日本内経医学会談話室
2000年9月の開設時から1000件目まで

1000:[ 内経病理学 ]

この間、運営委員会が有って、韓国の報告をして、次の日に神田の亜東書店によったら、『内経病理学』なんて本が有りました。この手の本はここのところ敬遠しているんですが、著者が韓国の人だったんで思わず買いました。勿論、中国語に翻訳してあります。ハングルだったら買わない。
まあ、内容はおいおいと、というかそのうち読みます。
おもしろいのは訳跋のところで、中国での翻訳出版と言うことにかんがみ、陳立夫先生の紹介部分と挿絵は省いた方が良いとか、斧を振り回しているような嫌いが有るから、程士徳教授の序と『黄帝内經』小考は削った方が良いとか、お節介を言っているところ。こんな跋て有りますか。やっぱり、中華思想、本家意識ですかね。
それにしても著者は崔升蜍求i昇勲)で訳者は崔蜍求Aこれって単なる偶然ですか。
崔昇勲という人は、この間の学会にはいなかった、ような。

神麹斎 11/30 15:20

999:[ 四象医学・経絡治療 ]

 どちらも「伝統」と言う言葉が好きなようですね?
最近の「医道の日本」誌にも「伝統鍼灸」の定義のあやふやさが書かれていましたが、新刊書の傾向から考えると所謂「古典」ものって売れないのかなぁ?とか勘ぐっちゃいます。
 この間の「鍼灸マッサージ新聞」だったか?「点字毎日(家に来るのは活字版)」だったか?に、「北朝鮮の鍼灸」が紹介されていましたが、直接灸を据えている写真が掲載されていました。伝統が継承されてきたのか?日本統治の影響か?

 自費出版のようですが、こんな本も有ります。この写真では分かりませんが、赤い表紙の目立つ装丁です。(1994年かまわぬ書房からの出版ですが、会社名が変わったようです)
http://www.life-research.co.jp/book/sishou.html

乙尾蘭 11/28 00:59

998:[ 韓国の鍼灸の紹介 ]


【慶煕大学校】
http://www.kyunghee.or.kr/

【日本初紹介 韓国伝統漢方―四象医学のすべて 】
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4871191265.html

盧正祐[ロセイユウ]
1918年朝鮮黄海道生まれ。
1940年~43年竹山晋一郎の影響を受け、その紹介で、東京で鍼灸の大家岡部素道に師事。
拓殖大学漢医学講座修了。
漢医師国家検定試験合格。
1947年共産党治政下を逃れ、韓国に脱出。
1952年国連軍第八軍の鉄路警備隊医務官。
1954年東洋医薬大学(慶煕大学校漢医科大学の前身)専任講師。59年、同大学副教授。
1971年慶煕大学校漢方病院初代院長ならびに漢医科大学長。
1976年慶煕大学校より学位取得、漢医学博士。
漢方病院院長と漢医科大学長を退任。
ハワイ州政府の招請により渡米。専門特技者認定を受け、アメリカ合衆国永住権を得る。
1977年~78年ニューヨーク州立大学校ならびにハワイ州政府の鍼医師免許取得。
東西医学教育研究財団を設立・主宰。ホノルル市にOriental Medical Clinic開設。
1985年カリフォルニア州およびハワイ州政府教育局による漢医学の正教授資格取得。
1986年ハワイ東洋医科大学学長。
1995年慶煕大学校盆唐車病院名誉院長。
1996年大韓四象医学会による第1回李済馬賞受賞。
1997年韓国伝統医学研究所を主宰。著書に「韓国医学史」(『韓国文化史大系科学技術史編』所収)高麗大学校民族文化研究所、
1968年。『百萬人の漢医学』1971年。『三焦を主とする命門・心包に関する研究』1975年。『四象(体質)医学に関する研究』(執筆中)。『Guide to Korean Traditional Medicine』。『Four-type(Constitutional)Medicine』

小林健二 11/27 20:41

997:[ 銭教授の思い入れの問題であって… ]

銭超塵教授の意見は、結局は『素問識』に対する思い入れの深さの裏返しであって、『霊枢識』は全く駄目という意味ではないと思いますよ。我々の反応としては、『素問識』や『霊枢識』をあげつらうなんてことは恐れ多い、けれど、まあ強いて比較すれば、銭教授の評価も的はずれではないんだろうねえ、といったところでしょうか。
つまり、銭教授には、偉いのは『素問考』の金窪七朗なのであって、『素問識』の多紀元簡ではないのではないかという疑念が有るわけだろうと思います。で、韓国での晩餐の際に私が、実は『素問考』とほとんど同一の内容の『素問記聞』という書物が有って、その封面には「桂山先生口授」と有るから、金窪こそ元簡の聴講生だったのではないかと言ったわけです。銭教授はまだその話に納得できないところが有って、では『素問識』と『霊枢識』の水準に差が有るのは何故なんだ、不自然じゃないかと言われるわけです。私としては、不自然じゃない、やむを得ない理由が有ったんだと言おうとするんだけど、うまく言えなくてグダグダしているわけです。

左合昌美 11/23 09:59

996:[ 最近出た漢方の本に『黄帝内経霊柩』って載ってた ]

 本当は『素問考』の事を書くべきなんでしょうけども、『霊枢識』の旗色が宜しくないので一寸援護射撃を…。

 「木活字本で小部数しか刷られなかったこともあり、ほとんど流布しなかった。一方中国では『中国医学大成』(1936)の初刊に鉛活字で収められ」(日本漢方典籍辭典)
 「實爲治内經學者必讀之書。原書用日本活字排印。初印僅百部。久已絶版。即日本亦不易得」(『中国医学大成』の『霊枢識』提要)

 といった具合の『霊枢識』ですが、この『霊枢識』をフル活用?した人物が居ます。
約 90年前の哈日族「廖平( 1852~ 1932)」です。
 『脈學輯要評』『薬治通義輯要』等の日本医書に対する注釈で知られる彼は、自著『診皮篇補證』等の中で数十回(『素問考』もそうなんですが、資料が山のどこかで遭難しています。なので正確な数字は後ほど…。)に渡り『霊枢識』(『素問識』も)を引用しているのです。
 
 だから、『霊枢識』は「蜩児゙!日本已經有太的書蝠梶I」と廖平に言わせ、『脈學輯要評』『薬治通義輯要』を書かせた。と言う評価は如何でしょうか?
 また、「鋏と糊の仕事」と揶揄する方も居るようですが『説文解字詁林』って便利だなぁ。みたいな感覚で『霊枢識』を捉えるのもだめでしょうか?

 全然関係ない話ですが、逆子治療の後に超音波で胎位を確認したついでに自分の肝臟を診たらフォアグラでした。會員諸兄、飮み過ぎには注意ですね。

平根弘治 11/21 08:12

995:[ 『素問識』と『霊枢識』 ]

『素問識』『霊枢識』から馬蒔・呉崑・張介賓・張志聡など大陸渡来の著作からの引用文を差し引き、さらに『康煕字典』を使用した部分を取り除くと、どの程度のものが残るのであろうか。むかしむかし、原塾の霊枢講座で『霊枢識』を調査したときには、「ほとんど何も残らない!」と騒いだような記憶が有るけれど、実際にはどうなんだろう。『素問識』と『霊枢識』とでは、残りかたに差が有るのだろうか。それがつまり、「『霊枢識』の成果は、『素問識』の成果には遠く及ばない」という評価につながるのではなかろうか。

 ……《轣オ枢隸・t比霎ヵス庸,它的水平霑懆ソ恤s如《素髣ョ隸・t。……
というのは、銭超塵教授の評価です。まあ妥当かも知れない。

左合昌美 11/19 18:43

994:[ もう一度(そしてちょっと休憩) ]

もう一度、年代的に整理します。
1787 『素問研』巻末の識語「予著素問識」
※『素問識』自序に「凡そ以て経旨を闡発する可きものは、簡端行側に、細字標識し、これを久しくして側理殆ど余地無きに至れり。」好意的に判断すれば、書き込みを整理すれば、十分に一つの著書になると自負していたということか。
1788 『素問研』を入手
1790 侍医に抜擢され、多忙のため『素問』研究を一時中断
1790or1792 鼇城公観『素問考』成書 内容は桂山先生口授『素問記聞』と酷似
1801 外班に下り、『素問』研究を再開
※『素問識』自序に「再び取りてこれを繙き、改補する所有らんと欲するに、奈何せん年半百を踰えて、双眸昏渋し、蠶頭の書を作すこと能わず、因りて窃かに荒陋を量らず、別に繕録し、釐して八巻を成し、名づけて素問識と曰う。」好意的に言えば、書き込みを整理すれば、十分に一冊の著書になると思って、取りかかろうとした矢先に多忙になった、今やっと暇になったから取りかかるということか。
1808 『素問識』自序
1810 歿
1837 『素問識』刊行

これも詳細に調べたわけではありませんが、『素問攷注』に引く『素問識』原稿とか『素問識』原抄とか、『素問釈義』に引く『初稿原識』とか『素問識』初稿本とかの内容は、『素問記聞』および『素問考』に有ったり無かったり、どちらかと言えば無いほうが多いという印象です。
結局、五里霧中です。分かったことは、『素問識』は有名な割に成立についてのまともな論考が少ないということです。『素問紹識』についてよりもさらに少ないのではないか。
それにしても、明治の初めまでは『素問識』の初稿本あるいはそれの抄本が、いくつか保存されていたような感触なんですが、今更出てこないですかね。

左合昌美 11/16 09:21

993:[ 素問研と素問識 ]

『素問研』の巻末に載せられた多紀元簡の識語には、「丁未の夏、予『素問識』を著す。明年勢州の門人岩一鳳、この書を挟みて来たり余に示す。良仙子いずこの人なるかを知らず」云々とある。丁未は1787年である。してみると、元簡は侍医に擢せられる以前に『素問識』を一応書き上げていたことになる。勿論、現行のものとは大幅に内容が異なるであろうし、現行の『素問識』の序文とはやや齟齬するけれど。

オリエント出版社影印の『素問研』に付された石田秀実氏の解説では、「丁未の夏、予『素問識』を著す」を、元簡の言い訳にすぎないだろうと言っている。(元簡という人は言い訳なんかする人だろうか。)
しかし、上古天真論の「恬憺虚無」についての両者の文言はほぼ同じであるけれど、実は『素問考』にも『素問記聞』にも「諠莫骭テ通用。又作淡。韓非子臣以爲恬諠煤B説文云恬安靜也」とある。これくらいのことは当時の一流の学者なら誰しも考えつくことかも知れない。
そうは言っても、引き合いにされたもう一例、生気通天論の「陽気当隔」については、『素問研』と『素問識』に言うことは実質的に同じであって、『素問記聞』にはこの条を欠き、『素問考』では別の考えを述べた上で「此説未穏姑闕之」と注記するのであるから、1787年の夏には分からなかったことが勉学の成果で1808年までには分かるようになったのかも知れないし、それは『素問研』の示唆の賜であるかも知れない。伏菟の論も同様である。(これは長くなりそうだから影印を見てください。)
前人の剽窃の上に成り立った書物とまで言っては、いくらなんでも元簡が可哀想だけど、そういう傾向も確かに有るには有るからねえ。

左合昌美 11/15 22:23

992:[ 臼杵城 ]

変なことに気づきました。
豊後の臼杵城は、大友宗麟が築いて晩年を過ごしたところです。その別名の中に「鼇城」というのが有るらしい。そして、関ヶ原の戦いの後、美濃から「稲葉」氏が臼杵藩主として入ってきて、幕末・廃藩置県にいたっている。
偶然だよね、関係無いよね。
『素問研』と『素問考』には別に似通ったところは無いんだよね。通達は別に臼杵藩主の縁者じゃないよね。

左合昌美 11/15 21:58

991:[ 『素問識』の序 ]

実は、『素問識』の序には次のような内容が有ります。
「凡そ以て経旨を闡発する可きものは、簡端行側に、細字標識し、これを久しくして側理殆ど余地無きに至れり」、これは侍医に擢せられて、一時的に『素問』研究を中断するころのことです。
そして、外斑に就いて暇になってから、『素問』研究を再開した時には、「再び取りてこれを繙き、改補する所有らんと欲するに、奈何せん年半百を踰えて、双眸昏渋し、蠶頭の書を作すこと能わず、因りて窃かに荒陋を量らず、別に繕録し、釐して八巻を成し、名づけて素問識と曰う」と言っています。
これによれば、侍医になる前には講義の内容をまとめた書物は別に無かったことになります。
当時の講義のやり方がよく分からないのですが、簡端行側に書き込んだ内容を朗々と読み上げて受講者に書き取らせるなんてことは有ったんでしょうか。そんなことが可能だったんでしょうか。
『素問考』の成書が、元簡の第一次『素問』講座中断直後であったことは認めざるを得ないでしょうから、『素問考』と『素問記聞』の内容が「相同」であり、『素問記聞』が確かに「桂山先生口授」であるとすれば、「読み上げ」「書き取り」が可能であったと言わざるを得ないのでしょうか。
それとも細字標識した『素問』を講義室に放り出して、書き写すにまかせたということでしょうか。元簡という人は、そんな大度量の人だったんでしょうか。

まさか下の「空想小説」が本当、なんてことは無いよね。

左合昌美 11/15 18:46

990:[ 無題 ]

『素問考』と『素問記聞』の詳細な逐条的な付き合わせを(完全に)やった人は、実はまだいないと思います。私がむかし一部についてやった記憶によりますと、『素問考』に無くて『素問記聞』に有るという内容はもともとそう多くはないし、ましてや質の良いものは無いようです。従って、『素問考』には無い『素問研』のすぐれた見解が『素問記聞』には有る、という可能性は低いと考えます。いずれにせよ詳細に付き合わせないと断言はできませんが。
それから、『素問考』も『素問記聞』も、日本人の按語を名前をあげて引用することが意外と多いようです。『要語』などは度々出てきます。『素問研』とか稲葉通達とかは無かったように思います。名前をあげないでの引用はわかりません。

左合昌美 11/15 14:49

989:[ 『素問研』 ]

 まず『素問識』から馬蒔・呉崑・張介賓・張志聡など大陸渡来の著作からの引用文を差し引きます。おおまかにいえば,残りは,元簡の按語(『康煕字典』からの孫引きも含む)とかれに先行する日本人の按語になると思います(日本人の按語は名前をあげないので,元簡のものと区別できません)。その残りのなかで出所が推定できる先行資料として『素問研』があります。『素問識』には『素問研』の卓見が無断引用されています。元簡が『素問研』を入手したのは1788年です。この年代が信用できるのならば,(元簡の講義録と推定される)『素問考』には『素問研』に見られるすぐれた見解はでてこないと思うのですが,どうなっているのでしょうか。また『素問記聞』に『素問研』の見解が見いだせるならば,『素問記聞』は1788年以降の講義録と考えられると思います。いかがでしょうか。

『素問攷注』翻字者 11/15 10:48

988:[ 鼇城公観抹殺論 ]

年代的に整理すれば、
~1790年 第一次素問講義=素問記聞?
 1790年 侍医に抜擢され、多忙のため素問研究を一時中断
 1790年 鼇城公観 素問考
 1801年 外班に下り、素問研究を再開
  ~  第2次素問講義=原識素問?素問識初稿本?素問識原稿?素問識原抄?
 1808年 素問識自序
 1810年 歿
 1837年 素問識刊行
というようなことだと思っているわけです。素問記聞と素問考の内容はほとんど同じなのですから、もし素問記聞が元簡の第一次素問講義(この表現が妥当かどうかは検討してません)の記録であるならば、素問考だってそうだと考えます。
もし素問考があくまで鼇城公観の著作であるとしたら、素問記聞は「桂山先生口授」ではなくて実は「公観先生口授」であるか、あるいはまた元簡の第2次素問講義の記録であってその講義は実は全く盗作であったということになる。そこまで元簡を貶める気にはなれません。
また、第2次素問講義の記録が素問記聞であったとしたら、原識素問とか素問識原稿とかいうのは一体いつ頃のものなのかという疑問が生ずると思うわけです。

つまりこれは鼇城公観抹殺論なんです。で、もしどこかに「鼇城公観の弟子の元簡」云々という確かな文言が有ったら、上述したことがらは全部根本的に覆ります。で、焦っているわけです。

より空想を逞しくすれば、
1790年以前の講座を実際に取り仕切っていたのは鼇城公観であった。ところが彼には身分、資格において欠けるところが有ったので、名義は多紀元簡の講座としてあった。それで出来のよくない事情に疎い学生は「桂山先生口授」と書いた。名義人の元簡が侍医に抜擢されると講座を維持することは困難となり、その機会に鼇城公観は素問考をまとめた。約十年後、1801年に侍医を辞してから、元簡は自身の講座を始め、鼇城公観の影響からの脱却を図る。その努力はそこそこ成功し、1808年には自著に序を書くところまでたどり着いた。
いくらなんでも「小説」でしょう。

左合昌美 11/15 08:57

987:[ 『素問識』 ]

『素問攷注』の自序のはじめには「〈劉桂山〉先生有『素問識』。已上梓。」とあります。この現在われわれが見ている『素問識』刊本と立之は区別するために「『素問識』原稿」「『素問識』原抄」という表現で刊行本とは異なる元簡の文章を『素問攷注』に引用しています。うるおぼえですが,このような断り書きがなくとも刊行本『素問識』と異なる文言が何カ所かあった記憶があります。(立之の写し間違いの可能性もあります。)
当然のことですが,元簡の『素問識』は,刊行以前に書写されて流布していたと考えられます。(刊行されたのは1837年ですが,自序は1806年。亡くなったのは1810年。)

『素問攷注』翻字者 11/14 20:56

986:[ 鼇城公観の自筆でしょうか? ]

『素問考』の繆刺論篇に、「是腰兪三字行文」と有ります。これは勿論「衍文」の誤りです。この三字を衍文と考えた人が、「行文」と書き誤るとはとても思えません。従って、オリエント出版社の影印が鼇城公観の自筆であるとすれば、誰かの論考を書き写したものでしょう。もし、自筆でないとしたら、鼇城公観の『素問考』を書き写した人が有ったことになります。不可能ではないけれど、そうしたことが行われていて、しかも誰も鼇城公観がどこの人かを知らないというのも不思議な感じがします。

それからもう一つ、伊沢棠軒の『素問釈義』には、「素問原識」(原識素問?素問識初稿本?)というのが引用されていたと思います。多紀元簡の『素問』講義の内容は、素問考=素問記聞→素問原識→素問識という流れではないかと考えるのですが、どなたか検討されたかたはいませんか。むかし少しは調べたはずですが、もう細かなところは覚えてません。もし、上の流れがそこそこ妥当であれば、元簡が侍医になる前の講義が素問考=素問記聞、侍医を罷免された後の講義が素問原識、それを整理して清書したのが素問識ということじゃないかと思います。

いずれにせよ、銭教授に指摘されて改めて、『素問識』成書についての考察が棚上げにされたままだなあと反省しています。

左合昌美 11/14 09:22

985:[ 『素問考』to『素問識』 ]

ソウルでの銭超塵教授との会話の中で、多紀元簡の『素問識』と金窪七朗の『素問考』の相似を指摘され、私はその件に関して以前に簡単な文章を書いたことが有ると言いました。実はその文章はPDF化して日本内経医学会のWEB上(左脇の「あの記事をもう一度」をクリックして入る)に公開していたのですが、ソウルのホテルのコンピューターではうまく開くことができませんでした。そこで、確実・簡単に開くようにするには、むしろHTMLに改めたほうが良いかと思いとりかかりました。ところが、最初にPDFに変換したときにセキュリティーを強度なものとしてあったらしく、テキストの抽出ができません。昔のことで原稿も紛失してました。それで、印刷してスキャナで読み取ってOCRにかけて、さらにHTML化しました。その課程で再びミスを犯しているかも知れませんが、以前の誤字は修正したつもりです。

ソウルの夜に、多紀元簡と金窪七朗と、どちらが老師であるか論争(私は酒が入っていたと思う)したんですが、皆さんはどちらだと思いますか。銭教授は「弟子元簡」という文言がどこかに有るようにおっしゃってましたが、私には見つかりません。

左合昌美 11/08 14:05

984:[ がんばって ]

左合さん、ご苦労様です。飲み過ぎないように。
---------------------
ありがとう
Thank you
隹「隹「
・黴€・呷慣・壱共
カムサムニダ(ありがとう)
---------------------
こんにちは
Hello
菴黴€好
・壱・﨑們┷・髏€
アンニョンハシムニカ(こんにちは)
---------------------
この掲示板はこんなのが書き込めるのがいいですね。

小林健二 11/08 01:13

983:[ 補足 ]

昨晩遅く帰ってきました。で、下の書き込みに補足します。
つまり原典研究で交流可能な国は、中国(香港、台湾も含む)と日本と韓国だろうと思います。その公用語はいやおうなく現代中国語になります。だから、今後はなるべく多くの人が、少なくとも現代中国語を聞いて分かるようになるのが望ましい。
さらに、韓国からの論文発表はやはり韓国語でなされるでしょうから、少なくとも何人かの韓国語を日本語に翻訳できる人材を発掘、養成する必要が有ります。
将来的には発表自体が、現代中国語で為されるようになるかも知れませんが、それを急ぐと研究自体の水準が、少なくとも一度は大幅に低下すると思います。

左合昌美 11/07 09:21

982:[ 大韓韓医学原典学会の国際学術大会 ]

今、韓国のソウルで大韓韓医学原典学会の国際学術大会に参加しています。中国からは王洪図先生、銭超塵先生ともう一人みえています。
その通訳の任にあたっているのは在韓の中国人研究者です。三ヶ国語を自由自在です。韓国語と中国語と、たまに日本語が飛び交っています。日本の若手にも韓国語ができる人が出てこないと、今後はどうにもならなくなりますね。
内容に関しては、何せ論文集の大半がハングルなので、帰国後にゆっくりと。


左合昌美 11/05 07:45

981:[ 神戸源蔵 ]

 4世神戸源蔵のアップ写真を、どこかで見ませんでしたか。ちょっと使いたいもので。

かいちゅう 10/11 21:25

980:[ 根津美術館 ]

 丸山昌朗先生の麻布の家というのは、根津美術館の近くに在ったと、石野尚吾先生が言ってました。それはそうと、南宋絵画展は根津美術館であったらしいが、なんとなく見逃していたんです。今回、こんな形で観ることができ、予想外の事態であり、なんだか嬉しいですね。
 以前に、横山大観展の隣に松永耳庵展がひっそりあったのを、大観はあまり感動しなかったから、その耳庵展に行ったら、これが良かった、ということがあります。
 いずれにしても、行ってみなけりゃ、始まらないのであります。亜東書店の通販で本を買うような感じです。

かいちゅう 10/11 21:23

979:[ 李白吟行図 ]

今年は実は、根津美術館でも「南宋絵画」展というのが有ったんです。
これにも行けなかったけれど、友人がわざわざ図録を手に入れて送ってくれました。
それによると、梁楷の「李白吟行図」は、もともと東京国立博物館蔵なんですね。
ひょっとすると、常時展示されているかも知れない。
貴重品だから、そういうわけにはいかないかな。
いずれにしても、予定外に良いものを見ると嬉しいですね。
展覧会を楽しむための秘訣に、一つ加えておこう。

神麹斎 10/09 22:34

978:[ 中国国宝展 ]

 神麹斎さんのアドバイスにしたがって、台風の本日、中国国宝展に行ってきました。それでもまあまあいましたよ。ガランとしているわけじゃないですね。明日はすごく混むのでしょう。ところで、仏像が多くて、僕にはあまり面白くなかったねえ。兵馬俑3体があって、それが感動的でした。50センチの間近でみることができて、どきどきしました。背中から腰にかけての線が写実的で、うっとりしてしまいました。
 ついでに、東洋館によったら、丁度中国書画展があり、こちらのほうが良かったですね。梁楷の李白吟行図があって、びっくりしました。こちらは、会期中にもう一度行かなきゃ。
 というわけで、神麹斎さんに感謝いたしております。

かいちゅう 10/09 20:02

977:[ ユニコード化 ]

中央研究院の漢籍電子文献が新しくなったのに気づいてました?
まだ十三経だけだけど、ようするにユニコード版になったみたいです。

神麹斎 10/09 16:38

976:[ 停止について ]

電源定期点検に伴い、UMINのすべてのサービスが停止されます。
まだ少し先のことですが、かなり長時間ですので予告しておきます。

停止日時
   10月23日(土)午前9時から午後6時
   10月24日(日)午前9時から午後6時半

管理者 10/06 21:28

975:[ 目から鱗 ]

「先ず経絡というモノは有りません」・・・衝撃的です。
しかし魅惑的な世界が開けそうな予感がします。
目から鱗とはこういうことでしょうか

益々お尋ねしたいことが湧いてきましたが、これから先はお誘いに甘えて「お茶の時間」の方にお邪魔させていただきます。
よろしくお願い致します。

辛臼歯 10/03 10:21

974:[ もう一言 念のために ]

「若干やばそうな」というのは、黄龍祥氏の著作のようにという意味です。(本当はそうありたいという願望にすぎません。)
そして誤解を恐れて言っておきますが、黄龍祥氏は異端でも何でもなくて、中国鍼灸界をになう中心メンバーなんです。彼の見解が今や、少なくとも表向きは、中国における正統です。
日本が遅れているんです。

神麹斎 10/02 18:38

973:[ 是動と所生をもう一度 ]

ちょっと誤解を招きやすい表現でした。本当はこういうことです。
先ず経絡というモノは有りません。それは施術と効果を結ぶ仮想の線です。(ますます誤解されそうですかね。)
つまり、腕踵付近の脈動(陰経脈については後に原穴として認識されるもの)が異常であれば、それから予測される病候というものは有りますよね。そしてその脈動の異常を是正できれば、その病候も治まるんじゃないかと期待されますよね。で、その診断兼治療点と病候が存在する部位とをつなぐ何ものかが有るはずだと考えた。これが経脈説成立の一つの柱だというわけです。で、こっちのほうで蓄積された病候群を「是が動じているときの病」という意味で、是動病と名付けた。
もう一方は、施術をしていれば当然ながら(主として)体表を流れる感覚というようなものが有りますよね。こっちのほうの経験の蓄積もやっぱり経脈説成立の一つの柱であって、そのように認識された流注に沿った部位に起こっている異常は、その脈を操作することによって治まると期待するわけです。で、こっちのほうで蓄積された病候群を「そこに生じる(産まれる)所の病」という意味で、所生病と名付けた。
こうしたことは経脈説構築の歴史の中でおこったことです。当然ながら両者を統合しようとする知恵者が登場します。最初は双方の病候を並べたわけです。では、新たに知られた病候をどうするか。結局のところ、その新しい病候を発見した人の是動病、所生病に対する認識に影響される。黄龍祥氏に言わせれば、馬王堆あたりでも既に誤解が生じているというわけです。

私の話は、一般の常識を踏み外す傾向が有りますので、若干やばそうな、逸脱を期待するような質問は、なるべくなら私の読書会の「お茶の時間」にお願いします。また私のWEBの他の頁もよろしく。http://plaza.umin.ac.jp/~linglan/

神麹斎 10/02 13:33

972:[ 是動病について ]

神麹斎先生の「お茶の時間」拝見しました。ありがとうございます。
丁度「経脈篇」を検討されているところで、図らずもタイムリー(?)に質問させて頂きました。
これからはついていけるかどうか分かりませんが「お茶の時間」も勉強させて頂きます(勉強しなければいけないことが増える一方です…)

是動病について経絡の流注とは違った視点から捉えられるとのこと。なるほどと思いました。
するとまた新たに質問させて頂きたいことが出てきました。
古代、経脈と臓腑が関係付けられる以前に、経絡の流注とも関係無く「経絡の病」という概念が存在していたということなのでしょうか。

大変関心があるところです。ぜひご教授お願い致します。

(『中国針灸学術史大綱』の和訳を一日千秋の思いで待望しております)

Mail 辛臼歯 10/02 10:25

971:[ 是動と所生 ]

黄龍祥著『中国針灸学術史大綱』という本をご存じでしょうか。
その第二部「経絡部」に「脉口病候与経絡病候」として是動病に関すること、「経絡病候的演変」として所生病に関することが述べられています。私自身はこの論述に最も魅力を感じています。
ごく簡単に割り切って言えば、是動病は脈口部(おおよそ腕踵関節付近の脈動であって、手太陰の脈動とは限りません)が動じているときに予測される病候です。所生病は、経絡流注上に出現する病候です。つまり、視点が違うという主張であると理解しています。
勿論、かなりの頁数を費やして論じている内容ですので、本当はこんなに単純に割り切ることはできないのでしょうが。それに黄龍祥氏は、馬王堆医書の段階ですでに本義を見失っている、という意見ですので、その後に追加された病候をどう評価するかも問題だろうと思います。
黄龍祥氏の主張に触発されて、より勝手なことをほざいている内容は、私の読書会の「お茶の時間」 にあります。

神麹斎 10/01 19:02

970:[ 再びご質問 ]

本談話室を遡って勉強していましたら是動病と所生病のお話がありました。(2002年7月)
浅川先生の「針師のお守り」が紹介されていて身近に感じたのですが、私自身は未だにきちんと理解できていません。
繰り返しになって申し訳ありませんが、再度この問題についてご教示頂けませんでしょうか。
私はもしかして「足臂十一脈灸経」の記述が後世「是動病」として継承され、「陰陽十一脈灸経」はその後の知見を「所生病」として付け加えただけではないのかと考えています。
「霊枢 経脈篇」では更に経験の蓄積によって得られた新たな知見を「所生病」の項目に追加していったのではないでしょうか。
こう考えると、両者に本質的な違いは無いという結論になってしまいます。
これは浅学故に恐れを知らず大胆(無謀?)に発想したことですが、諸先輩方のご指導・ご叱責を頂きたいと思います。
よろしくお願い致します。

Mail 辛臼歯 10/01 17:13

969:[ 混まない秘訣 ]

上海では、後に残った岩井氏と二人で、上海博物館へ行ってきました。
と言っても私の参観は、ほとんど平常の歩行速度でぐるっとひとまず回って、気になるものが有れば引き返すという方式です。岩井氏の方式も、大して違ったものじゃないらしくて、少なくとも一点一点熟視して、下手すると一々メモを取るというものでは無い。その点は嗜好が一致して好かった。
で、「気になるものが有れば引き返す」というのは混雑している展覧会では無理です。だから、蛇のしっぽにはつきません。もっとも、私の場合、これは展覧会に限らず、めし屋や呑み屋でも同じことですが。
混まない秘訣は有ります。行列には並ばない。これで自分が混雑に巻き込まれる心配は無い。もっとも、参観できないおそれが有るわけですが、こまめに前を通るしかないでしょう。私みたいに地方在住者はそもそも諦めています。在京者は頑張ってね。

「どうしてこんなに混むんだ!?」「おまえがいるからだ!」というのは真実だろうと思います。貴方の気が進まないときに敢えて行けば、少なくとも貴方とそっくりなもう一人分だけはすいている。

神麹斎 09/30 17:46

968:[ 中国国宝展 ]

 来週の火曜日から、東博で、中国国宝展が始まるようで、是非行きたいのだが、何時だったら混まないか、秘訣を教えてください。前に横山大観展に行ったときは、朝一番で並び、まあ中蛇くらいだったけど、帰りには長蛇の列になっていたので、時間帯によれば並ばなくてもすむかもしれないし、曜日によっては大いに差があるようなきがするのであります。

かいちゅう 09/24 18:25

967:[ 原文 ]

当代日本学者能螟沛n扈ヲn隸エ、写中文,特蛻ォ是能霑雛p莨黴€扈溯ッュ言学方法的不多,所以治学中更多地致力于古医籍版本源流以及其他宏隗u菇ハ的研究。
 希望的見地から訳してしまったのでしょうか。
 現代漢語にも堪能で、古代漢語の考据の学にも通じている、お若い方々の登場を切に望みます。

みろり 09/18 00:04

966:[ 沈貔鵠_『古医籍用字研究』から ]

日本では明治維新以後、中医文献研究は中断された。現代日本は現代文明の発達した国家となったので、古典書籍の研究者数は多くはないが、その経済力や有効な学術組織、個人の研鑽努力によって、その中医文献研究もまたかなり強い発展の勢いをあらわすようになった。それと同時に、日本に収蔵されている多くの古籍珍本も日本の学者の研究に有利な条件を与えている。現代日本の中医文献研究は、おおむね医史学界に属しており、学術上の分担は細分化されていない。重要な研究団体としては、日本医史学会・日本内経医学会・北里研究所附属東洋医学総合研究所医史学研究部・京都医学史研究所などがある。現代の中医文献研究に従事している主要な学者としては、小曽戸洋・真柳誠・島田隆司・篠原孝市・杉立義一・山田慶児・赤堀昭・宮下三郎・宮川浩也などがいる。専門の研究者以外にも、臨床のかたわら中医文献を研究しているものの数も少なくない。現代日本の学者には中国語を話し、読むことに熟練しているもの、特に伝統言語学の方法を運用できるひとが多いわけではないので、古医籍の版本源流やその他のマクロな研究により多くの力をいれている。また、日本の学者は研究の基礎作業となる索引の編集に力を注いでおり、多くの文献索引を編纂して、さらに進んだ研究にすぐれた基礎を構築した。総じて、現代日本の中医古籍研究は、文献形態の描写、文献内容の対比と前代の学者の成果の発見・整理・総括にかなり重きを置いており、言語文字の微視的な文献研究に従事しているものはどちらかと言えば少ない、といえる。

青いオレンジ 09/17 10:48

965:[ 沈貔鵠_『古医籍用字研究』から ]

日本は、明治維新以後、中医文献研究は中断された。現代日本では古典書籍の研究者数は多くはないが、現代文明の発達した国家として、その経済力や有効な学術組織、個人の研鑽努力によって、その中医文献研究もまたかなり強い発展の勢いをあらわすようになった。それと同時に、日本に収蔵されている多くの古籍珍本も日本の学者の研究に有利な条件を与えている。現代日本の中医文献研究は、おおむね医史学界に属しており、学術上の分担は細分化されていない。重要な研究団体としては、日本医史学会・日本内経医学会・北里研究所附属東洋医学総合研究所医史学研究部・京都医学史研究所などがある。現代の中医文献研究に従事している主要な学者としては、小曽戸洋・真柳誠・島田隆司・篠原孝市・杉立義一・山田慶児・赤堀昭・宮下三郎・宮川浩也などがいる。専門の研究者以外にも、臨床のかたわら中医文献を研究しているものの数も少なくない。現代日本の学者は中国語を話し、読むことに熟練しているが、伝統言語学の方法を運用できるひとがとりわけ多いわけではないので、研究には古医籍の版本源流やその他のマクロな研究により多くの力をいれている。また、日本の学者は研究の基礎作業となる索引の編集に力を注いでおり、多くの文献索引を編纂して、さらに進んだ研究にすぐれた基礎を構築した。総じて、現代日本の中医古籍研究は、文献形態の描写、文献内容の対比と前代の学者の成果の発見・整理・総括にかなり重きを置いており、言語文字の微視的な文献研究に従事しているものはかなり少ない、といえる。

みろり 09/16 23:57

964:[ 中国の翻訳スピードはやたらと速い ]

もうクリントン回想録が出ている。
でも、中国でどんなひとが読むのでしょう?
中国蝗セ荵ヲ网 http://www.bookschina.com/
当当网http://www.dangdang.com/book.asp

出たばかりなのに、値引率もかなり高い。

賀普仁先生の本も紹介しておきます。
BOOK800 http://beijing.book800.com/ から「科学邀サ」→「医学」→「中医」と入ってください。

理由はよくわかりませんが、中国のアドレスはころころ変わります。大学のホームページですら、そうです。
上の主頁もいつまで存在するかわかりません。

みろり 09/13 00:14

963:[ 『素問訳注』を注文された方々へ ]

 現在、増刷分について取り纏め中ですので、申し訳ありませんが、もう暫くお待ち下さい。完成次第、随時お知らせいたします。

 中国古典医学研究会 事務局

Mail 古医研番 09/07 11:41

962:[ ありがとうございます ]

初心者の質問に対して丁寧にお答え頂きありがとうございます。
みろりさんの『靈樞經新識』のお話や神麹斎さんの柔軟で奥行きのあるご指摘、大変勉強になりました。

当方、「現代語訳」素問・霊枢を読みこなすだけでも四苦八苦しておりますが、少しでも古典に親しみが覚えられたらと切望しています。
おそらくは私同様、初学者故に無言のまま本室のお話に手掛かりを求めている沈黙の愛読者も多いことと思います。
それら暗中模索の者にとって道を照らす灯火を掲げて頂いていることを感謝いたします。

また珍問奇問でお手を煩わすことがあると思いますが、今後ともよろしくお願いいたします。

Mail 辛臼歯 09/04 17:22

961:[ 気街 ]

私のはいつも異端邪説に類するんで、誰かすこしまともな解説をしてからと待ってました。

気街という詞は、内経のあっちこっちに出てくるわけですが、そしてそれらを統合して中医学の術語になっているようですが、本当は違うんじゃ無かろうか。つまり、あっちこっちでそれぞれの意味なんじゃ無かろうか。
先ず、『霊枢』動輸篇「夫四末陰陽之會者,此氣之大絡也。四街者,氣之徑路也。」ここは、気街じゃなくて四街ですが、まあ四つの気街のつもりでしょう。で、四末が四肢の末端で、気の大絡だというのであれば、四街のほうだって、四方八方に「気が流れゆく径路」ということでしょう。別に胸腹頭閭サの四つということにこだわることはない。(楊上善は胸腹頭閭サと言っているけれど。)邪気や大寒に遇って、陰陽の道、相輸の会のめぐりが悪くなった時に、外邪の侵入を遮断し、正気の流れを促し、四肢の末端(四肢とは限らず身体の末端だと思うんですが)の滞りを解きほぐせば、気の循環は回復すると言ってます。まあ一般論ですね。
それじゃあ、衛気篇に「胸氣有街,腹氣有街,頭氣有街,脛氣有街。」とあるのはどうしてくれるんだと言われると、答えに窮するんですがね、まあ、偶然か、あるいは動輸篇の影響か。(典型的な逃げ口上ですな。)これもあっちこっちに有る「気の街」という意味だと思うんですね。だから、胸では膺と背兪、腹では背兪と臍の左右の動脈、頭では脳、脛では気街と承山と踝の上下なんかがそれだと言うことになる。胸腹頭脛の四つというのは、まあ適当な数をあげて説明ということでしょう。
で、この脛の気の街の中に気街が有るでしょう。これがつまり内経の結構あっちこっちに出てくる気街穴です。(氣衝穴とも言いますね。『説文』で街は「四方に通達する道」、衝は「通達した道」。つまり、同じことです。)なぜ、気街穴に、「気街」という名を奪われたかと言うと(独占されたかと言うと)、結局それが一番そう呼ぶに相応しい箇所という認識からでしょう。だから辛臼歯さんの〈「経気が集まり、また拡散していく通路のようなもの」という意味であれば、四肢の付け根部分と考えた方が臨床的にも納得できると思うのです〉という感覚は正当なものだと思います。で、実際には四肢のでなくて下肢の付け根になったのは、経気の流れという観点からいえば、もともと下肢と上肢の間には、重要度に差が有ったということじゃないですか。経脈、特に陽経脈についての認識は、足からはじまったと思ってます。
「首の付け根」も、ということですが、本輸篇には首まわりの穴が重要なものとして出てきます。どうして廃れたかというと、昔の針では、やっぱり術者も患者も使うのがおっかなかったんじゃなかろうか、と。想像ですがね。

神麹斎 09/04 15:25

960:[ 霊枢 動輸篇の四街 ]

>四街とは頭、胸、腹、脛の4部位にある気街を指すとされています
 出典は『霊枢』衛気篇第五十二「請言氣街.胸氣有街.腹氣有街.頭氣有街.脛氣有街」。楊上善や馬玄台などは、ここによって「四街」を解釈しています。ただ、「四街者……」といっているわけではありませんから、衛気篇と動輸篇を関連づけない解釈も可能であろうと思います。

>「経気が集まり、また拡散していく通路のようなもの」という意味であれば、四肢の付け根部分と考えた方が臨床的にも納得できると思うのです。
 陳国印『靈樞經新識』中医古籍出版社2003年は『霊枢』動輸第六十二「夫四末陰陽之會者.此氣之大絡也.四街者.氣之徑路也」を「四肢の末端の陰陽脈の交会点は血気の連接するところであり、腋と股の部位の気街にも血気の通道がある」と訳しています。これなど辛臼歯さんの解釈に近いのかも知れません。
 気街=気衝穴でもあり、この穴は腹部にも属させることもできますし、辛臼歯さんの解釈のように股の付け根(鼠蹊部)ということもできます。

 ただ「街」という字は、基本義は「四辻、十字路」をあらわすのでしょうから、四肢の付け根とすると、二方向の通路のようなイメージがして、「街」とはそぐわない気がします。

みろり 09/04 14:21

959:[ 誰か応えて ]

下の58「気街についてのお尋ね」に、誰か応えてくれませんか?

管理者 09/04 09:16

958:[ 気街についてのお尋ね ]

初めて参加させて頂きます。
私、昨年鍼灸学校を卒業したばかりの駆け出しです。
私にとっては第二の人生、意を決して鍼灸院を開いております。
私と古典との出逢いは浅川要先生に師事したのが始まりで、開院直前の昨年4~6月(SARS騒動真っ最中)上海中医薬大学に短期留学してきました。
こちらの談話室の示唆に富んだお話を拝見させていただき、難しさに呆然としながらも啓発されているところです。

初歩的な内容で恐縮ですが、霊枢 動輸篇の四街についてお尋ねします。
四街とは頭、胸、腹、脛の4部位にある気街を指すとされていますが、臨床的なイメージとしっくりこないように思います。
「経気が集まり、また拡散していく通路のようなもの」という意味であれば、四肢の付け根部分と考えた方が臨床的にも納得できると思うのです。(さらには、プラス首の付け根で五街?)

気街について、その意味、部位、機能などがより具体的に古典の中で述べられているのでしょうか。
ご教示いただけたらありがたいです。
よろしくお願いいたします。

Mail 辛臼歯 09/02 15:56

957:[ No.54の「かいちょう」様 ]

はい。セットで無くても承ります。No.52に記載の項目とご希望の巻数を添えてメールして下さい。

Mail 古医研番 08/23 19:39

956:[ ]

会員の一人に寄贈された書籍です。著者は林螂ュ濬という人で、韓国医学に関するものらしいのですが、ハングルなのでよくわかりません。
http://plaza.umin.ac.jp/~daikei/images/book01.jpg

管理者 08/18 10:17

955:[ 墓参の写真 ]

 墓参の写真は、渋く写っていますね。各人、なかなかの人物のように写っています。カメラがいいようですね。
 来年は、3月あたりを考えています。余りにも暑すぎて。

かいちょう 08/12 22:05

954:[ 確認 ]

№52ですが、1号でも、2号でも申し込んでいいのですか。

かいちょう 08/12 22:02

953:[ 島田先生墓参写真 ]

8/8(日曜)暑い日でした。墓参ご苦労様でした。写真をどうぞ。帰りに9人で東松山の物見山まで行っておそばを食べました。

http://www.urawa.ne.jp/users/koba/photo/simadasensei/20040808bosan.jpg


http://www.urawa.ne.jp/users/koba/photo/simadasensei/20040808bosan_2.jpg

こっちは去年の写真です。この日も暑かったです。
http://www.urawa.ne.jp/users/koba/photo/simadasensei/20030810bosan.jpg

こばやし 08/09 00:12

952:[ 『素問訳注』(第1冊~第9冊)の注文方法について ]

 現在、在庫はほとんどありませんので、家本先生は「希望が多ければ増刷を考えます。」とおっしゃっておいでです。第7冊まで出版されていますが、8月中には第8冊が出版予定、第9冊の発刊日は未定です。

 中国古典医学研究会事務局へ下記の要領でお申込下さい。
  1、代金   1冊につき、1000円(送料別)
  2、支払方法 現金書留(宛先は本を発送する際に同封)
  3、締め切り 8月25日(水)
  4、申込方法 希望冊数・住所・氏名・所属する会などを記入して下さい。
         FAX 045 (312) 3808 又は Mail
         郵便  〒221-0825 横浜市神奈川区反町1-3-6 3F
                   中国古典医学研究会事務局
            いずれでも可(電話でのお問合せには応じられません。)

Mail 古医研番 08/08 12:19

951:[ 島田先生の墓参② ]

 「内経」155号の、墓参案内の日にちの訂正は№48の通り。ついでに、待ち合わせ場所も間違ってました。東松山駅(誤)ではなく、高坂駅です。よろしくお願い致します。

かいちょう 08/06 08:15

950:[ 停止の予告 ]

UMINのサーバ保守・ディスク増設作業に伴い、ホームページのサービスが一時停止されます。
停止日時:2004年8月15日(日) 午前9:00~午後17:00

管理者 07/30 18:42

949:[ リクエスト ]

はじめまして、かきぬまと申します。古代中國史を専門としております。このたび『説文解字』を研究材料として使用するに当たり、偶然この記事の存在をウェブ上で発見いたしまして、是非とも讀ませていただければと思った次第です。
027.03 連載 鍵詞新解 『説文』の讀若について 宮川浩也

Mail かき 07/28 10:24

948:[ 島田先生の墓参 ]

 島田先生の墓参は、「内経」の案内では8月10日(日)になってますけど、8月8日(日)9時が正しい。ヒル頃になるとすごく暑くなるので、早いけど9時が良策だと思います。

かいちょう 07/26 10:46

947:[ 今昔文字鏡 ]

今度の『中医臨床』に、小林さんが「今昔文字鏡」について書いてますね。
実は、私も最初期からの愛用者なので、紹介というか宣伝を。
先ず、良いことの第一は、なにせ10万字ですからね、使いたい字が無いなんてことはまず無い。
でもね、ここまでなら、フォントだけならWEBからタダでダウンロードできるんです。
そこで、「やっぱり紀伊国屋書店から出ている正規版を買いなさい」と力説する理由を一つ。
文字の検索ソフトが最高です。
文字の構成要素で検索できる。例えば「太衝の脈」なのか、「伏衝の脈」なのか、という議論が有りましたよね。現在では実は「伏」ではなくて、「人偏に大」というのが本当で、それは実は「太」の異体字だということになっています。で、そんな字が有るのか、パソコンで使えるのかということになると、「莠サ」と「大」を部品にして検索すれば、一発ででます。これはユニコードの拡張領域のAに有ります。ちゃんとユニコードとしてコピー、貼り付けが可能です。こんなことが出来るソフトは他に知りません。AtokもMs-IMEも、拡張領域までは無理だと思います。
拡張領域のB(約4万字)に相当する漢字も検索はできるけれど、肝心のユニコードとして利用するのは、流石に無理です。でも、個人で努力するつもりなら、「文字情報を見る」の欄に、自分でコードを書き込んでおくことは出来るんです。mojikyo_info.txtというのがその本体で、だから拡張子からも分かるように、普通のエディターで書き込み、修正が可能です。例えば、私は仁和寺本『太素』で使われている「肉月に呂」の情報として「exB:266D7」と書き込んでいます。
それはまあ、いくら単漢字10万字と言っても、実際には、我々のような文献を扱っていると、たまには無い字も見つかります。そうしたとき、請求して作ってもらうことが出来るのも、多分、正規版のユーザーだけだと思います。

神麹斎 07/23 21:55

946:[ 『素問訳注』入手方法 ]

 『素問訳注』の入手方法について、何人かの方から問い合わせがありました。
 家本先生は、基本的には販売するつもりはありませんでしたので、今後どのような方法をとるのか相談しております。申し訳ありませんが、しばらくお待ち下さい。

Mail 古医研番 07/15 20:09

945:[ 素問次註集疏 ]

 山田業広の素問次註集疏の翻字本が、郭秀梅らにより、中国学苑出版社から出ました。上下2冊で5000円(送料別)です。希望者は、本会事務局まで。
 学苑出版社からは、『素問攷注』、『霊枢講義』など、わが国の代表的な注釈書が出ています。伊沢棠軒の『素問釈義』も翻字出版の予定と聞いています。全部そろったら圧巻ですよ。

かいちょう 07/13 22:39

944:[ 「素問訳注」 ]

 僕も、「素問訳注」を第四冊?から、勉強させて頂いていますが、1~3冊が品切れだそうで、見ることができません。古医研番さんに折角書き込んでいただいたので、この場で入手方法なりを教えて頂きたくお願いします。

かいちょう 07/13 18:30

943:[ ヤマアラシ ]

 ヤマアラシの毛の説は、森約之の「九鍼図説」という文献に書かれています。神麹斎さんの言うとおり、毫鍼は細い鍼、員利鍼が強い鍼、という意味のようです。抽斎の説を約之が参考にしたのかもしれません。

かいちょう 07/13 18:27

942:[ ヤマアラシの毛 ]

ヤマアラシの毛のような針って、ひょっとして毫針じゃありませんか。『太素』は毫を豪に作っていて、豪には確かにヤマアラシという意味もありますが。
もっとも、毫針の毫は秋毫の毫で、極端に細いという意味だと、私は思ってます。
それとも渋江抽斎の員利針が「大如豌avの豌bヘ譁рノ作るほうが本当だという説に従い、また『説文』に「譁пC彊曲毛,可以箸起衣」というものがつまりヤマアラシの毛であるということなんでしょうか。

神麹斎 07/10 22:47

941:[ 家本先生と『素問訳注』 ]

 突然の書き込み、失礼いたします。
 遅ればせながら、私達の[中国古典医学研究会]もITに目覚め、最近になって“談話室”を見せて頂きました。過去ログNo.751、山本朝子様のご質問にお答えします。
 家本誠一先生の経歴については、昨年、医道の日本社から【間中賞】を受賞された際、『医道の日本』平成15年9月号に紹介されていますのでご覧下さい。
 昭和57年、私達は四谷の呉竹学園を卒業するにあたり、家本先生に素問・霊枢の講義を定期的にお願いしたい、という私達の希望に応えて頂き、[中国古典医学研究会]として発足しました。以来、80歳になられた今日まで、休むことなく毎月中国古代医学の講義を続けて下さっています。
 先生の御実家は薬局で、天井から下げられた漢方薬の袋を見ながら成長し、又、歴史少年だった小、中学生の頃には『史記』を読み、将来は扁鵲のような医者になりたいと考えていたということです。医学部卒業後は大学で病理学を研究され、開業後は内科医として、又、医史学者としての視点で、中国古代医学の研究を続けてこられました。
 『素問訳注』は現在、第7冊(骨空論篇第60)まで発刊されていて、間もなく全81篇、第9冊迄が刊行される予定ですので、多くの方々に読んでいただきたいと思います。

Mail 古医研番 07/09 19:57

940:[ 酒席の戯言 ]

員利針爪楊枝の説
初めて中国に言った際に驚いた事の1つが、「両端が尖った爪楊枝」でした。日本の楊枝のように鍼をもつ感覚で使うと指腹がチクチク痛いのです、なので横から抓まないと使えません。
 日本の爪楊枝に持ち手(上の方のくびれめ模樣)が付いたのは極最近で「ポッキリ折って箸置きのように使う為」と聞いた事があります。現在「くろもじ」等の高級品を除くと、メーカーを問わずほとんどのものに持ち手がついているようです。
 さて、鍼には「鍼柄」が必要なのでしょうか?『霊枢講義』を開くと「豌av字の解釈に手間取っているようですが、ヤマアラシの毛が豌bセとしたら鍼柄の無い中国つまようじのような員利針なんて説はいかがでしょうか?
 楊復生先生(鍼の作者)この掲示板を見ていたら、御返答お願いいたします。

尾乙蘭 07/09 18:46

939:[ ヤマアラシ ]

 発表の1週間前なんですが、スライドを作っていて、ヤマアラシの毛がないと、なんとも落ちがない発表になってしまうなあと、やや焦り気味に、ヤマアラシでしつこく検索しました。本当は、現物を手に入れたいんですが。前に、ヤマアラシの毛で作った釣りのウキがあるという記事を読んだので、近くの釣具屋にも行ったのですが、まあ、今風の道具ばかりで、期待はずれでした。マニアックな釣具屋があれば、あるかも知れません。
 いずれにしても、写真が見つかって、良かったですよ。
*この話は、さきの日本東洋医学会で、小生が「円利鍼」の発表をしたことから発展してます。念のために。

かいちょう 07/07 23:36

938:[ 円利鍼 ]

ヤマアラシの毛(写真?)はどうやって入手されたのですか?
スライドの背景がフローリング(若しくは木目調のビニール床材)だったので、個人蔵と思ったのですが…。
 かいちょうさん教えて下さい。

尾乙蘭 06/29 18:30

937:[ 沈氏の来日 ]

真柳です。
ちょっと用事があって談話室の覗きましたところ、南京の沈氏の話題があって驚きました。また彼から来た以下のメールに、出版されたら私に送ると言っている本のことが分かりました。

なお来年は日本学術振興会のシステムを使い、彼を14日から60日の期間、茨大に招聘して共同研究の申請を準備中です。来日したら内経学会で講演してもらってもいいでしょう。

真柳先生:
>   蛻嚶ヒ蜿送ケ一个函,不知蜿聡o没有。
>   我因系扈沐j坏,好久没有与菴黴€閨伯n了,抱歉!
>   5月6日我通霑∠ケ学位隶コ文答霎ゥ。隶コ文30多万字。在上海蠑€会譌カ我蟶ヲ去荳、本,分蛻ォ送扈剽ケ郭秀梅和左合昌美,林孝信君霑伜、告ァ了我的隶コ文霓ッ件。
> 霑剋溯ァ%棊ケ不少霑㈲事「曾隗*ハ的日本同行,隹・セ很痛快,听隸エ菴黴€在日本主持会隶ョ,没能来上海,很驕頼カ。
>   我的隶コ文将在近期出版,到譌カ再送菴黴€蜷ァ。
>   听梁永宣隸エ謔ィ将在下半年到北京隶ソ学,不知届譌カ有无隗*ハ机会?希望能隗¥縺B
>                  沈貔榊・
>                  04-05-25

Mail 真柳 誠 06/11 21:08

936:[ 能―態 ]

能-態
『史記窶「扁鮖椛q公列伝』:使聖人預知微,能使良医得早従事,則疾可已,身可活也。
 本篇は『史記』に出ており、「豸沿纒カ献」の一つと言える。本篇は中医院校の『医古文』教材中に在って重点な篇目になっており、歴代の『医古文』教材における本条に対する標点は上記のごとくであり、その源を遡れば、これは中華書局の標点に従ったものである。このような標点に従えば、前の両句の二つの「使」の用法は異なり、現代語訳に際しては「微」を名詞化(「微小な徴兆」と訳し、「徴兆」の二字は文義によって補う)する必要が有り、しかも後ろの短い語の中に同時に「能」「得」の二つの能願動詞を使用することになり、全体を読んだ時に「不順」という感じがする。按ずるに「能」は「態」の古字(『漢語大字典』が「通」というのは、妥当でない」)である。古代の文献中で「能」を「態」の意味に読むことは例がすこぶる多く、『素問』にもしばしば「病能」という詞が見える。例えば『素問・風論』:「願聞其診及其病能。」、『素問・厥論』:「願聞六経脈之厥状病能也。」また唐初の楊上善は『太素・諸風状論』に注を施して、「肝風状能有八:一曰多汗,二曰悪風,三曰喜悲,四曰面色青微,五曰咽乾,六曰喜怒,七曰憎女子,八曰所部色見也。」と言っている。この句の肝風の状態の描写でも、「能」は「態」と読むべきで、「状能」とは即ち「状態」である。これらに倣って、もし例に出した条の「能」を「態」と読めば、原文は:「聖人に微能〔態〕を預知せしめ、良医に速やかに従事せしめれば、則ち疾は已えることができ、身は活きることができる」となって、上に述べた問題は刃にしたがって解ける。「使聖人……」と「使良医……」の両句の形式は一致し、並列関係を構成して、両句の初めの「使」はいずれも仮設を表すことになる。「聖人」の「良医」に対するもともと不必要な使令関係(聖人は摂生にたくみであり、理論上はもともと医療を必要としない。良医は普通人のために仕事をする。しかもこの語句の前文では斉の桓侯が病を諱み医を忌むことが述べられており、聖人のこととは関わりが無い)は無くなり、二つのことをそれぞれ述べていることになって、原文はすんなりと理解できる。(沈貔鵠_『中医古籍用字研究―中医古籍異位字研究』より)

 沈貔鵠_氏が主張しているのは、「能」は能願動詞ではなく、「態」の古字であるということ。従って、標点は以下のようにすべきである。
 使聖人預知微能,使良医得早従事,則疾可已,身可活也。

 従来の標点だと、「もし聖人が微小な徴候を預知して、そのことによって、良医が早く治療にあたることができるようにすれば」(?)云々。なんだか苦しい。沈氏が言うように「不順」である。

神鮗エ齋 06/03 08:35

935:[ 中医古籍用字研究 ]

沈先生のこの本の参考文献に、
《素髣ョ考注》,日本・森立之著,日本内扈処繩w会、日本北里研究所荳恬m医学邵m㈹、究所医史学研究部共郛磨C1998年2月12日蜿総s。
《素髣ョ・轣オ枢諤サ索引》,小林健二、螳ォ川浩也郛鮪[,日本内扈処繩w会蜿総s,1993年5月28日初版第一刷蜿総s。
《〈扁鮖贋サ東シ黴€〉幻云注之翻字和研究》,日本北里研究所荳恬m医学邵m㈹、究所医史学研究部郛鮪[印行,1996年3月31日蜿総s。
が、掲載されております。
ちゃんと南京まで届いているのですねぇ。

闖薗| 06/03 00:02

934:[ 沈貔鵠_さんによる『史記』扁鵲傳末の訓 ]

通例、「使聖人預知微.能使良醫得蚤從事.則疾可已.身可活也」と句切られている。(聖人をして微を知らしめ、能く良醫をして蚤(はや)く事に從うを得しめば、……)

沈貔鵠_さんのよみ。
もし聖人 微能(=態)を預知し、もし良醫 蚤く事に從うを得れば、則ち疾 已ゆべく、身 活くべきなり。
「使」は、仮定をあらわす。
 『中医古籍異位字研究』より。

闖薗| 06/02 23:47

933:[ 単行本です ]

沈貔鵠_氏の話では単行本として出版されるということです。ただねえ、中国の話ですから、計画が持ち上がってから出版まで、頚を伸ばしすぎては肩が凝るかも。結構な厚さの本になりそうだし、売れっこ無いし。

神鮗エ齋 05/24 23:35

932:[ > 異位字 ]

神鮗エ齋さま、ありがとうございました。
「蠑hハ字」をググってみましたが、なにもひっかかりませんでした。沈先生の造語というのは、その通りなのでしょう。
沈先生の「研究」は、単行本なのでしょうか。雑誌発表では、入手困難かと存じます。

みー 05/24 23:21

931:[ 異位字 ]

なんだかよく分かりませんが、沈さんの作った術語のようです。
……表述の方便の為に、本文では古代と現代と一致した用字の情況を称して「正位字」と為し、古代と現代と一致しない用字の情況を統称して「異位字」と為す。本質属性からみれば、「正位字」とはつまり「規範字」であり、則ち「異位字」もまた「規範外字」と称しうる。……
まあつまり、論文の現物が無ければ詮索したって無駄ということです。出版をお楽しみに。

神鮗エ齋 05/23 20:53

930:[ 中医古籍異位字研究 ]

「異位字」ってなんですねん?

みー 05/23 17:26

929:[ 成果と残念だったこと ]

個人的には、成果は二つ。
一つは『太素』に関して日頃疑問に思っていることに関して、中国の学者から批判や反論を受ける機会を得たこと。勿論、今後の期待と言うことですが。
二つ目は、南京の沈貔鵠_氏とお近づきになれたこと。『中医古籍用字研究―中医古籍異位字研究』という論文を頂きました。近々出版されるらしいのですが、一足先に読めます。中国のことだから、三足くらい先に、かも知れない。
残念だったことは、書籍が思うように買えなかったこと。『黄帝内経太素校注』は影も形も有りませんでした。竜伯堅の『素問』『霊枢』の研究もです。

神鮗エ齋 05/22 21:51

928:[ 訂正と注釈 ]

上海中医学院(現在は上海中医薬大学)は、零陵路から張江高科技園区に移ってきました(と言うか、移りつつあります)。南開区は天津中医学院(これも現在は天津中医薬大学?)です。
大学の食堂の味に一番批判的だったのは、長春と北京の両位女士です。つまり、上海の料理はまずいという意味が若干含まれています。お国自慢ですね。かつての上海中医学院の留学生食堂の味を知っている私とか、世界を股にかけて放浪(?失礼!)旅行をした経験者などはおいしいと思っています。私が食べ残したのは、ほとんど体調の問題です。
私だけはちょっと長居をして昨日午後に帰国しました。まともな報告は元気を回復してから改めて。

神鮗エ齋 05/22 09:04

927:[ 医古文学会 ]

 本日、第13回医古文学会から帰ってきました。会場は、南開区から張江高科技園区に引っ越してきたばかりの上海中医学院ですので、その出来たばかりの会場で行われました。というと聞こえは良いのですが、人里離れたさびしいところに移っただけなのであります。というわけで、どこにも出られませんでした。なので、朝食、昼食は、大学の食堂で食べましたが、原点を確認したような味、といえば分かってもらえるかと思います。皆は、固くてまずいといいますが、僕は懐かしくて、うれしく食べました。最初に中国に行き、天津で食べたときのショックを思い出しました。傲っている気持ちに、活が入ったような気持ちでした。その後は、例の如く宴会料理で、2回連続でさすがにお手上げでした。膏梁の人になるのも大変ですね。
 参加者は、岩井、岡田、加藤、小林、左合、林、宮川(以上会員)、他に、郭、三浦、平馬、町。例の如く、郭女史には大変にお世話になりました。北京からは、梁副教授が来て、僕のつたない発表を通訳してくれました。
 参加者からは、おいおい報告があるでしょう。とりあえず、帰国の報告まで。
 

かいちょう 05/17 22:02

926:[ 相模ナンバーは「すもう」と呼ばれます ]

 横浜市立図書館の検索システムが変わったので、試しに「森立之」と打ってみましたら『長沢先生古稀記念圖書學論集(昭和48年・長沢先生古稀記念圖書學論集刊行会・三省堂発行)』所収の「清客筆話ー森立之と楊守敬との筆談ー(原田種成)」というのがヒットしました。大分以前に小曽戸先生からその存在は聞いていたのですが、活字化したものが出版されていたとは知りませんでした。A4サイズでコピーをして20枚です、必要な方はメールにて御連絡下さい。
 ちなみに、横浜の図書館には「遊相醫話」が郷土資料コーナーに有ったりするので、森立之と些かの縁があります。
ところで『月刊しにか』が休刊になってしまいましたね。値段が少しづつ上がり始めた際に「ひょっとして…?」と思ったのですが(TAOの時もそうでしたから)やっぱり休刊してしまいました、とても殘念です。

Mail 尾乙蘭 05/08 15:41

925:[ 「太素を読む会」のその後 ]

「太素を読む会」を発足させてから約一ヶ月、活発というか低調というかちょっと微妙です。
問題提起のほとんどは私です。本当に考え込んでいる問題も有るけれど、誘い水も有ります。その誘い水に結構良い反応が有って、結構満足です。活発です。ただ、その反応者がいつも特定の人なんですね。これがちょっと残念です。だから低調とも言える。
もっともっと初歩的な質問がくればなあ、と思っています。そして、もっともっと危うい思いつき的なコメントを期待します。訂正してくれる人はいる、と思います。訂正される人が不足です。

神鮗エ齋 05/06 08:05

924:[ 太素を読む会 ]

太素を読む会(グループ)の掲示板をツリー型に変更したのにともなって、URLも変更しました。
http://plaza.umin.ac.jp/~linglan/cgi-bin/dutaisu.cgi
で、相談なんですがね、その掲示板はCJK統合漢字拡張領域Bまで、約7万の漢字を使用が(一応)可能なんです。つまり、『太素』に使われている字は(一応)全部使えます。ただし、フォントの用意が無ければ欠けます。どうしましょう、拡張領域Bの使用を解禁しましょうか。ちなみに現在は拡張領域Aまでです。これでもフォントの準備が無ければ欠けることが有ります。ただ、このフォントは比較的簡単に入手できる。

神麹斎 04/13 13:16

923:[ Re:英訳 ]

会長殿

ありがとうございます。貴学会は本当に有能者が多く
素晴らしい!!! の一言です。感謝、多謝

真柳 04/05 00:14

922:[ 英訳 ]

 本会の望月義弘さんを紹介します。やってくれるかどうかは、責任もてませんが、適任かとおもいます。アドレスは、個人的にお教え致します。
 前にも、横田観風先生からもおたずねあったのですが、そのときは、望月さんを思い出さなかったのですが。

 かいちょう 04/03 10:35

921:[ お知恵を ]

茨城大の真柳です。高尚な訓詁の話題が続いているところに、下世話な話ですが、お知恵を拝謝いただけますか。

本日、台湾の李建民さんから手紙と彼の論文別刷(荒川緑さん訳)「考古学上の発見と任脉学説の新認識」が届きました。

彼はこの論文を来年夏頃にミュンヘン大のウンシュルトさんが停年記念に開催する中国医学史の国際会議で英文発表の予定ですが、内容が内容だけに台湾では翻訳者が見当たらないとのこと。それで日本で荒川さん訳から英訳できる人はいないかとのことです。むろん李さんは翻訳料も払うとのことですが、この内容では私も英訳者の見当がつきません。

内経学会ならばお知恵拝謝ができるかと思い、書き込んだ次第です。もし適任者いましたら私宛にメールででもご連絡いただけますでしょうか。

もし日本に適任者がいない場合は、ウンシュルト氏にお願いし、ドイツで中文から英文に翻訳できる人を紹介してもらうつもりです。

Mail 真柳 04/01 19:58

920:[ 太素を読む会 ]

太素を読む会(グループ)専用の掲示板を設置しました。
http://plaza.umin.ac.jp/~linglan/cgi-bin/taisu.cgi

神麹斎 04/01 00:06

919:[ 言いたかったこと ]

ところで「豸・ケ俟水厓冰義當凝也」の「冰」字らしき右下に朱点、右傍に「ソ」と書いてあるけど、どういう意味なんだろう。朱点は、ここで区切ったという意味なんだろうけど。とすると、「水厓」と読んだのだろうなあ。

 かいちょう 03/26 08:27

918:[ あのちょっと ]

あのちょっと違います。
楊上善が言いたかったのは、古典的知識では①豸・∞A水厓水(或いは也)なんだけど、ここでは違うよ③義當凝也だよ(ここでの意味は凝だよ)、ということだと思います。凝滞するのは流体であるとか、個体ではないから岸ではないとかいうのは、この際関係ないけど、つまり楊上善自身が、かいちょうと同じような感覚にもとづいて古典的知識を否定しているわけです。
冰と凝が異体字の関係にあるのを知っているなら、「冰義当凝也」という注釈を書かなかったのではないだろうか、というのには賛成します。だからちょっと苦しいけど「水厓也」なんじゃないか、というわけです。でも、少なくとも抄者はそうは思ってない。

こうしてぐだぐだやってますが、実際にはどういうことかと言えば、森立之の豸・ヘ凝の右の部分が欠けたものに過ぎないという意見が正解だと思います。ただ、そのことに楊上善がそもそも気付いてない、らしい。でも流石に直観的に意味は凝のはずだと言い当てている。

神麹斎 03/25 22:20

917:[ またひつこく ]

 被釈字は「豸・vでしたね。被釈字という使い方を間違いました。言いたかったのは、①豸・∞A水厓水=③義當凝也、であるからには、凝滞するのは流体である「水厓の水」であり、固体である「水厓」(岸辺)という場所ではないから、やっぱし、「水厓水、義當凝也」だろう、ということ。
 楊上善は『説文』によって冰と凝が異体字の関係にあるのを知っているなら、「冰義当凝也」という注釈を書かなかったのではないだろうか。「冰正凝俗」か、「冰俗凝也」とか書くのでは?

かいちょう 03/25 20:24

916:[ 豸・`當凝也 ]

「義當凝」の被釈字は「豸・vです。
巻28の諸風数類に「衛氣有所豸・ァ不行」とあり、楊上善注に「豸・`當凝也」(28-05-7)と言ってます。
また、冰と凝はもともと同じ字でしょう。『説文解字』十一下に、凝は俗冰とあります。

神麹斎 03/24 23:25

915:[ ひつこく ]

 「豸・ケ俟水厓水義當凝也」を区切れば、やはり「豸・A音俟、水厓水、義當凝也」だろう。「義當凝」の被釈字は何かと考えれば「水」しかないだろう。凝滞している水の流れとおなじように血液も凝滞している、と解釈したところなのである。「水厓」は水辺の意味で、凝滞しているのは水辺の水である。「水厓水」という訓詁は見えないけれど、楊上善が作り上げた訓詁だと考えられる。「水厓也」も悪くはないけれど、発展しすぎか。「氷」では、凝固の意味になるので、血流の悪さを形容するには不適当なのではないだろうか。

 かいちょう 03/24 22:11

914:[ 豸鬆€ 水厓也 ]

う~ん、豸・ニ冰が異体字というのはどうなんでしょう。音義ともに違うように思いますが。
氷と冰は異体字ですね。氷・冰と凝は微妙なところ、というか異体字であると主張している場面は有るような……。
今のところの推測としては、本来は「豸・B音俟。水厓也。義當凝也。」(豸・フ音は俟で、意味は水厓である。ただし、ここでは凝の意味に理解すべきである。)と有るべきものが、也の字が、何らかの事情で、水もしくは冰に紛れる字形に変わり、そこで抄者が四苦八苦しているんじゃないかと思うんです。だから、仁和寺本に抄者がどう書いたつもりかには、カラー写真によって大いに近づけるけれど、本来どうだったかにはまた別の考察が必要だと思います。つまり「訓詁学を越えた何らかの方法」が必要だと思うわけですが、うかつに越えようとするのは危なっかしくてしょうがない。宮崎市定先生もおっしゃっていたと思いますが、重箱の隅をつっついて然る後に飛躍する、ということでしょうね。

神麹斎 03/24 21:52

913:[ 水ではなく、冰としたらどうでしょう ]

「豸・フ音は俟で、(意味は)水厓です。(豸・ヘ)冰(とも書きます/の異体字です)。(意)義は當に凝とすべきです」
さて、「厓」の右傍のカタカナのような文字?は、なんと読みましょうか。「厓」の訓の一部でしょうか。
ノ・ソ・ワ?

みろり 03/24 20:54

912:[ 太素を読む会Ⅲ ]

「太素を読む会」の旗揚げを宣言したところで、実際に読み始めるのは、結局カラー写真が手に入ってからだろうから、かいちょうの言うとおりですね。ただ、会がすでに存在していたほうが交渉しやすいのかなと思ったので。

「豸・ケ俟水厓水義當凝也」の区切りかたは、「豸・A音俟、水厓、水義當凝也」だろうと思うんです。これは『説文解字』が「水厓也」だからというのが理由です。崖じゃなくて、崖の水であるべきという説も知らないんですが。ただ、「水義當凝也」を、水は意味から判断すれば凝と理解すべきだ、という意味だとすると、水では困る氷であってほしい、しかし、水にしろ氷にしろどこからそんな字が出てくるんだ、とまあ千々に心乱れるわけです。本物を見れば、あるいは少なくともカラー写真を見れば、少しは解決に近づけるかなと。(今のところ、かいちょうが言うような、「水厓水」とする『説文解字』が有るのが一番すっきりするかも。でも、そうすると影印の水の左脇のヒもしくは冫は何だろう。)

『太素』をしつこく眺めること自体は、「太素を読む会」が存在しようと存在しなかろうと、日常的にやっているわけで、準備はおさおさ怠り無い。でも、もし「太素を読む会」が存在していれば、上の様な例について、かいちょうとも意見の交換がしやすいかなと。

神麹斎 03/24 12:16

911:[ 太素を読む会Ⅱ ]

 「豸・ケ俟水厓水義當凝也」を区切れば、「豸・A音俟、水厓水、義當凝也」となり、豸・ヘ、岸辺の水という意味で、そのこころは凝滞である。「水」の出所はわからないが、楊上善らしく、文脈を案じて付加したものだろう。と、僕は考えた。
 ここをどう読むのか、太素についているオコト点を調べれば分かりそうである。というわけで、カラー版が重要なのである。から、オリ社から出ているなら、なんとか入手するようなことを考えたい。立ち上げは、その後じゃない?

 かいちょう 03/24 09:04

910:[ 太素を読む会 ]

太素のカラー写真を見たからと言って何でもかんでも解決するというものではない。でも幾つかの疑問は解けるのではないかと思う。例えば巻2調食「血氣與鹹相得則血豸・vの楊上善注「豸・ケ俟水厓水義當凝也」。
豸・ヘ、『説文』に「水厓也」とあり、『霊枢』は血豸・ェ凝に作られるのであるから、岸辺から転じて限界、さらに凝りかたまるという理屈はわからないでもない。(保留付き。)問題は、「水義當凝也」の方である。『説文』に、「冰,水堅也」とあり、凝は冰の俗という。してみると、「水義當凝也」でなく、「氷義當凝也」である可能性が有る。水の左にヒとあるように見えるのも、ヒョウと読めということかも知れないし、冫なのかも知れない。しかしそれでは、冰あるいは氷の出所が分からない。
カラー写真を見れば、取りあえず水の左に有るのが冫(にすい)なのかカタカナなのかはたぶん分かる。それだけでもいろいろ考えるのに大きな助けになると思う。
カラー写真、どこかで借りられるといいね。それとも先に「太素を読む会」を立ち上げて、借り出し工作の母体にしましょうか。

神麹斎 03/21 13:20

909:[ 古典の手順 ]

 古典を読むには古注を丁寧に読む込む、これが最初になすべきことなのである。そんなこともしないで、「吾、嘗て終日食らわず、終夜寝ねず、以て思う。益なし。学ぶに如かざるなり」とは、良く言ったもんだなあ。
 というわけで、例の、カラーが入ったら、太素を読む会、を始めましょう。かつて、素問を読む会、というのがありましたが。

 かいちょう 03/21 08:53

908:[ 蔵血≠蔵血液 ]

肝には全身の血液を貯蔵するだけの容量は無いだろうけど、全身の血を蔵するだけの能力は有る。と言うのはつまり全身の血を制御することが出来ると言うことだから、別段、かいちょうの言っていることとそんなに違うとは思わないけれど、肝は魂を所蔵しているところだから、そんなところに、血をしまい込んでおくとは考えられない、とは全然思わない。魂を蔵するのと血を蔵するのは全く等価だと思う。魂を蔵するところが血を蔵することに抵抗感が有るのなら、神を蔵するところが蔵するのは如何。
大体が眠るときには血は肝に帰すと言ったって、全身の血液が肝にしまい込まれると言っているわけじゃない。寝ている人に斬りつけたって、やっぱり出血することぐらいは古代の人だって知っていただろう。
それから、訓詁の正体は、「脾蔵肉者、脾主於肉」から「蔵、主也」を抽出するようなことだから、たまたま訓詁書に採録されているかどうかの問題に過ぎないところが有る。(その箇所における解釈が、どの場所にでも通用すると誤解しがちである。)肝蔵血とか肝蔵魂とか、あるいは脾蔵肉とか脾蔵営の解釈に於いては、確かに蔵は、かいちょうの言うとおり、制御するという意味であってもおかしくはない。昔の訓詁書からピースを捜し求めてジグソーパズルの完成に四苦八苦するのは滑稽かも知れない。ただ、医書の側から訓詁書を作っても、方法論が同じで材料が違うだけだったら、新たなピースをこしらえるだけだったら、結局は同じことではないか。訓詁を脱却して「古医書を資料にした現代的あるいは科学的詞義学」くらいのことは言わないとね。
少なくとも、例えば、蔵の原義はやっぱり「かくす」なんだろうから、「しまい込む」から「出納を管理する」わけで、だから結局「制御する」ことになるわけで、そういうことから無関係に、どのような制御かを棚上げにして、「制御する」と言うわけにはいかないと思う。(まあ、あんまりピッタリとした例ではない、と我ながら思う。)

神麹斎 03/21 00:57

907:[ つづきⅡ ]

 五蔵は神聖な入れ物であり、肝でいえば魂を所蔵している。そんなところに、血をしまい込んでおくとは考えられない。やはり、肝蔵血を、肝は血を制御していると読みたい。夜に、血が肝にあつまって云々、というのはどこかに書いてあるんだろうけど、全身の血を入れられるほどの容量があるんだろうか。
 というわけで、訓詁の限界というのを少し考えている。伝統的訓詁は医書をあまり当てにしていないから、医書側からの訓詁を作ってもいいのかも知れない。その材料として、楊上善注が最適だろう。『太素』を丁寧によむことが、こうした大きな意義を持つなんて、楽しみだなあ。

 かいちょう 03/20 23:13

906:[ 蔵する者が管理する ]

なるほど「藏,主也」という訓詁は、漢語大詞典にも載ってないけれど、考えてみれば書を藏していれば、それを人に見せようが貸し出そうが、あるいはいっそ処分しようが、藏している者の勝手であって、つまり管理しているわけであり、乃ち主どっているわけだ。肝藏血というのもやはり血の出納を主どっているわけで、文字の上ではしまい込むと言っても、結局はしかるべきときには出すわけで、また言い換えれば、血の活動性を制御しているのであって、別に血液の循環を主どると言っているわけではない。循環を主どるほうは、つまり藏脈と言っている。

神麹斎 03/19 21:57

905:[ つづき ]

「脾蔵肉者、脾主於肉」だとすれば、「蔵、主也」という訓詁が成立するけど、そういう訓詁はかつて在らず。いずれにしろ、「蔵、主也」であれば、本神篇もすっきり解釈できるわけです。「心蔵脈」を単純に考えれば、心の中に脉管が一杯詰まっていることになるわけである。やはり、心は脉を制御している、と読みたい。

 かいちょう 03/19 18:08

904:[ 試訳 ]

脾藏肉者,脾主於肉,故曰藏肉。非正藏肉,脾於營以為正也。脾藏營,營以舍意及智二神。以脾營血穀氣最大,故二神舍也。

「脾藏肉」とは、脾が肉を主るので、「(脾)藏肉」というのである。正しく/正確には「(脾)藏肉」いうのは誤りである。脾では、「(藏)營」とするのが正しいと思う。脾は營を藏し、營は意と智の二神をやどす。脾では營血と穀氣が最大なので、この二神をやどすのである。

midori 03/18 19:20

903:[ 肝藏血 ]

『太素』巻24虚實補寫(『素問』調經論)の楊上善注は、『靈樞』本神の、
 肝藏血,血舍魂,肝氣虚則恐,實則怒。
 脾藏營,營舍意,脾氣虚則四支不用,五藏不安,實則腹脹,經溲不利。
 心藏脉,脉舍神,心氣虚則悲,實則笑不休。
 肺藏氣,氣舍魄,肺氣虚則鼻塞不利,少氣,實則喘喝,胸盈仰息。
 腎藏精,精舍志,腎氣虚則厥,實則脹。
と關係するわけだろうが、脾藏肉と脾藏營の違いが氣にくわないとみえて、
【脾藏肉者,脾主於肉,故曰藏肉。非正藏肉,脾於營以為正也。脾藏營,營以舍意及智二神。以脾營血穀氣最大,故二神舍也。】
などとくどくど言っている。
本當は、心藏神と心藏脉、腎藏志と腎藏精だって違うけれど、こっちはあまり氣にならなかったらしい。

藏はおそらくもともと「とりこんで、かくす」というような意味で、倉庫に蓄えるのとは少しニュアンスが違うんじゃないか。だから、古人は夜になると血が肝に藏されてだから眠れる、という具合に説明する。

藏と舍は大して意味は變わらない。實は心藏脉脉舍神を省略して心藏神、腎藏精精舍志を省略して腎藏志と言ったって大して變わらないんじゃないか。ところが脾藏營營舍意をどういじっても脾藏肉にはならない。そこでくどくどと……。

神麹斎 03/18 16:19

902:[ ]

 楊上善先生には頭がさがります。つまり、蔵は収蔵の意ではなく、主治、制御の意なのです。肝は血を蔵すは、肝は血をコントロールするという意味で、こうであれば納得がいき、安心しました。
 ところで、「非正蔵肉」は、どういう意味なんでしょう。「ただに肉を蔵するにあらず」「つねに肉をするにあらず」、なんか難しいですね。

 かいちょう 03/17 09:01

901:[ 主於○,故曰藏○ ]

『太素』巻24虚實補写「脾藏肉」楊上善注云:脾藏肉者,脾主於肉,故曰藏肉,非正藏肉。

神麹斎 03/16 18:52

900:[ 肝は血を蔵す ]

「肝蔵血」は、普通には、肝は血を蔵すと読んで、肝は血を収めて(中にいれて)いるという意味に解釈している。出典は、『素問』調経論篇の、「心藏神.肺藏氣.肝藏血.脾藏肉.腎藏志.而此成形」である。が、脾に肉が収めてあるのだろうか? 本当に肝には血が入っているのだろうか? 血といえば、心の方が適役ではないか?
 というわけで、「肝蔵血之氣」「脾蔵肉之氣」という意味で、肝は血のはたらきを管制するところであり、血の格納庫ではない、というのが結論なのです。
 諸子のご批判をこう。 

 かいちょう 03/16 18:19

899:[ カラー版太素 ]

 50万円とはすごいですね。買ってくれそうな学校か研究所を探してみましょう。そうしたら、太素研究会を作り、最初から、最後まで、きっちり読んでみましょう。

 かいちょう 03/13 08:22

898:[ ウイルスチェック ]

去年の暮れ頃からまたウイルスが蔓延してませんか。
今年に入ってからしばらくおとなしかったんですが、ここのところ一週間ばかりは連日です。
実際にはUMINウイルスチェックサーバーが駆除してくれていますから、何も被害は有りません。多少煩わしいだけです。直ちに全てをゴミ箱行きにしてます。
ただ、ときどきメールアドレスから明らかに針灸関係者と思われるものが有ります。それでひょっとしたら何か質問を寄せたけれど、返事をもらえないと思っている人がいるかも知れないと気付きました。
返事が無くて不審に思われたかたは、一度ご自分のコンピューターシステムの完全スキャンを行ったうえで、改めてメールしていただくようにお願いします。原則として、ご質問を無視することは有りません。

神麹斎 03/09 09:27

897:[ カラー版太素 ]

その昔、『太素』を影印した出版社でカラー・マイクロ・フィルム版を販売したようです。全18巻、総638コマ(明堂とも)販売価格50万円。
どこか所蔵するところがあれば・・・。

つる 03/05 21:14

896:[ 太素の夢 ]

 実は、太素に関して、カラー写真で読みたいという、夢があるんです。是非、すみから隅まで、オコト点や傍注まで、読み尽くしてみたいのです。そのカラー写真はどうしたら入手できるんでしょうね。
 神麹斎さんがリーダーで、あと3、4人、でどうです。

 かいちょう 03/05 12:00

895:[ 黄帝内経太素校注 ]

やっと東方書店の新刊予告にも載りましたが、以前の情報とは違いますね。
出版年月は2ヶ月遅れの今年の2月、値段は3600円と有りますが、上下と言うことなので各巻3600円なら以前の情報と大差は無い。

それにしても、「《蕭延平本》を底本とし、校注を付す」ということなんですが、どうしてなんですかね。当たり前なら、仁和寺本影印を底本にして、蕭延平本を参考にするのが本当だと思うんですが。

まあ、あと数ヶ月で、日本でも入手出来るでしょうから、詳しくはそれからということで。

神麹斎 03/01 11:45

894:[ 五里 ]

多分、誰も記憶してないから大丈夫だと思いますが、1月の研究発表会で、「刺入六分、灸五壮」と言った五里は、問題の禁刺の臂の五里ではなく、足厥陰の五里でした。同名異穴を取り違えました。お詫びして訂正します。

左合昌美 02/08 21:40

893:[ 思考の言語 ]

松田さんの
> われわれの思考や理念や行動は、言葉によって構築せざるを得ず……
で、『図書』1月号に載っていた、竹内信夫氏の「空海、リンガ・フランカの詩人」を思い出しました。
> 空海の思考、空海の文章は漢語、つまり彼にとっても、また勿論日本人にとっても、外国語である漢語で、漢語を用いて行われる。漢字の外に思考の世界も文章の世界も存在しない。

空海の思考が漢語によってなされたどころの騒ぎではなくて、日本人の(あるいは東方世界の)あらゆる(少なくとも普遍性をめざす)思考は須く(文言)漢語によってなされてきたのではないか。日本人が日本語(の口語)で思考するようになったのはいつ頃からなのだろうか。そして、それは本当に良いことだったのか。

安藤昌益は日本人の話し言葉で思考していたのだろうか。

神麹斎 02/07 11:51

892:[ 引退について ]

 先輩の引退のほとんどは病気か死亡です(知っているかぎりは)。自発的に引退するとすれば、僕ならば、子供が巣立った時点を考えています。でも、この巣立った時点というのも難しのであります。長男は大学生ですが、その卒業後というのも巣立った時点ですが、さらに進学されたら先延ばしになります。現実的には、3番目の子供が4月から高校生になりますが、彼が大学を卒業したころ、つまり7年ののちに、55歳になりますが、臨床を辞めて、古典一本に絞るのもいいかと考えています。それでは収入がなくなるので、それまでに非常勤講師の口を確保しておかなければなりません。
 こんなことを考えているわけですが、自分で引退するのは難しいですね。
 

 かいちょう 02/07 10:53

891:[ 衆人謂如鬼神 非鬼神也 ]

松田さんの内経学が老荘学派を目指すなら、私はどうしようかな。さしずめ科学派と言いたいところだけど、絶対誤解されるから、非・非科学派とでも言っておきましょうか。
内経の読解に道教の思想が必要とは、よく言われることですが、本当ですか。
「これを視れども見えず、聴けども聞こえず、故に鬼神に似る」とか、「来るところ微細にして、視聴するとも知り難し、衆人は鬼神のごとしと謂えども、鬼神には非ざるなり」というのは、道士の迷信に対する医家の悲鳴のように私には聞こえます。

そういえば、最終解脱したとか言う人がそろそろ結審しますね。現代科学では理解できないことを理解した、とか言ってませんでしたか、あの人たち。

神麹斎 02/07 08:27

890:[ Re:松田さんのその後 ]

かいちょうさんから、晴天の霹靂とも言うべきご質問です。いやおうもなくニュースを追い、雑事の合間に鍼灸について学ぶという私の、つらかった立場を、ようやく変えることができます。もっぱら鍼灸について学び、考えることができます。これは、喜びです。

内経学について語れば、考証学派の向こうを張って、老荘学派をでっち上げようかな。老子を口を極めてこき下ろした安藤昌益ですが、中国の研究者は、老荘学派に数えています。ぼくは、昨年、昌益の文章を久しぶりに再読して、とても気に入った言葉に出逢いました。「失(あやま)りによって、失まりを正す」というんです。われわれの思考や理念や行動は、言葉によって構築せざるを得ず、それは必然的に間違いを含む。思考すること、理念を持つこと、行動することは、それが正しく思えるときでさえ、誤りによって誤りを正している行為なのだ。

医療もまたそうだ、という気がします。ひとを癒やすことを、無条件に正しいなどと言えないわけです。自然の摂理というものがあるとすれば、医療はそれに反する人為ですから。毎日、こういう妄想を紡ぐ時間を持てるなんて、快楽です。その中で、やがて人生の引退の時を見いだしたいものです。

Mail 松田博公 02/06 19:28

889:[ 引退 ]

久々のアップです。
かいちょうさんは、鍼灸師の引退(治療家としての引退です)についてどう思いますか?
定年のない仕事なので、自分で何処かで線をひくしかないのは
わかっています
身の回りに上手く引退したモデルがいません。
かいちょうさんの周りには、いいモデルがいますか?
ひさびさのアップが変な問題になりました。
松田さんへの質問をみてふと質問したくなりました。

ふの字 02/06 14:10

888:[ 松田さんのその後 ]

 こんなところで何ですが、松田さんは退職後、何をやりたいと思っていますか。日本の鍼灸を静かに観てきたジャーナリストが、フリーになった時に何をするのか、とても興味がありますねえ。

 かいちょう 02/05 23:07

887:[ 松田さんの発表論文(PDF) ]

日本伝統鍼灸学会(18号)
1991年(平成03)04月発行
【安藤昌益における古典の一考察】
http://www.urawa.ne.jp/users/koba/database/andousyoueki.pdf

松田さんの許可無くアップしてしまいました。申し訳ないです。
PDFでアップしてありますからMacintoshでもWindowsでもアドビのアクロバットがあれば見られます。

こばやし 02/01 10:31

886:[ 安藤昌益 ]

現在の医療と社会の状況の中で、江戸の医師、安藤昌益をふり返ってみたくなり、在野の研究者に会いました。昌益は道三の系譜を継ぐ味岡三伯の弟子であったと考えられています。長文をお許し下さい。

インタビュー「安藤昌益生誕300年」
◎しなやかな生命の思想家 
 草の根の研究活動続く 
石渡博明さん(昌益研究家)

 <二○○三年は、江戸の幕藩体制下で人間の平等と平和を唱えた独創的な思想家、安藤昌益の生誕三百年に当たる。三十年間の昌益ファンとしての歩みを「昌益研究かけある記」(社会評論社)にまとめた>
 9・11の惨劇以後の状況の中で、昌益のことを思うんです。平和や人権というと、日本人は外来の西洋的な思想と考えてしまいがちですね。でも、そうじゃないです。江戸幕府による思想統制が貫かれていた東北の八戸で、昌益は「我が道に争いなし、吾は兵を語らず、吾は闘わず」と唱え、支配者による侵略政策をことごとく批判しているんです。
 神功皇后の三韓征伐、元の日本来襲、豊臣秀吉の朝鮮出兵、薩摩藩の琉球略取などを告発し、アイヌのシャクシャインの蜂起については擁護しています。松前藩の侵犯が原因で、彼らの罪ではないと。しかし暴力による紛争解決は乱世を招くとして、「刀剣、鉄砲、弓矢すべて軍術用具を亡滅」すれば、平和が実現すると軍備全廃を求めているんです。
 かつて、明確に「反侵略」という立場に立って平和思想を抱いた人物が日本にいた。それを知っておくことが、現代を生きるために大切なんですね。

 <昌益は元祖エコロジスト、フェミニストなどさまざまな視点から語られてきた>
私にとっての昌益は、「いのちの思想家」ですね。生命を支える食糧生産に携わる農民の子であり、生命を預かる医師であり、生命を軸にして哲学的、根源的な思索をしました。著書「自然真営道」などに残された昌益の医学観からは、しなやかで優しい人柄が伝わります。根本に産婦人科、小児科をすえ、不妊の原因を女性にのみ負わせていた当時の風潮に逆らって、男性の側にも原因を求めた。精神医療では対話的な療法を打ち出しています。
 「直耕」する民に価値を置き、「不耕貪食」の支配者を糾弾して身分制社会を批判したことも、男と女で一対の人間だとして男女と書き「ひと」と読ませたことも、「いのちの思想」に基づいていると思うんです。昌益は昼と夜で一日、天と地で一体の宇宙という中国哲学の伝統を徹底させ、男尊女卑が当然とされた時代に、「男を去りて女なく、女を去りて男なし」と、男女は共に補い合い、助け合って生きるのが当然としたんです。

 <一昨年、岐阜の内藤記念くすり博物館で新資料を発見。毎月、昌益の原典を読む会を開いている>
昌益の追っかけですかね。こんな大きな思想家が日本にいたのに、アカデミズムにはなぜか本格的な研究者は少ない。この三十年の研究は、私も含め、普段は会社員や教師、医師などをしている草の根の人々が継続してきました。生誕三○○年の記念行事も、故郷の秋田県大館市の市民が開きました。民衆の思想家・昌益にいかにもふさわしいですね。永六輔さん、井上ひさしさんなども昌益が好きなんですよ。
 各地で発見された新資料から、昌益が考えられていたよりも広い人脈を持っていたことが分かってきました。昌益は世間から身を隠した偏屈な人物というイメージが強かったんですが、違うようです。昌益の思想や医学に影響を受けたさまざまな人々のネットワークがあった。そう思うと江戸時代の見方が変わってきますね。(聞き手は松田博公)
(了)

松田博公 01/29 00:39

885:[ 或言 ]

或言久疾之不可取者、非其説也、
或るひと久疾の取るべからざる者を言うは、其の説に非ざる也。
=ある人が慢性の病気は治療できないと言うが、それは(一定のレベルの)言論には値しない。
或いは久疾の取るべからざるを言うは、其れ説に非ざるなり。=ことによると痼疾になったものは治療できないと言うかも知れないが、そんなものは正しい考え方ではない。
どちらが佳いんでしょう。どちらかと言うと後者のほうが好きなんですけど、好き嫌いの問題ではないですよね。

むらさき 01/17 20:36

884:[ 喪中 ]

 島田先生から、森川君、義父と、続けて喪中(気分が)です。3年の喪といっても、実際は2年なんですが、上手く設定された時間だとつくづく思いますねえ。なんとなく諦めがつく。喪中というのは正しいやり方があるはずなんでしょうが、そういう儀式を経ないまでも、この期間は何らかの意味があるような気がします。個人的には、まずめでたい気持ちになれないですね。だから、2000年8月10日以来、浮かび上がれない状態です。しかしながら、沈んでいるのも結構なもので、いろんなことを考えるいい機会だと感じています。
 そんなわけで、「人生の一番の転機」はといえば、2000年8月10日ですね。そこで、談話室を覗いているみなさんの、「人生の一番の転機」をお聞かせねがえないでしょうか。
 話は変わりますが、昨日、伊藤瑞凰先生が「僕がやらなくてもいいんだが、誰かやらないと廃れてしまう」と仰有ってました。同感です。先生は大針や焼き鍼のことををいってたんですが。

 かいちょう 01/09 11:20

883:[ 賀詞 ]

 義父の服喪中なので賀詞は遠慮させていただくとして、本年も、この談話室も、日曜の講座も、なんでもかんでも、よろしくお願いいたします。
 日曜の講座の方は、中級はほぼ定員です。初級だけ研究発表会の時に受講を募集しますが、それでもすでに半分は埋まっています。なかなかいい傾向なんですが、これが圧倒的な力までに高めるのがなかなかなんです。
 今年も、そのなかなかに、奮闘しませう。

 かいちょう 01/04 19:55

882:[ ありがとうございます ]

それにしても、反応が早いのには、感心しました。
黄龍祥さんの話は、「要するに」といわれても、よく理解できませんでした。すみません。
「寧爲鶏口、無爲牛後」と『史記』にあるそうですが、これと同じパターンのことばですから、「むしろその穴を失うとも、その経を失うことなかれ」
とよむのでしょう。
「ムシロ」は、「もし+ロ」がなまったものらしいです。(かりに・もしも)

ミドリ 12/31 20:33

881:[ 標幽賦 ]

> 例えば「寧失其穴,勿失其経」は経絡研究者が常々口にする古文の一句であり、古人のここで言わんとするところは、同一の経脈の穴は主治の上で同一性が有るから、治療の上で同一経の穴は互いに取り替えがきく、という意味だと考えている。この種の理解を根拠にして、「経脈ー臓腑」相関の研究に道筋を提供する。それでは、この句の出処はどの書物であるか?その本義はつまるところどうであるか?その答案は本書の「鍼灸基礎理論的現代研究与史学研究的銜接」篇に見える。

上の文章は、黄龍祥『中国針灸学術史大綱』引論・第三篇 史料的理解の一節であるが、困ったことに増修版では、「鍼灸基礎理論的現代研究与史学研究的銜接」篇は、修改、調整を行い、「対経絡問題現代研究的若干思考」として、第二部『経絡部』第四篇の後に置かれています。つまり、黄氏は優秀な学者ではあるけれど(或いは優秀な学者であるから)、こういうところの心使いにやや粗雑な面が有る。
で、問題の答案がそこに有るかというと、これがまた分かりにくい文章でね。要するに、「寧失其穴,勿失其経」の後には本来は「寧失其時,勿失其気」とあって、それはより古くは『玉竜経』標幽賦の王国瑞の注に見えるんだけど、直前の文章に対する注じゃなくて、寧ろさらにその前の「一日刺六十六穴之法,主見幽微;一時取十二経之原,始知要妙」に相応しいと言っている。そしてこれは『医学入門』巻一雑病穴法に、「按日起時,循経尋穴,時上有穴,穴上有時。分明実落,不必数上衍数,此所以寧守“子午”,而捨爾“霊亀”也」と言うようなものだそうです。

神麹斎 12/30 22:39

880:[ Re: 教えてください ]

試みに、googleで「勿失其経」を検索したら、なんと、以下の文章がヒットしました。北京堂・浅野周さんのHPでの全文掲載「鍼灸大成」からです。感謝致します。

鍼灸大成巻二
... 膀胱合腎、陰陽相通、表裏相応也。本経者、受病之経、如心之病、必取小腸之穴兼之、余倣此。言,能識本経之病、又要認交経正経之理、則鍼之功必速矣。故曰、寧失其穴、勿失其経。寧失其時、勿失其気。

松田博公 12/30 21:40

879:[ 教えてください ]

[寧失其穴,勿失其経]
以上の文句の出典をご教示下さい。

ミドリ 12/30 20:03

878:[ 鎌倉ハイキングコース ]

山岳部創設の意欲はわかりましたが、富士山ぐらいだと簡単(5合目から半日で往復)に行けるようなので、最終的にめざす山でもないと思いますけど‥‥ あと観光地にあるような階段や舗装道路は同じ筋肉しか使わないので非常に疲れます。山道を歩きましょう。

かいちょうから依頼されました鎌倉ハイキングコースの計画をたててみました。一応しっかり歩くつもりですがエスケープルートはたくさんあるので参加人員の体力にあわせて途中変更は可能です。
●コース
浄智寺─→明月院─→天園峠─→泉水橋=(バス)⇒鎌倉駅
●必要なもの
運動靴、雨具、食料、飲料(コンビニのおにぎりとミネラルウォータでも充分)
●あれぼ重宝するもの
リュックサック、テルモス、サングラス、帽子、
●参考資料
http://homepage3.nifty.com/kamakurakikou/mtenen.html
http://www.geocities.co.jp/Outdoors/2634/tozanhai5.html
http://j-clean.web.infoseek.co.jp/bus-stop.html

Mail12/26 01:44

877:[ 他には ]

泰山の他には、青城山と黄山。
青城山は成都郊外の道教の聖地、麓で徘徊していてたのか、そもそも岡のようなものだったのか、せいぜい鎌倉散策程度の記憶しかない。台湾?からの観光客は輿に乗ってました。金比羅さんと同じですな。どう見ても乗っている人のほうが担ぎ手より屈強そうだったけど。日本人はというか、私は担ぎ手が気の毒で乗れませんでした。考えてみると乗ってくれなきゃ困るんだろけど。
黄山はご存じですね。ここもロープウェーが有るけど、ちゃんと歩いて登って歩いて降りましたよ。でもまあ、ここも高尾山程度ですか。もっとも帰ってから一週間くらいは階段の上り下りに苦労しました。両腿がパンパン。でも、それって私だけじゃ無かったですよ。若い人もいれてほとんど全員。普段から山歩きしている人だけ平気でしたね。
もし泰山へいくようなことが有ったら、私は「つきそい」ということで。もしくは始皇帝なみに輿に乗って……。

