本当は、ここで男の子が一人生まれたところで、事態はそれほど好転するわけじゃない。ほんのちょっと先送りになるだけのこと。 |
貴方がコイズミのやばさに初めて気付いたのは何時ですか。 |
やみくもに皇室典範を改正するよりは、とりあえず変成男子の法を修するべきでしょうなあ。少なくともそのほうが伝統には叶っている。 |
ホリエ某は「人の心は金で買える」と宣ったそうだが、嫉みとか憎しみとか恨みとかは購えないのではなかろうか。 |
禮記・曲禮上曰:禮不下庶人,刑不上大夫。 |
私は人よりも些か足が大きいらしい。そんで、脱いだ靴を見た人が「わぁ~ガリバーみたい!」と良く言われる。 |
正月に民放で八犬伝を放送した。だいたい想像がつくから観る気も無かったが、チャンネルをがちゃがちゃやっている内に、一瞬みえた。やっぱりひどかった。 |
『素問攷注』とか読んでいると案語に治験例みたいなのが散見される。それは『素問』流なのかなぁ? |
昨年までに『霊枢』流針術をほぼ解体したつもりです。 |
酒亭のエンブレムを変更しました。 |
大量誤発注に、しめたとばかりに食らいつき、 |
『全訳漢辞海』(三省堂)をながめていたら、 |
医療行政が、いざという時のために備蓄を心がけるのは当然だ。 |
藻屑蟹懐かしいです。久慈川や那珂川に蟹網を仕掛けてとったものです。 |
先日、台所でガサゴソプクプクいうのを覗いてみたら、モズクガニでした。上海ガニと同じ淡水産のカニです。母親が近所のスーパーで見つけて買ってきました。多分、揖斐川か長良川の産だろう。雑誌の紹介記事では、ミは少ないけどミソが上手いといってましたが、どうしてどうして結構ミも詰まっていて、ひとり2はいが限界で3はいめはお互いに譲り合って(押し付け合って)しまいました。で、お値段なんですが、大きい小さいはあるけれど9~10はいで300~350円!申し訳ないみたい。なんかの間違いじゃなかろうか。後日、百貨店の食料品売場でメスが1ぱい350円でした。そう言えば母親が買ってきたのは皆オスでしたが、それにしてもねえ……。 |
N大学の総合グランドが今月、土から人工芝に生まれ変わり、サッカー部、アメリカンフットボール部などの練習環境が大幅に向上した。……人工芝化は、近隣住民から寄せられた土ぼこりの苦情などがきっかけ。(A新聞のコラムより) |
単に清潔な水を用いて弱火で炊けというだけのことだと思いますがね。古典医学からなんとか神秘の衣をはぎ取りたい人と、どうしても玄妙不可思議のままにしておきたい人がいるということですかね。その他に「長い間日光に当たると,山間の瘴気が消される」というのを、「硬水が軟水に変化するのではないか」などと考えて、科学的証明に努力するような人も有るでしょうなあ。 |
謝観の『中国医学大辞典』にどうして千里も流れた水を使うかというと,それだけ長い間日光に当たると,山間の瘴気が消されるからだという。日本人なら,山の湧き水を尊ぶけれど,かの国の古代人は考え方がちがっていたらしい。
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廖育群の『医者意也』の中に、『霊枢』邪客篇の半夏湯の制作方法について、「どうして千里以外の流水を用いる必要が有るのか?沸かすのに用いる燃料と薬効との間にどんな関係が有るのか?もしも“科学”に沿って思索したのでは、永遠に答えは出ないだろう」と言っている。 |
つまり、満して約するのが理想ではあるけれど、満しないうちに約してもそこそこの臨床家にはなれる可能性が有る。満しないからと言って、いつまでも約することが無ければ、いつまでも何者にもなれない。 |
『霊枢』禁服篇 |
「外経」は、政教一致です。唯我独尊です。 |
「政」は有った!少なくとも初めての皇帝が文献上で自分の名前に使っていた…らしい。それを「まつりごと」と訓じるか?否か?はカミサマを信じるか?ホウリツを守るか?の違いぢゃないの? |
侠もね
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政教分離って……、政なんて有ったかしら、って、教なんて有ったかしら、よりはましかしら…… |
K氏はエライ!投票率上がったら議席數減らした連立与党を切らなかった!それもミホトケのご過誤。 |
女と子供を行進させれば、男なんてものは、その後からついてくる、と言ったのは誰だったっけ。今回のマドンナたち、何だか情況が、似ているような気がしませんか。 |
おそらくあのころ、「日米開戦、是か非か」と国民投票をやってたら、圧倒的多数で開戦だったろうね。 |
総会に出席できないというと、大抵「では委任状を出してください」と言われる。そう言われても出したことは無い。そういうわけにはいかない。出席しない私が悪いには違いないが、それが議決権の放棄になるのは我慢するとして、多数派に賛成したことことにされてはたまらない。 |
> 明治以来、「仏教は本来合理的、理性的、科学的な宗教であり、かつてインドには純粋で明澄な原始仏教なるものが実在した」という誤った考えが横行していた。 |
308がちょっと分かりにくかったらしくて、質問が有りました。分かりにくいのはこれに限ったことじゃないですけどね。 |
「わたしのまじないは未然に防ぐにとどまる。もうこうなっては、わたしの力の及ぶ限りではない。聞くところによると、四明山の頂上に鉄冠道人という人があって、鬼神を鎮める法術を能くするというから、それを尋ねてみるがよかろうと思う。」 |
優勝候補が出場を辞退し、優勝校が優勝旗の返還を余儀なくされる。 |
脈の診処として常用できるほどの脈動は三箇所有る。人迎と寸口と附陽の脈である。人迎と寸口は上下のペアとして人迎寸口診となり、さらに左右の人迎寸口診と変身する。附陽の脈の伝統は立ち消えになりそうにしながら、どっこいしぶとく神門の脈として復活する。 |
……酷暑のある日、涼殿で涼を取っていた玄宗のもとに、ご意見番の陳知節がやってきた。人主たるものが一人涼殿に納まるのは何事か、と諫めるためである。建物は四方の庇から水が流れ落ち、簾のように外気を遮断し、室内に冷気を満たす。陳はひんやりした石の椅子を与えられ、そのうえかき氷を賜った。とたんに背中がゾクゾク、お腹はゴロゴロ、やっと許されて門を出たところで、堪えきれず粗相をしてしまった。玄宗はといえば、そうしたなか水で回る扇風機の強い風にあたり、なお噴き出る汗を拭うのに忙しかった。…… |
もう高野連なんぞにえらそうなことを言わせるのはやめようよ。 |
陰陽虚実を指標として,陽実、陽虚、陰実、陰虚の四類別と定めてみて、そしてやがて陽実ではないけれども陽実として治療するという逸脱がはじまる。つまり,陽実という激しい症状を表現できないでいる状態,あるいはすでに陽実の激しい症状は終息したけれども後遺症状があるものとして,「陽実と見なして治療する」ということが流行する。次いでまた陰実という激しい症状を表現できないでいる状態,あるいはすでに陰実の激しい症状は終息したけれども後遺症状があるものとして,「陰実と見なして治療する」ということが発想される。さらにまた『素問』熱論の「熱病者,皆傷寒之類也」を演用、敷衍して,あらゆる病は寒に傷なわれて,熱を病むに至るまでの諸相として一元化を試みる。そこで陰実として治療しようとする試みと,陽実として治療しようとする試みが併行する。そして今さらに,いっそのこと双方の治療を同時に行ってしまうという試みがはじまっている。 |
むかし、学会に講演を依頼されて、「経脈の虚実に対して補瀉する」と一こと言って壇を降りた臨床の大家がいたと聞いた。凄い人がいるものだと思った。 |
今、大嫌いなテレビ番組の一つに、「こんなに怖い」云々というのが有る。 |
>もし、自分が単なる物質だと思ったら、人々は信念や情熱を失ってしまう。魂が死後も滅びないと信じるからこそ、投げやりにならずに目標を定め、努力することができる。 |
「一つの世界、一つの夢」って「一つの中国、一つの夢」のパロディですか。 |
戦争体験を話し聴く催しの後に、若者に感想文を書かせ、そのあまりにも日常的な感情表現を批判するのが、マスコミの一パターンとなっている。「戦争だからといって肉親を手にかけるなんて信じられない。」「いや、極限状態においては……。」それはいらだつのはわかる。でもね、話して聴かせて、「感動を予定して」感想文を書かせるという手順にも、いらだつんだよね。語り終えて、しばらくの沈黙ののちに静かに解散する。そういう具合にしてもらえないだろうか。 |
数えなければ、例えば、それが28羽であることは分からない。でも、30羽くらいというのは、訓練次第で直観できるかも知れない。そして、28羽であることを知るのと、30羽くらいであるのが分かるのは、本来等価値であるかも知れない。28羽であることを知らなければならないと考えること自体が、近代合理主義に束縛されているのかも知れない。 |
西洋科学が「変化やまない非同一で流動する自然世界」を観測する方法でないのはわかった。では中国哲学は「自らも変化しながら」それを観測する術を、本当に持ち合わせているのか。すくなくとも現代古典派医術においては、はなはだこころもとないと思う。そもそも制止し統御しないで把握することは、人間に可能な領域なのか。円周を知るのに分割して統合する以外の方法が有るのか。凝視して直感するなどと言うことは、魔法であって数学ではない。魔法とは、電線にとまる雀の数を、数えないで直観する方法のことです。それはそれで価値無しとはしない。でも人に出来ることなのか。出来るつもり、あるいは憧れにすぎないのではないか。四五羽なら出来る。でも数十羽でも出来るのか。訓練次第などと言えるのか。 |
