ベンタムの功利主義的民主主義モデルの研究とその現代的意義の検討
これまで、英国の哲学者ジェレミー・ベンタム(Jeremy Bentham 1748-1832)の 功利主義思想を中心に、日本および英国で研究を行ない、その成果を学会での 口頭発表や学会誌での論文掲載という形で発表してきた。
1. 修士論文では、ベンタムの思想の土台である功利原理について、いわゆる 「心理的利己主義」と呼ばれる彼の人間本性論と功利原理との整合性について 詳しく考察した。その結果、彼の思想の根幹にあるのは、個人の利益と社会の 利益の自然的調和という楽観的な世界観ではなく、法や道徳という社会的強制 力を用いた人為的調和という社会改革の思想であることを確認した。
2. 博士課程一年次においては、ひきつづきベンタムの道徳思想、とくに徳と 幸福に関する彼の見解の考察を行なう一方で、彼の法・政治思想、とりわけそ の中心にある自然権批判について検討した。そして、この自然権批判が彼独自 の法哲学(法実証主義)を形成する起因となっているだけでなく、彼の倫理学 (功利主義)のあり方にも大きな影響を与えているという知見を得た。なお、こ れらの研究成果は、それぞれ、1999年9月の日本公益(功利)主義学会と同年11 月の関西倫理学会で口頭発表を行なったのち、『実践哲学研究』、『倫理学研 究』に論文が掲載された。
3. 博士課程二年次の後半から三年次の前半にかけて、現在ベンタム新全集を 刊行中である英国UCL (ユニヴァーシティ・コレッジ・ロンドン)に赴き、ベン タムの倫理学・法哲学思想の研究・資料収集、およびロールズ、ハート、ドゥ オーキンに代表される今日の政治哲学・法哲学思想についての研究を行なった。 その結果、ベンタムの思想の全体像を把握しその意義を理解するためには、 「私益と公益の人為的一致」という問題に生涯取り組み続けたベンタムの最終 的な回答である彼の功利主義的民主主義モデルを、膨大な全集や草稿を綿密に 研究するだけでなく、今日さかんに論じられている民主主義の議論と照らし合 わせながら批判的に検討する必要があることを確認するに至った。また、英国 UCLで在外研究中に、ベンタム全集の編集責任者であるF・ローゼン教授に提出 したベンタムの代議制民主主義理論の功利主義的基礎づけに関する論文("How Utilitarianism Works: Bentham's Theory of Democracy")は教授の高い評価 を得ており、Utilitasなどの国際学会誌への投稿を強く勧めら れている。
4. 博士課程三年次の後半から現在までは、権利論に批判的であったベンタム の功利主義の立場から、生命倫理学や環境倫理学における権利と功利が対立す る今日的な問題を検討した論文や論文紹介(「英国のシャム双生児裁判」、 「ダイアン・プリティ裁判: 積極的安楽死を求める英国のMND患者」、「ベン・ A・ミンティア――プラグマティストに内在的価値を?」など)を発表してきた。 そしてそれと並行して、上述3.の論文をもとにベンタムの民主主義論の研究を 進めており、今年度に国内外の学会における口頭発表、学会誌への投稿を行 なったあと、来年度に博士論文として提出する予定である。
コメント: PDに出したときのものに付け足し。「成果を書け」とあるので、 学会発表や論文掲載のことなども書くようにした。すくないけど。 字数が足りないので、応用倫理学のことも研究の一環として書いておいた。
ベンタムがその晩年(19世紀前半)に展開した民主主義および憲法思想は、「自 由民主主義理論の嚆矢」と言われながらも、信頼できるテキストの不在が主な 原因で、近年まで研究が怠られてきた。しかし1980年代以降、ベンタム新全集 の『憲法典』『悪政防御論』などの後期の著作が相次いで発刊されるにしたが い、現代の福祉国家の機構を先取りする官僚組織と、その腐敗を防ぐための普 通選挙・情報公開・世論の役割に力点を置いた彼独自の民主主義思想の全貌が ようやく明らかになってきた。またこの作業により、これまでの通説であった 「ベンタムの民主主義思想はジェームズ・ミルによって代弁され、ジョン・ス チュワート・ミルによって乗り越えられた」という認識が誤りであることが明 白になってきた。
