投票権の問題は、……、 経済的および政治的権力が社会でどのように配分されているかによって 投票の結果が左右されてしまうということよりもむしろ、 より直接的で、より激しく、 より「表現的」な種類の政治行動、 より効果的であると同時により満足の行く政治活動が、 投票権があるがために非合法化されてしまうということにある。
---Albert O. Hirschman, Shifting Involvements
昨晩はYouTubeで音楽を聞いていたら寝るのが遅くなった。少し遅めに起床。シ リアル、休刊日。
午前中にバスに乗って某上野動物園に。去年の夏ごろに最初に来たので今回が二度目。
娘は園内で借りたベビーカーが気に入ったようで、座っていると座高が低くて 動物が見えないにもかかわらず、なかなか降りようとせず。動物とのふれ合い 広場ではヤギやヒツジが放し飼いになっていたので興奮していたが、どちらか と言えば動物を見るよりも柵に上るのが楽しいようだった。
サル山はほとんど見ず、象もチラ見しただけ。パンダの大きな模型を見てひと かたならず興奮していたのでパンダのぬいぐるみを買ってやると満足していた。 本物は並ぶのが面倒で結局見ず。
ワニやトラは見られなかったので、春までにもう一度ぐらい来ることにしよう。 帰りはタクシーで帰宅。
帰宅してから遅めの昼食。それから娘と一緒に夕方まで昼寝。
夕方、しばらく雑用。夜、夕食。
夜中、Wiiで少し汗をかき、娘を風呂に入れ、食器を洗う。
真夜中、少し一年の計を考える作業。もうすぐ寝ないと。
今年の標語はthink outside the boxになりました。
朝、遅めに起床。シリアル。午前中は娘の相手など。お昼、お雑煮。ごちそうになる。
お昼すぎ、某妻と新宿へ。新年セール中の某百貨店でカバンを二つ購入。今持っ ているのはどちらもくたびれかけていたので。それから一人で大学へ。今日は 半日、お腹の調子が少し悪い。
昼下がりから日が暮れるまで、雑用をしながらチャドウィックの勉強。
夜、2時間半ほど某院生の指導。それからコンビニで夕食を買って研究室で食 べる。つい食べすぎて、しばらく気分が悪くなる。
真夜中まで公衆衛生の勉強。論文を書きたくないので逃避的に文献を読んでい る段階。明日こそ書こう。
地下鉄がなくならないうちに帰宅。さっさと寝るべし。
朝、遅めに起きる。 ジョージ・クルーニーが音楽コンテストに優勝する夢を見ていた気がする。 あれが初夢か。シャワー、シリアル。
午前中に出発して、お昼ごろ、小田急線沿線の某妻の実家へ。 御節料理やワインなどおいしくいただく。感謝。
夕方に失礼して、日が暮れるころに帰宅。 しばらくiPadをプロジェクタにつなげる実験をしたあと、夕食。
夜、ソファで一瞬寝てから、夜中にオンラインで某院生の指導。
真夜中、少し読書と新聞。明日からまた勉強しないと。
今年の抱負の原案を明日作ること。
朝、遅めに起きる。シリアル。新聞は休み。
お昼ごろから一念発起して、(年末にすべきだった)一階の大掃除。 そのあと、少しWiiをしてシャワー。
夕方、某妻と買い物に出掛けて戻ってきたあと、 去年の家計簿を付けたり、メールで某院生の論文指導をしたり。 国境なき医師団とセーブ・ザ・チルドレンに少し寄付。
夜、夕食。そのあと少しソファで寝る。あっという間に真夜中。
今日はゆっくりできるので、ちょっと批判レベルで思考しよう。
今年はとりあえずこの三つぐらいかな。 滑舌はいつも某妻に注意されているので、 そろそろ抱負から外して大丈夫だろう。
今日もゆっくり起きる。シリアル。
結婚して(昨日で)二周年ということで、某妻とお出かけ。 お昼ごろに家を出て、内幸町のあたりの某ホテルのレストランで昼食。
そのあと、歩いて有楽町に行き、懸案だったコートを某百貨店で購入。 さらに某大手電器店でいろいろ見る。 Wiiを買おうかという話になったが、やはりもったいないのであきらめ、 コンピュータゲームを一つ買って夜に帰宅。 まだ風邪が完全には治っていないようで、 長いあいだ買物をしていると少し調子が悪くなる。
夜、少しゲームをしたあと、 『スターウォーズ ジェダイの復讐』を某妻と一緒に観る。 今日も一日ゆっくり過ごした。
真夜中、国境なき医師団と日本赤十字に少し寄付。
それにしても、来年はもう2010年代なんだよな。Time flies...
