この間、運営委員会が有って、韓国の報告をして、次の日に神田の亜東書店によったら、『内経病理学』なんて本が有りました。この手の本はここのところ敬遠しているんですが、著者が韓国の人だったんで思わず買いました。勿論、中国語に翻訳してあります。ハングルだったら買わない。 |
どちらも「伝統」と言う言葉が好きなようですね? |
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銭超塵教授の意見は、結局は『素問識』に対する思い入れの深さの裏返しであって、『霊枢識』は全く駄目という意味ではないと思いますよ。我々の反応としては、『素問識』や『霊枢識』をあげつらうなんてことは恐れ多い、けれど、まあ強いて比較すれば、銭教授の評価も的はずれではないんだろうねえ、といったところでしょうか。 |
本当は『素問考』の事を書くべきなんでしょうけども、『霊枢識』の旗色が宜しくないので一寸援護射撃を…。 |
『素問識』『霊枢識』から馬蒔・呉崑・張介賓・張志聡など大陸渡来の著作からの引用文を差し引き、さらに『康煕字典』を使用した部分を取り除くと、どの程度のものが残るのであろうか。むかしむかし、原塾の霊枢講座で『霊枢識』を調査したときには、「ほとんど何も残らない!」と騒いだような記憶が有るけれど、実際にはどうなんだろう。『素問識』と『霊枢識』とでは、残りかたに差が有るのだろうか。それがつまり、「『霊枢識』の成果は、『素問識』の成果には遠く及ばない」という評価につながるのではなかろうか。 |
もう一度、年代的に整理します。 |
『素問研』の巻末に載せられた多紀元簡の識語には、「丁未の夏、予『素問識』を著す。明年勢州の門人岩一鳳、この書を挟みて来たり余に示す。良仙子いずこの人なるかを知らず」云々とある。丁未は1787年である。してみると、元簡は侍医に擢せられる以前に『素問識』を一応書き上げていたことになる。勿論、現行のものとは大幅に内容が異なるであろうし、現行の『素問識』の序文とはやや齟齬するけれど。 |
変なことに気づきました。 |
実は、『素問識』の序には次のような内容が有ります。 |
『素問考』と『素問記聞』の詳細な逐条的な付き合わせを(完全に)やった人は、実はまだいないと思います。私がむかし一部についてやった記憶によりますと、『素問考』に無くて『素問記聞』に有るという内容はもともとそう多くはないし、ましてや質の良いものは無いようです。従って、『素問考』には無い『素問研』のすぐれた見解が『素問記聞』には有る、という可能性は低いと考えます。いずれにせよ詳細に付き合わせないと断言はできませんが。 |
まず『素問識』から馬蒔・呉崑・張介賓・張志聡など大陸渡来の著作からの引用文を差し引きます。おおまかにいえば,残りは,元簡の按語(『康煕字典』からの孫引きも含む)とかれに先行する日本人の按語になると思います(日本人の按語は名前をあげないので,元簡のものと区別できません)。その残りのなかで出所が推定できる先行資料として『素問研』があります。『素問識』には『素問研』の卓見が無断引用されています。元簡が『素問研』を入手したのは1788年です。この年代が信用できるのならば,(元簡の講義録と推定される)『素問考』には『素問研』に見られるすぐれた見解はでてこないと思うのですが,どうなっているのでしょうか。また『素問記聞』に『素問研』の見解が見いだせるならば,『素問記聞』は1788年以降の講義録と考えられると思います。いかがでしょうか。 |
年代的に整理すれば、 |
『素問攷注』の自序のはじめには「〈劉桂山〉先生有『素問識』。已上梓。」とあります。この現在われわれが見ている『素問識』刊本と立之は区別するために「『素問識』原稿」「『素問識』原抄」という表現で刊行本とは異なる元簡の文章を『素問攷注』に引用しています。うるおぼえですが,このような断り書きがなくとも刊行本『素問識』と異なる文言が何カ所かあった記憶があります。(立之の写し間違いの可能性もあります。) |
『素問考』の繆刺論篇に、「是腰兪三字行文」と有ります。これは勿論「衍文」の誤りです。この三字を衍文と考えた人が、「行文」と書き誤るとはとても思えません。従って、オリエント出版社の影印が鼇城公観の自筆であるとすれば、誰かの論考を書き写したものでしょう。もし、自筆でないとしたら、鼇城公観の『素問考』を書き写した人が有ったことになります。不可能ではないけれど、そうしたことが行われていて、しかも誰も鼇城公観がどこの人かを知らないというのも不思議な感じがします。 |
ソウルでの銭超塵教授との会話の中で、多紀元簡の『素問識』と金窪七朗の『素問考』の相似を指摘され、私はその件に関して以前に簡単な文章を書いたことが有ると言いました。実はその文章はPDF化して日本内経医学会のWEB上(左脇の「あの記事をもう一度」をクリックして入る)に公開していたのですが、ソウルのホテルのコンピューターではうまく開くことができませんでした。そこで、確実・簡単に開くようにするには、むしろHTMLに改めたほうが良いかと思いとりかかりました。ところが、最初にPDFに変換したときにセキュリティーを強度なものとしてあったらしく、テキストの抽出ができません。昔のことで原稿も紛失してました。それで、印刷してスキャナで読み取ってOCRにかけて、さらにHTML化しました。その課程で再びミスを犯しているかも知れませんが、以前の誤字は修正したつもりです。 |
左合さん、ご苦労様です。飲み過ぎないように。 |
昨晩遅く帰ってきました。で、下の書き込みに補足します。 |
今、韓国のソウルで大韓韓医学原典学会の国際学術大会に参加しています。中国からは王洪図先生、銭超塵先生ともう一人みえています。 |
4世神戸源蔵のアップ写真を、どこかで見ませんでしたか。ちょっと使いたいもので。
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丸山昌朗先生の麻布の家というのは、根津美術館の近くに在ったと、石野尚吾先生が言ってました。それはそうと、南宋絵画展は根津美術館であったらしいが、なんとなく見逃していたんです。今回、こんな形で観ることができ、予想外の事態であり、なんだか嬉しいですね。 |
今年は実は、根津美術館でも「南宋絵画」展というのが有ったんです。 |
神麹斎さんのアドバイスにしたがって、台風の本日、中国国宝展に行ってきました。それでもまあまあいましたよ。ガランとしているわけじゃないですね。明日はすごく混むのでしょう。ところで、仏像が多くて、僕にはあまり面白くなかったねえ。兵馬俑3体があって、それが感動的でした。50センチの間近でみることができて、どきどきしました。背中から腰にかけての線が写実的で、うっとりしてしまいました。 |
中央研究院の漢籍電子文献が新しくなったのに気づいてました? |
電源定期点検に伴い、UMINのすべてのサービスが停止されます。 |
「先ず経絡というモノは有りません」・・・衝撃的です。 |
「若干やばそうな」というのは、黄龍祥氏の著作のようにという意味です。(本当はそうありたいという願望にすぎません。) |
ちょっと誤解を招きやすい表現でした。本当はこういうことです。 |
神麹斎先生の「お茶の時間」拝見しました。ありがとうございます。 |
黄龍祥著『中国針灸学術史大綱』という本をご存じでしょうか。 |
本談話室を遡って勉強していましたら是動病と所生病のお話がありました。(2002年7月) |
上海では、後に残った岩井氏と二人で、上海博物館へ行ってきました。 |
来週の火曜日から、東博で、中国国宝展が始まるようで、是非行きたいのだが、何時だったら混まないか、秘訣を教えてください。前に横山大観展に行ったときは、朝一番で並び、まあ中蛇くらいだったけど、帰りには長蛇の列になっていたので、時間帯によれば並ばなくてもすむかもしれないし、曜日によっては大いに差があるようなきがするのであります。
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当代日本学者能螟沛n扈ヲn隸エ、写中文,特蛻ォ是能霑雛p莨黴扈溯ッュ言学方法的不多,所以治学中更多地致力于古医籍版本源流以及其他宏隗u菇ハ的研究。 |
日本では明治維新以後、中医文献研究は中断された。現代日本は現代文明の発達した国家となったので、古典書籍の研究者数は多くはないが、その経済力や有効な学術組織、個人の研鑽努力によって、その中医文献研究もまたかなり強い発展の勢いをあらわすようになった。それと同時に、日本に収蔵されている多くの古籍珍本も日本の学者の研究に有利な条件を与えている。現代日本の中医文献研究は、おおむね医史学界に属しており、学術上の分担は細分化されていない。重要な研究団体としては、日本医史学会・日本内経医学会・北里研究所附属東洋医学総合研究所医史学研究部・京都医学史研究所などがある。現代の中医文献研究に従事している主要な学者としては、小曽戸洋・真柳誠・島田隆司・篠原孝市・杉立義一・山田慶児・赤堀昭・宮下三郎・宮川浩也などがいる。専門の研究者以外にも、臨床のかたわら中医文献を研究しているものの数も少なくない。現代日本の学者には中国語を話し、読むことに熟練しているもの、特に伝統言語学の方法を運用できるひとが多いわけではないので、古医籍の版本源流やその他のマクロな研究により多くの力をいれている。また、日本の学者は研究の基礎作業となる索引の編集に力を注いでおり、多くの文献索引を編纂して、さらに進んだ研究にすぐれた基礎を構築した。総じて、現代日本の中医古籍研究は、文献形態の描写、文献内容の対比と前代の学者の成果の発見・整理・総括にかなり重きを置いており、言語文字の微視的な文献研究に従事しているものはどちらかと言えば少ない、といえる。 |
日本は、明治維新以後、中医文献研究は中断された。現代日本では古典書籍の研究者数は多くはないが、現代文明の発達した国家として、その経済力や有効な学術組織、個人の研鑽努力によって、その中医文献研究もまたかなり強い発展の勢いをあらわすようになった。それと同時に、日本に収蔵されている多くの古籍珍本も日本の学者の研究に有利な条件を与えている。現代日本の中医文献研究は、おおむね医史学界に属しており、学術上の分担は細分化されていない。重要な研究団体としては、日本医史学会・日本内経医学会・北里研究所附属東洋医学総合研究所医史学研究部・京都医学史研究所などがある。現代の中医文献研究に従事している主要な学者としては、小曽戸洋・真柳誠・島田隆司・篠原孝市・杉立義一・山田慶児・赤堀昭・宮下三郎・宮川浩也などがいる。専門の研究者以外にも、臨床のかたわら中医文献を研究しているものの数も少なくない。現代日本の学者は中国語を話し、読むことに熟練しているが、伝統言語学の方法を運用できるひとがとりわけ多いわけではないので、研究には古医籍の版本源流やその他のマクロな研究により多くの力をいれている。また、日本の学者は研究の基礎作業となる索引の編集に力を注いでおり、多くの文献索引を編纂して、さらに進んだ研究にすぐれた基礎を構築した。総じて、現代日本の中医古籍研究は、文献形態の描写、文献内容の対比と前代の学者の成果の発見・整理・総括にかなり重きを置いており、言語文字の微視的な文献研究に従事しているものはかなり少ない、といえる。
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もうクリントン回想録が出ている。 |
現在、増刷分について取り纏め中ですので、申し訳ありませんが、もう暫くお待ち下さい。完成次第、随時お知らせいたします。 |
初心者の質問に対して丁寧にお答え頂きありがとうございます。 |
私のはいつも異端邪説に類するんで、誰かすこしまともな解説をしてからと待ってました。 |
>四街とは頭、胸、腹、脛の4部位にある気街を指すとされています |
下の58「気街についてのお尋ね」に、誰か応えてくれませんか? |
初めて参加させて頂きます。 |
はい。セットで無くても承ります。No.52に記載の項目とご希望の巻数を添えてメールして下さい。
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会員の一人に寄贈された書籍です。著者は林螂ュ濬という人で、韓国医学に関するものらしいのですが、ハングルなのでよくわかりません。 |
墓参の写真は、渋く写っていますね。各人、なかなかの人物のように写っています。カメラがいいようですね。 |
№52ですが、1号でも、2号でも申し込んでいいのですか。
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8/8(日曜)暑い日でした。墓参ご苦労様でした。写真をどうぞ。帰りに9人で東松山の物見山まで行っておそばを食べました。 |
現在、在庫はほとんどありませんので、家本先生は「希望が多ければ増刷を考えます。」とおっしゃっておいでです。第7冊まで出版されていますが、8月中には第8冊が出版予定、第9冊の発刊日は未定です。 |
「内経」155号の、墓参案内の日にちの訂正は№48の通り。ついでに、待ち合わせ場所も間違ってました。東松山駅(誤)ではなく、高坂駅です。よろしくお願い致します。
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UMINのサーバ保守・ディスク増設作業に伴い、ホームページのサービスが一時停止されます。 |
はじめまして、かきぬまと申します。古代中國史を専門としております。このたび『説文解字』を研究材料として使用するに当たり、偶然この記事の存在をウェブ上で発見いたしまして、是非とも讀ませていただければと思った次第です。 |
島田先生の墓参は、「内経」の案内では8月10日(日)になってますけど、8月8日(日)9時が正しい。ヒル頃になるとすごく暑くなるので、早いけど9時が良策だと思います。
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今度の『中医臨床』に、小林さんが「今昔文字鏡」について書いてますね。 |
『素問訳注』の入手方法について、何人かの方から問い合わせがありました。 |
山田業広の素問次註集疏の翻字本が、郭秀梅らにより、中国学苑出版社から出ました。上下2冊で5000円(送料別)です。希望者は、本会事務局まで。 |
僕も、「素問訳注」を第四冊?から、勉強させて頂いていますが、1~3冊が品切れだそうで、見ることができません。古医研番さんに折角書き込んでいただいたので、この場で入手方法なりを教えて頂きたくお願いします。
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ヤマアラシの毛の説は、森約之の「九鍼図説」という文献に書かれています。神麹斎さんの言うとおり、毫鍼は細い鍼、員利鍼が強い鍼、という意味のようです。抽斎の説を約之が参考にしたのかもしれません。
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ヤマアラシの毛のような針って、ひょっとして毫針じゃありませんか。『太素』は毫を豪に作っていて、豪には確かにヤマアラシという意味もありますが。 |
突然の書き込み、失礼いたします。 |
員利針爪楊枝の説 |
発表の1週間前なんですが、スライドを作っていて、ヤマアラシの毛がないと、なんとも落ちがない発表になってしまうなあと、やや焦り気味に、ヤマアラシでしつこく検索しました。本当は、現物を手に入れたいんですが。前に、ヤマアラシの毛で作った釣りのウキがあるという記事を読んだので、近くの釣具屋にも行ったのですが、まあ、今風の道具ばかりで、期待はずれでした。マニアックな釣具屋があれば、あるかも知れません。 |
ヤマアラシの毛(写真?)はどうやって入手されたのですか? |
真柳です。 |
能-態 |
沈先生のこの本の参考文献に、 |
通例、「使聖人預知微.能使良醫得蚤從事.則疾可已.身可活也」と句切られている。(聖人をして微を知らしめ、能く良醫をして蚤(はや)く事に從うを得しめば、……) |
沈貔鵠_氏の話では単行本として出版されるということです。ただねえ、中国の話ですから、計画が持ち上がってから出版まで、頚を伸ばしすぎては肩が凝るかも。結構な厚さの本になりそうだし、売れっこ無いし。 |
神鮗エ齋さま、ありがとうございました。 |
なんだかよく分かりませんが、沈さんの作った術語のようです。 |
「異位字」ってなんですねん?
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個人的には、成果は二つ。 |
上海中医学院(現在は上海中医薬大学)は、零陵路から張江高科技園区に移ってきました(と言うか、移りつつあります)。南開区は天津中医学院(これも現在は天津中医薬大学?)です。 |
本日、第13回医古文学会から帰ってきました。会場は、南開区から張江高科技園区に引っ越してきたばかりの上海中医学院ですので、その出来たばかりの会場で行われました。というと聞こえは良いのですが、人里離れたさびしいところに移っただけなのであります。というわけで、どこにも出られませんでした。なので、朝食、昼食は、大学の食堂で食べましたが、原点を確認したような味、といえば分かってもらえるかと思います。皆は、固くてまずいといいますが、僕は懐かしくて、うれしく食べました。最初に中国に行き、天津で食べたときのショックを思い出しました。傲っている気持ちに、活が入ったような気持ちでした。その後は、例の如く宴会料理で、2回連続でさすがにお手上げでした。膏梁の人になるのも大変ですね。 |
横浜市立図書館の検索システムが変わったので、試しに「森立之」と打ってみましたら『長沢先生古稀記念圖書學論集(昭和48年・長沢先生古稀記念圖書學論集刊行会・三省堂発行)』所収の「清客筆話ー森立之と楊守敬との筆談ー(原田種成)」というのがヒットしました。大分以前に小曽戸先生からその存在は聞いていたのですが、活字化したものが出版されていたとは知りませんでした。A4サイズでコピーをして20枚です、必要な方はメールにて御連絡下さい。 |
「太素を読む会」を発足させてから約一ヶ月、活発というか低調というかちょっと微妙です。 |
太素を読む会(グループ)の掲示板をツリー型に変更したのにともなって、URLも変更しました。 |
会長殿 |
本会の望月義弘さんを紹介します。やってくれるかどうかは、責任もてませんが、適任かとおもいます。アドレスは、個人的にお教え致します。 |
茨城大の真柳です。高尚な訓詁の話題が続いているところに、下世話な話ですが、お知恵を拝謝いただけますか。 |
太素を読む会(グループ)専用の掲示板を設置しました。 |
ところで「豸・ケ俟水厓冰義當凝也」の「冰」字らしき右下に朱点、右傍に「ソ」と書いてあるけど、どういう意味なんだろう。朱点は、ここで区切ったという意味なんだろうけど。とすると、「水厓」と読んだのだろうなあ。
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あのちょっと違います。 |
被釈字は「豸・vでしたね。被釈字という使い方を間違いました。言いたかったのは、①豸・∞A水厓水=③義當凝也、であるからには、凝滞するのは流体である「水厓の水」であり、固体である「水厓」(岸辺)という場所ではないから、やっぱし、「水厓水、義當凝也」だろう、ということ。 |
「義當凝」の被釈字は「豸・vです。 |
「豸・ケ俟水厓水義當凝也」を区切れば、やはり「豸・A音俟、水厓水、義當凝也」だろう。「義當凝」の被釈字は何かと考えれば「水」しかないだろう。凝滞している水の流れとおなじように血液も凝滞している、と解釈したところなのである。「水厓」は水辺の意味で、凝滞しているのは水辺の水である。「水厓水」という訓詁は見えないけれど、楊上善が作り上げた訓詁だと考えられる。「水厓也」も悪くはないけれど、発展しすぎか。「氷」では、凝固の意味になるので、血流の悪さを形容するには不適当なのではないだろうか。 |
う~ん、豸・ニ冰が異体字というのはどうなんでしょう。音義ともに違うように思いますが。 |
「豸・フ音は俟で、(意味は)水厓です。(豸・ヘ)冰(とも書きます/の異体字です)。(意)義は當に凝とすべきです」 |
「太素を読む会」の旗揚げを宣言したところで、実際に読み始めるのは、結局カラー写真が手に入ってからだろうから、かいちょうの言うとおりですね。ただ、会がすでに存在していたほうが交渉しやすいのかなと思ったので。 |
「豸・ケ俟水厓水義當凝也」を区切れば、「豸・A音俟、水厓水、義當凝也」となり、豸・ヘ、岸辺の水という意味で、そのこころは凝滞である。「水」の出所はわからないが、楊上善らしく、文脈を案じて付加したものだろう。と、僕は考えた。 |
太素のカラー写真を見たからと言って何でもかんでも解決するというものではない。でも幾つかの疑問は解けるのではないかと思う。例えば巻2調食「血氣與鹹相得則血豸・vの楊上善注「豸・ケ俟水厓水義當凝也」。 |
古典を読むには古注を丁寧に読む込む、これが最初になすべきことなのである。そんなこともしないで、「吾、嘗て終日食らわず、終夜寝ねず、以て思う。益なし。学ぶに如かざるなり」とは、良く言ったもんだなあ。 |
肝には全身の血液を貯蔵するだけの容量は無いだろうけど、全身の血を蔵するだけの能力は有る。と言うのはつまり全身の血を制御することが出来ると言うことだから、別段、かいちょうの言っていることとそんなに違うとは思わないけれど、肝は魂を所蔵しているところだから、そんなところに、血をしまい込んでおくとは考えられない、とは全然思わない。魂を蔵するのと血を蔵するのは全く等価だと思う。魂を蔵するところが血を蔵することに抵抗感が有るのなら、神を蔵するところが蔵するのは如何。 |
五蔵は神聖な入れ物であり、肝でいえば魂を所蔵している。そんなところに、血をしまい込んでおくとは考えられない。やはり、肝蔵血を、肝は血を制御していると読みたい。夜に、血が肝にあつまって云々、というのはどこかに書いてあるんだろうけど、全身の血を入れられるほどの容量があるんだろうか。 |
なるほど「藏,主也」という訓詁は、漢語大詞典にも載ってないけれど、考えてみれば書を藏していれば、それを人に見せようが貸し出そうが、あるいはいっそ処分しようが、藏している者の勝手であって、つまり管理しているわけであり、乃ち主どっているわけだ。肝藏血というのもやはり血の出納を主どっているわけで、文字の上ではしまい込むと言っても、結局はしかるべきときには出すわけで、また言い換えれば、血の活動性を制御しているのであって、別に血液の循環を主どると言っているわけではない。循環を主どるほうは、つまり藏脈と言っている。 |
「脾蔵肉者、脾主於肉」だとすれば、「蔵、主也」という訓詁が成立するけど、そういう訓詁はかつて在らず。いずれにしろ、「蔵、主也」であれば、本神篇もすっきり解釈できるわけです。「心蔵脈」を単純に考えれば、心の中に脉管が一杯詰まっていることになるわけである。やはり、心は脉を制御している、と読みたい。
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脾藏肉者,脾主於肉,故曰藏肉。非正藏肉,脾於營以為正也。脾藏營,營以舍意及智二神。以脾營血穀氣最大,故二神舍也。 |
『太素』巻24虚實補寫(『素問』調經論)の楊上善注は、『靈樞』本神の、 |
楊上善先生には頭がさがります。つまり、蔵は収蔵の意ではなく、主治、制御の意なのです。肝は血を蔵すは、肝は血をコントロールするという意味で、こうであれば納得がいき、安心しました。 |
