「自分にコントロールできることと、コントロールできないことを分ける。 コントロールできないことに関心を持たない。そして、できるだけの準備をする」
---イチロー
早朝に咳こんで起床。しばらくメールなど。
朝、朝食、朝刊、シャワー。少し雨の降る中、娘を保育園に送って戻ってくる。
朝、歩いて大学へ。午前中はメールの返事などをしていたらあっという間に終わる。
お昼、某氏と中央食堂で食事をしたあと、某タリーズで研究相談。
昼下がり、研究室で仕事。夕方、工学部の某先生のところに行き、 研究相談。
夕方、疲れてあまり仕事にならず。Sierraに変えたiMacはEmacsのキーバインディング がまだ使えないので、結局TimeMachineを使ってOSを戻すことに。
夜、大雨の降る中、自転車で帰宅。夕食。自宅にあるMBAはLANサーバでTimeMachineを 使っているため、復元が面倒なのであきらめる。
夜中、娘と少し喧嘩したが、シャワーを浴びている途中で仲直り。大分理屈が わかるようになり、自分が悪い場合に非を認めるようになってきた。 私も見習うようにしよう。
昨日、ロールカーテンの一つのボールチェーンが壊れたので、一年前に買った部品を 昨日から探していたが、さきほどようやく見つかった。いろいろ整理しないといけない。
もう寝るべし。
某神田の大学で某研究会に出席。何人かの先生にはひさしぶりにお会いできて よかった。
少し遅めに起床。髭剃り、シリアル、新聞。B5の資料をうまくA4でプリントア ウトすることができず、(昨晩から)苦労する。
荷物をまとめて京都駅へ。某家電量販店に立ち寄ったあと、お昼前の新幹線に 乗る。新幹線では弁当を食べ、ぼーっとする。
お昼すぎに東京駅。それから神田に行き、某研究会。夜、懇親会。一次会で失 礼して本郷のホテルにチェックインして、シャワーを浴び、さっさと寝る。
iBUFFALO 新型Nexus 7(2013年)専用 レザーフラップケース ブラック BSTPNX13LFBK: Nexus用のケースはあまり定番がないようで、探すのに苦労した。 これは自動On/Off機能がないが、立てて使えるもののうちでは薄いのでよい。 なお、レザーとあるが合皮。
娘が早起きしたので少し早めに起床。髭剃り、朝食、朝刊。
娘を保育園に送り、本三駅前の喫茶店でしばらく雑用。それから研究室でお昼 まで片付け。
お昼は某ランチョンセミナー、気仙地域の医療福祉についての報告。
お昼すぎ、某院生の指導。昼下がり、部屋の片付けの続き。
夕方、某OD生の指導。
夜、某氏らと研究室で飲む。途中からだんだん人が増え、最終的に7人でワイン 5本を空ける。
真夜中に帰宅。もう寝よう。
昨晩は、『英国王のスピーチ』を半分観てから寝た。
定時起床。ゴミ出し、髭剃り、シリアル。
朝、某娘を保育園に送ってから、 本郷三丁目の某喫茶店でしばらく考え事。 それから、研究室でしばらく雑用。
お昼、午後ランチョン・セミナー。サリドマイド禍について。
お昼過ぎ、雑用。昼下がり、某院生と某翻訳のチェック。
夕方、某会議に出席する予定が、 待機していると一時間半たってしまったので、 諦めて研究室に戻ってくる。しばらく某翻訳。
夜、ジムのプールで20分ほど泳ぐ。 その後、帰宅して夕食。
夜中、新聞を読み、娘を風呂に入れ、食器を洗う。
今日も少し映画を観てから寝よう。
定時起床。シャワー、朝食。
定時出勤。地下鉄。午前中は雑用にまみれる。
お昼は某コモン・ルームで昼食。昼下がりまで雑用。
昼下がり、某研究会。公衆衛生倫理。そのあと某ミーティング。
夕方、某院生の指導を少し。そのあとまた研究室で雑用。
夜、帰宅。途中で週アスを購入。夕食。
夜中、新聞を読んでからソファで仮眠。よく寝る。
真夜中、食器を洗ってからいろいろ雑用。なんか、雑用ばかりだな。
朝、定時起床。髭剃り、朝食。
少し早めに出勤。午前中は某先生らと某相談。
お昼、研究室でいろいろ仕事。〆切一件、すっかり忘れていて焦る。 →少し待ってもらうことに。
昼下がり、また某先生らと某相談。