とりあえず、叩き台を。
毎年、少しずつでも成長しなければ。
よく寝て、お昼前に起きる。シャワーと朝食。
「研究会では名刺を持ってこちらから挨拶に行くこと」、 「質問と訪問客は常に歓迎すること」、「引き続き話術を磨くこと」、 「羽目を外すこと」というのもあったが、 今ひとつ具体性と実効性に欠けるため、 心に留めておくだけにして今回は削除。
「雑用を断わる」「家計簿黒字化」などは引き続き継続するが、 まあ敢えて書かなくてもよいだろう。 抱負はなるべく簡単にして、定期的に反省するようにしよう。
お昼すぎに家を出て、某妻と一緒に六義園へ。新春の祝い酒を一杯もらって、 六義園の中を一周歩く。ようやく新年を迎えた感じ。
それから歩いて巣鴨へ。上海料理屋で昼食をとったあと、 刺抜き地蔵通りを歩いて買物をしたり、御影を買ったり。 染井霊園のあたりを少し散歩し、巣鴨駅側の喫茶店で一服してから帰宅。
帰ってから年賀状の返事を書く作業。少し寝るか。
散歩中、某妻に、ジョークとダジャレの違いを諭される。 その結果、「一日一ユーモア」に変更。家庭不和の元になるので、 なるべく職場でやってくださいと釘を刺される。
夕食後、『映像の世紀』を観る。ヒトラーの野望。 ヒトラーの動作を見ると、 ジョン・クリーズのモノマネがどうしても思い浮んでしまう。
それから、ようやく昨日の朝刊を読み出す。 あれ、social statusって、 「社会的地位」ではなく「社会的身分」って訳すのかな (朝日のアスパラアンケート参照)。
朝日新聞と東京新聞の1日の朝刊を読む。 二紙読むのは大変だ。
起きてる時間も大事だが、睡眠時間も大事。 なるべく夜の12時には就寝するように心掛けよう(もう過ぎてるけど)。
よく寝る。二度寝して変な夢を見た気がするが、あまり覚えていない。
お昼は遅目に自宅で。昼下がり、某妻(仮)と連れ立って、六義園に行く。
新春の祝い酒も振る舞ってくれ、散歩するには酔い良い。
それから駒込のしもふり銀座を通ってそめい銀座をひたすらまっすぐ歩いていくと、
知らないところに連れて行かれてしまい、荒川線で巣鴨に戻ってくることに。
巣鴨で買物をして帰宅。
夜も自宅で。ニュースを見たあと、眠かったが某テキストの推敲作業。
今年も格律がいろいろあるなあ…。覚え切れない。
風呂に入りながら今年の抱負について考える。どうもまとまりがなく、 いろいろ抜け落ちているのが気に食わない。やりなおし。
これでどうかな。
今日のニュース
今日もよく寝てしまう。外は雨。
たまっているGuardian Weeklyを読む。Guardianを読んでいると、 世界には貧困が溢れているだけでなく、 宗教的な弾圧、右翼による陰謀がうずまいている気にさせられる。
メモ。内在的価値と道具的(手段的)価値というのは倫理学の授業で一番おもしろい テーマの一つだと日頃から思っているのだが、 とくに、友人の価値について議論するとおもしろいと思う。 昨日もGuardianで読んだが、 一つの考え方では友人とはネットワーキング(コネ)のためにあり、 自分が出世するための手段としてもっぱら価値があると考える。 それに対して、もう一つの考え方では、 友人とはそういった手段として価値があるのではなく、 親交(付き合い)自体に内在的な価値があると考える。 もちろん両者を使い分けている人が多いだろうが、 両方の世界観を検討してみることは有用であると思われる。
同じことが共同体一般にも言える。 ゲゼルシャフトとゲマインシャフトという区別も、 やはりこの内在的価値と道具的価値という視点から説明できる (と、昨夜『組織の盛衰』を読んでいて思った)。 テニエスの元の区別から少し離れるかもしれないが、 ゲゼルシャフト的な共同体はある共通の目的の達成のために価値があるのに対し、 ゲマインシャフト的な共同体は、 その共同体の存続そのものに価値がある。 個人の視点から言えば、前者では、個人はある目的達成のためにその組織に 属するのに対し、後者では、個人はその組織の目的が何であれ、 そこに属することに価値を見出す。 極端な話、 純粋なゲゼルシャフトでは目的が達成されれば解散ということになるが、 ゲマインシャフトの目的は共同体の存続なので、 解散は本来の目的に反することになる。 これについても、自分の属している組織がいずれの性格を主としているのか、 よく考えてみることが有用であるように思われる。
メモ。セックスは、一般に、public spaceではなくprivate spaceで 行なわれる(cf. `Why don't we do it in the road?' by the Beatles)。 それゆえ、セックスやポルノの話もなかなかpublicな議題になりにくい。 つまり、セックスという行為がprivateなものだから、 それについてのdiscourseもprivateにしておこうという(心理的・道徳的) 抑制が働く。
