TOP 概要 テーマ 業績集 解説 募集! リンク

 

研究テーマの紹介

 

はじめに

 生命科学研究の難しさというのは、生体が当然のことながら膨大な複雑性を本来持っていることに起因しています。その複雑性を単純な系に還元しながら分子レベルで理解し、記述していくことが分子生物学なわけですが、生命現象をすべて分子レベルで解き明かすことは実は途方もなく大変なことです。例えば試験管の中で蛋白質Aと蛋白質Bが結合することがわかったとしても、それが細胞という複雑な構造物の中で実際にどういう相互作用をするのかというのは全く次元の違う問題になりますし、ましてや個体レベルでどういう働きをするのかということになると皆目見当もつかないのが普通です。つまり分子どうしの相互作用というミクロレベルのことと、巨視的な生体の挙動との間にはとてつもなく深い断絶が実はあるわけです。

 この隔たりを飛び越えていく唯一の手段が遺伝学(Genetics)です。遺伝学とは生物の表現形質というマクロ現象と、個々の生体分子の(遺伝的)変異というミクロ現象とを関連づけていく手法です。形質の異常からたどって遺伝子の異常を見つけるのが古典的な狭義のGeneticsですが、逆に遺伝子の異常を個体に導入して形質の異常を見つける手法はReverse geneticsと呼ばれ、具体的にはマウスなどの胚操作によって変異動物を作出していくという発生工学の手法を用います。

 我々の研究室では従来より臨床症例の遺伝子異常解析という古典的なGeneticsと、ノックアウト/トランスジェニックマウスの作成によるReverse geneticsとを研究手法の2本の柱として参りました。特に発生工学は90年代の初めというごく初期の段階から取り入れ、動脈硬化症や高脂血症研究への応用を行い、この分野をリードして来ました。

 分子レベルと個体レベルの現象を結び付けることは一般に容易なことではありませんが、我々の研究室ではこうした個体レベルの系から細胞レベル、分子レベルの実験系まですべてを同時に動かし、トータルな視点から糖、脂質代謝異常や動脈硬化症の研究を行うよう心掛けています。

 さて実際に現在我々が行っている研究テーマは大きく分けると2つあります。1つは肥満/インスリン抵抗性の成因、いま1つは動脈硬化病変でのコレステロール代謝です。その他にも低脂血症の遺伝子異常の解析などにも取り組んでいます。

 

肥満/インスリン抵抗性の成因(1):中性脂肪分解酵素について

 肥満症とは脂肪組織において貯蔵されている中性脂肪(トリグリセリド)が過剰な状態のことです。一般に物質が過剰になっている場合、合成の亢進か分解の低下が原因になっていることが考えられます。脂肪細胞内で中性脂肪を分解する酵素として同定されていた酵素は従来ひとつだけであり、ホルモン感受性リパーゼ(Hormone Sensitive Lipase; HSL)と呼ばれていました。我々はこの酵素のノックアウトマウスを作成し、表現型を調べました。HSL欠損マウスは脂肪細胞のhypertrophyを認めたものの、意外なことに肥満にはなりませんでした。また脂肪細胞の中性脂肪分解酵素活性も低下はしたものの、半分程度は残っており、脂肪細胞にはHSL以外にも実は中性脂肪分解酵素が存在することがわかりました。またHSL欠損マウスの耐糖能やインスリン抵抗性についても現在解析中です。

 またHSL欠損マウスはこれも意外なことに、雄のみの不妊症を呈し、精子の生成にHSLが何らかの重要な働きをしていることが判明しました。HSLは中性脂肪以外にもコレステロールエステルの分解も司ることが知られていますが、さらに別の脂質をも基質として分解している可能性も考えられます。

 

肥満/インスリン抵抗性の成因(2):中性脂肪合成系の調節機構について

 中性脂肪の合成系には多くの酵素が関与していますが、主な酵素はほとんどが転写レベルでの調節が重要であることが知られています。これは同じエネルギー貯蔵物質であるグリコーゲンと比較すると非常に対照的です。すなわちグリコーゲン合成は合成酵素のリン酸化による調節が主ですが、中性脂肪合成は主に合成酵素の転写量で調節されています。

 この転写調節を担っているのがSREBP(Sterol Regulatory Element-binding Protein; ステロール調節配列結合蛋白)-1という転写因子であることが近年わかってきました。SREBP-1はそれ自身の量が劇的に変動し、食後には数十倍にも誘導されます。この誘導は、主に転写レベルで生じることがわかっていますが、そのメカニズムはまだほとんど解明されておらず、現在さまざまな方法で研究しています。

