[TOP]
一 角 獣 の 微 睡

341:[ 秋篠宮妃紀子さまがご懐妊 ]

本当は、ここで男の子が一人生まれたところで、事態はそれほど好転するわけじゃない。ほんのちょっと先送りになるだけのこと。
本当は、女系を認めたところで、そもそも子供が全く生まれなかったら、どうにもならない。
そうなればもう天皇制の自然終了の時期と言うことでしょう。八百万の神の思し召しです。何かの時にどうしても象徴が欲しければ、CGかなんかで作成して……。

それにしても何百年も前に別れた家系に移るのは国民感情が許すかどうか、なんてことを危惧する有識者も有るらしいけど、だったらなんで戦前までは宮家としておいたんですか。お飾りでもあるけれど、やっぱり予備でもあったわけでしょう。

胡思02/08

340:[ コイズミ  カンゲキ ]

貴方がコイズミのやばさに初めて気付いたのは何時ですか。
私はかの大横綱が怪我をおして鬼の様な形相で優勝したとき、「カンゲキした」とか叫んだでしょう、あの時です。あれ以来カンゲキされた人のほとんどがポシャったね。
昨今の中国や韓国にあれほど嫌がられているのに、頑固に靖国にこだわるのも、あそこに祭られている人々の多くにカンゲキしているからでしょう。
やたらとカンゲキする首相というのは迷惑なんです。カンゲキしてないで説明してあげて欲しいんですがね、どうしても必要なら。
あんまりカンゲキされていると日本自体がそのうちポシャりますよ。

胡思02/08 13:43

339:[ 秋篠宮妃紀子さまがご懐妊 ]

やみくもに皇室典範を改正するよりは、とりあえず変成男子の法を修するべきでしょうなあ。少なくともそのほうが伝統には叶っている。

云爾02/07 15:22

338:[ 買える ]

ホリエ某は「人の心は金で買える」と宣ったそうだが、嫉みとか憎しみとか恨みとかは購えないのではなかろうか。

例えば使い道が無いからとポンと一億ほども投げ出してくれたら、尊敬はするかも知れないが軽侮の念、嫌悪の情は消えないと思う。

胡思01/20

337:[ 禮不下庶人 ]

禮記・曲禮上曰:禮不下庶人,刑不上大夫。

かのごじんは法律にひっかからなければなにをやってもいいとうそぶていたのだから、やばくなればそりゃ刑罰がおっかけてくるわなあ。

云爾01/20 15:22

336:[ ガリバーもね ]

私は人よりも些か足が大きいらしい。そんで、脱いだ靴を見た人が「わぁ~ガリバーみたい!」と良く言われる。

えっ?「ガリバーって一般人でしょ?」
リリパット国(小さな人の国)・ブロブディンナグ国(大きな人の国)ってそれぞれにも行ってるんじゃなかったっけ?
中学生の時に読んだっきりだから記憶が定かではないけど・・・そうだったと思う。

だから「イメージ」だけで動いちゃうと
http://nobo-y.hp.infoseek.co.jp/nk_kako2.htm
こんな施設作ってポシャるんだよねぇ・・・計画段階で誰も「善本(この場合は完訳本か?)」見てなかったのかいな?

 ガリバーが(百歩以上譲って仮に大きな人としても)数百年の時を越えて日本に再上陸したなら、捉える必要があった!と言うテーマが隠れているならしょうがないけどねぇ・・・日本人はヤフーかぁ?
それともその施設がある土地に対するブラックジョークか?

尾乙闌 01/09 19:12

335:[ 八犬伝と水滸伝 ]

正月に民放で八犬伝を放送した。だいたい想像がつくから観る気も無かったが、チャンネルをがちゃがちゃやっている内に、一瞬みえた。やっぱりひどかった。
昨年、水滸伝を全面的に書き直したとかいう流行作家がいた。評論家諸氏がえらく好意的だから、本屋でちょっとだけ立ち読みしたけれど、いやひどいもんです。一本筋が通ったって?理に落ちただけじゃないか。あんたら本気か?!

云爾 01/09 08:18

334:[ 素問流? ]

 『素問攷注』とか読んでいると案語に治験例みたいなのが散見される。それは『素問』流なのかなぁ?
 大分前に某湯液講習会に参加した折「アガリクス茸・メシマコブ茸の使い分けって何?」という話になって『遊相医話』の「椎茸・木耳の違い」を思い出して紹介したらドン引きだった・・・。
 香港行ったら入れ歯を作ろう!

尾乙蘭 01/08 11:47

333:[ 霊枢流針術概要 ]

昨年までに『霊枢』流針術をほぼ解体したつもりです。
今年はいよいよ概要を取り纏めにかかります。
そして来年こそは、『霊枢』流針術入門をはたしたいと思います。
なんとも悠長なはなしですが、結局、私にはこうした道のりしか無かった。
近道を捜して(私にとっては)横道を彷徨っていたようです。
さて、今ごろ入門していて、上堂できるのはいつのことやら。

神麹斎 01/01 06:59

332:[ 酒亭のエンブレム ]

酒亭のエンブレムを変更しました。
一針を一角に見立てたものです。
もともとそのつもりだったけれど、わかりやすくしました。
一角獣の角が医療として有効である、という伝説も絡んでます。
もっとも、これは服用かも知れません。犀角もね。
でも、お毒味役が角の先で料理に触れてみる、なんてことも有ったみたい。
勿論、一角獣と言ったって、イッカククジラでしょうがね。

一角を一針に見立てたって、そんなにおかしくはない。

神麹斎 12/16 08:16

331:[ 美しい ]

大量誤発注に、しめたとばかりに食らいつき、
誤発注と認識しながら多額の売買益を得るのは美しくないと批判され、
証券六社が相談の上、利益返上の調整に入った。

美しくないなあ。

云爾 12/15 08:15

330:[ 琴瑟 ]

『全訳漢辞海』(三省堂)をながめていたら、
 琴:……琴柱のないもの。
 瑟:琴に似ているが、琴柱のあるもの。
とありました。変だと思いません?ついでに言えば、
 琴柱:琴の弦をささえ、音の高低を調整する柱。

琴に無いものを琴柱とよぶのは異なもんでしょう?
本当は広義の琴と狭義の琴が有るんでしょうが、説明は無いですね。

私、音痴だし、楽器もまったくダメだけど、家紋が琴柱なんです。皮肉なもんですねえ。

ちなみに、「琴柱に膠す」という諺の原典としては『塩鉄論』が引いてありますが、「膠柱而調瑟」と瑟でした。琴ならもともと琴柱は無くて、つまり膠するまでもなく固定されている?
 

神麹斎 12/05 17:38

329:[ いざと さっさと ]

医療行政が、いざという時のために備蓄を心がけるのは当然だ。
だけど、備蓄が有っていざとなった時に、使うかどうかは、再び悩むべきではないか。
効く薬には当然ながら(?)やばい副作用が有る。
四日程度、発熱が続いて、それでおさまるのなら、じっと待つのが最上の手だてである。
四日間の発熱に絶えられない(かも知れない)年少者や高齢者や、しんどい病気を抱えた人には使いたいわけだけど、副作用の影響も強そうだから、悩みは深いはずだ。
でも、さっさと投薬して、さっさと解熱させる医者のほうが「名医」である。儲かる。忙しいビジネス戦士や真面目な児童生徒(の親)にも感謝される。
勝手にすれば!!
「……日本では16歳以下の患者で延べ1160万人が服用しているのに対し、米国では19歳以下で約87万人と推計されている。……」
そりゃ、副作用による事故も多いわなあ。

云爾 11/21 08:22

328:[ あたらしいはあらたしい言葉 ]

藻屑蟹懐かしいです。久慈川や那珂川に蟹網を仕掛けてとったものです。
一年で大きくなる上海蟹(シナモクズガニ)の放流・養殖は、大きくなるのに二年かかる日本の藻屑蟹を駆逐してしまうと言う記事を読んだ事があり、そのうちに幻の味になってしまうのでしょうね。
 恥ずかしながら我が故郷の例

http://www.kanto.maff.go.jp/chiiki/genchi/gj0412/04121101.htm

環境省ホームページ「モクズガニ」検索
http://websearch.e-gov.go.jp/cgi-bin/common.cgi

寄生虫にお気をつけ下さい。包丁・俎板は要消毒です。
モクズガニで飲みたくなっちゃった・・・。

尾乙蘭 11/21 00:46

327:[ モズクガニ ]

先日、台所でガサゴソプクプクいうのを覗いてみたら、モズクガニでした。上海ガニと同じ淡水産のカニです。母親が近所のスーパーで見つけて買ってきました。多分、揖斐川か長良川の産だろう。雑誌の紹介記事では、ミは少ないけどミソが上手いといってましたが、どうしてどうして結構ミも詰まっていて、ひとり2はいが限界で3はいめはお互いに譲り合って(押し付け合って)しまいました。で、お値段なんですが、大きい小さいはあるけれど9~10はいで300~350円!申し訳ないみたい。なんかの間違いじゃなかろうか。後日、百貨店の食料品売場でメスが1ぱい350円でした。そう言えば母親が買ってきたのは皆オスでしたが、それにしてもねえ……。

全国に結構いるとは聞いていたけれど、実は始めて食べました。異常気象のせいなんだろうか、川が復活した(嘘でしょう!?)のだろうか。

神麹斎 11/13 08:23

326:[ 人工芝という叡智 ]

N大学の総合グランドが今月、土から人工芝に生まれ変わり、サッカー部、アメリカンフットボール部などの練習環境が大幅に向上した。……人工芝化は、近隣住民から寄せられた土ぼこりの苦情などがきっかけ。(A新聞のコラムより)

なるほど、なんとか地球博の“自然の叡智”というのは、そういうことだったんですか。

云爾 10/29 14:23

325:[ 清濁 ]

単に清潔な水を用いて弱火で炊けというだけのことだと思いますがね。古典医学からなんとか神秘の衣をはぎ取りたい人と、どうしても玄妙不可思議のままにしておきたい人がいるということですかね。その他に「長い間日光に当たると,山間の瘴気が消される」というのを、「硬水が軟水に変化するのではないか」などと考えて、科学的証明に努力するような人も有るでしょうなあ。

唐辺睦 10/27 09:38

324:[ 流水 ]

謝観の『中国医学大辞典』にどうして千里も流れた水を使うかというと,それだけ長い間日光に当たると,山間の瘴気が消されるからだという。日本人なら,山の湧き水を尊ぶけれど,かの国の古代人は考え方がちがっていたらしい。

千里 10/26 23:40

323:[ 流水千里以外者 ]

廖育群の『医者意也』の中に、『霊枢』邪客篇の半夏湯の制作方法について、「どうして千里以外の流水を用いる必要が有るのか?沸かすのに用いる燃料と薬効との間にどんな関係が有るのか?もしも“科学”に沿って思索したのでは、永遠に答えは出ないだろう」と言っている。
そんなことは無い。たまたまずっと後代の書物しか知らないから説得力は弱いとは思うが、清の顧仲の『養小録』という飲食を論じた書物に取水蔵水法という項が有って、「港に通じるような長流に、夜半過ぎ、舟の通行しない時刻に、舟を浮かべて流れの真ん中に行く」と言っている。生活汚水が混入しないようにということらしい。そこまでしたって、中国の河川の水はおおむね濁っている。そこで、それを甕に蓄えて攪拌し、沈殿させて、上澄みを取り、そしてまた攪拌して、と苦労して泉の水に匹敵する水を得ようとしている。多分、古くから清澄な水を得るには、そうした苦労は常識だったのであろう。
燃料に葦薪を用いることに至っては、李時珍の『本草綱目』に、弱火で炊くのであると説明が有る。
どうして「永遠に答えは出ないだろう」などと言うのか、不審である。
ただし、どうして秫米と半夏が材料なのかとなると、廖育群が主張するように、薬効を科学的に分析したうえでのことではなくて、どちらも粘りけが有って「滑」の性格であるから、「陰陽の気の不通」を治す力が有ると考えたから、かも知れない。そもそも水が清澄でなければ効かないというものでも無かろう。だから、中国古代医学は、やっぱりややこしい。

神麹斎 10/18 11:54

322:[ 満而約 ]

つまり、満して約するのが理想ではあるけれど、満しないうちに約してもそこそこの臨床家にはなれる可能性が有る。満しないからと言って、いつまでも約することが無ければ、いつまでも何者にもなれない。

自戒です。

神麹斎 09/25 14:36

321:[ 願わくは工と為らん ]

『霊枢』禁服篇
黄帝曰:夫約方者,猶約嚢也,嚢滿而弗約,則輸泄,方成弗約,則神與弗俱。
雷公曰:願為下材者,弗滿而約之。
黄帝曰:未滿而知約之以為工,不可以為天下師。
雷公曰:願聞為工。

いくら知識を詰め込んでも、それを統合し整理して、運用できるようにしなければならない、というくらいの意味に理解して良いだろう。ところが面白いことに、雷公は満してないけれども約したいと言い、黄帝にそれでは工つまり上手な治療家にはなれても天下の師にはなれないとたしなめられ、それでもなお工になりたいと言う。本当の知識は不足しているけれど、取りあえずマニュアルが欲しい。ここに実用的な臨床家に適した人がいる。誤解されないように言っておくけれど、黄帝はそれを本気で咎めたりはしていない。

神麹斎 09/24 17:31

320:[ 無題 ]

「外経」は、政教一致です。唯我独尊です。

開祖 09/20 11:06

319:[ 信じているから救われているかも ]

「政」は有った!少なくとも初めての皇帝が文献上で自分の名前に使っていた…らしい。それを「まつりごと」と訓じるか?否か?はカミサマを信じるか?ホウリツを守るか?の違いぢゃないの?
 今日は毎日あってほしいね。
外経って政教分離しちゃってたのかなぁ…だったら面白いのに…穴掘れ!早く!その前に穴掘る国が政教分離してね♪

南無阿弥御陀仏 09/20 00:11

318:[ 無題 ]

侠もね

同行者 09/19 15:25

317:[ 無題 ]

政教分離って……、政なんて有ったかしら、って、教なんて有ったかしら、よりはましかしら……

狂は有ってほしい

傍観者 09/19 15:21

316:[ まぁどんな ]

 K氏はエライ!投票率上がったら議席數減らした連立与党を切らなかった!それもミホトケのご過誤。
 政教分離って内経でもできてないんだからねぇ…。

南無阿弥御陀仏 09/19 10:38

315:[ K氏とそれをとりまくマドンナたちの政府 ]

女と子供を行進させれば、男なんてものは、その後からついてくる、と言ったのは誰だったっけ。今回のマドンナたち、何だか情況が、似ているような気がしませんか。

云爾 09/19 09:34

314:[ 人気投票 ]

おそらくあのころ、「日米開戦、是か非か」と国民投票をやってたら、圧倒的多数で開戦だったろうね。
おそらくあのとき、「無条件降伏、是か非か」と国民投票をやったら、ひょっとすると「玉砕すべし」ということになったんじゃなかろうか。
別に憲兵が怖かったとか、そういうことじゃなくてね、所詮、威勢がいいほうが人気が有るのよ。

唐辺睦 09/12 09:25

313:[ 白紙委任ではない ]

総会に出席できないというと、大抵「では委任状を出してください」と言われる。そう言われても出したことは無い。そういうわけにはいかない。出席しない私が悪いには違いないが、それが議決権の放棄になるのは我慢するとして、多数派に賛成したことことにされてはたまらない。
例えば、いくつかの問題について明快に賛否を問われる総会であって、それについては友人に託しても良いか、と思うことは無いでもない。しかし、付随して出てきた動議についてまで託すわけにはいかない。全く別に出てきた提案に関して「委任状が有る」などと押し切るのは、そもそも詐欺である。
そうそう一蓮托生などという友人がいるわけも無いから、白紙委任状なんぞを出すわけにはいかない。

云爾 09/12 07:57

312:[ 明澄な宗教 ]

> 明治以来、「仏教は本来合理的、理性的、科学的な宗教であり、かつてインドには純粋で明澄な原始仏教なるものが実在した」という誤った考えが横行していた。

有ったんだったらそれを選ぶ、無ければ創る。

云爾 08/30 13:06

311:[ 腎間→跗上→神門 ]

308がちょっと分かりにくかったらしくて、質問が有りました。分かりにくいのはこれに限ったことじゃないですけどね。

生き死にの判断は根本的には臍下の腎間の動気で診るべきものだったのではないか。それを衝脈を通して跗上で診ることが工夫され、やがて人迎気口が左右の腕関節部に異動させられたときに、跗上の診処も腕関節部に移動して神門の脈になったのではないかということです。
余計に分かりにくくなったかな。

神麹斎 08/29 10:46

310:[ 急急如律令 ]

「わたしのまじないは未然に防ぐにとどまる。もうこうなっては、わたしの力の及ぶ限りではない。聞くところによると、四明山の頂上に鉄冠道人という人があって、鬼神を鎮める法術を能くするというから、それを尋ねてみるがよかろうと思う。」
これは『剪燈新話』で、主人公に幽霊よけのまじないをしてやった魏法師の科白である。これによってみれば、未病を治すこともさることながら已病を治してくれる医者も尊いものである。いや、少なくともこの話では、魏法師よりも鉄冠道人のほうがかなり格が上である。余計な口をきいて道人を煩わせた法師は、「いつか唖になって、口をきくことが出来なくなっていました。」

神麹斎 08/25 08:52

309:[ あほらしい ]

優勝候補が出場を辞退し、優勝校が優勝旗の返還を余儀なくされる。
もういい加減、不祥事続きの大会は廃止すべきなんじゃないか。

云爾 08/23 12:57

308:[ 三つの脈動 ]

脈の診処として常用できるほどの脈動は三箇所有る。人迎と寸口と附陽の脈である。人迎と寸口は上下のペアとして人迎寸口診となり、さらに左右の人迎寸口診と変身する。附陽の脈の伝統は立ち消えになりそうにしながら、どっこいしぶとく神門の脈として復活する。
三つの脈動は事実であり、後の説明は虚構である。虚構が無ければ臨床に応用することはできない。

左右の人迎寸口診と神門の脈の臨床的威力を喧伝するグループでは、死の直前まで神門の脈を診ることができたという者に対して、見間違えじゃないのかとしか言えない。すくなくとも、では附陽の脈はどうだったのか、と問うべきではなかったか。

神麹斎 08/19 08:41

307:[ 唐代の冷房病 ]

……酷暑のある日、涼殿で涼を取っていた玄宗のもとに、ご意見番の陳知節がやってきた。人主たるものが一人涼殿に納まるのは何事か、と諫めるためである。建物は四方の庇から水が流れ落ち、簾のように外気を遮断し、室内に冷気を満たす。陳はひんやりした石の椅子を与えられ、そのうえかき氷を賜った。とたんに背中がゾクゾク、お腹はゴロゴロ、やっと許されて門を出たところで、堪えきれず粗相をしてしまった。玄宗はといえば、そうしたなか水で回る扇風機の強い風にあたり、なお噴き出る汗を拭うのに忙しかった。……

講談社・中国の歴史06『絢爛たる世界帝国 隋唐時代』からの引用です。

神麹斎 08/08 08:05

306:[ 不祥事と黙祷と ]

もう高野連なんぞにえらそうなことを言わせるのはやめようよ。

云爾 08/06 17:44

305:[ 熱か寒か 補か瀉か ]

陰陽虚実を指標として,陽実、陽虚、陰実、陰虚の四類別と定めてみて、そしてやがて陽実ではないけれども陽実として治療するという逸脱がはじまる。つまり,陽実という激しい症状を表現できないでいる状態,あるいはすでに陽実の激しい症状は終息したけれども後遺症状があるものとして,「陽実と見なして治療する」ということが流行する。次いでまた陰実という激しい症状を表現できないでいる状態,あるいはすでに陰実の激しい症状は終息したけれども後遺症状があるものとして,「陰実と見なして治療する」ということが発想される。さらにまた『素問』熱論の「熱病者,皆傷寒之類也」を演用、敷衍して,あらゆる病は寒に傷なわれて,熱を病むに至るまでの諸相として一元化を試みる。そこで陰実として治療しようとする試みと,陽実として治療しようとする試みが併行する。そして今さらに,いっそのこと双方の治療を同時に行ってしまうという試みがはじまっている。
陽実に対しても,所謂古典派はそれと裏腹に在る陰虚を目標に治療したがる。例えば,肺虚の陽実という,考えてみれば器用な名前で,少商、魚際を補おうとする。実は他に例えば,金門を瀉す。金門を瀉すというのはすでに教科書からは逸脱していると思うが,実効性を無視できないからである。そして実践を通じて次第に,本当に有効なのは金門の瀉ではないかという認識が生まれ,最近に至っては瀉すべき穴を金門以外に求める試みも生まれつつあるやに聞く。
そもそも経絡治療方式に拘泥するものは補を重視するが,本当は違うのではないか。特に針術においては違うのではないかと考えている。『霊枢』九針十二原の「写曰迎,迎之意」云々は,少々乱暴であっても確実に奪えと言っているのではないか,それが治療家の果たすべき役割ではないか。そして,それは実は湯液では難しく,針術の独壇場なのかも知れない。無論「補曰随,随之意」云々だって重要には違いないが,これは正気が満ちてくるのを気長に待たなければならない,言い換えれば患者の側の問題であって,また薬物、食餌のほうが得意な分野かも知れない。(これは方針のことを言っているのであって,徐疾の補瀉はこれとは次元の違う,即ちテクニックの問題である。)
したがって,原因あるいは引き金としての寒を奪い,現症状あるいは未発あるいは後遺の症状としての熱を奪いさえすれば,あとは患者が勝手になおっていく,逆に言えばそれ以上のことは,治療家には出来ないのではないか。

神麹斎 08/02 09:13

304:[ 虚実補瀉 ]

むかし、学会に講演を依頼されて、「経脈の虚実に対して補瀉する」と一こと言って壇を降りた臨床の大家がいたと聞いた。凄い人がいるものだと思った。

今も凄いとは思うけれど、疑問にも思う。古典中の針術は、果たして「経脈の虚実に対る補瀉」だけだろうか。少なくとも『素問』、『霊枢』の時代には、そこまで割り切ってはいないと思う。病気は余計なものだから、須く瀉すべきである。精力を保とうとするのだから、須く補うべきである。気が滞らなければ健やかなはずだから、気を導けば充分なはずである、なにも足すの削るのと拘ることは無い。等々。

でも、こういう凄い人が、臨床の大家になるんだろうなとは思う。

神麹斎 07/07 23:32

303:[ 健康ホラー番組 ]

今、大嫌いなテレビ番組の一つに、「こんなに怖い」云々というのが有る。
思えば、テレビの番組にはNHKの教育番組に病院勤務の西洋医が登場して訥々と語るのから始まって、タレントとやらが、こんなに身体に良いんですよと宣う健康番組を経て、病気恐ろしいの脅し番組が登場したということだ。あれが脅し番組であるのは、そのナレーションの口調からも明らかである。全くホラー番組ののりである。
昨今、マスコミをにぎわしている、住宅リフォームの悪質脅しと同じ空気を感じる。それを番組制作者は、多分、気付いている。受信者は気付いてない。私の健康を気遣ってくれる、ありがたい番組だ、なんてね。リフォーム業者だって、そう思われたから被害続出なんでしょうが。いや、番組は善意だ、ですって。だったらあの脅し口調は何なんですか。脅したほうが視聴率が上がりますか。全く下品なんだから。
大嫌いです。

云爾 07/05 21:32

302:[ 万物斉同 ]

>もし、自分が単なる物質だと思ったら、人々は信念や情熱を失ってしまう。魂が死後も滅びないと信じるからこそ、投げやりにならずに目標を定め、努力することができる。

そうだろうか。残念ながら人間もやはり物質であり、死とは魂もが滅びることである。それでも「むなしくない」と心底から思えたら、つまりそれが悟りというものではなかろうか。魂が不滅でなかったら目標を失うというのは、所詮はご褒美が無ければ頑張らないという子供と同じである。普通はそれが事実であるが、威張って言うことではない。

云爾 06/30 08:49

301:[ One World One Dream ]

「一つの世界、一つの夢」って「一つの中国、一つの夢」のパロディですか。

云爾 06/28 18:17

300:[ 乾燥した感想 ]

戦争体験を話し聴く催しの後に、若者に感想文を書かせ、そのあまりにも日常的な感情表現を批判するのが、マスコミの一パターンとなっている。「戦争だからといって肉親を手にかけるなんて信じられない。」「いや、極限状態においては……。」それはいらだつのはわかる。でもね、話して聴かせて、「感動を予定して」感想文を書かせるという手順にも、いらだつんだよね。語り終えて、しばらくの沈黙ののちに静かに解散する。そういう具合にしてもらえないだろうか。

云爾 06/21 10:27

299:[ 数えなくても ]

数えなければ、例えば、それが28羽であることは分からない。でも、30羽くらいというのは、訓練次第で直観できるかも知れない。そして、28羽であることを知るのと、30羽くらいであるのが分かるのは、本来等価値であるかも知れない。28羽であることを知らなければならないと考えること自体が、近代合理主義に束縛されているのかも知れない。

云爾 06/12 07:33

298:[ 魔法について ]

西洋科学が「変化やまない非同一で流動する自然世界」を観測する方法でないのはわかった。では中国哲学は「自らも変化しながら」それを観測する術を、本当に持ち合わせているのか。すくなくとも現代古典派医術においては、はなはだこころもとないと思う。そもそも制止し統御しないで把握することは、人間に可能な領域なのか。円周を知るのに分割して統合する以外の方法が有るのか。凝視して直感するなどと言うことは、魔法であって数学ではない。魔法とは、電線にとまる雀の数を、数えないで直観する方法のことです。それはそれで価値無しとはしない。でも人に出来ることなのか。出来るつもり、あるいは憧れにすぎないのではないか。四五羽なら出来る。でも数十羽でも出来るのか。訓練次第などと言えるのか。

神麹斎 06/11 15:53

297:[ 『医者意也』 ]

 風度教授の押し出しは、天庭飽満、地角方円、気度不凡である。号して「男性不育」を専ら治すと称する。ここにおいて予診をするものは当然ながらこの類の患者をぞくぞくと風度教授の診察室に送り込む。時久しくして、「男性不育専家」の名声はいよいよ高まる。だから、「継続は力なり」という諺は忘るべからざるものである。風度教授の机の上には、一枚の嬰児の写真が押さえてある。「見たまえ、この子は私の薬のおかげで生まれたのだよ!」ただし、長年にわたって私はこの一枚以外の写真を見たことがない。思うに他の患者は女房が懐妊し出産したときに、興奮のあまりその喜びを風度教授におすそわけするのを忘れたのだろう。風度教授が医師やインターンを指導し、あるいは海を渡って「男性不育」を如何にして治するかを講義するに際し、その道理は極めて簡単である。「不育の源は精液の不足であり、だから補陰が必須である。もしみだりに助陽の品を用いると、必ず性欲を亢進させ、さらにその陰を損じてしまう。」治療の処方もはなはだ簡単である。「六味地黄丸」。あなたはこれを中国哲学と伝統医学の見事な結合でないなどと言えますか?あなたは医学と「易学」には関係ないなどと言えますか?

以上は、『醫者意也 認識中國傳統醫學』廖育群著 東大圖書股份有限公司 臺北 2003年8月 より。

 お勧めします。

蔭軒 05/30 13:46

296:[ 老婆心ながら ]

言うまでも無いとは思うけど、「いっそのこと」は、靖国への参拝を批判する中国や韓国に対して内政干渉という、日本の政治家をおちょくっているんですよ。

云爾 05/27 09:02

295:[ いっそのこと ]

いっそのこと、北京や上海の日中不再戦の碑の前に「A級戦犯」の銅像をひざまずかせて、「石を投げたい人は、これにぶつけなさい。日本料理店に乱暴するのは禁止します。」とでも看板を立てたらどうでしょう。

靖国神社への参拝をツベコベいうのは内政干渉。
「A級戦犯」像をどうあつかおうとツベコベいうのも内政干渉。

云爾 05/27 08:56

294:[ 油炸檜 ]

2005年5月22日発行の南条竹則『中華文人書物語』に「油炸檜」の話が載っている。つまり憎っくき秦檜を煮えたぎる油鍋に放り込んで引きずり出して噛みつこうというものである。(普通には油条、さらにかみくだいて中華風揚げパンといわれるもののことです。)
昨今、歴史認識がどうのこうのという話題が巷を騒がしているが、もともと「死者を鞭打たず」と「不倶戴天の敵」の国民性の違いの問題が有る。
杭州の西湖のほとりには南宋の主戦派の将軍岳飛の廟が有って、その前には岳将軍を陥れた和平派の宰相秦檜とその女房と、ひとつ穴のムジナと目される武将二人の銅像が跪いている。傍らに「ツバを吐きかけるべからず」と書いてあったから、つまり吐きかける人が今もって多いと言うことである。わざわざ鞭を持参という人は見かけなかったが、杖でコツコツは数人いた。一応、禁止されてますからね、さすがにガンガンではなかった。
「死者を鞭打たず」と「不倶戴天の敵」と、どちらの国民性が尊いかは分からない。はっきりしていることは、決めるのは被害者のほうであって、加害者にはそんな権利は無い。

神麹斎 05/27 08:17

293:[ 不快感 ]

不快感を表明とか、おっしゃいますがね、例えば貴方の親兄弟を殺した人物の葬儀が、あまりに盛大に執り行われたら不快じゃないですか。例えば町葬にするとか言われたら、冗談じゃないと思いませんか。たとえ他にどんな功績が有ったとしたって。それを不快だと言ったからって、余計な口出しをするなとか、罪を憎んで人を憎まずとか、そんな暢気な言いぐさを許しておけますか。

ただねえ、こちらも不快だからと、席をけって立ち去るというのは、ちょっと拙だと思いますよ。素人じゃないんだから。

云爾 05/24 17:22

292:[ 呉興の凌氏 ]

上海の凌耀星教授のご先祖が、明代の有名な医者であることは知ってましたが、実は印刷の歴史の上でも有名な一族だったんですね。『図説中国印刷史』を読んでいてはじめて気付いたんですが、呉興の凌氏といえば、明代の套印(多色刷り)では先ず一番に指を屈すべき人たちだったんですね。

神麹斎 05/23 21:28

291:[ 攘夷 ]

日本には、実際には自分たちもやる気のない攘夷を迫って、倒幕の手段として利用したという歴史が有りますよね。最近のかの国の騒動、何だか似ているような気がしませんか。

云爾 05/22 17:29

290:[ 気体 ]

「気」ってなんですか?どう説明しましょうか?と問われて、取りあえず、「気体です」、と答えたい、と応ずる。
別にふざけているわけではありません。
要するに「気持ち」とか「気がする」とかいう世界は、取りあえず排除したいということです。
身体は、勿論そこそこ固体であって、でも流れている液体もかなり有って、さらに古代的な考えでは気体がそれをおおっている。王侯たちの金縷玉衣は、魄という気体を逃がさない為のものである。勿論そんなものは無駄であった。若干腐敗を遅らせたらしいけれど、所詮無駄であった。
そんなことよりも生きている間、流れているべき液体を停滞無く循環させ、霧散しかねない気体をつなぎ止めておく。そうした気体の役割、威力について考察をすすめ工夫をこらしたという面が、針治療には有るという気がするのです。

神麹斎 05/18 08:40

289:[ 図説中国印刷史 ]

「しにか」に連載されていた「中国の印刷」が一冊になってましたね。

『図説中国印刷史』米山寅太郎 汲古書院 汲古選書40

自序によると、「旧稿の章段を改め、誤記誤謬を匡し、不足不備を補う」ということですので、新しい読者は勿論、「しにか」の旧号を揃えている人にもお勧めします。

新書紹介 05/10 09:14

288:[ 医術という魔術 ]

治療というものは、突き詰めれば人を騙すことである。首尾良く騙しおおせて、身体を本当にその気にさせれば、大抵の病は治癒するのではないか。
現代西洋医学が得意とするのは修理である。修理と治癒は違う。修理の技術の向上とは裏腹に、蓄積された知識と経験が患者に引導を渡してしまうことが有る。例えば、癌で余命半年と告知された患者に、そんなことはない、治る、がんばろう、などと言っても、その気にさせるのはほとんど無理である。そんなことができるのはインチキ新興宗教くらいのものではないか。
中国伝統医学の場合も、事情はそれほど違わない。東洋の神秘などと嘘吹いているうちは良い。ところが古典の内容を追求することはしばしば、その欺瞞性をあからさまにする行為である。
人を騙す最大の秘訣は、自らが堅くそれを信じることであろう。ところが、欺瞞に気付いた者は、普通は疑い深くなる。ではどうするか、さらに追求を究極まで推し進めて、これだけはさすがに真実であろうというものを探り出して、それを信じる以外に無い。庶わくは最後まで残った一握りの真実に、なお充分な威力が有らんことを。

神麹斎 05/09 19:03

287:[ あぶり出す ]

…戦国時代の史書には、(夏殷周三代の歴史)相互の異質な部分が比較的わかりやすく書かれていて、それがわかりにくくなっているのは注釈のしわざであることが多いので、戦国時代の史書の本文を相互に比較し、これを『史記』本文との比較を交えていくことで、来源が古く遡れる記事を、あぶり出すことができる。…(『中国の歴史』都市国家から中華へ より)

この水準で、所謂中国伝統医学経典著作から、理想的説明と空想的演繹の部分をあぶり出して、実際に体験された経験を拾う作業は、まだほとんど始まってもいないと思う。


神麹斎 05/06 21:10

286:[ 歴史認識 ]

