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KODAMA'S (NEW) WORLD

「それよりも、よく考えなければいけませんわ、 第一に自分たちが女ってこと、 それで男の人と争いあうよう生まれついてはいないというのを。 それから、力のもっと強い者[国王]に支配されている、ってことも。 それゆえ、今のことでも、またもっと辛いことでも、 服従するほかありませんわ」

---イスメーネー


昨日 / 明日 / 2013年3月 / 最新 / はてな

この日の出来事


05/Mar/2013 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

娘と散歩、下北沢で飲み会など

今日おもしろかったのは、下北沢での飲み会。もちろんどんちゃん騒ぎをした わけではないが、気のおけない人々と飲んで楽しかった。

少し遅めに起床。朝食、朝刊。午前中は娘の世話。暖かいので少し近所を散歩。 そのあと少しメールで仕事をして、お昼。

昼食後、娘としばらく昼寝。夕方に新宿に出て、少し家電製品を見る。

夜、下北沢に移動して某先生らと飲み会。紹興酒。帰宅途中、某先生が気分が 悪くなっていたので気の毒。

夜中、娘の寝かしつけをやってから風呂。それからメールの返事。もう寝よう。


05/Mar/2012 (Monday/lundi/Montag)

某インタビューなど

定時起床。髭剃り、朝食。雨。

娘を保育園に送ってから、本三駅前の某喫茶店で思索。某原稿が一通りできた ので某氏に送る。今回もどうぞよろしくお願いします。

お昼、おにぎりを買って某ランチョン・セミナー。某OD生の報告。その後、1時 間ほど指導。

昼下がり、名古屋の某氏来訪。某センターについてインタビューを受ける。某 氏と三人で1時間半ほど。いろいろ考えることができてよかった。よいインタ ビューというのは内省の機会も与えてくれる。

某本が献本用に届いたので、某先生などに献上する。夕方、ちょっと一休みし たあと、いろいろ雑用。

夜、某氏と途中まで帰宅。夕食。娘と少し遊び、某妻と一緒に散髪してやる。

夜中、娘を風呂に入れ、食器を洗う。今日ももう寝る時間だ。


05/Mar/2011 (Saturday/samedi/Sonnabend)

真夜中

しばらく英国出張に行っていた。

昼下がりに無事に成田に戻ってくる。 行きと同じ、京成スカイライナーに乗って日暮里へ。 巣鴨から歩いて帰宅。 腹が減っていたので某妻にうどんを作ってもらう。

夜、荷物を片付け、少し寝てから夕食。 その後、しばらく明日の某研究会の準備。

夜中、風呂。それからまた某研究会の準備など。 新聞その他はまた明日以降だな。


05/Mar/2010 (Friday/vendredi/Freitag)

真夜中

朝、なんとか起きる。シャワー、朝食。

午前中は某図書館で調べものなど。お昼すぎまで。

昼下がりに研究室へ。弁当を食べてから、もろもろの雑用。

夕方から2時間ほど、某先生らと某相談。

夜、某妻に付き合って、三田の某懇親会に出席。いろいろ冷や汗をかく。

夜中、千石で中華料理を食べてから帰宅。しばらくソファで寝る。

真夜中、新聞。そのあと、少しWiiで汗をかく。今日も0.4LTLDぐらいか。 もう寝ないと。


05/Mar/2009 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

定時起床。ゴミ出し、シャワー、朝食。眠い。

定時出勤(少し遅刻)。今日は落ち着いて仕事しよう。

そういえば、昨夜、朗報一件あり。

昼下がり

午前中、某院生の指導。お昼、某氏らと居酒屋で昼食。

戻ってきてからまた雑用。眠い。

昼下がりから夕方まで某ミーティング。

そのあと、一瞬寝袋。それからまた雑用。

夕方、第一購買部に注文していたもの(電子辞書用のフランス語カード)を 取りに行く。SSDのコンピュータも試してみたいんだよな…。

戻ってからまた雑用。雑用まみれの日々。

昨日の筋トレの疲れなのか、雑用にまみれているからなのか、 とにかくだるい。今日は風呂に入って早目に寝るべし。

真夜中

夜に帰宅して夕食。そのあと、朝刊と夕刊を読む。 小沢さん、大ピンチだな。政治生命がかかっているだろうから、 大変だ。

夜中、風呂に入る。少し本を読んだらもう寝よう。

そういえば、今日は昼食後に腹の調子が悪くなった。 吹出物も出ているし、体調が落ちているようだ。風邪に気をつけるべし。

あれ、やっぱりグラバーはネ申だな。 第20章あたりを読み直していろいろ反省。


05/Mar/2008 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

お昼すぎ

朝、ゴミ出ししてから二度寝。今日も1時間遅く起きる。

シャワー、朝食、朝刊。お昼前まで自宅で某翻訳のチェック。時間がかかる。

お昼は某氏と。蕎麦。

春だが、まだ寒い。風邪に気をつけよう。 みなが困っている花粉症は、さいわいまだ発症していない気がするが、 ここしばらく夜になるとドライアイのような状態が見られるようだ。 目薬を使うようにしよう。