 SREBP-1に関しても我々はノックアウトマウスを作成し、解析しました。SREBP-1は別名をADD-1(Adipocyte Determination and Differentiation factor-1)とも言い、脂肪細胞の分化にも重要な働きをしていると言われておりましたが、ノックアウトマウスの脂肪細胞には特別な異常はありませんでした。またSREBP-1を欠損すると肝臓での中性脂肪合成系諸酵素は著明に減少するものの、脂肪細胞ではあまり減少せず、肝臓と脂肪とで中性脂肪合成系の転写調節に相違があることが推測されました。さらに遺伝的肥満マウスであるob/obマウスとの交配によりSREBP-1欠損ob/obマウスを作出しましたが、脂肪肝は著明に改善した一方、肥満には差がありませんでした。ob/obマウスの脂肪細胞ではなぜか肥満の進展とともにSREBP-1も中性脂肪合成系諸酵素もその発現が低下することがわかり、脂肪細胞での中性脂肪合成は肥満にあまり寄与しないらしいことが推測されました。ob/obマウスの脂肪細胞におけるSREBP-1の抑制機構はインスリン抵抗性とおそらく関係しているものと思われ、そのメカニズムに関しても現在研究中ですが、腫瘍抑制遺伝子であるp53が一部関与していることを最近明らかにしました。p53はゲノムDNA損傷時に誘導されることはよく知られていますが、その他にも様々なストレス下で活性化を受けることが知られており、今回、肥満動物の脂肪細胞でp53が増加していること、p53がSREBP-1及びに中性脂肪合成系酵素の発現を抑制することを我々は発見しました。このことも示唆しているように、インスリン抵抗性とは、過栄養状態においてそれ以上肥満しないようにするネガティブフィードバック機構であり、合目的性を持った生理現象としての一面もあると我々は考えています。

 SREBP-1は脂肪細胞で特異的に発現するトランスジェニックマウスを作成すると著明なインスリン抵抗性を呈することが知られています。このマウスは脂肪細胞の分化異常が見られ、一種の脂肪萎縮症候群となります。脂肪萎縮症候群はヒトでも知られていますが、インスリン抵抗性や耐糖能異常を伴うことが多く、脂肪細胞の機能とインスリン抵抗性の関係が非常に注目されています。インスリン抵抗性改善剤として糖尿病の治療に広く使われているチアゾリジン誘導体製剤(ピオグリタゾンなど)はペルオキシソーム増殖応答性受容体(Peroxisome Proliferator-activated Receptor; PPAR)γのリガンドであり、PPARγ受容体は脂肪細胞の分化を促進することからも、脂肪細胞の機能とインスリン抵抗性の関係がいろいろ考えられています。

 

肥満/インスリン抵抗性の成因(3):自然高血圧発症ラット(Spontaneous Hypertensive Rats; SHR)について

 自然高血圧発症ラット(Spontaneous Hypertensive Rats; SHR)は高血圧症のモデル動物として有名ですが、実はこのラットは当初は耐糖能異常を目安に選択して作られた系統で、後から血圧も高いことが判明したという経緯があります。実際、SHRは高血圧に加え、インスリン抵抗性や脂肪細胞のhypertrophyなども呈し、インスリン抵抗性症候群のひとつの非常に興味深いモデル動物です。QTL解析によって脂肪細胞のインスリン抵抗性の原因遺伝子座を探索したところ、4番染色体に脂肪細胞のインスリン抵抗性遺伝子が存在するらしいことが判明しました。面白いことにその場所にはQTL解析上、高血圧遺伝子の存在も示されました。このことは単一の原因遺伝子がインスリン抵抗性と高血圧の両方に作用しているか、またはこれらの原因遺伝子がゲノム上で非常に近い位置にあることを示唆しており、インスリン抵抗性症候群の病態を考える上で非常に大きな手がかりを与えてくれる可能性があります。現在、QTL解析で同定された領域に関し、さらに詳しい遺伝子変異の探索を行っています。

 

動脈硬化病変でのコレステロール代謝について

 以前より粥状動脈硬化巣にはコレステロールエステル(コレステロールと脂肪酸が結合したもの)が多量に存在することが知られていました。病変形成のごく初期からコレステロールエステルをたくさん取り込んで泡沫化したマクロファージが認められます。このことと、高脂血症が粥状動脈硬化症のリスクファクターとなることなどからマクロファージの泡沫化機序やコレステロール代謝に関しては多くの研究がなされてきました。

 マクロファージはどのようにコレステロールを取り込むのでしょうか?マクロファージのリポ蛋白受容体としてはLDL受容体や数種類のスカベンジャー受容体が知られています。LDLそのものはあまり取り込まれませんが、LDLが酸化されるとスカベンジャー受容体を介してよく取り込まれるようになります。またapoEに富んだβVLDL粒子もマクロファージによく取り込まれますが、LDL受容体欠損マウス由来のマクロファージでは取り込みが非常に弱く、LDL受容体がβVLDLの主要な受容体であることがわかりました。また我々は最近血管内皮細胞に発見されたスカベンジャー受容体であるScavenger Receptor of Endothelial Cell(SREC)に関しても現在解析中です。

