医療事故をめぐる民事訴訟の数は急速に増加しており、2004年には1000件を超えるに至っています。また、これまで抑制的であった刑事司法の領域でも、福島での産科医師逮捕に見られるように、医療への介入が見受けられます。こうした動きは、一見、患者の権利と利益が保護されるようになってきた証と思えますが、果たして本当にそうなのでしょうか?
医療事故に直面した患者・家族が求めるものは、「真相の究明」「医療側の誠実な対応」「事故の再発抑制」「金銭的賠償」など、複合的です。患者・家族のニーズは、心理的・精神的な想いの深みから捉えられねばならないのです。
では、訴訟は、こうした患者・家族の想いに応えているでしょうか?訴訟に勝っても負けても、納得のいかない虚しさや恨みを持ち続けている患者・家族も少なくありません。医療事故市民オンブズマンメディオの調査では、医療裁判を経験した患者・家族のうち、66%が弁護士に不満を持ち(訴訟弁護士満足度:やや不満22%、とても不満44%)、71%が訴訟後も納得していません(訴訟結果満足度:やや不満6%、とても不満65%)。
もちろん訴訟は、事実を明らかにした上で法を適用する仕組みです。訴訟こそすべての真相を明らかにしてくれる最後の手段である、という認識が一般には流布していますが、これは誤解です。訴訟で明らかとなるのは、「法的効果を確定するために必要な事実」であって、限定された争点のみが議論され、臨床経過の全体像が明らかになるわけではありません。患者・家族が求める幅の広い心理的想いのすべてに、訴訟は応えることができないのです。また、訴訟は対立構造を前提としているため、両当事者が対決的に攻撃と防御を尽くすことになります。これは、患者・家族が求める「誠実な対応」の対極にあるものなのです。さらに、訴訟は責任の存否の確定を目的とするものであって、再発抑制に役立つ背景要因の分析や防止策の検討などはされにくいのが実情です。すなわち、訴訟は患者・家族の求める心理的な苦悩や悲嘆に根ざした人間的な想いに応えるどころか、むしろ逆の作用さえ及ぼしかねません。
また、訴訟の増加は既に様々な形で、医療のシステム全体に大きな影響を及ぼしてきています。第一に、医師がリスクの高い治療や処置を回避する、本来の診療より訴訟回避のための同意書の取得などに過剰なエネルギーを費やす、つまり、医療の現場で防御的医療の傾向が表れています。第二に、信頼関係を構築し、協調して病気に立ち向かうべき患者と医療者の関係が、疑心暗鬼に満ちた関係になり、コミュニケーションが貧困化することでかえって事故のリスクが高まること、などを挙げることができます。
もちろん、悪質なケースや医療機関の対応によっては、訴訟が必要なケースが存在することを否定するものではありません。しかし、訴訟が医療紛争を処理する仕組みとして中心的役割を担うような状況は、個々の患者・家族にとっても、国民全体にとっても、必ずしも好ましいことではありません。患者と医療者を対立者とするのではなく、それぞれのニーズに、より柔軟に応えられるシステムが今求められています。
そこで、民事訴訟とは別の形の医療紛争処理として注目されているのがADRです。ADRとはAlternative Dispute Resolutionの略で裁判外紛争解決手続きと訳され、責任の存否などの法的解決のみに当初から絞ってしまうのではなく、双方のニーズに応える解決を合意によって得ること目的としています。第三者の専門的知見を取り入れながら、実情に沿った柔軟で迅速な対応をとることが可能です。様々な形態の紛争解決手続きがあり、多様な理念や発想に基づくADRが多数存在します。その中で、医療に関する問題においては、次に述べる2つのタイプのADRが考えられます。
(1)裁判準拠型ADR
医療訴訟は多大な時間やコストを要するため、訴訟に踏み切れない患者・家族がたくさんいます。そこで、裁判や法的解決こそが本来あるべき適正な解決方法であり、手続きを簡略化することによって、それをより広く普及・浸透させよう、という考えによって作られるADRがあります。限定された争点のみが議論される点は、裁判と変わりなく、裁判準拠型ADRとも言えるタイプです。
(2)対話自律型ADR
裁判や法的解決では達成し得ない目的や満たし得ない当事者のニーズに、自由で柔軟なスタイルで積極的に応えていこう、という理念のもとに作られるADRがあります。患者側・医療側の納得を得たうえで、合意形成を目指すのです。私たちは、これを対話自律型ADRと呼んでいます。
医療事故が起こった際、患者側と医療側のニーズは、実は一致していることがほとんどです。患者・家族のニーズは前述しましたが、医療側のニーズも、「相手と向き合って対話をしたい」「臨床経過を明らかにしたい」「再発を抑制したい」「適正な金銭賠償をしたい」と複合的です。