このようにベンタム研究の事情は改善されつつあるものの、依然ベンタムの民 主主義論に関しては、数本の論文と、『憲法典』のみを紹介したローゼンの著 作を除けば、日本国内はおろか英語圏でさえ、その全体像を晩年の数々の著作 をもとに詳細に検討した研究や、いわゆる古典功利主義における民主主義思想 の展開、とくにベンタムとミル父子の関係の見直しを企図した研究はまだ現わ れていない。ベンタムの民主主義論の現代的意義を問う研究にいたってはなお さらである。日本においては横浜国立大学の有江大介教授や都立大学の深貝保 則教授が中心になり、主に英米圏の研究者と連携してベンタムの経済学と社会 哲学を中心に研究を進めているが、ベンタムの民主主義思想について研究はま だほとんど手つかずの状態にあると言ってよい。
以上の背景をもとに、本研究は、 (1)ベンタムの膨大かつ難解な著作および草稿を精読することを通して、 功利主義に基礎づけられたベンタムの民主主義モデルを平明かつ正確に描きだし、 そして(2)このモデルに立脚して、 現代の民主主義の理論と実践に対する明確な提言を行なうことを目的とする。
コメント: 「ベンタムの民主主義は、テキストがそろって来たのにまだほとんど 手をつけてない(むずかしいというのがその理由の一つなんだけど)。 だからオレが読んで簡単にまとめてわかりやすく提示する。 それだけでなく、今日の民主主義の理論と実践を批判する」というのが研究目的。 このぐらいわかりやすく書かなきゃな。もうちょっと書き直そう。
本研究では、 ベンタムの功利主義的民主主義思想を徹底して研究することにより、 現実問題に対応しうる明確かつ実践的な民主主義モデルを提示する。
第一に、ベンタムの民主主義モデルの明確化を図る。 とくに、 自然権思想に基づいたフランス革命期の民主主義思想を批判した中期の著作、 そして詳細に渡って独自の民主主義政体を構想した後期の著作に広くあたり、 (1)ベンタムの民主主義モデルの功利主義的基礎づけ、 (2)政府の腐敗を防ぐ手段としての世論と情報公開の役割、 この二点に重心を置いて研究を行なう。
第二に、ベンタムの民主主義モデルの独自性を浮き彫りにするために、ミル父 子の著作(『統治論』、『代議政治論』)をはじめ近現代の主な民主主義理論 (D・ヘルド、R・ダール、J・ハバマス、C・B・マクファーソン、C・ペイトマンなど) と比較検討し、ベンタムの民主主義理論の特徴を明確にする。
第三に、このような形でベンタムの民主主義モデルの再構成を行なうのと並行して、 京都大学文学研究科を中心に行なわれている情報倫理の構築プロジェクト (FINe)に参加し、 現代の民主主義における世論と情報公開およびメディアの役割に関して ベンタムの民主主義モデルに立脚した問題提起を行なう。
そして最終年度に、以上の研究に基づき、ベンタムの功利主義的民主主義モデ ルを明確に提示し、かつ、日本を含めた今日の民主主義国家のあり方を問う論 文を作成する。
以上の研究の経緯についてはワールド・ワイド・ウェブ(WWW)上の個人ホーム ページにて情報提供を行なう。
なお、ベンタムの功利主義的民主主義モデルの検討というこの研究を本格的に 進めるにあたっては、課題の性格上、倫理学の知識だけではなく、思想史、政 治学、法哲学といった学際的な知識が必須である。そこで、有江大介教授が在 籍する横浜国立大学に研究機関を変更することを希望している。有江教授は、 ベンタムを中心に啓蒙期以降のイギリス社会科学史における功利主義の意義に ついて研究を行なっている。と同時に、森村進教授(一橋大)、齋藤純一教授 (横国大)、大川正彦助教授(東外大)なども参加している科学研究費のプロジェ クト(「分配的正義の経済理論・政治思想および政策」) の研究代表者でもあ る。本研究の遂行にとって最適な研究環境が、有江教授の下で提供されると考 えている。
また、新全集の編集が進められている英国UCLのベンタム・プロジェクト(ベン タム研究所)で半年から一年の間研究に従事し、まだ草稿として眠っている資 料の調査と意見交換を行なう必要がある。とくに、ベンタムの民主主義思想に くわしいF・ローゼン教授と、全集の編集の中心的人物であるP・スコフィール ド教授の二人と意見を交換し、さらに国際功利主義学会など場で研究発表を行 なうことは、本研究を国際レベルで通用するものにし、正確なベンタムの民主 主義モデルを提示する上で必須である。