「なんか、君、まわりくどい話し方してるな。それも抑制か?」
といっても、雑誌やインターネットでポルノや性情報は氾濫しているので、 ちっともprivateではない気もして、セックスについて語るのが憚られると 思っているのは一部の大学教員だけではないかとも疑われるのだが、 しかしまあ、そういったものはサブカルチャーとして捉えられており、 公的な場でセックスやポルノについて語ることに対しては ある種のスティグマがあることは認めてもよいと思う。 個人的にはもっとポルノが個人や社会に及ぼす影響について 大学で教えるべきだと思うが、 男性が語るとセクハラ教師だということになってしまう可能性があり云々。
「君、やっぱり語り慣れていないから、話がよくわからんぞ」
これもGuardianの記事(書評)を読んで思ったことなので、その書評を 部分的に訳して、このまとまりのないメモを終わらせてしまおう。
若い女性のジャーナリストによるこの二冊の本は、 現代の性的な慣行についての陰鬱な姿を描いている。 その慣行とは、 男性が実際の女性と関係を持つかわりに、 コンピュータの前に座ってポルノを見てオナニーをすることが ますます許容されるようになり、 また女性はこうした男性を喜ばせるために必死になり、 整形手術や露な服装によってできるかぎりポルノ女優のようになろうとする というものである。
二人とも、根本にある問題は自己欺瞞だと述べる。 すなわち、男性は自分が「単に空想に耽っているだけ」という自己欺瞞に、 女性は自分が売春婦になることにより「エンパワーされている」という自己欺瞞に、 表現の自由論者は、人種差別主義者やタバコ製造業者やファストフードの擁護者 には認めないような言論や行動をポルノグラファーには認めるという自己欺瞞に、 それぞれ陥っている。
今日のインターネットによってアクセスできるポルノは、エロチカではなく、 官能的でもなく、おもしろいわけでもない。 それは「ますます暴力的で、同意ずくではないもの」となり、 われわれが許容できると考えているものがなんであれ、それを越えている。 一般にネット上のポルノでは、女性は、どれだけ侮辱されようとも 男性を性的に満足させるという唯一の目的を果たそうとする 従順な容器(docile receptacles)であり、 より多くの男性が何時間もそれを見るようになっている。 それを見れば見るほど、男性は現実のセックスを楽しまなくなり、 現実の女性を軽視する可能性が高くなると著者は言う。
[ちょっと段落を飛ばして]
著者の処方は、禁止と表現の自由の中間を行くものである。 「ポルノを禁止するのは、愚かなテレビ番組を禁止するようなものである」 と著者は言う。 しかし、著者は、(たとえば児童ポルノや性的虐待などの)法的禁止も (嫌悪のような)社会的サンクションも現代のポルノの 遍在とひどさに対応しきれていないと説得力を持って論じている。 そこで著者はアダルト雑誌は紙袋に入れて販売することを復活させ、 またインターネットのフィルタリングと性教育の強化を提唱している。 タバコの販売を規制することが社会的に認められるのであれば、 ポルノについても同じことが言えるはずだと著者は論じている。もう一人の著者の「好色な文化」についての本も、 社会が下品になっていることについて検討しているが、 女性の行動に焦点を絞っている。
[だいぶ段落を飛ばして]
女性が好色であることは、進歩的であるという考えは、 大法螺だと著者は述べる。 このような考えは、 女性の美しさと振舞い方についての偏狭な、ティーンの少年の考え方を 促進している産業による洗脳である。 著者の主張はエリカ・ヨング(Erica Jong)とのインタビューでヨングが述べた ことによってほぼ要約されている。 「これが女性の解放だなんてだまされないようにしなければいけません」 とヨングは警告する。 「豊胸手術をすることがエンパワーにつながるという考えを受け入れる 女性は---いえ、わたしはそういうことに反対しているわけではないのですが、 しかし、身体の部分に没頭しすぎて、女性がまだまだ当初の目的を達成していない ことを忘れないようにしましょう。 そういったことを、本当のエンパワーと混同しないようにしましょう。 女性がだまされているのを見たくないのです」。From `Sexual liberation has nothing to do with thongs', The Guardian Weekly, December 9-15 2005.
