・幸い、この授業はレポートが出なかったんだけど、(翻訳で)最後まで読 んだのでついでに簡単にまとめておきます。ベンタム先生と比較しながら書こ う。
・え〜と、日本にはブレンターノ先生を知っている人よりも知らない人の 方が1億3000万人ほど多いと思うので、まず簡単に紹介しておきます。
・フランツ・ブレンターノ先生は1838年にドイツのマリエンベルクで生ま れました。名門の生まれだったらしいです。ちなみにベンタム先生は1748年に ロンドンで生まれて1832年に死んでます。
・ブレンターノ先生の博士論文はアリストテレスに関するもので、その後 ヴュルツブルク大学やウィーン大学で哲学、倫理学、心理学その他の講義をし たそうです。彼の授業は「圧倒的な人気を博し」、特にウィーン大学では、現 象学の創始者フッサールや精神分析の風呂意図、いやフロイトなんかが講義を 聴いて感銘を受けたんだって。そして、--哲学詳しい人はよく知ってる通り--、 ブレンターノの「指向的関係intentionalen Beziehung」という発想は、やが て生まれて来る現象学に多大な影響を与えます。
・また、カトリックの司祭もやってたんだけど、ヴァチカン会議における 教皇の不可謬性の宣布(「教皇が信仰および道徳に関して行なった宣言は絶対 に誤ることはない」)に不信を表明して辞めてしまったそうです。ところで、 彼は二回結婚してます。世界の名著の解説に出てる胸像を見ると、端正な顔つ きをしています。いやいやいやいや、うらやましい限りです。
・晩年は視力を失ったけど、割と死ぬまで頑張って研究してたみたいです。 第一次世界大戦中の1917年に79才でお亡くなりになりました。死後、弟子たち によって多くの講義や講演の記録が出版されています。
・さて、授業でやったテキスト『道徳的認識の源泉について(Vom Ursprung sittlicher Erkenntnis, 1889)』は、1889年の一月にブレンター ノ先生がウィーン法学協会で行なった講演を書き起こしたもので、講演ゆえド イツ語はわりと簡単らしいけど、ぼくは子供なのでよくわかりません(しかし そう言われればそういう気もする)。講演の時のタイトルは「正当であること と道徳的であることとに対する、自然な承認について(Von der natuerlichen Sanktion fuer recht und sittlich)」(ぼくなら「法と道徳の自然的サンクショ ンについて」と訳すが…)だったそうです。
・さて、講演の題目からもわかるように、ブレンターノ先生のテーマは、 「自然的(本性的)に正しいものはあるのか」についてです。
・まず、答えを出す前に問題をよく検討しなきゃいけないっていうんで、 最初にブレンターノ先生は「自然な」という意味を二つに分けます。そのまま 彼の言葉を引用してみましょう。
・ちょっと違いがわかりにくいんですけど、後の議論も考慮に入れて平た
く言うと、
(1)の「自然な」で言いたいのは、「現実の法や道徳は、歴史的・社会的
に生まれたのではなく、もともと存在したのだ」という意味。
(2)は、「権力や権威が認めようが認めまいが、すべての理性的存在者に
妥当する法や道徳(正・不正の基準)がある」っていう意味です。
・んでですね、イェーリング(1818-92)っていう有名な法律学者も以前この
ウィーン法学協会で講演してて、そのときイェーリング先生は(1)も(2)も否定
しちゃったんですよね。すなわち、
(1)法律や道徳とかってのは、社会が作ったものでさ、とくに権利なんて
のはもともとあるわけじゃなくて、人々が勝ち取って行くものなんだから、
(2)すべての社会や人間に普遍的に妥当する法や道徳は存在しない、
と主張したんです。(たしかに、(1)から直ちに(2)は導き出せない。しか
し、ブレンターノ先生の説明によるとイェーリング先生はそう考えてたみたい)
・ブレンターノ先生はイェーリング先生と(1)の点で同意しますが、(2)の 点では同意しません。つまり、ブレンターノ先生は、「いつでもどこ でも誰にでも正しいことってのは確かにあるんだっ」と主張するわ けです。
・だから彼は、当時盛んだった(はずの)法実証主義(自然法は存在せず、実 定法によって定められたもののみが正しい)や道徳的相対主義(正しさは場所や 時代によって異なるという考え方)には反対してるって言えます。そして、こ の主張を論証するのがこの講演の目的です。さて、ブレンターノ先生の目的は うまく達成されるのでしょうか?