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日本内経医学会談話室

116:[ ユーズド価格で ]

説明不足で申し訳ありません。定価の下、〈1新品/ユーズド価格〉をクリックすると、新品は入手不可、ユーズドだけの販売になると思います。
色々な方が出品するせいか、妙に値がつり上がってしまい、こんな値段じゃ買わないよ、と笑えるモノもあります。先々、『中国医学の起源』にはどんな値段が付くのでしょうか。

02/08 23:26

115:[ ユーズド価格で ]

えっ、そんなにするの、と思って今検索したら¥2,957でしたが。
変な数字みたいだけど要するに消費税込みです。パーセンテージが変わった分が端数でしょう。

唐辺睦02/08 22:54

114:[ ユーズド価格で ]

山田慶児『夜鳴く鳥』、amazon.co.jp で検索するとヒットします。ずいぶん前、どなたか探していませんでしたか?でも、定価の3倍ですか…。

02/08 21:37

113:[ ちょっとまってよ ]

文句をつけたいのは、何で逮捕されたかをきちんと報道してくれ、と言うことですよ。
超音波検査や診断書作成が医師法違反だというのは、まあしようがない。血を抜いたときに感染症でもおこして訴えられたとしたら、それは医師法がどうのこうのじゃない。瀉血で瞑眩を来したのなら、治療家の説明不足というものです。
いきなり「医師資格なく血を抜く」と言われておそれいっていたら、例えば刺絡学会の人々の努力はどうなってしまうのか。例えば松田さんの『針灸の世界』は「針灸師が血を抜くことを扇動した」書物ということになりかねない。

神麹斎02/03 14:05

112:[ ちょっとまってよ ]

ちょっとまってよ。
「医師免許を持たずに、……超音波検査や診断書作成、血液を抜くなどの医療行為を行った疑い」(日本経済新聞)
「超音波検査をして診断書を作成、交付したり、「瀉血(しゃけつ)」と呼ばれる血を抜く医療行為をした疑い」(河北新報)

「医師免許を持たずに、……超音波検査や診断書作成などの医療行為を行った」には反論するつもりは有りませんが、「医師免許を持たずに、……血液を抜くなどの医療行為を行った」という言い方には、異議を申し立てるべきだと思います。
(他に有りますが、文章的に日本経済新聞と河北新報が一番微妙です。朝日新聞はいきなり「医師資格なく血を抜く」です。)

神麹斎02/01 14:04

111:[ オランウータンに脈診舌診 ]

http://enews.url.com.tw/archiveRead.asp?scheid=31772

猩猩 01/25 00:01

110:[ 参考書名紹介2 ]

●鍼灸名著集成 華夏出版 1996年 128元

・鍼灸甲乙經     【晉】皇甫謐 撰
・銅人閻ァ穴針灸圖經  【宋】王惟一 撰 
・針灸資生經     【宋】王執中 編纂
・針經指南      【元】竇漢卿 著
・潔古雲岐針法 竇太師針法 【元】杜思敬 輯注
・針經摘英集     【元】杜思敬 輯注
・扁鵲神應針灸玉龍經 【元】王國瑞 編集
・十四經發揮     【元】滑壽 撰著
・針灸大全      【明】徐鳳 編撰
・針灸集書      【明】楊珣 編纂
・針灸節要聚英    【明】高武 纂集
・針灸大成      【明】楊繼洲 原著
・針方六集      【明】呉昆 編纂
・循經考穴編     【清】嚴振 編撰

小林健二 01/16 21:57

109:[ 参考書名紹介 ]

●中国針灸穴位通鑑 青島出版社 2004年 548元

●中国針灸史図鑑 青島出版社 2003年 560元

Google http://www.google.co.jp/
で探せば,販売しているところ分かります。
個人で調査して下さい。

小林健二 01/16 21:55

108:[ 1月15日の日本内経医学会講演会のメモ ]

1月15日の日本内経医学会講演会のメモ
(1)
中華民国行政院衛生署中医薬委員会 中医薬資訊網
中医薬中醫藥典籍全文下載(102冊)
http://www.ccmp.gov.tw/public/public.asp?
selno=712&relno=712&level=C


(2)
中華民国経済部
http://www.moea.gov.tw/
経済部智慧財産局 中醫古籍瀏覽
http://210.69.13.134/bin/show_gen.exe?
STARTPRO=/kmsdata/iposrh91/bin/oldbk1.pro&template=mdold_view&pre_index=-1


(1)(2)のURLは,各2行になっていますが1行につなげて下さい。(?で区切られていますがつなげること)

小林健二 01/16 21:51

107:[ 張燦邇セ『黄帝内経文献研究』校正 ]

108頁9行目“玉版”→《玉版》
112頁下3行目《秦問》→《素問》
137頁下5行目 曲頬→曲頷
 『洗冤集録』の翻訳、徳田隆『中国人の死体観察学』80頁によれば、
 結喉の上は鬆ヲ(下顎骨の最前面)があり、鬆ヲの両側には曲頷(顎孔付近)があり……

余嘉錫 01/12 09:50

106:[ 新年おめでとうございます ]

今年は、島田先生の7回忌で、島田家の7回忌とは別に、仲間内では偲ぶ会を考えています。それから、去年は丸山先生の没後30年だそうですが、併せて両師を偲ぶ会にしましょうか。とはいっても、丸山先生をご存じの方も少なくなってきてますので、どうなるか。
ご希望、ご意見があったら、書き込んで下さい。

かいちょう 01/01 22:31

105:[ 張燦邇セ『黄帝内経文献研究』 間違い探し その5 ]

105頁4行目
長之道也→養長之道也

ユニコードCJK統合漢字拡張領域にある漢字を探すのに便利なものに、
BabelPad (Unicode Text Editor for Windows)
http://www.babelstone.co.uk/Software/BabelPad.html
がありますが、
そのもととなるBabelMap (Unicode Character Map Utility for Windows)
http://www.babelstone.co.uk/Software/BabelMap.html
が最近、バージョンアップしたようです。

神麹齋先生の研究で、上海と武陵の関係がよくわかりました。ありがとうございました。

余嘉錫 12/30 11:40

104:[ 武陵の顧氏 ]

「武陵の顧氏を未だ人名辞典に発見してない」を撤回します。
『中国人名大辞典』附録「姓氏考略」に、「(前略)越王句踐之支庶。封於顧邑。子孫遂氏焉。世爲呉著姓。望出武陵。」と有りました。つまり、顧といえば世間ではもともと呉地方(上海も含む)の著名な姓であると考えており、その中でも有力な一族は武陵の出身である。とすると、父親が顧は呉中の大姓であり自分は中でも上海の出身であるとして上海顧定芳と署し、息子は呉中の大姓の中でも望族の武陵の顧氏の出身を誇って武陵顧從徳と署したところで、なんら不都合はない。張燦邇セ先生の勇み足だと思う。
で、結局「故此書不足信」がどういうつもりかはわかりません。「明」字の不審は誰か言ってましたかね。

「小指次指之間」については、揶揄して書いたのを、まともに取られたようです。いや、私の文章もわかりにくい。

神麹斎 12/30 10:58

103:[ 無題 ]

89への返信
 今度は合っているようです。なんでしつこいかというと、皮膚の内、皮膚の間、皮膚の中、という紛らわしい記述があって、どう理解すればいいのか、それなら個々の用例について整理し、きちんとした解釈を得たいと考えているからである。これが解釈できないのに、腎間の動気、という重要語も手をつけられないと思っているわけです。最初の解釈があって、習慣的にそれを踏襲する癖がついるので、ひとつひとつやり直すような取り組みも必要でしょう。
 

かいちょう 12/30 09:36

102:[ 有るんだけど ]

譱峨ソ嶺ッ驤€
ユニコードCJK統合漢字拡張領域Aには全部有るんですよね。
有ったって使わなければどうにもなりません。
多分、マイクロソフトの次のOSでは普通に使えるようになると思うけど。でも、使う気にならなければどうにもならない。

唐辺睦 12/29 21:32

101:[ おわびと訂正 ]

『季刊内経』161号(2005年冬号)に訳出した黄龍祥先生の論文において,今昔文字鏡を使用した外字がほとんど適正に変換・表示されておらず,黄龍祥先生ならびに読者の方々に多大な迷惑をおかけしたことをこの場を使いお詫び申し上げます。
以下の如く読み替えてください。
躰→逍秩{貴
易→逍秩{頽
囲→骨+行

訳者荒川緑 12/29 18:53

100:[ 今のところの私的な理解 ]

張教授の論説は棚上げにしておいて、顧定芳と顧従徳の関係、ひいては両者の識語についての(今のところの私的な)理解は以下のようなものです。

顧定芳は、上海に住居して『素問』を校正していて、明の脩職郎直聖濟殿太醫院御醫になった。校正された『素問』を息子の顧従徳が、嘉靖29年に刊行した。その際に顧従徳は本貫を武陵と書いた。これは普通には武進と書くべきだったかも知れないが、雅称として武陵を用いるくらいのことは許される。(そもそも湖南省常徳の武陵の人という可能性も否定はしない。ただその武陵の顧氏を未だ人名辞典に発見してない。)
顧従徳が親父の顧定芳が校正した『素問』を刊行したのも、顧定芳が明の脩職郎直聖濟殿太醫院御醫であったのも事実だけれど、巻末の顧定芳の識語は清代になって商魂たくましい者が新たに加えたものである。だから埋木になっているし、「明」などという余分の字が加わり、顧定芳が上海在住の有名人ということで本貫を「上海」としてある。

神麹斎 12/29 09:31

99:[ 上海の人が武陵山人と号する ]