真夜中

昼下がりまで某翻訳のチェック。そのあと、某院生の指導。

夕方から、某氏らと某相談。公衆衛生倫理について。

夜、某喫茶店で某氏と某相談。日本の生命倫理の未来(?)について。

そのあと、1時間ほど研究室で仕事をしてから、 夜は本三で某氏と飲む。遅れて、某妻や、某氏らが参加。 真夜中まで楽しく飲む。芋焼酎と栗焼酎。

帰宅してからまた某翻訳のチェック。少し進んだが、まだまだ。 〆切を過ぎてしまったので、そろそろ某編集者にメールをしないとまずい…。


05/Mar/2007 (Monday/lundi/Montag)

よく寝る。起きてからシャワー。二日酔いはないが、 まだ昨日のキムチが胃に残っているらしく、 某妻に「香ばしいニオイがする」と言われる。いかん。

キムチはおいしいが、あとで吐き気がするのと、 胃に残って腹の調子が悪くなるのが難だ。 危険物に指定することにして、 今後はなるべく手を付けないようにしよう。

夜中

朝、定時出勤。午前中は某雑用。某校正作業もする。

お昼、集会室でお弁当を食べてから飯田橋へ。 地下鉄で行くつもりだったが、駅まで歩くのが面倒だったので、 自転車で飯田橋まで。某非常勤先で次年度のテキストを選ぶ作業。

そのあと、某出版社の某氏と喫茶店でお会いし、 残りの校正原稿を一式いただく。推したり敲いたりするのはよいが、 三校なので段落を変えたりはしないようにと注意される。

それからまた研究室に戻り、某雑用と某研究会の予習をしていると夕方になる。

夕方、某政治哲学研究会。政治学の研究者によるロールズとノージックの正義論批判。 善の構想に立ち入らない中立的なリベラリズムは米国憲法の理念を反映していないので けしからん、というような内容。哲学研究者と実証系の研究者って、 どうしてこう仲が悪いんだろう、とかなんとか。

夜、強風。居酒屋に行き、二時間ほどいろいろ密談。 「この日記は過激さがなくなっておもしろくないです」 「それは社会化してまともな直観が身に付きつつある証拠です」とか。

真夜中

新聞。

私たちは例えるなら地球に生まれた異星人。 常識でも、教えてもらわないと分からないこともある。 少しの支援で、社会的役割を果たせるようになるんです。

---ジェリー・ニューポート(「モーツァルトとクジラ」原作者、アスペルガー症候群)

1998年に火星人の話を書いているが、 自分も診断を受けるんじゃないかと心配だ。 なるべく普通の地球人のように振舞うこと。


05/Mar/2006 (Sunday/dimanche/Sonntag)

夜明け前

まだ昨夜のブイヤベースが残っている。 最初にアペルティフとして出てきたカキやカニをおいしいおいしいと 言って食べたあと、米国南部の料理のように重いブイヤベースが出てきたので、 食傷気味になりつつ食べたのがよくなかった。

エズでは昼食にニース風サラダというツナサラダを食べたが、 これはそれなりにおいしかった。

と、食べ物の話ばかりになったが、 今回の旅行の感想を少し記しておこう。

ニースは海岸線が美しいが、 これまでに訪れた町や村とくらべるとちょっと町が大きすぎて すぐには好き嫌いの判断をしかねる感じがする。 海岸線に比べると、駅のあたりが荒れている様子なのも気になった。 エズの村に一ヶ月ほど滞在して、ときどきニースに来る、 あるいはアヴィニョンに一ヶ月滞在するというのは魅力的だ。

パリはいろいろ歩いてみて良い町であることがわかったが、 なんだか広場や通りが大きすぎて、

(と、書きかけて時間切れ。次の日に続く)


05/Mar/2005 (Saturday/samedi/Sonnabend)

お昼

早起きして某授業の手伝いに。ちょっとウツになることあり。

それはともかく、Think big. いや、Think bigger.

