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こだまの世界

99年11月上旬号

私は、夜を徹して学び、労し、説き、教えました。 それはすべて、あなたへの愛のためでした。

--トマス・アクィナス


11月上旬の主な話題


何か一言


11/01/99 (Monday/lundi/Montag)

夕方

昨夜、下宿に戻ったあと、 研究室から借り出してきた『はじめの一歩』 第27巻から第32巻まで読む。 一歩、ついに日本チャンピオンに。 おもしろい。

『日本語練習帳』も読み終わる。 敬語の使い方などいくつか参考になるところもあったが、 なぜこの本が100万部も売れたのか謎だ。 みな、「練習帳」という言葉につられたのか。

それから少し勉強。明け方からお昼まで寝る。

シャワーを浴びて外出。 某喫茶店でピラフセット。 ジャンプ。それから大学へ。

ヘーゲルの授業に出る。 某教授に、「こだま君が来るなんてめずらしいな」と言われる。 いや、この授業はまだ二回しか休んでないんですけど。

授業のあと、銀行へ。 国民健康保険料の引き落としの手続きをし、 今月分を支払う。7250円。ぐえ。 年に9万近く払うことになるのか。 ひゃあ。

家賃を払うと、残高がほとんどなくなる。 今月もかなり苦しい。 学振様からお金をたくさんいただいてるはずなのに、 なぜなんだろうか。 これも謎だ。

情報研に行く。 某師匠と 《3回生、4回生に研究室のカギやコピーカードを渡すべきかどうか》 という議論をする。


今日やったこと


何か一言


11/02/99 (Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中

夜に大学から戻り、明日の読書会の準備など。 コンビニで買物をするついでと称し、 研究室へ。 日記の整理


ところで、上に引用したのは、 トマス・アクィナスの思想と生涯についての解説の一部分で、 アクィナスが臨終のときに述べたとされる言葉。 (山田晶責任編集、『世界の名著20 トマス・アクィナス』、 中央公論社、1980年、解説21頁参照) 誤解のないように言っておくと、 ここで出てくる「あなた」は、もちろん神さまのこと。

これを書いた山田晶氏は文学部の中世哲学史の先生だった人。 詳しくは知らないが、賢い人だったらしい。 ついでに、もう一つ引用。

京大に移った機会に、私は先生に乞うて下訳の仕事から釈放してもらった。 そのかわり京大で、毎週《スンマ》の演習を二つやることにした。 はじめ参加する学生は少数であったが、 次第に増えてきた。 私たちはあまり進まない。 この調子でゆくと、《スンマ》全巻を読了するのに、 二百年はかかりそうである。 ということは、つまり、 私たちの代には終わらないということである。 しかし私はそれでよいと思っている。 明治以来、日本の学者たちは、 あまりに西洋の思想を早くとりこもうとあせりすぎたようだ。 早く追いつこう、追い抜こうと、 息を切らしているようだ。 何故そんなにあせるのか。 学問の面白さは、涯しのない真理の大海のなかに身を投げ入れて、 その一滴を味わうところにはじめて生じてくるのではなかろうか。(14-5頁)

う〜ん、先生、いくらなんでもやっぱ200年は遅すぎる気がします。 では、たとえ2000年かかっても構わない、と言うんですか。

先生のお書きになった本を読むと、 49才で死んだアクィナスは、約7年かかって『スンマ(神学大全)』 を書いたとあります。200年あればアクィナスは4人生まれて死ねます。 『スンマ』も4冊書けてしまいます。

せめて20年で読み終われないんでしょうか。


ちょっとレイアウトを変えてみる。うまくいかない。


お昼

昨夜、パンなどを買ってから戻る。 しばらく英語の哲学事典でスコラ哲学者の項目を読む。 アベラール。ロンバルドゥス。アクィナス。その他。

4時すぎに寝る。 10時半に目覚める。 朝食をとってから、少し勉強。 それから大学にやってくる。


夕方

三コマ目、情報の授業に出る。 休憩時間に、 中央食堂に行って半額のサンドイッチを買う。 四コマ目、某君のロールズ。

そのあと、院生で 《3回生、4回生に研究室のカギやコピーカードを渡すべきかどうか》 問題を協議。 結局、 「コピーカードは全員に渡す。カギはとりあえず某秘書さんに渡す」 ということになった。 おれはあまり何も言わなかったが、 どうもみんな、学部生にカギを与えることには消極的なようだ。