夕方、少し寝袋。それから夜の勉強会の準備。途中、某氏と某院生の指導。
夜、某研究会。民主主義。ワイン等を飲みながら某企画など。
夜中、本三の居酒屋で少し食事してから帰宅。
真夜中、少しWii。汗をかいてからシャワー。新聞を読んだら寝るべし。
昨夜は某妻と一緒にコンピュータゲームをして夜更し。朝、遅目に起きる。
シリアル、朝刊。ホヤって、本当に悪夢のような姿をしているな。
筋トレの疲れか、朝刊を読んだあと、またソファで寝てしまう。お昼すぎに起床。 シャワー。
今日も涼しい。
お昼を少し遅目に食べてから、一人で自転車に乗って大塚と池袋へ。 古本を買ったり、電器屋を覗いたり、某本屋に行ったり。良い気分転換になった。
夜、買物をしてから帰宅。ひさしぶりに夕食を作る。 お好み焼き、モロヘイヤ、えのきの炒めたもの。
夜中、ガーディアンを少し読んでからソファでまた寝る。
真夜中、二階の勉強部屋で少し勉強。胸と腹が筋肉痛。
なんとか起きる。ゴミ出し、シャワー。
昨日は某翻訳をしていたら日記を更新するのを忘れてしまった。 日→英をやっていたせいで、頭が冴えてしばらく眠れなかった (英訳はクリエイティブでおもしろい。とはいえ、和訳に比べると、 決して得意ではない。仕事を頼んでこないように)。
昨日のこと。
今日のこと。
ほんとによく寝る。ひさしぶりに体が軽い気がする。
朝から健康診断。けっこう混んでいたので30分ほど待ったあと、 25分ほどで一通り完了。血圧は113/61。視力は右0.5、左0.4。 道理で最近ものがよく見えないはずだ。 近いうちに眼鏡を買い換えること。
健康診断のため朝食を抜いていたので、某サブウェイでブランチ。
あれ、トロントの古本屋でManningのMind of Jeremy Benthamを買った のだが、ふと本棚を見ると、すでに一冊ある。しまった。
今日のこと。
早起きして大学へ。朝は某勉強会。お昼は同僚の某氏らとパスタ。
昼下がりから夕方まで、某学生の指導。 そのあと、家賃を払いに行き、某スタバで古い新聞を読む。 月曜日の産経を読むと、 ID (Intelligent Design)が本格的に輸入されそうだ。 日本の哲学者はどう対応するか。
「進化論は人間を動物と同じレベルに落とすものであるから、 道徳的に悪影響を持った科学理論だ」という批判にどう答えるか。
まあ、この背後にあるくだらない発想は「最近、若者の道徳が衰退しているが、 それは一つには進化論のせいだ」という裏付けのない仮定だろう。 そもそも、人間が動物と同じ食欲や性欲などの欲求を持っていることは、 進化論以前から認められていたことだろう。 また、進化論によって「動物と同様に欲求に無批判に従ってよい」 という結論は出てこない。 それは、ライオンがシマウマを容赦なく食べるからといって、 「強者は弱者を容赦なく殺してよい」という結論が出てこないのと同様。
とはいえ、俗流進化論が持つ影響も考えないといけないんだろう。 「ある種の動物は一夫多妻制であるから、人間も一夫多妻制でよい」 「ある種の動物は浮気をするから、人間も浮気をしてよい」 「ライオンはウマを食うから、人間もウマを食ってよい」 うんぬんかんぬん。 「ライオンはウマを食う。だからどうした」とか、 「ライオンはウマを食う。私はベジタリアンだ」でもかまわないはずなのだが、 われわれは自然(とみなされるもの)に 規範を求める傾向があるので、こういうことになるのだろう。 いや、より詳しくは「ライオンはウマを食う。ライオンと人間は似ている。 ライオンは自然な行為をしている。人間も自然な行為をすべきだ。 だから人間もウマを食うべきだ」なのかな。 よくわからなくなってきた。もうちょっと考えてみよう。 進化論に関する歴史的な論争をちゃんと追えば、 こういう話は出てくるんだろう。よく調べること。 というわけでメモ。
`With Nature on Our Side'というフレーズを思い付いた。 自然法にしてもなんにしても、 自分の立場を人為ではなく自然に基礎付けようとする傾向を指す。 錦の御旗としての自然。Let's be natural.
