"When your beautiful finacee says she wants to move, a gentleman must oblige."
---John Bercow, A Tory MP
Suspicion always attaches to mystery. It thinks it sees a crime where it beholds an affectation of secresy; and it is rarely deceived. For why should we hide ourselves if we do not dread being seen? The best project prepared in darkness, would excite more alarm than the worst, undertaken under the auspices of publicity.
---Jeremy Bentham
そうめん。フラットの人に「こだまさん、そうめん好きなのね」と言われる。 「そうそう、そうめんです」と答えておく。
たまっている新聞。
Asian brown cloud。排気ガスなどでできた茶色の雲が 東南アジア一帯にかかっているらしい。光合成を妨げ、降雨量を減らし、 変則的な天候を生み出すとのこと。
中国と台湾の関係。一辺一国か、一国二制度か。
イラク。世界第二位の石油貯蔵国。 そもそも第一次世界大戦後のこの国の独立(1932年)からして、 石油が欲しい英国や仏国の利害関心が大きくかかわっていた。 米国は石油を確保したいので、 フセインを倒して傀儡政権を作りたいという動機もある(らしい)。 しかしそううまく行くのか。
シェリー・ブレア、流産してたのか。知らなかった。気の毒に。 しかし、このカップルは何人産むつもりだ?
IMFがブラジルに救済措置として300億ドル貸した話(古い)。 そういえばその後しばらく話を聞かないが、大丈夫なのだろうか。
ミルトン・フリードマンが英国はユーロに参加すべきでない と言っているようだ。
コダマルクスは、人間を「論文を生産する」者と見なし、 論文を媒介にして人間関係をとらえ、その関係はもともと「人間らしい」 ものと考えた。研究は創造の喜びと社会的連帯を感じさせるはずである。
ところが、現実の人間にとって研究は苦痛でしかなく、 研究してないときに自分らしさをとりもどす。 このような状態をコダマルクスは「研究者は研究そのものから疎外されている」 という。さらに、研究者がつくった論文は自分のものにならず、 研究指導者のものになってしまう。 すでに研究そのものから疎外されてしまっている研究者は、 多くの論文を生産するほどかえって貧しくなってしまうのである。 この状態をコダマルクスは「研究者は生産物から疎外されている」 といった。
「研究者は、彼が論文をより多く生産すればするほど、 彼の生産の力と範囲とがより増大すればするほど、 それだけますますまずしくなる。 研究者は論文をより多く書けば書くほど、 それだけますます彼はより安価な商品となる。 事物世界の価値増大にぴったり比例して、 人間世界の価値低下がひどくなる。 研究はたんに論文だけを生産するのではない。 研究はそれ自身と研究者とを商品として生産する。 しかもそれらを、研究が一般に論文を生産するのと同じ関係のなかで 生産するのである」(コダマルクス『倫理学・哲学草稿』より)
もう寝よう。
お昼に起きる。シリアル、バナナ。
駅前の某喫茶店に来る。新聞新聞。
大統領「なぜならイラクはアルカイーダを援助しているからだ」
「大統領、どうもイラクはアルカイーダを援助していないようです」
大統領「ううむ、そうか。では、 なぜならイラクは大量殺戮兵器を製造しているからだ。 もしそうでないというなら、国連の査察を認めなければならない」
「大統領、イラクは国連の査察を認めたそうです」
大統領「ええい、どんな理由をつけてもひっくり返されるな。 ではこれでどうだ。サダム・フセインは人間凶器であり、 中東の平和を乱す悪漢であり、彼自身の存在が人類にとって脅威なのだ」
