ちょうど一頭のライオンが四頭のメスを持つように、 一人の男性は四人まで女性を持つことができます。 一人以上のパートナーを持つことは男性の本性なのです。
--とあるイスラム人
昨日もThe Japan Times。 広島駅で買いました。
19日もThe Japan Times。 おもしろいのを三つだけ紹介。あ、やっぱり五つにしよう。
続きです。前のはこちら。
昨日もThe Japan Times。 そういえばローリング・ストーンズの曲で yesterday's papersっていうのがありました。
今回は、スピーキングの練習(ロールプレイと将来計画について)と、 ライティングの練習(結論部の書き方、比較、見直し)と、 リスニングの練習(住所の聞き取り)をした。
(1)ロールプレイの練習。 今回のシチュエーションは、 「試験官が新しいコンピュータを買ったそうなので、 いろいろ尋ねてみよう」というもの。 本番では手渡されたカードに「値段」とか「買った場所」 などのプロンプト(質問項目)がいくつか書かれているのだが、 今回はプロンプトを自分たちで考えて作るところから始めた。 以下はみなで作ったプロンプトとそれに対応する質問。
また、会話の最初は`Hi, I heard you bought a new computer.'、 最後は`Well, I have to come around sometime and have a look at it.' `Well, I've got to go. See you later then.' などのように言うと良いそうだ。 とくに、`Well'は会話を終わらせる重要なサインになるとのこと。
(2)アドレスの聞き取り。住所の書くときは以下の省略を覚えるとよい。
あと、`w'と`double o'の区別や14と40などの区別は気合いで聞き取れとのこと。 (たとえば、おなじみの007は`double o seven'だが、 リスニングのときは`w o seven'のようにも聞こえるので注意が必要)
(3)ライティングのタスク1では表や地図についてレポートを書くのだが、 多くのデータを比較表現をうまく用いてまとめる必要がある。 そこで比較の練習。重要表現をいくつか記しておく。 いずれも簡単な表現なのだが、いざ書くとなるとなかなか書けない。
(5)最後は、前回もやった将来の計画について語る練習。 何度もやるのはスピーキングでもっとも難しい部分だからであろう。 サンプルのビデオを見て、どこが悪いか論じた。 先週も書いたが、 未来を表わす表現をうまく用いることと、 質問に対してまとまった解答をすることが重要。 `It's very difficult to answer, but...'という表現が参考になった。
宿題は(1)「最近の医療技術は倫理的に許容できるか否か」 というテーマでエッセイを書く、 (2)もらった新聞記事二つを読む、 (3)もう一つ別の新聞記事の穴埋め問題を解く、 (4)返してもらったエッセイの見直し (5)比較表現について勉強する、の五つ。
今日もThe Japan Timesです。 新聞を読むだけで一日の三分の一から四分の一が過ぎてしまいます。
昨日もThe Japan Times。 最近これにかかりっきりです。ははは。はは。は。
男「ところで、 ぼくの高校時代に、『きまい』っていう言葉がはやったんだよね」
女「え〜、何それ」
「『気まずい』の省略。『気持ち悪い』を『きもい』っていうでしょ。 それのアナロジーじゃないかな」
「え〜、『きもい』はいいけど『きまい』はあかんわ」
「え、どうして? 言葉の生まれ方は同じだと思うんだけど」
「だって、変やん」
「どうして変なの?」
「変なものは変やん。そんなん使う人、言語感覚がおかしいわ」
「けど、じゃあ、北海道の人は、関西人なら『しんどい』と言うところを、 『こわい』っていうみたいだけど、それもやっぱり言語感覚がおかしいのかな」
「おかしいおかしい。異常やって」
「いや、けど、言葉と指示対象との結びつきは恣意的なもので、 だからこそイヌを指し示すために『犬』という言葉でも 『ドッグ』という言葉でもいいわけで…」
「そうかもしれへんけど、やっぱり『きまい』と『こわい』はあかんわ。 言語感覚ゼロやわ」
「う〜ん、それは関西の一地方で育った人間の、 普遍化できない言語感覚なのでは…」
「あ、そういえば、知ってる? 最近『パタる』っていう言葉あるでしょ」
「え、初耳だけど。どういう意味?」
「パターナリズムを発揮すること。 人のためとか言っておせっかい焼く人に向かって言うの。 『ちょっとあんた、何様のつもりよ。あんまりパタらんとってよ』とか」