『太素』巻24虚實補写「脾藏肉」楊上善注云:脾藏肉者,脾主於肉,故曰藏肉,非正藏肉。 |
「肝蔵血」は、普通には、肝は血を蔵すと読んで、肝は血を収めて(中にいれて)いるという意味に解釈している。出典は、『素問』調経論篇の、「心藏神.肺藏氣.肝藏血.脾藏肉.腎藏志.而此成形」である。が、脾に肉が収めてあるのだろうか? 本当に肝には血が入っているのだろうか? 血といえば、心の方が適役ではないか? |
50万円とはすごいですね。買ってくれそうな学校か研究所を探してみましょう。そうしたら、太素研究会を作り、最初から、最後まで、きっちり読んでみましょう。
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去年の暮れ頃からまたウイルスが蔓延してませんか。 |
その昔、『太素』を影印した出版社でカラー・マイクロ・フィルム版を販売したようです。全18巻、総638コマ(明堂とも)販売価格50万円。 |
実は、太素に関して、カラー写真で読みたいという、夢があるんです。是非、すみから隅まで、オコト点や傍注まで、読み尽くしてみたいのです。そのカラー写真はどうしたら入手できるんでしょうね。 |
やっと東方書店の新刊予告にも載りましたが、以前の情報とは違いますね。 |
多分、誰も記憶してないから大丈夫だと思いますが、1月の研究発表会で、「刺入六分、灸五壮」と言った五里は、問題の禁刺の臂の五里ではなく、足厥陰の五里でした。同名異穴を取り違えました。お詫びして訂正します。
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松田さんの |
先輩の引退のほとんどは病気か死亡です(知っているかぎりは)。自発的に引退するとすれば、僕ならば、子供が巣立った時点を考えています。でも、この巣立った時点というのも難しのであります。長男は大学生ですが、その卒業後というのも巣立った時点ですが、さらに進学されたら先延ばしになります。現実的には、3番目の子供が4月から高校生になりますが、彼が大学を卒業したころ、つまり7年ののちに、55歳になりますが、臨床を辞めて、古典一本に絞るのもいいかと考えています。それでは収入がなくなるので、それまでに非常勤講師の口を確保しておかなければなりません。 |
松田さんの内経学が老荘学派を目指すなら、私はどうしようかな。さしずめ科学派と言いたいところだけど、絶対誤解されるから、非・非科学派とでも言っておきましょうか。 |
かいちょうさんから、晴天の霹靂とも言うべきご質問です。いやおうもなくニュースを追い、雑事の合間に鍼灸について学ぶという私の、つらかった立場を、ようやく変えることができます。もっぱら鍼灸について学び、考えることができます。これは、喜びです。 |
久々のアップです。 |
こんなところで何ですが、松田さんは退職後、何をやりたいと思っていますか。日本の鍼灸を静かに観てきたジャーナリストが、フリーになった時に何をするのか、とても興味がありますねえ。
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日本伝統鍼灸学会(18号) |
現在の医療と社会の状況の中で、江戸の医師、安藤昌益をふり返ってみたくなり、在野の研究者に会いました。昌益は道三の系譜を継ぐ味岡三伯の弟子であったと考えられています。長文をお許し下さい。 |
或言久疾之不可取者、非其説也、 |
島田先生から、森川君、義父と、続けて喪中(気分が)です。3年の喪といっても、実際は2年なんですが、上手く設定された時間だとつくづく思いますねえ。なんとなく諦めがつく。喪中というのは正しいやり方があるはずなんでしょうが、そういう儀式を経ないまでも、この期間は何らかの意味があるような気がします。個人的には、まずめでたい気持ちになれないですね。だから、2000年8月10日以来、浮かび上がれない状態です。しかしながら、沈んでいるのも結構なもので、いろんなことを考えるいい機会だと感じています。 |
義父の服喪中なので賀詞は遠慮させていただくとして、本年も、この談話室も、日曜の講座も、なんでもかんでも、よろしくお願いいたします。 |
それにしても、反応が早いのには、感心しました。 |
> 例えば「寧失其穴,勿失其経」は経絡研究者が常々口にする古文の一句であり、古人のここで言わんとするところは、同一の経脈の穴は主治の上で同一性が有るから、治療の上で同一経の穴は互いに取り替えがきく、という意味だと考えている。この種の理解を根拠にして、「経脈ー臓腑」相関の研究に道筋を提供する。それでは、この句の出処はどの書物であるか?その本義はつまるところどうであるか?その答案は本書の「鍼灸基礎理論的現代研究与史学研究的銜接」篇に見える。 |
試みに、googleで「勿失其経」を検索したら、なんと、以下の文章がヒットしました。北京堂・浅野周さんのHPでの全文掲載「鍼灸大成」からです。感謝致します。 |
[寧失其穴,勿失其経] |
山岳部創設の意欲はわかりましたが、富士山ぐらいだと簡単(5合目から半日で往復)に行けるようなので、最終的にめざす山でもないと思いますけど‥‥ あと観光地にあるような階段や舗装道路は同じ筋肉しか使わないので非常に疲れます。山道を歩きましょう。 |
泰山の他には、青城山と黄山。 |
名目は’登山部で泰山詣で’なのでロープウェーは御法度。1000段でも厳しい。中国の爺さん婆さんがクリアするのをみると、日本人の体力の無さを、痛感するなあ。というより、筋肉も気持ちもなまっているんだろうね。野生を失いつつあるともいえるかも。やっぱり、再来年を目標に泰山へのぼらなければ。他にもすごい山があるとか。神麹斎さんがのぼったとは思えないけど、ご存じでしたら教えて下さい。
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もう既に、(今のままでは)私は無理だと思う。 |
泰山は3000段と聞いています。早く行かないと登れないのでは。五台山のあの寺院は確か1000段だったと思います。あの3倍ですなあ。現実的な話として、来年は無理として、再来年くらいには企画しないと。どうでしょうね。
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日本内経医学会山岳部、良い「冗談」として賛成します。で、冗談であるからには大真面目にやんないとね。最終的には「チョモランマか富士山か」を目指すというのに、中国の泰山を加えて欲しいと思います。何たって中国がらみの会だしね、登れば寿命が十年延びるとことになってます。……ただ、今の運動不足の私には、そもそも鎌倉が危うい。 |
日本内経医学会山岳部を作ろうかと思ってます。最終的には、チョモランマか富士山かを目指したいとおもいます。まず、最初に、丸山先生の墓参の後に、鎌倉の峰峰を訪ねてはどうか、そんなことを考えています。部長は、林孝信さんを推薦したいと思います。どうでしょうか。
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人の評価は棺に蓋したときに決まるといわれますから、個人的な人物評価などは掲示板には載せないようにしたいと思います。今までどおりのように、掲示板には世間話と学問に関する討論を、希望します。 |
管理人さんが書かれているように身内の酒の席上での会話でなく |
チャオズ様へのお答えはこの場では出来ません。ご容赦ください。 |
山本さま、教えてください。 |
時として、ものには、表と裏があります。 |
失礼しました。先ほど修正しました。
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講座の案内ですが、月例会の項は旧いままになってますので、内容に変えていただきたくお願いします。
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2004年度 講座の案内を「事務局からのお知らせ」頁に掲載しました。 |
ホームページに載せるには、筆者の許可が要ると思いますが、管理者は井内氏の近況を把握しておりません。 |
始めまして。いきなりですが内経1994年11月号の井内好子氏の巻頭言を読みたいのです。掲載してください。よろしくお願いします。 |
ホームページ上の談話室(掲示板)は、「半ば」公の場です。酒の席で友人同士で戯れるのとは若干違います。一々目くじらをたてるのも大人げないけれど、からかいではすまない場合も有ります。 |
今日は尾道の市民劇場「てごう座」の「てごう」(手伝い)をしてきました。 |
商務印書館の『史記』は、幻雲の『史記』と同じ黄善夫本なんですけれど、結構手直ししてあるので、最善本とは言い難いものである。やはり、幻雲の『史記』のほうが、誤字は誤字なりに旧態を保っているところが優れている。幻雲注がついている『史記』が若干残ってますので、希望者は本会事務局までご連絡下さい。5000円のところ3000円で。
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実はゴチャゴチャは、『内経』次号の末言(たわごと)に書いちゃったんですね。どうでもいいけど、下の「かいちょう」の書き込み以前に編集者に送ってます。 |
幻雲がいう旧点は「嘗つて~を聞かん」と読んでました。幻雲は、「嘗聞」という病症なんだと言い、あるいは「こころみに~を聞かん」でもあろうと言ってます。上の「試」字と対になっているとすれば、「こころみに」と読むのが一番かと思う。 |
今まで気が付かなかったんだけど、例の幻雲注記の有る宋版『史記』では、甞聞其耳鳴而鼻張だったんですね。この甞ってどういう意味なんでしょう。 |
扁鵲伝の耳鳴が他覚症状であるのは当然のことです。患者には意識が無いんだから。しかも扁鵲が「俺には聞こえる」と超人的な聴力を誇っているわけじゃなくて、中庶子に「あんた注意深く聞いてみろ」と言うんでしょう。 |
『論語』の冒頭「学而篇」 |
「説苑」が引く扁鵲の逸話では「耳中焦焦、如有嘯者声」とあり、耳の中で、鳥がさえずり、誰かがささやいているような声がしている、のを第三者にも聞こえるらしい。耳鳴という症は自覚症状であるが、ここでいう耳鳴は他覚できるものである。実際にそんなことがあるのかどうか、詮議する必要はないのであります。何しろ、逸話なんですから、誇張され、あるいは誤って書かれているハズです。このばあい「じめい」と読んでおきませう。
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『扁倉伝』を読み始めたんですが、 |
臆解は別です。 |
今頃紹介するのも何なんだけど、ユニコードのCJK統合漢字拡張領域Aを利用できるフォントを無料で入手する方法がまだ有りましたね。慶応の千田大介さんのホームページ電脳瓦崗寨からリンクされている書同文数字化技術有限公司の『四部叢刊』電子版のデモ版をダウンロードしてインストールすると、HT_CJK+というフォントが同時に入るようです。ユニコードのCJK統合漢字拡張領域Aまでと、『四部叢刊』で使用する外字がびっしり入ってます。 |
要するに中国の伝統医学について「お話」をしようとしているのか、『素問』『霊枢』といった「経典」を読み解こうとしているかでしょう。 |
ポルノグラフィティーが広島弁で歌ったことがあるそうで、とても面白いものだったそうです。私も広島弁の和訳というのを考えたのですが、さすがにこれは。 |
金谷治は、原文・和訓・注・現代語訳で、小川環樹や今鷹真などは、原文も和訓も無くて、現代語的訳と注、と言うのは如何に何でも乱暴すぎます。かたや『論語』(およびそれに類する経典)で、こなた『史記』や『三国志演義』(およびそれに類する読み物)だからそうなんです。小川環樹だって『老子』(中公文庫)には原文も訓読もつけてます。 |
岩波文庫が古典をシリーズで |
伝統的訓読は不要というのは、半分賛成です。二度手間だし、文語文法も学ばなければならないし。それはそうと、現在、漢文が実際に役立っている分野は(学校で教養として教えているけれど)、そんなに多くないでしょう。その第一は東洋医学だと思います。われわれは、医学を伝えるだけでなく、古典や漢文の読み方も伝えているんだと思います。その意味を考えるなら、伝統的訓読法も遺し伝える義務があるかもしれません。もうひとつには、江戸時代の文献は、やはり文語文法を知らなければ読めませんから、伝統的訓読法をある程度マスターしておくべきだと思います。 |
二十年程前にこんな番組がありました。 |
帰依は寄与の誤り。失礼。 |
教育講演では、直前になって浮かんだ、島田先生に入門して、古典を勉強して、云々という話をしてしまいました。ので、時間が足りなくなり、最後は端折ってしまいました。古典の先生に入門して、10年くらいは、道を間違ったとおもったり、随分回り道したなと思ったりしているが、20年たった今は、山本さんがいうように面白いところに連れてきてもらったとも思うし、結構近道だったかも知れないとも感じている。こんな話をしました。 |
> 『内経』が現代科学の最先端に帰依できるのではないか |
昨日の「英語、エスペランド語」は『内経』が現代科学の最先端に帰依できるのではないかという私の思いです。でも科学的なことも哲学的なことも専門的なことは私にはよく分かりません。いつかそちらの学者さんが専門用語で説明してくれる日が来たらいいなと思っています。 |
学会に参加された皆さん、お疲れさまでした。 |
尾道の三山は石の山で、大きな岩がごろごろしている。その上に小さな家を建てられそうで、ここは4畳半、ここは6畳と部屋割りができるくらいです。 |
尾道の旧市街は、地方の商店街同様に、少しさびしい。日用の商品は、駐車場がある郊外店に買いに行くらしい。観光客は古びた街にひかれるが、現実的には、便利で、きれいなところが好まれている。この図式は、わが古典にもあてはまりそうだ。古いまま守るか、もっとスマートに便利に間口をひろげるか。一考の余地が有ろう。
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日本伝統鍼灸学会に参加するために、木曜日に尾道に入った。半日は千光寺山に焦点を絞って散策し、金曜日は千光寺山、西国寺山、浄土寺山の三山の寺群を歩きまわった。山にへばりついている寺群をめぐるために、相当の数の石段をのぼりおりした。標高は200メートルに満たないのであるが、石の山なので勾配がきつい。きついので高齢者は暮らしにくく、山にへばりついた住宅は改築しようにもできず、そうとうくたびれている。廃屋も多かった。若い人が住んだら楽しいと思う。いい街なんだけど古びていくだけ。伝統鍼灸とかぶり、考えさせられた。散策の中、名案がたくさん浮かんだけれども、帰ってみるとすっかり忘れてしまった。残念。もっと書きたいことも有ったんだけど、2~3日経ってしまうと、賞味期限がきれたみたいで、何も思い出せない。残念。
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江戸時代中期以降、福山藩では農民一揆が頻発し、 |
邪氣藏府病形の「栄輸治外経、合治内府」の「栄輸」は、上文の |
邪気蔵府病形篇の栄輸であるが、単純には文字通りに栄穴と輸穴と解釈しますが、栄輸は単にツボと解釈も出来ます。『難経』七十八難に「當刺之時.必先以左手.厭按所鍼貊児`之處」とあり、「鍼するところの貊児`の処」を前揉撚せよといっている。これは、栄穴と兪穴だけをいうのではなく、ツボ全体に対して言っているのであり、ゆえに栄兪はツボ全体をさすこともあります。外経とは、体表の、脈の循行部位(いわゆる流注)を指します。皮から骨までの病気は(経筋病だけに限らない)栄兪を治療するといえば、必ずしも栄穴、兪穴に狭める必要はないでしょうね。反応点、圧痛点、というのが一番近いかと思います。 |
明治の篠原先生が経筋病に邪気蔵府病形の |
単独行動で申し訳ないですが、尾道を歩いてこようと思ってます。坂の町というのを聞いてますので、たのしみです。特に階段を期待しています。何とか山にロープウエイがあるようですが、これには乗らずに(事故があったからではありません)下の道を上ってみたいと思います。去年の五台山のなんとか寺の階段は千段あったのを思います。これは、近い将来に、泰山に上りたいからです。三千段あるらしいから、鍛えておかないと。来年は上海ですからダメだとしても、その次にはチャレンジしたいですね。それから、倉公の斉国にも行ってみたいですね。その前に、まず、尾道です。
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尾道の名物料理 |
定期電源設備保守作業に伴い、下記の日程においてUMINホームページサービスが全て停止いたします。やや長時間ですので予告しておきます。 |
『山東中医学院学報』一九八一年第三期にある模写が正確であるとすれば、微山県両城画像石は扁鵲で間違いないでしょうね。やれやれ、よかった、よかった。 |
たぶん、東漢『神醫畫象石』のB「刺穴圖」の意であると思います。 |
今、ネスカフェのコマーシャルで女の子が踏み切りを渡って家に帰っている町が尾道です。 |
医学六経本(と称する)『甲乙』の鑑定は、現物を見るか、少なくとも鍼灸古典聚珍(より鮮明な影印が附きます)が刊行されなければ無理です。 |
大英博物館は泥棒博物館とも言われていますが、今回イラク戦争後の博物館略奪のように、大英博物館に収蔵されているから守られているお宝も沢山あると思います。 |
中国各地の訪書に放浪した後、ケンブリッジで英語の世界にうんざりし、先週16日やっと帰国しました。ふと思い、ここを拝見した次第です。 |
「補寫考」印字してじっくり読んでいます。 |
伝統鍼灸学会(当時:日本経絡学会)雑誌 |
山本さんのリクエストでここに載せておきました。 |
補寫考は、慌ただしくしていて忘れていました。山本さんにコピーを送ります。第十鍼は、九鍼以外という意味で、別流派をイメージしています。満城漢墓の鍼も九鍼の枠に入らないような気がするので、『黄帝内経』の黄帝流以外の、扁鵲流とか、白氏流とかを。そんなわけで、おどろくような出土モノを期待しているわけです。経脈説もしかり。
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季刊内経秋号が届きました。 |
電子版の『霊枢講義』を霊蘭之室にアップロードしました。 |
経絡説は極まったという感想は、『霊枢』経脈篇にたどり着いて先を見たら断崖絶壁、かといって後を振り向いたら、今来た道は波に洗われている、という状景ではなかろうか。ここは一番、勇をふるって引き返すしかないでしょう。 |
経絡説はきわまっていないですね。まだまだ、読み込みが足りないですから、きっと新たな解釈がでると思います。問題は『霊枢』経脈篇にあり、その位置づけ、前後関係を明らかにすべきなんですが。それには『馬王堆漢墓帛書』が最も重要な史料だと思います。しかし、今もって、それを熱心にやっている鍼灸家はいないと思います。白川静の真似じゃないけれど、あれを手で写し、ひとつひとつの漢字から始めるような研究を、これから誰かがやらなければならないと思います。臨床と並行して。 |
扁鵲自体が鳥の名、鵲(かささぎ)だったのですね。 |
全日本鍼灸学会雑誌52号5号(2002年11月)「経絡論争期の経絡・経穴についての基礎研究」(山田鑑照)に、「長濱善夫学説」と称し、れいの「新経絡」(鬲兪経。八兪経)などを写真とともに掲載していた。 |
そういえば、山田慶児の「夜鳴く鳥」(岩波書店)は絶版だそうである。この中には、扁鵲のことを詳しく書いた「扁鵲伝説」がある。なかなか古本市場にも出てこないので、気づいた人は買っておいたほうがいい。不要でも、もし、見つけたら、教えてください。欲しい人がいます。
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藤堂明保著『中国名言集(上)』朝日文庫P.66 |
正確なことをいわせてもらえば、脈をみたり、鍼を刺したりしていますから、上肢は人だと思います。よって、半人半鳥といったほうがいいでしょう。 |
あの拓本は人面鳥だったのですね。 |
じつはこの扁鵲のコピーをここにのせてあります。 |
いや実は、真柳さんの扁鵲の拓本画像(結局、他の書籍から取りましたが)をどう紹介しようかと迷っての、苦肉の策です。 |
普段あまり見たことは無かったんですが、扁鵲の拓本のおかげで、ホームページの会員紹介欄をみました。その中には、黄帝、岐伯、扁鵲の3人だけになってますが、倉公もいれてほしいと思います。感情的に。それから、内経の中の問答者でいえば、雷公、少兪、少師、伯高も要るかな。この際だから、整理しておきましょうよ。個人的には、彼らを神医と言ってもいいかと思います(第1グループ)。張仲景や皇甫謐は一等劣るのではないでしょうか。第2グループですね。
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下で話題にした人面鳥身神の画像を「靈蘭之室」の、酒亭「一角獣の微睡」からリンクさせました。 |
本当に扁鵲なの、なんて発言は本当はまずいんだけど、まずそうだから疑問を控えるなんてことは、内経医学会の伝統にはずれると思ったから、ちょっと言ってみました。 |
微山県両城画像石に見られる人面鳥身は、実は他にも少なくとも四つ有る。解説はその中の二つについて、やはり神医と言っている。相対する患者とおぼしい人物もいる。 |
そうたいしたことは分かりません。 |
神麹斎さんへ |
拓本をそのまま実物大で複写しました。複製ながら、貴重な拓本に出会えるのは、なんと幸せなことでしょう。この拓本は、藤木俊郎先生の著作のカバーデザインに使われていたので、本物が欲しいなとずっと思っていました。真柳教授が持っているのは、本人からずっと前に聞いてたからで、それをふと思い出し、複製を思いついたわけです。100枚つくりましたので、枚数制限は今のところありません。待合室に飾るのが最良です。雰囲気ばっちりです。変な経絡図をかけるより、相当ましだと思います。額は、ぼくは9000円くらいしました。 |
いや驚いたね、かいちょうから扁鵲の拓本複製が届いたけれど、デカイ!(驚く方が間違っている。寸法は下にすでに書いてある。) |
真柳先生所蔵の扁鵲の拓本の複製を作りました。管理者に送りますので、詳細は管理者から発表してもらおうと思います。タテ50×ヨコ90で、コウゾ紙を使いました。1枚2000円です。希望者は、日本内経医学会事務局まで。
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『針灸経穴与原気』の主著者は、臨床一筋の人で、しかも勉強仲間で共著者(助著者?)である人に、序文で文章力が無いと言われるような人だから、文章の出来や用語の選択の妥当性を云々してもしょうがない。 |
昨日、伝統鍼灸学会の申込書が届きました。 |
原から何物かが流れ、ついで五輸穴に拡張された、というのはいいですね。いただきです。
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六然社から「意仲玄奥」という本がでました(5000円)。森(立之の家系)家に伝わる鍼灸秘伝書です。説明は、「内経」の次号に書きました。会員割引がありますので、事務局まで申し込んでください。 |
崖の下から湧き出る泉、というのは別に私の意見じゃありません。『説文』における説明です。 |
