最初に書いたやつは、いろいろ問題点を指摘されたので、 抜本的に書き直すことになった。
とりあえず、研究題目は「ベンタムの倫理学=法哲学思想の検討と応用」 という名に決まった。 研究題目は教授に書いていただく推薦状にも書く必要があるので、 もう変更不可能である。 したがって、研究内容もこれに沿った書き方をしなければならない。
それで、最初の文に関する批判点は次のようなものだった。
というわけで、今から全面的に書き直していく。
(追記: 最終稿はこっち)
(700字程度で記入すること)
現在まで、(1)ベンタムの倫理学=法哲学思想の研究、 (2)功利主義と他の規範倫理学説の比較検討、 (3)現代の倫理的問題に対する功利主義的立場からの考察を行なってきた。
- まず、卒業論文「ベンタムにおける法と道徳の区別について」では、 J・ベンタム(18C-19C、英)の主著『道徳と立法の諸原理序説』 を主に研究し、 「法の規制すべき個人の行動とは、他人に危害を加えるようなもののみ であり、それ以外の行動は道徳に任せるべきである」 という彼の主張を、その哲学的基礎をなす功利原理の吟味も含め、 詳しく検討した。 その結果、 功利原理という堅固な基礎によって法と道徳を明確に区別する ベンタムの見解は、細部には検討すべき点もあるが、 明快かつ一貫した根拠に支えられており、 的確な再解釈をほどこせば現代でも必ず有効なものになる、 との知見を得た。
修士課程に進んでからは、 主にベンタムの功利主義と法実証主義との関係について研究してきた。 研究室およびインターネット上ではベンタム関連の研究会も主催している。- ベンタム研究のほかに、功利主義と他の倫理学説との より幅広い比較検討を行なうために、 自然法思想、義務論、権利論、徳論などの 主要な倫理学説について英米圏の論文を読み進めている。
- (1)、(2)の理論的な研究を行なう一方で、 死刑廃止論、企業倫理、情報倫理、環境倫理など 応用倫理学の分野において、 功利主義理論を実践に適用する試みを行なってきた。 いくつかの考察は文章化し、 すでに研究室の個人ホームページに公開している。
たとえば死刑廃止論においては、 誤判可能性のみを根拠とする廃止論を批判し、 死刑制度がもたらす利害の比較考量に基づくべきことを主張した文章を 掲載してある。
某先輩に大幅に手を入れてもらいました。感謝。(約750字)
(どのような研究方法で、何を、どこまで明らかにしようとするのかを、 具体的に全体を2,000字程度で記入すること)
(研究の背景及び国内外の研究状況等を含む)
現代の実践問題に取り組む場合、個人の内面にかかわる倫理問題と、 法規制との二つの側面を考察することが欠かせない。 本研究は、J・ベンタムの倫理学=法哲学思想の理論的検討を行ない、 その成果を現代の実践問題に活かすことを目指すものである。
60年代以降、英米圏では、新ベンタム全集の編集プロジェクトに伴ない、 ベンタムに関する幅広い研究--法・政治思想、倫理学、経済学はもちろん、 言語学、論理学、宗教思想に至る--が活発化している。 しかし日本では、ベンタムの思想は主に経済学や法学の分野にやや偏った仕方でのみ 研究され、純粋に倫理学の観点からなされたベンタム研究は今日では数少ない。 ましてや、ベンタムにおける倫理学と法哲学との双方をフォローし、 実践問題に活かす方向で彼の思想の意義を明らかにした研究者は 皆無と言ってよい。
そこで、英米圏での新たな研究を踏まえつつ、 J・ベンタムの倫理学=法哲学思想の理論的検討を行なうことが 本研究の第一の目標である。
さらに本研究は、ベンタムの思想史的ないし倫理学史的研究にとどまることなく、 応用倫理学の一分野でベンタム流功利主義の立場から提言を試みる。
今日、応用倫理の諸問題が活発に議論されているが、 特に、個人倫理と法規制との区別が曖昧なまま一括して「倫理問題」として 語られることにより、論議が混乱したものとなっていることがしばしばある。 これに対して本研究では、ベンタム流功利主義の立場から、 応用倫理の問題について道徳的側面と法的側面の双方から分析を加え、 一つの明確な立場を確立することを試みる。 わたしが特に取り上げるのは、まだ生命倫理や環境倫理ほど研究は進んでいないが、 個人の行為規範の問題と法規制との区別が非常に重要となる情報倫理の諸問題である。 近年の道徳概念の分析研究などもふまえて検討する。
某先輩に大幅に手を入れてもらいました。大感謝。(約720字)
うわあ。一から書き直しか。つらい。
まず、J・ベンタムの功利主義および法実証主義の理論的検討を行なう。