改めて顧定芳と顧従徳の関係を考えてみるに、やっぱり父子と考えたほうが辻褄が合いそうです。顧定芳は「明脩職郎直聖濟殿太醫院御醫上海顧定芳校」で、顧従徳の家大人は供奉「内藥院」なんでしょう。同一人物じゃないですかね。
考えてみれば、顧定芳の識語の内容はともかくとして、書き方自体に疑問は有る。明代に刊行した書物にどうして「明の」と書く必要が有るんでしょう。林億は単に「光禄卿直秘閣」でしょう。
張燦邇セ教授はこの識語の内容はほぼ信頼するけれど、書き方を疑って、ついに顧定芳と顧従徳の父子関係までを否定するに至った、ということかな。ここのところはどういう具合に考えても腑に落ちないんだけど。
でも、父子でも里貫が異なることが有ると考えたほうが、やっぱりすっきりする。
われわれに馴染みの有る人では、顧観光というのがいます。清代に『素問』『霊枢』の校勘をやった人です。金山の人で、金山は今の上海に属しますから、「上海人」と書くことは有ったと思う。そして別号に「武陵山人」というのが有る。普通に考えれば武陵の出身かそこに住んだかでしょう。もっとも、この武陵は湖南省常徳とは限らないだろうけど。武進の顧氏と称する人は人名辞典にしばしば見つかる。詳しく言えば武陵の人だけど、おおまかに言えば上海の人という顧さんがいたって、そう不審は無いと思うけど。

神麹斎 12/29 08:59

98:[ 呉中の顧氏 ]

「宏治間人」とあったら、通常「宏治年間に活躍した」と理解するんじゃないかと思うんですが、どこにそんなことが書いてあったか、となると全く自信が有りません。

ただ、「有声朝宇」とか「世宗嘉之曰:定芳非医也」とかを見ると、嘉靖にはすでに功成り名を遂げた姿が思い浮かびます。やっぱり、顧定芳が『素問』の校正したのは弘治年間じゃないか。

そもそも父子(顧定芳と顧従徳)の里貫が異なるのと、同時代に同姓のしかも無関係の『素問』校正者が二人(顧定芳と顧従徳の親父)いるという偶然と、どちらがより不自然なのか、よくわかりません。
この両方に無理矢理に折り合いをつけようとすると、弘治年間にすでに顧定芳が校正していて、結構有名になっていて(なってなくても良いけれど)、それを顧従徳の親父が手に入れてさらに若干の手を加えていて、孝行者の顧従徳としては識語で親父のほうの仕事をちょっとだけ紹介しておいた。後の商売人はそんな顧従徳の親父なんかより顧定芳の名前のほうが売りやすいから改竄した。まともに考えても、顧定芳の仕事のほうを評価すべきだと考えたのかも知れない。
まあ、以上はつじつま合わせのための妄想です。

父子でも里貫が異なることが有る、と証明したらお終いなんですがね。もともと顧と言えば呉中の大姓でしょう。その分れが武陵に移住すれば武陵の顧氏と言うことも有るんじゃないですかね。本宗にかえって言えば呉中の顧氏だろうし、上海というのは、むかしの呉中、いまは上海というつもりかも知れない。でも「里貫がこのように異なることがあろうか」が文史に詳しい張燦邇セ教授の意見ですからねえ。

神麹斎 12/28 20:07

97:[ >弘治の間と嘉靖29年も、充分に長い ]

顧定芳,宏治間人……精医理,嘉靖時,以太学生荐薦御医

これは、「弘治年間に生まれて、嘉靖時代に御医になった」と読んではいけないのでしょうか。
たとえば弘治13年(1500)生まれだとしたら、嘉靖29年は50歳になる。
「宏治間人」とあったら、通常「宏治年間に死んだ」と理解するのですか。
弘治は18年間ですから、少なくとも「この間に生まれて死んだ」という意味ではないことはわかりますが。

余嘉錫 12/28 17:35

96:[ 張燦邇セ先生の写真 ]

張教授には、最近では2004年に上海での医古文学術研討会でお会いしてます。
写真が私のWEB霊蘭之室に有ります。INDEX頁の下方のlaoshimenをクリックしてみてください。(撮影は私ではありません。)
やや足がご不自由なようですが、骨折なさったかどうかはわかりません。張教授はかなりの文人なので、何かの比喩かも知れませんが、「折股」は『漢語大詞典』にも有りませんね。

「顧定芳・顧従徳非父子説」に「具体的な書名・個人名を出していない」というのを重視すると、「故此書不足信」の「此書」は「此説」の誤りじゃないか。それくらしか思いつきません。
弘治の間と嘉靖29年も、私にはやや長い、というか充分に長いような気がします。
校正した人と刊行した人がともに顧氏というのは単なる偶然かも知れないし、それを利用して箔をつけようとした後人の存在も可能性が無くはない。

他に何か可能性は考えられますか。

神麹斎 12/28 11:56

95:[ >古い原稿を清書するに際して不用意に削ってませんかね ]

 削ってはいないと思います。張先生は「顧定芳,或以為即顧従徳之父,恐非是」といって、具体的な書名・個人名を出していないので、それをあらためて「此書」とは呼ばないのではないでしょうか。。
 ところで、序言で「此集本系五年前旧稿,後因折股之故、未能続研。」(この論文を集めた本は五年前の古い原稿によるもので、その後股を折ったために、続けて研鑽することができなかった」)と述べています。
 ここの「折股」は、本当に「骨折した」という意味でしょうか。それとも比喩かなにかで、故事来歴のあることばなのでしょうか。
 どなたか張先生に会われた方はいらっしゃいませんか?

余嘉錫 12/28 11:06

94:[ 85:[ 木書?] ]

「本書」の間違いかも。

闖薗| 12/28 10:41

93:[ わかりませんねえ ]

で、だから結局「故此書不足信」がわけがわからなくなる、ということなんでしょう。
「顧従徳本が刊行された時には,きっとすでに御医顧定芳の校定を経ていたので,この識文があるのだ」けれど、識語自体は顧定芳の校定を経た『素問』が有ったという情報を利用して偽物を作った、と疑ってるんじゃないでしょうか、魚加戯氏は。宏治は清の高宗の諱を避けたんで、弘治の間は1488~1505、嘉靖29年は1550。顧定芳の校定はすでに伝説になっていたかも知れない。でも御医になったのは嘉靖の時みたいだし……。
国立中医薬研究所本の顧定芳の識語は、私が見ても相当に疑わしいですね。小曽戸先生は「結論は,保留したい」と慎重ですが、魚加戯氏としては小曽戸先生の指摘が有るから遠慮して、「すでに指摘されてます」と一言ふれておいたんで、自分としては確信してるんじゃないか。
張教授が「顧従徳が嘘を書いている」と主張しているとか、「顧従徳が出版したことさえ否定している」とかも考えにくい。その場合も「元明間の『素問』刊本でもっとも佳いものと称するにたる」と言うのは変じゃないですか。
「顧定芳・顧従徳非父子説」だから、顧定芳の識語は偽物の疑いが有るというのも、一応は筋が通っているような気がします。「ボロが出たから偽物だ。」
ただし、顧定芳の識語も顧従徳の識語も本物で、間違っているのは、世の人が顧従徳の「家大人」は顧定芳だと、勝手に思いこんでいることだけかも知れない。考えてみれば顧従徳の識語中にはそんなこと言ってない。
だから、本当は「顧定芳・顧従徳父子説」を主張している書物のことを「此書」と言っていると考えるのが一番すっきりしそうなんだけどねえ。余嘉錫氏によるとこの『黄帝内経文献研究』の校正には相当問題が有りそうなんですが、古い原稿を清書するに際して不用意に削ってませんかね。

神麹斎 12/27 23:59

92:[ 顧定芳の識語は信じるに足る ]

 張燦邇セ先生は,「顧従徳本が刊行された時には,きっとすでに御医顧定芳の校定を経ていたので,この識文があるのだ」(79ページ下から9行目)と述べています。
 つまり張先生は,少なくとも顧定芳の識語は疑っていないと思われます。
 なお,小曽戸先生は埋木の疑惑は指摘されていますが,「結論は,保留したい」と書かれています。(日本経絡学会『素問・霊枢』322ページ下段)

闖薗| 12/27 21:47

91:[ 顧定芳の識語は信じるに足らず ]

張燦邇セ先生の文章にも時々わかりにくいものが有って、ここの理解にも自信が無いんだけど、顧定芳が校正して顧従徳が刊行した書という経緯を疑ってみえるんじゃなかろうか。
実際には「明……太医院御医上海顧定芳校」という識語が、間違いなく有る版本を見たことは無いと思う。台湾の国立中医薬研究所から出ている本の、この一行は埋木でしょう。小曽戸洋先生の解説で、すでに指摘されてます。四庫善本叢書本には有りません。所謂『宋本素問』は彫り直しだから問題外。
で、結局のところ顧定芳の識語は疑わしい。同じ顧氏だからと当時かなり有名であった顧定芳の識語を誰かがでっちあげたけれど、里貫が齟齬するので、張燦邇セ先生クラスの目は逃れられない、と理解しました。
だから、顧従徳本自体は「元明間の『素問』刊本でもっとも佳いものと称するにたる」と言える。
張燦邇セ先生の文章がそういうつもりの文章なのかどうか、肝心なところに自信が無いんですが。

魚加戯 12/27 13:57

90:[ 故此書不足信 ]

張燦邇セ『黄帝内経文献研究』79頁 (六)明嘉靖二十九年顧従徳翻刻『素問』本
 第二十四巻の釈音の後に「明……太医院御医上海顧定芳校」という識語がある。顧定芳を顧従徳の父と考えている人もあるが,おそらく正しくない。この識語では「上海顧定芳」とあり,後の頁にある顧従徳の識語では「武陵顧従徳」と称している。明の上海は今の上海の地であり,明の武陵は今の湖南省常徳の地である。どうして父子二人が同じ書に署名するのに里貫がこのように異なることがあろうか。「故此書不足信」。