「大統領、どうもサダム・フセインは実在しないようです…」
(注: フィクションです。文中の国名、人名はすべて架空のものであり、存在しません)
新聞新聞。
北朝鮮の食糧危機。大丈夫なんだろうか。donor fatigue「援助疲れ」
インドネシアのアチェ独立問題。ムスリム人口が多く、 独立運動をしている連中はアルカイーダとの関係があるとされているので、 米国の関心も高い。インドネシアは軍隊にかける金がないので、 米国が援助している。
まだまだ新聞。英単語の勉強。
Randal Keynes' Darwin, His Daughter and Human Evolutionの書評。 ダーウィンが賢いだけでなく家族思いで性格も良かったという内容の伝記。
夕方、某家族と一緒に食事する。
田中康夫前知事、当確だそうだ。
机に向かっている時間…9.0hr
今日の勉強時間…6.0hr
マルクス係数…0
NHKでやっていた英国女王50周年記念のプロム・コンサートを見ながら、 ハーバマスの『公共性の構造転換』をパラパラ読む。 公衆、世論の成立史。よく調べてあっておもしろい。 やはりこのぐらいきちんと研究しないとな。 研究者には資料の海へと潜っていく探究心と根気が必要だ。 足腰鍛えるべし。
「政府は公益に奉仕し、臣民は私利を追求する」(23ページ)。 政治家や官吏を含めてみんなが私利を追求していると仮定して、 どうすればこれが可能になるのかを考えたのがベンタムだと思う。メモ。
なかなか寝つけないので、日記の整理。 新聞でも読むか。
起きる。長野知事選、田中氏圧勝だそうだ。
某大そばのスタバ。
朝から電車に乗ってくる(途中、逆方向の電車に乗ってしまい、時間がかかった)。 車内では新聞。米国経済が株価の下落と消費者意欲の冷えこみで二重不況(double-dip recession)になりかけており、子ブッシュは父ブッシュの轍を踏みかねないという話。
ここでしばらく涼んだら某大図書館で勉強しよう。
Emmeline Pankhurst: 英国の女性参政権を獲得するために奮闘した女性。
某図書館にて。17世紀から18世紀には喫茶店やサロンで公論(世論) が形成されつつあったという話を読みながら、 1時間ほどウトウトする。 日本の公論はワイドショーの場で形成されているのだろうか。
ベンタムの書簡を読みつつ、ハーバマス。
29th Sept. 1819.
あなたがロンドンに滞在する期間、 わたしの隠遁所--実際、そう呼ぶのがふさわしい--は利用可能であり、 あなたが来ることが期待されている。 わたしは70になった独身者だが、けっして憂鬱な暮らしをしているわけではない。 夕食の時間は6時。紅茶は9時から10時のあいだ。就寝は10時45分。 夕食と紅茶は共同。朝食は、ゲストは誰であれ、好きな時間に、 各自でとること。わたしの朝食--朝食のあいだに、 目が痛むのを防ぐために新聞を読み上げてもらうのが習慣である--は、 一人でとる。ワインはわたしは飲まない(…)。 夕食では、フランス人のようにつねにスープを飲む。 これはフランスで学んだ習慣である。肉は、その日によって一種類か 二種類か食べる。甘いものも同様。主にこれらがわたしの夕食である。 デザートは、夕食のつつましさに合ったものが出される。 飲みたい人にはコーヒーが出される。
某社研に来て、FELIXという雑誌検索ソフトでいろいろ調べる。便利。
社研、法学部図書室、経済学部図書室に行って論文を四本コピー。 途中まですいすい行っていたのだが、 最後の経済学部でコピー機の渋滞に会ってしまい、30分以上かかった。
それから近くの定食屋で遅い昼ごはん。 もう帰ろうかと思ったが、 せっかく来たのでもうすこし近くのスタバで勉強することにする。
「なんだなんだ、スタバはどこでも同じじゃないのか」
「いや、蒲田駅前にはスタバはないし、やっぱり某大のそばのスタバの方が やる気になるじゃないですか。みんな某大生かもしれないし。バイトの人とか」
「んなわけないだろう。なんで図書館に行って勉強せんのだ。新聞もあるだろうが」
