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こだまの世界

2001年3月中旬号

"`First of all,' he said, `if you can learn a simple trick, Scout, you'll get along better with all kinds of folks. You never really understand a person until you consider things from his point of view - until you climb into his skin and walk around in it.'"

Harper Lee, To Kill a Mockingbird, ch. 3.

`Most City males think the world is divided into three types of women. The sweet, virginal, Julia Roberts look-a-like who responds with delighted giggles to any sort of "perfectly normal workplace banter", yet is desperate to don crotchless knickers and give the boss a blow-job. Then there are the mothers -- unreliable because not only did they go and get pregnant, but they have the nerve to clock off early if a child breaks an arm. And then there is the largest group of women -- the humourless bitches.'

Emma Brockes, `It's a man's world',
The Guardian (G2), 19/Mar/2001


11/Mar/2001 (Sunday/dimanche/Sonntag)

科研費の実績報告書

今年度の科研費の実績報告書を作成した。 ベンタムと名のつく発表をしていないのが悲しい。 また、「ボクシング存廃論」というのも怪しくて仕方がない。 せめて 「自由民主主義社会におけるボクシングの存在論的意義についての倫理学的考察」 とかにしておけばよかった。


12/Mar/2001 (Monday/lundi/Montag)

買物

オクスフォード・ストリートで靴とベルトも買いました。 以後節約します。


13/Mar/2001 (Tuesday/mardi/Dienstag)

法哲学の授業

フェミニズムによる自由主義批判について。

「こう、あれですね」

「なんだ、あれって」

「あの、フェミニズムの授業というのは、この、なんとなく、 ドイツ人がユダヤ人と同席して ナチスの歴史の講義を聴くような居心地の悪さが…」

「しかたないだろう、だって、きみは男として生まれてきて、 普通の女性が味わう苦労を経験せず、 男性優位社会で利益を亨受してきたんだから」

「おっしゃるとおりです。やっぱり、あれですね」

「あれってなんだ、あれって」

「その、フェミニズムにしても、 批判法学研究(Critical Legal Studies)にしても、 ハート対ドゥオーキンという法哲学のひのき舞台から一歩しりぞいたところで、 その、舞台の上に立っていたら気がつかない誤ちや不正を指摘しているので、 非常に新鮮というかなんというか。 舞台から離れたところに立って全景を眺める、 というのが批判をするときの基本ですよね、 それを思い出すことができました」

「じっさいにそういう舞台から離れた立脚点があるのかどうかというのも 問題だと思うぞ。舞台から離れたつもりでいても、 やはりまだ同じ舞台に立っていたり、 客席で客観的に観察しているつもりでも、 やはりいろいろな前提を意識しないで用いている可能性もある。 きみの考えるようなアルキメデス点は存在しないのかもしれない」

「やっぱり、あれですね」

「だから、あれってなんだあれって」

買ったCD

アマゾンに注文したやつが届いた。本当にこれから節約します。


14/Mar/2001 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

晩餐会

トゥワイニング教授が17年間勤めたベンタム委員会の議長の座から降りたので、 慰労の意を込めてUCLの食堂で晩餐会が開かれた。ので、それに参加してきた。 ベンタムも出席していたが、残念ながら箱から出ることはなかった。


15/Mar/2001 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

現代政治哲学の授業

ドゥオーキンの資源(resources)の平等論の説明と、 アーネソンの批判。 風邪なのか頭がぼんやりしていてあまり集中して聴けなかった。 要復習。


16/Mar/2001 (Friday/vendredi/Freitag)

買った古本

某ULUで。

「この本というかブックレットを出版しているスミス・インスティテュート というのは、どうも労働党のシンクタンクか何かのようです。 ブレア首相が序文を書いています」

「日本の政治家たちとは違い、 労働党の連中はずいぶん政治哲学を勉強しているようだからな。 大蔵大臣のゴードン・ブラウンなんかも、政治哲学の論文集に寄稿して、 ロールズなんかを論じたりしていたぞ」

「しかし、あれですよね」

「なんだ、また『あれ』か。あれってなんだあれって」

「その、最近の政治哲学の連中が言う『等しい価値』とか『等しい尊敬』 とかいうのだけはどうにかなりませんかね。 はらわたが煮えくりかえってなりません」

「いったいそれの何が問題なんだ」

「たとえばこの文章を見てくださいよ」

「どれどれ…。きみ、英語じゃないかこれ。日本語に訳してくれたまえ」

「あれ、英語読めないんでしたっけ」

「やかまし。さっさと訳したまえ」

「ええと、『平等な価値equal worthとは、 各人が生まれた瞬間から所有する等しい価値equal valueのことであり、 人間として生まれたというまさにその事実によって獲得される。」