(書評されている本は、Pamela Paul's Pornified: How Pornography is Transforming Our Lives, Our Relationships and Our Families and Ariel Levy's Female Chauvinist Pigs: Women and the Rise of Raunch Culture.)
冷蔵庫にあるものを食べながら、まだGuardian Weeklyを読んでいる。 ざっと読み飛ばすつもりが、おもしろい記事があるとついつい読みふけってしまう。 あと6週間分。翻訳もしないといけないし、 ハードディスクにたまった映画も見るべきなのだが…。
インドのコールセンターで働く若者が、 インド人であることを相手に悟られないほどの「完璧な英語」や イギリスの文化を学ぶためにニューキャッスルに留学したりするというのは どこかおかしいと思うのだが、まあオレもネイティブのような英語をしゃべりたい と思っているし、イギリスに留学したし、同じようなものなのかな…。 そう考えると、あいかわらず、 この「イギリスやアメリカに同化したい」という欲求について どう考えるべきかについてはまだ答えが出ていないな。 自分のアイデンティティの根本に関わるから不問に付しているのか。
もらった年賀状に返事を書かないと。 しかし、年賀状は研究室に置いてきたんだよな…。
いくつか覚えておきたい箴言。
夜、大学に年賀状を取りに行ったついでに、 春日まで散歩してラーメン。ビデオ屋さんにも行くが、 会員カードを忘れてきたので借りられず。
家で年賀状を手書きで書こうとしたが、字が汚なくて断念。 冷汗だけたくさんかく。しかし、早く書かないとなあ。
数年間動かしてなかったプリンタを動かしてみたが、 うまく印字できずに断念。 明日の夜にでも研究室に行って印刷することにしよう。
まだGuardian Weeklyを読んでいる。いいかげんに飽きてきた。
明日は早いのでもう寝なければ。
今日のニュース。
夜、鍋。翻訳が終わらん。困った。
朝起きてDVDを返却に行き、二度寝したら夕方になっていた。 自分の怠惰さに反省し、これからしばらくスケジュールに従って生活を することに決めた。
夜はしばらく真面目に翻訳。夕御飯は某所でカレー。
ついでに、今年の抱負。というか、格律(ie. 意志の主観的原理)。
だったが、(1)は提出したのでかろうじて達成、 (2)はそこそこ(話すが一番ダメ)、 (3)はあんまりやらなかったのでもっと努力する必要がある。
ついでに、去年の総括。
あとは授業とミーティングと研究会、仕事関係の国内出張2、外国出張2、 某南大沢と某神田のゼミに出席したぐらいか。 今年はもっとアウトプットを出さないとやばい。
ちょっと無理そうなものもあるが、がんばろう。
そういえば、体脂肪などを計れる体重計で測定したところ、 体重は約60キロ、体脂肪は15% (男性30才未満の適正は14-20%、25%以上が肥満)、 一日のカロリー摂取の目安量は約1350カロリーだそうだ。 一応メモ。
遅寝遅起き。二度寝、三度寝してしまう。 さっき、ここにはとても書けない恐ろしい夢を見て飛び起きた。 あれが初夢になるのか。つかん。
大学に来ると、すでに日が暮れはじめている。勉強しよう。
メタ倫理学の勉強。ハーマン、スタージョンとか、ブラックバーンとか。 翻訳もしないとな。
カップラーメンを食べて汗をかく。
メタ倫理の勉強。人の論文にコメントを書くのは、 とても勉強になる。
翻訳中。ラジオのニュースに合わせて、 一時間おきにストレッチをするようにする。
翻訳。う、そろそろ帰らないと帰れなくなる。 今日もあんまり進まなかったなあ。
朝起きて、ゆず湯をしている近くの銭湯に行ってみる。
外は大きな雪が降っている。正月。
マルクス係数はつけるのがめんどうなので正月をもって廃止。
昼下がり、 京都の某ソフマップへ行き、 IIYAMAの99800円の液晶デスクトップを買うのを手伝う。 32MBのUSBフラッシュメモリも買う。 そのあと、セットアップも手伝いに、某氏のお宅にお邪魔する。 しかし、YahooBBのセットアップがうまく行かず、 けっきょく途中であきらめて帰宅。 どうもNTTの回線の工事に問題があったようだ。 近いうちにもう一度お邪魔して再度挑戦しなければならない。