「いや、図書館に行くとぜったいに寝てしまいそうなので…」
スタバで論文を三つざっと読む。四本目は明日読もう。 資料の海に深く潜るべし。
下宿に戻ってくる。帰り、コンビニで少し買物する。疲れた。 トロントから絵葉書が舞い込む。
洗濯中。
イギリス哲学会のウェブサイトを見ていると、次回の大会は20003年になっている。 誤字をあげつらう気はないが、想像するとなんだかおかしい。
田中康夫知事――おともだちを増やそう。今日の朝日の社説の見出し。なんだかおかしい。 というか、知事をバカにしてるのかな。
肩と首がたいへん凝っている。屋上でストレッチし、 自分でバシバシ叩いてみる。姿勢が悪いのだろう。
ネットで新聞も見たし、寝よう。
机に向かっている時間…9.0hr
今日の勉強時間…5.75hr
マルクス係数…0
朝起きて、燃えるゴミを3袋持って1階に降りると、 ゴミ回収日が明日であることに気付く。 ゴミを6階まで持ってあがるのは面倒なので、 とりあえず1階に置いておいた。文句言われるかも。
せっかく起きたので喫茶店に行って勉強しようかと思っていたら、 某千葉大に行く用事ができたようだ。 シャワーを浴びたらさっそく行くことにしよう。
シリアル、ヨーグルト。腹を下す。寝てるあいだに冷やしたか。
お昼前に某千葉大に行き、某氏と某密談。 ちょっとバイトを引き受けることに。 某千葉大はキャンパスが広くてよい。
それから某氏とお昼をご一緒する。フランス料理(B-)。 ごちそうさまでした。
SPA!が海外の性教育事情のレポートを載せているので、駅で購入。
某用事で千葉から一路羽田空港へ。途中、電車で寝坊して一駅乗りすごす。
そのあと、自由ヶ丘駅前の喫茶店に来て勉強。SPA!、 読むとけっこう経済などの勉強になる。 SPA!とかYomiuri Weeklyとか宝島とか、 毎週一冊ぐらい買って読むか。
Cutlerの`Jeremy Bentham and the Public Opinion Tribunal'を読む。 公論裁判所の話。ベンタムの世論の議論を今日の世論の研究の視点から評価し た論文。よく調べてある。ベンタムのinclusiveな世論の理解は当時は斬新。 が、主に新聞によって啓蒙された世論が政府の悪政を防ぐという考え方、およ び世論は徐々に開明されて全体の利益を志向するようになるという考え方は、 今日までの世論の研究からするとナイーブ。合理的な無知(政治は他の人に任 せて自分は関心を持たない)やメディアの偏向・商業主義、多数者の専制(プラ イバシーの侵害)という今日的な世論の問題を考慮していない。メモ。
さて、下宿に戻って少し某仕事をしたら、ハーバマスも読まねば。
腹の調子、悪い。
矢口渡駅前で中華料理(C-)を食べてから下宿に戻ってくる。眠いが、仕事せねば。
某仕事、大変であることがわかる。しまった。
「まあ何事も勉強、勉強」
インドネシアで外国のニューズ番組の放映を規制する法律が可決。
机に向かっている時間…8.5hr
今日の勉強時間…4.5hr
マルクス係数…0
まだ某仕事。
明日は早起きして生ゴミを出すこと。某大に行って資料を漁ること。
朝起きて昨日の生ゴミを出しに階下に行くと、すでに出してあり、 あとで階下の住人に小言を言われる。 やはり持って上がるのが正しかったようだ。反省。 次回から気をつけよう。
ハーシー売却の件、ビジネスエシックスの練習問題としておもしろいと思う。 創業者が作った慈善基金で、 株の売却を検討しているミルトン・ハーシー・スクール・トラストとしては、 株を売った方が恵まれない子供たちのために効率のよい慈善を行なうことができる。 しかし、株を売ると創業地のハーシー町の人の大半が失業する可能性が高い。 実際には何らかの妥協策がある気がするが、恵まれない子供たちと 企業城下町の人々に対する二つの義務が衝突しているようだ。