風度教授の押し出しは、天庭飽満、地角方円、気度不凡である。号して「男性不育」を専ら治すと称する。ここにおいて予診をするものは当然ながらこの類の患者をぞくぞくと風度教授の診察室に送り込む。時久しくして、「男性不育専家」の名声はいよいよ高まる。だから、「継続は力なり」という諺は忘るべからざるものである。風度教授の机の上には、一枚の嬰児の写真が押さえてある。「見たまえ、この子は私の薬のおかげで生まれたのだよ!」ただし、長年にわたって私はこの一枚以外の写真を見たことがない。思うに他の患者は女房が懐妊し出産したときに、興奮のあまりその喜びを風度教授におすそわけするのを忘れたのだろう。風度教授が医師やインターンを指導し、あるいは海を渡って「男性不育」を如何にして治するかを講義するに際し、その道理は極めて簡単である。「不育の源は精液の不足であり、だから補陰が必須である。もしみだりに助陽の品を用いると、必ず性欲を亢進させ、さらにその陰を損じてしまう。」治療の処方もはなはだ簡単である。「六味地黄丸」。あなたはこれを中国哲学と伝統医学の見事な結合でないなどと言えますか?あなたは医学と「易学」には関係ないなどと言えますか? |
言うまでも無いとは思うけど、「いっそのこと」は、靖国への参拝を批判する中国や韓国に対して内政干渉という、日本の政治家をおちょくっているんですよ。 |
いっそのこと、北京や上海の日中不再戦の碑の前に「A級戦犯」の銅像をひざまずかせて、「石を投げたい人は、これにぶつけなさい。日本料理店に乱暴するのは禁止します。」とでも看板を立てたらどうでしょう。 |
2005年5月22日発行の南条竹則『中華文人書物語』に「油炸檜」の話が載っている。つまり憎っくき秦檜を煮えたぎる油鍋に放り込んで引きずり出して噛みつこうというものである。(普通には油条、さらにかみくだいて中華風揚げパンといわれるもののことです。) |
不快感を表明とか、おっしゃいますがね、例えば貴方の親兄弟を殺した人物の葬儀が、あまりに盛大に執り行われたら不快じゃないですか。例えば町葬にするとか言われたら、冗談じゃないと思いませんか。たとえ他にどんな功績が有ったとしたって。それを不快だと言ったからって、余計な口出しをするなとか、罪を憎んで人を憎まずとか、そんな暢気な言いぐさを許しておけますか。 |
上海の凌耀星教授のご先祖が、明代の有名な医者であることは知ってましたが、実は印刷の歴史の上でも有名な一族だったんですね。『図説中国印刷史』を読んでいてはじめて気付いたんですが、呉興の凌氏といえば、明代の套印(多色刷り)では先ず一番に指を屈すべき人たちだったんですね。 |
日本には、実際には自分たちもやる気のない攘夷を迫って、倒幕の手段として利用したという歴史が有りますよね。最近のかの国の騒動、何だか似ているような気がしませんか。 |
「気」ってなんですか?どう説明しましょうか?と問われて、取りあえず、「気体です」、と答えたい、と応ずる。 |
「しにか」に連載されていた「中国の印刷」が一冊になってましたね。 |
治療というものは、突き詰めれば人を騙すことである。首尾良く騙しおおせて、身体を本当にその気にさせれば、大抵の病は治癒するのではないか。 |
…戦国時代の史書には、(夏殷周三代の歴史)相互の異質な部分が比較的わかりやすく書かれていて、それがわかりにくくなっているのは注釈のしわざであることが多いので、戦国時代の史書の本文を相互に比較し、これを『史記』本文との比較を交えていくことで、来源が古く遡れる記事を、あぶり出すことができる。…(『中国の歴史』都市国家から中華へ より) |
現代中国が他国の歴史認識を声高に非難できるほど、現代中国人の歴史知識はまともなものではない。彼らの知っている歴史などというものは、戦前の日本の国定教科書の歴史とどちこち無い、単純明快かつ下心有る代物である。そもそも中国人にとって、歴史と政治は不可分のものである。従って他国の歴史教科書も当然ながら政治的スローガンと受け止める。 |
『太素』巻二・順養の「岐伯曰夫人中熱消癉」の「熱」を、仁和寺本では「坴」を「生」に作っています。そのすぐ後には「坴」を「圭」に作るものも見えますし、もっと別のところでは「坴」を「扌」に作るものも有ったように思います。つまりやっぱり、「こっちの方が書きやすかったから」でしょう。「生」が「勢」→「㔟」において声符のようになったのは偶然じゃないかと思います。 |
>「㔟」は有るけど、「熱」の「坴」を「生」にした字は見あたらない |
書きやすかったからか、それとも格好いいと思ったからか。 |
Firefoxでは,「勢」の異体字は表示されるが,エクスプローラーでは見ることができませんね。「坴」(これもエクスプローラーでは見られないかな?)が「生」になったのは,こっちの方が書きやすかったからでしょうか。
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…ステレオタイプという言葉がある。決まり切った型や、ありふれたやり方を意味するが、多くの人が確たる根拠もないまま抱いてしまう幻想的常識になりがちなところがある。この常識は、人々が共有する思いを吸い寄せているから、多くの場合、それが常識であることが疑われないという性質がある。 |
何だか誤解が有るような気がするが、誤解が有るような気がするのが私の誤解かも知れないが、『素問』とか『霊枢』とかいうのはばりばりの科学文献です。その筆者達は、当時においては最先端の科学者だったはずです。 |
鍼灸は優れて物質的な治療である。 |
『史記』高祖本紀に: |
流れる身体、流れる身体とおっしゃいますがね、流れているのは血液とリンパ液と違いますか。ここに操作された効果がどうして遠隔に発現するかのほうが、より深刻に経絡の本質じゃないかと思いますがね。 |
本当は「结婚也不能改姓」だと思うんですがね。 |
半島でも结婚也不用改姓。だけれど,皇帝の奥さんだって,ひとによっては○氏の女というだけで,名前がわからないのもめずらしくない。 |
ある中国語教材に、 |
日本の政治家はやっぱり阿呆だ。特に外交官はガキの遣いだ。 |
本音の感想を言います。 |
なんやかや言って、中国政府にも、デモはやらせる、投石はやめさせる、なんて器用な統制能力は無いということだね。なんだかちょっとホッとしたところも有る。 |
中国人がいらつく気持ちも分かるけど、こちらも中国人にはいらつく。 |
中国への修学旅行が中止されると聞いて、行けばいいのに、日中の現実を学ぶことになるし、如何に何でも修学旅行生は公安当局がメンツにかけて必死で保護するだろう、と言ったら、言下に否定された。アホな日本の高校生が挑発行為にでるだろうから危なくてしょうがない。言われてみればそうだわなあ。 |
>中国大使公邸に赤ペンキ 東京・港区 |
文化的に言って、兄であり、先輩であり、師匠であると思っています。 |
例えば、これが饅頭屋であれば、ウチの饅頭は美味いよとか、栄養が有るよとか、あるいは逆にカロリーが少ないよとか言えば良いわけだけど、治療家となると中々そういう具合にはやりにくい。ましてや針灸というのは本当のところ、どうして、どのように効くのか良くわかってないのであるから、なおさらである。陰陽とか五行とかに則って自信満々でいられる人は別ですよ。 |
『鍼灸の挑戦』に書かれていることは、ほとんど全部嘘です。 |
この間朝日新聞の記事「くさかんむりが何画か?」ってのを書き込んだのだけれども、週刊朝日にそれに関する物が見開き2ページで載っていた(内容については後日報告です)。 |
愛地球博とかいう非常に恥ずかしい語呂合わせのバンパクが始まるらしいけれど、マンモスと金のシャチホコが目玉なんだって……、非常に恥ずかしい。 |
NHKの子供向け番組で、「どうして赤ちゃんのときの記憶は無いのか?」というのをやっていて、「幼児期には脳の信号受け渡しの組織が未発達だから」というのが解答のようだった。「ようだった」というのは、なにせ食事をとりながら横目でちらちら見ていただけなので、間違っていたらごめんなさい。 |
…他邦の如きは姑く之を置く。今の京城の中、講説を業とする者、無慮數十人。謁を其の門に執るは、醫家の子弟に匪ざるはなし。之を除きて復た生徒なし。而して醫生の學を為す、亦た唯だ句讀を習ひ詩を作ることを學び、以て自家の術業を潤飾するに過ぎず。故に間々才敏の子弟ありと雖も未だ小成に至らずして、既に已に其の學を弁髦にす。蓋し儒術文藝は、身を立て口を糊すべからずして、方伎は往々家を興し財を殖すればなり。是を以て近時醫を為すものは、詩をつくらざるはなし。而して詩を善くする者は、至りて罕なり。…(江村北海『日本詩史』より) |
地球を機械としてみる現在の科学では、あの地震も津波を予想できない。ましてや防ぐことなど思いもやらぬ。世界を変化し続けてやむことのない生命体として見る古来の占いと呪いにこそすがるべきである。科学という方法論は「変化しない部品」に置き換えて記述できる事象に限定して世界を語ることであり、生命体の本質により近い「流れのフィクション」として見るまなざしをも併用しなければ、事象のかなりが語られないままに脱落してしまうのだ。 |
朝日新聞の読書欄に、 |
如何なる原因で如何なる状態に成っているかということと経絡とは実はほとんど関係が無い。(関係づける「お話」はこれから構築しなければならない。) |
人体は、飲食・労倦・七情などといった原因によって、気血の有余不足という状態にある。その有余不足という状態はまた病を引き起こす原因となる。 |
新しい一太郎が発売になりましたね。 |
真実だとの思い込みが神話。それは自惚れであるかも知れない |
当事者が真実だと思っている嘘を神話という。どうして効くのか解明されていない以上は、これもまた神話の範疇であって、その神話の世界をルポルタージュした書物に対して、「嘘ばっかり」という反応は正しいのかも知れないけれど、「嘘を書くな」というのは無理というものです。この神話については詳しいのに、あの神話には触れていないとか、浅いとか薄いとか、そもそも著者にこの世界がわかっていないとか。「ルポルタージュとは、世界の真実を過不足無く描ききるものだ」とでも思っているんですかね。そんなの神話です。書物というものは、いつも著者が精一杯に書いて、そして誰よりも著者自身が不満を抱くものだと思ってます。中には描ききったと称するものもいるかも知れないけれど、それこそ正しく神話の語り手です。 |
部首は6画、総画数を数えるときには3画乃至4画ということではなかろうか。諸橋「大漢和辞典」は持ってないけど、「漢語大字典」では総画数を数えるときには3画みたいです。しかも中央が開いていても3画のようです。これも困ったものですが、閉じてりゃ3画、開いてりゃ4画だともっと困るかも。