某君に古本を一冊もらう。感謝。


倫理学史読書会する。 アクィナスの手前までのスコラ哲学。

勉強後、某所にて食事。 行く途中、 某君がバイクで一方通行の道を逆走しかけ、 警察のお世話になる。 さいわい減点されずに済んだようだ。

食事中、3回生の某くんや某くんに、 《研究室のカギ問題》の件を訊いてみた。 二人とも、そりゃ使えればうれしいが、という反応。 コピー機については積極的な関心を示していた。

v彼らの話を聞くと、カギを渡した方がよい気になる。 学部生との交流も増えるかもしれない。 気ごころの知れない連中も増えるかもしれないが、 それを「防犯上の理由」によって締めだすのはたしかに変だ。 また、たとえ研究室に来る人間が増えたとしても、 当分は某所があるわけで、心配することはないだろう。

他の院生はどう考えているんだろうか。 やはりみな、 《ただでさえ狭い部屋に、(少なくとも潜在的な)使用者がさらに増える》 ことに嫌悪感を覚えているんだろうか。

また、他の研究室ではどうしてるんだろうか。 久しぶりにアンケートを作ってみよう。 他学部、他大学の方も、よろしければ教えてください。

うちの研究室では学部生には部屋のカギを与えていない。
うちの研究室では学部生にも部屋のカギを与えている。
うちの研究室では学部生にも部屋のカギと専用の机を与えている。
うちの研究室では学部生にも部屋のカギ、専用の机、 さらに専用のコンピュータをも与えている。 (いいなあ、そんな大学)

何か一言

/

日記を書いていると猛烈な睡魔に襲われる。 少し椅子にもたれて寝てしまった。


ああそうか。 大学院生は研究室のカギを持っているものと想定して選択肢を作ってみたが、 いつか行った某大学のように大講座制で、 事務員がいるような大きな研究室ともなると、 きっと大学院生もカギを持っていないんだろうな。

ちなみに、うちの研究室には院生にも専用の机はない。


今日やったこと


何か一言


11/03/99 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

昼下がり

昨夜、某所でサンデーとマガジンを買って戻る。 紅茶を飲みながらマンガを読む。

『イエスという男』をしばらく読み、夜明け前に眠りにつく。

朝9時に起きる。 シャワーを浴びて古本まつりへ。今日が最終日。 ほんとに某書店は安いな。破格値だ。


お昼前に研究室に来て研究室関係者のweb日記を見ると、 大変なことになっている。(おおげさか)

研究室にいた某先輩や某氏にも見てもらい、少し話し合う。 某先輩は、 学部生の希望者にはカギを渡す方向で考えているようだ。 おれもそれでいいと思う。

アンケートにいくつか返事が来ており、 他の大学の様子を聞かせてもらう。 学部生と院生を分けて考えているところがある一方で、 学部生にもカギを与えているところもあるようだ。 どういう経緯でこういう違いが生じたのか、知りたいところだ。 学生運動とかも関係しているんだろうか。

院生用の部屋と、学部生用の部屋が分れているところもあるそうだ。 しかしこれだと、部屋がとなり合ってればまだいいが、 離れていたりすると院生と学部生の交流をとるのが大変だろう。 そもそも大学生と大学生はまったく別の生物だと 考えているのかもしれないが。


真夜中

昼下がり、某カレー屋で食事。 ガリレイ、少し読む。 それから下宿に戻って寝る。

9時すぎに目が覚める。 起きる寸前は悪夢を見ていた。 某所でお好み焼きを食べて研究室へ。

勉強せねば。


何か一言


11/04/99 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

midnight

something wrong. i cannot use japanese again.

my head aches a little and i've got a runny nose. obviously i've caught a cold.