現代中国が他国の歴史認識を声高に非難できるほど、現代中国人の歴史知識はまともなものではない。彼らの知っている歴史などというものは、戦前の日本の国定教科書の歴史とどちこち無い、単純明快かつ下心有る代物である。そもそも中国人にとって、歴史と政治は不可分のものである。従って他国の歴史教科書も当然ながら政治的スローガンと受け止める。
史実よりも史論のほうが大事である。事件よりも理念のほうが尊い。
中国の単純明快歴史の根本は中華思想だろう。台湾も西蔵も中華の不可分の一部である。まともな歴史的には世迷いごとであるが、彼らの政治的には決して譲れぬ正義としてある。
日本に対しては侵略の歴史に対する認識の是正を大上段に振りかざしてくる。これに対しては良識有る者として、反論しにくい弱みが有る。このことにはしっかりとした認識を示し、かつ実効有る政策を施した上で、我々は彼らの中華思想に対して否を言い続けるべきだと思う。

『中国の歴史』の水準で、中国の歴史を認識している中国人なんて一握りもいないだろう。

云爾 05/05 16:27

285:[ 坴or生or圭or扌etc. ]

『太素』巻二・順養の「岐伯曰夫人中熱消癉」の「熱」を、仁和寺本では「坴」を「生」に作っています。そのすぐ後には「坴」を「圭」に作るものも見えますし、もっと別のところでは「坴」を「扌」に作るものも有ったように思います。つまりやっぱり、「こっちの方が書きやすかったから」でしょう。「生」が「勢」→「㔟」において声符のようになったのは偶然じゃないかと思います。
「灬」は「火」です。

「熱の坴を生にした字は見あたらない」は、「ユニコードCJK統合漢字には見あたらない」のつもりでした。

この書き込みって、「太素を読む会」の掲示板のほうが良かったかも知れない。最初が別の話題だったからしょうがないけど。

神麹斎 05/05 12:15

284:[ 思いつき ]

>「㔟」は有るけど、「熱」の「坴」を「生」にした字は見あたらない
「勢」が「㔟」に書かれた原因のひとつは「セイ」という音が関係しているのではないでしょうか。つまり「生」を音符(声符)とする形声文字なのでしょう。だから「熱」の俗字では使用されなかった。
「生」を部品とする「熱」や「陸」の俗字が見つかったら,それはそのひとには音符として書かれたという意識がなかった。どうでしょうか。

菉竹 05/05 08:09

283:[ 俗字 ]

書きやすかったからか、それとも格好いいと思ったからか。
書きやすさは説得して正字体に改めさせることも出来るだろうが、格好良さはなかなか改めにくい。それでユニコードにしょうもない字形が含まれる。迷惑なのは苗字や地名に使われたかどうかの偶然に拠るから、有ったり無かったりということ。「㔟」は有るけど、「熱」の「坴」を「生」にした字は見あたらない。仁和寺本『太素』で使われていると思うけどね。
いっそ正字体しかない方がすっきりする。

神麹斎 05/05 07:04

282:[ 『中国の歴史』02の著者 ]

Firefoxでは,「勢」の異体字は表示されるが,エクスプローラーでは見ることができませんね。「坴」(これもエクスプローラーでは見られないかな?)が「生」になったのは,こっちの方が書きやすかったからでしょうか。

Firefox 05/05 00:47

281:[ 「都市国家から中華へ」 ]

…ステレオタイプという言葉がある。決まり切った型や、ありふれたやり方を意味するが、多くの人が確たる根拠もないまま抱いてしまう幻想的常識になりがちなところがある。この常識は、人々が共有する思いを吸い寄せているから、多くの場合、それが常識であることが疑われないという性質がある。
 だから、仮に「事実」がこのステレオタイプを破壊する役割を担っていたりすると、その「事実」はなかなか「事実」として認めてもらえない運命をたどる。ここちよき幻想を守ろうと無意識に反発するからである。
 それでいながら「事実は神聖である」ことを内容とするステレオタイプもある。「事実」の分析は二の次になるのがステレオタイプたるゆえんである。
 上記の二つのステレオタイプは、奇妙に混在していておもしろい。
 本書は、「事実は神聖である」という心地よいステレオタイプを持ち出し、それをもって読者にうったえかけながら、中国の戦国時代にいたるまでの歴史について、現代のステレオタイプが「事実」とは異なっていることをご紹介してきた。…(平㔟隆郎『中国の歴史』都市国家から中華へ 講談社)

新書紹介 05/04 15:54

280:[ 科学派宣言 ]

何だか誤解が有るような気がするが、誤解が有るような気がするのが私の誤解かも知れないが、『素問』とか『霊枢』とかいうのはばりばりの科学文献です。その筆者達は、当時においては最先端の科学者だったはずです。
ここでいう科学とは、何事かが起こるにはしかるべき原因が有り、それが起こるに際しては普遍的な機序が存するということです。神秘だ不可思議だと感動して口をあんぐりとさせて、思考を停止したりしないということです。出来うればより緻密に突き詰めて、一対一の因果関係にまで到達したい。まあ、こんなものだと馬馬虎虎でいる、というのは古代の医家の態度ではなかったろうと思う。
当時にあっては、もっとも合理的な思考法が陰陽五行説であったろうから、それを利用して何とか説明しようとした。当然の態度です。近現代となってみれば、陰陽五行説の無理なところにもいい加減気付くはずであるから、別により合理的な説明を求めるのが当たり前でしょう。取りあえず現代西洋科学というのも、また当然のことです。現代西洋科学的な思考法の限界に気付いたら、別により真実に近いものを求めるのも当然のことです。ただし、現代のものが駄目だからといって、古代の陰陽五行説に戻ればそれで良いというものではない。古きを尋ねて新しきを得るということは、それはまあ有るでしょうが。
変わり続ける全体の流れを類動パターンで捉える鍼灸医学などという言い方は、結局のところ現在あるいは未来の理想に合わせて過去を見ているに過ぎない。本来の古典研究は、鍼灸医学とは如何なる発想であったか、あるいは如何なる発想に過ぎなかったかの探索であるべきである。理想はその上に改めて築かれる。

神麹斎 05/03 12:28

279:[ 物質的な治療です ]

鍼灸は優れて物質的な治療である。
ここに術を施してかしこに効果を発現する。その間をつなぐ物質を想定したからこそ経脈説が発想される。
むかし、井上恵理先生のエピソードとして:
患者さん:私の痛いのは頭なんですよ、どうして足に針するんですか?
恵理先生:じゃあ、おまえさんは頭痛薬をどこから飲むね?
患者さん:だって、薬だもの。
恵理先生:だって、鍼だもの。
というのが有る。大好きなエピソードだけど、恵理先生自体、鍼治療の本質を言い当てたことに気付いてみえたかどうか。
薬を飲んで頭痛が治ったとする。その間をつなぐものを、普通は想定しない。ところが、鍼灸治療に於いては、足と頭をつなぐ物質的な裏付けを欲した。中国人の性向として、そういうモノを欲した。そこに経脈説が生まれるきっかけが有り、他の凡百の民族医学から峻別されるべき価値が存する。

神麹斎 04/29 13:09

278:[ 望気 ]

『史記』高祖本紀に:
秦の始皇帝はいつも、「東南のほうに天子の気がある」と言っていた。それで自ら東南に遊幸して、その気をおし鎮めようとした。
とある。
これを読んで、何を馬鹿なことを思っていた。でも、考えてみると中国古代医学の、気を診て治療するという話も、実は同様な文脈なんですね。ということは、これにもインチキ方士の影を警戒する必要が有るのかも知れない。
ただし、現代社会に繁盛する占いお呪いから推測するに、始皇帝が亡んだのは、政策に破綻が有ったからではなくて、東南の天子の気を鎮めるのに失敗したからだと、真面目に考えている針灸師もいるかも知れない。

神麹斎 04/27 18:19

277:[ 流れて止まない ]

流れる身体、流れる身体とおっしゃいますがね、流れているのは血液とリンパ液と違いますか。ここに操作された効果がどうして遠隔に発現するかのほうが、より深刻に経絡の本質じゃないかと思いますがね。
治療というものが一対一の原因―結果ではすまないものであるくらいのことは、現代西洋医学だって知っているでしょう。風邪薬と表記されている薬を飲んだら風邪が治る、なんて思っているのは素直な患者くらいでしょう。まともな西洋医はそんなことは考えてないと思いますよ。匙加減に悩むのは何も漢方医の特権ではない。
陰陽五行説を用いたところで、「非同一性を帯びた変化し続ける」現象を記述することが出来るとも思えません。その哲学的な真理を悟った人は知りませんよ。一般の古典派針灸師のレベルでの話です。馬馬虎虎を融通無碍と置き換えてもしょうがない。動いて止まないものをどうにも掴みきれなければ、とっつかまえて観察して、また放してやる。まあ、しょうがない次善の方だと思いますがね。

云爾 04/27 17:10

276:[ 無題 ]

本当は「结婚也不能改姓」だと思うんですがね。
中国、そしてその影響のもとに発生した近隣諸国の姓氏の制度では、結婚したからといって変える、変えられるということは無かったはずです。
ただ、奴隷は姓を称することはできなかったみたいです。『金瓶梅』の春梅ちゃんは、売りに出されて買われて、買った相手の女房が死んで、後妻におさまってからやっと龐氏(だったと思う)を称しています。姓を持ってなかったわけじゃないんだけどね、名乗れなかった。
日本人の女性が結婚したら夫の姓を称するようになったのは明治以降で、つまり西欧のまねで、結局は戸籍制度充実のためだと思います。封建制がどうという意味ではない。けれども国家管理という意味ではあるはなあ。

云爾 04/24 15:17

275:[ 個人より氏素性が大事なんです ]

半島でも结婚也不用改姓。だけれど,皇帝の奥さんだって,ひとによっては○氏の女というだけで,名前がわからないのもめずらしくない。
つい最近まで,長子相続であり,男同士のあいだでさえ不平等でした。

両班 04/24 12:20

274:[ 您贵姓 ]

ある中国語教材に、
 先生,您贵姓?
 我姓田中。
 您呢?这位太太。
 我也姓田中。在日本,结婚以后要随丈夫姓。
 啊,是这样的。看来,日本还很封建。中国很早以前也是这样,但现在男女平等了,结婚也不用改姓。
とあった。
誤解である。勿論、中国人が作った教材であるから、一般中国人の常識はこうだということである。
中国で結婚したから夫の姓に変わる、なんて「昔」は知りません。
日本だって江戸時代までは、結婚しても夫の姓を名のるなんてことはできませんでした。
(本当は姓と言うべきじゃないけど、姓と氏の混乱は『史記』の昔からなので、これは棚上げにしておきます。)
中国の教養有るはずの人々の歴史知識なんてこんなものなんですか。
こんな人たちに歴史認識がどうのこうのと言われたくない。

断っておきますが、政治家の靖国参拝とか、歴史教科書の右化には、私も反対です。

云爾 04/23 20:16

273:[ 阿呆 ]

日本の政治家はやっぱり阿呆だ。特に外交官はガキの遣いだ。
「日本の中国に対する侵略は、中国人民に大きな傷を負わせた」と述べ、「深い反省とおわび」を表明した?
今、それを言ってどうする。
また騒げば謝るだろう、気がすっとする、とデモ連中の意気が上がるだけだろうに。
相手側に「過激な行動については陳謝する、民間の被害については補償する」と言わせた上で、「でもね、もとはと言えば日本政府の態度がね」とか「日本が侵略の歴史に対する反省を具体的行動で示し、中国人民の感情を再び傷つける行為をやめるよう希望する」とか言われたら、これはもう真剣に実効有る対処を示さなければいけない。
口先だけで反省とおわびを表明してどうなる。火種はくすぶったままだよ。

云爾 04/18 15:27

272:[ 無題 ]

本音の感想を言います。
よくこんなものが審査を通ったね。

神麹斎 04/17 19:27

271:[ ホッ ]

なんやかや言って、中国政府にも、デモはやらせる、投石はやめさせる、なんて器用な統制能力は無いということだね。なんだかちょっとホッとしたところも有る。

天之邪鬼 04/17 11:06

270:[ 無題 ]

中国人がいらつく気持ちも分かるけど、こちらも中国人にはいらつく。
初めて中国留学したとき、最初の中医基礎理論の考査の解答で驚かれた。ほとんど完璧、欠点が無い!そんなの当たり前でしょう。まあ、中医学院の一般的な教師の、一般的な留学生への期待というのはそんな程度ということです。
経済発展かなにか知らないけれど、しょうもないのがやってきて、ろくに勉強もしない。まあ、そういった認識です。
で、ちょうど天安門騒動の後だったので、留学生寮はがらがら、本来の二人部屋を一人で使うのも可能でした。そこでもし一人で使いたいのなら一日あたりの部屋代を4ドルにしてほしいと言ってきました。二人で使えば1.5ドルづつなので、3ドルのはずじゃないかと言うと、規則だの一点張りでした。お互いが腹をたててしまったのは、私の語学力のせいが大半だけど、もう少し4ドルである説明が有って当然じゃないか。(具体的な金額は、記憶が不確かです。)
様々な状況において、日本だって十分な説明をしているかどうか怪しいけれど、中国には大抵の場合、原則を大上段にかまえて、問答無用!是か非かの選択を迫る傾向が有る。

いらつく 04/17 10:56

269:[ やだやだ ]

中国への修学旅行が中止されると聞いて、行けばいいのに、日中の現実を学ぶことになるし、如何に何でも修学旅行生は公安当局がメンツにかけて必死で保護するだろう、と言ったら、言下に否定された。アホな日本の高校生が挑発行為にでるだろうから危なくてしょうがない。言われてみればそうだわなあ。

のーてんき 04/17 07:58

268:[ 愛国有罪 ]

>中国大使公邸に赤ペンキ 東京・港区
>中国総領事館にカミソリの刃 大阪、脅迫容疑で捜査
>中国大使館に粉末入りの封筒、かたくり粉か?

やっぱりやったか!!げっそりします。反吐が出る。

云爾 04/16 15:54

267:[ がっくり ]

文化的に言って、兄であり、先輩であり、師匠であると思っています。
だからなおさら、あまりにも簡単に煽られ動かされている様子を見聞きすると、がっかりしてしまいます。
あまりにも未熟で幼くて、純情で。
老朋友は、おおむね大人(タイジン)です。ただ、すれ違っただけの中にはガキもいました。当たり前と言えば当たり前だけど。あこがれが強い分だけ、失望感も強いです。(日本の政治家には、もともと期待なんてしてません。)


本当はそれほど反感はないんだけど、参加しないと仲間から迫害されると、伏し目がちに語った真面目そうな人がいました。恐ろしいです。

云爾 04/11 09:28

266:[ ウマイヨ ]

例えば、これが饅頭屋であれば、ウチの饅頭は美味いよとか、栄養が有るよとか、あるいは逆にカロリーが少ないよとか言えば良いわけだけど、治療家となると中々そういう具合にはやりにくい。ましてや針灸というのは本当のところ、どうして、どのように効くのか良くわかってないのであるから、なおさらである。陰陽とか五行とかに則って自信満々でいられる人は別ですよ。
官能篇に「非其人」云々とあるのは、要するに、大雑把に言えば手の問題だと思うけれど、本当はもう一つ別の面が有るんじゃないかな。詐欺師、と言っては過ぎるだろうが、予言者あるいは占い師としての素質が必要である。
最近のニュースの聖師ナントカの牧師のような話を聞くと、ついついその能力をうらやましく思ってしまう。何百人かの「信者」がいたわけですからね。
昔々のかの人には、十三人+αしかいなくて、その十三人の中から裏切り者が出たのだろうか、それとも十三人+αの他に何万という無名の信者がいたのだろうか。どっちなんだろう。実はギリギリ十三人で、後に膨大になったのは、クソマジメな教祖の後を継いだ人が、極めて有能な宣伝マンだったからじゃなかろうか。

不謹慎だけど、偽医者に(なれる能力者に)憧れる。

云爾 04/09 14:15

265:[ 「鍼灸の挑戦」の挑戦 ]

『鍼灸の挑戦』に書かれていることは、ほとんど全部嘘です。
いや、「治った」という報告には疑うべき理由が無いが、「こうしたから治った」という主張は、ほとんど全部嘘です。
あるいは、「治った」が事実であり、「こうしたから治った」も真実であるとして、その裏側に在る「こうしなければ治らない」は少なくとも嘘です。
どこかに矛盾が有るでしょう。
つまり、鍼灸とはどういう挑戦であるかは、この本には書かれてません。
書かれているのは、こんなに様々な挑戦的な嘘つきがいる、という紹介です。
勿論、それぞれの嘘つきは「自分だけは正直者である」と信じているんでしょうが。
著者は、一人くらいは正直者がいるだろうとか、あるいは全員が実はそれぞれそれなりに正直者である、という希望を披瀝しているようだけれど、「何故に鍼は効くのか」あるいは「鍼灸とはどういう挑戦であるか」が未だに解明されてない以上は、カタログ以上のことは誰にも書くわけにはいきません。

次に、『鍼灸とはどういう挑戦であるか』が上梓されるのかどうか。

神話採集者 04/04 09:29

264:[ 言葉ってばさ ]

この間朝日新聞の記事「くさかんむりが何画か?」ってのを書き込んだのだけれども、週刊朝日にそれに関する物が見開き2ページで載っていた(内容については後日報告です)。

 さて、262の云爾さんの「記憶」に関して。
 「小学校から英語教育」と言うような事を主張する輩が居るようであるが、私は大反対!

>認識というものはすべからく言葉をもってなされる、そしてその言葉として記憶され、記憶を呼びもどすときには、すべからく言葉が索引となる。ところが幼児にはまだ言葉が無い。



思考というものはすべからく言葉をもってなされる、そしてその言葉によって記憶され、思考を呼びもどすときには、すべからく言葉が索引となる。ところが小学生にはまだ言葉が無い。

と書き換えて考えても宜しいでしょうか?

なぁに「母国語」と「母語」の差を言いたいだけなんですがね・・酔っているなぁ・・。

尾乙蘭 03/21 22:48

263:[ ノコッタ ]

愛地球博とかいう非常に恥ずかしい語呂合わせのバンパクが始まるらしいけれど、マンモスと金のシャチホコが目玉なんだって……、非常に恥ずかしい。
本当は、海上の森がどんなにすばらしかったか(過去)、どの程度の破壊ですんだか(現在)、今後保全されうるか(未来)じゃないのかなあ。「環境との取り組み」がメインテーマなんでしょう。コレダケヤッテモ、コレダケノコッタ。

云爾 03/21 08:09

262:[ 記憶 ]

NHKの子供向け番組で、「どうして赤ちゃんのときの記憶は無いのか?」というのをやっていて、「幼児期には脳の信号受け渡しの組織が未発達だから」というのが解答のようだった。「ようだった」というのは、なにせ食事をとりながら横目でちらちら見ていただけなので、間違っていたらごめんなさい。
この答えにはちょっと違和感が有る。なるほど理系的には満足かも知れないけれど、文系的には不満が有る。本当はこういうことではないか。
認識というものはすべからく言葉をもってなされる、そしてその言葉として記憶され、記憶を呼びもどすときには、すべからく言葉が索引となる。ところが幼児にはまだ言葉が無い。
逆にいうと言葉にならない、あるいは言葉にできない原体験としては幼児にも記憶される。だから、怖い目にあったことを思い出して泣くことは有る。
考えてみれば、言葉にならない世界というものは、子供のものとは限らない。我々のわけのわからない治療効果というのもその一部かも知れない。これを言葉で表現するのは至難である。それは現代科学の言葉では不可能というにとどまらず、陰陽五行であろうとニューサイエンスであろうと無理だということである。しかして、言葉に拠らなければ伝達は不可能である。少なくとも今までのところは。

云爾 03/20 21:46

261:[ 醫の詩を以て稱せらるるもの絶えてなし ]

…他邦の如きは姑く之を置く。今の京城の中、講説を業とする者、無慮數十人。謁を其の門に執るは、醫家の子弟に匪ざるはなし。之を除きて復た生徒なし。而して醫生の學を為す、亦た唯だ句讀を習ひ詩を作ることを學び、以て自家の術業を潤飾するに過ぎず。故に間々才敏の子弟ありと雖も未だ小成に至らずして、既に已に其の學を弁髦にす。蓋し儒術文藝は、身を立て口を糊すべからずして、方伎は往々家を興し財を殖すればなり。是を以て近時醫を為すものは、詩をつくらざるはなし。而して詩を善くする者は、至りて罕なり。…(江村北海『日本詩史』より)

拾遺 03/15 08:37

260:[ 科学という方法論 ]

地球を機械としてみる現在の科学では、あの地震も津波を予想できない。ましてや防ぐことなど思いもやらぬ。世界を変化し続けてやむことのない生命体として見る古来の占いと呪いにこそすがるべきである。科学という方法論は「変化しない部品」に置き換えて記述できる事象に限定して世界を語ることであり、生命体の本質により近い「流れのフィクション」として見るまなざしをも併用しなければ、事象のかなりが語られないままに脱落してしまうのだ。

云爾 03/10 08:07

259:[ ウサギ ]

朝日新聞の読書欄に、
李兎煥という人の著作が紹介されていました。
ヘッと思ってよく見直したら、
本文中では李禹煥でした。

さて、
訂正とお詫びは何時になるのかな、
校正係の運命や如何に。

天邪気 03/06 09:38

258:[ 経絡 ]

如何なる原因で如何なる状態に成っているかということと経絡とは実はほとんど関係が無い。(関係づける「お話」はこれから構築しなければならない。)
経絡はここに術を施したらあそこで変化がおこったという経験の蓄積から生まれたと考える。(これは古代中国人の発明である。少なくとも他の古代医学ではあまり発展しなかった。)
そして現在の経絡の「全身を栄養する」という機能は実は血管系のものである。(これはどこの医学でも知っていた。)胃から始まって全身を循環するという機能は、診断や治療とはほとんど関係が無い。
やがて両者は統合されたが、これを経絡説の発展と言うべきか独創性の弛緩・喪失と言うべきか。

無名氏 03/01 08:46

257:[ 人迎気口診という虚構 ]

人体は、飲食・労倦・七情などといった原因によって、気血の有余不足という状態にある。その有余不足という状態はまた病を引き起こす原因となる。
寒とか熱とか、風とか湿とかいった原因によっては、寒とか熱とか、風とか湿とかいった状態が引き起こされる。その状態自体もまた、状態を変化させる原因となる。
治まったとみえる状態も、つまりは気血の有余不足という状態で治まっている。
「如何なる原因によって如何なる状態となっているか」というお話こそが、虚構(フィクション)の根幹であって、それを如何にして知るか如何にして正すかという工夫は、実は枝葉に過ぎない、かも知れない。

無名氏 02/28 13:46

256:[ 一太郎や~い ]

新しい一太郎が発売になりましたね。
先日の特許侵害さわぎの際に、教育界の有識者(?)が「灰色の疑惑の有るものを教育現場では使いづらい」というようなコメントをもらしてましたよね。
「少なくとも判定が確定するまでは、己の権利を主張する」なんてことを教育する気は無いんだね。

なんでもアイコンだと特許侵害で、「?」ならOKなんだって。馬鹿みたい。

云爾 02/11 08:29

255:[ 神話の世界 ]

真実だとの思い込みが神話。それは自惚れであるかも知れない
これは怖いことではあるが、真剣に真実に迫りたい気持ちが
ある以上、勇気を持って主張することも重要な経過の過程で
あろう。同時に自信を持って批評することも神話といえる。
ともかく、完全を求めて不完全な知識で、全ての不完全人間が
自分の主張を省みながら精一杯に生きていく。

じんろく 02/04 22:43

254:[ 神話の世界 ]

当事者が真実だと思っている嘘を神話という。どうして効くのか解明されていない以上は、これもまた神話の範疇であって、その神話の世界をルポルタージュした書物に対して、「嘘ばっかり」という反応は正しいのかも知れないけれど、「嘘を書くな」というのは無理というものです。この神話については詳しいのに、あの神話には触れていないとか、浅いとか薄いとか、そもそも著者にこの世界がわかっていないとか。「ルポルタージュとは、世界の真実を過不足無く描ききるものだ」とでも思っているんですかね。そんなの神話です。書物というものは、いつも著者が精一杯に書いて、そして誰よりも著者自身が不満を抱くものだと思ってます。中には描ききったと称するものもいるかも知れないけれど、それこそ正しく神話の語り手です。

云爾 02/04 14:59

253:[ 艸が艹か ]

部首は6画、総画数を数えるときには3画乃至4画ということではなかろうか。諸橋「大漢和辞典」は持ってないけど、「漢語大字典」では総画数を数えるときには3画みたいです。しかも中央が開いていても3画のようです。これも困ったものですが、閉じてりゃ3画、開いてりゃ4画だともっと困るかも。

神麹斎 02/03 07:58

252:[ 草かんむり、3画に 4画派・大修館書店が「決断」 ]

6画という大英断は無かったのね・・・だから反響が全く無いのか?
大陸系の工具書は3画が多く、台湾系は6画が多いように感じる・・・大漢和が4画だったとは再確認せざるをえなかった、文字鏡の弊害か?

http://www.asahi.com/culture/update/0131/003.html

そのうちリンク切れすると思うので、貼り付けします。

「3画か4画か――漢和辞典で長い間、揺れていた「草かんむり」の画数が、大修館書店が出した「新・漢語林」で3画に変わった。同書店は世界最大の漢和辞典、諸橋轍次の「大漢和辞典」(1960年)を発行している老舗(しにせ)。中国の古い文書を読もうとする専門家が頼りにする「大漢和」では4画だ。常用漢字や人名用漢字の3画に追随するのは、「大きな決断」だった。

 「新・漢語林」部首解説によると、草かんむりは、国語審議会の表外漢字字体表(00年)やJIS漢字で3画とされ、明朝体活字は3画で作られている。真ん中が切れた形の4画は「漢和辞典の見出し字を除いて極めて少ない」という。

 「新・漢語林」編集部の円満字二郎さんは「表外漢字字体表がきっかけで、電子辞書に搭載するにも3画、4画両方では負担が大きい。諸般の事情を考えて決断したのに残念ながら反響は全くありません」という。 」

尾乙闌 02/03 04:17

251:[ 寒熱風湿 ]

内傷外傷入り交ざるから複雑な病態になる。
寒邪が入ると陽虚を進め、湿滞を生ずるし内熱にもなる。
寒邪が入りやすいのは、もともと陽虚があるのだろう。

じんろく 02/02 15:10

250:[ 寒熱風湿 ]

風によっては風という状態となり、湿によっては湿という状態になり、熱によっては熱という状態になる。
ところが寒によっては、すべからく熱という状態となり、熱という状態はすべからく風という状態を生じる。原因としての寒はまた、ともすると寒という状態として潜在する。
風という状態、熱という状態は、陽性であるから、比較的解消されやすいが、寒という状態、湿という状態は、陰性であるから、ともすれば沈着する。従って湿という状態も寒という状態になりがちである。
湿・寒という状態もまた、久しくして熱という状態を生む。
(以上は、「酒亭」のほうに書かれていることに注意し、割り引いて反応してください。寒本位主義です。呵々。)

神麹斎 01/30 08:34

249:[ あとから来たものが上になる ]

本当にそう思います。もっともっと謙虚にならなくてはいけないと・・・。
厳しいことですが。

じんろく 01/29 21:06

248:[ あとから来たものが上になる ]

もとの黯が九卿であったころの属官は、みな黯と同列となり、あるいは重用されること黯以上であった。黯はひがみ心がおこり、いささか恨みなきを得なかった。主上に謁見し、進み出て言った。「陛下が群臣を登用されるのは、薪を積み重ねるにひとしく、あとから来たものが上になるのです。」(『史記』汲鄭列伝より)

この故事とはいささか異なるが、後から来たものが上になることはしばしば有る。『内経』の解読についても、新しい資料と考察によって、後進の理解は先輩のレベルを超えるべきである。馬王堆医書や『太素』を十分に利用できなかった丸山先生や藤木先生は勿論、島田先生や井上先生の苦闘の上に我々はいる。諸先生方より優れているかどうかではなくて、後から来た以上は上にならなくては申し訳がない。

神麹斎 01/28 09:43

247:[ 死=無=死 ]

思うに、古代の医者は案外と覚めていた。不老不死なんてことは『内経』には無いように思う。不老長生はわからないけれど。
だから九針十二原でも「その終せざると哀れむ」と言っている。
でも、お客様は蓬莱を訪ねて不老不死の仙薬を手に入れようとして躍起になっているんだから、そうそう頭ごなしには言えないよね。今のよりずっとおっかないお客さまなんだし。そのお客様、始皇帝も武帝も死んでしまったし、多分復活なんてしてない。(多分というのは少しだけ遠慮して言っている。実際は確実にと言うべきところ。)
絶対的な無が死であるか、死が絶対的な無であるか。
いずれにせよ、それまで立ったことのないような絶壁の上から深淵をのぞき込んだときの高所恐怖症患者の寒気、それがつまり「恐ろしいということすらも無いはずの恐ろしさ」ということだろうと思います。現に存在しているものには想像することすら不可能な非存在という状態(多分、状態とも言えない)。

で、先の荘子の、人生は結局は「没価値・無目的・無秩序」というところにつながるわけです。それなのに、今生きていることを真に楽しめる、楽しむための準備に苦労できる、それが悟りというものかなと思っています。私自身はまだまだとてもとても未だにほど遠い。

神麹斎 01/25 21:25

246:[ 死んでも生き返る ]

「死んでも生き返る」と信ずるのは困ったものですね。
生き返ろうと、絶対的な無が死であろうと確実なことは、人は
老化し病気になり、或いは何らかの事故によって必ず死す。
死ぬことは嫌だけど避けられない。
だから、いつか死ぬ時が来るまで充実して楽しく生きたいものです。

じんろく 01/25 20:50

245:[ 死んでも生き返る ]

小学生の何パーセントかが、「人は死んでも生き返る」と信じていると騒いでいるけれど、何のこと?大人だってそういう人のほうが多いんでないの。
東洋哲学に嵌った人の中には、生と死は表裏であると言う人が多いけれど、これは違うと思うよ。今おもいつくなかで唯一の、陰陽論的ではない、絶対的な無が死だと思う。「恐ろしいということすらも無い」、だから「恐ろしい」。

「汝は死すということを記憶せよ」&「死は全てを終わるものである」

云爾 01/25 11:17

244:[ 鬱々として楽しまず、妄言罵詈する ]

この一週間くらい、神麹斎名義の書き込みが、ここと「お茶の時間」に多いでしょう。
これはつまり、私が不機嫌だと言うことです。これを内経の記述に照らすと、足の陽明に問題が有ると「妄言罵詈して親疎を避けず」なんです。で、一般に足の陽明は胃の脈ということになっています。実は、本当に胃の調子も悪いんです。でも、鬱々として楽しまず、と言うのは肝の問題なんです、常識では。
つまり、どうとでも言える。しかもまあ、木(肝)剋土(胃)とも言えるからね。

神麹斎 01/23 14:24

243:[ 軍師 ]

中国で軍師といえば諸葛孔明、日本ではさしずめ武田の山本勘助。
しかし、孔明は『三国志』の陳寿の評では「思うに、臨機応変の軍略は、彼の得手ではなかったであろう」と言われるし、山本勘助に至ってはそもそもその実在が疑われている。
漢の劉邦は自分が天下を取れた理由を次のように述べている。「策を帷幕の中に巡らし、勝ちを千里の外に決することではわしは張良に及ばない。民を慰撫して補給を途絶えさせず、民を安心させることではわしは蕭何に及ばない。軍を率いて戦いに勝つことではわしは韓信に及ばない。わしはこの三人の英傑を見事に使いこなした。」
孔明は、天下三分の計をそこそこ実現したことによって張良と蕭何を足して二で割ったような役目は立派にはたしている。まあ軍師と言って差し支えない。山本勘助はとてもとてもそんな立場でない。日本史上で強いて挙げれば、さしずめ徳川家康の本多正信あたりか。しかし、一般の軍師というイメージにはなかなかそぐわないだろう。
そもそも日本の著名な戦国大名は、軍師を必要としなかったという意見が有る。しかし、軍配者というものは有った。開戦日時、陣取りの吉凶を占い、出陣の儀式を司った。山本勘助などは、もし実在したとしても、そうしたものであったろう。
ことほど然様に、日本では戦略の意義は認識されにくい。優秀な戦闘指揮者はそこそこいる。幸村なぞは「真田、日本一の兵」とたたえられる。ツワモノなのである。

神麹斎 01/23 13:58

242:[ 古典と臨床 ]

古典と臨床の間には、神聖にして侵すべからざる境界が有る。
とは言うものの、臨床実践の基礎を逸脱した古典は、所詮は読書人の屁理屈である。また、古典の裏付けを欠く臨床報告は、殆どが己惚れ屋の妄想である。
古典にもとづいたと称して、実は屁理屈に則って、確かに効いたと誇るのは、軽信家のタワゴトであって、古典的で無ければ臨床的でも無い。



ちゃんとした臨床を基礎にした古典にもとづいて、ちゃんとした臨床を実践したい、と言ってるんですよ。

あ~あ、こんな補足説明したくない。

云爾 01/22 21:26

241:[ まあまあ ]

「古典なんか読む必要は無い」という立場の人は、私の管理している掲示板を覗いたりしないと思いますよ。ましてや書き込むわけがないと思います。
ただ、古典古典と言う前に、先ず職業訓練をと言うのにはちょっと同感します。まあ、職業訓練用のマニュアル製作にも古典を読む必要は有りますわね。

神麹斎 01/20 14:09

240:[ 職業訓練所 ]

ならばわかる。了解。
読解力がなくてすみません。でも他にも曲解している人がいたものだから。
主体の問題として考えるならば真摯にやるしかないな。

福々丸 01/20 13:26

239:[ 読め!なんです ]

あのね、「自分の立っている基盤を破壊する覚悟をもって読め!」と言ってるんですよ。
そのくらいの読解力は有ると思いましたがね。
そして、「職業訓練校としての実力を備えろ!」と言ってるんです。
今、そんな実力有ると思いますか?どこかの会に。

云爾 01/20 08:31

238:[ 職業訓練 ]

