オールドマン「わしは運は信じない。運とは、天才の業績を説明するため に二流の連中の与えた名称なのだ」
(R・A・ハインライン、 『人形使い』、309頁)
いやはや、忙しいっす。 (しばらく体育会系語尾「〜っす」を使うことにしよう)
朝、下宿で書類を書いていると、 学部のときに講師をしていた塾から電話が来たっす。 週二で中三を教えてくれないかとのこと。 しばらく考えてから二三日中に返事をすると答えたっすが、 申し訳ないが断わるつもりっす。
下宿でしばらく寝ようと思ったっすけど、 すべきことが目白押しだったので、 あきらめて大学に来たっす。
先にルネっす。 いろいろ悩んだ末、本を3冊買う。散財っす。
上の2冊はCD付っす。 単語、熟語集のたぐいでCDが付いてないのはそれだけで却下っす。
用事で百万遍郵便局っす。
それから文学部の事務に行って成績表をもらってきたっす。 げっ。75点があったっす。
さらに文閲っす。ハーバート・スペンサーの本を探したっす。 Principles of Ethicsは見つからなかったっす。 誰が借りてるのか大体想像がつくっす。
そして最後に中央食堂っす。つなかに丼というのを試してみたっす。 なかなかうまいっす。
さ、雑用は済ませたし、勉強せねばっす。しかし眠いっす。
あれ、いつのまにかだいぶ日が長くなったみたいっす。
眠いので『イギリス留学事典』をぱらぱらと読む。 なるほど、 英国の大学院にはTaught Courseというのと Research Degreeというのがあるらしいっす。
前者はカリキュラムに従って勉強して論文を書くもので、 うまくいけば一年間でMA(Master of Arts)が取れるらしいっす。
後者は、先生の指導を受けながら自分で独自に勉強して論文を書くもので、 修論は最低2年、D論は最低3年かかるらしいっす。
ううむ。ちょっとかっこ悪いのかも知れないが、 きちんと勉強するためにはMAが一番良さそうっす。
しかしまあ、もうちょっと情報を集めるっす。
もう夜っす。まだ勉強してないっす。
さっき某師匠とルネに行って買物してきたっす。
眠いっす。
椅子でちょっと寝たら腰が痛くなったっす。 ストレッチするっす。
眠いっす。BMOR読書会の予習。 ホッブズ難しいっす。もう寝るっす。
おはようっす。ソファで爆睡っす。
東京から戻ってきた某ロールズ君におみやげをもらったっす。
感謝っす。
某喫茶店でモーニングっす。 久しぶりに新聞を読み、 遅まきながら脳死移植の話を知ったっす。
しかしっす、なぜ新聞はあんなにでかいのだろうっすか。 A4サイズとか、新書サイズにすると電車でも読みやすいだろうにっす。 新書サイズだと本棚にどんどん置いていくこともできて便利だろうっす。
それから少し大学のそばの古本屋めぐりをしたっす。 少しだけ買ったっす。
ayerとhareのWS接続届を出したっす。
さ、勉強勉強っす。
BMOR読書会終わりっす。疲れたっす。
それから某ロールズ君と中央食堂で遅い昼ごはん。 ようやく一息付いたっす。
コンパニオンの訳を作っていると、 猛烈に眠くなってきたので、 椅子を二つ並べて1時間弱眠る。 しんどいっす。
とりあえず訳を作り終えて某氏にメイル。 研究室にたくさん人がいるので、 声を出してフランス語を勉強するのはひんしゅくかと思い、 某所に移動。
う〜む。あとは主だった文法事項はきっと条件法と接続法ぐらいっす。 (半過去とかもあるらしいっすが)
ちょっと『普遍文法』(Grammaire Generale et Raisonnee) の最初のとこ(p. 5)を見てみよう。 どのくらい読めるようになっただろうか。
`La Grammaire est l'Art de parler.'
「文法は話しをするための技術っす」
(l'art de+不定詞で「〜する術」という意味らしいっす)
`Parler, est expliquer ses pense'es par des signes,
que les hommes ont inuentez a` ce dessein.'
