倫理学風研究 / index

フランツ・ブレンターノ
『道徳的認識の源泉について』覚書(その2)


自然な承認(サンクション)とは?(6-13)

・さて、ブレンターノ先生は次に、講演の題目「正当であることと道徳的 であることとに対する、自然な承認について」の、「自然な承認(サンクショ ン)」の意味について説明します。

・ブレンターノ先生によると、サンクションとは「固くすること (Festigung)」という意味だそうで、そしてある(法的・道徳的)規則にサンク ションを与える、すなわち規則を「固くする」には二つの仕方があるそうです。 ここもまずブレンターノ先生の言葉を用いて説明すると、

  1. 規則を規則として確立することによって。たとえば、最高の 立法権威がある法案を可決することによってそれが正当性(妥当性 Gueltigkeit)を持つように。

  2. 規則が刑罰規定を--おそらくはまた報賞規定をも--付加する ことを通じて、より効力を持つようにされることによって。

・簡単に言うと、
(1)はある規則を正当な規則だと認める(承認する)こと、
(2)はある規則に賞罰規定を与えることです。

・もちろんベンタム先生なら(2)の意味における刑罰や報賞をサンクション と呼ぶところですが、どっこいブレンターノ先生は(1)の意味でサンクション を用います。ブレンターノ先生は(2)の意味が(1)の意味を前提している、と言っ てます。すなわち、ある人がある規則に賞罰規定を与えるならば、その人はそ の規則を正当性を持つものとして認めている、ということです。

・すると、「自然な承認」が意味するのは、「どの時代でも、ど の社会でも、誰でも、法や道徳が正当なものとして普遍的に認められること 」ということになります。

自然な承認についての誤った考えと正しい考え(7-11)

・では、たとえば規則は、どのようにして規則として確立される(正当とさ れる)のでしょうか。ブレンターノ先生は、次のような見解を否定します。

  1. その規則に(習慣によって形成された)義務感を感じること によって(J. S. Millなど)

  2. その規則を守れば誉められ、守らなければ怒られるという 知識から生じる動機によって(J. S. Millなど)

  3. その規則が、教育(観念連合)を通じて、「ある強大なもの」 の命令であると確信されることによって。(ジェイムズ・ミルなど)

・すなわち、
(1)は「義務感を感じる規則は正当性を持つ」であり、
(2)「やれば誉められ、やらなきゃ怒られる規則は正当性を持つ」であり、 さらに
(3)「お父さんが言った(と想像される)規則は正当性を持つ」ということです。

・これに対するブレンターノ先生の反論は、
(1)守銭奴はお金を稼ぐことに義務感に似た衝動を感じるが、だからといっ て(どんな手段を使ってでも)お金を稼ぐことが道徳や法になるわけではない。
(2)これが規則を正当なものにするとすれば、おべっか使いがやることは すべて道徳や法になる。
(3)もちろんこれに対してわれわれは「ほんならお前はお父さんが死ね言 うたら死ぬんか」という反論を知ってます(ただし、ブレンターノはこういう 言い方はしていない)、と言っています。

・そうではなく、ブレンターノ先生の主張によると、われわれがある規則 に自然な承認を与える、すなわちその規則に従った意志や行為が「普遍的な妥 当性を持つ」とするのは、「その意志や行為が、その規則に従わない意志や行 為よりも優れている」からです。

道徳的なものの持つ自然な優越点とは?(12-13)

・では、一体どういう点でそれらの意志や行為は優れて いるのでしょうか?

・たとえば、道徳的な行為は、不道徳な行為よりも、外的な美し さの点で優れていて、それゆえに我々は道徳的な行為を正しいと呼 ぶのでしょうか?(ギリシア人一般や、ヒューム、ヘルバルトなどの意見)

・確かに、道徳的な行為はしばしば道徳的でない行為よりも美しいですが、 それゆえに正当性を持つとは言えない、とブレンターノ先生は言います。

・というのも、論理学においても、正しい推論の方が誤った推論よりも美 しい場合が多いですが、かといって論理学や倫理学が美学の一種である、とい うことはできないからです(しかし、ヘルバルトは倫理学は美学の一部だと言 い切ったらしい)。

・つまり、「正しいものはすべて美しい」は真かも知れませんが、「美し いものはすべて正しい」とは限らないのです。

・そこで、ブレンターノは、道徳的な行為は道徳的でない行為に比べて、 内的に優れている、と考えます。彼は、倫理的な動機とは、 道徳的行為のこの内的な優越点を認識して行為しようとすることで、またこの 内的な優越点を認めることが自然な承認なのだ、と言います。

・では次に、この「内的な優越点」とはどういうものなんでしょうか。し かし、ここで話は一旦途切れて、ブレンターノ先生は彼の「記述心理学」を用 いた「手段としてではなく、それ自体として欲求される目的」の分析の説明を 行ないます。


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Satoshi Kodama
kodama@socio.kyoto-u.ac.jp
Last modified on 12/08/97
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