 張燦邇セ教授は,顧定芳と顧従徳の親子関係を否定しているようである。(二人の関係に関しては,日本経絡学会刊行の『素問・霊枢』に付されている小曽戸洋先生の解説などを参照してください。)
 張先生の説の是非は今置いておくとして,おうかがいしたいのは,張教授がいう「此書」とは何を指しているか,です。
 一応,可能性のあるものを挙げてみます。①『顧従徳本』。②顧定芳の識語。③顧従徳の識語。①に関しては「元明間の『素問』刊本でもっとも佳いものと称するにたる」といっているので,否定できると思います。②に関しては,これを信じられないというと,張教授のいう顧定芳・顧従徳非父子説の根拠がなくなるので,これでもないと思います。すると残るのは,③ですが,そう考えてよいのでしょうか。ほかの可能性はありますか?
 ③を否定するということは,顧従徳が嘘を書いている,と教授は考えているということでしょうか。それとも,顧従徳が出版したことさえ否定しているのでしょうか。
 ご意見うかがえればさいわいです。

余嘉錫 12/27 10:30

89:[ 小指と次指の間、小指の次の指の端 ]

やっぱりわかりにくそうなんで、ちょっと整理します。

結論としては、「小指次指之間」は「小指と次指の間」、「小指次指之端」は「小指の次の指の端」でしょう。だから、中国の排印本で「小指、次指之間」とするのは良いけれど、「小指、次指之端」はやっぱり変だと思います。

「小指之間」とか「大指之間」とかいう書き方が有りますから、「小指次指之間」は「小指の次の指(=薬指)の間」のつもりと言えなくもないけれど、小指や大指と何かの間は一つしか有り得ないのでまあ良い(のかも知れない)として、薬指には両側に間が有るので、これはやはり屁理屈にすぎない。森立之が中指次指について揶揄しているのと同じようなことです。

いくつかの書き込みの混乱は、
> 「小指次指之間」は「小指小指次指之間」から(前の)「小指」を省略した例で、「小指之間」は「小指小指次指之間」から(後ろの)「小指次指」を省略した例というわけですか。
でしょう。どうも、かいちょうさんの説明はそういう意味じゃなくて、小指次指之間は小指「小指」次指之間の「小指」を省略した、ということのようです。「小指と小指の次の指の間」と言わずに、「小指と次の指の間」とだけ言う。これを「小指と」を略して、「小指の次の指の間」とだけ言う、という説明と誤解していたようです。で、それは変でしょう、と。
小指之間が何から何を省略したものかは(78では)説明してなかった。それを、「小指と小指の次の指の間」から「と小指の次の指」を略して、「小指の間」とだけ言う、と説明するつもりかと理解して、それ大丈夫かな、他でそういう例は見たこと無いなあ、と。

かいちょうさん、今後はあってますか。

神麹斎 12/26 13:39

88:[ 混乱してますか ]

え~と、ちょっと混乱してます。

やっぱり「小指とその次の指の間」です。
私は、
> やっぱり「小指と次指の間」なんじゃないですか。
と言ってますが、「その次の指」=「次指」のつもりです。小指の隣の(次の)指は、小指のさらに外側には有りませんからね、当然、親指側の隣です。

で、屁理屈を言えば「小指の次の指の間」と言えなくも無かろうが、それはいくら何でも……、というつもりです。
> 「小指の次の指」と何かの間となったら……
云々は、「小指の次の指」=「薬指」で、これだと薬指の親指側の間か、それとも小指側の間か、という難癖が中指の場合と同様に出てはきませんか、だからこの解釈(小指の次の指の間)はちょっと問題でしょう、ということです。

79の前半は、「78のかいちょうの説明は、こういう意味ですか」という質問です。

どっちみち屁理屈なんですが、「小指次指之端」を中国の排印本ではしばしば「小指、次指之端」とするみたいだけど、良いのかなあ、というのが本題なんだと思います。それだと「小指と次指の端」になりはしないか、本当にそういうつもりなんだろうか、とまあ不思議がっているだけです。他はどうでも良いことなんです。

ただ、途中で出てきた「小指之間」とか「大指之間」とかいう、「何との間であるか」を省略する書き方は、普通にやることなのかどうか、ちょっと不安ではあります。小指にしろ大指にしろ、「間」は片一方にしか無いんだからそれで良いんだ、と言えるのかなあ、とね。
それはまあ良いとしても、だからと言って「小指の次の指」=薬指として、薬指之間とは書けないだろうから、小指次指(=小指の次の指)之間もまずいでしょう、というつもりです。78のかいちょうの説明を誤解しての感想になっているかも知れない。

やっぱり上手く言えないなあ。

神麹斎 12/26 12:20

87:[ 張燦邇セ『黄帝内経文献研究』 間違い探し その4 ]

『黄帝内経文献研究』76頁14行目:
次年付印告峻
「峻」は「竣」の誤字であろう。

余嘉錫 12/26 09:31

86:[ 小指次指 ]

「小指次指之間」は「小指小指次指之間」の省略。
「小指之間」は「小指小指次指之間」から「小指次指」を省略したか、「小指内間」の略か。

「小指次指之間」を「小指の次の指の間」というのは、なるほど屁理屈ではあるけれど、「小指の次の指」と何かの間ではなくて、やっぱり「小指と次指の間」なんじゃないですか。

*と神麹斎さんはいうけど、やっぱり「小指とその次の指の間」であり、どうして「小指の次の指と何かの間」と解釈したんですか。その辺から、混乱してますよ。明らかに。

かいちょう 12/26 09:01

85:[ 木書? ]

張燦邇セ『黄帝内経文献研究』71頁20行目:
林億等之校勘,継承了漢唐以来前人校勘経験,綜合試用了以別本、別書与木書内容自校及拠理相校的方法……
「木書」とは? 誤字でしょうか?

余嘉錫 12/25 13:54

84:[ 張燦邇セ『黄帝内経文献研究』 間違い探し その3 ]

64頁2行目:
葉徳輝按:“《宋志》作《天 上 天 寶 金 鏡 靈 樞 神 景 蜈ァ 編 》九 卷。”
 葉徳輝のどの本から引用されたのか分かりませんが,前後の文や『宋史』から考えて,「天上」は「太上」の間違いでしょう。

余嘉錫 12/23 23:26

83:[ 三省堂『全訳漢辞海』第二版 語義増加例 ]

12/3に,三省堂『全訳漢辞海』の第二版では「安」の語義解説が増えたことを述べましたが,今回は他の例を紹介します。
 「寧」 接続詞。「寧……寧」「寧其……寧其」「寧……将」 選択の疑問を形成し,……「Aであろうか,それともBであろうか」と訳す。
 副詞。いったい。あるいは。(中古漢語で,疑問文の前に置き,推量の語気を添え,文末の「……か(耶・乎)」「……ヤいなヤ(不・否)」と呼応する)
 以上の二つの語義が増えています。
接続詞で,選択疑問文を作る例は,以前「寧……寧」と「寧……将」に出くわしたことがあるで,この辞書に書き込んでいましたが,辞書に認められてよかったと思いました。(ひょっとして,こういう解釈は誤りかと不安がありましたので)副詞の方はやりすごしたか,まだこのような文を読んだことがないのか,この義には気づきませんでした。

闖薗| 12/23 10:20

82:[ 張燦邇セ『黄帝内経文献研究』 間違い探し その2 ]

59頁2行目と4行目:「胡郎切」
 「郎」は「浪」の誤り。

余嘉錫 12/23 08:59

81:[ 楽しみ ]

『素問』『霊枢』を読むのは楽しみなんですがね。
ちゃんと読み解けば、楽にもなると思う。
まあ、先の話ですがね。

神麹斎 12/23 08:37

80:[ 張燦邇セ『黄帝内経文献研究』 間違い探し ]

39頁下から12行目:『魏書・崔彧傳』「彧少嘗詒青州」
 「詒」は「詣」の誤字。

余嘉錫 12/19 09:37

79:[ 省略? ]

「小指次指之間」は「小指小指次指之間」から(前の)「小指」を省略した例で、「小指之間」は「小指小指次指之間」から(後ろの)「小指次指」を省略した例というわけですか。
(そういう意味じゃないのかな。)
「小指次指之間」を「小指の次の指の間」というのは、なるほど屁理屈ではあるけれど、「小指の次の指」と何かの間ではなくて、やっぱり「小指と次指の間」なんじゃないですか。
「小指」と何かの間といえば、小指の外側には何も無いのであるから、次指(薬指)との間の外には無いわけだけど、そういう言い回しの例は見た記憶が無い。
「小指の次の指」と何かの間となったら、森立之じゃないけれど、小指側の間なのか、中指側の間なのか、という問題がまたぞろ出てきやしませんか。

神麹斎 12/16 22:12

78:[ ]

 間字は、AとBの間という意味で、その間の隙間、空間、領域を意味します。したがって、小指次指之間という場合は、A小指とB小指次指の間の領域ということになります。小指小指次指之間、の小指が省略されたものと思われます。間という場合は指のまた、つまり水かきのところで、端という場合は尖端を意味します。

かいちょう 12/16 18:44

77:[ 小指之間 ]

『霊枢』衛気行には、小指次指之間のほかに小指之間とか大指之間とかいうのも有りますね。
 足太陽→小指之端
 手太陽→小指之間外側
 足少陽→小指次指之間
 手少陽→小指之間
 足陽明→五指之間
 手陽明→大指之間
これだと、小指次指之間にも「小指の次の指の間」という可能性は有りませんか。

唐辺睦 12/08 18:53

76:[ 小指の次の…… ]

繆刺論の「刺足中指次指爪甲上」について、森立之は「(『太素』と同じく)『甲乙』にもまた「次指」の二字は無い。従うべきである。およそ経文には大指次指とか小指次指とかはあるが、中指次指などというものはない。中指次指といったのでは食指なのか無名指なのかわからない。笑うべし、笑うべし」と言っている。つまり、「~の次の指」ですね。
「小指次指之間」のほうは、まだ何も見つけてませんが、まあ「小指と次指の間」なんでしょう。
中国で最近出版された『太素』排印本のひとつでは、ほとんどを「小指、次指」としていますが、「小指の次の指」の場合の「、」は、本当はおかしいんじゃないかと思います。中国の「現代標点符号」がどういう規定になっているのか、よくは知りませんが……。

神麹斎 12/06 21:02

75:[ 小指次指 ]