- W・ペイリー、J・S・ミルといった古典的功利主義との比較検討、 およびJ・オースティン、H・L・A・ハートの法実証主義との 比較検討を行なうことによって、 ベンタムの功利主義、法実証主義の独自性を明らかにする。
- また、功利主義=法実証主義としてのベンタムの立場を、 彼が批判するJ・ロック流の自然法論や、 F・ハチソンやシャフツベリなどの道徳感覚説(直観主義)と対比し、 ベンタムの立場の優位性はどこにあるのかを明らかにする。
- さらに、ベンタムの功利主義を、彼とは路線を異にする現代の思想家、 例えばJ・ロールズ、R・ドウォーキン、J・ラズ、A・センらの思想と つきあわせることによって、 彼の思想がどれほどの現代的意味を持ちうるかを検討する。
- 最後に、ベンタムの功利主義を採った場合に、 応用倫理の分野でどのような提案をすることができるのかという試みを 試みる。もっとも、応用倫理と言うだけではあまりにも幅広い問題群が 含まれるので、この三年間で扱いきれる問題として、 わたしがこれまで関心を持って研究してきた「死刑廃止論」と、 ベンタムの倫理=法の両面にまたがる思想がもっとも活かされる分野だと 思われる「情報倫理」に焦点を絞って検討する。 死刑廃止論に関しては、ベンタム思想の忠実な解釈に基づいて、 今日の死刑廃止論者の見解を、逐次、批判的に考察する。 他方、情報倫理は、個人の行為規範にとどまらず、 知的所有権、政府による規制や検閲といった法的問題にも大きく関わるため、 ベンタムの思想が実践面においてどれだけ有効であるかを試す 恰好の試金石になると考えられる。
最終年度に、以上の研究に基づき、 ベンタムの功利主義と法実証主義に関する博士論文を作成する。 以上の研究の経緯についてはワールド・ワイド・ウェブ(WWW) 上の個人ホームページにて情報提供を行なう。 また、資料収集および意見交換のために、 新ベンタム全集を編集中であるイギリスのロンドン・ユニヴァーシティ・カレッジ への短期間の留学を考えている。
これも某先輩に手を入れてもらいました。感謝感激。(約810字)
う〜ん、なんか機械的だなあ。書き方が。
英米圏では60年代以降、ベンタムの研究が盛んになりつつあるにも関わらず、 現在の日本においては、哲学あるいは倫理学の分野で ベンタムの倫理学=法哲学思想を中心に研究している者は極めて少ない。 残念ながら、ベンタムの倫理学=法哲学思想は教科書的理解にとどまったままである。 しかしながら、 とりわけ信頼のおける全集が新たに編集されつつある現在においては、 功利主義と法実証主義の確立者であるベンタムの原典を精読し、 そして他の同時代あるいは現代の思想家たちと比較検討しつつ 詳しく研究することには大きな価値があると思われる。
また、ベンタムの思想を「生きたもの」として、 彼の倫理学=法哲学的思考を現代の倫理問題に適用するという試みは、 現代の倫理問題に対する解決の一助となりうるのみならず、 彼の思想のさらなる理解につながるであろう。
ちょっと不満だけど、とりあえずこのくらいにして、先に進まなきゃ。(約360字)
そんなのないです
ないよそんなのまだ
ううむ。うちの研究室で言われている『千葉大資料集』っていうのは、 学術雑誌になるんだろうか。ならないのかなあ。
(論文題名を初めに記載すること)
(「DC1」の申請者は、修士論文(作成中のものを含む。) の要旨であっても差し支えない。 ただし、その場合は、「論文題名」の前に「修士論文の要旨」と書き添えること)
(2,000字程度で記入すること)
うわあ。これが一番大変なのに、まだ一文字も書いてないっ。 やばいやばい間に合わない。急いででっちあげないとっ。
修士論文の要旨
論文題名「ベンタムのブラックストーン批判と功利主義」(仮題)
本論文の目的は、18-19Cの英国の思想家J・ベンタムの A Fragment on Government(『統治論断片』)および An Introduction to the Principles of Morals and Legislation (『道徳と立法の諸原理序説』)を主なテキストとして用いて、 前半でW・ブラックストーンの自然法思想および社会契約説に対する ベンタムの批判を検討し、 後半でブラックストーンとベンタムの思想を対比的に考察することを通じて ベンタムの功利主義と法実証主義を明確にすることである。
『統治論断片』は1776年に匿名で出版されたもので、 当時英国法に関する権威であったW・ブラックストーンの 有名な著作the Commentaries on the Laws of England (『英法釈義』)の序論の一部分が批判的に検討されている。