dawn

i don't know why, but i've been studying so hard since last night. what has happened to me? :-)


early morning

tired. i studied a lot. but much more needs to be done before writing a paper for the presentation at the kan-rin conference.


first time to fill out a tax-deduction form. kind of interesting.


at night

went to a certain cafe this morning. playboy. looks like 'the child-porn act' has come into force since Nov. 1st.

then i went to a certain bank to pay the rent for this month.

i slept all day long. i woke up after sunset. this is not healthy.

took a shower and came to the E-lab. hungry.


around midnight

studying hard.

i shouldn't stay up all night, because i have a class (sklar) and a reading circle (bioethics) tomorrow.


what i did today


何か一言


11/05/99 (Friday/vendredi/Freitag)

真夜中

あ。とりあえず日本語が使えるようになった。

さきほど、某所でチャンピオンを購入してから某定食屋へ。 キムチ鍋。『ドカベン プロ野球編』第17巻も読む。

コンビニでモーニングを買い、読む。

さて。眠くなってきたが勉強せねば。


昨日に引き続き、 学振がすみやかな提出を要求している 「所得税に係る申告書類」というやつを書く。 朝、郵便局に出しに行くべし。

「年末調整」って、まさか給料減るんじゃないだろうな。 減ると困るんだけど。 年末にはロンドンで使ったクレジットカードの請求が…

勉強勉強。


「釈迦に説法」にあたる英語の諺は、 'teach one's grandmother to suck eggs.' なんだそうな。 「おばあちゃんに卵の飲みくだし方を教える」か?


早朝

わ。また朝になってしまった。 ここんとこやたらと勉強熱心だな。 いや、来週の火曜日の第二演習で発表しなきゃいけないから、 尻に火がついていてしかるべきなんだけど。


某ソファで寝ようと思ったがまだ眠れない。 まずい。スクラーの授業で居眠りしたらどうしよう。


早朝と朝というのは区別が付きにくいものであるが、 夜明けから9時までを早朝と考えたい。

スクラーを少し復習。こないだ休んだところ。 disinterpretとuninterpretとinterpretをどう訳せばいいのかわからない。 disinterpretというのは 「こだまは男である」という命題を「AはBである」 のようにすることであるらしいのだが。


昼下がり

朝9時すぎに郵便局で書類を発想したあと、 某喫茶店でモーニング。朝日新聞。 社説と読者の声を読むようにしている。 登校しているのは老人ばかりのようだ。

マフラーを買おうと思って某所に行く。 しかし、マフラーがなかったので、 しかたなくタートルネックの上着を買う。2000円ちょい。

それから下宿で1時間半ほど寝る。 目を覚ますと信じられないくらい眠かったが、 大学に来てスクラーの授業に出る。 167頁の終わりまで。 細菌、授業の進みが遅い。 かといってあまり早くても困るのだが。 さいわい今回は過大が出なかった。

お腹が減ったので中央食道でサンドイッチを買う。 とても眠い。


夕方、生命倫理学勉強会。 今日は某先生による「マイクロアロケーション: 患者の中から一人を選ぶ」。

医療資源が限定されているため、 同様の治療を受けたいと考えている二人の患者のうちの一人しか治療できない 場合、何に基づいて選択するか、という問題。

通常は「治療の必要性に応じて」ということになるが、 「必要性」という言葉の意味があいまいであると指摘される。 かといって、患者の持つ道徳的価値、たとえば社会的地位や家族構成など、は 基準として不適切。 クジもだめ。 じゃあやっぱり「必要性」という言葉の意味を社会的に決めないとしかたない。 というような話。

うう。眠い。


今日やったこと


何か一言


11/06/99 (Saturday/samedi/Sonnabend)

昼下がり

うう。もうこんな字間か。

帰納は生命倫理学の読書会のあと、 非情に疲れたので帰ってこんこんと寝てしまう。

お昼過ぎに起きて西部に行き、NFのチケット代を払う。 きっと今年で最期だろうなあ。いやはや。

それからようやく研究室へ。勉強勉強。


勉強中。うう。間に合うのか。

お腹減った。 よく考えたら起きてから何も口にしていない。


某定職屋に行き、カキフライ定職。900円はちょっと高いな。 古いスピリッツを読む。近くのスーパーで牛乳を買って研究室へ。


真夜中

勉強中、少し居眠りしてしまう。 カゼを引いた気が。


何か一言


11/07/99 (Sunday/dimanche/Sonntag)