昨夜気付いたが左上の親不知はほぼ完全に生え出ている。 虫歯になる前に抜いた方がいいかなあ。

昼下がり

いったん下宿に戻って洗濯物を干したあと、 ふたたび大学へ。少し某氏の手伝い。

`tsunami'の次は`mottainai'が流行りそうだ(毎日新聞)。 そのうち「もったいないおばけ」のCMが世界中で流れたりして。

ノロノロと某サーベイ論文の勉強。間食は進むが筆は進まない。

メモ。パーソン論をやるときは、 パーソンという概念(or 人格かモノかという区別)の重要さを強調する必要がある。 また、胎児や胚、あるいは脳死体がパーソンなのかどうかというのは、 道徳的地位が問題にされるように、 道徳的あるいは法的な問題であり、 科学によっては解決されないという点をうまく理解してもらう必要がある。 意識があるかないか、痛みを感じることができるかどうかを決めるのは 科学の仕事だが、 「痛みを感じるものは人格(であるから、他の人間と等しく扱われるべきである)」 という判断は倫理的なもの。

夜2

まだ勉強中。トイレの鏡で顔を見たら、 目の下に隈ができていてびっくりする。ちょっと休憩しよう。

メモ。カントの「単なる手段としてではなく同時に目的として…」というのも、 モノではなく自分と同じ人格として扱えということだ。

某先生から教えてもらったStephen WilkinsonのBodies for Sale (2003)はよく書けていておもしろい。自分でこのぐらい書けたらなあ。 この本からNussbaumの`Objectification'(1995)に飛び、 さらにカントのLectures on Ethicsへ。 カントの結婚の話はいつ読んでもおもしろい。

男が女を性的欲求からのみ愛したとすれば、これは愛ではない。 それは性欲だ。 愛とは、人間の感情としての愛とは、 幸福を願うことであり、仲良くしようとすることであり、 他者の幸福を促進しそれに喜びを感じることである。 ところがしかし、性的欲求しかもたない人が相手を愛するときは、 以上の真なる人間的感情のいずれも動機になっていないことが明らかであり、 相手の幸福にまったく関心がなく、 それどころか、単に自分自身の欲求や性欲を満たすためだけに、 相手を最大の不幸に陥らせるのである。 性的欲求から愛することにより、 人は相手を欲求の対象(モノ)にしてしまうのである。 相手を所有し、欲求が満たされてしまえば、 ちょうどジュースを絞りとったあとのレモンが捨てられるように、 その相手は捨てられてしまう。

---Kant, Lectures on Ethics

この分析の鋭さ。功利主義を知るよりも先にこの部分を読んでいたら、 きっと今ごろはカンティアンだっただろうと思う。 しかし、 「結婚した場合にかぎり相手をセックスのためのモノ扱いせずに 人格として扱うことができる」というカントの見解は、 結婚に対する幻想としか思えない。

どうでもいいが、 フェミは授業中にセックスとかポルノについて堂々と語れるので楽しいんだろうなあ。

アロンは自分の××を指して、
《ほらね、君がフェミニストだったらこの××について語れるんだよ、 そしてそれは哲学なんだ!》
サルトルは感動で青ざめた。ほとんど青ざめた、といってよい。 それは彼が長いあいだ望んでいたこととぴったりしていた。 つまり××について語ること、 彼が触れるままの××を……そしてそれが哲学であることを彼は望んでいたのである。

他愛のない冗談なので哲学関係者は怒らないように。

真夜中

ひええ、結局まだサーベイ論文は終わっていない。 明日某名誉教授に原稿を渡すはずなのに…。


05/Mar/2004 (Friday/vendredi/Freitag)

真夜中 (午前)

昨日はお昼ごろに大学に行き、脳死・臓器移植の勉強。 夕方に某ミーティングで発表。 当然だが、まだまだ勉強が足りない。

夜、某氏や某氏の学生らと飲み会。ちょっと飲みすぎた。 ほどほどにしよう。

帰宅するとすでに『白い巨塔』は終わっていた。 これで二週連続。 なぜ録画予約をしていなかったのか。ばがっ。

お昼

さっき起きる。

もうすぐロンドンだ。友人たち(少ないけど)と会う連絡を取っていると、 なんだかうれしくなってきた。楽しんでこよう。

お昼すぎ

大学へ。昨日もそうだが、USBメモリを家に忘れてきて取りに帰る。

書き忘れていたが、昨日アマゾンから『ぼのぼの(24)』と Coldplayの1stと2ndアルバムが届いた。

昼下がり

税というのは、国家の運営および福祉政策のために必要である反面、 個人の欲求に対するブレーキとして作用するというマイナス面がある。 所得税があまりに累進的であれば、人々はあえてより多くのお金を稼ぐ 欲求を失なうだろう。 また、消費税があまりに高くなれば、人々は消費意欲を失なってしまうだろう。 そういう意味で、一国の税制は人々のライフスタイル(勤勉貯蓄型、 放蕩浪費型など)に一定の影響を及ぼす。

ここまでは当然の話だが、とすると、個人の消費意欲を高めるために、 たとえば「消費税ゼロの月」とかを作ってみると、よいのではないか。 こういうことをすると自営業の店は他の月の売上げをその月に回すことで 他の月の分の消費税を払わないなどの不正を行なうだろうか。 単なる思いつきをメモ。