確かに、土穴とはいうものの、原穴設定時点からあった概念なのか定かではない。ので、平原をあまり意識しなくてもいいのだが、平原を見ないで平原の意味を捨て去るのは、どうも納得がいかない。そんなわけで、平原なのである。 |
原穴というのは、やっぱり九針十二原が最初であって、だから、五蔵と膏・肓を、診断し治療するための最重要穴の選定だと思う。それを原穴と称したのは、選定した人の好みでしょう。 |
原穴の原は、いろんな意味があって、なにゆえに原穴というのか、いまだにわからない。 |
この前NHKで再放送やっていた「大地の子」の陸一心が流された内蒙古はここか?あの奥さん江月梅は綺麗だった。清楚で、美しく、内に秘めた強い精神。あこがれだな。あっ、モンゴルの話しじゃなかった。
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モンゴルの大原の写真は感動的でした。小生は海の出身ですが、あのような平原をみるとなんだか懐かしくなるので、おそらくとおい祖先はモンゴルに住んでいたのではないかと思ってます。そんな意味でも感動的でした。いつか原穴の原の意味を、モンゴルの平原をみながら考えてみたいものです。
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内蒙古の真柳氏から写真と便りが届きました。 |
真柳氏→岩井氏の連絡に、かいちょうが手を貸して、 |
岩井氏はアドレスを持っていませんので、小生が用件をうかがって、返答もうしあげます。
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私用連絡にここを使わせてもらって申し訳ありません。 |
郭さん中国から戻ってきていい話を聞きました。 |
墓参と講義、ごくろうさまでした。 |
島田先生の墓参と講義を聴く会が8月10日にありました。その報告。墓参には結局10人弱が参加。とても暑い日でした。島田家の皆さんと一緒になり、楽しい墓参となりました。 |
宮川さんへ |
「控えめ」の魅力というのは、意外でした。『素問』では『素問攷注』というように、盛りだくさんに眼がなれてしまっていたのかも知れませんね。そんな眼で、今度から読んでみたいとおもいます。
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清代考証学の精華の運用という点では、『霊枢講義』は一つの頂点であると思う。この上は、老練な臨床家の意見、若手の研究者の学説から示唆を得て、例えば十一経脈から十二経脈への進歩ではなく、十一経脈派と十二経脈派の並立とか、『霊枢』を経脈篇ではなく、本輸篇を基礎とした構成と観るとか、是動病を各経脈の腕関節・踵関節付近の、脈診兼治療点が異常な拍動を示すときの病と理解するとか、そういうことを自分なりに考えていきたいと思う。 |
私はやっぱり『霊枢講義』が一番好きです。先人の考察の痕をきっちり抑えて、「どうしても」必要ならば自己の意見を陳べる。 |
渋江氏『霊枢講義』の魅力はなんだろうか。『霊枢』第一の注釈書とはいわれているけれど。かいちょう自身、霊枢講座をもっているが、ほとんど参考にしない。まだ、郭靄春の「校注語釈」のほうが利用度は高いな。家本先生じゃないけど、『霊枢』の本格的な注釈が必要だと思う。 |
p001昔皇帝作内經十八巻, |
学苑出版社の渋江抽斎『霊枢講義』活字本を入手しました。 |
学苑出版社のシリーズの、渋江抽斎『霊枢講義』の活字本が出版されました。このシリーズは、森立之の『素問攷注』『本草経攷注』が既刊です。上下で5500円で、本日入荷しました。希望者は、日本内経医学会事務局 |
運営委員には既に役割分担が有ると思います。 |
p339○其民嗜酸而食閭普C |
会員ホームページは指示通りにしたら読めるようになりました。 |
あの、それ何かの間違いですよ。誰からの話ですか。 |
そういえば、島田先生の亡くなる前、岐阜の左合さんは、宮川氏が会長になるのをいやがっていて、「宮川氏が会長になるなら、俺は辞める」とか言ってたそうです。今思えば、懐かしい話ですね。そのことはどうでもいいのですが、左合さんは誰がいいと思っていたのでしょうか。聞いてみたいですね。 |
え~、「会員ホームページ」の文字化けの方は、 |
全く違う話で申し訳ないのですが |
別の言い方をすれば、「経脈を通じ、血気を調え、逆順出入の会を営する」ことによって病を癒すという新奇かつ格好いいことをやりたい、それが出来るのは微針だけである、と誇っている。 |
「余欲勿使被毒藥,無用遐ュ石,欲以微針通其經脉,調其血氣,營其逆順出入之會。」は、毒薬(薬の辛苦なるもの)や遐ュ石を用いなくとも、微針でもって経脈を通じ、血気を調え、逆順出入の会を営することによって「も」そこそこ病を癒せるようにしたい、ということだと思います。九針十二原の中にも刺絡に関する記述は有りますし、『霊枢』の中に服薬がないわけじゃない。新たな方法を少し華々しく宣言(宣伝)したということでしょう。 |
李建民氏の「灸法の起源」簡介を読んで「九針十二原」の「無用ヘン石」がひっかかっています。 |
テイク・ファイブは「ちょっと一休み」という意味でしたか。その意味は知りませんでしたが、山本さんのがまるで「最後の5品」のような書きぶりだったので、そちらへ話を引っ張ってみました。 |
あのう、テイク・ファィブなんですけど。「ちょっと一休み」の意です。 |
食べることに関心が無いほうではないが、死ぬまでにアレ、というほどのものは無い。ただ、もう一遍行けたらなあと思う店、中国篇: |
8月10日は島田先生の墓参があります。東武東上線の高坂駅に10時に集合のこと。参加自由(普段着でいいですよ)。 |
某テレビの番組に最後の晩餐というのがありましたが、山本さんのラストファイブは山本さんらしいか。僕なら故郷モノで、海苔ですね。母方の実家で海苔を作ってましたので、できたてのをずいぶん食べました。おいしいとかいうのではなく、当たり前に。その海の香り、なんともいえないですね。今は、自分でつくっているぬかずけですね。大根のぬかずけをかじりながら死んじゃうのを想像しています。 |
『医古文の基礎』の書評を読みました。せめて銭さんの「日本語版への序」や「編訳者まえがき」を読んで欲しかったと感じました。 |
瀬戸内の刺身で一番うまいのは、マコガレイ、二番目はスズキ、そして三番目がマダイと言われているが、私が一番好きなのはゲンチョウ。たぶんゲンチョウは舌ビラメだと思う。スーパーでは売っていないので市内まで出ないと手に入らない。市内の各所に「晩売り」といって漁師の奥さんが子連れ狼の大五郎を載せているような手押し車で、自分でさばいたゲンチョウの刺身を売っている。 |
私が、「弁解というか、負け惜しみ」を書いたので、誤解されると困るので改めて言っておきますが、現代語訳の誤りがいくつかみられ、伝統的な訓読法に違反する箇所が数多く有るということ自体は、弁解の余地の無いものです、「訓み下し文」と称するものを付けた以上は。たとえそれが編訳者の本意と違う、暗黙の強制によるものであり、また医古文知識の紹介という点で大過ないものであるとしても。 |
書評読みました。長文だったのですね。コピーお疲れさまでした。 |
『医古文の基礎』に対する批評文がアップロードされた機会に、弁解というか、負け惜しみを一つ。 |
東医学研究会のご厚意により、 |
家本誠一先生とは何者ですか。 |
家本先生の「釈注」ですが、2セット欲しいので、よろしくお願いします。拙宅へ。 |
BACKボタンが上にありました、なんと初歩的ミスでしょう。「かいちょう」さんの過去ログもありました。 |
何だか過去ログから消えてしまった「かいちょう」さんの御質問にあった家本先生の「素問釈注」ですが、現物に一寸触れる機会がありましたので報告いたします。 |
みどりさんにせよかいちょうにせよ、どちらかのみかたになれるほどのたくわえがないのでありますが、 |
『漢書藝文志』の『黄帝内・外経』+『扁鵲内・外経』+『白氏内・外経』+経方(痺病方、疝病方など)≒『素問』『靈樞』 |
私は經絡説は漢代に完成されたものだと思っています。 |
この書き込みに失敗して、書き直したものが45です。よって、これは削除しました。 |
人間の体は、ブラックボックスです。死体を切り刻んでも、生きている人間とは異なります。ですから、わからないことを無理やりわかろうと努力しなくともいいのではないでしょうか。 |
下の「六府之谺ャ奈何」についての弁明を撤回し、訂正します。 |
今日、『東医学研究』に載った『医古文の基礎』の書評を、コピーをもらって読みました。 |
『漢書』藝文志には、黄帝、扁鵲、白氏の三派の内外経が有り、さらに旁篇が有る。そのうちの黄帝内経だけがわずかに残る、というのが常識的な説であるが、実は突拍子も無い異説も有る。 |
どうも、みなさんは経脈篇が完成したものだと思って、そこから勘違いを生み出しているようです。経脈篇は、むろん信頼に足る資料だけれども、金科玉条のごとくに読むべきものではないと思う。だから、経脈の方向は経脈篇の作者が提出した仮案であり、実際に身体の中であのような循環を為していると考えてもいいし、ああではないと考えることもできる。その曖昧な文章に対しては、あいまいに解釈しておかないといけないのだと思う。というわけで、流注の方向は、愚生にとってはあまり興味がないのである。むしろ、経脈篇成立のことをもっと考えるべきだと思う。 |
経絡敏感人に対する実験結果で、気が『霊枢』経脈篇にあるごとく循環するかに見えるのは、(少なくとも整理する人員は)『霊枢』経脈篇を読んでしまっているからだと思う。経典の支配力は大きい。 |
質問1:経絡敏感人によれば、気は『靈樞』経脈篇にあるごとく循環するようですが、そうしますと四肢の末端から体幹部へ向かう経脈説は、あやまりでしょうか。五行穴は、命名の仕方からいっても、求心性であることはあきらかであろうと思います。 |
姪の話の見方を変えて |
身体のいずこかに異常な拍動(脈にはすじをなして連なっているという意味が有るから、ここではまだ使いたくない)が有る。そしてその部分に病的な現象がおこっている。その拍動の異常と病症は相関しており、拍動の異常を治めることによって病症を治めることもできる(と想定する)。これが、診断点であり治療点であるということの最初の意味だと思う。治めるための手技は術者によってさまざまで、とにかく治めることができさえすれば良い。さまざまな手技が整理されて、やがて補瀉ということになった。 |
神麹斎どのの言う拍動診から脈診への展開、納得いきますね。その展開に従って、脈診パラダイムも実体から関係へ、関係妄想へと発展(?)したというわけでしょうか。 |
貝原益軒『訓點新例』 |
左合さんの妄想に、さらに私の妄想を継いでおきたい気分になりました。まったく私の趣味のようなものですが。 |
松田さんの挑発に応えて妄想を……。 |
【人迎気口診の歴代文献】 |
三十三歳になる姪が、股関節が痛いとか膝が痛いとか肩、肘、手首と次々に痛くなってはすぐ収まりしていた。痛みが出る時いつも人迎が浮緊。ある日股関節が痛いというのに人迎は沈んでいる。代わりに氣口が浮大。勞倦の脉。 |
『素問』三部九候論篇の中部脈と下部脈によれば、経渠が肺脈で、神門が心脈で、太谿が腎脈で、大衝が肝脈で、衝陽が脾胃脈である。個人的な推測でいえば、これが邪気蔵府病形篇の五蔵脈じゃないかと思う。神麹斎さんのいう②に相当すると思います。①弦鉤代毛石の五蔵脈は神麹斎さんのいうとおりだと思います。邪気蔵府病形篇が六部脉診だったのではというのは、滑脈や渋脈が単独で出現するとは思えませんので、希望的な推測だと思います。
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人迎氣口診は確かに定義づけるには難しいものですね。 |
『霊枢』邪気蔵府病形の心脈、肺脈、肝脈、脾脈、腎脈が何を指しているのかは難問です。 |
人迎氣口診が用語解説集に入らないのは、定義できなかったからと書いたとおりで、やっていない人はやはり書けません。六部定位診だって、まったくやっていない人は書けないと思います。参考書を引っ張り出して適当に書けば書けるでしょうが、そんな切り張り文を誰が読んでくれるでしょうか。僕は書かないことが良心だったと思っています。
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言い方を変えて |
すでに、No.096「脉診妄言」に、『太素』卷十六の雑診(『素問』では病能論)を引いて、「上古の経典には左人迎、右気口の萌芽は無かったんだろうか」とは言っています。しかしそれは右と左の脈状は異なる、それを診断に応用する、ということの萌芽であって、『素問』『霊枢』に左右に人迎気口を取ることが有ったということではありません。 |
人迎寸口については、「内経」に出る人迎は頸動脈の人迎穴位なのか。『脉經』と同じ、左右の寸口だったのではないか。です。 |
『甲乙』巻3の兪穴の並び方は、頭部と体幹部ではおおむね正中線およびそれと平行する線ごとに下降する。四肢ではおおむね経脈ごとで何れも求心であるが、これも正中線というものが無いだけで、おおむね平行する線ごとまとめたものだろう。面部はやや複雑だけれど、経脈ごとというものではない。 |
新書は全書の間違いでした。打ち込む前に気をつけて見ていたのに打ち間違えてしまっていました。ごめんなさい。 |
岩波新書の『漢文入門』は、岩波全書の『漢文入門』のまちがいだと思います。 |
『中医臨床』に石田先生が連載されていた「医古文の読み方」に和訓のことが出ていました。 |
松田さんが始めて「内経」誌を読んだ時衝撃を受けたそうです。どのような衝撃なのかお聞きした所、 |
昔、松田博公さんが、日曜講座の感想を書いていたのですが、ぼくもうまいなぁと感じていました。ぼくらは、あくまで素人であり、こうして書いているのも児戯に等しかろうと思っています。「医古文の基礎」だって、しょせん素人あがりがやった仕事です。専門家が育つ環境を、はやく作らねばと思っているわけです。 |
『医古文の基礎』に対する書評はどのようなものだったのですか。もしここに転載出来たら読ませて下さい。
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『医古文の基礎』に対する「書評に答えて」(内経151)を読んでの感想を、一言で言えば、時には拙速と蛮勇を尊ぶ。 |
昔、日曜講座の報告を松田さんに書いて頂いた事が有ります。端的に重点をつかんだ文章で、その講座を私も聞いていたのですが聞き逃した所とかも記されていて、講座に出るより松田さんの報告を読んだ方がよく分かり、さすがプロだなあと思ったことがありまた。 |
髟ソに頁を、「たぶん瀕の異体字」と言われて、サンズイはどこへ行っちゃったんだと思ったけれど、小篆を調べたら止と少(厳密には一画多いけど勘弁してね、そういう瀕の異体字も有るらしいし)の間に横たわっていた。それなら筆勢とかで髟ソになることも有りそうですね。 |
『諸病源候論』卷23中悪病諸候・尸厥候に「聽其耳内循循有如嘯之聲」(その耳内を聞けば循循としてウソブクが如きの声有り)とあります。この後、「股間〓〔日+而+大〕是也」(股間あたたかなるは、是れなり)とありますから、明らかに、太子の尸厥を念頭に置いての解釈でしょう。 |
そういえば家本先生の素問注釈が出ているのですが、購入できる方法をご存じならば、教えてください。
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家本誠一先生の傘寿をお祝いする会と、記念等特別講座(演題は「帰經について」)が7月12日に横浜にて開催されます。詳しい事はご連絡下さい。
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一昨日『日本伝統鍼灸雑誌』第28巻第1号に載る、新医協の蛭子君の「『内経』における四季の刺法と五兪穴について」を読んでて思ったのですが、 |
もう終わりにしたつもりだったんだけど、ちょっと言っていることが違うと思うんで: |
誰がみたって、死んでいたにちがいない。死というのは、誰にも身近にあることがらで、太子の回りにいた人たちが、生まれて初めてみたという面々ばかりだとすれば、死を判定するのに、№3や№5がいうように若干の生の徴候を見逃すかもしれないが、実際はそんなことないと思う。手足は冷たくなり、呼吸がとまり、心臓の拍動も停止している。医者がいれば脈をとったかもしれない。 |
ちょっとしつこいけれど: |
確かに、耳鳴りを聞くという表現はおかしい。しかしながら、それ以上の解釈は今のところできない状態である。話としては扁鵲が死者を蘇生させたというところに重点があるので、この辺はどうでもいいじゃないか、とほおっておかれている。 |
考えてみると、扁鵲が中庶子から得た情報というのは、陌「の太子が鶏鳴(午前1時~3時)ころに、(うんとわりきって言ってしまえば)にわかに人事不省に陥って、だけどまだ半日にもならないから収棺はしてない、ということだけでしょう。「血氣不時,交錯而不得泄,暴發於外,則爲中害。精神不能止邪氣,邪氣畜積而不得泄,是以陽緩而陰急,故暴雹キ而死。」は、中庶子の判断に過ぎない。勿論、扁鵲ほどの水準になれば、初心者の若干怪しい判断を材料にして、より正しい判断を導き出すことも可能なんでしょうが、いかにも情報が少なすぎると思いませんか。 |
大表とは何ぞやが主題だったんで、うっかり気づかなかったんだけど: |
私の友人に礼儀正しい人がいて、E-mailの宛名が呼び捨てになるのを気にして、苦労して「神麹斎どの」と設定してくれた。 |
自分は奇説を吐くのが好きなのに、他の人が変わったことを言い出すと、まあまあもっと素直に解釈しようよ、などと宥めにかかる。困った性格だねえ、我ながら。 |
大概が副詞というわけでもありません。「大概~である」というときは副詞として用いられているということでしょう。もし、「大概を知る」と言えば、それは名詞として使われている。 |
大概、大略、大要などという言葉は有るけれど、それはそもそも大の後の字に、おおむね、省略、要点といった意味を含んでいるように思う。 |
前後の文を見なくて失礼しました。語法書では大概や大抵も副詞に属しています。形容詞として秋山さんの解釈を挙げて見ます。 |
人づてに得た情報であろうと、その情報をもたらした人自体は、やはりそれを四診で捉えたのだと思う。(体系化されていない、広い意味での。) |
病應見於大表,不出千里,決者至衆,不可曲止也。 |
病應見於大表の大は、形容詞だと思いますが。
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病應見於大表,不出千里,決者至衆,不可曲止也。 |
『古代漢語』王力主篇 |
№77で「扁鵲は、中庶子から得た僅かな情報をもとに、病の成り立ちを説明し、陽入陰支蘭藏と判断し、治ると判断し、そして実際に治している。切脈望色聽聲寫形も必要としないと誇っているけれど、その拠り所も結局は中庶子が目撃したものから得ている。内部で何か問題が起こっていれば、必ず何らかの端緒が外部に現れるはずだから、それを掴まえさえすれば、病之所在を言うことが出来るわけである」というが、全くそのとおりだと思う。扁鵲は、患者を見ずに、若干の情報だけで的確な診断をし、治療をしている。さて、こういう意味で解釈するならば、「病応」は病気の情報とすると、「大表」は大雑把という意味ではないだろうか。「大」は大概、つまり大づかみ、「表」はめじるし。大雑把な病気の徴候さへわかれば、という意味じゃないだろうか。やはり、身体の表面関係の解釈はあたっていないような気がする。 |
神麹斎さま、つるさま、早速情報をお寄せいただきまして、まことにありがとうございます。 |
『知熱感度測定法による針灸治療法』昭和31年1月再版(29年10月初版)には、上仙(背部正中線上にあつて第五腰椎と仙骨の間にある)(中略)著者の命名によるものであつて、上仙穴は腰痛、痔疾、婦人科疾患等に応用して著効あり、(p23) また、16年程前「頭痛、目眩、肩こり、食欲不振、腰痛、便秘、倦怠」等を訴えて来た60才の老母があつた。私はこれは、第1便秘が原因であろうと、思いその原因を追及した、ところがこの患者には自覚しない程度の外痔核があつた。腰部を圧診すると、第5腰椎と仙骨との中間に烈しい圧痛点があつた、この部位は最近私が命名した、「上仙穴」に相当する。(p52)と書かれています。 |
『類経図翼』の奇兪類集に、 |
インターネットで調べた結果ですが、 |
督脈上にあるという、「上仙」なる穴について、その位置、主治症、命名者あるいは出典についてご存知の方、ご教示下さい。 |
どう読むのか小うるさくしようかと思ってた時期があり、朗読ボランチアの方からの影響で読み分けというのを考えるようになりました。 |
「閻ァ」の読音は、尾乙蘭さんの言うのが正論です。 |
「閻ァ」は『康煕字典』を引くと「シュ」と「ユ」二種類の読みが載っていて、其々の音で発音した際に意味が異なるので所謂「つぼ」の場合は「シュ」と発音した方が良いのではないか?と思います。 |
古医籍を漢文として訓読しようという意識は、今は全く有りません。ただ、少なくとも経典著作はなるべく逐語的に訳したいわけで、そうすると選択肢は古文(言い換えれば文語)しかないとも思います。そこで、漢文和訓「調」にはなるのだけれど、医古文の知識で漢文訓読のしきたりを踏みにじることになっても、あんまり抵抗は有りません。とは言うものの「あお」さんが指摘したような古語の使い分けとの抵触が有るとすると、これには当惑します。現実には知っている人のほうが少ないだろうから、そんなに問題はないでしょうが、ほおっかぶりはやはり拙いかな……と。 |
またまた……、だけど、最近は漢文を訓読しているという意識が有りません。「主語をはっきりさせたい」ためには、テニヲハを補うのを躊躇しないようにしています。 |
ふつうの訓読・書き下し文なら「王注 以て背兪と為すは」「王注以て背兪と為すは」でしょう。 |
なるほど、「此の六者に非らざるものはこれを間と謂う」ですか。 |
『太素』巻五・十二水 05-36-5楊上善注「其正取四支卅輸及卅六輸餘之間穴」 |
扁鵲は、「太子病、血氣不時。交錯而不得泄、暴發於外、則爲中害、精神不能止邪氣。邪氣畜積而不得泄。」という情報から、「當聞其耳鳴而鼻張。循其兩股以至於陰、當尚温也。」であろうと推測し、病名を「尸蹶」と判断したのでしょう。そして、改めてその病の成り立ちを説明している。 |
素問ネット掲示板で、かいちょう が「病応見於大表」を話題にしています。 |
今後、新しい論文を書くときには、正しく かいちょう の言うとおりだと思います。ただし、古典に関して言えば、そうはいかない。閻ァと書き兪と書き輸穴と書くことによって、解釈を強制してしてしまう。つまり、楊上善だって王冰だって間違えることは有るだろう、というレベルの読者の要求には応えられない。まあ妥当なところ、現代中国の事情になぞらえれば、簡体字版では閻ァ兪輸の書き分け、繁体字版では底本通り、といったところでしょうか。 |
「ゆ」の字は、中国では次のように使い分けしています。古典上では違いはないと思いますが、便宜上そうしています。 |
『素問』痺論:六府亦各有兪、風寒濕氣中其兪、而食飮應之、循兪而入、各舍其府也、 |
島田先生の講義録を聞くだけで、聞きながら文字は誤読を確認する程度に流すように見るだけで、理解できるのでしたら、貴方の水準が自分で思っているよりずっと高いからです。素問ネットの、取りあえずのテープ起こしには唖然とするような誤りが有ります。文字に替えるのが、時間と手間の無駄だとはとても思えません。 |