「話すことは、記号によって自分の思考を説明することっす。
人間はそのために記号を作ったっす」
(inuentezというが見つからなくて困ったっす。
結局OED(!)の全文検索で、
これがinventerの古い形らしいことに気付き、
上のように訳したっす。
しかしっす、
複合過去形のように見えるのになぜ過去分詞形がinvente'ではないのだろうっすか)
あっ。 なんで倫理学研究室の冷蔵庫にメロンがあるんだろうと思っていたら、 おれが2月21日の日記で 某君に暗に要求していたのだった。 いやはや。すっかり忘れていたっす。 何はともあれ、感謝感謝感謝感謝感謝感謝感謝っす(←感謝の連射)。
(次のコンパニオン読書会のときにみんなでありがたくいただくっす)
hareにフリーのNisus Writer (Nisus Compact)をインストール。
BMOR読書会のまとめ。眠いっす。目も痛いっす。
某ラーメン屋1も某ラーメン屋2もやってなかったので、 吉田山の麓にあるテントのおでん屋で食べる。 うまいっす。
起きたら春になっていたっす。
昨晩は、夜明け前に寝てお昼前に起きたっす。 入浴、洗濯、ロック読書会の予習をしてから外出っす。
家賃を払うのをすっかり忘れていたので、 いそいで某銀行にて振込んだっす。
それから某喫茶店でミックスサンドのセット。 サンデーっす。
昼下がりから今までロック読書会っす。 今日は第3巻第5章第8節から第11節までっす。
hareにメモリを増設したっす。
前未来形とか、半過去形とかって、 名前だけ聞くと全然内容がわかんないっすね。
下宿で勉強っ。
風呂に入った後、 長くなってきた前髪を少し切る。 失敗っす。
夕方から大学っ。
倫理学入門読書会(マイケル・ルース「進化の重要性(意義)」その1)終わりっ。 社会ダーウィニズムの説明と批判っ。 ダーウィンの進化論を基礎とする社会ダーウィニズムは、 自由放任主義や優生思想など多様な倫理規範を支持したが、 その理論的基盤は弱く、生物学(「進化」と「進歩」の混同) からも倫理学(「である」から「べし」を不正に導出している) からも批判を受けた、という話っ。 ところで、今回からは司会兼添削者が新M1の某ノージックさんになったっ。
読書会後、某師匠と某ノージックさんと某所で食事っ。 科哲な話をしたりっ。
そのあと、某師匠と某古本屋へっ。
さ、ちょっとマンガを読んだら勉強しないとっ。
『普遍文法』 (Grammaire Generale et Raisonnee)の続き(p. 5) を読み解いてみようと思ったら、 単語が一つわからないので行きづまってしまった。 どうも古いつづりかなんからしい。 だれか教えて下さいっす。
`On a trouue' que les plus commodes de ces signes, estoient les sons & les voix.'
↑この文中の`estoient'という語。
謎はすべて解けたっ。 って、親切な方に教えてもらったんすけど。
estoientのsは、古いフランス語においては、 eがe^になる、ということを示しているそうで、 だから、現代風につづると、e^toientになるらしい。 それで、これはe^treの半過去形の三人称単数の古いつづり字の一つなんだそうだっ。 (現在ではe'taient)
だから、`On a trouue' que les plus commodes de ces signes, estoient les sons & les voix.'は、 「ある人が、 こうした記号のうちでより便利なものは音や声であるということに気づいた」 とかいう風に訳せるようだ。一件落着っ。情報感謝っ。
某先輩のゲラの校正っ。 あと少しで終わるっす。 が、続きはまた明日。
ソファで爆睡っす。 あまり覚えてないっすが、 そういえば寝てる間に某君が来たような気がする。 …寝ててすまんっす。 もうじきお迎えがくるのでそれまでがまんしてくださいっす。
某喫茶店でモーニング。チャンピオン。 ついでにかばんに入れて持ってきていた『はじめの一歩』第14-5巻も読む。 おもしろいっす。
勉強勉強っす。
BMOR読書会の予習。ホッブズっす。
ちょっと、昨日買った『娘の愛と生活』から、 倫理学的に興味深い箇所を引用するっす。
マン・ハント無用
引く手あまた、ということになれば、もうマン・ハントなんて必要はないのです。
そうです。じつは若い女性にとって、マン・ハントだの、 ボーイ・ハントなんていうものは、 初めっからぜんぜん必要ではないのです。 あんなものは、やりたい人にやらせておけばよいのです。 あんなことをやるのは、自分の持っている女の真価、 底力に気づいていない女性なのです。
女の本質は、花です。 万色撩乱たる花であります。 静かに咲いていれば、どんなところにいてもそこへ蜂が訪れるのです。 花がノコノコ歩いて行って蜂をつかまえる、 そんな馬鹿なことがあるものではありません。