変な質問かも知れません。
「小指次指之間」と「小指次指之端」の「小指次指」は、同じ意味なんでしょうか。
「小指次指之間」は「小指と次指の間」、「小指次指之端」は「小指の次の指の端」のような気がするんですが。

初学者 12/05 09:47

74:[ ありがとうございました ]

「安」 『経伝釈詞』に出てくる素直でない?文字の使い方は、もっぱら先秦時代か漢代ぐらいまでで,宋代ではもう使われないのではないかという気もしないではないですが、反語でないのはたしかのようですね。
ありがとうございました。
これにめげずに読み進めたいと思います。

余嘉錫 12/04 15:22

73:[ 成書于漢代説 ]

張燦邇セ先生の文章は「成書于漢代説」の一部です。そしてその結論として、おおよそ次のように締めくくっています。

……その「或医卜未焚,当時必有岐黄問答之書」と言うところは是認できるし、かつまた秦漢の時期にはなお托古の風があったという時代背景に符合しているから、そのおおよその年代について、西漢の時期を下限とするというのにもかなりの道理が有る。だからと言って僅かに以上の端緒を根拠にして、「安得文之以成耳」と断言するには、なお説得力の有る証拠を欠いている。

だから、おそらく闖薗|氏の「つまり。すなわち。スナハチ。ここに。《ある条件が備わると次のことが出現する》」にあたるという意見のほうが妥当だと思います。
とは言うものの、『全訳漢辞海』の初版にはそういう語義は載ってなかったんでしょう、どうしてそういう字を使うんですかね。意地悪なんでしょうか、それとも『全訳漢辞海』の編者の単なる粗漏だったんでしょうか。
すなおに「於是得文之以成耳」と書いてくれれば良いのに。
(ひょっとして、「於是」を合わせて「焉」一字、さらに音が近いから「安」とも書かれる?そういう「焉」は文末に置くのが本当らしいけど。)

神麹斎 12/03 23:27

72:[ 後半部分 ]

 後半部分は,明代の郎瑛が,宋の聶吉甫のことばを引用した部分です。聶吉甫によれば『素問』は淮南王の作と考えられています。それで「或」とつづきます。そこでこの「或」は別の可能性に言及しているわけです。「あるいは別の可能性としては,医術と占いの書は秦の始皇帝による焚書の対象から免れたのだから,当時(漢代)にも岐伯と皇帝の問答の書はあったにちがいない。それでこれを文章として成書することができたのである」。 書き下し文「安(すなわ)ち之を文して以て成すを得るのみ」
 「安」は反語ではなく,接続詞だと思います。『經傳釋詞』巻2に「安,猶『於是』也;乃也;則也……或作『焉』」とあります。釋大典『文語解』は「ココニ」と訓みます。三省堂『全訳漢辞海』(第二版)の「安」の六番目の語義に「つまり。すなわち。スナハチ。ここに。《ある条件が備わると次のことが出現する》」にあたると思います。(なお,この語義は初版には載っていません。第二版では(おそらく)すべての引用文に書き下し文がつきました。虫眼鏡が必要です。)
 「安」を反語に読まない根拠の一つは張燦邇セ先生の引用文の最後に反語を示す「?」がついていないことです。たとえば『黄帝内経文献研究』6頁末行にある余嘉錫先生の『四庫提要辨証』からの引用文には「安知不早(見)于亡書之中乎?」と「?」がついています。(「見」は脱文。『辨証』により補う。ついで:9頁の「沈作讒」の「讒」は「喆」の誤字。)ですから,張先生も「安」を少なくとも反語とは解さず,「安んじて」か「すなわち」「ここに」と解釈したのではないかと思います。もう一つの根拠は,たぶんに印象によるのですが,反語の文末には「耳」はこないような感じがすることです。

闖薗| 12/03 21:42

71:[ 枯れ木も山の…… ]

『素問』の文が上古のものでないのは、人の知るところであるし、全元起の著したものという考えかたも有るが、とても隋唐の文章とは思えない。……医術と占いの書は焚書を免れて、当時(漢代)にも岐伯と黄帝の問答の書は有ったはずであるから、どうしてそれをわざわざ修飾して完成させるなどということがおこり得ようか。

魚加戯 12/03 08:55

70:[ 張燦邇セ『黄帝内経文献研究』を読み始めました。 ]

その10頁で郎瑛『七修類稿』を引用していますが,以下の部分をどなたか現代語訳していただけないでしょうか。
 『素問』文非上古,人得知之,以爲即全元起所著,猶非隋唐文也。……或医卜未焚,当時必有岐黄問答之書,安得文之以成耳……

 なお,同文は『素問識』素問彙攷の四の表(東豊書店版なら,19頁~20頁)にも見え,返り点も付いています。(『七修類稿』では,巻15末にあります。上海書店の活字本は「人」の前に「,」はありません。
張先生はおそらく『素問識』を参考にして書かれていると思われるので,多紀元簡と同じように句切られています。)
よろしくお願いします。

余嘉錫 12/03 00:26

69:[ 赤蜻蛉切羽而… ]

 八百屋に売っていない農産物が好きで、毎年へちまやひょうたんを作っています。ヘチマは若い実を食べたり、束子にしたり…。ヒョウタンは千成ヒョウタン以外は苦くて食べられなかった…。
 そんで、今年は「ハバネロ」なる唐辛子の種が手に入ったのでそれを作ってみました。

             辛くて食べられない

 沖縄の調味料「こーれーぐーすー」を真似て泡盛に着けてみたのがこの間の瓶の中身です。今は茨城方面に行きました。

 酒屋に行ったらウォッカに(別種の)唐辛子が2本漬かった物も見かけたので、他の蒸留酒でも色々試しましたが、泡盛漬が一番好みに合いました。
 そういえば、台湾で似たような唐辛子漬を見た際に「どうして高いの?」って聞いたら「米酒貴」と言われました。

 まだ、沢山成っています勇気の有る会員諸兄の挑戦をお待ちしています。

尾乙蘭 11/29 09:25

68:[ 沈ジュ農さんの執筆原稿の紹介 ]

たまにチラッと本を開くと、あんがい本が自分を呼んでいるかのように、おもしろい記事に遭遇します。
「黄帝内経研究集成」(王洪図主編)上冊P189--217の61番から75番まで、沈先生が書いています。
第四節・黄帝内経詞語解説というところです。
参考に。

詁林(コリン) 11/23 23:39

67:[ 金版拝受いたしました ]

 本日は神農祭がありました。真柳先生が来られて、金版『素問』の寄贈を受けました。ありがとうございます。シリーズで善本を刊行するそうなので、これを機に、会でも揃えようかと思っています。
 

かいちょう 11/23 21:22

66:[ 金版『素問』 ]

中華再造善本はとても美本なので、医書を時々、北京の梁さんにお願いして割引で買ってます。それで金版『素問』は当学会にお世話になってばかりにつき、寄贈するつもりで2部注文していて、一昨日いろんな書と一緒に届きました。今ここを見たところ会長は購入済みとのことなので、当学会に寄贈しましょう。23日の湯島聖堂・神農祭に持って行こうと思いますが、どなたか来ていますか?

真柳 11/19 21:19

65:[ 島田先生の墓参 ]

 島田先生の墓参について、小林先生から1月という提案がありましたが、丸山先生の墓参を、寒いという理由で2月から3月に移していますから、1月案はきびしいものがあろうかと思いますので、当分の間は今まで通りの8月第1日曜日で墓参をとり行いたいと思います。

かいちょう 10/18 12:48

64:[ お久しぶりで御座いました。 ]

 家本誠一先生の素問訳注を注文された方々へ
 増版について先生は、「大量に発注しないと赤字の為、増版はしない事にした。」との事で、中国古典医学研究会では、先生からWordのデータを頂き、校正しながら印刷し、{手作りの本}を制作する事にいたしました。
 本が届かず、不安な日々を送られた方には大変ご迷惑をお掛けしておりますが、完成次第発送いたしますので、もう少しお待ち下さい。

古医研番 10/14 19:05

63:[ 霊蘭之室の電子文献について ]

小林さんが『中医臨床』の連載記事「東洋医学のためのパソコン入門講座」で,私の「電子文献書庫」に言及してくれたんだけど,私自身が要領を得ないので,補足を。
取りあえずこの談話室にたどりついているわけだから,右上の[TOP]をクリックして,内経のINDEXページにもどってください。左に縦長のフレームがあって,中程に赤で「会員紹介」とあるのをクリックしてください。開いたページにある「霊蘭之室」をクリックすれば,とりあえず「霊蘭之室」の扉前にはたどり着きます。
問題はそこからで,IDとpasswordがないと入れません。なにやらおそろしげなことが書いてありますが,実際には申し込まれて断ったことは一度たりともありません。ただし,申し込まれもしないのに押しつけたのはほんの数人です。内経の古くからの仲間で,掛け値無しに友人あるいは老師と思っている人くらいのものです。

左合昌美 09/22 16:05

62:[ 島田隆司先生の墓参 ]

年のはじめの1月を希望します。
もしくは2月。
3月は鎌倉
4月は学期始まりでいろいろと忙しい
5月は鍼灸祭り
6月は雨
7、8は暑い
それ以降もあわただしいので。

小林健二 09/21 23:51

61:[ 島田隆司先生の墓参 ]

 恒例の島田隆司先生の墓参は、命日(8月10日)に一番近い日曜日に行っています。今年は、8月7日でした。暑さが最高潮の時期ゆえ、参加者はさほど多くありません。そして墓参をしても慌ただしく帰るのが常です。というわけで、日にちを移動したいと考えます。誕生日ですと3月11日。この月は丸山先生の墓参があり、一月に2回は無理でしょう。そういうわけで、皆さんの忌憚のないご意見を需めます。

かいちょう 09/15 22:53

60:[ 金刻本その後 ]

