「あなたさまは熱心に天のことを知ろうとなさいますが、 ご自分の面前のことや足元のことにはお気づきにならないのですね」
---タレスについて(『テアイステトス』から)
精確に読むこと、全体的にざっと考えただけで満足しないこと、 そして大ざっぱなことをしゃべる人たちに早速同意しないこと。
---マルクス・アウレリウス、『自省録』(西洋古典叢書)
倫理学論文の思考実験の世界とは違い、 現実には答えは一つとは限らないのではないだろうか。
---浅井篤・大西基喜
昨晩は大学のそばのマンガ喫茶に行き、そこで早朝まで過ごしてしまう。 はまりそうで恐い…。
お昼すぎに起き、洗濯機をかけてから近くの散髪屋に行く。 だいぶ短くなってさっぱりした。 洗濯物を干してから某喫茶店に行き、新聞を読む。
それから大学へ。
夜、いったん帰宅してビデオをセットしてからちょっと買物に。 ちょっと服を買う。 ついでに食料品も買って帰宅。 医療の質についてのNHKの番組を見ながら夕食を食べる。
昨夜は部屋のダンボールからマンガを出し、また夜明けまで読んでしまう。 何に対する逃避行動なのか…。
早朝に2時間ほど寝たあと、自転車で上野に行き、 京成に乗って成田へ。某氏を見送る。 電車の行きは新聞、帰りは爆睡。
お昼すぎに大学に来る。
昨夜は惣菜屋で少しおかずを買って帰宅し、夕食を食べたあと、 ふたたび部屋でマンガを読み続けてしまう。 それでも早目に寝たはずなのだが、 疲れがたまっていたのかお昼まで起きられず。いかん。
昨日の正論にも今日の産経抄にも「個と公の区別」というのが出ている。 曰く、「イラクの邦人人質を助けるために自衛隊を撤退させよというのは、 『個と公の区別』をしない主張である」。
一見するかぎり、なぜ上の自衛隊撤退の主張が個と公の区別をしていないのか よくわからない。個人を助けるために一国の軍隊を撤退させよというのは、 「個と公を区別していない」から適切でない議論なのだろうか。 では、北朝鮮の拉致被害者を助けるために経済制裁を行なうべきだという議論も、 やはり「個と公を区別していない」がゆえに不適切な議論なのだろうか?
これはしっかり分析すればおもしろい区別かもしれないし、 微視的(ミクロ)な視点と巨視的(マクロ)な視点を区別して議論せよという ことなのかもしれない。 しかし、「個と公の区別」ができていないからこの議論は受け入れられない ともっともらしいがどうにでも取れそうな区別を持ち出して主張するよりも、 はっきり、ここでテロリストの言うことを聞いたら 今後も同じような脅しに譲歩しつづけることになりかねないし、 より多くの犠牲者が出る可能性が高い、と主張した方が潔い。
昼下がりから夕方まで某ミーティング。 夜、東京に帰省している某氏と蕎麦を食べながら雑談。 そのあと研究室に戻ってちょっと仕事をして、 つかれたので帰宅。
今日はなんだか疲れた。風呂でも入るか。
風呂に入るとすこし楽になったので、新聞を読む。
-- | 総数 | 女性 |
---|---|---|
2004年入学者 | 3128 | 655 |
学部・大学院生 | 28000 | 6300 |
学部生 | 15500 | 2790 |
大学院生 | 12700 | 3400 |
教員数 | 4000 | 350 |
教授 | 1400 | 38 |
助教授 | 1258 | 56 |
講師 | 135 | 27 |
助手 | 1261 | 213 |
教諭・看護教諭 | 42 | 14 |
今年入学した東大生は3128人で、女子は655人。女子が入学者の二割を超えたのは
初めてとのこと。
ここを見ると、
学生数は学部生が約15500人、
大学院生が約12700人で、総数は約28000人のようだ。
ついでに、
教員の数は約4000人(教授1400人、助教授1258人、講師135人、
助手1261人など)、職員は約3500人で、教職員は約7500人いることになる。
女性の教授は38人、助教授は56人、講師は27人、助手は213人だそうだ。
ものすごい不均衡だな。
さらについでに、
京大はここから
見れる。
ついでなので勉強がてらテーブルを作ってみた。ひまだな。
ほんとにひまだな。もう寝よう。
といいつつ、ラブアクチュアリーとかモンティパイソンのDVDを見てしまう。 `Every sperm is sacred'の歌は名曲だな。 いつか人工妊娠中絶の授業で使おう。