産経が社説や産経抄で首相の北朝鮮訪問について再三述べている 「会議が決裂や不調に終わっても、困るのはあちらであり、こちらでないからである」 という発言、ちょっと気になる。 これは「会議が失敗しても、食糧支援を受けられず飢餓で死ぬのはあちらであり、 こちらは大丈夫だからだ」ということで、 食糧支援を今回の外交の切札にせよということだ(と思う)。 戦争の可能性をちらつかせ相手の譲歩を得ようとするのが正しくないとするなら、 食糧支援取り止めの可能性をちらつかせて外交的に有利な立場に立つのも 正しくないだろう。 国連世界食糧計画によると、今年9月以降、北朝鮮では数百万の単位で 飢餓が生じる可能性がある。 食糧支援の件と外交問題の解決は切離すことは難しいと思うが、 たとえ会議が暗礁に乗りあげても援助は行なうべきだ。 あれ、また社説のような文章になってしまった。
朝食をとってから二度寝していたところ、電話で起こされる。シャワー。
さて、資料を漁りに某大学に行かねば。昼下がりからは某ヒューム研究会に 顔を出す予定。
電車ではハーバマス。おもしろい。
汗だらだらになって某大に来る。社情研に来ると案の定昼休みで図書室は閉館。 仕方ないので総合図書館でしばらく休憩したあと、 近くで食事をして、また社情研へ。
新聞、定期購読はしなくていいからなるべく毎日買うこと。 雑誌、週に一冊買うこと。テレビ、なるべく見ること。 哲学書、読むこと。哲学雑誌、なるべく多くのものに目を通すこと。
社情研でコピーする。社情研(旧新聞研)はおもしろそうなところ。
それから本郷三丁目駅前の古本屋に立寄ってしまう。
遅刻遅刻。都営大江戸線に乗って一路三田へ。
大学に行く前にちょっと駅前の喫茶店に入ってしまう。
京都では、あるミッション系の女子大を、「3K」とはやす評判がある。 「かわいい、金持ち、キリスト教」、と。 それにたいし、某仏教系の学校は、「3B」であるという。 「ぶさいく、びんぼう、仏教校」と。
『アエラムック 80: キリスト教ががわかる』、朝日新聞社、2002年、138頁
いたく笑う。明治以降、教会では異性が話し合えるのに、 お寺はそういう場ではなかった。 そこで男女平等を志向する上流知識人階級はキリスト教信仰に傾いていき、 それが次第に広まってキリスト教の行事=恋愛の行事(バレンタイン、クリスマス) という風な理解が日本で広まった、というような説明。 とはいえ、 最近は京都のお寺もデート・スポットとして活躍しているようだが…。
ヒューム研究会に遅刻して出席してきた。情念論の話を聞く。 懇親会はパス。勉強せねば。
研究会に出席していた某君からシュニーウィンドの本と論文のコピーを受け取る。 感謝。
蒲田に戻ってくる。夕食を食べたら勉強せねば。
駅前の健康志向の店で食事。行くといつもノラ・ジョーンズをかけてくれる :)
下宿に戻ってくる。腹の調子がちょっと悪い。
勉強中。時間が足りない。
テレビは社会の感性化を進める。 日本の社会全体とくに若者のあいだに、 正邪の道義的判断を避けて、「好き・嫌い」や「かっこいい・悪い」 の感性的価値判断ですませる傾向が強まっているのを、 テレビは加速しているように思う。 正・不正の理性的判断を嫌い、あいまいな情緒やムードに流される人間が 多くなるのは、日本の民主主義世論の形成上、大きな危険を秘めている。 現状のテレビには人びとを知性、 理性から遊離させるだけでなく、 社会的価値基準をあいまいにしてしまう機能も含まれているように思える。
原寿雄、『ジャーナリズムの思想』、岩波新書、1997年、47-8頁
メモ: ベンタム流に言えば、みんなが共感・反感の原理を使っているということ。 「感性的でけっこうじゃないの」という人もいるかもしれないが、 合理的な議論(自分の判断について「好きだから・嫌いだから」以上の理由を 述べること)ができないという難点がある。
机に向かっている時間…9.0hr
今日の勉強時間…6.25hr
マルクス係数…0
ふう。つかれた。
メディアについてはある程度勉強したので、ハーバマスをもう少し読んだら、 今日から論文書きはじめること。
今日は燃えないゴミの日なので、早起きすること。 起きたら二度寝しないでさっさと喫茶店に行くこと。
起きて不燃ゴミを出す。シリアル、ヨーグルト。
シャワーを浴びて喫茶店行くべし。
喫茶店に来て某仕事。たいへん。
ハチソンやらヒュームやらの勉強。そんなことしてる場合じゃないんだが。