何故か漢字辞書が出なくなっています。 |
誰か書くだろうと思って待ってたけれど取りあえず |
この三種の字の使い分けはあるのでしょうか。
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『素問』『霊枢』を和訓するにあたって、漢文を勉強しなおして、その習慣に従って書き下すべきであるか? |
賢忠寺は福山駅から徒歩 |
福山の、ケンチュウ寺に、森氏細君の墓と、伊沢柏軒の墓があるそうです。行くなら墓参してこようと思います。場所をご存じの方はいませんか。山本さんのお友達はご存じでしょう。うかがってみてください。
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18日(日)に本会運営委員会が行われ、つぎのことが決定した。 |
森立之の主家も、福山の阿部家です。 |
福山藩に仕えていたのは |
東洋学術出版社『医古文の基礎』268頁の「衍文」のところに鄭玄のはなしが載っています。 |
福山藩主は阿部侯で、阿部侯は森立之(?)の雇い主でありますので、本会ともゆかりのある場所です。○○寺に墓参に行く予定です。 |
神麹斎先生ならびにこばやし先生、ご意見、情報、ありがとうございます。 |
凝澀(豼〟jという詞は『霊枢』に有りましたね。 |
一般的に言えば、平凡妥当な説と虚をついたような説が有る、ということだと思います。この他にも伏衝は辮イ衝の誤りで即ち太衝であるとか、丈夫七八の記述の大部分は八八のもとに移すべきだとか、音督の簒は実は篤の誤りであるとか、奇説は始めて聞いたときはオ~ツって感じだけど、落ち着いて考えてみるとどうもやや眉唾。『素問』では呉崑あたりが奇説の大御所で、とっても面白いけれど、やっぱり危なっかしい。勿論、奇説と思われるものがよく調べると本当はよりまっとうな考え方であるということも有るわけで、それを判定する有力な手掛かりの一つが医古文の知識だということでしょう。 |
戸川先生が陰陽応象大論の講義で解釈が二分した時、 |
朱駿声『説文通訓定声』に: |
内経医学会の中に凝泣派と凝冱(沍も同じ)派がいると誤解されても面倒だから念の為に言っておきますが、私が言っているのは、『医古文の知識』に書いてあるからといって直ちに信用するわけにはいかない、と言うことですよ。 |
●「凝泣」は「凝冱(ギョウゴ)」 |
今日の新聞報道によると、上海の入境チェックはムチャクチャ厳しいみたいですね。それに比べて日本はムチャクチャ甘い。8月の段階で、日本にいるより上海へ脱出したほうがヨッポド安全、なんてことになってなきゃ良いけどね。
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『太素』巻二十四「天忌」に、「天寒日陰則人血豸・ヮァ衞氣豐塩轣v(私の電脳太素から貼り込み、難読箇所の経文は取りあえず素霊に従ってある)とあり、楊上善注の末に「□音□也」とあります。肝腎の注の上の字は全く難読ですが、ようするに豸・モフ下の字に相当するだろうと思います。下の字は澀(下部の止を一つにした字形、そういう字形は仁和寺本の標準ではない)かも知れないし、豌オに鄂。(そういう字は字書に未見)かも知れない。他に問題の字の釈音は無いし、他の箇所では明らかに泣(勿論、泣くという意味じゃないところのこと)と書いている。したがってそう簡単には改めがたい。 |
『医古文の基礎』270ページに『素問』にある「凝泣」などの「泣」は、サンズイに「互」(意味は「閉塞」)という字の誤りであるとの説が載っていますが、この説については、先生方はどのようにお考えでしょうか。
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SARSで死ぬか生きるかの分かれ目は、 |
もう調べれば調べるほど分からない。 |
ちょっと調べたのですが、やっぱりと言うか: |
尾乙蘭さんの意見は、比較的納得できます、私にも。 |
八月の訪中(向こうの表現では「来華」♪)はとても楽しみにしていたのですが、諦めざるをえないと思います。 |
>
菌を持ち帰って患者や家族に移したらどうするのですか。 |
菌を持ち帰って患者や家族に移したらどうするのですか。 |
かつて、天津中医学院との学術交流会の第三回目が、天安門事件の影響で中止になりました。それ以降、天津との交流は途絶えています。調子よくなりそうなころにダメになるのは、偶然なんでしょうか。2~3ヶ月、様子をみましょう。
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だから、一番怖いことの一つが周囲の「冷たい態度、視線」だと思うわけです。癩やHIVの時に非難されたようなことが、いま大手をふってまかり通っている。中国当局による強硬な隔離政策も、他の場合だったら各国の非難を浴びていると思う。(隔離はしょうがない。方法や罰則のこと。) |
貿易会社(東南アジア中心に貿易している)の患者さんが情報を教えてくれました。(これからも情報教えてくれると言っていました) |
いま話題の新型肺炎の恐ろしさが、もう一つよく理解できない。 |
報道によれば、SARSはいよいよ盛んになり、今のところ沈静化しそうにない。8月に浙江省杭州市(上海の近く)で医古文学会があり、本会から4題発表の予定である。昨年お会いした先生方も待っているだろうし、李経緯教授からも手紙をいただいている。数ヶ月の内に治まるだろうと楽観視しているが、もし8月でも沈静化していなかったら、訪中すべきだろうか、中止すべきだろうか。忌憚のないご意見を望む。
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黄龍祥『中国針灸学術史大綱』(台湾・知音出版社)の注文をダブらせてしまいました。ご入り用のかたは有りませんか。繁体字で増修版です。もっとも大陸版には無い校正ミスも有ります。値段も若干高い。ただし、私の手元にある先の本屋の値段よりは、今度のほうがかなり安いです。ご入り用のかたがいらっしゃいましたら、sagaw-daikei@umin.ac.jpまでご連絡ください。 |
東洋学術出版社のホームページで「SARSと中医薬」というコーナーを設けたそうです。ちょっと覗いてください。
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一昨年の十月、介護福祉士の姪が岡山にあるハンセン病の施設に一日ボランティアで行ってきました。 |
下のかいちょうの記事にはユニコード拡張領域Aの漢字が使用されています。したがって拡張領域Aの漢字を含むフォントの用意が無ければ豆腐になります。 |
譱蚊l、譱例l、頽疝、みなタイセンで、同じものであろう。経脈篇の足厥陰脈の是動病に「丈夫譱例l、婦人小腹腫」といい、男性の病気だという。前立腺肥大をいうか。それは厥陰の病であるから、足厥陰経を選択する。これによれば、四時気篇の症例は、本輸篇で太陽大絡を委陽と解釈し、経脈篇で足厥陰経を選ぶことができる。 |
厥陰の病に頽疝というのが有って、その病は少腹痛み、大小便を得ずという。これも関係が有るのではなかろうか。 |
倉公伝の診籍第十は四時気篇のと同じ膀胱炎の症例である。そして、腫の成り立ちを「腹之所以腫者.言蹶陰之絡結小腹也.蹶陰有過.則脉結動.動則腹腫」といい、厥陰の絡が小腹で結滞したために、変動をおこし、腹腫となったという。 |
「腫上及胃閼・vは、下腹部の腫(脹満)が上衝して胃閼・ノまで達したら、というような意味だろうとして、「腫れの上に胃閼・ノ及ぶものは」と訓みました。和訓のその辺のしきたりにはやや自信を欠くところが有ります。 |
経脈篇の成立が最も遅いだろうとは同意見です。本輸篇もそうじゃないかと思います。小針解篇も、伝に相当するからこれも遅いだろう。そうすると、遅いグループで何か共通する理論があるかもしれない。『霊枢』から、その理論を使っているらしい論篇を取り除くと、古いと思われる論篇が残ってくるかもしれない。 |
『霊枢』四時気の和訓: |
たとえば、『霊枢』四時気篇の治療なんですが、「小腹痛腫.不得小便.邪在三焦約.取之太陽大絡.視其絡脉.與厥陰小絡.結而血者.腫上及胃閼・D取三里」という例があります。 |
遠道取穴法に過ぎないということも有るわけですよね。 |
経絡治療は、ひとつのブランド名であって、六部定位診で得られた経絡の虚実を補寫する、昭和初期に打ち出された治療体系であります。 |
可能であってほしい。証明しなければいけない。だけど、それを実験で証明するのは相当に困難だろう、ということですよ。 |
共同通信提供の『鍼灸もうひとつの医療』の連載が、私の地方の新聞でも先週から始まっています。 |
『素問NET掲示板No.15「あっちのかいちょう」に返信しようとしたら』云々と書いたから分かるかなと思ったんですが、確かに不親切でした。反省しております。 |
独白といったのは、「談話室を読んだ人は、神麹斎さんがどうして突然このような問題を出してきたのか」疑問に思うのではないかと、案じたからであります。 |
ようするに、島田先生の句読は必ずしも、 |
まあ独白なんですが、それでも: |
17と18の神麹斎さんの文章は、まるで独白であります。せめて、こうこうこういうわけで、拙者は斯く思う、くらいのことを書いてください。あまりにも突飛なので。 |
『太素』巻2順養に於いては: |
島田先生: |
今日、突然、丸山先生のお墓まいりをしてきました。公式行事としては、4月6日(日)だったのですが、会の主だったメンバーが参加できないということで、急遽中止にしました。それでも、個人的には、後ろめたい気が少しあったので、衛生学園の春休み(木曜日担当)を利用して、行って来ました。同伴は、衛生学園の学生の天野氏で、浄智寺、旧宅、蕎麦屋というルートで踏査してきました。旧宅は、昨年より、草ぼうぼうで、廃屋度が増してきました。もしかしたら、もう無くなっているかと心配してました。来年も残っているかどうか。 |
吉田君の「日本の鍼灸医(師)の過去から未来へ」を読んでて思い出したのですが、 |
僕が考えている経穴治療とは、病症(症状)に対して経穴を選ぶ治療で、経絡治療とは経絡の虚實に対して経絡の虚實を整える治療です。だから、経絡治療にはどのような病症であるかは問題ではなく、どの経が+・-であるかを判定し、治療する方法だと考えています。経の+-は、脉診でしか判定できません。問診他ででも判定できそうですが、有効だったかどうかは、脉診で判定する以外にはないと思います。 |
言葉が足りなかった様なので |
他人の書き込みに補足説明するのも変なものですが、「胃がなんたらしたら足三里」だって経絡の機能は使っているんですよ。足三里と胃をつなぐ何物かが存在するわけで、それが経絡説の端緒だったはずです。ただ、それとは別に(か発展したものとしてかはおいといて)、経絡と経絡の間のバランスを調整しようとする治療が有るということだと思います。それを経絡治療と呼ぶとしたら、現代中国における勢力はあまり大したことはあるまいと思います。 |
『霊枢』を読んでいると、経穴治療と経絡治療とがあることがわかる。胃がなんたらしたら足三里というのが経穴治療で、経絡間の強さの差を調整するのが経絡治療である。経絡治療は経脈篇や終始篇に書かれているのはその始めで、現在使われている経絡治療はその流れなのかもしれない。二つは独立した流派であって、ごっちゃにしないほうがいいと僕は思う。経絡治療の手がかりは脉診であり、古くは人迎脈口診であるが、後世になって六部脉診で代用するようになった。 |
今、『鍼灸特定穴臨床実用集○』を読んでいます。 |
たのしみにしていた会員には申し訳ないのですが、4月6日(日)の丸山昌朗先生の墓参は、会長を含め運営委員の大半が出席できないようなので、順延したいと思います。日程は未定です。
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本日3月20日は丸山昌朗先生の命日です。 |
『刊謬補缺切韻』と『切韻』には「閲、簡ゝ」と書いてあって、これは「閲、簡閲」のことだと言うことですが……。実際の印刷物を見てないのでよく分かりませんが、それだったら普通は「閲、簡―」という書き方じゃないかと……。重号のそういう使い方は初耳です。いずれにせよ楊上善注に、(閲簡ゝも閲簡―も)そういう例は無かったような……。余分な重号と考えて削除したものを再検討する必要は有りそうですが。 |
『広韻』入声薛韻に「簡閲也」とあり、これを『切韻』や『刊謬補缺切韻』は「簡ゝ」とする。「ゝ」は無論「閲」を意味するのだが、楊上善も「簡ゝ」と書いて、後の人がこれを「簡也」と改めてしまったのではないか、と、前後例を顧みず推測してみました。いかん。
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「閲,簡也
」が変でしょうと言うのは、現代日本人の感覚としては変でしょう、「経歴也」とか「検査也」(まあ、そういう漢語が当時あったかどうかは知りません)と書いてもらわないと……、でも当時の中国人にとっては、これでまあまあ役にたったのかなあ……、ということです。 |
『霊枢』脈度は「五藏常内閲于上七竅也」に作り、体内にある五蔵は、体外の七竅で推察することをいう。したがって「閲」は経歴より、検査するという意味が望ましい。おそらく、楊上善にとっては「閲」は他の意味が主であり、検査するというのは従だったのではないだろうか。たとえば、『老子』では与えるの意味に使われている(第二十一章)し、当時は右側の門柱を閲といったらしい。 |
みどりさんが話題にした「営衛周環:経脈は循環しない」を、林孝信さんの許可を得て、ホームページに掲載しました。 |
『太素』巻6蔵府気液に「五藏常内髢ア於上」とあり、楊注に「髢ア,余隱ェ反,簡也」と言う。ここの閲の字は、中国人にとっても難解らしいが、郭靄春は『漢書』の顏注を引いて「経歴」の意があると言っている。我々の漢和辞典『漢辞海』にも「訪れる、訪問する」とあるから、別にそれほど困らない。問題は、楊上善が簡也と書いたら、当時の人にとっては分かり易くなったのか、である。『漢辞海』には簡の語義の中に「検査する」が載っているから、まあ大丈夫なのだが、むしろ閲のままのほうが何となく理解し易いような気がする。つまり、どの字が分かり易いかには個人差があり、さらに時代差もある。今、どうしてこんな字に注が必要なのかと思うものも、基本的には当時はそれが難しかったのだということだろう。 |
内経バックナンバーの記事を、ホームページに載せるのは可能です。別に難しいことは有りません。ただし、当然のことながら筆者の許可が必要です。また、ちょっと古い記事になりますと、コピーからOCRで読み取りということになります。あまり長大な記事だと、ちょっとしんどい。ましてや最初からの全てをCDに、というのは勘弁してほしい。 |
今思い出したのですが、当時は各自で印字した原稿を提出し、コピー製本していたため、各号のデータが無い事を思い出しました。CD化には入力する必要が有り簡単ではないので、CD化の話はなかったことにして下さい。
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「内経」も伝統鍼灸学会誌のように |
みどりさんのを読んだら、林孝信さんの、内経77号の所論を読みたくなります。77号は古い会員しか持っていないだろうと思います。新しい会員や、非会員は、覗きようがない。なんとかならないでしょうか。みなさんのお知恵を拝借せむ。
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林孝信さんが、『内経』77号で「栄衛周環:経脈は循環しない」という論説を展開なさっています。 |
霊枢は、どこを読んでも「経絡は循環しているか」がひっかかますなあ。経絡が循環したというのは、やはり経脈篇でしょうね。それ以前は、循環していないと思う。循環しているという記述は、血脈系統ではないでしょうか。 |
蔵書印をみるかぎり、黄龍祥のみている六経本と、北里で複写した六経本は、別の本である。よって、どちらの六経本と医統本を比較しているのかによって、所説は異なるだろうとおもいます。このことはこの談話室では明記してありましたっけ。いまさらの割り込みですみません。
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経絡は巡るか? |
山本さんが、こんなやさしい漢字に反切なんか付ける必要はないじゃないかと思われた、具体的な例が示されていないので、一般的な可能性を述べてみます。 |
六経本と医統本が同版であるならそれはそれでよかった。今まで医統本を使って書き出したものがA5で22ページもあります。それが無駄にならなくてすみます。 |
『甲乙』医統本と六経本と、その類のことは全く同じです。どちらが鮮明か、その鮮明であることをどう評価するかに過ぎません。 |
先週の土曜日、姪が小田 空(そら)さんの『続・中国いかがですか』を持ってきた。 |
六経本が善いと主張する中心人物と思われているとしたら困惑します。そんなつもりは毛頭ありません。違う箇所が有るのを確認しただけです。(オリエント出版社『鍼灸医学典籍集成』本の「編集部の責任において、匡郭外に補筆」があてにならないとは書きました。その際、口調が過ぎたかも知れません。)そして両方の現物を見ているはずの黄龍祥氏の意見を尊重しています。 |
私自身が文献学に詳しいわけでなく、 |
医学六経本『甲乙』が偽書だという話の出所はどこなんでしょう。 |
久しぶりです。 |
この掲示板に、ユニコードCJK統合漢字拡張Aを表示することが可能であると判明しました。 |
「霊枢』を読んでてふと、 |
かつて臨床書を読む時、各書にその書で使う穴の取穴部位が書かれているのが、紙幅の無駄ではないかと思ったものです。 |
主治条文の無い穴については私には手に負えないので『甲乙』の研究者にゆだねます。 |
面白いですね。 |
林さんありがとうございました。 |
山本朝子さんより、季刊内経の締切日を談話室に回答してください、と編集部に問合せがありましたので、ここに明記しておきます。 |
ユニコードを使用する為の環境の問い合わせが時々有りますので、(繰り返しになりますが)お勧めの環境を紹介しておきます。 |
私たちが求めているものは、そもそもこの世に存在しないものです。 |
六経本は『鍼灸名著集成』の甲乙をコピーして使っています。色付けしたり、線を引いたり、書き込みしたり、注記もあって便利ですよ。電子文献だとコピーするとかさばります。私が欲しいのはコンパクトで持ち運びに便利なもの。 |
そう決めた人が本当はどういうつもりであったかなんて、結局は分かりようが無いことですが、つまりは陰経には5つ、陽経には6つの要穴が欲しかったというだけのことだと思います。あんまり考え込んでもしょうがない。蔵は5つで府は6つ、(馬王堆の乃ちより古いタイプの)陰経は5条で陽経は6条、という類でしょう。 |
陰経は原穴と土穴が同じなのに対して |
「原穴を使っている流派がない(少ない?)」のは、経絡治療のマニュアルに大書しなかったから、に過ぎないんじゃなかろうか。現代中国では原絡の配穴はごくポピュラーだと思う。 |
復旧おめでとう そして お疲れさま |
先程オフラインにして長い文章を書いたのに送ろうとしたらダイヤルアップの接続が出来ず他のページを出したら打ち込んだものが消えてしまいました。そこで短い文章で試してみたらつながりました。なんだか疲れちゃった。 |
復旧しました。 |
早速、内経春号に、浦山さんの「虚実について」が載ります。順天堂大学の吉田くんが、新会員向けに何かを書いてくれるそうです。これから、編集部から、どんどん依頼していくそうですから、皆さんもどんどん書いてください。
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山本さんのいうとおり、論文集未発行が臨文研の障害になっていると思います。篠原さんに頼むというのは置いておき、知っている発表者には個別にアタックしてみます。ただ、内容がわからないので、誰でもというわけにはいきませんが。ちょっとやってみます。
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舌足らずでどうも、 |
>腑の病には各経に依て其経の兪を刺す、臓の病には各経によって其経の合を刺す。 |
臨床書の校正は難しいものです。 |
新年もだいぶたってのごあいさつです。 |
> 自分の勉強会を開く気になって良かったですね。 |
左合さんが自分の勉強会を開く気になって良かったですね。でも「臆解」は『季刊内経』に出してください。 |
>九針十二原はどうして陰経の原穴しか挙げないのだろう。陽経の原穴の取り扱いはどうしたらいいのだろう。 |
山本さん |
昨日から『医古文の基礎』を読んでいます。 |
『甲乙経』巻7以降の『明堂』部分とされている鍼灸方の書式には,少なくとも以下の数種の形式が有るように思う。 |
かいちょう様 |
青木春岱については「足立史談」(足立区教育委員会編03-3620-9393)に、青木昇という人が、詳しく調べています。これ以上の史料はないと思います。青木姓ですから、血筋にあたる方かもしれません。相当に詳しく調査していますので、参考になると思います。
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青木春岱の件、調べてみたら、「足立史談」なるものが、足立区教育委員会から発行されていて、そのなかに「青木春岱」のことがかかれています。最後まで追っていませんが、その16まで連載されています。著者は青木昇という人で、相当くわしくかかれています。これ以上の史料はないでしょう。それを読むのが一番だと思います。詳しくは、教育委員会にお問い合わせください。03-3620-9393 |
あけましておめでとうございます |
>かいちょう様 |
奥の手というほどのことではないのですが、北里の医史学研究部の資料を探してくるだけのことです。木曜日にみてきます。何か、うまいのがあれば、拍手ごかっさい。乙山さんの記事からすれば、スカの可能性大。
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かいちょう様 |
青木さんについては、現在、江戸時代の医師人名録ともいえる『日本医譜』というのを、北里研究所と内経医学会の共同作業をすすめていますから、それにのっていれば、来年中に判明すると思います。もっとお急ぎであれば、奥の手がないことはないですが。いかがでしょうか。
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『甲乙経』と『明堂』の関係について、黄龍祥さんの説としては、 |
はじめまして、多田乙山(ただの・おっさん)と申します。私は幕末の |
中国政府は1919/1930/1951/1990/1996年に、標点符号を制定しています。符号そのものを変更したり、呼称を変更したり、その意味内容を変更したりしています。 |
『医古文の基礎』(東洋学術出版社)第二章 句読は、現代中国で使用されている標点符号をそのまま使用する予定でした。最終稿を渡した段階ではそうなっていたのですが、印刷屋さんが老婆心からか気を利かせて、「,」を「、」に一括変換してくれたようです。それで、読者の方々にご迷惑のかかる事態となりましたことを、お詫び申し上げます。 |
