原題は Fredric Brown, What Mad Universe (1949) で、ハヤカワ文庫の初版は1977年(稲葉明雄訳)。
第一次月ロケット計画は失敗に終った!
不運にも墜落地点にいたSF雑誌〈サプライジング・ストーリーズ〉
の編集者キース・ウィントンの遺体は、
粉微塵に吹き飛ばされたのか、
ついに発見されなかった。
ところが、彼は生きていた--ただし、なんとも奇妙な世界に。
そこでは通過にクレジット紙幣が使われ、
身の丈7フィートもある月人が街路を濶歩し、
そのうえ地球は、
アルクトゥールス星と熾烈な宇宙戦争を繰り広げていたのだ!
多元宇宙ものの古典的名作であると同時に、
"SF"の徹底したパロディとして、
SFならでは味わえぬ痛快さと、
奇想天外さに満ちた最高傑作!
(裏表紙の文句から)
宣伝文句の「多元宇宙ものの古典的名作であると同時に、 "SF"の徹底したパロディとして、 SFならでは味わえぬ痛快さ」 にある、「"SF"の徹底したパロディ」というところは、 残念ながら味わえなかった。 おそらくもっとSFをたくさん読んでいないとわからないのだろう。
しかし、パロディうんぬんはともかくとしても、 大変楽しめる作品である。 主人公がニューヨークで濃霧管制下の街をさまよう場面や、 もう一人の自分に出会う場面や、 宇宙船を盗んで宇宙へ旅立つ場面などは、 知的興奮とまではいかないが、スリルに溢れている。 後半がやや性急すぎる嫌いがなくはないが、 全体的な完成度は高い。 特にSFが好きというわけではない人でも楽しく読めるだろう。
最後のちょっとうまく行き過ぎのハッピーエンドは、 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を思わせた。
ちなみに、筒井康隆が解説を書いている。 フレドリック・ブラウンの長編の中で、 彼はこの『発狂した宇宙』を最高傑作と考え、 星新一は『火星人ゴーホーム』 を最高傑作と考えていたそうだ。 ぼくはこの二作であれば、後者の『火星人ゴーホーム』の方に軍配をあげるだろう。 『発狂した宇宙』の方がわくわく興奮して一気に読めたが、 『火星人ゴーホーム』の方が知的興奮度が高かったからだ。 また、 筒井氏は多元宇宙ものとしてディックの『宇宙の眼』を傑作として挙げているので、 こちらもそのうち読んでみたい。
(ところで、ブラウンの作品にはあまり心躍る名セリフが少ないように思う。 逆に、気の効いたセリフが多いのはハインラインやヴォークト)
メッキー:
「デアルカラ、無限数ノ宇宙ガ同時ニ存在シテイルワケダ。
ソノナカニハ、コノ宇宙モ、キミガ住ンデイタ宇宙モフクマレル。
ドレモミナ同様ニ現実デアリ、
真実デモアル。
シカシ、宇宙ノ無限性トハナニヲ意味スルカ、キミニハ考エラレルカネ?」(276頁)
「ツマリ、無限ノナカニハ、想像サレ得ルスベテノ宇宙ガ存在スルトイウコトダ。
タトエテイエバ、コレトマッタク同ジ場面ガ展開サレテイナガラ、
タダキミ--アルイハキミニ相当スル人物--ノハイテイル靴ガ、
黒デナク茶色デアルヨウナ宇宙モ存在シテイル、トイウワケダ。
ソンナフウニ異ッタ組合ワセノ宇宙ガ無限ニアルノダ。
タトエバ、キミガ人差シ指ニカスリ傷ヲシテイル宇宙モアレバ、
キミノ額ニ紫色ノ角ガ生エテイル宇宙モアルトイッタグアイデ--」(276-7頁)
「サマザマノ宇宙ノナカニハ、はっくるべりー・ふぃんガ実在ノ人物デ、
まーく・とうぇいんガ描写シタトオリノコトヲヤッテイル宇宙モアル。
実際ニハ無数ノ宇宙ガアッテ、
はっくるべりー・ふぃんガ、
まーく・とうぇいんヲ描写シタカモシレヌ、
アリトアラユル型ヲ実行シテイルトイウワケダ。
ソノ差異ガ大キイカ小サイカハ別ニシテ、
トモカク、まーく・とうぇいんガアノ本ノナカデ書イタカモシレヌコトハ、
スベテ事実デアルトイウ可能性ヲモッテイルノダ」(277-8頁)
06/22/98-06/24/98
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