昼下がり2

うう。いろいろ勉強せねば。具体的には福祉の理論と実際の制度、 臓器移植や配分の理論、倫理学の基本的要素とは何か、など。 D論も書かねば。うう。

夕方、ちょっと学生の指導の付き合いをしたあと、 購買部に買い出しに行き、それから新聞。

国旗掲揚や国歌斉唱についてはとくに意見はないのだが、 次の都議会本会議での横山祥吉教育長のコメントは気になる。

「教育は公務員として学習指導要領に基づいて児童・生徒の教育を行う責務がある。 指導において命じることは、何ら思想・良心の自由を侵すことにはならない」 (産経本日付27面)

前半の、公務員としての責務があるというのはその通りだと思うが、 後半の、指導において命じること(学習指導要領に書いてあることに従うこと)は、 何ら思想・良心の自由を侵すことにはならない、というのはなぜだろうか。

いかに指導要領がひどい内容であっても、単にそれに外面的に従うだけならば、 内面的自由は奪われることはない、ということだろうか。 たとえば、学習指導要領に「男は男らしく」「女は女らしく」教育することと 書いてあり、ゴリゴリのフェミニストの教員がそれに従って授業を行なっても、 良心や思想の自由が侵されたことにはならない、ということか。 また、同じく指導要領に天地創造説を指導するように書いてあり、 進化論を信じている理科の先生がそれを教えても、 やはり良心・思想の自由は侵されたことにはならない、ということか。

あるいは、指導要領が気に入らなければ私立でも塾でも行って教えればよい、 それは個人の自由だ、ということだろうか。

いずれにしても 「国旗掲揚・国歌斉唱は、何ら思想・良心の自由を侵すことにはならない」 と主張するならまだしも、 「指導において命じることは、何ら思想・良心の自由を侵すことにはならない」 というのはとても正しい命題のようには思えないのだが、どうか。 それとも何か別の解釈があるのだろうか。

夜中

某『清兵衛』を録画しようと思い、帰宅する。 倫理学の勉強。

Q. まじめな質問です。ここ数年間で倫理的に学んだことはありますか? 言い換えると、あなたの道徳的価値観になんらかの変化はありましたか?

A. いろいろな意味でコミットメントの重要性を学びました。 人間関係、哲学的立場などにおけるコミットメントです。 何にもコミットしないという態度も一つの立場にコミットしており、 決定論的な正当化は責任を回避するための口上であると考えるようになりました。 徳における習慣の重要性も学びました。 しかし、まだまだいろいろなことに不徹底であり、 今後も修業する必要が大いにあります。


05/Mar/2003 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

真夜中 (午前)

トマトソースは30分ほど煮るとよいという天の声があった。

なぜ「親を切る」のが「親切」なのか

「親切」はなぜ「親を切る」と書くのか、 ということがこないだから気になっていたので、 Googleで調べてみると(『広辞苑』などはまだダンボールに入っている)、 だいたい次のような事情のようだ。 主にここを参照した。

「親」はオヤではなく「親しい」の方で、「切」は包丁でニンニクを切ると 包丁とニンニクがぴったりくっついているように、「ぴったりくっついているさま」 を意味しているそうだ。というわけで、「親しくぴったり寄りそう」というのが 原義だそうだ。 もともとは「深切」という言葉が、 現在の「親切」の意味で使われていたそうだが(国語辞典にも「親切・深切」とある)、 明治以降は「親切」が主流になったそうだ。

上記の記述が間違えていたら、おそらく某仙人が訂正してくれるだろう。 たぶん(hopefully)。

ちなみに「親切は親を切るということだ」と説明していた記述もいくつかあった。 おそらくこちらは俗流語源説なのだろう。しかしこの解釈では あまりうまく説明できるようには思えないけど…。

真夜中2 (午前)

トマトソースはバターを少々入れるとコクが出るという天の声があった。感謝。

真夜中3 (午前)

ね、眠い。

早朝起きる。某放送大学の古代倫理学の話を聞きながら 新聞を読んだり朝食を食べたりメールをしたり。

メモ。夜8時からの『紳士協定』を見ること。 「『男らしさ』と『女らしさ』の倫理学的考察」というような論文を 書くための準備をすること。

ギリシャ国立劇場が来日して「アンティゴネ」を上演するそうだ。 見たいな。

朝2

某仙人さまが 親切について 書かれている。 ああ、やっぱり「切ない」も同じところから来ているんですね (「ない」は強調なので、「切がない」ではなく「すっごく切だ」という意味)。