自己観察を怠る女性は、 そのことに気づかないので、 年頃になってバタバタします。 釣人が、いつまでたっても釣れそうにないので、 竿を逆さに持ちなおして、 ガバガバと水面を掻きまわしているようなものです。 はては、裸になってザブンとばかり飛びこんで、 魚を追いかけまわす、というようなもので、 まことにブザマなことです。 女性を釣師に例えたのはたいへん失礼ですが、 やはり女性は、「待つ」のが正しいのです。 なんだか大昔のモラルを持ち出してきたように思われるかもしれませんが、 どうして、これこそもっとも現代的な女性の生き方なのであります。
ただし、「待つ」といっても、やたら男性のことばかり夢見て、 キョロキョロともの欲しそうにしているのは困ります。 加山雄三さんの楽屋あたりをうろうろして、 「さあ、わたしは花ですよ。蜂さんどうぞ」 なんていったって、そうはうまくまいりません。
むしろ、男性のことなんかしばらく忘れて、自分を磨くのです。 女という花を育てる、 というより、人間という大輪のバラを、菊を、 日日やすみなく育てるのです。
働く女性は美しい----と申しますが、 同じように、人生の勉強に打ちこむ女性もじつに美しいものです。 「自分を見つめ、世間を見つめ、本を読み、親に喜ばれる娘となり、 私利をはなれ、人々の喜びを見てわが歓びとする女性----」 そんな方向を目ざす女性(己れを知る女性)を、 人々がどうして放っておくでしょうか。 いいえ、もしそんなあなたに、 魅力を感じないぼんくら男、 メクラ男ならば、こちらからおことわりです。 「どうぞおかまいなく」といえばよいのです。
世の中はふしぎです。 神秘です。 あなたが50の勉強をすれば、50の値うちの男性があなたに声をかけるのです。 もしあなたが、100の勉強をすればかならずや100の力をそなえた男性が、 やァどうもどうも、と現われてくるのです。
こうなれば、もうあなたは相手を選ぶことさえ不必要になってくるのです。 「女にだって選ぶ権利はあるのよッ」----なんて、小ざかしいかざりです。 そんな人には、選ばなければアブナイほどクズばかりが寄ってくるのでしょう。 大自然の仕組みは、そんな非科学的なのものではありません。 もっともっと、よくできているのです。
すなわち、自分をきたえる勉強が終ったところへ、 サッと現われた彼、それはかならずや、 あなたの理想の男、あなたを夢中にさせてくれる男性なのです。 夢のように甘く、太陽のように燃えたつ恋愛のできる女性は、 日ごろから人間的な力をたくわえているものです。 理想の恋人は、与えられるべくして与えられたもので、 一時のお化粧ではダメなのです。 チャーム・スクールのレッスンぐらいではムリなのです。
もっと深く、自分の奥底を見つめていただきたいのです。 正しい自己観察は、自然な自己表現につながるのです。 さらに、そうした自己表現は、眼に見えずとも人の心に伝わるものです。 誘いに出かけずとも、 ハイ・ヒールで背のびをしなくても、 人々は、あなたの真価を知るのです。 これが、マン・ハントの極意であり、じつは、マン・ハントなど、 まったく無用だということなのです。 このへんがじつは、世の中の、なかなか楽しいところなのであります。
(120-3頁)
う〜む。断定的な口調になんかものすごいルサンチマンを感じるっす。 それに、最後でなんか矛盾したことを言ってるっす。 だって、「マン・ハント」は不要だったはずなのに、 自分を磨くことこそが「マン・ハントの極意」であるって論じられてるっすから。
上の引用文においては、 「すばらしい男性は、女性が自分から探し求めずとも、 自己修練を怠らなければ、おのずと向こうから現われるものだ」 という趣旨のことが、非常にわかりやすく書かれてるっす。 このわかりやすさは見習うべきっす。
しかし、この主張は、もっと一般的に言えば、 「修練して徳を積めば、必ず幸せになれる。それが大自然の仕組だ」 ということっす。 自分の徳と幸福にはある程度の相姦、 じゃない相関関係があるのは認めるが、 これが必然性を伴なった関係とまで言えるかどうか。
そう言える、と主張する人は、 すでに宗教(というかある種の狂信)に足を踏み入れているのではなかろうか。 (もっとも、そう言えない、 という人もやはり一種の宗教に足を踏み入れているのかもしれないが)
BMOR読書会終わりっす。疲れたっす。
げ。今日のベンタム読書会は2時からじゃなかったっけ? もしかすると時間を間違えたかもしれないっす。 だったら申し訳ないっす。
某喫茶店が混んでいたので、 いろいろ店を探したあげく、 ようやく百万遍の某和食屋で天丼を食べたっす。 ついでに某先輩のゲラの校正をしたっす。
それから某E研に来て情報倫理のバイトっす。 トーフル対策用のCDをかけてみんなからひんしゅくを買ったり:-)