神麹斎 12/20 10:25

876:[ いちおう登山部 ]

 名目は’登山部で泰山詣で’なのでロープウェーは御法度。1000段でも厳しい。中国の爺さん婆さんがクリアするのをみると、日本人の体力の無さを、痛感するなあ。というより、筋肉も気持ちもなまっているんだろうね。野生を失いつつあるともいえるかも。やっぱり、再来年を目標に泰山へのぼらなければ。他にもすごい山があるとか。神麹斎さんがのぼったとは思えないけど、ご存じでしたら教えて下さい。

 かいちょう 12/20 08:26

875:[ ほんとはしんどい泰山 ]

もう既に、(今のままでは)私は無理だと思う。
確か1988年か1989年の夏に、一度泰山に登りました、途中までは石段で。
おおよそ20段くらいに踊り場が有るんだけど、そこまで一気に登れなくて、10段登って一休み、5段登って一休みという有様でした。
で、中腹からはロープウェーが有るんです。それに乗っちゃいました。だから寿命の保証は5年ですなあ。もう大分オーバーしている。
でも、小学校低学年くらいの孫を連れた中国人の爺さん婆さんも登ってたんだよね。
帰りには日本人観光客にも逢ったけど、彼らはバスで中途まで来て、あとはロープウェー。これじゃ御利益は無いだろうねえ。
http://plaza.umin.ac.jp/~daikei/taishan.htm

神麹斎 12/19 18:32

874:[ 泰山 ]

 泰山は3000段と聞いています。早く行かないと登れないのでは。五台山のあの寺院は確か1000段だったと思います。あの3倍ですなあ。現実的な話として、来年は無理として、再来年くらいには企画しないと。どうでしょうね。

 かいちょう 12/19 15:55

873:[ やっぱり泰山 ]

日本内経医学会山岳部、良い「冗談」として賛成します。で、冗談であるからには大真面目にやんないとね。最終的には「チョモランマか富士山か」を目指すというのに、中国の泰山を加えて欲しいと思います。何たって中国がらみの会だしね、登れば寿命が十年延びるとことになってます。……ただ、今の運動不足の私には、そもそも鎌倉が危うい。

神麹斎 12/19 13:18

872:[ 日本内経医学会山岳部 ]

 日本内経医学会山岳部を作ろうかと思ってます。最終的には、チョモランマか富士山かを目指したいとおもいます。まず、最初に、丸山先生の墓参の後に、鎌倉の峰峰を訪ねてはどうか、そんなことを考えています。部長は、林孝信さんを推薦したいと思います。どうでしょうか。

 かいちょう 12/19 08:41

871:[ 掲示板には ]

 人の評価は棺に蓋したときに決まるといわれますから、個人的な人物評価などは掲示板には載せないようにしたいと思います。今までどおりのように、掲示板には世間話と学問に関する討論を、希望します。
 それにしても、チャオズさんがいう「(山本朝子さんが)才能ある同性に対するやっかみ」にはおどろきました。左合昌美は女性だと思ってるんですね。この会には、他に、緑、恵という名前の人がいますが、いずれも男性です。

 かいちょう 12/13 10:55

870:[ 老婆心ながら ]

管理人さんが書かれているように身内の酒の席上での会話でなく
あくまでも公共の場に悪役云々書くのはどうかと思う
しかも素面であるのを公言するように損得抜きなんて開き直るのは
もっと悪質じゃないかな?
内経学会の発展を望むのならこんな僻地でお国自慢ばかりせず
もっと大きい舞台で自分が思っている事を発表されるほうが
良いのではないでしょうか。

変弱 12/12 05:13

869:[ チャオズ様 ]

 チャオズ様へのお答えはこの場では出来ません。ご容赦ください。
 この会の歴史を知る人にのみわかるものです。
 
 それから「配役」は内経医学会の今後の発展を願い、私の損得抜きで配したものです。

 

山本朝子 12/11 22:45

868:[ 質問 ]

山本さま、教えてください。
わたくしはお会いしたことはございませんが、靈蘭之室でのデータベースを見て左合先生をたいへん尊敬申し上げておりますが、山本さまから見て、どのへんが「悪」なんでしょうか。(ひょっとして、才能ある同性に対するやっかみは入っていませんか)
三原さんという方も存じ上げませんが、どのへんが「悪徳」なのでしょうか。
嵯峨さんという方は、どういう搾取被害をうけているのでしょうか。

チャオズ 12/11 19:50

867:[ 表と裏 ]

 時として、ものには、表と裏があります。
 九州の「ささぐり南蔵院」の住職の法話「心ゆたかに生きる」の中で、住職のお父さんの言葉として
「人は二度死ぬ、一度目は命が絶えた時、二度目はその人を知る人の記憶から忘れ去られた時」
 私がこの法話を聞いたのは昨春。この話に感銘し、昨年、今年と島田先生の命日前後に、島田先生を二度死なせないために思い出話を書き込んでいます。ただ自分が読んだ記事に感動したり、映画を見た感動で書き込んでいるのではありません。たぶん私の文章で島田先生を知る人が、先生を思い出すだけでなく、島田先生を知らない世代の人達には、先生を空想できるきるような文章になっていると思います。
 
 「配役」は数カ月前から構想を練っていたものです。
 ただのお遊びで書き込んでいるのではありません。

山本朝子 12/10 21:54

866:[ 無題 ]

失礼しました。先ほど修正しました。

管理者 12/10 21:39

865:[ 無題 ]

講座の案内ですが、月例会の項は旧いままになってますので、内容に変えていただきたくお願いします。

 かいちょう 12/10 10:07

864:[ 2004年度の講座案内 ]

2004年度 講座の案内を「事務局からのお知らせ」頁に掲載しました。

管理者 12/09 13:12

863:[ 過去記事について ]

ホームページに載せるには、筆者の許可が要ると思いますが、管理者は井内氏の近況を把握しておりません。
どうしてもということでしたら、「事務局からのおしらせ」ページの最上部にeMailのリンクが有りますので、事務局へお問い合わせを願います。

管理者 12/09 12:57

862:[ 過去記事掲載のおねがい ]

始めまして。いきなりですが内経1994年11月号の井内好子氏の巻頭言を読みたいのです。掲載してください。よろしくお願いします。
 

阿部 12/08 20:14

861:[ 公の場です 一応 ]

ホームページ上の談話室(掲示板)は、「半ば」公の場です。酒の席で友人同士で戯れるのとは若干違います。一々目くじらをたてるのも大人げないけれど、からかいではすまない場合も有ります。
悪気は無いと思うし、自覚してないと思うけれど、軽率だろうし無礼には違いない。

管理者 12/08 07:43

860:[ 配役 ]

 今日は尾道の市民劇場「てごう座」の「てごう」(手伝い)をしてきました。

 内経医学会の運営委員を「水戸黄門」に配役してみました。
宮川・黄門
小林・すけさん
林・かくさん
天満・うっかりはちべい
金古・お国家老
加藤ゆ・お銀
荒川・照英役の人
松田・かざぐるまの八七
悪代官・左合
悪代官に取り入る悪徳商人・三原
悪代官に搾取される百姓・嵯峨
島津の外様大名・岩井

 今日の演劇は眠かった。ドラマは悪役がいないと面白くならないものです。

 英国の元首相サッチーに
「長期政権の秘訣は」
と、尋ねると、
「野党がいたから」
と、答えたそうです。

 ドラマは悪役がいないと面白くない。今日の演劇は、半分寝ていました。

山本朝子 12/06 23:37

859:[ 黄善夫本『史記』 ]

 商務印書館の『史記』は、幻雲の『史記』と同じ黄善夫本なんですけれど、結構手直ししてあるので、最善本とは言い難いものである。やはり、幻雲の『史記』のほうが、誤字は誤字なりに旧態を保っているところが優れている。幻雲注がついている『史記』が若干残ってますので、希望者は本会事務局までご連絡下さい。5000円のところ3000円で。

 かいちょう 12/03 08:45

858:[ 嘗て~と聞く ]

実はゴチャゴチャは、『内経』次号の末言(たわごと)に書いちゃったんですね。どうでもいいけど、下の「かいちょう」の書き込み以前に編集者に送ってます。
結論としては、當のほうが多分正しいし、嘗なら「こころみに」と訓むのがまあ妥当でしょう。
ただし、強引に「かつて」と訓めば、太子にはもともとそういう傾向があって云々となって、耳鳴は自覚症状ということになりそうで、面白いことは面白い……かな、と。

神麹斎 12/03 08:04

857:[ 嘗聞 ]

 幻雲がいう旧点は「嘗つて~を聞かん」と読んでました。幻雲は、「嘗聞」という病症なんだと言い、あるいは「こころみに~を聞かん」でもあろうと言ってます。上の「試」字と対になっているとすれば、「こころみに」と読むのが一番かと思う。
 幻雲の師匠の桃源がみた『史記』も「當」に作っています。「當」の方が読みやすいので、「嘗」だったとしても「當」に改められているようです。その典型的なのが商務印書館の『史記』で、基本的には南化本と同じなのに、「當」に直しています。ともに尚声なので、詮議するまでもないのですが。 

 かいちょう 12/02 14:08

856:[ ]

今まで気が付かなかったんだけど、例の幻雲注記の有る宋版『史記』では、甞聞其耳鳴而鼻張だったんですね。この甞ってどういう意味なんでしょう。
もっとも、堀川済の「宋本扁鵲倉公伝攷異」では、嘗聞其耳鳴を基準にして、柯維熊本、評林本、汲古閣本、游明本、盧復本では嘗を當に作るし、『太平御覧』でもまた當に作ると言ってます。滝川資言の『会注考証』も當です。

神麹斎 12/01 15:03

855:[ 眉唾 ]

扁鵲伝の耳鳴が他覚症状であるのは当然のことです。患者には意識が無いんだから。しかも扁鵲が「俺には聞こえる」と超人的な聴力を誇っているわけじゃなくて、中庶子に「あんた注意深く聞いてみろ」と言うんでしょう。
ただし、「説苑」が引く扁鵲の逸話とか、『諸病源候論』の記載は、扁鵲伝を敷延したに過ぎないじゃないかと思う。
と言うことは、本当に他覚症状としての耳鳴なんて有るのかとか、或いは文字の誤りが有るんじゃないのかとか、眉に唾をつけるのも蓋し当然のことと思いますがね。
司馬遷が書いたんだからと簡単に納得してしまうのも、もう一つの「ごまかし」。

神麹斎 12/01 11:11

854:[ ごまかし ]

『論語』の冒頭「学而篇」
「朋(今、手元に論語がなくてこの字だったか)あり、遠方よりきたる」
 私が始めてみた『論語』は、誰の解釈だったか忘れましたが
「遠方」は「遠方」という熟語は無い、「遠き方(かた)」と読むのだとありました。
 自分が他覚症状として読んだのか、自覚症状として読んだのか、読み手にはっきりわかる表記が必要と思います。
 解りにくい所を誤魔化さないことも必要かと思います。

山本朝子 11/30 22:18

853:[ 耳鳴 ]

「説苑」が引く扁鵲の逸話では「耳中焦焦、如有嘯者声」とあり、耳の中で、鳥がさえずり、誰かがささやいているような声がしている、のを第三者にも聞こえるらしい。耳鳴という症は自覚症状であるが、ここでいう耳鳴は他覚できるものである。実際にそんなことがあるのかどうか、詮議する必要はないのであります。何しろ、逸話なんですから、誇張され、あるいは誤って書かれているハズです。このばあい「じめい」と読んでおきませう。

 かいちょう 11/29 17:35

852:[ 耳鳴 ]

 『扁倉伝』を読み始めたんですが、
 前に話題になった「耳鳴り」は、
「耳鳴りを聞く」のではなく「耳が鳴るのを聞く」の意で
みどりさんの「他覚症状としての耳鳴」の解釈がよいのではないかと思います。
 
 「而何怪」の「而」は「なんじ」の意味ですが、『内経』には無い用法で、面白いですね。
 戸川先生がきれいな古代漢語として
『資治通顏』『十八史略』『りゆうさいしい』を挙げておられましたが、どれも後代のもので、漢代のものは個性的ですね。
 まあ、きれいな文章があるということは汚い文章があるということで、それが個性になっているのでしょう。

『中国医学の黎明』の第五節に
「『素問』と『霊枢』の語言の特色は近いといっても、『素問』は運気七篇と刺法論二篇をのぞいて、おおむね漢賦に類するもので、一時一人の手筆になるもののようだが、『霊枢』はあるものは古朴で戦国にでるもので、あるものは漢賦に属し、先後の違いがある。」
と、あります。
 『内経』の虚詞研究は私のライフワークになるだろうとおもっていたのに、こうもいとも簡単に言われると、中国の頭脳集団にはかなわんなあと思います。

山本朝子 11/29 00:36

851:[ 臆解 ]

 臆解は別です。
 辞書的な性格のものなので
 和訓も、現代語訳もなくて
 今までのままで
 よいのではないでしょうか。
 「簡にして便」
 それが魅力です。

 ニフティーのアクセスポイントが変更になり、その設定に一時間もかかってしまった。
 前に長沢先生が巻頭言で内経の研究は進んでも鍼灸界は変っていない、というようなご意見をされていたので、私なりに研究の最前線が臨床家にわかるようなものを書いてきましたが、パソコンを扱っているとむかついてくるんです。
「動かぬなら、壊してしまえ、ホトトギス」
 来年の伝統鍼灸学会用に一題書いて、それまで誠信堂が行くを何題か書いたら、文筆活動はやめます。
 もとの「内経おたく」に戻って、一人好きな語法研究をして楽しむことにします。

 

山本朝子 11/26 23:27

850:[ CJK統合漢字拡張領域A ]

今頃紹介するのも何なんだけど、ユニコードのCJK統合漢字拡張領域Aを利用できるフォントを無料で入手する方法がまだ有りましたね。慶応の千田大介さんのホームページ電脳瓦崗寨からリンクされている書同文数字化技術有限公司の『四部叢刊』電子版のデモ版をダウンロードしてインストールすると、HT_CJK+というフォントが同時に入るようです。ユニコードのCJK統合漢字拡張領域Aまでと、『四部叢刊』で使用する外字がびっしり入ってます。
同じ千田さんのホームページで紹介されているWPS Office βをダウンロード、インストールしても別のユニコードのCJK統合漢字拡張領域Aまでのフォントが入ったんですが、こちらはダウンロードサービスが終わっているという情報が有ったような気がします。
『電脳中国学Ⅱ』の附録CDにも含まれているらしいので、そちらのほうがお勧めかもしれません。『四部叢刊』電子版デモ版は、結構大きなデータですから、ダウンロードが大変な場合も……。

神麹斎 11/26 09:04

849:[ オッカナイしメンドクサイ ]

要するに中国の伝統医学について「お話」をしようとしているのか、『素問』『霊枢』といった「経典」を読み解こうとしているかでしょう。

今、個人的には『霊枢』の臆解を復活させようかなと思ってますけど、これはどちらともつかない。原文と解説だけです。和訓が無いのはオッカナイからです。現代語訳が無いのはメンドクサイからに過ぎません。で、何がしたいのかと言うと、「経典」の文章を材料にして「お話」がしたいんです。だから、実際にやっていることは「そうすべき」だと思うからじゃなくて、オッカナイしメンドクサイからだけのことです。読者だけで聴衆がいなければ、それでもなんとか、ならなくはない。これが岩波文庫ともなると、「そうすべき」方法を選択しているでしょう、やっぱり。
オッカナイのを何とかするパソコンソフトは有るらしい。よくは知りませんが、変な和訓は訂正してくれるらしい。強い味方の登場、と言いたいところだけれど、値段が2万か3万か、冗談で買える値段じゃありません。
で、まあ「天は再び東し再び西す、故に潮水は再び大となり再び少となるなり」が、二度云々の意味だということくらいは分かってくれなければどうにもならない。海のそばで育ったからどうのという問題じゃないと思う。学校で教養として教えてくれなきゃ。針灸師でないと分からない、という以前に、中国伝統の職業に就こうと言うんだったら、一般より「若干」高い中国的教養は必要でしょう(というかアラマホシイでしょう)。

「我、汝を、愛せり」じゃ分からない、「私は貴方を愛しています」と言ってくれというのは日本人じゃない。どっちみち“I love you.”の訳としてはマチガイである、という高説をうかがったことは有りますがね。間延びしすぎている、ココロ、雰囲気は伝わってない、とね。

神麹斎 11/26 08:17

848:[ では、医書は何 ]

 ポルノグラフィティーが広島弁で歌ったことがあるそうで、とても面白いものだったそうです。私も広島弁の和訳というのを考えたのですが、さすがにこれは。
 普段方言で喋っていても、書き言葉は共通語の書面語ですからね。
 俳句にも、尾崎方哉や山頭火といった、自由律俳句がある。
 医書には医書の和訳があってもいいのではないでしょうか。
 伝統的な訓読法にとらわれないで、読み手に解り易い読みをしてあげたいなと思っています。どのようなものになるか分からないけど。
 会として統一することは不可能なので皆でいろいろやってみましょうよ。

 話は代わりますが、今日『中国医学の黎明』を読んでいて気づいたのですが、
 潮の満ち欠けは毎日一時間ぐらいずつずれていきます。尾道では干潮が夕方に来ると大潮と言って干満の差が大きくなります。昔はその日を待って潮干狩りに行ったものです。今年は盆にニシが食べたくなって、ちょうど夕方に干潮だったので向島の南岸まで採りに行き、いつもなら近所のおじさんや兄弟にあげるのに、欲を出して一人で丼一杯を二日続けたら、さすがにうんざりしてしまいました。
 この大潮は月に二回きます。満月と新月の時です。
 『中国医学の黎明』p,40『抱朴子』の引用文の所で
「一月の中、天は再び東し再び西す、故に潮水は再び大となり再び少となるなり」
の、「再び」は四カ所とも「二度」だと思う。「二度大潮になり(その間に)二度小潮となる」の意でしょう。
『医古文の基礎』の語法の始めのほうに出る「一回、二回、三回」の「二回」は「再」を使う。に相当すると思った。
 海のそばで育った人にしか分からないこともあると思う。
 鍼灸師の和訳というのがあってもいいと思う。文言文と口語体が入り交じったものになるかもしれないけど、読み手に解り易いものを求めていこうと思っています。

山本朝子 11/25 23:13

847:[ 文学だからでしょう ]

金谷治は、原文・和訓・注・現代語訳で、小川環樹や今鷹真などは、原文も和訓も無くて、現代語的訳と注、と言うのは如何に何でも乱暴すぎます。かたや『論語』(およびそれに類する経典)で、こなた『史記』や『三国志演義』(およびそれに類する読み物)だからそうなんです。小川環樹だって『老子』(中公文庫)には原文も訓読もつけてます。
思い切ったことをしているなあという例なら、経典的なものとしては、中公文庫の『韓非子』(町田三郎訳注)のほうが相応しい。これは原文無しの和訓・現代語訳・注です。
読み物なら岩波文庫の『遊仙窟』(今村与志雄訳)は、現代語訳(約100頁)と訳注(約90頁)、さらに巻末に影印です。
結局は経典著作か、文学かということだろうと思います。岩波文庫では『史記』は文学扱いのようです。

神麹斎 11/25 17:03

846:[ 和訳例 ]

 岩波文庫が古典をシリーズで
出しています。
 体例が訳す先生で異なります。
 金谷治訳注本は
 原文、
 和訓(伝統的な訓読)、
 注
 意訳
の、四段階になっているのですが、
 小川環樹、今鷹真、福島吉彦、訳本は、原文も和訓も無く、
 現代語的和訳
 注
の、二段階になっています。 
例、『史記列伝』(一)
「伯夷列伝第一
 末の世のひとびとはわれ勝ちに利益を争うなかで、ただこの二人のみが正義へ向かってふりかえらず、国を[弟に]ゆずり、飢え死にした。天下の人は、これをほめたたえる。だから伯夷列伝第一を作るー大史公自序

 おおよそ学問するひとが用いる書籍はじつに範囲がひろい。」
 云々と続きます。
 ただ引用の文になると
 「孔子はいった、「道同じからざれば、相為に謀ることをせず」と。ひとおのおのの志にしたがうのである。」
 のように伝統的な訓読をしています。

 小川先生達の訳し方が正岡子規的な訳し方です。 
 私的には「原文、正岡子規的訳」が出来ないかなあと思っています。でもある程度伝統的訓読の方が楽かもしれない。
 『医古文の基礎』の訳はあれはあれでいいと思うんですけどね。

 宮川さんの霊枢講義が『季刊内経』秋号から、現代語訳の読みと訳をはずしているのですが、なんだか急にわかりずらくなって、漢文の読める人だったらいいけど、私でもなんだかわかりずらいです。原文の読みを入れて欲しいという思いで訓読の事を書き込んでいます。

 

山本朝子 11/24 23:01

845:[ 訓読のこと ]

 伝統的訓読は不要というのは、半分賛成です。二度手間だし、文語文法も学ばなければならないし。それはそうと、現在、漢文が実際に役立っている分野は(学校で教養として教えているけれど)、そんなに多くないでしょう。その第一は東洋医学だと思います。われわれは、医学を伝えるだけでなく、古典や漢文の読み方も伝えているんだと思います。その意味を考えるなら、伝統的訓読法も遺し伝える義務があるかもしれません。もうひとつには、江戸時代の文献は、やはり文語文法を知らなければ読めませんから、伝統的訓読法をある程度マスターしておくべきだと思います。
 それはそうと、判っている仲間内なら、原文+直訳でいいでしょうが、個人的なことをいえば、(原文+訓点)+直訳がいいと思います。どうでしょうか。

 かいちょう 11/24 11:05

844:[ 正岡子規 ]

 二十年程前にこんな番組がありました。
 大学受験用の英語の問題をアメリカの国語の先生に解いてもらうのです。十人ぐらいだったか。皆さん
「こんなのわからない」
と、言って、殆どの先生が五十点以下だったんです。「巨泉のこんなものいらない」というタイトルだったんですが。日本の英語はすでに古くなっていたのだったと思います。
 話を蒸し返すようですが、『医古文の基礎』の書評を読んでいてこの番組を思い出していました。
 伝統的訓読で直された文章より、こちらの文章の方が解り易い。

 数週間前テレビで「正岡子規」をやっていました。難解な文言文を平易な今の言葉で書く。近代日本語の誕生です。
 これを見ていて、漢文界はこの波に乗れなかったのではないかと感じました。
今の漢文は
例えば
 「I love you。」
 (我、汝を、愛せり。)
 (私は貴方を愛しています。)
の三段階を踏んでいます。
 今の時代、伝統的な訓読法である、
「我、汝を、愛せり」は要らないのではないでしょうか。
 原文を挙げて説明だけでは解りにくいし、かといって伝統的な訓読法に縛られていたのでは和訓は出来ない。
 伝統的な訓読法や文言文の活用を廃し、自分が読んだままの訓読があってもいいのではないでしょうか。
 私は医古文界の正岡子規になりたいと思っている今日この頃です。

山本朝子 11/23 22:59

843:[ 恵理伝 ]

 帰依は寄与の誤り。失礼。

 今学会で名前で女性かと思った人が男性だったと言う話が出ましたが、恵理(けいり)先生を恵理(えり)と間違い、どんな美人が来るのか楽しみにしていた人達の前に、本名、牛松おじさんが行って驚かれたことがあるそうです。
 かつては、この話で井上先生と大笑いしたものです。

 恵理先生は鉄道員だったそうですが、電車から落ちたことが原因で脊椎カリエスになり、入院生活の中、背骨からジクジクと出る膿血に人生を絶望していた時、仏法に帰依して、信心の力で脊椎カリエスが治り、仏門に入り、京都の醍醐寺で得度し、苦しむ人を救うために鍼灸をするようになったそうです。
 「六不治」の一つに入る、信仰の力で治る病気もあるものなのですね。

山本朝子 11/16 21:57

842:[ 古典の勉強 ]

 教育講演では、直前になって浮かんだ、島田先生に入門して、古典を勉強して、云々という話をしてしまいました。ので、時間が足りなくなり、最後は端折ってしまいました。古典の先生に入門して、10年くらいは、道を間違ったとおもったり、随分回り道したなと思ったりしているが、20年たった今は、山本さんがいうように面白いところに連れてきてもらったとも思うし、結構近道だったかも知れないとも感じている。こんな話をしました。
 20年先を考えて教育するなんてとてもできないが、こういうのを目指して行こうと、今思っているところです。

 かいちょう 11/16 20:09

841:[ ?? ]

> 『内経』が現代科学の最先端に帰依できるのではないか
ですか?

き・え【帰依】
神仏や高僧を深く信仰し、その教えに従い、その威徳を仰ぐこと。帰信。「仏法に帰依する」 (国語大辞典・新装版 小学館1988)

何か文字の誤りが有るんじゃないですか?

管理者 11/16 09:01

840:[ 古典と遊ぶ ]

 昨日の「英語、エスペランド語」は『内経』が現代科学の最先端に帰依できるのではないかという私の思いです。でも科学的なことも哲学的なことも専門的なことは私にはよく分かりません。いつかそちらの学者さんが専門用語で説明してくれる日が来たらいいなと思っています。

 私の古典の遊び方
 ジグゾーパズル、クロスワードパズル、そして推理小説を解くような楽しみがあります。
 衍文だとか脱文だとかはジグぞーパズル。
 前後の文章で見ていくのは縦の鍵、類文を探るのは横の鍵。
 その他は推理小説のようなものです。

 私も尾道の坂道を歩きながらいろいろ考えることが有ります。
 のんびりした町なので思索にふけるにはもってこいの場所です。
 火曜日にJTB企画中四国代表取締社長の商業観光の話を聞きました。
 数十項目にわたる細かなチェック。
 参考に函館のものがありましたが、十段階で六点、七点、八点。
 尾道は、四点、五点、六点。
 さすがプロの目。
 2005年秋には全国のJRが一斉に広島キャンペーンをするとか。それまでに受け皿を整えておいて欲しいとのことでした。
 そんな講習を受けながら、「英語、エスペランド語」を考えました。

山本朝子 11/15 22:36

839:[ 英語、エスペランド語、村言葉 ]

 学会に参加された皆さん、お疲れさまでした。
 日曜、五時半に別れ、六時半にはコタツでくつろいでいました。

 新しい会員ともお知り合いになりました。
 草場(間?)さん。頭髪も少々薄くなられているご年配。その年でというのは失礼だけど、『内経』を熱く語る姿に、自分が求めていた勉強にめぐり合えた喜びが体中から溢れているようでした。私は草場さんの話を聞きながら、尊敬する伊能忠敬の旧宅を見に、千葉県の佐原に行った時の事を思い出していました。
 天野さん。聞けば甥と同い年。何故だか、おしめを替えていた時の甥の可愛いオチンチンを思い出しました。

 原塾の解散後、わずか十人足らずで立ち上げたこの会も、今では百三十人になっているとか。定員を八十一人にしようと言っていた頃は、まさか八十一人になるとは思ってもいなかったのに。
 運営の大変さもいろいろ聞かせて頂きました。遠くて何もできないもどかしさを感じました。


 さて、三十年前にエスペランド語といものを知りました。世界共通用語です。しかし、国連の共通語は英語。父にどうしてエスペランド語を採用しないのか聞いてみました。父は、
「エスペランド語には歴史が無い。歴史に伴う文化がないからだ。」
と、答えました。
 中医学はエスペランド語、『内経』は英語みたいなものです。
 ある日テレビで宇宙の歴史をしていました。ビックバーンまでは科学的です。ところがビックバーン以前はどうかというと、突然、神がどうのこうのになっていました。科学の限界が哲学で説明される。とても不思議でした。
 「古典とはヒトを古代哲学用語で書き表したもの」
です。
 量子力学の権威が家紋を太極図にしたように、内経医学には世界に通じる何かがあると思っています。
 古い言葉を学ぶことで「生きた化石」集団をつくっているのではありません。世界に通じる鍼灸師を作りたいのです。

山本朝子 11/14 22:39

838:[ 石の街 ]

 尾道の三山は石の山で、大きな岩がごろごろしている。その上に小さな家を建てられそうで、ここは4畳半、ここは6畳と部屋割りができるくらいです。
 尾道の西国寺の階段は101段なんだけど、95段は、長さ2間くらいの一本の石柱を組んで作られている(他は折れたりしている)。石には困らなかったんだろう。それからみると、今のブロックだか、コンクリだかは、扱いやすいのだろうけれど、ありがたみもなく、芸もない。
 猿みたいにあの山をのぼってあそんだら楽しそうだ。40年前にあの街の小学生だったら、きっとあの石であそんでいたんだろうな、そんな気がする。目の前の尾道水道は、泳げそうもないし。
 それはそうと、どのようにして、ガキみたいに、古典で遊ぶか、こんなことも尾道で考えましたよ。

 かいちょう 11/14 13:39

837:[ 古い街 ]

 尾道の旧市街は、地方の商店街同様に、少しさびしい。日用の商品は、駐車場がある郊外店に買いに行くらしい。観光客は古びた街にひかれるが、現実的には、便利で、きれいなところが好まれている。この図式は、わが古典にもあてはまりそうだ。古いまま守るか、もっとスマートに便利に間口をひろげるか。一考の余地が有ろう。

 かいちょう 11/12 13:54

836:[ 尾道行 ]

 日本伝統鍼灸学会に参加するために、木曜日に尾道に入った。半日は千光寺山に焦点を絞って散策し、金曜日は千光寺山、西国寺山、浄土寺山の三山の寺群を歩きまわった。山にへばりついている寺群をめぐるために、相当の数の石段をのぼりおりした。標高は200メートルに満たないのであるが、石の山なので勾配がきつい。きついので高齢者は暮らしにくく、山にへばりついた住宅は改築しようにもできず、そうとうくたびれている。廃屋も多かった。若い人が住んだら楽しいと思う。いい街なんだけど古びていくだけ。伝統鍼灸とかぶり、考えさせられた。散策の中、名案がたくさん浮かんだけれども、帰ってみるとすっかり忘れてしまった。残念。もっと書きたいことも有ったんだけど、2~3日経ってしまうと、賞味期限がきれたみたいで、何も思い出せない。残念。

 かいちょう 11/10 22:33

835:[ 福山藩の教育と文化ー江戸時代後期を中心にー ]

 江戸時代中期以降、福山藩では農民一揆が頻発し、
藩は封建体勢の危機を強く意識し、教育による人材の
育成に求めた。藩は天明六年(1786)藩校
「弘道館」を開校した。教育内容は治政の学問である
儒学が中心であった。
 しかし、藩校教育は開校して間もなく不振に陥った。その原因は、出席が自由であったり、学業成績が昇任へと結びつかないことなどにあったが、その抜本的な改革は新学館の開館を待たねばならなかった。
 新学館は嘉永七年(1854)正月に「誠之館」と命名され、武術稽古所と合わせて福山城下霞町に、安政二年(1855)一月に開校した。文武振興策として、文武の能力を身につけた藩士を登用し一定の俸祿・扶持米を支給するとした仕進法の採用や、漢学中心の教育を改め洋学・医学・数学など新たな学科を取り入れるなど、幕末期に於ける国内の政情不安や外国の威圧などに対応する積極的な学制改革を行った。

 「誠之館」では伊沢トウケンが教師をしています。

 「弘道館」開校以前の天明元年(1781)に、菅茶山が私塾「黄葉夕陽村舎」(後の廉塾)を開き、頼山陽も講師をしています。ここから漢学が盛んになったようです。


 福山の博物館・美術館情報

 福山城博物館(天守閣内にある)
  茶山・朴斎・がく水ー福山藩の儒者たちー
 広島県立歴史博物館
  安芸吉川氏とその文化(十一月九日まで)
 ふくやま美術館
  岸田劉生・麗子展

 中川美術館は中国の文物でで有名です。秦の始皇帝のどうしゃ馬の縮小模型が他に貸し出されていなければ見応えのあるものらしいです。兵馬庸は本物があるはず。
 交通の便が悪くて私は行ったことはありません。




 この様な藩風の中で伊沢父子や森立之が育ったのでしょう。

山本朝子 11/03 10:03

834:[ 謎解き ]

 邪氣藏府病形の「栄輸治外経、合治内府」の「栄輸」は、上文の
「黄帝曰、余聞五藏六府之氣、栄輸所入爲合、令何道従入、入安連過、願聞其故」
の「栄輸」と、同じ意味で取りたい。
 この文以下は下合穴とその病症を主張したいところで、ここでの「栄輸」は、私は井、栄、輸、原、經、合の総称と取りたい。
 ただ、ここの「栄輸治外経、合治内府」をもとに今、中国では病を外経病と藏府病に分け、外経病の実に栄、虚に輸、藏府病に合を取る流派もある。
 日本でもそうですが、流派によって五輸の運用が違っても効くということが、謎です。

 経筋篇の治療原則は「痛い所に焼き鍼で速刺速抜」。五輸や原では効かない何かがあって作られたのでしょう。とても臨床的な篇です。

 鍼医の図を見て幾つかの謎が解けました。
 何故、『素問』気府論(59)や『素問』気穴論(58)には大体この辺には何穴と、アバウトな表記しかないのに、本輸篇では経別に取穴法と穴名が記されているのか。
 何故、人迎氣口診が脉診の早期に発達したのか。
 何故、募穴や兪穴が完全でないのか。

 いまだに解けない謎は、
 標本は先にこっちが病んで、後であっちが病んだら、先に病んだこっちを先にしなさい、というが、何故あっちもこっちも同時に治療してはいけないのか。
 内経の虚実の補寫(経絡治療は経脈の虚実を補寫することだというが、六部定位の脈差診をしていなかった時代の虚実はどのように判定し、難經六十九難の法則がなかった時代の補寫は何処をどのように刺したか。)これは今考察中です。

山本朝子 10/30 23:53

833:[ 栄輸 ]

 邪気蔵府病形篇の栄輸であるが、単純には文字通りに栄穴と輸穴と解釈しますが、栄輸は単にツボと解釈も出来ます。『難経』七十八難に「當刺之時.必先以左手.厭按所鍼貊児`之處」とあり、「鍼するところの貊児`の処」を前揉撚せよといっている。これは、栄穴と兪穴だけをいうのではなく、ツボ全体に対して言っているのであり、ゆえに栄兪はツボ全体をさすこともあります。外経とは、体表の、脈の循行部位(いわゆる流注)を指します。皮から骨までの病気は(経筋病だけに限らない)栄兪を治療するといえば、必ずしも栄穴、兪穴に狭める必要はないでしょうね。反応点、圧痛点、というのが一番近いかと思います。
 同じ文献で、同じような概念を表すのに、全く字形の異なった文字を使うのか。これはよくよく検討しなければならないですね。

かいちょう 10/24 15:27

832:[ 『霊枢』経筋(13) ]

 明治の篠原先生が経筋病に邪気蔵府病形の
「外經はエイ兪を取る」
を、使っているのが、ひっかかっています。
 何か、へん。
 「外經」を「經外」と取り間違っているのではないかと思えてなりません。
 しかし、
『中国医学の黎明』や『島田論集』を読みなおしてみると、
 足臂十一脉の「温[日が目の字]」は脈の意なのに「筋」と捉えた人達が『霊枢』経筋(13)を形成した。一方、足臂十一脈の病症は『霊枢』経脈(10)の所生病に取り込まれている。
 経筋病と所生病は源は同じ。
 経筋病に「エイ」「兪」が効いたということは、経筋篇の病症は経脈病症と捉えられることが出来るということではないでしょか。
 しかし、同じ場所から出た文で陰陽十一脈では脈[目篇の脈]が使われているのに足臂十一脈で温[日が目の字]使っているのは何故だろうか。

 経脈篇の是動病、所生病が解明できないのは、所属する經の藏府を主体に考えるから分からなくなるので、先ず脈の流れる部位から考察しないといけないのではないだろうか。

 
 尾道には千光寺山、西国寺山、浄土寺山の三山があり、どれも三十分程で登れます。千光寺山だけでなく、
 西国寺山頂のタンク岩で寝そべるもよし。
 浄土寺山では四国の石鎚山を模した鎖り場に挑戦するもよし。ただ子供でも登れるそうですが、危険なので私は観音の小道を登っています。鎖り場と観音の小道の合流点に大きな不動岩があり、岩の上からの眺めは絶景です。頂上の展望台もいいです。
 五時には日が暮れるので早めに下山してください。
 
 あまり無理しない程度にのんびり散策して下さい。


 当日福山に早めについた人は、
 福山駅の北側に福山城があります。駅ビルの北口を出て線路沿いに西に一分で城への登り口があります。
 登らないでそのまま二分も行くと博物館があります。室町末期に川に埋まり日本のポンペイといわれる草戸千軒遺跡の町並みを再現した部屋が有り、部屋の入り口でちょっとした演出があって、まるでタイムスリップして室町末期の田舎町に迷い込んだ様なきぶんになれます。
 博物館の横には美術館があります。

 福山の名物は「鯛竹輪」です。豪快に丸かじりすると美味しいです。駅ビル一階で売っているので、お土産にいかがでしょうか。

山本朝子 10/23 23:22

831:[ 尾道の階段 ]

 単独行動で申し訳ないですが、尾道を歩いてこようと思ってます。坂の町というのを聞いてますので、たのしみです。特に階段を期待しています。何とか山にロープウエイがあるようですが、これには乗らずに(事故があったからではありません)下の道を上ってみたいと思います。去年の五台山のなんとか寺の階段は千段あったのを思います。これは、近い将来に、泰山に上りたいからです。三千段あるらしいから、鍛えておかないと。来年は上海ですからダメだとしても、その次にはチャレンジしたいですね。それから、倉公の斉国にも行ってみたいですね。その前に、まず、尾道です。

 かいちょう 10/22 18:36

830:[ 尾道美食案内 ]

 尾道の名物料理
 青柳のオコゼの唐揚げとウニ飯。 コースで五千円以上です。単品でも可。
 宮徳の蒸し寿司。 千五百円ぐらい 茶碗蒸しとセットで二千五百円ぐらい。
 安広(やすひろ)の地魚のにぎり。三千円。
 その他の名店は、「おのみちミシチャラン」という地図に載っています。

 尾道ラーメンで行列の出来る店は
朱華園。尾道ラーメンの元祖。平日でも並んでいます。木曜定休。
つたふじ
壱番館
 甘味では
からさわ。 クリームぜんざい モナカ。
こもん。 ワッフル
 洋食では
レスポワール
ビストロ・ブァンビエール。タンシチュー。
ビストロ・旬亭。ランチは千二百円のコースのみ。
マキシム
 お好み焼きは
トマト
いわべい

 その他、どこも大体美味しいです。
「おのみちミシチャラン」「グルメマップ」は駅か観光案内所で貰って下さい。

山本朝子 10/18 12:54

829:[ ホームページサービスの停止 ]

定期電源設備保守作業に伴い、下記の日程においてUMINホームページサービスが全て停止いたします。やや長時間ですので予告しておきます。

平成15年10月25日(土)13時30分~18時

管理者 10/16 11:11

828:[ 扁鵲ふたたび ]

『山東中医学院学報』一九八一年第三期にある模写が正確であるとすれば、微山県両城画像石は扁鵲で間違いないでしょうね。やれやれ、よかった、よかった。
坐った姿勢で治療をうけているのも、考えてみると、現代中国の針灸でも全然不思議は無いのかも。上海で必ず横になっていたのは腰痛とか腹痛くらいで、五十肩なんてのはまずもって椅子でした。これは単純に治療室のスペースのせいだとばかり思ってましたが、根底にそれでかまわないという考えが有るわけですよね。

問題は嘉祥県宋山画像石に見られるもので、これも「神医」だというのは『山東画像石選集』の勇み足だと、やっぱり思います。

神麹斎 10/14 15:19

827:[ 東漢『神醫畫象石』之乙刺穴圖 ]

たぶん、東漢『神醫畫象石』のB「刺穴圖」の意であると思います。
以前、話題の扁鵲図について、かいちょうが「鍼をしているというのも善意の解釈」と書き込みされていました。黄龍祥ら主編『中國針灸證治通鑑』(青島出版社)の4ページには、神医(例の扁鵲風)によって頭と腕にたくさん針を刺されている二人の患者(女性?)の図が載せてあります。肩と腕は衣服の上から刺針されているように見えます。頭部には二箇所、ひとりは三本ずつ、もうひとりは二本と四本。解説によると、同一箇所に三本・四本刺す鍼法だそうです。

みどり 10/14 09:11

826:[ 尾道観光案内 ]

 今、ネスカフェのコマーシャルで女の子が踏み切りを渡って家に帰っている町が尾道です。

 古寺巡りは駅から東の陸橋の突き当たりから入ります。
所要時間は
 駅からロープウェイ山麓駅 一時間
 ロープウェイで千光寺山に上り、展望台で展望し、文学の小道を歩いてロープウェイ山麓駅まで下る 一時間
 ロープウェイ山麓駅から浄土寺まで 二時間
 浄土寺から駅まで 海岸線か商店街を歩いて四十分、バスだと五分
 計四、五時間

 古寺コースは石畳(レンガ坂だけはレンガ)になっているので地図に頼らず標識と石畳に沿って歩かれたらよいでしょう。

 眺めのよい所は
 何処でもいいですが、千光寺山の展望台は是非上がって欲しい。私のお気に入りの場所は座れる所で、志賀直哉旧居の縁側、文学記念室の縁側、千光寺の茶店、浄土寺の裏山の大岩の上。
 時間があったらフェリーに乗って向島からも見て欲しい。
福本渡船の上から見た尾道大橋(片道60円)
尾道渡船の改札を出て左側の岸壁からは尾道三山が真正面に見えます。(片道100円)


 さて、真面目な話に戻りましょう。
 
 『甲乙』を研究する時は、一応医統本を底本とし、六經本は参考程度にとどめるということでいいんですね。

 『漢方の臨床』の人面鳥身の図はとても興味深いですね。
 図五は本輸篇の臨床そのものではないですか。
 何故本輸篇に頸の回りの穴があるのかずっと不思議だったのですが、重要な治療点だったのですね。
 患者が裸になったていない。これが重要な点でしょう。
 補寫はどの穴を使ったか。
 全ての穴の施針に補寫概念はあったでしょうが経脉の補寫は本輸でしょうね。(井・エイ・兪・原・經・合)
 補寫にはどの鍼を使ったか。
 毫鍼でしょうね。

 高貴な人を裸に出来ない。治せないと殺される。そのような情況の中で本輸篇が発達したのでしょう。

 二十年程前、韓国に行った人が、韓国では手足しか施針していないと言っていた。当時は、
「韓国は寒い所だから腹を脱がなくてもいい治療をしているんでしょう」
と、言い合ったものだが、もしかしたら韓国に漢代の臨床が残っているのかも知れません。

 『太素』揚注の言語は「之」だけではだめです。他の特徴ある虚詞も見なくては。
 『藏珍要編』に何かがあるかも知れません。

山本朝子 10/09 12:11

825:[ 鑑定 ]

医学六経本(と称する)『甲乙』の鑑定は、現物を見るか、少なくとも鍼灸古典聚珍(より鮮明な影印が附きます)が刊行されなければ無理です。

TVの「なんでも鑑定団」は、鑑定団自体を鑑定にかける必要が有ると思ってます。(TVのなんでも鑑定団のことであって、北里のことではありません。)

黄龍祥さんが言うところの本は、満州医科大学に旧蔵されていたものです。それは蔵書印から分かります。ひょっとしたら岡西為人あたりと関係が有るかも知れません。そうした線からの可能性の検討でしたら、北里はお手の物で、不鮮明なコピーなんか必要ないでしょう。

それと、私は別に本物説の張本ではありません。むしろ、偽物である証拠(カケラらですが)を見つけたのかも知れない。
12-13a01下遯月蜚Vの遯撃ェ、医統本では第一画を欠き(これは版木が欠けたダケかも)、卯が非になっているはずです。六経本の字形は、遯撃フ卩が「おおざと」のように書かれてます。
まあ、異体字である可能性も有りますが、常識的には医統本の誤字を六経本で訂正した「可能性」のほうが若干高いだろうと思ってます。訂正されて出来上がった本は、もとの本より当然新しい。六経本の字形を見間違えて、医統本の刻工が変な字を造ってしまった「可能性」も皆無ではありませんが。それと医統本と言っても見たのは歩月楼のものだけです。
(医統本の字もねえ、上部の切れかたが埋木風に見えなくもない。所詮、コピーや影印で鑑定は難しいでしょう。)

神麹斎 09/29 18:41

824:[ なんでも鑑定団 ]

 大英博物館は泥棒博物館とも言われていますが、今回イラク戦争後の博物館略奪のように、大英博物館に収蔵されているから守られているお宝も沢山あると思います。
 鳥頭人身の立像はトト神かもしれません。
 入場料の有料化の話は出たそうですが、女王陛下が反対されて廃案になっています。
 いつか行ってみたいものです。

 ところで黄先生に頂いた『甲乙』を北里に鑑定に出してはどうでしょうか。
 「なんでも鑑定団」で、隕石だと信じて家宝にしていた石がただの石と鑑定され、大恥をかいた人が収録の帰り、その石を池に投げ捨てたそうですよ。
 北里は「なんでも鑑定団」ならぬ「善本鑑定団」のような所ですから、左合さん一人に任していないで、北里に鑑定に出しその結果を受けて内経医学会でシンポを開いてはどうでしょうか。偽書という話を耳にしながらそのままにしておくものではないと思います。 黄先生もコピーを渡した限りそれがどのように扱われるかは覚悟されているでしょう。

 『甲乙』明堂についてもおいおい内経医学会でシンポを開けたらいいですね。
 
 一月の研究発表は一人八分、質疑応答二分、計十分で六人ぐらいにおさえ、一時から二時までにし、あとは五時まで北里と左合さんでガチンコ勝負をしたら面白いと思いますよ。

山本朝子 09/29 11:10

823:[ 蒸しかえし ]

中国各地の訪書に放浪した後、ケンブリッジで英語の世界にうんざりし、先週16日やっと帰国しました。ふと思い、ここを拝見した次第です。

私が会長に提供した人面鳥身拓本は原石から直接とったもので、現在は入手不能でしょう。もう20年前のことですが、曲阜に来た初めての留学生ということで50元を15元にまけてくれました。当時の1元は70円くらいかな?

これを含めて以下のページに紹介してあります。
http://www.hum.ibaraki.ac.jp/mayanagi/paper04/shiryoukan/me071.html

なお人面鳥身の図は唐代のものも多数出土してて拓本を持ってますが、針や治療とは無関係なものばかりです。

韓国でのことですが、カラスは薬として煎じてしまうのでほぼ絶滅、代わりに吉祥鳥とされるカササギ鵲がカラスのようにまん延し、果樹園を襲うなどほぼ害鳥になってました。不思議な光景で、図書館の外で喫煙しながら毎日、カササギを観察してました。

一方、「鳥面人身」の神医の立体彫像がエジプトから出土しており、???と空想が膨らみます。確か大英博物館の所蔵ですが、先日行ったときには見られませんでした。あそこは泥棒学者と成金骨董趣味国家の自慢展示の感がして、気分が悪くなります。だから入場無料なのかな?

Mail 真柳 09/26 01:04

822:[ 補寫考ありがとうございます。 ]

 「補寫考」印字してじっくり読んでいます。
宮川さんの研究には基礎的なものがあり、とても参考になります。いずれは論文集を出さなければいけなくなるでしょう。もちろん書き直す所も出るでしょうが。
 島田先生の七回忌に饅頭本で出せたらいいですね。それが何よりの供養だと私は思いますよ。

 ところで、伝統鍼灸学会では今のところ宮川さんと小林さんの二人で飲む予定ですが、新しい会員で参加される人がいたら一緒に飲みましょう。店は未定にしてその時の人数と好みに合わせることにします。今から楽しみにしています。

 

山本朝子 09/24 21:47

821:[ 補寫考PDFの発表年 ]

伝統鍼灸学会(当時:日本経絡学会)雑誌
補寫考1、1991年(平成03)04月発行
補寫考2、1992年(平成04)04月発行
補寫考3、1994年(平成06)04月発行

こばやし 09/23 23:25

820:[ 補寫考PDF ]

山本さんのリクエストでここに載せておきました。
ファイルが大きいのでマウスで右クリックでファイルを「対象をファイルに保存」でゆっくり見たほうがいいかも。
【補寫考1、2、3】http://www.urawa.ne.jp/users/koba/database/hosyakou01.pdf
http://www.urawa.ne.jp/users/koba/database/hosyakou02.pdf
http://www.urawa.ne.jp/users/koba/database/hosyakou03.pdf

こばやし 09/23 23:20

819:[ 補寫考 ]

 補寫考は、慌ただしくしていて忘れていました。山本さんにコピーを送ります。第十鍼は、九鍼以外という意味で、別流派をイメージしています。満城漢墓の鍼も九鍼の枠に入らないような気がするので、『黄帝内経』の黄帝流以外の、扁鵲流とか、白氏流とかを。そんなわけで、おどろくような出土モノを期待しているわけです。経脈説もしかり。

 かいちょう 09/22 23:18

818:[ 第十鍼 ]

 季刊内経秋号が届きました。

 女の忍者を「くの一」
と、いいます。
 「女」という字を分会すると
「く」「ノ」「一」になるからというのは表の意味で、
裏の意味は、女には九竅以外にもう一つ竅があるからなのだそうです。
 「陰陽師」の作者、夢枕漠さんが格闘技好きの仲間と
「世界一強い人は誰か」
話し合ったそうです。出た答えは、
「世界一強い男の奥さん」

 ところで宮川さんの補寫考は伝統鍼灸学会で発表されているのでここには出せないようですね。
 虚実の補寫には第十鍼があった。というものなのですが、私には第十鍼があったとは思えない。かといって九鍼に九針十二原の補寫の記述に合う鍼は見当たらない。難しいとこですね。
 
 經絡説は推測はいくつか出ると思いますが解決出来るとは思いません。今後いい研究が出たら紹介して下さい。

 

山本朝子 09/22 22:05

817:[ 電子版『霊枢講義』アップロード ]

電子版の『霊枢講義』を霊蘭之室にアップロードしました。
これは、卷三まで入力して中断していたものを、2003年夏に学苑出版社排印本を入手して、その刺戟によって作業再開したものです。したがって、特に卷四以降は学苑出版社排印本の恩恵を承けており、また中断に伴って、卷三以前と卷四以降には処理上に微妙な差が有るものと思われる。
影印を持ってない人のために、しばらくの間は書庫の外にも置きます。
会員紹介もしくは会員ホームページ紹介の頁から、霊蘭之室に入り、さらに読書会案内に入り、「霊枢講義」をクリックしてください。
影印をお持ちのかたは、所在を標記してありますので、間違いさがしに便利です。お気づきの際は是非ともご一報願います。
ただし、この電子版『霊枢講義』はそれほど親切なしろものではありません。フォントの準備が無ければいくつかの文字は欠けるはずです。掲示板に書き込んでいただければ、対処のしかたをわかる範囲でお答えします。

神麹斎 09/22 13:03

816:[ 極まったら引き返そう ]

経絡説は極まったという感想は、『霊枢』経脈篇にたどり着いて先を見たら断崖絶壁、かといって後を振り向いたら、今来た道は波に洗われている、という状景ではなかろうか。ここは一番、勇をふるって引き返すしかないでしょう。

かいちょうの意見に賛同します。

ただ、臨床という立場からということに関して、例えば中国の研究者は研究が仕事であり、臨床とは別次元に居る、というような評価なら、それには若干の疑問を感じます。今日明日の臨床は関係ないかもしれない。しかし、彼らには将来の針灸医学臨床を指導する気概が有る。その為に研究している。臨床に全く関係なく古医籍を読もうとする者は、ひょっとしたら日本の中国思想研究家にはいるのかも知れないけれど、まあ、ごく稀でしょう。
「臨床経験がなければ医籍は読めない」が妥当な忠告であると同様に、「臨床家には古典を正確に読むことはむずかしい」もまた真理だと思う。だって、自分の臨床体系を破壊しかねない読み方をしようなんて、相当に物好きかつ豪傑だと思いませんか。

神麹斎 09/21 13:04

815:[ 経絡説 ]

 経絡説はきわまっていないですね。まだまだ、読み込みが足りないですから、きっと新たな解釈がでると思います。問題は『霊枢』経脈篇にあり、その位置づけ、前後関係を明らかにすべきなんですが。それには『馬王堆漢墓帛書』が最も重要な史料だと思います。しかし、今もって、それを熱心にやっている鍼灸家はいないと思います。白川静の真似じゃないけれど、あれを手で写し、ひとつひとつの漢字から始めるような研究を、これから誰かがやらなければならないと思います。臨床と並行して。
 きわまったというのは、今までのやり方でやった結果で、個人的にはやりきっていない、という印象です。

 かいちょう 09/21 11:24

814:[ 經絡説について ]

 扁鵲自体が鳥の名、鵲(かささぎ)だったのですね。
 エジプトでは、知恵の神であるトト神はトキです。
 中国では鵲が病を治し、エジプトではトキが知恵を授けた。
 民話とか伝説って面白いですね。

 最近「アルジャーノンに花束を」というドラマの再放送を見ました。
 知的障害者が外科手術で天才になる。しかし、先に手術したマウスがもとに戻る姿を見て自分の未来を察し、頭のいいうちに戻らない方法を研究するのですが、出た結果は「命に寿命があるように、自分の脳も治らない」そして元へ戻っていく。
 私はこれを見てて思ったのですが、經絡説はすでに限界に来ており、これ以上解明は出来ないのではないでしょうか。
 ちょうどこの番組を見たのが『内経霊素考』を読んだあとで、十年前、津曲さんや高橋さんが言っていたことがやっと私にも分かるようになっていました。ただ十年前の問題が今、解決出来ているか。二人の研究情況は分かりませんが多分解決出来ていないと思う。もう限界にきていると思う。

 話は変りますが、『中国医学の黎明』が再版されるといいですね。
 誰か津曲さんと左合さんの間に入る人はいませんか。この本の中には内経研究の最前線となり得るテーマが宝石のように散りばめられています。
 若い人に是非読んで欲しい一冊です。

 それから私事で恐縮ですが、天野さんには私のメカ音痴が振り回してしまい大変ご迷惑をおかけしました。これに懲りずにいつか機会がありましたらよろしくお願い致します。

山本朝子 09/17 22:19

813:[ 長濱善夫学説? ]

全日本鍼灸学会雑誌52号5号(2002年11月)「経絡論争期の経絡・経穴についての基礎研究」(山田鑑照)に、「長濱善夫学説」と称し、れいの「新経絡」(鬲兪経。八兪経)などを写真とともに掲載していた。
ここには「丸山昌朗」の名前の欠片も無い?!
この本(「経絡の研究」)が第一版で終わっている理由はここでは書かないが、これはちょっと認識不足だな。

こばやし 09/16 22:01

812:[ 夜鳴く鳥 ]

 そういえば、山田慶児の「夜鳴く鳥」(岩波書店)は絶版だそうである。この中には、扁鵲のことを詳しく書いた「扁鵲伝説」がある。なかなか古本市場にも出てこないので、気づいた人は買っておいたほうがいい。不要でも、もし、見つけたら、教えてください。欲しい人がいます。

 かいちょう 09/15 16:59

811:[ 「扁鵲(へんじゃく)、病を治す」より引用 ]

藤堂明保著『中国名言集(上)』朝日文庫P.66
「扁鵲(へんじゃく)、病を治す」より引用

http://www.urawa.ne.jp/users/koba/database/henjaku-jis.htm

長文なので、ここに置いておきました。お読み下さい。

こばやし 09/13 17:04

810:[ 扁鵲の拓本 ]

 正確なことをいわせてもらえば、脈をみたり、鍼を刺したりしていますから、上肢は人だと思います。よって、半人半鳥といったほうがいいでしょう。
 脈を診ているというのは善意の解釈で、鍼をするのに逃げられないように捕まえているようにもとれます。鍼をしているというのも善意の解釈ですが。
 拓本は2000円ですが、額は9000円かかりました。患者受けはいいですから、待合室には最適です。日本中探しても、扁鵲の拓本を掲げているのは、今のところ僕だけです。今回入手した人もその仲間になるのですが、味のある待合室ができるでしょう。

 かいちょう 09/10 12:08

809:[ シルクロード ]

 あの拓本は人面鳥だったのですね。
 私はずっと人面バッタだと思っていました。

 人面鳥は右手で脉をとり、左手に鍼を持っている。
 左利きなのでしょうか。

 ところで、人面鳥は中東でよく見られる図柄です。
 トルコ、コンヤの旧神学校のタイル博物館で人面鳥のタイルを沢山見ました。その近くのメブラーナ博物館で人面鳥タイルの絵はがきが売られていました。
 日本でも人面鳥の絵を見ることが出来ます。
 上野の国立博物館のオリエント館のペルシャのコーナーだと思うのですが、『アリババと四十人の盗賊』で出てくるような大きな油壷が置かれている部屋の奥のショーケースに、直径30センチ程の皿に人面鳥が描かれているのが展示されています。
 中東では人面鳥にどのような意味があるのか分かりませんが、エジプトでもよく見られます。エジプトでは人面鳥が死者の魂を肉体から離して何処かへ運びまた肉体へ持ち帰ってくるそうです。

 トルコ、イスタンブール、トプカプ宮殿の陶器コーナーで青磁のようなものを沢山みました。スルタン(王)の料理に毒が入っていると色が変るとかで、スルタンが使っていたそうです。
 トルコで中国と同じような焼き物を作っていたのだなあと、その時は思ったのですが、最近テレビでそれが中国から渡った青磁であることを知りました。

 トルコ、イスタンブール、軍事博物館で鎖帷子(くさりかたびら)にそっくりなものを見ました。
 ヨーロッパの中世の騎士がつけるような鉄の鎧のコーナーにあったので、鎧だけでも相当重いでしょうに下に鎖帷子を着けていたとは信じられませんでした。
 鎖帷子は私の近くでは因島の村上海軍の遺品を展示している所で見れます。
 東西の交流があったのか、偶然似たようなものが遠く離れた地で作られたのかは分かりません。

 ヘンジャクと言われる人面鳥と中東の人面鳥に何か関係があるのかなあと、時折思うことがあります。

山本朝子 09/09 22:46

808:[ 扁鵲サンプルのコピー ]

じつはこの扁鵲のコピーをここにのせてあります。
東亜医学協会HP(http://aeam.umin.ac.jp/)のトップページに。
http://aeam.umin.ac.jp/henjaku2.GIF
今回のものをコピーして一部カットしてありますが。

こばやし 09/09 15:32

807:[ いや実は ]

いや実は、真柳さんの扁鵲の拓本画像(結局、他の書籍から取りましたが)をどう紹介しようかと迷っての、苦肉の策です。
ここ数日は祖師グループとして、黄帝、岐伯、扁鵲でしたが、さっき淳于意を追加しました。

神麹斎 09/09 13:01

806:[ 神医 ]

普段あまり見たことは無かったんですが、扁鵲の拓本のおかげで、ホームページの会員紹介欄をみました。その中には、黄帝、岐伯、扁鵲の3人だけになってますが、倉公もいれてほしいと思います。感情的に。それから、内経の中の問答者でいえば、雷公、少兪、少師、伯高も要るかな。この際だから、整理しておきましょうよ。個人的には、彼らを神医と言ってもいいかと思います(第1グループ)。張仲景や皇甫謐は一等劣るのではないでしょうか。第2グループですね。

 かいちょう 09/09 11:33

805:[ 人面鳥身神の画像 ]

下で話題にした人面鳥身神の画像を「靈蘭之室」の、酒亭「一角獣の微睡」からリンクさせました。
「靈蘭之室」へは、会員紹介または会員ホームページから入れます。

神麹斎 09/09 09:34

804:[ 神医 ]

本当に扁鵲なの、なんて発言は本当はまずいんだけど、まずそうだから疑問を控えるなんてことは、内経医学会の伝統にはずれると思ったから、ちょっと言ってみました。
ただし、山東の博物館の先生方は、私なんぞが持たない資料と学識に基づいて、神医と言っているんだと思いますよ。本当は扁鵲とは確言してないけれど、人面鳥身の神医と言ったら扁鵲だよね。

神麹斎 09/09 07:36

803:[ 人面鳥身 ]

微山県両城画像石に見られる人面鳥身は、実は他にも少なくとも四つ有る。解説はその中の二つについて、やはり神医と言っている。相対する患者とおぼしい人物もいる。
ところで、山東の画像石では嘉祥県宋山のものにも人面鳥身が幾つも見られる。宋山画像石の画面は概ね四層をなしていて、その最上層の中央に西王母か東王公がいて、その脇に人面鳥身がいる。その中のひとつについて、解説はやはり神医であって病人の頭に針を施そうとしている、と言う。しかし、これはそんなに確かに治療しているようには見えない。むしろ踊ってないか。
とすると、先の微山県両城の画像石も、本当に扁鵲なのかしら。人面鳥身の先祖神であって、子孫に何かを授けようとしている、とも見えるんですが。だから何人もがその前に跪いている。
武氏祠漢画像石にも、西王母を中心にして、有翼の人とか、下半身が犬(?)とか蛇(?)とかの人に交じって、人面鳥身がいて、宋山画像石のものと手にしているものまでそっくりなんですが。

神麹斎 09/08 23:10

802:[ 微山県両城画像石 ]

そうたいしたことは分かりません。
以下は『山東画像石選集』(斉魯書社1982年 たぶん第一回天津訪問の帰途に購入)の「微山県両城画像石」と問題の図版の解説の抄訳です。( )蜈ァは訳者による補足。

微山県北部の両城公社(曲阜の南南西50~60キロ?)付近から出土。合計三十七の石に、三十八幅の画面が有る。近年出土した原石は、十二石が微山県文化館に保存、八石が両城の現地に散置されている。早くに出土していた十七石は、曲阜の孔廟に現存している(この中に問題の扁鵲の画像が有る)。両城画像石は主として浅い浮き彫りであり、他に四幅の陰線刻と一幅の凸面線刻が有る。
(微山県文化館に保存されている一原石の)画面外の両辺に隷書による題記が有る。
「永和四年四月丙申朔廿七日壬戌桓蟄ィ終亡二弟文山叔山悲哀治此食堂到六年正月廿五日畢成自念悲」
「痛不受天祐少終有一子男伯志年三歳却到五年四月三日終倶歸皇泉何時復會愼勿後世子孫令知之」
(扁鵲の画像が有る)石面は縦が84センチ、横が80センチ。画面は3層に別れ、上層には一竜、三獣がおり、左端の虎の頭に対する。中層には、人物が五、その左に人面鳥身の一神医(つまり扁鵲と思われるもの)がいて、手に針石を持ち、病人の手を拉いて治療を施そうとしている。下層には、大樹の上に鳥がおり、樹の下には豚の腿が懸かっている。そして下に人物が四、それぞれ爐をおこしたり、肉を切ったり、水を提げたりしている。

神麹斎 09/08 13:39

801:[ 拓本の解説 ]

 神麹斎さんへ
 扁鵲の拓本ですが、2段目は扁鵲が患者(5人が並んでいる)の脈を取り針をしている様子らしいのですが、「山東画像石選集」の解説があれば教えてください。また、1段目と3段目はどのような物語なのかも教えてください。

 かいちょう 09/08 09:48

800:[ 扁鵲の拓本2 ]

 拓本をそのまま実物大で複写しました。複製ながら、貴重な拓本に出会えるのは、なんと幸せなことでしょう。この拓本は、藤木俊郎先生の著作のカバーデザインに使われていたので、本物が欲しいなとずっと思っていました。真柳教授が持っているのは、本人からずっと前に聞いてたからで、それをふと思い出し、複製を思いついたわけです。100枚つくりましたので、枚数制限は今のところありません。待合室に飾るのが最良です。雰囲気ばっちりです。変な経絡図をかけるより、相当ましだと思います。額は、ぼくは9000円くらいしました。
 こういった物は時宜もので、来年になったら無くなると思います。入手出来る人は、この談話室を覗いためぐりあわせでありますぞ。

 かいちょう 09/07 19:50

799:[ 山東漢画像石の扁鵲 ]

いや驚いたね、かいちょうから扁鵲の拓本複製が届いたけれど、デカイ!(驚く方が間違っている。寸法は下にすでに書いてある。)
これは私のスキャナでは読みとれない。だから私の蔵書中から『山東漢画像石選集』(斉魯書社1982年)を取り出しました。
微山県の北部両城公社付近で出土したもので、もともとの石は縦85センチ、横80センチで、画面は三層になっています。その上中層を拓本に取ったのが今回のものだと思います。だから当然実物大でしょう。
手に針を持った人面鳥身の神医がいて、その前に患者とおぼしきものが並んで治療を待っています。島田先生がインコが仲間の治療をしたと興奮して書いているのは、この画像が紹介されたのがもともとのきっかけだろうと思います。(島田隆司著作集 下 p.373)
会員紹介頁の祖師のうち「扁鵲」をクリックすれば、『山東漢画像石選集』から拾った画像を見ることができます。

注:どちらが良いというものではありませんが、私が書籍から取ったものと、真柳氏の拓本とでは、見た目が、当然ながら、若干違います。

管理者 09/07 15:29

798:[ 扁鵲の拓本 ]

 真柳先生所蔵の扁鵲の拓本の複製を作りました。管理者に送りますので、詳細は管理者から発表してもらおうと思います。タテ50×ヨコ90で、コウゾ紙を使いました。1枚2000円です。希望者は、日本内経医学会事務局まで。

 かいちょう 09/06 08:29

797:[ 跳び躍ねる ]

『針灸経穴与原気』の主著者は、臨床一筋の人で、しかも勉強仲間で共著者(助著者?)である人に、序文で文章力が無いと言われるような人だから、文章の出来や用語の選択の妥当性を云々してもしょうがない。
それよりも、臨床家の直感として、『霊枢』の中心的な理論では経脈は循環していない(向心的な十一脉)、経脈篇第十の理論はむしろ夾雑物である、と言ったのが面白いわけです。
本当にそうかどうかも、実は眉唾です。ただ、そういう視点で『霊枢』を読み返してみると面白いかも知れない。つまり、足下をしっかりという意味で『霊枢講義』を推奨するのとは対極に在るものとして、面白がるわけです。どうして気と血を分けられるのかとか、『内経』に原気の流れについての記述が有るのか、などはこの際どうでも良い。(本当は良くはないけど。)

神麹斎 08/30 08:48

796:[ 尾道の宿 ]

 昨日、伝統鍼灸学会の申込書が届きました。
福山と尾道はJR山陽本線で20分程ですから尾道の宿も紹介しておきます。

 一押しは駅前に最近出来た、グリーンヒルホテル尾道
  S7500~ T14000~ 0848-24-0100
 次は、ホテルアルファーワン尾道
  S5060~ T13200~ 0848-25-5600
 古いビジネスであまりお勧めしませんが、ホテル港屋
  S4800~ 0848-22-3708
 こちらも古いビジネスで、大正苑 和室もあります。
  S4000~ 0848-23-5228
 和風の古い旅館で、最近補修して若い女の子も泊まるようになりました。旅館佐藤
  素泊まりのみ3500~ 0848-22-2879

 どれも尾道駅から五分以内です。料金は予約の時に確認して下さい。
 新幹線の新尾道駅とは三キロ程離れているので間違えないで下さい。


 『針灸経穴与原氣』は向心的な十一脉が正經で、營気・衛気とは別に、先天の原氣が流れているという本ですが、どうしても気と血を分けることに合点がいきません。
 そして『内経』には原氣の流れについての記述があるでしょうか。
 『内経霊素考』(邦題『中国医学の黎明』)を読みなおしてみてください。

山本朝子 08/29 22:53

795:[ そうか ]

 原から何物かが流れ、ついで五輸穴に拡張された、というのはいいですね。いただきです。

 かいちょう 08/29 18:37

794:[ 「意仲玄奥」 ]

 六然社から「意仲玄奥」という本がでました(5000円)。森(立之の家系)家に伝わる鍼灸秘伝書です。説明は、「内経」の次号に書きました。会員割引がありますので、事務局まで申し込んでください。
 また、森ノ宮医療学園出版部から、「はりきゅうミュージアム№2」がでました(3810円)。「№1」(3810円)もあります。同上。

 かいちょう 08/29 18:34

793:[ 原委 ]

崖の下から湧き出る泉、というのは別に私の意見じゃありません。『説文』における説明です。

白川靜『字通』に、
[象形]古文の字形は■に作り、厂(がん)(巌)下に三泉の流れ出る形。〔説文〕十一下に「■は水泉、本なり」とあり、水のわき出る水源をいう。それより原始・原委の意となる。平原の原はもと驍高ノ作り、狩猟を行うときの予祝儀礼を示し、水源の原とは別の字である。原を原野の意に用いるに及んで、のち源の字を用いる。(■は、厂の下に三つの泉)
[訓義]
1.みなもと、巌の間から水の垂れ流れるところ。
2.もと、はじめ、根本、根原。
3.もとづく、たずねる。
4.はら、原野。もと驍高ノ作る。のはら、耕作地。
5.愿と通じ、つつしむ、すなお。
6.ゆるす、のぞく、ふたたび。

原を原野の意に用いるのがいつからかは知らないけれど、その意味で原穴を名づけるとは、やっぱり考えにくい。原から何物かが流れ出ると考え、ついで原のみから流れ出るわけじゃないとして井貊児`経合に拡張され、五行性格が付与され、流れ出る何物か、とは何か、からやがて三焦の原気とかが考え出されるわけで、もともとの命名の意義は、みなもと、あるいは根本、根原、というのがまっとうな(あるいは平凡な)考え方でしょう、やっぱり。

神麹斎 08/29 16:50

792:[ 土穴 ]

 確かに、土穴とはいうものの、原穴設定時点からあった概念なのか定かではない。ので、平原をあまり意識しなくてもいいのだが、平原を見ないで平原の意味を捨て去るのは、どうも納得がいかない。そんなわけで、平原なのである。
 がけの下の泉と、五蔵+膏・肓をどうやってむすび付けるのか。原穴から、五蔵に向かって水が流れるのだろうか。水の流れなら、井貊児`経合がすでにある。むしろ、水とは関係なく、みなもとという意味で使っているのではないか、そんな風に考えたわけです。根源→根源の気→元気。なわけで、原気=元気じゃないだろうか。

 かいちょう 08/29 16:04

791:[ 五蔵と膏と肓の原 ]

原穴というのは、やっぱり九針十二原が最初であって、だから、五蔵と膏・肓を、診断し治療するための最重要穴の選定だと思う。それを原穴と称したのは、選定した人の好みでしょう。
その人の意識の中に、井貊手・経合の流れが有ったかどうかは疑問だし、五蔵の原穴が陰経に在って五行では土であるとか、それと相応する六府の原穴が陽経に在って五行穴とは別とか、三焦の原気がどうのこうのというのは、妄想を紡いでいった結果であって、もともとの命名の意図とは違うんじゃないか。(妄想は価値あるものだと思うし、好きです。)
ではもともとはいうと、原(小篆になるべく忠実に楷書化すれば蜴。)は『説文解字』では、崖の下から湧き出る泉なんですね。とすると原穴は、五蔵や膏・肓を標とした場合の本というつもりなのかも知れない。(これ自体が妄想です。)

神麹斎 08/29 11:03

790:[ 原と原穴 ]

 原穴の原は、いろんな意味があって、なにゆえに原穴というのか、いまだにわからない。
 一つは平原の原で、そこから生み出される食物、それを摂取して作られる気が原気で、その原気を補佐できるのが原穴ではないか、という説。これは、五蔵の原穴が土穴であることからも、捨てがたい。
 二つは原は源であり、水源を意味し、気の本源、根本であるという説。
 三つは原は元の仮借で、原気は元気であり、元気とは天地万物の根源であり、身体でいえばあらゆる気の根本である。源と元は近いようだが、元の方が意味が広い。
 三つを総合すると、元気は、穀気を由来とする、身体の根本の気である。元気と原気が同じだとすれば、原穴というのは五蔵の元気の状態が顕現するところで、同時にそれを治めることができるところだといえる。穀気をはずせば、原気は父母由来の先天の原気ということになる。穀気をはずせるか、これが個人的に引っかかっているところである。
 そんなわけで、あの写真のような平原に行きたいのである。

 かいちょう 08/29 09:39

789:[ 江月梅 ]

この前NHKで再放送やっていた「大地の子」の陸一心が流された内蒙古はここか?あの奥さん江月梅は綺麗だった。清楚で、美しく、内に秘めた強い精神。あこがれだな。あっ、モンゴルの話しじゃなかった。

匿名です 08/25 22:08

788:[ 大原 ]

 モンゴルの大原の写真は感動的でした。小生は海の出身ですが、あのような平原をみるとなんだか懐かしくなるので、おそらくとおい祖先はモンゴルに住んでいたのではないかと思ってます。そんな意味でも感動的でした。いつか原穴の原の意味を、モンゴルの平原をみながら考えてみたいものです。

 かいちょう 08/22 19:17

787:[ フフホト便り ]

内蒙古の真柳氏から写真と便りが届きました。
http://plaza.umin.ac.jp/~daikei/mayanagi.htm

管理者 08/22 11:26

786:[ 無題 ]

真柳氏→岩井氏の連絡に、かいちょうが手を貸して、
「私用連絡にここを使わせてもらって申し訳ありません」
そんなことはかまいません。それよりも、これって中国からの始めての書込じゃなかったかな。出来て当たり前なんだけど、いやあ、本当に出来るのをみると感動ですね。

管理者 08/20 09:16

785:[ 真柳先生へ ]

 岩井氏はアドレスを持っていませんので、小生が用件をうかがって、返答もうしあげます。

 かいちょう 08/19 17:34

784:[ 岩井氏へ ]

私用連絡にここを使わせてもらって申し訳ありません。
私は中国各地の図書館で調査中で、今週はフフホトの内
蒙古図書館にこもってます。

一昨日妻からメールがあり、「岩井氏から電話がありました。医史学会の雑誌がどうとかと言っていました」とのことですが、私にメール頂けますでしょうか。あいにくここに岩井氏のメルアドを持って来ていなかったので、ここを使わせていただきました。どうぞ宜しく。

Mail 真柳 誠 08/19 09:07

783:[ 杭州での学会 ]

郭さん中国から戻ってきていい話を聞きました。
「北京で錢先生とお会いし、今年の杭州での学会が来年5月前後、上海で行うことに変更しました。日本内経医学会の先生方、是非、ご参加して下さい。」
とのことです。

こばやし 08/16 23:11

782:[ 島田先生の墓参と講義を聴く会 ]

墓参と講義、ごくろうさまでした。
ここに写真アップロードしてあります。見て下さい。
http://www.urawa.ne.jp/users/koba/photo/20030810/

こばやし 08/16 22:04

781:[ 無題 ]

 島田先生の墓参と講義を聴く会が8月10日にありました。その報告。墓参には結局10人弱が参加。とても暑い日でした。島田家の皆さんと一緒になり、楽しい墓参となりました。
 講義を聴く会は、「徳隆会」と称して、40~50人ほどが集まりました。島田先生を慕って、こんなに集まるとはおどろきです。先生の懐かしい写真をみたり、テープを聴いたり、参加して大いに充実しました。

 かいちょう 08/13 23:25

780:[ 補寫考 ]

宮川さんへ
宮川さんの「補寫考」を
見たいのですが
経絡治療誌のバックナンバーがが
何処にしまい込んだか、
もし可能ならホームページに
掲載して頂けませんか。無理なら個人的にメールの添付ファイルで送って頂けませんか。

山本朝子 08/12 10:06

779:[ 『霊枢講義』ふたたび ]

 「控えめ」の魅力というのは、意外でした。『素問』では『素問攷注』というように、盛りだくさんに眼がなれてしまっていたのかも知れませんね。そんな眼で、今度から読んでみたいとおもいます。

 かいちょう 08/08 13:21

778:[ やっぱり『霊枢講義』補足 ]

清代考証学の精華の運用という点では、『霊枢講義』は一つの頂点であると思う。この上は、老練な臨床家の意見、若手の研究者の学説から示唆を得て、例えば十一経脈から十二経脈への進歩ではなく、十一経脈派と十二経脈派の並立とか、『霊枢』を経脈篇ではなく、本輸篇を基礎とした構成と観るとか、是動病を各経脈の腕関節・踵関節付近の、脈診兼治療点が異常な拍動を示すときの病と理解するとか、そういうことを自分なりに考えていきたいと思う。
その際の足下を固める煉瓦の一つとして、『霊枢講義』には棄てがたい魅力が有る。

神麹斎 08/05 21:31

777:[ やっぱり『霊枢講義』 ]

私はやっぱり『霊枢講義』が一番好きです。先人の考察の痕をきっちり抑えて、「どうしても」必要ならば自己の意見を陳べる。
森立之は奔放にして不羈なところが楽しいし、渋江抽斎は慎重に手綱を引き締めているところが頼もしい。そしてこれだけは言わねばならぬ、と言うときにはやはりズシリとしたものが有る。二人が、森鴎外の小説通りの人だったかどうかは分からないけれど、『講義』と『攷注』を比べると確かにそうかも、と思う。
自分で、『霊枢』を読んで考えるときには、『霊枢講義』の控えめなところが好ましい。変な譬えかも知れないけれど、(教師用の)学習指導要綱(?)を手に入れた高校生のようなワクワクが有る。『霊枢校注語訳』は優秀な解答例という感じがする。

神麹斎 08/05 18:57

776:[ 「霊枢講義」の魅力って ]

 渋江氏『霊枢講義』の魅力はなんだろうか。『霊枢』第一の注釈書とはいわれているけれど。かいちょう自身、霊枢講座をもっているが、ほとんど参考にしない。まだ、郭靄春の「校注語釈」のほうが利用度は高いな。家本先生じゃないけど、『霊枢』の本格的な注釈が必要だと思う。
 理想をいえば、お金を心配しないで「霊枢」だけ研究していられるならば、ぼくは『霊枢』の新注釈をやりたいですね。80歳まで保留しておけば、白川静のようにやれるかもしれない。丸山師が58歳、島田師が68歳、ならば78歳か。悪くないですな。

 かいちょう 08/05 14:34

775:[ 学苑出版社『霊枢講義』校正 ]

p001昔皇帝作内經十八巻,
言うまでも無く、皇帝は黄帝の誤り。


以後の校正は、霊蘭之室のほうの掲示板で……。

神麹斎 07/31 20:47

774:[ 霊枢講義!! ]

学苑出版社の渋江抽斎『霊枢講義』活字本を入手しました。
いや凄いです。

私も『霊枢講義』を何年も前に電子文書化しようとしたことが有りますが、巻3あたりまでで中断したきりです。

ただ、なんで今どきJISコードでパソコン入力したんだろう、ユニコードを使えば文字種はうんと多いのに。私の巻3までの入力では、CJK統合漢字の拡張領域は使ってなかったけど(まだ使えなかったけど)、今日あらためて調べてみると字素を{ }に入れて処理しておいた文字の全てが、CJK統合漢字の拡張領域には有りました。2字が拡張領域Bで、これは正直言って使いにくいけれど、他は拡張領域Aに在って、だからフォントの用意さえあれば、ほとんど何の面倒も無い。

本当は活字本もいいけど、贅沢言えばCDだともっとよかった。そのためにもユニコードのほうが良いとおもうんだけどなあ。


話は突然変わるけど、白川靜さんの『字通』がCDになるの知ってました?7月下旬発行と言ってましたが、わずかに遅れて明日発行だそうです。さて、どんな具合になっているか、楽しみです。

神麹斎 07/31 17:11

773:[ 霊枢講義 ]

 学苑出版社のシリーズの、渋江抽斎『霊枢講義』の活字本が出版されました。このシリーズは、森立之の『素問攷注』『本草経攷注』が既刊です。上下で5500円で、本日入荷しました。希望者は、日本内経医学会事務局
miyakawa-daikei@umin.ac.jpまでご一報ください。

 かいちょう 07/30 10:05

772:[ 運営委員の役割分担 ]

運営委員には既に役割分担が有ると思います。

委員長の宮川氏はつまり会長です。勿論、これが一番大変です。
小林氏は現在は、北里との提携事業『日本医譜』担当です。それが終わったらまた何か提案すると思います、電脳を駆使する作業を。
荒川、岩井両氏(と宮川氏)は、日曜講座担当です。学術的な問題は、大抵彼らが解決してくれます。
左合は、WEB(ホームページ)担当です。手に余ることがあれば、小林氏の力を借ります。何と言っても小林氏の電脳知識は別格です。
林氏は、『季刊内経』の編集担当です。
会長としての仕事に、もし宮川氏だけでは手(足?)が足りない時には、大抵は金古氏を患わせています。その意味からは彼が事実上の副会長です。
その他の運営委員は、言ってみれば無任所、遊撃です。
事実上、運営委員の全員がさまざまな意味で副会長の役目をこなしていると思います。

山本さんも、談話室のにぎわし役として名乗りを揚げますか。

神麹斎 07/29 23:15

771:[ 学苑出版社版『素問考注』校正 ]

p339○其民嗜酸而食閭普C
   〔張〕閭普C腐也。物之腐者,如鼓鮓鮗ッ醤之屬是也。
案ずるに、鼓は雎奄キなわち浜納豆の如きものの誤り。自筆本は誤ってないが、恐らくは内経医学会本も誤っている。(調べてない。)

神麹斎 07/29 22:35

770:[ 副会長 ]

 会員ホームページは指示通りにしたら読めるようになりました。
そこだけが文字化けしていました。
 島田先生は業界の二代目には苦労させられていたので息子さんたちを会員にしていなかったのでしょう。わかるような気がします。
 『鍼灸重宝記』は助かります。いつか「『鍼灸重宝記』から八木下翁の臨床を推する」を書く氣になったら使わせていただきます。
 
 会長の件の出所は私です。私の勘違いであったのなら申し訳ありませんでした。
 ところで副会長が決まらないのは何故ですか。宮川さん一人に責任を押しつけないでちゃんと副会長を設けて頂かないと会の運営に差し障ります。
 誰が邪魔をしているのですか。
 私は運営委員ではないので発言力はありませんが、もし推薦するとしたら左合さんと小林さんの二人にお願いしてはどうかと思います。
 何故かというと、SARSで東洋学術出版社のホームページをみて左合さんが質問に答えているのを知りました。今までは原塾をつぶした張本人に会長はもちろん副会長はもってのほかだと思っていましたが、対外的な活動をする気になったのなら「副会長」の肩書があった方がよいと思います。
 小林さんは誰も異論は無いでしょう。
 これからは講演依頼も来るでしょう。
 林さんは『季刊内経』編集長。
 荒川さんは医古文基礎講座講師。
小林さんと左合さんにも肩書があった方が、講演を企画する方も人集めが出来るでしょう。

 運営委員会でいつまでも保留にしていないでちゃんと決めて下さい。

山本朝子 07/29 21:59

769:[ ?! ]

あの、それ何かの間違いですよ。誰からの話ですか。

「宮川氏を会長にという推薦は、私にさせてくれ」とか、「今は待ってくれ」とかは、ひょっとしたら言ったかもしれないし、具体的になってからは、他の人を推薦する案を片っ端から反対した覚えは有ります。

誰がいいとかは思ってませんでした。本当のところ島田先生でなきゃだめだと思ってました。そういうふうなこと、「島田先生が会長でなくなったら、俺は辞める」とは言ったのかなあ。

でも、具体的になってからは一貫して宮川さんしかないと思ってましたし、言ってたはずです。
他の人には申し訳ないけれど、「宮川氏以外が会長になるなら、俺は辞める」の間違いのはずですよ。

誤解されていたのなら、私の不徳です。

神麹斎 07/29 16:06

768:[ 会長候補 ]

 そういえば、島田先生の亡くなる前、岐阜の左合さんは、宮川氏が会長になるのをいやがっていて、「宮川氏が会長になるなら、俺は辞める」とか言ってたそうです。今思えば、懐かしい話ですね。そのことはどうでもいいのですが、左合さんは誰がいいと思っていたのでしょうか。聞いてみたいですね。
 家本先生は、柴崎保三先生のお弟子さんで、かれこれ20年以上も古典の世界にいる人です。林克先生の素問講義にきていましたので、お顔だけは拝見しました。熱心に素問を読まれている人だと思っています。ので、是非とも読んでみたいですね。


 かいちょう 07/29 13:57

767:[ 文字化け?取りあえず ]

え~、「会員ホームページ」の文字化けの方は、
表示→エンコードメニューで日本語→自動判別にしてみてください。
それでまだダメなようならまた連絡してください。

先ほどソースを調べてみましたら、他のページと違ってやや手抜きで1行分ぬけてました。
私自身のPCでは受け手の設定の関係か、きちんと見えているので気が付きませんでした。近いうちに修正します。

問題の化けているというページの最初は、島田隆司『素問』講座onNETです。
島田先生の『素問』講座ですから、当然、「関連」のホームページです。
その下は、古典針灸研究会で、名誉顧問である井上先生の「関連」のホームページです。
(伝統鍼灸へのリンクは無いはずですが?)


先生が亡くなって、次をどうするかというとき、すんなりと宮川さんということになりました。だれも島田兄弟を意識したりしませんでした。そもそも会員でなかったんだろうから当然ですが、日本の針灸界では珍しいのかも知れません。これは先生が、研究会というものは公的なもので有るべきだという姿勢で貫かれたからです。
今後、島田兄弟が会員となるかどうかは、彼らの決めることだろうと思います。入会する意志があれば勿論歓迎されるはずですが、今のまま非会員(?)であったとしても、彼らが企画するグループは当然ながら友誼団体ですし、活動への協力を惜しみません。(奥さんは確か名誉会員?)