「切ないときは親を出せ」(困ったときは親が死んだとか言え)というのもあるようだ。 まぎらわしい。

問い合わせたところ、「アンティゴネー」のチケットはまだ残ってるそうだ。 買うか…。

お昼前

やっと推敲が終わった。整形したらメールすること。

昼下がり

お昼、某さんと自由ヶ丘駅前の韓国料理で食事。 いろいろTipsを教えていただく。

某東急ストア一階のぴあで『アンティゴネー』のチケットを入手。

下宿に戻ってくると、カード会社からの請求書が来ており、 その額に危うく卒倒しそうになる。 とりあえず20日までは禁欲の日々を送ること。

もうすこしprudentな生活をするために、 家計簿をカードの分だけ復活させることにしよう。 今回はこの家計簿ソフトを試してみることにする。なかなか便利。

昼下がり2

一応ペーパーをメールした。一安心。

ちょっと寝たら、次の原稿にかからねば。

寝る。

ちょっと駅前に行き、回転寿司を試してみる。が、ここはダメ。 体調も悪くなる。

夜2

『紳士協定』。グレゴリー・ペック、カッコイイ!

夜3

紳士協定』(1947)、観る。 ユダヤ人差別を知るために、自らユダヤ人を名乗ってみるジャーナリスト (グレゴリー・ペック)の話。 差別を知るためには差別を生きてみなければならない、というメッセージ。 この映画だけではユダヤ人差別についての実体がほとんどわからないが、 上のメッセージをうまく伝えている(と傍観者は思う)。

主人公はジャーナリストのグリーン(ペック)だが、もう一人は婚約者のキャシー (ドロシー・マグワイア)。 それまでキャシーは「差別は悪い。現実に差別がある。差別はなくすべきだ」 という道徳判断(と現状の認識)しか持っていなかったが、 グリーンとの出会いを通じて道徳判断は実際の行動に結びつかないといけないこと を悟る。

しかし、 理想主義者のグリーンが善人、 差別について現実主義的だったが自分の過ちに気付き改心する婚約者のキャシーが 悪者という二項対立がちょっとあれだ。 ここには当時は気づかれていなかった男女差別があり、 現在同じ映画を作るとすれば男女の役割を逆転させて、 ジョディ・フォスターやジュリア・ロバーツが主演するんじゃないかと思う。

いずれにせよ、名作。いろいろ考えるところがあった。 B++。


05/Mar/2002 (Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中 (午前)

カレーを作り、吐き気がするぐらい食う。食べすぎるのはよくない。

以前に某ミスドでもらったスリッパを履いて階段を降りていたら、 スリップして危うく大惨事になりかけた。二度目。陰謀の気配がする。

真夜中2 (午前)

う。ほんとに気分が悪い。風邪も引きかけてる気がする。

日記の整理

真夜中3 (午前)

Monty Python's Fliegender Zirkusを見てドイツ語の勉強。 そういえば今夜のテレビでは『エリック・ザ・バイキング』がやっているようだ。

お昼

今日もなんとかお昼前に起きる。真人間になれる日も近い。

ネットで注文した本が米国から届く。

アフガニスタンで激しい戦闘が起きているようだ。 イスラエルでもレストランでパレスティナ人が銃を乱射して 数十人の死傷者が出たようだ。合掌。

「合掌じゃないでしょ。こういう事態を目の当たりにして、 きみ自身が何をすべきかを考えるべきじゃないの」

「倫理学者として微力ながらも尽力したいと思います」

「やっぱり無力な倫理学者よりもジャーナリストか政治家になった方が よかったんじゃない?」

「倫理学者は無力じゃないですよ」

「世界平和のために祈るとかは?」

「宗教も倫理学者と同じぐらい無力か、かえって有害ですよ」

「それよりはむしろ、 金持ちになってヨーコ・オノみたいにイマジンの歌詞を街中の看板に 書かせたりした方がいいかもね」

昼下がり

小雨。洗濯をしたあと、コンビニで電話代を振り込み、 ついでに郵便局で学振に書類も出してから、大学へ。

いるはずの人物がいない気がする。

夕方

人を待っているあいだに論文が一本読めそうだ。

夕方2

論文読んだ。ウォルヘイムの`The Limits of State Action'。 非功利主義的な信念あるいは選好に基づく苦痛は、 功利計算に入れなくてよいと主張する論文。 これはたとえば、同性愛を合理的な理由なしに嫌悪している人の苦痛を 功利計算に入れるべきか、という問題。

この問題は以前から自由主義読書会で扱っているテーマの一つだが、 外的選好の話を含めて、 不合理な信念に基づく快苦を計算に入れるかどうか、 よく考える必要がある。論文を書こう。

雨。某ルネで注文していた本を回収してから帰宅。

カレーを食べる。

ちょっと寝るつもりが、コタツで2時間近く寝てしまい、 あやうく干からびそうになる。あれ、これ昨日も書いたな。

真夜中

新聞。カレー。

Didier Schuller accuse les chiraquiens de l'avoir poussé à l'exil
ディディア・シュラー、亡命に圧力をかけたとしてシラク派を批判

