私の“早期臨床体験”

 

大阪大学医学部医学科3年次(1999年当時)
飯塚徳重

 

◎要約

 早期臨床体験では大学病院の病棟で2週間程度患者さんとお話をしたり簡単なお手伝いをすることが従来より行われている。しかし、この実習だけではもの足りなく感じた私は大学病院を出た後の患者さんの闘病生活についても興味を覚え、私自身のオリジナルな“早期臨床体験”を行った。その反響も含めて報告する。まず早期臨床体験のコーディネーターである総合診療部を訪ねてこの試みについて相談した。その結果、教官より特殊救急部にて救命治療を受けた後、長期の闘病を続けている患者さんを紹介していただいた。本人や家族、継続治療を受けた病院の医師、医療スタッフ等にインタビューを行い、闘病の歩みをまとめた。次に、インタビューの内容をHTMLを用いてまとめ、患者さんのプライバシーに配慮して本人、家族の承諾を得てインターネット上に公開した。見学した老人施設の方の紹介でこの内容が朝日新聞に掲載された。その結果、多くの人の言葉をいただき、さらに考えが深まると同時に励まされた。この実習を通して大学病院の外における患者さんの歩みを辿り、闘病生活の全貌を知った。同時に患者さんをとりまくco-medicalの方々の考えにも触れることができた。今後、この実習の体験が医療職を目指す私自身の糧になり得るように努力したい。


◎はじめに

 大阪大学医学部では1〜2回生の希望者は夏休みと前期基礎配属中に早期臨床体験の機会を得ることができる。大阪大学医学部における現行の早期臨床体験では、大学病院の病棟において平均2週間という期間の間、ボランティアとして患者さんに接することができる。専門的な知識を学ぶ前に患者さんと接することより、医療を施す側ではなく、医療を受ける側からものごとを見る視点を養うことを目指している。

 救急部に配属された私は一人の早期臨床体験参加学生として、次々と転院していく大学病院の患者さんの転院後の歩みに興味を持った。このことを総合診療部の教官に相談したところ、私の意向をよく理解していただくことができ、特殊救急部にて外傷急性期に治療を受けてその後もリハビリテーションを続けている、ある患者さんを紹介していただいた。ただし、具体的な内容作りを私自身が行うこと、またその結果を何らかの形で公表することを約束した。


◎方法

 

私の“早期臨床体験”

0:発案、教官との相談
1:教官より患者さんの紹介を受ける
2:インタビューのアポイントメント
3:患者さんや医療関係者をインタビュー
4:インタビュー内容をHTMLでまとめる
5:内容をインターネットで公開
6:反響を整理

現行の早期臨床体験

0:早期臨床体験プログラムが提示される
1:希望届けを提出する
2:教官の事前の指導を受ける
3:教官より患者さんの紹介を受ける
4:ボランティアとして患者さんと接する
5:レポートを提出

表1 私の“早期臨床体験”と現行の早期臨床体験との比較

 

 今回行った私の“早期臨床体験”の過程と現行の早期臨床体験の過程を表1に並べて示す。以下、各項目について述べていく。

 

0:発案、教官との相談

 早期臨床体験に際して、総合診療部教官よりどのようなことをきぼうしているのか、どのようなことがしたいのかについてそれぞれの学生に問いかけがあり、自分自身の考えていることを相談する機会が得られた。

1:教官より患者さんの紹介を受ける

 教官より長期にわたり闘病を続けている患者さんの紹介を受けた。受傷当時の状態と患者さんのその後の経過は表2のようである。具体的な手続きとしてはまず教官より実習として学生が訪れるという趣旨で患者さん本人とその家族に承諾をいただいた。その後改めて私が本人・家族・関係する医療関係者に会って今回のこの試みについての詳細な説明を行い、直接の許可を直接いただいた。

 

受傷当時の診断

* 外傷性クモ膜下出血
* 右硬膜下血腫
* 脳挫傷
* 右肺挫傷
* 左右第一肋骨骨折
* 右血胸
* 右鎖骨骨折

経過

* 交通事故にて受傷
* 大学病院の救急部に搬送され入院
* 生死を彷徨うが奇跡的に一命をとりとめた
* 約2年6ヶ月に及び7つの病院で入退院を繰り返す
* 約2年4ヶ月に及ぶリハビリテーションを目的とした通院
* 1年間に及ぶ高校再入学
* 約6ヶ月間は自宅で生活
* 約2ヶ月間に及ぶQ病院にて手の手術