某E研での手伝いを終え、研究室に戻ってきた。 バイト中、 病に蝕まれた身体に鞭打って働く某師匠が寿司の出前を頼んでくれた。 一同、涙して食す。感謝っす。
ふう。やっと某先輩のゲラの校正が最後まで終わったっす。 まだ索引があるらしいっすけど。
あまりに疲れて動けないっす。
某師匠と某大谷氏と某所にて晩餐。 みなでどこそこの温泉は良いとか悪いとかいう情報を交換したり。 すっかりみな老人である。
ごちそうになる。感謝。
研究室のソファで6時間くらい寝る。 途中、何度か目覚める。起きると雨。
眠る前に、三木清の『読書と人生』を少し読む。 若い頃の思い出を綴った随筆なのだが、 文章がとてもうまいのに驚く。 それもそのはず、若い頃は文学を志して明治、 大正の文学者、詩人の作品を読み漁ったそうだ。 ただし、次の一節はやはりいただけない。
今日の子供の多くは容易に種々の本を見ることができる幸福をもっているのであるが、 そのために自然、 手当たり次第のものを読んで捨ててゆくという習慣になり易い弊がある。 これは不幸なことであると思う。 もちろん教科書だけに止まるのは善くない。 教科書というものは、どのような教科書でも、 何等か功利的に出来ている。 教科書だけを勉強してきた人間は、 そのことだけからも、功利主義者になってしまう。
(15頁、強調はおれ)
この「功利的」は、「実利的」という意味だろうか。
いかんいかん。つまんないことを書いてないで勉強せねば。
ベンタム読書会の予習。腹減ったっす。
ふ〜ん。すると、`Il y a...'(〜がある)という文は、 直訳すると、「それはそこに〜を持っている」という意味っすか。
忙しいのでペースが遅くなってるっす。
こりずに『普遍文法』 (Grammaire Generale et Raisonnee)の続き(p. 5)。
Mais parce que ces sons passent, on a inuente' d'autres signes pour les caracteres de l'e'criture, que les Grecs appellent grammata, d'ou` est venu le mot de Grammaire.
`Mais'は文頭に来ると「さて、ところで」。 `parce que'は「〜なので」。 ギリシア語のgrammataは、gramma(文字)の複数形なんだそうな。 appellentはappelerの現在形三人称複数だよな。
あとは何となくわかるな。 というわけで、 「さて、音は消え去るものなので、 書きしるす文字のための別の記号が発明された。 ギリシア人はそれをグラマタと呼び、 そこからグラメール(文法)という語が来ている」。
もう少しやるか。
Ainsi l'on peut considerer deux choses dans ces signes: La premiere; ce qu'ils sont par leur nature, c'est a` dire, en tant que sons & caracteres.
`ainsi'は「かくして」。文頭に来ると主語と動詞が倒置されるらしい。 `on'は文頭では`l'on'になることもあるそうだ。 `peut'は`pouvoir'(できる)だったっけ。
う。後半が難しい。 `e^tre a`+不定詞'っていうのは英語の`be to do'と同じものと考えていいのかな? `en tant que'は「〜の資格で、〜である限りは」という意味らしい。
すると。「かくして、記号においては、二つの問題が考察されうる。 第一に、記号が本性上そうであるところの事柄が、 音と文字に関する限りにおいて、述べられることになる」
もう一文。
La Seconde; leur signification; c'est a` dire, la maniere dont les hommes s'en seruent pour signifier leurs pense'es.
`maniere'は英語の`manner'に当たるようだ。 `dont'は関係代名詞の一種(of which, by whichなど)らしい。 `seruent'は`servir'の三人称複数形で、 この語は代名動詞としては「〜(de...)を利用する」という意味だそうだ。 なるほど、すると「de+名詞」が`en'に代わってるわけか。
というわけで。 「第二に、記号が指し示すところ。 人が自らの思考を表示するために記号を用いる仕方が述べられることになる」
切りがいいのでもう一文。
Nous traitterons de l'vne dans la premiere partie de cette Grammaire, & de l'autre dans la seconde.