真夜中

勉強中。Amazon.comで本を注文してみた。初体験。 一冊しか頼まなかったので、 郵送費が高くついてるのかもしれない。 ついでに古本のサーチも頼んでみる。


う〜ん。歌謡日までもうほとんどない。 今日午後からの加藤・山折対談にはいけそうにない。 すいません。

オーストラリアは共和制になれなかったようだ。 立憲君主制(イギリス女王が元首)をやめて共和制に移行するか どうかを国民投票で決めたらしいが、 だめだったらしい。


あ、そうか。あまり歴史的な読みには関心がないんだけど、 ベンタム前後の時代に使われていた「共通善common good」という言葉は、 イギリス本国が植民地に対して税金などを課すときの正当化根拠として 利用されたのか。邪悪な言葉だったんだな。

18世紀英国の政治思想は、革命後の社会の状況を反映していた。 18世紀前半には、 1688年の革命とその二つの産物--新しい政権と新しい英国国家-- を正当化する必要性が、政治的議論の枠組みを形成した。 18世紀後半には、 帝国内で増加する摩擦と宗教的寛容の範囲を広げよという新たな要求が 新しいテーマと新しい力点をもたらした。 植民地の反乱とフランス革命が一緒になり、 1688年の(革命を正当化するために用いられた) 概念(を表わす)言語の有用性に対するもっとも厳しい挑戦を突きつけることになる。

初期近代ヨーロッパにおいてはまだ主権者と主権との区別がなされており、 また抽象的なものよりも人に対しての方が忠誠心を生み出すの容易だった (そして今日でもそうである)ので、 変則的な王権の継承によって服従の基礎が損なわれてしまった。 ジェームズ二世が亡命しウィリアムとメアリが王位を受け継いだことにより、 しっかりとした忠誠心を再び確立すること --これは以前にはイングランドで チャールズ1世が処刑され共和制が創設されたとき(1649年)に生じた問題である-- が主な政治的急務になった。 革命直後の時期に、革命の擁護者と反対者は抵抗の正当性、 王位継承の合法性、議会の権限、王の権利といった問いを議論した。 必須とされる忠誠の誓いを一部の小さいが声の大きい人々が 行なおうとしなかったことは、合意の不在を示している。 英国国教会の精神的および世俗的役割を強硬に擁護する者 --いわゆる高教会派--は、王の神権が議会によって踏みつけにされることは ありえないと論じた。 王に抵抗する権利さえ、 《主権者の権力は共通善を確保する彼の義務に由来する》 という根拠によって支持された。 すなわち、彼がその義務を果たせなかった場合に、 その権力が失なわれる、というわけである。 18世紀が進むにつれ[う、変な日本語だな]、 「革命原理」の基礎であったこの主張は、 権力を持っていない人々によって、 権力を握っていたウィグ党の人々に対して向けられることになった。 権力を持っていない人々に含まれていたのは、 単に不満を持ったあるいは排除された政治家だけでなく、 より少数であるが、 1690年代の早くから支配者層あるいは「ジュント」と袂を分かった著作家たちもおり、 この著作家たちは近代ウィグ主義はどうしようもない欠点を持つと考えていた。 これらの人々は、ミルトンやハリントンの「古き良き大義」を掲げていたので、 「真の」ウィグとか「共和国人」とか呼ばれていた。 かつてはあからさまな暴政が公共の善に対して専制による脅威をなしていたのに対し、 今や公共善は議会の腐敗というコソコソした行為によって脅かされていると 彼らは考えた。

政府の支持者と反対者はそれぞれ自分たちの方が愛国的だと主張した。 言い換えれば、 自分たちの方が共同体の幸福のことをしっかり考えていると主張した。 この国内での議論は国際的な問題の結果、その形が変わった。 英国の帝国の統治は、18世紀の中葉になるまでは 腐敗とか愛国心の議論にかかわることはほとんどなかった。 潜在的な問題について警告した数少ない著作家たちでさえ、 国家と帝国の政治を別物だと考える傾向にあった。