三田へ。電車では新聞。北朝鮮の通貨切下げ、部分的市場開放、 韓国との対話再開の話と、スティグリッツのIMF批判についてのルモンドの論説。 IMFで拒否権を持っているのは米国だけで、 以前はオニールが反対していたのに、 アルゼンチンとウルグアイに資金を投入することにした米国首脳の 一貫性のなさおよび単独行動主義が非難されている。
お昼すぎ、某塾(大学ではなかった)に行き、 ヒューム研究会に参加する。共感について二本。勉強になった。
少し早目に退散して、自由ヶ丘に行き、 和風喫茶店→ファースト・キッチン(ちょっとウトウトする)→欧風喫茶店(現時点)。 まだハーバマスを読んでいる。検閲の廃止、議会の公開の話、 および民法の成立や資本主義によるミドルクラスの発展が 公論の形成に及ぼした影響など。以下メモ。
「適切な公開性は政府と臣民にとって公務員の怠慢と悪意を防ぐもっとも 確実な保障であり、あらゆる方途で助成され支持されるに値する」 という1804年のプロイセン王の言(115頁)は、ベンタムの発想と同じ。 とするとベンタムはどれくらい新しい議論をしていたのか。
重農主義者ネッケルの「社交生活の精神、尊敬と賞讃を求める好尚は フランスでひとつの新しい法廷を設けた。世人の注目をあびるすべての 人びとは、この法廷に出頭する義務がある。この法廷、 それは公論(opinion publique)である」(122頁注27)というのも、 ベンタムの世論裁判所と同じ比喩を用いている。 遡ればロックの意見(世評)の法という考え方もあった。 あ、これはベンタムのサンクションの区別につながるんだった。 それで民衆的サンクションは世論裁判所へとつながる。
まだ自由ヶ丘の某喫茶店で某仕事をしている。やっと一段落。帰ろう。
ところでこの喫茶店、終わる一時間前から掃除をしたり、 照明を一部消しだしたりしていやらしい。
下宿に戻ってくる。電車では新聞。高齢化するエルヴィス・ファンの話、 終戦記念日と日本の右傾化の話、 米国のイラク攻撃についてのワシントン・ポストの社説 (米国は正戦の条件を満たさなければならない云々)など。 長い一日だった。
机に向かっている時間…12.0hr
今日の勉強時間…10.5hr
マルクス係数…0
ずいぶん遅れたが、 某ニューズレター用の記事。
さて、もうすこしハーバマスを読んだら寝よう。忙しい。
すこし寝坊する。雨。
カルザイ大統領、暗殺されなくてよかった(テロで死んだ人に合掌)。 不審船、交戦しなくてよかった。
ヨーグルト、シリアル、シャワー。雨が激しくなってきたが、 下宿にいると寝てしまいそうなので、喫茶店で勉強することにしよう。
某喫茶店にて。まず某仕事。
下宿を出るときに腕を蚊に刺されたようだ。痛い。
某仕事、今日のノルマの途中まで。
某喫茶店で昼食(パン)も買う。休憩がてら新聞。
タリバン政権崩壊後、カブールで最大の市民プールが再開したそうだが、 入れるのは男性だけ。そういえば、イランかどこかで体全身を覆う女性用の 黒い水着が売られ出したという記事を読んだ覚えがある。忍者みたいだな。
ノルウェーでマクドナルドが「マックアフリカ」という商品を販売し (しかも「オーセンティックなアフリカ料理」と宣伝しているらしい)、 飢饉に苦しむアフリカを援助するNGO団体から総スカンをくらっているそうだ。 日本で「マック北朝鮮」という商品を開発するようなものだろう。
あ、そろそろ京都に戻るのでガーディアンの郵便先を元に戻してもらうよう メイルすること。
チェック:
中国における某団体の迫害について読む。 迫害が本格化したのは1999年の以降だそうだ。
まだ某喫茶店。ハーバマス、第四章を飛ばして、第五章から第七章まで飛ばし読む (第四章が重要なのだが)。市民革命期に政府に対抗する権力として生まれた世論 (公論)が、大企業が跳梁跋扈する福祉国家においてはその機能を失ない、 もともとは合理的批判的な世論を形成する広場として要求された公共性 (意見の形成に必要な情報が提供される公共空間)も、 PR活動の場として機能するだけになった、というような話のようだ。