「うわ。そそ、それはちょっと」
「え、なんで? うちはけっこう気にいってるけど」
「いや、ぼくはやっぱり感覚的に受けいれがたいなあ」
「ほらあ、やっぱり言語感覚ってあるでしょ」
「う〜ん、どうもそういう気がしてきた…」
★ヒクションです。
今日もThe Japan Timesです。 今日は午前中に新聞を読み終わるつもりです。
加藤先生の東北大時代の弟子の一人である松川氏による生命倫理学の本。 医学芸術社から出ている『ナーシングカレッジ』 という雑誌に筆者が連載していたものが元になっている。
一読して明らかなように、 本書は加藤先生が定式化した生命倫理学の原則を基礎に置いている。 すなわち、 「(1)成人で判断能力のある者は、 (2)身体と生命の室を含む「自己のもの」について、 (3)他人に危害を加えない限り、 (4)たとえ当人にとって理性的にみて不合理な結果になろうとも、 (5)自己決定の権利を持ち、自己決定に必要な情報の告知を受ける権利がある」 という原則である。 ただし、本書はこの原則を金科玉条にしているわけではない。 この原則とパターナリズムの原則との衝突、 あるいは公共の利益との衝突というテーマが、 各論においてくりかえしくりかえし問題にされている。
本書は25章からなり、 ケアとQOL、人工妊娠中絶、医療制度の問題、 インフォームドコンセント、 医学実験、代理同意、ゲノム解析、 臓器移植、安楽死など、 生命倫理学の主要な問題がほぼ押えられている。 あえて言えば、エイズや出生前診断に関する記述が欠けているが、 本書の特色は、 生命倫理学で問題になる事柄を幅広く扱っているという点よりもむしろ、 その取り扱い方のわかりやすさにあると言える。
本書では、本文がとてもわかりやすく書かれているだけでなく、 各章にはかならずQuestionというコラムが一つ以上もうけられており、 そこでは具体的な問題が提示され、 答としていくつかの選択肢が用意されている (選択肢がないものも多少ある)。 読者は一人で考えることもできるし、 授業中であればこれを元にディスカッションをすることも できるように工夫されている。 また、 生命倫理学で現在どのようなことが問題になっているのかを てっとりばやく知りたければ、 本書にあるQuestionをざっと読めばよい。
Questionを二つほど引用しておこう。 たとえば、人工妊娠中絶の章には次のようなQuestionがある(70頁)。
選択的人工妊娠中絶
あなたが中絶を選択してもよいと思う胎児はどれ?
- いかなる胎児も選択的に中絶してはならない
- 出産後、すぐに死んでしまう胎児は中絶してもよい。
- 障害を持ち、育てるためには両親に激しい負担をかけるであろう胎児は、 中絶してもよい。
- 両親が望まない性質をもっている胎児は中絶してもよい。 たとえば、男の子がほしいのに、胎児が女だったら中絶してもよい。 金髪の子どもがほしかったのに、胎児が黒髪だったら中絶してもよい。
また、尊厳死・安楽死の章では次のようなQuestionがある(268頁)。
死について語り合う
あなたにとって大切な人と「安楽死」について話し合った。 その人は「身体的な苦痛も精神的な苦痛もいや。 癌にかかったりしてもう助からないとわかったところで、 積極的安楽死したい」と語った。 あなたならどうする。
- 「そうしなさい」と賛成する。
- 積極的安楽死ではなく、消極的安楽死を選ぶように説得する。
- どんなに苦しくても生きられる間は生きて、と頼む。
本書は生命倫理学の入門書として、 大学や看護学校の学生、 あるいは生命倫理学に興味を持つ一般の人が力を抜いて読めるように工夫されている。 トゥーリーだのシンガーだの著名な研究者の名前は挙がっていないが、 EBM(Evidence Based Medicine 過去の臨床研究に関する巨大なデータベースを駆使する医療) などごく最近の話題も取り扱っているので、 生命倫理学の研究者も書棚に一冊置いておいて損はないだろう。
蛇足だが、 本書は加藤先生が推薦文を書いている。 推薦文では絶賛するのが当然なのかもしれないが、 本の帯には、 「生命倫理の基本問題から最新の状況までを、 非常に分かりやすく説明している。時代の大きな流れと、 具体的な状況での判断の指針とを同時に、 これほど印象的に理解できる書物は他にないと思う」 とまで書かれている。
なお、これまた蛇足だが、 著者の奇人ぶりは本文にはあまり表に出ていないが、 本書の「はじめに」と「おわりに」によく示されているので、 一読あれ。
★著者から本を贈呈してもらったので、書評を書いておいた。 わたしに贈呈された本は、ほぼ確実にこの場で宣伝されるので、 これからもどんどん贈呈してほしい。高い本ほど宣伝される:-)