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6画という大英断は無かったのね・・・だから反響が全く無いのか? |
内傷外傷入り交ざるから複雑な病態になる。 |
風によっては風という状態となり、湿によっては湿という状態になり、熱によっては熱という状態になる。 |
本当にそう思います。もっともっと謙虚にならなくてはいけないと・・・。 |
もとの黯が九卿であったころの属官は、みな黯と同列となり、あるいは重用されること黯以上であった。黯はひがみ心がおこり、いささか恨みなきを得なかった。主上に謁見し、進み出て言った。「陛下が群臣を登用されるのは、薪を積み重ねるにひとしく、あとから来たものが上になるのです。」(『史記』汲鄭列伝より) |
思うに、古代の医者は案外と覚めていた。不老不死なんてことは『内経』には無いように思う。不老長生はわからないけれど。 |
「死んでも生き返る」と信ずるのは困ったものですね。 |
小学生の何パーセントかが、「人は死んでも生き返る」と信じていると騒いでいるけれど、何のこと?大人だってそういう人のほうが多いんでないの。 |
この一週間くらい、神麹斎名義の書き込みが、ここと「お茶の時間」に多いでしょう。 |
中国で軍師といえば諸葛孔明、日本ではさしずめ武田の山本勘助。 |
古典と臨床の間には、神聖にして侵すべからざる境界が有る。 |
「古典なんか読む必要は無い」という立場の人は、私の管理している掲示板を覗いたりしないと思いますよ。ましてや書き込むわけがないと思います。 |
ならばわかる。了解。 |
あのね、「自分の立っている基盤を破壊する覚悟をもって読め!」と言ってるんですよ。 |
でもね、導入としては必要なんだよ。だって10年前までは日本で販売されていた『素問』って何種類あったと思う? |
今月号の「家庭画報」が鍼灸特集をし名医50人を掲載しているらしい。 |
大相撲の下っ端の取り組みを見ていたら、とんでもない四股名が有りました。 |
臨床を標榜する研究(?)会は、すべからく職業訓練校を目指すべきである。 |
多分、昨日の新聞だったと思うけど、南野なんとやらの失言をとっちめるとかいう記事が有ったでしょう。その揚げ足を取っているんです。説明したんじゃしょうもない。 |
お手数をおかけいたしますが、「傷寒というのは差別的な旧病名」のいわれを教えて下さい。
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傷寒というのは差別的な旧病名であるからして、「正しく」流行性感冒もしくはインフルエンザと言わなければならない。 |
今年の出版予定 |
『諸子百家』(講談社学術文庫)を紹介した書き込みに反応が有ってうれしいです。 |
孔子は周王朝の衰退が招いた乱世をしきりに慨嘆し,本来在るべき世界秩序の回復を唱え続けた。だがそのために孔子が提示した手段は,文王・武王・周公旦の時代,つまり周初の礼制に復帰せよというに過ぎず,しかもそのように主張する孔子自身,周初の礼制など,実は何一つ知らなかった。このように孔子の思想活動の出発点そのものが,極めて詐欺的性格の強いものであった。しかも孔子は,魯に周に代わる新王朝を樹立して自ら王者となり,わが手で復元した周初の礼制を地上に復活させようとする妄想に取りつかれる。 |
すばらしい文の紹介、有難うございます。
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> 世界の正体を思索し続けたあげく、荘周がたどり着いた結論は、実に索漠としたものであった。世界とは、没価値・無目的・無秩序のままに生起する、徹底的な個別者の無限連鎖でしかない。敢えて表現するならば、それは混沌である。混沌なる世界には、もとより、いかなる体系も存在せず、個物は全体に対し、果たすべき何らの役割をも持ち合わせない。個物と個物をつなぐものは、一個の体系を成すもの同士の連帯の絆ではなく、単に存在者としての斉一性(道)と、互いに他者を拘束し合う必然的関係(天・命)にすぎぬ。一切の事物の生起は、必然であると同時に無意味であり、そこに愛の介在する余地など、最初からありはしない。(浅野裕一『諸子百家』混沌の魔術師・荘子) |
テレビのモーニングショーの星占い、易学の某女史の罵詈雑言、書店に並ぶ風水の入門書。どうして、人はこんなものを受け入れられるのか。 |
出て行けデモが有ったんだってね、と言っても約200人だそうですが、と言っても数日前の居てくれデモは数十人だったそうですが。 |
来年のスポーツ界十大ニュースの一、さすがに今年のではない。 |
ブッシュは当選するし、小泉の支持率は上がるし、それでいて自衛隊のイラク派遣に反対する人はほぼ70パーセントに達する。嫌になってしまう。小泉が「信頼できそう」な人であっても、この際、一度はけっ飛ばさなければ、事実上「イラク派兵に賛成」(外から見れば派遣でなくて派兵でしょう)を表明したことになってしまうのに、どうして気づかないんだろう。世界はピリピリしてますよ。日本は暢気すぎる。我々も狙われているんですよ、ある意味「正当な理由」を以て。 |
野生の虎を間近で見たいと言ってジャングルに分け入った人が、虎に殺されたとしたら、それは誰の責任なんだろう。 |
> 勝利のためなら一歩も引かない。49分の間で見せたそんな執念が、ナインに伝わった。 |
つまり、宀の下にいるのは「豕」(ブタ)ではなくて、「豖」であるべきということです。で、「豖」は「家」字の説明のところでは、「剢殺された犬牲」と言い、「豖」字そのものの説明のところでは、「豕を椓して去勢する形」です。これは同じ形(文字要素)が在る場所によって意味が違ってくるというのか、単に不注意で一貫性を欠いたのか。いずれにせよ、白川先生と雖も万能では無いということ。 |
中公新書から出版されている「部首のはなし」阿部哲次著(『月刊しにか』に連載されていたもの)を読んでいたら「家」という漢字について「豚を犠牲動物として供えて祭をとりおこなう・・・」なるほどねぇ、と納得し、横にあった来年の白川静漢字暦の「家」の説明に「下部を豕(豚)とするのは誤りである」とあるのを読んで「うん!?」 |
そりゃそうでしょう、装丁を引き受けた本だもの、って、そうでも無いのかな、すすめたくない本でも装丁するのかな。 |
「モーレツに人にすすめたくなった」そうです。 |
針灸の専門学校というのは、職業訓練学校なんですかね。それにしては、何を訓練するつもりなのかあやふや過ぎやしませんか。実地訓練が手薄過ぎやしませんか。 |
郭槖駞,不知始何名。病瘻,隆然伏行,有類槖駞者,故郷人號之駞。駞聞之,曰:“甚善。名我固當。”因捨其名,亦自謂槖駞云。其鄉曰豐樂鄉,在長安西。駞業種樹,凡長安豪富人為觀遊及賣果者,皆爭迎取養。視駞所種樹,或移徙,無不活;且碩茂,蚤實以蕃。他植者雖窺伺傚慕,莫能如也。有問之,對曰:“槖駞非能使木壽且孶也,以能順木之天,以致其性焉爾。凡植木之性,其本欲舒,其培欲平,其土欲故,其築欲宻。既然已,勿動勿慮,去不復顧。其蒔也若子,其置也若棄,則其天者全,而其性得矣。故吾不害其長而已,非有能碩茂之也。不抑耗其實而已,非有能蚤而蕃之也。他植者則不然:根拳而土易。其培之也,若不過焉則不及。茍有能反是者,則又愛之太殷,憂之太勤。旦視而暮撫,已去而復顧;甚者爪其膚以驗其生枯,揺其本以觀其疎宻,而木之性日以離矣。雖曰愛之,其實害之;雖曰憂之,其實讎之,故不我若也,吾又何能為哉?”問者曰:“以子之道,移之官理,可乎?”駞曰:“我知種樹而已,官理非吾業也。然吾居鄉,見長者,好煩其令,若甚憐焉,而卒以禍。旦暮,吏來而呼曰:官命促爾耕,勗而植,督爾穫,蚤繅而緒,蚤織而縷,字而幼孩,遂而雞豚!鳴鼓而聚之,繫木而召之。吾小人輟飱饔以勞吏者,且不得暇,又何以蕃吾生而安吾性耶?故病且怠。若是,則與吾業者,其亦有類乎?”問者嘻曰:“不亦善夫!吾問養樹,得養人術焉。”傳其事以為官戒。 |
郭槖駞不知始何名病瘻隆然伏行有類槖駞者故郷人號之駞駞聞之曰甚善名我固當因捨其名亦自謂槖駞云其鄉曰豐樂鄉在長安西駞業種樹凡長安豪富人為觀遊及賣果者皆爭迎取養視駞所種樹或移徙無不活且碩茂蚤實以蕃他植者雖窺伺傚慕莫能如也有問之對曰槖駞非能使木壽且孶也以能順木之天以致其性焉爾凡植木之性其本欲舒其培欲平其土欲固其築欲宻既然已勿動勿慮去不復顧其蒔也若子其置也若棄則其天者全而其性得矣故吾不害其長而已非有能碩茂之也不抑耗其實而已非有能蚤而蕃之也他植者則不然根拳而土易其培之也若不過則不及茍有能反是者則又愛之太恩憂之太勤旦視而暮撫已去而復顧甚者爪其膚以騐其生枯揺其本以觀其疎宻而木之性日以離矣雖曰愛之其實害之雖曰憂之其實讎之故不我若也吾又何能為哉問者曰以子之道移之官理可乎駞曰我知種樹而已理非吾業也然吾居鄉見長者好煩其令若甚憐焉而卒以禍旦暮吏來而呼曰官命促爾耕勗而植督爾穫蚤繅而緒蚤織而縷字而幼孩遂而雞豚鳴鼓而聚之繫木而召之吾小人輟飱饔以勞吏者且不得暇又何以蕃吾生而安吾性耶故病且怠若是則與吾業者其亦有類乎問者嘻曰不亦善夫吾問養樹得養人術焉傳其事以為官戒 |
かつてこういう話を聞いたことが有る。 |
「天地不仁、以萬物為芻狗」。天地は万物を生むが、生んでしまえば、祭祀で用いられた藁人形の犬と同じで捨てられる。だが、この不仁と見える行為がもっとも慈愛に満ちているのである。面倒見が良すぎるのは、かえって相手を毒することになるのである。 |
後漢の末に、許劭という人物鑑定の名人がいて: |
著者のホームページによると、[各章準標題漢文]は、「1独愴然而涕下・2知魚楽・3夢為胡蝶・4古人之糟魄已夫・5七日而渾沌死・6未知生、焉知死・7季札挂剣・8成然寐、蘧然覚・9炳燭之明・10哀哀父母、生我劬労・11天地不仁・12知宇宙之大・13天地曾不能以一瞬・14為己・15多岐亡羊・16善将将・17清平之姦賊、乱世之英雄・18苛政猛於虎也・19生金人競争・20上兵伐謀」です。 |
それでもやっぱり日本のプロ野球は1リーグ8球団くらいがせいぜいだと思っている。 |
現代語訳でも読まないよりマシだろうけど、湖南文山訳を読んで育った世代にはかないっこない。 |
つくんでないの、題名にうたっているくらいなんだから。 |
読んでないんだから、「つく」とも「つかない」とも言いようが無い。 |
先生、『漢文力』という本を読むと、漢文力はつきますか?