管理者 07/29 08:02

766:[ 会員ホームページ ]

 全く違う話で申し訳ないのですが
 今、このページの「会員ホームページ」をなにげなく開いてみたら訳の分からない漢字が並んでいて、なんだか分からないけど適当にクリックしたら、島田onネットや伝統鍼灸学会がでました。
 今まで一度も開いたことがなかったので気づかなかったのですが、どうして訳の分からない漢字で記されているのですか。
 それから私は家本先生も知りませんが島田兄弟も知りません。力さんは古典研でお見かけしましたが、健二さんは鍼灸師になっていることを島田先生が亡くなられてから知った次第で、ご両人とも内経医学会で一緒に学んだ記憶はありません。健二さんは顏も知りません。

山本朝子 07/28 21:07

765:[ カッコイイ ]

別の言い方をすれば、「経脈を通じ、血気を調え、逆順出入の会を営する」ことによって病を癒すという新奇かつ格好いいことをやりたい、それが出来るのは微針だけである、と誇っている。

神麹斎 07/28 09:39

764:[ ]

「余欲勿使被毒藥,無用遐ュ石,欲以微針通其經脉,調其血氣,營其逆順出入之會。」は、毒薬(薬の辛苦なるもの)や遐ュ石を用いなくとも、微針でもって経脈を通じ、血気を調え、逆順出入の会を営することによって「も」そこそこ病を癒せるようにしたい、ということだと思います。九針十二原の中にも刺絡に関する記述は有りますし、『霊枢』の中に服薬がないわけじゃない。新たな方法を少し華々しく宣言(宣伝)したということでしょう。
瀉血するときに脈診が重要だとは言ってますが、最初期の瀉血にそれをしていたとは思えません。言っていることは、安全に瀉血するには脈診が有効ということだと思う。
最初の穴と脈の関係は、診断点にして治療点と病処を結ぶ観念的なものだったんじゃないかと、取りあえず今は思っています。この脈を使ってあの脈(にかかわる病処)を治するということがどういうことか、最も面白いところだけれど、本当は疑わしい説明も有るんじゃないかと窃かに考えています。
井から始まって循環しない経脈説で、最初の気はどこから来るか。難問だけど、考えなくても良い問題のような気もします。体幹部に与える効果の差の問題だろうと思います。これも、さらなる難問ですから、全然答えになっていないけど。井から生じて合に入るのは、つまり末端が体幹部に影響するという意味でしょう。
経脈篇がなぜ『霊枢』の第十篇なのか。つまり第九篇までがひとつのまとまりで、その次ということだと思う。第十篇まで(あるいはもう少し後まで)が総論で、後は各論あるいは雑論文集というような関係も有るんじゃないか。その総論の最後に付け足したのが経脈篇と言うわけです。だから重要ではあるけれど、後世の評価とはうらはらに『霊枢』自体の中で浮いて見える。

神麹斎 07/27 13:51

763:[ 無用ヘン石 ]

 李建民氏の「灸法の起源」簡介を読んで「九針十二原」の「無用ヘン石」がひっかかっています。
 何故、毒藥だけでなく瀉血も使いたくなかったのか。瀉血は重要な治療のはずなのに。
 石から金属へ、瀉血から刺入へ、中国科学技術の変革に伴い針理論が出来て来たのでしょう。
 瀉血には脉が重要になる。まづ脉が捉えられる。
 穴を必要としたのは灸かもしれない。穴は灸から発達した。
 金属の針で刺入するようになって、穴と脉との関係が出来たか。
うーん、よく分からないな。
 瀉血から刺入へと変る時代はどれくらいの時間差があるのだろうか。

 ところで十一脉の時代、井から出る気は、何処から来るのだろうか。

 経脉篇で巡るようになって、理論的には完成したが、臨床から遠のく結果になっていないか。 

 『霊枢』の編者は何故「経脉篇」を十番目に持ってきたのか。「根結」や「終始」より後なのは何故。

 『素問』は全元起本で見てみると、大分変りますね。段先生の『素問全元起本研究としゅう復』を時折ながめています。

 『霊枢』と『素問』はなにか違うなあ。

 島田先生の研究で『難經』の「經言」で引用の分からない文は何。

 李建民氏に經絡説について研究して頂きたいものですね。李氏なら謎が解けるかも知れない。興味を持って下さるといいのですが。 

山本朝子 07/26 22:58

762:[ 再びラスト・ファイブ ]

 テイク・ファイブは「ちょっと一休み」という意味でしたか。その意味は知りませんでしたが、山本さんのがまるで「最後の5品」のような書きぶりだったので、そちらへ話を引っ張ってみました。
 中国モノで思い出すのは、蛇のスープ、ネズミ料理ですね。それから、酸味+辛味の、第一回の天津の時に行った川魯飯店ですね。中医学院に連れて行ってもらったので、どこなのかは今でもわからない。
 というわけで、近い将来、皆で中国へ行きませう。

 かいちょう 07/23 18:14

761:[ 浮雲 ]

 あのう、テイク・ファィブなんですけど。「ちょっと一休み」の意です。

 中国の料理。
 北京飯店、どれも美味しかった。特にエビチリの殻つき海老が大きかったのが印象的でした。
 蘇州、益子焼のような器に入った、たぶん蛇のスープ。絶品でした。
 上海、海鴎飯店のネズミ料理はちょっと好みではなかったな。
 上海、北京ダックの骨でだしたスープは何倍もおかわりしたなあ。
 西安、薬膳のスープに龍の落し子の乾燥したのがそのまま入っていて、たぶん飲み込んだと思う。
 思い出の料理は尽きないが、臨終の際に食べたいのはやっぱり椀子そばだな。腹一杯食べて見たい。
 
 一昨日、女の子の二人連れに
「尾道の公衆便所は古民家風だときいたんですが何処にありますか」
と聞かれた。今までいろんな質問を受けたがトイレは始めて。こんな可愛い女の子がどうしてトイレに興味を持ったのか不思議でもある。そして、何に興味を持つか人それぞれだなあと感じた。研究も然り。何に興味を持つかは人それぞれ。大学では助教授は教授の手伝いをさせられて若い時になかなか自分の研究が出来ないと聞くが、うちらは自由があっていいのかなあと、思った。
 もう一つ、トイレも景観に合わせて作ると観光の売りになるものだ言う事を知った。臨床も自分の個性を出してそれを売りにすればよいのだろうと思う。

 先月、林芙美子原作の「浮雲」を見た。主演の高峰秀子さんの相手役の男優がなんと島田先生にそっくりで、名前は知らないんだけど、画面に出る度に島田先生を思い出した。
 このような事を書き込むと奥さんに失礼なのだが、島田先生顏も昔は役者になれる顏だったということが、私の驚きだった。
 「浮雲」は、女にだらしない男と、そんな男にほれた女の性が林芙美子さんならでの手法で描かれている。古い映画ですが機会があったら見てみて下さい。この作品のラストは
「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」
です。
 もうすぐ命日ですか。一年は早いものですね。

山本朝子 07/22 22:07

760:[ 行けたらなあ 中国篇 ]

食べることに関心が無いほうではないが、死ぬまでにアレ、というほどのものは無い。ただ、もう一遍行けたらなあと思う店、中国篇:
北京=東来順(豸ョ羊肉)、全聚徳(辜、鴨、本当はもっと良い店が有るらしいけど)、平壌冷麺館
上海=高橋食品店(の奥のレストラン、糟鶏?)、北京亭(燕京亭?辜、鴨のガラとブロッコリーのスープ、肝腎の辜、鴨は中の上どまりだろうが、後からでてくるスープが嬉しい)、緑波廊(鳳尾蝦、もっともこれは偶然出合った季節メニュー?)、南翔饅頭店(豫園のじゃなくて郊外の、小籠包)、王宝和酒店(蟹のコース)、海鴎飯店のレストラン(上海との交流のとき、段先生が案配してくれたややゲテもの?阿蘭陀豚とか)
蘇州:店名不詳(朱さんが寒山寺の帰りに案内してくれた、野味)、松鶴楼(松鼠桂魚)、蘇州飯店のレストラン(飲茶に出た鳳爪なんとか?要するに鶏の手の煮付け)
紹興:紹興飯店のレストラン(これはホテル自体が気に入った、ジュンサイのスープと酔蟹)
杭州:楼外楼(淡水魚、スッポンなど)、天外天(笋の炒め物)
広州:店名不詳(森川くんに案内されて1週間に3回はかよった、鳳尾蝦)
桂林:店名不詳(日系ホテルの隣のレストラン、ここも森川君と行った、豆腐中心の鍋と白酒)
成都:陳麻婆豆腐店(言わずと知れたマーボドーフ)、店名不詳(担担麺発祥の店)
西安:唐華賓館のレストラン(薬膳)
などなど。ちょっと変なものでは酸辣湯、ちゃんと酸っぱくて辣いのには、日本では出合ってない。

結局は誰かと行った店が多いけど、島田先生、藤木さん(内経のWEBの題字の書き手)、森川君、みんな逝っちゃったね。

神麹斎 07/22 19:00

759:[ 島田先生の墓参 ]

 8月10日は島田先生の墓参があります。東武東上線の高坂駅に10時に集合のこと。参加自由(普段着でいいですよ)。
同日午後2時から、東洋鍼灸専門学校で、島田先生の講義を聴く会があります。会費1000円で、参加自由。そのとき、先生の懐かしの写真会を開きます。こういう試みは、最初で最後かも知れません。是非ご参加ください。講義は「内経の補寫」です。不明点は、この談話室まで。

 かいちょう 07/22 18:04

758:[ 最後の晩餐 ]

 某テレビの番組に最後の晩餐というのがありましたが、山本さんのラストファイブは山本さんらしいか。僕なら故郷モノで、海苔ですね。母方の実家で海苔を作ってましたので、できたてのをずいぶん食べました。おいしいとかいうのではなく、当たり前に。その海の香り、なんともいえないですね。今は、自分でつくっているぬかずけですね。大根のぬかずけをかじりながら死んじゃうのを想像しています。
 食べ物ではないのですが、医古文の本で、あの世に持っていくかとすれば、やはり『医古文基礎』ですね。あの書評は、まず読み下しに目が行って、それを突いて一気に書き上げたもので、(著者は僕より年長の方だと思いますが、その割には)心配りに欠けていると思います。冷静な、全体の評価も欲しかったと思います。

 かいちょう 07/21 20:27

757:[ ちょっと一言失礼します ]

『医古文の基礎』の書評を読みました。せめて銭さんの「日本語版への序」や「編訳者まえがき」を読んで欲しかったと感じました。
そこにはなぜ『医古文基礎』なのかが書かれています。
書評の指摘している点は別にして、これを読んで、私には編訳者の方々のいまもって衰えない「医古文」に対する熱き思いが伝わって来ました。

樋口陽一 07/20 19:33

756:[ テイクファイブ ]

 瀬戸内の刺身で一番うまいのは、マコガレイ、二番目はスズキ、そして三番目がマダイと言われているが、私が一番好きなのはゲンチョウ。たぶんゲンチョウは舌ビラメだと思う。スーパーでは売っていないので市内まで出ないと手に入らない。市内の各所に「晩売り」といって漁師の奥さんが子連れ狼の大五郎を載せているような手押し車で、自分でさばいたゲンチョウの刺身を売っている。
 東京では食べられなかった魚にエイがある。干したエイヒレは東京の居酒屋で見かけたが、うちらでは生のものがスーパーで売られていて醤油で煮つけて食べる。なかなかの珍味だ。
 タコは、真ダコ、イイダコ、手長ダコの三種があり、真ダコは塩ゆでするが、イイダコと手長だこは醤油で煮る。イイダコもイイ(卵)が入っているのは料理屋へ行き、スーパーに出回るのはイイの無いものばかりだ。しかし、先日は手長ダコにイイが入っていた。美味しかった。
 尾道では外で飲む事はないので知人が来ると有名な店に案内してきたが、正直、どこも高いだけで家で食べた方が新鮮で美味しいと思った。なかなか美味い魚料理を食べさす店に出会えない。

 最近食い意地がはってきて、旅番組を見るとき美味しそうな店が出ると手元のメモ帳に書き込んでいる。もし、癌で余命幾許と言われたら盛岡で始めて椀こそばを出したという「直利庵」に行きたい。腹一杯そばを食べたい。帰りに仙台の「旨味太助」で牛タンを食べたい。仙台の牛タン発祥の店らしい。それから富山で白えびのにぎり寿司を食べ、東海道に出て何処だったか麦トロの店に寄りたい。これだけ食べたら死んでもいいと思う。
 
 時折東京の味が恋しくなる時がある。
 池袋の「おもろ」という沖縄料理のゴーヤチャンプルと煮込み。「摩耶」のイワシの生つみれとイワシのつみれ鍋。
 神田の三省堂の地下のビールとソーセージとキャベツの酸っぱいの。
 銀座、ライオンのサッポロビール。生と黒生。たらば蟹のレモン添えが美味しかったのだが、いつしかメニューから消えてしまった。
 渋谷、「れいきょう」のシジミ、ダイコン餅、腸詰め。紹興酒の熱いのと合う。
 今はなくなったが原宿の「シルバースター」のアスパラ椎茸。時折作ってみるのだが、醤油と塩だったか、砂糖だったか、いろいろ変えてみるのだがどうもあの味が出ない。
 千葉県柏市の柏祭りに何処かの村が屋台で売る鮎の塩焼き。駅前の店で出すところてん。ニッカウヰスキーが出す水割り。どれも美味かったなあ。

 長野に「七笑」(ななわらい)という酒がある。口に入れた時は酒の香りがするのだが喉元でサラリとする、不思議な酒だ。もう一度飲んでみたい。

 最近堅い話ばかりなのでちょっとグルメな話をしてみました。

山本朝子 07/20 00:32

755:[ 念のため ]

私が、「弁解というか、負け惜しみ」を書いたので、誤解されると困るので改めて言っておきますが、現代語訳の誤りがいくつかみられ、伝統的な訓読法に違反する箇所が数多く有るということ自体は、弁解の余地の無いものです、「訓み下し文」と称するものを付けた以上は。たとえそれが編訳者の本意と違う、暗黙の強制によるものであり、また医古文知識の紹介という点で大過ないものであるとしても。
何故『医古文基礎』かというのは、それが我々の歴史です。もっとましなものが有ると思うのなら、そう思う人が訳して公刊しなければ……。(私自身は、一部の内容に関するものの仲間内への提供なら、試みたことは有ります。公刊できるかどうかには政治力も関わる。私には無い。)

神麹斎 07/18 09:20

754:[ 書評について ]

 書評読みました。長文だったのですね。コピーお疲れさまでした。

 伝統的な訓読って難しいですね。校正の時にちょっと読んだだけで分かるものではなさそうなので、今後このような企画には現代中国語と伝統的訓読の分かる人に加わって頂きましょう。

 『医古文基礎』は内経医学会の原点であり、やはり基礎ですよ。戸川先生もこれが出た時、講演の度に「いい本が出た」と紹介されていたそうです。

 訓読は『古代漢語』(王力主篇)の常識部分の翻訳が出た時、例文に和訓がついていたのが私にはありがたかった。『医古文基礎』も語法だけではないし、漢文学者を対象にしたものでもないので、和訓がついたほうが分かり易いです。
 ただ訓読は伝統的な訓読法に従わなくては誤訳になるのでしょうか。文言文をしらない私には、伝統的な和訓の方が意味がわかりにくくなっています。案外伝統的な訓読法に従わないのがいいのかもしれませんよ。
 自分がどのように読んだかが、相手に伝わるように読む事が大事なのではないでしょうか。

 『医古文基礎』の翻訳の必要性については『現代語訳』が校注本を使っているので、『説文解字』だとか、校勘だとかの知識が必要になります。漢文が読めない人の為に『現代語訳』があり、その参考書として『医古文の基礎』は必須のものだと思っています。ただ工具書も完全ではないし、どれもこれも不足ではありますが入門書としてこういう世界を知って頂けたらよいのではないでしょうか。

 内経医学会の活動は、例えば
『漢字の字源』阿辻哲次 講談社現代新書のP142に『礼記』内則の話があります。
「男女七歳にして席を同じゅうせず」の「席」は「敷物・ござ」のことで、つまり七歳になったら同じ布団で寝させてはいけない、の
意なのだそうです。確かに「八歳になったら小学に入る」だから七歳で男女別学はおかしい。それが戦前の日本ではこの言葉を根拠に初等教育機関では男女を別学にしていた。
 このように医経のおかしい所を直していこうというもので、あまり訓読にはこだわってこなかったなあと思います。たぶんこれからもこだわらないだろうと思います。

山本朝子 07/18 00:48

753:[ おそれいります ]

『医古文の基礎』に対する批評文がアップロードされた機会に、弁解というか、負け惜しみを一つ。

「何よりも問題なのは、この書にあげられた例文を訓読していることだ。」全くその通りだと思います。私は反対したつもりですし、後から聞いた話では、編訳者の少なくとも一人もそうだったようです。にもかかわらず、訓み下し文を付したのは出版社の希望だったのか。でも、『素問訳釈』の日本語訳の話が出たときは、社長自身が和訓はやめるという案を出してきたような気が……。もっとも、この『医古文の基礎』で、始めて医古文に接したような若い人の中には、「和訓が無かったら手も足も出ない」という感想を洩らすものもいます。むずかしいところです。凡例で「訓み下し文」と表記したのは、いかにも拙かったけれど、編訳者には伝統的な訓読をする気なんてはじめから無かったんじゃないかと思う。私自身は、君有疾在閻黴€理に対して「君は疾を閻黴€理に有す」というようなものを想定してはいました。説明の為の方便です。

p52「虚邪不能独傷人」 『内経』で宮川氏がすでに答えている。
p52「奈何治此者……便作寒湿脚気治之」 つまり訓読しているという意識が希薄ということです。
p54「若夫殿処鼎食之家」 殿ニ処リ鼎シテ食スルと読んだのは、鼎を食器ではなくて調理器具と考えたからかも知れない。いや食器であるということなら古代風俗の知識が不足しているのだし、いや調理器具でも鼎モテ食スルで良いのなら日本語の知識不足です。
p55「仮如痩病……傷酒」 これも訓読しているという意識の欠如。
p63「三飲而疾愈」 三飲シテとテという助詞をつけているのに、さらに而シテと読むのは二重であるというのは、そのとおりです。けれども、前に一飲得前溲、再飲大溲があって、それを一飲シテ前溲ヲ得、再飲シテ大溲シと呼んだから、苦肉の策でしょう。三タビ飲ミテとしなかったのは、つまりいろんな読み方が有りうるということだと思う。
p69「色之与脈、当参相応」 『内経』で宮川氏がすでに答えている。
p72「其毋忽於是焉」 訓読しているという意識の欠如、でしょうね。
p73「呼佗視脈」 ミシムなんていう日本語が有るんですか。ミセシムはおかしいと言うけれど、宮川氏は「視(シ)セシム」のつもりらしい。(因みに下訳は、そもそも原文を見間違えて、診セシムでした。)それでは落ち着かないのなら、むしろ佗ヲ呼ビテ脈ヲ視サシムではいけないんだろうか。屋上に屋とは言うけれど、止子路宿殺鶏為黍而食之に対して、偉い先生の之ヲ食ラワシムという訓が有りましたが。
p74「或言内経多論鍼而少論薬者、蓋聖人欲明経絡」 『内経』で宮川氏がすでに答えている。欲は、これも訓読しているという意識の欠如、でしょうね。
p79「惟以熟地一味、無方不有、無病不用」 この現代語訳の誤りは分からない。編訳者が疲れていたんでしょうねえ。
p80「治療之無貴賎」 これも訓読しているという意識の欠如、でしょうね。之ヲ治療スルニ貴賎ヲナミスでも可なんですか。ナミスでは軽侮の気持ちが含まれそうな気がするのは、古文常識の欠如ですか。
p87「六腑之咳奈何」 これは現在の談話室No.42にすでに書いてある。因みに編訳者の話では、原著の編者の代表格である銭超塵氏から、原著の古いことに鑑み明らかな誤りはことわり無く訂正してよい、と言われているとのことです。(つまり原著の編者自身が何であの本を、とは思っている。それでも『医古文基礎』である理由は、宮川氏がすでに『内経』に書いた。)

最初に読んだ時ほどは、畏れ入らないけれど、訓読法に未熟という評は全くその通りです。でも、何で訓読なんかするのか、と最初に言われて、批評の内容自体はほとんど訓読の拙劣さに対するお小言、というのはやっぱりなんだか釈然としない。

神麹斎 07/17 07:17

752:[ 書評の件 ]

東医学研究会のご厚意により、
『東医学研究』107号(2003年4月25日発行 )「ななめ読みライブラリー」における『医古文の基礎』に対する書評を掲載いたします。(期間限定)

http://plaza.umin.ac.jp/~daikei/shohyo.html

記事のコピーをOCRにかけ、ソフトの能力の限界による誤読を訂正しながら、改行マークを外しただけです。校正が不充分かも知れません。ご容赦。

管理者 07/16 20:50

751:[ 家本先生とは ]

 家本誠一先生とは何者ですか。
検索で調べて内科医まではわかったのですが、プロフィールがわかりません。
臨文会のプログラムで名前は拝見したことはあるのですが、何歳ぐらいの人で、『内経』とどのように関わっているのでしょうか。

山本朝子 07/14 22:31

750:[ 尾ちゃんへ ]

 家本先生の「釈注」ですが、2セット欲しいので、よろしくお願いします。拙宅へ。
 東洋学術出版社の『霊枢』も同様でして、原書が内容的に拙速のところがあります。意味不明のところでも、読み下しはできるし、現代語訳で上手にごまかしてあります。それは、原書を材料とした限界であり、誰の責任というわけではないでしょう。たたき台は、多少、瑕疵があったほうがかわいいですよ。古典は、長い目でみなきゃ。

 かいちょう 07/14 21:54

749:[ バック往來! ]

 BACKボタンが上にありました、なんと初歩的ミスでしょう。「かいちょう」さんの過去ログもありました。
 こんなオッチョコチョイが打った「脈學輯要」は校勘が必要です。

尾乙蘭 07/14 20:23

748:[ 鬥・・ィ ]

何だか過去ログから消えてしまった「かいちょう」さんの御質問にあった家本先生の「素問釈注」ですが、現物に一寸触れる機会がありましたので報告いたします。
 序文によると「東洋学術出版の物は現代語訳によく分からない箇所がある、原文の理解が足りないのではないか。(5秒位で書き写したので言葉遣いが違っているかもしれません)」とあり、郭靄春「黄帝内経素問校注」をベースにオリエント本の森立之「素問攷注」岡本一抱「黄帝内経素問諺解」を參考にしたそうです。1999年から現在4冊目までおそらく自費出版で刊行されています。先生の勉強会「搏方会」の取り扱いのようですので、もし必要な方が居られましたら直接に聞いてみるか私に御連絡下さい。

 閑話休題
 
「脈學輯要」の打ち込みが完了致しました。まだ「ただ打った(電子テキスト化した)」と言うだけで校正も何もしていません。二週間後位には幾らかマトモな形になっているかもしれませんが「ハヨよこせ!」と言う方はこれ又御連絡下さい。引用されている人物は「中医人名辞典」の該當箇所による注釈(Micro soft Pin Yin IMEで打ったので簡体字)付きです。

尾乙蘭 07/13 14:53

747:[ 混沌 ]

みどりさんにせよかいちょうにせよ、どちらかのみかたになれるほどのたくわえがないのでありますが、
『素問』『霊枢』のすべてが、なんでもかんでも経脈篇、黄帝流閻ァ穴で解析できるかどうかが、そもそも著しく疑問なわけです。劉勝漢墓からでてきた鍼は、九鍼のどれにも該当していないといっても、そもそも九針十二原篇が『素問』『霊枢』の鍼を網羅しているかどうかも確かではないわけです。
「あっと驚くような病気の捉え方をし、おっとうなるような鍼を刺す」は、有ったら良いな、というようなことであって、大抵は『素問』『霊枢』の中に萌芽か痕跡は見出されるだろうと思う。(左人迎、右気口の萌芽さえ見いだせると思っている。)ただし、それは『霊枢』経脈篇は経絡説の代表ではあっても、覆い尽くすものではないという具合に、内経医学を押し広げていった場合のことですよ。経絡説で説明できない治穴なんてものは有り得ないのであって(そこに刺してそこに効くものは別か?)、ただし、『霊枢』経脈篇の経絡説で説明できない治穴なんてものはごまんと有ると思うわけです。
『素問』『霊枢』を、完成したもの(あるいは完成まじかなもの)、金科玉条と考えるか、カオスとしてとらえるかで、全く立場が変わるわけで……。
だから、みどりさんにせよかいちょうにせよ、どちらかのみかたをするというものではない。

神麹斎 07/12 17:35

746:[ 追加 ]

『漢書藝文志』の『黄帝内・外経』+『扁鵲内・外経』+『白氏内・外経』+経方(痺病方、疝病方など)≒『素問』『靈樞』
*ぼくは、こうは考えていない。大きくいえば、『素問』『霊枢』は同じような学派のような気がする。使っている、鍼、閻ァ穴、経脈などはほぼ共通しているし、治療方法も大きな違いはないようだ。『医心方』には、背兪穴の諸家の取り方が掲載されているが、黄帝流、扁鵲流、白氏流は、つぼの位置が大いに違って結構だと思う。また、劉勝漢墓からでてきた鍼は、九鍼のどれにも該当していない。こういう鍼があることを考えても、みどりさんが提示した(といっても丸山先生や中国の若手の説なのだが)のは納得がいかない。つまりですよ、あっと驚くような病気の捉え方をし、おっとうなるような鍼を刺す、そういう流派があったんじゃないかと、楽しみにしているわけです。ひとつの流派としては、『傷寒論』に基づいた鍼治療もあっていい。これは、どこかで誰かがやっているだろうが。
 経脈篇は未完成という理由もあるが、上に書いたような理由で、なんでもかんでも経脈篇、黄帝流閻ァ穴で解析したくないわけであります。

 かいちょう 07/12 16:42

745:[ 百家争鳴 ]

 私は經絡説は漢代に完成されたものだと思っています。
 經絡説で説明つかない病症を、經筋とか根結とかの別の流れで考察してみてはどうだろうかと考えてもみましたが、倉公やヘンジャクの診籍の分類には必要ですが、臨床的ではないと思うようになりました。
 それで治穴も經絡説で説明がつくものとつかないものに分けました。
 
 石田先生の「經隧と気・血の写」(日本経絡学会誌第20巻第3号)
「5.見えない経絡と見える血管系との関係」にこのような文章があります。
「この際に大切なのは、中国伝統医学、というより中国伝統思想に一般的な、「ものごとの真実」についての考え方です。中国伝統思想では「本当の世界について、人間は元々そのすべてを知り尽くすことはできない」と考えています。これはちょっと考えると、「あきらめ」のようですが、実はそうではありません。人が自然に対して最大限に働きかけながらも、なお畏敬を失うことなくそれに対峙するための、奥深い智慧と言うべきものです。
 この不可知論は、しかしながら「自然については人は全く分からない」といっているのではありません。畏敬を保ちながら、全体としての自然について想いをめぐらしつくし、人為の及ぶ限りでそれについて知ろうとする意志をもった不可知論なのです。そこには「自然については、人は完全な形で知る事は出来ないが、なおそこにはある秩序がある」といった考えが前提されています。現代数学の言葉を借りれば、「決定論的カオス」としての自然です。
 こうした自然について、不可知を承知の上でなお探求していこうとすれば、その方法論は漸次的なものとなります。つまり、完全には理解できないことを承知の上で、一歩一歩全体像に接近していくのです。」
 藏府経絡システムの「真実の在り方」についての認識方法はこういうものだそうです。

 今伝統鍼灸学会には様々な流派が参画されるようになりました。『難經』六十九難に基づく補寫をする会ばかりではありません。そのような中で経絡治療学会のテキストをたたき台にしようとするのは理解できない。もしテキストを作るなら学者に委ねてみることです。石田先生に編集をお願いしてどのような項目で誰に執筆していただくか、相談したらいいと思う。

 細かなマニュアルはそれを作った先生だけのものです。
 手が変れば効果も変るものです。
 マニュアルロボのような発表をする人はおかしい。
 効かない症例に出会った時、自分なりの工夫をするものです。そうして百人の弟子がいたら百通りのマニュアルが出来るものです。


 これからは百家争鳴のような時代が来るでしょう。
 それでもお互いに
「自分はこうしているんだ」
「私はここをこうしているんだ」
と、会話ができる世界が来る事を願っています。
 その一歩に用語集があります。辞書づくりのようなもので大変でしょうが期待しています。

 經の流れについては『島田隆司著作集』上冊に藤木先生との共著「経脉走行の三形式について」に
「今後、『霊枢』経脉篇を絶対視する先入観を捨て、手足の陰経、陽経それぞれ、どちらの方向が補によいか、写によいか、実践の中で検討する必要があるだろう。」
 があります。1974年のものです。

山本朝子 07/11 20:44

744:[ 管理者による削除 ]

この書き込みに失敗して、書き直したものが45です。よって、これは削除しました。

管理者 07/11 20:44

743:[ 臨床家は、いろいろな治療法をもたねばなりません ]

 人間の体は、ブラックボックスです。死体を切り刻んでも、生きている人間とは異なります。ですから、わからないことを無理やりわかろうと努力しなくともいいのではないでしょうか。
 臨床に役立つものなら、なんでも使いましょう。経脈循環にのっとって治るのならそれもよし。体幹へ向かった五行穴を使った治療が有効なら、それも使いましょう。
 われわれに必要なものは、どういう場合に、どのような治療法がより有効なのかの選別であって、これはその他の理論の排除とは異なるとおもいます。たくさんの理論は異なっても、有効な治療法をもっていなければ、もしひとつの治療法が功を奏しないなら、アウトです。そこでお手上げではおまんまの食い上げです。
 特効穴、大事です。昔の人、今の人、発見された方々に感謝しましょう。(ただ、やみくもに使わないで、どういう時には効果を発揮するかを見極めましょう)


丸山先生や、中国の若手の研究者と同様に、『漢書藝文志』の『黄帝内経』=『素問』+『靈樞』とは、考えておりません。
『黄帝内・外経』+『扁鵲内・外経』+『白氏内・外経』+経方(痺病方、疝病方など)≒『素問』『靈樞』と考えております。
 二千年前のものが、現在まで残っているのは、たぶんに偶然の賜ではありますが、やはり、いいものは残ると考えたいです。
 現在の『素問』『靈樞』では、黄帝より岐伯のほうがエライようになっています。岐伯の「伯」は「白氏」の「白」と音が通じますから、ひょっとしたら「白氏」とは、岐伯のことかも知れません。
 『脈経』巻5に扁鵲……と題する篇が4篇あります。これらは、『扁鵲内・外経』の遺文ではないでしょうか。その一部は、『素問』五藏生成論・平人気象論・大奇論や『靈樞』論疾診尺にも同様の文が見えます。これらが、『脈経』と『素問』『靈樞』の両方に見られるということは、『扁鵲内・外経』の一部が『素問』『靈樞』に組み入れられた証拠と考えていいのではないでしょうか。そうでなければ、『脈経』がわざわざ、まえから『黄帝内経』にあるものから抜き出して、扁鵲の名をなにかの意図を持って付けたとしなければなりません。

みどり 07/10 22:21

742:[ 六府の谺ャはいかん? ]

下の「六府之谺ャ奈何」についての弁明を撤回し、訂正します。
『医古文基礎』では確かに「閼丈D咳嗽病証怎荵亥萱?」ですが、この現代中国語訳自体が誤りである可能性が高い。郭靄春の『黄帝内経素問校注語訳』は「六腑咳嗽的証状怎譬キ?」、王洪図の白話中医古籍叢書『黄帝内経素問』は「六腑咳的症状又怎譬キ蜻「?」としている。つまり医学に詳しい学者は概ね「どのようであるか」で、内容的にも勿論その方が良い。この際、漢文、古文に詳しい人の話は敬遠します。

西田太一郎『漢文の語法』には、「……原則的に言えば、何如と如何(奈何)とは使用上の相違があった。なお宋代の文では、ことさらの擬古文を除いては、何如と書くべきを原則として如何または奈何と書くようになっている。……秦漢の古文ならば何如と書くはずのものを、いつごろから如何と書く率が多くなったか、この点についてはまだ調査していないので、わからない。」

なお、該当の箇所は『太素』では、「六府之谺ャ何奈」となっている。
つまり、非難されるべきは、訂正を注記しなかったことであって、如何と何如、怎荵亥萱と怎譬キの区別のことではない。


やっぱり、訓み下し文をつけたのは痛恨のミスでしたね。出版社の希望だったんでしょうか、それとも島田先生の意見かな。
少なくとも、「一般的な読者からの視点をご教示頂いた」と「朗読ボランティアの立場から細やかなご指摘を賜った」の他に、「高校の漢文教師から訓み下し文の初歩的な誤りを是正して頂いた」は欲しかったねえ。

神麹斎 07/10 17:33

741:[ 懺悔 ]

今日、『東医学研究』に載った『医古文の基礎』の書評を、コピーをもらって読みました。
おっしゃることは、一々ごもっともです。そもそも現代中国語を熟知した中国人向きに書かれた古代中国語入門書を、そのまま訳してどうなるんだという意見とか、なんでいまさら訓読法を採用するのかなどには、全く我が意を得たりの感を強くしました。
ところで、肝腎の槍玉に挙がっている語法の部分を下訳したのは私です。赤面の至りです。勿論、編訳者の手が入っていますから、それでかえって誤った例も無くは無いから、全部が全部私の責任では有りませんが、おおむね私の不注意です。ただ、強いて言い訳をすれば、私の原文の理解は評者のものと異ならないと思っています。つまり、より大きな問題は訓読法の知識の欠如に在ります。今後は、原則として訓読法の採用は拒否します。
最後に指摘された六腑之咳奈何には、弁解の余地は有りません。何如と如何の違いは失念しておりました。ただ、郭靄春の『校注語訳』では、「六腑之咳嗽的証状怎様?」(どのようであるか)です。御説のとおりなら、混用されるようになってからのものと判断しています。とは言っても、原文の現代語訳「怎荵亥萱」(どうするのか)はどうにもなりません。流石に怎荵亥萱くらいは知っています。我が身の不注意を詛うばかりです。

左合昌美 07/09 14:51

740:[ 突拍子も無い…… ]

『漢書』藝文志には、黄帝、扁鵲、白氏の三派の内外経が有り、さらに旁篇が有る。そのうちの黄帝内経だけがわずかに残る、というのが常識的な説であるが、実は突拍子も無い異説も有る。

漢代の「巻」と「篇」の概念は基本的には同じであって、「巻」の中を分けて「篇」というのではない。……我々は確かな根拠によって『方技略』に載せる『黄帝内経』十八巻、『外経』三十七巻は、実際には『黄帝内経』十八篇、『外経』三十七篇であると考えることができる。(『内経霊素考』中国医薬出版社1992)

で、これを押し進めて、
黄帝内経+黄帝外経+扁鵲内経+扁鵲外経+白氏内経+白氏外経+旁篇=18+37+9+12+38+36+25=175≒162=81+81=素問+霊枢……。

『方技略』に「医経とは、人の血脈、経絡、骨髄、陰陽、表裏に原づいて、以て百病の本、死生の分を起こし、而して用いて箴石湯火の施す所を度し、百薬斉和の宜しき所を調える」と言う。これは医経四家を総括した提要であって、単に「『黄帝内経』十八巻」を指して言っているのでは無い。現在の『霊枢』、『素問』の内容は、『方技略』の医経四家の基本的な内容をみな含んでなお余りが有る。(同上)

前のほうの巻=篇は、文献学者によっておおむね認められているようだけど、後のほうの方技略の医経四家の全て≒素問+霊枢に、賛成する医史学の大家は知らない。やっぱり突飛すぎるんでしょうなあ。

神麹斎 07/09 13:04

739:[ 経脈篇 ]

 どうも、みなさんは経脈篇が完成したものだと思って、そこから勘違いを生み出しているようです。経脈篇は、むろん信頼に足る資料だけれども、金科玉条のごとくに読むべきものではないと思う。だから、経脈の方向は経脈篇の作者が提出した仮案であり、実際に身体の中であのような循環を為していると考えてもいいし、ああではないと考えることもできる。その曖昧な文章に対しては、あいまいに解釈しておかないといけないのだと思う。というわけで、流注の方向は、愚生にとってはあまり興味がないのである。むしろ、経脈篇成立のことをもっと考えるべきだと思う。
 『漢書』芸文志には、黄帝流、扁鵲流、白氏流の三流派があった。今残っているのは黄帝流の『素問』『霊枢』だとされている。一応、この考え方にもとづけば、今の中国伝統医学は黄帝流である。したがって、すべての臨床を、黄帝流だけで説明してしまうのは、相当危険なことだと、愚生は考えている。黄帝流の材料しかないのでしようが無いが。特効穴はむりやり黄帝流で解釈しちゃいけないと、愚生は考えている。
 以上のゆえに、近頃の談話室に書き込むほどの意見をもっていないというのが現状であります。無責任のようですが。

かいちょう 07/08 22:36

738:[ A-B-C-……-X-Y-Z ]

経絡敏感人に対する実験結果で、気が『霊枢』経脈篇にあるごとく循環するかに見えるのは、(少なくとも整理する人員は)『霊枢』経脈篇を読んでしまっているからだと思う。経典の支配力は大きい。
末端Aに針刺して体幹のZに影響するというところから始まったと思う。Bに針刺してもCに針刺しても、似たような効果(YとかZとかかも知れない)が得られる。そこで、A-B-C-……-X-Y-Zとつないで経脈説が成立する。(本当につながっているのはA-Zで、A-Bはわからない?)
だから、ここの特効穴に針刺してかしこに影響する、というようなものが、そもそもの最初の経験であって、経脈説が構築されるときに採用されたかされなかったかであって、本質的な違いは無いと思う。

以上、取りあえず。(おっちょこちょいだから。)
かいちょうさん、みどりさん、その他みなさん、貴方たちも何か書いてね、お願い。

神麹斎 07/07 22:59

737:[ 経脈循環と五行穴 / 特効穴 ]

 質問1:経絡敏感人によれば、気は『靈樞』経脈篇にあるごとく循環するようですが、そうしますと四肢の末端から体幹部へ向かう経脈説は、あやまりでしょうか。五行穴は、命名の仕方からいっても、求心性であることはあきらかであろうと思います。
 たとえば肺経の末端にある穴を鍼刺した場合、それが肺経の病症に影響するのは、わざわざ大腸経から肝経をへて、やっと肺にたどりついてからなのでしょうか。こんなまどろっこしいものなのでしょうか。それとも、鍼を刺すと、経気が経脈篇の流れに逆流するようなことが起こるのでしょうか。これには、絡脉がからんでいるのでしょうか。
 こういうことは、設問自体にあやまりがあるのでしょうか。経脈説の矮小化でしょうか。
 質問2:特効穴は、経絡とは関係のない、別の機序(メカニズム・システム)で効果を発揮するのでしょうか。それとも、これも経絡説で説明できるのでしょうか。

あお 07/07 20:33

736:[ 人迎氣口診  見方を変えて ]

 姪の話の見方を変えて
 姪は仕事をやめて一年程家で食っちゃあ寝、食っちゃあ寝の生活をしていた。もともと肝虚の体質が
「久臥側傷気」『素問』宣明五気篇(23) 『霊枢』九針論(78)
で、気虚になり、肺虚気味だった所で「風」に傷れたのだろう。
 デパートで歩きすぎた時は
「久行傷肝」『素問』宣明五気篇(23) 『霊枢』九針論(78)
で、肝虚になり、木が土を克せなくなって脾がオウ気して脾に吊られて氣口も浮大になっていたのかもしれない。
 その後、飮食不節で脾虚になり、氣口浮虚になったか。

 人迎氣口診で病因を弁別しても、治穴は出ない。
井上式では人迎氣口で病因を弁別した後、六部定位の脉差診で五臓六腑の虚実を診て選經選穴をしている。

 各流派で五輸穴の運用は異なるが、共通することは
「臨床で実証されているからこの理論は正しい。」
と言う事は、どれでも効くと言う事だ。
何故効くか。
治療効果は用いた穴全ての総合的な効果だからではないだろうか。
 と言う事で、人迎氣口で病因がわかっても治療は姪の場合、各自の肺虚、肝虚、脾虚の治療をすればよいのでは無かろうか。
 井上式は病因に合わせて五輸穴を使い分けられると言う事が自慢なのだが、それが分かりにくいものになっている。
 マニュアルはシンプルな方がよい。
 それでは人迎氣口をする必要がないと思われるかもしれないが、血液検査もレントゲンもない鍼灸師の診断の助けになるものだ。


 風邪の場合
 風邪の初期で熱が出ている時、人迎が浮緊。
熱が出ているのだから六部とも浮緊になりそうだがそうはならない。肺虚になっている。
 しかし、癌の末期の人が風邪を引くと、初期で熱が出ていても氣口が強い。どうしても人迎が強くなれない。
 普通の人が風邪が進んで氣口が強いと肺炎か気管支炎で即病院へ送るようにと井上先生に習ったが、初期から氣口が強いのは「やばい」ということだった。どのように「やばい」か分からないが、癌に限らず糖尿や高血圧とか、持病のある人の風邪の脉もみてみたい。

 圧迫骨折をした七十代の女性も、
交通事故で頭を強打し頭に小さな血腫はあっても手術する必要はなかったが、寝たきり青年になりかけていた甥も、
氣口が浮數だった。
 骨折や仆撃も氣口に現れる。

 『三因方』では三因に分けられているが『内経』では内因と外因だけである。(『素問』通評虚実論(28))

 私の、怒りで肝実になったのは
『素問』玉機眞藏第十九の
「怒則肝気乗○」だったのだろう。
ところで、七情というとらえ方は『内経』にあるのだろうか。
 

山本朝子 07/06 22:31

735:[ 拍動診 ]

身体のいずこかに異常な拍動(脈にはすじをなして連なっているという意味が有るから、ここではまだ使いたくない)が有る。そしてその部分に病的な現象がおこっている。その拍動の異常と病症は相関しており、拍動の異常を治めることによって病症を治めることもできる(と想定する)。これが、診断点であり治療点であるということの最初の意味だと思う。治めるための手技は術者によってさまざまで、とにかく治めることができさえすれば良い。さまざまな手技が整理されて、やがて補瀉ということになった。
此処の拍動異常が彼処の病態を示す、なんてことも案外早く発見されたのかも知れない。歯痛のときに合谷に拍動があって、その拍動を治めることによって歯痛を止めることができるか。残念ながら自分の歯痛の時には、余裕がなくてどうだったか覚えてない。古代の天才はちゃんと試して、そして多分、ちゃんと成功していたんだと思う。他の事例もね。
此処の拍動の異常によって彼処の病態を知る。これが脈診の始まりであって、実は脈の状態を診ているわけじゃない。診ているのは此処の拍動であり、判断しているのは彼処の病症である。脈の状態云々を言い出すのは、それよりずっと後になってじゃないか。此処と彼処をつなぐものとして脈は発想されるだろうから、此処と彼処に相関が有るんだったら、中間のことだって関わっていると考えるのは、まあ当然でしょうなあ。

シッポを握っていれば犬の動きは分かるという段階であって、にらみ合っているむこうの猫の状態が分かるというのまではまだ遠い。大体が猫がすくんでいるか毛を逆立てているのかまでもが、犬のシッポでわかるというのは、もともとは眉唾に近い。(だから、実体論ではなくて関係論です。)

神麹斎 07/04 18:17

734:[ 拍動診から脈診へ ]

神麹斎どのの言う拍動診から脈診への展開、納得いきますね。その展開に従って、脈診パラダイムも実体から関係へ、関係妄想へと発展(?)したというわけでしょうか。

難経の寸関尺診と李時珍の寸関尺の配当は全然違いますし。アーユルベーダやチベット医学となると、同様に三部を取りながら位置はひじ関節の方にずれているし。しかもそれぞれが臨床的には有効だった、となると、実体論では解けません。

運気論のロジックを再評価した山田慶児氏の鋭利な著書『気の自然像』の限界は、気を量子論以前の近代科学的な実体論としてとらえていることだと思っていましたが、「中医臨床」最近号の石田秀実氏の批判も同様なご指摘でした。

でも、石田氏はそこで、「陰陽五行を捨てよ」という山田氏の著書の核心の提言に、まともに答えるのを避けているんです。うまい戦略というか、さすがというか。さて、われわれは、山田氏の提言をどうしましょうか。

Mail 松田博公 07/04 10:59

733:[ 漢音・呉音 ]

貝原益軒『訓點新例』
 「醫書ハ漢音呉音相マシユ。今醫家ノヨム處シカリ。」

太宰春臺『倭讀要領』
 「儒書ニハ漢音ヲ用ヒ、佛書ニハ呉音ヲ用ヒ、其餘ハ、呉漢兼用テ讀ムコト、古來ノ相傳ナレバ、是ニ從フベキコト勿論ナリ、然レドモ二音倶ニ中華ノ正音ニアラザレバ、混用ストモ何ノ不可ナルコトアラン、必シモ是ニ拘泥(クデイ・カカハリナヅム)スベカラズ、况ヤ俗間ニハ、二音並(ナラビ)行ハルレバ、書ヲ讀ム者、法ニ拘(カカ)ハリテ、人ノ聽(キキ)ヲ駭(オドロカ)スベカラズ、必字音ヲ正サントテ、人ノ聽ヲ駭スハ、風雅ノ道ニアラズ、既ニ倭音ナリ、正ストモ竟(ツ井)ニ何ノ益カアラン、」

 「倭讀ノ法ニ、其字ノ正音ニアラザレドモ、他ノ字ニマギルルコトアルヲバ、音ヲ別(ワカ)チテ讀ムヲ、故實トスルコトアリ、初學是ヲ知ベシ、今數字ヲ左ニ列ス」
 驚 廣韻……漢音ケイ、呉音キヤウ、醫書ヲ讀ムニ、驚風驚悸ノ類、凡驚ノ字皆呉音ヲ用テ、漢音ヲ用ヒズ、但七情ヲ言フニ、喜怒憂思悲驚(ケイ)恐(キョウ)トイフ、驚ノ字必漢音ニ讀ベシ、驚ノ呉音、恐ノ漢音トマギルル故ナリ
 鹹 廣韻……倭音カン、常ニハ清〔すみ〕テ讀習ハセレドモ、醫書ニ五味ヲ列(ツラ子)タル處アルヲ、清テ讀メバ、甘トマギルル故ニ、此字ヲ必濁テ讀ナリ
 衞 廣韻……漢音エイ、呉音エ、醫書ニハ呉漢ノ二音ヲ兼用フベケレドモ、此字ハ多ク漢音ニ讀ム、唯榮衞ノ衞ヲバ必呉音ニ讀ム、榮ノ字ト倭音マギルル故ナリ

 「今倭音ノ誤リ讀テ、義ニ害アル者若干字ヲ舉テ、初學ニ示スコト左ノ如シ」
 兪 倭音ユト讀ムハ、本音ナリ、……又輸ノ音アリ、倭音シュ、……又人身ノ兪穴ノ兪ハ、閻ァト同ジ、音輸ノ去聲、或ハ輸ニ作ル、史記ノ扁鵲ガ傳ニ、因五藏ノ輸トアルヲ、索隱ニ束注ノ反ト註セリ、輸ノ字ニ平去ノ二聲アリ、此時ハ去聲ナリ、然レドモ世ノ醫書ヲ讀ム者、兪ノ字ヲバ只本音ノ如ク讀テ、シュト讀マズ、輸ノ音ナルコトヲ知ラザルナリ

みどり 07/03 23:28

732:[ 妄想のついでに ]

左合さんの妄想に、さらに私の妄想を継いでおきたい気分になりました。まったく私の趣味のようなものですが。

一つの術が時代に受け入れられる背景に、術を超えた時代思潮があるように思えるのです。その意味で、ぼくは人迎気口診の一世風靡の時代が、武侠小説やカンフー劇映画の舞台の時代でもあるという一致にひかれるのです。それは、アジア規模で海運が発達し、海賊が跋扈した時代でもありました。国家権力の管理を逸脱する野生のエネルギーの交通と、人迎気口診の切れ味のいい診断力(独断力)との間にいかなる関係があるか。それともないのか。それが私の密かな関心事です。

長野の佐久に、水嶋丈雄という医師がいます。鍼灸もよくする人ですが、中国に留学し、脈診にも一家言を持ちます。彼は、解剖学的な理由によって、左右で脈が意味するところが違う、というのです。心臓から出た動脈は右腕に先に来る。そのことを理由として、右寸部には風邪の症状がいち早く現れる、と。人迎気口診の診断とは逆なのですが、近く、もっと詳しく聞かせてもらおうと思っています。

Mail 松田博公 07/03 22:40

731:[ 上下から左右へ ]

松田さんの挑発に応えて妄想を……。

最初の脈診は身体の様々な箇所の脈動の異常が、その部位の異常と相応していることから始まったと思う。例えばコメカミの脈動と頭痛、頬の脈動と歯痛。
やがて、手足や頚部や頭部の脈動異常が、体幹部の病症と関連することが発見され、さらに上下に呼応する脈処の対が考え出され(標本)、その中間における病症の診断に利用される。
上を人迎に、下を寸口に集約しても大過無いことを主張する人たちが現れる。最初はむしろ脈状を診ていただろう。やがて、上下の相関を陰陽論的に整理して、何倍だからどの脈という説が登場する。
脈処の集約は難経で極限に達する。寸口部に身体の各部が配当される。最初は寸関尺のどこそこが異常な脈状だから、そこに配当されるどこそこが異常であると判断する。しかし、その狭い部分での比較が始まり、やがて行き着くところは六部定位。
上下の相関を左右に持ってくることも考えられる。これが左人迎、右気口の人迎気口診である。陰陽論的には理の当然のようであるが、実のところは飛躍のしすぎ(上下も左右も男女も陰陽であるが、その一つに発見できた関係が他でも必ず有効というのは、如何になんでも……)であり、臨床的にも危うい。
ここに左人迎、右気口の人迎気口診に対する評価の違いが生じる。
上下の相関が考え出された経緯を重視するものは、むしろ抵抗をしめすだろう。
陰陽論を盲信するものは、手軽な方法の出現に歓喜するだろう。
陰陽論は信じる(当時の人は大抵そうだ)けれども、上下の相関を左右に持ってくることの強引さを自覚するものは、新たな方法における新たな経験の蓄積と整理に努力するだろう。
元から清までの約700年間、中国伝統医学を席巻しようがしまいが、ただ陰陽論を盲信して手軽な方法に歓喜した歴史であったとしたら、そんなものは唾棄すべきものである。(今、朝のテレビでは、「本日の星占い」が席巻している……。)

より現代的な検証として:
左右の脈が異なる(西洋医学をも納得させうる)理由の解明。
(もしくは、最低限、異なるという事実の蓄積。)
あるいは左右の意味の評価、例えば神経系と代謝系とか。
その上で、実際の臨床における経験の蓄積と整理。

神麹斎 07/03 12:46

730:[ 【人迎気口診の歴代文献】 ]

【人迎気口診の歴代文献】

 山本さんの挑発に屈し、資料をアップいたします。

 以下の表は、ぼくの手元の文献をざっと眺めた結果と、樋口陽一、鳥谷部創治氏の知見をまとめたものです。まだ、不完全甚だしいものですが、ご検討ください。

この表から、中国明代に人迎気口診が一世風靡したことが分かると思います。元から清まで、約700年間、論争含みとはいえ、中国伝統医学を席巻した脈診法が「臨床上、意味がない」(『中医脉診学』)という一言で片づけられるとしたら、この700年間の中国医学自体が「意味がなかった」ことになってしまいます。それは現代中医にとって、大いなる矛盾でしょう。歴史の事実を虚心坦懐に見れば、人迎気口診を吟味することなく、中国医学史を書くことは不可能であり、現状の人迎気口診無視は、中医主流派の極めて政治的な姿勢による以外の何ものでもないと私は考えています。中国はいずれ民主化を余儀なくされるだろうし、いつまでも人迎気口診が無視できるとは思えないのです。その予兆が、『中医脉診学』における、否定するにはあまりに長い解説というおかしな叙述に現れているというのは、うがちすぎた見方でしょうか。

でも、日本の内経研究においても、随分長く老荘思想や道教はないがしろにされてきたし、現存の治療家で奇経治療を実践し、著述を公表しているのは、いまだ山下詢氏ぐらいです。わが国の中国伝統医学の研究・実践も、伝統医学のトータルな解明・継承ではなく、ご都合主義的な部分利用の域を出てはいません。

×が付いているのは、人迎気口診に否定的な文献。◎○が付いているのは、人迎気口診に肯定的でかつ個性的なコメントが付いている文献。何も付いていないのは、人迎気口診派と目される文献です。

 王叔和『脈経』(西晋・3世紀)

 巣元方『諸病源候論』(隋・610年)
×楊上善『黄帝内経太素』(隋、唐・619年?)
 孫思ばく『備急千金要方』(死去 682年)

 陳無択『三因極一病証方論』(宋・1174年)
 崔嘉彦紫虚真人『四言挙要』(宋・1189年)
 陳自明『婦人大全良方』(宋・1237年)
 施発『察病指南』(宋・1241年)
 許叔微『許叔微傷寒百證歌』(宋・?)

◎李東垣『内外傷弁惑論』(元・1247年)
?『脈訣指掌』(?)
 王好古『此事難知』(元・1308年)
 危亦林『世医得効方』(元・1337年)
 羅天益『衛生宝鑑』(元・1343年)
 朱震享『格致余論』(元・1347年)『丹渓手鏡』『脉因証治』(元・1358年)
『難経』三難の関係の図に人迎気口神門の図。「難経集注」(1652年・慶安5年刊本)と「難経句解」(元刊本と『正統道蔵』所収本)の3種だけで、新しいものにはなし。(樋口02.11.29)

 劉純『医経小学』(明・1388年)『玉機微義』(明・1396年)
 朱(木+粛)等編『普濟方』(明・1406年)
 熊宗立『名方類証医書大全』 (明・1447年)
 虞摶『医学正伝』(明・1515年)
 高武『鍼灸聚英発揮』(明・1529年)
×『古今醫統大全』(明・1556年)
 李時珍『瀕湖脉学』(明・1564年)
 呉崑『脈語』(明・1584年)
◎李(木偏に延)『医学入門』(明・1575年)
 皇甫中撰、王肯堂訂補『明医指掌』(明・1579年)
 孫一奎『赤水玄珠』(明・1584年)=内傷の項に東垣『内外傷弁惑論』を引く
 きょう廷賢『万病回春』(明・1588年)『寿世保元』(明・1616年)『医学入門万病衝要』(?)
 きょう信・きょう廷賢『古今医鑑』(明・1589年)
 呉正倫『脈症治方』(明・?年)
 朱棟隆『四海同春』(明・1597年)
 王肯堂『証治准縄』(明・1602年)
 万表『万氏済世良方』(明・1609年)
 許浚『東醫宝鑑』(朝鮮・1610年)
 羅周彦『医宗粋言』(新安医籍叢刊・総合類二)(明・1612年)
◎張太素『太素脈秘訣・神鏡玉(木偏に貴)金経枢要』(明・?)
×張介賓『類經』(序と本文)(明・1624年)
◎李中梓『醫宗必讀』(明・1637年)

 潘楫『医燈続焔』(清・1652年)
◎李廷(日の下に正)『脈訣彙弁』(清・1664年)
×尤乗『診家正眼』(増補 清・1667年)
 李禹門『身経通考』(清・1672年)
×羅美『古今名医彙粋』(清・1675年)
 張(王+路)『張氏醫通』(清・1695年)
 馮兆張『馮氏錦嚢秘録』(清・1702年)
 沈(廷+頁)『病機彙論』(清・1713年増訂)
×林之瀚『四診抉微』(清・1723年)
 余仰庵『脈理会参』(清・1733年)
 呉謙等『医宗金鑑』(清・1742年)
○葉天士『景岳全書発揮』(刊行 清・1844年、没年1745年)
 何夢瑶『醫(石に扁)』(清・1751年)
 呉氏『方症会要』(清・1756年)
×徐大椿
×盧之頤『学古診則』(明人 刊行 清・1770年)
 『續名醫類案』(清・1770年)=中風、内傷の項に左脈・右脈
 沈金(傲のつくりの下に金)『雑病源流犀燭』(清・1773年)
 程林『聖済総録纂要』(清・1781年)
 汪燕亭『聊復集 巻一医階診脈』(新安医籍叢刊・総合類一)(清・1810年)
◎銭一桂『医略』(清・1818年)
 周学霆『三指禅』(清・1827年)
×莫枚士『研経言』(清・1879年)P110=人迎気口弁
 周学海『脈義簡摩』(清・1892年?)

 曲直瀬道三『啓迪集』(1574年)『診脉口伝集』(1577年)『増補脈論口訣』
 越後・北嶽先生『脈法手引草』(明和7年)
◎加藤宗博『盧経(衣のなかに臼)腋』(1721年)

×『中医脉象研究』人民衛生出版社(1986年)
×『中医脉診学』天津科学技術出版社(第1版1990年)P341

Mail 松田博公 07/03 01:16

729:[ 人迎氣口診 臨床的に ]

 三十三歳になる姪が、股関節が痛いとか膝が痛いとか肩、肘、手首と次々に痛くなってはすぐ収まりしていた。痛みが出る時いつも人迎が浮緊。ある日股関節が痛いというのに人迎は沈んでいる。代わりに氣口が浮大。勞倦の脉。
「いつもの脉と違うねえ、何か使い過ぎみたい。何かした?」
「実は、昨日デパートに行って一万歩歩いた。」
同じ痛みでも脉が違う。勞倦は氣口に現れる。
 そのうち痛みがない時に氣口が浮虚になった。虚勞の脉。生理や排卵日でもないのにこの脉はリュウマチくさい。病院に行かせた。
医師は痛みがあちこち変る事と、手関節のレントゲンに異常がないのでリュウマチでは無いだろうと言ったそうだ。
しかし、後日血液検査でRAが1プラスに出た。
医師はこの程度ではリュウマチとは言えないが、リュウマチではないとも言えないといったそうだ。
しかし、ただの関節痛では絶対RAはブラスにならない。
私の医院勤めの経験ではRAがブラスマイナスでも虚勞の脉になる。 
姪は『素問』痺論(43)にでる「行痺」。人迎の浮緊は「風」が勝つを現しているのだろう。
姪がこの検査結果を知らせに来た時、まだ何処だったか痛みは残っていたのに脉は穏やかになっていた。何処にも異常の脉を現さないのはこれまたおかしい。一晩考えて思い浮かんだのは、痛み止めと胃薬を貰って飲んだと言っていた。
そういえば二十数年前『傷寒論』を学んでいた頃、粟島行春先生に
医者の薬で脉が分からなくなる時があるので処方を間違えないようにと習った事がある。
こういうだったのかと始めて納得した。

 
 旧脉学会の合宿で目隠しをして十人程の脉を二回見る。と言う事をしていたことがある。太っている人は脉が沈んでいるのに、毎回二三人氣口がやや浮き気味になる。しかし、午後はおとなしく沈んでいる。そういう人は前夜二時まで飲んだ人達だ。二日酔いの脉。糖尿になると氣口が浮になる。飮食も氣口に現れる。


 飮食・勞倦は氣口で診る。外傷は人迎で診る。

 こうなると『三因方』の氣口で七情を診るはあやしい。
七情は六部にでると思う。
先々週私はとても怒る事があった。いつも肝虚なのに肝実になった。頭の血管が切れる前の脉に近かったので怒りを静め安静にしていたが肝実が肝虚にもどるのに五日かかった。


 私は鍼灸師は脉診をしなければいけないとは思っていません。
脉診をしなくても効く治療をされる先生は沢山おられます。
ただ、脉診に興味を持ち、六部定位の脉差診ではものたらず、かといって六部六位の脉状診では情報が多すぎて病因の選定が出来ないと悩んでいる人に、まず人迎氣口から入って六部六位にいかれることをおすすめします。
その為には人迎氣口診を文章を読んだだけでわかるものにしなければいけないと思っています。それには思い切って井上式マニュアルを壊してみたい。そこからどうなるかまだわかりません。もしかしたら私には出来ないけれど左合さんなら出来るかも知れません。

 松田さんの研究は『三因方』以前も含まれていました。こういう基礎研究が公開されるといいですね。

山本朝子 07/02 22:02

728:[ 邪気蔵府病形篇の脉診 ]

 『素問』三部九候論篇の中部脈と下部脈によれば、経渠が肺脈で、神門が心脈で、太谿が腎脈で、大衝が肝脈で、衝陽が脾胃脈である。個人的な推測でいえば、これが邪気蔵府病形篇の五蔵脈じゃないかと思う。神麹斎さんのいう②に相当すると思います。①弦鉤代毛石の五蔵脈は神麹斎さんのいうとおりだと思います。邪気蔵府病形篇が六部脉診だったのではというのは、滑脈や渋脈が単独で出現するとは思えませんので、希望的な推測だと思います。

 かいちょう 07/02 17:24

727:[ 『中医脉診学』 ]

 人迎氣口診は確かに定義づけるには難しいものですね。
古典研の樋口さんが回答してくれるでしょう。

 『中医脉診学』天津科学技術出版社1990年刊26.10元
この本いいですよ。
 『内経』の各所の拍動部が寸口独りに集約されるのは『難經』で、完成されたのが『脉經』のようです。
 三部九候も『難經』で寸関尺の浮中沈になっている。
しかし、五色篇の脉状は関前一分の左右の寸口と一致すると私はおもうのですが、人迎穴部と左関前一分が同じ脉状を現すのかなあ。臨床で調べるしかないですね。
 『脉經』から『三因方』までの書で関前一分の人迎氣口診が使われた例があるのでしょうか。明清医書は松田さんがされたと聞いていますが。
 こうしていざ疑問に思ってみると古典研で人迎氣口の歴史的な考察をした論文をみたことが無いような気がします。私の記憶に無いだけなのかなあ。
 

山本朝子 07/01 16:37

726:[ 邪気蔵府病形の五蔵脈 ]

『霊枢』邪気蔵府病形の心脈、肺脈、肝脈、脾脈、腎脈が何を指しているのかは難問です。
一応、三つの可能性を考えています。
①本篇の前文、「色青者,其脈絃也。赤者,其脈鉤也。黄者,其脈代也。白者,其脈毛。黒者,其脈石。」
本篇中の文章であるし、絃鉤代毛石の脈状を五蔵に配当するのは古くから有るわけだけど、これと緩急小大滑豼№フ脈は両立しがたい、と思うけど……。
②五蔵の経脈
脈状との両立に関しては問題ないけれど、例えば手少陰を心、手太陰を肺などと呼称することが、はたして確立していたか……。
③寸口部の浮から沈に、五蔵を配当
祖脈の組み合わせて病証を判断しようというのが篇の主旨であるとすれば、欠けているのは遅数と浮沈である。遅数を五蔵に配当する説は知らない。浮沈は有りうるが……。
この他に、左右の寸関尺に五蔵を配当しているという考え方も有りうるが、これはさらに新しいだろう。こうした考えがいつごろ出現したか、はっきりしたことは分からないけれど、『素問』『霊枢』には無いように思う。百歩さがって萌芽は有るとしても、ここに自明のこととして出てくるのは、いかに何でも唐突でしょう。
よく分からないながら、当面の結論(?)としては、手足の陰側の経脈に五蔵を配当していたのではないかと思っている。古代の達人には、それぞれの色も見えたとしておく。その脈と五蔵の配当が、経脈篇と同じであったとは、確かには言えない。ただ、手足の陰経脈と五蔵との関連は、かなり古くから注目されていて、そこそこの配当が試案(私案)として提出され、それぞれの学派で半ば常識になっていたと考えても、そんなにはおかしくはない。
で、邪気蔵府病形の五蔵に関する脈診は、それぞれの経脈の緩急大小滑豼№゙料とするものであって、また皮膚の色と手触りを参考にすることが出来る。(緩急は遅数ではなく、緊張度だろう。)


> 人迎氣口診が伝統鍼灸学会の用語解説集に入らないのはなぜ。
> 何故用語委員会で定義出来ないのか。
能力が不足しているか、もしくはより高い可能性として、関心が無い。

神麹斎 06/30 23:59

725:[ 人迎気口診 ]

 人迎氣口診が用語解説集に入らないのは、定義できなかったからと書いたとおりで、やっていない人はやはり書けません。六部定位診だって、まったくやっていない人は書けないと思います。参考書を引っ張り出して適当に書けば書けるでしょうが、そんな切り張り文を誰が読んでくれるでしょうか。僕は書かないことが良心だったと思っています。

 かいちょう 06/30 22:24

724:[ 言い方を変えて ]

言い方を変えて
 人迎氣口診が伝統鍼灸学会の用語解説集に入らないのはなぜ。
 何故用語委員会で定義出来ないのか。
 『脉經』にはっきり記述されているのに何故定義出来ないのか。
 
内容を変えて
 『霊枢』邪気蔵府病形(04)の心脉、肺脉、肝脉、脾脉、腎脉は『脉經』の巻第一両手六脉所主五藏六腑陰陽逆順第七の部位と一致しないか。一致すれば「邪気蔵府病形」の記述は六部六位脉状診の原形にならないか。


  

山本朝子 06/29 23:28

723:[ 観点の違い ]

すでに、No.096「脉診妄言」に、『太素』卷十六の雑診(『素問』では病能論)を引いて、「上古の経典には左人迎、右気口の萌芽は無かったんだろうか」とは言っています。しかしそれは右と左の脈状は異なる、それを診断に応用する、ということの萌芽であって、『素問』『霊枢』に左右に人迎気口を取ることが有ったということではありません。
全身の脈処を陰陽論を用いて上下に人迎と気口に集約すれば、そこから左右の陰陽を用いて左人迎、右気口を発想する人が現れるのは、時間の問題だと思います。それは、『素問』『霊枢』と『脈経』の間に出現した可能性が高い。別に、突然の変化というものでもないでしょう。(コロンブスの卵ではあるかも……。)

経絡と穴の発見は、相対的に独立したものと考えます。ある点とある部位の病症とには関連が有る。それが穴の発見だと思います。勿論、その間に何らかの連絡線は存在するはずですが、全ての穴をその線上に配置するために行きつ戻りつさせるのは、明らかに整理のためのねじ曲げです。だから、経絡別に記述するのが完成であり、部位別のものは遅れている、という単純なものではありません。分かり易いからだけでなく、無理矢理の経脈配属に抵抗する編者も部位別を選択するでしょう。『甲乙』については、はっきりした経脈配属は記述しようとしてます(経脈上に配置ではなく、穴の説明中に記述。)が、はっきりしないものは保留しているのだと考えます。つまり、歴史上の一過程だということです。経絡別の『明堂』が有ったのを、『甲乙』の編纂時に若干もとへもどした、というふうには考えられません。(『甲乙』巻3の順に穴単位でまとめられた『明堂』が存在したか、もしくは少なくともそうしたものを作成してから『甲乙』の編纂に取り掛かっている。その資料に臓腑・経絡の配当が有ったという証拠は無い。)

『素問』『霊枢』と『明堂』の病症記述の変化は、穴ごとに集約するに際してのまとめに起因すると思います。そして『明堂』と『甲乙』の間の病症記述の変化は、病症学的に整理しなおした結果でしょう。ある意味で極めて文献的な問題です。(何故そうするかには、どちらが便利かという、ある意味で臨床的な要求が有る。)『千金方』に至っては、利用にあたっての簡便さの要求に沿ったに過ぎないかも知れない。

神麹斎 06/29 11:01

722:[ 疑問 ]

 人迎寸口については、「内経」に出る人迎は頸動脈の人迎穴位なのか。『脉經』と同じ、左右の寸口だったのではないか。です。
 『素問』病能論(46)に右脉、左脉が出ます。人迎氣口の具体例だと思います。
 又は、二倍とか何倍とかは頸動脈の人迎で、脉状が記されている所の人迎は左右どちらかのの寸口かもしれません。『内経』と『脉經』の突然の変化がひっかかるんですよ。

 『甲乙』については例えば
 『鍼灸重宝記』も部位別に記されています。江戸時代に経絡別の経穴書がなかったとは思えない。それは部位別に記す事が分かり易いと『鍼灸重宝記』の作者が思ったからです。
 『甲乙』も編纂時に経絡別の『明堂』があったように思えてならない。ということです。

 ときおり『千金方』を見るんですが、病症のグループが単症状に変るのは、より臨床的になったのではないかと思います。

 小林さんが黄さんの資料を分かり易く「内経」誌に出している「『内経』と『甲乙』の病症の比較表」も時折見ています。
 二書間の病症の変化は何故起こったか。
  臨床が入ったからか。
  文献上の問題か。
 この資料は何故かひっかかるんですよ。
『明堂』の謎を解く鍵が含まれているような気がします。

 

山本朝子 06/28 23:01

721:[ 無題 ]

『甲乙』巻3の兪穴の並び方は、頭部と体幹部ではおおむね正中線およびそれと平行する線ごとに下降する。四肢ではおおむね経脈ごとで何れも求心であるが、これも正中線というものが無いだけで、おおむね平行する線ごとまとめたものだろう。面部はやや複雑だけれど、経脈ごとというものではない。
『甲乙』の記述には、おおむね某脈の気の発するところとか某某の脈の会とあるが、原資料にもともと有ったかどうかは疑わしい。
つまり、『甲乙』巻3あるいはその原資料は上下する平行線を単位としてまとめられているのであって、経脈別に記されているわけではない。
中府と雲門が並んでいることについて問題にするというのが、どういうことか分からない。『甲乙』でも、おそらくはその原資料としての『明堂』でも、胸自雲門侠気戸両傍各二寸下行至食竇の最上部をしめる二穴であって、当然並んで記述される。
しばしば問題にされるのは、中府と雲門が手太陰に属するか、それとも足太陰に属するか、だと思う。
で、結論としては、上述した『甲乙』巻3さらには『明堂』の記述法からすれば、どっちででもいいか、さらにはどっちとも配属経絡は言わないほうがよりよい。少なくとも古意にかなっている。

『甲乙』巻7以降の諸篇では、病症記述ごとに主穴が示してある。で、もとになった『明堂』では、それが穴ごとにまとめて記述されていた。そこで、個々の病症に対しての穴ではなくて、病症群に対しての穴であると主張される。しかし、その病症群がそれぞれの穴について一つづつであったとは思われない。さまざまな資料(『素問』や『霊枢』も含まれる)から抜粋して穴ごとにまとめ上げたのが『明堂』であり、それをまた病症ごとに分類しなおしたのが『甲乙』であるとも言える。

人迎気口診と言ったり、人迎寸口診と言ったり、というのは手首のその箇所を寸口とよんだり気口とよんだり脈口とよんだりしたからに過ぎない。どうしてよび方を変えたかについては、丸山、藤木、島田の諸先生に論考が有るように思う。内経でさかんに人迎寸口を言いながらも最終的に「寸口独り脈を表すは」どうのこうのと言い出すのは、つまり集約化であって、そもそも全身に数多い脈動のそれぞれに触れていたのが、人迎と寸口に集約されたのであるから、さらに寸口一つに集約されるのも理論の趨勢であって、永遠に人迎と寸口に止まったら、むしろ不思議だろう。


下のNo.20で言われていることの意味が、実はよく分からないんですが、取りあえずの反応として。

神麹斎 06/28 13:15

720:[ 『甲乙』 ]

 新書は全書の間違いでした。打ち込む前に気をつけて見ていたのに打ち間違えてしまっていました。ごめんなさい。
 語法の校正はかなり厳しくしたのですが訓読までは注意が行き届きませんでした。いつも訓読をしているわけではなく訓読の習慣を覚えきれませんでした。今後は校正前に一通りメモしたものをみて訓読にも注意しなければと反省しています。

 『甲乙』のこと。まだひっかかっています。
 『甲乙』編纂時に今の「中府」「雲門」とならんだ『明堂』があったとおもいます。巻三のほとんどが経絡別に記されています。
 揚上善『明堂』も病症をグループごとに捉えていたのではないでしょうか。古典の解りにくい点は内容が変る所で段替えをしていないことです。病症が『甲乙』のグループと一致しています。本来はグループごとに捉えられていたものが、後代になってバラバラに捉えられるようになったのではないでしょうか。
 復元に問題があると思います。

 人迎氣口について。
 『霊枢』四時気(19)の最後部の文
「氣口候陰、人迎候陽」
今の人迎氣口の原典だと思う。
 『霊枢』五色篇の人迎寸口の脉状は人迎氣口ではないでしょうか。
 『内経』の人迎寸口(脉口)は今の人迎氣口ではないですか。『脉經』で突然人迎寸口がなくなるのが不思議だし、『内経』でもあれだけ人迎寸口をいいながらも「寸口独り脉を表すは」どうのこうのと言って「人迎」に触れていないのはおかしい。
 人迎氣口と人迎寸口(脉口)に関する論文は出ていますか。

山本朝子 06/27 21:01

719:[ 『漢文入門』 ]

岩波新書の『漢文入門』は、岩波全書の『漢文入門』のまちがいだと思います。
小川環樹・西田太一郎著。
入門と良いながら、結構レベルは高い。角川(?)の小辞典のほうを先に読め、とどこかで紹介されてました。

最近、新書に衣替え……、何て事も無いと思う。

神麹斎 06/26 22:21

718:[ 「医古文のよみかた」 ]

 『中医臨床』に石田先生が連載されていた「医古文の読み方」に和訓のことが出ていました。
「之与」=「与」十巻三号p99
動詞、助動詞の活用 十五巻二号p113~

 岩波新書の『漢文入門』にも訓読の習慣が書かれています。
p370に、字音は原則として漢音で読むが一部の訛字はやむをえないとして、「輸」正しくは「しゅ」だが「ゆ」と読むとあります。

 この様な事をノートにメモしていたのにすっかり忘れていました。普段はあまり訓読には気を使わないものです。

山本朝子 06/26 21:40

717:[ プロと素人の狭間 ]

 松田さんが始めて「内経」誌を読んだ時衝撃を受けたそうです。どのような衝撃なのかお聞きした所、
「本音でかいている」
とのこと。例えば誰かのインタビューをする。いやだなと思う人でもそうは書けない。そのストレスが体を蝕み癌になったのだろうとのことでした。癌は手術し再発。再度手術したとのことです。
 それが松田さんに鍼灸に興味をもたせたようです。仕事帰りに専門学校に通い、資格をとり今に至っています。「新はり・きゅう物語」にも自らの体験を通じて体を思う松田さんの眼差しが滲み出ていたと思います。
 一方、我々の文章にはプロに衝撃を与える何かがある。その何かは何か分かりませんが、何かを大事にしていきたいものです。

 昨夜思い出したのですが、四・五年前だか、松木先生が漢文入門のテキストを作られていました。出版されているのか、インターネットで公開されているのか、内輪のテキストで終わっているのか分かりません。もし出版されていたら購入する方法を教えて欲しい。インターネットで公開されているならアドレスを教えて欲しい。内輪のテキストで終わっているなら『季刊内経』に連載して欲しい。ご存じの方がいたら教えて下さい。

 書評は是非読ませて下さい。

山本朝子 06/25 21:29

716:[ うまい文章 ]

 昔、松田博公さんが、日曜講座の感想を書いていたのですが、ぼくもうまいなぁと感じていました。ぼくらは、あくまで素人であり、こうして書いているのも児戯に等しかろうと思っています。「医古文の基礎」だって、しょせん素人あがりがやった仕事です。専門家が育つ環境を、はやく作らねばと思っているわけです。
 「医古文の基礎」の書評は管理者になんとかしてもらって、みんなが読めるようにしてもらいましょう。

 かいちょう 06/25 09:43

715:[ 書評 ]

 『医古文の基礎』に対する書評はどのようなものだったのですか。もしここに転載出来たら読ませて下さい。

山本朝子 06/24 21:49

714:[ 蛮勇を尊ぶ ]

『医古文の基礎』に対する「書評に答えて」(内経151)を読んでの感想を、一言で言えば、時には拙速と蛮勇を尊ぶ。
医古文に関する本を何か出そうとなった際、もっと良い本が有りそうなもんだとか、和訓は要るのかとか、結構異論は有った(と思う)。出来上がってからも、標点符号とか語法用語についていちゃもんを付けているのがいる。所詮は妥協の産物である。そして、時にはまた妥協を尊ぶ。
今から思い返せば、原塾でやっていたことなんて全然大したことない。でも、今年の内経の日曜講座の参加者は約70名、原塾を始めた時のことを思えば隔世の感が有る。内容も当時よりは少しはマシ。最近の古典を見直そうという風潮の、始めの一歩の、少なくとも一つのよ~いドンではあった。とにかく、走りだしちゃった奴は、おっちょこちょいだけど、偉い。観客席にいては何も起こらない。

神麹斎 06/23 21:34

713:[ 鍼灸師は何故『内経』を読まなくてはいけないか。 ]

昔、日曜講座の報告を松田さんに書いて頂いた事が有ります。端的に重点をつかんだ文章で、その講座を私も聞いていたのですが聞き逃した所とかも記されていて、講座に出るより松田さんの報告を読んだ方がよく分かり、さすがプロだなあと思ったことがありまた。
 昨日、今日と『季刊内経』に松木先生が投稿された「李建民氏の<灸法の起原>簡介」を読んでて、ふとそんな事を思い出しました。
 松木先生の文章を久しぶりに読ませて頂きました。文章が円熟してきてとても分かり易くなり、かつ、油がのって勢いが出てきていましたね。「赤身」が「トロ」になったなと思いました。

 ところで私がどうしても書けない文章が「鍼灸師は何故『内経』を読まなければいけないか」です。
 李氏の「中国医学史における核心問題」は「中医養成教育過程では、なぜ必ず古典を読まなければいけないのか」から始まり「中国医学は、テキストを核心にすえる正典医学である。」という結論らしいのですが、やはり最後は古典が臨床に役立つかが疑問に残っています。
 某先生が医師に『素問』講義をされて、
「もともと頭のいい人達だから理解も早い」と言われていたと、某先生の弟子に聞いた事があります。かれこれ二十年前のことです。私が勤めていた医院の若先生も大学病院の麻酔科で鍼を扱う教授につき、京都から仙人のような生活をしている先生をよんで『内経』の講義を聞いているといわれていました。
 鍼に興味を持つ医師が『内経』を読む時代に、何故西洋医学に憧れる鍼灸師が『内経』を読まないのか。何故鍼灸学校で読まないのか。とても不思議なのですがそれでは理由にならない。『内経』を読まなくても臨床は出来ますからね。
「鍼灸師は何故『内経』を読まなければいけないか」
鍼灸界が納得するような文章はまだ書けません。

山本朝子 06/23 19:50

712:[ 瀕死 ]

髟ソに頁を、「たぶん瀕の異体字」と言われて、サンズイはどこへ行っちゃったんだと思ったけれど、小篆を調べたら止と少(厳密には一画多いけど勘弁してね、そういう瀕の異体字も有るらしいし)の間に横たわっていた。それなら筆勢とかで髟ソになることも有りそうですね。
今昔文字鏡には髟クと頁の組み合わせで登録されているけれど、未詳文字で他に何も情報は有りません。

神麹斎 06/23 07:56

711:[ 他覚症状としての「耳鳴」 ]

 『諸病源候論』卷23中悪病諸候・尸厥候に「聽其耳内循循有如嘯之聲」(その耳内を聞けば循循としてウソブクが如きの声有り)とあります。この後、「股間〓〔日+而+大〕是也」(股間あたたかなるは、是れなり)とありますから、明らかに、太子の尸厥を念頭に置いての解釈でしょう。
 著者未詳の寛永十六年板『病論俗解集』尸厥には「惣身冷テスクミ死ニ入ルコト〓(〔長の簡体字+頁〕たぶん「瀕」の異体字)死也気ガ滞テノ故ト云雖然耳ノ内ヲ聞クニ笛ヘ尺八ノ遠音(トヲ子)カスカニキコユルヤウナラバ可療治……」とあります。


みどり 06/23 04:34

710:[ 家本先生の素問 ]

 そういえば家本先生の素問注釈が出ているのですが、購入できる方法をご存じならば、教えてください。

 かいちょう 06/21 21:54

709:[ 告知させて下さい(横浜なので) ]

 家本誠一先生の傘寿をお祝いする会と、記念等特別講座(演題は「帰經について」)が7月12日に横浜にて開催されます。詳しい事はご連絡下さい。

尾乙蘭 06/21 12:21

708:[ 伝説 ]

 一昨日『日本伝統鍼灸雑誌』第28巻第1号に載る、新医協の蛭子君の「『内経』における四季の刺法と五兪穴について」を読んでて思ったのですが、
 私と井上先生の決別の遠因に、井上先生のウインドウズ的性格と、私のリナックス的性格の違いがあります。例え自分で問題を解けなくても疑問をオープンにしておけば誰か才ある人が解いて研究界に生かしてくれます。流派に関係なく人材を育てておけば育った人が研究をしてくれます。

 ところで井上先生の発言に
「太喜男(この字でよかったかしら)先生の話に出る恵理先生はヘンジャクのような人だ。親父はあんな事を言っていなかった。」
と、いうのがあります。
 又、このような発言もあります。「親父は、『治した数だけ失敗してきてる。』と言っていた。」
 私は太喜男先生が恵理先生のことをどの様に言われていたか知りませんが多分、名医のように話していたのでしょう。「治した数だけ失敗してきてる。」が真実だと思う。
 つい、数十年前のことでも伝説化されるものなのですね。

山本朝子 06/20 17:01

707:[ 贅言 ]

もう終わりにしたつもりだったんだけど、ちょっと言っていることが違うと思うんで:

扁鵲は「試みに入りて太子を診せよ」と言っているんでしょ、そうして慎重に診れば「耳鳴がして(これが分からないのは置いといて)鼻がわずかながら脹らんでいて、内股がわずかながらまだ温かい」のが分かるはずだと言っているんでしょ。
当時の死の判定も現在とそんなに違うわけがないけれど、「手足は冷たくなり、呼吸がとまり、心臓の拍動も停止している」のうちの、少なくとも手足の冷と呼吸に関しては見落としが有った(と言っても、扁鵲なら分かるけど、中庶子には「言われてみればそうとも診えなくはない」という程度なんだろう。)わけだし、それが中庶子と扁鵲の技量の差ということなんだと思う。だけど、中庶子には全く不可能なほど神秘的なものであれば、扁鵲も「試みに入りて太子を診せよ」とは言わないでしょう。
もしかすると、そうしたわずかな徴候は中庶子もつかんでいたけれど、経験的に(誰がみたって)快復するわけがないから、つまりそれは死だと判断したという可能性も有る。ただ、収棺しないでいるのは、儀礼的にかもしれないけれど、復活の可能性を心のどこかに置いているのかな、と……。
で、扁鵲が「誰がみたって快復するわけがない」ようだけれど「私には快復させられる」と言ったから、「目は眩然として迸嘯ゥず、舌は謦汨Rとして下らず」になったんだと思う。(わずかな生の徴候しかない無いから死と思っていたのに、わずかでも生の徴候が有るのだから生きると言われた。あるいはまた、無いと思っていた手段が有ると言われた。)
治療の成果を、まわりが「死者を生き返らせた」と言い、扁鵲自身は「生きているものを起たせただけだ」と言うのは、立場の違いだと思うし、現在の我々がどちらの立場でみるかと言えば、私は扁鵲の立場でみるのがより佳いと思うわけです。(No.3が過激すぎる表現であるのは、書いた本人が自覚しています。)
治療の方法自体は、わけのわからないことをやっているとは思いません。扁鵲伝の他の話はともかく、ここの話は今の我々のやろうとしていることとそんなに違わないと思います。勿論、そう思えるのは後世からみるからで、当時の人にはわけのわからないことをやっているように見えただろう、というのもまた確かにそのとおりだと思います。

扁鵲のやったことが大したことじゃなんて毛頭思ってません。ただ、凄さの意味が違うんじゃないかと思うし、少なくともここには神秘的な要素は無いと思っています。

神麹斎 06/20 12:56

706:[ 誰がみたって ]

 誰がみたって、死んでいたにちがいない。死というのは、誰にも身近にあることがらで、太子の回りにいた人たちが、生まれて初めてみたという面々ばかりだとすれば、死を判定するのに、№3や№5がいうように若干の生の徴候を見逃すかもしれないが、実際はそんなことないと思う。手足は冷たくなり、呼吸がとまり、心臓の拍動も停止している。医者がいれば脈をとったかもしれない。
 ので、はやり扁鵲は、死者を生き返らせたというしかない。 当たり前のことを当たり前にやったのは倉公のほうで、それも今のレベルからみればであり、当時としては倉公の医学は先端をいっていたと思われる。何気なく脉診をしているが、おそらく回りの医者は脉診をしらなかったかも知れないし、知っていても倉公の脉診に比べれば古いものだったかも知れない。倉公の医案は冷静に読めるのは、かれの医学と今の我々の医学が似ているからであろう。扁鵲はちょっと違うのでは。

 かいちょう 06/20 08:49

705:[ 大喜利 ]

ちょっとしつこいけれど:
誰がみても、呼吸は止まっていて、手足も冷たくなっていたんだろうか。
扁鵲に指摘されてあらためて仔細に診さえすれば、中庶子にもまだ鼻呼吸が有り、内股の奥は温かいのが分かったはずでは……。
どうしてソンなことを扁鵲には断言できたのか?贅沢な暮らしの人が真夜中に、という蹶は概ねそうしたものなのか?それとも、死と判断することと、収すべしと判断することの差に秘密が有るのか?
そもそも、これは大変に難しい状況を快復させた、凄い!!という話なんだろうか。
当たり前のことを当たり前にできることの凄さの話なんじゃなかろうか。
(3の書込と同じなんだけど、短く分かりやすくしたつもり……)
(扁鵲の話なんだから、奇跡的な治療のつもり……?)

神麹斎 06/18 16:58

704:[ 耳鳴を聞く ]

 確かに、耳鳴りを聞くという表現はおかしい。しかしながら、それ以上の解釈は今のところできない状態である。話としては扁鵲が死者を蘇生させたというところに重点があるので、この辺はどうでもいいじゃないか、とほおっておかれている。
 どう考えてみても、生き返るはずがない。誰がみても、呼吸は止まっていたに違いないからである。手足も冷たくなっているだろうし、生き返るはずがない。ので、扁鵲伝に関しては細かな詮索は無用なのである。そうすると「病応見于大表」もあまり細かに考えないほうがいいのかもしれない。扁鵲一流の誇張がはいっているかも知れないし、前後関係に多少の矛盾があったとしても許しておこうと思う。「この際、はっきりさせよう」というのは撤回してしまいましょう。

 かいちょう 06/18 14:15

703:[ 扁鵲伝説 ]

考えてみると、扁鵲が中庶子から得た情報というのは、陌「の太子が鶏鳴(午前1時~3時)ころに、(うんとわりきって言ってしまえば)にわかに人事不省に陥って、だけどまだ半日にもならないから収棺はしてない、ということだけでしょう。「血氣不時,交錯而不得泄,暴發於外,則爲中害。精神不能止邪氣,邪氣畜積而不得泄,是以陽緩而陰急,故暴雹キ而死。」は、中庶子の判断に過ぎない。勿論、扁鵲ほどの水準になれば、初心者の若干怪しい判断を材料にして、より正しい判断を導き出すことも可能なんでしょうが、いかにも情報が少なすぎると思いませんか。
兪霍翌フ故事が荒唐無稽な作り話であるのは間違いないけれど、扁鵲のこの故事にだってその傾向は有る。もしくは、司馬遷は話の重要な環節を書き漏らしている。
ただ、扁鵲とその弟子のやっていることは、(おそらくは)百会の刺絡と、(またおそらくは)両脇の下の温湿布と、(またまたおそらくは)温かいスープを飲ませて胃を温めることだけじゃないのか。これってそんなに伝説的に凄いことなんですか。(勿論、私には難しい……だろうけれど)昭和の鍼灸名人にだって出来そうな気がする。(勿論、最初にやるのと真似するのとの間には、格段の差が有るのだろうが。)
むしろ扁鵲以外の医者がだらしないのであって(だって鼻孔はヒクヒクさせているんだし、内股はまだ温かいんだよ)、だから「越人は能く死人を生かすに非ず、これ自ら当に生くべきもの、越人は能くこれをして起たしむるのみ」というのは、もっとうんと痛烈なセリフであって、いっそ「おまえらバッカじゃないの!」というに近いのかも知れない。扁鵲の偉いのはそんなに大げさなものじゃないと分かったことだし、そう判断できたのには流石にもう少しは情報が有ったんじゃないのか。
夫子之為方也,若以管窺天,以驛ь虚カ。越人之爲方也,不待切脈、望色、聽聲、寫形,言病之所在。「あんたには分かるまいが、私には見えている。」表が分かれば、裏が分かる。裏が分かれば、表が分かる。表にこんなに情報が現れているのだから、何も千里の彼方に求める必用は無い。
常識として、諸侯の太子なるものの生活態度とか、したがって体質の概ねとか。あるいは、死と判断してから収を決断するためには、さらに何らかの判断を必用とするが、その徴候はまだ現れていない。(死あるいは収というものの意味が我々の考えとは違うのかも知れない。そして、死と判断してから収するまでに間を置くことが、中庶子らにとってもすでに習慣に堕している。)また、雹キが起こったのが鶏鳴というのも、扁鵲にとって重要な判断材料であったはずである。合夜至鷄鳴,天之陰,陰中之陰也;鷄鳴至平旦,天之陰,陰中之陽也。そして、司馬遷が書き漏らした何か。
そして、扁鵲の偉いところをもう一つ、親しく診る前にそんなに大げさなものじゃないと判断し、治せると言い切る剛胆さ。だって当時は失敗したら死刑ですよ、おそらく一族子弟もろともに。


(また!過激なことを!! すみません……)

神麹斎 06/16 19:56

702:[ 耳鳴 ]

大表とは何ぞやが主題だったんで、うっかり気づかなかったんだけど:
子以吾言為不誠,試入診太子,當聞其耳鳴而鼻張,循其兩股,以至於陰,當尚温也。
鼻張は聞くものか、というのはちょっと置いといて、まあ鼻息は聞こえるとして、耳鳴は患者=病人=陌「太子に聞こえるもので、中庶子が入りて診したところで聞けるものじゃない、と思うんだけど……。
つまり、我々が知っている耳鳴とここに言う耳鳴とは別のものじゃないかと思うんだけど、如何。

神麹斎 06/16 08:37

701:[ 確認です ]

私の友人に礼儀正しい人がいて、E-mailの宛名が呼び捨てになるのを気にして、苦労して「神麹斎どの」と設定してくれた。
彼のハンドルは○○堂なんだけど、私は礼儀知らずだから、あいかわらず呼び捨てている。
で、ふと思ったんだけど、○○齋とか○○堂とかでは本当に、「呼び捨てだ、失礼だ」になるんだろうか。どうしてもということなら私は「○○堂主人」と書こうかと思っている。
でも、「先生さま」に近い語感の、ちょっとみっともないことは……、という懸念を優先して、相変わらず呼び捨ててます。

これは、この談話室のプログラム(と言うんですかね)をちょっとさわったので、書き込みに支障が無いことの確認です。

神麹斎 06/15 16:09

700:[ そうも考えられるけど そうとは限らない ]

自分は奇説を吐くのが好きなのに、他の人が変わったことを言い出すと、まあまあもっと素直に解釈しようよ、などと宥めにかかる。困った性格だねえ、我ながら。

それはそうと、天津や山西省が「新型肺炎流行地域」指定リストから外れましたね。7月中旬頃までに「事態が終息すれば個人的に参加することもある」と言ってましたが、何だか本当に、無理矢理そうなりそうな気配も……。まあ、北京の街角からマスクが消えなければ無理……だね。

神麹斎 06/15 08:34

699:[ 品詞 ]

大概が副詞というわけでもありません。「大概~である」というときは副詞として用いられているということでしょう。もし、「大概を知る」と言えば、それは名詞として使われている。

中国語の場合、置かれる位置によって品詞が決まるのだと思いますが。

神麹斎 06/15 08:32

698:[ 無題 ]

大概、大略、大要などという言葉は有るけれど、それはそもそも大の後の字に、おおむね、省略、要点といった意味を含んでいるように思う。

神麹斎 06/15 08:30

697:[ 秋山さんの解釈 ]

 前後の文を見なくて失礼しました。語法書では大概や大抵も副詞に属しています。形容詞として秋山さんの解釈を挙げて見ます。

 『ヘン石』第221号
 ヘンジャクは、しばらく天を仰いでから溜め息まじりに言った。
「あなたの仰ることは、竹管の中から天を覗き、縫い目の隙間から文字を見るようです。わたしの手法は、切脉、望色、聴声、寫形をするまでもないのです。申し上げますが、病の所在というのは、病が陽分に至ったと分かれば、それが陰分にあることが推論されるし、陰分に至ったと分かれば、それが陽分にあることが推論されるのです。病態というのは体全体に色々な形で現れるものですが、途方もないものではありません。病気の把握はいかようにも考えられますが、あれこれと考え過ぎてはいけません。嘘だと思うならば、試しに中に入れて太子を診察させてみてください。お聞きなさい。太子の耳鳴りがし鼻の膨らむのは、(病が)両股を循り陰分にまで達しているのです。温方を用いるべきです。」

秋山さんの意見「・・・・兪フの医術の優秀さが、伝え伝えられて尾鰭が付き、荒唐無稽な作り話となってしまったことをヘンジャクは見抜いていたのではないだろうか。・・・・・・今も昔も変わらぬ、可視的なものに目を奪われてその本質を見失うという人々の傾向がかいま見えるようだ。」

 大表 「表」は可視的な体表面だけでなく、広く現象面を指すだろう。「大」は病應の現れる範囲が広い事を意味すると解する。

 宮川さんの解釈とひどく異なるのですが、私は秋山さんの方がよいと思います。

山本朝子 06/14 22:48

696:[ 大いなる表 ]

人づてに得た情報であろうと、その情報をもたらした人自体は、やはりそれを四診で捉えたのだと思う。(体系化されていない、広い意味での。)
「大雑把な様子」を言うのに「大表」という詞語をもちいたというのも納得しがたい。「大」がおおまかな、細かくない、粗末なという意味をもつことは、確かにありうるが、余程特殊な場面でだろう。『漢辞海』に「荘子衣大布而補」が載っているくらいのもので、これだって大ぶりのものを着ていて、それはつぎはぎだらけということに過ぎまい。
「大表」は、やはり「大いなる表」と解するのが素直だと思う。「表」とは何ぞや、という問題は残りますが。

神麹斎 06/14 07:46

695:[ 無題 ]

病應見於大表,不出千里,決者至衆,不可曲止也。
○病の応は大表に現れるから、(その情報を参考にすれば)遠くまで出向かずに、死生を決め(ることができ、その)症例はとても多く、こまごま(曲)と挙げることはできない。
 こう解釈しました。東京に住む患者がいて、その様子を仙台で聞き治療の指示を出し、東京にいる弟子とかが治療してなおった。おおよそこういう意味だろうと思う。そんな例はたくさんあって、仔細に説明することはできないらしい。つまり、東京の患者の情報が「大表」であろうから、「身体の外部」には違いないが、「大雑把な様子」と解釈するしかないのでは。患者が目の前にいないのだから、四診で捉えられるような情報ではないのは確かである。
 「大」は、ここで副詞にとるのはおかしいのでは。

 かいちょう 06/13 18:59

694:[ 無題 ]

病應見於大表の大は、形容詞だと思いますが。

神麹斎 06/13 14:20

693:[ 見於大表 ]

病應見於大表,不出千里,決者至衆,不可曲止也。
病の応は大表に見れて、千里に出でず、決するものは至りて衆く、曲すべからざるなり。(曲は委曲、止は語助詞。)
やっぱり、大表は身体の外部で良いと思う。
これと、大づかみなめじるしが良いと思うというのは、所詮は水掛け論ですが、見於の後の詞がそういった性格のもので良いのか……。上手く言えないでもどかしいのですが、違和感は有ります。
患者の周囲に情報がいっぱい有るんだから、何も神様のような兪霍翌ェどうした何ぞという話をもちだすことは無い、と言っているようですが。

少なくとも、大表は体表(皮膚の表面)では無いという意見には賛成です。

神麹斎 06/13 13:31

692:[ 『霊枢』外揣(45) ]

『古代漢語』王力主篇
p809によれば
「大」を副詞とする場合
「大大地、非常、很」
『霊枢』外揣(45)だけでなく『霊枢』本蔵(47)等にしてもそうなんですが、内蔵の病変ははっきりと外表に現れるというのが中国医学の本質ではないでしょうか。例え情報がわずかでもはっきりと表に現れた変化を読み取る力がヘンジャクにはあったと私は思います。

 「上仙」については専門学校出立ての頃は使っていた記憶があります。腰痛だったか膝関節痛だったか具体的な症例は覚えていませんが圧痛を使用基準に皮内鍼をしたと思います。今中国では『単穴治病選萃』によれば「十七椎」と呼ばれて「痛經」を主治するそうです。この「痛經」というのがよくわからないのですか、この本では腰てい痛、腿痛、崩漏に1~1、5寸刺入二十分置鍼、一、二回で治るそうです。

 兪・輸・閻ァは経文での使い分けはないようですね。前後の文意から読み取るしかないようなのでじっくり考察させていただきます。出来たら「五輸と原の内経的考察及び臨床応用」(仮題)を書く予定です。

 中医学の臨床書『五百病症針灸弁証論治験方』(河南科学技術出版社)を買いました。中医学の総論的な教科書は古典的だと思っていたのですが、各論になるとどうして分からなくなるのかが分かりません。
 若い人にお聞きしたいのですが、
 本来シンプルな理論があって各論になると思うのですか、中医学の教科書と各論の間になにか弁別に必要な本が存在するのでしょうか。
 鍼灸学校で中医学を学んだ人は中医学理論で臨床応用が出来ているのでしょうか。
 北辰会と中医学は同じでしょうか。
 中医学の理論と治穴はどのように結びついているのでしょうか。
以上。

 日本の伝統鍼灸がどのように中医学を受容するかが今後の仮題になるでしょうね。

山本朝子 06/13 11:00

691:[ 77の続き ]

№77で「扁鵲は、中庶子から得た僅かな情報をもとに、病の成り立ちを説明し、陽入陰支蘭藏と判断し、治ると判断し、そして実際に治している。切脈望色聽聲寫形も必要としないと誇っているけれど、その拠り所も結局は中庶子が目撃したものから得ている。内部で何か問題が起こっていれば、必ず何らかの端緒が外部に現れるはずだから、それを掴まえさえすれば、病之所在を言うことが出来るわけである」というが、全くそのとおりだと思う。扁鵲は、患者を見ずに、若干の情報だけで的確な診断をし、治療をしている。さて、こういう意味で解釈するならば、「病応」は病気の情報とすると、「大表」は大雑把という意味ではないだろうか。「大」は大概、つまり大づかみ、「表」はめじるし。大雑把な病気の徴候さへわかれば、という意味じゃないだろうか。やはり、身体の表面関係の解釈はあたっていないような気がする。

かいちょう 06/13 08:07

690:[ 感謝 ]

 神麹斎さま、つるさま、早速情報をお寄せいただきまして、まことにありがとうございます。
 今後とも、よろしくお願いします。

みどり 06/13 07:31

689:[ 上仙の情報:2 ]

『知熱感度測定法による針灸治療法』昭和31年1月再版(29年10月初版)には、上仙(背部正中線上にあつて第五腰椎と仙骨の間にある)(中略)著者の命名によるものであつて、上仙穴は腰痛、痔疾、婦人科疾患等に応用して著効あり、(p23) また、16年程前「頭痛、目眩、肩こり、食欲不振、腰痛、便秘、倦怠」等を訴えて来た60才の老母があつた。私はこれは、第1便秘が原因であろうと、思いその原因を追及した、ところがこの患者には自覚しない程度の外痔核があつた。腰部を圧診すると、第5腰椎と仙骨との中間に烈しい圧痛点があつた、この部位は最近私が命名した、「上仙穴」に相当する。(p52)と書かれています。
「医道の日本」昭和28年3月号に、「治療点一ヶ所だけの治験例(二)」という赤羽の文があり、そこでは (上仙)これは著者仮称の阿是穴で第五腰椎の下方で仙骨上部の突起部であつて諸氏の日常使用して居られる極めて重要な経穴である。(p8)
以上手元の情報です。

つる 06/12 23:50

688:[ 十七椎穴 ]

『類経図翼』の奇兪類集に、
「十七椎穴 千金翼云轉胞腰痛灸十七椎五十壯」と有りますね。
十七椎の上とも下とも書いてないけれど、まあ普通は十七椎下のことでしょう。

質問の意味は、十七椎下を上仙と名づけたのは、赤羽氏の好みなのか、それとももっと前からの拠り所が有るのか、ということなんでしょうね。

神麹斎 06/12 10:19

687:[ 上仙の情報 ]

インターネットで調べた結果ですが、

赤羽氏の皮内鍼に於ける特殊穴で、第5腰椎棘突起下の中央で圧迫すると痛む箇所、
坐骨神経痛に著効が有ったという報告を、岩手の新里勤というかたがなさっています。
他に、婦人科疾患や痔などに効果が有るということです。

私自身は赤羽氏の「皮内鍼法」( 医道の日本社 1964年)を持ってませんので、確かめてはいません。

神麹斎 06/11 22:10

686:[ 上仙 ]

督脈上にあるという、「上仙」なる穴について、その位置、主治症、命名者あるいは出典についてご存知の方、ご教示下さい。

みどり 06/11 20:48

685:[ 読み分けということです ]

どう読むのか小うるさくしようかと思ってた時期があり、朗読ボランチアの方からの影響で読み分けというのを考えるようになりました。
「しゅけつ」とすると、取穴、輸穴の二通りが浮かびます。取穴もよく使うので、バッテイングしないためには「ゆけつ」のままでいいのではないかと。
「けいけつ」というと、貊詞梶A経穴が浮かびます。どちらも五輸穴ですので、どちらの「けいけつ」なのか混乱します。ので、貊詞鰍ヘ「えいけつ」によみたいわけです。
音韻学的にのぞましい読み方と、協調性を優先した読み方があって、今は、協調性をとりたい気分でいます。
「内経」も、他の古典の「○経」はたいてい「~きょう」と読んでいるので、「ないきょう」と読んだ方が協調性が保てるかと思っています。会の名称は「だいけい」ですが、本の名前は「ないきょう」でいいかと思います。

かいちょう 06/11 10:05

684:[ シュ ]

「閻ァ」の読音は、尾乙蘭さんの言うのが正論です。
かいちょうや私が言ったのは、「しょうがないのかなあ」という諦めです。
どのみち「ゆ」と言われても「しゅ」と言われても、何のことか分からなければいけないのだから、本当は「しゅ」のほうがマシ(いずれにしても、本来の発音と似て非なるもの)だと知ってたほうがいい。
ちょっと誤解を招きそうな言い方でした。お詫びして訂正します。
それにしても、かいちょうはこの間までこうした読音にうるさかった(?)のに、何か心境の変化ですか。

神麹斎 06/10 06:13

683:[ しゅにまじわれば… ]

「閻ァ」は『康煕字典』を引くと「シュ」と「ユ」二種類の読みが載っていて、其々の音で発音した際に意味が異なるので所謂「つぼ」の場合は「シュ」と発音した方が良いのではないか?と思います。
以下『康煕字典』の引用

閻ァ『廣韻』傷遇切『集韻』春遇切並戍『玉篇』五藏閻ァ也『集韻』五藏閻ァ穴『正字通』方書灸法閻ァ穴在脊中對臍開十半又『五音集韻』羊朱切音逾閻ァ閻ァ媚貌。

ちなみに私の手元にある『康煕字典』の内一冊は曽祖父が二円で買った明治期の物ですが、「閻ァ」字の横に「シュ」と印刷されています。また、学研の『図説東洋医学用語編』には『銅人閻ァ穴鍼灸図経』が「どうにんゆけつしんきゅうずけい」と載っています。百数十年の間に読みのぶれが生じているようです。

尾乙蘭 06/10 04:37

682:[ 漢文か医古文か ]

古医籍を漢文として訓読しようという意識は、今は全く有りません。ただ、少なくとも経典著作はなるべく逐語的に訳したいわけで、そうすると選択肢は古文(言い換えれば文語)しかないとも思います。そこで、漢文和訓「調」にはなるのだけれど、医古文の知識で漢文訓読のしきたりを踏みにじることになっても、あんまり抵抗は有りません。とは言うものの「あお」さんが指摘したような古語の使い分けとの抵触が有るとすると、これには当惑します。現実には知っている人のほうが少ないだろうから、そんなに問題はないでしょうが、ほおっかぶりはやはり拙いかな……と。

で、漢文か医古文か、という粗っぽい問いには、取りあえず単純に、「当然、医古文」と答えておきます。いろいろ問題が有りそうとは思ってます。試行錯誤中です。主語の後に一字分空けるという習慣だって、それほど古くからの伝統なんでしょうか。

句読に関しても、なるべく中国の新式標点符号を使い分けたいと思います。医古文を導入しようと言う以上は、中国の学者がこだわっている内容は、なるべく余さず導入したいと思います。「なるべく」と言うのは、新式標点符号で通すにはかなりのレベルの語法解析が必要だから、手にあまることが多々有るだろう、という意味です。それと、めまぐるしく改善(?)されたら、一々ついては行けないかも知れない。

神麹斎 06/07 09:17

681:[ またまた ]

またまた……、だけど、最近は漢文を訓読しているという意識が有りません。「主語をはっきりさせたい」ためには、テニヲハを補うのを躊躇しないようにしています。
でも、古文「調」に訳しているわけですから、
…古語辞典には、格助詞として使われる「が」が、人物を表す語に付く場合、軽蔑する気持ちが表され、「の」のときは、ある敬意の気持ちが含まれ、少なくとも軽蔑的な念を含むことはないとされる、なんてことが書いてあります。…
というのは拙いねえ。

神麹斎 06/07 08:41

680:[ 王注が以て背兪と為すは ]

ふつうの訓読・書き下し文なら「王注 以て背兪と為すは」「王注以て背兪と為すは」でしょう。
おそらく、神麹斎先生は、主語をはっきりさせたいがために、「王注が」としたのだと思います。「王注の」とすると、訓読めくのですが、「之」字が原文にあるみたいだから、避けたのかもしれません。

ややこしいのですが、古語辞典には、格助詞として使われる「が」が、人物を表す語に付く場合、軽蔑する気持ちが表され、「の」のときは、ある敬意の気持ちが含まれ、少なくとも軽蔑的な念を含むことはないとされる、なんてことが書いてあります。
漢文の訓読に、これが適用されるかどうか、さだかではありませんが。

あお 06/07 07:24

679:[ 冷や汗 ]

なるほど、「此の六者に非らざるものはこれを間と謂う」ですか。
そうだよね。
うっかり「此の六者はこれを間と謂うに非らず」と訓んで、変だなあとは思ったんだけど、「王注が以て背兪と為すは、恐くは誤り」のほうに気がいってしまって、恥ずかしいことをしました。

神麹斎 06/06 23:13

678:[ 非此六者謂之間 ]

『太素』巻五・十二水 05-36-5楊上善注「其正取四支卅輸及卅六輸餘之間穴」
『素問』診要経終論04-09a08王冰注「散兪,謂間穴」
 これによれば、十二経脈で四肢肘膝以下の〔六ヶ所〕井・貊氏E兪・原・経・合の間にあるその他の穴を「間穴」という。
  『鍼灸甲乙經校注』上冊612ページ。

みどり 06/06 22:48

677:[ 不出千里 ]

扁鵲は、「太子病、血氣不時。交錯而不得泄、暴發於外、則爲中害、精神不能止邪氣。邪氣畜積而不得泄。」という情報から、「當聞其耳鳴而鼻張。循其兩股以至於陰、當尚温也。」であろうと推測し、病名を「尸蹶」と判断したのでしょう。そして、改めてその病の成り立ちを説明している。
だから「病応見於大表」の応は、様々な情報、つまりここでは「血氣不時。交錯而不得泄、暴發於外、則爲中害、精神不能止邪氣。邪氣畜積而不得泄。」と「當聞其耳鳴而鼻張。循其兩股以至於陰、當尚温也。」(中庶子が納得するには、この情報が必要だった。)それが、大表つまり外部から何らかの方法で伺い知ることが可能なところに現れる、と言っているのに過ぎないのではないか。現代医学のあらゆる検査法の対象になりうるものを含んでいる。「不出千里」で、だからそこに有る情報を詳細に考察せよと言っているのではないか。
扁鵲は、中庶子から得た僅かな情報をもとに、病の成り立ちを説明し、陽入陰支蘭藏と判断し、治ると判断し、そして実際に治している。切脈望色聽聲寫形も必要としないと誇っているけれど、その拠り所も結局は中庶子が目撃したものから得ている。内部で何か問題が起こっていれば、必ず何らかの端緒が外部に現れるはずだから、それを掴まえさえすれば、病之所在を言うことが出来るわけである。この所在というのも内臓の何処か、というようなことではなく、病のよって発する所以のことだろう。

神麹斎 06/06 20:34

676:[ 病応見於大表 ]

素問ネット掲示板で、かいちょう が「病応見於大表」を話題にしています。
http://210.189.72.236/0016/1015/somon.html
ユニコードを使いたいので、こちらに引き取りたいと想います。

其後扁鵲過陌「。陌「太子死。扁鵲至陌「宮門下、問中庶子喜方者。曰。太子何病。國中治穰過於衆事。中庶子曰。太子病、血氣不時。交錯而不得泄、暴發於外、則爲中害、精神不能止邪氣。邪氣畜積而不得泄。是以陽緩而陰急。故暴雹キ而死。扁鵲曰。其死何如時。曰。髮椁ツ至今。曰。收乎。曰。未也。其死未能半日也。言臣齊勃海秦越人也。家在於鄭。未嘗得望精光、侍謁於前也。聞太子不幸而死。臣能生之。中庶子曰。先生得無誕之乎。何以言太子可生也。臣聞上古之時、醫有兪霍浴B治病不以湯液醴灑・髑ア石謦汕E案謇、毒熨、一撥見病之應、因五藏之輸、乃割皮解肌、訣脉結筋、搦髓腦、謠イ荒爪幕、貉函ッ腸胃、漱滌五藏、練精易形。先生之方能若是、則太子可生也。不能若是而欲生之、曾不可以告咳嬰之兒。終日。扁鵲仰天歎曰。夫子之爲方也、若以管窺天、以驛ь虚カ。越人之爲方也、不待切脈望色聽聲寫形、言病之所在。聞病之陽、論得其陰。聞病之陰、論得其陽。病應見於大表。不出千里、決者至衆、不可曲止也。子以吾言爲不誠、試入診太子。當聞其耳鳴而鼻張。循其兩股以至於陰、當尚貅ォ也。中庶子聞扁鵲言、目眩然而不迸噤B舌謦汨R而不下。乃以扁鵲言入報陌「君。陌「君聞之大驚、出見扁鵲於中闕。曰。竊聞高義之日久矣。然未嘗得拜謁於前也。先生過小國、幸而擧之、偏國寡臣幸甚。有先生則活,無先生則弃捐蝪。溝壑、長終而不得反。言未卒、因嘘唏服臆、魂精泄横、流涕長潸、忽忽承艢ケ、悲不能自止、容貌變更。扁鵲曰。若太子病、所謂尸雹キ者也。夫以陽入陰中、動胃、郢オ縁中經維絡、別下於三焦膀胱。是以陽脈下遂、陰脈上爭、會氣閉而不通、陰上而陽内行、下内鼓而不起、上外邨侮ァ不爲使、上有邨風z之絡、下有破陰之紐、破陰邨風z、之色已廢脈亂。故形靜如死迢€。太子未死也。夫以陽入陰支蘭藏者生。以陰入陽支蘭藏者死。凡此數事、皆五藏雹キ中之時暴作也。良工取之、拙者疑殆。扁鵲乃使弟子子陽厲鍼砥石、以取三陽五會。有閒、太子蘇。乃使子豹爲五分之熨、以八減之齊和煮之、以更熨兩脇下。太子起坐、更適陰陽。但服湯二旬而復故。故天下盡以扁鵲爲能生死人。扁鵲曰。越人非能生死人也。此自當生者、越人能使之起耳。(『史記』扁鵲倉公列伝 句読は『史記会注考証』に拠る取りあえずのもの)

かいちょうが言うように、「有名なことばなので、納得いくような解釈がほしいという気がしています」から、諸氏の発言を期待します。

この書込は、その便宜の為に原文を掲げるものです。

神麹斎 06/06 17:20

675:[ 書き分け ]