でもね、導入としては必要なんだよ。だって10年前までは日本で販売されていた『素問』って何種類あったと思う?
あるいは「肝の外証が潔い」なんて平気で語られていた(いまもか!)。後は受け手の問題だけだよね。
臨床の個別性には2つあって患者の個別性と術者の個別性だってマサちゃんが昔言ってたよ。だから臨床から入ればどうしたって壁にあたって古典を見るしかないんだよ。

福々丸 01/19 23:31

237:[ 名湯いや名医 ]

今月号の「家庭画報」が鍼灸特集をし名医50人を掲載しているらしい。
私は現物を見ていない。
ご自身も御納得されてカメラに向かった名医
またそうではないにもかかわらずカメラに向かった名医
がおられるのであろう。

そうですか・・・名医ですか・・・・・・・。

乘黄 01/18 23:54

236:[ 醜名 ]

大相撲の下っ端の取り組みを見ていたら、とんでもない四股名が有りました。
一字は中国の簡体字、一字は日本で謂う所の旧漢字、一字は日本で謂う所の当用漢字。
いくら何でもねえ。

神麹斎 01/18 08:48

235:[ 職業訓練 ]

 臨床を標榜する研究(?)会は、すべからく職業訓練校を目指すべきである。
 選経や選穴の説明に際して陰陽五行説をもちだすくらいのことは、マニュアルの一部であって、とても古典を学ぶというほどのことではない。
 第一、古典を「きちんと」読んで自分たちのやっていることを否定せざるを得ない結論に達したら、どう対処するつもりだろう。それほどの胆力と能力を備えた研究会がそうそう有るとは思えない。
 「臨床について書かれた古典を読むには臨床の経験が必要である」という真理とともに「臨床家には古典を正確に読むことは難しい」というのもまた真理である。
 古典を読み直すということは自分の立っている基盤を破壊することである、そんな恐ろしいことを本当に覚悟しているのか。

云爾 01/17 09:12

234:[ ナントカ氏病 ]

多分、昨日の新聞だったと思うけど、南野なんとやらの失言をとっちめるとかいう記事が有ったでしょう。その揚げ足を取っているんです。説明したんじゃしょうもない。

云爾 01/12 20:47

233:[ 無題 ]

お手数をおかけいたしますが、「傷寒というのは差別的な旧病名」のいわれを教えて下さい。

じんろく 01/12 20:18

232:[ 傷寒 ]

 傷寒というのは差別的な旧病名であるからして、「正しく」流行性感冒もしくはインフルエンザと言わなければならない。

云爾 01/11 21:52

231:[ 出版予告 ]

今年の出版予定
『針経大要 ― これであなたも針がうてなくなる』

冗談ですよ。

でもねえ、古典を読めば読むほど、
「こんなことも謎のままでやっているのか」と空恐ろしくはなります。

笋庵 01/01 00:16

230:[ 諸子百家 ]

『諸子百家』(講談社学術文庫)を紹介した書き込みに反応が有ってうれしいです。
浅野氏の老荘思想に対する解説もけっこう辛辣だと思うけど、儒教についてはほとんど罵倒に近いんじゃないですか?もう一冊、『儒教―ルサンチマンの宗教』(平凡社新書)というのもすごいです。

誤解の無いように断っておきますが、だからと言って、諸子百家の思想はべつに嫌いじゃないんですよ、私は、そしてたぶん浅野氏も。

神麹斎 12/20 11:35

229:[ 浅野裕一『諸子百家』 ]

 孔子は周王朝の衰退が招いた乱世をしきりに慨嘆し,本来在るべき世界秩序の回復を唱え続けた。だがそのために孔子が提示した手段は,文王・武王・周公旦の時代,つまり周初の礼制に復帰せよというに過ぎず,しかもそのように主張する孔子自身,周初の礼制など,実は何一つ知らなかった。このように孔子の思想活動の出発点そのものが,極めて詐欺的性格の強いものであった。しかも孔子は,魯に周に代わる新王朝を樹立して自ら王者となり,わが手で復元した周初の礼制を地上に復活させようとする妄想に取りつかれる。
 この狂気を帯びた誇大妄想は,もとより実現しなかったが,孔子の夢想が現実世界に阻まれて挫折したとの怨念は,孔子の後学たちの間に深く浸透し,以後儒教の中に深い陰翳を刻むことになる。
 直伝の弟子たちの意識には……孔子は王者として新王朝を創始すべき聖人だったのだと宣伝し,孔子の怨念を晴らさんとする復讐心が強く作用し続けた。……礼楽に関する古代の伝承を……空想を交えて捏造したりして,……いかにも孔子が三代の礼制に精通していたかのように見せかけた。

受命なき聖人 12/20 11:09

228:[ ]

すばらしい文の紹介、有難うございます。

じんろく 12/19 21:30

227:[ ]

> 世界の正体を思索し続けたあげく、荘周がたどり着いた結論は、実に索漠としたものであった。世界とは、没価値・無目的・無秩序のままに生起する、徹底的な個別者の無限連鎖でしかない。敢えて表現するならば、それは混沌である。混沌なる世界には、もとより、いかなる体系も存在せず、個物は全体に対し、果たすべき何らの役割をも持ち合わせない。個物と個物をつなぐものは、一個の体系を成すもの同士の連帯の絆ではなく、単に存在者としての斉一性(道)と、互いに他者を拘束し合う必然的関係(天・命)にすぎぬ。一切の事物の生起は、必然であると同時に無意味であり、そこに愛の介在する余地など、最初からありはしない。(浅野裕一『諸子百家』混沌の魔術師・荘子)


もし老荘が相い通じるものであるとするならば、「天地不仁、以萬物為芻狗」(『老子』第五章)を、「この不仁と見える行為がもっとも慈愛に満ちている」と解するのは、やはり誤りだと思う。

神麹斎 12/18 10:17

226:[ 嫌悪 ]

テレビのモーニングショーの星占い、易学の某女史の罵詈雑言、書店に並ぶ風水の入門書。どうして、人はこんなものを受け入れられるのか。
朝、占いと風水の店を開いたからと挨拶に来た。勿論、追い返した。
終日ムカムカする。
どうして、こんなに拒否感が強いのだろう。私にも分からない。当然、人には分かるまい。
我々の世界には、東洋の神秘を求めてよってくる人も多かろう。拒否しないほうが、期待に添うほうがやりやすいには決まっている。少なくとも笑って無視するにこしたことはない。未だにお呪いが好きな人がいる、信じ切っている人がいる。信じ切っている以上は、多分、効くだろう。
だけど嫌なものは嫌だ、できないものはできない。

神麹斎 11/17 11:41

225:[ 出直しましょうよ ]

出て行けデモが有ったんだってね、と言っても約200人だそうですが、と言っても数日前の居てくれデモは数十人だったそうですが。
やっぱり一度帰って来ましょうよ。援助なんてものは、望まれてやるもんでしょう。期待したほどじゃないからって、そこまで言われて居座ることは無いんじゃないの。

云爾 11/13 12:26

224:[ 十大ニュース大予想 ]

来年のスポーツ界十大ニュースの一、さすがに今年のではない。
《読売新聞社がジャィアンツを売却する!》

いくらなんでもと思うでしょうが、
今年の日本一チームが売りに出されて、しかも買い手がつかなかったんですから。

百痴 11/11 21:13

223:[ 派兵に賛成? ]

ブッシュは当選するし、小泉の支持率は上がるし、それでいて自衛隊のイラク派遣に反対する人はほぼ70パーセントに達する。嫌になってしまう。小泉が「信頼できそう」な人であっても、この際、一度はけっ飛ばさなければ、事実上「イラク派兵に賛成」(外から見れば派遣でなくて派兵でしょう)を表明したことになってしまうのに、どうして気づかないんだろう。世界はピリピリしてますよ。日本は暢気すぎる。我々も狙われているんですよ、ある意味「正当な理由」を以て。

云爾 11/10 10:02

222:[ 虎よ虎よ ]

野生の虎を間近で見たいと言ってジャングルに分け入った人が、虎に殺されたとしたら、それは誰の責任なんだろう。
虎の檻の鍵をはずした人がいて、その虎が街を徘徊しているのを間近で見たいと言って近づきすぎた子供が、虎に殺されたとしたら、それはいったい誰の責任なんだろう。

云爾 10/30 08:03

221:[ 無題 ]

> 勝利のためなら一歩も引かない。49分の間で見せたそんな執念が、ナインに伝わった。

当分、日本のプロ草野球は観る気にならん。

運動音痴 10/17 09:27

220:[ 豕か豖か ]

つまり、宀の下にいるのは「豕」(ブタ)ではなくて、「豖」であるべきということです。で、「豖」は「家」字の説明のところでは、「剢殺された犬牲」と言い、「豖」字そのものの説明のところでは、「豕を椓して去勢する形」です。これは同じ形(文字要素)が在る場所によって意味が違ってくるというのか、単に不注意で一貫性を欠いたのか。いずれにせよ、白川先生と雖も万能では無いということ。

『字通』の附録・書名解説に:
【素問】そもん
中国最古の医書。〔漢書芸文志〕にみえる〔黄帝内経〕十八巻の前半がそれであろうかという。隋の大業中、楊上善が勅を奉じて〔内経太素〕三十巻を作り、のち亡佚。唐の宝応中、太僕令王冰が偽作自注した〔内経〕二十四巻、いわゆる〔宋本素問〕がある。
を見つけて以来、多少崇拝の念が低下しております。
「あろうかという」は用心深くて結構ですが、「前半」とか「隋の大業中」とか「偽作自注した」は一寸ね。

秋の夜はますます長い。

神麹斎 10/09 08:22

219:[ 読書の季節? ]

中公新書から出版されている「部首のはなし」阿部哲次著(『月刊しにか』に連載されていたもの)を読んでいたら「家」という漢字について「豚を犠牲動物として供えて祭をとりおこなう・・・」なるほどねぇ、と納得し、横にあった来年の白川静漢字暦の「家」の説明に「下部を豕(豚)とするのは誤りである」とあるのを読んで「うん!?」
秋の夜は長いです。

乘黄 10/09 01:29

218:[ 装丁者にモーレツにすすめられたってねえ ]

そりゃそうでしょう、装丁を引き受けた本だもの、って、そうでも無いのかな、すすめたくない本でも装丁するのかな。
南伸坊氏は嫌いじゃないけれどね、彼がモーレツにすすめてくれたって、だからって読もうとは思いませんがね、私は。
だからね、前にも言ったように、読まないより読んだほうが良いですよ。
それにしても、南伸坊氏の推薦の辞を読んでも、「漢文力」って何なのか良く分かりませんが、ひょっとして「老人力」と似たようなものですか。

辛菊斎という当て字、私も大昔に使ったことが有るような……。結局、「神麹」というモノが現実に有って、『斉民要術』に、麹には笨麹系と神麹系が有って、笨麹系は原料の小麦を全部炒って造るけど、神麹系は炒り蒸し生の三麦を混合して造るとあって、だから清濁併せのむと強引に引っかけて、神麹斎に落ち着きました。神麹系のほうが改良品で、生麦の混入によって麹菌の繁殖具合が良いんだそうです。薬用に供するものを専ら神麹と称するのは、『本草綱目』あたりからで、本来は違うらしい。やっぱり造酒のためのものです。

ひょっとして、私が「読む気にならん」と言い続けていると、かえって、「じゃあ読んでみよう」という人が増えるんじゃありませんか。それほどへそ曲がりでもないか、世間の人は。

神麹斎 10/05 18:30

217:[ 南伸坊氏おすすめの漢文の本 ]

「モーレツに人にすすめたくなった」そうです。
http://www.sankei.co.jp/news/040912/boo010.htm

辛菊斎 10/05 14:48

216:[ 針灸専門学校 ]

針灸の専門学校というのは、職業訓練学校なんですかね。それにしては、何を訓練するつもりなのかあやふや過ぎやしませんか。実地訓練が手薄過ぎやしませんか。
針灸の専門学校というのは、針灸を専門に学問するところなんですかね。とんでもない。そんな設備も蔵書も教授陣も有りません。
では、針灸の専門学校というのは何なんでしょうね。きっと、資格試験の予備校でしょう。これならまあ、そこそこの成績は残している。

云爾 10/04 15:27

215:[ 我知種樹而已 官理非吾業也 ]

郭槖駞,不知始何名。病瘻,隆然伏行,有類槖駞者,故郷人號之駞。駞聞之,曰:“甚善。名我固當。”因捨其名,亦自謂槖駞云。其鄉曰豐樂鄉,在長安西。駞業種樹,凡長安豪富人為觀遊及賣果者,皆爭迎取養。視駞所種樹,或移徙,無不活;且碩茂,蚤實以蕃。他植者雖窺伺傚慕,莫能如也。有問之,對曰:“槖駞非能使木壽且孶也,以能順木之天,以致其性焉爾。凡植木之性,其本欲舒,其培欲平,其土欲故,其築欲宻。既然已,勿動勿慮,去不復顧。其蒔也若子,其置也若棄,則其天者全,而其性得矣。故吾不害其長而已,非有能碩茂之也。不抑耗其實而已,非有能蚤而蕃之也。他植者則不然:根拳而土易。其培之也,若不過焉則不及。茍有能反是者,則又愛之太殷,憂之太勤。旦視而暮撫,已去而復顧;甚者爪其膚以驗其生枯,揺其本以觀其疎宻,而木之性日以離矣。雖曰愛之,其實害之;雖曰憂之,其實讎之,故不我若也,吾又何能為哉?”問者曰:“以子之道,移之官理,可乎?”駞曰:“我知種樹而已,官理非吾業也。然吾居鄉,見長者,好煩其令,若甚憐焉,而卒以禍。旦暮,吏來而呼曰:官命促爾耕,勗而植,督爾穫,蚤繅而緒,蚤織而縷,字而幼孩,遂而雞豚!鳴鼓而聚之,繫木而召之。吾小人輟飱饔以勞吏者,且不得暇,又何以蕃吾生而安吾性耶?故病且怠。若是,則與吾業者,其亦有類乎?”問者嘻曰:“不亦善夫!吾問養樹,得養人術焉。”傳其事以為官戒。
句読は多分、こんなようなものでしょう。文字がいくつか違うのはご愛敬で、どちらが好いのかは分かりません。
私の言わんとするところは、郭槖駞の「私は種樹のことを知っているだけで、官理なんて私の仕事じゃありません」と言うのが真実であって、問う者が「また善ならざるやそれ!われ樹を養うを問いて、人を養うの術を得たり」などと勝手な思い入れをして感激しているのを揶揄しているだけです。

それに、「天地不仁、以萬物為芻狗」を、「この不仁と見える行為がもっとも慈愛に満ちている」と解するのも、ひょっとすると若干思い入れが過ぎるんじゃないですか。私には、「天地にとっては万物がどうなろうとそんなことは知ったこっちゃ無い」と言っているように思えるのですが。

唐辺睦 09/29 09:22

214:[ 種樹郭槖駞傳 ]

郭槖駞不知始何名病瘻隆然伏行有類槖駞者故郷人號之駞駞聞之曰甚善名我固當因捨其名亦自謂槖駞云其鄉曰豐樂鄉在長安西駞業種樹凡長安豪富人為觀遊及賣果者皆爭迎取養視駞所種樹或移徙無不活且碩茂蚤實以蕃他植者雖窺伺傚慕莫能如也有問之對曰槖駞非能使木壽且孶也以能順木之天以致其性焉爾凡植木之性其本欲舒其培欲平其土欲固其築欲宻既然已勿動勿慮去不復顧其蒔也若子其置也若棄則其天者全而其性得矣故吾不害其長而已非有能碩茂之也不抑耗其實而已非有能蚤而蕃之也他植者則不然根拳而土易其培之也若不過則不及茍有能反是者則又愛之太恩憂之太勤旦視而暮撫已去而復顧甚者爪其膚以騐其生枯揺其本以觀其疎宻而木之性日以離矣雖曰愛之其實害之雖曰憂之其實讎之故不我若也吾又何能為哉問者曰以子之道移之官理可乎駞曰我知種樹而已理非吾業也然吾居鄉見長者好煩其令若甚憐焉而卒以禍旦暮吏來而呼曰官命促爾耕勗而植督爾穫蚤繅而緒蚤織而縷字而幼孩遂而雞豚鳴鼓而聚之繫木而召之吾小人輟飱饔以勞吏者且不得暇又何以蕃吾生而安吾性耶故病且怠若是則與吾業者其亦有類乎問者嘻曰不亦善夫吾問養樹得養人術焉傳其事以為官戒
句読点がないと、気持ちが悪くなりますが、柳宗元のここのところの全文です。まちがっていないといいけれど……。

古人之糟魄 09/29 00:18

213:[ 不仁 ]

かつてこういう話を聞いたことが有る。
庭に樹木を移し植えて、しっかりと根付かせ、後はほっておいた。
小さな庭とはいえ、一つの自然である。雨も降れば風も吹く。日当たりだって悪くはない。
ところが、枯れもしないが活き活きともしていない。
そこで植木屋が言うには、「いやしくも人の都合で移した樹木は、自然のものではない。移した以上は、責任もって枝をはらい、根を守り、肥料を施し、水を撒きつづけなければならない。」
何れが真なるか、私は知らない。
ただ思うに、柳宗元は植木屋ではない。あるいは郭槖駞の話のその一を聴いて、その二をもらしたかも知れない。

唐辺睦 09/28 12:54

212:[ 『老子』第五章 ]

「天地不仁、以萬物為芻狗」。天地は万物を生むが、生んでしまえば、祭祀で用いられた藁人形の犬と同じで捨てられる。だが、この不仁と見える行為がもっとも慈愛に満ちているのである。面倒見が良すぎるのは、かえって相手を毒することになるのである。 
 これを踏まえたものか、柳宗元に『種樹郭槖駞傳』というのがある。脊椎カリエスをわずらっていたのか、槖駞(ラクダ)とあだ名された植木屋の名人、郭さんのお話。植樹の秘訣は、自然の天性にしたがうこと。しっかり根がつくようにすれば、あとは放っておくだけ。世間の人は、そのあとやたらといじって、かえって木を傷めてしまう。

古人之糟魄 09/27 23:06

211:[ 清平之姦賊、乱世之英雄 ]

後漢の末に、許劭という人物鑑定の名人がいて:
……曹操は彼のもとを訪れて、「私はどういう人間でしょうか」と尋ねた。許劭は答えない。なおもたずねると、許劭は言った。「君は治世の能臣、乱世の奸雄だ」。これを聞いて、曹操は大喜びした。(井波律子訳『三国志演義』第一回)

これが『三国志』卷一・魏武帝紀 裴松之注引『異同雑語』では:
……嘗問許子将:我何如人?子将不答。固問之,子将曰:子治世之能臣,乱世之奸雄。太祖大笑。

さらに『後漢書』郭符許列伝の許劭のところに:
……曹操微時,常卑辞厚礼,求為己目。劭鄙其人而不肯対,操乃伺隙脅劭,劭不得已,曰:君清平之奸賊,乱世之英雄。操大悦而去。

ね、現代語訳『三国志演義』を読むのも、そう馬鹿にしたものではないでしょう。

神麹斎 09/25 09:36

210:[ 漢文力 ]

著者のホームページによると、[各章準標題漢文]は、「1独愴然而涕下・2知魚楽・3夢為胡蝶・4古人之糟魄已夫・5七日而渾沌死・6未知生、焉知死・7季札挂剣・8成然寐、蘧然覚・9炳燭之明・10哀哀父母、生我劬労・11天地不仁・12知宇宙之大・13天地曾不能以一瞬・14為己・15多岐亡羊・16善将将・17清平之姦賊、乱世之英雄・18苛政猛於虎也・19生金人競争・20上兵伐謀」です。
 このうち、出典は覚えていないけれど、大学受験漢文参考書で、みたことがあるのは、1.2.3.4.5.6.7.15.18。20は『孫子』か?16は『史記』か『十八史略』か? これらは、『大漢和辭典』+インターネット検索だけでどれだけ出典が見つかるのでしょうか。
どなたか挑戦してみませんか?

菉竹 09/24 23:21

209:[ 1リーグ8球団 ]

それでもやっぱり日本のプロ野球は1リーグ8球団くらいがせいぜいだと思っている。
数試合のオールスター戦と日本シリーズのために、年間通じてお荷物カードを組むのは馬鹿げている。
そもそも、私はたいして野球ファンじゃないから、大リーグ放送が有れば充分である。
その大リーグ放送も、むかし初めて見たときに比べると、つまらなくなったような気がする。
初めて見たとき、野球とは守備を観るものだと思った。
そして、微妙な判定はより果断なほうに有利とする、と感じた。
暴走気味の走塁、一か八かのダイビングキャッチ、いくら何でもという遠投、微妙な判定はよりエキサイティングになるように判定する。客が喜ぶからだ。
ファールかホームランかで小一時間も試合を中断させる監督や、選手の身になって抗議してるんだからと容認するファンなんか、クソくらえだ。
安全主義と選手思いの監督コーチ、諸悪の根源は甲子園に在る。
選手の雇用確保のためのストなんてアホらしい。「たかが選手」と言われて、「なにを」をつむじをまげたことに拍手するだけのこと。

運動音痴 09/24 13:05

208:[ 通俗三国志 ]

現代語訳でも読まないよりマシだろうけど、湖南文山訳を読んで育った世代にはかないっこない。
幸田露伴は、孫娘が学んでいる書物の名を聞いて「大学でそんなものを……。俺は小児の頃に読んだ」と、【驚いた】そうです。その孫娘だって現在けっこう名の知れた随筆家です。

云爾 09/24 12:36

207:[ ]

つくんでないの、題名にうたっているくらいなんだから。
で、漢文力って何なんですか?

胡思 09/24 08:01

206:[ わかりません そんなこと ]

読んでないんだから、「つく」とも「つかない」とも言いようが無い。
出版社のホームページに在る宣伝文を見たかぎりでは読む気にはなりません。

>天職につくのは本当にしあわせか?
>心霊写真の幽霊はヌードのはず?
>「キティちゃん」の顔に口がないのはなぜ?
>古人の思索を楽しく追体験しながら、明日を生き抜く力を育てる本。

まあ、どんな本でも読まないよりはマシ。でも、いっそ『三国志演義』でも読んだ方がマシではないか、と。現代語訳でも好いから。

神麹斎 09/23 21:59

205:[ 漢文力 ]

先生、『漢文力』という本を読むと、漢文力はつきますか?

てつ 09/23 17:06

204:[ 安知…… ]

荘子と恵子と豪梁の上に遊ぶ。荘子曰く、「鯈魚出游して従容たり。是れ魚の楽しみなり」と。恵子曰く、「子は魚に非ず。安んぞ魚の楽しみを知らんや」と。荘子曰く、「子は我に非ず。安んぞ我の魚の楽しみを知らざるを知らんや」と。恵子曰く、「我は子に非ず。固より子を知らざるなり。子は固より魚に非ざるなり。子の魚の楽しみを知らざること、全きなり」と。荘子曰く、「請う其の本に循わん。子曰いて、汝安んぞ魚の楽しみを知らんやと云うは、既に已に吾れ之を知るを知りて我に問うなり、我は之を濠上に知れるなり」と。

これは『荘子』の一節であるから、荘子のほうが大物であるかのような問答にはなっているけれど、この荘子の最後の応えは逃げ口上に過ぎないと思う。


小子曰く、「子は蜩に非ず。安んぞ蜩の楽しみを知らんや」と。

神麹斎 09/23 09:18

203:[ 別のコント ]

男性に桃太郎侍こと高橋英樹、女性陣はう~んと若い女性グループ、例えばモーニング娘。桃太郎侍はニヤニヤ、モーニング娘は肩をよせあって、肘でつつきながらヒソヒソ。



桃太郎 09/23 08:53

202:[ 配役 ]

男性に(小さな老人ではないけれど)山崎努、
女性陣に岸田今日子、加賀まりこ……。
でも、この配役だと女性陣のほうは「かたまらない」だろうね、悲惨。

通行人A 09/22 21:31

201:[ コントの配役 ]

女性グループ3~4人が、新幹線に乗り込む。車内に入り、向かい合わせになりそうなシートをみつけてサッと回転させたところ、なんとそこには小さな老人が坐っておられる。びっくりして、反射的に又そのシートを再び回転させてしまった。その場で「失礼しました」と謝ればいいものを、その機会を失して、だから当然、ご老人も「いいえどういたしまして」という機会を得られなくて、そのまま双方かたまったまま、隣り合わせで(前後で?)2~3時間をやり過ごす……。

上は他の掲示板で、友人がおもしろがっていたテレビでみたという女優さんの話です。そこで、私は配役を考えて楽しみました。ご老人には藤村俊二か有島一郎か。女性グループの配役は思いつきません。つまりご老人の心中や如何に、が主題です。そして困っているのであって、怒っているんじゃダメ、コントにならない。

私はとっさに老人は藤村俊二!と思いましたが、考えてみると配役でかなり味の異なるコントになりそうで、誰か遊んでくれませんか、酒の肴として。

無名氏 09/22 08:43

200:[ 破壊と構築 ]

恵施は荘周の対立者だそうです。そして、恵施の新たな世界を構築しようとする努力をせせら笑う荘周のほうがかっこいいけれど、かっこいい大言壮語はしょせんは無用の長物でもある。

西洋医学の常識は罵倒しても、中国古代医学の常識には柔順な立場というのは、しょせん恵施でもなければ荘周でもない。
ぶっ壊しっぱなしでは何の役にも立たないのは、まあ間違いないだろう。

病人はすべからく放置して、治るやつは治る、治らないやつは治らない。真実かもしれないけれど、そういうわけにはいかない。

神麹斎 09/21 18:14

199:[ 恵施 ]

白馬は馬ではないとか、天と地は水平であるとかいう詭弁をもってなる名家の先輩格に恵施という人がいた。彼によってあらゆる常識的判断は論破され、天地と万物は閉塞状態から脱して、原始の渾沌を回復する。曰く「天と地と与に卑く、山と沢と与に平らかなり」、曰く「我れ天下の中央を知る。燕の北、越の南、是れなり」。
しかしながら、
> この世界が言わば無政府状態のままに放置されてよいというのではない。……恵施においても世界はやはり一定の秩序の下に存続していくべきなのである。……先ず「畢く異なる」はずの各個物の特性や、物相互の関係の実情が、既成常識的判断に囚われることなく新たに究明され、天地・万物の本来在るべき姿が再確定される必要がある。そこで恵施は、対象世界に向かって異常なまでの探求を開始するのである。(中国古代の言語哲学 岩波書店2003)

蔭軒 09/21 13:30

198:[ 大義 ]

民族と宗教の大義のためにテロをおこない、
テロ撲滅という大義のために強硬な態度を取り強行に突入する。
それをそれぞれの指導者は、安全なところで沈痛な貌で見守る。
大義などというものは唾棄すべきものである。

云爾 09/04 15:55

197:[ 配楽遊泳 ]

スポーツ音痴の私は、それでもシンクロナイズド・スイミングは、僅かながらロシアのほうが上だと見ました。ただ、それは多数の中から脚の寸法をそろえてペアを組ませるという人材の豊富さと、不自然さを基調とする動作の徹底的訓練の巧みさ、そして或いはその非人間的訓練と妙に調和する容姿、といった「ある種のもの悲しい」理由によるものと思われます。
日本人にとっては、やはり無理矢理の西洋風味を要求されるスポーツではないでしょうか。第一、日本風にアレンジしたと称する振り付けや音楽に、全く日本を感じません。

柔道は無惨です。メダルは多く取ったけれど、スポーツ化されて、何が何だかわからないもつれ合いのうちに勝敗が決まる、らしい。つまり柔道は西洋化されて、ジュードーになって、したがって西洋人も優勝しうるスポーツとなった。シンクロナイズド・スイミングはまだ配楽遊泳にはなりおおせてない。したがって金メダルは無理である。

云爾 08/31 18:50

196:[ それにしても ]

それにしても、沈澍農さんの「玉字は衍で、左傍に有る小圏は刪を示す」は正解だろうとは思うけれど、どうやってそんな字が紛れ込んだんだろう。『玉篇』には「捭 補買切兩手擊也」とあって、その下に「擺 同上」ですから、擺を『玉篇』で調べて、「捭 補買切兩手擊也」を見つけて、『玉篇』ではこうこうですよと書いたつもりなんでしょう。とするとそれを見た抄者が玉捭=玉擺という熟語と誤解して、原文には一字脱していると誤解して、「又云治為人所玉擺㩌舉身頓仆垂死者方」と書いて、その後にまたその「玉」が衍文であるのに気づいた人が小圏を施す? ああ、ややこしい。頭が痛い。

科葉師友 08/21 12:16

195:[ 酒席の侃々諤々 ]

『医心方』をめぐるお話、だんだんまじめな方向に変わってきてしまって、その分、なんだか小難しくて酒席に相応しくなくなったみたいですけど、せめて「お茶の時間」に話せばいいなんて言われそうですけど、ある意味で本領発揮です。かつての原塾の講義の後の酒宴の侃々諤々を彷彿とさせるものが有ります。

神麹斎 08/20 07:38

194:[ 中医古籍用字研究 ]

沈澍農さんの『中医古籍用字研究』(たぶんまだ未発行)で、190から話題の『医心方』巻十八第廿について、沈澍農さんは「”玉”字は衍で、左傍に有る小圏は刪を示す」と解説しています。
なおこの本では「擺」字の下の字は、「手偏+費」ではなく「拂」としています。意味は変わらないようですが、ちょっと行き過ぎでしょうか。

菉竹 08/20 00:04

193:[ やっぱり ]

やっぱり筑摩書房版なんてほしがるのはやめましょうよ。

神麹斎 08/19 13:15

192:[ ありがとうございました ]

お手数をかけて申し訳ありません。
安政版にも傍注があります。
筑摩書房の精解の著者は、反切についての知識があまりないようで、
傍注を「玉{木+界}字補」と「買反兩手撃」に分け、さらに本文に{木+界}を補い、「玉{木+界}」とし、「擺」字の下の字を「{木+貴}」として解釈しています。

t.ag 08/19 11:24

191:[ 玉の瑕 ]

又云治為人所玉擺㩌舉身頓仆垂死者方
傍注:玉{手偏に界}字補買反兩手撃也

『医心方校釈』には「玉」字は無く、その注に(通行の繁体字に変換):
擺㩌:撃打。擺,通「捭」、『説文』:「兩手撃也。」㩌,『集韻』:「撃仆也。」又云,「楚謂搏撃。」

「玉」字を除いた理由は書いて無いようですが、おそらく左脇の小円を削除を指示する符号と身たんでしょう。傍注は『玉篇』の「捭 補買切兩手撃也」の引用です。その人は卑を界に見間違えているようです。傍注に有るからといって、どうやったら本文に「玉」の字が紛れ込むのかは不思議ですがね。

それにしても傍注は半井家本にしかないだろうと思うんですが、お持ちなんですか。それとも安政版には有るんですか。いずれにせよそれを見てわからないなら、筑摩書房をほしがるよりも『医心方校釈』をお買いなさいよ。
先に言ったのは、『医心方校釈』を見て腑に落ちない場合、半井家本でどうなっているかをお教えします、というだけのことですよ。それから先の疑問に一々答えるほど親切でも無いし、第一それほどの能力は有りません。例えばここで言えば、「玉」字を除いた理由については想像できるだけで、「教える」という素養は有りません。

神麹斎 08/19 07:17

190:[ 『医心方』傍注 ]

『医心方』巻18の第20の葛氏云……
「又云治為人所……」
の傍注は、なんと書いてあるのでしょうか。
それは、本文のどの字の注なのでしょうか。
また、本文は通用の文字になおすとどうなるのでしょうか。

t.ag 08/18 22:29

189:[ 君子国 ]

変な疑問なんですがね、グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国(つまり所謂イギリス)から北アイルランドが独立するとか、ウエールズが独立するとか、そういうのは何となく分かるような気がしますが、イングランドとウェールズとスコットランドが共同して独立して、ひとつのグレート・ブリテン国になるというのは、可能なんですかね。日本国を東海君子国に大改定を読んで、馬鹿なことを考えました。大部分の土地と大多数の人間を引き継いで、過去の歴史と文化からは断絶した国になる。新国家の体制は、一から構成しなおす。歴史はそこから書き始められる。過去の歴史と文化はそれぞれの各民族のものとする。公用語を暫定的に日本語とするが、これは大多数の国民が話せるし、より決定的には大部分の国民がこれしか話せないからである。

胡思 08/16 11:22

188:[ 小改定 ]

前に国際親善試合用に思い浮かべた久米歌は、実は下のやつなんですね。

みつみつし 久米の子らが 垣下(かきもと)に 植えし椒(はじかみ) 口ひひく 吾は忘れじ 撃ちてしやまん

これって、「この間は辛い目にあわせやがって、さあリベンジだ!」というような意味なんですねえ。それじゃちょっと拙いや。もともとうろ覚えだったんですけど、なんとなく「山椒は小粒でひりりと辛いぞ!」だと思ってました。すこし改作して、例えば「汝は忘れじ」にしたんではダメですかね。

唐辺睦 08/14 21:49

187:[ 塵芥から超越する ]

銭超塵先生、一大事です。日本では「塵」という字は人名には相応しくないとして、人名用漢字追加案から削除されました。


銭超塵先生は、北京中医薬大学の教授で、中華医薬学会医古文研究分会の主任です。我らが最も尊敬する学者の一人です。

神麹斎 08/14 07:41

186:[ 医心方校釈 ]