京都駅から地下鉄に乗り損ねたので、タクシーで帰ってきた。 新年早々、今年の抱負を破ってしまった。
某痴人を見送るために、なんと朝5時に起きて関空へ。 下宿を出発しようとして、手袋がないことにも気付く。 どうやらおれは持ち物をポロポロと落としながら歩いているらしい。
さっきやっと帰ってきた。電車で行くと関空は遠い。 ついでに駅の売店で昨日のDaily Yomiuriを買う。 この新聞を買うのは一年以上ぶり。
風邪はほぼ治まったようだ。しかし早起きで寝不足なので、 これからしばらく寝ることにする。
うわ、ジョーイ・ラモーンが`What a wonderful world'をやっているのか (もうすぐシングルがリリースされるようだ)。 この人やっぱりポップだなあ。
6時間ぐらい寝る。 起きてから昨日作った、あまり味のしないおでんを食べる。 某君からミカンをもらう。
渡辺某のCMの魅力に負け、 大晦日に買った梅酒をほぼ空けてしまう。 1:1ではきつくておいしくないので、 3:1か4:1ぐらいでお湯割りを作っている。うまい。
さて、勉強勉強。いや、その前に混沌とした部屋を大掃除する必要がある。
そういえば昨日からCNN.co.jpが無期休業になってしまった。 某君が朝日新聞の講読を打ち切ってしまったので、これも困った。 産経か読売でも取り、毎朝社説を読んで噴飯しようか。
頭痛。 昨日、寒空の中パレードを見ていたのが原因の気がする。
図書館に来たがやたらと寒いのでそろそろ退散。 寮の部屋で紅茶でもすすりながら勉強しよう。
今日の抱負。エッセイを一本書き終えること。
エッセイをだいたい書き終えたので、 夜中にテレビでやっていたHana-biを観る。
無口で切れたらこわい元刑事(ビートたけし)が、 ヤクザに借りた借金を返すためと、 下半身不随になった元同僚と別の同僚の未亡人を助けるためと、 さらに不治の病におかされている(らしい)奥さん(岸本加世子) を旅行に連れていくために、 警察官の身なりで銀行強盗をする。 銀行強盗を成功裏に終えたあと、 ヤクザと後輩の刑事に追われながら奥さんと二人で日本中を旅する、 という話。
ハリウッド映画ならば、国のため、正義のために悪とたたかうわけだが、 この映画の場合は、義理人情友情愛情のために、 元刑事が銀行強盗をしヤクザをぎったぎたに殺してしまう。
といっても、主人公は無軌道に行動しているわけではなさそうだ。 どうもこの映画から察すると、 義理人情映画の主人公は、 「ヤクザは殺してもよい」 「友人や家族のためなら銀行強盗をしても許される (しかし、行員は殺すべきではない)」 「一般人には基本的に手を出さない。 ただし、失礼なやつは思いきり殴りとばしてもよい」 「法に触れることをした場合には(もっとも、ヤクザを殺すのは法に触れない) 最後にみずから片をつけるべきである」 などの規則に従う必要があるようだ。
日本人はこのような規則に従った主人公に共感できるようだが、 外国人はどう考えるんだろう? 「日本人は法を守るということを知らない」と言うのだろうか、 あるいは「これぞ日本のハラキリ美学だ」とか言うんだろうか。
いずれにせよ、映像が美しいので一見の価値あり。ユーモアも絶品。 が、音楽は今いち。B-。
from today's Guardian
昨日の記録。 お昼過ぎに起きる。 母にマックの起動の仕方などを教えたり、 先日買ったperforma5320の環境設定をもう少しやったり。
夜、 ゲームセンターでUFOキャッチャーをする。 兄はかなり上手で、いくつか賞品を獲得していた。
う〜む、平和だドカーン。
あ、今年の抱負を忘れていた。 では、今年は具体的なのを一つ: 研究会や学会に出たときは必ず最低一回は発言する。
今日の記録。昼下がりに起きる。怠惰。 食事をしたあと、母にコンピュータの使い方を教える。
昨日と同様、コンピュータを立ち上げ、 インターネットに接続し、メイルを送受信し、 コンピュータの電源を切るところまで。 繰り返しやって覚えてもらわないといけない。