「ふむふむ」

「『われわれがお互いにどれだけ異なっていようとも、 われわれはみな個としての人間という共通の地位を有している。」

「うむ、すばらしいじゃないか」

「もう少し聞いてください。『性別によっても人種によっても、 ある人が他の人より優れたまたは劣った個人になることはない。 家柄や富、学歴、年齢、健康、宗教、出生国、生来の能力、身体的な魅力、 あるいはそれ以外のわれわれが異なっている点についても同様である。」

「ううう。あまりにすばらしいので涙が出てきた」

「『そうしたいかなる多様性によっても、人間の価値worthの等しい内在的価値 inherent valueが増えたり減ったりすることはない。 というのも、 人間の価値は個としての人間であるというまさにこの事実に存しているからである。」

「ううううう。ち、ちち、ちり紙ちり紙」

「ちょっとworthとvalueの訳しわけができなくて苦しいですね。 でも、もう少し。 『したがって、いかなる人も生まれの偶然的な違いによって 他の人よりも良い待遇を受けたり悪い待遇を受けたりすることは あってはならず、また、ある人が特定の集団に属しているというだけで その人の本質的な人間的価値が増えたり減ったりすることはあってはならない』 (Equality in action, p. 20)」

「すすす、すばらしいじゃないか。 いったいきみはその文章のどこに難くせをつけるつもりなんだ」

「サンデルならここで想定されている個人はunencumbered self だと言ってケチをつけるところでしょうが、 ぼくはそういうのとは違って、いや、ひょっとすると似ているのかもしれませんが、 この『人間は生まれながらにして等しい価値を持つ』 という文章の意味が明確に理解できないと言いたいです」

「意味が理解できない? きみはアホか?」

「失礼ですね。ぼくが言いたいのは、 性別も人種も家柄もあらゆるものをとっぱらった、いわばすっぽんぽんの人間が、 みな同じ価値を持つというのはどういうことか理解できないと言うんです。 あれ、やっぱりサンデルに似てきたかな」

「きみもサンデルも一度銭湯に行ってみたらどうだ」

「茶化さないでください。 この文章が理解できないのは、 『人間は生まれながらにして自由である』とか『平等である』という主張以上に、 『平等な価値』という意味がはっきりしないからです」

「平等な価値を持っているというのは、 平等に扱われてしかるべきだということだろう」

「なるほど、ではそういうことだとしましょう。 すると、 われわれは人間というグループに属していることによってみな平等な価値を持ち、 平等に扱われねばならないのはなぜなんでしょうか。 人間の下位グループである性別や人種というグループによって不平等に扱っては ならないのはなぜなんでしょうか」

「どういうことだね」

「たとえば、これが人間じゃなくて本だとすると、どうでしょう? 『本は、お互いにどれだけ異なっていようとも、 みな個としての本という共通の地位を有している。 著者によっても出版社によっても、 ある本が他の本より優れたまたは劣った本になることはない。 そうしたいかなる多様性によっても、本の等しい内在的価値 が増えたり減ったりすることはない。 というのも、 本の価値は個としての本であるというまさにこの事実に存しているからである』」

「すばらしいじゃないか」

「ほんとですか? ぼくなんかはこんなのたわ言だと思いますけど。 くっだらない本もあれば世界の名著もあるというのは動かしがたい事実で、 プラトンが書こうが赤川次郎が書こうが、 岩波から出版されようが宝島から出版されようが本の価値は同じだなどというのは…」

「あ、訴訟が起きる訴訟が。固有名は控えたまえ」

「それに、 なぜ人間という集団に入っているという事実だけがカウントされるんでしょう? たとえば、人間という集団は哺乳類の下位集団ですよね。 では、なぜ哺乳類に属する生物のそれぞれに等しい価値があると言わないんでしょう? 人間という下位集団だけに等しい価値があるというのは変じゃないですか」

「そりゃきみ、人間は他の多くの動物と違って理性を持つからだろう」

「ほら、そうでしょ」

「なにが、ほらそうでしょ、なんだ」

「人間が平等の価値を持つのは、けっきょくのところ、 『人間である』というあいまいな理由からではなくて、 『理性を持っている』ということでしょう」

「だったらどうなんだ」

「だったらはじめから、『人間は等しい価値を有しているから、 平等に取り扱われるべきである』と言わずに、 『人間は、性別や人種など、 どの下位集団に属していても平等な理性を持っているので、 平等に取り扱われるべきである』と言えばいいじゃないですか。 もちろん、このようにはっきり『平等な理性』と言うと、 あからさまに嘘になるから言わないんでしょうけど。 やはり、あらゆる人間の特徴を取り払って、 すっぽんぽんの人間に平等の価値があるというのは、 どう考えても無理があるんですよ」

「なるほど、人間全体に価値を付与し、 他の動物には同じ価値を付与しないためには、 『人間であること』という事実以外のなんらかの特定の特徴を指摘しないといけない、 というわけか」

「そうですよ。だって、 『なぜ人間はみな、 人種や性別や家柄にかかわらず等しい価値を持んですか』とか、 『なぜ人間はみな、他の動物が持たない等しい価値を持つんですか』 と尋ねた場合に、 『だってぼくたち人間だもの』という答えが返ってきたら、 こっ、ここ、このっ」