メモ: 新聞の営利化(第六章、249頁以下: ベンタムの時代には新聞はほとんど非営利なものだったようだ)、 私企業や新聞社などの情報公開の必要性(277-8頁)、 以下の発言、重要。C.W.ミルズの区別では、前者が「大衆」の意見 (アンケート調査や視聴率によって確認できるような)、 後者が「公衆」の意見ということになるようだ(334頁)。
公共性は、それ自身の理念によれば、その中で原理的に各人が同じ機会をもって 各自の好みや願望や主義を申告する権利をもったというだけでは、 民主主義の原理となったのではない。 このようなものは、ただの意見(opinions)にすぎない。 公共性は、これらの個人的意見が公衆の論議の中で公共の意見、 公論(opinion publique)として熟成することができたかぎりでのみ、 実現されえたのである。(288頁; cf. 321頁)
傘が壊れたので某イトーヨーカドーで新しい傘を購入し、 ちょっと下宿に戻ってくる。
引き続き、大雨。
夜はそばとうな丼。うまい。 しばらく部屋でゴロゴロしたあと、夜中、駅前のモスバーガーに勉強しに行くが、 混んでいたので早々に引き上げる。
机に向かっている時間…7.0hr
今日の勉強時間…5.25hr
マルクス係数…0
起きて洗濯、某仕事。くもり。 シャワーを浴びたら喫茶店に行って勉強しよう。
昨夜作ったCD-Rを持って駅前の現像屋(あれ、カメラ屋さんて呼ぶんだっけ?) に行く。一つの店は5日かかると言われたが(たぶん現像用の機械が店にないのだろう)、 もう一つの店は1時間でできるというので、速くできる方に頼む。 それからいつもの某喫茶店へ。
メモメモ。ベンタムの`Of Publicity'。1791年にフランス、 英国でパンフレットとして配布された`An Essay on Political Tactics'の第二章。 今で言えば「情報公開」と呼ぶべき章。Public Opinion Tribunalの言葉はまだ 出ていないが(the tribunal of the publicという言葉はある)、 当時の他の人も言っているように世論がtribunalであるという認識はある。 sinister interestという言葉もまだ出てこない。
喫茶店の隣の隣の現像屋から写真を受け取ってから、しばらく英単語の勉強。
昼下がり、サブウェイで食事。夕方、ちょっと多摩川の土手まで行ってみる。 つかれたのでしばらく下宿で寝たあと、夜、駅前で居酒屋風の上海料理。 チャーハン、青菜など大量に出てきてあせる。しかし味はそこそこ(C+)。
夜中、大雨が降る。勉強せねば。
机に向かっている時間…4.0hr
今日の勉強時間…4.0hr
マルクス係数…0
某仕事。眠いのではかどらず。
起きる。すこし寝不足気味だが、 このぐらいが健康にも精神的にもいいのかもしれない。
お昼前から自由ヶ丘に来て、喫茶店で勉強。お昼は某駅前定食屋にて。 古本を買ったあと、さらに喫茶店で勉強。混んでいる。
「ヘーゲルは公論を文字通りの理性とみなす自己理解の典拠たる自由主義の 擬制を、決定的に破壊するようになるのである」(ハーバマス、161頁) 「この[マルクス]の批判は、市民的公共性の理念のよりどころとするすべての 擬制を破壊する」(同、167頁)。とはいえ、政治家と官僚の腐敗を防ぐために 情報公開は必要なのだ。
夕方、下宿に戻ってくる。すこし爆睡。
夜、ちょっと駅前に行き、 そばとうなぎ丼。買物をしてから戻ってくる。
机に向かっている時間…8.25hr
今日の勉強時間…6.25hr
マルクス係数…0
ラジオから流れるMarvin Gayeの`Let's Get It On'にシビれる。 ようやくこういう音楽にシビれる感性が身に付いてきたようだ :)
わからなかった本がわかるようになるのはまた悦ばしからずや
味わいのわからなかった音楽が味わい深くなるのはまた楽しからずや
かもめ〜る、出す時期を逸したため、10枚買って一枚も出さなかったが、 切手シートが二枚分当っているようだ。
台風16号によって中国浙江省で家屋が7900戸倒壊、23人死亡。合掌。 それにしても今年の台風はやたらに破壊的じゃないか?