(from Le Monde)

Avocat et familier de l'Elysée, Francis Szpiner est mis en cause par l'ancien conseiller général (RPR) des Hauts-de-Seine.
弁護士でエリゼ宮ではお馴染であるフランシス・スピナーは、 オー・ド・セーヌ県の元県会議員(RPR)によって訴訟を起こされた。

(pousser=push; exil=exile; avocat=lawyer; mis (pp. of mettre)=put; cause=case (law suit); ancien=ex-; RPR=Rassemblement pour la République 共和国集合)

ちょっと時間がないのでフランス語は手抜き。しかし、なかなか上達せんな。

今日の勉強時間…2hr


05/Mar/2001 (Monday/lundi/Montag)

買ったCD

「先日、リンダ・ロンシュタットが聴きたくなって、 ついアマゾンに注文してしまいました。 このベストに入っているのは、ほとんどカヴァー曲なんですけど、 その選び方がぼくの好みとよく一致しているんですよね。 バディ・ホリーやスモーキー・ロビンソンだけでなく、 ホリーズなんかをコピーするところがにくいです。 ホリーズのコピーはあんまり上手じゃないですが…。 ぼくがもう25年早く生まれていたら、 アメリカに行って彼女に交際を申し込んでいたかもしれません。 交際がだめなら、文通でも…」

「あほかきみは。たんに新しい音楽が理解できないだけだろう。 もうちょっと視野を広げなさい。む、視野ではなく聴野かな?」

Charlie's Angels

Bloomsbury TheatreというUCLが運営している劇場でCharlie's Angels が安い値段で上映されていたので、友人たちと観に行く。

Scary Movieと同様、わざとらしいジョークが多くてへき易する。 マトリクス風のアクションはそれほど悪くなかった。 しかし、テレビ番組ならともかく、 この手の映画を映画館にまで観に行くのは時間と金の無駄だ。C-。


05/Mar/2000 (Sunday/dimanche/Sonntag)

今日のニュース


今日の新聞

今日もThe Daily Yomiuriです。

Excavators find mound at midden
千葉県君津市の美濃貝塚で、 縄文時代後期の円形の古墳と集落が見つかったという記事。 祭祀関係の場所に住居もある、というのは珍しいらしい。
>考古学関係の重要単語 ついでに、考古学関係のサイト。 しかし、これを見ると、「美濃貝塚」って載ってないんだけど…。
Former dictator back home
1973年から1990年までチリの軍事政権のトップの座にいたピノチェト氏が、 英国からチリに戻ってきたらしい。 当時の人権侵害に関して裁判が開かれるかどうかは、 氏の健康状態によるそうだ。
>ピノチェト氏ってつづり(Pinochet)からなんとなくフランス人かと 思っていたのだが、最近そうではないことに気付いた :-)
Govt to hire nonnative teachers of English
2000年度から小学校でも英会話を教えることが許されるため、 中学や高校のALTs(Assistant language teachers) が不足すること見こまれている。 そのため、日本政府はこれまでの七ヶ国(米国、英国、カナダ、オーストラリア、 ニュージーランド、アイルランド、南アフリカ --すべて英語を母国語とする国)以外に、 シンガポールやフィリピンやジャマイカなど、 英語を公用語としている国の出身者からも ALTsを採用することになったそうだ。 ちなみに、1999年現在のALTsの総数は5200人。
Dutchman in bulldozer rams homes
アムステルダムから東へ80キロほどのところにある小さなヘルデ(Heerde) という町で、58才の男がブルドーザーに乗って暴れたそうだ。 自宅や隣近所の家を破壊し、車を潰してバリケードにし、 捕まえにきた警官に怪我をさせたとのこと。
>新聞読んでると、どうしてもこの手の吉外じみた記事に まず目がいってしまう。

編集後記

Planet Rock、いいっす。 さっきからかかっているのは、
born to run/krazy nite/hey jude/janie's got a gun/fat bottom girl, etc.
(音楽を聴くのに夢中で仕事が手につかない編集者D)

NetRadio.com はどうも生放送ではないようですが、 Classic/Chantなんてのもあってなかなか楽しめます。
(〆切が迫ってきているのでロックを聴いている場合ではない編集者D)


03/05/99 (Friday/vendredi/Freitag)

真夜中

謎はすべて解けたっ。 って、親切な方に教えてもらったんすけど。

estoientのsは、古いフランス語においては、 eがe^になる、ということを示しているそうで、 だから、現代風につづると、e^toientになるらしい。 それで、これはe^treの半過去形の三人称単数の古いつづり字の一つなんだそうだっ。 (現在ではe'taient)

だから、`On a trouue' que les plus commodes de ces signes, estoient les sons & les voix.'は、 「ある人が、 こうした記号のうちでより便利なものは音や声であるということに気づいた」 とかいう風に訳せるようだ。一件落着っ。情報感謝っ。