今日、家を出たときに、にこやかなおばさんがツツツと近寄ってきて、 「これ、ええ本やから読んでくださいネ」と言ってパンフレットをくれた。 見てみると、実○倫理宏○会の会報『○風』だった。
そのときは、はやる心を抑えてカバンにしまったが、 あとで大学に来て読んでみると今回もいろいろおもしろいことが書いてある。 たとえば、自民党の越智さんの「恩の教えに新たな感動と感謝」 なんていうスピーチも掲載されていたりする。
ところで、この会報の一番最初のページには、「『実践○理』とは」 という題目で次のような文章が書かれている。
人が共に生き、仲良く楽しく暮らしていくための"すじみち"、 それが倫理です。 目には見えなくても、社会生活をまっとうする上に確かに存在するルールです。
もともと倫理とは、人が造り定めたものではなく、 大自然の摂理を日々の生活に取り入れた、易しくも厳正な法則です。 ですから、私たちはこれによらなければ一日も満足に生きていけないことはもちろん、 政治、経済、あらゆる主義、思想などの基盤であり、 それらすべてを包括して、正しい方向を指示する道といえるでしょう。
私たちにとって忘れてはならないことは、 倫理は実践によって命が与えられるということです。 実践するその時に、倫理は初めて生きてはたらくのです。 それは、行なうことによって当然のようにその人が生き生きとし、 やがて福(幸)にも至ることで実証されています。
いくぶん独断のきらいがあるものの、なかなか説得力のある文章である。 この文章に感動して、「そうだ。その通りだ。今こそ倫理が必要なのだ」と、 ころりといってしまう人も多いのではなかろうか。
しかし、これって、「倫理」のかわりに「論理」 でも筋が通ってしまうのではないだろうか。 ためしに以下の文章を読んでみてほしい。
人が共に生き、仲良く楽しく暮らしていくための"すじみち"、 それが論理です。 目には見えなくても、社会生活をまっとうする上に確かに存在するルールです。
もともと論理とは、人が造り定めたものではなく、 大自然の摂理を日々の生活に取り入れた、易しくも厳正な法則です。 ですから、私たちはこれによらなければ一日も満足に生きていけないことはもちろん、 政治、経済、あらゆる主義、思想などの基盤であり、 それらすべてを包括して、正しい方向を指示する道といえるでしょう。
私たちにとって忘れてはならないことは、 論理は実践によって命が与えられるということです。 実践するその時に、論理は初めて生きてはたらくのです。 それは、行なうことによって当然のようにその人が生き生きとし、 やがて福(幸)にも至ることで実証されています。
…某君が泣いて喜びそうな文章になったな。 また、 「倫理」の代わりに「宿命」を入れて読んでみてもだいたい筋の通る文章になる。
とにかく、倫理学を学ぶものとしては、 「倫理とは目には見えなくても確かに存在するルール」 という説明で満足するわけにはいかない。 何人かが集まって意思決定をするさいに有効に機能する基準を提供することが 倫理学の役目の一つである(と思う)。 しかし、このような規定では、内容があいまいすぎて、 意思決定のさいに実際には「正しい方向を指示すること」はできないだろう。
今日もThe Japan Timesです。
明日もThe Japan Timesでしょう。
昨日もThe Japan Timesです。 読売のやつも買ってみたいんですが、なかなか見つかりません。
今日の夕方に、 大学のそばにあるマクドーナ --マクドナルドの略です。京都ではこう言います-- に行き、 注文してから二階に上がると、そこは若者だらけでした。 なぜここのマクドーナはちゃんと若者を駆除しないのかとプンプン腹を立てましたが、 とりあえず本を読みながら食事をして、それから店を出ました。 今後は決して二階には上がらないようにしたいと思います。 (編集者A)
今日もThe Japan Timesです。
こないだ広島に行ったときのことです。 某学会が開催される場所をメモしてくるのを忘れたので、 広島駅に着いてから京都の某後輩に電話して教えてもらいました。 この有能な後輩によると 「なかでんビル」で学会が行なわれるそうです。
そこで、駅前でタクシーを拾い、 運転手に「なかでんビルまでお願いします」 と伝えると、すこし間があって、 「ああ、ちゅうでんビルですね」 と訂正されました。
…すでにおわかりかと思いますが、 「ちゅうでん(中電)」とは「中国電力」のことだったのです。 なんてことでしょうか、 関西に「関西電力」があり、関東に「東京電力」があるように、 広島には「中国電力」があったのです!