朝起きるつもりが起きられず、お昼前に起きる。 いろいろシュールな夢を見ていた気がする。
ヨーグルト、シリアル。
某仕事。シャワーを浴びたら喫茶店に行って勉強しよう。
というわけで駅前の某喫茶店に来る。なんだか眠い。 ネムイネムイ病のようだ。 寝すぎはよくないということか。
ベラーの『善い社会』をざっと読む。すごい本。 米国社会の現状を包括的に分析し、 企業の論理に洗脳された自己利益追求型の「功利主義的な」人々が米国社会を ダメにしていると論じている。共同体を再生し、真の民主主義を創り出すには、 政府や企業の制度的な民主化を行なう一方で、 個人も他人や社会との相互依存性を認識し、 他人や社会に注意を払う(配慮する)必要があると説いている(と思う)。 128頁以降の権利の言語の批判はとくに重要。 このような社会に対する俯瞰的な視点を持つことができるように修業せねば。 近いうちに精読しよう。
夕方、閉まる寸前の郵便局に行き、切手シートをもらったあと、 駅前の某健康志向の店で食事。イワシの刺身定食。そういえば、 日本海のマイワシが激減しているらしい。困った。
それから自由ヶ丘に行き、しばらく喫茶店で勉強。 ベンタムの世論と公開性(公共性)をネタにして論文を書きたいのだが、 切り口がどうにも難しい。
それから下宿に戻ってきて、ツナそうめん。
机に向かっている時間…8.25hr
今日の勉強時間…4.75hr
マルクス係数…0
某仕事。
よく寝て、お昼前に起きる。シリアル、ヨーグルト。
喫茶店に行こうと部屋を出て階段を降り、環八沿いを歩いていると、 ピイピイという鳴き声が聞こえる。 どうもすぐそばから聞こえてくるような気がするので、 しばらくあたりを見回してみる。 はじめはそばに停っている車のウインカーが変わった音を出しているのかと 思ったが、よく見ると車の近くの茂みに、雀のヒナがいる。 ヒナといっても大きさは成鳥とそれほど変わらないが、 まだ頭が半分ハゲており、羽の色も灰色っぽい。 腹が減ったのか、一生懸命ピイピイ鳴いている。
さて、どうしようかと考える。ここで中途半端に雀に触れてしまうと 親の雀はもう助けに来なくなるかもしれない。しかし、このままほっておくと ネコにやられるか、あるいは環八に飛び出して車につぶされるかもしれない。 いずれにせよそのうち腹が減ってピイピイ鳴けなくなるだろう。 かといって今の部屋で飼うわけにもいかない。 中途半端に助けて、あとでどこかに離したら、それこそ残酷かもしれない。 しかし、一秒でも長く生きていた方がいいんじゃないか、とりあえずエサを みつくろってやるべきじゃないだろうか、 雀の子を助けるのは完全義務じゃないが 金はいくらかあるんだしここは善きサマリア人になるべきじゃないか…。
などと考えて30分近くあたりをウロウロしていた。 どうも近くのビルの上の方から似たような声が聞こえてくるので、 そこまで持ってあがるということも考えたが、どこに巣があるのかはっきりせず、 あまりあたりをウロついていると不審者と間違えられてしまうと考え、 躊躇してしまう。
しばらく悩んだ末、結局、オレにはいかんともしがたいと結論して、 その場を離れた。すまん。
雀のヒナが気になりつつも、ベンタムの勉強。以下メモ。
人間行為の規則について人々にそれぞれの意見をもたせている実際上の原理は、 だれもの心の中にある次のような感情、つまり自分や自分の同感する人々が、 彼らにそう望むようにすべての人々は行動しなければならないという感情である。 だれも自分の判断の基準が、自分自身の好みだなどと認めたりしないことは 事実である。しかし、行為に関する意見は、理由に裏づけられていなければ、 一人の人間の好みとしての価値があるだけにすぎない。 また、たとえ理由があげられても、それが単に他の人々によって感じられる 似たような好みに訴えるだけのものならば、それはやはり一人のかわりに 大勢の人の好みであるというだけである。
このように、社会の好き嫌いないしは社会のある有力な部分の好き嫌いこそ、 法と世論の罰則のもとに、一般に遵守するように決められた規則を、 事実上決定してきた主要なものなのである。