表2 紹介された患者さんの歩みの概略

 

2:インタビューのアポイントメント

 一般教養の教育しか受けていない医学生であるという立場を明確にすること、社会人として、失礼のない行動をとることの2点を心がけて面会の約束等のインタビューの準備を行った。

3:患者さんや関係する医療関係者をインタビュー

 紹介された患者さんが現在通っているリハビリテーション施設を一人で訪れた。実際に行われているリハビリテーションをみせていただくとともに患者さんの家族の方から直接今までの経緯や苦労のあったことなどを聞かせていただいた。また、現在の担当医や理学療法士、作業療法士の方々のお話を聞かせていただいた。

4:インタビューした内容をHTMLでまとめる

 インタビューで得られた闘病の歩みや様々なエピソードをまとめた。教官との相談で、学術雑誌等への投稿にはなじみにくい内容のため、インターネットのホームページで一般のかたがたへの公開を目指すことになった。このため、ホームページ作成のためにHTML(Hyper Text Markup Language)を学習し、HTMLで内容をWeb化した。

5:まとめたものをインターネットで公開

 作成したHTML文章をインターネットで公開する際に、患者さんのプライバシーについて十分に検討した。患者さんを個人的に知っている方がホームページを見ても患者さん本人だと同定できないようにするとともに、内容を患者本人、家族に見ていただいて許諾をいただいた。


◎結果

 

作成したホームページ http://plaza.umin.ac.jp/~iiduka/early/index.htm 

 ホームページの前半は患者さんの経緯について簡単に記し、後半はその経緯の中でのエピソードを記した。記したエピソードのタイトル一覧を表3に示した。

* 握り返した手
* たこ焼き
* 祈り
* 峠
* マスク
* 理学療法
* 高校時代
* 観音様
* ベッド
表3 エピソードのタイトル一覧

 これらのエピソードの中の「握り返した手」というエピソードを一例として説明する。図1を参照していただきたい。

図1 握り返した手の概要図

 このエピソードは、意識が戻らず昏睡が続いている患者さんのもとを母親がまいにち面会に来ていたある日の出来事である。患者さんの母親が娘である患者さんの手を握った時に、娘が手を握り返したという。この時患者さんの母親は大変喜び主治医に対し娘の意識レベルに変化があったのではないかと問うた。医者は医学的な見地から意識レベルに変化はなく、握り返したのは単なる“反射”であると答えた。患者さんの母親のお話では、当時、娘の命は3日だろうと宣告されるほど重症であった。そのような絶望に陥った状況の中で生死を彷徨う娘を見舞いに病院へ行くためのささやかな原動力は、娘の回復の兆しであった。従って、たとえ医学的に望みがなくても、それを信じて毎日通院しなくてはならなかった。当時の主治医がこのエピソードを読んで、大変感激を受けたということであった。医学的な見地からはともかくも患者さんの家族のそのような胸のうちに思い及ぶことができなかったということであった。そうした希望の光とも言える回復の兆しが握り返した手であると思われる。

 

朝日新聞へ掲載される

 老人施設の方に作成した資料を紹介したところ、新聞記者の方を紹介していただいた。その後新聞記者からインタビューを受け、今回の試みについてアピールした。その後、1999年4月21日の朝日新聞夕刊に掲載され、医療関係者や一般市民からの反響があった。新聞記事の切り抜き(約700KB)

一般市民からの反響

 ホームページに対する御意見を一般市民から医療関係者・教育関係者に至るまで、広く頂戴した。その概要を整理したものを表4に示した。

 

反響をくれた方々

  • 外傷や病気の後遺症に悩む患者さんやその家族
  • 医療関係者、教育関係者、及び学生

反響の内容

  • ホームページで紹介したエピソードと同じような体験談
  • ホームページを見て激励された
  • 今回の試みに対する賛同、激励、期待
  • 自分の専門性とのリンク、医療人としての考え方の問い直し
  • 看護職の方はホームページの中において悪役でしか登場していないという指摘