自分のあやまちをすぐに悟ったわたしは、
しかし、とくに恥じ入ることもなくタクシーでの旅を楽しみました。
だって、わたしが間違えたのは某後輩のせいですから!
(無責任な編集者B)
「こんばんは。わたしはいま、京都の木○町というところに立っています。 ○屋町についてはじめに紹介しておきますと、 木○町は京都のソ連、いや失礼、 京都のエルサレムと呼ばれているところでして、 昼間はカラスしかいないサビれた通りですが、 夜ともなるとアラ不思議、 どこからともなく若者、中年、坊主どもが巡礼にやってきて、 異国情緒あふれるうら若き女性たちがにこやかに道端に立って彼らを出迎え、 さらにギターその他の楽器を持った若者がところせましとひしめきあって 道行く人々に思い思いの演奏と歌を聴かせる、 というたいへん活気あふれる通りであります」
「さて、今日はそんな流しの若者にインタビューをしてみたいと思います。 今、わたしの10メートルほど前にいる若者はスライドギターを弾きながら うーうー唸っています。 彼に、名声のパラドックスについてどう思うかちょっと尋ねてみましょう。 あ、ご存知かと思いますが、 名声のパラドックスとは19世紀英国の哲学者H・シヂウィックが 考えだしたもので、『名声を意識的に追求する人よりも、 名声については考えずに他の目的に没頭する人の方が、 かえって名声を得ることになりやすい』という説です (本日のおわび)」
「……あの、こんばんは。そこのブルーズのお兄さん、 ちょっといいですか」
「はい、なんっしょ」
「ちょっと質問があるんですが」
「はい、なんでもきいてください」
「最近ブルーズって、あんまり流行ってませんよねえ」
「ええ、まあ、そうっすねえ。 日本ではもうあんまり流行ってないっすねえ」
「日本だけでなく、世界的に見てもあんまり流行ってないですよねえ」
「いや、そんなことないっすよ。 アメリカやったらまだまだブルーズ聴いてる人多いっすよ」
「ああ、そうですか。まあ、それはおいといて。 じゃ、お兄さんはなんでその、 日本で流行ってないブルーズを演奏してるんですか」
「え、まあ別に流行なんか関係ないし」
「え、流行は関係ないんですか。 じゃあお兄さんは有名になりたいとは思っていないんですか」
「いや、まあ、そりゃ有名になりたいと言えばなりたいっすけど」
「じゃあなぜ今どきの音楽をやらないで、流行してないブルーズをやってるんですか」
「おれブルーズ好きやから。 別に好きでもない音楽をしてまで有名になりたいとは思ってないっすよ」
「けど、やっぱり有名になりたいんでしょ」
「そやけど、どんな手段を取ってでも有名になりたいっつーわけじゃないし。 ただ有名になるだけやったらなんか犯罪したら有名になれるじゃないすか」
「あ、なるほど、これは一本取られました。 すると、お兄さんは何がなんでも有名になろうと思っているわけではなくて、 好きなブルーズを歌っててそのうち有名になれたらいいなあ、 と思っているわけですね」
「まあ、そんなとこっすかね。 有名になろう思てもそう簡単に有名になれるわけちゃうし」
「あ、それ、それ。それまさにシヂウィックですよ」
「は、シジミ?」
「いや、シジミじゃなくてシヂウィック。 シヂウィックという人は19世紀英国の哲学者で、 『名声は意識的に追求するとうまく得ることができず、 むしろ他の目的を追求していた方が名声は得られやすい』 という趣旨のことを言った人です」
「…はあ」
「つまり、お兄さんの場合だと、がむしゃらに名声を得ようと努力するよりも、 好きなブルーズを歌うことを目的にした方が、 かえって有名になれる可能性が高くなるってことですよ」
「…はあ、そうですか」
「いや、お兄さんシヂウィックの本読んだことあったんじゃないですか」
「そんな人ぜんぜん知りません」
「またまた謙遜して。実は読んだことあるんでしょ」
「だから、そんな人知りませんってば。今はじめて聞いたっすよ」
「あ、ではお兄さんは自力でシヂウィックが考えていたことを考えついたんですね。 やりますねえ。 だったらお兄さん、ブルーズやるより哲学やった方がきっと早く有名になれますよ」
「哲学? そんなん知らんわ。 もうエエから向こう行って。 これからまた歌わんとあかんし」
「いやほんとに。哲学やった方が有名になれますよ。競争率もずっと低いし」
「もうほっといてえや。他の人んとこ行って」
「あ、そうですか。 けど、有名になりたかったら哲学やった方がいいですよ」
「あーもう、うるさいなあ。あっちいけ。ボケ」
「あ、ひどいなあ。せっかく人が助言してるのに。 そんなに言うんなら向こう行きますよ…」