今後、新しい論文を書くときには、正しく かいちょう の言うとおりだと思います。ただし、古典に関して言えば、そうはいかない。閻ァと書き兪と書き輸穴と書くことによって、解釈を強制してしてしまう。つまり、楊上善だって王冰だって間違えることは有るだろう、というレベルの読者の要求には応えられない。まあ妥当なところ、現代中国の事情になぞらえれば、簡体字版では閻ァ兪輸の書き分け、繁体字版では底本通り、といったところでしょうか。
読音についても、かいちょう の言うとおりだと思います。ただし、「ゆ」と言われても「しゅ」と言われても、何のことか分からなければいけない。考えてみれば、新たに入る人にとっては、しょうもない、しんどいことでしょうね。

神麹斎 06/06 13:03

674:[ ゆの字 ]

「ゆ」の字は、中国では次のように使い分けしています。古典上では違いはないと思いますが、便宜上そうしています。
「閻ァ穴はツボの総称、兪穴は背兪穴の時、輸穴は五輸穴の時」に使っています。こうした指針があったほうが、どちらかといえば良いと思います。どうでしょうか。
また、本来は「しゅ」と読むべきなのですが、「ゆ」で通っているので、「ゆ」がいいと思います。いずれにしても、本来の発音と似て非なるものでしょうから、拘る必要はないかと思います。

 かいちょう 06/06 08:44

673:[ 恐誤 ]

『素問』痺論:六府亦各有兪、風寒濕氣中其兪、而食飮應之、循兪而入、各舍其府也、
(森立之)案ずるに:『傷寒論』序に「経絡府兪、陰陽会通」と云う。この「兪」字と彼と同義。『甲乙経』巻三・手太陰及臂第二十四に「黄帝問曰、願聞五蔵六府所出之処、岐伯曰、五蔵五兪、五五二十五、六府六兪、六六三十六兪、経脈十二絡脈十五、凡二十七気上下行、所出為井、所溜為貊氏A所注為兪、所過為原、所行為経、所入為合(以上は『九鍼十二原』の文)、別してこれを言うときは、則ち注ぐ所を兪と為し、総じてこれを言うときは、則ち手太陰の井なり貊獅ネり原なり経なり合なり、皆これを兪と為す、非此六者謂之間」と云う。これまた総称の兪。本文の「兪」字は正にこの義、王注が以て背兪と為すは、恐くは誤り。楊注に從うべし。〈非此六者謂之間の和訓が分かりません。〉

要するに、王冰が背兪として注釈しているのも眉唾、この後の「五蔵有兪、六府有合」を互文見義と解するはじめは張介賓らしいけれど、それだって本当はどうだか……。

神麹斎 06/06 08:22

672:[ 無題 ]

島田先生の講義録を聞くだけで、聞きながら文字は誤読を確認する程度に流すように見るだけで、理解できるのでしたら、貴方の水準が自分で思っているよりずっと高いからです。素問ネットの、取りあえずのテープ起こしには唖然とするような誤りが有ります。文字に替えるのが、時間と手間の無駄だとはとても思えません。
パソコンでの索引検索や経文コピー貼り付けは、努力するというようなレベルの問題ではありません。例えば国語辞典を引くレベルのことです。漢和辞典を引くレベルはもう少し上、島田先生の講義録を聞くだけで分かるのは、それよりず~つと上だと思います。

パソコンを扱えないと研究が出来ない、なんてことは有るわけが無い。でも、不利なことも間違いない。

神麹斎 06/05 23:32

671:[ 漢字辞書 ]

何故か漢字辞書が出なくなっています。
外字エディターは
まえから使えず
小林さんの電子テキストは
■だらけで使えません。
それと私のパソコン技術は索引の検索はもちろん経文のコピーも出来ないので自分で打たないといけません。
パソコンを扱えないと研究が出来ないならパソコンを扱えるように努力するより研究を引退しようと思っています。まあ実際には引退はしないのですが、公の場に文章を出す事は極力避けたいと思っています。
それと私が電子文献を読めないのは目が見えなくなっているからです。昨年の春ふと気づくと左目の視野の内側半分が見えなくなっていました。鍼をして少しは見えるようになったのですがまだ見えない。昨年の秋松田さんから取材した時の原稿をメールで送って頂いたのですが目が痛くて読めなくて途方にくれていたらふと音声読みの機能に気づき聞きながら文字は誤読を確認する程度に、流すように見て何とか読めました。
島田先生の講義録も折角音声があるのに文字に替えるとは時間と手間の無駄だと思っています。ホームページで音声を流し、手元に先生が作成した『増補校勘和訓素問』を届けて見ていただけはよいのではないでしょうか。

 兪・輸・[月輸]の使い分けは経文から読み取る事は難しいですね。例えば「えい輸」えい穴と輸穴をさすのか、五しゅ穴の総称なのか分からない。痺論でも互文見義といわれる所の兪はは五しゅ穴でその二行前の兪は背兪にとっている(王氷が)、なぜか前後の文章を何度か読んでも理解出来ない。「五勿」は林さんに提出しました。五しゅ穴を始め要穴の考察はいずれしなければいけないだろうと思っています。

 林さんに文章を送ろうとして『季刊内経』の奥書をみたら林さんのアドレスがなく、いったんワープロ機能を閉じてメールを出して林さんのメールアドレスをメモし、再びワープロ機能を開けて送ったのですが、何故、奥書に編集のアドレスがないのでしょうか。

 

山本朝子 06/05 22:59

670:[ 兪輸閻ァ ]

誰か書くだろうと思って待ってたけれど取りあえず

少なくともツボに関しては、少なくとも医学経典の中では、
使い分けは無いと思います。
新しい著作の中で、使い分けたい人が使い分けたかどうか、
それは分かりません。
世の中には、鍼灸を針灸と書くと怒る人もいます。

話は変わります
山本さんのパソコンで月に兪の字は出ませんか?
(月に肉は書き間違いでしょう?)
ユニコードのもともとの領域に有りますから、
今は普通に出ると思うんですが。

ATOKを使っているなら、文字パレットを開いて、
Unicode表の8167が「閻ァ」です。
(上の「」の中の字、ちゃんと見えてますか?)
MS明朝やMSゴシックに、ちゃんと有ります。
と言うことは、、
最新のInternetExplorerを導入すれば入ります、多分。
無料のはずです。
勿論、ATOKの辞書にも取り込めますし、
そもそも小林さん提供の辞書にも入っていると思うけど。

神麹斎 06/05 20:05

669:[ 兪、輸、[月肉] ]

 この三種の字の使い分けはあるのでしょうか。

山本朝子 06/05 13:05

668:[ 和訓 ]

『素問』『霊枢』を和訓するにあたって、漢文を勉強しなおして、その習慣に従って書き下すべきであるか?
望ましいには違いないが、必須であるかどうかは、分からない。
現代中国の研究書を翻訳する場合には、その研究書における理解と和訓との間の齟齬は解消させるべきであると考える。著者による現代語訳の意味になるように新たに書き下す必要が有るだろう。
ただし、その時に古来の和訓風、つまり古代日本語風に作文する必要があるかどうかは分からない。
おそらくは、そのほうが口調が良いというにすぎない。
現代日本語は、未だ文章語としては勿論、朗唱に耐える口語でもない。
もっともこれは、簡体字が醜いのは、未だそれを駆使する王羲之、顔真卿なみの書家が出現してないから、と言うのと同様の事情かもしれない。漢文を背景とした文語ほどには、口語は伝統を持たないということ。
出来るのであれば、現代日本語で『素問』『霊枢』を朗唱に耐える翻訳を試みてよい。それが理想ではある。

神麹斎 06/01 08:45

667:[ 賢忠寺 ]

賢忠寺は福山駅から徒歩
十分ぐらいです。
084-925-2233
駅の改札は一カ所だけです。
改札を出て駅ビルの南口に出て、
西に一分がニューキャッスルホテル。南に真っ直ぐ三分が学会場、東に線路沿いの道を十分が賢忠寺。共に近距離にあります。
 森、伊沢家の墓は、無縁塔という大きな台座の上に多くの塔が立っている所にあるそうです。名があるので見れば分かるそうです。時間は何時でもお参りできるそうです。

 地震は大丈夫でしたか。

山本朝子 05/26 20:28

666:[ 福山② ]

 福山の、ケンチュウ寺に、森氏細君の墓と、伊沢柏軒の墓があるそうです。行くなら墓参してこようと思います。場所をご存じの方はいませんか。山本さんのお友達はご存じでしょう。うかがってみてください。

 かいちょう 05/25 22:54

665:[ 医古文学会のこと他 ]

 18日(日)に本会運営委員会が行われ、つぎのことが決定した。
① 8月の医古文学会は、今般のSARS問題を鑑み、参加しないことに決定しました。ただし、事態が終息すれば個人的に参加することもある。
② 合宿は8月24日(日)25日(月)の両日に行うことにしました。場所は、三原会員宅で、千葉県君津市にあります。参加費は1万円を予定しています。「古典とは何か」というシンポジウムを考えています。
③ 島田先生の墓参は、今年は8月10日(日)ですが、墓参だけでなく、先生の講義テープを聴く会を、島田家と埼玉の石田さんと企画しました。今回は、島田先生と、丸山先生の二本立ての予定です。参加費は千円です。
*いずれにしても、詳細については、後ほど報告します。

 かいちょう 05/20 18:04

664:[ 森立之の主家 ]

森立之の主家も、福山の阿部家です。

……引き続いて二月に、森枳園の家に奇怪な事件が生じた。枳園は阿部家を逐はれて、祖母、母、妻勝、生れて三歳の倅養真の四人を伴って夜逃をしたのである。後に枳園の自ら撰んだ寿蔵碑には「有故失禄」と書してあるが、その故は何かと云ふと、実に悲惨でもあり、又滑稽でもあつた。
枳園は好劇家であつた。単に好劇と云ふだけなら、抽斎も同じ事である。しかし抽斎は俳優の技を、観棚から望み見て楽むに過ぎない。枳園は自ら其科白を学んだ。科白を学んで足らず、遂に舞台に登つて譴・qを撃つた。後には所謂相中の間に混じて、並大名などに扮し、又注進などの役をも勤めた。
或日阿部家の女中が宿に下つて芝居を看に往くと、ふと登場してゐる俳優の一人が養竹さんに似てゐるのに気が附いた。さう思って、と見かう見するうちに、女中はそれが養竹さんに相違ないと極めた。そして邸に帰つてから、これを傍輩に語つた。固より一の可笑しい事として語つたので、初より枳園に危害を及ばさうとは思はなかつたのである。
さて此奇談が阿部邸の奥表に伝播して見ると、上役はこれを棄て置かれぬ事と認めた。そこでいよいよ君侯に稟して禄を褫ふと云ふことになつてしまつた。(森鴎外『渋江抽齋』その二十七より)

神麹斎 05/20 06:09

663:[ 伊沢家 ]

 福山藩に仕えていたのは
伊沢蘭軒・とうけんでは
ないでしょうか。
 数年前、福山市立図書館や、
県立博物館を尋ねて伊沢家の
書を探して見ましたが、第二次世界大戦で空襲にあい、町がやけているので残っていないようです。とうけんの『素問招識』が東京の静嘉堂文庫だったかにあるのですが、東京には残っているようです。
 三原まで足をのばせば『啓廸集』の道三自筆本があります。ただ、市立図書館横の民族資料館のような所で展示されていて一般の人は閲覧できません。折角の書もガラスケースの中に入れてしまうと役に立たないものです。
 鍼灸師が研究する時、大学によっては大学関係者しか閲覧を許可しない所があるので、コネを使って何とかしてきましたが、それが一番大変でした。国立大学はもっとオープンにして欲しいものです。

山本朝子 05/19 19:07

662:[ 『医古文の基礎』268頁「衍文」 ]

 東洋学術出版社『医古文の基礎』268頁の「衍文」のところに鄭玄のはなしが載っています。
 鄭玄が晩年、重病にかかった際、子の益恩に書いた封書(戒子書)のはじめに「吾家舊貧、不爲父母昆弟所容。去廝役之吏、遊學周秦之都、往來幽・并・袞・豫之域。」とあります(『後漢書』卷三十五鄭玄傳)。これをそのまま読めば、儒教の大学者であったはずの鄭玄は親兄弟に容認されず、勘当されて自分の家にいられず、下っ端役人をやめて、郷里を離れざるを得なかった、ということになります。儒者が親から勘当されて、郷里にもいられなくなるというのは、恥さらしもいいところです。学問のみならず、徳行においても当時の人々にほめたたえられていた鄭玄の所行と一致しません。
 阮元やその弟子の陳魍」は、金代の碑文や元刊本の『後漢書』に「不」がないことを発見しました。
 では、なぜ「不」が加えられたか。傳によると、鄭玄は若いときから郷里の下級役人をしていましたが、休みになると先生の所に勉強に行ってしまい、役人であることを楽しまず、父がしばしば怒ったが、禁止できなかった、とあります。これを読んだ後人が「不樂爲吏、父數怒之」と「爲父母昆弟所容」とには、齟齬があるのではないかと考え、ついに「不」字を加えた、ということのようです。
 鄭玄の書いた「戒子書」の真意は、「我が家は貧しかったのにもかかわらず、〔わたしは勉強ばかりしていて、家計の足しになることをしなかったが、それでも〕父母兄弟はわたしのことを許容してくれていた」ということのようです。

 そういうわけで、268頁にある(父母の兄弟の家に預けられる、あるいは使用人となる)の部分は、削除してください。

荒川 緑 05/18 20:16

661:[ 伝統福山大会 ]

 福山藩主は阿部侯で、阿部侯は森立之(?)の雇い主でありますので、本会ともゆかりのある場所です。○○寺に墓参に行く予定です。
 本会の会長は、「古典の定義」とかいうタイトルで教育講演をする予定です。今回は、大阪、九州の会員も参加するものと思われます。

 かいちょう 05/18 09:18

660:[ 凝泣について ]

神麹斎先生ならびにこばやし先生、ご意見、情報、ありがとうございます。
またよろしくお願いします。

あお 05/17 23:06

659:[ 凝豼蜀 ]

凝澀(豼〟jという詞は『霊枢』に有りましたね。
陰陽二十五人「凝豼㍽メ致氣以温之血和乃止」

神麹斎 05/16 22:13

658:[ 異説 奇説  ]

一般的に言えば、平凡妥当な説と虚をついたような説が有る、ということだと思います。この他にも伏衝は辮イ衝の誤りで即ち太衝であるとか、丈夫七八の記述の大部分は八八のもとに移すべきだとか、音督の簒は実は篤の誤りであるとか、奇説は始めて聞いたときはオ~ツって感じだけど、落ち着いて考えてみるとどうもやや眉唾。『素問』では呉崑あたりが奇説の大御所で、とっても面白いけれど、やっぱり危なっかしい。勿論、奇説と思われるものがよく調べると本当はよりまっとうな考え方であるということも有るわけで、それを判定する有力な手掛かりの一つが医古文の知識だということでしょう。
> 『黄帝内経素問疑難問題助読』で未だ解決されていない部分はあるのでしょうか。
じゃなくて、
『黄帝内経素問疑難問題助読』で既に解決された部分なんてあるのでしょうか。
だと思ってます。何時までたっても解決に到達はしない、接近はするけれど。
(わたし、奇説を吐くのが大好きです。これでも自粛・自制しているつもりです。)

神麹斎 05/15 08:00

657:[ 伝統鍼灸学会 ]

 戸川先生が陰陽応象大論の講義で解釈が二分した時、
「学生時代、教授が『ああもとれるけど、こうもとれる』と言われた時、だったらどっちをとるんだと、言いたかったが、今になってみると、ああもとれる、こうもとれる、としかいえない」
と、言われていました。
 「泣」は最近の中国書では「渋」(しぶる)の通仮字というのが一般的ですが、どちらともとれるというとこでしょうか。

 ところで歴代の問題点を集成した『黄帝内経素問疑難問題助読』で未だ解決されていない部分はあるのでしょうか。もし、ここはよく分からんというところがあったら、談話室に挙げていただけませんか。皆で意見を出し合って解決出来る所は解決しましょう。


 「五[月+兪]穴」の名の由来は九鍼十二原。五行性を持つのは『難經』六十四難。「本しゅ」にすると「原」がはいります。

 証の統一は出来ないことです。歴史的にも無理なのですが、例えば「インポ」。中医学では「陽痿」と記します。機能からみて「陽」になるとか、で「陽虚」。一方五臓で見ると、やる気が起こらないのは腎虚、やりたくても出来ないのは肝虚、ということで「陰虚」になります。
 「陽虚」と捉えた人にはそれなりの治法が有り、「陰虚」と捉えた人にはそれなりの治法があるのではないでしょうか。
 『日本鍼灸医学』は池田流の病証観(寒熱論)をもって書かれたもので、各流派が集う伝統鍼灸学会のテキストのたたき台になるものではないです。

 秋の広島大會は聞きにいこうかなと思っています。実行委員長の向田淳子さんが私の先輩で、家にも来たことがあるので私の家族のこともよく知っています。
 誰々来るのですか。まだ決まっていないのですか。決まったら教えて下さい。美味しい店を開拓しておきます。

山本朝子 05/14 22:05

656:[ 仮借為立 ]

朱駿声『説文通訓定声』に:
仮借して立と為す。『素問』六節蔵象論「凝于脈者爲泣」注「泣は血行の利ならざるを謂う」、『調経論』「寒則泣不能流」注「泣は雪の水中に在り凝住して行去せざるが如きを謂うなり」……

『素問』の篇名を間違えるくらいだから迫力無いけれど、泣・立(輯部)・澀(輯部)などの近音の系列は無視し難いと思う。
目から水滴をポツリと米粒みたいに出すから「泣」というのはあんまりだ。もともとは誰の説だろう。

神麹斎 05/12 11:57

655:[ 凝泣でも いいかも 知れない ]

内経医学会の中に凝泣派と凝冱(沍も同じ)派がいると誤解されても面倒だから念の為に言っておきますが、私が言っているのは、『医古文の知識』に書いてあるからといって直ちに信用するわけにはいかない、と言うことですよ。
勿論、全部に自説を持つなんてことは不可能だから、森立之に従っておこうと言うことです。島田先生は兪讓セに従われたわけです。

で、あらためてどちらに軍配を挙げるかとなるとねえ:
凝泣という詞は『素問』(と『太素』)以外には、まだ見つけてない。泣と澀の通用の実例も『太素』の森立之が挙げたもの以外まだ見つけてない。凝澀という詞も、『紅楼夢』に見つけただけだから、お話にならない。一方、凝冱なら晋の潘岳の『懐旧賦』に「水漸霆蝿ネ凝冱」と出ている。これって王冰の「泣は雪の水中に在り凝住して行去せざるが如きを謂うなり」と言うのと近いイメージですね。だから、もともとと言うことなら、どちらかと言うと凝冱のほうに分が有るかな、です。
ただし、楊上善の注はどちらかと言えば「泣、音澀也」だろうから、もともとは凝冱であったとしても、凝泣と書かれはじめたのも相当に古くからですよ。仁和寺本『太素』の字形は「泣く」という意味のところと同じです。少なくとも『太素』の電子化にあたって豸・sに改める気にはならない。(豸・ヘ、森立之の考えでは凝の最右の部分を欠くもの。)相当に古くから経典に凝泣と書いてあったわけだから、自分の論述に凝泣という詞を使った人は相当に古くから相当に多くいたはずです。辞典に載ってないのは、そんな文章は資料としては歯牙にかからないからでしょう。

簡単に言えば、もともとは凝冱かもしれないけれど、凝泣という詞の歴史だって相当に長いよ、です。そもそも兪讓セの言っていることだって「もともとは」という話でしょう。

神麹斎 05/12 08:27

654:[ 「凝泣」は「凝冱(ギョウゴ)」 ]

●「凝泣」は「凝冱(ギョウゴ)」
(島田先生の講義テープより)

「凝泣」というのは、
素問でも霊枢でもよく出てくる。何カ所か出てくる。
文字としては、おかしいと前から言われている。
「凝」というのは「冫(氷)+疑(子+止+声符)」で
どういう意味かと言うと、氷が一ヶ所に封じ込められて固って動かない。
だから肩凝りの凝り、凝って動かない、という意味内容がある。
「泣」はどういう意味があるかというと、
「豌オ(さんずい)+立(リツ)」で、
「立」は米粒の「粒」と同じ意味。
米粒の粒を略して同じ意味にしたもの。
ポツリと粒になった涙、水を意味している。
従って涙を出す意味で、それ以外の意味は泣(リュウ)には無いんです。

兪讓セという人は、清末の人で『読書餘録』という本次のように書いています。
兪讓セ云:
王注曰泣爲血行不利、讓セ謹按、字書泣字並無此義、泣疑沍字之誤。
『玉篇』水部冱胡故切閉塞也。
冱字右旁之互誤而爲 因改爲立而成泣字矣。

兪讓セ云う、王注は泣を血行不利と爲すと曰う、讓セ謹んで按ずるに、
字書に泣字、並び此の義無し、泣は沍字之誤りと疑う。
『玉篇』水部冱胡故切閉塞也。
冱字右旁之互誤而爲 因改爲立而成泣字矣。と。

意味は簡単に言えば、
「凝泣(ギョウキュウ)」ではなく「凝冱(ギョウゴ)」の間違いで、
文字を書き写していく間に、間違っていったのでは無かろうか?と。
「凝冱(ギョウゴ)」は液体が凍ること。(漢和大辞典のP.129)
凝って動かないという意味であろう。

藤堂さんの「漢和大辞典」には
「凝泣」という熟語は無い。
「凝冱」という熟語がある。
「凝冱」というのは凝り固まってうまく流れない。
だからこれは兪讓セの言うように「泣」という字ではなくて「冱」であろう。
動かないという文字に正していくべきではないかと言っている。

こばやし 05/12 02:05

653:[ 無題 ]

今日の新聞報道によると、上海の入境チェックはムチャクチャ厳しいみたいですね。それに比べて日本はムチャクチャ甘い。8月の段階で、日本にいるより上海へ脱出したほうがヨッポド安全、なんてことになってなきゃ良いけどね。

神麹斎 05/10 22:09

652:[ 凝泣 ]

『太素』巻二十四「天忌」に、「天寒日陰則人血豸・ヮァ衞氣豐塩轣v(私の電脳太素から貼り込み、難読箇所の経文は取りあえず素霊に従ってある)とあり、楊上善注の末に「□音□也」とあります。肝腎の注の上の字は全く難読ですが、ようするに豸・モフ下の字に相当するだろうと思います。下の字は澀(下部の止を一つにした字形、そういう字形は仁和寺本の標準ではない)かも知れないし、豌オに鄂。(そういう字は字書に未見)かも知れない。他に問題の字の釈音は無いし、他の箇所では明らかに泣(勿論、泣くという意味じゃないところのこと)と書いている。したがってそう簡単には改めがたい。
泣に本当に豸・メi『太素』では凝泣に相当するものを概ねこう書く)に相応しい意味が無いかどうかにも若干の問題が有る。『漢語大字典』には末項ながら『字彙補』を引いて、澀と通じると言う。もっとも例に引くのが『六書故・地理三』の他は、『素問・五蔵生成論』王冰注だから、あんまり信用できませんなあ。
つまり、こんな簡単なことも、偉い先生が言うことも、よく分からないし眉唾ということ。

では取りあえず誰を信用しておくかというと、やっぱり枳園先生でしょうなあ。
『素問・五蔵生成論』「是故多食鹹則脈凝泣而變色」の注に:
案ずるに、「泣」と「澀」「豼〟vは、古音相同にして、泣を仮りて澀と為すに非ざるなり。本篇の後文「凝於脈者爲泣」に王は「泣は血行の利ならざるを謂う」と注し、『八正神明論』「人血凝泣而衞氣沈」に王は「泣は水中に雪の居るが如きを謂うなり」と注し、『調經論』「寒則泣不能流」に王は「泣は雪の水中に在り凝住して行去せざるが如きを謂うなり」と注する。また『至眞要論』「短而豼〟vに王は「往來不利、これを豼№ニ謂うなり」と注する。『説文』に「豁ー。不滑也」とあり、また「豼〟B不滑也」とある。蓋し泣の言を為すは住なり。澀豼№ニ同音同義、その義は音に在りて字には在らざるなり。第十四(湯液醪醴論)の「榮泣」を、『大素』(巻19知古今)は「營澀」に作る。蓋し「澀」を俗に泣に作り、泣涕の泣とは字源自ずから別。

取りあえずこんなところで。誰かもう少し書いてね。

神麹斎 05/10 09:12

651:[ ]

『医古文の基礎』270ページに『素問』にある「凝泣」などの「泣」は、サンズイに「互」(意味は「閉塞」)という字の誤りであるとの説が載っていますが、この説については、先生方はどのようにお考えでしょうか。

あお 05/10 06:16

650:[ 分かれ目 ]

SARSで死ぬか生きるかの分かれ目は、
(1)年齢
 24歳以下の死亡率は1%未満
 25~44歳では約6%
 45~64歳では約15%
 65歳以上は50%超。
(2)呼吸器疾患などの既往症があるかどうか。
(3)感染時にSARSウイルスを体内吸収した量。
(4)早い段階で適切な治療を受けたかどうか。

(3)の対策はマスクの性能と手洗いとして、(4)はどうするんだろう。
大体が適切な早期治療なんて有るのか?

25歳未満と65歳以上の決定的な違いは何なんだろう。  腎?

神麹斎 05/08 14:00

649:[ SARS ]

もう調べれば調べるほど分からない。

感染力は思ったより強く、潜伏期間は倍近く、死亡率が低くみえるのは重篤な回復の望みが薄い患者が「まだ」死んでないからに過ぎないから……。
若くて持病の無い患者の死亡例は、どうもステロイド剤の副作用が関連しているらしい。一方で、ステロイド剤投与の遅れで重症化という報道も有る。

デマの臭いもする。有名に成りたくて大量感染のニュースをWEBで流した者がいるらしい。患者だと名乗って強盗を働いた者もいる。もっとも、摘発したのが、中国の地方政府だからねえ……。

留学生の大量集中帰国は危険だろう。外務省は帰って来いと言うけれど、厚生省はおたおたしているんじゃなかろうか。「大型連休明けに小泉純一郎首相を本部長とする対策本部を設置する」そうだけど、遅いんでないの。
逆に言えば、大型連休が明けて2週間も患者無しだったら、日本はひとまず大丈夫なのかも。

一つだけ確実そうなのは、2ヶ月や3ヶ月では、鎮静しそうにないということ……か。

神麹斎 05/02 17:26

648:[ やっぱり ]

ちょっと調べたのですが、やっぱりと言うか:
伝染力は予想より弱い可能性は有るが(これは眉唾?強まりつつある可能性も……)、
潜伏期間は倍近い2週間程度、死亡率は10~15%という説が出てきているようです。
しかも、香港で新型の新型肺炎が発生して、これは死亡率20%以上?
若くて持病の無い患者の死亡例が出てきているそうです。薬(抗ウイルス薬とステロイド剤)の副作用による心臓や腎臓の合併症が原因となっている可能性が有るらしい。

唯一の良い情報として、伝染力が予想より弱く、従って(比較的)都市環境の良い上海では爆発が無いのだ、という可能性。だとすれば、日本は(比較的)安全?
それとベトナムの成功例。(ホントに?)
とは言うものの、「ある日、突然に」という恐れも……。中国から帰国した人の感想では、入国時のチェックはお話にならないくらい甘い、と言うことです。留学生の大量帰国が危ないんじゃないか。

神麹斎 04/30 17:53

647:[ 眉唾 なんだよなあ ]

尾乙蘭さんの意見は、比較的納得できます、私にも。
もっと怖い病気なんじゃないかとか、沈静化宣言も眉唾なんじゃないかとか、疑われてもしようがないことを、中国当局はやってきました。
それでもなお、今の状況はパニックなんじゃないかという思いと、患者もしくは疑わしい人への「冷たい態度、視線」に対する反発が有ります。

> 米国や英国では中華系住民への差別が強まっている。ロンドンのレストランは三十分以上も華人客の注文を取りにこなかった。ニューヨークでは「華人がせきでもすればにらみつけられる」(会社員)といい、新型肺炎は思わぬ形で華人社会に暗い影を落としている。【香港28日共同】

北京駐在員の家族で、帰国後一週間はウイークリーマンションに閉じこもって、周囲への感染を防ごうという人がいる、というニュースも有りました。みならうべき態度かと思います。では、我々もそうするか?できるわけがない。だったら訪中は取りやめるべきかも知れない。そういう議論であれば傾聴にあたいする。ただ怖そうだから近づくのは避けようという態度は採りたくない。

先の書込の最後の:
> 「おさまった」というWHOの発表も疑うべきだという意味ですか。
に対しては、実は私も「眉唾じゃないの、そりゃ尻込みするよ」です。(中国当局の発表は論外。)でも、「それでいいのかなあ」とも思うわけです。

かいわれ大根が疑わしいからと食べなかった人は、慎重だったのかバカだったのか……。報道陣の前で食べてみせた人がピエロであったことは間違いない。でも、だれかがピエロをやる必要は有ったんじゃないか。
我々がやることは無いわな、効果も無いだろうし。

神麹斎 04/30 08:09

646:[ 中共の発表も校勘 ]

 八月の訪中(向こうの表現では「来華」♪)はとても楽しみにしていたのですが、諦めざるをえないと思います。
 これから、北京政府は急速に事態の沈静化を図り「もう安全だ!」との宣言を近いうちに出すと思われます。しかし、私はその発表を眉毛を濡らしながらでないと聞く事ができません。
 40で神麹斎さんが一寸触れられた様に、一番怖いのは入手できる情報に問題がありそうである点で「現場からなんだから一番正しいのだ!」という態度を主張し続ける姿勢は絶対に変わらないであろうと思います、あの国は。
 それと、インフルエンザ・杉花粉症・水虫・鮭の遡上のように季節的な流行が有るのか?と言う点も明らかでは無いみたい(情報収集不足かもしれません)ので、「没問題」と言われてもしばらくの間訪中には尻込みしてしまいます・・・ミツカソ酢を焚いて防げるなら考えないでもないですが・・・。
 資金とお土産用自作電子テキストの用意が整いつつあるのに残念です。

尾乙蘭 04/30 01:14

645:[ どたきゃん? ]

> 菌を持ち帰って患者や家族に移したらどうするのですか。
それを言っちゃお仕舞いです。疑わしい人には「冷たい態度、視線」が正しい対処法ということですよね。
北京の日本大使館は北京市内の日本人留学生に「帰国することが適当」との勧告を出したらしいけれど、感染のひろがりを防ぐという意味からは、「帰国させないことのほうが適当」だということになりませんか。

どたきゃんになるかどうかは主催者しだいです。
沈静化しそうにないと判断すれば中止を言ってくるでしょう。早めに判断する必要が有るなら早めに言ってくるでしょう。
重症化するとか、渡航延期勧告が出るとか、飛行機の定期便が運航されないとかになれば、どたきゃんの何のという問題じゃない。

八月におさまっていた場合にやめる理由は何も無い。おさまったのなら有りとあらゆる行事は早急に平常にもどすべきです。「おさまった」というWHOの発表も疑うべきだという意味ですか。

神麹斎 04/30 00:25

644:[ どたきゃんはいかがなものか ]

 菌を持ち帰って患者や家族に移したらどうするのですか。
 参加しない人が横からコチを出したくは無かったのですが、向こうにも予定があるはず。早急に決断した方がいいですよ。八月には収まっていたとしても、今年はあきらめるべきです。

山本朝子 04/29 21:46

643:[  天津との学術交流 ]

 かつて、天津中医学院との学術交流会の第三回目が、天安門事件の影響で中止になりました。それ以降、天津との交流は途絶えています。調子よくなりそうなころにダメになるのは、偶然なんでしょうか。2~3ヶ月、様子をみましょう。

 かいちょう 04/29 13:18

642:[ 訪中するものとして…… ]

だから、一番怖いことの一つが周囲の「冷たい態度、視線」だと思うわけです。癩やHIVの時に非難されたようなことが、いま大手をふってまかり通っている。中国当局による強硬な隔離政策も、他の場合だったら各国の非難を浴びていると思う。(隔離はしょうがない。方法や罰則のこと。)
本当は報道されているより恐ろしい病気であるとか、毒性が強まって重症化する可能性とかいう問題は、ひとまずおいといてと言うことですが。

夏の学会自体は、このまま沈静化しなければ、実際には延期だろうと思います。
(中国国内で学者の移動も禁止される?)
ベトナムの例を期待しましょう。まだ、3ヶ月強有ります。私個人は、開催され参加するものとして準備すべきだと思います。断念はいつでも出来ます。(最悪、勧告というかたちでの断念かもしれない。)

神麹斎 04/29 06:16

641:[ 残念至極 ]

貿易会社(東南アジア中心に貿易している)の患者さんが情報を教えてくれました。(これからも情報教えてくれると言っていました)
杭州市は市民全員マスクして厳戒態勢。
8月の中国行きは絶対ダメという会社の指示だそうです。
現地の日本人が2人感染して隔離されていると言っていました。

訪中し感染しないで、帰国できたとしても周囲の人達は近寄らないような冷たい態度、視線をとるでしょう。
本人だけの問題ではなく、家族、患者さんに対する配慮を考えて、つらいですが8月はあきらめたほうがいい。
残念ですが。

こばやし 04/29 00:47

640:[ SARS ]

いま話題の新型肺炎の恐ろしさが、もう一つよく理解できない。

世界に広がりつつある感染症が恐ろしくないわけはないです。それは確かなんだけど、現在、パニックになりつつある理由がもう一つ実感できない。
症状は、38度以上の急な高熱、咳などの呼吸器症状、頭痛、筋肉のこわばり、全身倦怠感、下痢。苦しくないわけはないけれど、それほどムチャクチャ酷くもないような。
潜伏期間が異常に長くて何時までも不安というのでもないし、そもそも症状が出てもほとんどの人は特別な治療無しに1週間ほどで快復している。糖尿病、心臓病がある人がかかると重症化しやすいといっても、死亡率は4%前後。
感染力はと言うと、インフルエンザほどでもない。
何がそんなに恐ろしいんだろう。
おそらく、感染ルートが分からない、抗生物質が効かない、ということに尽きているんじゃないか。
でも考えてみれば、(西洋医の言うところの)根本的な治療法は無い、でも対症療法にはそこそこの効果が有る、というのは、我々が考えていた医療観の出番じゃないのか。
ひょっとして、一番怖いのは、上に言ったような公式発表が全部嘘で本当は……という場合かも。(現に中国当局の隠蔽工作)
それと、下手に科学的根本治療を試みて、ウイルスを鍛えてしまうこと。(遺伝子が急速に変化しているらしい、そして現に死亡率の上昇)

誤解されると困るから、最後にもう一度:
世界に広がりつつある感染症が恐ろしくないわけはないです。

神麹斎 04/27 10:27

639:[ 8月の医古文会議 ]

 報道によれば、SARSはいよいよ盛んになり、今のところ沈静化しそうにない。8月に浙江省杭州市(上海の近く)で医古文学会があり、本会から4題発表の予定である。昨年お会いした先生方も待っているだろうし、李経緯教授からも手紙をいただいている。数ヶ月の内に治まるだろうと楽観視しているが、もし8月でも沈静化していなかったら、訪中すべきだろうか、中止すべきだろうか。忌憚のないご意見を望む。

 かいちょう 04/26 22:39

638:[ 『中国針灸学術史大綱』の繁体字増修版はいりませんか? ]

黄龍祥『中国針灸学術史大綱』(台湾・知音出版社)の注文をダブらせてしまいました。ご入り用のかたは有りませんか。繁体字で増修版です。もっとも大陸版には無い校正ミスも有ります。値段も若干高い。ただし、私の手元にある先の本屋の値段よりは、今度のほうがかなり安いです。ご入り用のかたがいらっしゃいましたら、sagaw-daikei@umin.ac.jpまでご連絡ください。

神麹斎 04/16 15:14

637:[ 東洋学術出版社 ]

東洋学術出版社のホームページで「SARSと中医薬」というコーナーを設けたそうです。ちょっと覗いてください。

 かいちょう 04/15 19:28

636:[ 病のグローバル化 ]

 一昨年の十月、介護福祉士の姪が岡山にあるハンセン病の施設に一日ボランティアで行ってきました。
 入所者の平均年齢は七十代。介護といってもほとんどすることは無く、大半はハンセン病の勉強をしたそうです。
 ハンセン病の病原菌はとても弱く、ほとんどのひとは抗体を持っているので感染しないそうです。抗体のない人は五十人に一人、それも幼児期に感染しないと成人してからは感染しにくいそうです。
 しかし、ハワイのワイキキに「ダミアン博物館」があります。ダミアン神父がハンセン病で隔離され人並みの生活をしていない患者のために自ら工具をとり病院や教会を立て、患者を介護し、自らもハンセン病にかかって四十幾つかで亡くなられています。その記念館です。大人になったら感染しないといっても、大工仕事や看病で疲れた体に感染したのでしょう。
 日本での最後の患者は平成六年だか八年だかに二人、共にインドネシア人で、インドネシアで感染し日本で発症したそうです。
 このような病源を持った人に抗体のない幼児が接触すると感染する危険があります。グローバル化によってこのような病気も入ってきます。

 ところで中国の新型肺炎は漢方薬でも鍼灸でも効かないのでしょうか。どういう肺炎なのか。効く漢方薬はないのか、だれか情報をご存じの方はいませんか。

山本 朝子 04/11 21:02

635:[ 豆腐 ]

下のかいちょうの記事にはユニコード拡張領域Aの漢字が使用されています。したがって拡張領域Aの漢字を含むフォントの用意が無ければ豆腐になります。
おすすめは DynaComware(http://www.dynacw.co.jp/)の
DaynaFontTypeStudio 附録のユニコード3書体です。
そのうえでブラウザの準備が必要です。それについてはこの談話室の585(2003年3月6日)に紹介しています。

管理者 04/06 08:44

634:[ 無題 ]

 譱蚊l、譱例l、頽疝、みなタイセンで、同じものであろう。経脈篇の足厥陰脈の是動病に「丈夫譱例l、婦人小腹腫」といい、男性の病気だという。前立腺肥大をいうか。それは厥陰の病であるから、足厥陰経を選択する。これによれば、四時気篇の症例は、本輸篇で太陽大絡を委陽と解釈し、経脈篇で足厥陰経を選ぶことができる。
 しかし、四時気篇が、太陽の大絡と厥陰の小絡は小腹で結して(つながって)いるという記述は、その二篇では説明できない。やはり倉公伝が必要になってくる。
 もう一つ、倉公伝が必要な理由。倉公伝では絡は出血の意味を含んでいる。吐血したのも、喀血したのも、胸腹部の絡脈が切れたから、下血も、血尿も、下腹部の絡が切れたからと考える。四時気篇の症例に絡脈ということばが見えているのは、書かれてはいないが、その症例に血尿があったことが推測される。太陽の大絡と厥陰の小絡が結しているという記述は、そのあたりのことを言っている。倉公伝との関わりの深さを感じられる。

かいちょう 04/05 19:34

633:[ 厥陰所謂鬆コ疝…… ]

厥陰の病に頽疝というのが有って、その病は少腹痛み、大小便を得ずという。これも関係が有るのではなかろうか。

神麹斎 04/04 11:56

632:[ 診籍第十 ]

 倉公伝の診籍第十は四時気篇のと同じ膀胱炎の症例である。そして、腫の成り立ちを「腹之所以腫者.言蹶陰之絡結小腹也.蹶陰有過.則脉結動.動則腹腫」といい、厥陰の絡が小腹で結滞したために、変動をおこし、腹腫となったという。
 そうすると、四時気篇の「視其絡脉與厥陰小絡結而血者」は、太陽の大絡を治療するのだが、その絡脉は厥陰の小絡と(小腹で)結して血ある(充血?)している状態なのから、それをよくよく観察(視)すべきである、という意味だろう。
 これによって、経脈篇以前に、倉公伝の医学があったことが証明できたような気がする。

 かいちょう 04/04 11:27

631:[ 明堂は経穴書 ]

「腫上及胃閼・vは、下腹部の腫(脹満)が上衝して胃閼・ノまで達したら、というような意味だろうとして、「腫れの上に胃閼・ノ及ぶものは」と訓みました。和訓のその辺のしきたりにはやや自信を欠くところが有ります。
「視其絡脈與厥陰小絡結而血者」の解にもやや自信の無いところが有るわけですが、ひょっとすると太陽大絡というのが委中とか委陽とかでなく、足太陽から出る大絡脈と足厥陰から出る小絡脈の交点付近の血絡を探せというような意味かと思ってみました。太陽はともかくなぜ厥陰かという点は、結局よく分かりませんが。

『明堂』の臨床の主流は、少なくとも『甲乙』で見るかぎり一穴治療です。しかし、これは『明堂』がもともと鍼灸方書でなく、経穴書であったからというだけのことかも知れません。『明堂』がもともと経穴書というのは、巻三の順に経穴の名と部位とドーゼと、その下に主治病症が書かれていたはず、ということです。ただ、一穴治療という点は、実は『素問』『霊枢』でもそれが主体であったと思います。現在の「配穴」という常識で読むと誤るかも知れません。言ってみればほとんど全てが特効穴治療です。その中のいくつかに診断=治療点と病症の所在との連絡線を想定し、その連絡線を統合整理したものとして、『霊枢』経脈篇が有るのではと今は思っています。統合が成ってみれば、その統合を利用して治療を組み立てるという発想が出てくる。それまでは、よしんば配穴というものが有ったとしても、足し算によるものでしょう。
上手な足し算は必ずしも下等なものでは無いでしょうが、統合されて出来たシステムを利用した配穴とは次元の異なるものだと思います。

神麹斎 04/04 08:19

630:[ 経脈篇以前 ]

 経脈篇の成立が最も遅いだろうとは同意見です。本輸篇もそうじゃないかと思います。小針解篇も、伝に相当するからこれも遅いだろう。そうすると、遅いグループで何か共通する理論があるかもしれない。『霊枢』から、その理論を使っているらしい論篇を取り除くと、古いと思われる論篇が残ってくるかもしれない。
 それはそうと、『素問』『霊枢』だけでは、『素問』『霊枢』の中の臨床例を説明できないとすると、『明堂』というのも大きな意味をもつのではないか。『明堂』系医学というのが別個にあったかもしれない。今までは、『明堂』を説明するのに、『素問』『霊枢』を使ってきたが、強引な解釈になるかもしれない。『明堂』は『明堂』で解釈しなければならない。
 「腫上及胃閼・vは「腫のぼりて胃閼・ノ及ぶものは」じゃないだろうか。下腹部の腫(脹満)が上衝して胃閼・ノまで達したら、という意味なのだろう。
 それにしても「視其絡脈與厥陰小絡結而血者」だが、「視て」どうするのだろうか。「視」は治療法に違いない。


04/03 22:51

629:[ 無題 ]

『霊枢』四時気の和訓:
小腹痛み腫れ、小便を得ざるものは、邪は三焦約に在る。これを太陽の大絡に取る。その絡脈の厥陰の小絡と結して血するものを視よ。腫れの上に胃閼・ノ及ぶものは、三里を取る。

『霊枢識』引張志聡云:
……故に当に足太陽の大絡を取る。小絡は孫絡なり。足太陽と厥陰の絡は、霍嶺Qの間において絡を交える。その結して血するものはこれを去る。蓋し肝は疎泄を主どる。結の厥陰の絡に在るものも、また小便を得ざるなり。……

「この四時気の治療は、経脈篇では説明できないことになる。」おそらく、『霊枢』経脈篇成立以前の臨床経験だと思う。

『霊枢』の成書と経脈篇の完整は同時じゃないかと思っています。思っているだけで詳細な検証はしてないという極めてだらしない話ですが。少なくとも、『霊枢』の各篇を読むときに、経脈篇の知識をたよりにしないほうが良いように思います。
経脈篇は確かに偉大な資料です。だからむしろ拘われないように心しています。

神麹斎 04/03 12:27

628:[ 古典での治療例 ]

 たとえば、『霊枢』四時気篇の治療なんですが、「小腹痛腫.不得小便.邪在三焦約.取之太陽大絡.視其絡脉.與厥陰小絡.結而血者.腫上及胃閼・D取三里」という例があります。
 小腹が痛んで小水が出ないのは、三焦の集約機能(水分コントロ-ル)の異常(邪)である。
 太陽大絡(は委中か委陽)と、其絡脉(不明)と、足の厥陰経の絡脉を、刺絡する。そして胃閼・i中閼・ゥ?)、そして三里を取る。
 経脈篇の循行に準ずるものといえば、太陽大絡が太陽膀胱経に属しているだけだとおもう。厥陰脈は陰器を通過しているが三焦機能とは関係ないだろう。陽明胃経が気街を通過しているが、三焦機能と関係しているのだろうか。脾胃は水分を調節するんだといっても、それは経脈篇では説明できそうにない。
 そうすると、この四時気の治療は、経脈篇では説明できないことになる。やってできないことはないだろうが、そうとうに無理しなければならないだろう。
 彼らは、この治療をするためにどの医書を参考にしたのだろうか。特効穴でいえば、この症例は膀胱炎のようなので、肝経の蠡溝がそれに該当する。胃は中焦だとして、三焦つながりか。
 
 

かいちょう 04/03 08:48

627:[ 虚構の設定 ]

遠道取穴法に過ぎないということも有るわけですよね。
この遠道は近道に対して言ってるんで、随証取穴法だって患部に取るわけでなければ遠道には違いない。
特効穴治療だって、患部と離れたところに取る分には、その間をつなぐ何かは有るはずなんだから、現在の経脈説で説明できるかどうかは別として、もう一つの経脈説の端緒になっていたかも知れない。
遠道取穴法はおしなべて経絡利用治療法ではあるはずだと思うわけです。


それとは別に、例えば、身体は五臓六腑と十二経脈から成っていると仮定して、その相互関係を調整しようとする治療が有りうると思うんです。そして、昭和初期に打ち出された「経絡治療」以外にもそうしたものは有ったはずだと思うんです。
ただ、これは所謂科学的には証明しづらいわけで、現代中国では敬して遠ざけているのか排斥しているのか、あまり聞いたことが無いですね。(子午流注針法は一応そうしたものですか?)中国が「科学的」解明に取り組まなければ、日本にはそういう能力は無いですから、結局のところ普遍的な世界においては、いいところ「敬して遠ざけられる」存在のままでしょう。(日本には運用の能力は有ると思いますよ、多分。)

ある意味で、経験蓄積型治療と虚構設定型治療(あるいは観念的治療、あるいは理論的治療)だと思います。「ある意味で」とは、西洋現代医学もある意味では経験蓄積型である、という意味においてということです。虚構設定型はかなりやばいです。でも、この「やばさ」が、もうひとつの医療になりおおせる最大の力かも知れないと思います。
また言い換えれば各個撃破型か、中枢制圧型か。(余計にわかりにくく成っちゃった?)

私自身の志向しているのは、きちんとした虚構の設定です。

神麹斎 03/31 13:03

626:[ 経絡治療 ]

 経絡治療は、ひとつのブランド名であって、六部定位診で得られた経絡の虚実を補寫する、昭和初期に打ち出された治療体系であります。
 経絡が介在した(だろう)治療は、確かに経絡治療だろうけれど、上述のようにブランド名として使っているので、別の呼び方を用意する必要があると思う。
 以上の二つのことが、どうも混乱していると思われます。まず、後者に、いい名前を付けたいですね。

かいちょう 03/31 08:35

625:[ 可能であってほしい ]

可能であってほしい。証明しなければいけない。だけど、それを実験で証明するのは相当に困難だろう、ということですよ。
「経筋上の貊詞鰍Tしてはりをしました」で、何を証明したのかもよくわからない。本当に貊詞鰍ナなきゃいけなかったのかとか、どういう場合に本当は一番効果的なのかとかね。

神麹斎 03/30 08:15

624:[ 経絡治療と、経絡による治療 ]

共同通信提供の『鍼灸もうひとつの医療』の連載が、私の地方の新聞でも先週から始まっています。
第2回は、「古代の経筋理論」と題して、篠原昭二さんを取り上げ、「……痛む所を通る経筋上の貊詞鰍Tしてはりをしました。その結果、貊詞鰍ノはりをすると経筋を通して離れた患部に影響を与えることが納得できるようになったんです」という談話を載せている。
で、先日の「経絡治療 」についての話題に絡めて言えば、これは「経絡治療 」では無い。経絡による治療には違いないけれど(篠原さんは経筋と言っているけれど)、経絡と経絡のバランスを調整しようとする治療とは異なる。所謂「経絡治療 」を実験的に証明することは余程困難だと思う。そもそもそんなことは可能なんだろうか。(経絡と経絡のバランスを調整する治療なんて、そもそもが可能なんだろうか、とは敢えて言わない。)

神麹斎 03/29 11:14

623:[ 反省しております ]

『素問NET掲示板No.15「あっちのかいちょう」に返信しようとしたら』云々と書いたから分かるかなと思ったんですが、確かに不親切でした。反省しております。
なお、素問NET掲示板への書き込み、今日再挑戦したらOKでした。何故だろう。

素問NET掲示板は
http://210.189.72.236/0016/1015/somon.html

神麹斎 03/29 10:51

622:[ つづき ]

 独白といったのは、「談話室を読んだ人は、神麹斎さんがどうして突然このような問題を出してきたのか」疑問に思うのではないかと、案じたからであります。
 つまり、「素問ネットの談話室に、『素問』四気調神篇に、島田先生(他多数)の句読が納得できないところがある、と某氏が投稿してきた」「その内容はどうたらこうたら」というような説明が必要なのではないかと言ったわけです。
 投稿した某氏と神麹斎さんはその経過を知っているわけですが、この談話室を読んでいる人に対してその経過説明が必要だと思います。
 というわけです。

かいちょう 03/29 10:43

621:[ 無題 ]

ようするに、島田先生の句読は必ずしも、
○夫四時陰陽者.萬物之根本也.所以聖人春夏養陽.秋冬養陰.以從其根.
○故與萬物沈浮於生長之門.逆其根.則伐其本.壞其眞矣.
ではないし、
【→
○夫四時陰陽者.萬物之根本也.所以聖人春夏養陽.秋冬養陰.以從其根.
○故與萬物沈浮於生長之門.
○逆其根.則伐其本.壞其眞矣.】
中国に於ける普通の句読がそのように見えるのは、故與萬物沈浮於生長之門を削ったからに過ぎない、と婉曲に言ったつもりです。
【→
○夫四時陰陽者.萬物之根本也.所以聖人春夏養陽.秋冬養陰.以從其根.
○逆其根.則伐其本.壞其眞矣.】
しかしながら、『太素』に倣えば、
○夫四時陰陽者.萬物之根本也.
○所以聖人春夏養陽.秋冬養陰.以從其根.故與萬物沈浮於生長之門.
○逆其根.則伐其本.壞其眞矣.
であって、なるほど、
○夫四時陰陽者.萬物之根本也.所以聖人春夏養陽.秋冬養陰.
○以從其根.故與萬物沈浮於生長之門.
○逆其根.則伐其本.壞其眞矣.
に近いかも知れない、と言ったつもりです。

で、結論としては:
先ず養生の原則を述べ、次いでそれに逆らった場合を述べ、然る後に「従えば」「逆らえば」と繰り返して畳み込んでいくのも、文章の書き方として別段おかしくは無いと思う。(ようするに楊上善の句読で良いと思う。)

神麹斎 03/29 08:37

620:[ まあ独白なんですが ]

まあ独白なんですが、それでも:

先ず養生の原則を述べ、次いでそれに逆らった場合を述べ、然る後に「従えば」「逆らえば」と繰り返して畳み込んでいくのも、文章の書き方として別段おかしくは無いと思う。

は意見のつもりです。そうは見えませんか。

18も郭靄春の衍文説への反論のつもりです。そうは見えませんか。

『太素』の「失四時陰陽者失萬物之根也」の後の失にはやや疑問が有りますが、前は確実です。「四時陰陽は、万物の根本なり」と、「四時陰陽を失すれば、万物の根を失するなり」は結局同じことです。そのためにも後の怪しい字も失でなければいけません。

ところで、素問NETの掲示板、かいちょうは普通に書き込めますか。あっちの書込をこっちに引き取るつもりは無かったんですが……。

神麹斎 03/29 07:53

619:[ 17と18の神麹斎さんへ ]

 17と18の神麹斎さんの文章は、まるで独白であります。せめて、こうこうこういうわけで、拙者は斯く思う、くらいのことを書いてください。あまりにも突飛なので。
 ところで神麹斎さんが引く『太素』の文章は「夫」が「失」になっているようですが、こりゃ意味ありですか。また、楊上善はなにげに「志在生長之門也」と「生長の門」を解釈しないで使っているところをみると、「生長の門」とは楊上善にとっては難しい語句ではなかったのでしょうか。道教あたりで使う言葉なのだろうか。
 

かいちょう 03/28 22:26

618:[ 太素に於いては ]

『太素』巻2順養に於いては:
失四時陰陽者,失萬物之根也。【陰陽四時,萬物之本也。人君違其本,故萬物失其根。】是以聖人春夏養陽,秋冬養陰,以順其根,故與萬物沈浮於生長之門。【聖人與萬物菫ア浮,即春夏養陽也;與萬物菫ア豐堰C即秋冬養陰也。與萬物沈浮以爲養者,志在生長之門也。】逆其根,則伐其本,壞其真。【逆四時之根者,則伐陰陽之本也,壞至真之道也。】
これによって見れば、郭靄春が「故與萬物沈浮於生長之門」を削るのは武断に過ぎる。
因みに、『素問』では王冰注が「萬物之根本也」、「以從其根」、「生長之門」、「壞其真矣」の下に入る。
王冰と楊上善の句読が異なっていた可能性は有る。

神麹斎 03/28 21:30

617:[ 四気調神大論の句読 ]

島田先生:
夫れ四時陰陽は万物の根本なり。聖人の春夏に陽を養い、秋冬に陰を養う所以は、其の根に従うを以てす。故に万物と生長の門に沈浮す。其の根に逆えば則ち其の本伐られ、其の真壊ゆ。(夫四時陰陽者,萬物之根本也。所以聖人春夏養陽,秋冬養陰,以從其根。故與萬物沈浮於生長之門。逆其根,則伐其本,壞其眞矣。)
郭靄春教授:
夫四時陰陽者,萬物之根本也,所以聖人春夏養陽,秋冬養陰,以從其根,故與萬物沈浮於生長之門。逆其根,則伐其本,壞其眞矣。(上で説いた陰陽四時は、万物の生長収蔵の根本である。だから聖人はこの規律に従って、春と夏には心肝を保養し、秋と冬には肺と腎を保養して、この養生の道の根本原則に順応する。仮にもしこの根本原則に違反すると、本元を痛めつけ、身体を損なってしまう。)
郭靄春教授は「以從其根」の後で切ってないのに、現代語訳では切ったことになっている。また、「故與萬物沈浮於生長之門」は、『甲乙』に無いことを理由として現代語訳では省略している。試みに郭氏の現代語訳に従って和訓すれば:夫れ四時陰陽は、万物の根本なり。ゆえに聖人は春夏に陽を養い、秋冬に陰を養い、以て其の根に従う。其の根に逆えば、則ち其の本を伐し、其の真を壊す。

先ず養生の原則を述べ、次いでそれに逆らった場合を述べ、然る後に「従えば」「逆らえば」と繰り返して畳み込んでいくのも、文章の書き方として別段おかしくは無いと思う。

(素問NET掲示板No.15「あっちのかいちょう」に返信しようとしたら、「ERROR ! 不正なアクセスです」になってしまった。何故だろう。)

神麹斎 03/28 15:07

616:[ 丸山先生の墓参 ]

 今日、突然、丸山先生のお墓まいりをしてきました。公式行事としては、4月6日(日)だったのですが、会の主だったメンバーが参加できないということで、急遽中止にしました。それでも、個人的には、後ろめたい気が少しあったので、衛生学園の春休み(木曜日担当)を利用して、行って来ました。同伴は、衛生学園の学生の天野氏で、浄智寺、旧宅、蕎麦屋というルートで踏査してきました。旧宅は、昨年より、草ぼうぼうで、廃屋度が増してきました。もしかしたら、もう無くなっているかと心配してました。来年も残っているかどうか。
 昭和20年、28歳で開業した、自宅です。西田幾太郎の別荘だと先生は話していました。
 来年こそは、みんなでいきましょう。

かいちょう 03/27 20:53

615:[ 制度 ]

 吉田君の「日本の鍼灸医(師)の過去から未来へ」を読んでて思い出したのですが、

 戸川先生が、文化を構成する三つの要素として
文物
言語
制度
を挙げられ、医書でも制度について詳しい人は、
「よく勉強しているな」
と、思うと言っておられました。
 私は帰省前、最後の忘年会の日、神田で『制度通』を見つけました。その時財布には宮川さんに渡さなければいけない分しか残っていなかったのですが迷わず買いました。『制度通』は文庫本なのですが当時絶版になっていて少々高かった。そこまでして買ったのにちっともわからない。
 誰か制度について詳しい人はいませんか。『季刊内経』に投稿して下さい。お願いします。
 

山本 朝子 03/24 20:48

614:[ ぼくも補足 ]

 僕が考えている経穴治療とは、病症(症状)に対して経穴を選ぶ治療で、経絡治療とは経絡の虚實に対して経絡の虚實を整える治療です。だから、経絡治療にはどのような病症であるかは問題ではなく、どの経が+・-であるかを判定し、治療する方法だと考えています。経の+-は、脉診でしか判定できません。問診他ででも判定できそうですが、有効だったかどうかは、脉診で判定する以外にはないと思います。
 山本さんの「鍼灸特定穴~」は内容からすると、伝統鍼灸だと思います。経絡治療とは、かの時代ではあくまで一流派だったのではないでしょうか。

かいちょう 03/22 08:22

613:[ 『鍼灸特定穴臨床集○』補足 ]

 言葉が足りなかった様なので
『鍼灸特定穴臨床実用集○』郭長青 朱江 主編 人民衛生出版社 2002年7月第1版
五輸穴、原穴 絡穴 兪募穴 げき穴 八会穴 下合穴 八脈交会穴 交会穴 について出典を挙げ内容を解説し実際臨床例を挙げています。
例えば、「五輸穴」では、難經の補寫理論のものもありますが、主に邪氣藏府病形の「栄輸治外経、合治内府」を基にした取穴理論が展開されています。
 また「原穴」では「原穴」一穴では無く、藏府原穴相配、原絡相配、原兪相配、原合相配が紹介されています。
 経の虚實は知熱感度測定や電気抵抗低下点で測定しているようですが、主に病症で使い分けているようです。
 多くの臨床家の經絡的理論に基づく臨床を分類整理している本です。

 私は伝統鍼灸には三つの大きな柱があると思っています。
一つは、經絡的治療
二つは、特効穴治療
三つは、反応点治療
です。
一つ目の經絡的治療には脈が大事な面もありますが、『霊枢』五邪(20)のように病症によってどの藏に邪がある、といとらえ方も伝統鍼灸の一分野だと考えています。日本の脈診を主とした経絡治療が伝統鍼灸の全てだとは思っていません。

 今構想をねっている「五勿」の副題が「經絡治療から伝統鍼灸へ」です。『季刊内経』夏号までには書き上げたいと思っています。
 

 

山本 朝子 03/21 20:44

612:[ 補足 ]

他人の書き込みに補足説明するのも変なものですが、「胃がなんたらしたら足三里」だって経絡の機能は使っているんですよ。足三里と胃をつなぐ何物かが存在するわけで、それが経絡説の端緒だったはずです。ただ、それとは別に(か発展したものとしてかはおいといて)、経絡と経絡の間のバランスを調整しようとする治療が有るということだと思います。それを経絡治療と呼ぶとしたら、現代中国における勢力はあまり大したことはあるまいと思います。

神麹斎 03/21 12:53

611:[ 経絡治療 ]

 『霊枢』を読んでいると、経穴治療と経絡治療とがあることがわかる。胃がなんたらしたら足三里というのが経穴治療で、経絡間の強さの差を調整するのが経絡治療である。経絡治療は経脈篇や終始篇に書かれているのはその始めで、現在使われている経絡治療はその流れなのかもしれない。二つは独立した流派であって、ごっちゃにしないほうがいいと僕は思う。経絡治療の手がかりは脉診であり、古くは人迎脈口診であるが、後世になって六部脉診で代用するようになった。
 それはそうと、山本さんは、『鍼灸特定穴~』を「中国的経絡治療」と評しているが、経穴治療と経絡治療をごっちゃにしているような気がする。『鍼灸特定穴~』というのを読んでないので、無責任なんですが。



かいちょう 03/21 09:39

610:[ 『鍼灸特定穴臨床実用集○』 ]

 今、『鍼灸特定穴臨床実用集○』を読んでいます。
 中国的經絡治療といえる本です。とても面白い。何を言っているのか、何をやっているのかが、よく分かる。やはり伝統鍼灸の用語を使うことが世界に通じるものなのだなあと感じます。

 地方選挙で今年度は班長をしている手前、市会議員、市長、県会議員、さらに国会議員に至るまで、自治会推薦議員の後援会にはいらざるおえなく、その他知人の推薦議員の後援会と、いくつの後援会にはいったか。中には顏も知らない人もいます。先週は県会議員の戸別訪問に付き合わされる始末。班長任期もあと一カ月。あっという間に過ぎ去ってしまえ。

 今日は一日テレビに釘付けでした。イスラムの人は温厚で親切です。イスラム圏の国へ行くとのんびりできるものです。一部のテロリストと世界の戦いが、アメリカとイスラムの戦いの様に捉えられているのはおかしい。

山本 朝子 03/20 22:15

609:[ 丸山昌朗先生の墓参 ]

 たのしみにしていた会員には申し訳ないのですが、4月6日(日)の丸山昌朗先生の墓参は、会長を含め運営委員の大半が出席できないようなので、順延したいと思います。日程は未定です。

かいちょう 03/19 18:13

608:[ 丸山昌朗先生の命日 ]

本日3月20日は丸山昌朗先生の命日です。 
  昭和50年3月20日 没 58才

こばやし 03/19 09:07

607:[ 閲簡閲 ]

『刊謬補缺切韻』と『切韻』には「閲、簡ゝ」と書いてあって、これは「閲、簡閲」のことだと言うことですが……。実際の印刷物を見てないのでよく分かりませんが、それだったら普通は「閲、簡―」という書き方じゃないかと……。重号のそういう使い方は初耳です。いずれにせよ楊上善注に、(閲簡ゝも閲簡―も)そういう例は無かったような……。余分な重号と考えて削除したものを再検討する必要は有りそうですが。

五藏常内閲於上在七竅【閲余説反簡也其和氣上於七竅能知臭味色穀音等五物各有五別也】
和訓:
①五藏は常に内し、上に於いて七竅に在りて閲す。
②五藏は常に上に内閲し、七竅に在り。
【閲は、余説の反、簡なり。その和氣が七竅に上れば、能く臭味色穀音等の五物に各々五別有るを知るなり。】
解説:
内は、①では「不形於外」(外に形をあらわさない)。
閲は、楊上善注の「簡なり」に従えば、閲兵の閲で、つまり検閲。『玉篇』に「閲,簡軍實也」とある。この簡は『周禮』夏官・大司馬に「簡稽郷民以用邦國」とあり、鄭玄が「簡謂比數之」というのと同じ。(やっぱり、閲を簡と言い換えたら分かり易いの?へ~……なんだけど。)
ところが、楊上善注の後半を読むと、閲は経歴でも良さそうに思える。『史記』孝文本紀「閲天下之義理多矣明於國家之大體」の裴鬧ー集解に引く如淳の注に「閲猶言多所更豁キ也」。
上りて内部を「経歴」すれば、七竅で五物の五別を「検閲」できる。(どっちだろう。)
因みに諸字書に、検査の意は閲と簡の双方に載るが、経歴の意は閲のみに載るようである。(分からん。)

神麹斎 03/17 10:45

606:[ 閲again ]

『広韻』入声薛韻に「簡閲也」とあり、これを『切韻』や『刊謬補缺切韻』は「簡ゝ」とする。「ゝ」は無論「閲」を意味するのだが、楊上善も「簡ゝ」と書いて、後の人がこれを「簡也」と改めてしまったのではないか、と、前後例を顧みず推測してみました。いかん。

かいちょう 03/16 23:10

605:[ 易しいの?普通なの? ]

「閲,簡也 」が変でしょうと言うのは、現代日本人の感覚としては変でしょう、「経歴也」とか「検査也」(まあ、そういう漢語が当時あったかどうかは知りません)と書いてもらわないと……、でも当時の中国人にとっては、これでまあまあ役にたったのかなあ……、ということです。
閲は閲兵の閲でしょう。簡は『周礼・夏官・大司馬』に「仲冬教大閲」とあり、その鄭玄注に「至冬大閲簡軍実」とある。『玉篇』にも「閲,簡軍実也」とある。つまり、簡にも閲兵の意味が有りそうである。でもやっぱり、そんなに普通の訓ではないよなあ……、ということです。
で、結論として、易しいとか難しいとか、普通の訓とか特殊な訓とか、現代の日本人の感覚で考えちゃいけないんだろうなあ……、です。

下の「閲,簡也」に書いたことの言わんとするところは、そんなものですが、「五藏常内髢ア於上在七竅」の意味はとなると……。
五藏常内閲於上在七竅は、「五蔵は常に上に於いて内閲し、七竅に在り」と訓むつもりでした。
内閲は、内省・内観・内覧の類で、「内において閲す」。「上に於いて内において閲す」は、日本人の感覚としては変かも知れないけれど、漢語としては何ら不都合は無い。
で、「かいちょう」の「五蔵は常に内す。上七竅より閲(けみ)するなり」は奇説かというと、そうでもないんですねえ。張介賓は「五蔵は内に位次し、而して気は外に達す、故に上の七竅に閲す」云々と言っている。ただ、閲はおしなべて経歴の意味にとるのが多いようです。
で、『難経』ではこれに相当する文が、「五蔵者当上関於九竅也」になっている。そもそも内外は関係ないのかも……。

神麹斎 03/16 11:45

604:[ re閲 ]

 『霊枢』脈度は「五藏常内閲于上七竅也」に作り、体内にある五蔵は、体外の七竅で推察することをいう。したがって「閲」は経歴より、検査するという意味が望ましい。おそらく、楊上善にとっては「閲」は他の意味が主であり、検査するというのは従だったのではないだろうか。たとえば、『老子』では与えるの意味に使われている(第二十一章)し、当時は右側の門柱を閲といったらしい。
 それはそうと、「五藏は常に内より上の七竅を閲するなり」と読むようだが、「内より」というのは変である。内なる五蔵を、外なる七竅で推察するのであるから「外より」となっているのが望ましい。でも「内」と成っているのだから、それに従って読むしかない。「五蔵は常に内す。上七竅より閲(けみ)するなり」と、「内」を体内に存在するという動詞に読めないだろうか。五蔵は体内に在るから、体外の七竅から調べるのだ。いかん。

かいちょう 03/16 10:01

603:[ 「営衛周環」を掲載しました ]

みどりさんが話題にした「営衛周環:経脈は循環しない」を、林孝信さんの許可を得て、ホームページに掲載しました。
最初のページの左のフレームの下方「あの記事をもう一度」をクリック、入ったページの「営衛周環:経脈は循環しない」をクリックしてください。

今後も、古い記事で見てみたいものが有りましたら、談話室に書き込んでください。掲載できるよう努力します。

管理者 03/15 08:34

602:[ 閲,簡也 ]

『太素』巻6蔵府気液に「五藏常内髢ア於上」とあり、楊注に「髢ア,余隱ェ反,簡也」と言う。ここの閲の字は、中国人にとっても難解らしいが、郭靄春は『漢書』の顏注を引いて「経歴」の意があると言っている。我々の漢和辞典『漢辞海』にも「訪れる、訪問する」とあるから、別にそれほど困らない。問題は、楊上善が簡也と書いたら、当時の人にとっては分かり易くなったのか、である。『漢辞海』には簡の語義の中に「検査する」が載っているから、まあ大丈夫なのだが、むしろ閲のままのほうが何となく理解し易いような気がする。つまり、どの字が分かり易いかには個人差があり、さらに時代差もある。今、どうしてこんな字に注が必要なのかと思うものも、基本的には当時はそれが難しかったのだということだろう。

神麹斎 03/14 15:31

601:[ あの記事をもう一度 ]

内経バックナンバーの記事を、ホームページに載せるのは可能です。別に難しいことは有りません。ただし、当然のことながら筆者の許可が必要です。また、ちょっと古い記事になりますと、コピーからOCRで読み取りということになります。あまり長大な記事だと、ちょっとしんどい。ましてや最初からの全てをCDに、というのは勘弁してほしい。

管理者 03/14 08:28

600:[ 訂正 ]

 今思い出したのですが、当時は各自で印字した原稿を提出し、コピー製本していたため、各号のデータが無い事を思い出しました。CD化には入力する必要が有り簡単ではないので、CD化の話はなかったことにして下さい。

山本 朝子 03/13 22:35

599:[ 内経のCD化 ]

 「内経」も伝統鍼灸学会誌のように
CD化して売り出してはどうでしょうか。

山本 朝子 03/13 21:52

598:[ 内経のバックナンバー ]

みどりさんのを読んだら、林孝信さんの、内経77号の所論を読みたくなります。77号は古い会員しか持っていないだろうと思います。新しい会員や、非会員は、覗きようがない。なんとかならないでしょうか。みなさんのお知恵を拝借せむ。

かいちょう 03/13 08:33

597:[ 経絡循環 ]

林孝信さんが、『内経』77号で「栄衛周環:経脈は循環しない」という論説を展開なさっています。
経絡=血管と考えるのは、もっとも原始的であるだけでなく、きわめてまっとうな(誰でも思いつく)発想であろうと思います。気は見えず、血は見えますから。

みどり 03/13 06:54

596:[ 経絡はめぐるか ]

霊枢は、どこを読んでも「経絡は循環しているか」がひっかかますなあ。経絡が循環したというのは、やはり経脈篇でしょうね。それ以前は、循環していないと思う。循環しているという記述は、血脈系統ではないでしょうか。
だから、衞氣・營氣の流れの云々をいう篇があったら、その篇が経脈篇より古いのか新しいのか、推測しながら考えなければならないのだと思うのであります。

かいちょう 03/12 18:06

595:[ 六経本について ]

蔵書印をみるかぎり、黄龍祥のみている六経本と、北里で複写した六経本は、別の本である。よって、どちらの六経本と医統本を比較しているのかによって、所説は異なるだろうとおもいます。このことはこの談話室では明記してありましたっけ。いまさらの割り込みですみません。

かいちょう 03/12 18:00

594:[ 経絡は巡るか ]

経絡は巡るか?
別に、巡っているとは限りません。
今の常識のような感じで巡りだしたのは、多分『霊枢』経脈篇以来だと思います。
それ以前の文献では、当然ながら巡っていなかったり、異なった巡りかただったりのはずです。

それから、経絡血管説は別に目新しいものではありません。ただ、いつ誰が話したときに反応する(出来る)かは、人と人との縁と言うものでしょう。私自身は、多分最初は島田先生だったと思う。別に先生の発明じゃないと思うけどね。もっともっと古いということです。

それからなおさらどうでも良いけど、居吟切は現代中国語音で jin ですよ。勿論、金の現代中国語音も jin です。声調が異なるけど、キンとジンの問題ではありません。声調が異なると、みどりさんの言うように意味が変わることが有る。ただし、古今で声調が変化することも有りそうだから、この場合がどういうことなのかは、今とりあえずは調べないで書いてます。

神麹斎 03/12 09:02

593:[ やさしい字についている反切について ]

山本さんが、こんなやさしい漢字に反切なんか付ける必要はないじゃないかと思われた、具体的な例が示されていないので、一般的な可能性を述べてみます。
注音したひとは、意味を限定するために反切をつけたのではないでしょうか。ご承知の通り、同じ漢字でも発音が異なると、意味も異なります。たとえば「上」字に反切がついていたとしたら、それは注釈者が「うえ」の意味ではなく「のぼる」の意味だとか、あるいはその反対にここでは「うえ」の意味で解釈せよ、といっているのだと思います。
また「金」に反切がついているとしたら、それは一般的な「かなもの」の意味ではなく、「くちをつむぐ」という特殊な意味で用いられていると、読者の注意を喚起するために付けているのではないかと思います。
ただ、そのやさしい漢字が一音しかない場合は、上記の説はなりたちません。山本さんが不審に思った例が一音しかないものでしたら、またみんなで知恵を絞って、別の納得のいく説明を探さねばならないでしょう。

みどり 03/12 02:48

592:[ 伝統鍼灸学会 ]

 六経本と医統本が同版であるならそれはそれでよかった。今まで医統本を使って書き出したものがA5で22ページもあります。それが無駄にならなくてすみます。

 ところで秋の伝統鍼灸学会で医統本と六経本の発表をしてはどうですか。夜は尾道で飲みましょう。
 有名な店は高くて、小魚の煮物や焼き物が一品2~3千円もするのですよ。それに閉店は9時なんです。健全な町というか、なんというか。東京だったらこれからっていう時間なんですがね。何とか秋までに安くて美味しい所を開拓しておきます。

 昨日、今日と『霊枢』営衛生会(18)に取り組んでいます。「營」と「衛」の流れがさっぱり解りません。経脉を流れるなら陰・陽交互に巡るはず、何故、陰は二十五度、陽は二十五度と分かれるの?
 松木先生の經絡血管説はコロンブスの卵かも知れません。しかし、それをもってしてもさっぱり解りません。
 
 終始篇の「終始」もよくわからないですね。

 經絡って巡っているものなのですか。

 『霊枢』脈度(17)にどうして「七キョウ(あな)」が出るの。
 肺気の鼻は何故「五臭」ではなく「臭香」なの。トイレの匂いは肺気が和してなくても嗅げるということなのかしら。

 音釈って読みにくい字につけるものだと思っていたけど、時折簡単な字にもつけられていますね。どうしてなの。
『校正宋本広韻』で「金」は「居吟切」つまり「キン」だった。日本人のほうが現代中国人より中古音が分かり易いのかしら。


 疑問はつきないです。
 

 

山本 朝子 03/11 23:41

591:[ 六経本と医統本と ]

『甲乙』医統本と六経本と、その類のことは全く同じです。どちらが鮮明か、その鮮明であることをどう評価するかに過ぎません。

『鍼灸名著集成』を介して『甲乙』六経本でどうなっているか云々を言うのは全くダメです。あの本は、出版物としての校正がお話にならないひどいものです。

私が六経本にこだわったのも、もとはと言えば、『鍼灸名著集成』の『甲乙』経文(勿論、底本は黄さん推奨の六経本)が、医統本とかなり違うことからです。コピーを貰って確かめた結果は、その全てが印刷ミス(まれに黄さんが校注を省略した結果という場合も有る)に過ぎませんでした。

神麹斎 03/11 08:55

590:[ 謎の金玉饅頭 ]

 先週の土曜日、姪が小田 空(そら)さんの『続・中国いかがですか』を持ってきた。
「神戸の元町で見た金玉饅頭の謎が解けたよ」
どうも、先月神戸の元町中華街へ旧正月の祭りを見に行った姪は、人込みの中で「金玉饅頭」と言うものを見つけ、気になっていたらしい。
 
  『続・中国いかがですか』
「日本人と中国人を見分ける方法(?)のひとつにー
このふた文字を見せて反応を見るというのがある
あなたにとっての金玉とは何か?」
で、いろいろ面白い中国語を挙げ、最後に
「これは中国語では、ジン ユーと読み 意味は「尊く 貴重で すばらしく価値のあるモノ」断じてキンタマと読んではならない」

 旅行コミックを何冊も姪に借りて読みましたが、私は小田空さんのものが一番好きです。


 『甲乙』巻三 医統本p36~38の目録の経穴と「六経本」の目録の経穴の位置が同じか確認していただけませんか。
第四 目窓
第五 竅陰
第八 三焦兪 上リョウ 中リョウ
第九 肓門
第十 禾リョウ 地倉
第十一 聽會 顱息 聽宮  
第十二 水突 扶突 人迎
第十三 臑會
第十四 紫宮
第十七 胸郷
第十八 輙筋
第二十 陰都 四滿 氣穴 中注
第二十一 承滿 水道 歸來 
第二十三 帶脈 五樞
第二十六 極泉
第二十八 四涜 天井 
第三十 陰陵泉 商丘 三陰交
第三十二 大鍾 照海 
第三十三 陰市 伏兔
第三十四 丘墟 懸鍾 光明 外丘
第三十五 申脈 崑崙 附陽 

 

山本 朝子 03/10 21:07

589:[ 六経本か医統本か ]

六経本が善いと主張する中心人物と思われているとしたら困惑します。そんなつもりは毛頭ありません。違う箇所が有るのを確認しただけです。(オリエント出版社『鍼灸医学典籍集成』本の「編集部の責任において、匡郭外に補筆」があてにならないとは書きました。その際、口調が過ぎたかも知れません。)そして両方の現物を見ているはずの黄龍祥氏の意見を尊重しています。
六経本が摩滅したのが医統本なのか、医統本に埋木したのが六経本なのか、これは私の持っているのがあまり状態のよくないコピーなので、なんとも言えません。
ただ、電子化作業中の印象からすると医統本では見えない(あるいは見えにくい)文字が六経本では明確という箇所は随分と有りました。それが全部埋木(あるいは修正)だとしたら、かなり物好きな作業ですよ。なんでそんなことをわざわざという疑問と、どうして刊本なのに孤本なのかという疑問は、釣り合うように思います。
実は六経本と医統本(歩月楼梓行のものです)の文字が確実に違う箇所を一つだけはつかんでいます。そして、その文字は医統本のほうが間違っているようです。(異体字である可能性は探索中です。)だから、常識的には六経本のほうが埋木です。このほうが孤本云々を証拠にするよりはうんとマシだと思います。ただ、印刷とコピーという条件の下では、どちらが埋木と確実には言えません。医統本のほうもかなり怪しいように見えます。現物を確認できればもう少しはっきりすると思いますが……。
せめて、六経本の佳い影印が入手できるまで、最終的な判定は控えたいと思います。

神麹斎 03/10 00:19

588:[ 出所 ]

私自身が文献学に詳しいわけでなく、
六経本を実際見たわけでないので、
こういう発言をすべきでなかったのかもしれませんが、
臨文献のサイトでは、この議論がされていますので、
一応事実をたしかめてみたかったのです。
疑わしい理由は、次のとおりです。
同じ版木を使用して、医統本より
早く刷られたことも否定できないのですが、
六経本というシリーズ物が存在したなら、
ただ一本が残っていることが不自然である。
むしろ、医統本のコピーであると考えるの方が
普通ではないか?
医統本は、いろいろな版本が存在し、その存在は
否定できない。埋め木の異なる版の存在も
明らかになっている。
というものです。
では

ふの字 03/10 00:15

587:[ 同版の初刷り? ]

医学六経本『甲乙』が偽書だという話の出所はどこなんでしょう。

「六経本のコピーを見たところ医統本とほぼ版木が同じであった」というのは、そうかも知れません。黄龍祥さんの主張しているのも、医学六経本としてより早く印刷されたものが有って、その版木を使い回ししたものとして医統本が有る、ということだったような気がします。(もう一度確かめる必要が有りますが。)
私が見ている医学六経本もコピーのコピーという程度のものに過ぎませんが、確かに医統本で消えている文字がまだ明確に見えます。それを埋木した偽物という主張はどうも……。

神麹斎 03/09 20:38

586:[ 六経本 ]

久しぶりです。
ずいぶん前のレスです。
伝え聞いたところ、六経本は偽書だそうですが、
本当でしょうか?
小曽戸先生、真柳先生、篠原先生が、六経本のコピーを見たところ、医統本とほぼ版木が同じであったと
聞きました。
どなたか、六経本を見たことのあるかた、
いらっしゃいませんか?
では

ふの字 03/09 12:58

585:[ ユニコードCJK統合漢字拡張A ]

この掲示板に、ユニコードCJK統合漢字拡張Aを表示することが可能であると判明しました。
ただし、ブラウザにOpera7.02(無料)を使用した場合のことです。http://jp.opera.com/
インターネット・エクスプローラーとかネットスケープの場合は分かりません。
「ファイル」「設定」から、「フォントと配色」を開き、整形済テキスト用にユニコードCJK統合漢字拡張Aを含むフォントを選択すればOKです。

例えば 辮€辮√垂辮・推辮・炊辮・粋辮峨衰辮九酔辮阪錘辮霈€
だから 解繿鰍澎Kのはずです。

神麹斎 03/06 16:16

584:[ 『甲乙』に引用されなかった篇 ]

 「霊枢』を読んでてふと、
 『甲乙』には『素問』で見慣れた文が見当たらなかったなあ
と、思って『黄帝内経概論』の対経表で調べてみると、
 『素問』で使われない篇は23篇もあるのに『霊枢』は「小針解」の1篇だけ。
 全元起本では巻七が全く使われていません。序文の忘失する所とは巻七だったのですね。
 
 『甲乙』の特徴を一言で言うと
「巻七以降の篇名となる病名に病証が冠されていること」
『明堂』には病証がなかった。『明堂』に病証をつけたくて『甲乙』を編纂した。それには『霊枢』が中心となった。
と、いうことでしょうか。


 原塾時代、井上先生が東海林さんに『霊枢』の講師を勧めたところ東海林さんはなかなか引き受けなかったことがあります。その時の井上先生の言葉が、
「『素問』がやりたいのなら『霊枢』から入った方が早いですよ」
 この言葉の意味を知りたくて最近『霊枢』を読み始めたのですがなんとなくわかるような気がします。
 語法的には宋改等の改編がないので篇ごとに特徴があって面白いし、
 内容的にも基礎なことが書かれていて面白いです。
 
 

山本 朝子 03/06 00:15

583:[ 経穴 ]

 かつて臨床書を読む時、各書にその書で使う穴の取穴部位が書かれているのが、紙幅の無駄ではないかと思ったものです。
 原塾に入って学校教育で習う経穴と、古典の書々に記された部位が異なるものがあることを知り、臨床書はその本を書いた人が使った穴位が必要なんだと気づきました。
 西洋医学的研究者が穴位の異同を知らないのなら、それが分かる様にするのがこちらの務めかなと思っています。
 先ず今の穴位と『甲乙』巻三の異なる穴だけを挙げる。
 肺経から順にいって、全穴挙げるか。
 それより、要穴だけにしぼるか。

 今、『霊枢』を一篇から順に読んでいます。経脉第十を終えて「内關」「外関」が絡穴であることをすっかり忘れていることに気づきました。

 経穴の研究は、学校出たてで、教科書の経穴をまだ暗記している人にゆだねます。


 冬期休止していた観光パートナーの活動がこの土日から再開します。気持ちがちょっとそちらに傾きつつあります。

 松田さんにお聞きしたいのですが、針の作用を脈診のような全身的なものと、特効穴のような特異的なものを二つに分けて何て言われていましたか。
 とてもいい表現だなあと思った記憶はあるのですが、肝腎の言葉を思い出せません。よかったら教えて下さい。

 井・栄・兪・原・経・合の「内経」での考察をした論文を知りませんか。

山本 朝子 03/04 23:14

582:[ 『甲乙』について ]

 主治条文の無い穴については私には手に負えないので『甲乙』の研究者にゆだねます。
 それにしても「青靈」の主治条文が出るというのは解せないですね。

山本 朝子 03/02 01:06

581:[ 『甲乙』の主治症の蛇足 ]

面白いですね。
心経の少衝、少府、通里、靈道、極泉が無いとしたら、心経がまだ無かったからでしょう。
小海と少海も、もと一つだったと言うことでしょう。
その他では、本神、巨{穴の下に卯}、神庭、曲差、鬲關(膈兪に誤る、黄さんの説です)、髀關、青靈(山本さんが黄さんの説を引いて言うとおり)は、巻七以降に出ています。



神麹斎 02/25 13:24

580:[ 『甲乙』の主治症 ]

 林さんありがとうございました。
 
 古典研の片川さんが作られた『鍼灸甲乙経主治症索引』で主治症のない穴を調べてみました。

一、巻三に無い穴
 督脉ー靈台、腰關、
 胃経ー髀關
 心経ー青靈
 膀胱経ー厥陰兪、膏肓
二、巻三には出るが巻七以降に主治条文のないもの
 督脉ー神庭
 脾経ー腹結、食竇、天谿、周榮、
 心経ー少衝、少府、通里、靈道、極泉、
 小腸経ー小海
 膀胱経ー曲差、大腸兪、附分、膈關、
 胆経ー瞳子リョウ、本神、巨リョウ、

『鍼灸名著集成』翻字本によればp32
「『医学項目』が引用している『甲乙経』の九個の輸穴の主治の文は六経本にないが、『外台秘要方』『聖済総録』の引く『甲乙経』文にみえる。また明抄本にも六経本にもない四輸穴の主治の文がある。」
とあります。
 穴については、九針十二原は心経の原穴で大陵を挙げ、神門は出ないので十一脈の時代の文かと思うのに
「経脉十二、絡脉十五」とあり更に「三百六十五節気味」として、三百六十五穴があった訳で、『甲乙』が欠けているということでしょうか。
 
 「青靈」のように「清冷淵」が諱を避けて「青靈淵」となり「青靈」となった穴もあります。『鍼灸名著集成』翻字本p17

 主治症のない穴を出しているひとがいたら、私の資料を訂正いただけませんか。


 伝統鍼灸のことをあと二題書きたいのですが、「内経」の見直しに時間がかかっています。「誠信堂が行く」ではここに挙げた様な資料はほとんど細かく載せないでしょう。書くことより回りの調べることの方が遥かに多いものですね。

山本 朝子 02/25 00:44

579:[ 季刊内経の締切日 ]

山本朝子さんより、季刊内経の締切日を談話室に回答してください、と編集部に問合せがありましたので、ここに明記しておきます。

発行日は3月20日・6月20日・9月20日・12月20日ですので、原稿の締め切りは20日前の2月末・5月末・8月末・11月末まででお願いしています。多少の遅れは対応できることもありますが、できるだけ早めにもらえればありがたいです。
1行の文字数の指定はありませんが、必要なところでの改行はしてください。また縦書きで印刷しますので、年号などの数字はできるだけ漢数字を使うこと。ファイル形式は、.TXT .DOC .JTD .PM6 .P65 .PDFなどが対応できます。以前は小林氏作成の外字をつかっていましたが、現在はユニコードに切替えました。拡張領域Bのシステムは組み込んでいません。

皆さんからの投稿をお待ちしています。

Mail はやし 02/24 01:45

578:[ ユニコードを使用する為の環境 ]

ユニコードを使用する為の環境の問い合わせが時々有りますので、(繰り返しになりますが)お勧めの環境を紹介しておきます。

OSは、WindowsXP(ホームエディションで充分)。
エディターは、akira21または22(21は、Windows98でも多分大丈夫)もしくは秀丸(Version3.19なら大丈夫みたい)。どちらもシェアウエアで4000円だったと思います。
フォントは、DynaFont Type Studio に含まれるUnicode Font 3書体。実売価格5000円くらい。
上記の環境でエンコードをUTF-8にすれば、古典の入力にも、支障をきたすことはほとんど有りません。例えば、仁和寺本に使用されている異体字の再現も、かなりなレベルで可能です。
ここまでで、使える漢字は約2万7000字。

今は使ってないので、別の人からの情報として、OSはWindows98以降、Wordは98以降ならOKだそうです。一太郎は……、どうも変です。

もし、CJK統合漢字拡張Bを使えば、さらに約4万字使えます。
ただし、WindowsXPとWord2002(OfficeXPに入っているやつ)とProofingToolsの組み合わせが必要です。
これだけ揃えても、一覧表から探すしか無いですから、実用的ではありません。

それよりも「今昔文字鏡」、
これ(Version3.00A)の漢字検索ソフトは、本来はMojikyoフォントを使うためのものですが、ユニコードの漢字を使うためにも最適のソフトだと思います。特に拡張領域Aまで使おうとしたら、これ以外に実用レベルのものは無いのかもしれない。それに「文字の情報を見る」欄を開けば、その字形が関連字の中でどんな位置を占めるのかもわかる。全部の情報を信用する気にはなりませんが。

神麹斎 02/19 13:43

577:[ テキストの準備 ]

私たちが求めているものは、そもそもこの世に存在しないものです。

『鍼灸名著集成』の六経本『甲乙』は、底本も校注者も素晴らしいのだけれど、残念ながら出版社がというか、印刷段階での校正がどうにもならない。『鍼灸古典聚珍』の発行が去年だったはずなのに、未だに入荷のニュースを耳にしないのも、それと関係しているのではと思います。

『鍼灸名著集成』のコピーだって相当な分量なんじゃないですか。霊蘭之室に置いてある校正版の方は、実は黄龍祥氏の校正意見と原本コピーをつき合わせて印刷ミスはかなり取り除いたつもりです。これをプリントアウトしたものは、本来は『鍼灸名著集成』のコピーよりコンパクトになるはずです。ただ、校注は印刷されません。そもそもパソコン画面でも、表面上は見えません。

現在のところ、一番コンパクトで便利なものを作成するとしたら、オリエント出版社の医統正脈本を縮小両面コピーして(この部分は厳密には違法でしょうが、個人的にやるぶんにはまあ……)、私の提供している電子版六経本で穴埋めすることでしょう。手軽には中国医薬科技出版社の黄氏「新校本」に書き込みかも知れない。でもこれも1990年だから今入手できるかどうか。
もう少し待てば『鍼灸古典聚珍』の一冊として、影印と黄氏による排印・校注付きが入手できるはずです。これが一番いい。ただし、当然ながら百科事典なみの大きさですよ。
結局、その人にとって本当に便利なものが欲しければ、個人的に努力するよりしょうが無い。
私は、『太素』のテキストと仁和寺本画像をリンクさせたデータを使用しています。極めて便利です。しかし、これは一般に提供するわけにはいきません。仁和寺とオリエント出版社の権利に配慮する必要が有るからです。自分でスキャナで読みとって画像を準備する気の有る人に、それ用のテキストだけなら、あげないでもないけれど。

それから、もう一件
「霊枢・本輸第二ではまだ今の心経は無く」ではなくて、「今の心包経がもともとの心経だった」だと思います。

神麹斎 02/14 08:29

576:[ 原典 ]

 六経本は『鍼灸名著集成』の甲乙をコピーして使っています。色付けしたり、線を引いたり、書き込みしたり、注記もあって便利ですよ。電子文献だとコピーするとかさばります。私が欲しいのはコンパクトで持ち運びに便利なもの。
 『現代語訳』が出た。『医古文の基礎』が出た。次は「原典」でしょう。『素問』『霊枢』『難經』は当会で手に入る。『脈經』は台湾の人人文庫本でいいでしょう。無いのが『甲乙』なんですね。本当に六経本が善本なのですか。だったら何とか出版出来ませんかね。どうしても無理な場合は医統本でよいとしても、人民衛生の医統正脈本は手に入りますか。日曜講座の受講生が多い様ですが、せめてこれらだけでも揃えておいて欲しいのですが、手に入るかどうか。勉強会にパソコンを持ち運ぶってのもどうかと思います。
 それと、地方では他会の人は『素問』『霊枢』ですら手に入れる方法を知らないものです。内経医学会のものが亜東書店で扱っていることが知られていません。と言うより亜東書店が知られていません。伝統鍼灸学会では亜東書店で売っていたと思いますが。

 
 霊枢・本輸第二ではまだ今の心経は無く、心の手少陰に心包経の穴が列記されています。この本輸篇では陰経では井木、陽経では井金とだけ記されています。いつの時代か
 陰経は井木、栄火、兪土、経金、合水、になり、
 陽経は井金、栄水、兪木、原、経火、合土、
になりました。
 一方井上式取穴は
 井木ー風
 栄火ー熱
 兪土ー濕
 経金ー冷
 合水ー寒
というふうに、五輸穴と邪を対応させて用いるのですが、陽経も井ー風、栄ー熱・・・と、陰経と同じく用います。これは井上先生の臨床からそうなっているので、古典に記された五輸穴と五行の関係は見直してみる必要があると思います。 
 なぜ陽経は兪を原にしなかったか。というより原を別にして六輸にしたか。神きく斎さんのおっしゃる通りでしょうね。経脉はもと十一脈だった。漢代に多分道家の手で三陰三陽の整合性を持たすために今の心経が作られた。経験から出来たものではない経脉が存在する。その辺のことは松木先生が何年か前出土文献の学会で発表されています。経脉、経穴ですらそうなのですから。ちなみに『甲乙』の主治症部分に今の心経の穴はあまり出てきません。
 話は変りますが、『甲乙』の「右取左、左取右」は謬刺、又は巨刺の古態が残っているのではないかと思うのですが、誰か病症から分析出来る人はいませんか。

山本 朝子 02/13 23:35

575:[ ]

そう決めた人が本当はどういうつもりであったかなんて、結局は分かりようが無いことですが、つまりは陰経には5つ、陽経には6つの要穴が欲しかったというだけのことだと思います。あんまり考え込んでもしょうがない。蔵は5つで府は6つ、(馬王堆の乃ちより古いタイプの)陰経は5条で陽経は6条、という類でしょう。

神麹斎 02/13 21:14

574:[ 陰経と陽経のちがい ]

陰経は原穴と土穴が同じなのに対して
陽経は原穴と土穴が分けられているのは
なにか意味があるのだろうかと、学生ながら
先生に尋ねても答えてくれません...