`traitterons'は、`traiter'(扱う)の一人称複数形。 古い綴りのせいか、`tt'になっている。 l'un(e)とl'autreは対になって、 「一方は〜、他方は〜」という意味になるようだ。 これも古いせいか`vne'になっている。
すると。「われわれはこの文法書の第一部において一方を論じ、 そして第二部において他方を論じる」
う〜む。まだまだ怪しいとこもあるけど、 だんだん上達してきたっす。
お昼過ぎに某カレーに行く。 三木清を読みながら野菜なんとかカレーを食べる。 大正末期から昭和初期の学生の様子がよく伝わってくるっす。
それから今までベンタム読書会。 まとめも終わったので、 これから某E研に行って働かねば。 忙しいっす。
某E研で労働力として消費される。
途中、某師匠にピザを食わせてもらう。感謝っす。
昨日は、某E研でのバイトを終えた後に、 雨の中、某古本屋に寄ってから下宿に戻る。
下宿に戻ってから、ビジネス英会話を聴いたり、 三木清を読んだり、風呂に入ったり。 真夜中から朝遅くまでぐっすり眠る。 ごみを出しそこねる。
起きてから某喫茶店へ。ジャンプ。 サッカー漫画が二つあるので、 早晩どちらかが淘汰されるのではなかろうか。
某E研に行ってフルーツパウンドケーキをもらうついでに書類に印鑑を押してくる。 感謝。
ちょっと実哲研の仕事のお手伝い。
あ。キューブリックも死んだのか。 2001年まで生きられなかったか。合掌。
あ。そうか。なるほど。 `qui est-ce qui...'とか`qu'est-ce qui'っていうのは、 `who is it that...'とか`what is it that...'という構造だったのか。 ようやく知りにけり。
あと3回っす。
またまた『普遍文法』 (Grammaire Generale et Raisonnee)の続き(p. 6)。
PREMIERE PARTIE,
OV IL EST PARLE' DES
lettres & des caracteres
de l'e'criture.
む。il est以下は非人称構文の様子。 なぜか時制が複合過去になっているが、 慣用的な表現か。
とすると、「第一部、書き言葉における文字や記号について述べられる」ぐらいか。
CHAPITRE I.
Des lettres comme sons, & premierement des voyelles.
commeは英語のasみたいなもので、「〜のように、〜として」という意味らしいから、 第一章「音としての文字、まず母音について」てなもんか。
あ〜。ようやくフランス語の勉強終わりっす。 他にもいろいろ勉強せんといかんっす。
夕方になってしまったが、中央食堂で昼ごはんっす。 烏賊と帆立の中華丼。かぼちゃの煮付。 じゃこおろし。
三木清を読みながら一人で楽しく食事っす。 「哲学はやさしくできないか」という随筆。 京大文学部の受験にでも出てきそうな文章っす。
哲学が難しいのは書き手にも責任があるが、 「基礎を学ばなくても哲学はすぐにわかる」 という甘い思い込みをしている読者にも責任がある、 と論じられている(と思うっす)。 哲学は高等数学みたいなもんで、 素人にいきなりわかるものじゃないんだから、 ちゃんと岩波哲学・思想事典を繙いて 基礎概念やら術語やらを勉強しなさい、とのことっす。
また、当然ながら、 下手な入門書ではなく古典を読むことを勧めているっす。 というのも、どうかすると古典の方がかえって読みやすく、 「哲学する」ということがどういうことなのかが実感しやすいから、 とか。
ま、それはともかく。ごはんを食べてから、 ポアンカレの『科学と価値』を買おうと思ってルネに行ったが、 あいにく売り切れっす。 近くの某本屋もついでに行ってきたが、 やはりなかったっす。 前見たときに買っておくんだった。
留学のことをつれづれと考えたり。 ニューヨーク大学に行きたいなあ。
ロック読書会終わり。第3巻第5章第12-16節。
昨夜、三木清を読み終える。 おもしろい随筆もくだらない随筆もあったが、 とにかく久しぶりに普通の本を読んだ感じがして新鮮だった。 いくつか引用しておこう。
ひとは固よりつねに一定の目的をもって読書するものではない。 何か目的がなければ読書しないというのは 読書における功利主義であって、 かような功利主義は読書にとって有害である。 目的のない読書、いわば読書のための読書というものも大切である。
(101頁、強調こだま)
う〜む。これもやはり「実利(実用)主義」という意味か。ま、いいんだけど。