標点については悩むことが多く、ぎりぎりのところ、第二章の句読だけは、中国の標点を残すようにしました。凡例かどこかに書いておいたと思うのですが。だから、本当は:や;や,や、を使い分け、最終校正までそうだったのですが、最後の最後で、東洋さんに一括変換されてしまって、おそらく指摘されるような(第二章は)にがにがしい状況になってしまったわけです。次には直ると思いますが、そういう事情もありますので、ご寛恕ねがいたく存じます。
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『太素』陰陽大論の以下の文章の、特に楊上善注の句読・和訓がよく分かりません。 |
いま例えば、googleで『素問』とか『霊枢』とかを検索すると、結構出てくるんですよ。 |
例えばここに、段逸山編著『古医籍詞義弁別法』という中級向きの小冊子が有る。 |
「語法用語の事は、いつかは日本語にしなければいけない時が来る」とは思いません。むしろ読者個人は、「いつかは中国での用語を知らなければいけない時が来る」と思っています。そうしなければ、中国の参考書を読むことはできません。最初に楽をするか、二度手間にするかの選択です。 |
『医古文の基礎』の出版、おめでとうございます。 |
>松田さんの集めた人迎気口診賛成派の文献の中に、『霊枢』経脈篇を解釈する部分を除いて、本当に左右を比較しているものは有るのか?人迎の脈がこうならこういう外傷、気口の脈がこうならこういう内傷、というのとは違うのか?ということです。 |
これは本来(古典研での発表を踏まえてみると)、私が松田さんに聞かなきゃいけないことで、松田さんが私に聞くことじゃなかったんだよね。 |
『霊枢』経脈篇の「盛者人迎大三倍于寸口,虚者人迎反小于寸口也」の比較脈診は、『脉経』脉法賛を経て、李東垣の『内外傷弁惑論』で定着し、明代に一世風靡したという文献の読み方ができそうな気がするのです。でも、本当にそうか? と疑問を持ちながら、これから文献を読みたいと思います。 |
え~、いつもの調子のよく分からない話でどうも……。 |
「人迎脉口診から人迎寸口診へ……」のご意見に関してですが、『霊枢』経脈篇の「盛者人迎大三倍于寸口,虚者人迎反小于寸口也」は、比較しているとしか解しようがない、と認めつつ、「中国には比較脈診の伝統は無かったんじゃないか」というのは、どう解釈すればいいでしょう。 |
文句は言いたいんだけど、編者の選択の意図も分からないでは無いんですね、実は。 |
原書『医古文基礎』で使用されている語法用語を訳書『医古文の基礎』では、以下のような文法用語で表しました。主なものを列挙します。 |
『医古文の基礎』が遂に翻訳、出版されました。 |
第3回鍼灸医学史研究会に誘われたので、会場が近いこともあって、出かけてみました。いや交通事情という意味では、とても遠かったですが……。 |
『内経』148の太原紀行文には、いくつかの誤解が有ります。 |
つまり、何が言いたいのか? |
以前の『甲乙経』の話の蒸し返しですが、 |
いやお恥ずかしい。 |
季刊『内経』148号に掲載されている左合さんの「報告」に出てくる「卜致」は「卜サツ(「殺」の異体字、漢和辞典『漢辞海』の「殺」の異体字を見てください。仁和寺本『太素』に使われている「殺」の異体字です)の誤りです。右側の「攵にゅう」が同じで、『医古文知識』で植字する人が誤ったのでしょう。それから「趙彦田『雲林漫鈔』」は、「趙彦衛『雲麓漫鈔』」の誤りです。 |
神麹斎 様 |
インターネットエクスプローラー以外のブラウザを使用している人って、どれくらいいますか? |
別に場違いなんてことはかまいませんが、この質問は無理です。 |
はじめまして。この場所で質問するのは、場違いかもしれません。 |
音楽の授業で聴音というのがありました。先生が弾くピアノの音がドレミのどれに属するか聞き分けるのです.一つの鍵盤でも分からないのに和音と言って一度に三つの鍵盤を打たれることもありました。私は聴音が苦手でさっぱり分からなかったものです。 |
で、つまり、丸山先生から藤木さんにかけての流れというのは、意外と科学的だったんじゃないかと思うんだよね。こういうことを口走ると、また誤解されて叱られそうだけど、少なくとも空に九字の印を結んだり、咒文をとなえたり、という人ではなかったはずなんだけど。 |
「中国鍼灸学術史大綱」の前言に、黄さんは「鍼灸医学源流考」(藤木俊郎著)に影響された。とあるのに私は多いに感動しました。 |
実のところ私も、黄さんというのは、いやに自信たっぷりな物言いをする人だなあ、とは思います。 |
まあ、その通りだと思います。 |
別の民族の脈診に間使があるからといって、間使の脈診が |
またまたこれも黄さんの本からなんだけどね、 |
『鍼灸名著集成』の内容は素晴らしいのだけれど、出版物としては校正ミスが多いことも事実で、内経の仲間内では、ひそかに黄さんにご同情申し上げていたんだけれど、いやとんでもない間違いを見つけました。 |
まあ、あまり「かいちょう」と意見を異としているとは思わないんだけど、 |
中医学の用語で、喜按と拒按があるが、日常的に切診をやらない人たちが、どうしてそういう言葉を作れるのか、作って誰に役立たせようとしているのか、大いに疑問である。そういう意味では、建前上の用語としか考えられない。つまりです、用語をつくる人たちと、用語を使う人たちには、おおきな溝があるということなんだと思います。そのことと研究者と臨床家の関係は同じなのではないかと考える。中国から出ている古典の注釈書は、そういう目でみなければならないだろうし、これから新たにいくらでてきても(もうでてこないだろうが)役に立たないだろう。自分達のことを自慢するわけではないが、臨床感をもって古典を読めるのは、実にしあわせなことなのだ、とちかごろ気がついたのであります。
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未だ読みかけでありまして、それに何となく引っかかっているものを、上手く表現できないんで、落ち着かないんですが。 |
医古文基礎の出版も間近で、談話室をのぞく(時間はあるけれど)気になれなくて、しばらく書き込みをしていなくて、その間に話はどんどん進んで、喜ばしく思っています。まえに、しんきくさい氏が書いたのに、「この談話室でしばしば『中国針灸学術史大綱』を話題にしています。その文献操作にも、研究態度にも大いに感服していますが、どのような臨床を目指しているか、あたりからは、実のところとまどいも感じます。」とあるが、どのような臨床を目指しているのか、その主語は著者の黄氏なのだろうか。黄氏は臨床を目指していないし、おおむね中国の研究者は研究がお仕事であり、臨床とは別なんだと思います。教育者は教育がお仕事であり、やはり臨床とは別なんだと思います。どうなんでしょう。 |
書籍のリスト、ありがとうございました。 |
恐らくメンバーの中では最低の藏書量だと思うし、手垢の付いてない書籍を眺めつつ森林破壊以外の何者でもないと反省する日々を過ごしています。 |
漢和と中日辞書はもう買わせました。 |
古典「的」な鍼灸は有りうると思う、と言うか、有って欲しいけれど、入門書というのはどうだろう。少なくとも、最初に経絡治療入門書のようなものを読むのは、避けた方が良いような気がする。 |
知り合いが、来年から鍼灸学校の学生になります。 |
ここの談話室でしばしば『中国針灸学術史大綱』を話題にしています。 |
日曜講座で東洋医学漢文入門講座が発足する時、 |
以前、是動病と所生病についての話が有ったと思いますが、参考までに、 |
まだ先の話なんですが、ちょっと長めのサービス停止なんで前もって案内を。 |
たぶん、これでちょうど500回目の書込。 |
医古文にのっとって(きちんと解読した医学経典にのっとって)全人的な医療を提供する、とでも好意的に補足して解釈するしか無いでしょうね。 |
某鍼灸院のホームページに「医古文にのっとった全人的な医療を提供」という事が書いてあるのだけれども、よくわからない。 |
自分の中では長沢元夫先生とよく間違えていたのが印象的ですが |
『経絡の研究』著者の長浜先生と丸山先生について |
『素問考注』の補訂版が出ましたね。 |
始めて天津へ行った時、部屋のテレビをつけると「大草原の小さな家」が放映されていました。中国語が分からないのですぐに切りましたが、中国語の西部劇に異国情緒を感じたものです。 |
昨年の合宿で朝方まで私につきあってくれた人がいました。なかなか名前を覚えられず、何度もお聞きし名刺までまでいただいたのですが、朝には忘れていました。名刺も置き忘れたまま。 |
あれ、野鶏は30元でしたか。 |
「古漢語知識詳解辞典」馬文煕等(1996年・中華書局72元) |
岡田英弘先生って、日本語は古代漢語から産み出された人造語である、とか言った人じゃなかったかしら。 |
修飾語と被修飾語の順序は、言語により異なります。 |
それもそうですね。現代中国語を習う時間もなかったし、みんな手さぐりの状態だった。 |
『古代漢語』を、現代中国語を習わずに翻訳しようなんてことは、無謀です。 |
広島の酒、有名なのは |
生気通天論「胃気乃厚」 |
医統本『甲乙経』の問題は、むしろ版の摩耗による空白が多いことであろうと思います。オリエント出版社『鍼灸医学典籍集成』に収められた歩月楼梓行の本は、「底本の難読箇所は東洋医学善本叢書本と対照し、編集部の責任において、匡郭外に補筆」してありますが、医学六経本と対照すると、これには誤りが多い。つまり、東洋医学善本叢書本も使えません。
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あれ そうだっけ 何を間違ったかな
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仙台の鍼灸学校に入って最初の「中国語」の授業で旧姓M先生に、東北大学生協の組合員になる事(書籍が一割引で買える)、その足で本屋に行き「新字源(角川)」「中日大辞典(大修館)」を買うように言われた(一万円でギリギリお釣りが来た)。 |
原典で『反訓』の箇所みなさんご存知ありません?
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『古漢語同義詞弁析』王政白著 黄山書社 1992年刊 11元 |
青木正児の著書のあとがきだったかで、漢作文という言葉をみて、以来、憧れてはいる。『漢作文入門』なんて本はないものか、と捜したこともあったけど、考えて見れば、『文語解』とか『訳文筌蹄』とかがそれだったんだよね。 |
「蓋」ケダシ……ナランと訓ず。「ケダシ」なんかは、完全に古語でよく分からないまま、流れに任せて省略して、われわれは理解しがちですが、江戸時代の研究書を読むと、「推量する」と訳せとあります。「蓋」の原意は「おおい・ふた」だから、「オオウカタ・大まかにひっくるめて」という意味を持つとあります。だから、文末は「ナラン」というような推量形で終わる。推量するに・おそらく・思うに・考えてみると~じゃないか。 |
彼の研究室に図書が無いというのは誤解で、壁一面に本がありました。けど、壁一面に扉が有ったので、本が隠されていました。本のロッカーというところでしょうか。 |
関西で医古文の研究をしているグループご存知ありませんか?
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三成の酒屋のおじさん(おばさん?)は正しい。広島は酒の産地として、一方の雄なんだから、何も灘の酒を追い求めることは無い。 |
王関は大関の誤りです。自分でもなんとなく変だなと思っていた。 |
夜光の盃に王関を入れると越の寒梅に変わる、ということには何の科学的証明も無い。本当にそうであるかも、本当は疑わしい。しかし、何人かが試して「そうだそうだ」と言えば、秘方としては成立してしまう。 |
だいたいの様子は分かりました。ありがとうございました。 |
補足説明: |
今回の催しは、今後の中国の中医薬学の教育をどうするか、という内の医古文の教育に関する部分の会議です。これに日本から我々が参加して日本(彼らからすれば医古文に手を出している数少ない隣邦)の実情を報告するということでした。 |
旅の余韻を楽しんでおられる所へ割り込むような野暮なことはしたくないのですが。 |
デジカメ写真集の一部です。 |
現代日語講座は、勿論おふざけです。だから言ったでしょ、酒宴の戯言だって。 |
今日、久しぶりに中華専門の料理店で「ごもく焼きそば」を食べました。 |
「かいちょう」は「快調」で、「だいちょう」は不詳、「しょうちょう」はおそらく「象徴」で、「もうちょう」は即ち「猛長」でまた乃ち「突撃隊長」、ただし問題をおこすと切り捨てられる。で、「ちょうろう」は……。
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メールで届いた解答を転載します。 |
「螢ウを出る?」の「螢ウ」が、資料の字より一画多かったとしたら、それはフォントのせいです。ユニコードでは同一視しています。
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かいちょうの言うとおり、「売」でなくて「螢ウ」ですなあ。 |
問題① |
①「最新発売、新鮮感覚 やっぱり・自然はおいしい」 |
中国で見たときもそうだったが、今見ても難問。ひらがなを使っているから、きっと日本のお菓子のパッケージをパクった可能性が高い。それは、問題②のひらがならしきロゴをみてもわかる。謎なのは、「さいしん」「せいしんかんかく」で、なぜにひらがなにしたのだろうか。「やつぽり」「おいしい」は順当。問題①なのだが、出売の売は売ではないぞ。穀の簡体字のようだ。 |
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フジテレビ「北の国から」の監督、杉田成道さんの話。 |
山田氏の研究と我々の研究のどこが違うのだろう。 |
まともな学者がきちんと源流を考証して、もともとはこういう文章であったと言い、詞義の変遷と語法の制約から、こういう意味にしかとれないと言ったら、これはもう従うよりしようがない。僅かな経験や、好みを主張するわけにはいかない。ましてや多数決を求めるべきところではない。 |
今春、前に買って読んだ推理小説を何冊か読み返しました。 |
実はそれほど新刊でもない。去年の四月の発行だから、その数ヶ月後には、日本にも入って来ているでしょう。 |
京都精華大学助教授・中世日本文学の田中貴子さんが読売新聞に「中世ひと絵巻」を連載されています。私はこの記事が大好きです。文学を通じて中世の人が生きているように描かれているからです。 |
電子テキストは 入力も大変ですが校正も大変です。校正には最低三人の目が必要でしょう。 |
住基ネットが開始された。 |
太原で、上海の段逸山教授から{白光}字について質問を受けました。 |
私は三、四才の頃、一つ年上のひろし君と毎日遊んでいました。 |
左思の文章をほめて、洛陽の紙価を高からしめた皇甫謐は、つまりあの皇甫謐です。この人は結構有名な人で、『晋書』に伝も有りますが、そこに『甲乙経』は勿論、医書を編著したことなぞ全然書いてないので、『甲乙経』の編著者が本当に皇甫謐であるかどうか、大いに疑われ、ひょっとしたら「あの有名な皇甫謐」の名を騙ったんじゃないか、と勘ぐられるわけです。
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中国太原における中華中医薬学会医古文分会参加の概要 |
『弥縫録 中国名言集』陳舜臣著 中公文庫 |
『“内臓体性反射”現象としての横割りの反応帯である皮膚節(デルマトーム)、筋節(ミオトーム)に対して、経絡系は全身の伸筋、屈筋を通じ、縦走筋群の筋間溝を縦に走る縦割りの“内臓体性反射系”であり、その実態は脈管外体液であるという認識に立つ。経絡の機能とは何か。“内臓体性反射症候群”(過敏・鈍麻=内臓知覚反射、圧痛を伴う硬結=内臓運動反射、色素沈着・斑点=内臓栄養反射、冷え・血腫様の腫瘍・丘疹=内臓交感神経反射)に対して、即ち体表に現れた病的変化を治療指針の一要素として鍼・灸の機械的・温熱的な物理的エネルギーを加えることにより生体の機能的変化、或いは二次的には器質的変化を恒常的に生理的状態に引き戻すのが鍼灸治療であるならば、これらの刺激を受け容れた生体の管外性体液の化学的、物理的変化に基づく生理的恒常性への回復は、その体液自体とその循環器(経絡)のもつ機能が(体性内臓反射、大脳反射を含めて)干渉された結果であるといえようか。かかる観点から“経絡の機能”を把握する。』 |
第13回英国科学実験講座(クリスマス・レクチャー)のパンフレットから |
しつこいようで申し訳ないんですが、山本さんの反応ってなにを以って反応と認識してるんでしょうか?刺激して効果があるところが経穴なんですか?経穴じゃなくても効果のある反応はいくらでもあるでしょうに...。反応に応じた刺激のチョイスとかは考えないんですか? |
昨日、今日と広島市立大学で行われた、第13回英国科学実験講座(クリスマス・レクチャー)を聴講してきました。 |
経穴の定義が馬鹿でかい問題だという根拠は理解に困るひょうげんですが...。溜め息が出るっていうのも個人的な趣味としかうけとれませんが...。まぁ、方法論を共有しえない以上は正確な議論もできないでしょうし、「脈気所発」という表現に含まれる意味合いはやはりまず現象ありきってところが判らない以上は解釈のしようもないでしょうね!最近、鍼灸関係の著作やらを読むとなんだかどんどん自分が馬鹿になっていくようで嫌になるですよね...。
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宮崎市定先生の『論語』に関する著作を、ここのグループ、原塾→内経で、最初に話題にしたのは、多分わたしだと思う。そこで、もう一冊、ちょっと毛色の変わった孔子・儒教に関する書物を紹介したい。 |
「どうして、それぞれの会の掲示板をにぎわそうとしないのかなあ」という感想を、拒否と受け取られたようなので、少しだけ弁明を。 |
そもそも「古代漢語的には経穴はいかように定義されるか」という設問が妥当ではありません。内経で、あるいは古医籍で経穴はいかように定義されているか、それを読み解くのに古代漢語の知識はどのように有効であるか、だと思います。 |
古人が本草文献を編集するとき、とても好ましい伝統があり、それは後人が編集するとき、まず前代の文献を抄録し、新たな内容をその後に付録するということである。 |
『それが分からないから古典を研究しているのではないでしょうか。』 |
経穴とはいったいなんぞや。 |
古代漢語的には経穴はいかように定義されるのでしょうかね~? |
『霊枢』や『甲乙』は臨床的な内容が多く、他流派の説は理解できないものですが、分からなくても話だけは聞いておくと、なにか役に立つ時が来るかもしれません。 |
■鍼灸醫學を語る |
なんともはや疲れる。 |
ビデオやデジタルカメラといったものが、世界規格を目指している最中、鍼灸はいつまでたっても流派の乱立が絶えない...。流派の「確立」ならまだしも「乱立」なんです。脉診や腹診、反応点などなんでもいいんです、互いに所属する流派どうしで翻訳が可能であれば。まあ古典の理解も共有できていないのがいまの現状ですから、既存の古典派組織にはなんの期待も潜在的にはしてないのかもしれませんけど...。鍼灸そのものよりも鍼灸師そのものに学問的な素養のあるひとがいないのかもって思うこともあるんですがね!
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「特定の流派を宣伝されるのは嫌います」の「嫌います」と「拒否します」の差をご理解いただいて、というか、むしろ「特定の流派を中傷されるのは拒否します」と読み替えていただけたらと思います。 |
以前山本さんが臨床的な話を、と確か書かれていたと思いましたので、今回は私の方から。 |
この談話室では、自分が一番始めに話題にしておいて、いまさら言うのも何だけど、安保先生の理論は、病証と治療を陰陽的に把握することの妥当性と必要性を、いわゆる現代医学的に語ったにすぎない。それはそれだけで充分に衝撃的な価値が有ると思うから紹介したけれど、所詮それだけのことで、針灸医学の全貌を解き明かすとは思わない。そもそもあの書物では、刺絡が効くとはいってもどこからどのようにとは言わない、ストレスを除けとはいうけれどどうやったらリラックスできるとは言わない。もっとも、これは多分に学者の自制というものだろうと、私は理解しています。 |
経絡治療に関しては賛否両論あるでしょうが昨年出版された |
佐藤さんの意見にはわたしも同感なのかな... |
鍼をして、その鍼が確かに効いている、というのを、どうやって確信しているんでしょうか。柳谷素霊先生の『秘方一本鍼伝書』にも、「鍼響あれば手をもって合図させる」というのが屡々出てくる。と言うことは、柳谷先生でさえ、手応えだけでは確信できなかった、と言うことなんですかね。もっとも、これは弟子むけに書かれた方便かも知れませんが。 |
古典派と言われるみなさんは治療効果をどのように判定されてるんですかね?・・・常々疑問に思ってたんですれど。 |
経穴資料アップしてあります。 |
何か疾患があった時、反応点って一穴だけだと思いますか。 |
経穴主治症については「先ず反応ありき...」ではないでしょうか?なんか論理が逆さまだと思うのはわたしだけなのでしょうか? |
前回の単穴療法は、一時間程かけて打ち込みあと少しという所で、何処かを押したら一瞬に消えてしまい、疲れがどっと出るは、眠たいは、で、簡単に打ち直したものなので、今回もう少し補足をさせて頂きます。 |
太淵を例にして『甲乙経』、楊上善『明堂』、『外台秘要方』で主治症がどのように整理されているか。 |
『百病一穴霊』の前言 |
『甲乙経』の巻7~12の所謂「明堂」部分を一覧表にして眺めた感じでは、これって本当に一つの材料から出たの……。 |
シナリオライターのジェームス三木さんの言葉 |
基本的なことを一つ: |
忘れられない患者さんの言葉がいくつかあるものです。 |
6月、つくば市で開かれた全日本鍼灸学会大会での安保徹新潟大教授(免疫学)の講演「からだを守る白血球の自律神経支配―針灸医学の病気を治すメカニズム」のテープ起こしをしました。安保理論をめぐる議論は、この掲示板でも展開されたところ。関心のある向きには、メールでお送りいたします。テキストとワードの二文書を用意しました。ご通知ください。是非ともプリントアウトをという方も、ご連絡いただければ、送ります。 |
地方にいると情報の遅れを痛感します。 |
小津作品がすばらしいとか、尾道観光がいまどうとか、書いたって会則にはふれません、と思います。 |
昨夜、27時間テレビで「東京物語」が放映されました。小津作品の現代版です。尾道が舞台でもあり、こちらでは数日前から楽しみにしていたものです。尾道で暮らす老夫婦が東京の子供達に会いに行くというだけのストーリーなのですが、母が上京して来た時の事が思い出されて、途中から涙が出て止まりませんでした。 |
「是動病と所生病について」の意見なんて言われたって、大雑把すぎて反応のしようが無いと思っていたところへ、山本さんが浅川氏の本を引用してくれたから、もう充分だとは思うけど、もし贅言すれば: |
『針師のお守り』ー針灸よもやま話 浅川要 東洋学術出版社 |
是動病と所生病について参考になる意見がございましたらご教授ください!