日が暮れるのがすっかり早くなった。
プール。50分2キロちょい。息継ぎは4回か5回に一回ぐらい。 偶数回だと、主に右だけになり、バランスが崩れる気がする。 途中、スイーッと泳げたときがあったが、後半はまたフォームが崩れた。 修業修業。
購買部で弁当を買ってきて研究室で新聞を読みながら食べる。
続き。動物と人間が似ているという事実から、どういう規範が導けるか。 「動物も人間と同じように苦痛を感じるから、大事にしましょう」 というのが一つだ。 「人間も動物のように、欲求のままに行動しましょう」というのはどうか。 まず、この主張は、あらゆる動物が欲求や本能のままに行動し、 理性がないことを前提としている。
いかなる高等動物と人間よりも、犯罪を行なう人間とそうでない人間の 方が「よく似ている」だろう。しかし、その事実をもってして、 「犯罪を行なう人間は、(よく似ている)犯罪者と同じことをしてもよい」 ということにはならないだろう。 一夫多妻の動物を引き合いに出すまでもなく、 イスラム教では一夫多妻が認められている。 「イスラム教徒もやってるよ」という正当化よりも、 「ある種の動物もやってるんだよ」という正当化の方がもっともらしいのはなぜか。 やはり人為(慣習、ノモス)よりも自然の方が権威があるというわけだろう。 しかし、自然に尺度を求める人には、 「自然」の定義をしてもらわなければならない。
ちなみにドーキンズは、 「IDは哲学や思想史や宗教学の授業で教えられるべき話であり、 科学の授業で教えられるべきテーマではない」と主張している。 (see `One side can be wrong' (The Guardian, September 1, 2005)
せ、背中がだるい…。
外注に出すこと、外部委託すること。丸投げにすること。
(架空の)用例:
「最近、企業でoutsourcingが流行っているそうだけど、
某大学の有名な先生なんか、
ずっと前から論文をすべて院生にoutsourcingしてるらしいよ」
「道理で業績が多いはずだ」
「考え方が進んでるよね」
「いや、それって犯罪じゃないの?」
ところで、outsourcingという言葉を初めて聞いたのは数年前の気がするが、 自分にとって一番(?)身近な例は、製薬会社が治験関係の仕事を、 CRO(contract research organization)とかSMO(site management organization)とか の企業に外部委託するものだ。 詳しくは知らないが、製薬企業としては、いくつの治験を同時に走らせるかは 時期によって違うので、不要な人材を抱えこまないためにも、 こういう外部委託が効果的なんだそうだ。ただし、 外部委託すると(新薬に関する)企業秘密が漏れる可能性があるのが問題のようだ。
それはともかく、勉強しよう。
「組織の中には、一人や二人調子の悪い人がいるものだ」。 経験的に見て、これはかなり真理だが、 とはいえ偶然そうなるのではなく(すなわち、どんな組織でも、 人を集めるとどうしてもそういう人が入ってきてしまうというのではなく)、 組織が構造的にそういう人を生み出してしまうという場合もあるだろう。 言い換えると、 組織や集団が構造的に生み出す「ひずみ」に、ある人が影響を受けてしまうとか、 そういう場合もあるだろう。
日本の年間の自殺者が3万人以上というのも、 元々調子が悪い人 (どんな社会状況でも自殺してしまう人というのが仮にいるすれば、そういう人) だけでなく、 組織のひずみが生み出す力によって後押しされている部分もあるのだろう。
