ポスト・ヒューマニズム

(ぽすとひゅーまにずむ posthumanism)

I was born human. But this was an accident of fate -- a condition merely of time and place. I believe it's something we have the power to change.

---Kevin Warwick

Man is something to be overcome.

---Frederick Nietzsche, Thus Spake Zarathustra


現在の人間は、病、老化、死など、さまざまな生物学的制約を持っているが、 これらやそれ以外の「人間本性」(たとえば、いくら足の速い人でも100メートルを 5秒で走ることはできないとか)を固定したものとはみなさず、 遺伝子操作、ナノテクノロジー、サイバネティックス、 薬物、コンピュータシミュレーションなどを使用して、 人間本性を変容させ、人間を「超えた」存在になることを肯定する思想を指す。 昔のイメージで言えば、人造人間とか、改造人間とか、サイボーグとか、 そういうやつである。

transhumanismもほぼ同じ内容を指して持ちいられるが、 Encyclopedia of Bioethicsの第三版によると、 transhumanはtransitional humanの省略形であり、 人間が過渡期の存在である(それゆえさらなる完成が期待される)という見方を指す。

人間本性を変えることはなぜいけないのだろうか。 たとえば、眼鏡やコンタクトレンズを用いて悪化した視力を矯正したり、 望遠鏡や顕微鏡を用いて肉眼では見えないものを見ることはよくても、 遺伝子操作などを通じて暗闇でもはるか先まで見渡せる視力を持つことは いけないことだろうか。 不自然だからだろうか。 あるいは神を演じることになるだからだろうか。 医療の目的は病気や欠陥を治すことだからであって、 人体を改良(エンハンス)することではないからだろうか。 一部の個人がこのようなことをすると、 大きな望ましくない社会的影響が引き起こされるからだろうか (たとえば二種類の人間ができて差別や対立が起こるなど)。 あるいは、それと類似しているが、人間本性に対するこのような介入は、 人類に対して予測できない結果を引き起こすからだろうか。

ポスト・ヒューマニズムに対して一貫した批判をすることは簡単ではない (し、筆者も明確な反対意見を持ち合わせていない)。 ただし、18世紀の啓蒙時代以降に生じた人間本性を変えようとする試みは、 とくに社会制度を変えることで人間本性を変えようとしたユートピア思想や ラディカルな社会主義思想は、 ほとんどの場合に失敗に終わっているので、 科学技術を通じて人間本性を変えようとする前に、 われわれは歴史から十分に学ぶ必要があるだろう。

18/Feb/2004


参考文献


上の引用は以下の著作から。


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Mon Jan 13 12:09:10 JST 2003