を見る (しかもヘタなピアノの音が伴う夢だった)。 現在自分が置かれている立場を物語っているような…。
朝食はスープパスタ。
ハワード・ディーンも民主党大統領候補選から撤退を宣言したそうだ。
まだ自宅で勉強中。
つかれた。
夕方、某相談会に出席。夜、某ミーティングで医療資源の配分について発表。 まだまだ勉強が足りない。
疲弊。帰って寝よう。
『巨塔』を見る。財前も医療事故(過誤)がトラウマになっているようだ。 東前教授は演技がうまいなあ(ちょっと大袈裟だけど)。
ロンドンの渋滞税が満一年を迎えるそうだ。税収入は思ったほど得られていない ようだが、渋滞はすこし緩和したとのこと。ストックホルムやダブリンでも 近く導入されるそうだ。
よく寝た。毎朝起きると喉が痛いのだが、どうもこの部屋は乾燥しやすいようだ。 何か対策を立てなければ。
もう行かねば。
朝、電車を乗り継いで南大沢へ。ちょっと遅刻。いかん。 某ゼミでフリーデンの社会主義の章を読む。 非常におもしろい。フリーデンはまず方法論を確立し、 それを自由主義や保守主義や社会主義などの政治思想の分析に用いているのだが、 自分もこういうことができるようになりたいと思う。 というか、やらねば。 方法論、分析の手法、切り口をどうするか…。
夕方、南大沢から戻ってきて、 しばらく某喫茶店で新聞を読んでから帰宅。眠い。
ちょっと寝る。
近くで弁当を買ってきて食事。
忘れていたが、 今日の産経抄でまた 「イラク戦争に大義があったかどうかは不毛な議論だ」と論じられている。 「大義や正義にこだわるのは空想的平和論と同根だ」 「アメリカの方に大義がないとするとイラクに大義があることになってしまう」 「大東亜戦争だって日米双方に理屈(大義)があった」と、 乱暴な主張がなされたあと、 国家は国益のために戦争するから善悪は問えない、 という結論に落ち着いている。 議論するのは面倒なので省略するが、 「政治家は言葉が重要であり、言葉に責任を取る」 というのが産経抄の持論ではなかったか。