なんかよくわからないことを書いているが、 「あの人の行為がおかしいのは、あの人が元々おかしいからだ」 と結論付ける前に、 組織や集団が生み出す力について反省してみる必要がある。
ところで、この観点は別に新しいものではないが、 個人的には、公衆衛生(の倫理学)を学んで改めて気付いたことだ。 自己責任と社会の責任というのは、倫理学的に非常におもしろいテーマだ。 どう料理すればいいのかわからないが、 やはり肥満や過食症や拒食症や喫煙や自殺といった、 一見自己決定に基づくように見える行為も、 統計的に見ると社会によって決定されている(あるいは、 社会ないし文化が個々人の選好形成に相当の影響を与えている) 部分が大きいことがわかるという話が、 自己責任に関して考えるきっかけになるだろう。
しかし(と話がどんどんずれていくが)、こういう事例を知って、 「自分は、自分が思っているほど自律的ではない」と自覚するのは、 かなり衝撃的で、足元がグラつく感じがする(と思う。今は別にしないが)。 そうか、公衆衛生の倫理学は、強制の正当化の話だけでなく、 自律について見直す機会にもなるんだな。社会疫学とかの、 いわゆる「社会的要因」についてもっと哲学しないといけないわけだ。 きっと社会学の研究者もこういう風に人を見てるんだろう (ベラーの『心の習慣』はモロにそれだ)。 「倫理、倫理と言っても、要するに社会の文化によって考え方は 決まってるんだってば」と。
しかし、社会学と違い、公衆衛生の場合は、社会的要因だけでなく、 純粋に生物医学的な要因もあるので、 単純な一元論にならずに済むのが救いだ(たとえば、 ウツは社会的・環境的要因だけでなく、遺伝的要因もあるなど)。 また、公衆衛生的介入による変化もありえるので、 個人あるいは集団のagencyというのも否定しないだろう。 言い換えると、 もし「介入するかどうかも、社会の文化によって決まってるんだよ」 という人がいれば、それはagencyの否定のしすぎだろう。 一応、個人や集団はある介入をやることもやらないこともできるのであり、 介入後に、後づけ的に「そういう文化なんだよ」ということはできるかもしれないが、 文化によって事前に完全に予測することはできない。 あれ、いつのまにか決定論の話をしているな。
まあ、いずれにせよ、穏健な立場は、個人の選好形成は、 当人が属する集団による影響をある程度受けるということだろう。 こういう意味では、 個人はvacuumに住んでいるわけではないという主張は正しい。
話を元に戻すと、自分の属する組織に調子の悪い人がいる場合、 その人を非難する前に、自分の行ないについて反省してみる必要がある。 それは、「あなたたちの中で罪を犯したことのない人だけが、 石を投げるがよい」という理由からではなく、 その人をその場所に追い込んだ原因は自分たちにあるかもしれないからだ。
しかしまあ、こういうことを言うと保守派の人からは、 「個人の責任を追及しないで、環境の責任にばかりしていると、 悪いことをして罰されない人々がでてきて、結果的に犯罪が増えてしまう」 と批判されるんだろうな。 結局、肥満は一部は個人の責任でもあるし、 また一部は社会の責任でもあるというような、穏健な立場が正しいんだろう。
なんてことを書いていたら、すっかり遅くなってしまった。 某功利主義原稿を早く書き上げないとまずいのだが。
帰宅。ラーメンを食べてマンガ喫茶に行きたい欲求を感じたが、 あと2週間はつつしもう。合理的に生きるのだ。
そういえば、国勢調査の書類はすでに書いて出したが、 自分が一人暮らしの女性だったら、ちょっと出しにくいだろうと思う。 人口については住民票とかも調査対象にするんだろうか。 出さない人が多かったために、調査の結果、日本の人口は1億以下となった、 なんてことにはならないんだろうか。