筑摩書房から出ているという全訳精解なんて見たこと有りませんので、どんな程度にオロカシイ活字化がなされているのかは知りません。ただし、一般的に言えば俗字の活字化を全面的に放棄するわけにはいきません。『医心方』 くらいになると、活字化する学者の説を鵜呑みにするわけにはいかないからです。そんなことを詮索する気にならないという人には、そもそも『医心方』は無理でしょう。『医心方の入門』というような本を探したほうが無難です。それも勿論かたよった解説書でしょうが。
半井家本『医心方』をすらすら読める人が、日本にどれくらいいるのかも知りません。おそらくそんなにはいないでしょう。そして、そういう人はおそらく半井家本『医心方』を持っているでしょうから、それを読めばいいです。
そうでない人には沈澍農氏等の『医心方校釈』(学苑出版社)をお勧めします。これにもかなりの俗字を保存しているはずですから、お気にめさないかも知れませんが、基本的には簡体字版です。だから読みやすいはずですが、間違えて変えてしまった文字もかなり有ります。断っておきますが、沈澍農氏は私なんぞよりはるかにレベルの高い学者です。ひょっとすると貴方よりも。それでも、私がその誤りに気づくのです。
読者の読みやすくしろ、安くしろというわがままに著者がいちいち付き合う義理も有りません。まあ、どっちみち買う人は買う、買わない人は買わない。『医心方校釈』は、たかだか96元です。日本の本屋で買ったってたいしたことは無いでしょう。
簡体字ですが、『医心方』を読もうというほどの人ならそれくらいは読めるでしょう。変だと思う箇所が有ったら、問い合わせてください。半井本でどうなっているかはお教えします。多分、うっかり誤改した俗字でしょうから。
筑摩書房から出ている本が高いのは、多分、装丁と用紙のせいでしょう。本屋のわがままにいちいち付き合う義理も、読者には有りません。中国には「下にも対策が有る」という諺が有ります。何のことだか分かりませんが。『医心方校釈』はペーパーバックでざら紙みたいな本です。(校正にあまり金をかけてないらしいのは、学苑出版社の欠点です。)

神麹斎 08/13 15:59

185:[ 『医心方』 ]

筑摩書房から、全訳精解というのがでています。
そこでは、俗字の活字化というオロカシイ作業がなされています。
なんの意味があるんだ! 一般の読者は、どういうことが書いてあるかが分かれば十分であろうし、専門家なら安政版ぐらい持っていないはずはない。
どんな意味があるんだ?
字形を保存したけりゃ、安政版を切り張りしてその後に釋文をつけりゃ済んだはずでしょ。
あれは、著者のわがまま・自己満足以外のなにものでもない。
読者の立場を考えていない。あんなバカナ活字化させしなければ、値段が半分以下になるはずだ。全部で30冊もあるんだ。

t.ag 08/13 15:09

184:[ 読む 書く 選ぶ ]

古籍をひもといて見慣れない漢字に遭遇し、字書をひっくり返して、現在通行の文字では何に相当するかをつきとめる。辛気くさい作業だけれど、つきとめた時には爽快です。ところが古抄本の電子化をはかって、しかもなるべくなら古字や俗字も保存したい、なんぞという物好き(必要な面も有ると思う)を始めると、辛気くさいだけで、しかも完全には達成されるはずのない作業ですから、うっとうしいことおびただしい。
で、この「完全には達成されるはずのない」というのは、使える漢字が足りないということだけではなくて、そもそも漢字というものの性格なんじゃないか、と最近になって思い至ったわけです。「おおよそこんなような形」なら「こういう意味」ということでしょう。それに「门」と略して書かれた原稿も、印刷されたら「門」になっているはず、というのが暗黙の了解じゃないですか。書いたり読んだりする時には、その曖昧性に助けられているんだろうが、選んで入力する場合には、毎度毎度、「底本にぴったりの形は無いんだけど(ほとんど有るはずがない、ぴったりと言うのは微妙な違いに気づかないだけ)、これとこれとどっちを選ぼうか」なんてね、「与と書いたのは単に與と書くのがめんどくさかったのか、それとも選んでそうしたのか」なんてね、全く辛気くさい、うっとうしい。

神麹斎 08/13 11:14

183:[ 兌當 ]

本当はどうでも良いと思うんですよ。でも、何かを「選んで」入力しなければならないので、ぐだぐだ言っているわけです。ほとんど悲鳴です。大体が、『干禄字書』の序文に、著述には正を用いるのが「兌當」と言うんですが、その兌の字に本文中で通としている形を用いています。やんぬるかな。そもそも序文は本物かという議論も有るそうですが。

『干禄字書』では、殺が正、煞は俗、煞の下の部分が小は通だそうです。

神麹斎 08/13 10:31

182:[ ]

羅振玉の『碑別字』という碑や墓誌などに残された古くて今では見慣れない字体を集めた本があります。その後、増訂をかさねて、別の編者による『廣碑別字』というのが、いちばん収録数が多いでしょうか。それにはいろいろな字体が載っています。「煞」も下が点四つではなく、三つのもの、「一」のもの、「小」のものもあります。
このような字典をながめていると、多様でありまして、一概に間違いとかウソ字とか、決めつけられなくなります。
日本には、この『碑別字』も収録した有賀要延編『難字・異体字典』というのがあります。愛用しております。

菉竹 08/13 10:02

181:[ ]

うっかりしてましたけど、私の持っている『干禄字書』の序文では「爲」でしたね。こういうのが嫌になってしまうんですよ、辛気くさくて。

神麹斎 08/13 09:44

180:[ 干禄字書 ]

実は正俗をいうときに、『康熙字典』を基準にしてはいないのです。大抵は『干禄字書』です。これだって、隋末唐初の字体の正俗をいう場合の基準にするのは本当はおかしいでしょうが、『干禄字書』だって突然現れるわけじゃないでしょうから、(顔氏の独断に対する批判はちょっと棚上げにしておいて、)まあ共通認識が構成されていく課程を伺うということで。それに正俗というよりも、そういう字形がちゃんと有ったのかどうかのほうが気になります。例えば『太素』では、今なら「殺」と書くところに「煞」と書いているようです。「ようです」というのは、古抄本では「灬」はたいてい「一」のように略されます。『太素』の「煞」の場合、そのように書かれたものも有りますが、さらに「ヨ」の下に縮こまった書き方も有り、全く省略されたものも有ります。これは抄者の書き間違いか、あるいは勝手なウソ字では無いかと疑うわけです。「煞」なら俗としてちゃんと載ってますから、ここまでにしておこうか、というような使い方です。それに前にも言ったように、「眞」とか「爲」とかいうのはそもそも問題にされてないから、まあ無視しておこうか、と。問題はねえ、載っている字数があまりにも少ないことと、正通俗のどの字体も現在使われている形とは微妙に違うことが結構多いことと、そもそも現存する『干禄字書』が一種類じゃなくて、しかも相互に載っている字形が違うことです。『干禄字書』を整理・拡張した字典くらいは欲しいんだけど、そんなもの、需要が有るわけも無いしね。

神麹斎 08/13 06:23

179:[ 米がない?松茸をお食べなさい! ]

民間交流の一環として北朝鮮への「ふぐ&松茸食べ放題ツアー」が企画されているらしい。何だかよくわかりません。
「食べ放題ツアー」を、「食糧危機で世界中からの援助」の必要が叫ばれている国で行う、というのは奇抜です。我々凡人にはとても思いつけない。

マリオネット 08/11 17:53

178:[ おっしゃるとおり ]

おおむね r k さんのおっしゃるとおりです。
私も最近は、真とか為とかで入力しています。ちゃんとした(微妙な表現です)版本の大抵がそうしているからです。時々気まぐれに『康煕字典』体に統一なんて物好きもやりますが、それが物好きであることは自覚しています。
問題は、フォントによってはだろうと思いますが、声符としては眞とか爲を使ったものしか無い場合が有る。これが気持ち悪い。で、冒頭にもどって統一を図る。これもまあ物好きです。(中国フォントを使えば、もともと真とか為とかに統一されているような気がします。)
本当は、声符に専を使った字形も欲しいんです。ただ、右肩に一点が有れば尃でしょう。注記された反切も尃のほうが相応しいかったりすると、これはやはり戸惑うわけです。そのくせ意味は専のほうが相応しかったりして、ますます戸惑う。右肩の一点なんて簡単に剥落しますしね。
『太素』に『康熙字典』体で書いてほしかったと言うのは、ないものねだりには違いないけれど、『干禄字書』に「専は通で專が正」ですから、古巻子抄本に(できれば)傳と書いてほしかったと言っても、それほど無理な注文ではないような。そこまで心遣いする気にはならんでしょうがね。(真の正が眞、為の正が爲なんてのは『干禄字書』にも無い。『康煕字典』の創作というわけではないとは思いますが。言い忘れましたが、『干禄字書』体も顔真卿による全くの創作、というわけではないだろうと思ってます。)
それから、誤解をまねくような書き方だったかも知れませんが、「漢字学者らが歴史的、伝統的にみて決めることでしょう」というのは、版本と手書き(清書)文書の双方の実際を研究してという意味です。まあ、活字体を問題にしているだろうから、版本に重点ですかね。『康煕字典』にこうある、なんて主張は学者にあるまじきものだと思っています。
で、「正字とは、不変のものではなく、その時々のお上の気まぐれで決」まるとして、せめて『康煕字典』編纂時くらいのしっかりした(これも微妙な表現です)基準は有って欲しいし、だけど、そんなものは今のお役所には望むべくもないんだから、辞書屋に肩肘張ってガンバッテほしい、ということです。いや、そんなものは今の辞書屋には望むべくもなかった。だからそこで、あらためて、ガックリということです。

神麹斎 08/11 14:05

177:[ 康熙字典体 ]

康熙字典の親字の字体を康熙字典体ということにします。シンニュウに点をふたつ打つのが康熙字典体です。(当たり前ですが手書きの)伝統的な楷書では、点はひとつだけです。(それにしたがえば、手書きでは点ひとつで結構、印刷されたら、プリンタまかせ。)以前は、手書きのものから字を習い覚えていたのですが、現在は印刷された文字から手書きの文字を覚えるようになって、手書き体と印刷体とは、区別されて当然という考えが抜け落ちてしまったのかもしれません。(圧倒的な印刷文化の中で生きているわれわれにはしかたがないことですが。)アルファベットでは、LやAの小文字は印刷体と筆記体では明確に日本人は区別しているのに。
「經」も康熙字典体です。「爲」もそうです。漢語圏の繁体字は、康熙字典体ではなく「為」という伝統的な楷書を使っているんじゃないでしょうか。日本の学術論文は康熙字典体を使っていますが。
「傳」も康熙字典体です。伝統的な楷書はニンベンに「専」です。『太素』に康熙字典体で書いてほしかったといったら、それはないものねだりです。
正字とは、不変のものではなく、その時々のお上の気まぐれで決まります。それにたいして、学者先生がそれはちがうと文句をいうのですが。
よく知られているように、『康煕字典』の序は、康熙字典体ではない字形がたくさんありますし、同じ文字が別体で書いてあったりします。これからみても、手書きと印刷体は別物という意識をこの康熙帝の序文を筆写した陳さんにはあったんだと思います。いや、こんなこと頭の隅にもなかったと思います。

rk 08/11 12:52

176:[ 正しい漢字を法務省にお伺い?! ]

地方新聞の夕刊に、遙という字のしんにゅうは、一点が正しいのか二点が正しいのか、異体字問題で出版社が困っているという記事が載った。例の法制審議会が検討中の人名用漢字追加がらみの話です。地方新聞の編集部が思いつきそうな話題ではないから、多分、どこかが作った記事を採用したんだろうと思うけれど、皆さんの地方では載ってますか。
結論を言えば、一点が正しいのか二点が正しいのかなんてのはナンセンスであって、そんなことは活字のデザイナーがどちらかに統一すれば良い。ところがその記事で紹介されている慌てたという出版社の漢和辞典を調べてみてガックリしましたね。ほとんどの場合、一点のと二点のとわざわざ両方とも載せていて、ただ新字体では一点、それ以外では二点のを先に挙げているだけ、らしい。辞書としての統一見解が、もともとこんなものだったとは。
で、今後、辞典の表記に混乱を生じかねないからと、法務省にお伺いをたてているらしい。漢字に関してお役所が阿呆なことは知っていたけれど、出版社の方がもっと阿呆だとは気がつかなかった。どの字体が正しいかは(そんなものが有るとしてのことですが)、漢字学者らが歴史的、伝統的にみて決めることでしょうが。辞書出版社はその一方の将だろうに。なさけない。かりにもかの諸橋の大漢和を出してる出版社がですよ。(他の出版社だって、ほとんど皆んな同じです。)
『康煕字典』を標準にせよ、なんて言ったら総スカンをくらうことはわかっているし、くらわせるほうが本当だとも思うけれど、今あたふたしているという辞書出版社よりはずっとましだと思う。

神麹斎 08/11 10:01

175:[ 大改定 ]

おしはかってみれば、中国の人にしてみれば、
「ドイツチームが卍十字を掲げて、総統賛歌を斉唱したときに、フランス国民がもつであろうような感情」
といったものだったかも知れない。そこでいっそのこと、この際みんな改定してしまったらどうだろう。

国号:東海君子国(『淮南子』墜形訓「東方に君子の国あり」)
国歌
候補1:越天楽今様・春のやよい(春のやよいの あけぼのに四方の山べを 見わたせば……)
候補2:花笠踊り(目出度目出度の若松様よ 枝も栄えて 葉も茂る……)(題名と歌詞の一部に変更の必要有り。)
スポーツ競技前専用:久米歌(忍坂の 大室屋に 人多に 来入り居り 人多に 入り居りとも みつみつし 久米の子が 頭椎い 石椎いもち 撃ちてしやまむ みつみつし 久米の子らが 頭椎い 石椎いもち 今撃たば宜し)=ニュージーランドのウォークライに倣って
国旗:黄色い太陽=あるいは金色の日の丸
元首尊号=東天子(聖徳太子が隋におくった国書に「日出るところの天子」云々)
建国記念日:国号改定の日(8月15日に改定でも良い)

でもって、ヤスクニなんてものは、むかしあったダイニッポンテイコクのものであって……。

唐辺睦 08/10 18:44

174:[ 漢字は文様 ]

パソコンで古籍を扱う場合、以前には漢字が足りないのが悩みでした。でも現在では、ユニコードの標準のCJK統合漢字が約2万字です。普通の漢和辞典の親字が約1万字で、そして普通の漢和辞典を繙けば、大抵の古籍は読めるのですから、大抵の古籍の電子化にはまあ大丈夫です。さらに拡張領域のAには約7千字が有り、拡張領域のBに至っては約4万字です。総計約7万字。かの有名な諸橋大漢和が約5万字ですから、もうこれで足りなければ余程のことです。
ところが、ここへ来て、別の次元の悩みが登場します。つまり、漢字はそもそも電子化にはそぐわないのではないか。文字の文は、つまり文様の文です。言ってみれば絵画です。絵画であるから、私が書いた場合と貴方が書いた場合と、細部に至るまで同じということは無い。それも通じるのは何故か。余程へたくそでなければ、虎を画いて狗と言われることは無い。(実は有る?)ある時期、小学校や中学校の国語教育で漢字の「はね」と「とめ」に厳しすぎて、漢字嫌いを増長させていましたね。「于」と「干」の違いは教えざるを得ないけれど、現実の生活の場面においては、人はそんな細部を確認しなくても、ちゃんと正しく読んでいる。登場する場面における常識が手助けしてくれる。でも、この融通性が、実はかえって古籍を整理する場合の悩みです。古籍では、それが古い貴重なものであればあるほど、読みやすさを多少犠牲にしてでも、底本の古字、俗字を保存するのが望ましいとされています。「汗」という字が登場すれば、誰だって反射的に「あせ」と思います。でもたまに「干」でなくて「于」と書かれている場合が有ります。「あせ」の意味なら、それは単なる書き誤りです。あるいは、もっと言えば、書き癖です。そんなことに目くじらを立てるのは(かつての)小学教師風です。ところが実はさんずいに「于」という字も有るには有るんです。これは「汚」と同じです。つまり、縦にまっすぐだろうが、右に装飾的にくねらせようが(この場合は)同じことです。普通は文意から判断できます。でも、まれにはどっちでも通じないことは無い、ということが有る。そこで、さんずいに「于」という字がパソコンで使えるかどうかを探します。実は使えます。「汙」。だから余計にややこしい。判断を保留して逃げただけです。私がいまこだわっている『太素』という書物には、音がハク(謗各反)で意味が聚という字が出てきます。見た目は木偏に専です。木偏か手偏かも紛らわしいんですが、これはこの際は棚上げにしておいて、専(專)では、ハクというわけにはいきません。尃ならまあ大丈夫。でもそうすると意味のほうに少々難が有る。当時(隋唐)の人は多分、瞬間的に判断して、何も悩むことは無かったんだと思う。文字、文様としての漢字とは、そうしたものです。でも、現代の我々、特に古籍を整理するものは悩みます。それでは、木偏に専という字形がパソコンで使えれば良いのか。まあ、そうではあるけれど、そこまで要求していては際限がない。それに、そもそも判断の棚上げに過ぎない。
要するに、漢字というのはイメージであって(多様性に歯止めが無くて)、デジタル化(活字化でもほとんど同じだけど)にはそぐわない文字なのではないかという御託です。どっちでも良いと言われたって、どちらかを選ぶ基準がしっかりして無ければ、選ぶ現場ではおたおたする。そして所詮、しっかりした選ぶ基準なんか、有りようはずがない。所詮、書くべき文字であって、選ぶべき文字ではないような……。

神麹斎 08/10 09:33

173:[ 先学不瞬、亜学視 ]

> しかし、弓はどうなさる?弓は?老人は素手だったのである。弓?と老人は笑う。弓矢の要る中はまだ射之射じゃ。不射之射には、烏漆の弓も粛慎の矢もいらぬ。ちょうど彼等の真上、空の極めて高い所を一羽の鳶が悠々と輪を画いていた。その胡麻粒ほどに小さく見える姿をしばらく見上げていた甘蠅が、やがて、見えざる矢を無形の弓につがえ、満月のごとくに引絞ってひょうと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来るではないか。

嘘である。鳶は悠々と飛び去ったものと思われる。

> 様々な噂が人々の口から口へと伝わる。毎夜三更を過ぎる頃、紀昌の家の屋上で何者の立てるとも知れぬ弓弦の音がする。名人の内に宿る射道の神が主人公の睡っている間に体内を脱け出し、妖魔を払うべく徹宵守護に当っているのだという。……紀昌の家に忍び入ろうとしたところ、塀に足を掛けた途端に一道の殺気が森閑とした家の中から奔り出てまともに額を打ったので、覚えず外に顛落したと白状した盗賊もある。

これは有るかも知れない。盗賊は所詮、人である。人であるからこそ、そのような噂、夢物語、嘘に、すすんで(好んで)騙される。

中島敦『名人伝』より 08/08 16:50

172:[ かなしい ]

かなしい。
応援している側が負ければ、当然、かなしい。
対戦相手の側についた解説者が、偏った身びいきの言葉を発するのを聞くのは、かなしい。
応援している側についた解説者が、偏った身びいきの言葉を発するのを聞くのも、かなしい。
そして、首をかしげそうな不利な裁定は、かなしい。妙に有利な判定もまた、ときに、かなしい。
「政府上層部の、かつてない高い関心と不満、そして憂慮」とか、「一部メディアは、この問題を別の主張に利用している」とかいうのを聞くのも、馬鹿馬鹿しくも、かなしい。
でも、これらはあるいはそうであるかも知れないし、あるいはそうではないのかも知れない。
不満、憂慮云々が過剰反応であるかどうかは、所詮は水掛け論である、そのことが、かなしい。
しかし、試合終了後の観客や選手が、二時間半にわたって足止めされたのは、事実であり、そのことによって世界に恥をさらした。
文明古国の、この民度の低さ(試合後に騒いだ人民に対しては、あえてこの言葉を投げつける)は、ひたすらに、かなしい。

胡思 08/08 10:31

171:[ そりゃあまあ ]

そりゃあまあ、一連の騒ぎからみれば、かの国の民度はあまり高くはないだろう。しかし、それを口にしてしまう政治家というのも、まあ、あまり教養が有るとは言いにくい、というか、すくなくとも「思慮とテクニックにおいて欠けるところが有る」のは歴然としている。

胡思 08/07 18:33

170:[ 国旗、国歌、テンノー ]

まあ考えてみれば、ヤスクニに参拝して、「何が悪いんだ」なんて、人の神経を逆なでするようなことを言うごじんがソウリ大臣をやっている国だからねえ。
それにしても、占領軍はどうして国旗、国歌を改定しなかったんだろう。日の丸とか君が代とか、そりゃアジア諸国にしてみれば気に障るだろう。
テンノー制は、まあ、そのおかげで戦後がなんとかなったという面は有ったんだろうけれど、すくなくともヒロヒトテンノーは責任を取って退位、別系統のミヤケから即位という手も有ったんじゃないか。ひょっとするとそうすれば、「女性テンノーを認めるか」「認めないと数代先には絶える」なんて騒ぎも避けられたのかも知れない。

云爾 08/05 12:51

169:[ ここにも阿呆が ]

アジアカップの日中戦にむけて、ホソダ官房長官が中国側に冷静な対応を申し入れたんだそうです。
なんだかこれもちょっと恥ずかしいね。

ひょっとするとこの人、ヨルダンかバーレーンに負けてくれていたほうが面倒がなかった、と思っているんじゃないか、何だかそんな気がする。

胡思 08/04 13:00

168:[ 翻訳 ]

岩波の『図書』8月号で、とんでもない翻訳の紹介を見ました。

登張竹風訳『如是経序品』
「光炎菩薩、御齢三十にして、その故郷を去り、故郷の湖辺を去りて、遠く山に入りたまへり。山に住して禅定に入り、孤独寂寞を楽しみたまふこと、茲に十年なるに」云々

格別、現代語訳より理解に難しいとは思いませんし、むしろすっきりして読みやすそうなんですが、大正十年の発行当時、すでに「流石にこれでは受け容れられ難」かったそうです。そうかなあ。

神麹斎 08/01 17:47

167:[ 文明 ]

やっぱり中国人(の大部分)は阿呆である。
国歌演奏に際してブーイングというのは、感情としては分からないでもないが、そっぽむくくらいにしておいたほうが高級であろう。
釣魚島云々こそ阿呆である。本当は、大部分の中国人にとって何の利害も無ければ、そもそもどのあたりに在るかの認識も無いだろう。簡単に煽動に乗せられているだけのことだと思う。日本にだってこの種の阿呆はいるが、それはごく一部の特殊な人で、世間一般からは冷ややかに扱われている。
かの文明古国がどうしてこんなていたらくなのか。一つは「中国は一つである」というスローガンのせいである。ちょっと突飛な言い方ではあるが、我々も「何故そうなのか」を問いただすことなくきた。ましてや中国人民にはなおさら頭ごなしのスローガンであろう。誤解の無いように断っておくが、二つのあるいは三つの中国を主張しているわけではない。何故なのかは、きちんとわかりやすく説明してほしいと言っているのである。釣魚島も、中国であるのか日本であるのか、それともどちらでもないのか、それこそ「歴史的に」きちんと説明してほしいものだ。
スポーツ観戦におけるマナーの悪さには、実は中国政府当局もとまどっているらしい。それはそうだろう。やがてくる北京オリンピックで、世界が注視する中でおこたったら、「オリンピックで国威を発揚する」どころか、野蛮国と言われかねない。当局がやきもきしているということは、大部分の中国人が阿呆というだけのことで、全ての中国人がというわけでない証拠である。第一、個人的に面識が有る中国人のほとんど全ては、個人的に面識の有る日本人の大部分よりも、はるかに優れた人たちである、文明的である。

云爾 08/01 07:57

166:[ あ、らら ]

結局、危険を冒して日本へ来るのね。お病気だからしかたないなんて言い訳、小藪さんちに通じるのかしら。だいたいが、純ちゃんたら何も約束とってないのに、胸をたたいて「ボクにまかせて」なんちゃって、たのね。

それにしても、かの国もいいつらの皮だねえ、おまえんとこの病院じゃ信頼できない、ってことでしょう、これって。長逗留になるだろうってことで、はりきって準備もしてたろうに、ねえ。

云爾 07/17 14:47

165:[ 散文詩 ]

私としては、臆解は散文詩のつもりでいる。
そのこころは、現代散文詩なんてものは、書いた本人は真理を解き明かしたつもりでいるのだろうけれど、他には誰にも分かりはしない。
書いた本人にだって分かっているのかどうか、はなはだ心許ない。例えば吉田一穂ほどの詩人の自信作を、加藤郁乎ほどの解説者が「さほどすぐれた詩とも思われない」なとど言っている。

神麹斎 07/10 08:57

164:[ 合理的な解釈ということ ]

 むかし魯の哀公が孔子に「夔は一本足だと言うが、本当かね」と聞いた。答えて言う。「堯、舜の楽正である夔は、人間なのに一本足というわけが有りません。彼は六律を正し、五声を和し、以て八風を通じ、而して天下を平らかにすることが出来ました。夔の如きものは、一人いれば足りると言うのであって、一本足というわけではありません。」(『韓非子』『呂氏春秋』などに見える。)
 つまり「夔一足」は「夔ハ、一足ナリ」でなく「夔ハ一アレバ、足ル」と訓むべきだと言うことだ。流石に孔子様ご明答、と言いたいところだが、どっこいことはそんなに簡単ではない。
 夔はもともとは『山海経』に出てくる一本足の怪獣である。黄帝が蚩尤と戦った時に、皮を剥がれて鼓になった。この軍鼓を打ち鳴らすと山谷が呼応して響き、天地の色も変わったほどだったので、夔と言う名前は音楽界に重きを為して、『尚書・舜典』ではついに楽正となる。そこで孔子は、持ち前の合理精神を発揮して「一アレバ足ル」と訓んだわけだ。
 だけどねえ、古代の人々が一本足の怪獣「夔」を幻想したのは確かだろうし、『山海経』には一足も双頭も九尾も、別に珍しくもない。「夔一足」の訓み方は、医古文の教科書でも「詞性分析」の例に引っ張り出されるが、「夔ハ一アレバ、足ル」と訓むのは、はっきり言ってしまえば、己の意を以て原意を歪曲するというものでしょう。
 ただし、断っておきますが、むかしの人が一本足の怪獣を幻想したと言ってるんであって、そういう怪物が実在したと言ってるんじゃ無いからね。ましてや、今でも中国奥地には生息しているなんて言ったら、あんた馬鹿だからね。

 上は、もう十年以上も前に『内経』誌の巻頭言として書いたものだけど、古典の合理主義的な解釈をしたら、内容が味も素っ気もなくなってしまった、とか言う話が有ったらしいことを、今頃になって知ったので、引っ張り出してみました。「味も素っ気もなくなった」のは、つまり解釈が稚拙であるか、もしくは浅薄なせいであって、合理的精神のせいではない。上述の「夔はやっぱりもともと一本足の怪獣だった」という話は、袁柯という中国の神話学者の説です。古医籍の世界にだってこのレベルで「合理的な解釈」を施せる人は当然いるはずだと思う。

神麹斎 06/20 08:47

163:[ アルコール依存症の診断ガイドライン ]

> (1)飲酒したいという強い欲望あるいは強迫感がある。
 強い欲望は、そりゃ有るわさ。強迫感?これはわからない。
> (2)飲酒の開始、終了、あるいは量に関して行動を統制することが困難。
 はい、とても困難です。でも、酒飲みは皆そうでしょう?
> (3)飲酒を中止したり、減らしたりしたときの生理学的離脱症状(禁断症状)。
 心理的困難は有るけれど、禁断症状は無い、と思う。
> (4)はじめはより少量で得られたアルコールの効果を得るために、飲酒量をふやさなければならなくなっている。
 いや、最近、あまりたくさんは呑めなくて……、と、これは逆に健康には不安が有るんじゃ……。
> (5)飲酒のために、他の楽しみや興味を次第に無視するようになり、飲酒せざるを得ない時間や、飲酒の効果から回復するための時間がかかるようになる。
 いや、とんでもない、酒を飲むのに文庫が肴という人ですから。スポーツ観戦グッズと称して、ビールとおつまみを用意する人ですから。
> (6)明らかに有害な結果が生じているにもかかわらず、依然として飲酒する 。
 明らかに有害な結果は……、多分……、まだ生じてないと思う。でも、気づいてないだけかも知れないし、気づいても多分……やめないと思う。

 以上の項目のうち三つ以上の経験があるか、出てきた場合には、アルコール依存症と確定診断されるんだそうです。はて???

神麹斎 06/17 22:04

162:[ 去病 ]

人名に使えるようになる漢字の中に、変な字が有ると話題になっている。
だが、糞という字を名前に用いた例は、古代日本には有る。これは汚らしい名前を付けておけば、病魔も嫌がって近づくまい、という発想である。だから、変な名前という認識は有るわけで、立派な大人になったら改名したんだろう。
癌という字を名前に用いた例は、古今東西に知らない。これは癌という詞の発生が遅いからであって、病や疾を名前に用いた例なら、古代中国にいくらも有る。例えば霍去病、辛棄疾。「去」とか「棄」とかを上に冠しているのだから、トータルした意味は悪くない。だから、現代中国にもいるんじゃないかと思う。ただ、日本人は「病」とか「疾」とかいう文字自体に過敏に反応し拒否して、まず人名には用いないだろう。なんとか不「死」男とかいう人がいたような気がするが、あれは確か筆名だからねえ。奇を衒っている。

神麹斎 06/11 22:01

161:[ すでに文庫になっているもの ]

すでに文庫になっているものでご愛用は、
『隨園食単』袁枚著・青木正児訳 岩波文庫
『酒の肴・抱樽酒話』青木正児著 岩波文庫(これに実は『酒中趣』の大部分が収められている。)
『華国風味』青木正児著 岩波文庫
『陶庵夢憶』張岱著 松枝茂夫訳 岩波文庫
『山海経』高馬三良訳 平凡社ライブラリー などなど
それから変わったところで、
『孫子』浅野裕一 講談社学術文庫
これをパラフレーズして、「孫子療法」なんて夢想する。例えば「医は詭道なり」なんてね。詭る相手は患者ですよ。昨今のインフォームドコンセンサスに対する皮肉です。様々な療法を羅列して、患者にさあ選べ、というのが本当にベストなのかね。医者が全責任をもって最善の療法を選択して、私にまかせなさい、と胸を張って言ってくれたほうが私は良いがね。まあ、そんなふうに信頼できる医者に出会えるかどうかですが。
姪が現代医療関係者でね、例の白血病患者のための脊髄液をどうのこうのというのに関心を持っている。だけど、親族として絶対反対と言ってある。だって、事故が起こっても責任を追及しませんという誓約書を書かされるんですよ。とんでも無いでしょう。事故が起こったらどんな方法でも責任をとると言うのが本当でしょうが。(ちょっと脱線)

神麹斎 06/11 08:49

160:[ そういえば そもそも ]

そういえば、なんで酒の肴には文庫が佳いのか、肝心な説明が無かったですね。
居酒屋のカウンターのすみっこで、冷や奴かなんかとって、コップ酒で文庫を紐解くわけです。おもしろいからといって大判の画集というわけにはいかない。先頃、根津美術館で開かれていた南宋絵画展の目録とかは、午睡の酒の肴です。
カウンターのすみっこで1頁読んじゃグイッとやる。だからあんまり難しいのとか長いのはダメ。声を出して笑いそうなのも勿論ダメ。端から見ると小難しそうで、本当は雑学にしかならない、というのがちょうど佳い水準ですな。
最近、外で一人で飲む機会がう~んと減ってしまったけれど、日曜に出かけた昼飯どきなんぞには、ビールをもらって文庫を紐解く。まあ、どっちみちバスに乗るのに文庫が必要な人ですから、手元に有るわけです。書店でもらってきた本屋のPR誌ということも有りますがね。

神麹斎 05/29 08:25

159:[ そういえば ]

そういえば『言海』も最近、文庫になったみたいですね。まだ手に取ってないけど。これなんかも酒の肴に佳いかも知れない。でも、字が小さいかなあ。そういう意味で『江戸語の辞典』は駄目でした。

神麹斎 05/29 08:03

158:[ 青木正児 ]

青木正児は両方とも筑摩叢書だったね。ちくま文庫から青木正児作品集なんて出るといいな。

素天堂 05/26 19:43

157:[ 酒の肴に本を読む ]

吉田一穂の詩集が岩波文庫になったみたいですね。信じられない。
で、この際、これも文庫にならないかな、というものをいくつか:
『酒について』キングスレー・エイミス著、吉行淳之介/林節雄訳(これは訳者もこのままで)
『酒中趣』青木正児著
『中華飲酒詩選』青木正児編
『世説新語』
『閲微草堂筆記』紀昀著
『幻獣辞典』ホルヘ・ルイス・ボルヘス編(誰かと共編だったかも)
つまり、酒の肴に本を読む、というには文庫が便利ということ。

神麹斎 05/26 08:29

156:[ 結構なことじゃないか ]

米国の統一軍事裁判法に照らし、(1)他の兵士への脱走教唆(2)脱走(3)敵への支援(4)忠誠放棄の奨励、の四つの罪に問われており「適切な訴追措置が適用される」としている。
「訴追を免除するようなことになれば、今後適切な軍事行動が遂行できなくなる。」
「結構なことじゃないか!」

云爾 05/26 08:11

155:[ 咸亨酒店 ]

今回の上海で、あんまり気に入った店は有りません。むかし気に入っていた店は軒並み跡形も無い。
その中でかろうじて及第点は、咸亨酒店。紹興に在るかの有名な魯迅先生ゆかりの店の上海版らしい。門口に孔乙己先生の銅像が斜に構えてます。
酒は勿論佳い。茴香豆は、小説ではこんなに豊富じゃなかったろうにという量で、いささかもてあましました。
料理は特に美味いわけじゃないけれど、観光客に媚びてないところがうれしい。地元民あるいはしかも紹興出身者相手の味でしょう。そもそも我々以外に外国人はいなかったんじゃないか。華僑はわからんが。少し離れた私の正面のテーブルには、婆さんと嫁さんとその息子という三人組が飯を食っておった。勿論、紹興酒なんかは飲んでない。これは許せる。しかし、ビール組が過半というのはなんともはや。まあ、そこが地域の人向けということでしょうが。
紹興酒は、何と表現しようか、搾乳場の運搬容器の小型みたいなものに、大体ビヤグラスにたっぷり二杯ほどを瓶から汲んでくる。この酒のまわりが馬鹿に良くて、だからあんまり沢山は呑めなかった。そこが残念。
場所は、襄陽北路と巨鹿路の丁字路。地下鉄の陝西南路站(一号線)と静安寺站(二号線)を結ぶ中間くらいで、だからどの站からも結構遠い。
事前にインターネットで調べた情報では、上海市内に六軒有るということだったけれど、女給さんに訊いたら、ここ一軒だけだと胸を張った。もっとも、土産売り場ではもう一カ所だけ多倫路に有るとも言っておった。つまり、そこは量り売りの店で立ち飲みがせいぜいと言うことだろう。孔乙己先生を偲ぶにはそっちのほうが相応しいかも知れない。