コメント: 前半はPDのときに書いたものの焼直し。後半で、 横浜国大に研究機関を移したい理由と、英国UCLで研究をしたい理由を新たに述べた。 まだ字数が足りなさそう。
民主主義と功利主義の関係について研究する。 功利主義によって民主政体を正当化しようとするベンタムの議論を、 ミル父子の議論と比較対照しながら批判的に検討すると同時に、 彼の民主主義思想が彼の功利主義に与えた影響についても考察する。 その成果は、日本の学会と国際学会で発表し、同時に論文を投稿する。
前半は、現代の民主主義理論の検討(D・ヘルド、R・ダール、J・ハバマス、 C・B・マクファーソン、C・ペイトマンを中心に)、 および世論・メディア・情報公開に関する国内外の議論の研究。
後半は、英国UCLに赴き、当地の研究者と意見を交換しながら、 ベンタムの著作に基づいた研究を進める。 とくに民主政体における世論の役割についてのベンタムとJ・S・ミルの議論を 検討する。
これらの研究の成果は、日本や英国での研究会や学会で発表し、 学会誌に論文を投稿する。
以上の研究をもとに、ベンタムの功利主義的民主主義モデルとその現代的意義 を総括的に示す論文を作成。また、情報倫理のプロジェクト(FINe)などへの参 加を通して、このモデルに立脚した現代の民主主義の理論と実践に対する提言 を行なう。
コメント: PDのときの焼直し。まだまだ改善の余地あり。
本研究は、ミル父子を通じてそれ以降の民主主義理論の発展に決定的な影響を 与えながらもこれまで思想史の陰に埋もれていたベンタムの民主主義理論を 「発掘」し、明快なモデルとして提示するという、大きな特色を持つ。本研究 はさらに、先行研究が見過ごしてきたベンタムの民主主義理論が、単に思想史 的価値を持つばかりでなく、諸利害のコンフリクトの中で混迷を深める現代民 主主義をめぐる議論に、一つの解決方向を示す明確かつ実践的なモデルを含ん でいることを明らかにするという、実践的な独創性も併せ持っている。
19世紀初頭、ベンタムはいちはやくアメリカ独立宣言とフランス革命を頂点と する自然権論に基づく民主主義理論を徹底して批判し、そのオルタナティヴと して功利主義の立場から代議制民主主義を正当化する理論を作り上げていた。 これまで信頼できるテキストが不在であったために、ベンタムの民主主義論は ミル父子のそれと同列に語られることが多かったが、英国UCLのベンタム・プ ロジェクトが編集している新全集から、彼の民主主義理論に関する文献が多数 出版され、ようやくベンタムの理論の全貌--彼が、ミル父子と共に普通選挙と 議会改革を唱えるにとどまらず、洗練された官僚制を備えかつ政治的腐敗に対 する情報公開と世論の役割を重視した民主主義憲法を、おそるべきほどの詳細 にわたって構想していたこと--が明らかになりつつある。しかし、一つには彼 の著作の多さと、もう一つには彼の文章の難解さのために、国際的に見ても彼 の民主主義論の研究はまだほとんど進んでいないのが現状である。
そこで、これまで思想史の陰に埋もれていた彼の民主主義理論を「発掘」し、 功利主義に基礎づけられた明快な民主主義モデルとして再生させることは、大 きな思想史的価値があるばかりでなく、このモデルを物差しにして、今日ます ます混迷を深める民主主義の諸制度--政治的腐敗と官僚制改革、情報公開の必 要性とそれと対立しがちである個人情報の保護、さらにメディアの急激な発展 に伴い緊急に必要とされる世論の役割の再検討など--を批判的に検討すること によって、かならず重要な実践的貢献がもたらされるはずである。
さらに、功利主義的に基礎づけられたベンタムの民主主義モデルを検討する本 研究は、ややもすればまったく別個の研究領域と思われがちな倫理学、法哲学、 政治学、思想史といった領域を横断するものであり、他領域の研究者と意見を 交わし知見を深めることにより、専門分野にとらわれない総合的かつ実践的な 議論が可能になると思われる。また、すでに在外研究を行なった英国を中心に 国外の研究者と議論を行ない、国際学会などで発表することにより、従来から 立ち遅れていると言われてきた人文・社会科学分野でのわが国からの研究発信 という点で、大いに貢献できるものと自負している。
