出典:団藤重光著、『死刑廃止論(第5版)』、有斐閣、1997年
この章は簡単に要約してみよう。
これも講演だが、まずこの講演の背景にはオウム事件の大きな影響がある。 死刑廃止論者にとっては逆風が強い時である。1995年の3月20日に地下鉄サリ ン事件が起こり、団藤氏に言わせれば、それに乗じて5月26日に3人の死刑囚に 対する執行が行なわれた。この講演はその死刑執行に対する抗議集会における ものである。
団藤氏によれば、一連のオウム事件は「もとをただせば、多分に社会の病 的な方面の反映ではないかと考えざるをえないのであります」(p.103)。すな わちオウム事件が生じたのは、社会制度や教育制度が科学技術的なものを偏重 するあまり、心の問題、精神の問題、魂の問題を疎かにした結果だ、というわ けである。
それなのに政府は、と団藤氏は続ける。これに応じるに政府は死刑執行と いう手段をもってした。これはすなわち、社会の病理に対して政府は、真に必 要な心の教育よりもむしろ国民に対する「法と秩序」の押しつけ、威嚇でもっ て対応した、ということである。団藤氏はこれではうまくいかない、と考える。
団藤氏によれば、人々、特に殺人事件の被害者の遺族やオウムの被害者が 本当に必要としているのは、犯罪者の死刑ではなく、物心両面での救済なので ある。すなわち、彼らには政府の補償やボランティアなどによる精神面でのケ アが必要なのだ。
もちろん被害者の復讐感情を考慮することも重要であるが、究極的には犯 罪者を死刑にしたところで彼らが救済されるわけではない。また、団藤氏が考 えるに、死刑廃止をしろと言っても無期刑があるわけだから、単に被害者感情 を無視しろと言っているわけでもない。
さらに団藤氏は、犯罪者を死刑にするよりも、「ヒューマニスティックな 矯正(p.122)」によって更生させるべきだと言う。もちろんその場合、近年の 科学的方法だけに頼るのではだめであり、(--内容はよくわからないのだが--) 「人道主義に溢れるような矯正理念(p.124)」でもって行なうべきである。
加えるに、死刑執行が再開されてから殺人罪が減ったかというと、むしろ 逆で、増える傾向にある。これは死刑の威嚇力のないことを示すことであろう。
もはや政府が刑事政策を変えなくてはならないのは明白である。
そこで「今こそ声を大にして死刑廃止を叫ぶべきときだ(p.127)」と団藤氏 は感動的に結ぶのである。