朝、大学へ。教室の朝の勉強会に出席。 第一回目なので、オリエンテーションだけ。
財布を忘れたのでお昼にいったん部屋に戻り、 ついでにケーキ屋でケーキを買ってから大学へ。 みなで出前で取った弁当を食べる。
それから教室の大掃除を少し手伝い、 ケーキを食べながら某氏らと雑談したあと、 某氏が学生の卒論指導をするのでそれも少し手伝う。
夕方、生協のカメラ屋で証明写真を作ってもらい、 それを持って御殿下のジムの事務所に行き、 会員証を作ってもらう。 最初(格好が汚ないので)学生と思われたらしく、 事務員のおばさんに横柄に扱われたが、 身分証明証を見せると丁寧になった。 う〜ん。
さらに夕方、 某氏のケアの倫理についての授業構想を聞く。 そのあと、アイスクリームを食べながらまたちょっと雑談。
夜、ようやく自分の時間ができたので、advocacyについて勉強し、 事務作業も少しやる。
今日はちょっと忙しかった。帰ったら風呂に入ってくつろぐか。 来週からはジムにも行くようにしよう。
夜、大学で少し仕事をしてから、某氏らと飲みに行く。 医師-看護師関係とか、性差と文化の関係とか話す。
帰宅。眠い。
何でも他人に責任をなすりつける文化。 身の上に何か悪いことが起こったら、 まず行政や大企業の責任だと考え、 決して原因が自分の不注意にあるとは考えない。 息子がぐれるのは学校のせい、 妻が不倫をするのは女性週刊誌のせい、 自分が会社をクビになるのは政府が経済政策を誤ったせいである。
新聞。 某邦人人質事件について、「自己責任の原則」を主張する人に聞きたいのは、 もしこの人たちにまったく自己責任がなければ、自衛隊の撤退をするのか、 ということだ。たとえば、 北朝鮮に拉致された人のうちの3人が何らかの経緯でイラクに移送され、 テロリストによって人質にされたとしたら、 この人質には「自己責任」がないから自衛隊を撤退させるべきだということに なっただろうか。
(架空の北朝鮮の例よりも、 テロリストによるモスクワの劇場の人質事件の方がよいかもしれない。 要求していたことはチェチェン共和国からのロシア軍の撤退だったので、 現在の状況とよく似ており、より適切な例と言えるだろう)
もしこの場合にも「撤退させない」と答えるなら、 「責任があったかどうか」は撤退させるかどうかの判断の決定的理由ではない ということになるだろう。 本当の理由は昨日の産経社説にもあるように、 「政府が、テロリストの脅迫には屈せず、自衛隊を撤退させないとの立場を堅持 しているのも、国民を守る責務をわきまえているからだ。 脅迫に屈すれば日本国民はいたる所でテロリストのターゲットとなり、 際限のない譲歩を余儀なくされてしまう」というすべり坂議論だろう。 一昨日の産経の記事によれば、ブレア英国首相も 「[米英軍が]イラクから撤退すれば、アフガニスタンからも兵を引かせようと 攻撃してこよう。最後は、中東全体から完全撤退しなければならなくなってしまう。 われわれが弱く出れば出るほど、テロリストは襲いかかってくる」 言っている。いろいろ理屈をつけずに、はっきり言えばいいのに。
「まあそう意地悪な言い方をせずに、自己責任の原則から反対する論拠と、 すべり坂論法を使って反対する論拠の二つが主にあると言えばいいんじゃないの?」
今朝は目覚しをかけるのを忘れていたらしく、 朝も遅くに起きてしまう。コンピュータの調子も悪く (ワードやパワーポイントがすぐにフリーズする)、 大学に行くのがお昼すぎになる。
某氏らと松本楼でお昼をしたあと、 外国旅行の申請書類を書いたり、机の引き出しの書類の整理をしたりする。 夕方から某ミーティング。3時間かけて、医師-患者関係の話をする。
夜はつかれて仕事にならず。某氏らと雑談したあと、 韓国料理屋に行き、さらに雑談。つかれて帰宅し、 新聞を読んでいると日付が変わる。
自宅のコンピュータのオフィスはいろいろやっても直らないので、 結局再インストールした。 やはり先日の一太郎コンバータを入れたのが悪かった気がする。
ちょっと勉強。
今朝は結局早朝に寝たが、なんとか朝起きてふらふらと南大沢へ。 春日→神保町→南大沢というルートが早いようだ。 お昼まで古典功利主義の勉強をし、 昼食を食べたあと都心部に戻る。
新宿で乗り換えようと思ってしばらく迷う。 大江戸線の新宿駅に乗ると乗換えが面倒なので、 「新宿なに口だっけか…?」と歩き回っていると、 東口、南口と歩き回ったすえにようやく西口で電車に乗れた。 さすが魔界都市だな。