 本日、その中華再造善本の『素問』金刻本が到着しました。確かに国立北平図書館旧蔵の金刻本であります。「四十六巻」とあるのはどういう意味かわかりません。ちなみに、13巻が残存し、そこには都合41篇が含まれます。価格は22176円でした。丁寧に仕上げてあり、二万強は安いかもしれません。研究したい人は、お貸ししますので、日本内経医学会事務局までお申し出下さい。ちなみに、影印は、東方医学善本叢書(オリエント出版社)にあります。

かいちょう 09/09 14:55

59:[ 金刻本 ]

 遠回しで眺めまわしているような、触れたいけどさわれない、金刻本?ですが、会で買って、皆で廻したほうがいいと思うので、値段的には再造さんのが一番安そうなので、頼んでみてもらえないでしょうか(品物、請求書は、かいちょう宛)。

かいちょう 08/13 22:47

58:[ たぶん本物 ]

2万2000円でも5万5000円でも,試しに購入してみるわけにはいかない点では同じですねえ,私にとっては。
でもそれこそ「たぶん」本物の,銭超塵教授が最近何度か紹介された金刻本『素問』の影印だと思います。でなければ《中華古籍善本真存》叢書に入る資格が無いでしょう。わざわざ蝶装にする気にもならんでしょう。
でもねえ,私には試してみる勇気とお小遣いの余裕が有りません。

神麹斎 08/13 07:05

57:[ >たぶん ]

3万7000円X60%=22200円
http://www.nlcpress.com/tw/zzsb/pop_qy.asp

再造 08/12 18:57

56:[ たぶん ]

たぶん,「たぶん」と言っている書店だと,3万7000円弱の値段で広告しています。そこの情報だと蝶装です。

たぶん 08/12 16:52

55:[ どことはいいませんが…… ]

たぶん、2萬5千円あれば入手可能でしょう。

再造 08/12 15:30

54:[ 東方書店では ]

黄帝内經素問(綫装1函5冊)
中華再造善本(金元編・子部)
〔唐〕王冰 注 〔宋〕林億 等校 〔宋〕孫兆 改誤
北京 北京蝗セ荵ヲ鬥・o版社
173388  2004年12月 55,440円 
ISBN7-5013-2661-4(取り寄せ) 
四十六巻。金刻本。

神麹斎 08/12 15:16

53:[ >金刻本『素問』 ]

北京図書館に金刻本の『重広補注黄帝内経素問』があることは、目録書で知られていました。
ただ、残っているのは、巻3.5.11.18.20のみのはずです。(『全國中醫圖書聯合目録』)
これだと5冊という数には合致しますが、四十六巻という数字がどこから出てきたのか不明です。
お値段は、2万円ぐらいですか?

闖薗| 08/12 13:19

52:[ 金刻本『素問』 ]

中華再造善本(北京図書館出版社)(金元編・子部) に
黄帝内經素問(綫装1函5冊)
〔唐〕王冰 注 〔宋〕林億 等校 〔宋〕孫兆 改誤
四十六巻。金刻本。
というものを見つけました。これって本当に金刻本なんですか。
若干疑わしいけれど、胡蝶装という情報も有るから本物かも知れない。
本物なら欲しいけど、試しに購入してみる値段では無いような。
(本物か、というのは勿論、本当に金刻本の影印なのか、という意味ですよ。)

神麹斎 08/11 16:06

51:[ 好奇心旺盛という名のビョーキ ]

実はね,沈教授の講演会に私の古い友人で,医学とは全く関係ない人が聴講に来ていて,自分の「日記」に感想を書いています。
 http://d.hatena.ne.jp/sutendo/
いや,世の中にはこういう物好きもいるんだよという意味で紹介しておきます。
おたがい,好奇心は失いたくないよね。

神麹斎 08/02 13:36

50:[ 講演会 ]

 沈氏講演会は盛況の内に終わりました。あまり広報していなかったので、身内だけの参加かと思ったところ、40名も参加してくれました。懇親会も半数が参加し、大いに盛り上がりました。また、会場のケアをしていただいた別府先生には大いに感謝いたしております。沈氏の内容は、「内経」に掲載する予定です。

かいちょう 08/01 09:47

49:[ 夏の講演会のお知らせ ちょっとだけ詳しく ]

日時:7月31日(日)午後2時~5時
場所:東京医科歯科大学臨床講堂Ⅰ
演目:『太素』の俗字と誤字      日本内経医学会 左合昌美
   異体字とはなんぞや       日本内経医学会 宮川浩也
  ☆中医古籍異位字与『内経』研究  南京中医薬大学 沈 貔鵠_教授
  ◎質疑応答 他
参加無料
東京医科歯科大学の最寄り駅は、JR中央線お茶の水です。
夕刻からは、沈貔鵠_教授と懇親会の予定が有ります。参加希望者はご連絡願います。

*会員には地図つきの案内を送ります。
*会員外で参加希望の方は、事務局(miyakawa-daikei@umin.ac.jp)まで、メールで申し込んでください。地図つきの案内を送ります。

管理者 07/12 13:20

48:[ 中国出土資料学会(追補) ]

№46の沈先生の講演は、第一番目で、1:30~2:30くらいです。先の案内では二番目になってましたが、都合により変更になっています。学会のHPをみて確認してください。

かいちょう 07/08 16:59

47:[ 沈先生の講演会会場の訂正 ]

☆夏の講演会のお知らせ☆
日時:7月31日(日)午後1時~3時(予定)
場所:東京医科歯科大学
講師:南京中医薬大学 沈貔鵠_教授
演題:未定(ご専門は文字学です。)

会場を誤っていたようです。訂正いたします。
そろそろもう少し詳しい案内が出せると思います。

管理者 06/27 20:25

46:[ 7月9日 中国出土資料学会 ]

7/9(土)1:30~4:30
お茶の水女子大学

・敦煌医書符号標記誤解例析
・沈■農氏(南京中医薬大学教授)

非会員でも来聴歓迎
500円

詁林(コリン) 06/22 01:44

45:[ 『素問識』成書の過程 ]

昨年来,話題にしていた『素問記聞』と『素問考』の複印を,宮川会長と相談して,日本内経医学会からお贈りしたところ,銭超塵教授からお礼のメールが入りました。差し支えない範囲で,以下に紹介します。

……多紀元簡は中国で最も尊敬されている学者の一人であって、彼の『素問識』は『素問』を学ぶ際の必読の著作であり、『内経』を研究し学習するうえでの重点書籍の一つであります。中医文献の研究が深まるにつれて、『医古文』が人々に重視されるにつれて、多紀元簡の『素問識』もますます人々の関心を受けるようになっています。現在、多くの中国の学者の関心は、多紀元簡にはどうしてこのような巨大な学術成果が可能だったのか、彼の師匠は誰なのか、彼の『霊枢識』の学術水準はどうして『素問識』に比べて見劣りするのか、といったところにあります。私が思うに、こうした問題を研究することは、中国そして日本の学界のいずれにとってもすばらしいことです。贈っていただいた『素問記聞』と『素問考』は中国人がこうした問題を研究するのに際し多大な助けとなります。……

正直なところ,『素問識』成書の過程の研究は,ややおろそかにされていると思います。ある意味で恥ずかしいことです。銭教授に刺激されて点火される会員の出現を期待します。

左合昌美 06/15 09:23

44:[ 学研新漢和大字典の話し ]

学研の字典がやっとでたんですか。
10年前に真柳先生と荒木先生が作業していました。
原稿出したのに、出ない!出ない!と言っていました。
出典の引用や用例など手伝いました(影ながら、少しだけ)。
ずいぶん誤りがあり、業界用語を訂正したそうですよ。

詁林(コリン) 05/26 00:49

43:[ 沈先生の講演会 ]

☆夏の講演会のお知らせ☆
日時:7月31日(日)午後1時~3時(予定)
場所:日本医科歯科大学
講師:南京中医薬大学 沈貔鵠_教授
演題:未定(ご専門は文字学です。)

南京中医薬大学の沈貔鵠_先生が、6月の末から8月の末にかけて、日本学術振興会の招聘で来日されます。
沈氏の最近の業績には『医心方校釈』の主編が有り、近々『中医古籍用字研究』という著作も発行される予定です。現代中国における医古文研究、特に文字学に関しては第一人者です。
昨年の上海に於ける医古文学会の際にお近づきになれたご縁で、内経医学会でも講演していただく機会が得られました。
願っても無い機会です。お見逃し無きようお勧め、ご案内申し上げます。
勿論、通訳付です。翻訳した資料も計画しています。

管理者 05/21 11:48

42:[ こちらが普及版 ]

http://www.jbook.co.jp/product.asp?product=2601819

闖薗| 05/20 01:01

41:[ 学研新漢和大字典 ]

藤堂明保・加納喜光先生の20数年ぶりの改訂版が出ました。
改訂のポイントとして、「中医学(漢方)・本草・仏教用語を大幅増」とあります。
http://www.jbook.co.jp/product.asp?product=2601820

闖薗| 05/19 15:30

40:[ 松田先生の次作 ]

 松田先生のことだから、『鍼灸の挑戦』では終わらないと思ってました。「次回作は、必ずや、内経医学会の日中を股にかける文献研究活動を、要所要所に盛り込んだ内容になることでしょう。どうぞ、ご期待ください!!」 と仰有ってますから、入魂の一作になるのではないでしょうか。楽しみにしています。

かいちゅう 05/14 09:51

39:[ EmEditor Professional v4.14 beta7のお勧め ]

お勧めと言っても、大量の漢字を使いたい人にお勧めと言うことです。
現在、大量の漢字を使いたい場合、ユニコードのCJK統合漢字拡張領域Bまでを使えば約7万が可能です。とは言っても、これをまともに表示できるEditorは有りませんでした。あるものは一字分だけ空白が生じ、今までのEmEditor Professionalでは、半角分だけ次の文字が重なってしまいました。
友人の一人が重ならないというメールをくれたので、試してみましたがやっぱり重なってました。そこでEmEditorの作者に問い合わせたところ、やっぱり重なっていて、今のところ拡張領域Bまでは対応してないので、今後なんとかしますという返事でした。それが確か4月の25日のことです。今朝メールをチェックしたら、対応させたから試してみてという連絡が入ってました。勿論、早速試してみました。完璧です。感動的です。速やかな対応にも感激です。
前のバージョンでも重ならなかったという友人は、()に入れた文字と重ならないように見えたと言うことではないかと想像しています。()だとフォントによってはもともと半角分の領域にしか筆画が無いことが有ります。
EmEditor Professional v4.13はシェアウェアで4200円、v4.14 beta7はベータ版ですが、そのくらいの費用と冒険は充分に報われると思います。

神麹斎 05/13 08:17

38:[ 出版記念会への参加、ありがとうございました ]

1万円もの会費の出版記念会に、皆様をお招きするのは心苦しかったのです。結果からすれば、天満さん家族のご尽力で、ホテルニューオータニを格安で借りられたこと、程農化さんの二胡が期待に違わぬ至高の音色を奏でてくださったこと、井上雅文先生が、石田秀美さんの書評をふまえて『鍼灸の挑戦』を位置づける絶品の挨拶をしてくださったこと、などが相まって、近来まれに見る異次元空間であったかなと思います。
率先して参加頂いた、内経医学会の諸兄姉に、こころから御礼を申し上げます。次回作は、必ずや、内経医学会の日中を股にかける文献研究活動を、要所要所に盛り込んだ内容になることでしょう。どうぞ、ご期待ください!!