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荘子と恵子と豪梁の上に遊ぶ。荘子曰く、「鯈魚出游して従容たり。是れ魚の楽しみなり」と。恵子曰く、「子は魚に非ず。安んぞ魚の楽しみを知らんや」と。荘子曰く、「子は我に非ず。安んぞ我の魚の楽しみを知らざるを知らんや」と。恵子曰く、「我は子に非ず。固より子を知らざるなり。子は固より魚に非ざるなり。子の魚の楽しみを知らざること、全きなり」と。荘子曰く、「請う其の本に循わん。子曰いて、汝安んぞ魚の楽しみを知らんやと云うは、既に已に吾れ之を知るを知りて我に問うなり、我は之を濠上に知れるなり」と。 |
男性に桃太郎侍こと高橋英樹、女性陣はう~んと若い女性グループ、例えばモーニング娘。桃太郎侍はニヤニヤ、モーニング娘は肩をよせあって、肘でつつきながらヒソヒソ。 |
男性に(小さな老人ではないけれど)山崎努、 |
女性グループ3~4人が、新幹線に乗り込む。車内に入り、向かい合わせになりそうなシートをみつけてサッと回転させたところ、なんとそこには小さな老人が坐っておられる。びっくりして、反射的に又そのシートを再び回転させてしまった。その場で「失礼しました」と謝ればいいものを、その機会を失して、だから当然、ご老人も「いいえどういたしまして」という機会を得られなくて、そのまま双方かたまったまま、隣り合わせで(前後で?)2~3時間をやり過ごす……。 |
恵施は荘周の対立者だそうです。そして、恵施の新たな世界を構築しようとする努力をせせら笑う荘周のほうがかっこいいけれど、かっこいい大言壮語はしょせんは無用の長物でもある。 |
白馬は馬ではないとか、天と地は水平であるとかいう詭弁をもってなる名家の先輩格に恵施という人がいた。彼によってあらゆる常識的判断は論破され、天地と万物は閉塞状態から脱して、原始の渾沌を回復する。曰く「天と地と与に卑く、山と沢と与に平らかなり」、曰く「我れ天下の中央を知る。燕の北、越の南、是れなり」。 |
民族と宗教の大義のためにテロをおこない、 |
スポーツ音痴の私は、それでもシンクロナイズド・スイミングは、僅かながらロシアのほうが上だと見ました。ただ、それは多数の中から脚の寸法をそろえてペアを組ませるという人材の豊富さと、不自然さを基調とする動作の徹底的訓練の巧みさ、そして或いはその非人間的訓練と妙に調和する容姿、といった「ある種のもの悲しい」理由によるものと思われます。 |
それにしても、沈澍農さんの「玉字は衍で、左傍に有る小圏は刪を示す」は正解だろうとは思うけれど、どうやってそんな字が紛れ込んだんだろう。『玉篇』には「捭 補買切兩手擊也」とあって、その下に「擺 同上」ですから、擺を『玉篇』で調べて、「捭 補買切兩手擊也」を見つけて、『玉篇』ではこうこうですよと書いたつもりなんでしょう。とするとそれを見た抄者が玉捭=玉擺という熟語と誤解して、原文には一字脱していると誤解して、「又云治為人所玉擺㩌舉身頓仆垂死者方」と書いて、その後にまたその「玉」が衍文であるのに気づいた人が小圏を施す? ああ、ややこしい。頭が痛い。 |
『医心方』をめぐるお話、だんだんまじめな方向に変わってきてしまって、その分、なんだか小難しくて酒席に相応しくなくなったみたいですけど、せめて「お茶の時間」に話せばいいなんて言われそうですけど、ある意味で本領発揮です。かつての原塾の講義の後の酒宴の侃々諤々を彷彿とさせるものが有ります。 |
沈澍農さんの『中医古籍用字研究』(たぶんまだ未発行)で、190から話題の『医心方』巻十八第廿について、沈澍農さんは「”玉”字は衍で、左傍に有る小圏は刪を示す」と解説しています。 |
やっぱり筑摩書房版なんてほしがるのはやめましょうよ。 |
お手数をかけて申し訳ありません。 |
又云治為人所玉擺㩌舉身頓仆垂死者方 |
『医心方』巻18の第20の葛氏云…… |
変な疑問なんですがね、グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国(つまり所謂イギリス)から北アイルランドが独立するとか、ウエールズが独立するとか、そういうのは何となく分かるような気がしますが、イングランドとウェールズとスコットランドが共同して独立して、ひとつのグレート・ブリテン国になるというのは、可能なんですかね。日本国を東海君子国に大改定を読んで、馬鹿なことを考えました。大部分の土地と大多数の人間を引き継いで、過去の歴史と文化からは断絶した国になる。新国家の体制は、一から構成しなおす。歴史はそこから書き始められる。過去の歴史と文化はそれぞれの各民族のものとする。公用語を暫定的に日本語とするが、これは大多数の国民が話せるし、より決定的には大部分の国民がこれしか話せないからである。 |
前に国際親善試合用に思い浮かべた久米歌は、実は下のやつなんですね。 |
銭超塵先生、一大事です。日本では「塵」という字は人名には相応しくないとして、人名用漢字追加案から削除されました。 |
筑摩書房から出ているという全訳精解なんて見たこと有りませんので、どんな程度にオロカシイ活字化がなされているのかは知りません。ただし、一般的に言えば俗字の活字化を全面的に放棄するわけにはいきません。『医心方』 くらいになると、活字化する学者の説を鵜呑みにするわけにはいかないからです。そんなことを詮索する気にならないという人には、そもそも『医心方』は無理でしょう。『医心方の入門』というような本を探したほうが無難です。それも勿論かたよった解説書でしょうが。 |
筑摩書房から、全訳精解というのがでています。 |
古籍をひもといて見慣れない漢字に遭遇し、字書をひっくり返して、現在通行の文字では何に相当するかをつきとめる。辛気くさい作業だけれど、つきとめた時には爽快です。ところが古抄本の電子化をはかって、しかもなるべくなら古字や俗字も保存したい、なんぞという物好き(必要な面も有ると思う)を始めると、辛気くさいだけで、しかも完全には達成されるはずのない作業ですから、うっとうしいことおびただしい。 |
本当はどうでも良いと思うんですよ。でも、何かを「選んで」入力しなければならないので、ぐだぐだ言っているわけです。ほとんど悲鳴です。大体が、『干禄字書』の序文に、著述には正を用いるのが「兌當」と言うんですが、その兌の字に本文中で通としている形を用いています。やんぬるかな。そもそも序文は本物かという議論も有るそうですが。 |
羅振玉の『碑別字』という碑や墓誌などに残された古くて今では見慣れない字体を集めた本があります。その後、増訂をかさねて、別の編者による『廣碑別字』というのが、いちばん収録数が多いでしょうか。それにはいろいろな字体が載っています。「煞」も下が点四つではなく、三つのもの、「一」のもの、「小」のものもあります。 |
うっかりしてましたけど、私の持っている『干禄字書』の序文では「爲」でしたね。こういうのが嫌になってしまうんですよ、辛気くさくて。 |
実は正俗をいうときに、『康熙字典』を基準にしてはいないのです。大抵は『干禄字書』です。これだって、隋末唐初の字体の正俗をいう場合の基準にするのは本当はおかしいでしょうが、『干禄字書』だって突然現れるわけじゃないでしょうから、(顔氏の独断に対する批判はちょっと棚上げにしておいて、)まあ共通認識が構成されていく課程を伺うということで。それに正俗というよりも、そういう字形がちゃんと有ったのかどうかのほうが気になります。例えば『太素』では、今なら「殺」と書くところに「煞」と書いているようです。「ようです」というのは、古抄本では「灬」はたいてい「一」のように略されます。『太素』の「煞」の場合、そのように書かれたものも有りますが、さらに「ヨ」の下に縮こまった書き方も有り、全く省略されたものも有ります。これは抄者の書き間違いか、あるいは勝手なウソ字では無いかと疑うわけです。「煞」なら俗としてちゃんと載ってますから、ここまでにしておこうか、というような使い方です。それに前にも言ったように、「眞」とか「爲」とかいうのはそもそも問題にされてないから、まあ無視しておこうか、と。問題はねえ、載っている字数があまりにも少ないことと、正通俗のどの字体も現在使われている形とは微妙に違うことが結構多いことと、そもそも現存する『干禄字書』が一種類じゃなくて、しかも相互に載っている字形が違うことです。『干禄字書』を整理・拡張した字典くらいは欲しいんだけど、そんなもの、需要が有るわけも無いしね。 |
民間交流の一環として北朝鮮への「ふぐ&松茸食べ放題ツアー」が企画されているらしい。何だかよくわかりません。 |
おおむね r k さんのおっしゃるとおりです。 |
康熙字典の親字の字体を康熙字典体ということにします。シンニュウに点をふたつ打つのが康熙字典体です。(当たり前ですが手書きの)伝統的な楷書では、点はひとつだけです。(それにしたがえば、手書きでは点ひとつで結構、印刷されたら、プリンタまかせ。)以前は、手書きのものから字を習い覚えていたのですが、現在は印刷された文字から手書きの文字を覚えるようになって、手書き体と印刷体とは、区別されて当然という考えが抜け落ちてしまったのかもしれません。(圧倒的な印刷文化の中で生きているわれわれにはしかたがないことですが。)アルファベットでは、LやAの小文字は印刷体と筆記体では明確に日本人は区別しているのに。 |
地方新聞の夕刊に、遙という字のしんにゅうは、一点が正しいのか二点が正しいのか、異体字問題で出版社が困っているという記事が載った。例の法制審議会が検討中の人名用漢字追加がらみの話です。地方新聞の編集部が思いつきそうな話題ではないから、多分、どこかが作った記事を採用したんだろうと思うけれど、皆さんの地方では載ってますか。 |
おしはかってみれば、中国の人にしてみれば、 |
パソコンで古籍を扱う場合、以前には漢字が足りないのが悩みでした。でも現在では、ユニコードの標準のCJK統合漢字が約2万字です。普通の漢和辞典の親字が約1万字で、そして普通の漢和辞典を繙けば、大抵の古籍は読めるのですから、大抵の古籍の電子化にはまあ大丈夫です。さらに拡張領域のAには約7千字が有り、拡張領域のBに至っては約4万字です。総計約7万字。かの有名な諸橋大漢和が約5万字ですから、もうこれで足りなければ余程のことです。 |
> しかし、弓はどうなさる?弓は?老人は素手だったのである。弓?と老人は笑う。弓矢の要る中はまだ射之射じゃ。不射之射には、烏漆の弓も粛慎の矢もいらぬ。ちょうど彼等の真上、空の極めて高い所を一羽の鳶が悠々と輪を画いていた。その胡麻粒ほどに小さく見える姿をしばらく見上げていた甘蠅が、やがて、見えざる矢を無形の弓につがえ、満月のごとくに引絞ってひょうと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来るではないか。 |