帰宅してから大学に行き、某氏らと雑談。 透明デスクマットが届いていたので、 机の上をぞうきんがけしてからデスクマットを引く。 こ、これは便利。
夕方、自転車に乗って神保町へ。ひさしぶりなので少し迷ったが、 なんとか某大学に着いて、某ゼミに出席。 今年はスキャンロンからやるそうだ。
夜は一緒にカレー。 途中、某岩魚見の偉い編集長が来たりして、 「東京ってすごいなー」と感心する。 3時間近くカレーとワインを飲み続けたあと、 自転車に乗って大学に戻ってくる。
しかしもう眠いので帰るか。
思想史の連中に会うと、思想史を勉強しなきゃなあと思うし、 哲学の連中に会うと、哲学を勉強しなきゃなあと思う。 いろんな人に会って刺激を受けるのはよいことだ。 刺激を受けたらちゃんと反応する必要がある。
そういえば、横山光輝合掌。
ちょっと大学で勉強をしてから帰宅。コンビニで水を買ってくる。 最近は硬水に凝っている。
以前から風呂場に羽虫(ハエの一種か)が常時数匹飛んでいるので、 どこから発生しているのか気になっていたのだが、 どうやら排水溝につまっている髪の毛が原因らしいことに気付く。 そこで、ポリ袋でたまっている髪を取り除いたところ、 かなりの量の髪がたまっていた。 一応ちゃんと流れていたので気付かなかったが、 今度から気をつけよう。 こわかったので詳しくは見なかったが、 これで羽虫の量は減る(かも)。
眠い。
起きる。よく寝た。まだ寝れるけど。
購買部で買物をしたあと、初めてジムに行き、 トレーニングルームの講習会を1時間ほど受ける。 今回はエアロバイクとトレッドミルだけやってみた。 次回からいろいろ「マシン」を試してみよう。
さて、火曜日と水曜日の準備をしなければ。 しかしその前に喫茶店でも行くか。
昼下がり、喫茶店で新聞。 夕方から夜まで火曜日の準備。 夜、母親と食事。 今日もワインをすこし飲む。 いったん大学に戻ったあと、帰宅。
児童売春で某映画監督が逮捕されたそうだが、 「罪になることはわかっていたが欲求に負けた」という供述が興味深い。 意志の弱さの一例。
夜中、3時間ほどマンガ喫茶に行く。 『MAJOR』最新刊までと、『ブラックジャックによろしく』最新刊まで。
(『MAJOR』の)佐藤くんの「自分にウソはつきたくない」。 自分が守っている規範(勝つためでも卑怯なことをすることは許されない)と 自分を同一視した発言。言いかえると、この規範に反することをすれば、 自分が自分でなくなるということだ。 さらに言いかえると、 自分が今まで特定の規範を守る人間として アイデンティファイしてきた自分ではなくなるということ。 何にしろ、 このマンガはスポコン・マンガの王道を行っている。 (ときどき主役の本田くんの背中で火が燃えてるし。)
『ブラックジャックによろしく』は、がん告知と抗がん剤の話。 この話を読んで、 今自分がやっている勉強がうわっつらに流れていたことに気付かされた。 やばいやばい、最近実存してなかった。 (「実存してるかい?」「イエーイ!」)
というわけでメモ:
あれ、もう五時前に夜が明けるのか。寝るか。
同僚の某氏は、 「紛争解決の第一歩は、まず当事者たちが何を欲しているかを知ることだ」 といつも言っている。同様に、 「倫理的問題を解決するための第一歩は、 まず当事者たちが何を欲しているかを知ることだ」と言えるだろうか。 そして、当事者がみな満足したら、倫理的問題は解決したと言えるか。
お昼すぎに起きる。喫茶店に行こうかと思ったが、とりあえず研究室へ。
夕暮れまで研究室で「応用倫理学論」について考える。 お腹が減ったので惣菜を買っていったん帰宅。夕食を作る。
さて、また大学に行って勉強せねば。
大学でまじめに火曜日の準備。
めずらしく火曜日の発表の準備がすでに終わってしまった (水曜日の準備もしないといけないからであるが…)。 ちょっと某氏と長電話してから帰宅。メールを書いたりしていると あっという間に丑三つ刻になってしまう。新聞を読んだら寝よう。
お昼に起き、大学へ。本がたくさん届いていたので、 目を通していると昼下がりになる。ジョージタウンのfour principles approach (derogatoryには`principlism')とそれ以外のアプローチ(casuistry, common morality approach)など、ちゃんと整理して理解する必要がある。