自分で写本した読んだ昔の人には緩やかに読むという善い習慣があった。 しかし今日においてもこの習慣を養うことは必要であり、 特に学生の時代に努力されねばならぬ。 勿論すべての本を緩やかに読まねばならぬというのではない。 或る本はむしろ走り読みするのが好く、 また或る本はその序文だけ読めば済み、 更に或る本はその存在を知っているだけで十分である。
(108頁)
う〜む。名前を知ってるだけでもいいのか。
来週の月曜日と火曜日に行なわれる 某情報ワークショップ で発表する予定の、某異人を歓迎して、某所で食事。みなで鍋をつつく。
この某異人は何でも暗号を研究しているRA(リサーチアシスタント)らしいが、 某師匠と同い歳(かつ同じ身分)のせいか、某師匠と良く気が合うようだった。 英語で冗談を言いながら(ときどき一人で)笑いころげている 某師匠のコミュニケーション能力の高さに脱帽。
これからもう少し情報の仕事。 そういえば、当日のワークショップには某NHKが来るらしい。 エキストラとして暗躍する予定なので、 運よくそのニュースを見たら注意して探してみてほしい。
某E研で情報の仕事をした後、 ウェブでアメリカの大学の大学院情報を調べ、 プリントアウトしたり。
先日ニューヨーク大学に行きたいって書いたのは、 自由の女神が見たいからという理由ではなく、 ドウォーキン(本物)とか、 ネーゲル(本物)とか、 パーフィット(本物)とかがいるから。 つっても、彼らの本をまだ真剣に読んだことないんだけど。
しかし、留学していったい何を勉強したいんだろう? 哲学・倫理学史? 認識論? 言語哲学? メタ倫理? 法哲学? …う〜ん、まだよくわからんなあ。 学振のやつには功利主義と法実証主義みたいなこと書いたけど。
あと、メタ倫理な人が多いミシガン大学とか、 ラズ(本物)やウォルドロン(本物)やフィリップ・ペティット(本物)のいる コロンビア大学とか、 ブラックバーン(本物)、ダグラス・ロング(本物)、 ポステマ(本物)などがいるノース・キャロライナ大学とかもよさそう。
イギリスの大学もよく調べねば。 そのうち哲学者世界地図でも作るか。
いやはや、とても覚えきれん。
さらに『普遍文法』 (Grammaire Generale et Raisonnee)の続き(p. 6)。
LES diuers sons dont on se sert pour parler, & qu'on appelle Lettres, ont este' trouuez d'vun maniere toute naturelle, & qu'il est vtile de remarquer.
sertはservirの直説法三人称単数形っす。 代名動詞で「〜を(de...)利用する」という意味。
ont este' trouuezは、どうも複合過去形の受身になってる様子。 este'はおそらくe'te'なのだろう。
d'vne maniere toute naturelleは、 「あるまったく自然な仕方で」というような意味。 d'une maniere+形容詞というのが定形らしい。
il est utile de+不定詞で、 「〜するのは有益だ」という意味らしい。
というわけで、 「話すために用いられ、また文字と呼ばれるさまざまな音は、 まったく自然な仕方で発見された」
あれ、最後の& qu'il est vtile de remarquer.がわからん。 queは何を指してるんだろうか。ヘルプっ。
ついソファで爆睡。朝、電話が何度かかかって来て起こされる。
朝、某喫茶店でモーニング。マガジン、サンデー。 マガジンは40周年記念とかで、 過去を振り返る特集記事を組んでいた。
これを見ると、 『明日のジョー』や『デビルマン』や『三つ目が通る』 (や『空手バカ一代』) などいろいろな偉大な作品がマガジンで連載されていたことがわかる。 いやはや。すごいっすね。
それから下宿へ。 ビジネス英会話を勉強して風呂に入ってからすぐにまた大学へ。
読書会の後、某ミル先輩と一緒に異人二人のガイドをすることになる。 昨日も会った某カナダ氏と、 人工知能とかヴァーチャル・リアリティを専門にしているらしい 某オランダ氏の二人を連れて哲学の道を歩く。
銀閣寺はちょうど閉館(閉寺?)の時間が来たのであきらめた。 永観堂でトイレを借り、南禅寺を通って岡崎に出て、 平安神宮そばの某うどん屋が閉まっていたので 東大路に出て京大病院の側の某カレー屋で食事をし、 そこで彼らをJR京都駅行のバスに押し込んで帰ってきた。 かなり歩いたので一日分の精力を使い果たしてしまった。
いやはや、疲れた。 しかし少しは勉強せねば。