(ミル『自由論』中央公論社、220-1, 2頁)
ベンタムの語彙では民衆が共感と反感の原理によって正と不正を決めている ということ。次の文と比較せよ。 ベンタムは世論を手放しに賞讃しているわけではなく、 共感と反感の原理に基づいた世論の危険性を感知している。
反感は、それがどこから来たものであれ、 反感を抱く人が何人であれ、 反感の対象が彼らの頭に思い浮かぶ時はいつもある種の苦痛を引き起こす。 この苦痛は、それが現れる時はいつでも間違いなくその犯罪の害悪のせいに される。 そしてそれがその犯罪を罰するひとつの理由になる。 さらに、これらの不愉快な人々[同性愛者]が受けさせられる苦痛を見て、 彼らを嫌悪する人々は快感を覚える。そしてその犯罪を罰する理由を さらに付け加えることになる。 しかしながら、それを罰することに反対する二つの理由が残る。 問題になっている反感(と、それから派生する悪意の欲求) は、その犯罪が本質的に害悪だと認められなければ、 偏見に基づいているだけである。 従って、それが誤った根拠に基づいていることを示す考察を明らかにしさえすれば、 反感はもはや苦痛ではない範囲にまで緩和され、軽減されるかもしれない。(…) つまり、処罰したいという気持ちがあることが、この場合、 あるいはどの場合でも、 処罰するのに十分な根拠として認められるならば、 処罰に際限がなくなってしまうのだ。 君主制の原理では、 主権者が嫌いな人を処罰することは正しいことになるであろう。 人民主義の原理でも、すべての人、あるいは少なくともそれぞれの社会の 多数派が同様の理由ですべての人を処罰するのは正しいことになってしまうで あろう。
Louis Crompton, `Jeremy Bentham's Essay on "Paederasty"' in Journal of Homosexuality, vols. 3-4 (1978), p. 97.
というわけで世論はpublicity(情報公開)とpress(ジャーナリズム)を通じて、 ハーバマスの言うrational-critical discussionによって啓蒙される必要がある。 というのがベンタムの考え方だろう。世論の専制を防ぐ一つの方法は、 privacyの領域を確定すること。その基準は何か。
ところで、ハーバマスのJ.S.ミルの取り上げ方は偏っていると思う。 ミルは世論の危険性を指摘し、「論議する公衆は、もはやひとつの 理性的合意、ひとつの公論へは、決して到達することができない」(178頁) と考えていたというが、しかしその一方で、 表現(討論)の自由によって真理へ近づくことができると考えている。 この考え方は、公共性がrational-critical discussionを生みだすという ハーバマスの好きな考え方を示しているのではないのか。 (ハーバマスの好意的に引用しているカントの発言と比較せよ。 「理性は『公的に語る資格を有しなければならない。 なぜなら(さもないと)真理が明るみに出なくなるからである』」(146頁))
Quis custodiet custodes (Who will guard the guards?) 「だれが監視人たちを監視するであろうか」「誰が見張りを見張るのか」
夕方、しばらく某仕事をしたあと、喫茶店を出る。 下宿に戻る途中にあるいかにも下町っぽいうどん・そば屋で 玉子丼ともりそば。C+。
下宿に戻る前に、雀のヒナをしばらく探してみたが、出てこなかった。 誰かに拾われたかで無事でいるといいが。すでに成仏してたら、合掌。
最近よくかかっている`Tide Is High'はアトミック・キトゥン(Atomic Kitten はこう表記するようだ)のもののようだ。
某仕事。勉強もしなければ。論文は時間切れで書けなかったが、発表要旨 は必ず出さねば。
ちょっと某勉強。
机に向かっている時間…10.5hr
今日の勉強時間…9.5hr
マルクス係数…0