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『黄帝内経明堂』(仁和寺本&尊経閣本)と『甲乙経』を比較した感触では、直接の継承では無いような……。つまり、どちらの整理が(良きにつけ悪しきにつけ)進んでいるとは言い難い。『黄帝内経明堂』の天府穴の記述の中途に「此胃大輸」が入るのなんかは整理不充分だと思う。 |
やっと掲示板が再開しました。気になっていた校正から。 |
『中医臨床』のVol.23-No.2に、痺症の「痺」は正しいか、中国のように「逞ケ」と書くべきか、という質問に対して、宮川さんが、「正確を期して、日本でも逞ケと書くべきである」と答えている。 |
ながらく談話室を休んですみませんでした。 |
この談話室の基本的コンセプトは、酒席の戯言です。 |
最初はやっぱり、心痛にはこのツボ、腹痛にはこのツボといった経験に、ちょっとした病証学的考察を加えた程度が大部分だったんじゃないか。それから、「こういった患者像には、このツボが効果がある」という発見、あるいは整理。あるいはまた、『黄帝内経明堂』の「このツボは、こういった症状に効果がある」という整理。 |
黄龍祥の言うように、文の途中に「脱文」がいくつかある可能性がある。 |
本来セットなのだから、病証をばらばらにしてはいけないと言うのは、なるほどその通りなのであるが、だからと言って、全部で1セットかどうかはまた別問題である。 |
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肺系急.胸中痛.惡寒.胸滿悒悒然.善嘔膽.胸中熱.喘逆氣.氣相追逐.多濁唾不得息.肩背 風汗出.面腹腫.鬲中食饐不下食.喉痺.肩息肺脹.皮膚骨痛.寒熱.煩滿.という状況に対して中府穴なのであって、バラバラにしたそれぞれの症状に対して中府穴なのではない、というのは恐らくその通りだと思う。 |
注:●は「中府穴」を分かりやすくするため目印として付した。外字は忙しかったのでUnicode未処理。 |
金元医学とか明清医学という言葉があります。どちらも「内経」を本にしていますが微妙にちがいます。經絡治療は昭和医学です。中医学もしかり。金元医学や明清医学が東洋医学と言えるなら、昭和医学も東洋医学に属してもよいのではないでしょうか。 |
別に会則は変わってませんし、今の状況が狭くなっているとも思いません。書き手の無い方面が手薄になるのは当然です。「原典なんか読んでも役にたたない」に類する書き込みが有れば反撃するのも当然です。特定の流派を宣伝されるのは嫌います。それを狭いと言われる筋合いは無い。 |
日本内経医学会会則 |
こんなエピソードがあります。 |
子路曰:「南山有竹,不柔自直,斬而用之,達于犀革.以此言之,何學之有?」孔子曰:「括而羽之,鏃而礪之,其入之不亦深乎.」子路再拜曰:「敬而受教.」 (『孔子家語』子路初見篇)
|
前回の続き・・・・ |
この言葉を勘違いされている人が多いので「オンリーワンに生きる」を書かせて頂きました。つまり「通じる」と言っているのに、なぜか「統一」になり、更に「統一した治療」まで加わっているようなのです。 |
これは缺かせないって書物は、内経です。 |
病症学の統一、共有といった方がいいのかな... |
分かりやすくこんな例で書きます |
松田さんからは直接メールを頂きました。ありがとうございました。 |
山本さん; |
『論語の新しい読み方』の35項に痛快な記述があります。 |
ちょっと古い内容で申し訳ないのですが、 |
今「正しい」ではなくて「新しい」に気づきました。また注文を間違えてしまったらしいです。明日書店に電話しなくては。
|
『論語の正しい読み方』は十年程前に仲間うちでも話題になりました。たぶん左合さんが紹介していたと思います。私もすぐ書店に行ったのですが何処にあるのかわからず、店員さんに聴くとパソコンか何かで検索してくれたところ、似たような本が二・三冊ありそのうちの一つを、たぶんこれだろうと思って買い読んでみました。ところがどうも読んだ人の話と共通する内容がなく、変だなあと思っていました。妙神斎さんの記事を読み自分の本を出してみました。 |
山本さん!このあたりの問題は宮崎市定先生の著作を見られたらいかがでしょうか?ちょっといま手元に資料がないのですが... |
だからつまり「阨・dハ生知ニ属スト雖モ、標格ハマタ詁訓ヲ資トス」(一般の和訓とは少し違う)なんじゃないですか。でまた、つまり「標格ハ詁訓ヲ資トスト雖モ、阨・dハマタ生知ニ属ス」なんでしょう。 |
貝塚茂樹著『中国の歴史』下・岩波新書 |
武内義雄氏が『中国思想史』の中で言っているのは、考証学の限界のことで、つまりいくら研究方法が精細なものになったとしても、それは必ずしも思想の創成、発展を保障するものではない。 |
竹内義雄著『中国思想史』(岩波書店)の最後の一文です。 |
個人的には、こばやしさんのお勧めの「ノートン アンチウィルス 2002」、実は入れてあるんです。 |
個人的にお進めは「ノートン アンチウィルス 2002」 |
はじめて、ウイルスの被害を被りました。 |
戸川先生の和訓と、『現代語訳 黄帝内経素問』の和訓は、微妙に違いますね。 |
参考までに、戸川先生の訳です。 |
『素問』王冰序の一節に、 |
仏陀の説いた真理は、彼の死後竜樹に代表されるように、真理とは空、無であり表現することは不可能であると説いた。その一方で初期の密教系では曼荼羅や真言をはじめ、真理というものを限りなく表現しようと試た。人間存在の問題は「身、口、意」に集約されるそうだが、身という身体、意という心、これらの両方に跨る口という言葉...。 |
妙神斎さん、扁鵲はわれわれ現代人から見たら、明らかに「巫」なんです。えっ?「巫」を否定した「医」なんじゃないのというのでは、国家御用達現代中医レベルの理解でしかない、と挑発的に言っておきましょうか。ぼくらは少なくとも、石田秀実さんの『中国医学思想史』が切り開いてくれた水準を踏まえて議論したいものです。でないと、いつまでたっても堂々巡りですよ。
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NHKのビデオシリーズ『アインシュタインロマン』全5巻の4巻目か5巻目に、アインシュタインが最期まで理解できなかった量子力学の話が出ます。その中で、量子力学理論の業績で家紋を許された北欧の学者のつけた家紋が「太極図」でした。 |
私はもう下ります。あとは宜しく。 |
東洋医学も西洋医学も、私の実感としては、我々の日常感覚からどんどん乖離していると思っているんです。 |
間中喜雄医師は、晩年、「巫医」という自家製のバッジを胸に付けて悦にいっていたというんですね。それが彼がついに到達した境地だったというエピソードが私は好きです。 |
関係する二項のうち、どっちが陰でも陽でもいいとまでは思いませんが、一対ということの方がより重要だと思うから、そんなことを議論しようとは思いません。 |
陰陽とか五行っていうのは、対立、相対、相互などと二項の関係構造としていろいろな表現があろうかとも思われますが、どっちが陰でも陽でもいいんです。要はセットなんだってことです。内外・表裏・虚実・剛柔はワンセットってことでしょ! |
私だって、これが論争だなんて思ってません。 |
ケンカとか論争なんてとんでもない、私は感想を述べたまでです。 |
神鞠斎と妙神斎の論争、わくわくどきどきしますね。ぜひ、徹底的にやってください。というのも、安保教授の交感神経・副交感神経バランス論に臨床的リアリティを感じる鍼灸師は、神鞠斎のように陰陽論に置き換えて理解する誘惑にかられるだろうし、現にぼくの周辺でもそう考えてみた…という発言を聞くことがあります。安保教授と共同作業をしている元外科医で刺絡医の福田氏も、気血は交感神経・副交感神経バランスだとつぶやいていました。 |
貴方ケンカうってるんですか? |
陰陽が交感神経支配と副交感神経支配、顆粒球とリンパ球のバランスなんていうのはもう、滅茶苦茶ですね...。 |
まだ読みかけであるし、そもそも正確に読みとっているかどうかも覚束ないのではあるが……。 |
恥ずかしながら、井上先生に勧められていた『医療が病を作る』(安保徹 岩波書店)、今ごろになって読み始めました。言い訳としては、田舎の本屋の棚には並ばない、出版社からして小難しそうだ、取り寄せたいとまでは思わない。 |
手術後の譫妄というのが有りますね。特に集中治療室に長くいる場合に多いということですが、それはかなり激しい幻視、幻聴が現れます。 |
山本先生の病証学についてですが、私も同感に思います。今日の経絡治療諸派並びに中医弁証などがどういった経緯でいまのような形になっていったのか不思議に思っています。「証討論」について今後どういった展開がなされる予定なのでしょうか...。 |
朋友書店の太田辰夫『中国語歴史文法』は、1981年のようです。直接は問い合わせてませんが(ホームページは無いみたい)、インターネット上の本屋さんでは、絶版、再版予定無しでした。古本屋さんにも在庫無し。 |
なるほど3:1の1㏄ですかφ(..) メモメモ |
ワープロの「Word」とエディタの「秀丸」と「EM-Editor」でユニコードの経穴漢字「センキ」を入力すると、 |
『中国語歴史文法』は1958年に江南書院からでています。私は『中国語史通考』はこれを歴史別に並べ替えたものだと思っていたのですが、最近違うかも知れないと不安に思うようになってご存じの方にお聞きしています。中古漢語のテキストとして太田氏のものと中国文化叢書『言語』の「中古漢語の語法と語彙」志村良治をあげたいのですが、太田氏のものにちょっと最近疑問を持って語法閑話にのせる前に確認したいと思った次第です。 |
下のほうの21の八卦、おたくのパソコンではどう見えてます? |
さらに検索したところ、太田辰夫『中国語歴史文法』は、朋友書店から再版されている可能性が有ります。朋友書店とは、例の王力さんの『古代漢語』の翻訳を出したところです。
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あれ、太田さんの『中国語歴史文法』って江南書院だったっけ、と思って探したけど、蔵書の整理が悪くて出てこない。 |
名倉の黒薬は都内にいたとき名前は聞いたことが |
『伝統鍼灸学会雑誌』に載る各会の臨床を読んでいます。伝統的な病症学を取り入れた会が無いのですが、何故なのでしょうか。 |
『伝統鍼灸学会雑誌』が届きました。 |
世界の全てを整合性有るものとして解き明かす理論は存在している、というか伝統的中国的医学はそうしたものの存在を前提にしている。つまり、人体は臓腑と経絡を中心として出来上がっており、それら相互の間、あるいは身体内部と外界との間には、陰陽と五行の関係が成り立っている。だから、その理論を巧みに運用すれば、病の因って来るところも、現情も、あるいは帰趨も、的確に導き出すことができる、はずである。 |
子供の頃岩波少年少女文学全集の『夢を掘りあてた人』と題したシュリーマンの伝記を読んで以来一度は行ってみたいと思い続けたトロイの地を踏んだ時は感無量なものがありました。 |
いつものことながら、ちょっと舌足らずだったかと思うんで、贅言を、と、これもいつものことか。 |
前に、『太素』という経典の注釈は雅言をもってなされた、と言ったけれど、あれは多分に希望的観測であって……、実のところ、楊上善は大学者なのか、あるいは村夫子にすぎないのか? |
まあ、その通りなんだけど、凡人にはちと難しい。そこで: |
尾台榕堂の座右の銘 |
楊上善の出身地はどこであるか? |
『太素』諸原所生「五藏有六府六府有十二原」の楊注に、「今五藏六府有十二原者,言五藏六府各有十二原也,合而言之,亦有廿四原。文言六府有十二原者,後人妄加二字耳。」と有りますが、妄りに加えられた字というのは、「二」字ではなくて、「六府」の二字ではないかと思いますが、如何なものでしょう。本当は「後人妄加六府二字耳」と書くべきだとは思いますが、「五藏有六府六府有十原」ではなくて、「五藏有六府有十二原」でないと、後とのつながりが悪いような……。合わせて二十四というのも、その方がふさわしい言い方かと……。 |
妙神齋さんから、Eメールをいただきました。で、とりあえず。 |
妙神齋さん、連絡先(連絡方法、例えばEメールアドレス)を管理者もしくは事務局にお知らせ下さい。 |
『難経』が『素問』や『霊枢』より成立過程が古いって感じた方はおられませんか?
|
「毋」を使っているから、「無」を使っているものより新しい、というのは何を言っているのか理解できません。 |
『太素』には経文にも不思議な所があります。 |
『季刊内経』の最新号に、山本女史が「語法閑話 語法と個性」と題して、 |
林さんからのメールで『季刊内経』への転載を承知して下さったとの事、ありがとうございました。 |
パソコンを開けて驚きました。 |
森川くんと宮川さんと私は、時をほぼ同じくして、あい前後して、島田先生のところにお世話になった仲間です。無論、森川くんが一番若い。その森川くんの訃報に接して、晴天に雷に打たれたような気分です。 |
本会会員の森川恭行さん(長崎県島原市)が、4月8日正午ごろ、心不全で急逝しました。享年44歳。小生の弟弟子で、とてもいい人だったんですが、天命なのでしょうが、痛恨の極みであります。島田門の優等生らしく4人の子宝に恵まれ、順風満帆だっただけに、全てが悔やまれます。つらかです。 |
こばやしさんが、ユニコードには八卦も有るのを発見してくれました。 |
左合さんからは個人的に断りのメールがありました。今は島田素問に全力を注ぎたいとの事。私もこれ以上でしゃばる事はやめます。申し訳ありませんでした。 |
またウイルスが蔓延してませんか? |
尾道では昨日から桜が咲き始めました。 |
蛇足です。 |
長野仁「経鍼考」(鍼灸OOSAKA、99年冬号)に、小川春興が「杉山は管鍼普及者である」と、実証済みとあります。小川春興の資料(「杉山検校の史的研究」『本朝鍼灸医人伝』付録、半田屋医籍部、1933、東京)は未見。 |
足下にいる虎のような生き物は、やっぱり虎でいいんじゃないですか。絵を見ないで言ってるんだから想像にすぎませんが。孫思驍・ヘ仙人扱いされているし、仙人の護衛に虎が従うと言うのはよく有る話。それに昔の人が描いた虎の多くは、我々の目から見たらとても虎とは思えない。動物園も写真も無いんだから当然だけど。それに虎と豹を混同している場合も有る。丸い斑点の有る猫みたいなのを、平然と虎と言ったりする。首が無いのは、その部分の絵の具が剥落したのかも知れないし。 |
小曽戸洋「漢方の歴史」(大修館書店)の88ページに『千金』の著者の孫思驍・フ図がある。「歴代名医図姓氏」からの引用となっているが、孫思驍・フ足元にいる生き物は、虎のようだが、よくよく見ると頭がないように見える。また、何かの生き物を抱えている。尻尾と胴体の一部しか描かれてない。これは、何という生き物で、どういう意味があるのだろうか。
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私もどちらかというと、てきぱきよりも、ウロウロ、デレデレ、ヨタヨタのほうがいいです。
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○北鎌倉で墓参して、江ノ島を経由して、返ってくるとすると、てきぱきと行動しなけりゃ、明るい内に帰京できないとおもうなぁ。個人的には、いつものように、ウロウロと歩き、デレデレと飲み、ヨタヨタと帰ってくる、やはりこのスタイルがいいと思う。江ノ島まで鞭をいれいれ、を考えると気が遠くなりそうです。 |
どうして古医籍を電子化するか? |
小野文惠先生が管鍼をお使いになること、お有りでしたか?ちょっと記憶に無いんですが。以前、『東洋医学』誌に掲載されていた鍼法にも、管を使ったものは無かったような気がします。もっとも、最初期のことは当然知りませんし、最晩年の数年間もお目にかかる機会が無かった……。 |
私は文恵先生に特別思い入れがある人間であります。現行十七鍼法なんかみて参りますとやはり、杉山流の手技は避けては通れません。ましてや今日の我々の大半がこの管鍼術にお世話になっていながら、はっきりとその詳細が分っていないというのはなんとも恥ずかしい次第と申しましょうか...。弾入の仕方ひとつとっても本当に個人差がありますよね!内経を勉強されながらも、内経に関連した諸々の文献には鍼管をつかったやり方は無いですよね?でも、ここの先生の大半は管鍼ですよね?なんか変だな~と思うのは私ひとりだとおもいます...。 |
東京は江ノ島が近くていいですね。私も墓参に参加したいとこですがなにぶん遠いのでホームページの写真で我慢します。 |
3月賛成。 |
実は現在入力中の『日本医譜』にも、当然ながら杉山和一は載っているんですよ。入力はまだそこまで至ってませんが。 |
2月の建国記念の日をもつて、丸山先生の墓参をしてきました。この日にしたのは、おそらく島田先生だろうと思います。丸山先生の誕生日が2月12日なので、近い日を選んだものと考えられます。 |
「みそのいさい」さんに紹介いただいた本は持ち合わせていないので、パソコンの検索で「杉山和一」をクリックしたら182件もの記事がありました。あまりにも多いので途中までしか見ていないのですが、37番目の「江ノ島詣」は江ノ島の弁財天等の写真がのっています。また41番目の「杉山検校の墓」にも墓の写真が出ています。とても面白いですよ。 |
言い忘れましたが、この談話室(掲示板)は、ユニコード対応です。『素問』や『霊枢』の経文・注文も、ほとんど問題なく議論可能です。 |
過去の記事(indexのsideに入り口があります)は、投稿時のまま、全くの未整理です。 |
原則として、匿名はお断りします。ただし、戯名、例えば神麹斎あるいは守神斎あるいは虚舟先生あるいは「かいちょう」などは、内経の会員なら、ははああの人とわかるんんじゃないかと思う。こういうのはOK。(歓迎?)では新しく戯名を使いたい人はどうするか?たぶんあの人だろう、と見当がつきそうな内容を書き添えてもらうか、連絡先を事務局もしくは管理者に伝えてください。 |
宇津木益夫の『日本医譜』というのは、膨大な内容であるから、有益な書物であるのは間違いないが、その記事の信頼性となるとどうなんだろう。 |
扁鵲さま |
この掲示板の利用規定のようなものは、最初のころに書いたきりですし、別に意地悪をするつもりはないんですが、投稿者のプロフィールがわからないと応えようがないことは間々あると思います。せめて何となく背景がつかめる程度の自己紹介はお願いします。 |
この種の本を紹介して良いものかわかりませんが、 |
杉山真伝流の歴史について教えてください! |
霊蘭の室に鍵をかけたことについて、どうして、という声がチラホラ。 |
霊蘭之室に置いていた電脳版古医籍の一般公開を中止し、申請によって個別に許可することにしました。 |
考えてみると、淳于氏って結構有名な人がいるんだよね。 |
日本医譜の拾い話: |
いま『日本医譜』を入力している。 |
ハルピンに蛭子氏が留学中。本が安く買えますとのメールがありました。荒川氏の聚珍は、彼にたのむのが一番と思います。希望者は、本欄に書き込んで下さい。なお、蛭子にはげましのメールを。 |
この前、古本屋で入手しました本の紹介です。 |
中国の出版案内によると、今年五月に中国科学技術出版社から王雪苔編『針灸古典聚珍』全21巻が出版される。一万七千六百頁。定価一万五千元。 |
山本さんありがとうございました。 |
影宋版『脈経』を、「靈蘭之室」にアップロードしました。 |
中風の発作に、手足の井穴の全てを瀉血、という話は、島田先生から丸山先生の方法として聞いたことが有ります。島田先生がちょうど丸山先生をおたずねしたときだったそうで、引きつれられていって、手分けして瀉血したそうです。 |
「卒取其三里」 |
現代語訳『黄帝内経霊枢』を持ってませんので、確認はしていませんが、『素問』の例から判断するに、これは上海科学技術出版社『黄帝内経霊枢訳釈』の日本語訳だろうと思います。 |
348~9ページ。 |
『察病指南』七表八裏九道七死脉の項に、例えば浮脈の総論の後 |
結局あれですよ、読むのは楽しいけど、書くのは苦痛ということですよ。 |
電子テキストの知識 |
『漢字百珍ー日本の異体字入門ー』という本が、昨年の末に出ました。出たのはすぐに気がついていたのだけど、手に取ったり棚に戻したりを繰り返したあげく、ついに買ってしまいました。 |
下の書き込みは、この談話室のにぎわしの為に、かつて、 |
古代漢語を学んで、『素問』『霊枢』を正確に読む。それと関連する古典の知識とを総合して、古代の名医たちの世界観、治療体系を検討する。あるいは、本当はどんなことが起こっていたのかを知るために、古代的迷妄を排除する。 |
こばやしさんありがとうございました。 |
張景岳によれば、中風は傷寒などとは異なり突然に発症するので経絡の判別が難しいと述べている。 |
臨床で脳卒中の後遺症を診られる方が多いと思われますが、なかなか一筋縄にはいかない疾患でもあります。原典を含めていい治療法が見出せればと考えています。筋肉の拘縮について現代派は安易にパルスを用いますが、皆さんはどういった配穴をされているのでしょうか?例えば鍼灸大成には「列厥」と「衝陽」といった組み合わせがありました。あくまでもでも後遺症ですが...。各先生方の貴重なお話しをお寄せください!!
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「簡明不問診」の件、 |
柳谷素霊の『簡明不問診察法』の中のP221の六部の脈状の出典 |
2月11日、丸山昌朗先生墓参、ごくろうさまでした。 |
小野文恵先生にゆかりのある方に「医学三蔵弁解」を薦められたので、私自身、たいへん思い入れのある本でもあります。もし揃うのでありましたら是非よろしくお願いします! |
島田隆司先生が、(当会とは別の機会にですが)行われた『素問』講座のテープを起こして、ホームページ上で公開しようという企画が持ち上がっています。 |
『医学三蔵弁解』は、昭和62年に盛文堂から影印出版されています。当時の所在地は東京都足立区椿2丁目2番12号。
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『三臓弁解』は昔、小野文恵先生の東方会の雑誌「鍼灸医学」で掲載されていました。(第9号から27.28号併合まで) |
岡本一包の『三臓弁解』はどうしたら手にはいりますか?