Mail 棚橋和夫 02/13 18:08

573:[ 原穴 ]

「原穴を使っている流派がない(少ない?)」のは、経絡治療のマニュアルに大書しなかったから、に過ぎないんじゃなかろうか。現代中国では原絡の配穴はごくポピュラーだと思う。
それと、島田先生は、原穴は大事なツボだから大事にする、というようなことで、多用は謹んでいたような記憶が有ります。(ような…ような…で、極めて曖昧。)

神麹斎 02/13 07:19

572:[ 医学六経本『甲乙』 ]

復旧おめでとう そして お疲れさま

医学六経本『甲乙』のコピーは、黄龍祥氏から拝領していますが、再コピーしてばらまくのは、そこまで許可してもらっているわけでないので出来ません。第一、コピーのコピーのコピーくらいの劣化は覚悟しないとなりません。
かわりに電子化したものが霊蘭之室(http://plaza.umin.ac.jp/~linglan/LLZS.htm)に置いてあります。勿論、入力ミスの可能性が有るので、信頼性は劣りますが。
結論的に言えば、医統正脈本と殆ど同じです。ただ、医統正脈本で欠けている文字が、医学六経本では大丈夫です。その程度の確認のためなら私の電子文献で充分お役に立てると思います。
そろそろ鍼灸古典聚珍も出るはずです。分量が分量だから、結構な値段になると思いますが、少なくとも会では買うことになるんじゃないかと思っています。それを借りて個人的にコピーしてしまうのは、本当は違法かも知れないけれど、まあ止めようが無いわねえ。

「巻七以降の主治症部分の「明堂逸文」だけが『明堂』か」ですが、分かりません。『明堂』逸文の一部の書式と全く同じものが『素問』『霊枢』にも有るようには思います。重複を避ける為に『明堂』からの収録を省いた可能性は有る。ただし、たいした量では有りません。それに、『明堂』であろうが『素問』『霊枢』であろうが、古い針方としての価値は同じことだと思います。

神麹斎 02/13 07:06

571:[ 疲れました ]

 先程オフラインにして長い文章を書いたのに送ろうとしたらダイヤルアップの接続が出来ず他のページを出したら打ち込んだものが消えてしまいました。そこで短い文章で試してみたらつながりました。なんだか疲れちゃった。

 「兪」「合」については「九針十二原」が原穴にこだわっているのに、今「原穴「を使っている流派がないのは効かないからか、「合」との組み合わせで効果をだせるかもしれません。
 「痺論」の互文見義でリュウマチに「兪」「合」を使う。八木下翁の臨床で「兪」「合」は臓の病全般へと広がりをみせている。
 よい本を使ったからといってよい臨床が出来るものではありません。


 六経本の『甲乙』を影印本で出して欲しい。
 巻七以降の主治穴索引も影印本とは別に出して欲しい。
 

 巻七以降の主治症部分の「明堂逸文」だけが『明堂』か。『素問』『霊枢』の主治症部分も『明堂』に入っていたのか。その辺のことは分かっているのでしょうか。


 日曜講座の昼食時間を少し延ばしては。荒川さんが一時十五分から三時まで。岩井さんが三時十五分から五時まで。
 昔經絡治療学会で昼食が間に合わず、午後から発表される井上先生に早く来た私の料理を食べて頂いて先に出て頂いたことがあります。クリスマスレクチャーが一時間半昼食時間をとっていてとてもゆっくりいただけました。十五分ふえるだけでも大分ちがいますよ。

山本 朝子 02/12 23:22

570:[ 復旧しました。 ]

復旧しました。
送れるか実験させて下さい。

山本 朝子 02/12 22:55

569:[ 内経春号 ]

早速、内経春号に、浦山さんの「虚実について」が載ります。順天堂大学の吉田くんが、新会員向けに何かを書いてくれるそうです。これから、編集部から、どんどん依頼していくそうですから、皆さんもどんどん書いてください。

かいちょう 02/11 22:37

568:[ 臨文研の論文について ]

山本さんのいうとおり、論文集未発行が臨文研の障害になっていると思います。篠原さんに頼むというのは置いておき、知っている発表者には個別にアタックしてみます。ただ、内容がわからないので、誰でもというわけにはいきませんが。ちょっとやってみます。

かいちょう 01/25 20:26

567:[ 鍼灸重宝記なんて ]

舌足らずでどうも、
つまり『鍼灸重宝記』は、八木下翁のバイブルだったということで評価を得ているけれど、本当はそんなに大した本ではないんじゃないか、ということです。
少なくとも臨床能力は、八木下翁のほうが本郷某より格段上なんじゃないか、ということです。
それから、我々(私と限定すべきか?)凡人が難癖つけられるのは、解釈の誤り、伝承の不正確さ、の指摘くらいのもので、臨床書にこうやったら治った、と書かれている内容は、「へ~」と感心するしかない。まあ、それではあまりに芸が無さ過ぎるから、山本さんが今やろうとしているように、何でそんなことを思いついたのか、タネを古典の中に捜そうとはする。で、名人がやったことのうち、不可欠の部分と実はどうでもいい部分を峻別することも、稀には出来るかもしれない。
名人がやることをそのまま真似しようとするのと、どうしてそうするのかを穿鑿するのと、どちらが効率的かは、これは永遠のテーマだろうけど、残念ながら真似しようにも、黄帝・岐伯は勿論、八木下翁も去って久しい。残された文書も極めて不足だけど、取りあえずそれを穿鑿するより他に無いだろう……、とね。穿鑿の基礎を自分の臨床に置く自信なんて無いから(とんでもない、おそれおおい)、古典の側からやるんです。

(結局、舌足らず……)

神麹斎 01/21 09:24

566:[ 八木下翁も下合穴を ]

>腑の病には各経に依て其経の兪を刺す、臓の病には各経によって其経の合を刺す。
何だか最近、注意力散漫ですみません。これも読み間違ってました。上の記述が有るのなら、これは確かに変です。少なくとも腑と臓は入れ違っているはずだと思います。
>古典理論的には、臓には兪、腑には合(邪氣藏府病形の)、臓の原は兪、腑の原は原であり、『鍼灸重宝記』的には、臓は兪、腑は原・合を取る……
という山本さんの総括は正しいと思います。でも、『鍼灸重宝記』の記述は明らかに古典の誤読に基づくもので、古典理論的には評価できません。臨床的に効果が有っても、それは名人は何をしてもそれなりに効果をあげる、というに近いものだろうと思います。そして、八木下翁の選穴が、岡部さんの記録したとおりだったとしたら、『鍼灸重宝記』の記述を誤解もしくは修正していると思います。本当に、八木下翁は『鍼灸重宝記』一冊しか読んでいなかったんですか。『鍼灸重宝記』だけでは、例として示された選穴は、山本さんも言われるように、出てこないと思います。
>「右の湿性肋膜炎で・・・・胆経の実証・・・環跳、陽陵泉、陽輔、委陽」
どうやって胆と判断したかはともかくとして、下の合穴は使いたかったんじゃないでしょうか。結局、古典の読解を誤っても実際にやることは古典の記述に近づいてしまう。これもまた、古典の威力であり、名人の名人たる所以じゃないでしょうか。

この書き込みにも何か見落としが有るかも……、有ったらまた注意してください。
(文字色が緑なのは、「蒼ざめて」という表現です。)

神麹斎 01/21 08:52

565:[ 臨床書の校正について ]

 臨床書の校正は難しいものです。
 私はあくまでも『鍼灸重宝記』の原書と小野文恵解説書に間違いがないかお聞きしています。
 どう説明してよいか。
 前に挙げた文から推察される八木下翁の取穴は
臓の病は原穴としての兪、臓の病に効く合、
腑の病は原穴として(腑には原があるとは書かれていないので兪を使っただろう)、又腑の病に効く兪、
 つまり 臓には兪・合
     腑には兪
が使われたと考えられます。
 実際、翁の臨床が書かれている岡部素道著『鍼灸經絡治療』p、286では、
「神経衰弱のときは、肺経と心経の虚している場合が多いから、肺経の太淵、尺沢、心経の神門を補う」
「私は肺結核をやって喀血づいたので、・・・肺経の尺沢と太淵、曲池と後頸部の天柱、風池、それに肺兪をとられ、食欲がないといったら、その場合はいつも三陰交と足の三里を補えばよいといって、その治療をされた。」
 臓の經絡的な理論から導かれる穴は兪、合が主なんですね。
 腑の方は
「右の湿性肋膜炎で・・・・胆経の実証・・・環跳、陽陵泉、陽輔、委陽」
 これはちょっと分析できません。
 
 古典理論的には、臓には兪、腑には合(邪氣藏府病形の)、臓の原は兪、腑の原は原であり、『鍼灸重宝記』的には、
 臓は兪
 腑は原・合を取る、となるのですが、
八木下翁は『鍼灸重宝記』一冊しか読んでいなかったわけだから、小野先生の解説本に間違いがなければ、古典理論的には間違っていてもそれで臨床をされて多大な効果を出されていた訳です。だから臨床書はそのまま読まないとそれを使った人の臨床は見えて来ないのではないでしょうか。


 話はかわりますが、
臨文会は論文集が出ないことがネックになっているようですね。人材が現れるまで何年かかることやら。それで考えたのですが、内経医学会から発表したものは論文集はその時がきたらにして、とりあおず『季刊内経』に先行発表させてもらう様、宮川さんが篠原さんに交渉してはどうでしょう。 先ず手始めに数年前宮川さんが発表した原稿を出させてもらってはどうでしょうか。今回の『季刊内経』で他会で発表したものを載せた様に。このままお蔵入りではもったいないです。

山本 朝子 01/21 00:18

564:[ 明けましておめでとうございます ]

 新年もだいぶたってのごあいさつです。
 小生「漢方ワールド」

http://members.jcom.home.ne.jp/1639705511/index/index.html

 で細々と古典資料を公開しておりますが、何分手作業のため誤字誤植、あるいは規格外文字の間違い(原稿段階で半角文字で入力していたものを気がつかずにそのままうえっぶに載せている、個人外字で入力したものを今昔文字鏡フォントに変換し忘れている、など)が散見されるようです。

http://members.jcom.home.ne.jp/1639705511/text/index.htm

 自分で入力したものはどうしても思い込みで読んでしまいますから、校正が困難です。

 先生方に、お暇な折に覗いていただいて誤記を訂正いただければ幸いです。m(_"_)m

Home Mail 牧角(まきずみ)和宏 01/20 12:25

563:[ 訂正 ]

> 自分の勉強会を開く気になって良かったですね。
大げさです。実際は数人が私のところでワイワイやっているだけです。でも、勉強会とかせめて同好会と言ったほうが、新しい人が入りやすいかなとね。それに十人も集まれば、それなりに勉強会らしくなるしね。

> 陽経の原穴は「本輸」に出ています。
そうですね、うっかりしました。
これは陰経の原穴と陽経の原穴を、別の篇に書き分けたのではなくて、そもそも別の人が別の意味で書いたのだと思います。陽経の原穴を六府の原穴とはとても言えない。特別に重要な穴とも思えない。(相対的にですよ。五蔵の原穴ほどは、という意味です。)
陽経と六府の関連は極めて薄いのに、例えば「膀胱出于至陰」云々と書き出す謎はもう一度考えてみる必要が有りそうです。

>『鍼灸重宝記』を読んでみました。そこでちょっと疑問があるのですが……
疑問は何でしょう。『鍼灸重宝記』の文章の「臓の病には各経によって其経の合を刺す」は著者の誤解です。「其経の合穴」ではなくて、「下の合穴」と言うべきだと思います。

神麹斎 01/20 08:34

562:[ 『鍼灸重宝記』 ]

 左合さんが自分の勉強会を開く気になって良かったですね。でも「臆解」は『季刊内経』に出してください。

 陽経の原穴は「本輸」に出ています。

 八木下翁の臨床を再現してみたくなって、暮れに『鍼灸重宝記』を読んでみました。そこでちょっと疑問があるのですが、私は医道の日本社の小野文恵先生校訂本しか持っていません。誰か『鍼灸重宝記』の古いものを持っていませんか。もしお持ちであれば以下の文を校正していただけませんか。

「凡そ人の経十二、各経五穴あり井栄兪経合という是れなり、五にして十二なるときは六十穴なり、是針の要穴なり、針灸の穴一身に三百六十穴、その針するところ要穴六十、又その要なるもの二十四穴なり、腑の病には各経に依て其経の兪を刺す、臓の病には各経によって其経の合を刺す、これ十二兪十二合あわせて二十四穴これ也、兪はこれ各経の本原なり、故に又原穴とも名づくるぞ、其経に病あるときは其経の原穴を刺して治するぞ、其経実するときはこれを寫し虚するときはこれを補す。」

 よろしくお願いします。

山本 朝子 01/19 22:06

561:[ 原穴 ]

>九針十二原はどうして陰経の原穴しか挙げないのだろう。陽経の原穴の取り扱いはどうしたらいいのだろう。
の回答は霊蘭之室 http://plaza.umin.ac.jp/~linglan/ の掲示板に書き込みました。
>本輸ではなぜ頸の回りの穴を挙げるのだろう。頸の回りの穴を虚實の補寫に使っている臨床家がいるのだろうか。
の方は、自信があまり無いのでまだ書き込んでませんが、多分、初期の経脈の止点なんだろうと思っています。使っている人は知りません。

神麹斎 01/19 08:19

560:[ どうかお教え下さい ]

山本さん

山本さんの以下の疑問は、「他愛のない事」でもなければ「初歩的」でもなく、極めて高度な、含蓄ある疑問だと思えるのです。

>九針十二原はどうして陰経の原穴しか挙げないのだろう。陽経の原穴の取り扱いはどうしたらいいのだろう。
>本輸ではなぜ頸の回りの穴を挙げるのだろう。頸の回りの穴を虚實の補寫に使っている臨床家がいるのだろうか。
>肺經は中府、雲門、天府・・・・と並べた経穴書の初出は何なんだろう。
>等々
>他愛のない事かもしれませんが、こんな初歩的な疑問が今になってやっと分かるようになったのです。

それが、お分かりになったとあれば、ぜひとも、ご開陳願えないでしょうか。ちなみに「肺經は中府、雲門、天府・・・・と並べた経穴書の初出」は、『聖済総録』でしょうか? よろしくお願い致します。

Mail 松田博公 01/19 00:47

559:[ 『医古文の基礎』校正  ]

 昨日から『医古文の基礎』を読んでいます。
それで気づいたことを

 句読p44 上から5行目「古書には」からは内容が変るので1行空けて書き出す。そして
例6は例1
例7は例2
例8は例3
例9は例4に
 p46の上から2行目「古書を」も1行空けて書き出し
例10は例1
例11は例2
例12は例3にした方がよいのでしょうか。
 どちらも「4、虚詞に着目する」とは内容が異なるので、本来は別に番号をつけて項目を挙げるべきものだと思います。
 皆さんはいかが思いますか。


 『季刊内経』の春号は今回の研究発表論文が載るのでしょうが、できればその号に小林さんが談話室で発表したものをまとめて出して頂けませんか。小林さんのものが先にあった方が左合さんのものが分かり易くなります。小林さん、よろしくお願いします。

 
 左合さんは「憶解」の続きは出す予定はないのですか。
 昔、津曲さんや高橋さんが井上先生と議論していることに、私は全くついていけず、三人の会話が私の頭の上を飛び交っているようなものでした。そのうち少しはついていけるようにはなっていたのですが、まだまだよく分からない状態でした。それが昨年の暮れから急にいろいろ分かるようになったのです。なにが分かるかというと、何が問題かがわかるようになってきました。そういう問題が簡潔に解かれているのが「臆解」なのです。宮川さんの「霊枢講義」が出たからといって決して過去のものにはならず、左合さんらしくていいものですよ。十篇以降を『季刊内経』に連載して下さい。

 私が急に経文が理解出来るようになったのは、小林さんの『甲乙』の病症が一人の病症ととらえる、ということからです。今いろんなものを読みなおしてみると『甲乙』の病症はグループごとに書かれていたのですが、私の頭の仲でバラバラに捉えていてさっぱり分からなくしていました。それが「内経」でもされていたのです。いろいろな記述を一連に捉えることで急に見え方がかわりました。そして読んだ数だけ疑問も増えました。
 九針十二原はどうして陰経の原穴しか挙げないのだろう。陽経の原穴の取り扱いはどうしたらいいのだろう。
 本輸ではなぜ頸の回りの穴を挙げるのだろう。頸の回りの穴を虚實の補寫に使っている臨床家がいるのだろうか。
 肺經は中府、雲門、天府・・・・と並べた経穴書の初出は何なんだろう。
 等々

 他愛のない事かもしれませんが、こんな初歩的な疑問が今になってやっと分かるようになったのです。

山本 朝子 01/16 23:51

558:[ 甲乙経明堂部分の書式について(2003年研究発表の梗概) ]

『甲乙経』巻7以降の『明堂』部分とされている鍼灸方の書式には,少なくとも以下の数種の形式が有るように思う。
1.○○主之か,○○、○○主之の形式が大部分
2.少数の刺○○,灸○○
3.○○主之,并取○○もしくは先取○○,後取○○、○○もしくは○○主之,先取○○,後取○○
4.左取右,右取左
5.虚実あるいは補瀉を言うもの
6.経穴名でなく,経脈名で言うもの
我々が簡単に『甲乙経』の『明堂』部分と言うのは,『甲乙経』-『素問』-『霊枢』というだけのこと。しかし,これはそれほど確かであろうか?『明堂』由来でない針灸方が混入している可能性はないか?つまり上記の数種の記述書式のうち幾つかは『明堂』に由来しないのではないか?
そこで現存の楊上善撰注『明堂』(仁和寺蔵・前田育徳会蔵)の肺経部分と比較検討してみた。その結果は予想を裏切って,上記形式の全てが一応みな有った。
1と2は当然有る。また○○、○○主之は,単穴方をまとめて書いたのであり,一度にみな取れというのではない。
3は,例えば経渠の条の中に胸中彭彭甚則交兩手務暴逋遠煖t先取天府此胃之大輸。
4は,例えば尺沢の条に衄左窒刺右右窒刺左。
5は,例えば魚際の条に唾血時熱写魚際補尺沢。
6は,例えば尺沢の条に胸満短気不得汗補手太陰以出其汗。
ところで,黄龍祥の考証によれば,巻3の兪穴排列順序と巻7以降の鍼灸方中の経穴出現の順序は一致する。つまり,『明堂』巻3の順序に兪穴が排列され,そこに主治病症が記述された『明堂』が先に存在し,その鍼灸方を病症によって分類したものとして巻7以降は存在する。『素問』『霊枢』に類似の書式の記述が有る場合は,一応区別して編纂している。例えば巻12の寒氣客於厭發逖抹s能言第二に,「暴逖漫・J,刺扶突與舌本出血。逖抹s能言,刺腦戸。暴逖抹s能言,喉蝸健ノ,刺風府。舌緩,逖抹s能言,刺逖末蛛B」云々とある。「暴逖漫・J,刺扶突與舌本出血。」は『霊枢』の経脈別論に見える。そればかりでなく,もし『明堂』から採ったのであれば,刺扶突の条はもっとずっと後方に在るべきである。したがってその条は『明堂』由来ではない。
これによってみれば『甲乙経』編纂に利用した『明堂』に近いものは復原できるはずである。ただし,『素問』『霊枢』に同文もしくは類文が有った場合は,それを採用して『明堂』の記述を省略した可能性は残る。
鍼灸方記述の書式によって,『明堂』に由来しない鍼灸方を抽出するという当初の企ては失敗した。しかし逆に,『甲乙経』編纂以前に,すでに多用な出自を有する鍼灸方書を統合した『明堂』が存在し,その占める割合の不均衡さ(圧倒的多数が単穴方)から見て,既に主流と傍流が存在した可能性が有るのを見出したのは,それ自体がおもしろい。

左合昌美 01/15 14:15

557:[ ありがとうございます ]

かいちょう様

>>55 および >>56 の回答、まことにありがとう
ございます
たいへんお手数をおかけいたしました
取り急ぎ、御礼申し上げます

Home Mail 多田 乙山 01/09 07:34

556:[ 青木春岱その後 ]

青木春岱については「足立史談」(足立区教育委員会編03-3620-9393)に、青木昇という人が、詳しく調べています。これ以上の史料はないと思います。青木姓ですから、血筋にあたる方かもしれません。相当に詳しく調査していますので、参考になると思います。

かいちょう 01/08 17:21

555:[ 青木春岱その後 ]

青木春岱の件、調べてみたら、「足立史談」なるものが、足立区教育委員会から発行されていて、そのなかに「青木春岱」のことがかかれています。最後まで追っていませんが、その16まで連載されています。著者は青木昇という人で、相当くわしくかかれています。これ以上の史料はないでしょう。それを読むのが一番だと思います。詳しくは、教育委員会にお問い合わせください。03-3620-9393
それにしても、凄い人がいるものです。青木姓ですから、血筋にあたる人かもしれません。

かいちょう 01/08 17:18

554:[ 明けましておめでとうございます。 ]

 あけましておめでとうございます

 暮れも押し迫った十二月二十九日、尾道の携帯観光ナビシステムの体験ツアーに参加しました。
 市内の各所に石彫りのフクロウを置き、そこに書かれた番号を携帯に打ち込むと観光ガイドが出るというものです。このシステムを開発された先生の話では、各地で話をしてもただ「いいですね」というだけで取り上げてはくれなかったそうで、尾道が一番に取り入れてくれたとか。私にとっては初めての携帯。スイッチの入れ方もわからないのに何度も聞きながら何とかついて歩きました。そのうち鍼灸も患者を前にして携帯なり、パソコンなりを打ち込むと治穴が出てくる時代が来るのかなあと思いました。


 今年の伝統鍼灸学会は福山とか。尾道からわずかJRで20分です。参加される人は宿は尾道にして一緒に飲みましょう。

 では、本年もよろしくお願い申し上げます。

山本 朝子 01/05 18:33

553:[ よろしくお願いします ]

>かいちょう様

そういう意味でしたか。読み違いしておりました

まことに恐れ入りますが、いちど当たっていただけましたら
幸甚です。お手数をおかけしますが、何卒よろしく
お願い申し上げます

Home Mail 多田 乙山 12/18 21:12

552:[ 表の手 ]

奥の手というほどのことではないのですが、北里の医史学研究部の資料を探してくるだけのことです。木曜日にみてきます。何か、うまいのがあれば、拍手ごかっさい。乙山さんの記事からすれば、スカの可能性大。

かいちょう 12/17 19:11

551:[ 奥の手? ]

かいちょう様

『日本医譜』ですか?それは楽しみです
私も及ばずながら、寛政重修諸家譜以降の幕府医官の動静を
探るべく、続徳川実記や武鑑からデータベースを作りかけて
おります
http://immer.hp.infoseek.co.jp/members.htm
(しばらく改訂していないので間違いがあります)

もし、よろしければ「奥の手」を御教示いただければ
たいへん嬉しいのですが

Home Mail 多田 乙山 12/13 00:19

550:[ 無題 ]

青木さんについては、現在、江戸時代の医師人名録ともいえる『日本医譜』というのを、北里研究所と内経医学会の共同作業をすすめていますから、それにのっていれば、来年中に判明すると思います。もっとお急ぎであれば、奥の手がないことはないですが。いかがでしょうか。

かいちょう 12/12 20:59

549:[ 『甲乙経』と『明堂』の関係 ]

『甲乙経』と『明堂』の関係について、黄龍祥さんの説としては、
『甲乙経』に類集されたもとの『明堂』の体例は、
閻ァ穴排列次序は、『甲乙経』巻三におけるもの、
『甲乙経』巻七から巻十二の閻ァ穴主治条文は、そのそれぞれの閻ァ穴の所にまとめられていた、
ということでいいんですかね。
(多数の穴が羅列された条文はどう考えるんだっけ)
そして、楊上善注『明堂』は、そのもとの『明堂』を経脈毎の体例に編纂し直したもの……。

それにしても、巻七から巻十二の閻ァ穴主治条文の書式は、一つの書物からとられたとは思いがたいほど様々なんですが。

神麹斎 12/09 17:31

548:[ 「青木春岱」という医師について調べています ]

 はじめまして、多田乙山(ただの・おっさん)と申します。私は幕末の
漢方医「青木春岱」という人物について調べています

 じゅうらい青木春岱につき知られていることは「安政5年7月3日、今
治藩医・青木春岱なる者が幕府奥医師に取りたてられた」という1カ条の
みに過ぎませんでした。それ以外の事実はすべて新発見である、と言って
も過言ではありません
森鴎外の史伝「渋江抽斎」(その六十二)にも名前だけは登場します

上記以外の情報がありましたら、ぜひとも御教示のほど御願いいたします

Home Mail 多田 乙山 12/05 11:57

547:[ 中国の標点符号 ]

 中国政府は1919/1930/1951/1990/1996年に、標点符号を制定しています。符号そのものを変更したり、呼称を変更したり、その意味内容を変更したりしています。
 たとえば「!」は、1919年には「驚嘆号」、1930年には「祈使あるいは感嘆号」と呼ばれ、現在は「嘆号」といいます。
 せりふや引用文は、当初日本の符号が用いられました。つまり、「」と『』です。1919年には、どちらを使用してもかまいませんでした。1930年では、日本と同じで「」内での再引用は、『』を使いましたが、1990年には逆転して、まず『』を使い、『』内では「」を使うことになりました。これは、欧文のquotation marks“”と‘’に対応した者と思われます。1951年には、横書きの場合“”と‘’のどちらを使用してもかまいませんでしたが、‘’では、ピンインの四声記号と紛らわしかったり、インクのシミとも見分けが付きにくかったため、はっきりと引用符とわかるように、1990年からは、まず“”を用い、その内の再引用の場合には‘’を用いるように決められました。
 書名の場合、縦書きのときは左側に波線を引きます。横書きのときは《》と〈〉を用います。これは、フランス・ロシアの標記を参照したようです。
 ─(ます2字分)dashは、破折号といいます。dashは、デンマーク語のdaskeから英語に入ったようで、もともとはbreakといって、それが中国語に訳されて「破折号」となったのでしょう。この符号は、次のような場合用いられます。1.前に出された語句を解説・説明する。2.話題が突然転換するとき。3.擬音語の後に付けて、音がのびるを表す。4.事項を分けて、列挙するときに用いる。
 連接号というのもあります。─、つまりハイフンで、一字分のときも、2字分のときもあります(この場合、破折号と区別はつかない)。場所と場所をつないだり、組み合わせ・順序・段階などを表します。
 その他の符号については、講談社『中日辞典』第二版98pを参照してください。

あらかわ 11/26 06:47

546:[ 『医古文の基礎』句読 ]

『医古文の基礎』(東洋学術出版社)第二章 句読は、現代中国で使用されている標点符号をそのまま使用する予定でした。最終稿を渡した段階ではそうなっていたのですが、印刷屋さんが老婆心からか気を利かせて、「,」を「、」に一括変換してくれたようです。それで、読者の方々にご迷惑のかかる事態となりましたことを、お詫び申し上げます。
 実質的に、読者に理解不能となっている箇所は、以下の一カ所であろうかと思われます。

第二章 句読 32p下から3行目「〔誤〕仮令肝病虚、則補厥陰之合、曲泉、実則……」と「〔正〕仮令肝病、則補……」を、それぞれ「「〔誤〕仮令肝病,則補厥陰之合、曲泉,実則……」と「〔正〕仮令肝病,則補……」に改めてください。

現代中国の標点符号では、「,」は日本の「、」に、「、」は日本の「・」(なかぐろ/並列記号)にあたります。要するに、誤った句読の方は、経穴に関する知識が不足しているために、「厥陰の合」と「曲泉」、「厥陰のケイ(文字化けする可能性があるのでカタカナで表記しておきます)」と「行間」が、別物だと理解し、「厥陰の合と曲泉を補い」「厥陰のケイと行間を瀉せ」と読んでいるわけです。それで著者は、「厥陰の合である曲泉を補い」「厥陰のケイである行間を写(瀉)せ」と、その誤りを正すために、標点符号を改めたわけです。

編訳者 荒川緑 11/26 04:16

545:[ 標点符号について ]

標点については悩むことが多く、ぎりぎりのところ、第二章の句読だけは、中国の標点を残すようにしました。凡例かどこかに書いておいたと思うのですが。だから、本当は:や;や,や、を使い分け、最終校正までそうだったのですが、最後の最後で、東洋さんに一括変換されてしまって、おそらく指摘されるような(第二章は)にがにがしい状況になってしまったわけです。次には直ると思いますが、そういう事情もありますので、ご寛恕ねがいたく存じます。

かいちょう 11/25 23:12

544:[ ]

『太素』陰陽大論の以下の文章の、特に楊上善注の句読・和訓がよく分かりません。
陽之汗以天地雨名之【陽發閻黴€理出汗同天地間雨故汗名雨之】氣以天地之風【前明人汗以天地之雨為名則人之氣以天地之風名也】
「汗は雨と名づけるなり」ですかね、之は也の草体の偽として。袁昶本は也に作る。
「人の気は天地の風を以て名づけるなり」ですかね。「名之也」でなくていいんですかね。袁昶本にも蕭延平本にも之は補ってないようだけど。こっちの也は本当は之、という可能性も無くは無いけど、仁和寺本でははっきりとした也。最新の中国の排印本では勝手に「為名也」にして、何も注記しない。

神麹斎 11/20 18:35

543:[ 無題 ]

いま例えば、googleで『素問』とか『霊枢』とかを検索すると、結構出てくるんですよ。
でもねえ、これが玉石混淆で……。『素問』とか『霊枢』の話はいいんですよ。我々には選択の能力が有ると思うから。
でもねえ、他の世界のことだと、滓をつかむ可能性大ということですよね。
インターネットで情報化時代の到来と言うけれど、発信者のレベルの保証なんてどこにもないからねえ。

これは自戒の弁です。

神麹斎 11/20 09:38

542:[ 古医籍詞義弁別法 ]

例えばここに、段逸山編著『古医籍詞義弁別法』という中級向きの小冊子が有る。
日本人について言えば、漢字には馴染んでいるのだし、まがりなりに辞書も引けるのだから、そもそも中級と言って良いのかも知れない、という程度の意味での中級向きです。

いっそのこと辞書を片手に、果断に原典に挑んだ方がいい、という可能性も無くは無い。
(実際にはそれは無謀な試みだということは再三言っているつもりです。だから傍らに『医古文の基礎』は置かなければいけません。)

その時にもう一冊、『古医籍詞義弁別法』も、強力な武器になるんじゃないか……と。
実はこの本の試訳はもう十年近くも前に作って、仲間内には紹介しています。で、今改めて引っ張り出してみるとやっぱりムズカシイんですね、と言うか読みにくいんですね。ただし、それは「一般的な読者からの視点をご教示頂いた」とか「朗読ボランティアの立場から細やかなご指導を賜った」とかいうことが無いからであって、中国で使われている語法用語を日本人向きに改めなかったからではないと思うんです。まあ、最初は若干とっつきにくいかも知れないけれど。賓語と言わずに目的語と言ったらわかりやすい、というのもやっぱり錯覚でしょう。

神麹斎 11/13 18:21

541:[ やがては中国での用語も ]

「語法用語の事は、いつかは日本語にしなければいけない時が来る」とは思いません。むしろ読者個人は、「いつかは中国での用語を知らなければいけない時が来る」と思っています。そうしなければ、中国の参考書を読むことはできません。最初に楽をするか、二度手間にするかの選択です。
結局は好みの問題ですが、翻訳に手を貸した人は全員が「最初から中国語」だったはずです。
編訳者自身も「この日本語版は、その現代中国語を学ぶ格好の機会を奪ってしまった。これは大きな過ちだったのではないかと思っている」と言っています。つまり、無自覚に標点や用語の問題を処理したわけではないのです。迷った挙げ句そうしたのだと思っています。だから、こういう選択も有り得た、ということは一寸しつこく言っておきたいのです。
『医古文の基礎』を読んだからと言って、それで古典が読めるようになるわけではありません。そんなことは当たり前です。『医古文基礎』を読む方がいくらかマシです。で、『医古文基礎』を読むときに、隣に『医古文の基礎』が有るのは、隣に割合まともな指導教員がいるようなものです。我々が五里霧中で手探りしたときよりも、はるかに恵まれていると思います。

神麹斎 11/13 08:02

540:[ 学而時習之、不亦説■、有朋自遠方来、不亦楽■、 ]

 『医古文の基礎』の出版、おめでとうございます。

 私はいまだに現代語訳は完全ではなく、さらに引用文の和訓はほとんど出来ていない状態で送ったので、見直しをしてくださったのは荒川さんか宮川さんかは存じませんが、大変だったことでしょう。ちゃんと意味の通じるものに仕上げて下さいましてありがとうございました。
 私達が『医古文基礎』を学んでから早二十年近くになります。「俺たちは学者じゃあない」という言葉を多くの鍼灸師さんから耳にしたものです。しかし宮川さんを中心に内経医学会を維持してきて、やっと日本の鍼灸界に受け入れられる時が来たのかなあと思うと楽しかったことや苦しかった事が走馬灯のように流れてきます。
 銭先生の「日本語版への序」は島田先生の人間関係を宮川さんが引き継いで下さればこそ頂けたようなものですね。感慨深く読ませて頂きました。私のようにすぐ喧嘩別れする人には出来ないことです。『医古文基礎』を編集された先生方は当時四十五歳前後だったのですね。私も今その年になりました。白髪もちらほらするようになりました。しかし、毎日遊び呆けて何もしていないのですが、翻訳に参加した皆さんのおかげで『医古文の基礎』に名前を連ねて頂いたことを感謝しています。
 語法用語の事は私もいつかは日本語にしなければいけない時が来るだろうとは思っていました。左合さんの気持ちもわからない訳ではありませんが、今は宮川さんと荒川さんにご苦労さまといってあげようではありませんか。


 先月末、松田さんが仕事の関係で尾道に来ました。久しぶりの友との語らいは楽しいものでした。松田さんはジャーナリストだけあって私の知りたいことを何でもご存じでした。松田博公改め松田博識にしたらいいのにと思いました。
 人迎寸口の件で医経とは関係ないのですが、高島易断所かそんな類の暦の本の後ろの方の付録に、
「片手で頸動脈を診てもう片方で頸動脈をみている手のトウ骨動脉を診る。で、頸と手の脈がバラバラだったら身に危険が迫っているのでその場から離れるように。」
というのを読んだことがあります。かれこれ三十年ぐらい前の事で当時は毎年暦の本に出ていました。今はどうか知りませんけど。人迎と寸口の脈占いがあるんですよ。
 数カ月前香港に行った姪が気功治療を受けた所、片手だけ脈を診られたそうです。右手か左手かは忘れたそうです。中国には実際に片手だけの脉診もあるのですよ。


山本朝子 11/12 22:23

539:[ よい示唆を ]

>松田さんの集めた人迎気口診賛成派の文献の中に、『霊枢』経脈篇を解釈する部分を除いて、本当に左右を比較しているものは有るのか?人迎の脈がこうならこういう外傷、気口の脈がこうならこういう内傷、というのとは違うのか?ということです。

印象としては、経脈篇を単純に手首に当てはめた記述が多い感じです。果たして実際の臨床でどうだったか、それを知りたいところです。左合さんの視点で、文献を見てみたいです。ありがとうございました。凌耀星さんのエピソードも、面白いですね。中国人の発想には、「比較」はなじまないという神麹斎さんの直感も、何事かを語ってるのかな、と思います。

松田博公 11/11 10:44

538:[ 何に比べて?え!? ]

これは本来(古典研での発表を踏まえてみると)、私が松田さんに聞かなきゃいけないことで、松田さんが私に聞くことじゃなかったんだよね。
つまり、松田さんの集めた人迎気口診賛成派の文献の中に、『霊枢』経脈篇を解釈する部分を除いて、本当に左右を比較しているものは有るのか?人迎の脈がこうならこういう外傷、気口の脈がこうならこういう内傷、というのとは違うのか?ということです。
やっぱり比較をしようと言っているんだとしたら、ひょっとして、それが中国人の嗜好に合わなかったから、人迎気口診は廃れたんじゃないか?これも突飛な感想なんですが。
むかし、上海の凌耀星さんが来日した際に脈を診てもらったら、「大丈夫!」というだけで何も説明は無かった。つまり、脈に異常を感じなかったら何も診断は無いんじゃないか、という思いがそれからず~と抜けないわけです。逆に「強い!」と診たときに「何に比べて」なんて問うたら、中国人は虚をつかれたような気分になんるんじゃなかろうか、とね。

またまた、よく分からない話でどうも。

神麹斎 11/11 08:35

537:[ 人迎脈口(寸口・気口)は脈状診? ]

『霊枢』経脈篇の「盛者人迎大三倍于寸口,虚者人迎反小于寸口也」の比較脈診は、『脉経』脉法賛を経て、李東垣の『内外傷弁惑論』で定着し、明代に一世風靡したという文献の読み方ができそうな気がするのです。でも、本当にそうか? と疑問を持ちながら、これから文献を読みたいと思います。

「井上式人迎気口診は、…現在の風熱や傷寒という概念を多用する境地で、結局は比較を必要としない方向に向かっているのではないか」というのは、鋭い直感かもしれないですね。ぼくは、手法的には、天満流「風熱傷寒」になると、多くの症例に井穴が使われるが、それが効果を発揮するなら面白い現象だと考えています。手法が面白いというより、井穴に反応するそのような人体が、と言うべきでしょう。それ以上は、まだ語る準備ができていませんが。

松田博公 11/10 23:00

536:[ 人迎脈口(寸口・気口)は脈状診 ]

え~、いつもの調子のよく分からない話でどうも……。
要するに、『霊枢』経脈篇の「盛者人迎大三倍于寸口,虚者人迎反小于寸口也」は、一時的に出現した、あまり中国人的でない考え方なんじゃないか、ということです。
発想の原点は、中医脈診の現状と、道三の脈書にある浮沈遅数の有力か無力かの記述は、人迎あるいは気口のほうが有力であるとか無力であるとかではないんじゃないか、ということです。そう思って『素問』の三部九候診をみてみると、これもそんな複雑な「比較」は事実上不可能であって、だから廃れたというのは、日本人の錯覚であって、どこそこの脈状がどうこうであれば、どこそこにどうこうの病が有るというだけではないか、と思える。面倒くさいけど、「人間業でない」というほどのこともない。

で、かの井上式人迎気口診は、優れて比較脈診風ではないかと思う。極めて日本人風な発想から比較して、まだ風熱ではないがやがてそうなる、あるいはもう風熱ではないがその名残が有る、という展開を経て、現在の風熱や傷寒という概念を多用する境地で、結局は比較を必要としない方向に向かっているのではないか、という感想です。

え~、やっぱりよく分からない話し方しかできなくてどうも……。
要するに、古典の脈診に関する記述を読むに際して、無自覚に比較として読むのは避けた方が、(少なくとも日本人にとって)突破口になる可能性が有るんじゃないかと、ぼんやりと考えているんです。(談話室の書き込み194からほとんど発展してません。)

ついでに、左の脈はこうで右の脈はこうだから、こうこうの情況である、という記述は『史記』の扁鵲倉公伝にも結構有ります。これが発展すれば、人迎気口診に向かう可能性は有ると思うんですが、そういう論文って無いんですかね。
もつとも、その場合も左右の比較は無いじゃないか。「違う」というのが焦点で……。
で、『霊枢』経脈篇だけは比較としか考えられない、と困っていたんだけど、ちょっと前の終始篇には違う読み方が有るとなると……。


神麹斎 11/10 08:53

535:[ 神麹斎どの ]

「人迎脉口診から人迎寸口診へ……」のご意見に関してですが、『霊枢』経脈篇の「盛者人迎大三倍于寸口,虚者人迎反小于寸口也」は、比較しているとしか解しようがない、と認めつつ、「中国には比較脈診の伝統は無かったんじゃないか」というのは、どう解釈すればいいでしょう。

『霊枢』経脈篇以前は、比較する伝統はなかったが、以後はその伝統が生まれた、と考えていいでしょうか。比較の伝統がなかった、という認識の根拠など語っていただけるとうれしいです。

それと、鍼灸医学史研究会というのは、どのような会でしょうか。活動方針や連絡先など分かりますか。

松田博公 11/09 23:23

534:[ 無題 ]

文句は言いたいんだけど、編者の選択の意図も分からないでは無いんですね、実は。
と言うのは、『医古文の基礎』編訳者のまえがきで、参考書を挙げているんだけど、語法については『全訳漢辞海』の附録「漢文読解の基礎」を勧めている。これには私も異論が無いんだけど、そこでは、述語だ、目的語だ、前置詞だという用語を使うんですね。だから、参考に「漢文読解の基礎」にあたれという場合は、用語も訳しておいたほうが良いわけです。
ただ、私は日本の中国語学者が、謂語とか賓語とか介詞とかいう用語を避けようとしている(?)のが、先ず気に食わないんです。

神麹斎 11/07 13:39

533:[ 無題 ]

原書『医古文基礎』で使用されている語法用語を訳書『医古文の基礎』では、以下のような文法用語で表しました。主なものを列挙します。
結構=構造。句=文/句。詞=ことば/語/単語。字詞=字詞(文字・単語)。謂語=述語。賓語=目的語。介詞=前置詞。詞組=フレーズ。
本書の出版によって、より多くの方々が、中国医学古典に興味を抱く契機となればさいわいです。

編者 11/06 18:49

532:[ 『医古文の基礎』の句読と語法 ]

『医古文の基礎』が遂に翻訳、出版されました。
私が下訳した時に、最後まで悩んだ例文も、何とか解決されているようで、ご同慶の至りです。
ただ、私が下訳した部分に関して、私と意見を異にするところが有ります。
①どうして、現代中国の新式標点を使わなかったのか?
②どうして、中国で使われている語法の術語まで翻訳してしまったのか?
最終的な判断は編訳者および出版社の権限ですが、やっぱり不満は不満です。

左合昌美 11/05 13:28

531:[ 人迎脉口診から人迎寸口診へ…… ]

第3回鍼灸医学史研究会に誘われたので、会場が近いこともあって、出かけてみました。いや交通事情という意味では、とても遠かったですが……。

その時の話と、第2回のときに話されたという情報から、喉元に引っかかっていた棘が何とかなりそうな気がしています。

私の持論、というかまあ本当は単なる感触なんですが、中国には比較脈診の伝統は無かったんじゃないかと思ってます。しかし、『霊枢』経脈篇の「盛者人迎大三倍于寸口,虚者人迎反小于寸口也」は、比較しているとしか解しようがない、でしょう。ところが第2回に、終始篇はより古い形で、これは比較では無い、という話が有ったらしい。確かに「脉口三盛病在足太陰,三盛而躁在手太陰」は、比較とは限らない。で、今回の話として、三盛というのは患者の普段の脉に比べてでもなく、三盛・二盛・一盛は、今言うところの浮・中・沈だということでした。朦朧とした頭で、肝腎のところを聞き逃したみたいで、どうしてそう結論づけられるのか、もう一つ釈然としないけれど、これは非常におもしろい。ますます、中国人の発想に比較は無いんじゃないか、「だってそう感じたんだもの」という世界なんじゃないかと……。

神麹斎 11/04 21:15

530:[ 無題 ]

『内経』148の太原紀行文には、いくつかの誤解が有ります。
「左合・平根両氏は留学経験があるので中国語会話には不自由しない。」
平根くんについてはその通りですが、左合については全くの誤解です。
「中国に不自由しない」というだけのことです。
まあ、そんなことはどうでもいいのであって、
「帰国後二箇月を経た現在も掲示板への中国からの書込みを見ていない。」
これには二通りの可能性が有る。
我々にとってきつい理由としては、「歯牙にもかけてない」だろう。
彼らにとってきつい推測としては、
「日本の掲示板に書き込む方法が分からない。」
まあ、ひどい言いぐさだけど、中国の研究者のパソコン能力だって、
我々と大した差は無いということ。
ところで貴方、中国の掲示板に書き込んだこと有りますか。
私は無いし、自信も有りません。(日本語で、ということですよ。)

神麹斎 11/02 17:03

529:[ つまり ]

つまり、何が言いたいのか?
全く同じ前提のもとにどうして3条有るのか。
いろいろな方法が有る、というだけでは暢気すぎる。
①はあるいは、神庭と百会を一緒に使え、ということかも知れないが、
③で、これだけのツボを取れというのは、ちょっと不自然じゃないか。
というようなことです。
まあ、
①神庭+百会、②隴ゥ隴・撫辮ッ&天迚磨{風池+大杼、③完骨or風池or大杼……or京骨
と考えられないことはないけれど。
それにしても、この3条の内容が、ツボ毎にまとめた記載だったとは考えにくい。

神麹斎 11/02 08:19

528:[ 明堂 ]

以前の『甲乙経』の話の蒸し返しですが、
巻七の陰陽相移発三瘧第五に、

①逞若梶C神庭及百会主之。
②逞若梶C上星主之,先取隴ゥ隴・C後取天迚浴A風池、大杼。
③逞若梶C取完骨及風池、大杼、心菫栫A上鬮氏A隴ゥ隴・A陰都、太淵、三間、合谷、陽池、少沢、前谷、後谿、腕骨、陽谷、菫黴€谿、至陰、通谷、京骨、皆主之。(字形は一部改める)

と三条が並列されているところからすると、本当に単一の『明堂』からの収録なんでしょうか?
あるいは『明堂』の序例って、どんな具合だったか、疑問に思いません?
少なくとも、黄龍祥氏の『黄帝明堂経輯校』や内経&北里の『黄帝内経明堂』のような形式ではなかったような……。


神麹斎 11/01 13:53

527:[ 冷や汗 ]

いやお恥ずかしい。
あの記事には、『医古文知識』(これも『医古文基礎』と打ち誤った)に掲載された記事に対する揶揄として『内経』の123号に書いたものを、そのまま援用しました。同号には荒川氏による「指揮者」と同様の指摘が有るのに、ろくに見てなかったということですね。(読んで、そしてしかも感心したつもりだったんですが……)
つまり、揶揄したつもりの文章が、揶揄に値するものだったということ。冷や汗です。

それにしても『通仮概説』なんて本、持っている人がいるんですね。内経ではそんな物好きは私くらいのものだと思ってました。(いや、そういえば、すくなくとももうひとり……)

左合昌美 10/30 08:05

526:[ 卜致 ]

季刊『内経』148号に掲載されている左合さんの「報告」に出てくる「卜致」は「卜サツ(「殺」の異体字、漢和辞典『漢辞海』の「殺」の異体字を見てください。仁和寺本『太素』に使われている「殺」の異体字です)の誤りです。右側の「攵にゅう」が同じで、『医古文知識』で植字する人が誤ったのでしょう。それから「趙彦田『雲林漫鈔』」は、「趙彦衛『雲麓漫鈔』」の誤りです。
中国の医古文の教育書では『太素』にも出てくる「蚤」を「早」の通仮字の例としてあげますが、ことはそう単純ではないようです。「はやい」ことを表すのに、なぜぴょんぴょんはねるノミを表す「蚤」を使わざるを得なかったかというと、先秦時代には「早」という文字はまだ発明されていなかったからです。「はやい」ことを表す専用の文字がまだできてなかったので、しかたなく同音の「蚤」を使っていたわけです。「早」字は漢代になってはじめてつくられました。(劉又辛『通仮概説』)

指摘者 10/30 00:29

525:[ 無題 ]

神麹斎 様

ありがとうございました。
いろいろ疑問を提出して頂き、解決のきっかけにしたいと思います。

神麹斎様のおっしゃる通り、中国語訳があれば、なんとかなるのですが、何しろ連絡がつかないので、どうしようもないんです。
苦労する価値はないと私も思いますが、何せ仕事なもんで・・・。
実は、これは足裏マッサージの冊子の一部で、そのうち、日本人観光客に渡したりするということです。
スムーズな日本語にして、歴史的な矛盾を正せばそれでいいんです。「15代皇帝」なんて訳のわからない記述は省こうと思います。

せめて「ユーアン」が何者なのか、漢名だけでもわかれば何とかなるような気がするんですが・・・。

自分でもいろいろ調べていきたいと思います。ありがとうございました。

石井 10/29 10:56

524:[ 外字はダメ? ]

インターネットエクスプローラー以外のブラウザを使用している人って、どれくらいいますか?
実は、ネットスケープでもオペラでも、html文書の外字が化けました。しかも化け方が違う。
何かの設定の間違いかも知れないけれど、わけが分かりません。
ここのところ原則として外字(私用領域)は使わないようにしているので、今頃気付きました。

神麹斎 10/28 16:05

523:[ 無理です ]

別に場違いなんてことはかまいませんが、この質問は無理です。
そもそも日本語として無茶苦茶です、文法的にも。
「直してくれ」と言われたって、書いた本人に連絡が取れなければ、何を言いたいのか、判断のしようがない。従って無理です。
まず第一に、クブライ(忽必烈)によって著された「金蘭循経」?
忽公泰の間違いでしょう。
15代皇帝?忽公泰や滑伯仁が皇帝なんてわけがないから、「モンゴル人のユーアン」が皇帝ですか?
ジンギスカンから数えれば、元のの順帝がかろうじて15代目だけど。順帝の名は、妥懽帖睦尓、最初の二字に現代中国音を当ても、tuohuan ユーアンにはならない。
そもそも、「金蘭循経」が刊行された年代を考えれば、元の末代皇帝を話題にできるわけがない。
ファオポージェン(滑伯仁)によって書かれた「人体の14経路」?
まあ、『十四経発揮』のことでしょうが、
それと15代皇帝がどうつながるのか、文脈が皆目とれません。
もともと、原稿を書いた人の程度はあまり高くない。
苦労する価値は無いと思います。
もとの中国語原稿が有れば、もう少しは何とかなる、かも。

神麹斎 10/25 21:55

522:[ 御教示願います ]

はじめまして。この場所で質問するのは、場違いかもしれません。
もしそうでしたら、削除して頂いて構いません。
私は、現在、台湾在住で、足裏マッサージに関する記述(台湾人が書いたもの)の日本語を直してくれと頼まれました。
けれども、内容としてどうしてもよくわからない文章があり、質問させて頂きたいと思います。日本語文法は問題ないのですが、内容が何か間違っているような気がするのです。
その文章は次の通りです。

「クブライ(忽必烈)によって著された「金蘭循経」の中のモンゴル人のユーアンは、15代皇帝であり、ファオポージェン(滑伯仁)によって書かれた「人体の14経路」が反射ポイントで、循環機能とマッサージの物理療法として、さらに進んで証明させていきました」

この文章ですが、歴史的な矛盾があると思いますし、ユーアンという人物が何物なのか全く分かりません。私は全くの門外漢でございますので、この文章について、一体どういうことなのか、どなたかご解説頂ければ幸いに存じます。これを書いた台湾人と連絡が取れない状態になってしまって、困っています。何卒宜しくお願い申し上げます。

石井 10/25 16:14

521:[ 絶対陰陽虚實感 ]

 音楽の授業で聴音というのがありました。先生が弾くピアノの音がドレミのどれに属するか聞き分けるのです.一つの鍵盤でも分からないのに和音と言って一度に三つの鍵盤を打たれることもありました。私は聴音が苦手でさっぱり分からなかったものです。
 しかし、世の中には雨の音や机をたたく音等、全ての音をドレミで言い表すことの出来る人がいて「絶対音感」と言うそうです。音楽家はあまたいますが、「絶対音感」を持っている人は少ないようです。


 古典の世界でも「陰陽虚實」を正確に使い分ける事は難しいようです。
 例えば脈が浮いているということを井上先生は陰虚といいますが、本間先生は陽虚といいます(『誰にもわかる經絡治療講話』第五講第一節陰陽虚實p110)。浮脈は陰虚か陽虚か、歴史的にどのように捉えられてきたのか、そしてどのように臨床に使われたのか、絶対陰陽虚實感を持った人の解説が欲しい。

 池田政一先生の『伝統鍼灸治療法』を読んでいますと「何經に寒が入った」とか「何經に熱が入った」という言葉がひっかかります。例えば風邪を引いて熱を出している人を見て熱邪が入ったとは言わないでしょう。風邪の場合「風」が入ったか、「寒」にやぶれたかして発熱していると見ます。この辺は池田先生もお分かりのようです。では、肝臓や腎臓、胃腸の異常は何が病因なのでしょう。經絡上の皮膚が冷たいから「寒が入った」とはいえないでしょう。では脈で病因を見ているかというとそうでもないようです。六部六位の脈状をみても見分けることは出来ても読み解くことが出来ず、結局「何經に寒が入った」「熱が入った」になっている。何の爲の脉診なのだろうと思います。脈状は人迎氣口だけでも方や浮、方や沈の場合、体半分は陰虚で体半分は陽虚とは取らない。どちらかを主症とみるのです。これが六部六位となると情報が多すぎて池田先生は見分けられなくなっているようです。歴代の脈書は六部のどれか一部に特異な脈を現すと見て記されていて、六部の相関関係では書かれていません。もし六部の相関関係で脈状を見たいなら今後、經絡治療学会の若手に課せられた課題となるでしょう。
 池田先生の病症の話を聞く時「何經に寒が入った」と言われたとき、寒邪が入ったのか寒症を現したのかを解説する絶対陰陽虚實感を持った人の同時通訳が欲しい。

 伝統鍼灸には三つの要素があります。
一つ目は、經絡的理論に導かれた要穴の運用。
二つ目は、特効穴。
三つ目は、反応穴。(体表の反応。痛み・かゆみ・違和感等患者の訴える場所)
 一つ目の經絡的理論だけが伝統鍼灸だと思われているようです。伝統鍼灸の入門書を書ける絶対陰陽虚實感を持った人が欲しい。

 
 

山本朝子 10/23 23:03

520:[ 誰が受け継ぐ ]

で、つまり、丸山先生から藤木さんにかけての流れというのは、意外と科学的だったんじゃないかと思うんだよね。こういうことを口走ると、また誤解されて叱られそうだけど、少なくとも空に九字の印を結んだり、咒文をとなえたり、という人ではなかったはずなんだけど。

この潮流、誰が受け継いだっていいんだけどね。

神麹斎 10/12 23:39

519:[ 鍼灸医学源流考で ]

「中国鍼灸学術史大綱」の前言に、黄さんは「鍼灸医学源流考」(藤木俊郎著)に影響された。とあるのに私は多いに感動しました。
あの中華思想の国民が、かくも正直に。
我田引水の多い・・・・の先達の中で、こういう言葉は聞いたことがない。

彼の学問の原点はここのあるといっても過言ではない。
その元をただせば丸山昌朗先生が。

ああ、学問の潮流はどこから流れてどこに波及するか。
魂のこもった言葉は、誰かいつの時代か、分かってくれる人が出るとき相手の心に響き大いなる影響を及ぼすものである。

こばやし 10/12 22:57

518:[ 実のところ ]

実のところ私も、黄さんというのは、いやに自信たっぷりな物言いをする人だなあ、とは思います。
まあ、優れた研究者(臨床家もか)というのは大抵そうだし、そこに惚れ惚れとしているワケですが、イインカイナと思うことも屡々。そこのところがつまり「とまどい」ということか。
快刀乱麻の荒業に、チョットマッテヨを言う役目には、日本の臨床家が適任なのかも知れない。中国の臨床家は、黄さんに後押しされて邁進するんだろうし。
(でも、つまることろ、英雄の獅子奮迅に、アレヨアレヨと大口空けて右往左往する凡人たち、という図にならなければいいが、とは思います。傍らを走り抜けられても気付かない、というのよりはましか。)

神麹斎 10/12 13:31

517:[ そのとおり ]

まあ、その通りだと思います。
結局、それはきっかけに過ぎない。彝族や土族の文献なんて、歴史的にはそう大したものは無いだろうと思う。実際には文献を手掛かりに、少数民族の臨床家に問うてみたら現にそれを診ようとしていた……、ということでは無いかと思います。想像ですがね。そしてそのつもりで捜してみたら、現代西洋医学の文献にも、極めて重篤な病では普段は無いところに脈拍を得るという記述を発見した、ということらしい。

結局、文献と臨床の行ったり来たりの例として紹介しただけのつもりです。生半可な臨床経験で、文献を否定するのは謹んだほうがよかろう、というのが本旨です。

神鮗エ齋 10/11 10:36

516:[ 彝族の脈診 ]

別の民族の脈診に間使があるからといって、間使の脈診が
存在するという証明にはならないのでは?
彝族が、内経(あるいは、それに関係した文献)を読んでいた可能性は十分あるのではないでしょうか?
幸か不幸か、彝族の周りには、強大な漢民族が存在したのですから。

ふの字 10/11 08:47

515:[ またまた ]

またまたこれも黄さんの本からなんだけどね、

以前には私は「間使」の脈診に於ける意義を理解できなかった。何故ならそこには脈動を触れないし、それは激烈な運動の後でもそうだったからである。『霊枢』には確かに「過有るときは則ち至り、過無きときは則ち止む」とはっきり言っているけれど、やはりついに信じようとしても信じられなかった。後になって彝族医学の切脈部位の中にも確かに「間使」の脈を診るものが有るのを見て、やっと『内経』の言葉が嘘でないのを知った。

彝族というのは中国の少数民族で、同じく中国の少数民族である土族の文献には、さらに多くの、病が重篤になったときだけに見られる脈動に関する記述が有るらしい。
で、最初に古典は古典、臨床は臨床と言ってしまったら、それっきりだったと思う。臨床的な経験が絶対だったとしても、それっきりだったと思う。方に『内経』の言は誣いざるかな、にはならなかったと思う。
黄さんは、周辺の「文献」を漁ったけれど、あるいは臨床経験の豊富な医家に問いただせば、そういうことも稀には有る、と言って貰えたかも知れない。生半可な臨床家がそんなことは有り得ないという「臨床経験」を振りかざすとしたら、それにもやはり賛成できない。(黄さんも後には臨床家の意見を糺しているみたい。誤解無きように。)

神麹斎 10/10 13:17

514:[ 有!? ]

『鍼灸名著集成』の内容は素晴らしいのだけれど、出版物としては校正ミスが多いことも事実で、内経の仲間内では、ひそかに黄さんにご同情申し上げていたんだけれど、いやとんでもない間違いを見つけました。
『甲乙経』の巻之六、内外形診老壮肥痩病旦慧夜甚大論第六のはじめの方に:
……内合於五藏六府,外合於筋骨皮膚,是故内有陰陽,外有陰陽。有内者,五藏爲陰,六府爲陽;有外者,筋骨爲陰,皮膚爲陽。……

何か変だと思いません?

「有内者」「有外者」の「有」は「在」のはずでしょう。勿論、医統本も明抄本も、黄さんご推奨の医学六経本もみんな「在」です。『霊枢』寿夭剛柔篇だってそうです。排印に注記が有るわけでも、勿論無いですよ。
これ、まさか黄さんの責任じゃないと思うけど、出版社の責任ですかね、原稿を清書した者の責任ですかね。こういう「有」と「在」の間違いは、和習による日本人独特の混乱だと思ってましたが。

神麹斎 10/10 12:19

513:[ 古典は古典 ]

まあ、あまり「かいちょう」と意見を異としているとは思わないんだけど、
研究者がきちんと研究して、その古典の意味はこうだと言ったら、それは従わざるを得ない、と基本的には思っている。
確かに、大昔に名人が体験したことを、正確に記述できるほど、みんながみんな文章家だったわけじゃない、とも思う。文章を解読して、その詞語はこういう意味だと言ったって、そもそも言い間違えた可能性だってある。身体を触ってみてどうしても附に落ちなければ、そういう可能性は高いよね、やっぱり。いくら古典に書いてあったって、物理に反することは起こらないと思うし。
だけど、古典の正確な読解と違う臨床的事実が有ったら、発明だっていいじゃないか、発想の原点が古典の誤読だっていいじゃないか、とも思っている。

そして、中国の研究者は一見すると研究一筋だけど、実は高度に政治的な人たちだと思っている。その政治的な部分のことを「なんかなあ……」と感じるのかも知れない。

やっぱり上手く言えないなあ。

神麹斎 10/10 12:17

512:[ ひきつづき ]

中医学の用語で、喜按と拒按があるが、日常的に切診をやらない人たちが、どうしてそういう言葉を作れるのか、作って誰に役立たせようとしているのか、大いに疑問である。そういう意味では、建前上の用語としか考えられない。つまりです、用語をつくる人たちと、用語を使う人たちには、おおきな溝があるということなんだと思います。そのことと研究者と臨床家の関係は同じなのではないかと考える。中国から出ている古典の注釈書は、そういう目でみなければならないだろうし、これから新たにいくらでてきても(もうでてこないだろうが)役に立たないだろう。自分達のことを自慢するわけではないが、臨床感をもって古典を読めるのは、実にしあわせなことなのだ、とちかごろ気がついたのであります。

かいちょう 10/10 08:07

511:[ なんだかちょっと…… ]

未だ読みかけでありまして、それに何となく引っかかっているものを、上手く表現できないんで、落ち着かないんですが。
つまり、「どのような臨床を目指しているか」の主語は、衛生部なんだけど、黄さんもその文献部門を担っている一人だということです。やっぱり目指すのは、現代的、科学的な針灸なんだろうなあ、という気がしてくる。
別に批判ではありません。私は、迷信が大嫌いです、陰陽五行説なんて迷信です、でも方便としては使わざるを得ない、方便≒虚構≒フィクションとしては有効だと思う。そういう中途半端な気分だから、多分余計に、黄さんの明解な立場が気に障る。
中国の研究者は研究が仕事であり、臨床とは別なんだ、とは私も思います。でも、考えようによっては、中国では(あるいは日本でもかも)一般臨床家は「どのような臨床を目指しているか」なんてことは考えていないと思う。多分、衛生部の指導に則って、だろうとも思える。逆に研究者も衛生部の方針に沿って研究している、というか黄さんレベルだと、衛生部の方針を形作っていく人じゃないか。
それと、黄さんが度々、「事実」と「規律」と「解釈」が有って、「事実」と「規律」は重視するけれど、「解釈」は捨てる、と力説するときの「規律」と「解釈」が具体的にどういうことなのか、どうももう一つしっくりこない。「解釈」、つまり虚構の形成、演変の歴史にも大いに意味が有ると思うのだが。病気をどういうものと考え、何を治そうとするのか、その説明は、それがたとえ哲学的な説明であっても、また大事なことだと思う。そういうのを、黄さんは「規律」に入れているのだろうか、「解釈」として切り捨てるのだろうか。

で、いつもいつもとりとめもなくて私の話はわかりにくいんですが、本当は黄さんに賛成なんです。でも、何だかちょっと引っかかるような……。

神麹斎 10/08 13:31

510:[ 雑感 ]

医古文基礎の出版も間近で、談話室をのぞく(時間はあるけれど)気になれなくて、しばらく書き込みをしていなくて、その間に話はどんどん進んで、喜ばしく思っています。まえに、しんきくさい氏が書いたのに、「この談話室でしばしば『中国針灸学術史大綱』を話題にしています。その文献操作にも、研究態度にも大いに感服していますが、どのような臨床を目指しているか、あたりからは、実のところとまどいも感じます。」とあるが、どのような臨床を目指しているのか、その主語は著者の黄氏なのだろうか。黄氏は臨床を目指していないし、おおむね中国の研究者は研究がお仕事であり、臨床とは別なんだと思います。教育者は教育がお仕事であり、やはり臨床とは別なんだと思います。どうなんでしょう。

かいちょう 10/08 12:32

509:[ 尾乙蘭さま ]

書籍のリスト、ありがとうございました。
早速プリントして、渡しておきます。
自分が学生だったころも、何を読んでいいのか、
わからず、学校の図書館の本を、かたっぱしから、
目を通しておりました。読んだというより、
目を通したとしかいえない状況でした。もっと、体系的に、
読めないものかと思ったものです。
私は、地方の住人で、なかなか刺激がなく
つい怠惰日々をおくっております。
知り合いから、古典的な治療をしてみたい。
どういう風に勉強したらいいかと聞かれたとき、
困ってしまった情けない状況です。
先輩諸氏は、こんなとき、どういった返答を
されるのかお聞きしたしだいです。

ふの字 10/07 08:08

508:[ 文化の外堀を埋めよう ]

恐らくメンバーの中では最低の藏書量だと思うし、手垢の付いてない書籍を眺めつつ森林破壊以外の何者でもないと反省する日々を過ごしています。
 そんな私が本の事を書き込むなんて烏滸がましいんですけども、
同年代の学生さんや新卒の方からたまに「何読めばいいの?」なんて聞かれるので、管見の鄙見を何となく。

 とりあえず、今買っておかないと増刷しそうに無いので「しにか」のバックナンバーは入手しておいた方がBetterかと
(★五つで満点:特におすすめ)
'92 4月「中国語学への招待」★★
'93 3月「漢方 -その思想と伝播」
'93 11月「氣の思想 -東洋の宇宙観を探る」
'94 11月「易の思想 -その原理と実践」
'95 11月「煉丹術とは何か」
'96 3月「中国の古典辞書」★★★★
'96 4月「儒教入門 -儒教をより深く理解するために」
'96 5月「中国イメージ・シンボル小辞典」★
'97 1月「道教の神々」<br>
'97 5月「中国語を始めよう!」★★
'97 11月「漢方入門小事典」★★★★★
'97 12月「儒教のキーワード」
'98 3月「中国の百科全書」
'98 5月「中国語学入門講座」★★★
'98 8月「臺灣文化読本」
'98 12月「タオの哲学」
'99 12月「陰陽五行」★★★★
'00 2月『論語はいかに読まれてきたか 孔子の言葉の解釈史』

こんなはのいかがでしょうか?
(実は別の用事で大分前に打ち込んだものをぺ-ストしました。)

 それと、「ろくに本も無い所(旧姓M先生のお言葉)」の学校で地元鍼灸師に頂いたリストが
http://lovely.millto.net/~prion/sjoho/sjoho.htm
ですのでこちらも何かのお役に立てるかと存じます。
「青いな」と笑ってください。

尾乙蘭 10/07 04:24

507:[ 入門書 ]

漢和と中日辞書はもう買わせました。
「漢方の歴史」あたりをまず読んでもらい、
その後は、現代語訳の霊枢を多分わけがわからないなりに、
読んでもらおうかと今は考えています。
その後、興味が続いたら、霊枢講義でも、
読んでもらい、入門としようかと...

ふの字 10/06 21:09

506:[ 入門書? ]

古典「的」な鍼灸は有りうると思う、と言うか、有って欲しいけれど、入門書というのはどうだろう。少なくとも、最初に経絡治療入門書のようなものを読むのは、避けた方が良いような気がする。
内経の仲間の何人かは、最初に丸山先生の『鍼灸医学と古典の研究』を読んだのがきっかけだったと言うし、今だったらさらに『島田隆司著作集』だろう。
今読んでいる本では、『中国針灸学術史大綱』。とても入門書と言えるものではないけれど、もしこれを最初に読んだらどうなるだろうか、とんでもない人になる(なれる?なってしまう?)と夢想します。
ただし、これは中国語で、当分翻訳は出そうにない。そういう意味では、『新字源』と『中日大辞典』を先ずを買いなさいと言った、旧姓M先生は正しいのかも知れない。

神麹斎 10/06 09:13

505:[ 入門書に、何がいいと思いますか? ]

知り合いが、来年から鍼灸学校の学生になります。
本人が、古典的な鍼灸(そんなもん存在しないと
突っ込まないでください)を習いたいと言っております。
何が、入門書にふさわしいのか?アドバイスを
お願いいたします。
では

ふの字 10/04 17:02

504:[ 基準は学術史 ]

ここの談話室でしばしば『中国針灸学術史大綱』を話題にしています。
その文献操作にも、研究態度にも大いに感服していますが、どのような臨床を目指しているか、あたりからは、実のところとまどいも感じます。
日本の所謂「伝統派」あるいは「古典派」針灸臨床家には、違和感を持ったり、反駁したくなるところが相当に有るはずです。だから反駁すべきだと思います。無視するのはダメです。

また、昨今の日本の伝統派における、各流派の共通項をとりまとめて(用語解説集を作って)、そこから違いを討論する、という方向性には賛成できません。

基準にするなら針灸学術の歴史だろうと思います。せめて『中国針灸学術史大綱』のレベルで、(違和感を持ったり、反駁したくなるところの)不足は補って、明末あたりまでの(敢えて言えば)正統(あるいは幹)を確立して、いま自らが信奉する臨床流派は、そこから、何を発明(あるいは時には何を誤解)することによって、枝分かれて存在するかを認識するのが望ましい。そこで、内に閉じこもって研鑽するか、あるいは他にむかって違いと価値を宣伝するか、態度を決めればいい。
例えば、是動病と所生病について言えば、いまのところ、学術的には馬王堆医書を基準としなければならない。しかし、『霊枢』経脈篇はともかく、『難経』は、気の病と血の病ということで、たとえそれが誤解に発するとしても、確固たる体系を形成し、それが現に臨床的に有効であるからには、これはもうどうしょうもない。ただ、『難経』というある意味で特殊な治療体系を信奉していることは、自覚していた方がいい。
学術史的に間違っていることは間違っていると、臨床一筋で来た臨床大家にだって、言ってかまわない(あるいは言うべきである)。ただ、学術史的には間違っているのに、臨床的には有効であることの方が、問題であるしずっと価値が有ることも、自覚していた方がいい。

神麹斎 09/20 23:31

503:[ 『アインシュタイン150の言葉』 ]

 日曜講座で東洋医学漢文入門講座が発足する時、
「医古文基礎講座にしたら」
と、提案したところ
「医古文では何だか分からない」
ということでした。
 それから数年、内経医学会以外の鍼灸師に「医古文」が使われるような時代が来たことはとてもうれしいことです。
 また、今年の伝統鍼灸学会では宮川さんが「医古文」について講演をされる予定です。鍼灸界に「医古文」が浸透してきているのでしょう。
 ただ文献の弊害が鍼灸界に出ないことを願っています。
 理論のための理論ではなく、臨床をいかに説明するかの理論です。
「先ず臨床ありき」
です。
 「是動病」「所生病」も經絡治療家は『難經』の「気の病」「血の病」に基づいて使われています。病態を「気の病」「血の病」にわけることに問題はありません。
 『難經』を信じ、臨床一筋で来られた臨床家に、ちょっと文献をやった人間が、『霊枢』経脉篇を振りかざして
「あんたの理論は間違っている」
なんて、決して言ってはいけない事だと私は思っています。
 私が「本治法」「標治法」に対して厳しく迫るのは、その言葉にとらわれることで、理論と臨床に本音と建前の矛盾を感じるからです。「是動病」「所生病」とは別問題です。

 『アインシュタイン150の言葉』を買いました。

 数年前の合宿で
「貴方にとって古典とは何か」
の問いに
「道楽です」
と、答えて、一部の人から
「自分たちは臨床の為にやっている」
と、反論され、ひんしゅくをかったことがあります。
 私は合宿の前日か前々日に
『日本における中国語文法研究史』牛島徳次 東方書店
を、買ったばかりで、合宿から帰って読むことを楽しみにしていました。
 語法の歴史を「語法史」といいます。
 語法の専門書の歴史を「語法学史」といいます。
『日本における中国語文法研究史』は「語法学史」の本です。
この本が臨床に役立つと思いますか。
 こんな本を買って喜んでいる自分を、
「臨床の為に内経をやっています」
なんて言えると思えますか。
 研究には時間とお金がかかるものです。

 『アインシュタイの150の言葉』を読んで、何故自分は「内経」をするかの言葉を見つけました。

「わたしが科学研究を行うのは、自然の不思議を理解したいというおさえがたい願いからです。それ以外の感情が動機というわけではありません。わたしの、正義への愛と、人間の状態を改善することに貢献しようとする努力とは、科学に対する関心とはまったく別のものです」(p78)

この言葉を借りて

『わたしが「内経」研究を行うのは、「人間」の不思議を理解したいというおさえがたい願いからです。それ以外の感情が動機というわけではありません。わたしの、正義への愛と、「臨床に役立てよう」とする努力とは、「内経」に対する関心とはまったく別のものです』
   

山本朝子 09/20 22:38

502:[ 是動病と所生病 ]

以前、是動病と所生病についての話が有ったと思いますが、参考までに、

「……経脈病候中の是動病と所生病は人に誤られることが最も多いものである。もしも二千年来の医家文人らがこの四字を解釈した論文を匯集して書物を編んだとしたら、その分量は百万字を下らぬものとなるであろう。是動の本義については、早くも漢代の『難経』の中でも詳しいことがわからなくなっているが、これは主として当時の医学の背景と是動病を提出した時代の背景がすでに同じでなかったからである。是動病、所生病が千年を歴してなおその解を得られずにいるのは、やはり早い時期のこの二つの種類の異なった性質、異なった来源の病候を混合して、さらにその本来の面目を飾り覆い隠してしまったからである。詳しくは本書の『経絡部』脈口病候与経脈病候、経脈病候的演変の二篇に見える。」

これは『中国針灸学術史大綱』引論からの引用です。したがって、
ここに言う本書とは、黄竜祥著『中国針灸学術史大綱』華夏出版社2001年4月発行(定価48元)のことです。
亜東書店 http://www.ato-shoten.co.jp/ では、本体価格3360円だそうです。

神麹斎 09/18 22:00

501:[ 停止案内 ]

まだ先の話なんですが、ちょっと長めのサービス停止なんで前もって案内を。
ホームページ閲覧も、掲示板も、メールも全部止まると思います。
UMINが設置されている大学構内における、電気設備の定期点検です。
(法律で定められた点検作業だそうです。)

   サービス停止時間

9月22日(日)午後1時から午後5時半まで
(雨天の場合には、10月13日に延期予定)
10月26日(土)午前7時半から午後6時まで
10月27日(日)午前7時半から午後6時まで

管理者 09/17 13:42

500:[ 500! ]

たぶん、これでちょうど500回目の書込。
一度でも書込をした人は、たぶん23人か24人。
そのうち常連と言えるのは6~7人かな。
始まったのが2000年の秋、多いのか少ないのか。
いくらなんでも覗いている人は、もう少しはいるだろう。
よく考えたら、ホームページの開設自体が、島田先生が亡くなってからなんだよね。
先生がお元気だったら、きっと常連だったろうに。

管理者 09/16 12:48

499:[ まあ、そういじめなさんな ]

医古文にのっとって(きちんと解読した医学経典にのっとって)全人的な医療を提供する、とでも好意的に補足して解釈するしか無いでしょうね。
その人も、ひょっとして医古文を魔法の杖と思っているのかしら。
たぶん、単なる舌っ足らずなんでしょう。

神麹斎 09/16 12:46

498:[ もうすぐ100 ]

某鍼灸院のホームページに「医古文にのっとった全人的な医療を提供」という事が書いてあるのだけれども、よくわからない。
 例えば患者が来た際に「兄弟と一緒に来院するように。」と言って病の部位を校勘すると言うのなら「医古文に則った」なのだろうか?
 それとも、「貴方の話し方は賓語前置が多すぎるから周囲との衝突が多いのです、SVOで話す事をお勧めしますよ。」とか生活指導するのだろか?謎だ。

尾乙蘭 09/16 11:57

97:[ 長浜先生 ]

自分の中では長沢元夫先生とよく間違えていたのが印象的ですが
こんなに早逝だったとは知りませんでした。

後藤 武吉 09/14 01:46

496:[ 『経絡の研究』著者・長浜先生とは ]

『経絡の研究』著者の長浜先生と丸山先生について

長浜先生についての基礎知識ではないですが、このような経歴をお持ちです。(概略ですが紹介します)

昭和14年(1939)04月
千葉医大学生、藤平建、長浜善夫等発起人となり千葉医大東洋医学研究会を結成。

昭和24年(1949)11月17日
第1回学会設立準備委員会、龍野一雄宅を仮事務所として発足、趣意書の立案。委員11名細野史郎、大塚敬節、和田正系、龍野一雄、長浜善夫、矢数道明、山崎順、丸山昌朗、間中喜雄、藤平健、森田之皓。

昭和25年(1950)01月00日
日本東洋医学会(仮称)創立委員会を開き、趣意書勧誘文書等を作成して発送す。

昭和36年(1961)06月26日
日本東洋医学会理事、長浜善夫脳溢血にて没す、享年46。

+++++++
『漢方の臨床』論文タイトル*****昭和29年から昭和34年++++
・実地臨床から見た証の問題 http://aeam.umin.ac.jp/lonbun/nagahama.htm
この論文はここのHPで内容は閲覧できます。
・蓄膿症の薬
・腎臓癌を疑われた血尿が治った話
・腎臓癌を疑われた血尿が治った話(2)
・苓桂朮甘草湯を中心とした蓄膿症の治験
・蓄膿症と鍼灸
・診療ノート(夏と卒中、下痢を止める、その他)
・診療ノート(2)明暗、続命
・東洋医学と近代医学の融合について
・応接室(わかり易い漢方理論体系をたてるには)

こばやし 09/12 14:16

495:[ 『太素』巻十六 ]

 『素問考注』の補訂版が出ましたね。
      郭秀梅 岡田研吉 校点 崔仲平 審訂
      学苑出版社  100元

 『素問紹識』が出た頃、『太素』巻十六が発見されておらず、その部分に相当する経文は、元堅の考察がなされていないのですが、『素問考注』でもまだ巻十六は出ていないのですね。
 森立之が、もし巻十六を見ていたらそれにに相当する『素問』の解釈が代わっていたのでしょうか。

       

山本朝子 09/10 12:31

494:[ 北の国から ]

 始めて天津へ行った時、部屋のテレビをつけると「大草原の小さな家」が放映されていました。中国語が分からないのですぐに切りましたが、中国語の西部劇に異国情緒を感じたものです。

 
「フジテレビが社運をかけて「大草原の小さな家」のようなドラマをつくりたい」
と、監督の杉田さんが脚本家の倉本さんに相談すると、
「今、電波は中央から発信しているが、地方から発信するドラマを作りたい。自分が住む富良野を舞台にしたい。」
ということで「北の国から」が始まりました。

 このページに参加される人はほとんど東京の人かと思っていましたが、地方の方もいらっしゃるんですね。
 左合さんは岐阜だし、私は広島。中央と地方と自由に交わせる時代が来たのだなあと思います。

 尾道を舞台にした大林監督作品「ふたり」の、お姉さん役に蛍ちゃんが出ています。蛍ちゃんが交通事故で死ぬロケ地が、小津作品「東京物語」で娘さんが通う小学校のすぐ横です。ただ「ふたり」では画像を合成して広い道路をつけているので、言われないと気づかないかもしれません。 

 
 今では国民的ドラマになった「北の国から」も、昨日で最終回を迎えました。21年。長いようであっと言う間だったように思います。少し寂しい気がします。
 中国でも中国語で放映されたのでしょうか。

山本朝子 09/08 22:17

493:[ 語法と修辞 ]

 昨年の合宿で朝方まで私につきあってくれた人がいました。なかなか名前を覚えられず、何度もお聞きし名刺までまでいただいたのですが、朝には忘れていました。名刺も置き忘れたまま。
 私は勝手にその人の名を「左合ジュニアさん」と名付けています。


 「賓語でビンゴ」とは、面白いタイトルをつけたものだ。

 旧姓m先生の授業を受けている。
 中国に留学経験がある。
 そして、面白いタイトル。
 三つを総合して推測するに、尾乙蘭さんは、もしかしたら左合ジュニアさんではないだろうか。
 そしそうであればあの時は、大変お世話になりました。


 倒置法には強調の働きがあると、テキストにはある。
 賓語前置は賓語を、定語後置は定語を、謂語提前は謂語を強調するらしい。
 私はこの意味がずっと分からなかった。
 ある日『日本語の文法を考える』大野晋著 岩波新書 を読んでいると「係り結び」の話が出てきた。
 「ぞ」「なん」「か」「や」はなぜ連体形で終止するか。
 「うまし国そ、あづき島大和の国は」(万葉二)
  (よい国だ、大和の国は)
これを現代語でたとえると
 「欲しいものは資料だ」
を、
 「資料だ、欲しいものは」
にしたようなものになる。
 なぜこれが強調になるかというと、
「資料だ」というと、聞き手は何が資料なのかという疑問を持つ。あとで「欲しいものは」とこたえる。

 倒置とは未知の情報、新しい事柄を先に投げ出して、相手に一種の驚きを感じさせておいて、後で問題を示す。倒置が強調表現になるのはそうした事情による。


 定語後置、謂語後置はこのような修辞的な作用があるのでしょう。前置賓語もかつては言い習わしでされていたのでしょうが、疑問代詞以外は「内経」ではされたり、されなかったりするものがあるので、修辞的作用で使われていたと思います。

 あと賓語前置の条件に
「以」を使って表示するものもあります。

山本朝子 09/05 23:47

492:[ 北京ダックのほうが…… ]

あれ、野鶏は30元でしたか。
ちょっと前だと、北京ダック半羽にビールが2本と水餃子(これは主食)、と後から出てくるダックの骨とキャベツのスープで、そんなもんだった、ような。(あんまり外国人は行かない店だけど、旅行案内書にはちゃんと載ってた。)
絶対、北京ダックのほうが佳いと思うがね。中毒警報も出てないみたいだし。

ちょうろう 09/05 18:57

491:[ 賓語でビンゴ ]

 「古漢語知識詳解辞典」馬文煕等(1996年・中華書局72元)
賓語前置
 
 特殊語順の一種。賓語を動詞の前に置く、主なものに4種ある。
1・疑問句中で疑問代詞が賓語を作る場合。(中略)上古漢語はおよそ「誰、何、奚、安」等が賓語を作る、一般に全て動詞の前におく。
2・否定句中の代詞は賓語前置を作る。(中略)この法則はそれほど厳格に守られてはいない、先秦にもまた否定句中の代詞が賓語になる場合があるが前置はしていない(中略)。
3・賓語に「是、之、焉、斯」等代詞が繰り返される際に動詞の前に置かれる(中略)。
4・一般の言葉の中で代詞が賓語作る際も直接前置を作る。

 今(賓語前置は)「外の要素(原文は外位成分)」とみなすか、主語を作るものとしてみなしている。

 黎錦煕の「比較文法」第三章では「變式賓位」として、三種類に分けている。
「賓在動前」:一般代詞または名詞の賓語が動詞の前にある。
「賓在句首」:上に述べた(試訳者注:これが何を指すか不明)、強調のために句首に置かれた賓語。
「反賓爲主」:被動法で受身がわの動詞の前に置く。

 王力の「漢語史稿」第三章では、初期の頃(原文は原始時代)の漢語では代詞が賓語を作る際には、たぶん全て動詞の前に在ったのであろうとみなしている。そして、先秦に至って三種の變化をした。
1・完全に旧態を放棄。例えば代詞賓語が多く動詞の後ろに置くよう改めたもの。僅かに少ない用例でのみ前置の名残がある。
2・完全に旧態を残すもの。元通りに前置している、上述した(試訳者注:これも何を指すか不明)如き物。
3・新旧の形式が並存。否定句中で代詞が賓語を作る際に、前置、後置の両方式いずれでも構わない。

 『中国語文』1983年第2期の許嘉迺吹w關於“唯・・・・・・是・・・・・・”式句』ではこの方式は数百年に及ぶ東西交流の間に、春秋以後この方式を言葉の風格を追求するたったそれだけのために、また賓語の強調;ならびに所謂「是、之、於、焉」等の復指する詞でその詞性が明らかではないもの。また、修飾句詞の後にある要素の状語の全て。また、ある人はこの句は文章の構成を調整する作用のある助詞であるとしている。

 (以上、用例は長くなるので中略として割愛しました。)

 それと、医古文中の賓語前置については「黄帝内経研究大成」p367~に内経中の用例が載ってるのだけれども「医古文語法」郭文友著(1999年四川科学技術出版・28元)等も色々載っていて楽しめます。

 黒龍江省・吉林省・内蒙古自治区等の旧満鉄沿線をウロウロしていたのですが、この地域には朝鮮族の人が多く(例えば長春中医学院には百数十名の学生が在籍)暮らしていて、彼らは「把~」という賓語前置の表現を他の地域に比べて良く使います。家に帰ると朝鮮語が日常会話になる彼らにとっては自然な語順なんでしょうね。日本人である私は「把~」で喋ったほうが楽なんだけども、癖になったら怖いのであえてあまり使いませんでした。
あと、野鶏は言い出し30元でした。輸入ブロイラーから病原菌が良く検出されるので注意が必要です。

尾乙蘭 09/05 17:16

490:[ 三代ばなし ]

岡田英弘先生って、日本語は古代漢語から産み出された人造語である、とか言った人じゃなかったかしら。
で、現代中国語は、日本語の影響で構築された。
あれは私の爺さんで、これは私の孫……。
過激ですなあ!好きだけど。

神麹斎 09/02 22:58

489:[ 思いつくまま ]

修飾語と被修飾語の順序は、言語により異なります。
ご存知のように、ラテン系の言語は、フィルム ノワールとか、ヴィノ ロッソとか、形容語が、うしろにつくのが一般的です。
殷の時代も、そうだったと思います。帝王の名前は、帝丁とか帝辛とかいいました。
その後、武帝とか康煕帝とか順序が逆になりました。なにがあったのでしょうね。
漢代に順調に増えていた人口が、後漢末の混乱により、中原では漢代の最盛期の十分の一に激減しました。それで、魏の曹操などは、北の異民族の強制移住政策を採用したりしました。隋・唐・元・清は、非漢人の征服王朝ですから、中国大陸では絶えざる人種の混交が進んだのでしょう。話し言葉も大きく変化したと思われます。
しかし、書面語は別で、儒教の経典を模範とし、かなりの安定性を有しています。
そういう共通言語がないと、あの広大な地域を一体感のあるものとして、まとめられなかったのでしょう。共通言語である文語・書面語こそは、「中国はひとつ」という思想を支える、基本的な柱でありました。この漢文なくして、中国なし、です。そのかわり、言語は思想の道具ですから、それを離れた自由な発想を奪ってしまったと考えられます。
東京外語大学の名誉教授の岡田英弘先生は、「(古代の)中国語には文法がない。」「現代中国語は、清末に日本の陸軍学校などに勉強に来ていた留学生たちによって作られた。だから現代中国語は、日本語の大きな影響を受けている。」といった内容のことを、もっと過激な表現であらわしています。日本語の影響というのは、「社会」「哲学」といった単語が中国で借用されたことのみをいっているのではなく、文法すらも日本語の影響で構築された、ということです。関心のある方は、『現代中国と日本』『この厄介な国、中国』などを手始めにどうぞ。

みどり 09/02 22:29

488:[ 定語後置 謂語提前  ]

 それもそうですね。現代中国語を習う時間もなかったし、みんな手さぐりの状態だった。
 『古代漢語』の王力主編のものの翻訳が出たのは、その後だったし。
 井上先生の講義は、先生が本屋で見つけた中国本を一週間前に翻訳して話すというものだったが、音韻でも、数年後、林克先生に日曜講座に来て頂いたことがあったけど、ほとんど井上先生に習ったことだった。林先生が資料として持ってこられていたコピーが『同源字典』にあったものだったし。
 手さぐりでの状態でも、最先端をいっていたのだと思う。


 ところで、昨夜、前置賓語の話を書いた後ふと気づいたのですが、古代漢語の詞序の特徴で前置賓語以外に定語後置、謂語提前があります。これらも現代中国語にあるのでしょうか。それともないのでしょうか。もし、あるとしたら、現代中国語と古代漢語では何が違うのでしょうか。もしご存じでしたら教えて下さい。

山本朝子 09/02 11:23

487:[ さあ現代中国語を…… ]

『古代漢語』を、現代中国語を習わずに翻訳しようなんてことは、無謀です。
でもソンなことを云ってたら、当時の原塾生に『古代漢語』の世界を覗く術は無かった。みんな手探りだったし、早く覗きたかった。かく言う私も、内経学術交流会学術資料集の翻訳を、中学・高校生なみの漢文の知識でやっつけた。もちろん、みんなに手伝ってもらったわけだけど、みんなの知識もドングリのせいくらべ……。
井上先生の「そんなの習わなくても大丈夫」という方便に騙されて、五・六行を訳すのに一週間という荒行が有ったから、今の山本さんがいるわけで……、さあ現代中国語を習いに行きましょうだったらどうだったか……。
でも、きちんと、現代中国語を習って、古代漢語を学んで、というのが望ましいことには違いない。現代中国の(ぼんくらな)若者のスタートラインにたどり着くのに息が切れて……、という恐れは有りますが。
みどりさんの云う、いっそ『文語解』とか 『訳文筌蹄』から、というのも一つの手ではあるわけです。

神麹斎 09/02 08:55

486:[ 広島の酒 ]

 広島の酒、有名なのは
 酔心
 賀茂鶴
 まぼろし
しかし、うちらへんでもっとも売れているのは、
 白牡丹
これがベタ甘で、父も飲んでいて、私は幼少の頃から、飲んではいけないのだが正月にはお屠蘇として飲まなければいけないと言って飲まされて育った。しかし、どうしても好きになれない。
 やっぱり酒は辛口よ。 


 工具書

 専門学校で中国語が習えた人がうらやましい。
 私が始めて買った工具書は
『宋本玉篇』
『校正宋本広韻』
だった。
 『中日大辞典』は原塾三年目。『古代漢語』三冊本を分担して翻訳した時だ。
「現代中国語を習わないと訳せないんじゃないですか」
「そんなの習わなくても大丈夫」
「そんなのむりですよ」
「出来るよ」
 井上先生との間でこんな会話が、原宿の竹下通りの入り口にあった「花屋」という居酒屋で交わされた記憶がある。
 それからが大変だった。最初はたった五・六行を訳すのに一週間はかかったと思う。

 古代漢語の語法の特徴に「前置賓語」がある。
 原塾に入って十年目、現代中国語を習ったことのある人から、「前置賓語」は現代でもあると教わった。「把」を使って比較的自由に使われている。それまで私は、古代漢語特有のものだと思っていた。
 古代漢語の特徴は「前置賓語」がある条件のもとでしかできないことをその時始めて知った。

 この「前置賓語」はなぜある条件のもとでしか出来なかったか。または、ある条件のもとでは「前置賓語」をしなければいけなかったかは、現在の古代漢語界では解明されていないことなのです。
 

山本朝子 09/01 23:13

485:[ 反訓 ]

生気通天論「胃気乃厚」
郭靄春按:「厚」に「薄」の義が有り(これを反訓といい、臭を以て香とし、乱を以て治とするなどはその例である)、『淮南・俶真』の高注に見える。上文に脾気弱を言い、この句で胃気薄を言って、上下の文の意味が一貫する。脾が弱くて胃の為にその津液を行らせることが出来ず、胃気はこれに因って薄弱となり、脾胃は損耗すること、日を久しくして、遂に内傷と成る。前文に「傷在五味」と言うのは、つまり若し酸鹹甘苦辛を、食すること度を過ごせば、何れも傷は五臓に及ぶということである。王注には「苦の性は燥、また脾胃を養う。故に脾気濡ならず、胃気強厚なり」と言う。王冰の言い方に照らせば、味が苦に過ぎると、反対に脾胃に有益な様で、そうすると経文の前後が齟齬する。
神麹斎解説:この説はすでに『黄帝内経素問校注語訳』に載せる。
 『淮南子・俶真訓』「蘆符之厚」の高誘注に「厚は猶お薄」とあるが、これは「厚さ」と「薄さ」は同じ様なものだと言うのであって、これを以て「厚」に「薄」の義が有るなどとは言えない。大体が反訓などということは妄りに口にすべきことではない。「臭」はもと「におい」全般を言い、美醜を問わなかったから「香」の意味も含む。「乱」(亂)の左旁は糸巻きにもつれた糸を両手(上下の爪と又)で治める形で、右旁の乙も治める形であり、原義はもつれをほぐし治める意で、後になってその治める対象であるもつれたものの意味から、乱れる意に転用されたものである。
 『黄帝内経詞典』では「厚」を「脹満」と解する。この方がずっと良い。

以上は、『新医林改錯・内経素問分冊』(郭靄春編著 1992年4月山西科学技術出版社)を、1993年2月頃に、神麹斎が翻訳し解説した『外経増刊』からの抜粋。

神麹斎 08/31 21:26

484:[ 医統本『甲乙経』の問題 ]

医統本『甲乙経』の問題は、むしろ版の摩耗による空白が多いことであろうと思います。オリエント出版社『鍼灸医学典籍集成』に収められた歩月楼梓行の本は、「底本の難読箇所は東洋医学善本叢書本と対照し、編集部の責任において、匡郭外に補筆」してありますが、医学六経本と対照すると、これには誤りが多い。つまり、東洋医学善本叢書本も使えません。

神麹斎 08/31 17:31

483:[ あれ そう? ]

あれ そうだっけ 何を間違ったかな

ちょうろう 08/31 12:48

482:[ 工具書のおもひで ]

 仙台の鍼灸学校に入って最初の「中国語」の授業で旧姓M先生に、東北大学生協の組合員になる事(書籍が一割引で買える)、その足で本屋に行き「新字源(角川)」「中日大辞典(大修館)」を買うように言われた(一万円でギリギリお釣りが来た)。
 「新字源」は「中国文化史年表」「同訓異義」の付録を特に良く眺めておくようにとの事。
 「中日大辞典」は「簡明中医辞典(人民衛生出版社)」「鍼灸学辞典(上海科学技術出版)」「中医人名辞典(国際文化出版社)」を引くために不可欠との事だった(亜東書店のパンフレットを後から頂いた)。
 授業中に書籍の紹介をする講師は基礎医学を教える西側の先生を除いて皆無だったので、熱いうちに打たれてしまった感がある。

 卒後同年代で自称古典的治療を修行中の鍼灸師と飲んだ際に「一日でも白文を見ないと気が狂う。」と言われた事がある。たぶん彼はその後漢文に接しない日が続いてしまったのだろうか。

 外部に繋げているデスクトップパソコンの修理をあきらめてノートパソコンからの書き込みなのですが(CD-Rを焼けないので写真の追加注文は厳しいです)、「ちょうろう」の「野鶏の一品料理が50元」には誤りがあります。

尾乙闌 08/31 12:19

481:[ 無題 ]

原典で『反訓』の箇所みなさんご存知ありません?

妙神斎 08/31 09:29

480:[ 『古漢語同義詞弁析』 ]

『古漢語同義詞弁析』王政白著 黄山書社 1992年刊 11元

「迎」「逆」もとは同義詞です。演変して反義詞になった。(15p)

 九針十二原に出る字です。

 この字書も面白いですよ。

山本朝子 08/30 23:46

479:[ 漢作文 ]

青木正児の著書のあとがきだったかで、漢作文という言葉をみて、以来、憧れてはいる。『漢作文入門』なんて本はないものか、と捜したこともあったけど、考えて見れば、『文語解』とか『訳文筌蹄』とかがそれだったんだよね。
最近、「英語で日記をつける」とかいう本が話題になったようだけど、「漢文で日記」くらいのことは試みないと、かつての(江戸末期の)栄光は薄れるばかり……なんだろうねえ。

神麹斎 08/30 22:06

478:[ 江戸時代の漢字基本語研究 ]

「蓋」ケダシ……ナランと訓ず。「ケダシ」なんかは、完全に古語でよく分からないまま、流れに任せて省略して、われわれは理解しがちですが、江戸時代の研究書を読むと、「推量する」と訳せとあります。「蓋」の原意は「おおい・ふた」だから、「オオウカタ・大まかにひっくるめて」という意味を持つとあります。だから、文末は「ナラン」というような推量形で終わる。推量するに・おそらく・思うに・考えてみると~じゃないか。
「嗜」と「好」。「嗜」は「タシナム」と訓じて「スクコト」で、「好(この)ム」の甚だしいこと。
「過」と「失」。ともに「アヤマチ」と訓ず。「悪の心なきを過といい、過の心あるを悪という」 「失」は「覚えず、ふとしたる、し損ないをいう」。失笑など。
『文語解』には、「ナンジ」と訓読される漢字が、六個並べられていて、その通用関係や、用法のちがいがのべられています。この点は、「漢和辞典」の部首配列ではできない芸当です。
こういう、微妙なニュアンスのようなものは、たぶん現代の中国人には、当たり前なのか、こちらにそれだけの読解力がないのか、中国書には求められません。あるいは、日本人のかゆいところに手が届く説明を求めるのは無理なのかも知れませんが。
 中国書に挑むのも結構ですが、『文語解』(汲古書院、千五百円)とか荻生徂徠の『訳文筌蹄』などの江戸時代の努力の結晶に目を向けることも必要ではないでしょうか。

みどり 08/30 21:51

477:[ 黄龍祥氏の研究室② ]

彼の研究室に図書が無いというのは誤解で、壁一面に本がありました。けど、壁一面に扉が有ったので、本が隠されていました。本のロッカーというところでしょうか。
中国に行って気がついたのは、今ごろですが、教育と、研究と、臨床は、三権分立状態で、相互の交流がない、ということです。全くといっていいほど、それぞれかってにやっている、そんな気がします。だから、古典の解釈はあくまで解釈で、臨床的にどう解釈するかなどあまり興味がない。だから、一通り解釈がすめば、さらに深く、臨床的に解釈しようという試みはしないのではないかと感じる。そういう意味で、臨床家が古典を読んで、臨床的にどのように解釈するかを案じるのは、とても幸せな環境なのだと思う。中国から「黄帝内経研究大成」が出たというのは、きっと「黄帝内経」を卒業したという意味があり、おそらく、今後「黄帝内経」の研究は出てこないものと思う。それは、研究家には山頂に登ったのに等しくからである。臨床家がそれを深めなければならないのだが、そんなのにはお構いなしに、自分の臨床に都合のいいところだけをつまむ、つまり従来どおりの古典研を続けるだろう。やはり、そういう意味で、日本の今の環境は、お寒い環境なのだが、結構理想的な状況にあるんじゃないか。どうだろうか。

かいちょう 08/30 21:47

476:[ 無題 ]

関西で医古文の研究をしているグループご存知ありませんか?

妙神斎 08/30 17:32

475:[ 広島の酒 ]

三成の酒屋のおじさん(おばさん?)は正しい。広島は酒の産地として、一方の雄なんだから、何も灘の酒を追い求めることは無い。
「この辺の人じゃないでしょう。」 イイねえ。

神麹斎 08/30 15:52

474:[ 大関 ]

 王関は大関の誤りです。自分でもなんとなく変だなと思っていた。
 こちらに帰った頃、三成の酒屋で大関を買おうとしたら、ないと言われた。そこで菊正宗にしようとしたら、またまた無かった。お店の人に
「この辺の人じゃないでしょう」
と、言われた。
 久しく大関を見ていないもので、失礼しました。

山本朝子 08/30 13:55

473:[ 夜光の盃 ]

夜光の盃に王関を入れると越の寒梅に変わる、ということには何の科学的証明も無い。本当にそうであるかも、本当は疑わしい。しかし、何人かが試して「そうだそうだ」と言えば、秘方としては成立してしまう。
科学的証明が有ろうが無かろうが、安い酒を高級な酒と錯覚させることができれば、充分満足する人はいるわけで、それはそれで充分幸せなんでしょう。あるいは錯覚できる人のほうが幸せなのかも知れない。
(ところで王関という酒は知りませんが、ひょっとして大関の近音による誤りではありませんか。)

神麹斎 08/30 08:29

472:[ 魔法の器 ]

 だいたいの様子は分かりました。ありがとうございました。

 江戸考証学家が武器として使ったのは、清朝考証学家が使った、
形・文字学
音・音韻学
義・訓詁学
です。
 つまり、語法もなければ、修辞もない。
 「而」の研究も、それだけでは何の意味になるかわからないかもしれませんが、あの時、津曲さんが発表した「簡案未詳の研究」を見れば、わかります。
 江戸考証学の限界を越す意味で、医古文があります。
 あとは、音韻では、王力の『同源字典』の総論部分が必要です。
 さらに医古文の語法を越すには歴史語法が必要です。

 数日前、読売新聞の「編集手帳」に、最後の難関といわれた山の岸壁が踏破されて、若者の登山熱が急速になくなったとありました。「内経」はまだまだ完全には解読されてはいません。若い人に期待しています。
 経済的理由で研究が続けられない人には、『甲乙』を勧めます。国内の研究者との交流、やはり、臨文会とのシンポは、必要だと思います。 

 經絡・経穴の鍼灸大学での研究は日本では無理でしょう。アメリカなら可能かもしれません。

 話は変りますが、夜光杯を買われましたか。
 亀有にいた頃気づいたのですが、「王関」を夜光杯に入れると「越の寒梅」に変ります。酒の匂いが取れてあっさりした口当たりになり、まるで「越の寒梅」のようになるのです。
 夜光杯は安い酒を「越の寒梅」に変える「魔法の器」なのですよ。お持ちの方は是非試して見て下さい。
 但し、私は「王関」の香りが好きなので、以後、夜光杯はケースに入れてしまっています。

山本朝子 08/29 21:25

471:[ 補足説明: ]

補足説明:

黄龍祥先生と馬継興先生の会談は今回の「中華中医薬学会医古文分会」とは関係なく、たまたま、実現しました。
今回の訪中にあたり、北京に立ち寄るのでできれば会いたい旨をメールで黄龍祥先生に出したところ、「ぜひ会談したい」と、こころよい返事が来ました。

氏の研究室に招かれて驚いたことに、事務室、研究室にはパソコンが数台あり、本は全くない。(事務室には5~6台、研究室には2台、それと別のところに Windows XP、自宅にもある)
別に蔵書の部屋があるとのことだったが、この環境には驚いた。
ちなみに、モニターは眼の保護のため液晶モニターを使用しているとのこと。
小生の17インチモニターは眼にキツイ(そろそろ考えるか、液晶に)。

氏は若いときに『鍼灸甲乙経』を5冊購入し、ボロボロになるまで使い切ったとのこと。
たぶん、昔のことだから経済的なこともあり、大枚をはたいて本を購入しての勉強であったと感じる。

簡単に本をコピーができる環境になかったためであろう、この本を切り刻み組み合わせて『黄帝明堂経輯校』を作りあげたのだろう。
パソコンのおかげで「今は大変便利になった」と申しておりました。
ちなみに外字は数千文字、作ったと。

使っているソフトは、もっぱらWord、パワーポイントという。
日本のWordで作った文章は中国簡体字版Windowsで一切の文字化けもなく表示されていた。
佐合さん、小生の古典電子ライブラリーもきれいに表示される。
当たり前のことではあるが、ある意味で感動的でさえある。

氏は今年、ドイツ、ロシアを訪問し研究されるとのこと。
飾り気のない、気さくで嫌みのない方であった。また我々の研究のため超貴重書までいただいた。

会談では「WHO」の経穴委員会に日本が欠席しているのを不思議がっていた。
日本では経穴の基礎的文献研究が行われていないのでは、と思われているようだった。
個人的には研究されているようだが、国家機関、大学などの研究機関での研究が無いのが不思議であると。(実際、そうである)
ぜひ、国家レベル、鍼灸大学レベルの研究を望むと。

黄氏のはからいで馬先生との会談も実現させていただいた。
このへんの心使いがにくい。
馬先生とのことは「かいちょう」から会談内容を聞いていだだきたい。

こばやし 08/26 21:21

470:[ 中華中医薬学会医古文分会 ]

今回の催しは、今後の中国の中医薬学の教育をどうするか、という内の医古文の教育に関する部分の会議です。これに日本から我々が参加して日本(彼らからすれば医古文に手を出している数少ない隣邦)の実情を報告するということでした。
彼らの会議自体は、我々にはまあ関係ない。第一、中国語で侃々諤々やっているわけで立ち入りを許す雰囲気ではない。別に秘密会議というわけでなさそうで、資料はもらったからそのうち詳しく報告することもできるでしょう。簡単に言えば、ご多分に漏れず、若手の伸び悩みを嘆いていたようです。近々全国統一の医古文検定試験(?)を実施するようで、その標準教科書編纂の段取りもつけていた。
我々の報告は、宮川が日本の最近の医古文教育の実際を、原塾→日本内経医学会の流れを絡めて報告、左合は古医籍読解についての日本独自の悩みと日本人ならではの仕事に触れ、小林はその中でも得意分野になりそうなパソコン利用について実演を交えて話した。
今回、印象的だったのは、学会でなく会議であったこともあり、参加者のレベルが高かったことも有ってか、活発な質問がきたことである。もっともその内容は、どうして学校教育で医古文教育がおろそかにされるのか、どうして個人がそんなに努力するのか、といったことが主となる。後の質問については、「だって好きなんだもん」という答えにやっと、大いに納得してもらった。
それからもう一つ、パソコンに関しては、用意していったノートで、実際に電子文献を見せて説明し、大いにうけた。特に銭さんや段さんといった長老クラスが関心をしめし、人だかりになって、若手はむしろ後であきれ顔(?)。ただ、若手も含めて、パソコンで使用できる漢字に関しては、認識が低い。ユニコードの拡張領域Bについて、話が通じたのは一人もいなかった。
会議の参加者は、会長の銭超塵、副会長の段逸山と許敬生をはじめ、張其成、孫文驤。(この人は上海での交流会に参加)、温長路、頼文(♀)、崔錫章(♀)、施観芬(♀)、宋書功などといった医古文教科書の編纂の中心になりそうな人は網羅している。(名をあげたのは4ページにわたる名簿の最初の1ページ分、みな教授クラス。他もみな一冊や二冊は著書が有りそう。)
会議の期間としては3日であるが、後のほうの2日は、実は「五台山を参観して偉大な中国の古代風俗を体感する」のが目的だったようである。だから、1日目の夜は、乾杯の後、先生方は10時近くまで会議をしていたんじゃないか。我々の報告のしわ寄せでも有るが。
日本から行った我々にとっては、中国の医古文界の重鎮と交流を深めたのは、やはり成果であったと思う。中国側の先生の日本への関心も結構強くて、しきりに接近してきて、電子文献をねだられたりもした。これは、やはりパソコン実演の御利益か。

はなしは全然、変わるけど、黄龍祥氏と黄幼民女史はご夫婦です。中国のことだから、結婚前から両方とも黄さんで、むしろ珍しい。黄龍祥氏と黄幼民女史の共同作業って、結構有るでしょう。な~んだ夫婦でやってたの。(一寸うらやましい。)

神麹斎 08/26 08:10

469:[ 医古文会について ]

 旅の余韻を楽しんでおられる所へ割り込むような野暮なことはしたくないのですが。

 左合さん、そろそろ旅の疲れはとれたのではないでしょうか。
 医古文会の話をして下さいよ。
 そもそも、医古文会とは、どのような会なのですか。
 どんな人が参加して、どんなことが話されたのですか。
 学会ですか。会議ですか。


 詳しいことは、誰か『季刊内経』に書いて下さいね。


 小林さん。写真、きれいに写っています。
 宮川さんがいい顔をしている。
 「十元」が「百元」にならなかったですか。
 

山本朝子 08/25 22:15

468:[ ちょっとしたスナップ写真 ]

デジカメ写真集の一部です。
http://www.urawa.ne.jp/~koba/taigen/20020708.htm
ここに置いてあります。(期間限定、そのうち削除します)

中国の先生のバイタリティには驚かされる。
あれだけ夕飯の「乾杯」して、それからまじめに会議を行うとは。

こばやし 08/24 23:08

467:[ 現代日語講座は勿論おふざけです ]

現代日語講座は、勿論おふざけです。だから言ったでしょ、酒宴の戯言だって。
でも全くみどころが無いわけでもない。
ちょっとしたところ、外国語は、何となく同文と思っている文章でも、ちゃんと読むのが如何に困難なことであるか。一点一画を見落とすと、別の意味になってしまう。いや、むしろ文字を改めて読むべき場合もある。しかし、校勘の資料は無い。現代文だから、問い合わせれば、無論、正解にたどりつく(はずである)。しかし、連絡がつくとは限らない。連絡がついたら必ず解答がもらえるなんぞ、甘すぎる。
自分はこれが正解と思ったところで、理詰めで他人を納得させるのは、結構むずかしい。声の大きい方が勝つ、なんてことになりかねない。

酒宴の戯言にだって、自ら省みる契機となることは有る。

医古文の集まりに参加して拾ったタネとしては、「麻辣鶏塊」の袋の解読のほうが、野鶏の値段に対する考察よりは相応しいということ。

(それにしても野鶏の一品料理が50元というのは、高いのか安いのか、我々の仲間内には、少なくとも私の知る限り、味わった人が無いので分かりません。)

ちょうろう 08/24 22:29

466:[ スプライトにお酢 ]

今日、久しぶりに中華専門の料理店で「ごもく焼きそば」を食べました。
お酢をたっぷりかけて。
太原のお酢はまだ未開封です。
黄龍祥氏に夕食をさそわれ冷えたビールはうまかった。黄氏はコーラにお酢を入れて飲む。
やっぱりお酢はスプライトのほうが良い、と言っていましたが挑戦はしていません。
けっこう体に気を使って仕事をしている。なかなかである。
朝は早く起き、自転車で25分通勤、夜は11時には就眠。
まねをしたいものだ。
やっと船便で送った書籍のダンボール4箱のうち、一箱が届いた。
あと3つ、無事に着くことを願う。

こばやし 08/24 21:53

465:[ かいちょう ]

「かいちょう」は「快調」で、「だいちょう」は不詳、「しょうちょう」はおそらく「象徴」で、「もうちょう」は即ち「猛長」でまた乃ち「突撃隊長」、ただし問題をおこすと切り捨てられる。で、「ちょうろう」は……。

神麹斎 08/24 20:30

464:[ 日語講座回答の転載 ]

メールで届いた解答を転載します。

はやしさんの説が近いとおもいます。
それと、「じっくりしょうゆ味」からパクったものではないでしょうか。
ひらがなの小文字「ょ」は、きょう、しょう、ちょう、にょう、ひょう、みょ
う、りょうにしか、つきません。やはり、元の文に”しょうゆ”が
入っていたのではないでしょうか?