「……というわけで、 木○町に集う流しの若者の一人に 『名声のパラドックス』 について尋ねてみたわけですが、 驚くべきことにこの若者もこのパラドックスに気付いていました。 しかし、この若者もやはり、 このパラドックスの解決策については何ら手がかりが 得られていないように思われました。 この意味で、われわれはまだシヂウィックを超えていない、 と言ってもよいのではないでしょうか」
今後は特に断わりがない限りは、 The Japan Timesです。
今日、河原町の方に出たついでにクツを買いました。 根が保守的にできているらしく、 高校生のとき以来、スーツ用に買った革靴1足を除いては、 コン○ースというクツしか買ったことがありませんでしたが、 今日はおもいきって○ラベラーとかいうメーカーの明るい茶色の 革靴を買ってみました。 ジーパンに革靴というのは最初はなんだか変な感じでしたが、 しばらくするとすっかり慣れてしまいました。 慣れってこわいですね。
ちなみに古い○ンバースはどこかのゴミ箱に捨てました。 雨が降るとよく水浸しになるクツでしたが、 ぼろぼろになるまでよくがんばってくれました。 合掌。
今日のスケッチにおいて歴史的事実の歪曲がありました。 訂正するとともに謹しんでおわびいたします。
誤: 名声のパラドックスとは19世紀英国の哲学者H・シヂウィックが 考えだしたもので、『名声を意識的に追求する人よりも、 名声については考えずに他の目的に没頭する人の方が、 かえって名声を得ることになりやすい』という説です。
正: 快楽のパラドックスとは19世紀英国の哲学者H・シヂウィックが 考えだしたもので、『快楽を意識的に追求する人よりも、 快楽については考えずに他の目的に没頭する人の方が、 かえって快楽を得ることになりやすい』という説です。 (シヂウィックの前に、バトラアも同じようなことを述べており、 シヂウィックは彼から着想を得たと思われます)
今回は、担任の先生が病欠だったので、 代理の先生(英国人)が授業をした。 この人は話し方は振舞いがユーモラスで、 授業中、学生の笑いが絶えなかった。
今回の授業では、 (1)Quiz Nightに出席した人への質問、 (2)前回の宿題(ライティングのTask2)の学生同士での批評、 (3)リスニングの練習、 (4)関係詞節(Relative Clause)の勉強、をした。
(1)はじめに、 先日のクイズナイトに出席した人が一人いたので、 その人にみなで質問した。 質問とその応答から察するに、 クイズナイトとはブ○ティッシュカウンシルで催される パーティの一つで、集まった人が何グループかに分かれて、 英国についての知識を争うらしい。 たとえば、007シリーズでジェームズボンド役をやった俳優の名前を全部挙げよ、 とか、英国人は平均して年に何リットルのアルコールを摂取するか、とか。 時間がなかったので今回は参加しなかったが、 次回はできたら出席してみよう。
(2)前回のライティングの宿題 (「医療技術の革新は倫理的に許容されるべきか否か」) を先生に提出する前に、隣の人とお互いのエッセイを批評しあった。 批評をするさいにチェックすべき点が記されている紙を、 先生からもらったので、それを訳しておこう。
少し説明を加えておくと、テーマ文とは、 そのエッセイにおけるメインの主張のことで、 イントロにかならず入れなければならない。 たとえば、「このエッセイでは、 クローン人間やヒトゲノム解析といった医療技術を考察することを通じて、 個人情報の取り扱いに注意するならば 医療技術はわれわれの幸福に役立つことを論じる」とか。 また、このテーマ文には、 以下の各段落で論じられる支配的アイディア(controlling idea) がすべて含まれていなければならない。 すなわち、テーマ文でもっとも抽象的な主張を行ない、 各段落においては、 テーマ文で述べられたいくつかの論点を論証するわけである。
トピック文とは、 通常は各段落の冒頭にあらわれる文で、 テーマ文での主張を受けて、その段落における主な主張を書く。 そしてその段落の残りでは、 全力を挙げてこのトピック文を裏付ける主張をする。 つまり、 たとえば、 「ヒトゲノム解析がもたらす良い結果の一つには、 予防治療の発展の可能性が挙げられる」とか 「他方、遺伝子に関する個人情報は、 医療関係者が細心の注意をもって取り扱わないと、 プライバシーの侵害が起きるであろう」とか。