某先輩のゲラの校正っ。 あと少しで終わるっす。 が、続きはまた明日。


ソファで爆睡っす。 あまり覚えてないっすが、 そういえば寝てる間に某君が来たような気がする。 …寝ててすまんっす。 もうじきお迎えがくるのでそれまでがまんしてくださいっす。


お昼前

某喫茶店でモーニング。チャンピオン。 ついでにかばんに入れて持ってきていた『はじめの一歩』第14-5巻も読む。 おもしろいっす。

勉強勉強っす。


昼下がり

BMOR読書会の予習。ホッブズっす。

ちょっと、昨日買った『娘の愛と生活』から、 倫理学的に興味深い箇所を引用するっす。

マン・ハント無用

引く手あまた、ということになれば、もうマン・ハントなんて必要はないのです。

そうです。じつは若い女性にとって、マン・ハントだの、 ボーイ・ハントなんていうものは、 初めっからぜんぜん必要ではないのです。 あんなものは、やりたい人にやらせておけばよいのです。 あんなことをやるのは、自分の持っている女の真価、 底力に気づいていない女性なのです。

女の本質は、花です。 万色撩乱たる花であります。 静かに咲いていれば、どんなところにいてもそこへ蜂が訪れるのです。 花がノコノコ歩いて行って蜂をつかまえる、 そんな馬鹿なことがあるものではありません。

自己観察を怠る女性は、 そのことに気づかないので、 年頃になってバタバタします。 釣人が、いつまでたっても釣れそうにないので、 竿を逆さに持ちなおして、 ガバガバと水面を掻きまわしているようなものです。 はては、裸になってザブンとばかり飛びこんで、 魚を追いかけまわす、というようなもので、 まことにブザマなことです。 女性を釣師に例えたのはたいへん失礼ですが、 やはり女性は、「待つ」のが正しいのです。 なんだか大昔のモラルを持ち出してきたように思われるかもしれませんが、 どうして、これこそもっとも現代的な女性の生き方なのであります。

ただし、「待つ」といっても、やたら男性のことばかり夢見て、 キョロキョロともの欲しそうにしているのは困ります。 加山雄三さんの楽屋あたりをうろうろして、 「さあ、わたしは花ですよ。蜂さんどうぞ」 なんていったって、そうはうまくまいりません。

むしろ、男性のことなんかしばらく忘れて、自分を磨くのです。 女という花を育てる、 というより、人間という大輪のバラを、菊を、 日日やすみなく育てるのです。

働く女性は美しい----と申しますが、 同じように、人生の勉強に打ちこむ女性もじつに美しいものです。 「自分を見つめ、世間を見つめ、本を読み、親に喜ばれる娘となり、 私利をはなれ、人々の喜びを見てわが歓びとする女性----」 そんな方向を目ざす女性(己れを知る女性)を、 人々がどうして放っておくでしょうか。 いいえ、もしそんなあなたに、 魅力を感じないぼんくら男、 メクラ男ならば、こちらからおことわりです。 「どうぞおかまいなく」といえばよいのです。

世の中はふしぎです。 神秘です。 あなたが50の勉強をすれば、50の値うちの男性があなたに声をかけるのです。 もしあなたが、100の勉強をすればかならずや100の力をそなえた男性が、 やァどうもどうも、と現われてくるのです。

こうなれば、もうあなたは相手を選ぶことさえ不必要になってくるのです。 「女にだって選ぶ権利はあるのよッ」----なんて、小ざかしいかざりです。 そんな人には、選ばなければアブナイほどクズばかりが寄ってくるのでしょう。 大自然の仕組みは、そんな非科学的なのものではありません。 もっともっと、よくできているのです。

すなわち、自分をきたえる勉強が終ったところへ、 サッと現われた彼、それはかならずや、 あなたの理想の男、あなたを夢中にさせてくれる男性なのです。 夢のように甘く、太陽のように燃えたつ恋愛のできる女性は、 日ごろから人間的な力をたくわえているものです。 理想の恋人は、与えられるべくして与えられたもので、 一時のお化粧ではダメなのです。 チャーム・スクールのレッスンぐらいではムリなのです。

もっと深く、自分の奥底を見つめていただきたいのです。 正しい自己観察は、自然な自己表現につながるのです。 さらに、そうした自己表現は、眼に見えずとも人の心に伝わるものです。 誘いに出かけずとも、 ハイ・ヒールで背のびをしなくても、 人々は、あなたの真価を知るのです。 これが、マン・ハントの極意であり、じつは、マン・ハントなど、 まったく無用だということなのです。 このへんがじつは、世の中の、なかなか楽しいところなのであります。
(120-3頁)