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ユニコードに関しては「一太郎12」は前の11と比べて変わりなし。 |
私たちにとって、丸山先生は、著作と墓参によって近づきになった人でしょう。だから、私にとって、丸山先生は北鎌倉の浄智寺にいらっしゃる。 |
揚げ足を取るようで申し訳ないが、九針十二原に「病気を治せないのは医者が悪いからだ」とあるんでしょうか。「どんな疾病にも治療の方法は有るものだ、それを出来ないと言うのは、まだその方法を手に入れてないだけなのだ」と書いてあるように思いますが。まあ、単純化すれば同じことです。 |
どうやら誤解を生むような表現になってしまいましたが、失礼しました。 |
「十二経全部いじる」より、「根っこを安定させる」と言っているんであって、これに「その根っこの更なる根本が理解されなければ、十二経すべてをいじったとしても」と反応するのでは、読解力に疑問を感じます。 |
『八難の「所謂生氣之原者.謂十二經之根本也.謂腎間動氣也」が好きで、十二経全部いじるより、根っこを安定させるのが治療の根本だと思い、(これからは解釈の問題なのですが)臍下の治療を重視している(これだけで十分だという気持ちをこめて)。やはり単純なのはいいです。』という見解について... |
また、言い換えれば、 |
どうもいつも舌っ足らずで申し訳ない。 |
気血の多少だけで、すべての病症をカバーできないと思います。というのは、当初は原穴だけで五蔵(+α)の病気に対処しようと考えたのだが(九針十二原篇)、それでは足りないらしく五輸穴をも使い始めたように、治療に関しては単純にはいかなないようである。それでも足りずに募穴だとか輸穴だとかまである。そうした意味で、限局すれば便利なようだが、実は応用性に欠けるのではないだろうか。やはり、多方面の観察を、細かにし、それを綜合して治療方針を決定するのが、面倒だけど、一番いいのではないでしょうか。 |
一太郎がまたバージョンアップしましたね。 |
フィクションという言葉がやや刺激的にすぎたかも知れません。我々の仲間内では、虚構とかフィクションとかで、充分に通じ合っているとは思いますが。 |
神麹斎先生、前回に引き続きご解答ありがとうございます。 |
右と左の問題、実は古典研のホームページにも書き込みが有って、樋口さんが回答しています。まあ、そちらを見てもらった方が……。 |
結局、何が言いたいかと言うと、 |
『霊枢』邪気蔵府病形の「多血少気」について |
『難經』三十六難に「其左者為腎,右者為命門」とあり、六十七難に「五蔵募皆在陰,而兪在陽者何謂也。然,陰病行陽,陽病行陰。故令募在陰,兪在陽」とあります。 |
辞書紹介 |
左腎水、右命門についてですが... |
宮川さんありがとうございました。左合さんからお返事を頂き、談話室の冒頭にある「バック」をクリックしたら過去の記事が見れました。早速睛明攅竹さんの「知・識を少々」とおむみょうじさんの「森立之『傷寒論こう注』の正しい読み方」を印刷しました。じっくり読ませて頂きます。 |
『霊枢』邪気蔵府病形に、「豼№ヘ、多血少気、微しく寒有り」と言いながら、「豼№hすものは、必ずその脈に中て、その逆順に随いて、久しくこれを留め、必ず先ず按じてこれに循じ、已に針を発すれば、疾くその逞盾ツじて、その血を出さしむこと無く、以てその脈を和せ」とある。 |
『季刊内経』で、宮川さんの霊枢講義が連載になりましたね。こういうのが読めるだけでも、内経医学会に入会しておく価値は有ると思うけど…… |
むかし仇を持つ男がいた。だけど、相手は豪傑、自分はひ弱でどうにもならない。そこで、宝剣を持っている者に貸してくれるようにたのんだ。宝剣は三つ有って、一番は目にも見えず、振り回しても物に触れたことさえ分からない。次は淡々として有るが如く無きが如く、物に触れても物は傷まない。最後のは影は見えても光は見えず、光は見えても形は見えない。物に触れれば、手応えは有るけれど、過ぎるにしたがって合わさる。そこで三番目を貸りて、仇が酔っぱらって寝ている所をうかがい、三度斬りつけたけれど、切るにしたがってもとのようにふさがって、刃に血もつかない。どうにもならないのを悟って男が去った後、仇は目を醒まし、腹をたてて女房に言った。「酔って寝ているのにフトンもかけてくれないから、喉がひりひりするし、腰がひきつるじゃないか!」 |
この間の『洗冤集録』思い出したんですがね、むかし銅で経穴人形を作って、経脈を刻み孔穴を穿って、蜜蝋で塞いで水銀を充たし、受験者に探らせて刺針させて、ツボに中って水銀がこぼれ出せば合格、というような話を聞いた。感心しながらも腑に落ちないような気もした。 |
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去年、当会の会員某から「『医心方』の電子化を」という話が有った。 |
島田先生没後、年賀状を書く気が、すっかり減退している。結局、きた年賀状に返事を書くことにして、近い将来、年賀状を書かなくてもすむようになるのではないかと、思っている。普段メールをやりとりし、毎月のように会っているのに、めでたい気持ちを鼓舞しながら書く、その勢いが無くなってしまったのである。どうも、それが、たそがれているように見えるらしいが。丸山先生没後の島田先生は、これ以上ではなかったかと推測している。その辺は、金古さんが知っている思うので、金古さん、この掲示板を見たら書いて欲しい。今年は、日本医譜と、谷野一拍の難経俗解抄が課題である。特に、後者は、数年来の宿題で、ずっと、放置しておいたもので、小曽戸部長から、暗に、頑張りなさいといわれたので、ロケットスタートをかけています。何しろ、日本で、現存の、最初の難経注なのであるから、こりゃ、しかとしている場合ではないのだ。元日 |
新年好! |
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鍼で人を殺せるか?というのは実はかなり危険な質問であって、つまり、鍼で人を生かせるか?と表裏を為していて、さらには、鍼で人の病は治せるか?まで行きかねない。 |
鍼で人は殺せるんでしょうか。 |
南宋1247年に著された『洗冤集録』を翻訳した『中国人の死体観察学 「洗冤集録」の世界』(雄山閣 1999)には「針灸死」として以下の記載がある。 |
いま段先生の『素問全元起本研究与輯復」を読んでいる。 |
非常に感謝! |
靈蘭之室に、医統本『甲乙経』をアップロードしました。 |
今度お生まれになったのが、また内親王だったので、またまた女性天皇の是非をめぐって騒がしい。 |
公式のページを私用に使ってはいけないのでしょうが、小生あてメールをください。何人かの人に送ったのですが、届かないようです(うまくいっていないようです)。新アドレス:quoea@hotmail.com です。よろしくお願いします。
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上海の段逸山先生の『素問全元起本研究与輯復』が、一般書店を通すより一足早く手に入りました。 |
うかつにも、小生がウイルスに感染してしまいました。1週間ほど前に来たメールがあやしかったのですが(開かなかった)、今まで何事もなかったので、何でもなかったものと思っていたら、今朝になってウイルスが勝手にメールを出してしまい、何人かの人に指摘されました。プロバイダによっては、水際でチェックしているようですが。というわけで、子供たちのパソコンにお世話になることになり、アドレスを quoea@hotmail.com 変更させていただきます。よろしくお願いします。(宮川浩也)
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受け売りですが、紹介します。 |
ここのところ、UMINウィルスチェックサーバから、 |
ずいぶん前のレスです。 |
WindowsXPの環境で、一太郎でもwordでもあるいはakira(エディタ)でも、方正黒体でも方正宋一でもDynaFontTypeStudioに含まれるUnicodeFont3書体でも、{莠サ亦}は表示されるはずです。 |
『霊枢』に出てくるユニコードVer2.0に無く困っていた漢字で「解エキ」(カイエキ)のエキ(=〔莠サ亦〕)があります。 |
解繿鰍ヘ、今のままではダメなようです。 |
ユニコード表示をOSでチェックしてみると、 |
ユニコードの拡張領域Aの漢字を検索して利用するには、今昔文字鏡を利用しなければ、一覧表からコピー、貼り付けしかないかと思ってましたが、ATOK14の文字パレットは対応してましたね。文字パレットの「漢字検索」を利用すれば、拡張領域Aの漢字も出てきます。 |
『守貞謾稿』の七夕のところに、 |
■外字とユニコードを指摘する設定(ATOK12/13/14) |
やっと(xp)で外字処理できました。 |
秀丸エディタ新しいバージョンが完全にユニコード対応したということですが、MS明朝にはそもそも拡張領域Aの漢字が無いと思いますが? |
秀丸エディタ新しいバージョンは完全にユニコード対応しています。 |
今は(外字)と(atok)と(一太郎)の世界がだんだん狭くなっている。 |
いつもお世話になっております、ひらねです。 |
念のために、こばやしさんのSOMON3をMS明朝にリンクさせた場合も問題ありません。むしろATOKの文字パレットの確定クイックがきくようです。
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今はほとんど外字は使わない方針にしてますが、こばやしさんの投稿を承けて実験してみました。 |
昨日、やっとxpにアップグレードセットアップした。 |
書き忘れました。拡張領域Bの使えるエディターはまだ無いそうです。検索ソフトや入力ソフトも。 |
UnicodeのCJK統合漢字としてひとまず20902字、その拡張領域Aとしてさらに6582字、拡張領域Bとしてさらに42711字!! |
ダイナコムウェア社からこの秋に発売された |
肌という字は、身体を動かす能力を意識してないようですね。ただそこにある物体のようです。内経でもほとんどは肌肉あるいは肌膚と熟して出てくる。 |
肌について、ちょっと反応が遅いのですが、一言。江部洋一郎の『経方医学1』(東洋学術出版社)に、皮と肌の解説があります。参考にしてみてください。個人的な見解をいわせてもらえば、動物の皮を剥いだ時、皮側と筋肉側に分かれます。皮側は皮と肌、筋肉側は筋肉と脂肪と骨。これでどうでしょうか。あるいは、体を触ってみても、表面のつまめる層と、その下の層に分かれます。そうすると、つまめる層にあるのは皮と肌と皮下脂肪になります。どちらがいいのか、わかりません。『経方医学1』では、肌にもそう理(汗孔、毛孔)があると定義されていますから、皮下脂肪は肌に含まれないと思います。 |
日本語と書くのに漢字を用い、例えばイヌを犬と書くのは単なる偶然であって、いにしえイヌという動物がいるところへ、犬という漢字が入ってきたから、これをイヌと訓んだだけ、というところまでは良い。 |
ご意見ありがとうございます。 |
地域と言語のオプションから、 |
Windows2000とXPだと、本当のところどこが変わったのかよくわかりません。ただ(中国語の)玄人衆の感想では、やっぱ微妙に違うということです。特にUNICODE3.1に対応、の度合いに結構な差が有るらしい。つまり拡張領域Bが利用可能になっています。もっとも、これはWindows2000とOfficeXPでも一応可能で、でもちょっと好いということ。 |
神麹斎 さんは、もうWindowsxpにしましたか。 |
WindowsをXPにしました。期待していたMingLiUの拡張領域Aが詰まっている、何てことはありませんでしたが、思わぬ現象が…… |
例えば筋会の陽陵泉なども今まで筋肉に問題がありそうな |
初歩的にごく単純に割り切った言い方をすれば、肌は(人の)肉で、筋は腱あるいは靱帯です。ただ、なにせ古代の中国人のことです。そう厳密には分けられないと思います。肌は皮膚から肉にかけて、もともとは皮膚に重心が在ったかも知れないが、後にはむしろ(中国では)肉を指すようになった。筋のほうは腱・靱帯から、当然ながらそれに続く肉までを指していたのが、次第にスジのほうが意識されるようになった、といったところでしょうか。いずれにせよ、筋と言った場合は、そこにただある物体ではなく、その持っている、身体を動かす能力を強く意識しているようです。肌のほうに(少なくとも現代語で)そういう意味がないわけじゃないから、余計にややこしいけど。
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初めまして、何時も神麹斎さんを初め皆さん書き込みで |
初めて天津に行った帰り、北京のワンフーチンでの自由時間に一人で漢方薬店に入って診察している所をを見学しました。脉は片手で診ていました。片方の手を診て次にもう片方を診たか、片方だけだったか忘れましたが、今でも中国では片方で診ています。
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直感だけで、全然考証してないという、極めてだらしない話ではあるけれど、 |
桂山先生と言ったのなら、森先生でなくて枳園先生と言うべきではないかと、 |
桂とだけ題が出ましたが、 |
神麹斎先生、書きこみ有難うございました。 |
森立之『素問攷注』五藏生成篇第十 |
多紀元簡『金匱要略輯義』卷三 |
先日の日本伝統医学会で面白い発表がありました。参加者は、ほとんど |
下の「おむみようじ21」さん、「睛明攅竹」さんの投稿に対して、反応を期待したんですけど、まだ何も来ませんね。まあ、無理も無いけど……。 |
もともと古典的なものをテーマにすることが少ないうえに、古典離れが進んでいるんだと思います。
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今週の土曜日に、日本伝統鍼灸学会が大阪で開催されます。 |
大学病院医療情報ネットワークからの連絡によりますと、 |
下の2つの長文は、一度、2回3回と分けて、苦労して投稿されましたが、やはり読みづらいようなので、1回の字数制限を大幅に増やし、管理者の責任に於いてコピーから投稿し直しました。 |
「知識」とは、『大漢和』には「よく物事の道理を辨へてしる」とあります。つまり、「知」も「識」も「しる」という意味です。「行動」や「帰還」や「上昇」のように同じ意味を重ねてできた熟語を「同義複詞」ともいいます。「知識」もその一種です。細かくみればそれぞれの単語(字)には微妙な差異はありますが、大きくみれば同じ意味を持つ単語(字)を組み合わせてつくられています。 |
『傷寒論攷注』は『傷寒論』の注釈書であると同時に、『本草経攷注』『素問攷注』につづく一連の中国医学古典の研究書シリーズ『攷注』の一部を構成していることを忘れてはならない。/立之は、基本的に『本草経攷注』→『素問攷注』→『傷寒論攷注』の順序で著作した。/内容はみな医学に関わることであるから、当然のこととして疾病名・症候名などは、重複していることが多い。/それらについては、立之はくどいほど詳細に論証する。しかしながら、同じ用語について、3書で同じ論証をするわけではない。同じ論証は、筆者にとっても無駄な作業であるし、読者にとっても退屈なものである。/だからたとえば、『素問攷注』では「『本草経攷注』の何々条を見よ」などとことわり書きがある。/そういうわけで、『傷寒論攷注』を読んでいて、難解な用語に出会い、それについて立之がなんの案語も書いていなかったら、その用語は以前の著作『本草経攷注』『素問攷注』で取り上げられている可能性を想起すべきである。/『傷寒論攷注』の「立之案語の無い経文はとばして読」んではならない。そういう用語こそ、『本草経攷注』『素問攷注』に言及がないかどうか調べなければ、立之の研究成果を十分に取り入れることができない。/厳しくいえば、『本草経攷注』『素問攷注』の両書をひととおり読んではじめて、『傷寒論攷注』に向かう準備ができるのである。/でもまあ、それは無理だしても、『素問攷注』のテキストデータを利用すれば、『傷寒論攷注』に見えるのと同じ漢字・用語について、立之のコメントがあるかないかは瞬時に確認できる(『本草経攷注』もデータ化されていると聞くが)。パソコンが使えないひとのために、立之は『素問攷注』では、「要語」の備忘録を付けてくれている。翻字本『素問攷注』末の「要語目次」を利用すればよい(ヘッダは「用語目次」に間違っているけど)。 |
各新聞社の表記を、それぞれのホームページで見てみると、朝日新聞、産経新聞、読売新聞は「炭疽菌」、毎日新聞は「炭そ菌」。ただし、朝日新聞は、かんじんの新聞記事では「炭そ菌」。なお、NHKはホームページも放送画面も「炭そ菌」。
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nttに勤める兄が肩たたきを受けて退職し、セブ島で悠々自適の生活をすることになり、一人残された私は自宅を改築して開業することになりました。築三十年の家は、床下がボコボコでシロアリかと心配しましたが、床を上げてみると床下はカラカラ。大工さん曰く「床板に根性がなくなった」のだそうです。家も生きているんですね。床板の張り替えに伴い不要な物を大量に棄てました。座布団、七十枚もありました。家はそんなに人が入れる豪邸では無いのに。二十枚棄てるつもりが十枚に止まりました。裏の食器棚も一つ。食器も段ボール箱十個。しかしまだ台所には食器棚が四つあります。疲れた。今は片づけに頭が一杯で勉学はさっぱりです。開業目標は2002年2月2日。間に合うかな。 |
山本さん、その後、勉学はいかがでしょうか。 |
掲示板に書き込めるか試させて下さい。 |
どうしても掲示板に入力出来ないので左合さんに問い合わせてみました。まじめなお話し中に申し訳ありませんが入力出来るか試させて下さい。
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オサマ・ビンラディンが、聖者に成る為の最も容易にして最も困難な方法。 |
お経の話です。 |
現代中国になってから、古来悪名高かった者の幾人かが、再評価されている。秦の始皇帝しかり、魏の曹操しかり。 |
「代」に、軟とか弱とかいう意味があることは、工具書に見つからないんですよね。 |
代に休息の意味があるのですか? |
『太素』巻十五 診候之二「五藏脈診」に、 |
大学病院医療情報ネットワークからの報告です。 |
7月4日に、通販で買った、柴崎保三著『霊枢経新義解-九鍼十二原』に、「丸山変弱蔵」というサインがあった。99パーセント丸山昌朗先生の所蔵品でしょう。うれしかったですねぇ。神様の所蔵品ですから。『新義界』の中身がやはりがっかりだったのでほおっておいたのですが、9月になって気がついた次第。鑑定してもらいたいので、丸山先生の字を見たことがある人は、ご一報ください。9・20
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実は、「相應如參舂者病甚」を「三人で臼を突くような脈状は病気が重い」と解すること自体にも、違和感が有るのです。楊上善は「脈之相應參動,上下左右,更起更息,氣有去來如碓舂,不得齊一。」と注してます。「參」はつまり「不得齊一」と解すべきでは。森立之もこれに異議を唱えて無いようですし…… |
「参撃」は、三部九候論篇に「相應如參舂者病甚」(三人で臼を突くような脈状は病気が重い)の「参舂」と似た意味だとすれば、「参撃並至」は3連拍が2回繰り返されたという意味ではなかろうか。トン・トン・ト・ト・ト・ト・ト・ト・トン・トン、というような結滞脈である。
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脈代の一つの解として「弱」を挙げたのはやや不注意、配慮を欠いた言い方でした。あれはあくまで郭靄春主編『黄帝内経素問校注』平人気象論における一解でしょう。 |
質問に答えていただきありがとうございます。 |
時参撃並至と乍躁乍大を、べつべつのものとは考えにくい。むしろ同じ状態の別の表現であると思う。 |
ご多忙中そして腰痛の最中に「営気と衛気」のアップありがとうございます。当方も私自身ではなくパソコンの調子が悪く古いパソコンを持ち出して何とかアクセスしている次第です。 |
「代者、時参撃並至、乍躁乍大」 |
脈について用いられた「代」字には、おおよそ三つの、あるいは三通りの意味が有ると思う。 |
代者,時參撃並至,乍躁乍大也。 |
医道の日本に連載中の「湯島聖堂倉公傳講義」毎回楽しみにしています。 |
いやぁ、偶然です。小生も、11日(火)の夜から腰痛で、神○斎さんほど重症ではなかったのですが。いつものとは違って、今回はお灸で決めました。腰のお灸は熱い。でもよく効きました。9・17(月) |
おまたせしました。 |
10年前 |
朝、顔を洗おうとしてかがんだとたん、かくっときて腰に違和感が残った。別にたいした痛みでもないけれど、居間へ下りてきて、家族に腰をやっちゃったみたいだから、外出は取りやめると言う。家族の第一声、一番老人みたい。そこで早くも二つの真理を得た。 |
佐合さん、はじめておたよりします。私の事はかいちょうにきいてください。 |
黄帝内経霊枢臆解を「霊蘭之室」にアップロードしました。 |
山の老人はアロアディンといったが、彼は山の谷間をかこいこんで、今までなかったほどの大きく美しい庭園とし、いろいろの果樹をうえた。なかには想像もできないようなきれいな楼閣と宮殿をたてた。すべて金箔をはり、あざやかな色をぬった。いくつかの川には葡萄酒、牛乳、蜂蜜、水がそれぞれあふれるように流れていた。妙齢の美女が楽器をかきならし、上手にうたい、見事に踊っていた。マホメットは楽園について、そこには葡萄酒や牛乳、蜂蜜、水のながれる暗渠がはしっており、入園者を喜ばすために多くの美女がいる、とのべているが、山の老人はこれをもとにして庭園をつくったのだから、この地方のイスラム教徒はこれこそ楽園だと信じこんでいた。 |
投稿者からするとまとまりが無いかもしれませんが、雑談レベルで今は良いですよ。管理者がたいへんですから。 |
実のところ、ツリー型にしたほうがコメントなどをつけやすい、かどうか検討したことは有りませんが、どっちにしたって、そういう形式的なことで書き込みが増えるとも思えないし……、 |
談話室の書き方なのですが、時系列に並んでいて、 |
巻 頭 言 |
困ったことに、「宋槧本とか元槧本とか云ふものを顧みない」というのも、一つの見識なのであって、善本の条件の一つとして、校訂のしっかりしたもの、というのはやはり真実なので有ります。 |
横田観風『鍼道発秘講義』(医道の日本社)は柳谷素霊(の弟子)が書き写し発表したものが定本である。近年、オリエントから影印本が出たので比較してみたら、やはり柳谷本は結構間違っていたとのこと。素問や霊枢などの古典中の古典は評価がはっきりしていて、大差ないかもしれないが、研究が進んでいない古典の扱いは相当慎重にしないと大やけどをしそうである。書誌学が重要なのはこの辺にもある。臨床に役立たない学問を遠ざけるきらいがあるが、実はそれがいちばん大事なことであるから、もし無視したり見逃したりすれば相当な恥を書く。こういう学問は中国からきたのである。現在の中国の学者が粗略にしているなら、彼らを盲信するのは危険である。「医古文基礎」の翻訳でも注記しないで相当なおしています。アバウトなところが苦労したところでもある。
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談話室への書き込み、歓迎します。戯名の使用も、ここの管理者か事務局が、誰だか把握していれば問題にしません。ましてメールアドレスがそえてあれば。 |
外野席どころかはるか場外からのリクエストです。”あの記事をもう一度”で1990年12月号から連載された宮川先生の「営気と衛気」をまとめてでも定期的でもかまいませんので、アップしてもらえないでしょうか。 |
医古文の句読の説明に、しばしば「螟迫L一足」というのが引かれる。そして「螟買j一足有リ」でなくて、「螟迫L一,足。」と句読して、「螟買n一有レバ、足ル」と訓めと言われて、おお!なるほど、と感心することに成っている。 |
世の中には書を読むのに、必ずしも善本を求めない人がいて、例えば森鴎外なども、『渋江抽斎』のなかで、「……わたくしは漢籍に於いても宋槧本とか元槧本とか云ふものを顧みない。経籍訪古志は余りわたくしの用に立たない」などととくとくと書いている。 |
やっと、医古文基礎の原稿をしあげ、ほうほうの体で東洋学術出版社に送った。著作集と医古文基礎とで、島田先生との約束を果たし終えたことになる。著作集は約束したわけではないが、「たのむぞ」くらいは心の中で思っていたかもしれない。二つの仕事から解放されて、さあて何をしようか、それとも何もしないでおこうか、実に楽しみである。それでも、九月は二つの仕事が残っていて、ひとつは長崎鍼灸師会の2時間の講演、もうひとつは医史学会の発表。後者は10分に満たないのだから楽なのであるが、聴衆のことを考えると手をぬけない。10月になれば本格的に放牧状態で、自分のことをひさしぶりにできる。掲示板も積極的に参加させていただきますぞ。
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即と乃の違いについて、説明するのに適した例文を見つけたので、紹介します。 |
何だかこのところ、先頃の灸をすえる以来とみに、コクゴのセンセイみたいっ、である。そこで、以下は、「少しは」治療に関係する話。 |
漢語において、独立して一個のまとまった意志を表現できる単位を句子と呼ぶ。そして句子は、主語・謂語・賓語・補語などに分けられ、その先後次序にはきまりが有る。 |
平田内蔵吉という方をご存知でしょうか。 |
やっと宿題が終わりました。 |
古書を読んで、一字の解を求めて字書を紐解き、1,2,3,4とある義項のうちから、さてここではどれが当てはまるかな、などと、ジグソーパズルのピースを探すような態度は、実のところあまり好ましくない。 |