トピック文を裏付けるには、 事実(証拠)や具体例、個人的経験などを用いる。 たとえば、「具体的には、 患者が遺伝的にガンになりやすい体質かどうかを 医者があらかじめ知ることができれば、 かなり早い段階からガンの治療を始めることが可能になる」 とか、「わたしのおじいちゃんは、 遺伝子情報が流出したために、生命保険に入れなくなった」とか。
独断的でない言葉づかいとは、 allやneverを用いず、 probablyやoftenやmost peopleという表現を使う、ということ。
(ちなみに、論文の書き方についてのこの手の注意に関しては、 中公新書の『理科系の作文技術』に簡潔にまとめられている。)
ぼくが今回書いたエッセイは、 段落ごとのつながりがわかりにくいと言われたので、 次回は接続語などにもう少し気を配らないといけない。
(3)リスニングはテスト一回分まるごとやった。 プリントに書いてある選択肢から、 問いの内容を予想することが肝心である。 今回は割とよくできたが、もっと集中しなければいけない。 あと、答を書き写すときに間違えないこと! (一問写し間違えてしまった)
(4)休憩時間をはさんだあと、 最後に関係詞節(Relative Clause)について勉強した。 教わったのは、高校でも習う制限用法と非制限用法の違い、 関係代名詞の省略、関係詞節から分詞構文への変換の三つであるが、 とくに制限用法と非制限用法の区別について考えさせられるところがあった。
日本の標準的な文法書を見ると「関係代名詞には、 先行詞(antecedent)を修飾限定する制限用法と、 先行詞について補足的な説明を加える非制限(または連続)用法との2つがある」 という風に書かれている。 (ちなみにこれは旺文社のロイヤル英文法567頁にある説明)
こういう説明が日本で定着しているからだと思うが、 この「制限用法」と「非制限用法」という区別を知っていたと思われる学生は、 今回、先生に「関係詞節でもっとも重要な区別はなんですか?」 と尋ねられたときに、`limiting clause and unlimiting clause' と答えていた。
が、英語では通常、`defining clause' と`non-defining clause'と言うらしいのだ。 つまり、「(先行詞を)定義する節」と「(先行詞の)定義を行なわない節」 というわけだ。 これは、すくなくともぼくには、 「先行詞(antecedent)を修飾限定する制限用法と、 先行詞について補足的な説明を加える非制限(または連続)用法」 という説明よりもずっとわかりやすい。 「修飾限定」と「補足的な説明」はどこがどう違うのか わかりにくいのに対して、「定義をする節」と「定義をしない節」 ならば違いが明らかである。
たとえば、
I'm going to stay with my sister who lives in Paris.
は(関係詞節の前にコンマがないので)、
関係詞節がmy sisterを定義している(不可欠な情報を与えている)
のに対し、
I'm going to stay with my sister, who lives in Paris.
だと(関係詞節の前にコンマがあるので)、
関係詞節はmy sisterを定義せず、
余分な情報を付け足しているだけである。
状況を設定してもう少し具体的に言うと、
「君には姉が二人いて、一人はロンドンに、
もう一人はパリにいるようだが、どちらの方に泊まりにいくんだい」
というような質問をされたとき、
「姉のところに泊まる」というだけでは情報として不十分なので、
かならず「パリにいる姉」なのか「ロンドンにいる姉」
なのかをはっきりさせる必要がある。
だからこの場合は、定義用法を用いて
I'm going to stay with my sister who lives in Paris.
という必要があるのだ。
この場合、
who以下は不可欠な情報なので省略することはできない。
しかし、姉が一人しかいないときは、
「姉がパリにいること」は不可欠な情報ではないので、
I'm going to stay with my sister, who lives in Paris.
「ぼくは姉のところに泊まる予定だ。
ちなみに姉はパリに住んでいる」
のように言えば良いわけである。
もちろん、who以下は余分な情報なので省略することができる。
授業で使ったプリントからの例をもう一つ二つ。
以上、高校で学んだ知識の復習ではあるが、 より適切に説明されることによって理解が深まってよかったという話。
宿題はライティングtask1の練習問題。 あと、授業に関するアンケートの書類を書いてくること。 宿題が少ないのはいいことやら悪いことやら…。