コメント:
以上、著者はすべて申請者の児玉聡である。
コメント: 千葉大の資料集に書いたものなどを(1)に入れるか(2)に入れるか 迷ったが、けっきょく(1)に入れた。 (2)のページに入り切らなかったという理由もある。
それにしてもベンタム関係の論文がすくない。 これからちゃんと口頭発表、論文投稿すべし。
「4. 研究業績」の欄に記載したもののうち、 最も主要なものを3,000字以内で要約すること。(字数厳守。)
ジェレミー・ベンタムは、法と道徳の区別を強調し、自然権論のように法の妥 当性を決めるさいに道徳的考慮を入れようとする立場を批判した。彼が自然権 論を批判した理由は、HLA・ハートが自然権の「無基準性」と呼んだものによっ て説明されるが、本論文では、道徳の議論において「権利」に代表さ れる法的言語を使用するというまさにそのことも、法と道徳を峻別 しようとする彼にとっては批判の対象であったと論じる。第一章では、道徳的 権利を実在するものとして語る用法を検討し、これが不適切であることを示す。 第二章では、道徳的権利があるという主張は、法的権利を認めるべきだと主張 することだとする用法を、功利原理によって基礎づけようとしたJS・ミルの試 みを含めて吟味する。第三章では、道徳的議論に法的概念を用いることに伴う 問題点を指摘し、第二章で検討された用法は、たとえ誤りでないとしても望ま しくないと論じる。
18世紀末、ベンタムがフランス人権宣言を批判したとき、彼はこの文書を非難 したばかりでなく、自然権という考えを用いるあらゆる文書を批判するつもり であった。さらにまた、彼は一生のあいだ、倦むことなく自然権という考えを 「論理において不条理」であり「道徳においては有害」だと批判しつづけた。 彼は一度、自然権などという言葉は一度も耳にされなければよかったのにと書 きさえした。
こうしたベンタムの発言は約200年後の今日の観点からすれば、ずいぶん奇妙 に聞こえる。自然権―より人口に膾炙した仕方で言えば、道徳的権利あるいは 人権―は、国内外の政治的議論においてあまねく用いられている。生命権や拷 問を受けない権利の存在を疑う人はほとんどいないし、国連人権宣言や欧州人 権規約などといった文書が人類の幸福に対してなした多大な貢献を疑う人はもっ と少ないであろう。もしベンタムが今日生きていたら、彼はこうした文書を目 の前にしてなんと述べていたであろうか。
おそらく、彼はこうした文書の中に祀られている人権にさほどの異論を唱えな かったであろう。なぜなら、たとえば国際司法裁判所と国連人権宣言、欧州人 権裁判所と欧州人権規約のように、今日の人権文書の大半はその解釈において 問題が生じたときに裁定を行なう機関を備えた特定の法体系の一部となってお り、ベンタムは法的権利については自然権と同様の問題を認めなかったからで ある。たしかに彼は、政府がそのような文書を承認した場合に、もしその文書 中に無制約の自由や所有権などが人民に保証されているならば政府はいかなる 政治を行なうこともできなくなると考えていた。しかし、W・トゥワイニング が指摘しているように、今日の人権文書における権利はすべてがすべて絶対的 であったり無制約であったりするわけではなく、むしろ権利同士あいだで兼ね 合いが計られたり、国家の安全といった他の考慮と比較衡量されたりするので ある。したがって、今日の人権宣言が政府によって承認され、宣言が内的な整 合性を備えているのであれば、ベンタムは目くじらを立てて批判することもな いと思われる。