七年戦争(1756年-1763年)がすべてを変えた。 帝国の状態の議論は、 商業的価値を大きくする手段に焦点を合わせる傾向にあった。 しかし、カナダとインドが加わることにより、 帝国の統治者は今や、 それとは異なる問いを投げかける物理的な現実に対処しなければならなかった。 基本的に、 商業的帝国(の各属国)は財政的に自足し、 母国への輸出によって自国の入用を賄うことが期待された。 けれども、領土的帝国は、 より巨大でそれゆえより費用のかかる行政および軍事制度を必要とすることを 置いておくにせよ、 あまりに巨大で、利益の上がるような経済的関係を築くことはできなかった。 それゆえ、英国は、1763年に、 こうした費用のいくらかを支払うために、 植民地税を導入することにしたのである。 これに続く植民地税の議論は、 はじめは帝国の主権の所在についての議論と考えられていたが、 まもなく大英帝国の議会、特に下院の至上性を正当化していた《代表》 という基本的な考えに挑戦するという様相を呈したのである。 自分たちの大義を演説や説教やパンフレットで表明した 「アメリカの友人」たちは、 《ちゃんとした代表制度がない》という ヴァージニアやニューヨークの住人の不満は、 (本国の)マンチェスターやリバプールの住人たちが持つのと 同じくらい正当な不満であることを直ちに見抜いた。 といっても、政府やその支持者はまさにこの(本国人に対する)不正を 《植民地人だけが不当な扱いを受けているわけではない》しるしとして 指摘していたのだが。 基本的に、18世紀の第三の四半世紀に生じた帝国の危機によって明らかになったのは、 大西洋帝国は単一の共同体ではなく、 それゆえ単一の共通「善」を持ちえないということであった。 革命だけでなく個々の政策も絶えず、またおそらくは不可避的に 共通善への訴えかけによって正当化されていたのだから、 この恐るべき植民地の主張は、 帝国の行政だけでなく18世紀の英国国家の基礎自体に問いを投げかけるものであった。

《個々人は彼らの具体的な「共通」善を代表者を選ぶことによって決める》 という議論は、 議会を運営するのに用いられていた当時の慣習と根本的に衝突していた。 財産資格の存在によって選挙民の大きさと性格が制限されていた。 borough chaters(都市の特権? 選挙区のこと?)の法的操作と、 役人あるいは政府に依存しているものを当選確実な選挙区に送りこむことにより、 議会の成員は与党が認める人々に限定された。 この選挙操作をどうにかせよという要求は、 改革を17世紀の内戦と同一視することによって阻止された。

Joseph Priestley, Political Writings, Peter N. Miller ed., Cambridge UP, 1993, pp. xi-xiv.

あ。あかん、こんなことやってたら朝になる。


夜明け前

夜半3時半ごろ、小さな地震があった。震央は福井県沖。 京都の震度は2から3。研究室も揺れました。


早朝

発表原稿、できつつあるような、ないような…。

新しいことを言うのは難しいものだ。 権威のある思想家と同じことを言うのなら、 たいした心理的圧力はないが、 それと反対のことを言う場合は、 「ぜんぜん的はずれのことを言ってるんちゃうか」 とか 「なんか大きな前提を忘れてるんとちゃうか」 とかいう心配と戦う必要がでてくる。

そのような心配を打ち消す方法は、 論理的思考が得意な人なら、 理詰めで考えればよい。 そうでない、直観型の人なら、 他人に相談して誤りを訂正してもらえばよい。

おれはどう考えても後者だな。

あ。もう一つ方法があった。 自分より先に本を書いているやつはみんな馬鹿だと考え、 批判されるのは当然だとみなすこと。 特に日本人の研究者が書いた本は信用しないこと :-) いや、これじゃだめだ。 外国語で書かれているからといって、 ありがたく押しいただかないこと。