そのあと、ヒマなので先日も行った大宮に行く。 駅前の某コンピュータ店をウロウロ。 何かソフトでも買おうかと思ったが、 特に何もないのでMac Fan Internet1月号を購入。 主にフリーウェアソフトを入手するために買ったが、 コンピュータ雑誌を買うなんて何年ぶりか。
夜は母のコンピュータにソフトを入れたり、 テレビでやってた『スピード』を見たり。
そういえば、 昨日Performa5320に漢字Talk7.5.5を入れた。 MacOS8がWindows98に相当するなら、 漢字Talk7.5.5ってのはWindows95のようなものだろうか。
遊んでばかりいないでそろそろ勉強しなきゃ。
う。昨日の午後からほとんど何も勉強しないまま、 2日になってしまった。まずい。
シリアル食べる。
ベンタム先生の可笑しな文章。
固体であれ、液体であれ、気体であれ、 ある人の胃の中身は他の人の嗅覚には快いものではありません。 一定量の気体(ガス)があなたの胃から流出するときはいつでも注意して、 同席している人々がその進路の範囲内に入らないよう方向づけなさい。 食事中に頭の向きを変えることによって、 このことは常に可能です。 しかしもし、ある人が同席している人々に顔を向けて座っていて、 自分の口を固く結ぶことによって気体の噴射をこらえ、 姿勢の変化なしにそれをやりすごそうとすると、 次のような結果になります。 すなわち、彼の口の緊張した状態によって、 同席している人々はすべて、その破裂におびえます。 そして、 臭いが感官に到達して感覚に影響を及ぼすかどうかに関わらず、 そういう心配によって不安が生み出されるのです。 (Deontology, 276-7)
これは「げっぷ」の話だが、「おなら」の話も笑える。 しかしそれはまた今度。
さて、次のとこを書かねば。
一時間半ほど寝る。ネムイネムイ病再発の兆しあり。
某古本屋にて本を買う。
またラーメン。
書き始めてからやっと500字足らず。 新しい章に入るのって大変だ。
某君に催促されたのでベンタム先生の可笑しな文章の続きを。 ちょっと訳がかたいです。ごめん。 (ま、原文でもその真面目に書いてるところがおもしろいんだけど)
その[消化]管の下部から放出される種類の気体(ガス)については、 その放出は、一般的に言って、選択的optionalなものです。 すなわち、一般的に言って、この種類の不快感は、 意図せずに他人に与えることのできないものです。 我慢することは、この不快感を生み出す個人の力が及ぶ範囲内にあります。
この種類の不快感が生じるさいには、 たしかに感覚がその直接の座を占めていますが、 想像力が主要な役割を果たします。 すなわち、自分のものと同じ臭いが --もしその気体が、ある人の自分の身体から放出されていたなら、 彼にはなんの不快感も生じなかったでしょう--、 その気体が放出されたのが他人であるというそれだけの事情によって、 彼が相当不愉快になるほどの不快感を生み出すことになるのです。 そしてこの不快感は、 その気体の源泉となった身体を持つ人の人格と結びついたさまざまな事情によって、 強まったり、弱まったりすることがありえます。
この種類の不快感を生み出すさいの想像力の役割は非常に大きいので、 不快感は、この場合、 この印象impressionの本来の座である[聴覚]器官による実際の印象なしに 生じることもあります。 この印象によってしばしば生み出される嘔吐感は大変なものなので、 この観念が聴覚以外のどの感覚にも影響しないような作用によって 喚起される場合でも、 連想(観念連合)の原理によって、 程度は劣りますが同じ種類の嘔吐感が生み出されるのが普通です。 (Deontology 268)
イギリス哲学にしばしば登場する印象とか観念とか、 観念連合などという高尚(?)な用語を交えつつ、 いかにおならが他人に不快感を与えるかが説明されています。 『義務論』の編者のバウリングもベンタムのこの手の記述には辟易したらしい。 いくらベンタムが詳細で具体的な話が好きっていっても ここまで来るとほとんど変人です:-)
1600字足らず。これで合計31600字くらい。 行きあたりばったりで書いているのでなかなか進まない。
もらいもののうどんと、 これまたもらいもののおでんを食べる。
記載なし。
記載なし。