う〜む。断定的な口調になんかものすごいルサンチマンを感じるっす。 それに、最後でなんか矛盾したことを言ってるっす。 だって、「マン・ハント」は不要だったはずなのに、 自分を磨くことこそが「マン・ハントの極意」であるって論じられてるっすから。

上の引用文においては、 「すばらしい男性は、女性が自分から探し求めずとも、 自己修練を怠らなければ、おのずと向こうから現われるものだ」 という趣旨のことが、非常にわかりやすく書かれてるっす。 このわかりやすさは見習うべきっす。

しかし、この主張は、もっと一般的に言えば、 「修練して徳を積めば、必ず幸せになれる。それが大自然の仕組だ」 ということっす。 自分の徳と幸福にはある程度の相姦、 じゃない相関関係があるのは認めるが、 これが必然性を伴なった関係とまで言えるかどうか。

そう言える、と主張する人は、 すでに宗教(というかある種の狂信)に足を踏み入れているのではなかろうか。 (もっとも、そう言えない、 という人もやはり一種の宗教に足を踏み入れているのかもしれないが)


夕方

BMOR読書会終わりっす。疲れたっす。


03/05/98(Thursday/jeudi/Donnerstag)

真夜中

うひゃ。寝てた寝てた寝てた。まずいまずいまずい。

明日というか、今日の夕方には倫理学入門書読書会があるし、 その予習もしないといけないしで、ほんと、 今夜こそは(といつも言ってるが)絶対にロンブンを 書き上げないといけないいけないいけない。


夜明け前

倫理学入門書読書会の準備。 あかんがな、こないなことしてたら。


早朝

わ、また夜が明けてしもたがな。あかん。終わりや。


加藤先生の「 体罰の方法」という論説を掲載。 フェミの人が読むと怒る気もするが、とにかく御一読あれ。


お昼

倫理学入門書読書会の予習。 「(道徳的)実在論」 などという非常に難しいものを読んでいるせいか、 途中苦しくなって少し居眠りをする。 最近はいつでも寝れるようになってきた。

ちなみに、道徳的実在論ってなにかっていうと、 「道徳的事実moral fact」が存在するっていう学説です。

え、それじゃあ何のことかさっぱりわからん? いや、ぼくもよくわかってないんですけどね、 じゃあお互いの勉強のためにもうちょっと説明しましょう。

たとえばぼくが「今日の天気はくもりでおまっ」って言うとするでしょ。 するとあなたが「何でおまえはそんなことがわかんねん」とか、 「おまえの言ってることはほんまにほんまなんか」と意地悪く訊いてくるとします。

そしたら、ぼくは「だってほら、外みたら、曇ってますやろ」とか、 「だってほれ、新聞見たら、ここに、くもりって書いてますやろ」とか 言って、ぼくの言ったことがほんまなことを事実 と一致していることによって示そうとするんじゃないでしょうかきっと。

つまり、ぼくがこのように答えたとすれば、 「ぼくの言ったこと(判断)がほんまかうそか(真か偽か)は、 事実(現実)に照らし合わせることによって確かめられる」 とぼくは考えていることになるわけです。
(こういうのをたしか真理の対応説と言うはず)

じゃあ今度は、ぼくが「うそついたらあきまへん」って言うとするでしょ。 するとまたあなたが「おまえの言ってることはほんまかどうか、 どないしてわかんねん」と意地悪く訊いてくるわけです。

そしたら、またぼくは、「だってほら、みんなそう思てるし」とか 「えらい人の本にもそう書いてあったし」とか 「自然法によれば、そうなってるし」とか 「お父ちゃんがいつもそう言うとったし」とか、 なにかそのようなことを言って、 ぼくの言ったことがほんまなことをなんらかの事実と一致している ことによって示そうとするかもしれません。

そこで、この二つ目の例で挙げられたような、道徳判断(〜するのは正しい、 〜したらあかん)を根拠付けるようななんらかの(道徳的)事実が存在する、 という立場を道徳的実在論と呼ぶわけです。


昼下がり

某氏が資料集の原稿を持ってこられたので、 レイアウトを手伝う。

お腹減った。


夕方

雨。今日はけっこう寒い。新居に行って風呂に入って来た。


倫理学入門書読書会終わり。「功利性と善」その2。 前回から某ロールジアンが参加してくれているせいか、 議論が活発化(紛糾?)している。


真夜中

け、け、けろけろっ。けろ。けろけろ。けろ。けろけろ。 けろけろけろけろ。けろ。けろけろ。け、けろけろけろ。 けろけろ。けろけろけろ。けろっ。けろけろけろ?けろけろ。 けろけろけろけろけろけろけろ。けろ。けろ。けろっ? けろけろっ。けろっ。けろっ。けろけろっ。


03/05/97(水)

記載なし。


Satoshi KODAMA
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Last modified: Fri Apr 5 00:05:06 JST 2013