(るさんちまん ressentiment)
《反感(ルサンチマン)》というのは、 (…)単に想像上の復讐によってのみ その埋め合わせをつけるような徒輩の《反感》である。(…)。 すべての貴族道徳は勝ち誇った自己肯定から生ずるが、 奴隷道徳は「外のもの」、「他のもの」、「自己でないもの」 を頭から否定する。
いかに多くの畏敬を貴族的人間はその敵に対してもっていることか! (…)。彼が相手に取るのは、いささかの軽蔑すべき点もなく、 極めて多くの尊敬すべき点のみを有する如き敵に限るのだ! これに反して、《反感》をもった人間の考想する「敵」を考えてみるがよい。 (…)。彼はまず「悪い敵」を、すなわち「悪人」を考想する。 しかもこれを基礎概念として、それからやがてその摸像として、 その対照物として、更にもう一つ「善人」を案出する---これが自分自身なのだ! ……これらの弱者たち--彼らもまたいつかは強者になりたいと思っているのだ。 これは疑う余地のないことだ。いつかは彼らの「国」 も来るはずだ。--すでに言ったように、それは彼らの間では単に「神の国」 と呼ばれている。
---ニーチェ
劣った者が優れた者に対して感じる、ドロドロした憤り(いきどおり)のこと。 反感、怨恨などと訳される。 ニーチェの用語で、 『道徳の系譜』で詳しく語られている。
劣った者はこのルサンチマンの感情から、 価値を転倒させることによって復讐を果たす。 価値の転倒とは、「優れたgut/劣ったschlecht」という基準の代わりに、 「善いgut/悪いböse」という基準を作り出し、 弱者を搾取する強い人間は「悪い」、 弱者は「善い」と呼ぶことである。 弱者は、 「わたしが弱者なのは、原罪あるいは社会の構造のせいだ。 また、優れていること、 たとえば権力を持っていたり富を有していたりすることは、 必ずしも幸福にならない」と述べ、自分の立場を合理化する。
08/Jan/2003
上の引用は以下の著作から。