ぼーっとしているとあっという間に夜になったので、 購買部で弁当を買って食べ、 それからジムに行き少し汗をかく(ステッドミル、ストレッチ、腕と腹)。 9時半まで時間延長という話を聞いていたのだが、 8時半に終わったのでさっさと出てくる。
眠いが、ちょっと勉強せんと。
derogatoryは「軽蔑的」「蔑視的」という意味だが、 ちょうど「痴呆」は蔑視的なので、他の言い方に変えた方がいいという議論が 出ているようだ(朝日)。
椅子に座ったまま爆睡する。ジムでつかれたようだ。
外は雨。
ウイルスメールがすごいことになっている。
まだ水曜日の準備が終わってなかったが、帰宅。 明日発表の某氏は大学に泊まるようだ。 昔の自分を思い出す。 とか言ってないで、オレもやらないと。
昨日の産経におもしろい記事がある。 「男と女 雄と雌」という往復エッセーなのだが、 そこで進化生物学者の長谷川真理子氏は次のように書いている。
私が今の日本の若い女性たちを見ていて一番気に入らないのは、 若いといっても十分おとなの年齢になりながら、 子どものような甘えた口調、声の調子で話す人がとても多いことです。 お互いどうしの会話だけでなく、ゼミの発表のときですら、 そういう口調で話されると、 耳をふさぎたくなります。 こんな口調で話して、相手に自分をまともに扱ってもらえるとでも 思っているのでしょうか? この甘えと媚びは何なのでしょう? おとなの女性がこんな子どものような口調で話す国は、 私は日本のほかに知りません。 こんな口調で女性が話している限り、 女性の自立はないと私は考えています。
これは、男性がこんな女性の方を好むからなのでしょうか? (産経新聞2004年4月19日朝刊、第7面)
これに対して、産経抄なら次のように答えるのではなかろうか。 あくまで想像で書いたものなので、その点にご注意ねがいたい。
男性が女性を好むから、現在の女性がそのようになっているという考え方は、 まったく本末転倒した、ジェンダーフリー的発想です。 ご存知のように、ジェンダーフリーという伝統破壊的な考え方によれば、 男らしさや女らしさといったものは男根崇拝的な社会によって作られたもので、 したがって「男女」ではなく「女男」、「桃から生まれた桃太郎」ではなく 「桃から生まれた桃子ちゃん」という具合に学校で教育すれば、 人々の誤ったジェンダー観を是正することができるとされます。
しかし、このような発想は根本的に誤っています。 男が男らしく、女が女らしいのは当たり前の話であり、 説明を要しません。 現代の若い女性が子どものような甘えた口調であるのは、 彼女たちが女である証拠であり、 決して男性がそのような女性を好むからではありません。 たとえご指摘のように日本人の女性しか子どものような口調で 話すことがないとしても、 日本人の女性は日本人の女性らしくあるのは当然のことと言えます。 彼女たちは諸外国の粗野な女性ではなく、 繊細な大和撫子なのです。
もう一度はっきり言っておきますが、 日本人の若い女性が子どものような甘えた口調で話すのは、 決して日本人男性の多くがロリコンだからではなく、 彼女らが女性だからです。 たとえ日本人男性の多くがロリコンでなくなったとしても、 彼女たちは甘えた口調で話すのをやめることはないでしょう。
フェミニズムの立場も戯画化されているので、 たまにはこのくらい許されるだろう。
`hypergraphia'という症状があるそうだ。 ある種の癲癇などによって引き起こされるそうだが、 とにかくこの状態になると、 何かを書かずにはいられないらしい。 作家や詩人や画家にもこの症状を持っていたと考えられる人がいるそうだが、 なんともうらやましい話だ。 まあ、病気に頼らず、自分の意志によって書かねば。
水曜日の準備。ほぼ終わる。 もう寝ないと今日一日たいへんだ。
腹減った。
朝、寝坊してびびる。シャワーを浴び、洗濯してから大学へ。 ぎりぎり間に合う。
朝からお昼すぎまで某生命倫理の勉強会。ヴィーチの『生命倫理学の基礎』 を読み始める。第一章の発表をする。お昼は勉強会の連中と二食で。
昼下がりから某ミーティング。 医療倫理の原則の講義案を聞き、 いろいろ議論をする。 3時間ぐらいやって疲労する。
ちょっと休憩してから明日の発表の準備。 他の人の発表部分も予習をしておかないとな。