では、裁判準拠型ADRと対話自律型ADRのどちらが、より医療紛争解決に適しているのか——それは間違いなく、後者でしょう。
裁判準拠型ADRの「裁判や法的解決こそが本来あるべき適正な解決であり、それをより広く普及・浸透させよう」という理念のもとで、医療ADRが制度化された場合、それは法的正義の美辞のもとで、実は法的権威を患者・医療者双方に上から押しつける権力的なシステムの拡張となるのではないでしょうか。最終的に当事者同士の合意で解決するとは言っても、その解決案は裁判例をベースに第三者である弁護士が提案し主導するという形になります。対話を求め、臨床経過中に起きたことを振り返り、さらに再発抑制など将来へ向けた解決を得ることで、事故の悲嘆を受容し乗り越えようとする患者や医療者の強いニーズには応えられません。医療事故市民オンブズマンメディオの弁護士満足度調査にあるように、弁護士や裁判に納得できず、虚しさや恨みといった感情的しこりを持ち続ける患者・家族を、どんどん増やすばかりとなってしまいます。その結果、国民全体に医療不信を拡張し、医療崩壊を加速することになりかねません。人間は機械ではありません。機械が故障したときのようにマニュアル通り修理すればよいのではありません。ひとりひとり違う人間にとっては、ひとりひとり違う形の納得が必要です。裁判例をベースに弁護士が提案し主導する法的解決では、ひとりひとりの複合的で多様なニーズには応えられません。
一方、対話自律型ADRでは、まず、当事者である患者側・医療側が求めるニーズから出発し、当事者自身が最善と思われる解決を自律的に模索していくという「私的自治」を追求していきます。第三者が仲介し対話の場を提供することによって「相手方と向き合って話したい」というニーズを満たします。第三者の専門家パネルによる事実の解明あるいは事案解明機関の報告を活用することによって「臨床経過中に何が起きたのか知りたい」というニーズに応えることもできます。このような対話を通して、納得のうえで合意形成し、さらに再発抑制策について患者側と医療機関が協議するなど、法的解決を超えた、柔軟で将来志向的な解決への道も開かれます。この場合、医療機関側に情報開示義務を設定することも必須です。また、対話促進のために仲介する第三者の役割は、当事者による自主的解決の創造を援助することであり、解決内容は当事者の自律と創造にできる限り委ねます。そのため、この仲介者には、自主交渉過程における対話を促進しながら情報を整序する緻密な専門技法(メディエーション技法)が求められます。それによって、激しい感情的なぶつかり合いを吸収し、当事者双方にとって有意義な解決が実現されるのです。さらに、ADR手続において話し合った内容については守秘義務を課して裁判などの法的手続きから距離を置くことで、より率直で柔軟な対話的解決が実現されます。
このように、対話自律型ADRにおける、患者・家族のニーズから出発して制度のあり方を考える視点が重要なのです。特に、次の3点が要請されます。
1)患者・家族と医療機関が中立的第三者のもとで、真摯に向き合って対話できる場を提供すること(対話ケアと合意促進機能)
2)事実解明をめぐって第三者的評価を提供できる仕組みを組み入れること
(中立的事実評価機能)
3)金銭的救済について社会的コンセンサスに基づいた再構成を行うこと
(無過失救済機能と保険制度設計)
こうした前提に立って、ひとつの試論的な見取り図を示しつつ説明していくことにします。
(1)患者サポートとスクリーニング
まず、センターの窓口に患者サポート機能を持たせ、ここで各種の相談に応じます。それと共に、その後の手続に進行すべき事案かどうか、相談者および相手方にその意思があるかどうかを確認することで、事案のスクリーニングを行います。また、医療知識や法的知識の面で、ハンディのある患者側には、そうした面での助言も含めて、対話合意形成(メディエーション)手続に入る前に、十分な権利擁護サポートを提供します。また、次の対話合意形成(メディエーション)手続開始後も、必要に応じ、助言やサポートを得られるようにします。
(2–a)対話合意形成(メディエーション)
両者が話し合いに応じることに合意した場合、手続は対話合意形成(メディエーション)へと進行します。ここでは、中立メディエーターの関与により、患者側と医療機関側が対話を通して柔軟な合意による解決を目指すことになります。メディエーターとは、事故の当事者が自分たちで問題を解決し、乗り越えられるように、紛争を解きほぐし、対話を促進して合意形成を支援する専門家であり、患者の権利を擁護しつつ、それを超えたよりニーズに合致した解決を可能にしていきます。この段階で、患者側・医療機関側の当事者が、事実について検証したり、賠償額について交渉を行うことになりますが、メディエーターがその中身について意見を述べたり、判断を示したりすることは一切ありません。当事者の紛争認識やニーズの分析に基づきながら、対話の制御による感情的問題へのケアと合意形成への援助提供に留めます。これは、事実の評価、賠償額評価といった判断については、十分な医学的知識および十分な法律知識を必要とするため、個々のメディエーターの判断に依存するのは難しいこと、また判断を示すことでメディエーターの中立性が損なわれてしまう可能性が高いことからです。