 チアゾリジン誘導体薬は上述のようにインスリン抵抗性を改善しますが、高脂血症モデルマウスの動脈硬化症の治療に有効であることを我々は示しました。この作用のひとつの機序として、マクロファージのスカベンジャー受容体のひとつであるCD36の発現が増加することを見い出しました。

 また我々はマクロファージにおいてコレステロールエステルを合成する酵素であるAcyl-CoA Cholesterol Acyltransferase-1(ACAT-1)のノックアウトマウスを作成し、動脈硬化病変の評価を行いました。ACAT-1の欠損は動脈硬化病変を多少軽減したものの、意外なことにかなりの量のコレステロールの蓄積を伴う粥腫形成が見られました。また高脂血症モデル動物に見られる皮下黄色腫に関してはACAT-1欠損が悪化させることがわかりました。これらの事実は、エステル化できない状況では細胞内コレステロールは細胞毒性を持ちうることを示唆しています。

 一方、ホルモン感受性リパーゼ(Hormone Sensitive Lipase; HSL)は細胞質にあって、中性脂肪のみならずコレステロールエステルをも分解します。ところが、我々の作成したHSL欠損マウスのマクロファージを解析したところ、細胞質のコレステロールエステラーゼ活性に低下はありませんでした。すなわちHSLはマクロファージの主要な細胞質コレステロールエステラーゼではないことが判明しました。この正体が何であるかの探索は今後の重要な課題のひとつです。

 しかし、アデノウイルスを用いてマクロファージ系培養細胞にHSLを過剰に発現させるとマクロファージの泡沫化を抑制することがわかりました。この現象には、コレステロールの細胞外への搬出(Efflux)の増加が関わっていることも明らかになりました。この方法は粥状動脈硬化症の遺伝子治療に応用できる可能性があります。

 

コレステロール合成系およびVLDL産生について

 動脈硬化症の悪化因子となるVLDLやLDLなどのリポ蛋白はそもそもなんのために存在しているのでしょうか?あるいはコレステロールというものはどんな役に立っているのでしょうか?こんな素朴な疑問を持つことこそが学問の出発点です。我々もいつかこうした問いに答えが出せるようになればと思っています。

 コレステロール合成の生理的意義を知るひとつの手がかりを得るために、我々はコレステロール合成に関わる重要な酵素であるスクワレン合成酵素(Squalene Synthase)のノックアウトマウスを作成しました。このマウスはヘテロ欠損型は見かけ上野生型と変わらず、コレステロール合成も同等でしたが、ホモ欠損型は胎内で死亡し、致死的でした。コレステロール自体は母体からも供給されうるにも関わらず、致死的になったことは興味深い結果でした。

 リポ蛋白の存在意義に関しては、低βリポ蛋白血症や無βリポ蛋白血症といった低脂血症症例が参考になります。これらはapoB遺伝子異常やミクロソームトリグリセリド転送蛋白(Microsomal Triglyceride Transfer Protein; MTP)の遺伝子異常で生じ、著明な低脂血症と脂肪吸収障害や脂肪肝などを呈しますが、脂溶性ビタミン特にビタミンEの欠乏症状以外の症状はなく、血中脂質の低値そのものの影響は特に認められないようです。我々の研究室では低βリポ蛋白血症や無βリポ蛋白血症の遺伝子異常を解析し、また外来治療を行っています。まだ原因の同定できない低脂血症症例もあります。それらはリポ蛋白分泌に関わる新たな遺伝子の発見の手がかりになる可能性もあり、その場合にはMTP阻害剤のように、臨床応用の可能性も生まれて来るかもしれません。

 

あとがき

 我々の研究室ではこのように肥満と動脈硬化を中心に代謝学の研究を続けております。しかし代謝学の対象は何もこうした疾患だけではありません。代謝学とは、様々な生命現象をエネルギーの出納から眺める学問です。生命現象の経済学と言ってもよいかもしれません。つまりその研究対象はあらゆる生命現象です。実際、細胞の増殖、分化、老化、アポトーシスなどは細胞の栄養条件に大きく左右されることが知られています。例えば酵母でも線虫でも昆虫でも脊椎動物でも、おそらくヒトでも、食事摂取量を制限すると寿命が延びることがわかっていますし、肥満や糖尿病は悪性疾患のリスクファクターでもあります。代謝症候群の病態解明とともに、老化や癌化と言った現象をも包括する普遍的原理の発見が我々の夢であります。

 

 

ページの先頭に戻る


TOP 概要 テーマ 業績集 解説 募集! リンク