人生の意味

(じんせいのいみ the meaning of life)

ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。 わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、 生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、 絶望している人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が 必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、 わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。 生きることは日々、そして時事刻々、問いかけてくる。 わたしたちはその問いに答えを迫られている。 考えこんだり言辞を弄することによってではなく、 ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。 生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが 各人に課す課題を果たす義務、時事刻々の要請を充たす義務を引き受けることに ほかならない。

---ヴィクトール・E・フランクル

私の同僚の何人かは、高い給料をもらう成功した学者だったが、なんと年間所 得の四分の一を分析医[カウンセラー]への支払いにまわしていた。私の見た限 り、この人たちは分析医の世話になっていない人と比べて特別何か困っている わけではなかったし、それこそ精神分析のやっかいになっている点をのぞいて は、オックスフォードやメルボルンの友人たちとどこも変わらなかった。私は どうしてそんなことをするのか友人の何人かに尋ねてみた。彼らが言うには、 自分は抑圧を感じているからだとか、心理的緊張を解消することができないか らだとか、人生を無意味に感じるからだとかいうことだった。私としては、彼 らをつかんで揺すってやりたかった。この人たちは、知的で才能があって裕福 で、世界で一番刺激的な街[ニューヨーク]に住んでいたのである。(…)有能で 裕福なこうしたニューヨーカーが、分析医の椅子からおり、少しの間でも自分 だけの問題を考えるのをやめたとしよう。代わりにバングラデッシュやエチオ ピア、地下鉄に乗っていく駅か北に行ったマンハッタンだっていい、とにかく そういうところに出かけていって、そこの人たちが抱える本当の問題をなんと かしようとするなら、きっと自分の問題などすっかり忘れてしまうだろうし、 おそらく世界ももっといい場所にできることだろう。

---ピーター・シンガー


「何のために生きているんだろう」という問いが、 ときどき思い出したように頭をよぎる経験は誰しもあると思われるが、 英米哲学では「人生の意味」というジャンルが確立されている。 これにどう答えるかは難問で、そのような問い自体がナンセンス(あるいは疑似問題) だという答えもあるが、多くの人が悩んでいるところを見ると、 まだ十分説得的な答えは得られていないようである。

実存主義の項も参照。

28/Apr/2011


上の引用は以下の著作から。


KODAMA Satoshi
Last modified: Sun May 11 18:00:43 JST 2008