かなしい。 |
そりゃあまあ、一連の騒ぎからみれば、かの国の民度はあまり高くはないだろう。しかし、それを口にしてしまう政治家というのも、まあ、あまり教養が有るとは言いにくい、というか、すくなくとも「思慮とテクニックにおいて欠けるところが有る」のは歴然としている。 |
まあ考えてみれば、ヤスクニに参拝して、「何が悪いんだ」なんて、人の神経を逆なでするようなことを言うごじんがソウリ大臣をやっている国だからねえ。 |
アジアカップの日中戦にむけて、ホソダ官房長官が中国側に冷静な対応を申し入れたんだそうです。 |
岩波の『図書』8月号で、とんでもない翻訳の紹介を見ました。 |
やっぱり中国人(の大部分)は阿呆である。 |
結局、危険を冒して日本へ来るのね。お病気だからしかたないなんて言い訳、小藪さんちに通じるのかしら。だいたいが、純ちゃんたら何も約束とってないのに、胸をたたいて「ボクにまかせて」なんちゃって、たのね。 |
私としては、臆解は散文詩のつもりでいる。 |
むかし魯の哀公が孔子に「夔は一本足だと言うが、本当かね」と聞いた。答えて言う。「堯、舜の楽正である夔は、人間なのに一本足というわけが有りません。彼は六律を正し、五声を和し、以て八風を通じ、而して天下を平らかにすることが出来ました。夔の如きものは、一人いれば足りると言うのであって、一本足というわけではありません。」(『韓非子』『呂氏春秋』などに見える。) |
> (1)飲酒したいという強い欲望あるいは強迫感がある。 |
人名に使えるようになる漢字の中に、変な字が有ると話題になっている。 |
すでに文庫になっているものでご愛用は、 |
そういえば、なんで酒の肴には文庫が佳いのか、肝心な説明が無かったですね。 |
そういえば『言海』も最近、文庫になったみたいですね。まだ手に取ってないけど。これなんかも酒の肴に佳いかも知れない。でも、字が小さいかなあ。そういう意味で『江戸語の辞典』は駄目でした。 |
青木正児は両方とも筑摩叢書だったね。ちくま文庫から青木正児作品集なんて出るといいな。 |
吉田一穂の詩集が岩波文庫になったみたいですね。信じられない。 |
米国の統一軍事裁判法に照らし、(1)他の兵士への脱走教唆(2)脱走(3)敵への支援(4)忠誠放棄の奨励、の四つの罪に問われており「適切な訴追措置が適用される」としている。 |
今回の上海で、あんまり気に入った店は有りません。むかし気に入っていた店は軒並み跡形も無い。 |
孫子曰く、地形とは、兵の助けなり。故に用兵の法には、散地有り、…… |
マクレラン米大統領報道官は11日、「自由の敵たちの本質を示している」と非難、犯人らを突き止めて「裁きにかける」と明言した。 |
まあ、どんどんしょうもなくなる、ということは有る。 |
戦争がしょうもないものなのであって、しょうもない戦争などというものは無い。 |
イラクのアブグレイブ収容所に於いて、米軍兵士が引き起こしたしょうもない事件は確かに不祥事ではあるが、そもそもこの戦争自体がしょうもない不祥事なのであるから、それはまあこの程度のしょうもない不祥事はおこるだろうよ。 |
今年1月に広州で4人の感染者が確認されてましたが、北京でも最近、感染した疑いのある患者1人を確認したようです。 |
たかが三人などと言うのは不謹慎にきまっている。だが、何百人もの市民が殺されたとするファルージャの抵抗組織の立場からすれば、まさしく「たかが」だろう。 |
おのれの欲するところを他に施すこと勿かれ、人にはそれぞれ好みがある。 |
例えばここに増水した急流がある。付近の子供が足を滑らして落ちた。 |
どこの国にも変なことをやりたい人はいるもので、やってしまった時に、上手くいけば国家の英雄、下手すると公開銃殺という国と、上手くいけば大衆のアイドル、下手すると野垂れ死にという国が有る。大きな違いというべきか、大した違いは無いというべきか。 |
西洋近代医学と中国伝統医学の違いは何か。目に見えるものに拠る医学と、目に見えないものを重視する医学という単純な対比は誤りではないか。第一、古代人にとって、目に見えるか見えないかの別は我々の常識とは異なるだろう。要は不可知の存在に身をゆだねるかどうかである。世の中の全てを理解できるわけではない、というのはむしろ西洋的立場ではないか。最終的には神にお祈りする。良く言えば宗教的。古代中国においては、陰陽と五行で全てを説明しようとした。そこには神の介入は無い。無論、神にすがりたい人は中国にもいたわけで、そこに道士と方士(この用語が適当であるかどうかには自信が無いが)の立場の違いが存在したのではないか。とは言っても唯一神の存在しない世界である。全てをゆだねてすますべき神の存在が無ければ、全てを論理的に構築しようとした方士は勿論、道士といえども然るべき呪いによって然るべき結果が生ずると考える。呪術的である。手段と結果の関連という意味において、呪術的思考は実は一種の科学的思考である。その限りにおいて、中国古代の方が、少なくとも西洋中世よりは科学的であったはずである。それが近世に至って、西洋近代に遅れをとったように見えるのは何故か。手段と結果の間に、膨大な妄想を存在させたからである。古典的知識の中から妄想を峻別し、明晰な論理体系を構築すれば、「もう一つの医学」は出現する。西洋医学に薬物を提供したり、新たな物理療法の可能性を提示したりするのよりも、より本質的に価値が有る。医療と軍事はもともと実効を最も重んじる分野である。軍事において孫子の兵法(簡単化して言えば、有効な兵力をより多量に集中させた方が勝つ)が成立した世界で、お呪いの医療が大手を振るっていたと考えるのは滑稽ではないか。もっとも、後の世界では、お呪いのほうが軍事においても偉そうな顔をする。例えば『水滸伝』の軍師、呉用と朱武では、一方は実戦の謀略家であり、一方は軍学者である。『水滸伝』ではまだ、呉用の方がうんと上位に居るのがせめてもであるが、後の世界では、相手の陣形に対する知識を得々と陳ずるような(陣形を見破られると意気消沈する)手合いが大きな顔をしはじめ、或いは単に膂力、気力が衆に勝れた(大言壮語に意気あがる)兵の猪突猛進が戦局を打開する。最も実効を重んじる分野において、どうして思いこみ的な要素がそれなりに有効であるか、悩ましい問題ではある。 |
経験医学の短所は誰にも明白だと思う。 |
素問、霊枢の段階では、名医達が自分で経験した治療実績を何とか説明しようとしていたのだと思う。時には妄想が紛れ込むのは如何ともしがたいが、彼らはそれを何とかコントロールしようとしていると思う。経験と妄想を峻別しようとする限りにおいて、黄氏の腕力には大いに期待する。 |
云渡すは別の事でもない。もっぱら世間で、茗荷を食へばあほうになるといふが、おれは数年茗荷を食へども、あほうにならぬ。この通りを村中の者へ触れて、安堵させておくりやれ。 |
竹斎(『竹斎物語』/氏は不詳) |
つまり「東洋の神秘」的針灸医学を嫌悪しているということです。あるいは「陰陽五行説式マニュアル」針灸術を軽侮しているということです。そして「呪い師」的世界に安住している臨床の名手に嫉妬し、憎悪する。 |
2月 9日 無断外出 |
殺人を教義とする宗教は存在し得ないか。 |
陰陽五行説は基本的には迷信である、とは敢えて挑発的に言っているのであって、実のところは当時の最高水準、最大限度の合理主義であったと思う。実際に起こったことをその理屈に合わせて整理したのであるから、今もって当時の智慧を引き出す為の最良の索引であると思う。ただ、陰陽五行説を方程式として、そこから導き出された様々がみな正しいとはとても思えない。全部が駄目と言うのではない。当たり前だ。これがこうならそれもそうだろう、と言うのは正当な思考法だと思う。ただし、勿論、全部が正しいとは言えないし、陰陽五行説で説明できることが真理の保証には成らない。これも当たり前だ。ところがややこしいことに、伝統医学においては、陰陽五行説的に正しいから正しいのである、と言い切って治療を施すと、これがやっぱりそのほうが有効なんですね。偽薬効果かも知れないけれど。古典的にも医療というものは、「断じて行って惑うことなかれ」が極意の一つのように言われている。臨床家は最前線の将軍である。 |
公立の小、中学校などの給食で鶏肉の使用を見合わせている町の教育委員の談話。 |
朝日重章『鸚鵡籠中記』宝永三(1706)十月十三日の条に: |
『霊枢』四時気に、 |
「尻」のほうが良いというグリーンさんの説に賛成です。小腸と睾丸との関係は、ここ以外に思い当たりません。ただ、尻は臀部というより、ここでは肛門ではないかと思います。 |
経文に出てくる「後」についての楊上善の解釈が「䐜大便之處也」であるわけです。楊上善は、「後=䐜」と説明(いいかえ)し、䐜もわかりにくいから、「大便之處也」と補足説明しているのではないでしょうか。 |
『備急千金要方』と『脈経』は、宋改を経ています。宋代の校正を経ていない『新雕孫真人千金方』巻14小腸腑脉論第一は「窘之後」です。「復」は宋人が改めたのではないでしょうか。 |
この経注で、私が疑わしいと思うのは: |
経文「小腸病は、小腹が痛み、腰脊が尻に控(ひ)いて痛み、時々これ(小腸病)を後(肛門)に窘(くる)しむ。」 |
取りあえず、校勘資料の提出という形で「応えて」おきます。 |
『太素』巻11 府病合輸 |
潘金蓮の名前の由来の真説は: |
本当のことを言うと、去に収蔵・密蔵という意味が有るというのも誤解を招きやすい言い方じゃないですか。ここから取り去って別のところへ置くから、つまり密かにしまっておく、という意味を生じるのだろうと思います。だから「無急去藥、以待不祥」も、訓としては「急無くして薬を去り、以て不祥を待つ」でもかまわないんじゃなかろうか。「どうして急な必要も無いのに私の前から取り去って隠すんだ」というような気持ちなんでしょう。 |
漢語大詞典の去のところに: |
本田済、『漢辞海』、『漢語大詞典』などに拠れば、和訓は下のようになるんでしょうか。(例によって、古語の文法には疎いので、変なところはご容赦。) |
ちくま学芸文庫の翻訳(今鷹真)では: |
「却去」は、『漢辞海』に「しりぞける、しりぞき去る」と載っていて、出典は曹操・讓県自明本志令、即ち下の『魏武故事』に引かれている布告のはずです。 |
面白い思いつきだとは思うけれど、本当にそうだとは到底思えない。 |
『漢文をどう読みこなすか』日中出版16~17ページをご覧下さい。(原作 上海古籍出版社 中国古典文学基本知識叢書)、 |
ええ、またまた横合いからなんですが、「去五六歳」は、訓読すれば「去すること、五六歳」で、だから目的語「之」の省略である、というのはその通りなんでしょうが、でもそれではどう考えても悪文でしょう。だから、「復與兩錢散,成得藥。去五六歳,……」と句読されたものは見たことが無い。(もともと、そんなに沢山は調べてないけれど。) |