ハートと深田三徳は功利主義と自然権論の決定的な違いを 「総和最大化」と「配分的正義」に見ている。 しかし、ベンタムがこの論点を見いだしていたかというと、 どうもそのようには思われない。 では、ベンタムが自然権論に見た重大な欠点とは何だったのか。 (つづく)

論文を書くときはたくさん勉強するから賢くなった気になるなあ。 歯。歯歯。歯歯歯歯歯。


朝、喫茶店がどこも開いてないので、 某所にて朝食。鮭定食。450円。なかなかよい。

下宿に戻る。 Brandtも功利性と権利について何か言ってるようだが、 よくわからない。もっとわかりやすく書いてくれ。

お昼前から夕方まで寝る。起きてシャワー。 ちょっとギターの練習をしてスタジオへ。 途中、某所にてMD*5を購入。800円ちょい。

今年のNFでは1曲しか歌わないのだが、 最近は歌の練習をしていないのですぐに声が出なくなる。 これではだめだ。

練習のあと、みんなで某所へ。海鮮丼。880円。いま一つ。

研究室に来たがとても眠い。寝てる場合ではないのだが。


今日やったこと


何か一言


11/08/99 (Monday/lundi/Montag)

真夜中

研究室のソファで毛布かぶって三時間近く寝てしまう。 すいません。 余裕がないのです。


まじめに勉強中。まじめすぎて恐いくらいだ。


某コンビニで1リットルの牛乳を買ってくる。 紅茶に牛乳をガバガバ注いで飲む用。 牛乳その他で900円ちょい。


夜明け

わあ。また夜が明けてしまった。

重要なトゥワイニングの論文をまだ読んでなかったことに気付く。 あれえ。以前に一度読んだものとばかり思ってたんだけど。


18世紀末、みんな「自然権! 自然権!」って叫んでたときに、 ベンタムのように「自然権なんかバカげている。ナンセンスだ」 って言うのは勇気が要ったろうなあ。 ガリレオほど大変じゃなかっただろうけど。

フランス革命を熱狂的に支持したプリーストリ(イギリス人)は、 反動的な群衆によって家やら研究室やら教会やらを破壊されたらしい。 結果的にプリーストリは米国に移民することになった。

ベンタムはフランス革命の理論を攻撃して保守反動化していたし、 なにより人権宣言を徹底的に批判した「無政府主義的誤謬」 が英語で出たのは彼の死後だったから、 そういうひどい目に遭うことはなかったわけだけど、 それにしてもそれまで政治思想において主流であった自然権論の流れを 立ち切ろうとしたのは、成功したかどうかは別にしても、すごい。 コペルニクスになぞらえるのは行きすぎだろうが、 しかし程度は違うにせよ同じ種類のすごさを感じる。

あ。ほめちぎってる場合じゃない。勉強勉強。


勉強中。集中力が失なわれて、1分おきにWEBに気がいってしまう。

どうでもいいが、ちょっと誤変換してみよう。 権利昇天、権利商店、権利笑点。権利選言。 誤変換は同音異義語の勉強になるのでどんどんやるべきだと思う。 (しかしSKKの辞書は自分で増やしていかないと語彙数が貧弱なので、 あまりこの遊びができない)


「政府に対する抵抗権」なんていう考え方は、 今ではちょっと容易には理解できない気がする。 そう思うのは以下の理由による。

この考え方はおそらく、 「政府に反抗することが正しいということは、 絶対にありえない」 という考え方に対するアンチテーゼだったのだろう。 「ひどい悪政に対しては抵抗することが正当化されることもある」 と主張しなければならなかった背景には、 このような対立項があったに違いない。

しかし、 親や政府に反抗することは当然だと思われている今日においては、 なぜわざわざ「抵抗」 などと主張しなくてはいけなかったのか理解しがたい。 「ひどい悪政に対しては抵抗することが正当化されることもある」 なんて当たり前の話ではないか、というわけである。


うう。明日の発表に間に合うんだろうか。


ひい。もうこんな時間。

朝、附属図書館に行って本の検索をしたり、 書庫に入って本を借りたりする。 どうやらD1になってから一度も附属で本を借りてなかったらしく、 なにやら書類を書かされる。