神麹斎 05/23 22:24

154:[ 脱走兵 ]

孫子曰く、地形とは、兵の助けなり。故に用兵の法には、散地有り、……
浅野裕一氏解説に言う:
……散地とは、侵攻軍を自国の領内で迎撃する場合の戦場で、兵士たちは故郷に残した父母や妻子を慕って逃げ散ってしまうので、こう呼ぶ。……そこで常に将軍は、兵士たちが嫌々従軍していることを大前提に、軍事行動を計画する必要が有る。……

現代の軍事法廷で、脱走兵を裁くに際して「愛国心」という正義を振りかざすのは、むしろ退化した考え方であると思う。

云爾 05/23 10:32

153:[ へどがでる ]

マクレラン米大統領報道官は11日、「自由の敵たちの本質を示している」と非難、犯人らを突き止めて「裁きにかける」と明言した。
イスラム原理主義者は某日、「自由の擁護者と称するものたちの本質を示している」と非難、占領軍(国)の最高責任者らを追いつめて「報復する」と宣言した。

05/12 19:08

152:[ どんどん ]

まあ、どんどんしょうもなくなる、ということは有る。

05/06 09:38

151:[ しょうもない ]

戦争がしょうもないものなのであって、しょうもない戦争などというものは無い。

05/03 07:41

150:[ しようもない戦争のしょうもない不祥事 ]

イラクのアブグレイブ収容所に於いて、米軍兵士が引き起こしたしょうもない事件は確かに不祥事ではあるが、そもそもこの戦争自体がしょうもない不祥事なのであるから、それはまあこの程度のしょうもない不祥事はおこるだろうよ。

小藪さん、あんたに兵士をなじる資格は無い。

云爾 05/02 23:37

149:[ またお会いしましたね ]

今年1月に広州で4人の感染者が確認されてましたが、北京でも最近、感染した疑いのある患者1人を確認したようです。
5月の中旬に上海へ行く人!、中間地帯は大丈夫ですよ、多分。

sars 04/23 07:05

148:[ たかが ]

たかが三人などと言うのは不謹慎にきまっている。だが、何百人もの市民が殺されたとするファルージャの抵抗組織の立場からすれば、まさしく「たかが」だろう。
アメリカも、どこの国民でもすぐギブミーチョコレートなどと寄ってくる、などとは思わないほうがいい。何人かのアメリカ人が殺害され屍体を損壊されたからといって、「加害者は必ず罰せられる」なんてよく言うよ、と少なくともイラクの抵抗者は思うだろう。
大体が復興支援なんてものは頼まれて行くものだろう。自衛隊の場合は、つき合いで行かなきゃならないから、何かと理屈をつけている。弾薬を運送しておいて、戦争に行くわけけじゃないなんて、その弾薬で撃たれることになる人に本気で言うつもりかね。本気で人道的に復興支援であって、(しかも短気な指揮官だったら)今度のように誘拐脅迫された日には、「上等じゃねえか、出ていってやる、今後一切手助けなんかしないからな」てな啖呵を切っちゃうのが普通だと思うがね。
それにしても、本当に(イタリア人の)人質の一人を殺害しちゃたんだね。無事に解放したほうがより「高等戦術」だと思うけど、そこまで賢明じゃないということか。そもそも「心神喪失」の状態に在ると思うよ、彼らだって。従ってイラクの「抵抗者」は無罪。拉致された「外国人」だって、高給に目がくらんだとしても、功名心にかられたとしても、石油利権を手放すわけにいかない、と思っている政治家や経済人よりはずっとまし。

04/15 09:06

147:[ 恕乎 ]

おのれの欲するところを他に施すこと勿かれ、人にはそれぞれ好みがある。

小藪さんは、この箴言を知らない。

云爾 04/12 06:34

146:[ 金槌の言 ]

例えばここに増水した急流がある。付近の子供が足を滑らして落ちた。
飛び込んで助けたら、彼(彼女)は勇者であり、英雄である。
しかし、もし彼が金槌か、あるいは少なくとも泳ぎが未熟であったら……、どうなんだろう。

岸辺でアレヨアレヨと手をこまねいているものが、愚者であり卑怯者であるのは確かだろうが。

泳げないのに飛び込んだものは、少なくとも仁者ではある。しかし、なぜ私を助けない!と言われても……、岸辺の愚者は為す術を知らない。

云爾 04/09 08:17

145:[ 国家の英雄 ]

どこの国にも変なことをやりたい人はいるもので、やってしまった時に、上手くいけば国家の英雄、下手すると公開銃殺という国と、上手くいけば大衆のアイドル、下手すると野垂れ死にという国が有る。大きな違いというべきか、大した違いは無いというべきか。

云爾 04/03 17:05

144:[ 神のいない医学 ]

西洋近代医学と中国伝統医学の違いは何か。目に見えるものに拠る医学と、目に見えないものを重視する医学という単純な対比は誤りではないか。第一、古代人にとって、目に見えるか見えないかの別は我々の常識とは異なるだろう。要は不可知の存在に身をゆだねるかどうかである。世の中の全てを理解できるわけではない、というのはむしろ西洋的立場ではないか。最終的には神にお祈りする。良く言えば宗教的。古代中国においては、陰陽と五行で全てを説明しようとした。そこには神の介入は無い。無論、神にすがりたい人は中国にもいたわけで、そこに道士と方士(この用語が適当であるかどうかには自信が無いが)の立場の違いが存在したのではないか。とは言っても唯一神の存在しない世界である。全てをゆだねてすますべき神の存在が無ければ、全てを論理的に構築しようとした方士は勿論、道士といえども然るべき呪いによって然るべき結果が生ずると考える。呪術的である。手段と結果の関連という意味において、呪術的思考は実は一種の科学的思考である。その限りにおいて、中国古代の方が、少なくとも西洋中世よりは科学的であったはずである。それが近世に至って、西洋近代に遅れをとったように見えるのは何故か。手段と結果の間に、膨大な妄想を存在させたからである。古典的知識の中から妄想を峻別し、明晰な論理体系を構築すれば、「もう一つの医学」は出現する。西洋医学に薬物を提供したり、新たな物理療法の可能性を提示したりするのよりも、より本質的に価値が有る。医療と軍事はもともと実効を最も重んじる分野である。軍事において孫子の兵法(簡単化して言えば、有効な兵力をより多量に集中させた方が勝つ)が成立した世界で、お呪いの医療が大手を振るっていたと考えるのは滑稽ではないか。もっとも、後の世界では、お呪いのほうが軍事においても偉そうな顔をする。例えば『水滸伝』の軍師、呉用と朱武では、一方は実戦の謀略家であり、一方は軍学者である。『水滸伝』ではまだ、呉用の方がうんと上位に居るのがせめてもであるが、後の世界では、相手の陣形に対する知識を得々と陳ずるような(陣形を見破られると意気消沈する)手合いが大きな顔をしはじめ、或いは単に膂力、気力が衆に勝れた(大言壮語に意気あがる)兵の猪突猛進が戦局を打開する。最も実効を重んじる分野において、どうして思いこみ的な要素がそれなりに有効であるか、悩ましい問題ではある。

神麹斎 03/30 08:15

143:[ 経験医学か理論医学か2 ]

経験医学の短所は誰にも明白だと思う。
経験してない症状には手を下しようが無いし、第一、個々の経験は個々の場合にしか、本当は適応しない。
理論医学の短所は、意外と分かりづらい。
理論が整然としていると、何でもかんでもその通りに上手くいくと錯覚する。実際には理論でなくて空想であることもある。
陰陽とか五行とかには、世界を覆う規模が有る。だから全てのことがらを説明できる。説明できると言ったところで、本当にそうなるかどうかはわからない。理論の大本は正しくとも、構成要素の配置を誤っているかも知れないし、それに第一、理論の運用の妙は、理論を離れたところに在る。
西洋医学は意外と経験医学風だと思う。陰陽とか五行とかに相当する、世界を覆う理論は無いんじゃないか。有るとすればさしずめ神の摂理なんだろうけれど、神様のやることには気まぐれがつきまとう。「どうしてそうなんだ?」「神様が決めたから。」説明=理論は必要ない。

神麹斎 03/28 10:28

142:[ 経験医学か理論医学か ]

素問、霊枢の段階では、名医達が自分で経験した治療実績を何とか説明しようとしていたのだと思う。時には妄想が紛れ込むのは如何ともしがたいが、彼らはそれを何とかコントロールしようとしていると思う。経験と妄想を峻別しようとする限りにおいて、黄氏の腕力には大いに期待する。
ところが中国伝統医学の本質と可能性は、むしろ理論医学としての面かも知れない。世界は完全に合理的な存在であり、それを完全に説明できる理論は既に存在する。陰陽とか五行とか、あるいは経絡とか。とすれば、未だ経験したことがない病も理解することは可能であるし、治療法は必ず導き出される。問題は理論運用の巧拙であるが、昨年のSARSについては、まあまあ上手くいったのではないか。
(言うまでも無いとは思うけれど、理論医学と、呪い師的アイマイモコ医療は相容れないものである。)

神麹斎 03/27 13:03

141:[ 茗荷 ]

云渡すは別の事でもない。もっぱら世間で、茗荷を食へばあほうになるといふが、おれは数年茗荷を食へども、あほうにならぬ。この通りを村中の者へ触れて、安堵させておくりやれ。

鳥の町 03/26 20:33

140:[ 医者の通名 ]

竹斎(『竹斎物語』/氏は不詳)
藪井竹庵(初出不明)
藪中竜竹(『楽牽頭』/なぜ竜竹なのかは不明)
藪内笋庵(『今歳噺』)

たけのこ 03/26 10:03

139:[ もう一つの ]

つまり「東洋の神秘」的針灸医学を嫌悪しているということです。あるいは「陰陽五行説式マニュアル」針灸術を軽侮しているということです。そして「呪い師」的世界に安住している臨床の名手に嫉妬し、憎悪する。
中国伝統医学の文献中の事実と妄想は峻別すべきである。そんなことは当たり前である。そちら方面で活躍している尖鋭な若手研究者が中国にはいる。これは極めてありがたい。
しかし、彼が希求する「事実以外の要素をふるい落とした針灸医学」は、はたして「もう一つの医学」たりうるか。「もう一つの医学」とは、乃ち「もう一つの世界観」による医学ではないのか。つまり、世界を如何なるものと観るか、人間とは如何なるものと観るか、何がどうなると病むのか、何をどうすれば病は癒えるのか、そういう現代西洋医学とは別のもう一つの「お話」が必要なのではないか。そういうお話を構築してきた歴史にこそ価値が有るのではないか。そしてその構築に、はたして妄想的要素は不可欠なのであろうか。すっきりとして明晰な「もう一つの医学観」は可能なのではないか。
そういう「お話」は所詮は虚構である。それでもなお、かの若手研究者の、そうした「虚構」の価値についての開眼を期待する。勿論、我々も蟷螂の斧を振り立てていたい。
日本で、かの若手研究者の文献を、もっともっと議論したいというのは、つまりそういうことです。

神麹斎 03/23 23:14

138:[ 裏切りと卑怯と ]

2月 9日 無断外出
2月18日 オマーン戦勝利(小笠原・久保など)
2月27日 発覚?
3月10日 ジーコ監督に報告(ジーコ監督はその場で処分を決定?)
3月18日 オリンピック予選突破(茂庭・大久保など)
3月19日 ワールドカップ代表発表(小笠原・久保・茂庭・大久保などの処分を発表)

日本サッカー協会の態度は、卑怯じゃないのか?

裏切り者 03/20 12:52

137:[ 仙人をめざすなかれ ]

殺人を教義とする宗教は存在し得ないか。
当然、存在し得る。普通人としての我々はそんなものを肯定できないだけです。
古代インドや古代ギリシャには有った。アステカ、インカの文明にも有った。恐らくどの文明にも普遍的に存在したのであろう。

本物の「杜子春」を知ってますか。単なる伝奇だけど。彼が失敗したのは、母子の情を断ち切れなかったからです。そしてそのお話の中で、そのことは否定的に書かれている。つまり、仙人になるということは極めて非人間的なことなのです。最初のところで財産を蕩尽するエピソードが有るでしょう。その惨絶さに目を付けられたわけです。

超越や解脱を目指すということは、どのみちはた迷惑なことなのです。
オウムの信徒の中により良い医療を求めて殺人者になった真面目な人がいるのは知っているでしょう。我々は彼が医者であったことや、かの尊師なる者が針灸師であったことをもっと恐れて良いと思う。

仙人になろうとした者は、大抵は失敗します。これは無事です。たまにそこそこだと獣になる。そして、ごく稀に達成したものは、実は魔になったのである。

科葉師友 03/15 10:05

136:[ 陰陽五行説への愛の告白 ]

陰陽五行説は基本的には迷信である、とは敢えて挑発的に言っているのであって、実のところは当時の最高水準、最大限度の合理主義であったと思う。実際に起こったことをその理屈に合わせて整理したのであるから、今もって当時の智慧を引き出す為の最良の索引であると思う。ただ、陰陽五行説を方程式として、そこから導き出された様々がみな正しいとはとても思えない。全部が駄目と言うのではない。当たり前だ。これがこうならそれもそうだろう、と言うのは正当な思考法だと思う。ただし、勿論、全部が正しいとは言えないし、陰陽五行説で説明できることが真理の保証には成らない。これも当たり前だ。ところがややこしいことに、伝統医学においては、陰陽五行説的に正しいから正しいのである、と言い切って治療を施すと、これがやっぱりそのほうが有効なんですね。偽薬効果かも知れないけれど。古典的にも医療というものは、「断じて行って惑うことなかれ」が極意の一つのように言われている。臨床家は最前線の将軍である。

神麹斎 03/13 18:20

135:[ 付和雷同 ]

公立の小、中学校などの給食で鶏肉の使用を見合わせている町の教育委員の談話。
「鶏肉を食べて感染することは考えにくいが、保護者や子供の心理面を配慮して使用を控えることにした。」
何を考えているんだか。
安全だったら大いに使用して、「心理面から」風説に惑わされて過剰反応している父兄や子供を「教育」すべきじゃないのか。

タマゴのオヤ 03/12 18:23

134:[ ケイシとやらいう小座頭 ]

朝日重章『鸚鵡籠中記』宝永三(1706)十月十三日の条に:
御代官水野文四郎語りていう、濃州多芸郡大野村へ江戸より座頭来る。(十九歳小座頭なり。ケイシとやらいう)種々奇妙これあり。百姓刀を出して試みしむ。座頭探りていう、永正介定なり。また脇指を見ていう、藤嶋友重なり。また脇指を見驚いていう、波の行平か。皆適中す。一百姓脇指を求めたるとて出す。いわくこれ言うに足らざるなり。三百四、五十文にて調えたるかと。果たして然り。一百姓の子三歳煩う。針を立てて(大人小児ともに深くさすに少しもいたまず)いう、ただ今快けれども今夜戌刻には死なんとて出で去り、一里ほど隔てたる寺にありて戌刻その方を嚊ぎていう、悲しいかなこの子今死すと。後に聞くに然り。一婆を脈して、死近きにあり。六十日目に果たして死す。数人を脈し終わりていう、初めと五番とに脈する者、親子か兄弟ならんというに然り。そのほか居合・剣術・鑓など皆鍛錬す。棒をつかうに、二間あまりずつ飛超軽飜す。座敷の角より二、三間ずつ飛びて、和の抜け身なりという。見る者興をさますと云々。養老が滝の山上、人の通わぬ処を三里行きて帰りていう、この滝の源三十九谷より落つ。その流れは細くその流れは強し。いずくの処にて会すと。およそ富士・立山等の名山見ざるという事なし。神道・儒仏・歌道に達す。歌に少々不審ありて、京へ行くついでなりと。文四郎その内一、二を正見すと云々。

このケイシとやらいう小座頭、『日本医譜』には載ってないでしょうか。

科葉師友 02/25 14:00

133:[ 訂正 ]

『霊枢』四時気に、
小腹控睾、引腰脊、上衝心、邪在小腸者、連「睾」系、屬于脊、貫肝肺、絡心系、氣盛則厥逆、上衝腸胃、燻肝、散于肓、結于臍、
というのが有りました。従って睾と尻とどちらが良いのか分かりません。

神麹斎 02/24 11:58

132:[ これをくるしむ ]

「尻」のほうが良いというグリーンさんの説に賛成です。小腸と睾丸との関係は、ここ以外に思い当たりません。ただ、尻は臀部というより、ここでは肛門ではないかと思います。
「時窘之後」が「時窘之,復」(復ならやっぱり句読はこうでしょう)になったのは、つまり宋代の人にとっても異様な句だったからだろうと思います。「時々後つまり肛門の問題でくるしむ」ということを言いたいのなら、「時窘後」でも良いような気はします。「之」は句調を調えるためのものでしょうか。この辺は、漢作文の素養が無いので及び腰です。「後」は、ここではむしろ「大便を排泄すること」かも知れない。(だから尻と言わず、後と言う。)
注文に䐜が登場する理由は、やはり釈然とはしません。「時々これを䐜、つまり大便之處で急しむ」という訓は良いのですが、これには「䐜」がそこそこ通用する言葉であったのが前提になるでしょう。尻とか後(ここでは肛門)とかより、分かりやすいか、すくなくとも厳密な(専門的な)詞でないと、わざわざ持ち出す意味が無い。そこのところはやはり疑問です。
それと『漢語大字典』には、「䐜」の義として「脹起、脹大」しか載ってません。ひょっとしたら「䐈」の誤りということは無いでしょうか。『漢語大字典』に望むような義が載ってないことは同じですが、これは載ってないほうが問題で、『太素』楊上善注や『難経』楊玄操注には、「肛門」を指すらしい表現で屡々出てきます。

神麹斎 02/24 09:00

131:[ 何で、両者が続いて出るの? ]

経文に出てくる「後」についての楊上善の解釈が「䐜大便之處也」であるわけです。楊上善は、「後=䐜」と説明(いいかえ)し、䐜もわかりにくいから、「大便之處也」と補足説明しているのではないでしょうか。
こういう疑問とはちがうのですか?

グリーン 02/24 00:48

130:[ ついでに ]

『備急千金要方』と『脈経』は、宋改を経ています。宋代の校正を経ていない『新雕孫真人千金方』巻14小腸腑脉論第一は「窘之後」です。「復」は宋人が改めたのではないでしょうか。
また『新雕孫真人千金方』では、「小腸病者」の前には、「小腸有寒其人下重便血有熱氣必痔」とあるので、小腸病と後(肛門)は、無理なこじつけではないと思うのですが。(『備急千金要方』では、「小腸病」の後にあり、「便血」を「便膿血」につくる)
『千金方』は、『備急千金要方』より『新雕孫真人千金方』を重視された方がいいですよ(『新雕孫真人千金方』で読めるところは)。

グリーン 02/24 00:34

129:[ 疑わしい… ]

この経注で、私が疑わしいと思うのは:
『太素』だけが「尻」に控えで、他はみな「睾」に控え。どっちなんだ!?。
「時窘之後」の「後」が、『脈経』と『千金』では「復」。どっちなんだ!?
「復」だったら、「時窘之」で句読?どうなんだ?!
経文に䐜なんて字は無いのに、どうして注に出てくるんだ!?
(䐜が大便を意味するんだったら何で、両者が続いて出るの?)

です。

あおいオレンジ 02/23 23:25

128:[ 拙速ですが ]

経文「小腸病は、小腹が痛み、腰脊が尻に控(ひ)いて痛み、時々これ(小腸病)を後(肛門)に窘(くる)しむ。」
楊上善注:【小腸は、少腹に当たり、脊に附き、左に環り、葉のように積もる。故に少腹腰脊が尻に控(ひ)いて痛み、時々これ(小腸病)を䐜、つまり大便之處(=後=肛門)で急(くる)しむ】
『太素』26-10-3 に「䐜溲不利」とある。この䐜は、大便を意味するのではなかろうか。経文に「便溲不利」「大小不利」というのもある。『大漢和辭典』7-352p䐜によると、『太玄經』注に「大也」とあるのも傍証となるか。

グリーン 02/23 19:33

127:[ 校勘資料の提出 ]

取りあえず、校勘資料の提出という形で「応えて」おきます。
『霊枢』邪氣藏府病形
小腸病者小腹痛腰脊控睪而痛時窘之後當耳前熱若寒甚若獨肩上熱甚及手小指次指之閒熱若脉陷者此其候也手太陽病也取之巨虚下廉
『甲乙』巻11腎小腸受病發腹脹腰痛引背少腹控睾
小腸病者少腹痛腰脊控睾而痛時窘之後耳前熱若寒甚若獨肩上熱甚及手小指次指間熱若脉䧟者此其候也
『脈経』巻6小腸手太陽經病證
小腸病者少腹痛腰脊控睾而痛時窘之復耳前熱若寒甚獨肩上熱及手小指次指之間熱若脉陷者此其候也
『千金要方』巻14小腸腑脉論
小腸病者少腹痛腰脊控睾而痛時窘之復耳前熱若寒甚獨肩上熱及手小指次指之間熱若脉滑者此其候也

神麹斎 02/23 18:43

126:[ 霊蘭老稚園 年度末試験問題 ]

『太素』巻11 府病合輸
小腸病者小腹痛腰脊控尻而痛時窘之後
楊上善注:小腸當少腹附脊左環葉積故少腹腰脊控尻而痛時急之䐜大便之處也

問題1:全文に句読を施し、和訓もしくは現代日本語に訳せ。
問題2:経文の「後」を解説せよ。
問題3:注文の「䐜」を解説せよ。

特別問題:この経注の疑わしい箇所を指摘せよ。
(特別問題に応える者は、上の三題を免除される。)

オレンジ 02/23 10:53

125:[ 潘金蓮と李瓶児と ]

潘金蓮の名前の由来の真説は:
斉の東昏侯は金を鑿ち、蓮華と為し、潘妃にその上を行かしめて曰く、これ歩歩蓮華を生ず、と。(南史・斉本紀下・廃帝東昏侯)

これは、中公新書『金瓶梅 天下第一の奇書』に載ってました。

ついでに、第七十三回の唱の秘密についての思いつき:
李瓶児は、もと梁中書の妾。ただし、この人は蔡太師の女婿で、夫人はとても嫉妬深い人で、気に入らない妾や女中を叩き殺しては奥庭に埋めていたというものすごい人。だから、妾にするつもりだったけど、手を出しかねていた可能性が有る。梁中書の一家が李逵に皆殺しにされたときに、李瓶児は宝石を持ち出して命からがら逃げ延びる。その後、花太監が甥の花子虚の正室に迎えたけれど、これは世間体をはばかってのことであって、実は花太監が自分のものとしたのかも知れない。太監のものになったとしても、だから、実はいちおうまだである。まもなく花太監は亡くなったけれど、甥の(そして立て前上の旦那の)花子虚というのが意外と潔癖性だったかも知れない。太監のおもちゃになった女なんかに手を出したくなくて、廓に入り浸りだったのかも知れない。だから、未だに実はまだである。そこで、隣家の西門慶と誘い誘われ、裏の塀に梯子を用意したときが始めてであった可能性は、無くは無い。
だから、他為我襯湘裙杜鵑花上血と唱わせたって、おかしいことはない、のかも知れない。呵々。

科葉師友 02/14 00:52

124:[ 去藥 ]

本当のことを言うと、去に収蔵・密蔵という意味が有るというのも誤解を招きやすい言い方じゃないですか。ここから取り去って別のところへ置くから、つまり密かにしまっておく、という意味を生じるのだろうと思います。だから「無急去藥、以待不祥」も、訓としては「急無くして薬を去り、以て不祥を待つ」でもかまわないんじゃなかろうか。「どうして急な必要も無いのに私の前から取り去って隠すんだ」というような気持ちなんでしょう。

科葉師友 02/08 10:06

123:[ 何忍無急去藥 ]

漢語大詞典の去のところに:
《三國志・魏志・華佗傳》:“卿今疆健,我欲死,何忍無急去藥,以待不祥?”裴松之注:“古語以藏爲去。”
というのが載ってたんですね。つまり、鮑善淳さんの言い分としては、後の去が蔵の意味だったら、前の去だってそうだろう、なんでしょうね。諒解。

卻去のほうは、漢語大詞典に載っている用例は、あと二つ。杜甫の《羌村》詩の二「嬌兒不離膝,畏我復却去」(…我を畏れて復た却き去る)と王世貞の「今年胡却去,好復開茅土」(今年 胡は却き去り…)です。曹操の卻去が必ず「隠居」の意味だと言うには、少々不足のような気もします。ただし、「これから二十年を経過し」も、ちょっと心細い。卻十五日が「あと十五日したら」であるのは、漢語大詞典も本田氏も一致しているんですが、去○○日とか去○○年が同様な意味で使われた例(あるいは使われていない例)を見つけないことには、何とも言えません。

神麹斎 02/07 09:16

122:[ 和訓 ]

本田済、『漢辞海』、『漢語大詞典』などに拠れば、和訓は下のようになるんでしょうか。(例によって、古語の文法には疎いので、変なところはご容赦。)

官を去るの後、年紀なお少し。同歳の中を顧り視るに、年 五十なるもの有り。(三十歳である私は)未だ名づけて老と為さず。内に自らこれを図るに、これより(官職から)却き去ること二十年、天下の清むを待つとも、乃ち同歳中の始めて舉げらるるものと等しきのみ。

何だか一人でじたばたしていたみたいです。でも、ちくま学芸文庫の翻訳者の和訓はこうじゃないよね。

神麹斎 02/06 19:04

121:[ わかりません ]

ちくま学芸文庫の翻訳(今鷹真)では:
……官を離れたのち、年齢はなお若かったし、同じ年に推挙を受けた者を思いおこしてみても、中には五十歳になりながら老人と呼ばれていなかった例もあり、これから二十年を経過し、天下がすみわたるのを待っても、やっと同期の年輩者と同じ年になるにすぎぬと、内心計算した。……

これなら、「これからあと二十年」で良いと思う。

平凡社・中国古典文学大系の翻訳(本田済)では:
……官を罷めたあとも、年はまだ若い。顧みれば同期に選ばれた孝廉の中には年五十のものもある。それと比べれば、まだ老いたりとはいわれない。内心計って見るに、これから二十年隠居して、世の中が清くなるのを待っても、わしと同じ年度に始めて官に選ばれた人と、ようやく年齢が等しくなるぐらいである。……

これだと、却去=後退、離去=しりぞける、しりぞき去る=隠居と訳したことになるんだろうか。

二十歳で孝廉に挙げられるのは「若い」。
この病気にかこつけて郷里に帰ったとき、曹操は三十歳くらい。「まだ老いたりとはいわれない」?
二十年隠居した後、五十歳。「わしと同じ年度に始めて官に選ばれた(年輩の)人と、ようやく年齢が等しくなるぐらいである」まだまだ!?

神麹斎 02/06 18:43

120:[ 却去 ]

「却去」は、『漢辞海』に「しりぞける、しりぞき去る」と載っていて、出典は曹操・讓県自明本志令、即ち下の『魏武故事』に引かれている布告のはずです。
腑に落ちません。
『漢語大詞典』の「卻」の字義の一つに「推后;后」(凡例として解説文は簡体字)とあって、「卻去」の下には、「また却去に作る。後退;離去」とあり、また三国魏曹操『讓県自明本志令』として、「從此卻去二十年,待天下清,乃與同歳中始舉者等耳」を引いている。
ますます腑に落ちません。
「後退;離去」だったら、「ここから逃げ去って、二十年の間、天下がすみわたるのを待つ」ということになりませんか。それにしちゃ句読が変でしょう。
ただ、卻去二十年を略して書くのなら、卻二十年とするのが本当かも知れない。『漢語大詞典』に、やっぱり『三国志』魏書・武帝紀の「卻十五日為汝破紹」(あと十五日で、おまえたちのために袁紹をうち破ってやる)を引いています。
(却と卻は異体字。)

神麹斎 02/06 16:08

119:[ 從此卻去二十年 ]

面白い思いつきだとは思うけれど、本当にそうだとは到底思えない。
鮑善淳の説明を詳しく見ないで言うのもなんだけど、「蔵すること五六歳」という意味を記すのに、「去五六歳」と書くべき動機がない。わざわざ解りにくくする必要もない。知識をひけらかすというほどのこともない。同様の例を二つ三つは見せてもらわないと、にわかには信じがたい。
去の後に年数が続く表現なら一つ見つけました。『三国志』魏書・武帝紀に引く『魏武故事』です。
「……去官之後,年紀尚少,顧視同歳(同じ年に推挙を受けた者)中,年有五十,未名為老,内自圖之,從此卻去二十年,待天下清,乃與同歳中始舉者等耳。……」
「從此卻去二十年」は、言わずと知れた「これから二十年を経過し」です。
「去五六歳」だって、「五六歳を経過し」ではいけないとは思わない。「從此」とか「卻」とかを略したというほうが、まだしも信じられる。

神麹斎 02/06 08:50

118:[ 鮑善淳の説です ]

『漢文をどう読みこなすか』日中出版16~17ページをご覧下さい。(原作 上海古籍出版社 中国古典文学基本知識叢書)、

ミドリ 02/06 07:35

117:[ 管見には…… ]

ええ、またまた横合いからなんですが、「去五六歳」は、訓読すれば「去すること、五六歳」で、だから目的語「之」の省略である、というのはその通りなんでしょうが、でもそれではどう考えても悪文でしょう。だから、「復與兩錢散,成得藥。去五六歳,……」と句読されたものは見たことが無い。(もともと、そんなに沢山は調べてないけれど。)

神麹斎 02/05 23:02

116:[ 士は誠に…… ]

一番易しいのは話すこと、ついで聞くこと。書くことはやや難しく、読むのは甚だ困難である。漢語についての話です。勿論、漢族にとってもの話。
何故、難しいかと言うと、古人にとって言いたいことをあからさまに書くのは下品であり、無教養であった。隠喩を用いたり、故事を用いてほのめかすべきである。書くのはこっちの都合でだけど、読まされる文章の故事来歴はあちらの都合。むこうの教養のほうが数段上で、はぐらかされたら手も足もでない。
どういうことか解りにくいと思うので例をひとつ。
明王朝が天下を取ったとき、最後の難敵だったののが蘇州付近を本拠にしていた張士誠です。これは誠に評判が悪い。それはまあ、天下を取ったほうが敵役を悪し様に言うのは当然だけど、文化人に苛酷であったのも確からしい。(朱元璋だってそうだけど。)
はじめから張士誠なんて立派な名前だったわけじゃない。もともとは塩の密売人である。乞食坊主だった明の太祖・朱元璋より、少しはましだったのかも知れないけれど、まあ大差は無い。最初は熊さん八ッつぁんに類するごく庶民的な名前だったはずである。しかし、長江下流をおさえて王号まで称するようになってみると、それではちょっと具合が悪い。そこで、多分幕僚のであろうが、読書人に頼んで名前を選んでもらった。
まあ、本人は気に入っていたみたいです。ところが誰かが耳打ちしたんですね、その出典を。『孟子』公孫丑に、孟子のことを謗った人物がいたけれど、後に孟子の心の寛さに感じて、反省して「士(自分)は誠に小人なり」と言うんです。ご存じように、『孟子』なんて書物は、読書人なら大抵は暗記するくらい読み込んでいる。だから、士誠と聞くと「小人なり」というのも耳の奥で響いちゃうんですね。つまり、名前を選んだ読書人は「あんたなんか小人である」という意味を隠したんです。これはそりゃ怒るでしょう。読書人を弾圧する気になるのも無理はない。(もっとも、この話は眉唾です。だって、だから再び名を改めた、というのが無いんですから。)

で、こんな話、針灸師には関係無さそうなんだけど、治療院の名前を付けたり雅号を選んだりするときには気を付けなさいよ、ということです。
神麴齋……、大丈夫だと思うんですがね。むかし、中国で「神麹斎」と「無斎」と「蔭軒」とを、篆刻家に注文したとき、別に変な顔はされなかった、と思うけど……。

神麴齋 02/05 22:49

115:[ ファツォさま ]

訓読すれば、「去すること、五六歳」だと思います。「五六歳」は、補語でしょう。目的語の「之」は省略されていると思います。

ミドリ 02/05 20:43

114:[ 弆五六歳 ]

「去五六歳」の「去」は「弆」の通仮字で、意味は「蔵・たくわえる」だとすると、「もらった薬をしまいこんでおくこと五六年にして」云々ということになるのでしょうか。そういう場合は「去之五六歳」としなくもいいのでしょうか。

ファツォ 02/05 17:52

113:[ 卿 の用例 ]

阿勝、廣州人、少孤(勝ちゃんは廣州の生まれで、小さいときに孤児となった)。游於美利加國之舊金山、善貿易(メリケン國のサンフランシスコに渡り、貿易で成功した)。居六歳、積資頗豐、航海而歸、將締婚於中土(六年たって、資産も豊富になったので、船で帰ってきて、中国で結婚しようとした)。有某氏女及笄、因媒合之(あるひとの娘が成人したので、媒酌人をつてに結婚することになった)。女母聞其豐於資也、許焉(娘の母は、勝ちゃんが金持ちであるのを聞いて、結婚を許可した)。既又懼其仍遠游也(すぐにまた娘が彼について遠くに渡ってしまうのを怖れた)。曰(母は言った)、「吾女豈能相從於海外哉!(わたしの娘はあなたに従ってどうして海外にいけるでしょうか)」。故使媒妁索重聘(それで媒酌人を使って、高い結納金を請求した)。阿勝鄙之曰(勝ちゃんはその母親を軽蔑して言った)、「賣婚非禮也(結婚を餌に金を貪ろうとするのは、礼儀をわきまえぬことだ)、吾何患無妻!(おれは、妻なぞなくともなんの不自由もないんだ)」。遂已其事(しまいには結婚を取り止め)、復游舊金山(またサンフランシスコへ渡った)。女聞之(娘はその話を聞いて)、不直其母(自分の母は間違っていると思い)、竊附海舶(密航し)、至舊金山尋夫(サンフランシスコに到着し、夫を捜した)。一日(ある日)、於途中遇之(道で彼に出くわし)、連呼曰(連呼して言った)、「阿勝、阿勝!(勝さん、勝さん)」。勝顧之驚曰(勝は彼女を振り返って驚いて言った)、「卿閨中弱質(あなたは深窓の令嬢だ/ヤット出テキマシタ)、何爲至此?(どうしてこんなところに来たんだ)」。女具告之(娘は事細かに勝に告げた)。勝感其義(勝は彼女の節義に感激し)、與倶歸旅舎成禮焉(彼女と一緒に旅館へ帰り、婚礼を挙げた)。
『右台仙館筆記』によるとのこと

xirta 02/05 00:40

112:[ 解答 ]

問題1「初」
おもに伝記の中で、時間をさかのぼって記述をはじめる時、文頭に用いられる。「その昔」「話はさかのぼるが」などと訳す。
これから、18年以上前のはなしに戻ります。
『大漢和辭典』や「中辞典」類には、この用法についての説明がなく、不親切である。かえってこれらより親字数の少ない辞典に説明がある。『漢辞海』『新明解漢和辞典』『新字源』同訓異義などに説明あり。
問題2:「去五六歳」の「去」は「弆」の通仮字で、意味は「蔵・たくわえる」。
問題3:「將」は「摂養・やしなう」の意味。
問題4:111のHuaTuoさんの訳をご覧下さい。

ミドリ 02/04 23:28

111:[ 後十八歳 ]

 当初、軍吏の李成は咳嗽を患い、昼も夜も眠ることが出来ず、しばしば膿血を吐いたので、華佗に指示を仰いだ。華佗は言う。「あなたの病気は腸癰であって、咳をして吐いたものは、肺から出たのではありません。あなたに二銭の散薬をさしあげますから、二升余りの膿血を吐いた直後に服用しなさい。少し楽になるから、自分で保養を心がければ、一月もすれば好転するでしょうし、よくよく安静にして自愛すれば、一年もたてば健康になれます。ただ十八年後には、再び小さな発作をおこすでしょうが、この散薬を服用すれば、またすぐ良くなります。もしこの薬が無ければ、きっと死にますよ。」そうしてさらに二銭の散薬を与え、李成は薬を得て帰った。五六年たって、親戚のものが李成と同じような病を患って、李成に言った。「あんたは今のところ健康であって、私は死にかけている。どうして急な用が無いのに薬をしまいこんで、私がみすみすはかないことになるのを待っているのか。取りあえず私に薬を貸しなさい。私の病が癒えたら、私があんたの為に華佗から薬を貰ってあげるから。」そこで李成は薬を与えた。すぐにわざわざ譙県までおもむいたのであるが、ちょうどその時が華佗が捕らえられ収監されるときであったので、そのあわただしく大変な時に薬をくれとは言い出しにくかった。十八年たって、李成の病はついに再発したが、服すべき薬が無かったので、とうとう病死した。

 名医の伝記には、大体が胡散臭いところが有る。そもそも咳嗽と不眠と吐膿血から、腸癰という診断を導き出すのもすごいけど、これはまあ名医のことだから。しかしたった二銭(どれくらいかは知らないけれど僅かでしょ)の粉薬の飲んで、あとは保養するだけで治る病気ですか。それにどうして十八年後に再発することがわかるんですか。『三国志』、『後漢書』の方技伝・方術伝は魔法使いの世界ですよ。何だか筆者の「どうだ!すごいだろう!」という声が響くばかりで、ちょっとしらけてしまいます。
 数字の扱いにも粗漏が有りはしませんか。当初、薬を貰って、それから十八年後に再発すると言われて、五六年後にその薬を親戚のものに与えてしまって、十八年後に再発して死ぬ。計算合ってますか?「後十八歳,成病竟発」が、最初に薬をもらってから十八年後の意味、というのは普通の書き方なんですか?あるいは、「初」と「後」を対応させるのが史書の筆法というわけで、だから「五六歳」のところには「後」字が無い、とか?それとも、去五六歳は去今五六歳と同じだ、と言うことですか?結末としての病死の時を今として、それを去る五六年前……?