一番易しいのは話すこと、ついで聞くこと。書くことはやや難しく、読むのは甚だ困難である。漢語についての話です。勿論、漢族にとってもの話。 |
訓読すれば、「去すること、五六歳」だと思います。「五六歳」は、補語でしょう。目的語の「之」は省略されていると思います。
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「去五六歳」の「去」は「弆」の通仮字で、意味は「蔵・たくわえる」だとすると、「もらった薬をしまいこんでおくこと五六年にして」云々ということになるのでしょうか。そういう場合は「去之五六歳」としなくもいいのでしょうか。 |
阿勝、廣州人、少孤(勝ちゃんは廣州の生まれで、小さいときに孤児となった)。游於美利加國之舊金山、善貿易(メリケン國のサンフランシスコに渡り、貿易で成功した)。居六歳、積資頗豐、航海而歸、將締婚於中土(六年たって、資産も豊富になったので、船で帰ってきて、中国で結婚しようとした)。有某氏女及笄、因媒合之(あるひとの娘が成人したので、媒酌人をつてに結婚することになった)。女母聞其豐於資也、許焉(娘の母は、勝ちゃんが金持ちであるのを聞いて、結婚を許可した)。既又懼其仍遠游也(すぐにまた娘が彼について遠くに渡ってしまうのを怖れた)。曰(母は言った)、「吾女豈能相從於海外哉!(わたしの娘はあなたに従ってどうして海外にいけるでしょうか)」。故使媒妁索重聘(それで媒酌人を使って、高い結納金を請求した)。阿勝鄙之曰(勝ちゃんはその母親を軽蔑して言った)、「賣婚非禮也(結婚を餌に金を貪ろうとするのは、礼儀をわきまえぬことだ)、吾何患無妻!(おれは、妻なぞなくともなんの不自由もないんだ)」。遂已其事(しまいには結婚を取り止め)、復游舊金山(またサンフランシスコへ渡った)。女聞之(娘はその話を聞いて)、不直其母(自分の母は間違っていると思い)、竊附海舶(密航し)、至舊金山尋夫(サンフランシスコに到着し、夫を捜した)。一日(ある日)、於途中遇之(道で彼に出くわし)、連呼曰(連呼して言った)、「阿勝、阿勝!(勝さん、勝さん)」。勝顧之驚曰(勝は彼女を振り返って驚いて言った)、「卿閨中弱質(あなたは深窓の令嬢だ/ヤット出テキマシタ)、何爲至此?(どうしてこんなところに来たんだ)」。女具告之(娘は事細かに勝に告げた)。勝感其義(勝は彼女の節義に感激し)、與倶歸旅舎成禮焉(彼女と一緒に旅館へ帰り、婚礼を挙げた)。 |
問題1「初」 |
当初、軍吏の李成は咳嗽を患い、昼も夜も眠ることが出来ず、しばしば膿血を吐いたので、華佗に指示を仰いだ。華佗は言う。「あなたの病気は腸癰であって、咳をして吐いたものは、肺から出たのではありません。あなたに二銭の散薬をさしあげますから、二升余りの膿血を吐いた直後に服用しなさい。少し楽になるから、自分で保養を心がければ、一月もすれば好転するでしょうし、よくよく安静にして自愛すれば、一年もたてば健康になれます。ただ十八年後には、再び小さな発作をおこすでしょうが、この散薬を服用すれば、またすぐ良くなります。もしこの薬が無ければ、きっと死にますよ。」そうしてさらに二銭の散薬を与え、李成は薬を得て帰った。五六年たって、親戚のものが李成と同じような病を患って、李成に言った。「あんたは今のところ健康であって、私は死にかけている。どうして急な用が無いのに薬をしまいこんで、私がみすみすはかないことになるのを待っているのか。取りあえず私に薬を貸しなさい。私の病が癒えたら、私があんたの為に華佗から薬を貰ってあげるから。」そこで李成は薬を与えた。すぐにわざわざ譙県までおもむいたのであるが、ちょうどその時が華佗が捕らえられ収監されるときであったので、そのあわただしく大変な時に薬をくれとは言い出しにくかった。十八年たって、李成の病はついに再発したが、服すべき薬が無かったので、とうとう病死した。 |
前に、中国では縁起の良い偏と旁を組み合わせて、名前用の新しい漢字を作ってしまう、という話題を書き込みましたが、中国の大型字書を眺めていたら、女偏の字の中に「女子人名用字」なんてものがやたらと出て来ました。 |
王安豐の妻は、いつも安豐を卿と呼んでいた。安豐が「婦人が夫を卿と呼ぶのは、禮法において不敬であるから、今後はもうやめてくれ」と言うと、妻は「卿に親しみ卿を愛する、それだから卿を卿と呼ぶのです。私が卿を卿と呼ばなかったら、誰が卿を卿と呼ぶべきなのですか?」と言い返した。そこで遂にそう呼ぶにまかせた。(『世説新語』下卷下 惑溺第三十五 ) |
以下は、『三國志』華佗傳の一節である。以下の設問に答えよ。(回答ではなく、解答せよ。) |
「酒を一杯飲ませて、きまり悪い思いをしたのを少しだけつぐなってやれば、それでほとんど充分だ」はともかくとして、「もし報奨金を払おうというなら、それがしに頂ければ大いにうれしい」は、勇み足だったようですね。しかし、xiaoren云々と聴くと「やつがれ」と頭の中で響いちゃうんですね。中国人にはそうでも無いんですかねえ。いや、なかなか難しい。 |
英語訳と現代漢語訳によれば、「月は是れ故郷に“より”明らかならん」と訓んでいるんですかね。 |
考えてみれば、作者は地上をさまよってここにおり、遠くの秋空を飛び廻る(あるいは虚空に停まっている)群れをはぐれた孤雁の声を聴くのであるから、雁が象徴するものは作者とは離ればなれに徘徊する(あるいは「月は是れ故郷にも明らかならん」との関連からすれば、故郷に留まっている)「弟」で良いのかも知れません。(因みに「月は故郷のごとく明かなり」と訓む人もいます。雁が弟であるとすれば、「故郷にも」のほうが良さそうです。) |
この問題は、詩中から探せ、となっていますが、かならずしもこの杜甫の詩で使われている「雁」が象徴しているものを問うているわけではありません。 |
戌樓響過更鼓,路上斷了行人形影, |
Du Fu |
「おあそび」で良いと言うことなので、 |
月夜憶舍弟□月夜に舍弟を憶う |
てんせつ・大きい辞書に出ていることばです。 |
竊賜以觴豆為稍障羞顏(そっと酒を一杯飲ませて、きまり悪い思いをしたのを少しだけつぐなってやれば),庶幾或可(それでほとんど充分だ),若有所酬贈(もし報奨金を払おうというなら),則小人太僥倖矣(それがしに頂ければ大いにうれしい)。 |
又言(また邊秋崖前輩から聞いた話):一宦家患狐祟(ある役人が狐の祟りを患ったので),延術士劾治(エクソシストを呼んで折伏させたが),法不驗(その術は効き目がなく),反為狐所窘(かえって狐にやりこめられてしまった),走投其師(かれは走って自分の師匠に頼み込み),更乞符籙至(あらためてまじない札をもらってきた),方登壇檄將(ちょうど祭壇にのぼり神将を呼び出そうとすると),已聞樓上搬移聲(階上から引っ越しの物音が聞こえてきた),呼應聲(呼び合う声もする),汹汹然相率而去(かまびすしく音をたてながら、ぞろぞろ狐たちが出ていった)。術士顧盼有德色(エクソシストは周囲を見回して、どんなもんだという表情),宦家亦深感謝(役人もおおいに感謝する),忽舉首見壁上一帖(ふと頭を上げて壁を見ると、一枚の貼り紙があった),曰(その文句):公衰運將臨(あなたの命運はまさに尽きようとしていた),故吾輩得相擾(それでわれらはあなたの邪魔をすることができた),昨公捐金九百(昨日、あなたは義捐金九百両を投じて),建育嬰堂(育嬰堂を建立した),德感明神(このような徳行は神明を感動させ),又增福澤(またあなたの幸運を増加させた),故吾輩舉族而去(それでわれらは一族もろとも撤退するのである),術士行法適値其時(エクソシストの行法はたまたまその時にあたった),據以為功(それで自分の勲功だと思っているが),深為忝竊(なんとも恥ずかしいことである),賜以觴豆為稍障羞顏(酒を盃一杯あげれば、すこしはその厚顔無恥を見なくて済む),庶幾或可(きっとそうできると願いたい),若有所酬贈(もし報奨金を払ったら),則小人太僥倖矣(こんな小人物ならとってもハッピーだろうね)」。字徑寸餘(文字の大きさは一寸余り),墨痕猶濕(墨痕はまだしめっていた),術士慚沮(エクソシストは羞じて意気阻喪し),竟噤不敢言(とうとう口を閉じて一言も発せずじまい)。梁簡文帝與湘東王書引諺曰(梁の簡文帝の『湘東王に与うる書』が引用する諺に、こうある),:「山川而能語(山や川がもし口が利けたら),葬師食無所(墓占い人は食いっぱぐれる),肺腑而能語(肺腑がもし口が利けたら),醫師面如土(医者の顏色は真っ青)」。 |
前半部分 |
邊秋崖前輩言,一宦家夜至書齋,突見案上一人首,大駭以為咎征,裏有道士能符錄,時預人喪葬事,急召占之。亦駭曰:大凶,然可禳解,齋醮之賚,不過百余金耳。正擬議間,窗外有人語曰:身不幸伏法就終,幽魂無首,則不可轉生,故恒自提攜累如疣贅,頃見公幾棐滑淨,偶置其上,適公猝至,倉皇忘取,以致相驚,此自仆之粗疏,無關公之禍福,術士妄語,慎不可聽。道士仍喪氣而去。又言一宦家患狐祟,延術士劾治,法不驗,反為狐所窘,走投其師,更乞符錄至,方登壇檄將,已聞樓上般移聲,呼應聲,洶洶然相率而去。術士顧盼有德色,宦家亦深感謝,忽舉首見壁上一帖,曰:公衰運將臨,故吾輩得相擾,昨公捐金九百,建育嬰堂,德感明神,又增福澤,故吾輩舉族而去,術士行法適值其時,據以為功,深為忝,竊賜以觴豆為稍障羞顏,庶幾或可,若有所酬贈,則小人太僥倖矣。字徑寸餘,墨痕猶濕,術士慚沮,竟噤不敢言。梁簡文帝與湘東王書,引諺曰:山川而能語,葬師食無所,肺腑而能語,醫師面如土。此二事者,可谓鬼魅能语矣。术士其知之。 |
また名前に使える漢字が微妙に増えるようですね。 |
閲微草堂筆記、良いですねえ。 |
内閣學士の永公、諱(いみな)は甯、嬰疾(病にとりつかれる)し、頗(すこぶ)る委頓(疲れて力がぬける、元気がない)す。醫を延(まね)き診視せしむるも,未だ遽(にわか)には愈えず。改めて一醫を延く。前醫の用いる所の藥帖を索(もと)むるも,得ず。公以為(おもえ)らく、小婢誤りて他處に置く、と。責めて搜索せしめ、得ざれば且(まさ)に汝を笞うたん、と云う。枕に倚(よりかかる)し憩息するに方(あた)り〔=ちょうどその時に〕,恍惚として人の燈下に跪(ひざまづ)く有り。曰く「公 婢を笞うつなかれ。此の藥帖は小人〔=わたくし〕の藏(かく)す所なり。小人は即ち公の臬司(明清代、按察使の別称)為(た)りし時、平反(誤って下された裁判をやりなおし、公正な裁判をして罪を軽くする)して生を得るの囚なり」。問う「葉帖を藏すは何の意ぞや」と。〔小人〕曰く「醫家は同類皆な相い忌(い)み、務めて前醫の方を改め、以て長ずる所を見(あらわ)さんとす。公 服する所の藥誤らず、特(た)だ初め一劑を試みるも、力尚お未だ至らざるのみ。後醫をして方を見しめば、必ず相反して以て異を立て、則ち公殆(あやう)からん。小人の陰(ひそ)かに之れを竊(ぬす)む所以(ゆえん)なり」。公 方(まさ)に昏悶し、亦た未だ其の鬼為(た)るに思い及ばず。稍(ようや)く頃(ころ)おい始めて悟り、悚然として汗下る、乃ち前方已に失し、復た記憶せずと稱し、後醫に別に方を疏するを請う。用いる所の藥を視るに、則ち仍(な)お前の醫方なり。因りて數劑を連進するに、病い霍然として失するが如し。公 烏魯木齊(ウルムチ)に鎮たりし〔軍の司令官だった〕日、親しく余の為に〔わたしに〕之れを言う。曰く「此の鬼 世情を諳悉〔熟知〕すると謂うべし」。
