――――いっさいの論文はすでに創られてしまっている
リンリー教授とぼくはちょうど河原町終点に入ってきた急行に乗り込んで、(疲れていたので・ありがたいことに)席に着いた。教授は少なめに見積もっても常人の1.5倍の場所を占めている。席に着くことができず・教授の前に立つことになった子供連れの中年の婦人がなんだか恨めしそうな顔をして教授を見ている。しかしリンリー教授は涼しげな顔で極楽極楽、とつぶやいている。ただしつぶやく、と言ってもその大きさは少なめに見積もってもやはり常人の1.5倍程度なので、教授を知らない人からすると彼が周りの人に聞こえるようにしゃべっているとしか思えないのであるが。
「よっしゃ、それじゃ君の卒論の内容をおれに話してみい。おれが批評してやるから」
「え、ほんとですか。いや、ちょうど聞いてもらおうかな、と思ってたんですよ。まだよくまとまってないんですけど。」
「ええ、ええ。話してるうちにまとまってくるやろ。それで題名はなんて言うんや?」
「えーと、たしか、「ベンタムにおける法と道徳の区別」だったと思います」
「何やまたえらいありきたりの題名やなあ」
「そうでしょー?けどみんながわかりやすい題名にしろって言うから…」
「まあ、ええわ。そしたらまずどんな風に始めるつもりや。論文でも小説でもコンピュータ雑誌に寄稿する文章でも、最初がかんじんやで。始めよければあおによしっていうぐらいやからな」
「…はい、ほんとにそうだと思います。それでまず始めはこんな風に始めようかと思っています」
「倫理とは何か?」これがわたしの持つ根本的な問いであり、そしてこの問いに対する一つの解答を与えることが本論文の目的である。
「がは。がはは。そうかそうか。題名にできへんかったものを最初に持って来るわけやな?」
「そうですそうです。はは。それで卒論では、この問いに対するベンタムの解答を分析するというか、まあ、考察するわけです」
「おおそうか。それでベンタムはどんな答えを出しとんのや」
「(かばんから本を出しながら)もちろんご存知かとは思いますが、ベンタムの解答はこうです」
「広義の倫理とは、利害関係が考慮される人々に関して・可能な限り最大量の幸福を生み出すように、人々の行動を指導する技術、と定義されるであろう。」(IPML, XVII, 2)
「おお。おお。そうやったそうやった。確かにベンタムはこんな定義しとったな。つまりこれはあれやな。最大多数の最大幸福を目指して人の行動を指導するのが倫理の仕事や、っつーわけやな」
「ええ、そんな感じです。卒論ではこの定義を詳しく説明することを目的にするつもりです」
「ほお。そっか…。しかしやな、ベンタムの倫理の定義を解釈するのと、君の卒論の題名である「法と道徳の区別について」っていうのはどういう関係にあるんや?いや、おれはわかってるんやけどな。一応それもどっかで説明しといた方がええやろ」
「ええ、そうですね。それはつまりこういうことです。ベンタムの言う広義の倫理とは、いわゆる道徳だけでなく、法をも含む広い意味を持っています」
「倫理は法と道徳を含む上位概念なんやな」
「はい。だからベンタムが広義の倫理ということを言い出すのは、法が道徳あるいは個人の倫理とどう違うのかを説明するためだったんです」
「そうか、ベンタムが倫理の話をしたのは、そもそも法と道徳の区別をはっきりさせるためやったんやな」
「もう少し厳密に言うと、この本(『序説』)はもともと『刑法典序説』という名前を持っていた本で、内容はもろ刑法の本です。刑法の仕事あるいは領域を明らかにするために、一つには刑法と民法の区別をする必要があり、もう一つには法全般と道徳の区別をする必要がベンタムにはあったわけなんです」
「おお、そうやったな。思い出した思い出した。ま、とりあえず君のやりたいことはわかったで。ベンタムの法と道徳の区別を説明することで、倫理とは何かについての一つの見解を紹介しようって魂胆やな」
「ええ、まあそんなところです」
「なんや今一つオリジナリティないのう」
「ほっといてくださいっ」
「がは。がははははっ」
と、ここまで話したところで電車は長岡天神に着いた。先ほどの子連れの婦人はぼくたちがしゃべり出すと顔色を変えてすぐに隣りの車両に移ってしまった。周りの人たちは聞いてないふりをしているが、否が応でも聞こえて来るリンリー教授の声のせいでしかめっ面になっている人が大半である。さきほどまで向かい側に座っていた女性は唇をかんで顔面蒼白になりながら・失禁をこらえている様子であった。彼女は駅に着くと飛ぶようにトイレに駆け込んで行ったようである。なにしろ昨今の携帯電話どころの騒ぎではない。リンリー教授はそのうち騒音公害で訴えられるのではないかという勢いでしゃべるのである。それでも本人はセーブしているつもりであるらしいが。