附属でカード検索したところ、 W. StarkのJeremy Bentham's Economic Writingsは 農経にあることがわかった(1371505)。 また、D.D. RaphaelのPolitical Theory and the Rights of man は、法学部図書室にあるようだ(AIII/8-3/R7)。

それから某喫茶店でモーニング。ジャンプ。

下宿に戻って洗濯をし、日が暮れるまで寝る。 起きてからシャワーを浴び、大学へ。 しばらく勉強したあと、 某所でエビフライとクリームコロッケ定食。 腹がふくれる。

それからまた研究室へ。眠いが勉強せねば。


真夜中

そういえば、大野晋は「〜のである」 という表現をなるべく使わないようにと指導しているのである。 その理由は、この表現は、読者に対して「こんなこと知らなかっただろう」 と偉そうに語りかけているように思われるからなのである。 彼は、いっとき、自分で書いた文章を推敲するさいに、 すべての「〜のである」を消していたそうなのである。

子曰く、 「歯を磨いて口をゆすぐときに三三七拍子にならないように気をつけること」

(え、おれだけ?)


何か一言


11/09/99 (Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中

トゥワイニングの論文、読む。うう。どないしょ。 まだ書けんがな。あかんがな。おがあぢゃん。


某所のソファで二時間ほど寝る。寒い。死ぬ。

ふたたび、「のである」についてなのである。 もちろん、大野晋も、すべての「のである」を否定するわけではないのである。 彼自身は先に述べたような格律(文中のすべての「のである」を消すべし) を持っていたときがあったのであるが、 「のである」が強調として有効に使われる場合も認めているのである。

以下は、『日本語練習帳』からなのである。 あまり多く引用すると訴えられるかもしれないので、 要点だけなのである。

(「この橋が永代橋と言ふのだ」という例を取りあげて) 「お前は知らないだろうが、永代橋というのはこの橋だ」 と相手に教えているところです。 大学の先生は講義の中で、しきりにノデアリマスを使う。 「君たちは知らないだろうが、こういう事実があるんだよ」 という気持をこめた表現です。 だから、大学教授の本にはノデアルが多い。92頁

これらのノデアルは要るのか。どうすればよいか。
取り去ってしまえばいいのです。 話のときにノデアリマスを使うのは、 話に区切りをつけて教示・説明をまとめていく役目があります。 しかし文章ならば、読者は分かりにくいときには、 前に戻って読み直すこともできる。 それを一つ一つノデアルを使うと、 書き手の思い入れの強調になってくる。 何となく著者の高い姿勢を示すようにも見える。
私はある時期、 「ノデアルを消せ」と自分に言い聞かせて、 書き上げた原稿のノデアルをすべて消したことがあります。 かえって文章がすっきりして強くなる。
もちろん、ノデアル・ノダが有効に使われている例もあります。94-5頁

(例を示したあと) ただ一つあるノデアルは「こんな事情があることをご存じないでしょうが、 これは大切なことですよ」という意味で適切に使われていますし、 最後のノダは「強調」として妥当と思われます。 ノデアルやノダはこんな具合に使うのがいい。97頁

(大野晋、『日本語練習帳』、岩波新書、1999年、強調は筆者、 カッコ内はこだまの補足)

あらら。実質的なところは全部引用しちゃったなあ。 まあ、これも販売促進のための宣伝なのである。

こんなことやってる場合じゃないのである。


夜明け

あっか〜ん。また日は昇る。あかんがな。あかんがな。やめてんか。 せっかく一生懸命勉強してんのに。間に合わへんくなるやんか。 い、いやや。いやや。いやややややや。


早朝

荒唐無稽かどうかは置いておくにせよ、 自然法、自然権、契約論というのはほんとに壮大な物語だと思う。 イデア論とも無関係ではないと思うが、 イデア論と同じくらい壮大な世界観を示している。 昔の西洋人は、 現在とは(おそらく)まったく異なった風に世界のしくみを理解してたんだよな。