しかし、かのパッケージを証拠物として持ち帰っていたのですね。
おそるべし超労!

秀靜

管理者 08/24 12:47

463:[ 螢ウ ]

「螢ウを出る?」の「螢ウ」が、資料の字より一画多かったとしたら、それはフォントのせいです。ユニコードでは同一視しています。

神麹斎 08/21 08:58

462:[ 螢ウを出る? ]

かいちょうの言うとおり、「売」でなくて「螢ウ」ですなあ。
「螢ウ」は「殼」の減画の略字です。殼はもとより「カク から=物の周囲をおおう硬い外皮」。
「出螢ウ」ということばは、中国語の辞書にも無い(らしい)。
「出」という字の用法からすれば、「螢ウを出る」ですかな。出家とか出獄と同じように。
「菓子屋の製造工場からうって出る」ですか。
「奇奇」怪々です。

神麹斎 08/21 08:55

461:[ 現代日語講座解答 ]

問題①
 「最新出売清新感覚 やっぱり。自然は美味しい。」
 「出売」は、現代漢語で「売り出す」こと、日語ではこうは言わない。
 「清新」は、日語でも言わないことはなかろうが、これもむしろ現代漢語?
 「やつぽり」は、やっぱり「やっぱり」。
問題②
 「じつりょく(実力)は」
 でも「は」は何のつもりなんだ?
 「味」の日本的書法と思っている可能性?
問題③
 呼びかけた人は「長老」のつもりだったろうとして、そこにかすかに「嘲弄」が混ざっていたことも否定しがたい。
 それから「かいちょう」は「廻腸」であるという説も有り、他に大腸、小腸、盲腸を任命しようとする動きも有るやに漏れ聞こえるところからすると、「腸漏」説も捨てがたい。
 本当はまだ他に可能性が有るんじゃないか?

神麹斎 08/21 07:04

460:[ 日語問題の解答 ]

①「最新発売、新鮮感覚 やっぱり・自然はおいしい」
「出売」は、発売の誤り。
「せいしん」は、新鮮の読みを倒置してしまったか。
「やつぽり」は、やっぱり「やっぱり」でしょう。

②かいちょうの云うように「日本のお菓子のパッケージをパクった」と
思われるので、最後の字は「は」ではなく「しお」説を採りたい。
すると、その上は「じつりょく」か? 意味不明だなあ。
「じっくりしお」とこじつけるにも無理がある。

③「ちょうろう」を呼称するときは、長老をイメージしていたのですが
自虐的本人からは、腸漏を選んで欲しがっている質問かと思います。
それなら長漏でも、腸老でも、嘲老でも、チョー陋識でも良いかな。

Mail はやし 08/21 00:10

459:[ わからん ]

中国で見たときもそうだったが、今見ても難問。ひらがなを使っているから、きっと日本のお菓子のパッケージをパクった可能性が高い。それは、問題②のひらがならしきロゴをみてもわかる。謎なのは、「さいしん」「せいしんかんかく」で、なぜにひらがなにしたのだろうか。「やつぽり」「おいしい」は順当。問題①なのだが、出売の売は売ではないぞ。穀の簡体字のようだ。
というわけで、何もわからないということを、まず第一声。

かいちょう 08/20 22:56

458:[ 現代日語講座・超級 ]



問題①以下の文章を漢字まじり文に直し、その意味を説明しなさい。
「さいしん出売せいしんかんかく やつぽり。自然はおいしい。」

問題②資料の左側の「ひらがな」らしき文字列を解読しなさい。

問題③「ちょうろう」には、以下のいずれの漢字が相応しいか選びなさい。
   長老  嘲弄  腸漏
ちょうろう 08/20 07:41

457:[ 字と詞の違い ]

 フジテレビ「北の国から」の監督、杉田成道さんの話。

 セリフって同じセリフでも使われる場所で意味が変るんですよ。
 例えば、
男「もういいかい」
女「まだよ」
 これを、便所の外・内と、ベットの中では、全く違う意味になるんですよ。  


 「陰陽応象大論」
「陰陽者、天地之道也、萬物之綱紀、變化之父母、生殺之本始、神明之府也」
 新校正云、詳陰陽至神明之府■天元紀大論同注頗異。

 「天元紀大論」でも同文の注に新校正は同じような注を入れています。

 同じ文章でも使う場所で意味が違うと、王冰は捉えたのかも知れません。
 私には前後の意味で文章を読解する能力がないのでよく分かりませんが、たぶん、宮崎さんのように同本中の似た文章を比較する場合、これが、一番留意しておかなければいけないことではないかと思います。


 「語法は「字」を解釈するのではなく「詞」を解釈するものだ」
と、言われます。

 血出。
 出血。

 似たような文章ですが、
 前者は、主語+謂語で、病症として、血が出る。
 後者は、謂語+賓語で、術者が治療によって血を出す。

 全く違う意味になるものです。

山本朝子 08/15 13:12

456:[ 編者の意図 ]

 山田氏の研究と我々の研究のどこが違うのだろう。
 昨日、一日考えてみた。
 
 
 多分、研究テーマがちがうのだろう。

 『中国医学はいかにつくられか』のむすび

「それぞれの時代の人々は古典のなかに、それぞれ異なったものを見てとっていた。異なった時代には異なった古典の風景があり、古典の風景はそのままの時代を映す風景であった。この本のなかでわたしが描こうとしたのは、自然と人体に迫り、病の治療にとりくんできた、人間精神のひとつのありかたを語る歴史の風景なのである。」
 

 私達の研究は、「内経」のそれぞれの篇を編集した人たちの編集意図を読み取ってあげることではないだろうか。
 例えば、編名。
 一冊の本を十人の人が読むと十人とも異なる印象を持つものだ。
 『素問』の場合、同じ文章でも、王冰と全元起の篇名が違うのは、王冰が訴えたかったことと、全元起が訴えたかったことは違うのではないだろうか。但しこの時、全元起の篇名が全元起がつけたのでは無く、過去のものを踏襲していたとしら、全元起が受容したものとなる。
 また、王冰が全元起本を引きちぎって組み換えた篇も、そこで王冰が訴えたかった何かがあるのだろう。
 『霊枢』にも編者の意図があったはずだ。
 王冰が訴えたかったこと、全元起が訴えたかったか又は踏襲して受容したもの、『霊枢』の各篇の編者の意図が何だったかを読み取ることが大切なのではなかろうか。
 一つの篇を作る時、文字の統一がなされていないからといって、折角寄せ集めて作った文章を、ここは古い、ここは新しい、ここは何々派、ここは何々派と引きちぎることはできない。篇全体として捉えることが我々の仕事のような気がする。

 
 だからといって山田氏の説を批判するものではない。とても参考になるものだ。
 これからの「内経」研究は、「学者の目」「医師の目」「薬剤師の目」「鍼灸師の目」等が総合してなされていくものだと思う。


 

山本朝子 08/14 11:42

455:[ 学者の説は貴ぶべきかな ]

まともな学者がきちんと源流を考証して、もともとはこういう文章であったと言い、詞義の変遷と語法の制約から、こういう意味にしかとれないと言ったら、これはもう従うよりしようがない。僅かな経験や、好みを主張するわけにはいかない。ましてや多数決を求めるべきところではない。
問題はそこから先で、慎重な学者はそこで踏みとどまる。その意味内容が、真実であるか妄想に過ぎないかの検討は、原著者と業を同じくするものの役割である。
例えば、足の三里には、三十を過ぎたら施灸を続け、常にグジグジにしておけという説が有り、また、そんなバカな指示があるものかという意見が有る。
実は、これも黄さんの受け売りなんだが、出所は『千金翼方』で、
 人年三十以上,若灸頭不灸三里穴,令人気上眼暗,所以三里下気也。
というのが本来らしい。これから「灸頭」が抜け落ちて、年三十以上は須く灸をすることになり、はては子供には禁灸という尾びれまでついた。
『千金翼方』のさらなる源泉は、『太平聖恵方』に引かれた甄権の『針経』である可能性が高く、そこには、
 若針肩井,必三里下気,若不灸三里,即抜気上。
とあるらしい。
つまり、中年にさしかかってから後は、頭に灸した場合は足の三里にも灸をして、気を下げておかないと、眼に異常をきたしますよ、というのが孫思驍・フ言わんとするところであり、さらにはもともと足の三里のいわゆる「かえし」のツボとしての効能を述べたのに過ぎない、という説は尊重してしかるべきである。ただ、足の三里にそれほどの効能が有るのか、この「大法」に反すると、本当に害が有るのか、については臨床家がいろいろと考えてみるべきであろう。

神麹斎 08/13 08:09

454:[ 「学者の目」「鍼灸師の目」 ]

 今春、前に買って読んだ推理小説を何冊か読み返しました。
 私のボンクラ頭は、どれ一つとして犯人を覚えておらず、全冊最後まで楽しめました。
 ・・・・・・。

 
 十日に「年の功より亀の甲」(タイトルは亀の甲より年の功と間違っています)を書くために山田氏の本を見ていて『中国医学はいかにつくられたか』(岩波新書)を見つけ読みなおしてみました。
 三年前に読んだばかりなのにほとんど覚えておらず、とても面白かった。
 病因観や鍼法、脉診など時代を追って分かり易く書かれています。すごい分析力。
 

 しかし、何かが違う。神きく斎さんが「邪気蔵府病形」を「賢者の石」といったり、小林さんが『甲乙』明堂をベットと治療家といったり、「学者の目」「鍼灸師の目」っていうのがあるのかなあと思いました。

山本朝子 08/12 23:01

453:[ 新刊紹介『中国針灸学術史大綱』 ]

実はそれほど新刊でもない。去年の四月の発行だから、その数ヶ月後には、日本にも入って来ているでしょう。
上京の際に購入しようと思いながら、そのつど書店に立ち寄る余裕が無くて、延び延びになっていたけれど、今度、北京の新華書店で求めました。その足で、著者に会いに行ったら用意してあったけれど、そのつもりで買い控えて、また今度にするわけにもいかないので、まあ仕方がない。その本は会にいただいて、私は別のもっと貴重な書籍を拝領しました。
で、この『中国針灸学術史大綱』はいい。こういう本こそ翻訳して、多くの人に読んでもらいたい。勿論、まだ読みかけであるし、細部には文句のつけどころは有るけれど、このレベルが常識になると、学界の空気が一変するでしょうね。

人々は針灸文献の研究にあたって、往々にして版本の鑑定や版本の源流に対する考察をないがしろにして、厳重な誤りを犯しながらそれに気付いていない。例えば伝世本『霊枢・五音五味』に衝脈、任脈の循行に関する記述がある。
衝脉、任脉,皆起於胞中,上循背裏,為經絡之海。其浮而外者,循腹右上行,會於咽喉,別而絡脣口。
上文中の「上循背裏」と経脈循行分布の規律は合わない。「背裏」は大きな範囲であって一本の線ではないし、衝脈と任脉が背に行くだけで腰部に行かないというのも、変な話である。『素問・骨空論』の王冰注に引く『針経』が「上循脊裏」に作り、『太素・任脈』も同じなのが正しい。同様に「循腹右上行」もまた常理に合わない。『太素・任脈』巻十は「循腹上行」、王冰が 引く『針経』の文は「循腹各行」、『甲乙経』巻二は「循腹上(一作各)行」に作る。これらから伝世本『霊枢』中の「右」字は乃ち「各」の形誤であり、古人の附注が正文に混入したものであるのがわかる。ところがこの真相を知らない実験研究者は、この「循腹右上行」の任脈と衝脈を尋ね求め、古人の偉大さと正確さを証明しようとしている。こうしたことに遭遇するたびに、私はあるいは沈黙し、あるいはヨーロッパの人をまねて肩をすくめお手上げのポーズをとり、内心の深いところでこれに対して遺憾を感じるとともに、さらに多く一種の自責を感じる。

以上はそのごく一部の紹介です。内容自体はそれほど目新しいものでは無いけれど、この精神で貫かれた800ページ余の針灸史の書物は、やはり紹介(と出来れば翻訳)の価値が有ると思う。

神麹斎 08/12 09:16

452:[ 亀の甲より年の功 ]

 京都精華大学助教授・中世日本文学の田中貴子さんが読売新聞に「中世ひと絵巻」を連載されています。私はこの記事が大好きです。文学を通じて中世の人が生きているように描かれているからです。

 今日掲載されたタイトルは「少女だけがわかる古典」

 田中さんが高校の国語の先生方の前で講演した。その時のこと、

『なかでも「長老」というか、かなりの年齢の方が、「私は、古典なんていうものは年をつれてわかるようになると思っているから、たかが十七、八歳の子供にわかるわけががない」といった言葉がとても気になった。
 私のもっとも嫌いな文句は「亀の甲より年の功」というやつ。その「長老」は年齢が上の者ほど偉いといいたげだった。』
 ・・・・
『正直言って古典のおもしろい部分は「性」や「恋愛」に集中しているのであり「長老」はそのおもしろい部分を読んでいないか、あるいは「古典」という名のの持つ権威を真っ正直に信じている者だと思われた。』

 そこで田中さんは『とわずがたり』の話に入ります。
 主人公であり、作家でもある二条が兄のようにしたって仕えていた後深草院に関係を持たされるシーン。
 父親や回りの女房たちの取り計らいで院が忍んできます。
 第一夜、二条がうとうとしてはっと目が覚めると隣に院が寝ころんでいる。しかしその夜は指一本触らせずに過ごす。
 第二夜、「着ていた衣はびりびりに破られ・・・・」というほどの暴力的な行為で関係を持たされてしまう。
 ・・・・
『このくだりを以前いた女子大学で話すと、「私なら絶対泣き寝入りしない」「二条がかわいそう」と、とても生き生きした反応が返ってきた。自分だったらどうするか、ということを、彼女らは主人公に託して読むのである。そんなとき、男性研究者や男性教師はどう反応するのだろう。きっと「二条なんて可愛くない」と思うのが関の山ではないか。それが今までの男性主体の「読み」だったのだ。少女(女性)から見ればどう読めるか、などという発想は本来なかったのが国文学なのである。
 私は、あの「長老」に『とばずがたり』のこの部分を見せてやりたいと思う。「長老」はいったい誰の「目」で見るのだろう。「年の功より亀の甲」。私の好きな言葉である。』


 『素問』『霊枢』にも「男の目」「女の目」があるのかなあ、と思っています。


 田中さんの話に出る「長老」は「権威」ともとれます。
 『島田隆司著作集』にある
 「黄帝内経の成立」をめぐってー山田慶二氏の論を批判しながらー
 島田先生が四十代の論文てす。とても勢いがあって、私は先生の文章ではこれが一番好きです。
 山田氏が『素問』『霊枢』より『太素』のほうが古いと言われたものに対する反論です。
 その後山田氏は、1999年に出された『中国医学の起原』p.280で
「『黄帝内経』の二系統のテキストのうち、『太素』のほうが、文体・用語・構成のいずれにおいても、古代の原形に近い、と書いた。しかし、現存する『黄帝内経』の構成はきわめて錯綜しており、『太素』のほうが『素問』『霊枢』より古代の原形に近いとはいえない、といまは考えている。」
と、書かれています。
 この本が出た時、島田先生は病床につかれていました。見舞いに行った時、この話をしたら先生はとても嬉しそうな顔をされました。私が先生にお会いした最後の日でもありました。

 明日はお墓参り。私はいけませんがこの場をお借りして、先生のご冥福をお祈り致します。
 

山本朝子 08/10 23:04

451:[ 活字化の問題  ]

 電子テキストは 入力も大変ですが校正も大変です。校正には最低三人の目が必要でしょう。

 前に「已」「巳」「己」を形・音・義から考察したことがあります。今のテキストでは全て「巳」になっているのは何故か疑問になったので。しかし、あの時は答えが出なかった。今思えば、活字化にともない、「巳」に統一したのでしょう。
 刻工は学者ではない。仁和寺本『太素』をみていても、ちょっとした筆づかいで「己」が「已」になったりします。それをそのまま刻すと全く異なる意味になります。だから全て「巳」にして、意味は前後の文意でとってもらうようにしたのでしょう。
 他の字にも活字化による統一があったかは、私には分かりません。


 世の中には中途半端に賢い人がいます。「内経」を一回読んだだけでわかってしまう。「九針十二原」だけを二年もかけてやる人(私達のこと)をバカにする。そんな人がカリスマ的指導者になり、学生たちは妄信する。
 『現代語訳』を見た時、これからの鍼灸界は、そういう人が増えるだろうと思いました。
 『現代語訳』は確かに今の日本で最善のテキストです。 多くの鍼灸師に読んで頂きたい。しかし、完全ではありません。事あるごとに『現代語訳』を天下の宝刀の如く振りかざす「バカモノ」を出さないためにも疑義挙例を出して行かなくてはいけないと思いました。
 宮川さんの「霊枢講義」はとてもすばらしいですが、
 「かいちょう、そこはおかしいんじゃないですか、このほうがいいですよ」
 と、いえる人材が育ってくれることを願っています。


 

  

山本朝子 08/08 20:49

450:[ 電子テキスト ]

住基ネットが開始された。
さっそく、「システムの誤入力・・・」「他人のコードご記入・・・」など新聞をにぎわしている。
+++++++++
「ほら貝」HPにいくつか出ています
http://www.horagai.com/www/moji/moji000.htm
たぶんユニコードは使っていないはず。

人の手でデータを入れるのだから当然入力ミスがあってあたりまえ。
住基ネットと同じ、電子テキストの問題(異体字処理、校正・・)もまだまだ、一つ山を越えると又、山がそびえ立っている。

こばやし 08/07 14:11

449:[ 白光 ]

太原で、上海の段逸山教授から{白光}字について質問を受けました。
主として、電脳で使える字の中に有るか?だったと思いますが、あるいは初見の古籍は何か?というのも含まれていたかも知れない。
帰国後分かった内容をメールしましたが、何度も失敗しました。最後に試みた通信は成功したかと思いますが、念のためここにも。この談話室は上海からも見ることが出来ると思う。

《望診遵經》(清・汪宏輯著 上海科技出版社 1982.8第2次印刷)
白色主病條目
……面色{白光}白者。寒也。……
……谺ャ嗽病。面色{白光}白。痰多清稀。鼻流清涕者。嗽寒也。……
……病人面{白光}白。直視息肩者。死在一日中也。……

《中華字海》(冷玉龍等著 北京・中國友誼出版公司 1994.8)
{白光}huang 音晃】①面部因氣血虚而發白。見《中醫臨証備要・頭部証迢€》。②人名。

Unicode Version 3.0(含Extension A)
3FE0 {白光}

初出については満足していただけないでしょうが、UnicodeのExtension Aに有るから、電脳で使えるのは間違いない。ただし、この談話室でうまく表示できないように、環境に制限はある。Word文書とかUTF-8のtext文書なら問題ありません。

左合昌美 08/07 09:33

448:[ 歴史の縦糸・横糸 ]

 私は三、四才の頃、一つ年上のひろし君と毎日遊んでいました。
 ある日ひろし君はお父さんに買ってもらった刀をみせてくれました。それはアルミかなにかの金属製で垣根の木をこすると木に傷がつくものです。私はそれがとてもうらやましかったのですが決して親におねだりできるような豊かな家庭ではありませんでした。夏草が枯れると硬い幹だけが残ります。私はそれを採って適当な長さに折り、腰にさして遊んだものです。ひろし君の刀は金属製。私の刀は夏草の茎。刀が欲しい。
 
 三つ子の魂百までも

 帰郷前、思い余って日本刀剣美術保存協会に入会しました。会員になると月一回代々木の刀剣博物館で行われる講習会に無料で参加出来ます。
 刀は大きく、古刀、新刀、新々刀に分けられます。
 室町末期に古刀から新刀に代わります。その理由は戦いの仕方が騎馬戦から地上戦になり、刃を下にした、太刀から刃を上にした刀に代わることで刀の反り方が代わるからではなく、材料となる鉄を作る「たたら」が大型化したことで鉄質が代わるのだそうです。
 余談ですが、「たたら」が大型化すれば沢山木を切らなくてはいけない。森林破壊。そして大雨が降れば下流の田んぼに土砂が入り、たたら者と農家の争い。そんな時代背景で作られたのが「もののけ姫」です。
 江戸末期の新刀から新々刀に代わった理由は聞き損じました。
 さて、初心者の講習に出てみました。江戸時代の刀工。その勉強の仕方は、歴代の将軍の名前、在位年月日、歴史的に有名なエピソード、そして刀工の名、です。
 伊藤先生の話では、
 「直接刀工を覚えようとしても覚えきれずやめて行った仲間が何人もいた。いろいろやって歴史から入ったほうがわかりやすい」
 とのことです。
 
 私はこの手法を医書にも応用できると思いました。そこで学研の『漢和大字典』の付録にある「中国文化史年表」をコピーして、医書の年表と比較しながら見るということを古典研の講習会でさせていただいたことがあります。ただ、これだといまいちだったんですね。

 医家と歴史上の有名人との接点がないか。

 紀伊国屋文左衛門と杉山和一の話もそうですが、「洛陽の紙価を高める」に出る皇甫ヒツが『甲乙』の皇甫ヒツだったらとても興味深いです。ただなかなかそういう事を書いた本がないのでわかりづらいです。

 話は代わりますが、
 『中国言語学史』大島正二著、キュウ古書院 10、000円
この書の特徴は
 「研究や著述の単なる書誌的・解題的な説明や列挙に留まることは避け、分かる限りにおいて、そのような研究や著述が、どのような文化環境のもとで要請され、どのような目的・意図のもとでなされたのかを、学問の系統や資料価値、学史に占める位置などに言及しつつ叙述する。」
 工具書に関するテキストはかつては中国本しかなく、苦労したものです。今は日本語のものが何冊か出ていますが、私はこの本をおすすめします。文献的にも詳しいです。

山本朝子 08/05 11:16

447:[ 皇甫謐 ]

左思の文章をほめて、洛陽の紙価を高からしめた皇甫謐は、つまりあの皇甫謐です。この人は結構有名な人で、『晋書』に伝も有りますが、そこに『甲乙経』は勿論、医書を編著したことなぞ全然書いてないので、『甲乙経』の編著者が本当に皇甫謐であるかどうか、大いに疑われ、ひょっとしたら「あの有名な皇甫謐」の名を騙ったんじゃないか、と勘ぐられるわけです。

神麹斎 08/05 10:50

446:[ 中華中医薬学会医古文分会 ]

中国太原における中華中医薬学会医古文分会参加の概要

7月28日午後 北京着 崔仲景・黄龍祥と会談、交流
7月29日午後 黄龍祥を中医研究院に訪ね会談
    夜  黄龍祥・黄幼民・崔仲平と交流
   夜行寝台列車で太原へ移動(以後、崔先生と同道)
7月30日朝  太原着  
    午前 中華中医薬学会医古文分会開会
    午前 日本からの報告
      宮川浩也:日本内経医学会による医古文関連事業の概観
      左合昌美:日本独自の問題について
      小林健二:コンピューターの役割について
      左合・小林から電子データをCD-ROMで提供
7月31日から8月1日 中華中医薬学会医古文分会の催しとして、五台山参観
 銭超塵・段逸山・張其成をはじめとする医古文学界の諸氏と大いに交流を深める

8月3日帰国し、4日は島田先生の三周忌。
今回の訪中には、島田先生逝去の際の中国からの哀悼に対する謝辞と、今後の交流の道をつなぐ目的が有った。行く先々で、重ねて島田先生への哀悼の言葉を賜り、また今後の交流・研究を大いに期待され、初期の目的を予想以上に達成することができた。

長老 08/05 10:36

445:[ 洛陽の紙価を高める ]

『弥縫録 中国名言集』陳舜臣著 中公文庫

 「洛陽の紙価を高める」 

 姓は左、名は思、あざなは太沖(たいちゅう)。この人物、史書によれば、たいそう醜男で、口は訥であり、交遊を好まず、ただ閑居を以て事としたしある。父親から「わしの若いときは、もっと出来がよかったぞ」と言われたので、発奮したという。
 三世紀末から四世紀初頭にかけての文人であったが、この左思と同時代の文人にハン岳という美男がいた。ハン岳が弾弓をかかえて、みやこ洛陽を歩けば、若い女性がキャーッとまわりを囲む。ところが左思がまちを歩くと、婆さんたちが出てきて唾をはきかけた。大きな違いではないか。いやになつて家にとじこもったのも無理はない。とじこもって何をしたかといえば、文章のわざを磨くことに専念したのである。
 当時の人たちに愛読された文章は、後漢の班固(三二ー九二)の『両都賦』や張衡(七八ー一三九)の『二京賦』であった。前漢のみやこ長安と、後漢のみやこ洛陽を比較して、前者は華美すぎて、やはり後者のほうがすぐれていると述べたものである。張衡の『二京賦』には、奢侈に流れて行く世相にたいする警告も含まれていた。
 左思はこの両先輩に挑戦しようとした。彼が生きたのは、三国(魏・蜀・呉)がやつと晋に併合され、束の間の統一が実現した時代である。左思は三国のみやこを比較する『三都賦』をつくろうとした。
 ところが、左思は魏のみやこのギョウは知っていたであろうが、呉都の建業(南京)や蜀都の成都を知らない。旅行は無理としても、その地を知っている人から話をきかねばならない。家にとじこもっていては、それができないので、宮仕えすることになった。ちょうど妹のサフン(この女性も文才があった)が後宮で貴賓に昇進して、縁故があったのだろう。
 見聞がゆたかなので物を書こうとしたのではなく、物を書くために見聞をひろめようとしたのだ。家のなかのあちこちに紙と筆を備え、名句を思いつけば、その場で書きとめるといった熱中ぶりであった。こうして十年がかりで『三都賦』は完成したが、はじめは期待に反してあまり話題にならない。
 左思は自分の作品を皇甫ヒツという人にみせた。この人は官途につかず著作にはげみ、世人から逸士として尊敬されていた。この人が「ほう、これはみごとだ」と感心して序文を書いた。さらに当代随一の学者といわれた司空(副首相)の張華がこの作品をほめた。
 ー 班(固)・張(衡)の流なり。之を読む者をして、尽く余りあり、久しくして更に新たならしむ。ー
 さらに張載、リュウキ、衛権といつた、当時の有名な文人が、つぎつぎと註を作ったり、解説を書いたりしたことから、左思の『三都賦』は急に爆発的に人気が出たのである。
 印刷のなかった時代だから、筆者するしかない。『三都賦』を筆者するために、洛陽の人たちが争って紙を買った。蔡倫が紙を発明してからまだ二百年もたっていない。大量生産はできなかったので、かなり高価なものであったろう。それがもっと値上げしたのだ。
  洛陽、之が為に紙高し。
 と『晋書』にしるす。以後ベストセラーズのことを、「洛陽の紙価を高める」というようになった。
 読者に未知のものえのためらいがある場合、その道の有力者の序文や推薦文のもつ威力は絶大である。『三都賦』は三世紀におけるPRの成功例といえよう。


 この話に出てくる皇甫ヒツは『甲乙』の皇甫ヒツでしょうか。

山本朝子 08/02 15:01

444:[ 経絡機能 ]

『“内臓体性反射”現象としての横割りの反応帯である皮膚節(デルマトーム)、筋節(ミオトーム)に対して、経絡系は全身の伸筋、屈筋を通じ、縦走筋群の筋間溝を縦に走る縦割りの“内臓体性反射系”であり、その実態は脈管外体液であるという認識に立つ。経絡の機能とは何か。“内臓体性反射症候群”(過敏・鈍麻=内臓知覚反射、圧痛を伴う硬結=内臓運動反射、色素沈着・斑点=内臓栄養反射、冷え・血腫様の腫瘍・丘疹=内臓交感神経反射)に対して、即ち体表に現れた病的変化を治療指針の一要素として鍼・灸の機械的・温熱的な物理的エネルギーを加えることにより生体の機能的変化、或いは二次的には器質的変化を恒常的に生理的状態に引き戻すのが鍼灸治療であるならば、これらの刺激を受け容れた生体の管外性体液の化学的、物理的変化に基づく生理的恒常性への回復は、その体液自体とその循環器(経絡)のもつ機能が(体性内臓反射、大脳反射を含めて)干渉された結果であるといえようか。かかる観点から“経絡の機能”を把握する。』
最低これぐらいのことは言えないと...。
古典なんて黴臭い世界だなんて理解しかされませんよ。

妙神斎 08/02 13:25

443:[ 金曜講話 ]

 第13回英国科学実験講座(クリスマス・レクチャー)のパンフレットから

「ファラデーは科学の啓蒙について現代にも通用する卓越した考えを持っていました。それは、違う分野の科学者同士でもお互いの研究内容を理解することが必要であり、また、非専門分野の人々にも研究内容を理解してもらうことも同じく重要である、というものです。このため、クリスマス・レクチャーが始まった同じ年に「金曜講話」というプロジェクトも開始され、現在まで営々と続けられています。「金曜講話」は講師が自分の研究を違う分野の研究者と一般の人々に分かり易く説明するものです。英国でその後続々と設立された大学のありかたにもこの考えは反映されています。研究のあいまに違う分野の研究者が同一の空間を共有して世間話をする間に、自然と研究者同士の理解が深まる仕組みになっています。この手法はその後アメリカを含む世界各地に広がりました。
 「金曜講話」では過去二十年の間に5人もの日本人科学者が講演を行っています。金曜講話もクリスマス・レクチャーも、マイケル・ファラデーの理念の下、英国で始まったものですが、科学に国境はありません。王立研究所でも日本人のさらなる活躍を期待しています。」

 
 いろいろ考えさせられる文章です。
 「内経」研究でも、私の場合、漢語語法の専門家がおられたらいろいろお聞きできるのになあと思うことがあります。
 また、伝統鍼灸学会は、国際学会でフランス人がフランス語で、ドイツ人がドイツ語で話しているようなものです。何故他流派の人に分かってもらえるような努力をしないのかなあと思います。

 クリスマス・レクチャーの二日目、私の右隣は小学四年生ぐらいの小さな男の子でした。その子が講義のメモを録っていました。見ると細胞膜の模型だとか、癌細胞と正常細胞のフィルムの映像を、絵にしていました。左隣は五十代ぐらいのご婦人。こちらはメモ帳になにか書き込んでいます。のぞいてみると難しい数式です。どうも専門的知識を持たれたかたらしい。二人の間で私はただ楽しく聞いていました。
 小学生から専門家まで分かるような講義は始めての体験でした。
 誰にでも理解できる講義は、誰にでもできるものではありません。
 

山本朝子 07/29 22:12

442:[ 無題 ]

しつこいようで申し訳ないんですが、山本さんの反応ってなにを以って反応と認識してるんでしょうか?刺激して効果があるところが経穴なんですか?経穴じゃなくても効果のある反応はいくらでもあるでしょうに...。反応に応じた刺激のチョイスとかは考えないんですか?
臨床のなかで例えばどのような点に着目して経験したらいいんでしょうね。もちろん古典の話に関連づけてもいいんですよ!

妙神斎 07/28 11:56

441:[ 第13回 英国科学実験講座 ]

 昨日、今日と広島市立大学で行われた、第13回英国科学実験講座(クリスマス・レクチャー)を聴講してきました。

 クリスマス・レクチャーは英国で1826年から続く伝統の実験講座。「電気の父」とされるマイケル・ファラデーが、子供達に科学の楽しさを伝えようと始めた。毎年クリスマスシーズンに開催。ノーベル賞受賞者など第一線の科学者が講師となり、工夫をこらした演出と丁寧な解説で科学を生き生きと伝えてきた。日本では1990年から「英国科学実験講座」として紹介されている。
 今年のテーマは
  26日 遺伝子とはーDNAの発見
  27日 最先端の遺伝学ー無限の可能性
 講師は英サンガー研究所前所長ジョン・サルストン卿

 小中学生を対象としたものだけにDNAモデルのぬいぐるみを使ったりして視覚的に楽しめる演出をしていました。またメンデルの遺伝の法則の時にはエンドウの背丈の低いものと高いものの鉢植えを出して説明したり、と、学生時代教科書で習った実験がすべて実物を出してとても分かりやすいものになっていました。
 初日講義始めは、会場からボランティアで出てもらった学生に、テーブル上のものを「生きているもの」「生きていないもの」に分けてもらうのですが、これがなかなか難しい。金属か何かの置物は「生きていない」、鉢植えの植物は「生きている」、肉は、これは「死んだもの」を新たに設ける。では石炭は「死んだもの」、
でアンモナイトの化石は「死んだもの」ではなく「生きていないもの」、硫酸銅の結晶は「生きていないもの」、犬は「生きているもの」。ここから硫酸銅は宇宙が誕生した時から今も変わらないが、生物はもとは一つだったものが生殖によって変化してきた。この変化が進化なのです。こうして進化の説明に入ります。
 そして遺伝子の発見。そして遺伝子の最前線は、一卵性双生児は全く同じ遺伝子を持ちながらも性格は違うのはなぜか、今英国で50万人の遺伝子と環境の関係が研究されているそうです。そして遺伝子操作、遺伝子治療の話。遺伝子操作はちょっと怖いなあと思いました。

 内経研究も子供達に楽しんでもらえるように出来ないものかなあと考えています。


 英サンガー研究所は「ヒトゲノム計画」に参画しアメリカの製薬会社と熾烈な解読競争をしてきました。サルストン卿はヒトの遺伝子は全人類共有のもので、決して一部の企業の秘密にして儲けるためにつかわれるものではない、といっておられました。
 『甲乙』の「巻三索引」と「主治穴索引」は数年前古典研の片川さんが作っています。「主治穴索引」は経穴ごとに巻七以降の主治症をグループごとに並べてとても便利なものです。これが内経医学会で出していたら亜東書店に並べてより多くの研究者の役に立てたでしょうに。
 
 
 「経穴」については、反応のある場所を使って効くものですが、中には反応のある場所をいくら施針しても効かないのが、反応のない場所で著効する場合もあります。現象だけでは説明できないものです。臨床の中でいろいろ体験されたらよいのではないでしょうか。

     

山本朝子 07/27 23:50

440:[ 無題 ]

経穴の定義が馬鹿でかい問題だという根拠は理解に困るひょうげんですが...。溜め息が出るっていうのも個人的な趣味としかうけとれませんが...。まぁ、方法論を共有しえない以上は正確な議論もできないでしょうし、「脈気所発」という表現に含まれる意味合いはやはりまず現象ありきってところが判らない以上は解釈のしようもないでしょうね!最近、鍼灸関係の著作やらを読むとなんだかどんどん自分が馬鹿になっていくようで嫌になるですよね...。

妙神斎 07/27 12:21

439:[ 儒教 ]

宮崎市定先生の『論語』に関する著作を、ここのグループ、原塾→内経で、最初に話題にしたのは、多分わたしだと思う。そこで、もう一冊、ちょっと毛色の変わった孔子・儒教に関する書物を紹介したい。
 『儒教 ルサンチマンの宗教』 浅野裕一著 平凡社新書 1999年
別に新刊じゃありません。 
「儒教なる宗教がどのように形成されていったか」というのがその内容なんですが、その視点がなんとも意地悪い。
わたし自身は、老荘思想にあこがれはするけれど、根本は儒教的な人だと思っています。それでも、儒教の体制擁護的傾向は、やっぱり背中がむず痒い。そこを、実に心地よく引っ掻いてくれる。
伝統的鍼灸の世界に置き換えて身につまされる、というのはいささか深読みに過ぎるでしょうか。
薬になるかも知れないけど、毒かも知れない。美味いという人も有るだろうけど、嘔吐を催す人が有るかも知れない。まあ、あんまり役にはたたない。だから、こんなものも有るよとお知らせはしますが、特にお勧めはしません。

神麹斎 07/27 05:56

438:[ どうして ]

「どうして、それぞれの会の掲示板をにぎわそうとしないのかなあ」という感想を、拒否と受け取られたようなので、少しだけ弁明を。
嫌がってるんじゃなくて、難しいだろうなあという老婆心です。おせっかいと言われればその通りかも知れない。
うちの会にも、本は読まないけど、臨床の名人という人は居ます。しかも、運営委員の中にも居ます。なぜ居るのか。本を読んでわかったことを、上手に聞き出しているフシは有る。なぜ居させるのか。突拍子も無い疑問を出されて、検討の糸口になることが有る。
ただ、残念ながらパソコンも嫌いで、談話室には参加してくれない。
それに、その御仁、いま夢中になっている研究会があって、臨床のことを話せば、みんなその方式になってしまう。だからそっちの会の掲示板のほうがいいんじゃないかな、とは思います。彼じゃなくても、誰かが応えるでしょうし、いろいろ予備知識のサービスも有る。

神麹斎 07/27 05:54

437:[ そもそも ]

そもそも「古代漢語的には経穴はいかように定義されるか」という設問が妥当ではありません。内経で、あるいは古医籍で経穴はいかように定義されているか、それを読み解くのに古代漢語の知識はどのように有効であるか、だと思います。
結論を言ってしまえば、たいしたことは有りません。一般論的に言えば、古代の人々の考えはそう複雑なものではない。命名には、深い意味なぞ無いことが多い。孔穴と呼ぶのは、アナというだけのことでしょう。気穴と呼ぶ背景には、気の理論がありそうですが、これは医学史あるいはさらに哲学史の問題です。閻ァ穴(兪穴・輸穴)という呼び方はもう少しやっかいで、もう少しだけ問題、……古代漢語的に議論する余地がある。それよりなにより、文章の中で、どう説明されているかのほうが問題で、文章が長くなればなるほど誤読の危険は増加するわけだから、古代漢語の知識がより有効あるいは必要だろうと考えています。
古代漢語の知識は万能ではありませんし、ましてや目の敵にされるいわれもありません。古代の名医たちを師匠として選んだ以上は、避けては通れないというだけのことです。古代の名医が、そこに何を感じていたかをきちんと知るには、さらに読み解いた事柄を実際の身体上で検証することが不可欠でしょう。そこは臨床が得意という人の独壇場かも知れない。
古代漢語が提供できるのは資料だけです。でも、最初の読解が間違っていたら喜劇ですよ。正確な資料を求めて下さい。内経医学会は多分それを提供できる(あるいは、できるようになりたい、できる力を維持したい)。

それにしても、えらく壮大なはなしをもってきましたね、古代漢語にしろ経穴にしろ。
古代漢語の知識が有効あるいは必要という建前でやっている会です。これは文句言われたってこまります。
経穴とはなんぞや、については山本さんの溜め息がよくわかる。もつとも、妙神斎さんの言っているのが、経穴とは見たところどんなもの、触ったときどんな感じがするものと記載しているかでしたら、「経穴とはなんぞや」と大上段にかまえたのとはちょっと違うかも知れない。でもそういう視覚的、触覚的な記載ってあんまり無いんです。記載が無ければ、勿論、古代漢語の知識も用いようがない。「脈気所発」と言ったって、別に指先にそれを感じるということではなさそうです。
「経穴はいかように定義されるか」なんて馬鹿でかい問題を出して、「さあ応えろ」と言われても溜め息くらいしか出ません。取りあえず、例えば「脈気所発」とかに対する貴方の理解を示してもらえれば、何とか応えようも有ろうかと。

神麹斎 07/27 05:52

436:[ 文献整理しましょう ]

 古人が本草文献を編集するとき、とても好ましい伝統があり、それは後人が編集するとき、まず前代の文献を抄録し、新たな内容をその後に付録するということである。
 このような代々相襲する方式は、各代の文献を系統的に整理でき、さらに大量の重複を避けることができる。
 本草文献の性質とよく似ているのだが、鍼灸閻ァ穴書の大半はこの編集方式を採らず、多くは寄せ集め方式で収録し、あるいは甲穴には或る書を引用し乙穴には別の書から引用し、あるいは閻ァ穴の部位は或る書を引用し主治症や刺灸法は別の書から引用し、さらには出典を注記していないことが多い。
 このような整理方式では効率は低く、同時期の編集でも内容の重複がかなりみられたり、また後代の整理者によって抄録されずに散逸してしまうこともある。このような閻ァ穴文献を整理する方法には明らかな弊害があり、科学性に乏しいという面もある。


と言うわけで、経穴の取穴位置、主治症などの文献の入力をしてもらえますか?
まず、『聖済総録』、『資生経』あたりお願いできますか。

話はそれから。

こばやし 07/26 22:04

435:[ 無題 ]

『それが分からないから古典を研究しているのではないでしょうか。』
もしこれを本気で言っているのであれば、問題ですよ!
全然、答えになっていないではないですか...
こういった答え方しかできないから、東洋医学はどこにも受け入れ先がないんじゃないですかねぇ~。

妙神斎 07/26 13:30

434:[ 経穴について ]

 経穴とはいったいなんぞや。

 それが分からないから古典を研究しているのではないでしょうか。

山本朝子 07/24 23:04

433:[ 提案!? ]

古代漢語的には経穴はいかように定義されるのでしょうかね~?
凝り、圧痛、トリガーポイントといった反応と何がちがうんですか?
まずそこから議論しましょうよ!!

妙神斎 07/24 17:09

432:[ 『甲乙』の篇次 ]

 『霊枢』や『甲乙』は臨床的な内容が多く、他流派の説は理解できないものですが、分からなくても話だけは聞いておくと、なにか役に立つ時が来るかもしれません。

 これは流派の話ではないのですが、学生時代、先輩から聞いた話です。
 「学生時代、注射(学校で受けた予防接種だったと思う)が上腕の頭骨動脉に当たり、そこが化膿してもう少しで死ぬとこだった。」
 なにせ酒席の話ですから記憶も曖昧なのですが、私は、なぜ頭骨動脉に注射針が当たると化膿したのか、何故その化膿が生命に関わったのか、とても不思議に思ったものです。いまでもそのメカニズムは分かりませんが、始めて『素問』か『霊枢』を読んだ時、何篇だったか、「奪命」のことが「手五里」だと解釈されているのを見た時、先輩の話が頭に浮かびました。確かに先輩の上腕に化膿の跡が残っていましたが、「手五里」あたりだったのです。だからその文を書いた人は、太い鍼で頭骨動脉に当たって化膿して死ぬ人を何人も見たのだろうと思いました。
 『甲乙』明堂にも「手五里」はすべて「灸」の指定があるのもうなずけます。(ただ左右逆に取る理由は分かりませんけど)

 
 『甲乙』篇次の話。
 前に巻一に「十二原論」「十二経水論」があるのがおかしいと言いましたが、「四海論」もおかしい。それから、よく見ると巻二の骨度腸度腸胃所受」もおかしい。そこで考えたのは、巻一の「十二原論」「十二経水論」「四海論」は本来、巻二にあり、巻二の「骨度腸度腸胃所受」は巻一にあった。
 『甲乙』の篇次は基礎から臨床へワンステップづつ進めるように組まれています。だから内容的に「骨度腸度腸胃所受」を巻一に置いたほうが、次の経脉や脈度の話が理解しやすくなるし、「十二原論」「十二経水論」「四海論」は巻二にふさわしい内容だと思います。
 皆さんはどう思われますか。


 治癒判定は、効果判定とは異なり、難しいものです。
 名倉啓一先生には、よく、
「痛みを基準にしてはいけない」
と、言われました。

山本朝子 07/24 12:38

431:[ 鍼灸醫學を語る ]

■鍼灸醫學を語る

 柳谷素霊

1939年(昭和14年2月1日)


 鍼灸醫術は漢方醫學の重要なる構成要素である。
古人も既に言へるが如く「藥して鍼灸せず、鍼灸して藥せざるはこれ良醫に非ず」と寔に考ふべきの言と言ふべきである。

 我日本に於いては明治初年の漢方醫學に醫育の基調を置かず、洋風に準ずるに至るまで、實際醫療の方法は之の鍼灸藥の三方によつて行はれてゐたのであった。

 鍼灸醫術の起源は印度、支那、日本のどれかであると云ふ學説若は主張が各々の史料や據點のうへから説かれてはゐるが、そのいづれの場合にありても東洋人の頭から考へ出され、東洋人の手によつてつちがはれ發展され來つたと云ふことには間違ひの無いところである。

 然も古來幾多の諸条件の變化にも拘はらず、悠久今に至るまで一貫して滅せず、絶せず脈々として生命あるは種々なる理由もあるであらうが、その構成内容に臨牀的価値を見落してはならぬと考ふるものである。

 實際現今猶ほ治療に鍼灸を役立たしめてゐるものは支那と日本である。
然し必ずしもその運用の手法若しくは運用原理が同一なりと考へ得ざることは、事實を仔細に検討すれば、誰れにでも首肯されることがらである。

 例へば鍼術の手技にしても支那に於ける成書である、内經、鍼灸甲乙經、外台秘要、鍼灸聚英、鍼灸大成、資生經、千金方並千金翼方、類經、類經圖翼、類經附翼等に登載されてゐるものと、日本に於けるそれ、殊に鍼術の最も華々しき研究が發表された徳川時代の鍼科の書籍に比較し見るに格段の相違を認め得るであらう。

前者は四法、八風、五刺、五邪刺、十二刺節十四鍼法等に盡るのであるが後者に於ける手技の發展は只それに止るものではない。
十八術、二十九術、八八重之術、十四管術、二十一術、治術、波風術、遠刺、引鍼、返し鍼、氣付術、回氣鍼、更に期鮮に於いて創始せられたりと考へられる大門一本鍼、大乙鍼法又我國私方的手技として、大和の鍼、會渡神鍼、督盟一本鍼、誘導刺、連環刺、地穿刺、交感神經刺、膀胱鍼等實に百数十種に及ぶものである。

 如斯日支兩國の鍼術に例をとりて之を見るも互に不離の關係あるのみならず、我方も大いに支那醫學の究明に努むると倶に、又我方の長所優點を彼方に傳ふるの機會を作り、彼我一體以って新東亞建設に最も必要なる健康増進に資し優秀なる人的材料の完成に努力すべきではあるまいか。

こばやし 07/24 00:11

430:[ はぁ~。 ]

 なんともはや疲れる。
 臨床の話をする場合、最低限の自己紹介はいると思いますがねぇ。臨床の話は概念論じゃ厳しいでしょ。
 山本さんだって~式治療法って断っているわけだし。
 流派が違っても認めあえる部分があれば、そこで会話すればいいだけの話でしょ。
 それぞれの会っていったって、私もこの会の人間だし、全国の会員の方で臨床の話をしてみたい方が反応していただければ良いだけの事です。
 古代漢語の話題に興味があれば、その話題に参加すればいいだけの事です。

佐藤 隆哉 07/23 15:59

429:[ 無題 ]

ビデオやデジタルカメラといったものが、世界規格を目指している最中、鍼灸はいつまでたっても流派の乱立が絶えない...。流派の「確立」ならまだしも「乱立」なんです。脉診や腹診、反応点などなんでもいいんです、互いに所属する流派どうしで翻訳が可能であれば。まあ古典の理解も共有できていないのがいまの現状ですから、既存の古典派組織にはなんの期待も潜在的にはしてないのかもしれませんけど...。鍼灸そのものよりも鍼灸師そのものに学問的な素養のあるひとがいないのかもって思うこともあるんですがね!

妙神斎 07/23 13:55

428:[ 嫌い……ます ]

「特定の流派を宣伝されるのは嫌います」の「嫌います」と「拒否します」の差をご理解いただいて、というか、むしろ「特定の流派を中傷されるのは拒否します」と読み替えていただけたらと思います。
そもそも臨床の話を毛嫌いしているのか?別にそんなつもりはありません。ただ、違ったマニュアルの臨床をやっている相手との意志の疎通は、古典の話以上にむずかしいなあ、とは思います。古典の話だったら、ちゃんと古代漢語の語法を勉強せいとか、もっと字書を引けとか、簡単に言ってしまえるものね。臨床の話で、なんで分からないんだ!とか、どうして分かるんだ!とか、言い合ってみてもねえ。だって、皆さんそれぞれの会で何年も苦労して会得したことなんでしょう?
どうして、それぞれの会の掲示板をにぎわそうとしないのかあ。やっぱり、知っていることはみんなに話したくなるのかなあ。

神麹斎 07/23 13:32

427:[ 具体的にいってみましょう。 ]

 以前山本さんが臨床的な話を、と確か書かれていたと思いましたので、今回は私の方から。
 そうですね、一応書き込んだ手前「肩こり」について。
 
 私が修行させて頂いた所は多面的に患者さんを診察して少数穴で勝負する所なんです。で、まあ考え方も独創的な部分がありますが、そこで教えて頂いたことを紹介させて頂きます。

 内傷からおこるもので心陽虚・心気虚が原因の場合があるんですけど、この場合穴の反応として陽池・心兪・厥陰兪(その他もありますが)の反応に注意するのですが、穴の虚の反応が左に出ているうちはまだいいが、右に移ってくるとやばいので治療は断るか、やってもてい鍼でやるようにと口を酸っぱくして教えて頂きました。
 たとえ治療で「肩こり」が楽になっても安心してはいけない、また「肩こり」に変化が出にくくても心の治療を優先させるように、等々です。

 実際の臨床においては日によってこれに外感が関係する場合もあるだろうし、七情がからんでくる場合もあるので臨機応変にやるんですが。

 で、この流派では、この疾患においては主訴の変化や西洋医学的な所見よりも上記した穴の反応を主眼において効果判定・予後判断をしていました。もちろん穴の反応はまず虚の反応が右→左に移るようにもっていって、次に左右の虚の反応が無くなるようにもっていくんですが。

 私が大変勉強になったのは、この流派、疾患によって重視する診断方法を使い分けていました。この疾患に関しては脉診よりも舌診を優先するとか。

 少数穴・単穴治療といっても疾患によって診るポイントや病証の程度を把握する必要がある事を言いたかったわけです。
 で、みんさんは実際の臨床の場においてはどうなのかなぁ、と盛り上がりたいんです。山本さんの主張には大賛成なんです。

 流派の名称は出しません。色々と誤解されたりあらぬ迷惑が予想もしない人にかかっては嫌なので。
 まさかこの書き込み、一流派の宣伝ととられる方はいらっしゃらないとは思いますが、念のため。この流派の不得意疾患も当然あります。

 

 
 

佐藤 隆哉 07/23 12:56

426:[ ひょっとしたら ]

この談話室では、自分が一番始めに話題にしておいて、いまさら言うのも何だけど、安保先生の理論は、病証と治療を陰陽的に把握することの妥当性と必要性を、いわゆる現代医学的に語ったにすぎない。それはそれだけで充分に衝撃的な価値が有ると思うから紹介したけれど、所詮それだけのことで、針灸医学の全貌を解き明かすとは思わない。そもそもあの書物では、刺絡が効くとはいってもどこからどのようにとは言わない、ストレスを除けとはいうけれどどうやったらリラックスできるとは言わない。もっとも、これは多分に学者の自制というものだろうと、私は理解しています。
現代のいわゆる古典的鍼灸のほうが、安保先生の理論よりも複雑な内容を持っている。ただ、それは多分に迷信的な説明にとどまっているから、安保理論の今後の広がりには期待する。
中国伝統医学の診断論や治療論が不充分であるというのは、この談話室に関わってくる人には共通認識だと思います。経絡治療や中医学の先生に安心している人は覗きに来ないでしょう。自分の感覚を信じ切っている人も。何か特別の目的を持った場合は別として。
私個人としては、それを古典の記載に問いたい人が寄ってくると思ったんですがね。ただ、観念的だとか、医療じゃなくて哲学だとかの非難の声は、つい意識してしまうし、迷信に陥ることも極端に恐れていますからね、安保先生のような人が部分的にでもいわゆる合理的に説明してくれると、敏感に反応します。
少なくとも四肢にとるのか局所にとるのかぐらいのことは、各研究会のマニュアルには有ると思いますよ。どう説明すれば万人のものとなりうるかは、むずかしいところですけど、無い無いとわめいたってしようが無い。ここの人は、「ひょっとしたら」内経の中に、という人たちだと思うけれど、そこに有ると「確信」している人は少ないだろうという変な会です。

神麹斎 07/23 08:11

425:[ 診察・診断・治療について ]

経絡治療に関しては賛否両論あるでしょうが昨年出版された
「日本鍼灸医学」に出てるのでは?

後藤 武吉 07/23 03:37

424:[ 同感! ]

佐藤さんの意見にはわたしも同感なのかな...
『経絡治療』にも『中医学』にもこれといった診察診断論や治療論って未だに確立されてないんですかね~。
最近では、その救いを阿保理論、顆粒球とリンパ球の話に求めている...。内輪の人間としては情けなくもおもうんですがね!
少なくとも使用経穴においてどういった場合に末端四肢にとるのか、それとも局所にとるのかぐらいはっきりしませんかね~!?

妙神斎 07/22 18:57

423:[ 確かに効いてる? ]

鍼をして、その鍼が確かに効いている、というのを、どうやって確信しているんでしょうか。柳谷素霊先生の『秘方一本鍼伝書』にも、「鍼響あれば手をもって合図させる」というのが屡々出てくる。と言うことは、柳谷先生でさえ、手応えだけでは確信できなかった、と言うことなんですかね。もっとも、これは弟子むけに書かれた方便かも知れませんが。
私だって、時には「今効いている!」と思うことは有ります。ただ、確信が持てないんです。私はだいたいが疑い深い。むかし、UFOなんて信じない、目の前に降りてきても信じない、と言ってあきれられたことが有ります。でも、目の前のUFOを簡単に信じるよりは、自分の眼を疑うとか、気が狂ったかとか、イチオウ考えてみるのが本当でしょう。
私が「今効いているんじゃないか」と思うのは、押し手の指の間になんか妙な感覚が有ったときなんです。患者さんにもなにか有るんですよ。四肢のツボから体幹部へ、あるいは背腹から手足へ響いた、とか。
どこへ触れるかは、四診によって、それは見当をつけるんです。
上海にいたとき、私らから診れば鬱病の女性が来ました。会話能力が不十分だし、ましてや上海語まじりだから、問診は不十分だったけど、脈を診て脾経のツボに触ったらすごいんですよ。これは私だけが感じたんじゃなくて、日本から留学していた若い女の子に、合図して触らせたらびっくりしてましたね。静電気を帯びているドアノブに触れた、くらいの感じは有ったんじゃないかな。
で、しばらく鍼で触れていると、中和されるのか、感じなくなるんですよ。患者は楽になったというんです、まず100%。でもね、こんなの一時の変化で、治療の効果とは関係ないかもね。
だいたいが、脈診と反応点、私なんぞの腕ではゼンゼン百発百中じゃない。この精度を上げたいし、これが本当に診断、治療と関係が有るのかも、確かめたいとは思うんですけどね。

あ、主題は「主治症の前に」でしたね。でも、「この経穴の主治症は……」云々という情報が無かったら、どこに反応を求めるか、五里霧中だと思うんですけど。まさか、全身なでまわすわけにもいかないし。古代の名医が感じて、整理して記載しておいてくれた古典の記載をまず頼りにする、というのは、まあ当たり前のこと、「まず〈古代の名医が感じた〉反応ありき」だと思います。自分の指か、先生の指導か、古典の記載か。どれをより信じるか、これは、立場というか……、むしろ性格ですからねえ。

神麹斎 07/22 18:22

422:[ 主治症の前に ]

 古典派と言われるみなさんは治療効果をどのように判定されてるんですかね?・・・常々疑問に思ってたんですれど。
 古典的な効果判定ってどういう風にやっているのかなあ、と。
 脉が変わるとか舌が変化するとか、穴が修復されるとか、それは各流派での基準があるでしょうが。
 西洋医学では病気の種類や程度によって基準が違いますよね。
例えば整形疾患だったら可動範囲や筋力などをみる等(整形の専門知識があまり無いので違っていたらすいません)でしょうし、癌だったらどんな治療をしても五年生存率をみるように。
 これの東洋医学版が鍼灸病証学になるんでしょうけど。
 いや単純に「肩こり」みたいなおよそ日常生活で繰り返されるであろう病気の古典的な効果判定基準ってどうされているのかなぁと思って。
 前に書き込みされていた方の揚げ足取りじゃないのですが、気を悪くされたら申し訳ありません。
 

佐藤 隆哉 07/22 16:31

421:[ 経穴資料アップ ]

経穴資料アップしてあります。
・『聖恵方』
・『医学綱目』
無いより良い。そんなところの資料です。
あくまで未完成資料としてみて下さい。
http://www.urawa.ne.jp/~koba/keiketu.htm

注:「名」の漢字が「吊」の字に化けているところがありますので、そのつもりで。
例として「一名」→「一吊」

なお、Web版『素問』『霊枢』などは
http://aeam.umin.ac.jp/
に、アップしてあります。

こばやし 07/22 14:24

420:[ 反応点 ]

 何か疾患があった時、反応点って一穴だけだと思いますか。
 私は未だかってそのような患者に出会った事がありません.

山本朝子 07/19 22:35

419:[ 無題 ]

経穴主治症については「先ず反応ありき...」ではないでしょうか?なんか論理が逆さまだと思うのはわたしだけなのでしょうか?
山本先生の話じゃないけど、患者のあるツボに反応があった、で他にも発熱やら胸満やら症状があってそのかなのどれかがそのツボと対応するかどうかみたいに再構築する必要がある。あくまでも反応が主で古典の記述は従ではないのでしょうか?
そうした解読のほうが鍼灸界全体、医療界全体、社会全体にとって受けがいいはずです!
もっとも反応が探れなかったらどうしようもないんですが...
そもそも「経穴」ってなにか定義できる人はいないんでしょうか...?

妙神斎 07/19 15:38

418:[ 単穴療法 その2 ]

 前回の単穴療法は、一時間程かけて打ち込みあと少しという所で、何処かを押したら一瞬に消えてしまい、疲れがどっと出るは、眠たいは、で、簡単に打ち直したものなので、今回もう少し補足をさせて頂きます。

 私が単穴療法に興味を持った理由なのですが、帰郷したまなしに従姉妹のご主人の治療を頼まれました。上京前にご主人が中心性網膜症になられたとき何度か治療したことがあります。当時は脉診をしないで沢田式の太極治療と目に関する穴を使った多数置鍼法ををしていましたが、治療すると視力が0.8から1.2にあがるのですが、眼科で注射すると0.8に戻る、これを何度か繰り返しました。それなら眼科の治療をやめたらよいと思われるかもしれませんが、病気になった時視力が一気に0.2ぐらいまで落ち、注射で0.8まで回復していたのでやめられなかったのだろうと思います。そのうち、らちがあかないので鍼も注射もやめたそうです。
 今回は肩凝り、肩外兪当たりの痛み。井上式治療をしたら
「前のような治療をしないの」
と、言われ、それっきり治療を頼まれなくなりました。

 ご主人の脈状は血虚濕の肝虚。井上先生の治験をまとめた『百病治療篇』でも、この脈の肩凝りは治りにくいとあります。しかし、私が興味を持ったのは、その時、治療中の話の中で、ご主人が、
「前にこの様な症状の時に中国旅行先で手三里だけに置鍼してもらったら一遍で症状が取れた」
と、言われていたことなのです。
 「脉診もした。全身に接触鍼もした。知熱灸もした。なのに何故手三里一穴の治療に負けるのか」
 この事がまるで禅の命題のように私につきまとうようになりました。
 經絡を整えるとはどういうことか、未だ解結はつかないのですが、經絡説だけでは解明のつかない穴が存在すること。そしてそれまでは特効穴は、体中の治療の一環だと思っていましたが、ただ特効穴だけの治療が今の中国にあると言うことを知りました。

 その後「単穴療法」の本が中国で出て入るのを知り、いくつか買い求めました。そうこうしている時に談話室で『甲乙』のことが話題になり神きく斎さんが『甲乙』のほとんどか単穴だと指摘されているのを見て、「単穴療法」のルーツが『甲乙』にあることを知りました。

 小林さんがまえに『明堂』の病症部分と『素問』『霊枢』の共通する部分を、黄さんの『明堂経しゅうこう』から出して『季刊内経』に載せてくれています。それなどをみても、当時の臨床は単一の症状ではなく複数の症状の組み合わせだと思います。それは今の病名による選穴のようなものなのではないでしょうか。つまり一つの病名には幾つかの症状があります。昔は病名が限られていたので症状の羅列になっているのではないでしょうか。ただ今より細かいのは同じ病名でも症状が異なるものに異なる穴を用いていたということです。かなり細かな病態観察がうかがわれます。
 いずれ『甲乙』の治療についてまとめたものを書きたいと思います。

山本朝子 07/18 11:58

417:[ 『明堂』の話しの続き ]

太淵を例にして『甲乙経』、楊上善『明堂』、『外台秘要方』で主治症がどのように整理されているか。

■■■『甲乙経』の『明堂』部分
※丸数字の①②は『甲乙経』巻7から巻12までの引用順を表す。
※●は経穴を分かりやすくするため頭に付した。
●太淵者.土也.在掌後陷者中.手太陰脉之所注也.爲兪.刺入二分.留二呼.灸三壯.
①病温身熱.五日已上汗不出.刺●太淵.留鍼一時取之.若未滿五日.禁不可刺也.
②逞若梶D取完骨及風池.大杼.心兪.上鬮氏D隴ゥ隴・D陰都.●太淵.三間.合谷.陽池.少澤.前谷.後谿.腕骨.陽谷.侠谿.至陰.【足】通谷.京骨.皆主之.
③臂厥.肩膺胸滿痛.目中白翳眼青.轉筋.掌中熱.乍寒乍熱.缺盆中相引痛.數欠.喘不得息.臂内廉痛.上鬲.飮已煩滿.●太淵主之.
④肺脹者.肺兪主之.亦取●太淵.
⑤痺逆氣.寒厥急.煩心.善唾蝎ヲ噫.胸滿激呼.胃氣上逆.心痛.●太淵主之.
⑥谺ャ逆煩悶不得臥.胸中滿.喘不得息.背痛.●太淵主之.
⑦痺.會陰及●太淵.消豼シ.照海主之.
⑧狂言.●太淵主之.
⑨唾血.振寒.蝸穴」.●太淵主之.
⑩口僻.刺●太淵.引而下之.
⑪妬乳.●太淵主之.

■■■『楊上善・明堂』
※丸数字は上の『甲乙経』と対比し易いよう『甲乙経』の該当する番号を表す。
注於●大淵.爲輸土也.在手掌後陷者中.刺入二分.留二呼.灸三壯.
主.
⑤⑦痺.逆氣.寒厥急熱.煩心.喜唾.蝎ヲ噫.胸滿蝎ュ呼.胃氣上痺逆氣.心痛
④脹滿膨膨.
③⑪臂厥.肩膺胸痛妬乳.目中白.眼青轉筋.掌中熱.乍寒乍熱.缺盆中相引痛.數欠.喘不得息.臂内廉痛.上鬲飮已煩滿.
①病温身熱.五日以上汗不出.留鍼一時取之未滿五日不可刺
⑥②瘧谺ャ逆.攘心悶不得臥.胸滿喘務.背痛.
⑨唾血.振寒.乾蝸戟D
⑧狂言.
⑩口蝎シ.引而下之

■■■『外台秘要方』
※丸数字は上の『甲乙経』と対比し易いよう『甲乙経』の該当する番号を表す。
●太淵.在手掌後陷者中.灸三壯.主.
⑤痺.逆氣.寒厥急.煩心.善唾.蝎ヲ噫.胸滿蝎ュ呼.胃氣上逆.心痛
⑥谺ャ逆.煩悶不得臥.胸中滿喘.背痛.
④肺脹滿彭彭.
③臂厥.肩膺胸滿痛.目中白迸磨D眼青轉筋.掌中熱.乍寒乍熱.缺盆中相引痛.數欠.喘不得息.臂内廉痛.膈飮煩滿.
①病温身熱.五日以上汗不出.
※厥心痛.臥若從居.心間痛.動作痛益甚.色不變者.肺心痛也.(該当無し)
⑪妬乳.
⑤噫.胃氣上逆.心痛.
⑨唾血.振寒.蝸穴」.
⑧狂言.
⑩口僻.
※肘中痛.羸ャ瘧.逋堰D(該当無し)

ここで何を私が言いたいのか。
『外台秘要方』にしても楊上善『明堂』にしても、もしこれが白文で句読が無い場合、恐ろしく不可解な主治症となる。参考までに言うが『外台秘要方』と楊上善『明堂』の⑨と⑧の唾血.振寒.蝸穴」と狂言は『甲乙経・明堂』では⑨は⑧と別項目で分けられている。つまり唾血.振寒.蝸穴」.狂言と続けてはいけないものであり、あくまで、
  ⑧狂言.太淵主之.
  ⑨唾血.振寒.蝸穴」.太淵主之.
なのである。
『外台秘要方』にしても楊上善『明堂』にしても、『甲乙経』『明堂』の「太淵主之」部分を見つけ、「太淵主之」部分を削除し、主治症のみ抜粋引用してできあがったしろものということが理解できるでしょうか。短絡的な経穴書と言わざるをえない。言い過ぎでしょうか。

こばやし 07/15 22:33

416:[ 単穴療法 ]

 『百病一穴霊』の前言
 「有人統計『内経』所載的241個処方中、独取一穴的方法就有173個、占総数的71.78%。」
 
 『甲乙』巻三の手足だけが經絡別になっているのは「井、栄、兪、経、合」を使うためではないか。
 『甲乙』の編者は要穴(五行穴、原穴、募穴、兪穴)と巻七以降の特効穴を組み合わせて使う治療を提唱したかったのではないか。
 現代の經絡的理論の限界は要穴に限られること。伝統的鍼灸界で欠けているのは特効穴の解明ではないか。宮川さんもそれを言いたくて伝統鍼灸学会と全日本鍼灸学会の合同学会で「三陰交」を出されたのではないか。
 もうひとつしなければいけないのは經絡、経穴の研究。巻三の解明。

 仙台の浦山さんが松木先生と共同で巻三の研究をされていて『経絡治療』で発表されています。また『明堂』の書誌も発表されています。参考にして下さい。
 
 臨床文献学会で『甲乙』のシンポが開けたらいいですね。うちから小林さんと左合さんが出て、向こうは浦山さんともう一人九州に『甲乙』をしている人がいるそうです。松木先生が座長で、学会二日目の午後たっぷり時間をとって、超党派の会がもてたらいいですね。

山本朝子 07/13 23:45

415:[ 明堂の話 再開してよ ]

『甲乙経』の巻7~12の所謂「明堂」部分を一覧表にして眺めた感じでは、これって本当に一つの材料から出たの……。
序例に「諸言主之者,可灸可刺。其言刺之者,不可灸。言灸之者,不可刺。」「刺之」とか「灸之」とかなんて見当たらないけれど、これは「刺○○(穴名)」とか「灸○○」のことなんだろう。ただ、いかにも少ない。いずれにしてもこんなのは、『甲乙経』を整理した人の作業だろうけど、「主之」とか「刺之」とか「灸之」とかから外れる形式もそこそこ有るんだよね。なぜだろう。やっぱり、出身が違うんじゃないか。先にどうこうして後にどうこうというのもね。
この状態にこの経穴が効くというのと、この経穴にはこういう力が有るというのと、本当はどちらの発見が先なんだろう。やっぱり、苦しんでいる患者をなで回して、そこが気持ちいい、あっそう、えいやっ、とやって効いちゃった、からの出発だろうか。でも五蔵とか六府とか経絡とかが陌宸オていればとか実していればとか、というのはまた別だよね。ただ症状の表現が並んでいて、何とか穴が「主之」というのと、症状群を抽象化した上で同様のことを言うのは、レベルが違うんじゃない。
そこで、材料としては、単純に症状と経穴を結びつけた資料がいくつかと、抽象化した症状群と経穴あるいは経穴群を結びつけた資料がいくつか、なんてことはないのかね。
で、何を原『明堂』と言ったらいいのだろう。一応それらをまとめたものが有って、それを『明堂』と言っていたのだろうか、それとも原『明堂』が少々と、それにもれた資料も寄せ集めて『甲乙経』巻7~12の所謂「明堂」部分なんだろうか。

以上は、中断している「明堂経のお話」再開の為の誘い水です。

神麹斎 07/13 13:18

14:[ テーマ ]

 シナリオライターのジェームス三木さんの言葉
「人に道を聞くなら不親切な人に聞きなさい。親切な人に聞くと、例えば駅までの道を聞いた時、この先に団子屋さんがあってその団子屋さんはどれどれの団子が美味しくて、と、ひとしきり団子屋の話になり、やっと団子屋の角を右に回ったら、次は交番がありまた暫く交番の話になり、やっと交番を左折して駅に着く。聞いている方はその内に分からなくなるのです。だからシナリオを書く時はテーマからそれた事は書かないようにしなれればいけない。」
 
 私達が研究発表をする時、井上先生から
「出来るだけ隠すようにしなさい」
と、言われたものです。
 駅までの道を研究に例えると、途中団子屋がキーポイントになると団子屋の事を調べます。どの団子が一番美味しいのだろうか、とか。そのうち他の団子屋と比較してどうのこうの、となります。次に交番に行くと今度は、この交番は何時から何時まで人がいるのだろうか、等々調べていきます。しかし、駅までの道を書く時、
「駅までの道は、この先の団子屋の角を右折し、その先の交番を左折した所」
と、簡単に書けばよいのに、調べた事をあれもこれもと入れると結局、駅までの道が分かりにくくなってしまうものです。団子屋や交番は別のテーマとして新たな研究になります。
 
 小林さんが投げかけてくれた「病症は一グループ」という一つのテーマから、
 穴の抜けはないかとか、いろんなテーマが出てきています。それぞれ今後の課題となるでしょう。
 
 『鍼灸甲乙経』の巻次の件ですが、参考までに松木先生の分類です。

生理
 巻一 五臓六腑、十二経脉、氣穴營衞、精神津液
 巻二 十二経脉、絡脉、奇経
 巻三 経穴(35分類)『明堂経』に基づく?

 巻四 脈状;季節と病状
手法
 巻五 鍼の禁忌、鍼法
病理
 巻六 形体と病伝
 巻七 傷寒・寒熱(入経脉)
 巻八 傷寒・寒熱(入藏)
 巻九 寒氣による病の種々
 巻十 各種病例;痺・風・痿
 巻十一 各種病例;厥・癰など
 巻十二 各種病例;五官に発症 また、婦人・小児病
  
 これは新しいテーマになるのですが、松木先生はこのような分類で『甲乙』と『霊枢』を対照し、次注本『素問』と『太素』を対照されています。『甲乙』は『霊枢』と何か近いものを感じますが、そのような事で対照されているのでしょうか。本人にお聞きしないと分からないことですけどね。

山本朝子 07/12 22:14

413:[ 明堂経輯校 ]

基本的なことを一つ:
楊上善が撰注した『黄帝内経明堂』(仁和寺本&尊経閣本)には序と巻第一(手太陰)しか残っていません。
全部そろっているのは、『甲乙経』を主な材料に、『千金方』や『外台秘要』を参考にして復原を試みたものです。従ってその構成は、復原を試みた人の考えです。『黄帝明堂経輯校』(中国医薬科技出版社 1988年)の目録は、黄龍祥氏の責任ですし、『黄帝内経明堂経』(北里&内経 1999年)の編集は、主として小曾戸丈夫先生、少しは宮川さんたちの手柄(?)です。小林さんが、この談話室で『明堂』のことを言うときには、「『針灸名著集成』所収『鍼灸甲乙経』(夏華出版社 黄龍祥主編 1996年)にある全「明堂注記」部分を抜粋し整理したもの」と断っています。
これらの目次は、参考にはなるけれど、楊上善以前の『明堂』が、もともとどういう構成だったかの証拠にはならない。
(楊上善以前の『明堂』→楊上善が撰注した『明堂』→『甲乙経』明堂部分ではなくて、楊上善以前の『明堂』→『甲乙経』明堂部分だろうと、最近は考えています。)

神麹斎 07/12 08:14

412:[ 神経でっか、血管でっか ]

 忘れられない患者さんの言葉がいくつかあるものです。
 その中の一つ。専門学校を出て一年目。大阪の六十代か七十代のご婦人に、自分の下腿痛は何が原因かと言う意味で
「神経でっか、血管でっか」
と、聞かれて答えに窮したことがあります。患者さんは痛みが神経痛なのかを聞きたかったのでしょうが、
「痛みを感じるのは神経だけど、痛みの質からいって神経痛ではなさそうだし、かと言って血管とも言えないし」
 鍼を刺しながらも頭の中は混乱し、何とも答えられなくてこんなふうにブツブツとごまかしたことがあります。

 松田さんに送って頂いた安保教授の講義録を読ませて頂きました。
 人間の体は自律神経に支配されていますが、今まで白血球だけは支配されているかどうか分からなかったのだそうです。それが安保教授の研究で支配されていることが明らかになったのだそうです。詳しくは松田さんにメールを送って頂いて読んで下さい。
 今なら私は患者さんにこう答えるでしょう。
「神経と血管と両方でっせ」

 交感神経と副交感神経を白血球の顆粒球とリンパ球のバランスで疾病を捉えることができるようになったことは素晴らしいことですが、こと鍼になりますと「なぜその穴が効くか」が分からない。穴の解明が重要です。
 『甲乙経』の篇次をながめてみました。
 一巻 内景・外景
 二巻 経脉
 三巻 経穴
 四巻 脉診
 五巻 鍼道
 六巻 ?
 七巻以降は臨床各論
と、実に臨床的な編集になっています。
 いくつか分からない所は
・一巻の途中に十二原と十二経水を入れたのはなぜか。この二つは二巻に入れたほうがよいのではないか。
・三巻の経穴の配列がどうして体幹は部位別に分け、手足は経別にしたのか。もちろん編者はそれが臨床に便利だと思ったからだろうが、經絡別に経穴を暗記している私には分かりにくいものになっている。
・六巻が何を言いたいのか分からない。

 『明堂経しゅうこう』を持っていないのですが、よかったら目次をここに打ち込んで頂けませんか。手に入れば買いたいです。
  

山本朝子 07/11 22:58

411:[ 安保徹教授の講演記録 ]

6月、つくば市で開かれた全日本鍼灸学会大会での安保徹新潟大教授(免疫学)の講演「からだを守る白血球の自律神経支配―針灸医学の病気を治すメカニズム」のテープ起こしをしました。安保理論をめぐる議論は、この掲示板でも展開されたところ。関心のある向きには、メールでお送りいたします。テキストとワードの二文書を用意しました。ご通知ください。是非ともプリントアウトをという方も、ご連絡いただければ、送ります。

安保さんの著書『医療が病いをつくる』(岩波書店)などの読者にとっては、まったく新しい情報を期待しても、それはないでしょう。著書より分かりにくく感じられる部分もあるかもしれません。私にとっては、「あらゆる症状は身体が副交感神経を働かせ、血流を高めて治癒に至ろうとする治癒反応であって、それを止める消炎鎮痛剤やステロイドなど、現代医学の治療法は破綻をまぬかれない、血流を改善し症状を支援する鍼灸や東洋医学の方法こそ道理にかなっている」と強調した個所が、さわやかに印象的でした。

以前から安保さんは、「これはノーベル賞ものだ」と冗談を言っています。単に白血球の分画のパーセントを知る安価な方法で、病勢・予後の診断と真に病気が治せる治療法の判定ができるというのですから、彼の自律神経=免疫理論は、冗談を超えてノーベル医学賞に価するでしょう。が、現在のノーベル賞は産業に結びつく成果にしか与えられていません。資源を浪費しない東洋的・民間的治療法や自己治療を根拠づける安保理論が跋扈するなら、医療産業がひっくり返ってしまいます。

ただし、公平のために報告しておけば、安保さんはほかの発見ではノーベル賞をとりかねません。免疫理論を一歩進めた胸腺外T細胞を見つけていますし、最近では、世界で毎年多くの死亡者を出すマラリアの治療法に関して、画期的な突破口を見いだしています。胃潰瘍=顆粒球説も米国の医学雑誌には掲載されました。ともあれ、津軽海峡で生まれた安保さんは、講演記録から想像できるように、既成の医学や自らが所属する大学医学部への挑戦を愉快だと感じるユーモアの持ち主です。

Mail 松田博公 07/10 07:31

410:[ 『論語の新しい読み方』 ]

 地方にいると情報の遅れを痛感します。
 『論語の新しい読み方』が先週の金曜日にやっと手に入りました。読んでみて宮川さんの「霊枢講義」は宮崎さん以上のもで、かなり高度のものだと思いました。それは宮崎さんは文意の通じない所を同本中の似たような文章で比較して通じる字に変えるだけですが、宮川さんはそれに字形、字音、語系なども加味して総合的に判断しています。つまり宮崎さん的に本文を読み進める事で考証学の弊害を去り、その上で考証学や古代漢語を自由に使いこなして解釈しているのではないでしょうか。
 私は宮川さんの講義を「浅見光彦」の推理のように捉えています。
 例えば、九針十二原篇の「余哀其不給、而属有疾病」
「万民を慈しんでいるのなら、貧窮するような万民から租税を徴収しなければいいはずだ。理想的な治世家ならそれくらいはできるはずだろう」として「給」を『太素』の「終」に取る、という説明の仕方が実にさわやかなのです。宮川さんには失礼かも知れませんが私はこの文章をみて吹き出してしまいました。  
 今後の講義を楽しみにしています。

 妙神斎さんが『論語の新しい読み方』のなかの「漢文を読むと頭が悪くなる」と言うような話を出されていましたが、私が明治の専門学校生だった頃は「古典をするときちがいになる」とまことしやかにささやかれていたものです。
 クラスに古典好きの人が二人いて、いつも「古典」「古典」と言っていました。明治は西洋医学的な教育法でしたから、二人はいつしかクラスの人との交流をしなくなりました。ある研修でそのうちの一人が患者さんに何か紙を渡してそれを拝むように指示しました。クラスの人が患者さんからこっそりその紙を見せてもらったら中に自分の名前を書いた御札が入っていました。この話がクラス中に広がり私も古典とはかくも恐ろしきものなのかと思ったものです。二人がいつもバイブルのように携帯していたのが『誰にもわかる経絡治療講話』でした。私が『素問』『霊枢』の文章に出会ったのは卒業して二三年後です。彼らが『素問』『霊枢』に出会ったかどうかはわかりません。

 伝統的な病症学をどの様に臨床に生かしていくか。伝統を重視して伝統的な用語に固執すれば隔絶された世界に入り込んでしまいかねません。これからは西洋医学をも取り入れて行かなければいけないでしょう。伝統的な病症学と西洋医学の翻訳の鍵は神きく斎さんがされていた「陰陽」概念ではないでしょうか。

山本朝子 07/08 13:33

409:[ 会則? ]

小津作品がすばらしいとか、尾道観光がいまどうとか、書いたって会則にはふれません、と思います。
ただ例えば、山本さんが、楽しそうに書いているのに、「小津がどうした、尾道がどうした、関係無いじゃないか」、とからんできたら、それはひょっとすると、会則にふれるかも知れない。

管理者 07/07 18:08

408:[ 「東京物語」 ]

 昨夜、27時間テレビで「東京物語」が放映されました。小津作品の現代版です。尾道が舞台でもあり、こちらでは数日前から楽しみにしていたものです。尾道で暮らす老夫婦が東京の子供達に会いに行くというだけのストーリーなのですが、母が上京して来た時の事が思い出されて、途中から涙が出て止まりませんでした。
 小津作品はどれもあっと驚くようなストーリーは無く、ごく普通の生活をたんたんと撮っているだけなのにどうして心にしみ込むような作品になるのかとても不思議です。海外でも高く評価されていてロンドンで生活したことのある知人の話では、ロンドンのビデオ屋さんでは黒沢作品よりも小津作品の方が人気があり、小津作品がずらりと店頭に並んでいるそうです。
 小津作品の特徴はカメラアングルが低いことです。劇場では観客は画面を見上げるように座ります。それで観客の視点に合わせてカメラの位置を低くして撮っています。今回のテレビ版でも熱海の海岸縁に夫婦が座っている姿をゴミだらけの道から見上げるように撮っていました。 

 尾道の観光客層が25年前とすっかり変わっています。昔は古寺めぐりと文学のこみちしか見る所が無く、中年以降の人が多かったのですが今は若い人が多くなりました。大林監督の「さびしんぼう」「転校生」「時をかける少女」「ふたり」「あした」「あの夏の日」に魅せられて来る人達です。観光地の至る所にロケ地があり、ロケマップを片手にロケ地巡りをしています。
 またはただレトロな(昭和の町並みが残っているので)雰囲気にしたっているだけでいいような若者もいます。中高年の人も結構映画好きの人が多く、ロケマップが喜ばれます。
 映画以外ですと、林芙美子ファン。二十歳前後の男の子で、林芙美子が因島の彼氏に会いに行った時に乗ったフェリーに乗りたいという人がいました。
 また最近では年に関係なく「尾道ラーメン」を食べに来る人も多いです。作家の壇一雄さんが本に載せた「朱華園」が有名で、その味を珍味屋さんの「阿藻珍」(あもちん)が土産用に商品化したらヒットし、全国のラーメンブームと相まって、「尾道ラーメン」が全国に知られるようになりました。
 元気な人はレンタサイクルで「しまなみ海道」を走りに来ます。しかし、現実は橋がとても高い位置にあり、自転車で走るのは大変らしいです。民間の貸し自転車屋さんは、橋を渡るのは一つぐらいにして因島フラワーパークを見て帰りはフェリーを勧めているそうです。

 あまりこの様なことを書くと「会則」という名の「レッドカード」が出されそうなのでペンを止めます。

山本朝子 07/07 12:38

407:[ 是動病と所生病 ]

「是動病と所生病について」の意見なんて言われたって、大雑把すぎて反応のしようが無いと思っていたところへ、山本さんが浅川氏の本を引用してくれたから、もう充分だとは思うけど、もし贅言すれば:
『難経』と『霊枢』と馬王堆帛書に、是動病と所生病もしくはそれに相応する記述が有る以上、原義を探ろうとすれば、馬王堆帛書に拠らざるを得ない。で、私自身は、「本当は材料の出処が違うだけなんじゃないの」、なんてやばいことを考えています。「やばい」ということは自覚しているので、その辺の呼吸のわからない人には読み飛ばしてほしい。
そして、『難経』にはしっかりした哲学が有るのだから、気の病と血の病などと割り切っていても、それは間違いなどというものではなくて、そのように規定して、その上で論を進めたかった、というべきものだと思う。
『難経』と『霊枢』と馬王堆帛書と、その後の研究を統合して、正解を求めようとするのは間違っている。その時その時に、何を考えていたかを探りたい。
結局、是動病とは何か、所生病とは何か、の問題ではなくて、病症把握の歴史に対する認識、病症を二大分類することに意味は有るのか、の問題に行き着くのではなかろうか。

神麹斎 07/05 21:30

406:[ 『針師のお守り』 ]

『針師のお守り』ー針灸よもやま話 浅川要 東洋学術出版社
 『中医臨床』の「鍼灸よもやま話」を一冊にまとめた本です。

 「是動病・所生病」今後検討すべきテーマと概要

1、『霊枢』経脉篇にある「是動病」と「所生病」の病侯の検討
 イ、『霊枢』の「是動病」と「所生病」及びはく書の『陰陽十一脉灸経』『足臂十一脈灸経』、さらには『内経』の他部分に記されている経脉病侯がどのような病態を示すものなのかを明らかにする。
 ロ、『足臂十一脈灸経』の未分化の病侯と『陰陽十一脈灸経』における「是動病」「所産病」に分類された病侯を比較分析する。
 ハ、『陰陽十一脈灸経』の「是動病」と「所産病」と『霊枢』の「是動病」「所生病」を比較検討する。
 ニ、『素問』『霊枢』の他篇に見られる関連病侯と比較検討する。
 ホ、イ~ニから「是動病」と「所生病」の病侯の特徴をさぐる。

2、『陰陽十一脈灸経』と『霊枢』経脉篇の該当部分における文章構造上の特徴を明らかにし、是動と所生を文法的に分析することによって、『難經』がなぜ「是動病」と「所生病」としたのかを考える。

3、『霊枢』経脉篇に記された六陽経の「所生病」の文章表現「是主○所生病者‥‥」の○の所には、腑名が入らず、それぞれ津・液・気・血・筋・骨が入るのはなぜか。(六陰経では○の所に臓名が入る)
 
4、『霊枢』経脉篇では、肺経、大腸経、胃経の所生病のあとに「気盛」と「気虚」の病侯が記されている。
 イ、なぜこの三脈だけにこうした病侯が書かれているのか。
 ロ、「是動病」「所生病」と「気盛」「気虚」の病侯はどのように関連しているのか。

5、「是動病」と「所生病」に関する古今東西の見解を集約し、その整合性を問う。例えば私の恩師である故藤木俊郎先生は『鍼灸医学源流考』のなかで「是動病は厥である」と記しており、上海中医学院の『鍼灸学』では所生病をその経の経穴が主治できる病証としている、などである。

 これらを一つ一つ検討していく作業が必要である。    


 私も浅川氏と同意見です。

山本朝子 07/01 23:45

405:[ 無題 ]

是動病と所生病について参考になる意見がございましたらご教授ください!

妙神斎 07/01 14:16

404:[ 明堂の感触 ]

『黄帝内経明堂』(仁和寺本&尊経閣本)と『甲乙経』を比較した感触では、直接の継承では無いような……。つまり、どちらの整理が(良きにつけ悪しきにつけ)進んでいるとは言い難い。『黄帝内経明堂』の天府穴の記述の中途に「此胃大輸」が入るのなんかは整理不充分だと思う。
で、『甲乙経』の記述が、もとの資材そのままかと言うと、これもまた……。天府穴に関して、卷之九・邪在肺五藏六府受病發谺ャ逆上氣第三と卷之十・陽受病發風第二(この二つを足せば、ほぼ『黄帝内経明堂』の記載になる)以外に、卷之十二・血溢發衂第七が有るところをみると、病 証把握に基づく分類は『甲乙経』の編者の仕事ではないかと思える。
『黄帝内経明堂』(復原本)は『外台秘要方』を骨子にしているようですが、煩嘔と顏青の間に癲疾が入ったのは、王燾の仕業ではなさそう。
『甲乙経』の上星は、
熱病(千金下有煩滿二字)汗不出上星主之先取隴ゥ隴・緕謫V迚藍嵐r
逞若鰹辮ッ主之先取隴ゥ隴・緕謫V迚藍嵐r大杼
面閭侮譓辮ッ主之先取隴ゥ隴・緕謫V迚抹嵐r主之
風眩善嘔煩滿神庭主之如顏青者上星主之取上星者先取隴ゥ隴・緕謫V迚抹嵐r
風眩引頷痛上星主之取上星亦如上法
癲疾上星主之先取隴ゥ隴・緕謫V迚抹嵐r
目中痛不能視上星主之先取隴ゥ隴・緕謫V迚抹嵐r
鼻鮠ス衂上星主之先取隴ゥ隴・緕謫V迚抹嵐r
『外台秘要方』の上星は、
主風眩善嘔煩滿顏青/逞若梶^鼻鮠ス衂/熱病汗不出/目中痛不能視/面腑腫/癲疾/凡云上星主之者皆先取隴ゥ隴・緕謫V迚抹嵐r(『甲乙経』の記述によって「/」を入れた)
「風眩引頷痛」はどこかへ行ってしまった。
復原本で、煩嘔と顏青の間に癲疾が入った理由は、復原者に聞いてみる必要がある。

六経本『甲乙経』に関しては、027、033~035で話題にしています。

神麹斎 06/28 15:14

403:[ 甲乙鍼灸治療学 ]

 やっと掲示板が再開しました。気になっていた校正から。
 「393昭和医学」の感性と理性の、理性が下文ではすべて知性に誤っています。文選は感性材料、常識は理性知識、常用詞は両方に属す、が正しいです。
 
 あれから『甲乙』の巻七以降の主治穴に色鉛筆で色付けをしてみました。それでいくつかの事に気づきました。
 
1、巻十第二の神庭と上星の関係
 「風眩善嘔。煩滿。神庭主之。如顏青者。上星主之。‥‥」
 この場合上星は風眩善嘔。煩滿し、もし顏が青かったら使う穴ですが、『黄帝内経明堂』では「風眩。煩嘔。癲疾。顏青。‥‥」となって、間に癲疾が入り顏青が独立した症状になっています。『黄帝内経明堂』系のものから『甲乙明堂』を編集することは不可能だと思います。

2、『霊枢』の引用文が『黄帝内経明堂』に入っている
 巻九第二「 けっ心痛。与背相引。‥‥先取京骨崑崙‥‥」
これは『霊枢』巻24の文ですが『黄帝内経明堂』の「京骨」に入っています。
 『明堂』から『霊枢』へいったか『霊枢』から『明堂』へ来たか、揚上善は『甲乙』をばらして『黄帝内経明堂』を作ったとしたほうが分かりやすいです。

3、『霊枢』の主治症部分と『甲乙明堂』の記述はよく似ていて校勘しないとどちらの引用か分からない。
 『甲乙明堂』は『霊枢』を手本にして考察されているのではないでしょうか。
 旧經絡学会で形井さんが腰痛に一穴治療の臨床報告をされたことがあります。何パーセントの人に効果があったというものです。腰痛にもいろいろあります。あの時、どんな腰痛には効き、どんな腰痛には効かないというような分類はできないものだろうかと思ったものです。それが『甲乙明堂』では腰痛でもいろんな症状によって主治穴を使い分けています。だいたい最初の症状が主症で次からは随伴症状のような記載になっています。
 
4、刺、灸、取
 「取」はいったいどうするのでしょうか。
  
 巻五鍼灸禁忌第一下で「刺禁」「禁灸」になっていないものに「刺」「灸」の指示があるのは「針適応症」「灸適応症」のようなものなのでしょう。
 巻五鍼灸禁忌第一下の禁灸穴と禁針穴は今の教科書とすべて一致していません。故岡部素明先生は「禁針穴や禁灸穴は実際には使用することが多いのは、とてもよく効く穴だから隠そうとして禁針とか禁灸にしたと」親父達の話として講演で言われていましたが、私はどうもこの話が引っかかっています。文献的に考察し直さないとなんとも言えないのではないでしょうか。

5、『甲乙経』の善本は黄さんは六経本だと『鍼灸名著集成』でいっていますが、六経本って何処にあるのでしょうか。
 難經曰や張仲景曰もありますが、その辺が序文と合わないとこなのでしょうか。


 『甲乙明堂』は患者をとても細かく観察しています。この細かさが後代使いにくいものになって一病症一穴になっていっているのでしょう。もし『甲乙明堂』の病症を現代の患者に当てはめて読めれば臨床に応用が出来るのでしょうね。 

山本朝子 06/28 12:55

402:[ 痺はあやまりか ]

『中医臨床』のVol.23-No.2に、痺症の「痺」は正しいか、中国のように「逞ケ」と書くべきか、という質問に対して、宮川さんが、「正確を期して、日本でも逞ケと書くべきである」と答えている。
まあ、その通りなんだけど、用例という点からいうとねえ、顧従徳本『素問』や明刊未詳本『霊枢』の「痺」は、やっぱり「痺」なんだよね。やまいだれの中の形が、ちょっと違うみたいだけど、『干禄字書』に尊卑の卑と言っている形です。仁和寺本『太素』でも、卑はその形だし、脾も髀も裨も、そしてもちろん痺も、声符は卑なんだよね。
確かに、『説文解字』のレベルで厳密に、と言えば逞ケと書くべきかも知れないけど、同形異字になってしまってからの歴史も、また長いと言わざるを得ない、と思う。大体、ウズラがやまいだれになってしまったのだって、羽か足であるべきものが、ベット(爿)になってしまったということじゃないの。

神麹斎 06/26 15:42

401:[ おまたせ ]

ながらく談話室を休んですみませんでした。
この談話室はユニコード対応です、ということで、拡張領域Aの漢字も何とか表示出来ないか、と頑張ってみましたが、ダメでした。
なぜだろう。
具体的に言いますと、プログラムで表示フォントの指定が「MS ゴシック」になっている箇所を、片端から、拡張領域Aを含むフォント「DFG華康ゴシック体W5-UN」で表示してね、「方正黑体」でもいいよ、どちらも持っていないと「MS ゴシック」で表示されるから、悪いけど一部の文字は欠けるよ、という指定にしたつもりなんです。なんですけどダメでした。カマボコでした。
そのカマボコを、例えばワードとかakira21(エディタ)とかに貼り込めば、ちゃんと見えるみたいだから、ますますわからん。

管理者 06/26 15:31

400:[ 酒席の戯言 ]

この談話室の基本的コンセプトは、酒席の戯言です。
だから、日本代表が勝った!決勝リーグに残ったと、はしゃいで書き込んでも、あきれられるだけで、それほど非難されることはないと思う、たぶん。
でも、日本も韓国も残った、西洋的なものへの東洋的なものの逆襲である、その背景をなす東洋的精神の分析を通して中国伝統医学が世界医学となるための方策をさぐる、なんてがんばったら、それはやんやの喝采でしょう。勿論、冗談としてですよ。
だからと言って、俺が靖国神社にお百度を踏んだから勝てたんだ、なんてことを本気で書き込まれたら、抹消することになると思います、たぶん。

管理者 06/16 16:00

399:[ 整理 ]

最初はやっぱり、心痛にはこのツボ、腹痛にはこのツボといった経験に、ちょっとした病証学的考察を加えた程度が大部分だったんじゃないか。それから、「こういった患者像には、このツボが効果がある」という発見、あるいは整理。あるいはまた、『黄帝内経明堂』の「このツボは、こういった症状に効果がある」という整理。

臨床での経験が『甲乙経』の記述になるためにも、やはり整理の手が入っているはずだけど、それが玄晏先生によるものであるか、無名の臨床家によるものであるか。病証による針灸治療学であるか、経穴学であるか。後の歴史では経穴学のほうが優勢になったような気がするけれど、やっぱり治療は学にはなりにくいのかねえ。『甲乙経』巻7~12=原『明堂』(?)の線が、その後も発展したらどうなったか。ちょっと、シュミレーションしてみたいような……。

わたしもちょっと休憩、ひとやすみ。

神麹斎 06/16 15:35

398:[ コーヒーブレイク ]

黄龍祥の言うように、文の途中に「脱文」がいくつかある可能性がある。
これからじっくり見ていくつもり。ご指摘感謝。
長文の主治症は要チェック!