朝青龍優勝の記事を新聞で読んだが(月曜日の産経だったと思う)、 朝青龍は偉いと思う。以前から礼儀が悪くて、笑みも不敵で、 対戦相手の顔をよく引っ張たくし、 場所前はいつも稽古不足というのはいかにも感じが悪く、 琴欧州に比べると悪役が似つかわしく見えるのだが、 それでもずいぶん人間ができてきたようだ。
何よりも、6連覇するにはやはり相当の努力が必要だろう。 横綱も一人で、大関陣がふがいないので、 よきライバルがまだいないから、 場所前の稽古がおろそかになるのはわかるが、 それでも横綱の意地を見せて最後には優勝するのが偉い。 才能があれば一度は優勝できるだろうが、六回続けて優勝できるには、 やはり才能だけでなく相当の努力が必要だろう。 慢心して身を崩さないところが偉い。
スポーツは一般に勝ち負けがはっきりしていて、切磋琢磨できるから羨ましい。 研究も質の高さが明確にわかれば、もっと競争が起きて進歩も速いだろう。 科研費やCOEなんかは競争的資金と言われるが、 「どうせあの人が受かったのは旧帝大だから…」とか 「どうせ選考委員のコネだよね…」とか (事実かどうかにかかわらず)言い訳ができてしまうし、 本当に受かったものが落ちたものよりも優れているかどうかが スポーツほどには明確でないので、今一つ研究の質を高める役には立たない (少なくとも毎日毎日、「科研費のために」と研究をしている人は見たことがない。 もちろんこの時期になると、みながんばって書類を書くわけだが)。
とはいえ、 スポーツにも体操とかシンクロとか判断基準がそれほど明確でないものもあるし、 美術なんかもそうだろう。また逆に、理系の研究は哲学などに比べれば、 質の高さがより客観的に決まるのだろう。
まあ、哲学はスポーツに見られるような他人との競争というのがしにくい分野なので、 他人と競争するよりも、自分に打ち勝つというのが重要になってくるのだろう (とはいえ、明らかに自分より優れた論文を書く立派な人もいるので、 そういう人をロールモデルとして見習うということはあるし、 そうすべきだと思うが)。 とにかく、研究というのは一人きりでトレッドミルを走っている状況に近いが、 だからと言って手を抜かないこと。自分が相手であり、 毎回前回よりも少しでも優れた論文を書くように努力すること。
なんか今日はよく書いたな。
今日のニュース
昨日のこと。
某用語集用に書いた雑文に少し手を加えたものがCBELのウェブサイトにアップされたので、 お時間のある方はどうぞ。
朝に某病院内の喫茶店で某氏と朝食を食べたあと、 帰宅してお昼すぎまで寝る。それからまた大学に来て、 昼下がりから夜までミーティング。
ちょっと寝てから某海鮮丼屋で夕食。まだ眠い。
帰りの新幹線の中で。
京都に向けて昨日の朝、出発。 菊名で新幹線の切符を購入。 自由席と言ったつもりだが、あとで切符を見ると指定席になっていた。 めんどうなのでそのままにして、新横浜から自由席に乗って京都へ。 名古屋まではけっこう混んでいた。 新幹線では寢ずにひたすら談合についての論文を読む。
地下鉄とバスで百万遍へ。某和定食屋で昼食を取り、大学へ。 5人ほどで臨時政治哲学勉強会を開く。 某氏がミルに関する英語論文の草稿 (自由原理と功利原理の関係を間接功利主義的に解釈するというもの)を発表し、 オレがクリミンズによる近年のベンタム研究に関するサーベイ論文を要約し、 某氏が某用語集のために書いた「リベラリズム」と「共和主義」を朗読。 (政治的な意味における) リベラリズムは各人の善の構想に干渉しない政治的枠組みを作るという話だが、 共和主義は政治の運営に市民的徳を必要とするだけでなく、 三権分立などによって市民的徳の腐敗を防いでいる。 こう対比すると、 ひょっとするとリベラリズムにはその政体がやっていくために必要な 人間性を制度的に再生産できないのではないかと心配になるが、 自由の空気を吸えばそれ自体が教育になるのかもしれない。 いや、今日の日本を見ているとそんな楽観的なことは言えないか。
