日々のことなど
ホーム>日々のことなど
2026年3月21日(土)
少し前に、別の研究室ではあったが、哲学の学生で坂口安吾をテーマに卒論を書いた学生がいた。それ以来、坂口安吾に時折目を通すようになった。敗戦直後の日本の状況を踏まえて執筆された「堕落論」は、現代においても、倫理というものを考える上で多くの示唆を与えてくれる。
人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。...人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。
ーー坂口安吾 「堕落論」(1946)
2026年3月6日(金)
歳を重ねれば重ねるほど、「義務」と「自律」と「尊厳」が自分の判断・行動の核をなすのだということを強烈に意識する。その意味では、根本において自分はカント的なのだと思う。あえて異なるとすれば、尊厳は自律する存在の尊厳なのではなく、義務の向かう存在ーー自律できない存在も含めたーーの尊厳ということであり、義務と責任とが絡み合っているということだろうか。しかしこの立場でさえ、物自体として自我をとらえたカント哲学に読み取ることはできると考えているのだけれど。