関倫発表当日。 こだま、司会者に紹介されて壇上に上る。

こだま「あ、あの。じ、実はまだ原稿ができてないんです。 まことにもも、もうしわけありません。 か、か、関倫だけにカンリンして」

会場が一瞬にして沈黙に包まれる。数ヶ所からせき払いの音。

こだま「か、か、関倫だけにカンリンして」

司会者が一言「退場」。 壇上近くの扉から白衣を着た人が数名やってきて、 うつむいて「これは悪夢だ」とつぶやき続けるこだまを連れさる。 会場からいくつかのタメ息の音。


お昼前

某喫茶店でモーニング。 プレイボーイ。 そんなもの読んでる場合ではないのだが。


何か一言


11/10/99 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

お昼過ぎ

昨日は一応、 第二演習で予行発表をさせてもらった。 3コマ目はサボらせてもらい、 4コマ目の途中から参加。 まだちゃんとできてなかったので、 よっぽど発表を中止しようかと思った。 が、関倫で恥をかくよりはましだろうと思い、 4コマ目の某氏の発表の後に発表した。

発表はさんざんで、 疲れていたせいか質問もあまり理解できない。 とにかくまだまだやるべきことが多いことがわかった。 関倫まであと数日がんばらねば。

それから倫理学史読書会。アクィナス、中世神秘主義。 シジウィックの説明が通りいっぺんのものであるせいか、 あまりおもしろくない。

読書会後、 たまたま新館の入口で会った某君も含めて、 某所でスパゲティ。 1時間半あまり楽しく食事する。

食事後、まっすぐ下宿へ。 風呂にお湯を入れているあいだに寝てしまう。 真夜中に起き、本を読んだり風呂に入ったりする。 夜明けごろに再び眠る。

お昼に悪夢に起こされる。 よく寝たが、時間的にはそれほど寝たわけではなかったようだ。 洗濯物を入れ、賞味期限が切れた牛乳をコップ2杯分飲み切り、 大学へ。 来る途中、某喫茶店に行くと満員だった。後でまた行こう。


そういえば、帰納、某君から古本をまた一冊もらった。 某君は親切なり (第二演習には来なかったけど)。

Amazon.comからSabineの古本が見つかったとメイルが来ていたが、 高かったので断わった。すいません。


夕方

農学部図書室へ初めて行く。 北部構内の建物はほとんどが理学部のものであるようだ。 どこか総人のA号館を思わせる農学部の建物の中をしばらくさまよい歩く。 どこの部屋でもみな白衣で試験管をいじっている。

しばらく探したが図書室が見つからない。 そこでよくよく案内図を見ると、 2階にあることがわかった。 図書室に入り、司書の方に頼んで書庫にある本を取ってきてもらう。 しかし、どうも他学部の学生でも自由に書庫に入れるようだ。 文系の図書室とは違い、 本に対して余計な執着がないように見える。

それから某書店へ。 図書館で借りた3冊の本を裸で持って入ったので、 そのまま手ぶらで出ると、 出るときに何か言われるんじゃないかと思い、 買いたい本をどうにか見つけだし、一冊購入。無駄づかい。

そのあと某喫茶店に行きミックスサンドのセット。サンデー。 H2が終わり。

夕方に情報研へ。 某師匠にお願いして、 emacsの不具合を直してもらう。感謝。

腹を壊す。牛乳のせいか。


ああ。勉強しないうちにもう日が暮れてしまった。

明日おれが生きてるかって?
う〜ん、わからないなあ
明日おれが生きてるかって?
ちょっとわからないよ
だけどはっきりしてることは
今日のおれは生きてないってことさ

Jimi Hendrix, I DON'T LIVE TODAY

ジミヘンの言うとおり、 「なんてこった、こんな風に時間を無駄に費すなんて」。

前回の練習のときに録音したMDをテープに落としたものを (悪文だ)、 ドラムのやつに渡す。それからルネに行って少し本を買う。 科研費がそろそろ底を突く。

昨日から左肩が凝って仕方ない。 肩が凝るなんて珍しいのだが。


何か一言

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KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Thu Nov 11 09:01:40 JST 2010