そのあと、某ビジネス倫理学研究会に参加。 夕方から夜まで中間報告的な発表を聞く。 自分がまともに準備していかなかったことを後悔する。 というか、執筆者要項をもらっていたことを失念していた。 家に戻ったら探し出さねば。
夜、みなで居酒屋で夕食。 D論、蒲田、沖縄、臓器売買など、 いろいろ話を聞く。
それからホテルに戻ってすぐに寝る。
今朝は朝食を食べたあと、さらに発表会。 オレも発表するが、 談合に情報倫理学的な考察を入れてほしいという注文が来たので、 よく考えてみないといけない。 どうも役人の側から予定入札価格などの情報が 業者に回ってくるというあたりを分析しないといけないようだ。 しかし、どうすべきか。情報の独占、漏洩、アウトサイダーの排除、 なんとかかんとか。まあ、もうちょっと調べてみることにしよう。
全体的には、利益の追求を主要な動機とする資本主義に対して、 別の動機(公共心、名誉、自己実現など)を提示する発表が 多かったように思う。 自己利益という、みなが持つ最低ラインの動機を利用して 社会制度を作るというのがスミスやベンタムの発想じゃないかと思う。 それに対して、別の、より公共善を志向する動機を用いた社会制度を 提案するというのはおもしろい。しかし、 問題は
などだと思う。 資本主義に対するマルクス主義の挑戦と同じようなものだ。 (2)はまさに昨日、共和主義で問題になった、 市民的徳の(再)生産という話とも関係する。 しかし、こういう(現在の経済のあり方を批判する)マクロな話は、 談合には適用できそうにないな。 いや、自由競争対談合というような議論はできる可能性があるが。
しかし、まあビジネス倫理学は裾野が広いものだということがわかった。 応用倫理学に対する自分のアプローチを考えるうえでも得るところがあった と思う。そのうち書き足すが、 応用倫理学には、ソクラテス的なアプローチ(相手の無知を暴露し、 ふり出しに戻させる)の他に、 ソフィスト的なアプローチ(何についても哲学者らしく語り、 また哲学者らしく語る方法を教える)、 アリストテレス的なアプローチ(常識的な意見を検討、総合する) があるように思う。
それから一緒に昼食をとり、解散、京都駅から新幹線に乗る。 車内ではさきほどまで爆睡。あ、もう新横浜だ。
帰宅。ちょっと寝よう。
ちょっと寝た。お腹が減ったので、チンゲンサイを炒めて食べる。
イタリアで大停電があったそうだ (BBC News)。 最近、米国・カナダだけでなく、 スイス南部やデンマーク、ロンドンでも大規模な 停電が起きているようだ。こうなってくると、なんとなく、 東京あたりでも起きてほしい気がするな…。
判断能力があり、 人工呼吸装置を外してもらえるように裁判所に頼んで死んだBさんと、 判断能力があり、 夫が自殺を手伝うことを許してもらえるように裁判所に頼んで認められなかった ダイアン・プリティ。法的には作為と不作為(積極的・消極的安楽死)という区別が あるが、この区別は道徳的(合理的?)には支持できないとシンガーは述べている。
今ひとつ集中して勉強できず。部屋だからかな。いや、それは言い訳だ。 逃避せずに勉強せよ。
起きる。ちょっと頭痛。寝すぎ?