甲乙経の明堂部分記述は、きわめて整然と記述されているのが特徴であり、この部分はおそらく、「原・明堂」と思う。(巻3も含めて)
「原・明堂」(甲乙経の明堂部分をあえて小生はこう言いたい)は当時の(何時かは?だが)臨床(床=ベット)と学問の成果の完成品のようだ。

あえて外台秘要方・明堂、楊上善・明堂のようなスタイル(一穴で一項目)は、「経穴学」を構築しようとした「机上」の世界のように思えてならない。

「経穴」が<床=ベット>から<机>に、<臨床>から<学問>の世界に移行されるに従い、生き生きとした臨床の記述が歪曲され、または矮小化され、切り刻まれていく。

(1)こういう症状には、このツボが効果がある。(原・明堂)
(2)このツボには、こういう症状が効果がある。(楊上善・明堂など)

(1)は患者と治療家が見える。
(2)は机と筆と作者の頭が見える。
そんな感じを持つのは小生だけか。

「セットの話し」は後日

こばやし 06/16 00:20

397:[ セットはいくつか ]

本来セットなのだから、病証をばらばらにしてはいけないと言うのは、なるほどその通りなのであるが、だからと言って、全部で1セットかどうかはまた別問題である。
例えば『黄帝内経明堂』の天府では、
主谺ャ上氣喘不得息暴逋堰俣煖t肝肺相搏鼻口出血*此胃大輸*身脹逆息不得臥*風汗出身腫喘喝多睡*諤ウ愡善忘嗜臥不覺*(*のところに楊上善注が入る)
これに該当する『甲乙経』は、
卷之九・邪在肺五藏六府受病發谺ャ逆上氣第三
 谺ャ上氣喘不得息暴痺内逆肝肺相傳鼻口出血身脹逆息不得臥天府主之
卷之十・陽受病發風第二
 風汗出身腫喘喝多睡恍愡善忘嗜臥不覺天府主之在腋下三寸臂内動脉之中
だろう。じゃあ、2つのセットかというと、
卷之十二・血溢發衂第七
 暴痺内逆肝肺相薄血溢鼻口取天府此爲胃之大閻ァ五部也
が有るからややこしい。ひょっとすると、
 谺ャ上氣喘不得息
 暴逋遠煖t肝肺相搏鼻口出血
 身脹逆息不得臥
 風汗出身腫喘喝多睡諤ウ愡善忘嗜臥不覺
の4セットかも知れない。もっとも楊上善の注の挿入からみると、彼の意見はまた違うらしい。
さらに、
巻之八・五藏傳病發寒熱第一下
 胸中彭彭然甚則交兩手而迸€暴痺喘逆刺經渠及天府此謂之大兪
とあり、『明堂』の経渠のほうには、
 寒熱胸背急痛喉中鳴谺ャ上氣喘掌中熱數欠伸汗出胸中彭彭甚則交兩手務暴逋遠煖t先取天府此胃之大輸臂内廉痛喘逆心痛欲歐
がある。このうち前の部分「寒熱胸背急痛喉中鳴谺ャ上氣喘掌中熱數欠伸汗出」は、『甲乙経』では「列缺主之」に紛れ込んでいるが、黄龍祥の考証するように後に「天府主之」を落としていると考えていい。中の部分「胸中彭彭甚則交兩手務暴逋遠煖t先取天府此胃之大輸」はもともとはむしろ『甲乙経』の形「刺經渠及天府」だったと思われる。後の部分「臂内廉痛喘逆心痛欲歐」は『甲乙経』では行方不明。つまり、経渠穴の場合も3つのセットの可能性が有る。

神麹斎 06/15 22:48

396:[ 『明堂経』における[灸]の用例 ]

------------------------------------------------
          『明堂経』における[灸]の用例
-------------------------------------------------
●「灸五里」
①逞若梶D心下脹滿痛.上氣.灸【手】五里.左取右.右取左.
②寒熱.頸癧適.谺ャ.呼吸難.灸【手】五里.左取右.右取左.
③嗜臥.四肢不欲動揺.身體黄.灸【手】五里.左取右.右取左.
④{目遺}目.目艢ョ艢ョ.少氣.灸【手】五里.左取右.右取左.

●「灸臍中」
⑤臍疝繞臍痛.衝胸不得息.灸臍中.
⑥腸中常鳴.時上衝心.灸臍中.
⑦絶子.灸臍中.令人有子.
⑧水腫.大臍平.灸臍中.腹無理不治.


⑨熱中少氣厥寒.灸之熱去〔千金作灸湧泉〕.煩心不嗜食.谺ャ而短氣.善喘.喉痺.身熱痛.脊脇相引.忽忽善忘.湧泉主之.


⑩犢鼻腫.可灸不可刺.其上堅勿攻.攻之者死.


『甲乙経』の序例には次にように断り書きがあります。
----------------------------------
言「主之」者、可灸可刺
言「刺之」者、不可灸
言「灸之」者、不可刺、亦其例也
----------------------------------
つまり、・・・「主之」とあったら、鍼とお灸をしなさい。
    ・・・「刺之」とあったら、鍼をしなさい、お灸はしてはいけない(禁灸穴)。
    ・・・「灸之」とあったら、鍼はしてはいけない、お灸をしなさい。
ということです。

上の例は「灸之」の例で灸治療のみの経穴です。


●「灸五里」→④{目遺}目.目艢ョ艢ョ.少氣.灸【手】五里.左取右.右取左.
●「灸臍中」→⑦絶子.灸臍中.令人有子.
この上の2例などは興味深いところです。
・目の病に深谷伊三郎はよく「臂臑」を使う、というのが書いてありました。
 位置は若干違いますが、許容範囲です。
・不妊に神闕(臍中)の記載も、このへんからすでに文献記載があった。
・灸のみの病証、というのは案外少なかった。

思ったことのみですが、何かの参考になれば幸いです。

(注)
・ここに言う『明堂経』とは『針灸名著集成』所収『鍼灸甲乙経』(夏華出版社 黄龍祥主編 1996年)にある全「明堂注記」部分を抜粋し整理したものを言う。
・【手】は筆者は付したものである。

こばやし 06/15 21:58

395:[ 明堂病症学? ]

肺系急.胸中痛.惡寒.胸滿悒悒然.善嘔膽.胸中熱.喘逆氣.氣相追逐.多濁唾不得息.肩背 風汗出.面腹腫.鬲中食饐不下食.喉痺.肩息肺脹.皮膚骨痛.寒熱.煩滿.という状況に対して中府穴なのであって、バラバラにしたそれぞれの症状に対して中府穴なのではない、というのは恐らくその通りだと思う。
しかし、これに「五蔵伝病発寒熱」をかぶせたのは、あくまで『甲乙経』の撰者なのではないか。
ここのところは、実は私にも(と言っても最近になって)いささか気がかりなところで、病症把握にもとづいて小題の下に分属するのが、『甲乙経』の撰者がやったことだとしたら、これを参考にして「甲乙経針灸治療学」みたいなものを抽出・構築するだけの価値は有るんだろうか。
それから、僅かな例外を除いては、○○主之となっているけれど、そんなに一穴治療が多かっただろうか。

神麹斎 06/15 08:25

394:[ 千金方の続き 3 ]

注:●は「中府穴」を分かりやすくするため目印として付した。外字は忙しかったのでUnicode未処理。

甲乙経の「中府穴」は巻3の経穴位置表示部分と<五蔵伝病発寒熱第二・下>にあるのみ。
 ここで問題となることは、甲乙経と千金方の中府穴部分を抜き出して見てみると、
甲乙経は「中府穴」を<五蔵伝病発寒熱>という病の治療穴の一つとしてあげているのであり、単発の症状の(千金方にあるような)喉痺、胸脇、大小便病、水腫・・・の中で使っているわけではない。あくまで<五蔵伝病発寒熱>なのである。
そういうふうに見ていけば記述の内容が理解されやすいであろう。
 ここでもう一つ言いたいのは、下の(参考)にあげた、楊上善・明堂、医心方、外台秘要方もほぼ同じ記述であり、<五蔵伝病発寒熱>の上での「中府穴」でないこと。

〔甲乙経・明堂部分〕+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
<巻3>
●中府.肺之募也.一名膺中兪.在雲門下一寸.乳上三肋間陷者中.動脉應手.仰而取之.手足太陰之會.刺入三分.留五呼.灸五壯.

<五蔵伝病発寒熱第二・下>
肺系急.胸中痛.惡寒.胸滿悒悒然.善嘔膽.胸中熱.喘逆氣.氣相追逐.多濁唾不得息.肩背風汗出.面腹腫.鬲中食饐不下食.喉痺.肩息肺脹.皮膚骨痛.寒熱.煩滿.●中府主之.

〔千金方・巻30〕++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
●中府.陽交.主喉痺.胸滿塞.寒熱. 【喉痺:】
曲池.人迎.神道.章門.●中府.臨泣.天池.迺・張(旋機).府輸.主胸中滿. 【胸脇:】
雲門.●中府.隱白.期門.肺輸.魂門.大陵.主胸中痛. 【胸脇:】
關門.●中府.神門.主遺尿.「甲乙.中府作委中」 【大小便病:】
●中府.間使.合谷.主面腹腫. 【水腫:】
中庭.●中府.主膈寒.食不下.嘔吐還出. 【不能食病:】
中庭.●中府.主嘔逆吐.食下還出. 【嘔吐病:】
魄戸.●中府.主肺寒熱.呼吸不得臥.谺ャ逆上氣.嘔沫喘氣相追逐. 【谺ャ逆上氣:】
庫房.●中府.周榮.尺澤.主谺ャ逆上氣.呼吸多士澤沫(4)膿血. 【谺ャ逆上氣:】
●中府.主肺系急.谺ャ輒胸痛.【谺ャ逆上氣:】
五處.攅竹.正營.上閼鬆€(上管).缺盆.●中府.主汗出寒熱. 【黄疸.霍亂.瘧附.】
膈輸.●中府.主寒熱.皮.肉.骨痛.少氣不得臥.支滿. 【熱病:】
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

(■参考)
〔楊上善・明堂〕+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
●中府者.肺募也.一名膺中輸.在雲門下一寸.乳上三肋間.動脈應手.陷者中.手足太陰之會.刺入三分.留五呼.灸五壯.
主.肺系急.谺ャ.胸中痛.惡清.胸中滿色色然.善歐食.胸中熱.喘逆逆氣相追逐.多濁唾.不得息.肩背風.汗出.面腹腫.鬲中不下食.喉痺.肩息肺脹.皮膚骨痛.寒熱煩滿.

〔外台秘要方〕+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
●中府.肺募也.一名膺中兪.在雲門下一寸.一云一寸六分.乳上三肋間動脉應手陷者中.足太陰之會.灸五壯.○主.肺系急.胸中痛.惡清.胸滿邑邑然.嘔膽.胸中熱.喘逆氣.氣相追逐.多濁唾.不得息.肩背風.汗出.面腹腫.膈中食噎.不下食.喉痺.肩息肺脹.皮膚骨痛.寒熱煩滿.

〔医心方〕+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
●中府.二穴.肺募也.一名膺中輸.在雲門下一寸.乳上三肋間動脉應手陷者中.刺入三分.留五呼.灸五壯.○主.谺ャ.胸中痛.惡清.多唾.肩背風.汗出.面腹腫.喉痺.肩息肺脹.皮膚骨痛.

こばやし 06/15 01:36

393:[ 昭和医学 ]

金元医学とか明清医学という言葉があります。どちらも「内経」を本にしていますが微妙にちがいます。經絡治療は昭和医学です。中医学もしかり。金元医学や明清医学が東洋医学と言えるなら、昭和医学も東洋医学に属してもよいのではないでしょうか。
日本内経医学会の前身の原塾が出来た時、小野文恵先生の東方会から原塾に参加した人達は、「原塾に行くなら東方会をやめなさい」と言われ、東方会をやめてきています。左合さんもその口ではないでしょうか。その後、二期生以後の人は東方会をやめなくても、原塾に参加できているようでした。東洋はり医会の福島こうどう先生も、「原典を読むな、自分の教えだけを勉強しろ」と言われていたそうです。
原典を読むと分からなくなるだけで、自分の教えを聞いた方が臨床に役立つと思ったのでしょう。だから經絡治療は昭和医学だと思います。
ところで、中医学に対して解結すべき問題がよく分かりますね。私は中医学は知らないので、 文献を研究されている大学の先生たちが中医学批判をされても、どこに中医学の問題点があるのかわからないのです。もしよかったらその辺の所を教えて頂けませんか。

小林さんの研究は、前に発表された『甲乙経』巻三の不備を正すものと対の論文で、この二論文は、今後経穴学を研究する人は必ず読んでおかなければならない貴重なものとなると私は思っています。

うちの会にも会則があったのですね。自分達で作ったのにすっかり忘れていました。確か作る時、会員を縛りつけるようなものにはしないようにしようということだったと思います。
古代漢語には感性の認識と理性の認識が必要です。王力の場合、「文選」で感性を養い、「常識」で知性を養い、「常用詞」は感性と知性の両方を養うよう、編集しています。この中の「常識」が考証学的なことや天文、地理、職官、といったものが入ります。この「常識」部分は『古代漢語』では「古漢語通論」と記されていて『中国古典読法通論』として朋友書店から現代語訳されて出ています。
「内経」をやりたい場合、どうしても知性的なことに興味を引かれる気持ちはわかるのですが、ただ考証学的に読むのではなく、古代漢語として読むのであれば、「内経」が医書である限り臨床や各時代の医書の話を避けては通れません。たまには感性を養うつもりで、各流派の話や臨床の話にも耳を傾けて頂き、その上で内経の疑問点をどんどん掲示板に問い合わせてみてはいただけませんか。

山本朝子 06/14 22:41

392:[ 何も変わってません ]

別に会則は変わってませんし、今の状況が狭くなっているとも思いません。書き手の無い方面が手薄になるのは当然です。「原典なんか読んでも役にたたない」に類する書き込みが有れば反撃するのも当然です。特定の流派を宣伝されるのは嫌います。それを狭いと言われる筋合いは無い。
「内経の医学の旨を理解し実践を試みる事は、時空を越えて鍼灸医学の課題である」と宣言しているのです。その上で「周辺資料」と言い、「幅広い同好の士」と言い、「それらの為に自由闊達な研究発表の場」と言っているんです。何でもかんでも受け入れると言っているわけでは有りません。
古医籍の正確な読解を求めるのは、なかなか骨のおれる作業です。そうした鈍くさい努力に対する誹謗中傷まで、受け入れるような義理は有りません。

神麹斎 06/14 17:59

391:[ 無題 ]

日本内経医学会会則
 目的
 鍼灸術が、その期限を遠く内経に根ざす事は、論を挨たない。しかし、その古文は深奥で、時を隔てるばかりでなく、地を異にし、今以て文意の定かならざる処がある。内経の医学の旨を理解し実践を試みる事は、時空を越えて鍼灸医学の課題である。此処に、歴史的文献としての内経のみならず、その周辺資料を含めて、幅広い同好の士の研学が、今求められている。生きた文化としての内経が、病める人々への福音となる途につくべき時である。それらの為に自由闊達な研究発表の場として、日本内経医学会を設立する。

とある。
 なんだか狭いね、今の状況。
 それとも会則が変わったか?
 病める人々への福音・・・
 歴史的文献としての内経のみならず・・・
 

蒼龍 06/14 16:10

390:[ 無題 ]

こんなエピソードがあります。
熱心に中医学を勉強されている方との話の中で、わたしが原典に取り組むなかで、中医学に対して解決すべき問題があることを指摘したのです。
ところが、この方はそれは原典を読むからダメなんだと返してこられました...。
議論する気にもなりませんでしたが、中医学や経絡治療が東洋医学だと思っているなんてヘンテコナ現状ですね!

妙神斎 06/14 01:22

389:[ 括而羽之 ]

子路曰:「南山有竹,不柔自直,斬而用之,達于犀革.以此言之,何學之有?」孔子曰:「括而羽之,鏃而礪之,其入之不亦深乎.」子路再拜曰:「敬而受教.」 (『孔子家語』子路初見篇)

神麹斎 06/13 08:33

388:[ 千金方の続き ]

前回の続き・・・・

※きれいに逆転させて記述+++++++++++++++
・傷寒熱盛.煩嘔.〔大椎〕主之.<甲乙経>
・〔大椎〕.主傷寒熱盛.煩嘔.<千金方30;以下略「千金方」>
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

※本来セットの病証をばらばらにした例++++++++++
・頭重(1)目暝(3).悽厥寒熱(5).項強難以反顧(2).汗不出(5).〔陶道〕主之.<甲乙経>(07-09a06)<六經受病發傷寒熱病第一>
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
(1)天柱.〔陶道〕.大杼「一作本神」.孔最.後谿.主頭痛.<千金方・頭病>
(2)消豼シ.本神.通天.強間.風府.逖末蛛D天柱.風池.齦交.天衝.〔陶道〕.外丘.通谷.玉枕.主項如拔.不可左右顧.<千金方・項病>
(3)天柱.〔陶道〕.崑崙.主目眩.又目不明.目如脱.<千金方・目病>
(4)上閼鬆€(上管).曲差.上星.〔陶道〕.天柱.上遯戟D懸釐.風池.命門.膀胱輸.主煩滿汗不出.<千金方・熱病>
(5)玉枕.大杼.肝輸.心輸.膈輸.〔陶道〕.主汗不出.悽厥惡寒.<千金方・熱病>
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
※( )、〔 〕は筆者の注;
(1)頭病
(2)項病
(3)目病
(4)熱病
(5)熱病

上の例は、<甲乙経・六經受病發傷寒熱病第一>ですが、
「頭重目暝.悽厥寒熱.項強難以反顧.汗不出.〔陶道〕主之」
この病証はバラバラにしては本来の甲乙経の主旨に反することになる。
あくまで「・・であり、・・・であり、・・・であるものは・・・がこれを主る」

こばやし 06/13 00:06

387:[ 全ての流派に通じる理論体系 ]

 この言葉を勘違いされている人が多いので「オンリーワンに生きる」を書かせて頂きました。つまり「通じる」と言っているのに、なぜか「統一」になり、更に「統一した治療」まで加わっているようなのです。
 どの様に説明したらよいのか分かりませんが、例えば江戸期の臨床書が五十冊あったとします。この時、その中でナンバーワンの本を求めて年を取り使えないまま死んでいくより、自分が何となく好きだなあと思う本を使った方が良いと思います。
 また仮に文献的知識のある人がその中で最善の本を使ったとします。一方文献的知識のない人が最悪の本を使ったとします。ではどちらが臨床がうまいかは、最善の本を使った方だとは言えません。案外最悪の本を使った人の方が腕が良いかもしれないのです。臨床とはそのようなものです。その時、最善の本を使った人がいくら最悪の本を使っている人に「お前の本はなっとらん」といっても実際に臨床に役立っているのだからそれが自分に相性のいい本として堂々と「自分はこの本を使った」と言えばいいんです。
 『鍼灸治療医典』を例にとりましたが、私としては各流派の理論や治療は尊重してあげたいのです。だから「オンリーワン」というわけです。

 「通じる理論」ですが、各流派の理論は尊重しますが、正直なところ発表を聞いたり、読んだりしても理解出来ないところがあります。それを通じるようにするにはどうしたらよいかです。
 一つは用語の使い方。
 例えば、経絡治療学会では江戸以前の本はすべて「古典」にしています。「古典にこうある」ではどのほんかさっぱりわかりません。もしこれが「『鍼灸重宝記』にこうある」と書いて下されば、聞き手に分かるものになります。
 二つ目は疾病のとらえ方。
 学校では西洋医学と中医学で教わっている人に、伝統的な病症を強要することは不可能です。大きく、病名・病症・病因・病証・治方に分類し、各流派の理論がどこに属しているか、聞き手が分類して捉える。つまり「症・因・証・治」だけを暗記しておくのです。望聞問切で得られた情報は「症」にいれるとか、風とか寒とかは「因」にいれるとか、何経が虚しているとか実しているとかは「証」にいれるとか。実際にやってみるとこの順番ではない会もありますし、全てをつかってもいませんが、それはそれで良いのではないでしょうか。
 
 伝統的な病症学を使うことはまた別問題です。テキストの選択から始め、病症の専門書を読まなければいけません。この問題はもう少し考えさせて下さい。

山本朝子 06/12 21:53

386:[ うちは内経医学会 ]

これは缺かせないって書物は、内経です。
何故って、うちの会の名前を見てください。
本当はどうだかは別にして、そう仮定した仲間たちのための場です。他の書物は、内経をきちんと読むための準備です。
ここで言っている内経とは、『素問』『霊枢』のことです。でも、案外『難経』が……とか、本当は『太素』『甲乙』のほうが……とか、言い出す異端もいます。それでも追放にならないのは、うちの会の歴史というか、値打ちの一つだと思っています。

私は悟った、もっと優れた書物をみつけたとか言っても、うちの会ではあんまり相手にされないと思う。

神麹斎 06/12 17:47

385:[ 無題 ]

病症学の統一、共有といった方がいいのかな...
山本さんをはじめ皆さんの見解を眺めてみますと
診察学、診断学の本来の目的や意味合いに欠けているって
思うんです...。
この発想のもとではもうあと500年は無理だろな~って
なんでできないのか、難しいかっていうのは出発点が違うんですね!
ぼくの発想はコロンブスの卵だから、言ってしまったらおもしろくない!?
なんのための統一か共有か、というより患者にとって或いは病気と向き合う上で何が必要なのか...
視点を切りかえると、すでに古典医書は玉石混合してしまっているんですね!そうすると有用なものは必然的に限られてくるからそんなにたくさん読まなくてもいいんだな~って実感できるんですけど
...。
山本さんはどう思われます?
これは欠かせないよなって本が皆さんにはありますか?

妙神斎 06/12 01:20

384:[ 千金方の記述の例 ]

分かりやすくこんな例で書きます

明堂部分の記述と千金方の記述の例:
(1は明堂、2は千金方)
1、〔埼玉県に住む鍼灸師の〕『小林健二』です。
2、『小林健二』は〔埼玉県に住む鍼灸師〕です。
 ※『 』は経穴、〔 〕は主治症
 ※千金方のある部分は明堂部分を<きれいに>逆さにして記述してあります。

これは、まあ許せる記述。

しかし、この(1)をバラバラにして、
(2)を
・『小林健二』は〔埼玉県に住む〕
・『小林健二』は〔鍼灸師〕です。
こういう例が千金方にあるが、これはいただけない。

小林健二のデータベースもしくは索引ならいいが。
これでは小林健二の全体像がわからない。
これでも、まあ許してみましょう。

しかし、データが<固定されたもの>ならそれほど支障がないが、
<動的なデータ>であるなら、問題は出てくる。
例;
1、〔埼玉県から急用で東京に出かけた鍼灸師の〕『小林健二』です。
2、『小林健二』は〔埼玉県から急用で東京に出かけた鍼灸師〕です。
2、『小林健二』は〔東京に出かけた鍼灸師〕です。
2、『小林健二』は〔東京に出かけた〕。
2、『小林健二』は〔埼玉県〕です。

これでは、まるで「小林健二は東京に出かけた鍼灸師」になってしまう。「小林健二はふだん埼玉に在住」なのです。
ちょっとおかしな話しではないでしょうか。
また
「東京に出かけた鍼灸師」一般は小林健二であるかのように思える。
「千金方」は「心病」「腹病」などにさらに項目立てています。
上の例で言えば、「住所」「職業」などです。

何を言いたいかと言えば、「千金方」は「鍼灸甲乙経」の明堂部分の「索引」、もしくは「経穴学」を作りたがった学者先生のものである、ということ。
「索引」は「教科書」があってはじめて役に立つものであり、「索引」で経穴の勉強などできない、と小生は言いたかった。

悲しいかな、「千金方」以降、「経穴学」を構築しようと皆、「千金方」を引用していく。
今日はこのへんで。

こばやし 06/11 22:20

383:[ オンリーワンに生きる ]

 松田さんからは直接メールを頂きました。ありがとうございました。
 
 『鍼灸治療医典』柳谷素霊原著 柳谷清逸校補 石山針灸医学社
 素霊先生の序文によれば「本書は元来、医師日常愛読する『診療医典』『治療医典』の如きものが、針灸界になかったので、編集したものであって、医師の医典に比ぶべきものであった。」とあるように、歴代の医書六十数冊から各病名ごとの遅闕を治穴を挙げた本です。
 私はこの本を見るたびに、どうして本によってこうも取穴が違うのか疑問に思っていました。最近、治療法を統一出来ないものだろうかと考えました。最小公倍数的に各書に共通する穴をとったらどうだろうか、または最大公約数的に全ての穴を集めたらどうだろうかとか。色々考えたのですが、やはり穴はその人その人の「組み合わせ」が大切なのではないだろうかと考えるようになりました。柳谷先生も序文に「古来、病に対する治穴配穴は、経験医学のたてまえ上、統一と総合が欠けている。従って一般医師の日常行っているいるような、処方投与の態度でのぞまれたい。針灸治療学が確立すれば理論的に治穴配合を決定できるのだが、今のところ以上のような方法をとるより、いたしかたがない。」と述べられているように、統一は出来なかったようです。臨床はオンリーワンで良いのでは無いでしょうか。

 そんな事を考えていたある日、ふと歴代の経穴書の事が頭に浮かびました。
 ア、という本にはABCの症状に曲池。
 イ、という本にはADEの症状に合谷。
 ウ、という本にはAFGの症状に足三里。
と書かれていたとして、これを症状別に並べ替え、
 Aという症状には、曲池、合谷、足三里。としている本がないのだろうか、もしあったとしたら大いなる誤りである。なぜならABC、ADE、AFGは一人の症状の組み合わせであって独立して捉えるものではありません。
 『中国針灸穴位通○』(青島出版社)で調べて見ようかと思っていた所、ふと手元にあった『季刊内経』で小林さんのものを見つけたしだいです。『季刊内経』が出た時は小林さんの研究の価値に気がつかなくて忘れていた訳で申し訳ありませんでした。様々な学会で経穴主治症の研究がなされていますが、ただ主治穴が変わるだけでなく、なぜそのような事が起こったか、小林さんのような研究からやらなければ解結出来ないと思います。
 では次号の『季刊内経』を楽しみにしています。

山本朝子 06/11 14:20

382:[ 続きます ]

山本さん;
お気遣いありがとう。
ちゃんと、続きます。
今度の号の〆切は何時かな?
叱咤と励まし、うれしいです。

こばやし 06/10 22:08

381:[ 支那の学問... ]

『論語の新しい読み方』の35項に痛快な記述があります。
宮崎市定氏の恩師、濱田耕作氏の印象に残る言葉です...
「西洋の横文字の本は読めばよくわかる。だから読んでいるとだんだん頭がよくなる気がする。いや、読まなくても横文字の本を書棚に並べて、それを見ているだけでも、何だか頭がよくなる気がする。ところが漢文というものは実にわからないものだ。漢文は読めば読むほどわからなくなる。それを無理にわかろうと思って読むと頭が悪くなる。その証拠には支那の学問をしている学者というのはたいてい頭が悪い。お前たちはそうなるな...」と。
なんだか耳の痛~いお話です。

妙神斎 06/10 01:51

380:[ 質問 ]

 ちょっと古い内容で申し訳ないのですが、
 
先ず小林さんへ
 『季刊内経』№142 2001年春号に載せた
『備灸千金要方』経穴主治症のあやまりについて」の最後に「次回につづく」とありながらそれっきりになっていますが、どうなっているのでしょうか。あれでおわりなのか、もし先があるのであれば是非読ませて下さい。
 
 宮川さんへ
 同号の「倉公伝についての考察」で脉診のことに触れられていますが、倉公の脉診とは具体的にはどのようなものか分かっているのでしょうか。司馬遷は「史記列伝」の各人の終わりに、なぜこの人を取り上げたのか、という理由を書いています。扁倉伝は、扁ジャクが脉診の祖で、倉公は脉診をした人だったか、そのようなことが書かれています。司馬遷の興味を引いた脉診とはいかなるものだったのでしょうか。参考になる誰かの論文又は本があったら紹介して下さい。 

山本朝子 06/09 18:10

379:[ 『論語の新しい読み方』 ]

今「正しい」ではなくて「新しい」に気づきました。また注文を間違えてしまったらしいです。明日書店に電話しなくては。

山本朝子 06/08 23:37

378:[ 『論語の正しい読み方』 ]

 『論語の正しい読み方』は十年程前に仲間うちでも話題になりました。たぶん左合さんが紹介していたと思います。私もすぐ書店に行ったのですが何処にあるのかわからず、店員さんに聴くとパソコンか何かで検索してくれたところ、似たような本が二・三冊ありそのうちの一つを、たぶんこれだろうと思って買い読んでみました。ところがどうも読んだ人の話と共通する内容がなく、変だなあと思っていました。妙神斎さんの記事を読み自分の本を出してみました。
 『論語の読み方』祥伝社 NON BOOK 山本七平著
 すぐに近くの書店に『論語の正しい読み方』を注文しました。
 妙神斎さんどうもありがとうございました。

山本朝子 06/08 23:35

377:[ 無題 ]

山本さん!このあたりの問題は宮崎市定先生の著作を見られたらいかがでしょうか?ちょっといま手元に資料がないのですが...
例えば考証学の問題について、岩波現代文庫の「論語の新しい読み方」に載っていたはずです。よかったら読んでみてください...

妙神斎 06/08 00:31

376:[ 標格雖資於詁訓 阨・d亦屬乎生知 ]

だからつまり「阨・dハ生知ニ属スト雖モ、標格ハマタ詁訓ヲ資トス」(一般の和訓とは少し違う)なんじゃないですか。でまた、つまり「標格ハ詁訓ヲ資トスト雖モ、阨・dハマタ生知ニ属ス」なんでしょう。
考証学の知識方法を駆使して、きちんと古典を読んだとして、それで必ず古典の精神を理解できるとか、ましてや発展されられるということではない。そこには別の努力と才能を必要とする。
そしてまた、考証学の知識方法を無視して、古典を読もうとするのは、今や無謀と言わざるを得ない。
で、今の日本の針灸界に於いて、きちんと読むための教養水準が低すぎる、という現状認識のもとに、原塾から日本内経医学会への流れが有るわけで、当然ながら、読むだけですむと思っているわけではない。
まあだから、駕籠に乗る人、担ぐ人なんだけど、担ぐ人無しというわけにはいかない。大事を成す人は、駕籠に乗る人だとしても。

神麹斎 06/07 18:43

375:[ 貝塚茂樹著『中国の歴史』 ]

貝塚茂樹著『中国の歴史』下・岩波新書
 第二十二章・三 実証主義の運命
 「実証主義から出発した清朝の学風は十九世紀の初頭(1820年)を境として一変する。清朝の考証学は宋学の影響から脱し、漢学に復古することを標語としたが、前期は後漢の古文学を理想として、古文派とよばれた。後漢の経学を大成したテイ言などの注釈をもととし、言語学として経書の本文の意味を明らかにするものである。顧炎武の伝統を継ぐ経学の戴震(東原、安徽人、1723-1777)、段玉裁(江蘇人、1735-1815)、王念孫(懐祖、江蘇人、1744-1832)、史学の銭大キン(竹テイ、江蘇人、1728-1804)、章学誠(実斎、浙江人、1738-1801)らなどで最高潮にたっする。経学などにおいては、一字一字の発音・意義を明らかにすることからはじめるので、文章の意味はあまり注意しない。実用から遊離し、イデオロギー抜きの学問のための学問を主張する。
 これに対して十九世紀初頭からおこった新学風は、同じ漢学でも前漢の学にかえることをモットーとする。前漢の学は、経書の奥に、これを編纂した孔子の政治にたいするかくれた批判をよみとろうとする。儒教の経書のなかでも、歴史の起原といわれる『春秋』についての孔子のかくされた批判、いわゆる微言大義を明らかにすることが着手された。この傾向を代表するのが、魏源(湖南人、1794-1856)、キョウ自珍(定アン、浙江人、1792-1841)である。これは古典の歴史的な意味を説明することから、一歩進めて古典の解釈に託し、現代の政治経済を批判する実用主義にかわった。今まさに中国に脅威をあたえようとしている西洋の列強などとの国際関係の真相を明らかにし、これにたいする政策を提出しようとするものであった。このようにして今文派と古文派との論争がはじまり、そのなかから、異民族の清朝をたおし、漢族の手に政権をとりかえそうとする革命の理論が生まれ出ようとしていた。」
  
 私がどうしてこの様な文章に気を止めているのか自分でもよく分かりません。ただ『素問招識』をやっていたころ、例えば「腹中論」の『素問招識』は読んでも肝腎の「腹中論」は全く読んでいなくて理解できていない、というようなことがありました。以後、本文を読むように気をつけています。
 最近の睛明攅竹さんの
「訓詁や注釈という言語表現は、経文という対象が存在してはじめて成立する2次的なものです。経文の存在を無視して、訓詁・注釈を独立させて研究しようとすると、陥穽におちいりかねません。」
も、そういうことが自分の経験としてあったのについ忘れがちになってしまっていた頃に出て、ハッとさせられるものがあった訳です。
 松田さんが何を言いたかったのかを教えて頂きたいのも、自分で気づかない所に目を向けたいからです。ジャーナリストの目で見た事を遠慮しないで教えて下さい。

山本朝子 06/07 15:46

374:[ 限界と功罪と ]

武内義雄氏が『中国思想史』の中で言っているのは、考証学の限界のことで、つまりいくら研究方法が精細なものになったとしても、それは必ずしも思想の創成、発展を保障するものではない。
松田氏が言っているのは、考証学の功罪のことで、考証学の対象とならない異端・雑説は無視される傾向が有ろうし、そうなれば乃ち古医籍のある部分は脱落するであろう。そして、その脱落した部分に、実は中国伝統医学の核心となるべきものが、含まれている可能性も無しとはしない。

神麹斎 06/05 23:13

373:[ 考証学派と中国伝統医学 ]

 竹内義雄著『中国思想史』(岩波書店)の最後の一文です。
「之を要するに清朝はその初に於いて朱子学を以て国家教育の根本としたが、その後考証学の栄えた結果朱子学の基礎がゆるぎ出して、朱子学者は新研究を取ってその改修工事に移ったがその目的を果たしえず、公羊学派が之に代わろうとしたが之も失敗して何等の精神も得られなかった。かくの如く清朝思想界の末路は惨憺たるものであったが、その考証学の精緻なことは前後無比というべく、これによって吾々は既に湮滅した兩漢の思想を髣髴することができるように成った。そうして文字声音の研究が進んだため更に遡って先秦の古典も正確によみ得る様に成った。これらの功績は実に偉大なもので吾々が周代から清末に至るまでの思想変遷の跡をたどり得るように成ったのもこれら研究の成果にまつものが多い。従って吾人が清朝の学者から学び得たところはその研究方法だけで、思想内容としては特筆すべきものを見出し得ない。中国近世期に於ける思想家は何といっても朱子と陽明とが代表的の学者で、それ以後は殆ど発達していないものといってよい。」

 この文章がずっと気がかりでした。医経界でも考証学的な研究によってなにか大切な医学思想が失われることになりはしないかと。自分なりに今のところは大丈夫だろうと思っていたのですが、今回の討論中に松田さんが「科学と詩」の時に「ひとつの達成がひとつの欠落を生み出すように、考証学派は、中国伝統医学の核心から何をそぎ落としてしまったかということです。」と書かれているのをみて、既になにかが起きていることを知りました。
 松田さんにお聞きしたいのですが、この辺の所を具体的に私でもわかる言葉で教えていただけませんか。今後の研究の参考にさせて頂きたいです。

 柔道整復界は、早くに古典を廃し現代医学的な世界に入りました。そして医師の傘下に入り皆保険制度を手に入れています。しかし鍼灸界は基礎理論は現代医学的な教育を受けるのですが、経穴を使う限り、經絡と切り離すことが出来ずどうしても伝統的な用語を必要とします。
 ある日、柔道整復師の資格を持った後に鍼灸学校へ通っている人に「月が陰で、太陽が陽だなんて言うけど、じゃあ地球はなんなんだと言いたい。鍼灸の古典なんてくだらん」と言われたことがあります。当時私にはどの様に説明したら分かってもらえるのか返す言葉がなく黙ってしまいました。今回神きく斎さんと松田さんが私の言いたかったことを代弁してくださったような気がします。

山本朝子 06/05 15:46

372:[ くやしい その2 ]

個人的には、こばやしさんのお勧めの「ノートン アンチウィルス 2002」、実は入れてあるんです。
だから もっとどっしり構えているべきなんです。
それなのに……。

神麹斎 06/04 14:27

371:[ ウイルス対策 ]

個人的にお進めは「ノートン アンチウィルス 2002」
実売 5,500円くらい。

ハードディスクが壊されるより、データが壊されるのが恐い。
もっと恐いのは第三者に被害を与えること。
入れてそんのないソフトです。

こばやし 06/04 13:15

370:[ くやしい ]

はじめて、ウイルスの被害を被りました。
と言っても、こうこうこういうファイルが有ったら、潜伏性のウイルスだから削除してね、というデマメールに引っかかりました。対処して、アドレス帳に載っている人たちに連絡して、再度メールチェックしたら、今のはデマでしたというお詫びが届いていました。お詫びのメールを再度送って、念のために削除したファイルを再インストールして、その間おおよそ30分。くやしい~!!
甥には、そんなものにひっかかったの、なんてバカにされるし……。

神麹斎 06/04 13:04

369:[ 天機迅発妙識玄通 ]

戸川先生の和訓と、『現代語訳 黄帝内経素問』の和訓は、微妙に違いますね。
つまり、「假若」は「天機迅発妙識玄通」までかかって、もしそうであれば、阨・dは生まれつきのものであったとしても、標格もまた詁訓のたすけとなるし、そもそもどこかへ行くのに道を通らないものはいないし、出るのに戸口を通らないものも無いでしょう、という意味になる。
一般の和訓では「假若」を「阨・d雖屬乎生知」までかけているようだけど、それでは、詞語の対称性は損なわれるし、「雖」の扱いが変。
なるほど、戸川先生の和訓の方が文章構造にも叶っている。
で、そうなると「天機迅発妙識玄通」でないと、「標格モマタ詁訓ニ資ス」を期待できないことになっちゃいそうだけど……。「天機迅発妙識玄通」の解釈も微妙に変えたいなあ。

神麹斎 06/02 09:37

368:[ 王序、クオリアと精神 ]

参考までに、戸川先生の訳です。
「仮若(も)シ天機迅発シ、妙識玄通スレバ、■謀ハ生知ニ属スト雖も、標格モマタ詁訓ニ資ス。未ダ■ッテ行クニ■ニ由ラズ、出ズルニ戸ニ由ラザル者アラザルナリ」
 (すぐに打てない字は■にさせて頂きました)

 
 クオリアのホームページを拝見しました。と言っても一ページ目だけですが、拝見していて岡本一抱の『三蔵弁解』を思い出しました。
 「巻之中、上焦神臓」の「神用」に、眼は肝の竅だが赤黒を見分けたり曲直を知るのは神氣の知る所だ、とか五味は脾の竅だが味を分け知るのは神氣の致す所だ、というような書かれています。私はずっとここに出る神氣というのが引っかかっていました。神経のようなもので腦のようなものかとも考えました。しかし、この巻の「精神」によれば、精神には先天と後天があり、先天の精神は父母より売け清浄粋明なもので、後天の精神は水穀より受けて至精至明であるが先天に比べれば清中の濁なのが如し、とあってどうも腦では無いらしい。岡本一抱の理論が理解出来ないのだけど記憶の隅に引っかかっていたのです。
 クオリアという言葉を初めて知りました。そしてもしかしたら岡本一抱も同じような事を言いたかったのかも知れないと思いました。同巻の「五志」でも怒、喜、思、憂、恐も肝、心、脾、肺、腎それぞれがすべて神氣に属するとの事。
 中国医学は心や体の働きを中国古代哲学用語で表しています。その最も基本的な概念が「陰陽」なのです。腦は形ある者で「陰」、クオリアは腦の働きで形ないものだから「陽」と捉えてはいけないものなのでしょうか。



山本朝子 06/01 23:18

367:[ 假若 ]

『素問』王冰序の一節に、
假若天機迅發,妙識玄通,阨・d雖屬乎生知,標格亦資於詁訓,未甞有行不由逕,出不由戸者也。
とある。この句読には、まず異論は無かろうと思う。
ところが、『黄帝内経素問訳釈』(第二版 1981年 上海科学技術出版社)の語訳では、「如果天資聡敏,則雖然深奧的道理,亦能通暁,対這種学問能完整的認識,就有先見之明。但以今天的知識去了解前人的語言,亦必須有頼于注釈。所以,対這一門学問的探討,未嘗沒有進行研究的道路和登堂入室的門戸。」(もともとは簡体字、通行の字形に改める)という。
詞語の対応という観点から言えば、この語訳ちょっと変じゃないか。原文の構造は、四字と四字の対、七字と七字の対、四字と四字の対になっている。
そこで、『黄帝内経素問訳釈』を翻訳した『現代語訳 黄帝内経素問』1991年 東洋学術出版社)では、「仮若い天機迅発にして、妙識 玄通し、阨・d 生知に属すと雖も、標格はまた詁訓に資る。未だ嘗て行くに逕に由らず、出ずるに戸に由らざる者あらざるなり。」と和訓する。この方がましだけど、やはり「仮若い~と雖も、標格は~」と対応させている。本当はむしろ「假若」と「未嘗有」が呼応すべきじゃないか。ただ、この観点に従った和訓はなかなか手こずる。なかでも「雖」の扱いにはとまどう。いっそ「唯」と通じると考えるのは無理だろうか。でもそうすると今度は「標格亦資於詁訓」の扱いに……。
やっぱり、穿鑿の病かしら。

神麹斎 06/01 08:57

366:[ 救済!! ]

仏陀の説いた真理は、彼の死後竜樹に代表されるように、真理とは空、無であり表現することは不可能であると説いた。その一方で初期の密教系では曼荼羅や真言をはじめ、真理というものを限りなく表現しようと試た。人間存在の問題は「身、口、意」に集約されるそうだが、身という身体、意という心、これらの両方に跨る口という言葉...。
東洋医学とは、技術であると同時に芸術でもある。なによりも東洋医学は職人的世界ともいえよう。
洋の東西にかかわらず、伝統的な衣・食・住にまつわる創造物は徹底した実用性が結果として普遍的な美を我々に突き付ける。
能、狂言、武芸といった型より生じる身体の持つアクチュアリティー...。
その内容はシンプルでありながらも、懐深く、しかもダイレクトに投げかけてくる...。
技術を解明する上で科学は科学の得意とする範囲であれば有効です。この技術を表現しようとすればそれもまた大いに有効です。
しかし、技術はごまかしが利かない...。
陰陽とはマクロからミクロにかけての共鳴現象です。
天地自然界の変化は身体に影響を及ぼし精神にまで働きかける。
それが、身体を取巻くものとして自律神経系にも共鳴するし、免疫系にも及ぶ...。
『医療が病をつくる』は是非読ませていただきます。
続きはその後でしましょうか?

松田さん、山本さん、それに神麹斎さん...
私からもちょっとした本をご紹介させて頂きます!
日経サイエンス社から『脳とクオリア』茂木健一郎著
ってゆうもんが出ています。興味がありましたら御一瞥下さい!

http://www.qualia-manifesto.com/index.j.html
も参考にしてみてはいかがでしょうか?

自律神経系や免疫系の問題よりも、救いがあるのかも...

妙神斎 05/30 00:57

365:[ 扁鵲六不治 ]

妙神斎さん、扁鵲はわれわれ現代人から見たら、明らかに「巫」なんです。えっ?「巫」を否定した「医」なんじゃないのというのでは、国家御用達現代中医レベルの理解でしかない、と挑発的に言っておきましょうか。ぼくらは少なくとも、石田秀実さんの『中国医学思想史』が切り開いてくれた水準を踏まえて議論したいものです。でないと、いつまでたっても堂々巡りですよ。

松田博公 05/30 00:14

364:[ 量子力学と太極図 ]

 NHKのビデオシリーズ『アインシュタインロマン』全5巻の4巻目か5巻目に、アインシュタインが最期まで理解できなかった量子力学の話が出ます。その中で、量子力学理論の業績で家紋を許された北欧の学者のつけた家紋が「太極図」でした。
 私には量子力学はよく分かりませんが、ただ現代科学の最先端を行く人に、陰陽理論は興味深いもののようです。
 私は神きく斎さんの、現代医学を陰陽で捉える事は、「陰陽応象大論」の応用のようなものなので今後をとても楽しみにしています。これは簡単そうにみえますが難しいものでもあります。さらにこの発展が各流派の理論を共通したもの、つまり「村言葉簡単翻訳システム」に繋がるのではないかとも思っています。

山本朝子 05/29 22:53

363:[ 下ります ]

私はもう下ります。あとは宜しく。

松田さん、私は錬金術師より、魔術師になりたい。錬金術師って、結構本気で金を作り出そうとしてたじゃないですか。私にはそれはない、全くない。魔術師にも注釈がいりますね。一緒に酒を呑んで歩いていた連中には耳タコだけど、魔術師は、おおむね男で、後天的で魔法を支配するもののつもりです。魔女はその逆。で、魔法が虚構であることを熟知していて、その上で虚構を操る、というイメージです。いくら古代中国でも、お祈りさえすれば病は癒えるというのは医学 じゃない。

妙神斎さん、貴方の意見、特に最新の書き込みの中に、私が反発したいようなことはほとんど有りません。ほとんど全く同感です。で、全体としての意図が分からない。いや、これは皮肉でも 何でもない。しばし、首をひねりました。これだったら私、むしろ妙神斎派かも知れない。
妙神斎さん、『医療が病をつくる』はお読みになったんですか。私の紹介が変で、読まないんだったら申し訳ない。読んだ上でつまらないと思うんでしたら、わざわざ言いに来なくて結構です。面白いと思っているところへ、ただ「つまらない」という言葉だけ投げつけられたんでは、不快です。ほっといてください。こうこうこういうところがつまらない、おかしい、と言うのであれば歓迎します。

神麹斎 05/29 18:27

362:[ 無題 ]

東洋医学も西洋医学も、私の実感としては、我々の日常感覚からどんどん乖離していると思っているんです。
東洋医学はオカルトチックに、西洋医学はより物質的にといったところでしょうか?
どんどん人間から乖離していってる!
詩的言語でも科学的言語でも私としてはどっちでもいいんですが、いかに現象や物事の成り立ちを共有するか、共有できるかってことを問題にしなければならないと思ってるんです。そもそも言語ってそういうもんでしょう?
自分の意図が伝わらなければその文章はアウトですよ。
そもそも、言葉に対してそれほどの信頼を置いていない立場からすれば、中国医学の言語をどこに位置付けるか?なんていうのは、どうでもいいって気もしますが...。
でも、しかし専門である以上は専門用語っていうものをどう整理するかっていうのは学問の世界では常識ですがね!
東洋医学ではそれすらない...。
だから、どんどん思い込みのカルトになっていく...。
怪しい、胡散臭い、神秘的...東洋医学の一般的な評価は所詮こんなもんです。
もう一度、扁鵲六不治の問題に立ち返ってみませんか?



我々は、人間の理性や観念、さらにはイデオロギーといったものが、もはや信用するに足りないってことを歴史的事実のなかで知っています。

妙神斎 05/29 15:39

361:[ 科学と詩 ]

間中喜雄医師は、晩年、「巫医」という自家製のバッジを胸に付けて悦にいっていたというんですね。それが彼がついに到達した境地だったというエピソードが私は好きです。

妙神斎さんは、科学と詩の位相の違いについて言及されました。これは、科学的言語と詩的言語の対立として理解できると思うんです。中国医学の言語は、この対立のどこに位置付くんでしょう?

私は日本人の書いた中国歴史小説なるものを読む気がしないんです。すれっからしの近代の合理主義的想像力が、歴史の闇に無数の魔を生み育て、それを払うために毎日毎夜、儀礼を繰り返していた呪術の王国の暗がりに届くわけないと思っているんです。

恐らく、中国伝統医学の言語も、呪術的世界の母班を身に帯びていて、私たちの合理主義的理解からこぼれ落ちること大なるものがあるでしょう。これは、あえて言ってしまえば、考証学派をどう評価するかという問題につながります。ひとつの達成がひとつの欠落を生み出すように、考証学派は、中国伝統医学の核心から何をそぎ落としてしまったかということです。

神鞠斎さんの身振りから、思いついたことですが、私たちの取るべき中国伝統医学への接近法のモデルは、科学者ニュートンが、同時に半端でない錬金術師だったという点に求められるのではないでしょうか。両手寸関尺の臓腑配当や左人迎・右気口の外傷・内傷把握を科学化することなど、私には永久に可能だとは思えません。そこにあるのはむしろ詩的な陰陽論に牽引された錬金術的呪術の論理です。それが、治癒という科学の格子ですくい取れる結果を生み出すのです。

中国伝統医学における科学と詩と錬金術の入れ子構造の関係を把握することなしに、私たちがその<真理>を手にすることはないだろうと思います。エンゲルスでしたっけ、間違った観念が正しい結果を生むことがある、と言ったのは。

Mail 松田博公 05/29 07:41

360:[ 無題 ]

関係する二項のうち、どっちが陰でも陽でもいいとまでは思いませんが、一対ということの方がより重要だと思うから、そんなことを議論しようとは思いません。
そうじゃなくて、我々があれやこれやと数え上げた、陽のグループと陰のグループが、安保先生がいろいろの問題について、これは顆粒球型これはリンパ球型(結局この表現を一番中心的に使っている)と言われるのとが、かなりよく対応して、錯綜することが無いのが面白いと思ったわけです。つまり、あの陽は顆粒球型、この陽はリンパ球型ということではないらしい。おもしろくないですかね。
それと貴方や山本女史が、最近さかんに言っている、各会派を統合する病証学と治療法が存在するはずだ、みたいなことは、私も考えたことが有ります。ただ、それはやはり夢想なんだろうと考え始めていました。それに、これが駄目ならあれが有るさ、もまんざら悪くないのかも、ともね。そこでもって、安保先生は、病と治療とあるいは健康と、とにかく人間の状態の推移には、すべからく顆粒球とリンパ球の消長が伴う、と言われる。もし、それが本当ならこれを基準にしての、各会派の「言っていること」「やっていること」の統合もあながち夢想ではないかも……。おもしろくないですかね。学統間のせめぎ合い、無理なすり合わせよりはずっといい。
「演繹的思考」と「帰納的思考」、「類型的思考」と「類推的思考」、どちらがいいのか、私には本当のところはわかりません。どちらでも結構です。ただ、経験の積み重ねから、理論の構築、構築された理論からの手段・方法の流れ出し。これが中国医学では極めて早くに始まったと考えています。勿論、理論の確立が早すぎた弊害は有る。最近は弊害の指摘の方が喝采をうけていたかも。でも弊害は弊害として、古くさい理論も案外すてたものでも無いのかも知れないと考え始めたのが、とりあえず「賢者の石」を手に入れたとして、と言うことです。本当には手に入りゃしません。「として」です。「人造の」(あるいはさらに言えば自家製の)です。勿論、材料も作り方も正統的でありたい。でも、ひょっとすると白血球も材料の一つになり得るかも知れない。言い方が突拍子もない?分かりにくい?まあそのとおりでしょうが、所詮、うちの会の談話室ですから。
「患者の意識施術者の意識の奥に古い時代の人たちと共通な人間性に根ざしたもの」、詩的ですね。そういうことも、考えたことは有りますが、今言っているのはそれでは有りません。古代に対する洞察を糧に、融通無碍に治療する。理想かも知れませんが、私にはその素質がないことを、早くに自覚しました。仙骨は無さそうだし、有ると称する人は胡散臭いし。せこせことフラスコを振ってます。

神麹斎 05/28 22:41

359:[ 無題 ]

陰陽とか五行っていうのは、対立、相対、相互などと二項の関係構造としていろいろな表現があろうかとも思われますが、どっちが陰でも陽でもいいんです。要はセットなんだってことです。内外・表裏・虚実・剛柔はワンセットってことでしょ!
ひとつの物事における性質を拡張して捉える視点ではないかと思ってます。
例えば「演繹的思考」とか「帰納的思考」とか言ってますが、私は「類型的思考」、或いは「類推的思考」によって分類が成されていると表現したほうがより正確かなと...。

それと、「昔の本にはこう書いてあるのだから、余計なことを言うなというのが統一とは思いません。」
ってのは、同感です。学問っていうものには歴史的背景や伝統的背景があると思うんですが、学統っていうか常に何を問題にしてきたかってことのほうが、重みがあるかなと。

つまり、医学のように、一見無関係にみえることが複雑にからみあって、内容がきわめて豊かになった学問の場合は、その圧倒的な内容の詳細を秩序だて、それに一貫性を与えるのに歴史を調べることがしばしば有益であることは確かです。
それに、古い時代に考えられていたことを理解することが、治療に役立つかもしれない。というのは、患者の意識施術者の意識の奥に古い時代の人たちと共通な人間性に根ざしたものが残っているからでしょ。
新しい洞察を生み出す資料を歴史の中から見出す可能性ってものもある。

でも、中国は早くから都市国家を形成してきたところだから、文化的にもどこまでが観念論なのかは微妙ですがね!




妙神斎 05/28 19:35

358:[ 感想……ですか? ]

私だって、これが論争だなんて思ってません。
それに、今回の妙神斎さんの書き込みは、別段それほど不快でもない。
でも、「滅茶苦茶」とか「ナンセンス」とかいう言葉をいきなり投げつけられて不快でないほ ど、私は人間ができてません。貴方だって「ケンカうってるんですか」と言われて不快だったん でしょう。

乱立ということで言えば、むしろ乱立を統合する糸口になるかも知れないと期待しているので す。昔の本にはこう書いてあるのだから、余計なことを言うなというのが統一とは思いません。

それに、私は度々真理ということばを使っているかも知れませんが、無いかも知れないけど方便 として、とも言っているつもりです。そうとれなかったんでしたら、それはまあ、言い手の粗相 ということでしょうけど。そもそも、そこでは演繹的思考と帰納的思考のことを、言っているに すぎません。案外、中国伝統医学の思考は演繹的なものであることに価値があるのかもしれな い、その源泉は時に貶められる『難経』の功績なんじゃないかと、言っているつもりです。
貴方の立場がどういうものかは知りませんが、たぶん陰陽とか五行とかをバカにする立場ではな いと思っています。私もそうしたものは、実は迷信かもしれないけれど、取りあえず認めて…… 使わざるを得ない。各個撃破でいいじゃないか、というわけに行けないタイプです。やっかいだ なあとは、自身で思っています。

とりあえず、貴方が反応した、陰陽が交感神経支配と副交感神経支配、アドレナリンとアセチル コリン、顆粒球とリンパ球のバランス云々は、「陰陽は即ち……」ではなく、「陰陽は乃ち ……」あるいは「……は乃ち陰陽」として読んでいただきたい。

神麹斎 05/28 17:13

357:[ 無題 ]

ケンカとか論争なんてとんでもない、私は感想を述べたまでです。
別にこの論議で勝ち負けを競っていずれの考えが有効かなんて決める気もないです。
交感神経、副交感神経の組み合わせがあれば、運動神経、知覚神経だっていいわけだし、末梢神経と中枢神経でもいいわけだし...。
患者は一人なのに、こうもいろんな考え方が乱立していては患者が気の毒ですよ...。
そもそも真理があるものだ...って視点は、人間の欲求に過ぎないんじゃないかな~?
私の感想になぜそうも不快感を示すのかが不思議です。

妙神斎 05/28 14:47

356:[ 無題 ]

神鞠斎と妙神斎の論争、わくわくどきどきしますね。ぜひ、徹底的にやってください。というのも、安保教授の交感神経・副交感神経バランス論に臨床的リアリティを感じる鍼灸師は、神鞠斎のように陰陽論に置き換えて理解する誘惑にかられるだろうし、現にぼくの周辺でもそう考えてみた…という発言を聞くことがあります。安保教授と共同作業をしている元外科医で刺絡医の福田氏も、気血は交感神経・副交感神経バランスだとつぶやいていました。

陰陽論は、もちろん実体的、固定的な世界の陰陽振り分けに基づくのではなく、生体、病体のダイナミズムを二項の関係論でとらえようとする認識の格子です。さしあたって、すべてを陰と陽に分け、その対立と相互依存、相互浸透と転化、変容で生体の動態、盛衰を観察するめがねです。大いに詩的ではないでしょうか。

湯川秀樹の中間子論という科学的発見の背景に、荘子の陰陽論的詩的世界があったということを考えてみたいのです。

Mail 松田博公 05/28 08:08

355:[ 伝統信奉 ]

貴方ケンカうってるんですか?
まず、『医療が病を作る』という書物が面白いと言っているんですよ。
で、陰陽が交感神経と副交感神経、アドレナリンとアセチルコリン、顆粒球とリンパ球のバランスだと言ってるんじゃなくて、交感神経と副交感神経、アドレナリンとアセチルコリン、顆粒球とリンパ球なんかのバランスで、つまりの二つの要素の平衡関係で、ほとんど全ての病と治療の関係を説明できると考えている最先端の西洋医学者がいる、それが、陰陽という言葉を使ってものごとを考えている立場からみて、面白いと言っているつもりです。
そして、陰陽という言葉で安易に分かったつもりになっていることがらを、具体的な顆粒球とかリンパ球とかの関係に戻して考えることが、理解の明確化の方便として有効かも知れない、と言ったつもりです。まあ、C型肝炎の話を例に引いたのが妥当であったかどうかは分かりません。載っていた話を適当に拾って、こういうことかなと考えてみたまでのことです。
で、二つの要素のバランスでその殆どを説明できると言っている人がいるんだったら、三つとか五つとかの要素の関係というのも、有り得ないとは言えないのかなとね。
それにしても、似非科学派と言われるかと思ったけれど、詩人かなんかの世界というのはどういう意味ですか。貴方のいう伝統ってそもそもどういうもののことですか。

神麹斎 05/27 22:30

354:[ 人災... ]

陰陽が交感神経支配と副交感神経支配、顆粒球とリンパ球のバランスなんていうのはもう、滅茶苦茶ですね...。
ナンセンスですよ!
まぁ、それだけ東洋医学の思想が許容範囲があって、多義的に解釈できるのは確かでしょうが、もうこうなると医学っていうより、詩人かなんかの世界ですよ...。
こうして、伝統っていうのが退廃してくんだな~って思います。

妙神斎 05/27 14:31

353:[ 医療が病を作る ふたたび ]

まだ読みかけであるし、そもそも正確に読みとっているかどうかも覚束ないのではあるが……。
中国伝統医学に於ける支柱の一つ、陰陽を、交感神経支配と副交感神経支配、もう少しミクロに言えば、顆粒球とリンパ球のバランスに置き換えて考える。これは、有効ではなかろうかと思う。
もう一つの支柱である五行、これのヒントになるような話はまだ出てこないけれど、ひょっとすると三つの要素の均衡、つまり「三すくみ控制」論は既に存在しているのではないか。それが「五すくみ控制」まで複雑化して、しかも身体に起こることの全てを覆えば、つまり(医療に於ける)五行説の本当の意味の科学化ではないか。

おもしろい。

でもねえ、ではどうしたらいいか?「働き過ぎ、心の悩み、食生活などに目を向け、これらの改善をはかる」だけではねえ。まだこれから出てくるのかも知れませんが。書物の性格、目的が違うのかも知れませんが。

神麹斎 05/24 13:40

352:[ 医療が病を作る ]

恥ずかしながら、井上先生に勧められていた『医療が病を作る』(安保徹 岩波書店)、今ごろになって読み始めました。言い訳としては、田舎の本屋の棚には並ばない、出版社からして小難しそうだ、取り寄せたいとまでは思わない。
違ってましたね。先ず、文章が読みやすい。それに、まだ最初のほうしか読んでないけれど、交感神経と副交感神経、アドレナリンとアセチルコリン、顆粒球とリンパ球なんかを、陽と陰に置き換えてみると、我々にとってますます面白い。
例えば、C型肝炎の治療によく使われる薬は、顆粒球の死を促し、リンパ球過多の白血球パターンを引きおこし、従って欝病を発症させることがある、らしい。C型肝炎はある種の肝実であるとして、ある種の瀉法を施すと、ある種の肝虚となって、肝の達という性格が傷なわれる。よって、欝となる。様々な因子を陰と陽に置き換えて、思考を整理し、また何が陰と陽にどのように分類可能かを考察して、思考を明解にする。
面白そうである、期待できそうである。何はともあれ、お勧めします。

神麹斎 05/22 17:27

351:[ 全体を欲するということ ]

手術後の譫妄というのが有りますね。特に集中治療室に長くいる場合に多いということですが、それはかなり激しい幻視、幻聴が現れます。
家族に対しては、なるべく多く話しかけて現実に引き戻すようにしてください、と言われます。医師たちは他に手をつくしているのかも知れませんが、我々には何かしているようには見えませんね。鎮静剤くらいは打つんでしょうか。
これに対して、手術で大いに消耗したから、一般レベルを興奮状態にして、何とか生命の危機をやり過ごそうとする、その際に微妙な調節ができず、過剰反応として幻覚が起こる、と解釈する。単純に鎮静させたのでは終わりになってしまう恐れが有り、単純に体力回復をはかったんでは火に油を注ぐはめになりかねない。そこで、陰を選択的に補って充実させて、陽の亢進をひきおろし、なだめようとする。こうした考え方が、正しいのかどうか、それは分からない。可能かどうかの判定も、現代科学的には、しようが無いんじゃないか。
それでもなお、こうした「おはなし」をもとに、方策を練ることには、現実的な価値が有るように思う。無論「おはなし」の上手下手、妥当性の如何、そもそも「おはなし」を実行に移す能力の有無、は問題であるが。
その時に、どこそこに鍼をしたら、あるいはどこそこに灸をしたら、劇的な効果が有ったと誇るのは、西洋医学が新薬の治験成績をとくとくと発表するのと、同列に過ぎないように思う。あんまり中国伝統医学的ではないような……。

神麹斎 05/17 18:35

350:[ 病証学 ]

山本先生の病証学についてですが、私も同感に思います。今日の経絡治療諸派並びに中医弁証などがどういった経緯でいまのような形になっていったのか不思議に思っています。「証討論」について今後どういった展開がなされる予定なのでしょうか...。
古典鍼灸各派のどれも説得力に欠けているというか...。
島田先生も大変な課題を残されたままだな~なんて思うのですが!!

妙神斎 05/17 16:37

349:[ 朋友書店の『中国語歴史文法』 ]

朋友書店の太田辰夫『中国語歴史文法』は、1981年のようです。直接は問い合わせてませんが(ホームページは無いみたい)、インターネット上の本屋さんでは、絶版、再版予定無しでした。古本屋さんにも在庫無し。
それなのに複数の大学講座で、参考図書に挙げています。どうやってるんですかね?図書館で全ページ複印ですかね。

神麹斎 05/17 07:45

348:[ ありがとうございました! ]

なるほど3:1の1㏄ですかφ(..) メモメモ
現在某柔整学校に行っているのですが鍼灸以上に
柔整は伝統的な部分を捨て去っているようで
こういった情報を入手するのも一苦労ですね。
本当にどうもありがとうございました。

Mail 後藤 武吉 05/17 00:17

347:[ ユニコードの不思議 ]

ワープロの「Word」とエディタの「秀丸」と「EM-Editor」でユニコードの経穴漢字「センキ」を入力すると、
・Word 、EM-Editor→ 迺・張
・秀丸        → 〔王+施〕迺」
と、表示される。
 注:〔 + 〕はここでは表示できないので合成字の意味
フォントは「Ms-明朝」
これはいったい何なんだろうか?
フォントを「Ms-ゴシック」にすると、「迺・張」とチャント表示される。
秀丸エディタが悪いのか?
一度「秀丸エディタ」ユーザーは試してみてください。

こばやし 05/16 23:18

346:[ 中国語歴史文法について ]

『中国語歴史文法』は1958年に江南書院からでています。私は『中国語史通考』はこれを歴史別に並べ替えたものだと思っていたのですが、最近違うかも知れないと不安に思うようになってご存じの方にお聞きしています。中古漢語のテキストとして太田氏のものと中国文化叢書『言語』の「中古漢語の語法と語彙」志村良治をあげたいのですが、太田氏のものにちょっと最近疑問を持って語法閑話にのせる前に確認したいと思った次第です。
 名倉の黒薬は、私は十年作り、多くの後輩にも教えてきました.しかし、その正確な割合は分かりません。アバウトなんです。だいたいは米の粉:黒は3:1です。ハッカ油は1㏄ぐらいです。すり鉢でつくるのですから一回に出来る量は軟膏入れに一杯半ぐらいだったか。正直な所一度も材料を計ったことはありません。今、私が勤めていた新宅は院長の死後、若先生が後を継がれなかったので廃院になっています。現代医学の道に進まれた本宅は栄え、伝統を守って柔道整復師を育てた新宅は亡びる。伝統を守るとはどういう事か。いろいろ考えさせられます。ただOBの柔道整復師さん達の技術はすごいものです。一度だけ勉強会に参加させて頂きましたが、「藍より青し」の世界です。

山本朝子 05/16 22:36

345:[ ユニコードの八卦 ]

下のほうの21の八卦、おたくのパソコンではどう見えてます?
最近、operaというブラウザーを試したら、ちゃんと見えてました。
ただし、このブラウザーだと、ユニコードの拡張領域Bは表示できないみたい。
設定次第かも知れないけど、やっぱりわけがわからん。

神麹斎 05/16 13:07

344:[ 『中国語歴史文法』再び ]

さらに検索したところ、太田辰夫『中国語歴史文法』は、朋友書店から再版されている可能性が有ります。朋友書店とは、例の王力さんの『古代漢語』の翻訳を出したところです。

神麹斎 05/16 09:07

343:[ 『古典中国語文法』ではいかが? ]

あれ、太田さんの『中国語歴史文法』って江南書院だったっけ、と思って探したけど、蔵書の整理が悪くて出てこない。
ままよとgoogleで検索をかけたら、『古典中国語文法』でした。汲古書院。改訂版が1964年だから、これも絶版かもね。ただ、本屋さん自体は元気だから、まだしも可能性は有る。題名からすると、同じような内容じゃないでしょうか。
で、江南書院では、楊伯峻『文言文法』の翻訳を、古本屋で見つけて持っている。これがねえ、訳者のレベルに相当バラツキが有る。以来、江南書院にはあまり好い印象を持ってないんだよね。

神麹斎 05/16 08:46

342:[ 名倉の秘薬 ]

名倉の黒薬は都内にいたとき名前は聞いたことが
あったのですが本当に優れた効能があったとは・・・・。
名倉で思い出したのですが正骨範の最後の方にも
魚やら水蛭やら生薬が入ってる塗り薬が紹介されてますね。

山本先生>名倉の黒薬の割合を知りたいのですが
     もし知っていらしたら教えて頂けないでしょうか?

Mail 後藤 武吉 05/15 23:37

341:[ 病症学 ]

『伝統鍼灸学会雑誌』に載る各会の臨床を読んでいます。伝統的な病症学を取り入れた会が無いのですが、何故なのでしょうか。
 机の上に『素問』『霊枢』『諸病源候論』『現代語訳啓廸集』巻七婦人門、『脉因證治』『症因脉治』『病源辞典』を並べてなんとか經絡治療に役立てる方法はないか模索しています。
 オリエントの「臨床実践鍼灸流儀書集成」のカタログについていた『柳川流鍼法口訣』のコピーでは伝統的な病症学と治穴が書かれていますが、江戸期の書の病症部分はどれも同じようなものなのでしょうか。また治穴は病症から導かれたものなのでしょうか。それとも病症は『病源』系のものから書き治穴は経験から書かれているのでしょうか。もし治穴が病症から導かれたものであれば興味深いものです。私は江戸期のものはほとんど持っていないのでご存じの方がおられましたら教えて下さい。
 話は変わりますが、太田辰夫著『中国語歴史文法』江南書院が絶版で手に入りません。1988に白帝社から出した『中国語史通考』はあるのですが、両書の内容は同じものを時代別に並べ替えたものなのか、又は、同じものもあるが違うものもあるのかご存じの方がおられましたら教えて下さい。

山本朝子 05/15 21:25

340:[ 民俗学 ]

 『伝統鍼灸学会雑誌』が届きました。
 民俗学と民族学は違うのですね。民俗学は自国の村落の生活文化を研究する、いわば国学。民族学は世界の様々な民族の文化・社会を比較研究する学問だそうです。あたしはどちらにも興味がありますが、今のところ自分の住む尾道の事に夢中です。
 数年前宮川さんが「麦粒腫」のことを何処かで「めいぼ」というようなことを「内経」に書いていましたが、尾道では「めぼ」と言います。この治療は膿んだ時、健側の腕を頸の後ろに回し、中指で患側の目尻を真横に引っ張ると、プチっと膿が出ます。要するに膿んでいる所に触らずに膿を出す事が出来ます。健側の指だと力が入らないようです。私は小六生の頃二三度出来て、自分で治しました。だから専門学校で麦粒腫の治療を習った時、こんなので治療院の門をくぐる人がいるのかと不思議でした。
 蚊に刺されると「ハブソウ」のような草の葉を指で揉んで青汁を痒い所につけていました。今は近くにその草が無いので「ムヒ」を使っていますけど。
 盲腸には「ヒズル」の全草をすり鉢ですって少し水を足してガーゼでこして青汁を飲みます。「ヒズル」は「ハコベ」のことです。
 湿布は小麦粉を酢で溶いて障子紙に貼っていました。時にはこれに灰を入れたらよいとかで風呂の焚口の灰を入れたりもしました。
これも小六生の頃ですがスキーで脛骨を痛めた時一カ月ぐらい自分で湿布薬を作って治療したものです。今思えば疲労骨折だったと思います。それで一昨年転んで腓骨骨折をした時自分で治そうと湿布したのですが二日目には痒くて仕方なく整形でギプスをしてもらいました。年で皮膚が弱くなっているんでしょうねえ。湿布といえば「名倉の黒薬」はお米の粉を水で溶き、火にかけて糊にし、「ニワトコ」別名「接骨木」を炭にして粉末にしたものを混ぜ、すり鉢で酒でよく練り最後に「ハッカ油」を入れます。「ハッカ油」がみそです。和紙に薄くのばして貼っていました。乾くと固まってギプス替わりになります。
 民間療法も面白いですね。

山本朝子 05/11 21:29

339:[ 全てということ ]

世界の全てを整合性有るものとして解き明かす理論は存在している、というか伝統的中国的医学はそうしたものの存在を前提にしている。つまり、人体は臓腑と経絡を中心として出来上がっており、それら相互の間、あるいは身体内部と外界との間には、陰陽と五行の関係が成り立っている。だから、その理論を巧みに運用すれば、病の因って来るところも、現情も、あるいは帰趨も、的確に導き出すことができる、はずである。
もっとも、こういうお話には、もっと違った組み立ても、さまざまに可能なのかも知れない。そして、それらのお話全てに通じるお話などは有り得ないのかも知れないし、必要無いのかも知れない。

神麹斎 05/10 18:09

338:[ トロイ遺跡 ]

 子供の頃岩波少年少女文学全集の『夢を掘りあてた人』と題したシュリーマンの伝記を読んで以来一度は行ってみたいと思い続けたトロイの地を踏んだ時は感無量なものがありました。
 シュリーマンの自伝は新潮文庫の『古代への情熱』です。この書の編著者エルンスト・マイヤーの後記に「歴史学者は‥、文献学者は原典批判をしてホメーロスの詩をばらばらに引きちぎり、古い箇所と新しい箇所、ほんものとにせものを区別して、絶えず変転する像を作りあげた。さらに考古学者は‥。しかしシュリーマンにとっては、ホメーロスは歴史上の偉人であった。彼の出発点でもあれば導きの星でもあったのは、ホメーロスの描写が歴史的事実だという不動の信念である。」
 シュリーマンは地形から発掘現場を割り出しています。トロイの遺跡は平地に囲まれた小高い丘で、遠くに海が見えます。トロイの時代は海が近かったのでしょう。
 鈴木直治氏の研究に「『論語』における虚詞の特徴ー魯語か雅言かー」もあります。
 「ビューティフル・マインド」を見て、自分が求めている世界が分かってきました。ナッシュの研究はは「すべてを支配する真理、真に独創的なアイディアを見つけたい」というものです。私は「全ての流派に通じる理論体系を作りたい」です。条件は専門学校の学生さんでも理解出来るもの。旅行好きが高じて尾道のボランティアガイドになりゴールデンウイークは疲れました。そんな中で全ての流派に通じる理論のアウトラインが分かってきました。後は応用がきくかどうかです。

山本朝子 05/10 13:18

337:[ 東洋医学って ]

いつものことながら、ちょっと舌足らずだったかと思うんで、贅言を、と、これもいつものことか。

『素問』や『霊枢』には作者はいない。それは、その内容をなす現象を体験し、それを書き留めた人はいる。それらの現象の背景をなす哲理を考察した人はいる。そして最後に、現在の形にまとめた人もいる。結果として、そこには共通の宇宙観、人間観、医学観が存在する。しかし、そのような世界を、はじめから構想していた人物はいない。
『難経』は違う。誰かが当時最高の哲理である陰陽と五行でもって、整合性の有る世界を築き上げようとしている。

突飛な譬えになるが、これもいつものことか、『水滸伝』と『金瓶梅』の関係に、ちょっと似ている。歴史上の群盗の話が有り、それを題材にした講談が生まれ、そこに本来関係ない豪傑の活躍までが加わって、そして最後に誰かが現在の形にまとめ上げた。作者は、いると言うべきか、いないと言うべきか。『金瓶梅』は違う。潘金蓮を借りてきて、誰かが書きたい話を書いている。まあ、この場合は前もってどんな世界にするか、つもりが有ったわけでは無かろうが。

西洋医学と東洋医学と、どこが違うか。あちらは部分的で、こちらは全体的……、と。まあ、そうには違いない、かも知れないけど、意味するところが微妙に違うんじゃないか。
つまり、現代科学は部分を精密に収集していけば、やがて全体の真理に到達できる、と考えているんじゃないか。それに対しては、我々の世界では、まず全てを解き明かす真理があって、そこから全ては導き出せる、と、まあ考える。現実にはそんな「賢者の石」みたいなものを、手に入れるのは人間業じゃない。だから、所詮お話ですよ。でも、それよりしょうがない。陰陽とか五行とか、現代の眼から見れば、やっぱり迷信ぽい。そのことは頭の隅に置いといて、使えるから使う。
だから、西洋医学と東洋医学と、どこが違うか、とは、お話(フィクション、虚構、全体像……、あるいは哲学?)を欲するか、必要とするか、じゃないかと。全体像を、あやふやだから、信用できないから、と捨て去ったら、あちらさんと同じフィールドでヨーイドンになる。……たぶん、負けると思う。
なぜ有効か?なんですか、どう有効か?かと思ってました。
とまあ、タワゴトを……、いつものことですが。

神麹斎 05/08 18:15

336:[ 大学者か村夫子か ]

前に、『太素』という経典の注釈は雅言をもってなされた、と言ったけれど、あれは多分に希望的観測であって……、実のところ、楊上善は大学者なのか、あるいは村夫子にすぎないのか?
ちょっと見たところで、聚也ならば摶が相応しく、謗各反という反切からは搏または榑の方が相応しい、というやつ。そもそも楊上善には蟆モニ專(専)の区別が出来ていなかったんじゃないか?
他にも例えば、巻16「雑診」の憊の訓詁。蒲介反という反切を示すのはいい。だけど、何で病也というのは数行後なんだ!どうしてまとめて書けないの?つまり、『太素』経注はそんなに整理された著作じゃないみたい。
余分な之とか、句末の也之とか、語順の転倒とか、結構有る。これは、楊上善の出身の問題なのか、教養の問題なのか?
やっぱりそうじゃなくて、日本での転写の際のゴミだと思いたいんだよね、『太素』にこだわって作業している人間としては。そしてゴミの存在には気付いてしまったけれど、やっぱり大した量じゃ無い、と(自分で)言いたいんだよね。整理の不十分なところも、後代の贅注の混入だ!とか、ね。

神麹斎 05/06 11:42

335:[ 三餘 ]

まあ、その通りなんだけど、凡人にはちと難しい。そこで:
三国の董遇の説に「冬は歳の余、夜は日の余、陰雨は晴の余」とある。
してみれば、中年(昔なら初老?)以後は人の冬であり夜であって、鬱状態は人の陰雨であって、だから、つまりすでに余であり暇であって、読書には最適な時。

神麹斎 05/02 18:33

334:[ 名言 ]

尾台榕堂の座右の銘

待有余而後済人 必無済人之日
待有暇而後読書 必無読書之時

有余りあるを待って後(のち)
人を済(すく)わんとすれば
必ず人を済うの日なし
暇あるを待って後
書を読まんとすれば
必ず書を読むの時なし

++++++++++++++++++++++++++++++++
つまり、暇と余裕ができたら
なにかしたいというのは
一生できないということ
++++++++++++++++++++++++++++++++

こばやし 05/02 12:58

333:[ 同楚人之賤宝也 ]

楊上善の出身地はどこであるか?
新しい資料が出てくるのは期待薄だろうし、注に現れた方言の痕跡を探るのも、ちょっと難しそうである。何故なら、経典に対する注、として気張って書くものは、雅言を以てしたはずだから。うっかり入ってしまった雑物、例えば音注の変なものには可能性が有るかもしれない、それ以外にはあまり追い求めてもしかたが無いかも。
それよりも、経脈正別で、「粗之所易」の注に、「愚人は経脈を以て易しと為す、楚人の宝を賤とすると同じ」と言う。常識的に考えれば、楊上善は楚人ではない、と言いたいところだけど、世の中には近親憎悪というのも有るからねえ。

神麹斎 05/02 09:12

332:[ 十二原についてのタワゴト ]

『太素』諸原所生「五藏有六府六府有十二原」の楊注に、「今五藏六府有十二原者,言五藏六府各有十二原也,合而言之,亦有廿四原。文言六府有十二原者,後人妄加二字耳。」と有りますが、妄りに加えられた字というのは、「二」字ではなくて、「六府」の二字ではないかと思いますが、如何なものでしょう。本当は「後人妄加六府二字耳」と書くべきだとは思いますが、「五藏有六府六府有十原」ではなくて、「五藏有六府有十二原」でないと、後とのつながりが悪いような……。合わせて二十四というのも、その方がふさわしい言い方かと……。
もし、ここが「五藏には(六府が有り)十二原が有る」だとすると、十二原は五藏の疾を観る箇所であり、五藏に疾有るときには取るべきツボと、スッキリはします。
ただ、そうすると十二原の内の十原は腕と踵の関節に在って、五藏に二つづつ、というのはいいけれど、あとの二つはどうなるのか?
ここで、あとの二つは府に対応する、と言えるとスッキリするんだけど……。つまり鬲(『太素』)の原として上腹部用の鳩尾と、肓の原として下腹部用の閼冶Θ、上腹部の問題の代表として脹、下腹部の問題の代表としての洩、と言うのは奇抜すぎますかね。
あるいは、横隔膜以上の心肺のための鳩尾、横隔膜以下の脾肝腎のための閼冶Θ……。

神麹斎 04/27 21:07

331:[ 難経の編纂 ]

妙神齋さんから、Eメールをいただきました。で、とりあえず。

結論から先に言ってしまえば、
『難経』の方が、『素問』『霊枢』より古いとは考えにくい。
論文集の方が、編纂物より前に在る、というのは、まあ常識でしょう。
もっとも、『難経』か『素問』か『霊枢』か、どれが古いかと言うとき、何を指して言っているのか、という問題は有る。
『素問』には、唐代の王冰による編集の手が入り、さらには宋代の校正を経たものしか残っていない。『霊枢』にいたっては、亡佚していたのが、宋代になってからひょっこり出てきたというのだから、疑えば疑える。
『難経』が後漢の編纂であるのは、ほぼ間違いない。三国時代の呉の太医の注が有る。
だから、この『難経』と、王冰の『素問』や史崧の『霊枢』を比べて、どちらが古い、と言うのなら、先の結論とは、全く事情が異なる。そこまで言わなくとも、『素問』論文集には、『難経』編纂以後の論文も有りそうです。これも常識です。でも、これは後から加わったという性格のものです。『難経』にだってそうした後人の竄入は有ります。これも常識でしょう。
そもそも、どうして、『難経』の方が古い、と思いたいのかもわかりません。
この際、はっきりしておきたいのは、古いとか新しいとかは、価値の問題とはひとまず別です。でないと、現在は堕落の極ということになってしまう。
『難経』の編纂意図は、整合性であろうと考えます。これは、何も私個人の感想でなくて、中国の若手研究者(たぶん廖育群だったと思うけど、とっさに資料が出てこない。)の意見です。後漢の、諸学における統合と整理の機運にのったものの一つだということです。だから、融通を欠くところが有っても、以後の発展を阻害する恐れが有っても、それは無い物ねだりであって、全ての問題に答え得る、整合性の有る理論体系を構築しようとした努力、ようは、それを評価できるか、ということだと考えます。

神麹斎 04/27 17:11

330:[ 削除警告 ]

妙神齋さん、連絡先(連絡方法、例えばEメールアドレス)を管理者もしくは事務局にお知らせ下さい。
お話はそれからです。
お知らせいただけなければ、先の書き込みは削除します。

Mail 管理者 04/27 11:41

329:[ 無題 ]

『難経』が『素問』や『霊枢』より成立過程が古いって感じた方はおられませんか?

妙神斎 04/27 10:59

328:[ どちらが古い? ]

「毋」を使っているから、「無」を使っているものより新しい、というのは何を言っているのか理解できません。
おそらく、『古代漢語』(王力主編 中華書局1962年第1版)第一冊263ページにある、「古書上”毋”字常常写作”無”字。」のことなんでしょうが、これは『左伝』や『論語』では、「毋」と書くべきところに「無」を使うことがしばしば有るというだけのことで、「無」を使っているから「毋」を使っているものより古いとは、全然言えません。(「毋」と「無」には、後の漢語では使い分けが有る。)
ましてや、『論語』は春秋末期の著作ですし、『左伝』には擬古の可能性が有ります。おそらく漢代以降であろうと思われる『太素』『素問』『霊枢』の編集とは、あまり関係無いと思います。
それから、『太素』が『素問』より古態を保存していると言うのは、宋代の校正を経てないからです。春秋、秦漢あるいは隋唐の際の語言の変化の影響については、『太素』も『素問』も同じ立場でしょう。
鈴木直治氏の著作は読んでませんが、春秋時期の漢語の特徴を説いている、だけのことなんじゃないですか。

神麹斎 04/26 07:29

327:[ 『太素』について ]

『太素』には経文にも不思議な所があります。
数年前『素問こう注』の校正を数編だけ手伝わせて頂きました。その中で
「太素無作毋」
が、いくつかありました。
『古代漢語』では「毋」は「無」が使われた、とあるので『素問』が「無」を使っているところに『太素』が「毋」を使っているということは、『太素』のほうが新しいという事で、編集時に校正がなされたのかも知れません。つまり『太素』と『素問』や『霊枢』を校勘して『太素』の方が意味が通るから『太素』の方が古態が残っているとは言えないことになります。まあ、私が見たのは『素問こう注』のほんの数編で『太素』全部を校勘した訳ではないのでなんとも言えませんが。
「無」と「毋」の研究は『鈴木直治 中国古代語法の研究』(汲古書院)にも「古代漢語における否定詞について」でも取り上げられています。ここでは『論語』が取り上げられていますが、古い方も新しい方もどちらがどちらとは言えないようです。

山本朝子 04/25 23:24

326:[ 楊上善注の変なところ ]

『季刊内経』の最新号に、山本女史が「語法閑話 語法と個性」と題して、
「……これを古代漢語に照らし、古代漢語の公式に当てはまらないからと言って、誤って入ったと取るのではなく、これが楊(上善)注の個性であるとはとれないのだろうか。……」
と言ってますが、やっぱり誤りではないかと思います、と言うか、誤っていること自体が個性(?)じゃないかと思っています。つまり、抄者による日本的発想の混入=倭臭の可能性はないのか、と現在検討しています。
一例として、『太素』03-05-6「起於中閹イ並有於胃口出上閹イ之後」の有は、大いに疑わしい。これは在とあるべきだろう。「ある」という和訓に引きずられた誤りと思われる。ただ、伝写の際の誤りの可能性が高い。なお、王洪図・李雲による増補点校では、有於胃口を行於胃口と見ています。少し剥落があるから、その可能性も皆無ではないけれど、でもやっぱり数行前の有と同形でしょう。王・李両氏は、ちょっと視力に問題がある(!?)んじゃないかと思いますが、中国人には有於は頭に浮かびにくいとも言えそうです。

もしこんな例が多く見つかるようだと、ことは重大です。つまり、仁和寺本『太素』の古形保存度に、一抹の不安を抱かざるを得なくなる。

乙、つまり語順の転倒の中にも、日本語の語順に引きずられたものがあるかも知れない。だからといって、楊上善を日本人かも知れないと言うのは、突飛すぎる。
以前の荒川さんから指摘ですが、文末の之は普通の漢文には稀で、古代朝鮮人の書いたものに多いらしい。だからといって、楊上善を朝鮮人かも知れないと言うのは、突飛すぎる。
最近、『老乞大』という元代漢語課本の翻訳が出ています。この漢語がちょっと特殊なもので、モンゴル語の性格が混入しているらしい。隋唐の際も、実は周辺民族の乱入の時代だから、そうした言語の影響がないとは、まあ、言い切れませんが……。
でもやっぱり一番の可能性としては、つまり、これらは楊上善の語法特徴ではなくて、抄写の過程の「いい加減さ」の痕跡、という恐れがあるじゃないか。

神麹斎 04/25 08:14

325:[ おむみょうじさん、睛明攅竹さんへ ]

林さんからのメールで『季刊内経』への転載を承知して下さったとの事、ありがとうございました。
昔、高橋さんに『『太素』の経文と注文に文字の違う所がある』と聞いて、ずっと気になっていました。私は経文も注文も同じ字を使うものだとばかり思っていたので、経文か注文のどちらかに誤りがあるのだろうと思っていたのです。そこに「経文にある「知」を、注釈文でも全部そのまま「知」とするのは、あまりにも芸がない、と揚上善は考え、「識」字を多用したのではないでしょうか」は衝撃的でした。また、「訓詁や注釈という言語表現は、経文という対象が存在して初めて成立する二次的なものです。経文の存在を無視して、訓詁・注釈を独立して研究しようとすると、陥穿におちいりかねません」は揚注のみならずどの注釈にも言える事なので、今後の研究で注意しなければ行けない事だなあと私自身肝に銘じでいます。
宮川さんはよく「個人の研究を机の引き出しに仕舞い込んだのではもったいない、文字として外に出さなければ。」と言っていました。内経医学会では『季刊内経』が定期的に出されています。お二人に限らず談話室で質問されたりして研究されたものを他の学会で発表されるのでしたらいいですが、ご自身の机の引き出しに仕舞い込まれるのであれば、是非『季刊内経』に投稿して読ませて下さい。
ペンネームを使われる方は寄稿依頼の時など管理者さんから連絡が行けるように、管理者さんには名前と連絡先は伝えておいて下さい。
森川君は雲仙でなく島原市でした。市長さんは当時落ち着くまで鬚を切らないで「鬚の市長」とマスコミでは言われていました。市長を辞された後、本を出され、講演活動をされていました。数年前うちが檀家になっている寺に来られた時、母が聞きに行っています。人の運命は分からないものです。

山本朝子 04/15 17:44

324:[ 森川君の冥福を祈る ]

パソコンを開けて驚きました。
森川君は私より若いのに。
彼のお父さんが雲仙の助役をされている気に普賢岳が爆発。お父さんは心労で助役を辞されたのではなかったでしょうか。あの時既に森川君は開業していて、市長さんが町の視察に出る前に森川君の治療を受けている時に大爆発が起きて多くの犠牲者を出しました。市長さんはたまたま森川君の所にいて一命を取り留めたのだったと思います。
森川君はよく気のきく、やさしい人でした。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。 

山本朝子 04/11 21:38

323:[ 森川くんのこと ]

森川くんと宮川さんと私は、時をほぼ同じくして、あい前後して、島田先生のところにお世話になった仲間です。無論、森川くんが一番若い。その森川くんの訃報に接して、晴天に雷に打たれたような気分です。

私が上海にいて森川くんが広州にいた年の春節、訪ねていって一緒に桂林まで旅行したことが有ります。十年ぶりの雪とやらで、寒くて寒くて、外人用のホテルの脇の、でも何故だか中国人客がほとんどのレストランで、口当たりのいい地の白酒と鍋に、何度もかよったもんです。鍋と、取りあえず決めておいて、材料は菜単からいろいろ見つくろうわけで、一番中国語の堪能だった森川くんに、結局お世話になりました。
で、つつきながら、「考えてみたら、豆腐と野菜しか、食べられない」とぼやいていた。私の知っている森川くんは、肉食を断っていました。スープを肉でとってあったら食べない、というほど偏狭なものではない。宗教的信条も有ったのかも知れないけど、何かの健康法かなとも思っていました。
その森川くんが亡くなった。心不全ということだけど、どこか悪かったんだろうか。

森川くんは長崎で、遠いから最近はあまり逢う機会も無かった。最後は島田先生の葬儀の時だったんじゃないか、その時は元気そうに見えたけど……。
ご冥福をお祈りします。

左合昌美 04/11 08:05

322:[ 訃報 ]

本会会員の森川恭行さん(長崎県島原市)が、4月8日正午ごろ、心不全で急逝しました。享年44歳。小生の弟弟子で、とてもいい人だったんですが、天命なのでしょうが、痛恨の極みであります。島田門の優等生らしく4人の子宝に恵まれ、順風満帆だっただけに、全てが悔やまれます。つらかです。
ただ、魂がやすらかならんことを願うのみ。

かいちょう 04/10 21:33

321:[ ユニコードで八卦 ]

こばやしさんが、ユニコードには八卦も有るのを発見してくれました。
この談話室はユニコード対応にしてあるから、表示されるはずだと思って実験したけど、ダメみたい。
笘ー笘ア笘イ笘ウ笘エ笘オ笘カ笘キ どうしてなのかね。
これらは「その他の記号」の中に在って、お仲間の♀♂なんかは表示されるのに……、MS明朝にもMSゴシックにも有るのに……。
ユニコードって難しい。

神麹斎 04/06 07:35

320:[ ビューティフル マインド ]

左合さんからは個人的に断りのメールがありました。今は島田素問に全力を注ぎたいとの事。私もこれ以上でしゃばる事はやめます。申し訳ありませんでした。

と言いつつ睛明攅竹さんとおむみょうじさん、「森立志『傷寒論こう注』の正しい読み方」と「『知・識』を少々」をパソコンの無い会員諸子の為に「季刊内経」に寄稿しては頂けませんか。どちらもそうとう読み込んでいないと書けない文章でとても参考になります。そしてもし「『知・識』を少々」が寄稿された時は、林さんにお願いがあるのですが私が前に出してボツになっている語法閑話「語法の個性」を同じ号に出して頂けませんか。

今日今年度アカデミー作品賞に輝いた「ビューティフルマインド」を見てきました。これは1994年度のノーベル経済学賞を二人のゲーム理論家と共に受賞したジョン・フォーブス・ナッシュ・ジュニアの伝記映画です。彼が「非協力ゲーム理論」を構築した経緯はバーに三人の女性が入ってきた。そのうちの一人は際立った美人。男たちの目は彼女に集中した。その時彼の閃きは、従来の競争理論に基づけば男たちは美人を奪い合ったすえ誰も彼女を手に入れられない。しかし、もし男たちが自分の利益とグループ全体の利益を同時に追求して美人をあきらめ他の二人の女性をを口説いたら誰もがいずれかの女性を手に入れる事が出来る、というものです。これが150年間も定説とされてきたアダム・スミスの理論を覆す、単純で美しいナッシュ理論なのだそうです。どうやったら女が口説けるかを数式で定理化しただけで、いろんな分野に応用できてノーベル賞がもらえる。鍼灸も陰陽五行がシンプルな理論だから医師では不可能なあらゆる疾患に応用出来るのでしょうね。
但しこの映画のテーマは「愛は頭脳より強い」かな。

山本朝子 04/02 00:08

319:[ ウイルス ]

またウイルスが蔓延してませんか?
ノートンのアンチウイルスを入れてあって、自動的にアップデートするように設定してあるんだけど、なんだかこのところ毎週一回くらいは、機能しているみたい。そのたびに再起動を要求されることが多くてうっとうしい。
なんだかいたちごっこみたいだけど、パソコンに自然治癒力を要求するわけにはいかないもんなあ。

神麹斎 03/28 07:54

318:[ 現代語訳・宮川論集 ]

尾道では昨日から桜が咲き始めました。
三人依れば文殊の智慧といいますが、いろんな知識を持っている人達がいて談話室はとても参考になります。
さて、江戸期までの鍼灸理論は内経に基づいているのですが、その内経がいまだ完全ではなく、内経医学会ではこつこつ経文の不備を正しています。内経の注釈書としては『現代語訳』がとてもよくできています。しかし、最善とはいえまだまだ完全ではありません。「季刊内経」に宮川さんの「霊枢講義」が始まりました。『現代語訳』を上手に使って宮川さんが得意とする意訳を武器に、前後の文意や医理で『現代語訳』とは異なる所をはっきりと分かりやすく書かれています。これを読んだ時無駄の無い編集に「宮川さんは頭がええなあ」と思いました。そこで左合さんに提言ですが、「素問講義」を連載してはいただけませんか。数年前『素問こう注』を見た時、一字に対してしつこいまでにこだわる森立志の性格が左合さんに似ているなあと思い、その事を島田先生に申し上げたら「左合はちょっと違うよ」と言われました。左合さんならどのようなものになるか楽しみです。左合さんなりの編集で書く気になってもらえませんか。一年で四篇、終わるのに二十年かかります。ご一考下さい。
それと「宮川論集」は何とか本になりませんか。九しん会でお金を出すとか。三回忌まであと四カ月。パソコンより本の方がいいですよ。

山本朝子 03/28 00:24

317:[ 流派鍼灸 ]

蛇足です。
江戸期の流派鍼灸の書籍を読むと、
大概が、先行するあるいは同時代の別の流派からのぱくりなのです。
実際、いくつかの文献の順列組み合わせで作ったような本が多いのです。
今手元に資料がないので、詳しい事は、
言えませんが、杉山流の例外ではなく、他の流派からの無断引用が
多かったと記憶しています。
オリジナルなものは、本当に少ないのです。
特定の流派が偉大だった、特定の個人がすばらしかったとは、
個人的には思っておりません。
江戸期の全体の鍼灸を考える必要が多分あるのでしょう。

ふの 03/27 09:03

316:[ 管鍼その後 ]

長野仁「経鍼考」(鍼灸OOSAKA、99年冬号)に、小川春興が「杉山は管鍼普及者である」と、実証済みとあります。小川春興の資料(「杉山検校の史的研究」『本朝鍼灸医人伝』付録、半田屋医籍部、1933、東京)は未見。

かいちょう 03/25 21:33

315:[ 孫思驍・フペット ]

足下にいる虎のような生き物は、やっぱり虎でいいんじゃないですか。絵を見ないで言ってるんだから想像にすぎませんが。孫思驍・ヘ仙人扱いされているし、仙人の護衛に虎が従うと言うのはよく有る話。それに昔の人が描いた虎の多くは、我々の目から見たらとても虎とは思えない。動物園も写真も無いんだから当然だけど。それに虎と豹を混同している場合も有る。丸い斑点の有る猫みたいなのを、平然と虎と言ったりする。首が無いのは、その部分の絵の具が剥落したのかも知れないし。
抱いているほうのやつは、これは全くの思いつきなんだけど、兎という可能性は有りませんか。つまり、月の中で薬を搗いているやつ。勿論、とても兎とは見えない兎かも知れませんよ。こっちは技量の問題だろうけどね。

神麹斎 03/25 17:41

314:[ 謎の生物 ]

小曽戸洋「漢方の歴史」(大修館書店)の88ページに『千金』の著者の孫思驍・フ図がある。「歴代名医図姓氏」からの引用となっているが、孫思驍・フ足元にいる生き物は、虎のようだが、よくよく見ると頭がないように見える。また、何かの生き物を抱えている。尻尾と胴体の一部しか描かれてない。これは、何という生き物で、どういう意味があるのだろうか。

かいちょう 03/25 14:38

313:[ 鎌倉はやっぱり ]

私もどちらかというと、てきぱきよりも、ウロウロ、デレデレ、ヨタヨタのほうがいいです。

神麹斎 03/24 00:08

312:[ 墓参Ⅱ ]

○北鎌倉で墓参して、江ノ島を経由して、返ってくるとすると、てきぱきと行動しなけりゃ、明るい内に帰京できないとおもうなぁ。個人的には、いつものように、ウロウロと歩き、デレデレと飲み、ヨタヨタと帰ってくる、やはりこのスタイルがいいと思う。江ノ島まで鞭をいれいれ、を考えると気が遠くなりそうです。
○廃屋だけれど、丸山旧宅(西田幾太郎旧宅)とに寄って、在りし日の先生の姿をイメージしながら、ああでもない、こうでもない、などと話ししている一時が、なんとも長閑な時間であります。年に一度、丸山先生と、同じ空間を共にすることができるのも楽しみであります。島田先生に、始めてつれてもらった18、9年前、まだ「丸山医院」の看板が残っていました。今や看板の柱のほぞが岩に残っているだけですが。昭和20年(1945)の8月に開院し、しばらくして小町通りの近くに移転したと聞いています。昭和33年(1958)に新宿若葉町に移っています。鎌倉で開業したのは28歳です。

かいちょう 03/23 22:21

311:[ 古医籍の電子化 ]

どうして古医籍を電子化するか?
蔵書の場所が足りないから。例えば平凡社の『世界大百科事典』もCDなら一枚、『素問』『霊枢』『太素』の画像も、大きさを我慢すれば、全部合わせて何とか一枚に入る。
でも、最大の利点はやっぱり、検索の利便性でしょう。
ところがここに入力者と利用者と、それぞれに悩みが有る。
入力者の悩みは様々で、仁和寺本『太素』を例にとると、先ず第一にそこに書かれている文字の正体が分からない。でも、この探索はそこそこ楽しいし、そこそこの成果も有る。次はどういう字体でそれを入力しておくか。利用者は簡単に、普通の字でと言う、入力者は、普通の字なんて無いんです、と返答する。取りあえずは、いわゆる当用漢字あるいは新字体か、いわゆる正字あるいは旧字体、に統一して入力する。混在は論外である、美しくない。ところがね、底本自体に、いわゆる新字体と旧字体が混在してたりするんだよね。つまり、当用漢字とか正字とかいうのは絵空事なんだよ。だから、蛮勇を奮って『康煕字典』体で入力する。と、そんなの大した権威じゃないと言う声がチラホラ。分かってますって、だから基本字の標準として……、我ながら威勢が悪いわ。
利用者の方にだって悩みは有る。ハリを一律に鍼と入力したデータで、針を探しても見つからない。見つかったとしたら、それは実は誰かが工夫しておいてくれたからだ。もっと深刻な話として、例えば『甲乙経』の経文には「軟」字は「外踝皮薄而軟」の一カ所しか出てこない。では『甲乙経』には軟らかい脈という概念は無いのか。そう言うわけではない。それは「濡」という字で探さなければいけない。これが索引であれば、あるいはさらに術語を分類配列した索引であれば、やわらかい脈のことは濡というのかな、と見当がつく。むき出しの電子文献ではそうは行かない。己已巳は古い版本では概ね同形である。ということは、電子文献で書き分けてあったとしたら、そこには入力者の判断が入っている。つまり、当然有るはずの已が見つからなかったら、己巳を検索してみる必要が有る。黒のいわゆる正字は黑である。それに気付かないで黒でうろうろしていると、『内経』には五行の内の水の色を缺くなんて、とんでもない検索結果となる。
現在利用可能な字形の内で、例えば仁和寺本『太素』の異体字を保存した電子文献を作成することは、実はかなりの程度可能である。そして、日常使う字形で検索して、つまり異体字を同一視してヒットするように設定することも、実は可能である。つまり、入力者の努力次第、というに近いところまでは来ている。でもねえ、かなりの程度可能である、のに出来ない字が僅かに有る、と言うのって気持ち悪いんだよね、入力者には。