表4 ホームページの反響

 

 反響をくれた方々は同じような境遇を経験した患者さんであったり、その家族・親戚や友人方であった。また、医療関係者、教育関係者、及びに学生の方々から反響をいただいた。寄せられた反響の内容は、ホームページで紹介したエピソードと同じような体験談やホームページを見て激励されたというものや今回の試みに対する賛同、激励、期待や自分の専門性と関連づけたコメントであったり、医療人としての考え方の問い直しが主であった。反響の中には看護職の方はホームページの中において悪役でしか登場していないという指摘もあった。

第31回日本医学教育学会での発表(1999年7月30日)

 早期臨床体験が塑像外の展開として広がったため、第31回日本医学教育学会で今回行った実習について発表した。試みとして大変意義深い実習であるという座長やフロアからのコメントがあった。ただし、他の大学の一般の医学生に対してもこのような実習をひろげられるかどうかについては疑問であるという指摘があった。

外部評価委員への提示(1999年11月17日)

 総合診療部の勧めで日本医学教育学会で使用したスライドを英文化して、大阪大学外部評価委員のQuilligan先生の前でearly exposureの萌芽的試みとしてプレゼンテーションしたところ、激励された。


◎考察

 この活動をはじめた動機は純粋な気懸かりだった。大学病院は高度な医療や研究活動や教育の場であることはよく理解しているので患者さんが次々と転院していくことは日常的な光景であり、また、それが必要であることもわかっているが、それでも転院していく患者さんの姿を見ると、一体これからどのような道のりを辿るのだろうかと心配になってしまう。早期臨床体験の期間が終わってもその気持ちは消えなかった。その気持ちにできる限り忠実でありたいと願い、今回のような活動を行った。

 今回の活動を早期臨床体験としてみたとき、学生自身が直接大学病院を飛び出して大学病院から転院した患者さんの経過を辿るという点において、現行の早期臨床体験とは異なると考えられる。このことにより、医者が患者さんと接している時というのは患者さんからみたときには一つの断片的な時間に過ぎないことがわかった。しかし同時に、その断片的な時間の中で医者が患者さんに及ぼす影響力の大きさにも驚いた。

 取材させていただいた患者さんの歩みは、極めて重い負傷を背負ったものであったが、回復に向かって努力する本人・家族の強靭な意志に敬服した。フィルムを持っていろいろな病院を訪れる母親の意欲は単なる祈りを越えた前向きなものであり、驚くべき回復の原動力の一つになっていると信じることができた。医師の言葉はそのような患者さんや家族に対し、医学的な側面以外にも極めて大きな影響を与えていた。しかし、医師以外の医療以外のスタッフ、特にリハビリテーション関係者の方々の力にも大いに感銘を受けた。同時にこうした方々が比較的長期にわたる歩みを見つめており、今回の内容に深い理解を示していただいたことにも感銘した。ある理学療法士の方がこのホームページと新聞掲載のために協力してくれたことはその一つの現れであった。しかし、私のホームページの中では看護職の方々は悪役でしかないという看護職の方からの指摘により、看護関係者の視点に欠けていたことに気づかされた。その意味で今回の試みにより、患者サイドからの視点だけではなく、様々な医療スタッフの視点にも気づかされた。

 この早期臨床体験の実習と現行の実習を通して出会った多くの患者さんと看護関係者、理学療法士といったco-medicalの方々の理解と協力を得ることができ、本当に幸せだった。そして彼らはこれから医者になる私達に、患者さんのことをもっとよく理解する医者になってほしいと願い、期待していた。私は幸いにしてこの実習などを通じてそうした声に気づくことができた。彼らの期待を真摯に受け止め、どのようにしたらその期待に応えることができるだろうかと考え、考えたことを実行していきたい。最後に、特に老人施設の理学療法士の石山 満夫氏、ボバース記念病院の大川 敦子先生、本学総合診療部の平出 敦先生に深謝したい。

文責:飯塚徳重

nori-osk@umin.ac.jp