羽化仙史という人が、明治四十年に『北極探検』という本を著しているそうな。 |
そもそも我々がいるところが外野席であるのは自覚している。でも、外野席だって球場のうちではある。声援はおくるし、時には戦術の批評までする。 |
道教の究極の目的は不老不死である、というのが本当かどうか知りませんが、『素問』『霊枢』の理想はそれとは違うように思う。『素問』上古天真論には、「能く形と神と倶にして尽く其の天年を終わり、百年を度えて乃ち去る」と言い、『霊枢』九針十二原に、「其の終せざるを哀しむ」と言う。『素問』『霊枢』の死生観って、本当にそんなに道教的かね。
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盛年重ねて来たらず |
実は私自身ごく最近になって知ったんですが、例の「芸術は長く、人生は短い」という箴言は、古代ギリシャの医者ヒポクラテスのものだったんですね。しかも芸術は、ARTに相当する言葉の訳らしくて、むしろ技術と訳す方がいいのかも知れない。 |
この掲示板に書いている人は、実は問題になっている島田先生の講義を聴いていないはずである。聴いていない人には、それをどうするかという資格はないはずである。最も資格があるのは、力・健二兄弟で、大家さんでしょう。この3名の意向が最も大事だろうと思っている。まあ、掲示板で、ああだこおだといっているのは、それなりに楽しいことだし、責任がないからいいとして、個人的には3人の出方を待ったほうがいいのではないか。なにしろ、聞いていないのだから。
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島田『素問』について: |
会誌交換で、積聚会から2つのPDFファイルが来ています。希望者にメールに添付して送ります。申し込みは談話室管理者または事務局までどうぞ。ただし、積聚会との仁義のためにも、当会会員に限らせてもらいます。(積聚会では有料で配布しているようです。)
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本当は、テープ起こしはしないで、CDから肉声を聴きながら、資料をめくっていく、ちょうど講義の席にいたような気分になる、そういう形式の方がいいのではないか。講義録として活字化するのは、労力と資金面からかなりの負担になるし、テキストは影印とすれば手いらずだし、どうでしょうか、みなさん。全81篇の講義なので、相当の分量があります。テープで録音していることだし。
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島田『素問』上古天真論は、先生の講義の雰囲気がよく出ていて、なつかしいものです。どうせならこの口調を残してそのまま本にしたいところです。ただ、実際には、テキストとしてくばったコピーが無いと分からないところが多い。そして、そのコピーは、『素問』経文の両脇に『太素』と『甲乙』を配した、例の原塾時代の形式を踏襲していて、パソコンで入力するとなると、なかなか困難そうです。(先生の現物では一部手書き。) |
今日、大家さん(島田先生の治療院で働いていた方)からコピーの束を郵送していただきました。 |
文字数の制限を、きりのいいところで全角に換算して2000字としました。つまり、400字詰め原稿用紙で5枚です。これ以上となるともう論文と言うべきじゃないか、と……。談話の域を超えている。 |
『論語』 |
今日は、お盆休み。久しぶりに覗くと、ふの字さんの島田論文訂正の記事があり、有難く読ませていただきました。著作集編集の段階でも、訂正記事は採用しなかったと思う。先生がご存命であれば、当然訂正したはずであるが。ふの字さんにお願いですが、訂正記事を『内経』に寄せてもらえないでしょうか。できれば、該当ページ数を明示して、わかりやすくしてもらえれば最高です。どうでしょうか。他に、直すべきところがあれば、『内経』に寄稿してください。
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『太素』02-43-7に「血氣與驢資鞄セ則血豸・vとあり、楊上善注に「豸・ケ俟水厓水義當凝也」とある。「音俟」は、声符が同じなんだから文句のつけようがない。俟の音を知らないのは、こちらの責任である。「水厓」は、『説文』に「豸・C水厓也」とある。これもいい。「凝」は、『霊枢』が血豸・テに作っており、岸辺から転じて限界、さらに凝りかたまるという理屈はわかる。 |
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この夏の暑さは異常です。 |
この談話室への投稿は、一回に(全角に換算して)1800字以内になっています。この前までは1200字でした。まあ、こんなもんじゃないかと思いますが、希望が有ればここにちょっと書き込んでください。増やすことは可能です。 |
神麹斎さん、今日は。 |
アップしたのですが、行数が多すぎるのか、受付もらえず、 |
哲学が「世界の根本原理や人生のあり方を研究する学問」であるとしたら、医学もまた哲学の一分野であります。患者がきた、刺した、治った、で無い以上は当然のことです。目の前の患者のことを、全体像として把握しようとする。哲学じゃなくて何だと言うのですか。あ、哲学しようと言うんであって、哲学の話をしようと言うわけではありません。
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昔、小学生のころ、毎年しもやけに悩まされていた。 |
ありとあらゆるものごとは、陰と陽とに分けられる。そしてまた陰は陰の陰と陰の陽とに分けられ、陽は陽の陰と陽の陽とに分けられる。そしてさらに陰の陰は陰の陰の陰と陰の陰の陽とに分けられる。かくして八卦となる。ありとあらゆるものごとは、八卦のいずれかに属する。ある一つの卦の両隣には似通った陰陽性格の卦が有り、向かいには対称的な陰陽性格の卦が有る。八卦を重ねて六十四卦となる。ある一つの卦の両隣には似通った陰陽性格の卦が有り、向かいには対称的な陰陽性格の卦が有る。ありとあらゆるものごとは、六十四卦のいずれかに属する。従って、ある特定の状況のことが分かれば、別の状況のことを、六十四卦の陰陽性格にもとづいて類推することが出来る。かくして世界はすみずみまで明晰なものとなる。
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島田先生の、特に晩年の著作の価値は、「良くまとまっている」ところに在ると思います。実のところ、材料は先人や若手のものそのままであることが多い。別に批判しているのでは有りません。そういうことが出来る立場も能力も、他にはあまり無かったろうと思います。 |
十二経脈に臓腑の名を付けることへの批判は、島田先生に漢方概論の講義をうけたころから、私にとってはむしろ常識です。理論医学というのは、そうしたことを含んでのことです。 |
島田先生の著作集を読んでいると、「刺絡療法の歴史」が、掲載されているのを知りました。 |
理論的医学について私見--- |
中国医学を経験医学というのは、誤解です。中国医学は理論医学です。理論が勝ちすぎていると言っても良い。世界は完全に理論立てられている。だから如何なる病にも治療法は既に存在する。問題は、実際に経験したことがないか、あるいは理論の運用が拙劣なだけである。だから理論に習熟し運用に巧みになりたいと思う。 |
今日、島田先生の著作集が届きました。 |
B5版霊枢できました。1500円(会員1200円) |
『諸病源候論』のUTF-8文書、小林さんが色々やってくれて、何とか見られるようになりましたが、下のaeamからshiryouko経由の「諸病源候論」をインターネットで見ようとすると、いくつかの文字が表示されません。例えば「蟾「元方」は「・元方」と見えてしまうはずです。 |
変換作業補足 |
できるだけ文字化けしないように |
合宿で、何人かに『諸病源候論』データ(UTF-8)を渡したところ、軒並み文字化けの報告が有りました。 |
『諸病源候論』(宮内省書陵部蔵本)の、初歩的な入力が終わりました。ただし、決定的に校正が不足です。そこで、校正の同志を募ります。 |
『諸病源候論』(宮内省書陵部蔵本)小兒雜病中の時氣病候に、 |
『太素』卷十六の雜診中(『素問』では病能論)に、 |
『諸病源候論』に、胎児が男か女か、判定する奇抜な方法が載っている。 |
先のメッセージにミスがありました。『霊枢』引用のはじめ部分。外字が入っていました。 |
参考までに、汚と汗の間違いは『素問』にあります。 |
蒸し暑いですねえ、汗だくです。 |
ここに一時的にダウンロード用にフォントをしまっておきました。 |
老婆心ながら、ユニコード用フォントの用意の無い人に: |
掲示板が新しくなったのを機会に、投稿規約、のようなものを定めようかと思います。 |
史崧(しすう)と王燾(おうとう)と孫思驍・iそんしばく)は外字を使わないと表示できなかった。 |
一丁荳nオ荳・ク・ク・恟芬O上下荳剣s与荳序黴丑荳剃ク投侍。世丗丘丙荳壻ク帑ク應ク搶裝ク滉ク黴両荳「荳」荳、荳・並荳ァ丨荳ゥ个荳ォ荳ャ中荳ョ荳ッ荳ー丱串荳ウ荳エ荳オ丶荳キ丸丹荳コ主丼荳ス荳セ丿 |
奥が深いですね。初心者にはちと難しいですが、ぼちぼちやっていきますのでよろしくお願いします。河童は古典という流れに流されるばかりです。早く自由に泳いで見たいものです。 |
督は毒なり。なるほどね、そういう手が有りましたか。確かに『説文通訓定声』に、毒は、仮借して督と為すと言い、いくつかの例があがっています。ただし、かんじんの毒の仮借として督字を用いた例はまだ見つかりません。 |
言い忘れましたが、でもその前後の項を見てみると毒は毒の字が使われているんですよね・・・。どうしてここだけがわざわざ督の字を当てているのでしょうか?やはり督=毒は無理があるのでしょうか? |
神麹斎さん先日は快い返事くださりありがとうございました。 |
『諸病源候論』に鷄督瘡というのが有って、「其の形の鷄屎に似るを以て、因って以て名と為すなり」と言う。これって例の{竹基}の「音督」と関係有るんじゃ無かろうか。 |
”灸”問題?のテレビ放映偶然見ました。野次馬的にニャニャしながら見ました。私個人としては関係な問題ですが、言語はその時代の生き物ですから仕方ないと思いますけど・・・。時代とともにその意味も変化?進化?退化?するのは自然だと思います。 |
『諸病源候論』巻三十四「瘻諸病」のうちの雀瘻候に、 |
(共同通信の)松田さんがマスコミに送った記事の中に、ある鍼灸師の団体が、国語辞典にある灸の表現の書き換えを求めて「かつて懲罰として灸が使われたことはない」と主張しているのに対して、私が「『後漢書』光武帝紀には、奴婢を罰するために灸をすることを禁じ、された奴婢は庶民として解放せよと皇帝が命じたとある。これは懲罰だろう」と異議申し立てた、というのが有った(らしい)。 |
靈蘭之室を、私個人のホームページから内経のホームページに引っ越しました。 |
日本伝統鍼灸学会からわざわざ、44号の記事に誤りが有ったとして、「あら、あの人お酒に水を入れても分からないのよ。家で飲むときはお燗なので、アルコール量が多くならないように水増ししたことがあるのよ」を「でも飲んじゃうと特級、一級、二級の違いは分からないわよ」に訂正すると言ってきた。 |
ATOKを使っていて漢字変換していく時に、漢字候補が小さく見にくいと感じたことはありませんか。 |
面白そうですね。 |
先のユニコードテストは失敗に終わりました。 |
嶄諢 |
壅業の薬大C任后」 |
この前にある掲示板はユニコードで書き込んだのですが、表示がだめでした。 |
おもしろい携です。 |
6月末に『康煕字典』のCD-ROMが発売されるそうですね。しかし28,000円というのは高すぎると思いません? |
Googleで、「霊枢」を検索したら、いっぱい出てきた。さすがと思ってよく見たら、葬式関係がやたら多い。つまり「霊柩」が紛れ込んでいる。なんともはや。 |
右寸が浮にして洪であれば、肺熱である。これは『診家枢要』に載っている。浮而洪が熱であるのはいい。なにと比べて浮而洪なのか?たぶん、指をおろしてそう思った、でいいんだと思う。中国人の嗜好には比較は無かったんだろう。 |
島田先生といえば、食通で酒好きということになっているけれど、今度の『伝統鍼灸』の追悼座談会で、奥さんから聞いた話として、「あら、あの人お酒に水を入れてもわからないのよ。家で飲むときはお燗なので、アルコール量が多くならないように水増ししたことがあるのよ」なんてバラされてました。 |
『内経』の表紙、前の方がよかったような。 |
やはりメカに通暁するも時間がかかる。だから、得意な人は、その分野に相当の時間、そしてエネルギーと金を費やしているはずである。上福岡のK氏なんかその代表でしょう。それと、まだ見たことはないのですが、品川区のA氏は相当の蔵書家のようである。お手軽にというわけにはいかない。古典も、お手軽に読んでみたいが、なかなかそうもいかない。なかなかそうもいかないところがいいところでもある。 |
『季刊内経』の山本さんの随筆を読んで身につまされました。いえなに、「私はどうもメカに弱いようだ」のほうですがね。私もファックスは苦手です。ガーギコって……、「……送信しました」と云われても、どうも落ち着かない。本当にちゃんと送れたんだろうか?って。だから、ビデオの録画も苦手です。未だに予約録画は甥にたのんで、「パソコンつかえるのに何で?」とあきれられています。だって、後で視てみるまで、ちゃんと撮れているかどうか落ち着かない。その点、パソコンの失敗はその場でわかる。「……不正な操作……」これも頭に血が上るがね。ビデオの予約録画が苦手な人は結構有るみたいで、患者さんの大学の先生、しかも電子工学が専門なのに、ビデオ録画の担当は奥さんだそうです。「マニュアルを読んでるような暇は無い」と、うそぶいてました。 |
東洋医学善本叢書の『諸病源候論』、17-3と17-4が入れ違っています。 |
神麹斎殿 |
巨闕という名剣が有ったからと言って、穴名の巨闕がそういう意味だというわけではありません。やっぱり大きな宮門くらいの意味でしょう。中に君主がまします。もちろん古くからそうした詞は有るようです。『淮南子』「而神遊魏闕之下」に漢の高誘が注して「一に巨闕に作る。神が内に守るなり」と言っています。 |
ユニコードの拡張領域Aが使えるフォントが手に入ります。 |
本屋の岩波文庫の棚で、小川珠樹、木田章義注解『千字文』を見つけ、ぱらぱらとページを繰ったところ、34ページに「巨闕」が出てきました。そして「剣の名である」「昔、趙王は五張の宝剣を持っていた。……その中で巨闕を最上のものとした」とありました。左合さんに、「 胸の剣状突起の下の経穴・巨闕の穴名が剣の名前だというのは、一般に知られていることなのでしょうか。以前、どこかで聞いたか読んだかしたような気もするのですが」と問い合わせると、以下の答えでした。参考までに再録いたします。 |
掲示板、低調ですね。 |
迷信を利用して策を施す話なら、他にも有ります。もっとも、これは名医ではなくて、詐欺師だけどね。 |
一秀才が受験に赴く。路傍の亭で休息していると、一美婦人がきて坐る。話しかけるとそれは吊殺鬼(人を縫死させる亡霊)で、某家へいって身代りを求めるのだと答えた。某家とは友人の家だったので、急いで報らせにゆくと、姑と嫁とが口論の最中。これを聞いてびっくりし、すぐ争いをやめた。(林蘭編『灰大王』所載「赴考遇鬼」=沢田瑞穂『鬼趣談義』より孫引き)。
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関東に季節はずれの雪が降る。 |
孔穴という点と、経脈という線と、どちらが先であるかは、悩ましい問題である。しかし、最も針治療らしい針治療は、点によるものと言っていいだろう。勿論、線はおろか面に対する治療というものも有りうるわけで、何もそれらを否定するつもりは無い。 |
当地、川口では、桜はほぼ満開。さらに3/31の今日は、ぼた雪が降って、相当に気合いが入っています。この掲示板も神麹斎が独壇場である。この掲示板に書き込むのは勇気のいることで、神麹斎のように滑らかにはいかない。 |
お医者が、鍼灸のことをどお思うかを気にするのは、日本人が欧米人の評価を気にするのと、とてもよく似ている。 |
『素問』四気調神大論の「是故聖人不治已病治未病」を解釈するにあたって、ただ字書を引いただけでは不十分である。あくまで後の「不治已乱治未乱」との対として理解すべきである。 |
伝統医学の理論というものは、それでもやはり多くは迷信的なものであると思います。 |
石田秀実先生の、日本内経医学会第1回講演「伝統医学の形成期をどうとらえなおすか」のファイルをアップロードしました。『内経』の「記事精選」の中に有ります。 |
上古に方士なるもの有り、漢の季に至りて岐れて三となる。 |
中国人であるかぎり、好むと好まざると、教養人であろうと無かろうと、どっぷりと道教的思考(嗜好?)に浸っていたのであるから、彼らが創り出した内経医学に影響を与えていないわけがない。 |
伊藤真愚先生と、島田先生とは、東洋鍼灸で教鞭をとっていて、時を同じくする何年間かがあった。しかし、結局は仲良くはならなかったようだ。島田先生は、東洋鍼灸にたいして改革のようなことをしたかったらしいが、柳谷正子理事長と折り合いがわるく、結局東洋鍼灸を辞めてしまった。 |
「素問・霊枢を読むには、やはり、道家思想のことを知らないと」という宮川さんのお言葉につい筆をとりました。今を去る16年前、東洋鍼灸専門学校で教鞭を執っていた故伊藤真愚氏の持論がそれでした。鍼灸は道教医学、仏教医学だという主張です。(禅は老荘的仏教ですし)私には正しさを含むと思われたその主張は、当時、氏のいささか無手勝流で無根拠の素問読解にはばまれ、人心を掴むには至らなかったようです。 |
五行説は迷信である。 |
■中国古代学者の誇りと意気込み
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老婆心ながら、老荘思想と道教は違う。老子、荘子は『素問』『霊枢』からみても古い思想だろうけど、道教なんて三国志に出てくる黄巾の徒のころでも、まだ萌芽でしょう。 |
これはかなり重要な篇だと思う。ただ、雑多な資料の寄せ集めという印象は有る。『太素』に於ける于・於の混在などは迷論に過ぎないが、「黄帝曰善」と言った後にただちに「黄帝問於岐伯曰」と続けるなんぞはやはり変だ。清の黄元御なども、四時気篇のかなりの部分が紛れ込んでいると考えているらしい。 |
素問・霊枢を読むには、やはり、道家思想のことを知らないと、本丸に到達できないようであります。池田知久の『老壯思想』(放送大学教材)を読んでみたが、あまりよくわからなかった。もう少し、要領よく書かれたものを教えてください。本来で、講座を開いてもらったらもっと結構。2・28 |
これは、要するに九針十二原篇の解釈だから略す。ただ、詳しく言えば九針十二原の解釈ではなく、そこに取り入れられた「古針経」とでも言うべきものの解釈だろうけど。 |
五蔵の五輸、六府の六輸を列記する。五行の配当は井穴についてだけであり、それも『太素』には無いから、五輸と五行の配当はこの時点ではまだ無かった可能性が高い。とすると、五輸、六輸はどのように利用したのであるか。この篇の後ろのほうでは、四時に応じて選穴。「春は絡脈、諸栄、大経(筋?)分肉の間を取る。」「夏は諸輸、孫絡、肌肉皮膚の上を取る。」「秋は諸合を取る。」「冬は諸井、諸輸の分を取る。」ただし、他篇では四時に於ける五輸穴の運用法には異なることが有る。 |
会員の権利の中に、 |
『甲乙經』、医統本と医学六経本と、全く同じなのかどうか、よくわかりません。 |
ちなみに、影印本は北里にあるそうです。 |
はじめて投稿いたします。よろしくお願いいたします。 |
GTフォント、期待していただけに、がっかりしました。先ず第一に、醜い!印刷用でなく、画面表示用である、とかなんとか、大見得を切っているようだけど、だったらもう一寸なんとかしてよ。 |
九針十二原篇の内容は、大まかに三つに分けられる。つまり、九針に関する部分と十二原に関する部分とそれ以外の部分である。そして今「それ以外」と言った部分に含まれる補瀉の手法に関する記述が、最も重要であるとも考え得る。ただし、この部分はひょっとすると九針十二原篇にもともと有ったものでは無いかも知れない。 |
針灸の基礎を定めたのが『素問』『霊枢』である、と言うのに異論が有ろうはずは無いし、『素問』『霊枢』に登場する岐伯なんぞより俺の方が上手である、と豪語する治療家もそうはいないと思う。とは言うものの、二千年間、何の発展も無かったと言ったら、それはやっぱり変なのであって、現代中国のいわゆる中医針灸も、現代日本のいわゆる経絡治療も、一つの尖端ではある。 |
現在、『大漢和辞典』(全14巻)を買うと、23万5200円です。これが、17万5000円で買えます。新品で、梱包箱入りです。希望者は小生にメール下さい。2セットあります。 |
学を衒うのはもとより卑しいワザだけど、無学を衒うというのもね。 |
実は、医統本『甲乙経』の電子化もすんでいるんですが、黄龍祥氏ご推奨の医学六経本と校勘してからと思って、公開が延び延びになっています。 |
初めまして。福岡市で開業致しております牧角和宏と申します。内科・循環器科を標榜しておりますがメインは漢方です。 |
銭超塵先生の金窪七朗『素問考』与丹波元簡『素問記聞』のコピーを、平根君からもらって一読したけれど、全然感心しない。したがって、前に提出した『素問考』なんて「できの良くない学生による受講ノートに過ぎない」という説を撤回するする気にはならない。 |
>それと、銭超塵さんが、「金窪七朗『素問考』与丹波元簡『素問記聞』」という記事を、北京中医薬大学学報の2000,(1)に載せているらしいけど、お持ちのかたが有りましたら、一読させてもらえませんか。 |
『医古文知識』の最新号に、長春へ行った本会の平根君(だろうと思う)が、『素問考』の研究というのを載せているけれど、なんだかよくわかりませんね。 |
渋江抽斎『霊枢講義』の巻一部分を、UTF-8HTMLで試験的にアップロードしました。会員ホームページから霊蘭之室へ入って見てください。 |
丸山昌朗先生の墓参を、2月12日(月)に企画しています。参加希望者は、東京駅横須賀線9:56の電車の先頭に乗って下さい(電車は後に何本か出ていますから、乗り遅れた人はそれに乗ってください)。あるいは北鎌倉の浄智寺に11:00頃に直接集合して下さい。8月5日(日)には島田隆司先生の墓参を企画しています。1/20 |
しばらく中止していた『電脳黄帝内経太素』を校正第2版として、再アップロードしました。 |
協力をお願いしているのは、新人発掘のためでありまして、こういった共同作業から仲間入りして貰おうというわけで、この掲示板を読んで参加してほしいわけです。だから、まったく協力者がいないという意味ではありません。みんなを巻き込んだ方が面白いでしょうから。1月4日みやかわ |
ここにわざわざ書かなくても、 |
個人的には島田先生の喪に服しているような状況で、新年おめでとうございますとは言えない気分です。結局、年賀状は一枚も書かず、これから返事を書こうかとおもっています。 |
小生は、赤緑色弱で、日常生活に大きな支障はないものの、微妙な色の違いは苦手です。赤と緑が交錯したような配色は区別できません。本当は工業系に進みたかったのですが、色弱故に方向を転換しました。現在は、舌診はやはり苦手です。それはそうと、五色は五行の色体表に青赤黄白黒と色分けしているのがそもそもの間違いなのではないだろうか。あのあたりから洗脳されてしまって、ずっと疑問をもたずに来ているような気がする。五味だって、本当にそうかいと思う記述がある。『素問』蔵気法時論篇の記述に因れば、五味は次のように分類されている。 |
范行準著『中国病史新義』(中医古籍出版社、1989年、9600円) |
『中医臨床』に、『素問』に「青で草茲の如きものは死ぬ」と言い、また諺に「青は藍より青より青し」と言うが、グリーンとブルーじゃちと違いすぎやせんか、と質問が有り、本会の岩井氏が回答している。 |
いの一番に思いつくのが、范行準の『中国病史新義』(中医古籍出版社)です。古典にみえる、身体の部位名、臓腑名、病名などを、文字学的にあるいは訓詁学的に追求した解説書で、タイトルに「病史」とあるけれども歴史書ではありません。A5版で750ページもあるし、内容も難しいので、消化不良を起こしそうです。肓については、膈膜の項で、5ページに渡って展開しています。これがもっとも詳しいと思います。どういう内容かは、直接読んでもらわないと。読んだ結果は、このホームページに書き込んでみんなに還元して下さい。 |
内経に『肓』というのが出てきますよね。この肓という場所について歴代の医家で解説している人ご存じないでしょうか。医古文的にもお願いしたします。 |
よその掲示板に「私、漢字制限論者です」という冗談を書き込んで、バッシングを受けました。まだ、言いたいことは有るけど、また紛糾するのも面倒だから、ここにひっそりと書き込みます。だいたい、漢字文献を扱う人で、今のJISやUNICODEで充分だ、もう増やすななんてのがいるわけが無いから、冗談だと言うことはすぐ分かると思ったんですがね。 |
滑伯仁説「以左尺主小腸膀胱前陰之病、右尺主大腸後陰之病」の出所は、分かりません。 |
明・李中梓『診家正眼』「内経分配蔵府定位」および清・林之翰『四診抉微』巻4「六部蔵府分属定位」)に引く滑伯仁説に「以左尺主小腸膀胱前陰之病、右尺主大腸後陰之病」とありますが、どこに書いてあるかわかりますか。一応、『読素問抄』『難経本義』『十四経発揮』をみてみたのですが、わかりませんでした。『診家枢要』の所説とは違うのですが。ご示教たまわりたく存じます。 |
橋本政夫 川崎市 |
高橋清治 |
植松弘雄 Tel: 045-803-6502 |
藤野常信 |
小高修司 |
林孝信 |
金延三 |
左合昌美 |