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あ~あ、やっちゃった。 |
簡体字を繁体字に変換するときには、なんでも画数の多い字にかえればいいとは限りません。 |
内閣學士(官名、明清代、皇帝を補佐する内閣の大臣、上奏文に対して回答を用意してから皇帝に見せた)永公諱(いみな、本名)寧,嬰疾(病にとりつかれる),頗(たいへん、よほど)委頓(疲れて力がぬける、元気がない)。延(まねく)醫診視,未遽(にわかに)愈,改延一醫,索(探す)前醫所用藥帖,弗得。公以為小婢誤置他處,責使搜索,云不得且笞汝。方倚(よりかかる)枕憩息,恍惚(かすかでとらえがたいさま、ほのかで見極めがたいさま)有人跪(ひざまずく)燈下曰:公勿笞婢,此藥帖小人所藏。小人即公為臬司(明清代、按察使の別称)時平反(誤って下された裁判をやりなおし、公正な裁判をして罪を軽くする)得生之囚也。問藏葉帖何意,曰:醫家同類皆相忌(嫌う、嫉む),務(かならず、是非とも、つとめて)改前醫之方,以見(あらわす)所長。公所服藥不誤,特初試一劑,力尚未至耳。使後醫見方,必相反以立異,則公殆矣。所以小人陰竊(ぬすむ)之。公方昏悶,亦未思及其為鬼。稍頃始悟,悚然汗下,乃稱前方已失,不復記憶,請後醫別疏方。視所用藥,則仍前醫方也。因連進數劑,病霍然如失。公鎮烏魯木齊日,親為餘言之,曰:此鬼可謂諳悉世情矣。 |
もういつの頃だったかは忘れたけれど、たぶんまだ知り合って間もない頃だと思うけれど、島田先生に、気という言葉はいっそのこと須く気体と置き換えたらどうかと言って、そう簡単にはいかない、とたしなめられたことが有る。 |
盧霽漁編修、寒疾を患い、景岳全書を読む者を誤り延き、人參を投ぜられ,立ちどころに卒す。太夫人これを悔めり。哭くこと極めて慟然、一たび声を発する毎に、輒ち板壁の格格として響くを聞く。夜或いは床を繞り阿母を呼ぶ、灼然として辨じて霽漁の声と為す。 |
なにせ雍正二年生まれの耄碌であるから、自分でどう書いたか定かに覚えておらぬが、試みに声にだして読んでみれば、以下のようになろうか。 |
盧霽漁という(国史)編修(官)、寒疾を患い、誤りて『景岳全書』を読む者を延(まね)き、人參を投ぜられ,立ちどころに卒す(死んじゃった)。太夫人(=かれの母親)これを悔み、哭きて極めて慟(なげ)く。然るに一たび声を発する毎(ごと)に、輒(すなわ)ち〔=そのたびごとに〕聞くならく、板壁の格格たる〔カタカタなる〕響き、夜或いは床〔ベッド〕を繞(めぐ)り阿母〔お母さん〕を呼ぶを。灼然として〔=あきらかに〕辨じて霽漁の声為(た)り。 |
まあ、持っているひとはほとんどいないと思うので、宣伝にはなりませんが、『内経』という研究会誌もどきの同人誌?の119号(1999年2月)にそのあたりのことを書いたことがあります。 |
『閲微草堂筆記』卷十 如是我聞 四に: |
以上が、筆記の代表的な登場者であろうと思います。 |
閲微草堂筆記には、鬼のほかに狐もよく出てきます。こうしたジャンルの伝統なのかしら、それとも本当に狐付きが多かったんだろうか。 |
弓と簡体字の「馬」は、たしかに似ていますね。 |
縱弛の弛の弓偏を、入力者が马偏に見まちがえた、というだけのことでしょう。 |
実のところインターネットでダウンロードした閲微草堂筆記は、あんまりいい仕事じゃないと思いますよ。終わりのほうの「仏教は涅槃を極楽としている」に相当する原文が「佛氏以涅癅为极乐」になってます。癅は何かの都合で文字化けしたんだと思って改めました。それとも涅癅なんて熟語、本当に有るんでしょうか。少なくとも漢語大詞典には無いようですが。 |
小生所持の簡体字版『閲微草堂筆記』は、「縦弛」となっています。この語ですと、『大漢和辭典』に用例が載っています。そちらですと、今村さんの訳と符合しそうです。 |
そう言えば、今日は春節?! |
実はね、インターネットで簡体字版をダウンロードして、ワードのツール→その他の校正ツール→中国語の翻訳で繁体字化して、それを和訓もどきにしました。 |
春回大地,万象更新。 |
紀昀さまお持ちの『閲微草堂筆記』は、「縱馳」となっているのでしょうか。 |
屠者許方なるもの嘗て酒二罌を擔いて夜行き、倦みて大樹の下に息す。月明らかにして晝の如く、遠く嗚嗚の聲を聞く、一鬼叢墓中より出で、形状怖る可し。乃ち避けて樹後に入り、擔を持して以て自ら衛る。鬼罌の前に至り、躍舞して大いに喜び、遽に開きて飲む。一罌を盡し、尚お其の第二の罌を開かんと欲す、緘甫めて半ば啓き、已に頹然として倒れたり。許恨むこと甚しく、且つ之を視れば他技無きに似る、突に擔を舉げて之を擊つに、虚空に中たるが如し、因りて連けて痛擊を與う、漸に縱馳して地に委し、濃煙と化して一に聚る。其の變幻を恐れ、更に捶すること百餘、其の煙は地面に平鋪し、漸に散じ漸に開き、痕は淡墨の如く、輕穀の如く、漸に愈よ散じ愈よ薄く、以て無に至る。蓋し已に澌滅せり。 |
例えば、下駄を放り出して、裏返ったら雨、なんてことは子供の遊びに過ぎない、けれども、雨の前は大気が湿り気を帯びて、だから鼻緒も湿り気を帯びて、したがって若干重くなり、よって裏返る可能性が少しだけ高くなる、なんてことは有るかも知れない。だけど、横向きになったら雪、なんてのは、裏が雨で表が晴なら、横は何だ、雪だろう、なんて知恵者が思いついたに過ぎない。ましてやテルテル坊主をつるして、次の日を晴にする、なんてことは絶対に無理、とは言うものの、小学生の遠足の前の晩、軒にテルテル坊主をつるしたほうが安らかに眠れる、ということは有る。そこがまたややこしいところ。 |
自習 |
阪神大震災が有っても、貿易センタービルが崩壊しても、全然転機にはなっていない。何も変わっていない。今後、これだけは確かに転機になるだろうと思うのは、自身の死である。しかし、死後には何も無いと思っているから、つまり死後にも結局転機は無いことになる。 |
武江年表の天明三年に、浅間山大噴火の記事があり、「雷強く鳴り、……空へ向ひて鉄砲を放ち、太鼓を打て雷除をなす」とある。これははっきりと尾籠のさたである。では、どうやって雷対策をするか、は置いといて、せっかく鉄砲が有るのなら、「猪熊など出て、人馬をくらへり。猟師、鉄砲にて追退く」というのがまともだろう。太鼓だって少しは効く。でも、江戸で雷除けに鉄砲を放った人のほうが感謝されたかも知れない。 |
甲申神将の名は扈文長。扈は従者、また乃ち馬を飼う従僕。サルとウマの関わりを話し始めると長くなりそうだからひかえるけれど、まあ常識と言えよう。例えば、孫悟空が天界で得た官職は、すなわち弼馬温。 |
美猴王の姓が孫なのは、胡と言ったんでは狐を連想してしまうからではないか。晋の干宝の『捜神記』に、呉中に白髪の胡博士と称するものがいたが、実は年老いた狐であった、とある。また、時代はずっと下るが、『聊斎志異』で美女が登場したら大抵は幽霊か狐である。そして狐は多くが胡を姓としている。 |
西遊記の美猴王の姓は、言わずと知れた孫、封神演義の梅山の七怪の親玉である白ザルの姓は袁。孫は、漢語でサルを猢猻と言うことが有るが、その猻からけものへんを取り去った。胡では古と月で、つまり老で陰だから、成長できないから良くないんだそうな。実在の胡さんには失礼だろうに。袁は勿論、猿からけものへんを去った。 |
合谷の脈動異常によって口歯の病を知り、合谷の脈動異常をおさめることによって口歯の病を癒す。これは臨床実践からきた知識である。だが、手の陽明に大腸を配したのは、理論完整のための都合である。だから手の陽明の原穴を用いて大腸の病が癒されることが有ったとしても、その関連は疑ってかかるべきである。 |
北宋の首都は開封です。南宋の首都は、一般的には、今の杭州ということになってます。でも厳密に立て前を言えば、南宋の首都だって開封なんでしょう。杭州は臨安、つまり北中国を侵略されて逃げてきている行在所にすぎません。 |
清明は、シンとミンのふたつの王朝の名前かな?と思ったものですから。 |
王翰林は王惟一のことです。 |
王カンリンの名前を教えてください。 |
靈蘭之室に、いつまでも『難経』が無いのもなんだから、台湾故宮博物院のものをデータ化しようとしてます。内経から出ている和刻の影印より優れた点も確かに有るんですが、何だか変な本ですね。 |
これは『東京夢華録』(平凡社東洋文庫・入矢義高、梅原郁訳注)に載っているはなしだから、北宋のことだけど、注に「皇帝に近く、その個人的趣味ないし生活と関係する役所には翰林の二字がつけられる場合が多い」、だから医官局「これも正しくは翰林医官局と呼び、……皇帝への診察と投薬を受け持つ」、また金紫医官とは「名医のなかから選抜されて侍医となり宮中に宿直する国医、つまり翰林金紫医官のこと。翰林医官局に属する」とあります。 |
ここのところ酒の肴として「清明上河図」を楽しんでいる。勉誠出版の『アジア遊学』誌の特集号はすぐ購ったし、『東京夢華録』も勿論もっている。 |
例の風水パワーの黄色い財布、公正取引委員会が誇大広告として摘発したとかしないとか、テレビのニュースでチラッと耳にしたんだけど、残念ながら途中からしか聞けなかったし、その他のマスコミには載ってないみたい。 |
緒方修著す所の『蘭園藥斷』に曰く:烏泥哥兒の真僞は辨じ易からず、多くは鯨牙を以てこれに僞る。一に相似せること能う。但し、真なるものは文理繩の如く、これを横斷すれば則ち口に旋紋有り、其の色は蠟の如く、質は象牙に似る。先哲は犀角の一角なるものを以てこれに充てるも、其の説未だ詳らかならず。而して余は則ち以て別に是れ一種と爲す。 |
例えば、口歯に病が有るときには合谷に異常拍動が有る、あるいは合谷に異常拍動が有るときには口歯に病が有る、そして合谷に針灸を施すことによって口歯の病を軽減することが出来る。これは臨床実践の中から発見された事実である。 |
針灸理論のうち、迷信的方式によって導き出された部分は、須く疑ってかかるべきである。それでも、臨床に有効であれば、無碍に捨て去ることも無かろう、が、須く錯覚を疑うべきである。臨床実践の中から思いつかれた部分にも、効果を錯覚したものは有ろう。しかし、迷信的方式によって導き出された部分には、疑ってかかり用心して接すべきより大きな理由が有る。そんなことは当たり前であって、科学的という言葉に拒絶反応を起こし、どっぷりと迷信的世界につかっている巫医もどきは、我が党の士ではない。 |
