論文

(ろんぶん thesis, essay)

ダメレポートの書き方

  1. 十分な明りを付け、座り心地のよい椅子に座ること。 削ったばかりの鉛筆をたくさん用意すること。
  2. 課題をよく読み、きちんと理解したかを確かめること。
  3. 集中するために、自販機に行ってコーヒーを買うこと。
  4. 戻ってくる途中に、友だちのところに寄ってくること。
  5. ふたたび机の前に座ったら、母親に用事があったのを思い出すこと。
  6. 洗面所に行って鏡で自分の歯を見てみること。
  7. レポートを書く気を養うために、お気に入りのCDを聴くこと。
  8. 新聞を見て、テレビ番組の見逃しがないか確かめること。
  9. 将来の計画を立てること。
  10. 椅子を持って部屋の窓ぎわに行き、日の出を眺めること。
  11. 床にうつぶせになって、うめくこと。
  12. 跳び上がってレポートを書き出すこと。

---Joy M. Reid

日本語の文章も、明治以降は、欧文の影響を受けて、 かたちの上ではパラグラフを立てて書くようになってきている。 しかし、かたちといっしょにパラグラフというものの内容も輸入されたかというと、 それは疑わしい。 欧米のレトリックの授業では、 文章論のいちばん大切な要素としてパラグラフの意義、 パラグラフの立て方を徹底的にたたきこんでいるようだが、 教室でパラグラフの意義を教えられた経験のある日本人は数すくないのではないか。 (中略) 日本では「だいぶ続けて書いたからこのへんで切るか」 というだけの人が多数派なのではあるまいか。

---木下是雄

ときには〆切を守れないこともあります。 その場合、深刻な結果が待ち構えているかもしれませんし (待ち構えていないかもしれませんが)、 あなたはその結果を受け入れないといけないかもしれません (受け入れないかもしれませんが)。 けれども、 さまざまな状況において〆切を守ったり守らなかったりしてきた人間の一人として、 わたしは正直に言うことができます、 「〆切を守らないことが致命的であることはめったにない」と。 あなたの仕事よりもずっと大きくて深刻な仕事の スケジュールが遅れた例--たとえば英仏海峡トンネル、北アイルランド和平協定、 あるいはミレニアム・ドーム--を考えて元気を出してください。 なんとも恥ずかしく、憂鬱で、また損害も大きいですが、 致命的ではありません。

`Day of the deadline', in The Guardian (Officehours), 21/May/2001.

「論文は、水虫や痔などのタチの悪い病気と似ていて、 なかなか人に見せにくい。 だから、〆切ギリギリに人に見せに行くと、たいていの場合、 『なんでこんなになるまで相談にこなかったのか』とか、 『残念ながらすでに手遅れです』とか、 『残念ながらすでにお亡くなりになってます』 とかいうことになります。 早期に発見していれば簡単に治療できていた誤りも、 〆切まぎわまでほっておくと論文のいたるところに広がっているために、 とりかえしのつかないことになっていることがしばしばです。 そこで肝心なのは、 たとえ恥ずかしくても早目早目に人に見てもらうことだと言えます」

---『リンリー教授講演集』より

Few write as an architect builds, drawing up a plan beforehand and thinking it out down to the smallest details. Most write as they play dominoes: their sentences are linked together as dominoes are, one by one, in part deliberately, in part by chance.

---Schopenhauer

なぜあることがらを言いたくなるのだろうか。 論文という脈絡におけるそのもっとも大きな動機は、 そうでない意見があるからである。 全員が自分と同意見であるのならば、 それについては主張する動機をもたない。 あるいは、自分と同意見の人しか読者に想定しないのであれば、 主張する動機は失われる。自分と異なる意見の人が想定され、 その人に向けてその人と異なる自分の主張を展開する。 これが、なにごとかを主張することの基本にある。 論文を書くということのトレーニングの第一歩は、 なによりもまずこうした自分と異なる他者への感受性を開くことにほかならない。

---野矢茂樹


成人病の一つ。 大学生の終わりごろに発病し、大学院生は地獄の苦しみを味わう。 小学生、中学生における「宿題」、 高校生における「小論文」に相当する。 研究者(いわゆる学者)は慢性的に患っているため、 あまり苦痛を感じなくなっている。 卒業論文、修士論文、博士論文などがある。

というのは冗談で、学者にとっての論文は、 画家や作曲家にとっての作品と同様、 才能を発揮するための媒体であり、 同時に当人の能力を計るための基準となるものである。

論文の書き方については、 読み物のページも参照せよ。

20/Apr/2001; 02/Dec/2001追記


上の引用は以下の著作から。


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Mon Jul 28 18:04:40 JST 2003