Mail 松田博公 05/10 16:06

37:[ 松田さんの出版記念パーティ ]

5月8日に、松田さんの『鍼灸の挑戦』出版祝賀のパーティーが、内経医学会も発起人に加わって開かれました。
でも、じつはこの出版とうちの会はあんまり関係無いんです。
この本は現代日本の鍼灸臨床界のルポルタージュであって、内経医学会は「独自の臨床体系を持たない」というようなことを標榜しています。
だから、『鍼灸の挑戦』の内容とは、直接的にはあんまり関係が無いんです。
松田さんは大事な会員であって、その人がライフワークの一つをまとめて、それが幸い評判も良さそうだから、一つお祝いをしよう。じつにすっきりとしている。
こういう性格の会が、日本に一つくらいは有って良いだろうと、あらためて思います。

友人代表 05/10 06:31

36:[ 『素問釈義』 ]

書店の『素問釈義』の予約募集広告に:
「歴代の中日学者の『素問』研究の成果を大量に引用し、100万字に及ぶ巨著を1年で書き上げ、学術史上の奇跡と賞される。」
と有りました。実は奇跡というほどのことは無いんです。試みに『素問識』と『素問紹識』と、それから『素問原識』あるいは『原識素問』とかいうところに墨塗りしてごらんなさい。ほとんど真っ黒になってしまう。後は同僚の考察と自己の按語です。同僚による『素問』研究書も実は数種類でしょう。10冊も抱えて歩けば、従軍中に書き続けることも、全く不可能とか奇跡とかいうものではない。
それでも、我々の能力からすれば、信じがたく偉大な作業ですけどね。

神麹斎 04/30 16:12

35:[ 電子メール ]

古典に関する問い合わせに答えたり、意見を述べたりするときには、どうしたって一般よりも特殊な漢字を使用します。だから、メールソフトで送信しようとすると、エンコードをUTF-8にしなさいという警告がしばしば出ます。そして、それに従って送信すると、相手側から文字化けと言われることがしばしば有ります。
今時、UTF-8に対応していないメールソフトなんて無いと思うんですが、いろんな人のいろんなメールソフトに対して、どうすれば大丈夫かなどと適切なアドバイスを送るほど、私のパソコンの知識は高くありません。
常識的にはエンコードをUTF-8に設定すれば読めそうなものなんですがねえ。
少なくとも古典に関心有る人のメール環境は、すべからくユニコードCJK統合漢字が充分に使えるようになってもらわないと不便でしょうがない。

神麹斎 04/27 08:42

34:[ 無題 ]

『黄帝内経太素校注』を入手して約半月になりましたが、いや、ひどいもんです。
編者たちの学者としての限界なのか、主編者のスタッフ統率能力の不足なのか、はたまた出版社のいい加減さのせいなのか、いずれにせよ、これは中医古籍整理叢書の中で汚点になるだろうと思います。

これに対する批判が、『医古文知識』や『中華医史雑誌』に載るのはいつごろだろう。あるいは、身内のことだからかばって何も言わないのだろうか。

ひょっとすると結論だけしか書かない『黄帝内経太素語訳』のほうがましかも知れない。買うつもりは無かったけれど、やっぱり買おうかな。

神麹斎 04/26 08:22

33:[ 審定 ]

う~ん、なんと言うか……。
昨年11月初め、銭超塵先生にお会いした時に、『黄帝内経太素校注』の出版が遅れている事情をおうかがいしたところ、「人民衛生出版社正在審稿」ということでした。その時の先生の渋い顔が忘れられません。銭先生も勿論、審定委員の一人です。

神麹斎 04/14 20:57

32:[ 無題 ]

覗いてみました。あきれました。
これが本当に、中国の『太素』研究の水準なんですかね。

通りすがり 04/14 18:35

31:[ 黄帝内経太素校注 ]

中医古籍整理叢書の『黄帝内経太素校注』がやっと出版されました。
太素を読む会の掲示板であげつらってますから、よかったら覗いてみてください。

最初の頁にもどって、左脇の会員紹介の少し下にリンクがはってあります。

神麹斎 04/12 14:51

30:[ メール送信について ]

真柳先生にはご迷惑をおかけしました。
沈先生には、GBコードに置き換えて送りなおしたつもりです。内容は「太素を読む会」の掲示板に書き込んだ挨拶とほぼ同じもので、たいしたことではありません。
で、今後のために数人の仲間に協力をお願いして、テストをしてみました。
結果的には、私のメールソフト(現在はMozilla Thunderbirdです)で、エンコードを日本語(ISO-2022-JP)にしてHTML文書として送信すれば相当な内容(具体的には『太素』の冒頭をテスト資料にしました)が、問題なく表示されるらしい。らしい、というのは私自身はどう設定してテスト送信(自分の別のアドレス宛に)してもきちんと表示されるからです。
どうして、他の人の場合、UTF-8で送ったHTML文書が化けるのかがわかりません。少なくともソースを開いてみると自動できちんとコード指定は入ってます。私自身はOutlook ExpressやBecky!(どちらも最近、普段は使ってません)で受信してもきちんと見えてます。
今後、アレッと思ったら、取りあえず「表示」→エンコードで日本語(ISO-2202-JP)かUnicord(UTF-8)を指定してみてください。
私個人の設定は、当分の間は日本語(ISO-2022-JP)にしておきます。それで中国、韓国あても大丈夫なのかどうか、もう一つ自信が有りませんが。(予想としては駄目だと思う。ただ、UTF-8で駄目だった経験も有るような……。)

左合昌美 04/08 11:34

29:[ 沈氏 ]

茨大の真柳です。南京の沈氏の来日日程が決まりました。6/28来日で、8/26帰国です。彼と私のスケジュールからこうなりました。なお三日後の4/10から半年間、長春中医学院医古文の崔為助教授もここに来るので、今年は医古文づいてます。

またさっき沈氏から来たメールでは、以下に貼り付けたように左合から来たメールが化けて読めないとのことです。彼はウェブメールしか使っておらず、エンコード等のことは知るはずないし、ウェブメールごとにその手順が違うはずなので、彼に説明しようがありません。それで、左合さんから再度日本文でいいですから、それをGBコードに置き換えて送っていただけますか。それなら彼も読めるでしょう。なお彼は今以下の二つのメルアドを使っていますが、ヤフーの方が突き返されることがありません。
shshn0@yahoo.com.cn
shnshen0796@sina.com
取り急ぎ連絡まで。草々

  左合昌美先生扈刮蒟書来了E-mail,但全是乱遐=C没法看到,菴黴€可否蟶ョ我閨伯n一下左合先生,告隸苑シ怎譬キ蜿題ョゥ我看得到的文本。写日文也可以,一般髫セ度的日文我能看諛aC但前提是不能譏セ示乱遐=i菴黴€的个人网鬘オ上的日文的内容我能看得到)。
  隹「隹「!
                 沈貔榊・
                 05-04-07

真柳 04/07 17:42

28:[ 丸山先生の墓参 ]

 3月27日は、丸山先生の墓参をしました。筆者らは午後から行ったので、先発隊とは北鎌倉の駅でバトンタッチでした。先発隊はおそらく9名、後発隊は3名。都合12名の墓参でした。来年は、隊長の金古先生が、そばがきをすると言ってたそうです。以前にもやりました。その時はわが家の子供も同行したので、10年くらい前のことだと思います。
 亀ガ谷の丸山旧宅は、壊れずに残っていました。なぜか立ち寄ってしまうのですが、20年来のコースなので習慣になっているんでしょうね。ちょっとした「故郷」になりつつ有ります。
 湘南新宿ラインを使えば、早く着くし、早春の鎌倉はなかなかいいですよ。来年も3月第4日曜日に墓参をします。気が向いたら、ぜひどおぞ。
 

かいちゅう 03/29 11:40

27:[ 廖育群『医者意也』中国伝統医学の「伝統」と「革命」 ]