シリアル。
シャワーを浴びたあと、某スタバへ。新聞。
曇り空のせいか、なんだか物憂い。 ジョージ・ハリソンの`Behind That Locked Door'が聞きたくなる。
ひさしぶりにビデオでも借りてみるか。
そういえば、ジーパンがゆるくなった気がする。 京都に戻ってきてから一週間でやせたのだろうか。
某古本屋で新書を少し買ってしまう。ここはあまり安くない。
さらに某所で上着を少し買ってしまう。 長袖の服がもう少し必要な気がする。 しかしあまり無駄遣いしないこと。
夕方、某イタリア料理屋で食事。新聞。スーダンの内戦、 アフガニスタンの現状など。
ビデオ屋に行ってみたが、結局なにも借りず。
そういえば、アイロンも必要なんだよな。
某クレジットカードの請求。電話代にぶっとぶ。 いかん。節約節約。
すこしウトウトする。
机に向かっている時間…4.25hr
今日の勉強時間…0.5hr
マルクス係数…0
勉強中。
勉強中。昼はうどん。
某当局から電話。 やはり国民年金は今年は免除されないとのこと。
昼下がり、大学に行く。
キャノン当局に電話して質問したところ、 いくつか助言をいただき、おかげでプリンタが動くようになる。 万歳。
某コムズからも連絡があり、電話も来週設置される様子。万歳。
あとは論文を書くだけ。がんばれ。
記載なし。
ああっ、また山から下りてきてしまった :-)
メイルをチェックしようと思って某所へ。 すると、先日新宿の紀伊國屋で買って、 いつ到着するのかとヤキモキしていた洋書が届いていた。
以上の本は研究室に置いておくつもり。みなさんお使いください。
さて、また山に籠るべし。眉を剃れっ。
昨日はちょっとゲーセンに寄った後(病気)、 下宿に戻って睡眠。 起きてから夕ごはんを食べた後、 ふとんに入って少し勉強し、また睡眠。 昼下がりまで延々と寝てしまう。
起きてからシリアル。おにぎり。 ベンタム。入浴。雨。 研究室に行く前に、軽音の練習のコマを取って、 元セブン(西部生協)で自転車のタイヤに空気を入れる。
日が暮れるのが早い。 スコフィールドの翻訳の推敲中。〆切近し。
・下宿生活になってずいぶん時間に余裕ができたはずなんだけど、あいかわら ず心に余裕がない。「ああ、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」って心持 ちになってる。
・当面やるべきこと。
・これ以外に今までの読書会や、授業もあるが、大したことはない(はず)。あ まり先のことは心配しないで、〆切まぎわに苦しむことにしよう。
・『お〜い竜馬』、十七巻、十八巻。ついに薩長同盟がなる。犬と猿の仲であっ た薩摩と長州に、竜馬が大きな情熱と尽力でもって手を結ばせる。すごい。
・これからバンドの練習。その後、高槻に帰るつもり。
♪帰ろう帰ろう洗濯物持って帰ろうっ♪(実はまだこちらに来て一度も自分で 洗濯をしていない…)
早朝。今日もまた一日が始まった。おはようございます。二時間しかねていな いが、元気に行こう。
朝。研究室にあるOCRの比較をしていた。日本語に関しては、やはりWin Reader PlusよりもWin Reader Proの方が識字率が良い。「やはり」と書くの は、古いPlusの方がよいと信じている人が研究室には多いからである。英語に 関しては、Omnipageの方がWin Reader Proよりも圧倒的に速い。識字率は同じ くらいである。ただ、Omnipageは読み取ったページの傾きの調整機能がついて いないのが欠点といえば欠点であり、逆にWin Reader Proには、パラグラフご とに改行マークをつけてくれる(つまりそれ以外の改行マークを省いてくれる) ブロック改行の機能があるのが利点である。何にせよ、日本語の識字率はもっ と高くなって欲しい。特に、縦書きの本で英語が横倒しで現われるやつ(わか る?参考文献とかのあれ)、あれを読めるようになって欲しい。
MicrosoftのAccessで「加藤研究室図書貸出ノート」を作ってみた。これから はこっちに書いてもらうようにする(江口さん、これで良いか見てくださーい)。 断わっておくが、これは加藤先生の提案なのであり、ぼくの独断偏見専制横暴 なのではない。それはともかく、未返却のものを今ずっと打ち込んでいたのだ が、某氏と某氏の未返却の本の数が圧倒的に多い。が、本名を書くと、死なさ れる恐れがあるので、伏せておく。