三部九候論に: |
大学の文化祭で下品なふるまいをした教師と学生は、勿論はずかしい。だけど、謝罪を求めてデモをしたり、学生寮に押し掛けるのも、やっぱりはずかしい。 |
『金瓶梅』の主人公の名前は、どうして西門慶なのか。『水滸伝』中で、潘金蓮とよろしくやっているのが西門慶だからである。ではなぜ『水滸伝』中の好色漢の名前が西門慶なのか。さてそれは分からない。西門なんぞという姓は、ごく珍しい。有名なのは西門豹くらいだけど、これはとても西門慶の先祖に擬せられるような人物ではない。 |
ご病気の原因をみまするに、奥さまは肝脈の弦①が寸口②にあらわれ、そのうえ洪③が大きくなり、またその陰脈が寸口にあらわれ、それが魚際④まで伸びております。これは主として六欲七情から起こるもの。陰陽たがいに争い、そこで寒かったり暑かったりいたします。どうやら、中に結ぼれて遂げられぬ思いがおありのご様子。瘧に似て瘧にあらず、寒に似て寒にあらず。昼間はだるくてねむく、根気がつづかず。夜になると魂がからだから抜け出して、夢の中で亡霊と交わる。早くおなおしになりませんと、やがては労咳に変じ、命をなくすことになりましょう。まことに残念至極なことで。 |
小人適診病源,娘子肝脉弦出寸口而洪大,厥陰脉出寸口久上魚際,主六慾七情所致,陰陽交爭,乍寒乍熱,似有鬱結于中而不遂之意也。似瘧非瘧,似寒非寒,白日則倦怠嗜臥,精神短少;夜晩神不守舍,夢與鬼交。若不早治,久而變爲骨蒸之疾,必有屬纊之憂矣。可惜,可惜!(『金瓶梅』第十七回 蔣竹山による李瓶兒の診斷) |
折角、与太をとばせと言ってもらったんでひとつ。 |
掲示板「お茶の時間」の他に、酒亭「一角獣の微睡」なんてものが有るのは、つまり与太をとばすためである。だから、ここでの発言内容は若干割り引いて拝聴する必要が有る。早い話が、書いた本人も醒めてみれば青ざめるかも知れぬ。酔っぱらっての言動が無罪であるべきかどうかは知らない。ただ、管理者としては酔漢の大言壮語、タワゴトを楽しみにしている。 |
針灸治療の最も原始的な形態は、病処に針なり灸なりを施して、その局処の痛苦を改善することであったはずである。しかし、これを古代中国に誕生し、二千年来発展し続けてきた特色有る治療体系と位置づけるのであれば、経脈理論の登場を待たねばなるまい。 |
アメリカの大統領選挙が今おこなわれたら、現役の小藪さんが落選するんだそうな。 |
不足するものは、豪傑の胆力と将軍の霊活。ではどうするか。何もしないのが正しい。そうも行かないとなれば、手引き書をつくるにしくはない。 |
山東の微山県両城画像石に見られる人面鳥身は、少なくとも五つ有る。『山東画像石選集』(斉魯書社1982年 )の解説はその中の三つについて、神医と言っている。相対する患者とおぼしい人物もいる。 |
虚すればその母を補うという大法に従って: |
六部定位脈診をぶちこわすということで言えば、左右の寸関の心肝・肺脾を、手厥陰(少陰は使わないから)、足厥陰および手太陰、足太陰と置き換えて、寸同士、関同士を比較して、虚している方を採用して補えば、今言うところの六部定位脈診で割り出す経脈と大差無いんじゃないか。 |
この不可侵はおそらく英語のnonaggressionの訳語であって、つまりaggressionすることをnonと言っているのであって、ここでの話題では無いような。 |
北朝鮮がアメリカに望んでいるという「不可侵条約」の「可」って、どういう意味ですか。 |
火を発するに時有り、火を起こすに日有り。時とは天の燥けるなり。日とは宿の箕・壁・翼・軫に在るなり。凡そ此の四者は、風の起日なり。(孫子・火攻) |
……「天の我を亡ぼすにして、戦いの罪には非ず」と叫んだ項羽のように、軍事的勝敗の原因を天帝の意志や天道のめぐり合わせに帰そうとする思考は、陰陽流兵学と呼ばれ、古代中国ではむしろこの系統の兵学の側が優勢であった。こうした時代風潮の中にあって、敗北は決して天災ではなく、あくまでも人為の失敗だ、と突き放す孫子の言葉は、神秘的なものに敗戦の責任を転嫁しようとする甘えを許さない、冷厳な響きを持っている。……(浅野裕一『孫子』講談社学術文庫) |
たとえば「恐れる」という語を用いて「甲恐乙」と書けば、普通ならば「甲が乙を恐れる」という意味であるが、ときには「甲が乙を恐れさせる」という意味になることがある。これは「甲使乙恐」(甲乙ヲシテ恐レ使ム)と同じ意味内容であるので、この場合の「恐」を使役的他動詞という。そしてこのような場合「甲乙ヲ恐レサス」または「甲乙ヲ恐レシム」と読む。(西田太一郎『漢文の語法』角川書店 昭和五十五年十二月十日初版より) |
正確に表現するなら、訓読では、<原則的>に古文の「す」「さす」は用いない。
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日本語の「はしる」は、自動詞で目的語をとれません。これに対して、漢語の「走」は、自動詞であると同時に他動詞です。ですから、日本語訳は「はしる」と「~をはしらす」の両方の形をとらざるを得ません。例文は、「走らす」と使役の文と同じ形となりますが、これは日本語の問題であって、これを書いた漢ひとの意識とは、まったく関係はありません。 |
死諸葛走生仲達。(蜀志、諸葛亮伝注引漢晋春秋) |
「食らう」の未然形+「しむ」で「食らわしむ」 |
更持去、以悪食食項王使者。(史記、項羽本紀) |
而るに淺識の徒、俗に拘り常を守りて、咸世間に仙人を見ずと曰ひ、便ち天下必ず此事無からんと云ふ。夫、目の曾て見し所、當に何ぞ言ふに足るべけんや。天地の閒、無外の大いなる、其中殊奇のもの、豈遽に限有らんや。老に詣るまで天を戴くも、其上を知ること無く、身を終ふるまで地を履むも、其下を識ること莫し。形骸は己が自ら有する所なるも、其心志の然る所以を知ること莫く、壽命は我に在る者なるも、其脩短の能く至るを知ること莫し。況や神仙の遠理、道德の幽玄をや。其短淺の耳目に仗りて、以て微妙の有無を斷ずること、豈悲しからずや。(抱朴子内篇論仙) |
簡潔な口語というとき、実は次のような文章を念頭においています。 |
むかし、器用貧乏と言いかけて、おまえは不器用だろうと話の腰を折られてしまったことがあるけれど、本当は、器用貧乏とはつまり不器用ということ、と言うつもりだったんですね。何をやってもそこそこはできるけれど、金輪際玄人の域には達しない。 |
文輔(並河天民の子)性豪邁、また深く浮屠を惡む。嘗て一痼疾を治し、快復の後に文輔を招きこれを饗す。坐に修驗者有りて曰く、「われ肝膽を碎き、法力を盡し以てこれを祈る。故に病輒ち愈ゆ」と。文輔曰く、「われ藥力を以て此の疾を治す。何ぞ法力に預からん」と。互に爭いて止まず。文輔曰く、「然るときは則ち即に今、當に藥力と法力を比試せん。子は既に法力を以て此の疾を治すとするときは、則ちまた應に法力に以て人を殺すもの有らん。われは藥力を以て人を治すからは、必ず藥力して人を殺さん。子先ず祈りてわれを死せしめよ。われは忽ち子に一貼の藥を與え以て死せしめん」と。修驗者大いに懼れて服す。爾來祈禱するものは止み、服藥するものは蓋し文輔に創まると云。 |
思うに、本覚が驚きかつ喜んだのは、医の立場としては患いて後に出番が有ると思っていたところが、指摘されて、患者の立場としてはもともと病気にならないようにして欲しいこと、言い換えれば未病を治すという境地が有ることに改めて気付かされたからである。 |
智嚢記に曰く: |
……潘巧雲はなにゆえに潘を姓とするのか?二十世紀の五十年代の初め、『水滸』の作者ということになっている施耐庵に対して実地調査が行われたときに、ある種の説明が有った。施耐庵が『水滸』を著したとき、彼は張士誠の側に立っていたので、潘元紹と潘原明の人となりを卑しんで、そのようにしたのである。 |
明朝午前0時に緑豆の重湯を飲めば感染を防げる、と今日生まれた赤ん坊が告げた。【成都発】 |
香港・広州・北京で蔓延して、上海がダイジョウブである理由を一つ思いつきました。 |
連休に、物好き仲間とナマズを食べに行ってきました。 |
SARSって本当にそんなに怖い病気なの?(勿論、怖いんだけどさ)普通のインフルエンザよりも、うんとうんと怖いの?(勿論、怖いんだけどさ)抗生物質が効かないから怖がっているだけじゃないの?(抗生物質が効かなけりゃ、その分、死亡率も高いだろうからさ、勿論、怖いんだけどさ)近くでゴホンってされたらすぐ染って、高~い熱が出て、どんどん死んじゃうの?(インフルエンザより染りにくいって嘘なの?) |
身の周りに、死にたい死にたいと言っていて、本当に死んだ人はいますか。 |
キクチくん:コホコホ |
メソポタミア文明の遺物が略奪にあっている。 |
いつまでも「仮称」では、と言うことなので、いくつかの候補を: |
新聞で見たときにはちょっと心が動いたけれど、自分の必要な逍遙訳は手元にあるしと思って今回はあきらめた。 |
新潮社から『シェィクスピア大全』というのが出ました。CD-ROM一枚で32.000円。ちょっと値がはるので買っていません。でも、これ高くないんですよ。 |
「ダーガー展」について、朝日新聞の文化欄に大きく載っているのを見て、まさかと思いました。なぜいけないか、と詰問されても困るけど……。 |
厚顔無恥=国連憲章に違反する先制攻撃をしかけておいて、捕虜になったら扱いがジュネーブ協定に違反すると非難すること。
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選挙の時に、あまり賢すぎる(特によその国の)指導者も困ると言ったら、患者で大学教授のかたが、個人的に知っている人の全てが、一人の例外も無く賢いほうを支持している、とおっしゃった。 |
ぼちぼち、終了が近いので「ダーガー展」行って来ました。 |
鬼畜米英
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内経の談話室のほうに、山本さんが小田空『続・中国いかがですか』推薦の弁を書き込んでますが、いや偶然ですな。私の友人にも小田空ファンがおりまして……。 |
この間、筍の刺身と筍のステーキを食した。(他にもいろいろ有った。) |
何気なく漢和辞典を見ていたら乘黄に目が止まった。 |
『山海経』第七・海外西経に |
こちらの掲示板は、もっともっと酔狂なものにしたいと思うんだけど、なかなか上手くいきませんね。 |
中国で鬼というのは概ね幽霊のことだと言うのは、そろそろ常識になってきたと思うけど、それでは鬼が死ぬとどうなるのか。 |
前の掲示板を破棄しましたので、ここに貼り込んでおきます。(誤字や言い回しの間違いは、多少訂正してあります。) |