 華佗のことは,中国人なら誰でも知っている。現代医学の影響と科学教育の薫陶を受けている我々は,華佗の開腹手術を高く評価しているが,その高等技術が受け継がれなかったのは何故なのか。古代の医家は多く手術療法に否定的な態度を取ってきた。張杲『医説』・虞摶『医学正伝』・喩昌『医門法律』などは華佗の開腹手術を指弾批判している。
 かえって,華岡青洲は華佗が作ったという「麻沸散」の麻酔効果に刺激されて,「通仙散」をつくり,乳ガンの切除手術を行っている。
 これと比して,中国の古代医家は華佗の開腹手術や麻沸散の伝説などからいささかも影響されず,新たな創造の動機や熱情を呼び起こされなかった。その原因は「伝統中の伝統」という巨大な影響力があったからである。
 古代にも「外科」は存在していた。しかし,「遐ュ」や「鈹鍼」などの手術道具を使った「外科」とは,実際のところ,外部の疾病を治療することと定義でき,現代医学の「外科」(手術を治療方法の核心とする)とは意味するところが異なる。
 宋代以後,知識階級の医学に対する態度に明らかな変化が生じた。それまで,医家を「君子の歯牙にもかけぬ」「百工の賤業」視していたのが,転じて「良相とならざれば,良医となる」ということになった。医学は「格物窮理の一端」とされ,多くの儒医が出現した。
 眼科治療の方面では,内服薬治療がおもに採用されてきたが,インドの眼科技術が伝入したのちは,手術治療に大きな影響を受けた。民国時代の曹炳章は『中国医学大成』を編集したが,その際眼科で採用した書物は,薬物治療によるものばかりであった。これは明らかに「伝統中の伝統」を守るためである。

闖薗| 03/02 00:50

26:[ 古代中国人は,心臓が搏動していることを知らなかった ]

『内経』などには,心臓の搏動に言及する文はない。
扁鵲などは,生死の判定は,体温と呼吸でおこなったが,心臓の搏動には注意していない(陌「の太子の尸厥)。
古代人も胸部で脈動は感じていたが,それは「胃之大絡」(『素問』平人気象論(18))と理解していた。=心尖搏動を「胃之大絡」の搏動と解釈した。→心臓が搏動しているとの認識はなかった。
気血の生成と運行のなどの生理活動の中心は「胃」であると考えていた(経脈流注は中焦から始まる)。つまり,気血が循環する体系の中心は胃である。
「經脉流行不止.環周不休」を現代医学の血液循環と解釈するのは,誤りである。
「脈」はあいまいな概念で,目に見える血管も脈であるが,目に見えない経絡現象も脈と称される。「動脈」は,現代医学の動脈と一致するが,定義としては「静脈」の対概念ではない。
中国伝統医学の「動脈」は,心臓の搏動とは無関係の現象であり,中国伝統医学の関心はあくまで「脈動」そのものである。「脉之卒然動者.皆邪氣居之」(『霊枢』経脈篇)

廖育群『医者意也』気血運行  臺灣・東大図書公司 2003年

闖薗| 03/01 00:12

25:[ 『安藤昌益全集』 ]

本のイメージがわかない人のために、参考までに紹介します。


http://www.ruralnet.or.jp/zensyu/syoeki.htm


詁林(コリン) 02/26 23:23

24:[ 『安藤昌益全集』増補篇全3巻 ]

『安藤昌益全集』増補篇全3巻について、書評紙『週刊読書人』の2月25日号につぎのような文章を書きました。ご関心のある方が多いと思い、アップ致します。省略したのですが、それでも長くなりました。お許し下さい。

 一九八七年に全二十一巻別巻一の配本が完了した『安藤昌益全集』(農山漁村文化協会)によって、わたしたちは間接的ながら初めて安藤昌益の自筆の文字に接することができた。(中略)
 それから十八年、途切れない昌益研究の原動力となってきた『安藤昌益全集』が、昌益のすべての論稿の書き下し文を収録したCD竏窒qOMと、新発見の医療関係資料を含む増補篇全三巻によって補われた。(中略)
 CD竏窒qOMの書き下し文は、検索ソフトに問題意識に応じてキーワードを打ち込むことで、思いがけない姿を見せてくれる。鍼灸の古典研究の分野でも、日本内経医学会の小林健二氏らによる過去十年の無償の努力で、『黄帝内経素問』をはじめ基本的な古医書がデジタル化されている。それによって文献解読の道が飛躍的に切り開かれた。今回のCD竏窒qOM化も、安藤昌益研究会の東均氏らが自前の技術で可能にしたという。
 (中略) 増補篇本文には、二〇〇一年、石渡博明氏が岐阜県の内藤記念くすり博物館の大同薬室文庫から発見した『良中子神医天真』の翻刻と一九六九年、山崎康男氏が京大医学図書館の富士川文庫から発見した『真斎謾筆』の現代語訳が収められている。いずれも関東大震災で焼失した昌益の稿本『自然真営道』の欠を埋めるもので、『良中子神医天真』には、新谷正道氏と三田村幌氏が、『真斎謾筆』には、苦心の現代語訳を果たした中村篤彦氏が、詳細な解説、補注をしている。(中略)
 わたしは一九九〇年の日本経絡学会(現・日本伝統鍼灸学会)学術大会で、昌益の医論にコメントをした。一知半解の文字通り拙い内容だったが、「運気論医の持っていた宇宙論的思想の現代における可能性」に言及し、昌益を「中国古典医学の諸々の概念装置を当時の東アジアにおいて誰よりも瞠目すべき形で、過激に体系化してみせた希有な人物」と位置づけてみた。
 もちろん、わたしにとっても昌益は、まず徳川幕藩体制の非人間性を根底から覆す思想と運動論を持った革命家である。しかし、革命という一元的変革のイメージから、厳格主義の人・昌益を想定し過ぎていたかもしれない。三氏の解説、補注から、昌益は別の焦点を結び浮かび上がる。
 その印象は、宇宙から身体まであまねく流れ満たす生命エネルギー(土活真)の「自(ひと)り然(しか)る」構成力を信じる、自己組織化、オートポイエーシスの思想家と表現できるものである。あらゆる存在を互性という関係性の網の目から多方向、多次元に読み解く、しなやかな複雑系の思索者であり、治療から衣食住のあり方に至るまで、画一性よりも地域、風土の個別性を重視する反グローバリゼーションの分権論者とも言えそうである。
 恐らく、昌益個人の持ち前の繊細な観察眼や優しさ、独創性のみが、今日の現代思想と類縁性を持つ前近代=超近代の思想を生み出したのではないだろう。東アジアの辺境において、政治、社会的な桎梏からの解放を願うとき、桎梏をもたらしている思想を中華文化圏全域にわたって吟味し、否定し、吸収し再編する解体構築の作業を行わざるをえない。その結果、昌益の思想は核心に、有機体的生命観という東アジア文化圏の優れた遺伝子を宿しているのである。
 従って昌益は、内経や老荘を単純に否定したのではなかった。昌益その人の激烈な否定の言辞に惑わされず、論理の構造を見るなら、彼こそ、近世の東アジア世界で、最大の内経学派であり、老荘学派であることが分かる。昌益は内経の論理体系を別の論理体系に替えてはいない。「医師は個々の患者だけではなく、天下国家を治する国手たるべきである」というのは、ほかならぬ内経の思想である。運気論しかり、経絡論しかり、三部九候の脈診しかり。
 昌益は内経を読みこなし、その論理を換骨奪胎してわが物にしていると思う。生命の流体性を相互に絡み合う(五行ないし四行の)パターンのダイナミズムによって認識する同型の思想的枠組みを守りながら、それを徹底させ、より実践的な思想に変換しようとしている。
 老荘思想についても同様である。無為自然の思想の核心と本質的な反逆性を引き継ぎながら、虚無性、非政治性からの脱却を図っている。文字批判は老子の無名論に淵源を持つだろうし、学問否定も老子の思想である。変革の担い手、主体として「直耕」する農民の共同性を実感しえた昌益は、自己以外に主体を設定できなかった老子、荘子の高踏的、遊民的な立場にとどまることはできなかった。
 三氏の緻密で内在的な昌益思想の理解に触発されながら、わたしは夢見ている。昌益思想の優れた読解者である人々と、昌益思想を検討してこなかったが、黄帝内経、老荘思想の優れた読解者である人々との共同作業が実現しないものか。東アジアの伝統的な医の思想を未来に向かって開こうとするなら、いずれ、その日は来るだろう。
 (中略) 自らの身体と社会、地球をもろともに癒そうとするとき、わたしたちにとって、昌益の思想ほど優れたモデルはない。彼ほど壮大なプロジェクトを徹底して思索し、生きようとした人物は、日本だけでなく、中国、朝鮮にもいないだろう。わずかに、似た志向性を宮沢賢治の詩人の魂に感じることができる。それらが『安藤昌益全集』増補篇全三巻によって、いっそう明らかになるだろう。
 (後略)(2005.2.2)

松田博公 02/24 19:16

23:[ 過年好 ]

祝新年快樂!

尾乙闌 02/09 03:22

22:[ 神麹斎先生のおっしゃるとおりで ]

たしかに,自動判別を解除したら,一回ごとに繁体字に指定しなくとも,読めるようになりました。
ありがとうございます。
こういった,ほんのすこしのことに苦労するのが,パソコンの自分にとっての困ったことのひとつです。
今後ともご指導のほど,よろしくお願いします。_(_^_)_

闖薗| 02/04 22:58

21:[ やってみて ]

私の場合、Mozillaで最初に見たときには確かに文字化けしてましたが、エンコードを調整してからは化けません。具体的には多分(どうやったかやるはしから忘れる)エンコードを繁体字中国語に指定して、自動判別は(解除)のところを●にしただけだと思います。誰か再現性を試みてください。
だめだったら、実は他にも何かやったのかも……。

神麹斎 02/04 12:11

20:[ 親切とお節介のはざま ]

何故だか、IEでないときちんと表示されないとか、機能しないとかいうWEBは有るようです。東方書店のネット購入はIEでないと駄目だったような記憶が有ります。だから、併用せざるを得ません。
ただ、文物圖象研究室資料庫の場合は、ソースを表示させてみたところ、使用すべき文字コードを指定する行が有りません。多くの場合は記述しなくてもブラウザ側が自動的に判別するわけです。現にIEなら大丈夫だったわけでしょう。でも、Mozillaだってソースに文字コードを指定する記述がきちんと書き込んであれば、大丈夫なはずなんです。だからどちら側の責任かとなると微妙だと思います。
勝手に親切にされる迷惑のほうが、避けることが難しいとは思いますが。

神麹斎 02/04 11:55

19:[ mojillaの問題点 ]