HuaTuo 02/04 09:15

110:[ 女子人名用字 ]

前に、中国では縁起の良い偏と旁を組み合わせて、名前用の新しい漢字を作ってしまう、という話題を書き込みましたが、中国の大型字書を眺めていたら、女偏の字の中に「女子人名用字」なんてものがやたらと出て来ました。

奾㚨㚭妕妡㚬妏妺㚽妽㚱㚵姄妱娂㛅姠姾姵㛄etc.

これは女偏の画数が少ない方から、「女子人名用字」以外の字義が載ってないものを拾いました。
『紅楼夢』の中で、一目で性別の分かるような名前は下品である!という高説をうかがったことが有ります。わざわざ女偏の新しい漢字まで作る必要というのは何なんでしょうか。

勿論、男性用の人名用字も有るんですが、こちらはあちこちに分散していて目立たない。

神麹斎 02/03 22:20

109:[ 卿について ]

王安豐の妻は、いつも安豐を卿と呼んでいた。安豐が「婦人が夫を卿と呼ぶのは、禮法において不敬であるから、今後はもうやめてくれ」と言うと、妻は「卿に親しみ卿を愛する、それだから卿を卿と呼ぶのです。私が卿を卿と呼ばなかったら、誰が卿を卿と呼ぶべきなのですか?」と言い返した。そこで遂にそう呼ぶにまかせた。(『世説新語』下卷下 惑溺第三十五 )

辞典によると、卿はもともと上級の官職であったが、主君が臣下を、年長者が年下の者を呼ぶ敬称となり、六朝以降は友人や夫婦間で相手を呼ぶ敬称となった。してみると、上の『世説新語』はその過渡期の感情であろうし、華佗伝のは目下の者を相手に話していることになる。だから、李成は単純に同病憐れんだのではなくて、親戚の年長者からの(強要ではないにせよ)圧迫に屈するかたちで薬を与えたことになる。

神麹斎 02/01 22:19

108:[ 古典医学部の問題です ]

 以下は、『三國志』華佗傳の一節である。以下の設問に答えよ。(回答ではなく、解答せよ。)
初 , 軍 吏 李 成 苦 欬 嗽 , 晝 夜 不 寤 , 時 吐 膿 血 , 以 問 佗 . 佗 言 : 「 君 病 腸 臃 , 欬 之 所 吐 , 非 從 肺 來 也 . 與 君 散 兩 錢 , 當 吐 二 升 餘 膿 血 訖 , 快 自 養 , 一 月 可 小 起 , 好 自 將 愛 , 一 年 便 健 . 十 八 歳 當 一 小 發 , 服 此 散 , 亦 行 復 差 . 若 不 得 此 藥 , 故 當 死 . 」 復 與 兩 錢 散 , 成 得 藥 去 . 五 六 歳 , 親 中 人 有 病 如 成 者 , 謂 成 曰 : 「 卿 今 彊 健 , 我 欲 死 , 何 忍 無 急 去 藥 , 以 待 不 祥 ? 先 持 貸 我 , 我 差 , 為 卿 從 華 佗 更 索 . 」 成 與 之 . 已 故 到 譙 , 適 値 佗 見 收 , 忽 忽 不 忍 從 求 . 後 十 八 歳 , 成 病 竟 發 , 無 藥 可 服 , 以 至 於 死 .

問題1:「初」は、史書の傳によく用いられることばであるが、どういう時に使われるのか。また、訳せ。
問題2:本文は、「成 得 藥 去 . 五 六 歲」と句読しているが、「成 得 藥 . 去 五 六 歲」と、句切った場合、「去」はどういう意味になるか。
問題3:「將 愛」とは、どういう意味か。
問題4:「適 値 佗 見 收 」を訳せ。

ミドリ 01/31 20:41

107:[ xiaoren ]

「酒を一杯飲ませて、きまり悪い思いをしたのを少しだけつぐなってやれば、それでほとんど充分だ」はともかくとして、「もし報奨金を払おうというなら、それがしに頂ければ大いにうれしい」は、勇み足だったようですね。しかし、xiaoren云々と聴くと「やつがれ」と頭の中で響いちゃうんですね。中国人にはそうでも無いんですかねえ。いや、なかなか難しい。

神麹斎 01/31 09:54

106:[ やっぱり和訓? ]

英語訳と現代漢語訳によれば、「月は是れ故郷に“より”明らかならん」と訓んでいるんですかね。
それにしてもどちらも訳しすぎのような気がします、他の箇所もふくめて。改めて和訓の優れた一面を思います。

そこで改めて疑問なんですが、有弟と無家を対として訓む試みは無いんでしょうか。
「弟有れども皆な分散し、家無ければ死生を問うによしなし」なんていうのは禁忌でしょうか。
律詩は対を重んずると言っても、所詮、外国語に訳せばその大半を失うということですか。
(対という観点からも、「月は是れ故郷に明らか」に軍配。)
「書を寄するも長く達せず、況んや乃ち未だ兵を休めざるをや」も、悲しいことは手紙が届かないことと、それにもまして戦争状態がやまないこと、という対だと思う。「まして兵乱なおやまぬ今日、ぜひもないといえばそれまでだが……」は、ちょっと敷延しすぎな気がする。

やっぱり理想は原語で音読、次善は日本漢字音で音読ですかね。

神麹斎 01/31 09:36

105:[ 回答4の訂正(もしくは少陵氏の回答への同意) ]

考えてみれば、作者は地上をさまよってここにおり、遠くの秋空を飛び廻る(あるいは虚空に停まっている)群れをはぐれた孤雁の声を聴くのであるから、雁が象徴するものは作者とは離ればなれに徘徊する(あるいは「月は是れ故郷にも明らかならん」との関連からすれば、故郷に留まっている)「弟」で良いのかも知れません。(因みに「月は故郷のごとく明かなり」と訓む人もいます。雁が弟であるとすれば、「故郷にも」のほうが良さそうです。)
もし、回答が「書」であるとすれば、問題は「聲」のほうが相応しいように思います。

拾遺 01/31 08:16

104:[ 問題4についての回答について ]

この問題は、詩中から探せ、となっていますが、かならずしもこの杜甫の詩で使われている「雁」が象徴しているものを問うているわけではありません。
日本の大学入試レベルの回答では、「雁書」ということばを知っているか否かを問うことになるので、正解は「書」です。『漢書』蘇武傳によります。なお『素問攷注』宝命全形論の補注にも蘇武が出てきます。
ただし、本家レベルでは、「雁行」を知っているか否かも想定しなければならないでしょう。ふだんは編隊を組んで飛ぶので「雁行」は、兄弟の意味でも使われます。それが「一雁」ですので、兄弟離ればなれを想起しますので、正解は「弟」ともなります。
従って、この問題は悪問であろうと思います。これは、某大学で出題された問題で、その大学がどちらを正解としたかは存じませんが。

少陵 01/31 08:00

103:[ 現代語訳 ]

戌樓響過更鼓,路上斷了行人形影,
秋天的邊境,傳來孤雁悲切的鳴聲。
今日正是白露,忽然想起遠方兄弟,
望月懷思,覺得故郷月兒更圓更明。
可憐有兄弟,卻各自東西海角天涯,
有家若無,是死是生我何處去打聽?
平時寄去書信,常常總是無法到達,
更何況烽火連天,叛亂還沒有治平。

少陵 01/31 07:34

102:[ Five-character-regular-verse 英訳 ]

Du Fu
REMEMBERING MY BROTHERS ON A MOONLIGHT NIGHT
A wanderer hears drums portending battle.
By the first call of autumn from a wildgoose at the
border,
He knows that the dews tonight will be frost.
...How much brighter the moonlight is at home!
O my brothers, lost and scattered,
What is life to me without you?
Yet if missives in time of peace go wrong --
What can I hope for during war?

少陵 01/31 07:30

101:[ 答案 ]

「おあそび」で良いと言うことなので、
回答1:杜甫
回答2:秋
回答3:五言律詩
回答4:辺境の秋の空に鳴く、群れをはぐれた雁は、弟たちと離ればなれに漂泊する作者自身を象徴している。したがって詩中には適切な一字は無いと思う。

拾遺 01/30 21:54

100:[ 霊蘭大学、2004年度、入試問題 ]

 月夜憶舍弟□月夜に舍弟を憶う
1戍鼓斷人行□戍鼓は人行を斷つ
2邊〓一雁聲□邊〓一雁の聲あり
3露從今夜白□露は今夜從り白く
4月是故郷明□月は是れ故郷にも明らかならん
5有弟皆分散□弟有れども皆な分散し
6無家問死生□家の死生を問う無し
7寄書長不達□書を寄するも長く達せず
8況乃未休兵□況んや未だ兵を休めざるをや
問題1:作者は誰か。
問題2:〓には季節が入る。どの季節か。
問題3:この詩の形式を漢字四字で表せ。
問題4:2にある「雁」が象徴するものをこの詩の中から探して、一字で答えよ。

少陵 01/30 18:13

99:[ 忝竊 ]

てんせつ・大きい辞書に出ていることばです。
日本と現代シナでは、若干意味の受け止め方にちがいがあるかも知れません。
種明かしをしますと、上海古籍出版社・十大文言短篇小説今譯叢書『白話全本・閲微草堂筆記』を参考に翻訳してみました。
今村さんの翻訳と比較しながら読んで、たいへん勉強になりました。途中までですが。

菉竹 01/28 21:35

98:[ あるいは ]

竊賜以觴豆為稍障羞顏(そっと酒を一杯飲ませて、きまり悪い思いをしたのを少しだけつぐなってやれば),庶幾或可(それでほとんど充分だ),若有所酬贈(もし報奨金を払おうというなら),則小人太僥倖矣(それがしに頂ければ大いにうれしい)。

ほとんど全く自信は有りません。

神麹斎 01/28 13:38

97:[ 後半 ]

又言(また邊秋崖前輩から聞いた話):一宦家患狐祟(ある役人が狐の祟りを患ったので),延術士劾治(エクソシストを呼んで折伏させたが),法不驗(その術は効き目がなく),反為狐所窘(かえって狐にやりこめられてしまった),走投其師(かれは走って自分の師匠に頼み込み),更乞符籙至(あらためてまじない札をもらってきた),方登壇檄將(ちょうど祭壇にのぼり神将を呼び出そうとすると),已聞樓上搬移聲(階上から引っ越しの物音が聞こえてきた),呼應聲(呼び合う声もする),汹汹然相率而去(かまびすしく音をたてながら、ぞろぞろ狐たちが出ていった)。術士顧盼有德色(エクソシストは周囲を見回して、どんなもんだという表情),宦家亦深感謝(役人もおおいに感謝する),忽舉首見壁上一帖(ふと頭を上げて壁を見ると、一枚の貼り紙があった),曰(その文句):公衰運將臨(あなたの命運はまさに尽きようとしていた),故吾輩得相擾(それでわれらはあなたの邪魔をすることができた),昨公捐金九百(昨日、あなたは義捐金九百両を投じて),建育嬰堂(育嬰堂を建立した),德感明神(このような徳行は神明を感動させ),又增福澤(またあなたの幸運を増加させた),故吾輩舉族而去(それでわれらは一族もろとも撤退するのである),術士行法適値其時(エクソシストの行法はたまたまその時にあたった),據以為功(それで自分の勲功だと思っているが),深為忝竊(なんとも恥ずかしいことである),賜以觴豆為稍障羞顏(酒を盃一杯あげれば、すこしはその厚顔無恥を見なくて済む),庶幾或可(きっとそうできると願いたい),若有所酬贈(もし報奨金を払ったら),則小人太僥倖矣(こんな小人物ならとってもハッピーだろうね)」。字徑寸餘(文字の大きさは一寸余り),墨痕猶濕(墨痕はまだしめっていた),術士慚沮(エクソシストは羞じて意気阻喪し),竟噤不敢言(とうとう口を閉じて一言も発せずじまい)。梁簡文帝與湘東王書引諺曰(梁の簡文帝の『湘東王に与うる書』が引用する諺に、こうある),:「山川而能語(山や川がもし口が利けたら),葬師食無所(墓占い人は食いっぱぐれる),肺腑而能語(肺腑がもし口が利けたら),醫師面如土(医者の顏色は真っ青)」。
此二事者(以上のふたつの事柄は),可謂鬼魅能語矣(幽霊や狐が話をしたと言えよう)。術士其知之(エクソシストはこのことを知っているのだろうか/知るべきである)。
方孝孺『原医』「病不能自言、受藥而死者、無所控訴、故醫得用其術而莫之詰也、諺有之曰、山川而能語葬師食無所、藏腑而能語、醫師色如土、此言用藥之難也(病は自ら言う能わず、薬を受けて死する者は、控訴する所無し。……諺に之れ有りて曰く、「山川而(も)し能く語らば葬師、食に所無し、蔵府而し能く言わば、医師の色、土の如し」と。此れ薬を用いるの難を言うなり)。

菉竹 01/27 23:49

96:[ 『閲微草堂筆記』巻17 姑妄聽之 三  ]

 前半部分
邊秋崖前輩言(翰林院の先輩、邊秋崖さんから聞いた話):一宦家夜至書齋(ある役人が夜書斎に行くと),突見案上一人首(突然、机の上に人の首が載っかっているのを見て),大駭(大いに驚いた)、以為咎徴(これをまがごとの前兆だと思い),里有道士能符錄(その土地に魔よけの札を書いて呪文をとなえるのが得意な道士がいて),時預人喪葬事(かれはつねに人々の葬儀などに参与していた),急召占之(急いでかれを召しだして占わせた)。亦駭曰(その道士も驚いていった):大凶(大凶です),然可禳解(しかしお祓いすれば避けらます),齋醮之費(祈祷料は),不過百餘金耳(銀貨百両あまりに過ぎません)。正擬議間(ちょうどふたりがやりとりしている時),窗外有人語曰(窓の外からひとの声が聞こえてきた。曰く):「身不幸伏法就終(わたしは不幸にして罪に服して処刑された),幽魂無首(霊魂は首がないと),則不可轉生(転生できない),故恒自提攜(それでいつも自分で首を持ち歩いていたが)累如疣贅(煩わしいこと、この上ない/疣贅=イボ),頃見公棐几滑淨(近頃/いましがた/あなたの文机が平らで清潔なのを見て/『晋書』王羲之傳「見棐几滑淨」),偶置其上(時折/たまたま/首をその机の上に置いていた),適公猝至(そうしたらちょうど/偶然に/あなたが急にやって来たので),倉皇忘取(あわてふためいて首を取るのを忘れてしまい),以致相驚(あなたを驚かすことになってしまった),此自僕之粗疏(これはわたしがそそっかしかったことによる不始末にすぎず),無關公之禍福(あなたの禍福とは関係ありません),術士妄語(術士にたわごとなど),慎不可聽(万が一にも真に受けてはいけません)」。道士仍喪氣而去(道士はそういうわけで意気消沈して帰っていった)。

菉竹 01/27 21:27

95:[ 肺腑而能語醫師面如土 ]

邊秋崖前輩言,一宦家夜至書齋,突見案上一人首,大駭以為咎征,裏有道士能符錄,時預人喪葬事,急召占之。亦駭曰:大凶,然可禳解,齋醮之賚,不過百余金耳。正擬議間,窗外有人語曰:身不幸伏法就終,幽魂無首,則不可轉生,故恒自提攜累如疣贅,頃見公幾棐滑淨,偶置其上,適公猝至,倉皇忘取,以致相驚,此自仆之粗疏,無關公之禍福,術士妄語,慎不可聽。道士仍喪氣而去。又言一宦家患狐祟,延術士劾治,法不驗,反為狐所窘,走投其師,更乞符錄至,方登壇檄將,已聞樓上般移聲,呼應聲,洶洶然相率而去。術士顧盼有德色,宦家亦深感謝,忽舉首見壁上一帖,曰:公衰運將臨,故吾輩得相擾,昨公捐金九百,建育嬰堂,德感明神,又增福澤,故吾輩舉族而去,術士行法適值其時,據以為功,深為忝,竊賜以觴豆為稍障羞顏,庶幾或可,若有所酬贈,則小人太僥倖矣。字徑寸餘,墨痕猶濕,術士慚沮,竟噤不敢言。梁簡文帝與湘東王書,引諺曰:山川而能語,葬師食無所,肺腑而能語,醫師面如土。此二事者,可谓鬼魅能语矣。术士其知之。

上はワードXPの簡体字→繁体字変換の実験です。変換してくれなかったのと、余計なことをしてくれちゃったのと、幾つくらい有ると思います。あ、「此二事者,可谓鬼魅能语矣。术士其知之。」は別ですよ。何故だか全く変換してくれなかった。他に誤植とおぼしきものも有る。

神麹斎 01/26 09:26

94:[ 名前の漢字 ]

また名前に使える漢字が微妙に増えるようですね。
大体は、エッ今まで使えなかったの?というような漢字です。楚とか舵とか。
制限すべきか、自由にすべきか、どちらの主張にもまあ取るべきところは有るでしょうが、ちょっと極端な話を一つ。今はどうか知りませんが、ちょっと前の中国の新聞によると、かの漢字大国にはこの種の制限が無いらしい。さすが中華文明の誇り、と言いたいところですが、実は縁起の良い偏と旁を組み合わせて未だ嘗て存在したことのない新字を作ってしまう手合いがいるらしい。これはやっぱり禁止すべきでしょう。でもどうやって……、未だ嘗て存在したことがないかどうかなんて、確かめようが無いわけでしょう?
もう一つの悩ましい問題は、異体字の問題、百閒であって百間ではないというファンがいたり、竜之介と書かれた手紙は受け取らなかったという伝説の龍之介さんがいたり。端から見ればバカバカしいけれど、本人達は真剣なのかしら。佐々木さんの中には、佐佐木と書くように主張した人もあるらしいけれど、逆にそれは間違っていると文句を言う人も多そうだし。まあ、私にしても多紀元悳を元徳と入力して良いのかどうか、一瞬躊躇しますが。
宍は肉の異体字(甚だしくは誤字と言う人も有る)ですが、でもねえ、宍戸さんあての手紙に肉戸さんと書く勇気は、今のところ私には有りません。

神麹斎 01/26 09:05

93:[ 清の伝奇 ]

閲微草堂筆記、良いですねえ。
明清の伝奇小説の中では一番好きかも。聊斎志異には高校生の頃(?)に夢中になった義理が有るけど……、今、新たに子不語あたりを読むと、やっぱりちょっと下品だね。隨園先生のものだったら、食単のほうが好き。

神麹斎 01/26 09:03

92:[ こりずに訓読してみました、先生、いかがでしょうか ]

内閣學士の永公、諱(いみな)は甯、嬰疾(病にとりつかれる)し、頗(すこぶ)る委頓(疲れて力がぬける、元気がない)す。醫を延(まね)き診視せしむるも,未だ遽(にわか)には愈えず。改めて一醫を延く。前醫の用いる所の藥帖を索(もと)むるも,得ず。公以為(おもえ)らく、小婢誤りて他處に置く、と。責めて搜索せしめ、得ざれば且(まさ)に汝を笞うたん、と云う。枕に倚(よりかかる)し憩息するに方(あた)り〔=ちょうどその時に〕,恍惚として人の燈下に跪(ひざまづ)く有り。曰く「公 婢を笞うつなかれ。此の藥帖は小人〔=わたくし〕の藏(かく)す所なり。小人は即ち公の臬司(明清代、按察使の別称)為(た)りし時、平反(誤って下された裁判をやりなおし、公正な裁判をして罪を軽くする)して生を得るの囚なり」。問う「葉帖を藏すは何の意ぞや」と。〔小人〕曰く「醫家は同類皆な相い忌(い)み、務めて前醫の方を改め、以て長ずる所を見(あらわ)さんとす。公 服する所の藥誤らず、特(た)だ初め一劑を試みるも、力尚お未だ至らざるのみ。後醫をして方を見しめば、必ず相反して以て異を立て、則ち公殆(あやう)からん。小人の陰(ひそ)かに之れを竊(ぬす)む所以(ゆえん)なり」。公 方(まさ)に昏悶し、亦た未だ其の鬼為(た)るに思い及ばず。稍(ようや)く頃(ころ)おい始めて悟り、悚然として汗下る、乃ち前方已に失し、復た記憶せずと稱し、後醫に別に方を疏するを請う。用いる所の藥を視るに、則ち仍(な)お前の醫方なり。因りて數劑を連進するに、病い霍然として失するが如し。公 烏魯木齊(ウルムチ)に鎮たりし〔軍の司令官だった〕日、親しく余の為に〔わたしに〕之れを言う。曰く「此の鬼 世情を諳悉〔熟知〕すると謂うべし」。

ミドリ 01/26 01:17

91:[ あ~あ ]

あ~あ、やっちゃった。
ワードXPの簡体字→繁体字変換ソフトはあんまり性能よくないんだよ。気をつけているつもりなんだけどねえ。
実は誤変換はもう一カ所有ってね、そっちのほうはちゃんとなおしてある。

紀暁嵐 01/25 22:55

90:[ 親為餘言之 ]

簡体字を繁体字に変換するときには、なんでも画数の多い字にかえればいいとは限りません。
たとえば「皇后」を「皇後」とするのは、大陸の人のよくやるあやまりです。
ここは、内閣學士の永さんが「わたし紀昀」に直(じか)に話したということでしょうから「余」のままがいいと思います。
マクロ(変換ソフト)は、一律に変えちゃいますが。

キーン 01/25 22:35

89:[ 醫家同類皆相忌 ]

内閣學士(官名、明清代、皇帝を補佐する内閣の大臣、上奏文に対して回答を用意してから皇帝に見せた)永公諱(いみな、本名)寧,嬰疾(病にとりつかれる),頗(たいへん、よほど)委頓(疲れて力がぬける、元気がない)。延(まねく)醫診視,未遽(にわかに)愈,改延一醫,索(探す)前醫所用藥帖,弗得。公以為小婢誤置他處,責使搜索,云不得且笞汝。方倚(よりかかる)枕憩息,恍惚(かすかでとらえがたいさま、ほのかで見極めがたいさま)有人跪(ひざまずく)燈下曰:公勿笞婢,此藥帖小人所藏。小人即公為臬司(明清代、按察使の別称)時平反(誤って下された裁判をやりなおし、公正な裁判をして罪を軽くする)得生之囚也。問藏葉帖何意,曰:醫家同類皆相忌(嫌う、嫉む),務(かならず、是非とも、つとめて)改前醫之方,以見(あらわす)所長。公所服藥不誤,特初試一劑,力尚未至耳。使後醫見方,必相反以立異,則公殆矣。所以小人陰竊(ぬすむ)之。公方昏悶,亦未思及其為鬼。稍頃始悟,悚然汗下,乃稱前方已失,不復記憶,請後醫別疏方。視所用藥,則仍前醫方也。因連進數劑,病霍然如失。公鎮烏魯木齊日,親為餘言之,曰:此鬼可謂諳悉世情矣。

( )内の注記はすべて『漢辞海』に拠っている。つまりあの程度の辞典があれば、大抵の文章は読めるということ。

紀暁嵐 01/25 16:53

88:[ いまさらながら 気 ]

もういつの頃だったかは忘れたけれど、たぶんまだ知り合って間もない頃だと思うけれど、島田先生に、気という言葉はいっそのこと須く気体と置き換えたらどうかと言って、そう簡単にはいかない、とたしなめられたことが有る。
たしなめられて黙ったけれど、未だにその問答を覚えているのは、つまり未だに本当には納得していないということである。
漢和辞典を紐解くと、多くの詞義のほとんどは、気体もしくはその働きと考えたほうが誤解が少ないような「気がする」。その中に「人の精神状態」という項が有るけれど、例として載る「気を奮い立たす」とか「志気をくじく」とか「気は世を覆う」とか「浩然の気」とかも、人の内部にあって何ごとかをなそうとしているものと言えそうである。それは乃ち、ポットの中に充満する水蒸気の如きものと理解して大過無いように思う。如何。

神麹斎 01/25 11:23

87:[ 横合いから失礼 ]

盧霽漁編修、寒疾を患い、景岳全書を読む者を誤り延き、人參を投ぜられ,立ちどころに卒す。太夫人これを悔めり。哭くこと極めて慟然、一たび声を発する毎に、輒ち板壁の格格として響くを聞く。夜或いは床を繞り阿母を呼ぶ、灼然として辨じて霽漁の声と為す。
蓋し高年の過ぎたる哀しみを欲せざればなり。悲しいかな、死して猶お親を忘れざるか?

本当は、「一たび毎に」とか「輒ち聞く」とか「辨じて為す」も切り離したくないんだけど、やむをえないだろう。
慟然は形容詞「慟」の後に接尾語「然」をつけて、様子・状態を表しているんだと思います。

神麹斎 01/25 09:18

86:[ 耄碌したから…… ]

なにせ雍正二年生まれの耄碌であるから、自分でどう書いたか定かに覚えておらぬが、試みに声にだして読んでみれば、以下のようになろうか。
Lu Jiyu bianxiu,huan hanji,wuyan du "Jingyue Quanshu" zhe,tau rencan,lizu。Taifuren hui yan,kuji tangran,meiyi fasheng,zhewen banbi gegexiang,yehuo raochuang hu amu,zhuoran bianwei Jiyu sheng。Gai buyu gaonian zhi guoai ye。Beizai,si er you buwang qin hu?
断っておくが、ピンインなどというものは、余のあずかり知らぬことであるから、上のはおおよその息継ぎを見ようとしたまでのこと。
息継ぎからすると、どうもやはり哭極慟然で切ったような気がする。それにそのあたりはより感動的にするつもりで、古の文章術にならって、四字、四字、七字、七字、七字にしたような……。言うまでもなかろうが、七字の部分はつまり二字・二字・三字となる。

紀昀 01/25 08:57

85:[ 紀昀さま、添削願えればさいわいです ]

盧霽漁という(国史)編修(官)、寒疾を患い、誤りて『景岳全書』を読む者を延(まね)き、人參を投ぜられ,立ちどころに卒す(死んじゃった)。太夫人(=かれの母親)これを悔み、哭きて極めて慟(なげ)く。然るに一たび声を発する毎(ごと)に、輒(すなわ)ち〔=そのたびごとに〕聞くならく、板壁の格格たる〔カタカタなる〕響き、夜或いは床〔ベッド〕を繞(めぐ)り阿母〔お母さん〕を呼ぶを。灼然として〔=あきらかに〕辨じて霽漁の声為(た)り。
 蓋(けだ)し〔=おそらく・紀昀思うに〕高年〔=老年(の母)〕の過ぎたる哀しみを欲せざればなり。悲しいかな、死して猶の親を忘れざるか?

「哭極慟然」の「然」字を、うしろにつけましたが、いかがでしょうか。

ミドリ 01/24 23:40

84:[ その通りです、紀昀さん、じゃなかった神麹齋先生 ]

まあ、持っているひとはほとんどいないと思うので、宣伝にはなりませんが、『内経』という研究会誌もどきの同人誌?の119号(1999年2月)にそのあたりのことを書いたことがあります。
お持ちの方は、引っ張り出してお読みいただければさいわいでございます。

ミドリ 01/24 08:13

83:[ 誤延讀景岳全書者 ]

『閲微草堂筆記』卷十 如是我聞 四に:
盧霽漁編修,患寒疾,誤延讀景岳全書者,投人參,立卒。太夫人悔焉,哭極慟然,毎一發聲,輒聞板壁格格響,夜或繞床呼阿母,灼然辨為霽漁聲。蓋不欲高年之過哀也。悲哉,死而猶不忘親乎?

ミドリさんの言うのはこれのことですか?
「景岳全書なんか読んでるやつを呼んで」と言うことかしら。

神麹斎 01/23 21:06

82:[ 狐・鬼・秀才 ]

以上が、筆記の代表的な登場者であろうと思います。
紀昀は、張介賓を目の敵にしていました。知人が、張介賓を盲信する医者に人参湯を処方されて、急死したのがきっかけのようです。『閲微草堂筆記』に出ています。
それで、『四庫全書』の提要でも、いやいや張介賓の作品を収録しているようなのが、その文章の端々でわかります。
ほんとうは、著録したくなかったのだが、「儒有定理、而醫無定法、病情萬變、難守一宗」で、しかたないといった具合です。
『明史』に張介賓の傳がないのは、紀昀の影響なのでしょうか?