従来、 ベンタムのこの著作は彼が法実証主義的な見解を披露したものとしてのみ見られ、 (法哲学とは切り離された)倫理学的見地からはそれほど見るべきものはなく、 彼の功利主義は主に1789年に出版された 『道徳と立法の諸原理序説』において明らかになると考えられてきた。 また、それゆえ、この著作が倫理学の分野で顧みられることは ほとんどなかったと言ってよい。
たしかに、ベンタムの功利主義の基礎的理解は『道徳と立法の諸原理序説』 の前半部分を読むことによって得ることができる。 しかし、この著作を読む限りでは、 例えばベンタムが功利原理と義務の関係 (「われわれは功利原理に従う義務があるのか?」)は十分には明らかにされず、 また、彼の功利原理と彼が批判する他の倫理学説との差異も それほど明確にはならない。
そこで、彼の功利主義をよりよく理解するためには、 『道徳と立法の諸原理序説』を精読する一方で、 彼が自らの功利主義を確立する大きな起因となった 『統治論断片』におけるベンタムによるブラックストーン批判の含意を検討し、 この著作のあちらこちらに散らばっている彼の功利主義的発想を 丹念に拾い集める作業が必要になると思われる。
ベンタムのブラックストーン批判
さて、本論文の前半では、『統治論断片』が詳細に検討される。 『統治論断片』は、序言、序論、第一章「政府の形成」、第二章「政治体制」、 第三章「英国の政体」、第四章「最高権力が法を作る権利」、 第五章「最高権力が法を作る義務」からなっており、 このうち、ベンタムの思想を明らかにする上で特に重要であるのは 第一章、第四章、第五章である。
- (1)社会契約説批判
- 第一章においては、 社会契約説が批判される。 ベンタムによれば、 社会契約説とは、主権者の人民に対する義務と 人民の主権者に対する義務は、 双方が交わした契約によって生じるという学説であり、 この学説は「約束は守られねばならない」という考えを基礎に持っている。
しかし、たとえば「王は臣民を法に従わないで支配する約束をする」 とか、「臣民は王にたとえいかに不利益な行ないをされようとも 従う約束をする」など、常識的に考えて拘束力を持たないのであり、 したがってどのような約束でも守られねばならないというのではなく、 むしろある約束が拘束力を持つかどうかは功利性によって 基礎づけらねばならないことが明かにされる。- (2)自然法における正・不正の基準の批判
- 第四章においては、 抵抗権と関連して、自然法思想の危険性が述べられる。 そこで、自然法を用いた正・不正の判断は、 一見客観的な事実を問題にしているように見えながら、 実はそれを主張する人の感情の表明に過ぎず、 それゆえいつまで経っても議論に結着がつかないと批判される。 そして逆に、功利主義に基づいた正・不正の判断は、 問題となるのは行為の(蓋然的)帰結という事実に基づくので、 議論に結着がつく可能性が高いことが述べられる。
- (3)自然法における義務概念の批判
- 最後の第五章においては、 ブラックストーンの用いる「義務」という言葉の曖昧さが指摘され、 ベンタムの義務の概念が披露される。 ここでもブラックストーンの「義務」の概念は、 それを用いる人自身の内的な感情を表明するだけで なんら外的な根拠を持たないので、論者の意見が分かれた場合には 議論に結着がつかないと批判される。 それとは反対に、ベンタムの用いる「義務」は、 それに違反した際に与えられる刑罰(サンクション)の源泉に応じて 「政治的義務」、「宗教的義務」、「道徳的義務」の三つに分けられる。 そしてこれらはいずれも、「なんらかの形で苦痛を与える」 という外的な根拠を持つために、 実際になんらかの義務があるかどうかの議論は容易に解決がつきうるとされる。
ベンタムの功利主義の再検討
そして本論文の後半では、以上の見解に基づいて『道徳と立法の諸原理序説』を 詳しく検討し、ベンタムの功利原理の特徴を浮かび上がらせる。 また同時に、ベンタムの功利主義と法実証主義に関する H・L・A・ハート、R・ハリソン、D・バウムガルトなどの見解も検討する。
そこで得られる重要な結論の一つは、 功利主義においては、正・不正の判断も、義務の有無の判断も、 客観的な事実に基づくものであり、 しかも、「ある行為が正しいか不正であるか」という判断と、 「ある行為が(政治的、道徳的、宗教的)義務であるかどうか」という判断は 全く別の事柄だということである。 すなわち、功利原理から見てある行為が正しいからといって、直ちに その行為を行なうことが道徳的義務あるいは政治的義務であるということには ならないのである。