使用言語の認識がIEと比較して,甘いというか学習機能がないような感じがします。
(調整はできるのでしょうか?)
たとえば,詁林先生から教えていただいた,文物図象資料庫
http://saturn.ihp.sinica.edu.tw/~wenwu/ww.htm
を張家山などの資料を流用するために利用するのですが,mojillaで開くと,かならず文字化けして,エンコードしなければ,読めません。もう一度,別のものを検索しようとすると,また文字化けしてしまいます。
この点,IEと比べて不便です。
 そういうわけで,mojilla一辺倒とはいかず,場合によって使い分けが肝要かと思います。

闖薗| 02/04 10:51

18:[ 沈氏 ]

 沈氏の講演の話しですが、やりましょう。ここから勝手な企画ですが、場所は北里、日本内経医学会会員のみならず、広く呼びかけたいと思います。真柳教授ほかに、十分に飲ませてあげたいので、2000円くらい集めましょうか。
 講演に先行して、講演内容を邦文に訳したものを作りましょう。沈氏をご存じの方は少ないでしょうから、予習してもらって講演を聴くほうがいいかと思います。
 日程も決めたいですねえ。6月か7月の日本内経医学会の定例会を使いましょう。定例会は8月に行えばいいでしょうから。そうすると、6月12日(日)か、7月10日(日)になろうかと思います。
 さて、みなさん、どうでしょうか。

かいちょう 01/14 13:33

17:[ 陰陽十一脈灸経の研究の論文(廖育群) ]

廖育群論文アップ(昔島田先生と金古さんが訳したもの)
http://aeam.umin.ac.jp/lonbun/ryou.html

馬王堆と張家山の脈書資料アップ
http://aeam.umin.ac.jp/siryouko/maoutai/11.html

詁林(コリン) 01/12 23:55

16:[ ホントはフォントもね ]

問い合わせた本人にメールすれば良いようなものですが、たぶん他にも迷っている人が有ると思うのでここを利用します。
Mojilla FireFoxの場合、ツール→オプションで(日本語表示用の)フォントをユニコードCJK統合漢字拡張Aまで含んでいるものに指定すれば、一律にそのフォントで表示されると思います。指定しないと、ひょっとすると有り合わせで表示を試み、従ってユニコードCJK統合漢字拡張Aの文字だけゴシック調ということは有るのかも知れません。あるいはフォントが小さすぎてギクシャクして見えているだけのことかも知れません。私自身は、やや大きめに16だか18だかに指定しています。(老眼のせいも有ります。)
ユニコードCJK統合漢字拡張Aまで含むフォントもいろいろ登場してますが、さすがに無料というのは珍しい。書同文社のサイトで配布されているらしいけれど、私にも詳しいことはわかりません。(Googleででも探ってください。)仕方がない買おうということなら、やっぱり未だにおすすめはDynaComwareのDaynaFontTypeStudioの附録のユニコード3書体でしょうか。実売価格は5000円未満だと思います。それくらいの価値は有ると思いますが。

神麹斎 01/06 08:04

15:[ )カマボコ ]

ありがとうございます。Mojilla FireFoxで,たしかにカマボコが見えるようになりました。
ただ,全体に文字が若干ゴシック調になったみたいです。
これも表示やツールで,調整できるのでしょうね。たぶん。

問い合わせた本人 たぶん 01/05 21:47

14:[ カマボコ ]

下の書き込みで、沈氏の名前の一字がカマボコになってしまうという問い合わせがありました。
この対処法が、私にはよく分からないんです。
どうもIEの仕組みがそうなっているらしい。それも時々変わるみたい。
私自身はMojilla FireFox(無料です)というのを使って、ツール→オプションでフォントをユニコードCJK統合漢字拡張Aまで含んでいるものに指定していますので、ちゃんと見えてます。
IEだって、フォントを指定できれば見えるはずなんですが、(ツール→インターネットオプション→全般のフォントで)日本語を表示するフォントの候補の中に、ユニコードCJK統合漢字拡張Aまで含んでいるものがあがってこない。だからどうすればいいのか分からない。

でも、以前はちゃんと表示されることも有ったような気がしますよね。だから余計に分からない。つまり、IEは余計な設定をしなくても機械的に自動的に設定してしてくれるという余計なことをするので、ユーザー側は手が出ない。(出しにくい。)私自身はIEは見限って、他のものを使うようにしてます。
例えば私は:http://www.mozilla-japan.org/products/firefox/

神麹斎 01/05 08:40

13:[ 沈羔サ農氏大歓迎 ]

うれしいですね。
私個人的には、昨年の上海行きの最大の成果は、沈羔サ農氏とお近づきになれたことだと思っています。

神麹斎 01/04 08:21

12:[ 沈氏来日決定 ]

新年好! 南京中医薬大学の沈氏の話題が以前この談話室であったのを思い出したので、カキコさせていただきます。
昨年末に日本学術振興会から連絡があり、申請していた沈氏を6・7月の60日間招聘するのが通りました。毎日、茨大にいても退屈するだろうから、一回くらい内経学会で彼に講演してもらうのはどうでしょう?
彼はお金を振興会から沢山もらうので講演料なし、通訳の私と二人に酒を飲ませていただくだけで結構です。

真柳 01/04 00:19

11:[ 韓国で員・攝jは… ]

現代韓国における員・攝jの使用について、今回の学会で通訳をしてくれた人に調査を依頼しましたが、結果が届きました。
結論を言いますと期待はずれでした。
「員・攝jについて調査結果で今韓國で員・攝jを普遍的に使わないです。おそらく民間でどの非正規醫師が使っているかもわからないです。關聯的な出版物もありません。」
と言うことです。残念でした。

神麹斎 12/27 11:58

10:[ 円利鍼 ]

 韓国で思い出したが、韓国には中身微大の円利鍼がある、と何人かから聞いたが、何やらありそうですね。左合さんの学術交流が機縁になって、民間にうずもれた文物が見つかるかもしれないなあ。というわけで、韓国の鍼灸については楽しみではあるけれど、ハングルが読めないのではいかんともしがたい。何とかしなければ。

かいちょう 12/17 16:35

9:[ 動悸・息切れ・眩暈に九鍼 ]

 先日ジェンキンスさんが「北朝鮮で刺青を無麻醉で鋏とナイフで切り取られた」という報道がありましたが、その際のフジテレビのニュース映像は古代九鍼が映されていたのですね。
 やばい!私も無麻醉でその内の一種毫鍼を使っている!患者さんには「麻醉藥はサマワに居る自衛隊の爲のものだ。」と言って納得してもらうしかないのか?
 それにしても、映像を作った人はジェンキンスさんの言葉からどうして古代九鍼が閃いたのだろうか?また、その映像はどこで撮ったのだろうか?
どこかの鍼灸院に通っていて待合室にある中国(韓国もしかしたら北朝鮮)土産の九鍼見本がいつも気になっていたのだろうか?それともどこかで髑ア鍼等を使った治療を受けた事があるのだろうか?
 一時期無くなった『霊枢』が高麗から獻本されたように、九鍼を使った治療も朝鮮半島からの復活があるのかも知れない!

尾乙闌 12/15 14:16

8:[ 長野式 ]

長野式
http://www.naganoshiki.jp/

ちいさな親切 12/10 18:49

7:[ 長野式 ]

長野式で使われている穴については、長野式のWEBへいって尋ねた方が効率的なんではなかろうか。普通はそうすると思いますがね。googleかなんかで「上太白」もしくは「長野式」で検索すれば一発で見つかると思います。

お節介 12/09 21:37

6:[ 長野式 ]

つるさま、ありがとうございます。調べてみましたら、
『鍼灸臨床新治療法の探究』に
「滑」(脈)の治療法は、一般的には、「上太白」「陰陵泉」「尺沢」を使用し、これで粘膜の炎症がとれる。
とありました。
 ただ、具体的な場所については書いてありませんでした。
長野先生以前からこのツボを使っていた方がいらっしゃったのでしょうか。

鍼灸学校一年生 12/09 17:58

5:[ >上太白 ]

上太白穴は、「長野式」で使われるようです。「長野式」とは、長野潔(故人)という先生による治療法で、著書に『鍼灸臨床わが三十年の奇跡』『鍼灸臨床新治療法の探究』(医道の日本社)があります(手元にないので、上太白の位置は分かりません)。図書室にあったら見て下さい。また、「医道の日本」誌にも関連記事の連載がありますし、ビデオもでています。

つる 12/08 21:56

4:[ >上太白 ]

ある女性鍼灸師のための勉強会で、講師の先生がおっしゃったのですが、具体的にききそびれてしまいました。
「カミタイハク」とおっしゃったのだと思います。
聞き間違いでしょうか。

鍼灸学校一年生 12/08 21:34

3:[ >上太白 ]

>上太白という奇穴?について、教えてください。
この質問ですが、どこで使われていたのでしょうか?教科書、雑誌など所出資料教えて下さい。あわせてどのような表現で引用されていたのかお知らせ下さい。

小林健二 12/08 15:13

2:[ 上太白 ]

上太白という奇穴?について、教えてください。

鍼灸学校一年生 12/07 21:50

1:[ 女陽物也 ]

『素問考』上古天真論「女子七歳」に、左伝を引用して「女陰物也」と言ってます。これは「女陽物也」の誤りです。だから「与此説反、言陽得陰數而長、陰亦得陽數而長」と言うわけです。こういうカンジンな所に間違いが有るのは、やっぱり『素問考』は鼇城公観の論考ではないか、あるいは少なくとも現存するものは鼇城公観自筆の『素問考』ではないかの、どちらかだと思いますが、如何。ちなみに『素問記聞』はちゃんと「女陽物也」としています。

再アップロードした「素問考について」の上古天真論を示した部分は、誤字だらけです。OCRを利用して、その後ろくに校正しなかったせいだけど、今ていねいに訂正する気力が有りません。ごめんなさい。

それはそうと、この書き込みはたぶん1001回目の書き込みです。

神麹斎 12/02 08:32

管理者 神麹斎 : JawaNote v1.41 [Shigeto Nakazawa]