ミドリ 01/23 19:21

81:[ 狐も ]

閲微草堂筆記には、鬼のほかに狐もよく出てきます。こうしたジャンルの伝統なのかしら、それとも本当に狐付きが多かったんだろうか。
友達になった狐に女房にとりついてもらって、それをタネに強請をするつもりだったら、もっと凶悪な狐に乗っ取られて、どうにも制御できなくなった、という話が載っています。
その時、「針灸などいろいろと治療してみたが効果なく」云々とあります。当時も、狐付きなどでは(大学者も)先ず第一に針と灸を思ったものらしい。現代の針灸治療も、もっと精神科領域に適応を広げることを考えて良いのかも知れない。

神麹斎 01/23 08:37

80:[ 似てますね ]

弓と簡体字の「馬」は、たしかに似ていますね。
簡体字本『閲微草堂筆記』では、涅槃のハンは、簡体字で「舟」が「皿」の上にのっている形をしています。これを中日辞典で引くと、「盤」の簡体字であることはわかりますが、涅槃のハンにはたどりつけない。
講談社の中日辞典では涅槃のハン字は、載せられていません。それだけ今の大陸では使われていない文字なのでしょう。たぶん、文字化けした原因もここらへんにあるかも。

キーン 01/23 02:43

79:[ 弓か马か ]

縱弛の弛の弓偏を、入力者が马偏に見まちがえた、というだけのことでしょう。

神麹斎 01/22 22:08

78:[ 不聞見羲軒以上鬼 ]

実のところインターネットでダウンロードした閲微草堂筆記は、あんまりいい仕事じゃないと思いますよ。終わりのほうの「仏教は涅槃を極楽としている」に相当する原文が「佛氏以涅癅为极乐」になってます。癅は何かの都合で文字化けしたんだと思って改めました。それとも涅癅なんて熟語、本当に有るんでしょうか。少なくとも漢語大詞典には無いようですが。
まあ、要するに「新しい幽霊は大きく、古い幽霊は小さい」とか「幽霊(陰)は酒(陽)の酔いで消滅した」とかを面白がったと言うだけのことです。
妙に理屈っぽいところが愉快。新春愉快!

紀昀 01/22 21:52

77:[ 紙の本 ]

小生所持の簡体字版『閲微草堂筆記』は、「縦弛」となっています。この語ですと、『大漢和辭典』に用例が載っています。そちらですと、今村さんの訳と符合しそうです。
ついでに申しますと、「叢墓」が「叢薄」になっており、今村さんの訳と、若干ちがうな、版本がちがうのかな、と以前思ったものですから、確認したかったわけです。
なお、『左傳』は、文公傳二年の文です。『莊子』は、齊物論です。「彼」と「此」の順序は反対ですが。

キーン 01/22 19:11

76:[ 春節愉快! ]

そう言えば、今日は春節?!
何はともあれ屠蘇を一杯。

日本で旧正月に無関心になったのはいつ頃からだろう。
小学生の頃は、農家は大抵旧正月だったけど。

何にせよ二度有るのは良い。新正月(最初の誤変換=新書穿つ)と旧正月(こっちはすんなり出た)。

神麹斎 01/22 11:12

75:[ 実はね ]

実はね、インターネットで簡体字版をダウンロードして、ワードのツール→その他の校正ツール→中国語の翻訳で繁体字化して、それを和訓もどきにしました。
本当は紙の本は持ってません。
因みに今村与志雄氏(平凡社・中国古典文学全集)は「漸縱馳委地」に相当する部分を「しだいにほぐれていって地面に積みかさなり」と訳しています。
「漸に縱して地に馳委し」のほうがよかったのかな。

紀昀 01/22 11:04

74:[ 恭賀新春 ]

春回大地,万象更新。
春到人間万物鮮。
祝朋友们新春愉快,身体健康!闔家歓楽,幸福吉祥!

家宝 01/22 07:21

73:[ 謹啓 紀昀さま ]

紀昀さまお持ちの『閲微草堂筆記』は、「縱馳」となっているのでしょうか。

キーン 01/21 22:38

72:[ ]

屠者許方なるもの嘗て酒二罌を擔いて夜行き、倦みて大樹の下に息す。月明らかにして晝の如く、遠く嗚嗚の聲を聞く、一鬼叢墓中より出で、形状怖る可し。乃ち避けて樹後に入り、擔を持して以て自ら衛る。鬼罌の前に至り、躍舞して大いに喜び、遽に開きて飲む。一罌を盡し、尚お其の第二の罌を開かんと欲す、緘甫めて半ば啓き、已に頹然として倒れたり。許恨むこと甚しく、且つ之を視れば他技無きに似る、突に擔を舉げて之を擊つに、虚空に中たるが如し、因りて連けて痛擊を與う、漸に縱馳して地に委し、濃煙と化して一に聚る。其の變幻を恐れ、更に捶すること百餘、其の煙は地面に平鋪し、漸に散じ漸に開き、痕は淡墨の如く、輕穀の如く、漸に愈よ散じ愈よ薄く、以て無に至る。蓋し已に澌滅せり。
余謂う、鬼は人の餘氣なり。氣は以て漸にして消す、故に『左傳』に新鬼は大にして、故鬼は小なりと稱す。世に鬼を見る者は有り、而して羲軒以上の鬼を見るを聞かず、消して已に盡くるなり。酒は氣を散ずる者なり、故に醫家の血を行らし汗を發し、鬱を開き寒を驅すの藥は、皆酒を以て治す。此の鬼は僅かに存するの氣を以て、而して散ずるに滿罌の酒を以てす、盛陽鼓蕩し、微陰を蒸鑠せり、其の消え盡くるや固り宜なり。是れ醉に澌滅せるにして、棰に澌滅せるに非らざるなり。
是の事を聞く時、戒酒者の、鬼は幻を善くするに、酒の故を以て、臥して捶を受けるに至る、鬼はもと人の畏れる所、酒の故を以て、反って人に困する所と為る、沉湎するは念うべきかな、と曰うもの有り。耽酒者の、鬼は形無しと雖も而して知有り、猶お未だ喜怒哀樂の心を免れざるに、今冥然として醉い臥し、消えて烏有に歸し、其の真に反りたり、酒中の趣は、是より深きは莫し、佛氏は涅槃を以て極樂と為す、營營たる者は惡んぞ之を知らん、と曰うもの有り。『莊子』の所謂「此も亦た一是非、彼も亦た一是非」なるか。(紀昀『閲微草堂筆記』より)

紀昀 01/20 13:54

71:[ 下駄 ]

例えば、下駄を放り出して、裏返ったら雨、なんてことは子供の遊びに過ぎない、けれども、雨の前は大気が湿り気を帯びて、だから鼻緒も湿り気を帯びて、したがって若干重くなり、よって裏返る可能性が少しだけ高くなる、なんてことは有るかも知れない。だけど、横向きになったら雪、なんてのは、裏が雨で表が晴なら、横は何だ、雪だろう、なんて知恵者が思いついたに過ぎない。ましてやテルテル坊主をつるして、次の日を晴にする、なんてことは絶対に無理、とは言うものの、小学生の遠足の前の晩、軒にテルテル坊主をつるしたほうが安らかに眠れる、ということは有る。そこがまたややこしいところ。

胡思 01/19 21:05

70:[ ののちゃん2402 ]

 自習
キクチくん「先生 質問です。」
藤原先生 「ハァイ」
キクチくん「自衛隊がイラクへ攻めていくってほんとうですか?」
藤原先生 「ゴホッゴホッ」
 自衛隊は
 ×イラクと戦争をする。
藤原先生 「いいですか ここがカンジンなところです。」
 ○イラクの戦争をする。
藤原先生 「わかりましたね。」
生徒たち 「ハーイ」
キクチくん「?」

藤原先生ファンクラブ 01/15 13:23

69:[ 人→鬼→聻…or無 ]

阪神大震災が有っても、貿易センタービルが崩壊しても、全然転機にはなっていない。何も変わっていない。今後、これだけは確かに転機になるだろうと思うのは、自身の死である。しかし、死後には何も無いと思っているから、つまり死後にも結局転機は無いことになる。
死と生とは相対的なものだと言う人がいる。そう考えるのが東洋的だそうである。そうだろうか。死は絶対的なものである。何にも無い。だから、苦しいことも哀しいことも、恐ろしいことも無い。それなのに、死を思うときの言いしれぬ不安感は、何か。
死は絶対的なものであって、あれこれ想像することの全てにNONという。自分が完全に存在しなくなるということは、苦しいとか哀しいとか、恐ろしいとかいうことも存在しえない、ということである。おそろしい。
(念の為に一言付け足せば、所謂「死後の世界」が有ると言うならば、それはまた幽霊=鬼としての「生」である。鬼が鬼の世界で死ぬと聻というものになるらしい。そして聻が聻の世界で死ぬと……。こういう際限の無い繰り返しのおそろしさと、死=絶対無のおそろしさは別種のものである。悟りとは輪廻=繰り返しからの脱却だという話を聞いたことがある。さすれば、死=絶対無には安堵していいと思うのだが。本心でそう思えれば、そしてそれでも今の生がむなしくないと思えたら……、多分それは悟りなんだろう。)

胡思 01/10 13:31

68:[ 鉄砲を放ち太鼓を打ち ]

武江年表の天明三年に、浅間山大噴火の記事があり、「雷強く鳴り、……空へ向ひて鉄砲を放ち、太鼓を打て雷除をなす」とある。これははっきりと尾籠のさたである。では、どうやって雷対策をするか、は置いといて、せっかく鉄砲が有るのなら、「猪熊など出て、人馬をくらへり。猟師、鉄砲にて追退く」というのがまともだろう。太鼓だって少しは効く。でも、江戸で雷除けに鉄砲を放った人のほうが感謝されたかも知れない。

神麹斎 01/09 08:36

67:[ 甲申神将 ]

甲申神将の名は扈文長。扈は従者、また乃ち馬を飼う従僕。サルとウマの関わりを話し始めると長くなりそうだからひかえるけれど、まあ常識と言えよう。例えば、孫悟空が天界で得た官職は、すなわち弼馬温。
何故、文長なのかは未だ思い至らない。

科葉師友 01/05 12:48

66:[ 何故に胡姓ではないのか ]

美猴王の姓が孫なのは、胡と言ったんでは狐を連想してしまうからではないか。晋の干宝の『捜神記』に、呉中に白髪の胡博士と称するものがいたが、実は年老いた狐であった、とある。また、時代はずっと下るが、『聊斎志異』で美女が登場したら大抵は幽霊か狐である。そして狐は多くが胡を姓としている。

『漢辞海』によれば、胡に「いいかげんに、でたらめに、意のままに」といった意味が生じたのは、近世のことであって、その近世というのは元明以降ということらしいから、美猴王の姓に影響したかどうかは微妙なところ。

神麹斎 01/01 16:38

65:[ サルの姓 ]

西遊記の美猴王の姓は、言わずと知れた孫、封神演義の梅山の七怪の親玉である白ザルの姓は袁。孫は、漢語でサルを猢猻と言うことが有るが、その猻からけものへんを取り去った。胡では古と月で、つまり老で陰だから、成長できないから良くないんだそうな。実在の胡さんには失礼だろうに。袁は勿論、猿からけものへんを去った。
申という姓で、サルの話が有って良さそうだけど知らない。三才図会に載っている甲申神将の名は扈文長、だから姓は扈のはずだけど、このいわれも分からない。

唐代の伝奇に白猿伝というのが有って、欧陽紇という将軍の妻が白猿の妖怪にさらわれて、後に生まれた子が歐陽詢。文筆の才を嫉むものがやった、手のこんだ嫌がらせなんだろうけど、容貌が猿に似ていたということなんだろうね。いやまあ、サルに似ているからといってバカにしたものでもない、ということか。
日本では秀吉。幼名を日吉丸ということになっているけれど、これは眉唾。水呑百姓のせがれには立派すぎる。多分、本当は子供のころの名は不明で、あだ名がサル。サルを神獣とする日吉大社から思いついて、でっち上げたんだろう。まあ、これもサルに似ているからといって、バカにしたものでもない例にはなる、か。

科葉師友 12/31 18:16

64:[ 伽話 ]

合谷の脈動異常によって口歯の病を知り、合谷の脈動異常をおさめることによって口歯の病を癒す。これは臨床実践からきた知識である。だが、手の陽明に大腸を配したのは、理論完整のための都合である。だから手の陽明の原穴を用いて大腸の病が癒されることが有ったとしても、その関連は疑ってかかるべきである。
腕関節付近の脈動異常によって、身体上部の病を知る。また次いで身体上部の頚廻りの脈動如何によって、体幹部の状態を把握することも試みられる。そして腕関節付近の脈動を太淵一所に代表させ、頚廻りの脈動を人迎一所に代表させ、その相互関係によって全身の状況を診断しようとする。そこには飛躍が有るが、それにしても臨床実践を足がかりにした飛躍である。ところが人迎(頚)と気口(腕)という上下の陰陽関係を、左右の陰陽関係に置き換えるのは、さらなる飛躍である。そこには臨床実践を超越した哲学的思考が存在するだろう。その妥当性には疑ってかかるべきより大きな危うさが有る。
左右の陰陽関係による人迎気口診が価値あるものだとすれば、それはそうした発想がなされた後の実践を通して証明されたものである。そしてもし確かに実践的に価値あるものだとなったら、つまりそうした発想を可能とした哲学的な「お話」もまんざら棄てたものではないと言えるのではないか。
雑多な事実を臨床実践に有効に役立てるのは実は甚だ困難である。何らかのお話、フィクションを構築することによって、思考を整理することは、当然ながら有効あるいは必要な方便である。新たな発想も、恐らくは須く「お話」の中に芽生える。しかし、それらは少なくとも始めの段階においては「お伽噺」に過ぎないことに心すべきであろうと思う。(より簡単なより当たり前な理由が発見されることによって、始めて理論として確立する。ただ、実践は理論の確立を待つまでもなく有用、ということは有る。)
あらゆる治療システムは、マニュアルである。マニュアルはお話である。マニュアル治療自体に罪は無い。不都合な点は、マニュアルの不備とフレキシブルさの不足である。ハンバーガー店でつっけんどんに生焼けを喰わされるよりは、作り笑いでちゃんとしたものを出されるほうが、絶対に有り難い。(できれば作り笑いであることを、客に気付かれない秘訣もマニュアル化しておいて欲しいくらいのものである。)まあ、マニュアルに無い注文にも、おたおたしないで欲しいけど。
蔵府経絡説も補瀉の技法も、結局はマニュアルである。真の名人上手には必要ないんだろう。(でも、そんな「真の」名人上手なんてそんなにいるわけがないし、そもそも、そんな人を師匠にしたって倣うこともできない。本人には実は必要ないマニュアルを凡人である我々に示してくれる。そんなのが一番有り難いのかも。)

神麹斎 12/22 13:56

63:[ 四京 ]

北宋の首都は開封です。南宋の首都は、一般的には、今の杭州ということになってます。でも厳密に立て前を言えば、南宋の首都だって開封なんでしょう。杭州は臨安、つまり北中国を侵略されて逃げてきている行在所にすぎません。
西京は河南府、洛陽です。南京は応天府、河南の商丘だそうです。北京は大名府、河北省の東南の端。(今何という都市だか知らない)ただし、これは北宋のもの。時代によって変わる。例えば、長安と洛陽が両京と呼ばれていた時には、当然ながら長安が西京で、洛陽が東京でした。だから北宋の南京は今のナンキンじゃないし、北宋の北京は今のペキンじゃない。

神麹斎 12/20 08:42

62:[ ありがとうございました ]

清明は、シンとミンのふたつの王朝の名前かな?と思ったものですから。
「じょうか」ではなく、「じょうが」と濁るのも、予想外でした。
ついでにお伺いしますが、南宋の都はどこだったのでしょうか?
東京があったとしたら、西京もあったのでしょうか。

かんりん 12/20 00:26

61:[ 清明上河図と東京と王翰林 ]

王翰林は王惟一のことです。

清明上河図は「せいめいじょうがず」です。そのまんまですね。
春の清明節のころの上河(汴河)のほとりの風景ということになってます。(ただし異説も有ります。)
東京(とうけい)は北宋の都、今の開封です。つまり、開封の郊外から汴河ぞいに都にむかう風景画であり、風俗画です。
東京夢華録は、南宋の始めに、亡んでしまった北宋の都を懐かしんで書かれた書物です。だから、北宋末の風俗を知るための絶好の絵画史料と文献という関係です。

王翰林と清明上河図には、別段関係は有りません。

神麹斎 12/19 18:56

60:[ 質問 ]

王カンリンの名前を教えてください。
清明上河図、なんと読むのですか?何の絵が書いてあるのですか?
どういう意味ですか?
東京夢華録とどういう関係があるのですか?
東京とは、どこのことですか?

かんりん 12/19 17:48

59:[ 書き漏らしの補いかた ]

靈蘭之室に、いつまでも『難経』が無いのもなんだから、台湾故宮博物院のものをデータ化しようとしてます。内経から出ている和刻の影印より優れた点も確かに有るんですが、何だか変な本ですね。
六難曰脉有陽盛隂虚隂盛陽虚何謂也然浮之損
小沉之實大故曰隂盛虚沉之損小浮之實大陽故
曰陽盛隂虚是隂陽虚實之意也
何のことか分かりますか。二行目の隂盛陽虚の陽の字を書き漏らして、實大の下に補っているんです。しかも何の目印もない。こういう習慣って有ったんですかね。
と言うわけで、故宮本『難経集註』のデータ化には、予想をうんと上回る時間がかかりそうです。

神麹斎 12/14 10:22

58:[ 王翰林 ]

これは『東京夢華録』(平凡社東洋文庫・入矢義高、梅原郁訳注)に載っているはなしだから、北宋のことだけど、注に「皇帝に近く、その個人的趣味ないし生活と関係する役所には翰林の二字がつけられる場合が多い」、だから医官局「これも正しくは翰林医官局と呼び、……皇帝への診察と投薬を受け持つ」、また金紫医官とは「名医のなかから選抜されて侍医となり宮中に宿直する国医、つまり翰林金紫医官のこと。翰林医官局に属する」とあります。
つまり、『王翰林集諸家註黄帝八十一難経』の王翰林もそうした立場の人なんでしょう。

神麹斎 12/13 08:06

57:[ 清明上河図 ]

ここのところ酒の肴として「清明上河図」を楽しんでいる。勉誠出版の『アジア遊学』誌の特集号はすぐ購ったし、『東京夢華録』も勿論もっている。
十月に雑誌を拡充したハードカバー『清明上河図を読む』が出て、その参考文献を見ているうちに、ひょっとしたらと思ってネットで捜したら、栄宝斎画譜の中に有るのがわかって取り寄せた。嬉しかったね。ほとんど全画面のほとんど原寸大。(原画は25.8㎝×534.6㎝、別の史料では24.8㎝×528.7㎝。画譜の複製は縦が23㎝、これはシリーズの版型におさめるため。)
で、今日、『中華医史雑誌』の2003年第4期が届いたら、「清明上河図与北宋医薬文化」という記事が載ってました。これから楽しんで読みます。

神麹斎 12/11 11:46

56:[ 公正 ]

例の風水パワーの黄色い財布、公正取引委員会が誇大広告として摘発したとかしないとか、テレビのニュースでチラッと耳にしたんだけど、残念ながら途中からしか聞けなかったし、その他のマスコミには載ってないみたい。
冗談だよねえ、そんなの信じる方がおかしい。

12/10 16:52

55:[ うにこーる ]

緒方修著す所の『蘭園藥斷』に曰く:烏泥哥兒の真僞は辨じ易からず、多くは鯨牙を以てこれに僞る。一に相似せること能う。但し、真なるものは文理繩の如く、これを横斷すれば則ち口に旋紋有り、其の色は蠟の如く、質は象牙に似る。先哲は犀角の一角なるものを以てこれに充てるも、其の説未だ詳らかならず。而して余は則ち以て別に是れ一種と爲す。

酒亭の名が「一角獣の微睡」なんでちょっと紹介してみました。それにしても一角獣の本物って何なんでしょうね。鯨の牙か犀の角しか有り得ないのに。

科葉師友 11/12 15:54

54:[ 古典派にして当然ながら科学派 ]

例えば、口歯に病が有るときには合谷に異常拍動が有る、あるいは合谷に異常拍動が有るときには口歯に病が有る、そして合谷に針灸を施すことによって口歯の病を軽減することが出来る。これは臨床実践の中から発見された事実である。
ところが、大腸の病と手の陽明脈との間に関連が有るというのは、理論構成の完整のために導き出された可能性が高い。また、今もって信頼に足る追試文献も無い。たまに手の陽明脈の穴を用いて大腸の病を治したという報告が有っても、「実験研究は最後にはほとんどが陽性の結果を得る」ことを警戒すべきである。「今日まで流伝してきた文献の中にはさまざまな原因から確かに文章の誤りが有るにも関わらず、そうした誤った内容についても実験の結果が支持してしまう。」
ところで、口歯と合谷には関連が有るとして、その間を連絡するものは(実験的には)神経である可能性が高い。しかし、神経が情報を伝達するとどうして治療効果が生ずるか、については今もって信頼に足る説明は無い。今もって無いのであるから、古来の説明は所詮は「お話」である。お話には、当然ながら胡散臭さがつきまとう。(当分の間、敬遠しておきたいところである。)説明が要らないと言うのでは無い。「科学的な事実から科学的な規律へ、さらに科学的な仮説(あるいは科学理論)へという上昇過程」を要求するのである。
(以上は黄龍祥氏の主張を、私が酔眼朦朧たる中で、推し量りまとめたものです。)

神麹斎 11/12 08:44

53:[ おはなし構築の歴史 ]

針灸理論のうち、迷信的方式によって導き出された部分は、須く疑ってかかるべきである。それでも、臨床に有効であれば、無碍に捨て去ることも無かろう、が、須く錯覚を疑うべきである。臨床実践の中から思いつかれた部分にも、効果を錯覚したものは有ろう。しかし、迷信的方式によって導き出された部分には、疑ってかかり用心して接すべきより大きな理由が有る。そんなことは当たり前であって、科学的という言葉に拒絶反応を起こし、どっぷりと迷信的世界につかっている巫医もどきは、我が党の士ではない。
しかし、これと世界観、疾病観を構築するということは別である。西洋現代医学にだって「お話」は有る。そのお話のほうが、現代日本人にも納得しやすいだけのことである。すでに、西洋現代医学に「お話」が有り、それがそれなりに有用なものであると認めるのであれば、我が方にもお話は必要である。「もう一つの医学」を希求するのであれば、そのお話は、より毛色が変わっている方が望ましい。従って、中国伝統医学におけるお話の構築の歴史にも研究の価値は有る。ただ、そこに在る迷信的要素はやっぱり排除したい。そして、それは臨床実践の場から排除するよりもずっと困難であることを覚悟しておきたい。(黄龍祥氏に納得してもらいたいことと言うのは、つまりそういう価値観であり、彼の能力を「中国伝統医学における臨床実践の歴史」ばかりでなく、「中国伝統医学におけるお話の構築の歴史」の解明にも注いで欲しいということである。)

神麹斎 11/08 13:06

52:[ 三部九候論迷解 ]

三部九候論に:
上部天=両額之動脈=候頭角之気
上部地=両頬之動脈=候口歯之気
上部人=耳前之動脈=候耳目之気
中部天=手太陰=候肺
中部地=手陽明=候胸中之気
中部人=手少陰=候心
下部天=足厥陰=候肝
下部地=足少陰=候腎
下部人=足太陰=候脾胃之気

上部では、その箇所の脈動異常によって、その箇所の気の異常を知り、その脈動異常をおさめることによって、その箇所の病症をおさめる。
中部と下部では、この箇所(おおむね原穴?)の脈動異常によって、あの箇所の異常を知り、この脈動異常をおさめることによって、あの箇所の病症をおさめる。
どうやっておさめるか?結局は工夫次第、どうやってでも実していたのが弱まり、虚していたのが強まればいい。盛なればこれを瀉し、虚なればこれを補う。(熱なればこれを疾くし、寒なればこれを留め、陥下すればこれに灸する。)あの箇所に病症が有るのに、ここに異常を見なければ(不盛不虚なれば)、どうするか?取りあえず針なり灸なり施してみる(経を以てこれを取る)。

神麹斎 11/06 13:29

51:[ はずかしい ]

大学の文化祭で下品なふるまいをした教師と学生は、勿論はずかしい。だけど、謝罪を求めてデモをしたり、学生寮に押し掛けるのも、やっぱりはずかしい。
その現場で、有無を言わせず舞台から引きずり下ろして、ぶん殴ればよかったのに。そして大学当局は、殴ったほうの学生を擁護して言う。「当然である。」

11/01 21:07

50:[ 西門慶 ]

『金瓶梅』の主人公の名前は、どうして西門慶なのか。『水滸伝』中で、潘金蓮とよろしくやっているのが西門慶だからである。ではなぜ『水滸伝』中の好色漢の名前が西門慶なのか。さてそれは分からない。西門なんぞという姓は、ごく珍しい。有名なのは西門豹くらいだけど、これはとても西門慶の先祖に擬せられるような人物ではない。
『水滸伝』の作者がどういうつもりで名づけたかは分からないけれど、『金瓶梅』の作者が下した面白い解釈は有る。
縁者の楊提督というのが弾劾されて連座に問われようとしたとき、大金を賄して免れるところ。「筆を執って書類の上の西門慶という名前を賈廉と書き改める。」つまり西門を続けて書けば賈に、慶は廉に似ていると言うんですね。で、賈は姓としては假(にせの)と同音なんです。廉は清廉の廉。
勿論、これは『金瓶梅』の作者によるからかいであって、命名の原義に迫るというものではありませんがね。

科葉師友 10/15 08:46

49:[ その陰脈 ]

ご病気の原因をみまするに、奥さまは肝脈の弦①が寸口②にあらわれ、そのうえ洪③が大きくなり、またその陰脈が寸口にあらわれ、それが魚際④まで伸びております。これは主として六欲七情から起こるもの。陰陽たがいに争い、そこで寒かったり暑かったりいたします。どうやら、中に結ぼれて遂げられぬ思いがおありのご様子。瘧に似て瘧にあらず、寒に似て寒にあらず。昼間はだるくてねむく、根気がつづかず。夜になると魂がからだから抜け出して、夢の中で亡霊と交わる。早くおなおしになりませんと、やがては労咳に変じ、命をなくすことになりましょう。まことに残念至極なことで。
①弦―病人の脈象の急なる者。弾むこと弦のごとしの意。
②寸口―手頸の脈どころ。
③洪―脈が波うって強いもの。洪水の洪のごとし。
④魚際―親指の付け根の凹んだ部分。これも脈どころ。

脈診の出典は分かりませんが、何も反応しないというのも愛想無しと思うんで、上は岩波文庫の現代語訳です。はっきり言ってひどいもんでしょう。特に厥陰脈を「その陰脈」なんてねえ、ウレシクテ涙が出る。

神麹斎 10/15 08:22

48:[ 李瓶児の脈診 ]

小人適診病源,娘子肝脉弦出寸口而洪大,厥陰脉出寸口久上魚際,主六慾七情所致,陰陽交爭,乍寒乍熱,似有鬱結于中而不遂之意也。似瘧非瘧,似寒非寒,白日則倦怠嗜臥,精神短少;夜晩神不守舍,夢與鬼交。若不早治,久而變爲骨蒸之疾,必有屬纊之憂矣。可惜,可惜!(『金瓶梅』第十七回 蔣竹山による李瓶兒の診斷)

上の脈診の出典をどなたか解説していただけませんか。

科葉師友 10/10 08:45

47:[ ……をとばす ]

折角、与太をとばせと言ってもらったんでひとつ。

「古典にかえれ」というけれど、どこまでかえるつもりなんだろう?
経絡治療の前だろうか、それともず~っと前の経脈篇以前だろうか?
それともそもそも陰陽五行説による説明の無い世界だろうか?
そんなところまでかえる勇気が有って言っている「古典にかえれ」だろうか?

考えてみると中国の針灸治療ってそもそも、陰陽五行説成立以前にまで遡れるんだろうか?石針はともかく小針(微針・毫針)が……。陰陽五行説が一世を風靡している時に、そこから独立して自由に針灸治療学が成立しうるんだろうか?

与太郎 10/06 20:50

46:[ 酔漢の与太話 ]

掲示板「お茶の時間」の他に、酒亭「一角獣の微睡」なんてものが有るのは、つまり与太をとばすためである。だから、ここでの発言内容は若干割り引いて拝聴する必要が有る。早い話が、書いた本人も醒めてみれば青ざめるかも知れぬ。酔っぱらっての言動が無罪であるべきかどうかは知らない。ただ、管理者としては酔漢の大言壮語、タワゴトを楽しみにしている。

神麹斎 10/01 16:21

45:[ 針灸治療学の歴史的展望 ]

 針灸治療の最も原始的な形態は、病処に針なり灸なりを施して、その局処の痛苦を改善することであったはずである。しかし、これを古代中国に誕生し、二千年来発展し続けてきた特色有る治療体系と位置づけるのであれば、経脈理論の登場を待たねばなるまい。
 体表に現れた異変が、それとは離れた部位の病症と関わりがあることには、他の文明も気付いていたかも知れない。古代中国においては、その異変のうち拍動の異常に注目し、またその拍動部に針灸を施すことによって、病症を改善できることを発見した。またさらに此処の拍動異常と彼処の病が関係有るのならば、その間を接続する何物かが存在するはずであると考えた。これが恐らくは経脈説の芽生えであろう。此処の拍動異常が、いかなる病症と関係有るかという知識も、当然蓄積されていったはずで、これは経脈の是動病と称される病候群を構成することになる。
 十二経脈(最初は十一経脈)に整理されたのは、腕環節、踵関節付近のより明瞭な拍動部と病処との関係であった。ところが仔細に検討すればそうした関係はさらに幾つも発見される。そうしたもののうち幾つかは絡脈として整理される。したがって両者は本質的には同じものと考えることができる。
 経脈説が一応成立してみると、全身の病候を経脈の流注部位によって分類する試みが行われた。これが恐らくは所生病(所産病)と称される病候群となった。
 診断への身体各部の拍動異常の応用は、もともとは経脈説の登場以前から有ったと思われる。つまり全身の拍動を診て異常が有れば、その内部あるいは付近に病が有ると考える。しかし、三部九候診ともなると、離れた病処に対する判断材料となっている。これが経脈説を生むきっかけとなった。離れたところの情況を判断できるのであれば、脈を診るべき部位は集約が可能である。人迎気口診はその一つの到達であるが、最終的には腕環節部の一カ所に集約されて現在に至っている。上下の人迎気口を、左右の腕環節部に置き換える方法も、陰陽論的には充分可能な選択である。ただし、古来これには賛否両論が有る。
 さて、経脈の是動病が先に述べたような性格のものであるならば、最初の診断点が最初の治療点であったはずである。その部位は、恐らくは現在言うところの原穴と多くが重なるであろう。陰経においてそれが五蔵の治療点と認識されるのと、陰経脈に五蔵の名を冠することは、鶏と卵の関係のようなものだろう。
 ただし、陽経脈に六府の名を冠するのは、ほとんどこじつけにすぎない。実際に経験されていたことは、足の陽明と腸胃との関係くらいであろう。より確かな経験は、膝まわりに六府の治療点が存在するということだったろう。その経験知識は、下合穴として保存されている。
 それでは、五兪穴をいかなるものと考えるか。診断兼治療点と病処をつなぐ線として経脈が認識されるようになってみると、その線の前後の拍動部あるいは陥凹部ではどうかという試みが始まったであろう。おおむね肘膝以下に代用するに足る点が発見されたが、それぞれの点の特徴に関しては当初は季節ごとの有効性の認識程度であったと思われる。ただ、それ以降の使い分けの工夫のうち、少なくともより末端はより末端に効くという可能性には検討の価値が有りそうである。
 手足で一対に取る方法は、あるいは奇経八脈の応用に際して始まったのかも知れない。ただし、『難経』あたりには手足同名経を一対で取る考え方がそもそも隠されているような気がする。また、『甲乙』に見える数少ない多穴方にも手足同名経を取るものが少なくない。手足同名経というのは誰しもが考えつきそうなことかも知れない。
 現今多用されるツボには、肘膝からさきのもの以外に、兪募穴が有る。これは文献上、使い方がもう一つよく分からない。ただし、現代的に言えば、内臓体表反射と関係が有るのはまちがい無かろう。文献が乏しい以上は、現代医学も参考にせざるを得ないだろう。ただし、背兪穴に関しては、その並び方の関係上、上下のバランスを調節するのに有効な可能性は有るだろう。
 現今あまり利用されないが、頚周りの十二穴(『霊枢』本輸)は、人迎気口診との関係、あるいは所生病を経脈流注部位による病候分類と考える方向からは、原穴あたりと一対にして利用することを考える価値が有るかも知れない。
 無論、針灸治療には経脈に拘らない方法も有る。第一に兪募穴の体系がそうであるが、経筋の利用もそうである。ただし、経筋については上下に走る線の緩急という意味で、表裏左右とのバランスを取る方法を確立する必要が有る。あるいはスポーツ医学の知識が有効かもしれないし、さらに彼らに情報を提供できるかも知れない。また、考えてみるとそもそも陽経脈は、そういう意味での経筋的な応用を考えたほうが良いのかも知れない。

胡思 10/01 14:10

44:[ 小藪さん あやうし ]

アメリカの大統領選挙が今おこなわれたら、現役の小藪さんが落選するんだそうな。
では、どうするか。
もういっぺん戦争を始めるか、もしくは、より高等な戦術として、どこかからもういっぺんテロ攻撃をやってもらうか。

09/25 09:21

43:[ 将軍 ]

不足するものは、豪傑の胆力と将軍の霊活。ではどうするか。何もしないのが正しい。そうも行かないとなれば、手引き書をつくるにしくはない。

蔭軒 09/16 18:35

42:[ 人面鳥身神 ]

山東の微山県両城画像石に見られる人面鳥身は、少なくとも五つ有る。『山東画像石選集』(斉魯書社1982年 )の解説はその中の三つについて、神医と言っている。相対する患者とおぼしい人物もいる。
ところで、山東の画像石では嘉祥県宋山のものにも人面鳥身が幾つも見られる。宋山画像石の画面は概ね四層をなしていて、その最上層の中央に西王母か東王公がいて、その脇に人面鳥身がいる。その中のひとつについて、解説はやはり神医であって病人の頭に針を施そうとしている、と言う。しかし、これはそんなに確かに治療しているようには見えない。むしろ踊っている。
とすると、先の微山県両城の画像石も、本当に扁鵲なのかしら。人面鳥身の先祖神であって、子孫に何かを授けようとしている、とも見えるんですが。だから何人もがその前に跪いている。
武氏祠漢画像石にも、西王母を中心にして、有翼の人とか、下半身が犬(?)とかの人に交じって、人面鳥身がいて、宋山画像石のものと手にしているものまでそっくりなんですが。
http://plaza.umin.ac.jp/~linglan/manbird/manbird.htm