しかし、ベンタムが今日生きていたなら、人権宣言の場合のように法的権利と してまだ確立されているわけではないにもかかわらず「われわれには法的権利 はなくても道徳的権利がある」などと主張する人々を厳しく批判していたであ ろう。とくに今日そのような主張がなされる例として顕著なのは動物権利論で ある。実際、自然権に対するベンタムの不快な感情を共有するには、たとえば T・リーガンやHJ・マクロスキーらが動物の権利について書いた著作を読むに まさるものはない。ベンタムの有名な『無政府主義的誤謬』や彼の膨大な著作 のあちこちにある自然権についての批判を単に読むだけでは、ベンタムが何を 相手に戦っていたのかを理解することは今日ではむずかしいが、ベンタムを読 むさいにこの今日的問題を念頭においておけば、彼の議論に共感するところは 大いにあると思われる。
そこで、本論文においてベンタムの自然権論批判を検討するために、わたしは 動物権利論を主たる例として用いる。この論文においてわたしがなにより も強調したい点は、彼は苦心して道徳の言語を法の言語から区別しようとした という事実である。すなわち彼は、道徳を語るさいに「権利」や「義務」や 「できる」といった本質的に法的な概念を用いることは誤りであるとして―ま たたとえ完全に誤りとは言えない場合でも誤解を招くものであるとして―拒絶 した。よく知られているように、法実証主義者としてのベンタムは、法と道徳 の区別を強調し、自然権論のように法の妥当性を決めるさいに道徳的考慮を入 れようとする立場を批判した。たしかに彼の批判は部分的にはHLA・ハートが 自然権の「無基準性」と呼んだものによって説明されるが、本論でわたしは、 ベンタムが自然権論に反対した重要な理由の一つは、道徳の議論において法的 言語を使うというまさにそのことが、法と道徳を区別する彼の試みをだめにし てしまいかねない、ということであったと論じる。
結論を述べると、第一章においては、道徳的権利の実在的用法―これは、法的権 利とは独立に存在するものとして道徳的権利を語る用法であり、その典型的な 例は「法的には、何かを所有することはそれに関して法的権利を持つことであ る。道徳的には、何かを所有するということはそれに関して、管理したり使用 したりする権利を、道徳的に持つことである」というマクロスキーの発言であ る―をベンタムの議論に沿って検討し、この用法が不適切であることを示した。 第二章においては、道徳的権利の代理的用法―これは、道徳的権利があるとい う主張は、たとえば「道徳的に言って、動物は法的権利を与えられるべきであ る」と主張することだとする用法である―を吟味した。第三章では、道徳的議 論に法的な概念を用いることに伴ういくつかの深刻な問題点を指摘し、代理的 用法を功利原理によって基礎づけようとしたJS・ミルの試みは、たとえ誤りで ないとしても望ましくないと論じた。
ミルがベンタムを「片目の男」と喩えたことは有名であるが、たしかにベンタ ムの自然権論批判は明らかに一面的である。彼は道徳的議論において自然権を 用いることの良い点を一つも見ることがなかった。彼の膨大な著作に散らばっ ている自然権についての議論は批判というよりも悪態に近く、しかも論点が整 理されていない。とりわけ、過去二世紀に渡る人権拡大の歴史を見渡したとき、 道徳や政治の議論における権利概念が「有害」であったと述べることは難しい であろう。しかし、本論においてわたしが示したかったのは、以上のような欠 点があるにもかかわらず、自然権論批判についてのベンタムの著作を精読する ことにより、動物権利論などの現代的な議論を吟味するうえでも重要となる論 点が明らかになるということである。そしてわたしがとくに強調したいのは、 ハートやウォルドロンらがベンタムの自然権論批判を検討したさいに気付かな かった、あるいは十分に強調しなかった次の点である。すなわち、ベンタムの 法実証主義は、道徳の言語から法の言語を分離することをその重要な要素とし て持つということである。
コメント: 「ベンタムの自然権論批判」の要旨、序文、結論をくっつけて、 多少修正したもの。 こういう書類を書くときのために、序文と結論は独立した読み物になるように 日頃から配慮しておくべきだと反省。
最後になりますが、 この応募書類を書くにあたって貴重なコメントをくれた方々に感謝します。
面接で読んだ原稿。 面接に行く前に麹町の喫茶店で書いた。 自分の研究の発展の仕方に内的必然性を見つけるのは難しい。
「児玉聡です。研究題目はベンタムの功利主義的民主主義モデルの研究と その現代的意義です。
