こだまの(新)世界 / 文学のお話

A・E・ヴァン・ヴォークト『非A(ナルA)の世界』


原題は A. E. Van Vogt, The World of Null-A, (1945) で、創元社の初版は1966年(中村保男訳)。

内容

時は2650年。宇宙はいくつもの帝国から成り、「銀河系連盟」が結成され ている。地球には「ゲーム機械」があり、それが司るゲームに合格した人が政 府の要職につき、あるいは金星行きの資格を獲得する。「非A」人ギルバート・ ゴッセンはこの「ゲーム」に参加すべく「機械」市にやってくるが、彼の記憶 はすべてちぐはぐである。このまちがった記憶は誰に植えつけられたのか?そ も彼自身はだれなのか?自分の素性をつきとめようとする彼の探索は、いつの まにか銀河系的規模の陰謀のさなかに彼を巻きこみ多くの奇想天外な冒険に突 入することになる。(扉の要約から)


感想

・この作品は、アルフレッド・コージブスキー(1879-1950)とその弟子S・I・ ハヤカワらが世に広めた新しい言語学体系「一般意味論」(別名、非A=非アリ ストテレス的思考体系)の思想を背景にしている。その思想は、アリストテレ ス論理学の三大法則、

  1. AはAである(同一の法則)。
  2. すべてのものはAであるか、非Aであるかのいずれかである。(中 間除外の法則--排中律)。
  3. Aであり、同時に非Aであるものは存在しない(矛盾の法則)。

を根本的に打破する所から出発するらしい(と『非Aの傀儡』の解説にはあっ たが、ハヤカワの説明によると一般意味論は同一律のみを問題にするらしい)。 これ以上詳しくは知らないが、コミュニケーションの問題にも関係し、怪しげ だがなかなか面白そうな思想である。(非A的思考法を学ぶと、超人的な人間に なれるらしい…)

・といっても、ヴォークト自身はこの思想を少しかじって、自己流の疑似 哲学、疑似科学的思想を展開しているので、物語はそれほど厳密に哲学的な話 ではない(様々な哲学者の名前や、人格の同一性、背後の世界といった問題が 一応出てくるが)。しかし、その「疑似的」なところが妙にSFのSFらしい部分 に思えて、ぼくとしては大変楽しい。

・娯楽度や軽快さは今一つだが、知的興奮度はなかなかのもの。哲学書も このぐらい面白いといいのだが。続編(『非Aの傀儡』)も続けて読むことにす る。


名セリフ

プレスコット「きみが現在の自分を、殺されたゴッセンと同一人だとみな していることだ。その殺されたときのもよう、弾丸とエネルギーがきみに命中 して、きみを傷つけたことにたいする完全な記憶--それを考えてみたまえ。そ れから<非A>の基本的な信条、宇宙のいかなる二物も同一ではありえぬ、と いう信条を考えてみたまえ」(p. 86)

ゴッセン「それじゃ、教えてください。地球と金星の科学に関するあなた の知識をもとにして言うと、二つの肉体と同一の人格という問題はどう説明さ れるんですか」(p. 163)

レコード図書館のロボット「人間の頭脳に移る前に、これらすべての動物 には一つの限界が何度も何度も現われたことに注目してください。動物たちは、 例外なく、あまりに狭い基礎に立って自分たちの環境を同一視するのです。河 カマスは、スクリーンが取り除かれたあとでも、スクリーンがあったときに経 験した苦痛を基礎にして、自分の環境を同一視しているのであります。コヨー テは、銃をもった人間と、カメラをもった人間とを区別することができないの でありました。
いずれの場合も、実際には存在しない類似があるものと考えられていたの です。人間精神の暗黒時代の物語は、自分は動物以上のものだという人間のお ぼろな理解の物語でありますが、しかし、それは、狭い動物的な同一視のパター ンに根ざした、動物的な行動という背景の前で語られた物語なのであります。 それに反して、<非A>の物語は、時空において似ているようではあるが、別 個の対象事象を区別するように、自分の頭脳を訓練しようとする人間の戦いの 物語なのであります。奇妙なことに、啓蒙された現代の科学実験は、方法と、 タイミングと、使用される素材の構造において、相似性の洗練をかちとろうと する傾向を漸時示しております。」(pp. 208-209)

ソーソン「ゴッセン、わたしたちは宇宙的な将棋の指し手、きみという駒 を動かしている何者かを見つけださねばならんのだ。そうだ、わたしは今<わ たしたち>と言った。きみがこれを認めると否とにかかわらず、きみはこの捜 索に加わらねばならん。その理由は、個人的なものも一般的なものも、重大だ。 きみがたんに駒にすぎず、原形の不完全な写しにすぎぬことは、きみも見のが しているはずがない。いかにきみが生長発展しようとも、きみは自分がなにも のであって、自分の背後にいる人物の真の目的がなんであるかを知ることが決 してないだろう。」(p. 250)

ラヴォアスール「……わたしは、ほかに誰かがいるのじゃないかとよく思っ たものだ。わたしは自分をゲームの中の<女王>だと思っていた。こういう機 構の中では、きみは第七列にいる<歩>で、今にも<女王>になろうとしてい るところだろう。だが、それから、わたしは空白の<目>にやってくるだろう。 というのも、<女王>は、どんなに強力であっても、所詮一つの駒にすぎんか らだ。しからば、誰が将棋の指し手なのか。……率直に言って、ゴッセン、指 し手がいるとは、わたしには思わぬのだ。」(pp. 289-290)


メモ

・『宇宙船ビーグル号の冒険』参照。ヴォー クトはカナダ生まれのオランダ系アメリカ人らしい。1995年にアメリカSF作家 協会から「グランド・マスター・ネビュラ賞」という最も栄誉ある賞をもらっ たそうだ。

参考ホームページ:

12/10/97-12/14/97

B


Satoshi Kodama
kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp
Last modified on 12/16/97
All rights unreserved.