神麹斎 09/09 09:28

41:[ 手足の一対 ]

虚すればその母を補うという大法に従って:
肝虚証には、足少陰と足厥陰を取る。
心(包)虚証には、足厥陰と手厥陰を取る。
脾虚証には、手厥陰と足太陰を取る。
肺虚証には、足太陰と手太陰を取る。
腎虚証には、手太陰と足少陰を取る。

手には太陰と厥陰が有り(少陰は使わないのだから無いものとする)、
足には太陰と厥陰と少陰が有る。
もし手足の一対を取るとすれば、その組み合わせは:
手太陰と足太陰=肺虚証
手太陰と足厥陰=【相剋】
手太陰と足少陰=腎虚証
手厥陰と足太陰=脾虚証
手厥陰と足厥陰=心(包)虚証
手厥陰と足少陰=【相剋】

実際問題として、上の「虚すればその母を補う」とほぼ重なり合う。
また、大先輩の意見として、
肝虚証には、足少陰と足厥陰よりも、むしろ手厥陰と足厥陰として、
手足の一対にしたほうがダイナミックに効果が有る、
と聞いたことが有る。

相剋であるとして用いない組み合わせには何か意味が有るのか。
一つの可能性として、
足の三陰経の五輸穴において、実際の前中後は、厥陰・太陰・少陰
であって、例外は合穴だけである。(膝の下で交差する。)
とすると、前と前、後と後の組み合わせは無効である、
ということではないか。

この上は、どのような診断法で、どの手足の一対を選択するのか。

蔭軒 09/04 20:54

40:[ 六部定位脈診の破壊 ]

六部定位脈診をぶちこわすということで言えば、左右の寸関の心肝・肺脾を、手厥陰(少陰は使わないから)、足厥陰および手太陰、足太陰と置き換えて、寸同士、関同士を比較して、虚している方を採用して補えば、今言うところの六部定位脈診で割り出す経脈と大差無いんじゃないか。
で、この方法の良いところは、必ず手足の一対の経脈の採用に成るんですね。それと、仮に寸と関との間に横隔膜をアナロジカルに想定すれば、膈の上と下における左右のバランスという話にまで発展(?)しそうな気がする。そして、腎=足少陰は、上下の比較を持ち込めば何とかなりそうな気がする。
左は厥陰で制御の系統、右は太陰で代謝の系統、なんて妄想もね。で、下焦は……基盤とでも考えますか。

これはつまり、脈診から五行説を排除しようとするたくらみであって、五行説を毛嫌いしない人には関係の無い話です。

蔭軒 09/03 09:08

39:[ nonliberation ]

この不可侵はおそらく英語のnonaggressionの訳語であって、つまりaggressionすることをnonと言っているのであって、ここでの話題では無いような。
でもまあ、北朝鮮側が言っているのであるから、そちらのつもりとしては「侵略することを正当化しない」(許可?)と言うような意味ですかね。
でも、アメリカのことであるからして、「aggressionではない、liberationである」くらいのことは言うんでないの。

ちなみに、
un-1, dis-1, in-1, im-, il-などがしばしば「反対」「逆」を表すのに対し,non-は単なる「否定」「欠如」を表す消極的否定.
(Progressive English-Japanese Dictionary, Second edition   Shogakukan 1987.プログレッシブ英和中辞典 第2版 小学館 1987.)
だそうです。

08/28 07:31

38:[ 不可侵条約 ]

北朝鮮がアメリカに望んでいるという「不可侵条約」の「可」って、どういう意味ですか。
可能の可ですか、それとも許可の可ですか、あるいはそれ以外の意味でしょうか。

08/27 22:41

37:[ 宿在箕壁翼軫 ]

火を発するに時有り、火を起こすに日有り。時とは天の燥けるなり。日とは宿の箕・壁・翼・軫に在るなり。凡そ此の四者は、風の起日なり。(孫子・火攻)

これに対して浅野裕一氏は、「必ずしも天官や時日・風角といった陰陽流兵学の理論にもとづくものではなく、永い実戦上の体験から導き出された経験則であろう」と、孫子に極めて好意的な意見を述べている。
本当にそうだろうか、孫子にとって、月が箕・壁・翼・軫の四宿に入る日に、風が吹きはじめると考えるのが最も科学的だった、というに過ぎないんじゃないか。言ってみれば、孫子の限界で、もっとまともな方法があればさっさと乗り換えるべきなんじゃないか。(天気予報に完璧な方法なんぞ無い、ということは今年の夏が説明しているが。)
本意は、乾燥と強風であって、あるいはいっそ元々の原文は、「發火有時、起火有日、時者天之燥也、日者風之起也」ではなかったか。

科葉師友 08/22 15:34

36:[ 天の我を亡ぼすにして ]

……「天の我を亡ぼすにして、戦いの罪には非ず」と叫んだ項羽のように、軍事的勝敗の原因を天帝の意志や天道のめぐり合わせに帰そうとする思考は、陰陽流兵学と呼ばれ、古代中国ではむしろこの系統の兵学の側が優勢であった。こうした時代風潮の中にあって、敗北は決して天災ではなく、あくまでも人為の失敗だ、と突き放す孫子の言葉は、神秘的なものに敗戦の責任を転嫁しようとする甘えを許さない、冷厳な響きを持っている。……(浅野裕一『孫子』講談社学術文庫)

これを医療の世界に置き換えるとどういうことになるか。陰陽五行それ自体は、認識と運用の為の道具であって、「彼れを知り己れを知」る為の手段であり、「百戦」する際の指針であるから、有用なことは言うまでもない。問題はそこから先で、人為を越えたものの存在を意識しそれにすがることが、西洋現代医学には無い中国伝統医学のいいところだ、と言うような意見は、やはり唾棄すべきものだと思う。

科葉師友 08/20 18:31

35:[ 動詞を使役的他動詞として用いるもの ]

たとえば「恐れる」という語を用いて「甲恐乙」と書けば、普通ならば「甲が乙を恐れる」という意味であるが、ときには「甲が乙を恐れさせる」という意味になることがある。これは「甲使乙恐」(甲乙ヲシテ恐レ使ム)と同じ意味内容であるので、この場合の「恐」を使役的他動詞という。そしてこのような場合「甲乙ヲ恐レサス」または「甲乙ヲ恐レシム」と読む。(西田太一郎『漢文の語法』角川書店 昭和五十五年十二月十日初版より)

ついでに、
止子路宿殺鷄爲黍而食之……
子路を止めて宿せしめ、鶏を殺し黍を爲りて之に食せしめ……(西田氏の和訓)
子路を止めて宿せしめ、鶏を殺し黍を爲りて之を食せしむ……(明治書院・研究資料漢文学10における國金海二氏の和訓)
之は子路か鷄黍か、漢文は難しい。
食らわすか食わしむかを悩むよりは、子路か鷄黍かを悩みたい。

神麹斎 08/17 17:55

34:[ 食らわしむⅢ ]

正確に表現するなら、訓読では、<原則的>に古文の「す」「さす」は用いない。

アオ 08/17 14:22

33:[ 32「走らす」は、日本語の問題 ]

日本語の「はしる」は、自動詞で目的語をとれません。これに対して、漢語の「走」は、自動詞であると同時に他動詞です。ですから、日本語訳は「はしる」と「~をはしらす」の両方の形をとらざるを得ません。例文は、「走らす」と使役の文と同じ形となりますが、これは日本語の問題であって、これを書いた漢ひとの意識とは、まったく関係はありません。
「死人」は「人を死せしむ」と使役のように訓まれますが、従来の訓にこだわらなければ、ここでは「死」は他動詞ですので、「人をコロス」と訓めます。もちろん、意味に違いがあろうはずはありません。

アオ 08/17 14:20

32:[ 走らす ]

死諸葛走生仲達。(蜀志、諸葛亮伝注引漢晋春秋)
死せる諸葛 生ける仲達を走らす。(西田太一郎『漢文の語法』における和訓)

蔭軒 08/15 13:14

31:[ 食らわしむⅡ ]

「食らう」の未然形+「しむ」で「食らわしむ」
訓読では、古文の「す」「さす」は用いない。

アオ 08/15 12:41

30:[ 食らわしむ ]

更持去、以悪食食項王使者。(史記、項羽本紀)
更めて持ち去り、悪食を以て項王の使者に食らわしむ。(西田太一郎『漢文の語法』における和訓)
「食らわす」で充分に使役だろうに、「食らわしむ」と言っても、「屋上に屋を架す」ことにはならないんだろうか。

蔭軒 08/13 21:04

29:[ 論仙 ]

而るに淺識の徒、俗に拘り常を守りて、咸世間に仙人を見ずと曰ひ、便ち天下必ず此事無からんと云ふ。夫、目の曾て見し所、當に何ぞ言ふに足るべけんや。天地の閒、無外の大いなる、其中殊奇のもの、豈遽に限有らんや。老に詣るまで天を戴くも、其上を知ること無く、身を終ふるまで地を履むも、其下を識ること莫し。形骸は己が自ら有する所なるも、其心志の然る所以を知ること莫く、壽命は我に在る者なるも、其脩短の能く至るを知ること莫し。況や神仙の遠理、道德の幽玄をや。其短淺の耳目に仗りて、以て微妙の有無を斷ずること、豈悲しからずや。(抱朴子内篇論仙)

これって、仙人の実在の証明になっていると思いますか。

それはそうと岩波文庫の『抱朴子』は、和訓と校註だけです。これはこれで思い切ったものです。

淺識の徒 07/19 16:42

28:[ 簡潔に ]

簡潔な口語というとき、実は次のような文章を念頭においています。

はじめに神は天と地とを創造された。 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。

『素問』や『霊枢』も、こんな具合に訳せないものかと思うわけです。
因みに、文語だと次のようになっています。

元始(はじめ)に神(かみ)天地(てんち)を創造(つくり)たまへり 地(ち)は定形(かたち)なく曠空(むなし)くして黑闇(やみ)淵(わだ)の面(おもて)にあり神(かみ)の靈(れい)水(みず)の面(おもて)を覆(おほひ)たりき 神(かみ)光(ひかり)あれと言いたまひければ光(ひかり)ありき 神(かみ)光(ひかり)を善(よし)と觀(み)たまへり神(かみ)光(ひかり)と暗(やみ)を分(わか)ちたまへり 神(かみ)光(ひかり)を晝(ひる)と名(なづ)け暗(やみ)を夜(よる)と名(なづ)けたまへり夕(ゆう)あり朝(あさ)ありき是(これ)首(はじめ)の日(ひ)なり

これでも良いような……。おそらく漢訳からの訳だと思うけど、調べればわかると思うけど、調べてません。

神麹斎 07/11 22:00

27:[ 村夫子 ]

むかし、器用貧乏と言いかけて、おまえは不器用だろうと話の腰を折られてしまったことがあるけれど、本当は、器用貧乏とはつまり不器用ということ、と言うつもりだったんですね。何をやってもそこそこはできるけれど、金輪際玄人の域には達しない。
また、恐れている言葉に村夫子というのが有る。村の学者、いなかの物知り、見識の狭い学者を軽蔑していう。
お江戸には大家の小言幸兵衛さんがいる。長屋の八つぁん熊さんに、相談を持ちかけられているんだかカラカワレているんだかよく分からないところは有るけれど、まあ結構たよりにされている。
村夫子は村人に尊敬されている、かもしくは敬遠されている。何を考えているのかよく分からないから、何かを問われることはまず無い。ただ、わけもなく尊敬されている。ろくでもないことを考えている、と言わないのは、いなかの人の素朴の徳である。そして、少なくとも村夫子本人だけは、自分が尊敬に値する存在でないことに、薄々は気付いている。

蔭軒 06/26 15:23

26:[ 深惡浮屠 ]

文輔(並河天民の子)性豪邁、また深く浮屠を惡む。嘗て一痼疾を治し、快復の後に文輔を招きこれを饗す。坐に修驗者有りて曰く、「われ肝膽を碎き、法力を盡し以てこれを祈る。故に病輒ち愈ゆ」と。文輔曰く、「われ藥力を以て此の疾を治す。何ぞ法力に預からん」と。互に爭いて止まず。文輔曰く、「然るときは則ち即に今、當に藥力と法力を比試せん。子は既に法力を以て此の疾を治すとするときは、則ちまた應に法力に以て人を殺すもの有らん。われは藥力を以て人を治すからは、必ず藥力して人を殺さん。子先ず祈りてわれを死せしめよ。われは忽ち子に一貼の藥を與え以て死せしめん」と。修驗者大いに懼れて服す。爾來祈禱するものは止み、服藥するものは蓋し文輔に創まると云。

蔭軒 06/01 08:03

25:[ 未病 已乱 ]

思うに、本覚が驚きかつ喜んだのは、医の立場としては患いて後に出番が有ると思っていたところが、指摘されて、患者の立場としてはもともと病気にならないようにして欲しいこと、言い換えれば未病を治すという境地が有ることに改めて気付かされたからである。
豆州(松平信綱)はなるほど利口ではあるが、政治というものは理想的な上々の状態を目指すよりも、ほどほどに保つことの方が大切である(こともある)、ということにこの話から気付いてないようである。
この勝負、軍配は本覚。

科葉師友 05/27 10:31

24:[ 無病者医之所不関也 ]

智嚢記に曰く:
松平豆州、脂眼を患い、眼医の本覚なるもの薬をその眼に点ずるによりて已に愈ゆ。豆州、まさに登城せんとして本覚に謂う:眼疾は已に愈ゆ、然れども外出して寒気に衝うときは則ち眼涙必ず出で、微風と雖も泪を含むこと有るは如何、と。本覚曰く:これ眼の性善きものなり、上眼は常に涙有り、寒暑に必ず泪を漏らす、これ血気の盛んなるが故にこの如し、と。豆州曰く:われ素より医事を知らずと雖も、理を以てこれを考えるに、則ち上眼はまさに涙せず乾かざるものならん、その涙有るものはただ乾きたる眼に勝れるのみ、と。本覚驚きて曰く:今日始めて上中下の眼を知るなり、と。喜びて退く。
(宇津木益夫)案ずるに:
無病の者は、医の関わらざるところなり。いま涙せず乾かざるものは、眼に患い無きものなり。患い無きものに、医は何ぞ関わらんや。患い有りて後にその上下陰陽虚実を診て別ち、もってこれに方を処す。治は医の任なり。いま本覚が豆州の言に因りて、もって眼に上中下有るを知るとは、涙せず乾かざるの患い無きものをもって上と為すなり。患い無きものは医の関わるところに非ず。

蔭軒 05/26 23:17

23:[ 潘巧雲と潘金蓮 ]

……潘巧雲はなにゆえに潘を姓とするのか?二十世紀の五十年代の初め、『水滸』の作者ということになっている施耐庵に対して実地調査が行われたときに、ある種の説明が有った。施耐庵が『水滸』を著したとき、彼は張士誠の側に立っていたので、潘元紹と潘原明の人となりを卑しんで、そのようにしたのである。
この二人の潘は張士誠が元に対して反乱を起こしたときの仲間である。張が呉王を称したときには、大いに寵信せられ、潘元紹は呉王の壻となり、潘原明は重兵を掌握し、出でて杭州に鎮した。しかるにこの二人は張士誠の危難に際し、先後して朱元璋に投降し、それによって張士誠の滅亡を早めた。これにより、施耐庵は『水滸』を著すにあたって、意識して書中に出現する二人の、夫に背いて不倫に走った女性のいずれもに、「潘」という姓を与えたのである。即ち潘巧雲と潘金蓮のことである。……(盛巽昌『水滸黒白綽号譚』上海辞書出版社より)

科葉師友 05/21 18:52

22:[ お告げ ]

明朝午前0時に緑豆の重湯を飲めば感染を防げる、と今日生まれた赤ん坊が告げた。【成都発】

05/12 17:59

21:[ ソモソモ ]

香港・広州・北京で蔓延して、上海がダイジョウブである理由を一つ思いつきました。
つまり、香港・広州・北京では病院に準備が整わない状態で患者に殺到されて院内感染が発生した。上海では騒ぎになった時にすでに病院に準備が整っていた、か、もしくはソモソモ病院に行かなかった。

ヒドイね。

蔭軒 05/08 14:16

20:[ ナマズ ]

連休に、物好き仲間とナマズを食べに行ってきました。
遠い!!私鉄の赤字路線廃止のせいで、バスの乗り継ぎです。最初のバスはともかく、乗り継ぎのバスは3時間に2本見当……。しかも乗り継ぎ地点には時間をつぶせるようなものは何も無い!
帰りはめげてタクシーにしました。
みんな車で行きますよ、トウゼン。
でも、となりの席の家族連れ、親爺ひとりフテくされた感じ。
そりゃそうだよナマズの蒲焼きにビール無しは拷問に近い。(他の家族ははしゃいでいた。)

ナマズの蒲焼きは美味かった。ビールもね。
でも、もう二度と行かないだろうなあ。

神麹斎 05/08 12:52

19:[ そんなに怖いの ]

SARSって本当にそんなに怖い病気なの?(勿論、怖いんだけどさ)普通のインフルエンザよりも、うんとうんと怖いの?(勿論、怖いんだけどさ)抗生物質が効かないから怖がっているだけじゃないの?(抗生物質が効かなけりゃ、その分、死亡率も高いだろうからさ、勿論、怖いんだけどさ)近くでゴホンってされたらすぐ染って、高~い熱が出て、どんどん死んじゃうの?(インフルエンザより染りにくいって嘘なの?)

天の邪鬼 05/01 10:40

18:[ 自分の意志に基づき…… ]

身の周りに、死にたい死にたいと言っていて、本当に死んだ人はいますか。
私の周りにはいません。
私の友人の知り合いがそのようにして居て「自分の意志に基づき」去ったらしい。
関係ない私までが虚脱感にとらわれています。
勿論、「自分たちになにかできたんじゃないか」なんて思いません。
そうじゃなくて、
断絶した、理解不能な、私には触れ得ない世界に居たんだなと思うんです。
私は理解していた、などと言う人を憎みます。
私には治療できたはず、などと言う精神科医は、もっと嫌いです。
こころは理解できません。しようとも思いません。
死にたければ死ねばいい。
でもそっちに傾いてしまいがちなハードウエアとしての身体を、
どうにかできたんじゃないか、……とは夢想します。
例えば肝臓とか腎臓の病として……。
でも、
どうしても死にたい人をどうしても生かしておかなければいけないのか?
それも分かりません。
だから、虚脱です。

神麹斎 04/30 13:05

17:[ 無題 ]

キクチくん:コホコホ
養護教員:熱があるわね。
久保くん:うおー SARSだー!

養護教員:だめよ。

久保くん:ハイ

ののちゃん:キクチくんは?
久保くん:ダメなんだって。
みみちゃん:えーっ!
養護教員:おっといけない。(汗)

04/30 09:51

16:[ メソポタミア文明の…… ]

メソポタミア文明の遺物が略奪にあっている。
じきにきっとアメリカあたりが、
そらみろ、そんなとこに置いとくからだ!俺のところで保管してやる!
なんて言いだすんだろうなあ。

04/22 07:00

15:[ 読書会の名称 ]

いつまでも「仮称」では、と言うことなので、いくつかの候補を:
1.渾敦社医古文同好会(むかし出してた同人誌 実は個人誌の名前を復活)
2.岐黄会(岐阜の黄帝系医学書を読む会 だけどキコウカイと読みたい)
3.読古医書会

読古医書会は、李今庸さんの『読古医書随筆』にあやかり、ドッコイショであり、『霊枢』史崧序の「それ医と為るは書を読むに在るのみ、読みて医と為ること能わざるものは有り、未だ読まずして能く医と為るものは有らざるなり」です。

私自身の好みということで言えば、普通名詞を固有名詞として使っちゃうこと。
で、だから医古文同好会で一向にかまわない。

神麹斎 04/21 11:44

14:[ 大全CD-ROM ]

新聞で見たときにはちょっと心が動いたけれど、自分の必要な逍遙訳は手元にあるしと思って今回はあきらめた。
『けっこう疲れる』のことだけど、作品ご存じの方にはいうまでもないことだけど、なんだかそれを見ている自分を見透かされるようでね。

素天堂 04/19 11:39

13:[ シェィクスピア大全 ]

新潮社から『シェィクスピア大全』というのが出ました。CD-ROM一枚で32.000円。ちょっと値がはるので買っていません。でも、これ高くないんですよ。
宣伝文句をコピーすると:
シェイクスピア全戯曲37篇の邦訳を集大成した「全集の全集」! 坪内逍遙、福田恆存、小田島雄志の全訳業をはじめ、180本の翻訳を収録。アーデン版の原作も収め、複数の翻訳を簡単に比較でき、シェイクスピアの世界を知るための読み物・図版も充実。

ねっ!とんでも無いでしょう。我々の世界でこれに匹敵するものは、当分の間(あるいは永遠に)出そうにない。

神麹斎 04/12 10:25

12:[ けっこう疲れる? ]

「ダーガー展」について、朝日新聞の文化欄に大きく載っているのを見て、まさかと思いました。なぜいけないか、と詰問されても困るけど……。

ところで、「……ほとんどが若い女性。ああいう作品をその中で見て回るのはけっこう疲れるものでした」というのは、困ったんでしょうか嬉しかったんでしょうか、というような質問は、やっぱり耳元で小声でやるべきではないかと……。

神麹斎 03/27 17:17

11:[ 厚顔無恥 ]

厚顔無恥=国連憲章に違反する先制攻撃をしかけておいて、捕虜になったら扱いがジュネーブ協定に違反すると非難すること。

? 03/24 08:34

10:[ 独りよがり ]

選挙の時に、あまり賢すぎる(特によその国の)指導者も困ると言ったら、患者で大学教授のかたが、個人的に知っている人の全てが、一人の例外も無く賢いほうを支持している、とおっしゃった。
賢い指導者の独りよがりも困ると思ったけれど、阿呆の独りよがりはもっと迷惑であることが、今回よく分かった。

事情により詳しい人の話のほうがより正しかった。

? 03/21 07:48

9:[ ダーガー再訪 ]

ぼちぼち、終了が近いので「ダーガー展」行って来ました。
初回再回の時はほとんど観覧者がいないに等しい状態だったのに、今回は各作品に必ず一組は誰かいるという盛況でした。
しかも、ほとんどが若い女性。ああいう作品をその中で見て回るのはけっこう疲れるものでした。
「中国いかがですか」推薦される方がいらっしゃるとか。
心強いものがあります。

Home Mail 素天堂 03/19 09:35

8:[ 無題 ]

鬼畜米英

? 03/18 12:39

7:[ XiaoTianKong ]

内経の談話室のほうに、山本さんが小田空『続・中国いかがですか』推薦の弁を書き込んでますが、いや偶然ですな。私の友人にも小田空ファンがおりまして……。

それはともかく、空は日本人の名前としてだとやっぱり「そら」と読むんだろうけど、中国語ではまずもって「から」でしょうね。空海なんかも、「そらのうみ」じゃなくて「からっぽのうみ」なんだと思う。もっとも碧空なんて言葉は有るようで、そこから「そら」という訓も出てくるんだろうけどね。だから小田さんも、中国人から見ればよほど変わった名前、あるいは宗教的な名前と思われたんじゃないのかな。空(くう)の思想を表現しているなんてね。孫悟空も「空(の思想)を悟る」だからね。「そんごくう」とからかわれた可能性も有るなあ。
で、気が付いたんだけどXiaoTianKong、中国人には小天空と聞こえたかも知れない(声調は違う)、これはこれで凄い名前だわ。

神麹斎 03/11 13:09

6:[ 焼き筍 ]

この間、筍の刺身と筍のステーキを食した。(他にもいろいろ有った。)
焼き筍というのは美味いものだが、一番美味い焼き方はというと、竹藪で筍の出ているのを見つけて、掘り出さずに、その上に竹の落ち葉を被せて焚き火をするんだそうです。
絶品だそうですが、それをやるとその藪の竹は全部枯れるらしい。だから、実際にやった人はそうは無いんじゃなかろうか。美味そうだなあ、とは思うけど……。
美味の追求は、結局のところ残虐行為である、ということ。

蔭軒 03/11 11:12

5:[ 一安心 ]

 何気なく漢和辞典を見ていたら乘黄に目が止まった。
意味も悪くない、馬に関連付けることもできる・・・。
簡単な気持ちで野次馬河童から乗り換えた。ところがとあるHPで乘黄が馬ではなく犬として分類されていて愕然とした。

それこそ酔いたい気分であった。いまさら変えるわけにもいかないし・・・。

そんな時の神麹斎先生の書き込み・・・。
ありがとうございます。感謝します。

野次馬河童から乘黄に乗り換えましたのであと二千年は・・・。

名前負け?ハンドルネームですのでお許しを。

乘黄 02/13 23:50

4:[ 乗黄 ]

『山海経』第七・海外西経に
白氏の国は竜魚の北に有り、(その民は)白身にして被髪。乗黄有り、その状は狐の如く、その背の上に角有り、これに乗れば寿二千歳なり。
『漢書』礼楽志「訾黄何不徠下」応劭注に
訾黄は一名を乗黄といい、竜翼にして馬身、黄帝これに乗りて仙となる。

神麹斎 02/10 22:47

3:[ 酔狂 ]

こちらの掲示板は、もっともっと酔狂なものにしたいと思うんだけど、なかなか上手くいきませんね。

ダーガーじいさんの展覧会、素天堂主人と見に行ってきました。
で、思ったんだけど、私の興味はじいさんの妄想の方により在るみたい。その妄想を図示したいという欲求とか、それで出来上がった絵の出来映えとかにも関心は勿論有るわけだけど。
挿絵展覧会も、酔狂な人の間での話題に過ぎないのかも知れないけれど、少なくとも大河妄想小説の全文を読んでみたいという人よりは多そうで……・。
ハリー・ポッターも指輪も、妄想小説には違いないけど、売り物になりうるところに、偽物性を見てしまうというのも、我ながら……。
おおむかし、本居宣長の、源氏物語の世界を武家社会に移した小説の構想メモが見つかったというようなニュースが有った。世家の一覧とか系図とか屋敷の配置図まで有ったらしい。構想の段階で思いとどまったのは、やっぱり大人ということかしら。例えば、南総里見八犬伝も妄想だけど、小説として完整してしまったから、妄想としての凄みに欠ける、と思うのは、まあワガママだわねえ。

神麹斎 01/26 15:09

2:[ ]

中国で鬼というのは概ね幽霊のことだと言うのは、そろそろ常識になってきたと思うけど、それでは鬼が死ぬとどうなるのか。
一般的にはあの世で死ぬとこの世に生まれる、と言うやつでしょう。ただし、その前に記憶を無くす薬を飲まされるから、あの世でのことは覚えていない。
ところで、もう一つ面白い言い方が有って、鬼が死ぬと聻というものになる。そして人が鬼を恐れるように、鬼は聻を恐れる。そこで鬼の祟りを防ぐには、聻の字を篆書で書いて門の上に貼ると良いんだそうです。
で、あの世で死んでこの世に生まれるのと、あの世で死んでもう一つ奥へ行くのと、本当はどちらがより怖いんだろう。

神麹斎 01/22 08:28

1:[ 無題 ]

前の掲示板を破棄しましたので、ここに貼り込んでおきます。(誤字や言い回しの間違いは、多少訂正してあります。)

9 ダーガーじいさんの世界 素天堂 - 2002/12/24 21:38 -
今青山で、ヴィヴィアン・ガールズの展覧会が開かれております。
40数点、用紙の裏表に書くという素人丸出しの作品を、苦労しつつみごとに展示しています。迫力あるよ。
今度東京に来るときは、素天堂はどうでもいいから、ぜひワタリウム美術館に行きましょう。アドレスはこちら→www.watarium.co.jp/museumcontents.html

8 じょうずのてから 科葉師友 - 2002/12/10 08:41 -
秦漢の歴史を読んでいたら、始皇帝が死去したのは「前二一〇年七月丙寅の日」のことで、喪を秘したのはいいけれど、「しかし真夏のことである」、死臭をかくすために「鮑魚(魚のひもの)をその車に乗せ」たとあった。
あれ、ここで言う鮑は、塩漬けの魚だということになっているけれど……、まあ干物という説も有るらしいから、これはまあいいか。ちょっと前に、中国からきた若手が、アワビを車に載せてなんて、偉そうに書いていたのより、はるかにいい。だってここは要するに「くさや」でごまかしたってことでしょう。
それより、笑っちゃったのは、七月で真夏というところ。旧暦の七月って秋じゃなかったかしら。こここはやっぱり「しかし暑いときのことである」と書いたほうが無事だったんじゃ……。でもね、七月を夏とする言い方も有ったかも知れないから、大きな声では言わない。

7 老師們 神麹斎 - 2002/12/07 09:46 -
おまけのつもりで、中国との学術交流で面識を得た老師們の写真をアップロードしました。
1992 上海と1997 北京は、いい写真が有りません。いいのが有ったら提供してくれませんか。
今回アップロードしたのでは、崔先生と孫、黄夫妻が双璧ですかね、やっぱり。
それにしても、馬継興さん、若かったんだねえ。(自分もそうだけど。愕然とします。)
*撮影したのは、私ではありません、多分。問題が有ればご一報願います。

6 麒麟 神麹斎 - 2002/11/27 17:29 -
ホームページの名前が「霊蘭之室」で、何故に掲示板が「一角獣の微睡」なのか?
まあ関係無い、けれど、世の中に全く関係の無いことなぞは無いのであって、こじつければこじつけられないことも無い。
一角獣すなわちユニコーンには、額に一本の角が有る。麒麟の額にも一本の角が有る。つまり、西洋の一角獣は東洋の麒麟に相当する。幻想の怪獣なのであるから、何が何に当たると言ったとこころで所詮デタラメであるが、ドラゴンが竜であると言うのよりは、むしろマシかも知れない。
で、中国古代の四霊は、東に青竜、西に白虎、南に朱雀(鳳凰)、北に玄武。じゃあ中央は何か?聖人ということも有るが、麒麟という場合も有る。
それから中央は黄色で、だから中央の帝は黄帝でしょう。
で、『素問』霊蘭秘典論に曰く「黄帝乃ち吉日良兆を択び、霊蘭の室に蔵して、以て保(宝)を伝えるなり」なんですねえ。
どうです、つながりました?

5 熏腸熏臘 神麹斎 - 2002/11/26 07:52 -
横浜中華街の、石川町からの入り口付近に在った熏腸熏臘の売り場、無くなったんですかね。
お兄ちゃんがあんまり忙しそうに天津甘栗の袋詰めをしていて、どうしたのか聞きそびれたから確かではないんですが。
なんだかその手の店が、みんな肉まん屋さんになってしまったようで、がっくりきました。

4 みたたき 神麹斎 - 2002/11/19 21:17 -
郡上八幡の珍味に「みたたき」というものが有ります。
見た目は、赤黒いどろっとしたもので、はっきり言って、酒飲みの物好きでなければとても手が出ないでしょう。
以前に、島田先生たちと、内経の合宿と称して郡上へ行ったときには有って、酒飲みには好評だったけれど、その後はいつも、「今年は有りません」でした。
で、調べたら、ツグミで作るんですね。冬を目前にして、脂肪がたっぷり付いたツグミを骨付きのまま出刃包丁で叩き、地味噌と混ぜ合わせ、冷暗所に一年以上寝かせて発酵させたものだそうです。
と、言うことは……、近頃まで密猟していて、ついにばれて、とうとういつも「今年は有りません」、ということかしら。
もっとも、最近はウズラで代用することが多いという情報も有って、でも格段に味は落ちる……、と、いうことは先年舐めたのはどっちなんだろう。やっぱりウズラでは不評で、だから中止したんだったら……、ちょっと悔しいはなしだねえ。
郡上八幡で、「みたたき」を出すという民宿を一軒見つけたけど、やっぱりウズラかしら。せめて何か別の野鳥というわけには……。

3 攷注と講義と 神麹斎 - 2002/11/19 18:39 -
岐阜市の古本屋・我楽多文庫に、オリエント出版社の「黄帝内経古注撰集」、つまり『素問攷注』と『霊枢講義』と『素問紹識』のセットが出てます。値段は確か5万円……。

2 本を肴に酒を呑む 神麹斎 - 2002/11/19 18:37 -
酒の肴に相応しい本とは、如何なるものか?
勿論、小難しいのはダメである。深刻な内容も敬遠したい。あまり長編でも息が切れる。
まあ、短編できれば掌編、さらに挿絵なども有ると宜しい。
そこで、例えば『山海経』。平凡社の東洋文庫に有って、さらに「ライブラリー」にもなっているはずだから、持ち歩くにも便利である。
自宅で、落ち着いた時は、袁珂の『山海経校注』。挿絵が大きいし、何たって注釈が盛り沢山で、さらに「珂案ずるに……」なんて、マニアックで宜しい。挿絵はほとんどが呉仁臣『山海経広注』の図だそうである。INDEXに使った「帝江」もこれ。
で、最近『古本山海経図説』なんて本が出たのは知っていたけれど、日本で買うとバカにならない値段だから躊躇していた。夏に太原へ行った時、平遥古城の商店街の中程に在った書店で見つけました。他には何にも買ってない。バカだね。
まあ、何の役にも立たない本だけど、開くと平遥古城の砂埃のにおいまでしそうな気がするんだよね。酒の肴にはピッタリ。

1 ようするに 神麹斎 - 2002/11/18 22:57 -
雑学 蘊蓄 の披瀝    ようするに
微睡 もしくは 微酔情態に於ける戯言


管理者 01/16 09:08

管理者 神麹斎 :