「きみ、きみ。ちょっと落ちつきたまえ」

「す、すいません。その、論点先取でしょう、 『人間がみな平等な価値を持つのは、人間だからである』というのは。 あれ、循環って言うんでしたっけ」

「きみの言いたいことはだいたいわかった。 しかし、平等論の前提を批判するだけでなく、 その先に進んで実質的部分も批判するようにしたまえ」

「はい、修業します」


17/Mar/2001 (Saturday/samedi/Sonnabend)

日記の整理。今日はSt. Patrick's Day。

平等な価値、再論

Sir: 「人間がみな平等な価値を持つのは、人間だからである」 というのは理由になっていない、という昨日の議論を読みましたが、 この議論はまったく論点を見落していると思われます。

個としての人間individual humansが各人等しい価値を持つというのは、 各人のかけがえのない個性individualityのゆえです。 人は、どのような生まれにせよ、 他のどの人とも異なる発展を遂げる可能性があります。 各人の持つこの発展の可能性が、各人に等しい価値を与えるのです。

この主張に対して、「各人の個性は平等ではない。 グラッドストーンやチャーチルのような天才政治家の持つ個性と、 森首相や宮沢元首相のような凡人政治家の持つ個性を平等というのは、 ばかげている」という反論がなされるかもしれませんが、 (1)個性の発展は死ぬまで続くものであり、また、 (2)どの個性が他より優れているかは決めがたいものであり、さらに (3)他より優れた天才的個性を認めるとしても、 そのような天才的個性を育てる土壌としては、 あらゆる個性に平等な価値を認めるのがもっとも有効である、 などの理由から、各人の個性は平等であると考えた方が、 そう考えないよりもよいと思われます。 それゆえ、 個性の尊重は、 単にアインシュタインやウィトゲンシュタインのような天才について だけではなく、地の塩である普通の人についても当てはまることだと言えます。

すべての種子はさまざまな形の花を開かせる可能性を持っています。 一つ一つの花は、それがどのような形にせよ、 他とは変えられないという意味で、かけがえのないものです。 人間も花と同様です。 人間が平等な価値を持つというのは、 各人がかけがえのない個性を持つがゆえです。

(ミルミル・ミチル、ロンドン)

買った新古本

某書店にて。

耳かき

夜、愛用の耳かきが見つからず発狂しそうになる。

(と、上の文を書いたすぐあとに見つかった)

酒も煙草もマリファナもやらないが、耳かきだけは手放せない。 中毒と言えると思う。耳かきがないと手が震えて勉強ができない。

寮にいる日本人の大半は耳かきを持っているようだが、 この道具は外国人には不思議に映るようだ。 「日本人は愛情表現の一つとして、母親が子供に、 妻が夫に、独り身の人は自分で、 耳を掃除するのだ」と友人に説明したら、 「そういえばサルもお互いに毛づくろいするよね」と言っていた。 どうもサルと同じレベルに分類されたらしい。


18/Mar/2001 (Sunday/dimanche/Sonntag)

Emperor's New Groove

友人に誘われて、 Emperor's New Grooveというディズニーアニメを見た。

自己中心的な皇帝が、皇帝に恨みをもつ家臣の陰謀でラマに変化させられてしまう。 ラマになってもしばらく自分勝手な行動を続けていたが、 親切な平民の助けを借りて苦労したすえに人間に戻り、 過去の自分を反省し有徳な皇帝になるという話。

この物語の背後にある倫理的なメッセージは「強者が道徳的になるためには、 自分が弱者に転落しうるという事実を理解して (あるいは実際にそうした経験を通して)、 弱者の立場に立てるようになる必要がある」 というところだろうか。

凡庸な物語で、映像も音楽もたいしたことないし、 ラブストーリーすらないので、たいへんつまらなかった。 金と時間の無駄。C-。


20/Mar/2001 (Tuesday/mardi/Dienstag)

cicero

昨日からほぼ一日、ciceroにアクセスできなかったようだ。

英国から日本へ電報を送る方法

電報というのは、「チチキトク」などのように、 主に親が死んだことを知らせるために使われる戦前の情報伝達手段かと思っていたが、 驚くべきことにまだ使われているようだ。

某記念パーティに英国から祝電を送る必要があるので、 すこし調べてみた。

NTTのウェブサイトを使って送る方法があるようだが(支払はクレジットカードでできる)、 海外からは送れないと断わってある。なぜだかよくわからないが、 クレジットカードの番号をフリーダイヤルで知らせるときに問題が 発生するのだろうか。

KDDIがサービスを提供しているようだ。 一通5000円もするらしいが、これで送らざるをえないだろう。 なぜそんなに高いのか、これまたなぞだ。


何か一言

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KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Fri Jul 28 07:37:42 2000