もちろん、単純な対話だけで解決が達成されるというわけではありません。とりわけ患者側は事実の評価や賠償額の算定について、第三者の判断を求めることも多いでしょう。その場合は、対話合意形成(メディエーション)手続に附設された、早期審査パネルに評価を諮問する手続きに至ります。ここでは、医師・弁護士らからなるパネルが専門的視点から適正な評価を示すことになります。その評価を受けて、これを目安にしながら両者が合意に達した場合には、合意内容を確定し終了することになります。
対話合意形成(メディエーション)手続は、単なる対話によって解決するというのではなく、客観的な専門的(医学・法律)評価をも組み込んだ複合的な適正手続モデルを指しています。
また、メディエーターは中立的第三者ではありますが、その立場は、単なる中立性(Neutrality)にとどまらず、不偏性(Impartiality)へと、考え方を発展させていく必要があります。 メディエーターによる対話の促進においては、患者側にも医療側にも共感しながら対話の橋渡しをするという、揺れ動くプロセスが重要だからです。極端に中立性だけを追求することによって、両者が納得する解決は得られません。形式的な中立性(Neutrality)にとらわれず、不偏性(Impartiality)という発展的な考え方のもとで制度設計しなければなりません。
(2–b)早期中立評価(早期審査パネル)
いずれかの当事者が望んで相手方も同意した場合には、第三者の医師・弁護士からなる早期中立審査パネルに事実の認定・評価、賠償額についての判断を仰ぐことができます。パネルは、客観的に可能な限り迅速に評価を提示しますが、この早期中立評価パネルの示す評価には、いっさい拘束力はありません。したがって、ここでの評価を得た上で手続は再度メディエーションに戻されることになります。こうして得られた中立的な事実評価と賠償額算定についての情報を参照しながら、さらに対話を通して賠償問題に留まらない柔軟で創造的な合意形成へ向けて対話を行います。合意が成立した場合には解決となりますが、合意が成立しない場合には、次の二つの可能性が残ります。ひとつは、これ以上センターでの処理を望まない場合で、この場合には訴訟ということになるでしょう。もうひとつは、センターの手続として設けられた中立裁定手続の利用です。
(3)中立裁定手続
両当事者がメディエーションにおいて合意に到らず、中立裁定手続の利用について両当事者がともに同意した場合、センターは医師および弁護士からなる高次審査パネルによる中立裁定手続を提供します。事実評価、賠償額算定など一定の争点について、パネルが厳密な審査の上で中立的裁定を下します。この裁定判断には拘束力があり、中立裁定手続を始める段階で裁定判断に従うことを両当事者が受容して初めて、手続を開始することになります。
以上が手続の概要です。このような「対話ケア・合意促進機能」と「事実評価機能」を組み込んだ中立的な第三者機関が、少なくとも全国8カ所程度に設置されることが望ましいでしょう。このためには、中立的第三者の人材育成が急務です。必要となる専門技能は、コミュニケーション技法やカウンセリング的技法だけでなく、心理学・社会学など学際的知見に基づく紛争構造分析を基盤とするものになります。また、万一医療側の不当な情報操作等があった場合、それを見抜くためにも、もともと医療の専門知識をもつ人材が務めることが望ましいでしょう。日本医療機能評価機構では、このような人材を育成するために、平成16年から医師・看護師等を対象に医療メディエーター研修を始め、既に延べ250人の医療メディエーターを養成してきました。これらの人材が、既に全国の医療現場で活躍しており、今後もその活用が期待されます。
裁判的解決を浸透させる裁判準拠型ADRが、法的正義の美辞のもとに設計されたなら、医師と患者の信頼関係がなければ治療が成立しない医療の分野に、疑心暗鬼と不信不満の拡張をもたらし、医療崩壊を一気に加速させることになりかねません。医療ADRにおいては、対話自律型ADRこそ機能的で、ニーズ応答的で、そして医療者と患者の関係を、悲嘆を超えてつないでいく、有意義な効果を持ちうるのです。現在、我々が直面している問題に対して、何が必要で何が機能的であるのかを、患者・家族、医療従事者という当事者の視点から捉えていくことが極めて重要です。厚生労働省には、そうした視点から制度設計していただきたく思います。