「これまでの業績ですが、 18世紀英国の思想家ベンタムを中心に研究してきました。 彼は最大多数の最大幸福を命じる公共性の原理である 功利主義を唱えていました。 これまでの研究ではとくに、 なぜ基本的に利己的とされる人間が 公共性を重んじることができるのかという問題と、 なぜ功利主義によって自由主義(すなわち、他人に危害を加えなければ 自由に行為してよい)が正当化されるのかについて研究してきました。 さらにD2から、ベンタム全集を刊行中の英国UCLで一年間研究し、 ベンタムが人権思想を批判しながらも、 公共の福祉と個人の自由を最大限に両立させる政体としての民主主義を 功利主義によって基礎づけようとしていたことに関心を抱き、 まだ英国でも日本でもほとんど紹介のされていないベンタムの民主主義について 研究を始めました。
「またこのような抽象度の高いものだけでなく、死刑制度、 危険なスポーツとしてのボクシング、また生命倫理における安楽死といった 実際に公共の秩序と個人の自由との衝突が問題になる事例についても、 功利主義の見地から検討してきました。
「これらの研究成果は日本功利主義学会、日本倫理学会、日本生命倫理学会などで 発表し、今後も来年3月に開かれる日本イギリス哲学会、 4月にポルトガルで開かれる国際功利主義学会などで発表する予定です。 そうした発表をまとめてベンタムの民主主義論についての博士論文を 執筆する予定ですが、研究の射程がいささか広いため、 もう少し時間がかかることが予想されます。
「今後の研究についてですが、UNDP(国連開発計画)が今年の夏に出した レポートでも指摘があるように、去年9月11日の米国テロ事件以降、 先進国では民主主義における 公共の福祉(秩序)と個人の自由との両立という問題が ますます困難になりつつあるように思われ、 権利という概念だけでは対応できなくなりつつあるように思われます。
「そこで本研究では、権利ではなく功利 という概念で公共性と個人の自由のバランスをとろうとしたベンタムの 民主主義論を、現代の民主主義の理論と実践とにつきあわせて研究したいと 考えています。
「とくに、民主主義における(1)よい世論のあり方、 (2)よいメディアの役割、(3)情報公開を説いていたベンタムの理論は 注目すべきものであると考えます。これらの今日の民主主義において 大きな問題になっているものであり、 これらの事柄にかかわる制度を200年前に憲法の中に組み入れようとしていた ベンタムの先見の明を示すものであると考えます。
「研究の方法としましては、倫理だけでなく、法哲学・政治・社会学などの 学際的な知識が要求されているため、 以前から国内外の研究者とともに科研費プロジェクトで功利主義を研究している 某大の某教授に指導をお願いしています。
「また、先ほども申し上げました英国のUCLで一年間ほど研究を進める予定であります。
「こうした研究成果は、随時国内外の学会で発表し、 最終的には博士論文を本の形で出版する予定です。
「最後に本研究の特色ですが、 一つは、まだほとんど手がつけられておらず、英米の研究者にとっても難解な ベンタムの民主主義論を発掘し、平易・明快な形で紹介するという点、 また一つは、 単にベンタムの民主主義論を思想史的関心から研究するというだけではなく、 現代の民主主義の理論と実践とつきあわせて検討するという実践性を持つ点、 さらに、国内外の研究者と連携して民主主義について幅広く研究を行ない、 日本から情報発信を行なうという点が挙げることができます」
時間があまったので、簡単に列挙していた研究の特色についてしゃべったが、 大事なポイントなので日本語をもう少し練っておく必要があった。反省。 そこで、スピーキングではネイティヴにはかなわないが、 読解力には彼らに負けないという自負があり、 ライティングは今後も修業すると答えておいた。
たぶん少し早く終わったと思う。DC1のときの面接は10分だったが、 SPDでは20分時間を取っていた。しかし、 専門がずれるとあまり質問もできないようで、 20分は面接官にとってもちょっと長いようだ。 来年からは少し短くなるんじゃないかと思った。 もっとも、 オレは初めから有力候補じゃないから質問がおざなりになっていたのかも 知れないが…。 -->