神麹斎 03/23 21:00

310:[ 小野先生の鍼法 ]

小野文惠先生が管鍼をお使いになること、お有りでしたか?ちょっと記憶に無いんですが。以前、『東洋医学』誌に掲載されていた鍼法にも、管を使ったものは無かったような気がします。もっとも、最初期のことは当然知りませんし、最晩年の数年間もお目にかかる機会が無かった……。
小野先生の接触鍼法も、実は杉山真伝流の手技を参考にしている、ということなんでしょうか。それは勿論、有りうると思いますが……。

神麹斎 03/23 09:17

309:[ 管鍼法 ]

私は文恵先生に特別思い入れがある人間であります。現行十七鍼法なんかみて参りますとやはり、杉山流の手技は避けては通れません。ましてや今日の我々の大半がこの管鍼術にお世話になっていながら、はっきりとその詳細が分っていないというのはなんとも恥ずかしい次第と申しましょうか...。弾入の仕方ひとつとっても本当に個人差がありますよね!内経を勉強されながらも、内経に関連した諸々の文献には鍼管をつかったやり方は無いですよね?でも、ここの先生の大半は管鍼ですよね?なんか変だな~と思うのは私ひとりだとおもいます...。
でもこの管鍼術というのは昔の人が鍼を使って治療をするってことに匹敵するくらいの大発見って気がいたします。
山本先生の医道の日本に連載されている日本の鍼の歴史は面白いですよね!杉山真傳流もいずれは取り上げられるんですよね!?
私も情報を見つけ次第ご連絡さしあげます。

扁鵲 03/23 01:55

308:[ またまた杉山和一のこと ]

東京は江ノ島が近くていいですね。私も墓参に参加したいとこですがなにぶん遠いのでホームページの写真で我慢します。
ところで歴史の横糸として前に『紀伊国屋文左衛門』を紹介させて頂きました。私は邦光史郎さんの歴史ミステリーのファンでとくに『夜と昼の神話』が好きです。邦光さんの作品はどれも歴史を細かく調査されています。そのような人が『紀伊国屋文左衛門』の杉山和一の伝記部分の最後に「けれど、官鍼を使った者は彼が最初ではなかったという説があって、その点はまだはっきりしていない。」と記しています。私はこの一文が気になって仕方がありません。邦光さんは何を読んでこのような事を書かれたのでしょうか。そこでヘンジャクさんにお願いがあるのですが、杉山和一の事を調べられてもしこれに関する事が分かったら、この掲示板で教えていただけませんか。どの本にそのような疑問が載っているのか。そして内容はいかなるものか。
よろしくお願い申し上げます。

山本朝子 03/23 00:57

307:[ 丸山先生の墓参 ]

3月賛成。
いつもより早めに出て、丸山先生の墓参の後で、足を伸ばして「江ノ島」まで行くなんて、おもしろい企画を考えました。
杉山和一(1610--1694)先生が管針法を思いついた、由緒ある場所。
希望の方、ご意見を。

こばやし 03/22 22:23

306:[ 杉山総検校 ]

実は現在入力中の『日本医譜』にも、当然ながら杉山和一は載っているんですよ。入力はまだそこまで至ってませんが。
ただ、やっぱり大したことは言ってません。

杉山総検校
『奇人伝』に曰く。杉山検校は、遠州浜松の人(『江戸名所図会』には、奥州の産、名は信都と曰う)なり。十歳にして失明す。名を天下に揚げんと欲して、江の島の岩窟に入り、食を断つこと三七日、これを祈る。夢中に鍼を得て、掌中に在り、遂に鍼術の妙を極む。諸侯の招に応じて愈えること数々なり。大神君これを召し、日々かたわらに侍す。一日、台命有りて曰く、願望有れば則ちこれを言え、と。杉山曰く、願わくは一目を賜らん、と。神君その言を憐れみ、本荘一目に於いて地一町四面あわせて禄五百石を賜り、曰く、これ一目ならざるか、と。後加えて三百石を賜り、以て総検校職に任じ、総録と称す。屋敷は今もなおかしこに在り。因りて弁才天を勧請す。また貧賤の盲人を救わんと欲して、清聚庵の地を京都高倉綾小路の南に賜る。瞽者一派の規矩はこれに於いて中興す。その木像を京および江戸に安置し、永世その徳を仰ぐ、としか云う。その鍼術は広く世に伝えらる。杉山流と称するものはこれなり。

『奇人伝』は分からない。有名な伴高蹊の『近世畸人傳』とは違うようだ。遠州浜松の人というのにも異説が多い。普通は伊勢の津の人という。神君は、徳川家康のことだが、ここは綱吉の間違いじゃないか。つまり、上の記事はあんまり信用できない。

神麹斎 03/22 13:14

305:[ 丸山先生の墓参について ]

 2月の建国記念の日をもつて、丸山先生の墓参をしてきました。この日にしたのは、おそらく島田先生だろうと思います。丸山先生の誕生日が2月12日なので、近い日を選んだものと考えられます。
 ただ、2月の鎌倉はまだ寒く、時に雪まじりのこともあり、一部の参加者から、3月に移せないかと相談をうけました。まあ、参加者もだんだんと齢を重ねていますし、まあ、暖かなほうがいいかなとも思います。
 丸山先生は3月30日に没していますから、3月の最終日曜日(おおよそは第四日曜日)にしたらどうかと考えました。皆さんの、ご意見、如何でしょうか。

かいちょう 03/22 13:07

304:[ 杉山和一の検索 ]

「みそのいさい」さんに紹介いただいた本は持ち合わせていないので、パソコンの検索で「杉山和一」をクリックしたら182件もの記事がありました。あまりにも多いので途中までしか見ていないのですが、37番目の「江ノ島詣」は江ノ島の弁財天等の写真がのっています。また41番目の「杉山検校の墓」にも墓の写真が出ています。とても面白いですよ。
先週検索の方法を姪に教わり、「山本朝子」を検索したら自分の事が出ていて、なんだかプライバシーが侵害されているみたいで怖いなあと思いましたが、使ってみると便利がいいものですね。
皆さんの掲示板の質問を拝見することで私はとても勉強になっています。

山本朝子 03/21 23:46

303:[ ユニコード対応です ]

言い忘れましたが、この談話室(掲示板)は、ユニコード対応です。『素問』や『霊枢』の経文・注文も、ほとんど問題なく議論可能です。
ただし、拡張領域の漢字は、正常には表示されません。もっとも、カマボコになってしまった文字も、コピーして拡張領域表示可能な、例えばWORDやakira21(管理者愛用のeditorです)に貼り付ければ、正常に表示されるようです。でも、そういうのって、談話室(掲示板)の趣旨・性格には反するような……。

老婆心ながら、ユニコード用フォントの用意の無い人に:
一番手軽なのはインターネットエクスプローラーを附録CD-ROMに収めているパソコン雑誌を購入して、インストールの際に「最小構成インストールまたはブラウザのカスタマイズ」を選択し、「複数の言語サポート」から「中国語サポート」と「中国語IMF」を選択します。中国語IMFのほうは、中国語ができなければほとんど意味無いけれど、この一連の操作で入手できるMingLiU,PMingLiU,MS Hei,MS Song,SimSunなどのフォントは、一太郎、ワードなどでも利用できます。勿論、この談話室の表示にも。(自分はどうやって入手したかはもう忘れてしまったので、上の方法はある雑誌の受け売りです。)
(この「ユニコード用フォントの用意の無い人」云々は、以前の投稿のコピー&ペーストです。したがって入手できるフォントの内容は変わったかも知れません。市販のフォントなら DynaFont Type Studio に含まれるUnicode Font 3書体がお勧めです。)

管理者 03/19 12:01

302:[ 過去の記事の検索 ]

過去の記事(indexのsideに入り口があります)は、投稿時のまま、全くの未整理です。
整理しようという考えが、無いというわけでもありませんが、整理を誤ると、行方不明になる恐れもあるので、手をつけませんでした。(やや、言い訳の気味がある!?!)
必要な記事を探すには、インターネットエクスプローラーやMSNエクスプローラーであれば、「このページの検索」というのが、「編集」の中か「その他のコマンド」の中に有ると思います。
よろしくお願いします。

管理者 03/19 11:37

301:[ 投稿規約 のようなもの 再び ]

原則として、匿名はお断りします。ただし、戯名、例えば神麹斎あるいは守神斎あるいは虚舟先生あるいは「かいちょう」などは、内経の会員なら、ははああの人とわかるんんじゃないかと思う。こういうのはOK。(歓迎?)では新しく戯名を使いたい人はどうするか?たぶんあの人だろう、と見当がつきそうな内容を書き添えてもらうか、連絡先を事務局もしくは管理者に伝えてください。

事務局にも管理者にも把握できない人からの書き込みは、削除することが有ります。

その上で、
基本的かつ当たり前のことだと思いますが、
ここに書き込んでもらったからといって、その全てに答える義務や責任は、当会には有りません。
面白いと思った書き込みに対して、反応する人がいるだけです。
管理者としては、全ての書き込みに対して誰かが反応することを期待しますが、だからといって、強制するわけにはいきません。
初めての質問には、原則として、投稿者のプロフィールが何となくつかめる程度の、自己紹介はお願いします。質問の内容もできるだけ具体的に願います。でないと、応えようがないことは間々あると思います。反応する人も、当然少ないでしょう。

古代漢語を学んで、『素問』『霊枢』を正確に読む。それと関連する古典の知識とを総合して、古代の名医たちの世界観、治療体系を検討する。あるいは、本当はどんなことが起こっていたのかを知るために、古代的迷妄を排除する。
そこまでが、当会の役目だと思います。
したがって、文献的な問題に反応するものは、何人もいると思います。
で、古典に書かれていることが、現在の実際の臨床で如何なる意味を持つか、については、個々の会員が自分で工夫したり、あるいは私淑する師匠を持っていたりします。
日本内経医学会の治療体系というようなものは、有りません。
したがって、臨床的な質問には誰も答えない、ということはありえます。

管理者 03/19 11:28

300:[ 『日本医譜』の記事って…… ]

宇津木益夫の『日本医譜』というのは、膨大な内容であるから、有益な書物であるのは間違いないが、その記事の信頼性となるとどうなんだろう。
例えば、余語良仙の項目に、「長男三以無行而放逐」とある。最後に付録された墓碑銘には「有二男長三以以無行見放」とあるから、三以というのが名前なんだろうけど、ちょっと変わってると思いませんか。
実は『御当代記』という書物では、ちょうどその頃、余語間三というのが追放になっている。さらに、その東洋文庫版の注釈によれば、『徳川実記』では名前は余語守三で、追放の理由は不敬の罪、『人見私記』では不敬の罪とは、つまり「申上マジキ義申上」げた不届だそうである。その相手というのがなにせ犬公方だからねえ、どっちが「無行」だか判ったもんじゃない。
で、この間のできごとを順に記してみると、以下のようになる。
元禄四年1691七月十九日 余語間三奧医師に被仰付(御当代記)
元禄四年1691九月二十八日 余語間三御追放(御当代記)
元禄五年1692十月 余語良仙の養嗣・瑞善(実は中川養玄の子)が綱吉に拜謁 良仙の二男で他家に出ていた印菴も綱吉に拜謁し橘隆菴と改名
元禄七年1693十二月 良仙が告老致仕 養嗣の瑞善が襲封(実の長男は無行放逐)
元禄八年1694五月 良仙卒
宝永六年1709十月 薬師寺宗仙院(初世の橘隆菴)致仕 子無く二世の隆菴(余語良仙の二男)が襲封
なんだか妙な感じなんですけど。

神麹斎 03/17 10:05

299:[ 杉山和一 ]

扁鵲さま

杉山流三部書、丸山利秋『鍼灸古典入門』(思文閣出版)、『漢方の臨床』9卷11・12号、1962年 木下晴都「杉山和一とその医業」を読まれた上でのご質問でしょうか。

ミソノイサイ 03/15 05:21

298:[ 自己紹介をお願いします ]

この掲示板の利用規定のようなものは、最初のころに書いたきりですし、別に意地悪をするつもりはないんですが、投稿者のプロフィールがわからないと応えようがないことは間々あると思います。せめて何となく背景がつかめる程度の自己紹介はお願いします。
それに、うちの会は内経(ここでは『素問』『霊枢』)およびその系統の古医籍をなんとかしようというグループで、江戸時代の針灸の歴史に特に詳しい会員はいないと思います。教科書程度、百科事典程度の答えしか期待出来ないんじゃ……。
Webの検索はかけてみましたか?そっちのほうが効率的なんじゃないでしょうか。

管理者 03/14 09:15

297:[ 杉山和一について ]

この種の本を紹介して良いものかわかりませんが、
邦光史郎著『紀伊国屋文左衛門<元禄豪商伝>』徳間文庫
文左衛門が幕府御用達の商人になるために杉山和一にとりいるのですが、358ページから359ページにかけて和一の伝記(生まれてから名声を得るまで)が書かれています。書店で立ち読みされてはどうでしょうか。
この本の中では和一は将軍綱吉の疝気を治して侍医となり、権力をかさに賄賂をもらって文左衛門を幕府御用達にします。昭和鍼灸との関わりは分かりませんが、昭和文学との関わりが興味深いです。

山本朝子 03/14 00:27

296:[ 歴史 ]

杉山真伝流の歴史について教えてください!
杉山和一のエピソードや昭和鍼灸との関わりについて
ご存知でしたらなお嬉しいです。

扁鵲 03/13 16:07

295:[ 霊蘭の室の鍵 ]

霊蘭の室に鍵をかけたことについて、どうして、という声がチラホラ。
別に説明しなけりゃならない義理もないけれど、イチオウ一言だけ。
鍵をかけたけれど、別に筋違いに釘づけしたわけではありません。鍵はいつでも開けられます。ノックしてもらってから開けようというだけのことです。
まともな訪問者を拒否することは、多分ありません。見ず知らずの人にズカズカト入ってこられて、持っていかれるのをとどめようというのは、まあ普通の対応だと思います。
「日本内経医学会会員以外の申請は原則として却下します」というのもあくまで原則で、言ってみれば会員確保のための方便の一つです。

神麹斎 03/08 09:33

294:[ 霊蘭の室に鍵をかけました ]

霊蘭之室に置いていた電脳版古医籍の一般公開を中止し、申請によって個別に許可することにしました。
申請に応ずるかどうかは、全く提供者の恣意的判断によります。それなりに気をひかれるような自己紹介を添えていただくと、効果的だと思います。

神麹斎 03/06 09:23

293:[ 淳于氏 ]

考えてみると、淳于氏って結構有名な人がいるんだよね。
戦国の頃に斉の威王、宣王に仕えた淳于鬮黴€がいる。身体は矮小であったが、滑稽多弁に長じ、趙に使いして救いを求めては精兵十万革車千乗を得て楚の兵を去らしめ、威王の長夜の飮を隠語を以って諌めてはこれを罷めさせたと言う。
秦の始皇帝の博士にも、斉人淳于越がいた。
もともと、淳于氏は今の山東省安丘県に在った春秋の時の小国の名に由来する。周の武王によって夏の斟灌国の末裔が、淳于公に封ぜられたものと言う。後に淳于国は杞国に併合され、その遺民の中に国名を以って姓氏とするものが有った。
淳于意を、穀物倉庫の管理人のショボクレと考えると、間違っているかも知れない。
淳于氏の後裔のある者は、唐代に至って憲宗の諱純を避けて于氏となったと言う。天津の于鉄成同学も、ひょっとすると淳于意の末裔かも知れない。

神麹斎 03/02 22:25

292:[ 僧鑑真 ]

日本医譜の拾い話:

僧鑑真の記事の中で、こういうのがありました。
「按本朝醫考曰、鑑真性淳于氏唐國揚州江陽縣人齊辨士」
鑑真の姓は倉公(淳于意)と同じでした。
老婆心ながら、(淳于=姓、意=名)

〔参考〕:
++++++++++++++++++++
688‐763(唐嗣聖5‐天平宝字7.5.6) 奈良時代の渡来唐僧。揚州の生れ。701年出家,洛陽・長安で修行した後,郷里に帰って戒律を伝授し,江淮随一の高僧と評された。742(天平14)戒師招請の使命をおびた留学僧栄叡ようえいらの要請を受けて渡日を決意。5度の渡航失敗の後,753(天平勝宝5)末薩摩に到着,翌年入京した。この年4月,東大寺大仏殿の前に戒壇を築き,聖武太上天皇以下400余人に戒を授けた。756年大僧都に任命されたが,758(天平宝字2)大和上の号を授けられた。759年新田部にいたべ親王の旧宅を寺に改めて#唐招提寺とし,戒律の普及に努めた。死の直前に造ったと伝えられる脱乾漆の肖像(鑑真和上像,国宝)が唐招提寺にある。
++++++++++++++++++++++
[株式会社岩波書店 岩波日本史辞典]より

こばやし 03/02 20:50

291:[ 家業不精 ]

いま『日本医譜』を入力している。
その記事の中に、「針術之妙」によって侍医となり、1663年には法眼に叙され、1678年に60歳で歿したという人がいる。
その息子がすぐに後を継いだが、1690年に「家業不精」のかどで、小普請組となった。
ところが1698年になって再び抜擢されて侍医となり、翌年には法眼に叙せられた。
人間、あきらめてはいけない、と言うことか。

神麹斎 03/01 22:54

290:[ ハルピンの蛭子氏 ]

ハルピンに蛭子氏が留学中。本が安く買えますとのメールがありました。荒川氏の聚珍は、彼にたのむのが一番と思います。希望者は、本欄に書き込んで下さい。なお、蛭子にはげましのメールを。
reisuu@hotmail.com

かいちょう 02/24 10:13

289:[ 『経絡の研究』昭和二十五年 ]

この前、古本屋で入手しました本の紹介です。
ちょっと長文ですが、「島田隆司著作集」引用の丸山昌朗先生の『経絡の研究』昭和二十五年、紹介します。
どうしても欲しいという方には学術資料として一部コピーして配布をしてみようかな、と考えています。ただし、期間限定です。
希望者は3月末までに、kobayashi-toua@umin.ac.jpまで
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
 鍼灸を世に広めるうえで最も重要なことは“経絡”をどのように認識するかであり、また“経絡”を現代医学的にはどこまで認識することができるかであります。
 従って、先生の生涯のテーマの一つが、この経絡研究でありました。
 昭和二十三(一九四八)年の昭和医学会誌(昭和大学医学部雑誌)に「経穴に関する研究」を発表されております。同年の秋には千葉医大眼科の伊東弥恵治教授が主催していた“東洋医学研究会”で「経絡に就いて」を講演されました。
 この講演は伊東教授やその門下生の長浜善夫に強烈な印象を与えました。そのため、翌年、千葉大学医学部付属病院で眼科治療に従事していた長浜善夫氏が針響現象の際立つ患者を発見して丸山先生に共同研究を申し込まれ、先生は鎌倉で開業していた医院を一時的に休診にして「経絡に対する針の響き現象」の研究をされました。
 各種の穴に刺針して様々な響き現象が発生しましたが、先生の発案で“原穴への刺針”が最もストレートに「響き現象」を発生するとして追及した所、その響き現象が『霊枢・経脈篇』に記載されている経脈の流注とほぼ一致することが証明され、経絡の実証的研究の発端と高く評価される研究となりました。この研究は翌年に『経絡の研究』として刊行され、国の内外に大きな影響を与えました。
 中国でも大きな反響を呼び、数年後に翻訳されて中国の全国の研究所に送られました。訳者の承氏は「日本人が中国古代の経絡学説に対してこのような研究発明をしているのを見て、我々も更に奮起し勉強せざるを得ない」と言っています。
 中国ではこの研究の紹介が端緒になって、この「響き現象」を「循経感伝現象」と称して、全国的な調査・研究が行われました。日本では丸山・長浜兩氏のたった一人の被験者による実験でしたが、中国では“経絡敏感人”一万数千人の被験者を集めた実験で、経絡の実証的な研究の発端になりました。
 このときに、先生がかねてから臨床的に注目されていた「経絡に準ずる響き現象」も併せて研究され、背部の膈兪から手の陽側を通って手の第三指外端に至る仮称“膈兪経”と背部の第八胸椎傍らの兪穴からほぼ足の膀胱経に沿って下降し、足底に至る仮称“八兪経”を報告されました。(『経絡の研究』昭和二十五年、杏林書院刊。没後、数回再版の企画があったが、事情があって初版のみで絶版になっている。)
+++++++++++++++++++++++++++++++

こばやし 02/23 13:30

288:[ 『針灸古典聚珍』 ]

中国の出版案内によると、今年五月に中国科学技術出版社から王雪苔編『針灸古典聚珍』全21巻が出版される。一万七千六百頁。定価一万五千元。
卷1~3は、王雪苔教授と黄龍祥教授による歴代針灸文献の考証。
卷4~21は影印と活字を対照させて、針灸学の代表的な著作57篇を収録する。
非常に高価な上に、大部分はオリエント出版社から出ているものと重複していると思います。そういう訳で、卷4~21の部分にはそれほど食指は動きませんが、両教授の文献解題には、大変興味をそそられます。とくに黄龍祥先生には、『針灸名著集成』の文献解説で、目から鱗を何枚も落としてもらっていますから。
幸い、当日本内経医学会には、黄教授とメールをやりとりしている会員もいますので、その方々に入手の労を取っていただいて、みんなで読んで、針灸書に対する認識のレベルアップを図りたいものです。

荒川 02/23 03:26

287:[ 六部の脈状 続き ]

山本さんありがとうございました。
『察病指南』持っていたか分からないので、探してみてあったら勉強してみます。
私が持っている数種類の本にも六部それぞれの記載があるものはあるのですが(単一症状)、一番しりたいのは六部の相関性なんですよね。
例えば、風邪が表にあって右寸口が浮くというのは分かるんですが、浮かない時もあるじゃないですか。
その時、他の部位の脈状がこうだから、本来浮くべきものが
浮かないよ、とか。
そのような六部の脈状の相関性が書かれた古典ってありますか?
どなたかご存じでしょうか?

佐藤隆哉 02/22 15:37

286:[ 脈経 ]

影宋版『脈経』を、「靈蘭之室」にアップロードしました。
これは「かいちょう」を通じて入手した「ふの字」さん(だと思います)のデータの修正です。

これを利用するための、環境についての問い合わせには答えますが、資材の提供は出来ませんのであしからず。入手の方法はアドバイスします。

神麹斎 02/22 13:11

285:[ 井穴の全てを瀉血 ]

中風の発作に、手足の井穴の全てを瀉血、という話は、島田先生から丸山先生の方法として聞いたことが有ります。島田先生がちょうど丸山先生をおたずねしたときだったそうで、引きつれられていって、手分けして瀉血したそうです。
こんなのは、「内経医学会」の伝統的臨床、と言えるのかも知れない。

神麹斎 02/22 08:26

284:[ 『霊枢』四時気(19) ]

「卒取其三里」
中国の医古文の語法書では、この「卒」を名詞の状語(連用修飾語)用法として、理解することが多いようです。
この動詞の前の名詞は、動詞の行為・動作を行う上での方法あるいは道具をあらわすと考えられています。
それに沿って訓読すれば「卒(=辟黴€サイ、焼き鍼)もて其の三里を取る」もしくは「卒(サイ)にて其の三里を取る」とすればよいと思われます。
このように訓読すれば「火鍼という道具を用いて」「火鍼法により」という意味がとりやすいのではないでしょうか。
なお、「取」は「治療する」あるいは「採用する」の意。
『素問』宝命全形論(25)の「余欲鍼除其疾病」の「鍼」も『霊枢』四時気(19)と同じ用法です。「余は鍼もて(にて)其の疾病を除かんと欲す」。

荒川 02/21 19:49

283:[ 据楼英作辟黴€刺 ]

現代語訳『黄帝内経霊枢』を持ってませんので、確認はしていませんが、『素問』の例から判断するに、これは上海科学技術出版社『黄帝内経霊枢訳釈』の日本語訳だろうと思います。
さて問題の箇所「著逞ケ不去,久寒不已,卒取其三里骨荳コ干。」(骨荳コ干は衍文と判断されている)の上に、「霓ャ筋于髦ウ,治其髦ウ;霓ャ筋于髦エ,治其髦エ;皆卒刺之。」とあり、それに対する注釈の⑤に、「……卒刺は,楼英が辟黴€刺、即ち火針を指す、に作るのに据る」と有るはずです。
つまり、通仮字さんの意見は、原書の編著者、南京中医学院中医系と同じです。

神麹斎 02/21 08:27

282:[ 現代語訳『黄帝内経霊枢』 ]

348~9ページ。
著痺不去、久寒不已、卒取其三里。(『靈樞』四時氣篇19)
訓読「著痺(ちゃくひ)去らず、久寒已(や)まざるは、卒(ことごとく)其の三里に取る」
現代語訳「湿邪が旺盛な着痺症にかかり、治りにくくて、冷えが去らない者は、足の三里を取り火鍼法を用います」
この現代語訳には「ことごとく」に対応する部分が見当たらず、「火鍼法」という言葉が見えることから、中国人の訳者は「卒」を「辟黴€サイ」の宛字として理解したのではあるまいか。
そうであるなら、訓読は「其の三里を卒取(さいしゅ)す」か。

通仮字 02/21 02:12

281:[ 六部の脉状について ]

『察病指南』七表八裏九道七死脉の項に、例えば浮脈の総論の後
左手寸口脉浮主傷風発熱頭痛目眩及風痰
左手關上脉浮主なんとかかんとか
左手尺内脉浮
右手寸口脉浮
右手關上脉浮
右手尺内脉浮
というような記載があります。
 中風の治療ですが、津曲さんに倒れてすぐ呼ばれた患者に対して
手足の井穴の全てに瀉血をしたという話を聞いた事があります。手の井穴を終え足の井穴をしている時に患者さんが「そこだ」とか言われて気がつかれたそうです。中風は風に当たるという事で井穴が聞いたのでしょう。これは津曲さんが医師よりも先に往診に呼ばれて施した治療で、後遺症の拘縮には効果があるかどうかは分かりません。

山本朝子 02/21 00:12

280:[ 読むのは楽しい 書くのが苦痛 ]

結局あれですよ、読むのは楽しいけど、書くのは苦痛ということですよ。
異体字の1グループに1コードナンバーで、異体字はフォントの切り替えだったら、楽だったろうなあ、書くのも楽しかったんじゃないかなあ、です。
いまさら言ったってどうにも為りませんが。
まあ、どっちにしろ、余計なことが気になるだけですが。
例えば、古典に月に眞という字が出てくるんだけど、この間まではユニコードにも無かった。いま使えるように為ったけど、(少なくとも私の常用のフォントでは)月に真なんですよ。勿論、それでいいいんだけど、そうなると眞と入力した箇所が気になるんだよね。で、真に置き換える。当然、愼も慎に変える。
こういう苦労、したくなんだよね。しなくてもいいんだけど。

神麹斎 02/20 14:31

279:[ 電子テキストの知識 ]

電子テキストの知識

http://sharetext.honya.co.jp/archives/
この中の「豊島正之・JIS漢字批判の基礎知識」は必読です。
http://sharetext.honya.co.jp/archives/jiskanji/mt-gene.pdf
PDFで保存、印刷できますのでお読み下さい。
以前、「日本内経医学会」としてJISにない古典医学漢字を資料として出しました。
『大漢和辞典』親字番号、引用書、引用例などまとめて提示しなければいけなかったので、けっこうきつい仕事でした。

こばやし 02/20 12:27

278:[ 漢字百珍 ]

『漢字百珍ー日本の異体字入門ー』という本が、昨年の末に出ました。出たのはすぐに気がついていたのだけど、手に取ったり棚に戻したりを繰り返したあげく、ついに買ってしまいました。
ここに紹介しておきながらなんだけど、あんまりお勧めしません。下に荒川氏が紹介している『解説 字体辞典』と同様、読むと漢字を書くのがおっかなくなる。
ただし、古抄本の異体字の正体を突き止めるのは、頗る愉快ではある。推理小説の犯人探しより、遙かにおもしろい、少なくとも私には。両書とも、そうした探索の強い身方にはなりそう。
でも、古籍を電子化するにあたって、一番(異体字の扱いにおいて)しんどいのは、その異体字がどの字の関連字であるかは分かった、で、その内のどれで入力しておくか。厳密に底本通りに入力できるほどの異体字は、流石のユニコードにも無い。拡張領域のAとBを探したって有ったり無かったり。より近い形と言ったってねえ。それに底本通りにして、誰も読めなくなると言うのもねえ……。
例えば、『太素』のはじめのほうの楊上善注に「比■輪之巧」とある。底本の■は登に蛻bフようだけど、通隠堂本では譁オに作る。それ以降の諸本も異議をとなえない。まあ、欄外に引かれた『荘子』からもそれはうなずける。だけど、ちょっと見た目が違いすぎませんか。実は登に蛻bフ字も拡張領域Aには有る。ところがねえ、この字、『今昔文字鏡』では譁オとの関連を言わないんだよね。『中華字海』でさえ明確には言ってないみたい。貴方ならどうします。

神麹斎 02/19 13:37

277:[ 修正 ]

下の書き込みは、この談話室のにぎわしの為に、かつて、
「書き込んでもらったら、必ず何らかのコメントをする!」
と見得を切ったことについての、修正にして補足です。

神麹斎 02/18 14:06

276:[ 夫為医者在読書耳 ]

古代漢語を学んで、『素問』『霊枢』を正確に読む。それと関連する古典の知識とを総合して、古代の名医たちの世界観、治療体系を検討する。あるいは、本当はどんなことが起こっていたのかを知るために、古代的迷妄を排除する。
そこまでが、当会の役目だと思います。
で、古典に書かれていることが、現在の実際の臨床で如何なる意味を持つか、については、個々の会員が自分で工夫したり、あるいは私淑する師匠を持っていたりする。
日本内経医学会の治療体系というようなものは、有りません。
私個人としては、自ら工夫したと言えるほどの臨床も、有りません。
私淑する師匠の臨床体系については、その師匠に問うてもらうしかない。

あるいは言い換えれば、
「それ医と為るは書を読むに在るのみ、……未だ読まずして能く医と為るものは有らざるなり」は、うちの会でやろうとしてます。
「読みて医と為ること能わざるものは有り」のほうは、別のところで足掻いています。

臨床との関連は、もとより関心が無いわけがないけれど、充分には対えられないかも知れない。

神麹斎 02/18 13:02

275:[ 六部の脈状 ]

こばやしさんありがとうございました。
ついでに、左右の六部それぞれの脈状について記載されている
古典がありましたら、いつくか教えてください。
それと大変おおざっぱな質問ですが、「診家枢要」の見所
はどういう所でしょうか。

佐藤隆哉 02/18 10:33

274:[ 質疑緑 ]

張景岳によれば、中風は傷寒などとは異なり突然に発症するので経絡の判別が難しいと述べている。

若論中風、則十二経皆有見症、而不止於六経也。
如四肢不収、手足拘攣者、風中足太陰脾也。
口眼渦斜、口噤不開、風中足陽明胃也。
痰涎壅塞、声如曳鋸、風中手太陰肺也。
大便閉結、風中手陽明大腸也。
舌音不語、風中足少陰腎也。
目眥昏迷、不省人事、風中手少陰心与手厥陰包絡也。
契従強直、角弓反張、風中足厥陰肝与足太陽膀胱也。
耳聾脇痛、風中足少陽胆也。
此皆中風之形症也...。

とあります、配穴はどういたしましょう??

扁鵲 02/17 20:31

273:[ 中風 ]

臨床で脳卒中の後遺症を診られる方が多いと思われますが、なかなか一筋縄にはいかない疾患でもあります。原典を含めていい治療法が見出せればと考えています。筋肉の拘縮について現代派は安易にパルスを用いますが、皆さんはどういった配穴をされているのでしょうか?例えば鍼灸大成には「列厥」と「衝陽」といった組み合わせがありました。あくまでもでも後遺症ですが...。各先生方の貴重なお話しをお寄せください!!

扁鵲 02/17 19:47

272:[ 「簡明不問診」の件 ]

「簡明不問診」の件、
ちょっと調べてみましたが「診家枢要」ではありません。
手元にある数十種類の本をみましたが、不明!

こばやし 02/14 22:54

271:[ 誰か心当たりのある方 ]

柳谷素霊の『簡明不問診察法』の中のP221の六部の脈状の出典
をご存じの方いらっしゃいますか。
鍼家枢要からですか?

佐藤隆哉 02/14 11:29

270:[ 丸山昌朗先生墓参 ]

2月11日、丸山昌朗先生墓参、ごくろうさまでした。
スナップ写真ありますのでこちらへアクセスしてみてください。
http://aeam.umin.ac.jp/daikei/20020211.htm

写真家 02/13 00:25

269:[ 入手2 ]

小野文恵先生にゆかりのある方に「医学三蔵弁解」を薦められたので、私自身、たいへん思い入れのある本でもあります。もし揃うのでありましたら是非よろしくお願いします!

扁鵲 02/12 23:27

268:[ 島田隆司素問講義onネット ]

島田隆司先生が、(当会とは別の機会にですが)行われた『素問』講座のテープを起こして、ホームページ上で公開しようという企画が持ち上がっています。
ただ、なにせ7年間にわたる講座ですから膨大なものです。テープ起こしも校正も思うにまかせません。そこで協力者を募って、当面は協力者間だけの内部公開として、校正を続けながら、「テープおこしの協力」と「質問に答える形での素問講義」の引き替え、というもくろみのようです。
詳しくは、事務局を担当される島田健二氏に問い合わせを。
kshimad@zj8.so-net.ne.jp

神麹斎 02/12 17:43

267:[ 医学三蔵弁解 ]

『医学三蔵弁解』は、昭和62年に盛文堂から影印出版されています。当時の所在地は東京都足立区椿2丁目2番12号。

神麹斎 02/11 21:15

266:[ 無題 ]

『三臓弁解』は昔、小野文恵先生の東方会の雑誌「鍼灸医学」で掲載されていました。(第9号から27.28号併合まで)
小生、18号から最後までの号は持ち合わせています。
9号から17号まで無いので、だれか持っていれば、そろいます。
コピーしましょうか?

こばやし 02/11 01:13

265:[ 入手 ]

岡本一包の『三臓弁解』はどうしたら手にはいりますか?

扁鵲 02/10 23:27

264:[ 一太郎12 ]

ユニコードに関しては「一太郎12」は前の11と比べて変わりなし。
ということで皆さん購入は考えなくても良いかもしれません。
漢文の世界を視野に入れて開発しているわけではないので、改良点は無し。
一太郎11から「縦書きの(割り注)」ができるようになったくらいです。
文字パレットのユニコード拡張領域表示が一番、気になっていたのですが変わらずでした。
文字パレットの漢字検索のところで一太郎11から部首を手書きで認識させる改良が10からありましたが、これは使いやすい。
そういうことで11で充分という結論です。
一応、報告まで。
MS-IME2000は単漢字をチェックするだけで入力の際、音読みでユニコードの表示がされる点は非常に良いです。これがATOKであれば最高なのですが。
MS-IMEは「おけつ」の「お」も何も考えずに「お」で変換候補に出てくる。(辞書のオプションで単漢字にチェックを入れていれば)
ただATOKは文字パレットで部首と画数でユニコードが出てきて、なおかつ「音読み1」「音読み2」「訓読み(あればの話)」が出てくるのはMS-IMEに無い便利さ。
いずれも一長一短。個人的には使い分けて作業しています。

こばやし 02/10 14:33

263:[ 墓参 ]

私たちにとって、丸山先生は、著作と墓参によって近づきになった人でしょう。だから、私にとって、丸山先生は北鎌倉の浄智寺にいらっしゃる。
島田先生は、私にとって、新宿の東鍼校と池袋の治療室と原宿の原塾によって近づきになり、晩年は合宿と忘年会と湯島聖堂が主なつきあいでした。だから、島田先生は、私にとって、居るとしたら湯島の講堂の隅に居る。高済寺の石の下には居ない。
だから、丸山先生の墓参には行きたい。島田先生に逢いには、お茶の水の湯島聖堂で開かれる夏季研究発表会に出かけたい。昨年、一昨年と、当然ではあるけれど、研究発表会は開けなかった。今年は是非とも何とかしたい。それが島田先生への何よりの供養だと信ずるから。
その上で、墓参に行くかどうか。それは、また別の問題です。

神麹斎 02/10 09:15

262:[ これでおしまい ]

揚げ足を取るようで申し訳ないが、九針十二原に「病気を治せないのは医者が悪いからだ」とあるんでしょうか。「どんな疾病にも治療の方法は有るものだ、それを出来ないと言うのは、まだその方法を手に入れてないだけなのだ」と書いてあるように思いますが。まあ、単純化すれば同じことです。
いま出来ないことを、将来出来るようにするには様々なアプローチ法が有ると思います。

あ、ひょっとして単純化という言葉が気に入らないでしょうか。抽象化と言い換えてもいい。私はそのつもりで使っています。

ある魔法入門書(割合まともなものです)の訓練の第一歩に、木にとまっている鳥を一目見て、映像として認識するというのが有ります。数えずに何羽いるかを知る。私は取りあえず数えます。少なくとも認識した映像の中で数えます。数えずに分かる人がいるのなら、羨ましいような気はしますが、信用もしてません。(私には2羽とか3羽が限界ですね。訓練すれば5羽とか6羽にはなるんでしょうか。10羽とか20羽と言われては、ちょっとね。)

私が言う治療の単純化とかシステム化とは、つまり数え方の問題です。やっぱりよりよい数え方は模索します。
(わたしのはなしもわかりにくわねえ)
もうこれ以上は不毛だと思うから、これでおしまい。

神麹斎 02/09 18:36

261:[ 無題 ]

どうやら誤解を生むような表現になってしまいましたが、失礼しました。
人身生命の成り立ちは、「難経」八難の記述も然りですが、そのさらなる背景には「霊枢」本神篇に詳しく見て取れます。
つまり、父母から受け継いだ精やら腎間の動気だけで成り立っているわけではないことを言いたかったのです。(もちろん後天の養いも含まれますが、それだけでしょうか?)
従って「これだけで十分だという気持ちをこめて臍下の治療を重視している。やはり単純なのはいいです。」という考えに私としては甘えがあるような意図を感じたまでです。
そうした、発想のもとでは十二経のすべてを調整したとしてもいい治療はできないと思ったのです。
ちなみに、法則は道理に包括されることを老子の『道徳経』にはっきりと明言しておりますが...。
同じく「霊枢」九鍼十二原篇の終わりには、病気を治せないのは医者が悪いからだ!とはっきり述べています。
ですから、凡人だから賢人だから聖人だからというのは、言い訳にならないと思われます。
また、複雑なものを苦心して単純化したところで本質的なものに到達できるといった考え方にも賛成はできません。
世界はありのままにただあるものですから...?
ただ「真・善・美」を求めてやまないことは私も皆さんも同じはずです。

持田 02/09 15:08

260:[ 単純化 ]

「十二経全部いじる」より、「根っこを安定させる」と言っているんであって、これに「その根っこの更なる根本が理解されなければ、十二経すべてをいじったとしても」と反応するのでは、読解力に疑問を感じます。

それに、
何も人間とか生命とか病気とかが単純だと言っているわけではないと思いますが。

法則を希求していますが、そして法則は単純な方がいいと思ってますが、法則には例外が充満していることくらいはわきまえています。
治療は当然、複雑怪奇です。ただ、そこに共通する「何か」を求めて単純化しなければ、「根本」に到達できるわけも無いと思っています。
世界を複雑なままに洞察することは不可能だと思います。少なくとも凡人には。

神麹斎 02/09 14:17

259:[ 回思 ]

『八難の「所謂生氣之原者.謂十二經之根本也.謂腎間動氣也」が好きで、十二経全部いじるより、根っこを安定させるのが治療の根本だと思い、(これからは解釈の問題なのですが)臍下の治療を重視している(これだけで十分だという気持ちをこめて)。やはり単純なのはいいです。』という見解について...
その根っこの更なる根本が理解されなければ、十二経すべてをいじったとしても、いっこうに根っこは安定しないと思っています。
単純なのは人間の思考回路(あるいは欲求?)に過ぎません。
生命のしくみがそんな単純なものであれば、少なくとも医学には何の面白みもありませんが...

持田 02/09 12:53

258:[ 邪気蔵府病形篇の意図 ]

また、言い換えれば、
邪気蔵府病形篇の、あの部分の著者は、知っている病症をただ羅列したつもりなのか、それともありとあらゆる病症を、五蔵と脈の急緩・大小・滑豼№ナ分類しようと試みたのか。
経脈篇の著者は、気盛有余と気虚で説明しようとして挫折したが、邪気蔵府病形篇の著者は気血の多少で説明できたつもりなのか、失敗したのか、そもそもそんな意図は無いのか。

神麹斎 02/08 11:28

257:[ 賢者の石を求めて ]

どうもいつも舌っ足らずで申し訳ない。
「気血の多少だけで、すべての病症をカバー」というより、「すべての病症に、気血の多少」という情報を付すことはできないか、それを手掛かりに病症の分類はできないか、その分類を手掛かりに未知の病症にアプローチできないか、……と云った方がいいのかな。

結局、世界を覆う理屈を追い求めているわけなんです。

むかし、中国文化ファンの女の子に、『易経』の価値は占いとしての価値とは限らないと言って、怪訝な顔をされました。その時は上手く説明できなかったけど、つまり、『易経』は世界の全てをを八卦で説明している。

ありとあらゆるものごとは、陰と陽とに分けられる。そしてまた陰は陰の陰と陰の陽とに分けられ、陽は陽の陰と陽の陽とに分けられる。そしてさらに陰の陰は陰の陰の陰と陰の陰の陽とに分けられる。かくして八卦となる。ありとあらゆるものごとは、八卦のいずれかに属する。ある一つの卦の両隣には似通った陰陽性格の卦が有り、向かいには対称的な陰陽性格の卦が有る。八卦を重ねて六十四卦となる。ある一つの卦の両隣には似通った陰陽性格の卦が有り、向かいには対称的な陰陽性格の卦が有る。ありとあらゆるものごとは、六十四卦のいずれかに属する。従って、ある特定の状況のことが分かれば、別の状況のことを、六十四卦の陰陽性格にもとづいて類推することが出来る。かくして世界はすみずみまで明晰なものとなる。(これは以前の投稿と同文)

というようなことを、医学の世界で実現できないものだろうか、『霊枢』邪気蔵府病形篇は、あるいはその手掛かりになるんじゃないか、その重要な座標軸の一つに、気血の多少が使えるんじゃなかろうか、と。
まあ、『易経』における説明自体が正しいという保証はどこにも有りませんが。

神麹斎 02/08 10:34

256:[ 無題 ]

気血の多少だけで、すべての病症をカバーできないと思います。というのは、当初は原穴だけで五蔵(+α)の病気に対処しようと考えたのだが(九針十二原篇)、それでは足りないらしく五輸穴をも使い始めたように、治療に関しては単純にはいかなないようである。それでも足りずに募穴だとか輸穴だとかまである。そうした意味で、限局すれば便利なようだが、実は応用性に欠けるのではないだろうか。やはり、多方面の観察を、細かにし、それを綜合して治療方針を決定するのが、面倒だけど、一番いいのではないでしょうか。
 とはいえ、かくいうかいちょうも、八難の「所謂生氣之原者.謂十二經之根本也.謂腎間動氣也」が好きで、十二経全部いじるより、根っこを安定させるのが治療の根本だと思い、(これからは解釈の問題なのですが)臍下の治療を重視している(これだけで十分だという気持ちをこめて)。やはり単純なのはいいです。神麹斎の気持ちは大いにわかります。(かいちょう)

かいちょう 02/08 09:32

255:[ 一太郎がまたバージョンアップ ]

一太郎がまたバージョンアップしましたね。
ちょっと間隔が短すぎるような。まあ、不満は有ったわけだから、それが解消されているなら。でも、そういうことってパンフレットには書いて無いんだよね。
我々の関心の一つ、ユニコードの拡張領域Aの漢字はまともに使えるようになったんだろうか、拡張領域Bはどうだろう。
お試しになった方、情報をよろしく。

神麹斎 02/08 08:12

254:[ フィクションということ ]

フィクションという言葉がやや刺激的にすぎたかも知れません。我々の仲間内では、虚構とかフィクションとかで、充分に通じ合っているとは思いますが。
つまり、答えを導き出すための方便、ブラックボックスの中身を探るための手段と考えています。「可以類推」という期待の下、よりましな論理の構築を目指すわけです。
虚の字を冠するのは、現代科学的な目から見れば変なところも有るだろうけど、臨床にそぐわないことも有るだろうけど、「そんなころは百も承知」という気分をこめています。
「だってこれが今のところ一番使いやすいんだもん」という精神です。
だから逆に、「変なところが有る」と言われても、そんなにはたじろがない。本当はかなりたじろくから、虚構と開き直って居る、とも言えるんですがね。いろいろ修正を加えて、より納得できるように、とか足掻いてもいますし。
治療の論理なんて、所詮は砂漠の地図を作成するようなものだと思ってます。なにか目印をでっち上げなければ書きようがない。

私自身は、左腎・右命門にしなければならないような臨床場面に出くわしていません。男女の六部定位の配当を入れ替えなければならないような臨床場面にも出くわしていません。だから、そうしなければ上手くいかない、あるいはそうすれば上手くいく、という先生に反対する気持ちは、毛頭有りません。つまりそれはその人の道具なんですから。
でも、あなたもそうしろとか、『素問』や『霊枢』に書いてあるからと言われたら、それは議論になりうる。

最初の話題にもどって、
腎について左右を言うのは修辞にすぎないというのが、現在の個人的な認識です。男女の六部定位の配当入れ替えは、わかりません。
六部定位の配当から肝脾肺腎の虚証を導き出すのには、左右の尺は実は必要ないんじゃないか、と思っています。これこそ不器用者の為の方便ですが。(六部定位脈診は、単純に六部のどこが弱いかじゃなくて、五行論的にどこが弱いと判断するかである、というようなことは、むかし経絡学会で一寸だけ言ったつもりですけど、ほとんどだれも注意しませんでしたね。)

神麹斎 02/06 16:47

253:[ 逍遥... ]

神麹斎先生、前回に引き続きご解答ありがとうございます。
実は古典研究会の書き込みも私であります。
正直申しまして、いまひとつ樋口先生のご解答も府に落ちないのであります。
賢明なる神麹斎先生のご解答におかれましても、フィクションに過ぎないと結論付けられるとそれまでなのでしょが...。
もし、フィクションであるならばシナリオを構成した本人の思いのままに物語りは書き換えたり、装飾したりして操作できるのではないでしょうか?
それでも、なお現に病は我々の目の前に立ちはだかっているのはまぎれもない事実なのでは...?

漢法医学が臨床的に有効であるかどうかについては、その検証方法を他の先生方はどうようにされているのでしょうか?
脈、腹、尺膚...?で、その変化が病を良い方向に導いていることを果たして正確な検証が可能かどうか疑問が残ります?

これはあくまで私自身の浅はかな見解ではありますが、東洋医学(正確に言えば、東洋哲学や思想に基づく医療類似行為?)は歴史上における文化的産物として捉えるべきなのかもしれません。文化的産物であれば当時の古代中国人が病という現象をどのように認識したか?について各人の知的好奇心の延長上のものとして追及されればなんら問題はないのかもしれませんが...。
それを、臨床的事実と結びつけるという行為そのものに、ひょっとしたら過ちがあるのかもしれません。

鍼灸が他の分野からすれば、オカルトチックなパフォーマンスとしてしか受け入れられないのが実情なのかもしれませんが...
私も諸先生方と同じ?ようにこうした現状からの脱出を心から願う次第であります。

持田 02/06 15:36

252:[ 古典研のホームページをどうぞ ]

右と左の問題、実は古典研のホームページにも書き込みが有って、樋口さんが回答しています。まあ、そちらを見てもらった方が……。
http://www.kotenken.com/ から掲示板へ

『難経』については、前漢までの治療「経験」の積み重ねを、まとめ上げて出来れば「一つの原理」で説明しつくしたい、という欲求に沿ったものだと思います。当然かなり「思弁的に」流れる傾向は有ります。それが時代の風潮とでも有ったわけです。世界を完全に説明しつくしたい!医学のみでなく、さまざまな分野において。
これは別に私だけの考えではなく、中国の新進気鋭の学者たちの共通の認識のようです。
他の世界では、思弁に過ぎないと、現代では否定され捨てられる傾向でしょうが、古代医学という「今もって有効な魔法」においては、生き続けているわけです。
つまりまた、『難経』の編者のまとめの出来が良すぎたわけで、新たなより出来のいいまとめが無い以上は、使い続けていくしかないかなと思っています、「経験」治療でない以上は。

神麹斎 02/06 09:47

251:[ 邪気蔵府病形という座標 ]

結局、何が言いたいかと言うと、
脈は緩でなければ急、大でなければ小、滑でなければ渋であるとして、全ての病症をこの3次元の世界に配置できるものか、です。
そしてその配置の基本に、気血を据えることはできるか。
で、とどのつまり全ての病症を分類する原理を、【気血と寒熱】で説明できないか。
また、そもそも邪気蔵府病形篇の病症は、病症の全てを説明しているのか。脈の状態から言えば、これで全てであるはず。気血の状態でも、多気少血、血気皆少、血気皆多、多血少気が有れば、それで全てである。実際には、邪気蔵府病形の記載には血気皆多が缺けている。ただ、『素問』脉要精微論に「滑は陰気有余なり」とあり、王冰は「陰有余なれば則ち気多、故に脈滑なり」と注し、新校正は「気多」は「血多」の誤りだろうと言う。これを拡大解釈すれば、滑を血気皆多とすることも無理ではないかも。
ところが、渋の多血少気に張介賓は反対して、血気皆少にすべきだと言う。さてどうしよう。
と言うことです。
現代日本の古典的針灸では、全ての病を五蔵の虚(厳密に言えば心虚は言わないし、実も有るし、六府も有るが)に分けている。これを粗雑だと言ってしまうと、世界の全てを覆う座標が乏しくなる。この邪気蔵府病形の病症列記を、もうひとつの、世界を区切る「フィクション」として採用できないか。脈診と触診と治療原則がセットになっていて、とても魅力的なんですが。

神麹斎 02/05 07:38

250:[ 『霊枢』邪気蔵府病形の「多血少気」 ]

『霊枢』邪気蔵府病形の「多血少気」について

 邪気蔵府病形篇の、当該部分を整理すると、次のようになる。
①急=多寒=深内而久留之.
②緩=多熱=淺内而疾發鍼.以去其熱.
③大=多氣少血=微寫其氣.無出其血.
④滑=陽氣盛.微有熱=疾發鍼而淺内之.以寫其陽氣.而去其熱.
⑤=多血少氣.微有寒=必中其脉.隨其逆順而久留之.必先按而循之.已發鍼.疾按其.無令其血出.以和其脉.
⑥小=血氣皆少=諸小者.陰陽形氣倶不足.勿取以鍼.而調以甘藥也.
 これをみると、脈状と、それが表す病症と、それに対する治療は見事にマッチしている。⑤は多血少氣.微有寒であるから、寒に対する治療と、少気に対する治療を優先して、写法である出血は禁忌とするのは当然である。表面上は、とりあえず寒と少気を優先させ、文章の裏には「有余があれば血を排除してもいいが」と書きたかったと思われる。図式的には、③の反対になるわけであるが。また、この多血少気は治療の目標であり、病症とは関係ないだろう。(かいちょう)


かいちょう 02/04 21:35

249:[ 右か左か、左か右か ]

『難經』三十六難に「其左者為腎,右者為命門」とあり、六十七難に「五蔵募皆在陰,而兪在陽者何謂也。然,陰病行陽,陽病行陰。故令募在陰,兪在陽」とあります。
なんてことは百も承知でしょうが、理屈としてはそれまでのことです。ようは虚構、フィクションの構築です。

で、その虚構が受け入れられてきたのは、つまり「臨床的に明らか」という支持があったからでしょう。

第一そもそもは、病を五蔵分類して、で、その主治穴を背中に求めたまでで、別に蔵だから陰だから陽の背中に求めた、なんてことではない。募穴は府の病にしかつかえない、なんてこともない。

虚構の組み立てをすすめて、左の心・肝・腎は相火の系統(制御の系統?)、右の肺・脾・命門は気化の系統(代謝の系統)とする論が有る。これを理論の発展に、大いに利用しているグループは有ります。
でもさて、腎は制御で命門は代謝であるか……、なんてことはどうでもいいのであって、実のところ、左を腎と為し、右を命門と為す、というのは、腎の機能には二つの相異なるものが有るよ、と言うのが主意であって、左がどうの右がどうのというのは修辞に過ぎないと思いますがね。左は腎、右は命門と規定して、それを理論の踏切台にするグループは、当然有っていいけれど。

六部定位の脈診にしたって、例えば左の関が最も強くて、したがって右手の寸関が相対的に弱いときに、手足の太陰を取るのは有効であるか、というのが問題だと思います。もし、有効であれば、それを説明するための陰陽論なんてものは、どうとでもこじつけられる。

左右の陰陽の理論につじつまが合っているかどうか、というのは、むかし苦労して完成させた人がいて、問題はそれを納得できるかどうかであって、気に入らなければ、自分で苦労して組み立てなおすよりしょうがない。で、むかしの人よりいい理屈かつくかどうか……、取りあえずは『難経』の精読から始めたほうがいいのでは。
もしくは、『難経』の理屈を否定するんだったら、いっそのこと「左者為腎,右者為命門」とか「募在陰,兪在陽」とかを否定するところまで、行っちゃったらどうでしょう。それでも、よって立つべき古典的な世界は残ると思います。
で、結局は臨床的に有効かどうか。


こういう質問に答えるのは、私の任では無いと思うけど、誰も何も言わないから、一寸だけ。

神麹斎 02/04 09:25

248:[ 辞書紹介 ]

辞書紹介
『新明解四字熟語辞典』三省堂 1998年
一般の漢文のみならず、漢方医学書でも、四字熟語はたくさんお目にかかります。たとえば、
今乃集前人已效之方、應今人無限之病、何異刻舟求劔、按圖索驥?(朱震亨『局方発揮』)。
総じて諸橋『大漢和辞典』の説明は、簡略すぎるきらいがあり、実際の文例とマッチしないことがあります。
こんなときには、この辞書がおすすめです。「異刻舟求劔」「按圖索驥」ふたつとも見つけることができます。
見出し語について、意味・注意・故事・出典・用例・類義語が丁寧に説明されています。約五六〇〇項目を収録しているそうです。
なお中国から出版されているものでは、『漢語成語考釈詞典』(商務印書館)に定評があるようです。用例が豊富です。

  普及版『解説 字体辞典』江守賢治 三省堂 1998年
読む辞典です。いかにわれわれの書く文字の形が、『康熙字典』と学校教育により、影響されたかがわかります。
文字は目で見て覚えるのですから当然のことかも知れませんが、われわれは書物やモニター画面で文字を認識し、無意識のうちにそれが正しい筆写体だと思い込み、そういう形で書くようになっています。なにしろ手で書かれた文字を目にする機会がめっきり少なくなりましたから。
筆者によれば、『康熙字典』が示している字は明朝体であり、明朝体は、楷書とは別であり、書くための書体ではない。また『康熙字典』は古文(古字)を示しているが、明朝体の古文なんてあるはずがない。「専門」の「専」は、伝統的な楷書の形であり、「專」は『康熙字典』によるもの。等等。
『康熙字典』の巻頭を飾っている序文に、『康熙字典』みずからが俗字と規定した文字が多く使われているのは何故かという問題にも言及しています。
写本で目にする字体と、自分の頭にインプットされている活字体とのギャップに悩まされている方々にお勧めします。
なお、「勅命」の「勅」は、戦前の活字まで実在する字例はないと43ページにありますが、宇津木益夫の『日本医譜』の初編4-3bなどにも存在します。何事も、実在しないとの証明は非常に困難です。また「蜍早vという形の楷書体も見当たらないそうです。楷書体は「来+力」。

余談ですが、『逆引き同類語辞典』や『当て字の辞典』など、ユニークな辞典・字典を発行している東京堂出版の神田錦町?のお店では、お向かいの三省堂本店にも置いていないたぐいの辞書が見つけられます。
池袋のジュンクドウもいいですよ。

荒川 02/03 01:10

247:[ 初級篇? ]

左腎水、右命門についてですが...
左は陽・右は陰の原則からすれば、右腎水・左命門が正しいのでは?

蔵を治するに陽であるはずの背部にこれを取り
府を治するに陰であるはずの腹部にこれを取るのは
臨床的に明らかであるが、この矛盾は何故か?

肝と肺もまた然り...

チベットでは脈診の臓腑配当の左右が入れ替わっているという...
また、橋本昌枝氏によれば、男女で六部定位の配当は入れ替わるという...

右と左、この奇妙な物語を明らかにして頂きたい

持田 02/02 14:46

246:[ 談話室のバックナンバー ]

宮川さんありがとうございました。左合さんからお返事を頂き、談話室の冒頭にある「バック」をクリックしたら過去の記事が見れました。早速睛明攅竹さんの「知・識を少々」とおむみょうじさんの「森立之『傷寒論こう注』の正しい読み方」を印刷しました。じっくり読ませて頂きます。
「季刊内経」の霊枢講義、私もいいなあと思いました。この先も楽しみにしています。

山本朝子 01/24 23:50

245:[ 豼㍽メ多血少気 ]

『霊枢』邪気蔵府病形に、「豼№ヘ、多血少気、微しく寒有り」と言いながら、「豼№hすものは、必ずその脈に中て、その逆順に随いて、久しくこれを留め、必ず先ず按じてこれに循じ、已に針を発すれば、疾くその逞盾ツじて、その血を出さしむこと無く、以てその脈を和せ」とある。
張介賓がすでに言うように、多血と無令其血は矛盾するようである。
しかし、同篇の記載では、脈豼№フ病には、血溢とか嘔血とか多く膿血を下すとか不月とか、やっぱり多血でいいんじゃないかと思えるものが有る。もっとも、多気少血の大にも、嘔衄とか大膿血が有るが……。

諸氏のご意見をうかがいたい。

神麹斎 01/24 18:56

244:[ 霊枢講義 ]

『季刊内経』で、宮川さんの霊枢講義が連載になりましたね。こういうのが読めるだけでも、内経医学会に入会しておく価値は有ると思うけど……

来年度の会費の納入は、一月末日までです。年会費納入即入会です。

神麹斎 01/18 13:29

243:[ 而無施於事 ]

むかし仇を持つ男がいた。だけど、相手は豪傑、自分はひ弱でどうにもならない。そこで、宝剣を持っている者に貸してくれるようにたのんだ。宝剣は三つ有って、一番は目にも見えず、振り回しても物に触れたことさえ分からない。次は淡々として有るが如く無きが如く、物に触れても物は傷まない。最後のは影は見えても光は見えず、光は見えても形は見えない。物に触れれば、手応えは有るけれど、過ぎるにしたがって合わさる。そこで三番目を貸りて、仇が酔っぱらって寝ている所をうかがい、三度斬りつけたけれど、切るにしたがってもとのようにふさがって、刃に血もつかない。どうにもならないのを悟って男が去った後、仇は目を醒まし、腹をたてて女房に言った。「酔って寝ているのにフトンもかけてくれないから、喉がひりひりするし、腰がひきつるじゃないか!」
『列子』に見える話です。

神麹斎 01/16 09:13

242:[ すっと刺してすっと抜く ]

この間の『洗冤集録』思い出したんですがね、むかし銅で経穴人形を作って、経脈を刻み孔穴を穿って、蜜蝋で塞いで水銀を充たし、受験者に探らせて刺針させて、ツボに中って水銀がこぼれ出せば合格、というような話を聞いた。感心しながらも腑に落ちないような気もした。
第一に、蝋で被ったって、見れば判るんじゃないかということ。
第二に、寸法は本当にそれほど正確だったのかということ。本当は大体このへんという所を探って、そこが銅板であるか、蝋で被っただけの孔であるかを、指先で判るかどうか、だったんじゃあるまいか。
第三に、名人上手が今様の細い針で、すっと刺してすっと抜いたら、あるいは水銀は漏れないんじゃなかろうか。
そこでまた思い出したんですが、針灸学校の学生時代、資格試験で、上手すぎてすっと刺してすっと抜いたら、試験官に刺せないでいると誤解されて、不合格になった人がいる、という伝説が有った。でもよく考えたら、刺して抜かれて何の感覚も無くても、それでも治療効果は有るのかどうか、ということは考察も議論もして無かった。
それに第一、この伝説の真相は、「やあ、上手いねえ、本当はもう患者にやっているんでしょ」「ええまあ」てなことで、無資格治療がばれて不合格、なんてことじゃ無かったかしら。

神麹斎 01/09 21:44

241:[ 丸山昌朗先生の墓参 ]


丸山昌朗先生の墓参について

場所:北鎌倉 浄智寺
日時:二月十一日(月)
集合:東京駅横須賀線、九時五十六分発の電車の先頭に乗って下さい。この電車は北鎌倉十時五十分に着きますので、この時間を現地集合時間としたいと思います。電車は、10~15分おきで出ていますので、遅れても次の電車に乗って下さい。墓参の後、会食をします。

かいちょう 01/09 08:28

240:[ 医心方入門篇 ]

去年、当会の会員某から「『医心方』の電子化を」という話が有った。
そりゃまあ、
仁和寺本『太素』の入力をやったから、自信とまでは言えなくとも、少しの慣れは有る。異体字の正体を突き止めるのは、推理小説で犯人を突き止めるより遙かに楽しい。高名な先達の校勘のあらを探すのも、頗る愉快である。
でもねえ、
全三十巻、一人で取りかかったら、おそらく十年計画。
だけど!
私一人で十年だったら、十人仲間がいれば、一年とはいかなくとも、二年なら可能じゃないか?!
そこで、
『医心方』入力の同志を募ります。もしここで、二三人の参加が有れば、他でも募れば……。
でも、
そんな物好き、うちの会員以外にいるかねえ……?

神麹斎 01/01 22:03

239:[ 年頭におもう ]

島田先生没後、年賀状を書く気が、すっかり減退している。結局、きた年賀状に返事を書くことにして、近い将来、年賀状を書かなくてもすむようになるのではないかと、思っている。普段メールをやりとりし、毎月のように会っているのに、めでたい気持ちを鼓舞しながら書く、その勢いが無くなってしまったのである。どうも、それが、たそがれているように見えるらしいが。丸山先生没後の島田先生は、これ以上ではなかったかと推測している。その辺は、金古さんが知っている思うので、金古さん、この掲示板を見たら書いて欲しい。今年は、日本医譜と、谷野一拍の難経俗解抄が課題である。特に、後者は、数年来の宿題で、ずっと、放置しておいたもので、小曽戸部長から、暗に、頑張りなさいといわれたので、ロケットスタートをかけています。何しろ、日本で、現存の、最初の難経注なのであるから、こりゃ、しかとしている場合ではないのだ。元日

かいちょう 01/01 15:04

238:[ 新年好 ]

新年好!
今年、譲我(人+門)互相勉励、向着各自的目標備勇前進。

(新年明けましておめでとうごうざいます)
(今年もお互いに励まし合いながら、それぞれの目標に向かってがんばりましょう)

 平成十四年 元旦
  小林健二

こばやし 01/01 12:00

237:[ おひさしぶりです ]


いつも当方に書き込みありがとう
久しぶりに覗いたら、結構盛況じゃないですか。
たまにみなさまの難しい話を覗かせていただくようにします。
書名にひかれて「毒薬は口に苦し」購入しました。
どんなもんでしょうか。
繁盛してない掲示板の管理人 素天堂より

Home Mail 素天堂 01/01 06:14

236:[ 鍼で人は生かせるか ]

鍼で人を殺せるか?というのは実はかなり危険な質問であって、つまり、鍼で人を生かせるか?と表裏を為していて、さらには、鍼で人の病は治せるか?まで行きかねない。
「当然に生きるものを、単に起たせただけである」あるいは「当然に治るものを、ちょいと手助けしただけである」なんてセリフは、神医、名人が言うから様になるのであって……


取りあえずは、デキルの旗を高く掲げてガンバルよりしょうがない。

よいお年を。

神麹斎 12/31 08:58

235:[ 鍼で人は殺せるか ]

鍼で人は殺せるんでしょうか。
ツボでないところを刺したら、死にますかね。
ブスッと刺して、五臓に中れば死す、というようなやつでしょうか。
やっぱり、禁鍼穴を使って死ねば、故意に殺したということになるんでしょうね。
その時の病状に相応しくないツボを使って死んだら、過失致死なんでしょうか。
その時の病状に相応しいツボを使っても死んだら、やっぱり、過失致死なんでしょうね。
その時の病状に相応しいツボを使わないで死んだら、過失致死なんでしょうか。
この時に、このツボを、こう使えば、こうなるはず、というのを誰が判定したんでしょうね。
冤罪も、けっこう、有ったんじゃないですか。
『洗冤集録』の冤って、誰の冤という意味なんでしょう。

五寸釘を脳天から打ち込んで夫を殺した女房の話が、別の「洗冤」ものに有ったような気が……。そりゃまあ、死ぬわね。

神麹斎 12/29 09:36

234:[ 洗冤集録 ]

 南宋1247年に著された『洗冤集録』を翻訳した『中国人の死体観察学 「洗冤集録」の世界』(雄山閣 1999)には「針灸死」として以下の記載がある。
「針灸のあとで人が死んだ場合、医者を逮捕拘留し、針灸を施した箇所がツボであるかどうかを検屍し、故意でなくとも死に至れば、針灸によって殺したとして、医者を過失致死罪に処する」

松田博公 12/29 08:32

233:[ 第七の一巻 ]

いま段先生の『素問全元起本研究与輯復」を読んでいる。
で、久しぶりに全元起本のことを考えたんだけど、いろいろ不思議なことが有りますね。その一つが「第七の一巻」。
もともと『素問』は九巻で、全元起が訓解したころ、つまり南北朝の梁のころには、第七の一巻を失って八巻しか無かった、というのが一般の認識。皇甫謐の『甲乙経』序にも「また忘失する所有り」と言うから、そのころ既に第七巻は無かったんだと考えも有る。
ところで、『素問』の成立は東漢以前という説が一般で、だけど、南北朝のころに加わった部分も有るという考え方をする人もいる。すでに全八巻に成ってしまったところに加えるとしたら、修復して全九巻に戻そうとはしないかね。
『甲乙経』は、『素問』と『霊枢』と『明堂』を総合したもの。『素問』の九分の一を失っていても、出来上がったものに重大な空白が無いというのも不思議だよね、『霊枢』で補えると言っても。『太素』には欠けた部分が多いから、そこに第七の一巻に相当するものが絶対に無かったとは言い切れないけど、やっぱり普通に考えれば、『素問』の九分の一を失っていても、出来上がったものに、これも重大な空白が無いということだよね。
本当に『素問』はもともと九巻だったんだろうか、本当はもともと八巻だったんじゃないか。だから対を為す、後の『霊枢』を巻数から『九巻』と呼べたんじゃないか。どちらも九巻だったら、一方だけを『九巻』と呼ぶのはまずいんじゃないか。
でもね、いわゆる全元起本の第八巻は、雷公が黄帝に問うグループ、第九巻は最後に加わったグループというのが、我々の普通の認識なんだけど、第七がもともと無かったら、加えたものを第八、第九とは言わないわねぇ。

神麹斎 12/24 09:26

232:[ サンキュウ! ]

非常に感謝!
こちらも『十四経発揮』再度入力中(wordでユニコード)。
黄龍祥の「鍼灸名著集成」を参考に、『金蘭循経』原文、元の注釈、滑寿の注の3つを色分けして作っています。
早いうちに公開したいです。

こばやし 12/16 00:42

231:[ 医統本『甲乙経』 ]

靈蘭之室に、医統本『甲乙経』をアップロードしました。
少し早いけれど、お歳暮 兼 クリスマスプレゼント 兼 お年玉です。
今回はhtmlとlzhの2本立てにしましたが、lzhをダウンロードして解凍するほうをお勧めします。
エンコードがUTF-8ですから、環境の整備が必要かもしれません。談話室の207にお勧め、というか、私の現在の環境を紹介しておきました。と言っても、こうでなけれダメという意味ではありません。
合成文字{字素の組み合わせ}を使ったのは、11字、うち8字がユニコードCJK統合漢字の拡張領域Bには有ります。5桁の数字はそのコードナンバーです。
「医統本」ということで、その衍誤脱倒と異体字を引きずっています。かえって、実用には不便かも知れません。だから「試行」です。

神麹斎 12/12 22:33

230:[ 女性天皇 ]

今度お生まれになったのが、また内親王だったので、またまた女性天皇の是非をめぐって騒がしい。
外国には女性君主の例も有るとか、日本にも過去に例が有るとかいうのは無責任である。
外国の女性君主の夫君は、概ね外国の王室の出身であり、少なくとも貴族の出身であろう。日本には貴族制度は無いし、天皇が外国人と結婚した例も無い。日本の過去の女性天皇が、そもそも即位後に結婚していたという例は無い。女性天皇は、未婚か、天皇の未亡人であった。
女性の天皇がのぞましいとか、必要とか、それを議論するのならば、「外国とは事情は違うけれど」、「過去には例は無いけれど」から始める必要が有る。

我々の世界にも似たようなことは有る。
「古い書物に書いてある」、「近代医学も同じようなことを認めている」
本当にそう書いてあるのか?本当にそれを認めているのか?

神麹斎 12/12 15:40

229:[ メールください ]

公式のページを私用に使ってはいけないのでしょうが、小生あてメールをください。何人かの人に送ったのですが、届かないようです(うまくいっていないようです)。新アドレス:quoea@hotmail.com です。よろしくお願いします。

Mail かいちょう 12/06 23:45

228:[ 「素問」全元起本研究与輯復 ]

上海の段逸山先生の『素問全元起本研究与輯復』が、一般書店を通すより一足早く手に入りました。
私が原塾のごく初期に試作した巻目に、やたら言及されているのは、冷や汗ものですし、藤木俊郎先生や島田隆司先生の論考(主として全元起本各巻の内容、性格に関する論考)に、全く触れていないのには、いささか飽き足らない思いがします。
つまり、何かの偶然で入手した資料以外、中国の偉い先生には、我々がやっていることの情報は伝わってない、と言うことですね。私自身としては、全元起本の巻目の作者としてよりは、『太素』仁和寺本の電子化、つまり異体字の判読に四苦八苦した人として知られた方が、少しはましなんですがね。

神麹斎 12/05 07:43

227:[ メールアドレスが替わりました ]

うかつにも、小生がウイルスに感染してしまいました。1週間ほど前に来たメールがあやしかったのですが(開かなかった)、今まで何事もなかったので、何でもなかったものと思っていたら、今朝になってウイルスが勝手にメールを出してしまい、何人かの人に指摘されました。プロバイダによっては、水際でチェックしているようですが。というわけで、子供たちのパソコンにお世話になることになり、アドレスを quoea@hotmail.com 変更させていただきます。よろしくお願いします。(宮川浩也)

Mail かいちょう 12/04 23:16

226:[ 最近のウイルスの話し ]

受け売りですが、紹介します。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
● BadTrans.B ワームにご注意下さい

 2001年11月24日頃から、「BadTrans.B ワーム」と呼ばれるウィルスが被害を広げております。

まず、ウィルスの可能性があるメールを受け取ったら開かず、冷静に対処して
ください。ここからの説明をよく読んで対策をとっていきましょう。

先月末くらいから、ML宛てや個人宛てに件名が「Re:」やRe:[mlname:00XX]」と
なっているウィルスメールが多数送信されているようです。
これは新しく流行しているウィルス「BADTRANS.B」というものです。

Windows版の「Outlook」や「OutlookExpress」では、ウィルスメールを開封し
たり見るだけで感染することもあります。また、メールボックスにあるメール
をランダムに選び、メールの送信元アドレスにウィルスを送ったりします。
感染した人のフォルダにMLからのメッセージが保存されている場合、ウィルス
が送信者のアドレスを拾ってしまうこともあります。
このような場合、かつて投稿されたメールに[返信]の形で「Re:[mlname:00XX]」
のような件名のメールが送られている可能性があります。もしそんなメールを
受け取ったら、メールのシークエンス番号をたしかめてみてください。
おそらく以前あなたが投稿したメールへの返信になっていると思います。

メールに添付されるファイル名称はランダムに選択されますが、必ず拡張子が
二重にあるファイルとなります。 ファイル名は「HUMOR」や「S3MSONG」など
ランダムで選ばれ、最初の拡張子が「.MP3」や「.DOC」となっており、最後の
拡張子は「.pif」か「.scr」となります。また、件名欄には「Re:」と表示され
ていることが多いです。
上記のような添付ファイルのあるメール、また件名が「Re:」となっている
メールには要注意ですので、開かないようにしてください。
「だいじょうぶかな?」と気になったら、まず下記のサイトでの駆除やチェッ
クを行ってください。もしも感染していたら、駆除が終わるまではメールを送
るのは控えてきちんと対応してください。これもネット上でのマナーです。

●対策Web(トレンドマイクロ)
BADTRANS.Bウイルス情報
http://www.trendmicro.co.jp/virusinfo/default3.asp?VName=WORM_BADTRANS.B
自動駆除ツール
http://www.trendmicro.co.jp/esolution/solutionDetail.asp?solutionID=3368

○Outlook/OutlookExpressの設定変更(ウィルスにやられない対策)
http://weekly.freeml.com/knowhow/oshiete.html

○FreeMLからウィルスへの注意を呼びかけています
http://www.freeml.com/help/info.html
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

こばやし 12/04 22:51

225:[ パソコンのお加減いかが ]

ここのところ、UMINウィルスチェックサーバから、
「あなた宛てのメールに含まれていたウィルスを駆除し、本メールをあなたに送信しました」
という連絡がやたらと入ります。
勿論、駆除されて届くのですから、ウィルススキャンをかけても、私のパソコンにウィルスが侵入した形跡は有りませんが、皆さんのパソコンのお加減はいかがですか。

神麹斎 12/04 12:42

224:[ ]

ずいぶん前のレスです。
枕に引き出しがあるものが、現存するそうです。
旅行用で、もぐさやばね式の火打石がセットされているもので、
護身用に錐のようなものが、すぐに抜ける形で、横についている
とのことす。

では

ふの字 11/27 16:15

223:[ 拡張領域Aはどこでも大丈夫!? ]

WindowsXPの環境で、一太郎でもwordでもあるいはakira(エディタ)でも、方正黒体でも方正宋一でもDynaFontTypeStudioに含まれるUnicodeFont3書体でも、{莠サ亦}は表示されるはずです。
本当は、この談話室でも可能なんじゃないかと思ってます。ここをフォント指定にできれば。
WindowsXPの環境で、word2002なら、{白分}、{骨曷}なども表示可能です。ただし、SimsunFounderExtendedというフォントが必要です。

神麹斎 11/25 22:26

222:[ 無題 ]

『霊枢』に出てくるユニコードVer2.0に無く困っていた漢字で「解エキ」(カイエキ)のエキ(=〔莠サ亦〕)があります。
文字鏡では(Mojikyo M101 漁)ですが、拡張領域Aにあるということでテストしてみました。

WindowsXP環境+(方正黒体フォント)+ワード2002で確かに表示されました。
(方正栄一)ではだめでした。
これはスゴイ!
Windows 2000で誰か確かめてみてくださいませんか。

こばやし 11/25 22:01

221:[ 解繿言 ]

解繿鰍ヘ、今のままではダメなようです。
ただし、これをコピーして拡張領域AがOKなアプリケーションに貼り付ければ、ちゃんと見えます。勿論、フォントが環境に用意されていればのはなしですが。Wordでも一太郎でもOK。
ということは、この談話室でもOKにする方法は有るはずですが、わかりません。
ただ一つ、『漢字文献情報処理研究』第2号に、次のような記事があります。
「……IE6をUnicode3.1に対応させるには、Windows2000 Surrogate Updateのページで公開されているsurreg.exeをダウンロード、実行するだけでなく、そのページの下に書いてあるレジストリの変更も併せて行わなければならない。ただし、レジストリはシステムの根幹に関わるデータであるため、その変更作業においては、最悪の場合、Windowsの再インストールを余儀なくされる場合もある。デリケートな作業であることを念頭に置きつつ、慎重に行ってほしい。」
Unicode3.1に対応ということは、拡張領域AはおろかBも表示可能なので、表示可能な漢字数は約7万に跳ね上がる。下のこばやしさんの言う、「3.0にも無いもの」も3.1になら大半が有ります。(まだいくつかは見つけられない。)ただ、私自身は臆病で、まだ踏ん切りがつかないでいます。

神麹斎 11/24 21:48

220:[ ユニコード表示テスト1 ]

ユニコード表示をOSでチェックしてみると、
windows 98/MEとXPでは格段の違いがある。
(電脳版中国医学資料室)の『霊枢』を見ると、
・98/MEでは黒ポチが多数見られる。
・XPではそれがユニコード文字としてチャント表示される。

例:(靈樞)の冒頭にある文
++++++++++++++++++++++
Unicode Version 3.0に於いて擴張された文字:
〔莠サ亦〕344a,〔莠サ聶〕34a4,〔口父〕356e,〔并心〕3923,〔去欠〕3c26,
〔逍註・l3f77,逋髞€3fc8,〔逍昼M〕3fc9,〔目荒-濶ケ〕402e,〔目旋〕4062,
〔月引〕43d6,〔月少〕43da,〔月蝗キ〕4403,〔月直〕4408,〔月眞〕441c,
〔濶ケ陵〕4516,〔出頁〕4abc,〔蝗泄ナ〕4abf,〔食勹吉〕4b47,〔骨舌〕4bcf
Unicode Version 3.0にも無いもの:
〔穀-禾+水〕,〔逍喋l〕,〔白分〕,〔濶ケ舌瓜〕,〔濶ケ婁瓜〕,
〔濶ケ翹〕,〔血戔〕,〔骨曷〕, 〔月尓〕=閭浴C〔鼓空〕

首-01a 昔鮟ヲ骰・璢S十八卷
++++++++++++++++++++++++++++++

引用冒頭の(カイエキ)のエキが拡張Aに組み込まれているが
テストの意味でこの談話室のページに貼り付けてください。

こばやし 11/24 19:25

219:[ 拡張領域Aの検索 ]

ユニコードの拡張領域Aの漢字を検索して利用するには、今昔文字鏡を利用しなければ、一覧表からコピー、貼り付けしかないかと思ってましたが、ATOK14の文字パレットは対応してましたね。文字パレットの「漢字検索」を利用すれば、拡張領域Aの漢字も出てきます。
ただし、異体字関係の情報は有りません。だから、文字鏡の検索ソフトの方が有用なのは変わりません。
勿論、フォントの用意は必要です。WindowsXPをインストールすれば、拡張領域Aのあるフォントが自動的に入るんですかね。私自身は、別に入手したフォントがインストールされている環境に、アップグレードでインストールしましたので、よくわかりません。

神麹斎 11/24 09:04

218:[ 枕の引き出し ]

『守貞謾稿』の七夕のところに、
「作り物、昔は家々自造して興とす。今は、……また枕の引き出しより灸の出たる形など売る。」
と有ります。昔の枕に引き出しが有るのは、聞いたことがあるような気がしますが、「灸の出たる形」ってどんなものなんでしょうね。艾のケースでは飾り物にはならないような……。どなたかご存じありませんか。

神麹斎 11/22 15:04

217:[ 外字とユニコードのチェック方法(ATOK)メモ ]

■外字とユニコードを指摘する設定(ATOK12/13/14)

〔外字とユニコードを入力時に判別する方法〕

▼ATOK12/13
①ATOK12のプロパティを出す(CTRL+F12)
②「入力・変換1」の校正支援のチェックボタンにチェックを入れる
 「校正支援」の「設定」ボタンを押す
③「機種依存文字の指摘」で「外字」を選択すると外字を指摘する
※「機種依存文字の指摘」で「シフトJIS以外」を選択すると
  ユニコードを指摘することができる

▼ATOK14
①ATOK14のプロパティを出す(CTRL+F12)
②「入力・変換」のタブを開く
 「設定項目」→「校正支援」→「用語・用例」の部分を選択
③「機種依存文字の指摘」で「外字」を選択すると外字を指摘する
 「校正支援を有効にする」にチェックを入れる
 「ユーザー作成外字を指摘する」

こばやし 11/22 09:28

216:[ 外字再三 ]

やっと(xp)で外字処理できました。
大文字の(SOMON3.TTE)が原因でした。
小文字の(somon3.tte)でOKでした。

秀丸エディタでユニコード入力できるのは感激です。

附)方正宋一で今度チェックしてみます。
  拡張領域Aの漢字もチェック。

こばやし 11/21 18:05

215:[ 秀丸エディタが完全にユニコード対応? ]

秀丸エディタ新しいバージョンが完全にユニコード対応したということですが、MS明朝にはそもそも拡張領域Aの漢字が無いと思いますが?
そうかと言って、秀丸エディタで例えば方正宋一を指定すると、やはり文字化けするようですが?

神麹斎 11/21 17:30

214:[ 秀丸エディタ新しいバージョン ]

秀丸エディタ新しいバージョンは完全にユニコード対応しています。
以下の文は秀丸です。
+++++++++
中閼鬆€
閻黴€理
肩鬮闌€
黄闃ゥ
川闃雕€
孫思驍陟€
史崧

+++++++++
中国語もOK!!
+++++++++菴黴€好
我是
他莉ャ

設定は以下のようにすること。
/////////////
そのた(O)
ファイルタイプ別の設定
表示
フォント
MS明朝

その他(O)
ユニコードを使用可能にする
すべての文字コード ここにチェックを入れる

/////////////////////

ここにあります。http://hidemaru.xaxon.co.jp/software/hidemaru.html

秀丸エディタ バージョン3.10

こばやし 11/21 13:26

213:[ 外字再々 ]

今は(外字)と(atok)と(一太郎)の世界がだんだん狭くなっている。
小生、試験的に(xp)と(msime)と(ワード)、(ユニコード)で自分の環境を構築しています。
(一太郎)を入れると環境が少し変化するかもしれませんので、少し入れないでみています。
(somon.tte)ms明朝にリンクさせてもだめでした??
不思議だ。
またテストします。

こばやし 11/21 09:02

212:[ 動動悩筋 ]

 いつもお世話になっております、ひらねです。
筋と肌に対しては個人的に関心を持っていまして、例えば以下のような考え方は宜しくないでしょうか?
 『素問』と『霊枢』の中で
筋 脉 血 肌 肉 皮 毛 骨 髓 等の字を検索し、またその熟語を引いてみと、
『素問』
筋138 筋骨20 筋脉8
脉647 血脉8 血314
肌48 肉147 肌肉30
皮103 毛77 皮毛24
骨194 髓43 骨髓17
『霊枢』
筋156 筋骨12 筋脉8
脉506 血脉33 血380
肌44 肉221 肌肉30
皮156 毛64 皮毛5
骨217 髓21 骨髓4
(数字は夫々用いられている回数を示します、また「筋肉」等用例のない者に関しては無視しました)となり、「筋」は「骨」とともに用いられる事が多く、同様に「肌」は「肉」と、「皮」は「毛」、なんと(個人的な驚きですが)!「骨」は「髓」よりも(4個所)「骨」と詞句をなす事の方が多いようです。
 五行的な関連を考慮に入れればまた違った見解があるのでしょうが。この事だけで考えると、「筋」は「骨」と関係が深く。同様な事は「肌」と「肉」にも言えるのではないかなあと、勝手に思い込んでいます。
 それで、『陰陽応象大論』で疾病の転変を体表→体裏にとくような表現があることを思うと、肌→筋→骨の順で深部になっていくのかなあと思いました。
 また、「經筋」「筋脉」という句があるのに「肌」には連なりをなすような字がくっつかない事も「筋」と「肌」の形状の違いかと考えています。「青筋」なんかも連なっていますし。だから所謂横文字の「a nerve」に対して『全体新論』で「筋」の字を用いていて、現代漢語の「腦筋」にまで影響してるのかなあとこれまた勝手に想像してしまいました。そうでなければ日本で体育会系の人に対しての悪口「脳味噌筋肉」が影響している事でしょう(冗談です)。今更ながらまとめとして「筋」の形態は「肌」よりも深いところにあり多分「骨」にくっ付いていて長い物なのではないかと思います。
長くなってしまって御免なさい。

ひらね 11/21 08:45

211:[ 外字再び ]

念のために、こばやしさんのSOMON3をMS明朝にリンクさせた場合も問題ありません。むしろATOKの文字パレットの確定クイックがきくようです。

神麹斎 11/21 08:42

210:[ 外字?あれ?そうですか?! ]

今はほとんど外字は使わない方針にしてますが、こばやしさんの投稿を承けて実験してみました。
アクセサリーの外字エディタからフォントのリンクで、昔作ったkhaos.tteという外字フォントをMS明朝に取りあえずリンクさせました。
XPのメモ帳へ、ATOK14文字パレットからコピー、貼り付けでちゃんと表示されます。確定をクリックしたのではダメでした。
ただし、私個人は、当分の間、ユニコードの拡張領域Aまででテキストを作成し、無いものは{字素の組み合わせ}、さらに拡張領域Bに有るものの初出時にコードナンバーを添える、という方針でいくつもりです。
外字の作成、結構好きだったんですがね。

神麹斎 11/21 08:02

209:[ 外字 ]

昨日、やっとxpにアップグレードセットアップした。
windows xpでは、今までの外字が使えない。
xpは外字が今までの1880文字ではなく、6400文字使えるように仕様を変えてある。
どう設定してもうまくいかない。
もう少し格闘しないとわからないな・・・

それと初めから中国フォントの明朝、ゴシックがインストールされる。これは良い。(文句は言わない)
中国語も簡単に入力できる(これも文句は言わない)

(オフィスxp)は自分のパソコンであっても、1度しかセットアップさせない(特別、デスクトップとノートを持っているひとにはどちらにも一回セットさせるてくれる、とある)
((不満・・・))

またいろいろわかり次第報告。

こばやし 11/20 23:34

208:[ 拡張領域B ]

書き忘れました。拡張領域Bの使えるエディターはまだ無いそうです。検索ソフトや入力ソフトも。
今のところWord2002に一覧表から入力するくらいしか……。
今昔文字鏡の検索ソフトが対応するとすごく嬉しいんだけど、そうすると文字鏡フォント自体がいらなくなってしまう恐れも……。まあ、難しいでしょうね。

神麹斎 11/20 19:03

207:[ 最近のテキストデータでどれだけの漢字が使えるか? ]

UnicodeのCJK統合漢字としてひとまず20902字、その拡張領域Aとしてさらに6582字、拡張領域Bとしてさらに42711字!!
ただし、拡張領域Bの漢字は、今のところ一覧表から入力する以外に方法が無さそうで、とても実用とは言えない。
そこで、実用的な約2万7千字を使用するための、お勧めの環境を紹介しておきます。
OSは、WindowsXP
エディターは、akira21(ホームページ左脇の下方のLINKSをクリックしてみてください、シェアウエアで4000円だったと思います)
文字検索ソフトとして、今昔文字鏡(これは無くてもいいだろうけど、有れば便利です)
フォントは、DynaFont Type Studio (正価で6800円)に含まれるUnicode Font 3書体
上記の環境でエンコードをUTF-8にすれば、古典の入力にも、支障をきたすことはほとんど有りません。さらに、例えば仁和寺本に使用されている異体字の再現も、かなりなレベルで可能です。

神麹斎 11/20 18:48

206:[ お勧めフォント ]

ダイナコムウェア社からこの秋に発売された
DynaFontTypeStudio
に附録されているユニコードフォント3書体には、拡張領域Aの漢字が含まれています。つまり2万7000字ほどの漢字が使用可能です。見栄えもそこそこ以上。
定価は6800円、本来の内容の日本語フォント50書体を全部捨てても、ユニコードフォント1書体あたり2000円と考えれば充分にわりにあう。
残念ながら1書体づつのダウンロード購入は出来ないみたいです。

神麹斎 11/20 11:59

205:[ ]

肌という字は、身体を動かす能力を意識してないようですね。ただそこにある物体のようです。内経でもほとんどは肌肉あるいは肌膚と熟して出てくる。
それにしても、現代中国語では、日本語の例えば胸鎖乳突筋を胸鎖乳突肌と書くんですよね。どうしてかね。中国人って、我々が考えているより、ずっと物質的ということかしら。

神麹斎 11/20 10:52

204:[ 肌について ]

 肌について、ちょっと反応が遅いのですが、一言。江部洋一郎の『経方医学1』(東洋学術出版社)に、皮と肌の解説があります。参考にしてみてください。個人的な見解をいわせてもらえば、動物の皮を剥いだ時、皮側と筋肉側に分かれます。皮側は皮と肌、筋肉側は筋肉と脂肪と骨。これでどうでしょうか。あるいは、体を触ってみても、表面のつまめる層と、その下の層に分かれます。そうすると、つまめる層にあるのは皮と肌と皮下脂肪になります。どちらがいいのか、わかりません。『経方医学1』では、肌にもそう理(汗孔、毛孔)があると定義されていますから、皮下脂肪は肌に含まれないと思います。
 筋と腱は、『説文解字』によれば、よく似ている字なので、もともと別の意味だったとしても、書き写す過程でこんがらがっているはずです。だから、厳密には分けられないでしょう。筋会は、筋肉とでも腱とでも解釈できそうです。
 九鍼十二原篇の解釈には、この構造についての正しい認識が必要なので、じっくり検討しているところです。

かいちょう 11/19 21:24

203:[ dog と書いてイヌとよむ? ]

日本語と書くのに漢字を用い、例えばイヌを犬と書くのは単なる偶然であって、いにしえイヌという動物がいるところへ、犬という漢字が入ってきたから、これをイヌと訓んだだけ、というところまでは良い。
でも、漢字が入る前に英語が入っていたら、dogと書いてイヌと訓んだだろうというのは、おかしい。
犬は記号であり、絵であるから、これをイヌと訓むことも有り得たのである。
もし、dogとしか書けなかったら、日本語のイヌは廃れて、いまごろはドックと呼んでいた、という推量のほうが近かろう。
漢字の玄人衆をもって任じている御仁が、表意と表音の文字の性質に無頓着ではこまる。

神麹斎 11/19 15:53

202:[ やっぱり WindowsXP 入れよう ]

ご意見ありがとうございます。
来週早々にWindowsXP 入れることにします。
今までの環境をなしにして再構築は度胸と根性と勇気が必要だ。
誰かに背中を押してもらうと、勇気がわいてくる。

多言語環境の世界を体験してみます。
結果報告します。

こばやし 11/17 22:43

201:[ WindowsXPにおけるUnicode対応でないプログラムの言語 ]

地域と言語のオプションから、
「Unicode対応でないプログラムの言語」というシステム設定によって、
「Unicode対応でないプログラムが母語でメニューとダイアログを表示できるようになります。unicodeプログラムには影響を及ぼしません」
ということのようです。
つまり、使うunicode対応でないプログラムの言語バージョンに一致する言語として、簡体字中国語を選択すれば、漢語大詞典CD-ROMは正常に動くし、一太郎や日本語版Wordはその環境下でも正常に動くということだろうと思います。
試してませんが。

神麹斎 11/17 21:53

200:[ 95/98からならやっぱりお勧め ]

Windows2000とXPだと、本当のところどこが変わったのかよくわかりません。ただ(中国語の)玄人衆の感想では、やっぱ微妙に違うということです。特にUNICODE3.1に対応、の度合いに結構な差が有るらしい。つまり拡張領域Bが利用可能になっています。もっとも、これはWindows2000とOfficeXPでも一応可能で、でもちょっと好いということ。
98とXPだと、やっぱり相当差が有るでしょう、多国語対応に関して。ただ、中国語版との差も微妙に有りそうで……、切替に再起動はやっぱり必要じゃないかと……。
それと、全然別の方面ですが、やっぱり動作は一般に速くなったような気がする。

神麹斎 11/17 21:21

199:[ xp如何 ]

神麹斎 さんは、もうWindowsxpにしましたか。
ニュウOSはどうですか?
小生思案中です。待つべきか、待たざるべきか。
Windows2000と同じですと、マルチ言語で設定一つで簡体字、繁体字中国Windowsに切り替えられるはずですが、いかがでしょうか?

こばやし 11/17 17:36

198:[ 画面の見栄え ]

WindowsをXPにしました。期待していたMingLiUの拡張領域Aが詰まっている、何てことはありませんでしたが、思わぬ現象が……
方正宋一の画面表示が、何だかぼやけて見える。ままよとばかりにフォントの表示を太字に指定してみたら、これが綺麗なんですねぇ。いままで一番綺麗だと思っていたMingLiUと比べても、ほとんど遜色無いような。
前にも紹介しましたが、方正宋一は格調領域Aの表示できる、数少ないフォントです。いや、快適です。
勿論、これは各々の環境で微妙に見栄えが違うかも知れないけれど、私のは1024×768の解像度、エディターはakiraでの感想です。

神麹斎 11/17 09:01

197:[ ややこしい ]

例えば筋会の陽陵泉なども今まで筋肉に問題がありそうな
疾患に何となく使っていたのですが、腱鞘炎や捻挫などにも
有効である可能性も大いにあるかもしれないのでしょうかね。
何はともあれどうもありがとうございました。

Mail 後藤 武吉 11/15 23:56

196:[ 肌と筋 ]

初歩的にごく単純に割り切った言い方をすれば、肌は(人の)肉で、筋は腱あるいは靱帯です。ただ、なにせ古代の中国人のことです。そう厳密には分けられないと思います。肌は皮膚から肉にかけて、もともとは皮膚に重心が在ったかも知れないが、後にはむしろ(中国では)肉を指すようになった。筋のほうは腱・靱帯から、当然ながらそれに続く肉までを指していたのが、次第にスジのほうが意識されるようになった、といったところでしょうか。いずれにせよ、筋と言った場合は、そこにただある物体ではなく、その持っている、身体を動かす能力を強く意識しているようです。肌のほうに(少なくとも現代語で)そういう意味がないわけじゃないから、余計にややこしいけど。

神麹斎 11/15 08:32

195:[ 筋という文字について ]

初めまして、何時も神麹斎さんを初め皆さん書き込みで
勉強させていただいています。
今回自分は中国に行く機会があり中医学付属病院で
二日間、鍼灸・推拿・骨傷科の見学をしてきたのですが
推拿科の見学をしていて質問するとき向うでは筋肉のことを
「肌」という漢字を使っている事を知りました。
そこで疑問に思ったのが古典にある「肌」という文字も
筋肉を表しているのでしょうか?
だとすると「筋」という文字は何を表しているのでしょうか?
もしかするととんでもない初歩的な質問なのかもしれませんが
何方か教えて頂けないでしょうか。
よろしくお願いいたします

Mail 後藤 武吉 11/14 22:59

194:[ 中国の脉診 ]

初めて天津に行った帰り、北京のワンフーチンでの自由時間に一人で漢方薬店に入って診察している所をを見学しました。脉は片手で診ていました。片方の手を診て次にもう片方を診たか、片方だけだったか忘れましたが、今でも中国では片方で診ています。

山本朝子 11/09 19:46

193:[ 脈は片手で診る…… ]

直感だけで、全然考証してないという、極めてだらしない話ではあるけれど、
中国の脈診の歴史には、内経の人迎寸口診はまあ例外として、比較脈診はほとんど無かったんじゃないか。
だから、左右寸関尺に五行の性格を配置して、相生相剋の関係から五蔵の虚実を導き出す脈診なんて、蔵象説と五行説さえあれば、誰かが言い出しそうなものなのに、結局は昭和の日本人が言い出すまで存在しなかったのではないか。あれは日本人の偉大な発明、しかも伝統に則った、だけど中国人にとっては虚をつかれるようなものだと思う。(左右の寸関尺に何かを配当したとしても、その脈処に何らかの脈状が現れたらと言うのであって、他処と比較してどうのこうのではない。だから、三部九候診なんて複雑な「比較」は事実上不可能であって、だから廃れたというのは、日本人の錯覚であって、どこそこの脈状がどうこうであるから、どこそこにどうこうの病が有るというのは、面倒くさいけど、「人間業でない」というほどのこともない。)
で、もし中国に比較脈診の歴史がほとんど無かったとすれば、左右の脈に違いが有るはずという認識も、やや薄い可能性はあるし、傷寒論の世界とやらでも、脈は片手で診るのが普通で、「えっ、左右の手で診る必要なんて有るの?」なのかも知れない。

神麹斎 11/08 13:02

192:[ 枳園先生 ]

桂山先生と言ったのなら、森先生でなくて枳園先生と言うべきではないかと、
まあ、そんなことはどうでも好いのであって、
漢和辞典を紐解いて、枳はカラタチであって、生け垣などにするミカン科の落葉低木、園は果樹園や菜園あるいは散歩したり憩うための場所、と言ったのでは不十分なのであって、
せめて『周礼』冬官上考工記の「橘は淮を踰えて北すれば枳と為る、これ地気の然るなり」くらいは引いて、そして橘は『楚辞』にもあるように南方の「嘉樹」であって、枳は棘ばっかりで、まああんまりたいした木ではない、
ということが分からなければ、森先生がなぜ枳園なぞと号したのか、それは確かに本人にしか本当のところは分からないんだけど、居るべき所に居ないという気分は分かってあげたいよね。

で、何が言いたいのかというと、経穴の命名にしても、それ以前の故事来歴の衣を纏っているはずで、学生用の漢和辞典から諸橋の大漢和へと、使う工具を高級にしたところで、一字一字の意味を探るだけでは、命名の本意には到達できまいということ。

神麹斎 11/08 09:27

191:[ ]

桂とだけ題が出ましたが、
本当は、「桂山先生と森先生の話」と
したかったのです。

では

ふの字 11/07 09:20

190:[ ]

神麹斎先生、書きこみ有難うございました。
桂山先生は、片手に二線脉を見とめながら、
この条文には、関係ないといってはるわけですね。
何の根拠も示さずに。
森先生は、さすがですね。
天下に、弦脉を示す人で、片手だけという人はいない。
と、断言した上で
他の条文から、双弦脉はあっても、偏弦脉のない例を
示し、双弦が偏弦との対応で書かれていない証拠を示した
わけですね。
理は、私は森先生にあると思うのですが、神麹斎先生は
どう思いますか?

傷寒論の世界で、(傷寒論をどうのこうのというほど、読んでいないので、雑談として聞いてください)、左右の手で、脉を見ている
例は、ないのではないですか?
片手だけで、見ていたようなイメージですが、どうでしょうか?
特に、外感劇症を扱う傷寒論では、両手に同じ脈状を示すと
考えるのが、理にあっていませんか?

では

ふの字 11/07 09:18

189:[ 兩條 ]

森立之『素問攷注』五藏生成篇第十
○青脈之至也。長而左右彈。有積氣在心下支閭黴€。名曰肝痺。
案。「左右彈」者。或有左右兩彈病人。或有左彈病人。或有右彈病人之義。猶一二日五六月秦漢時魯衞國之例。或爲一或爲兩可通也。又所謂百年左右三十左右之類。同義。未一定之詞也。「左」左手也。「右」右手也。而此「左右彈」。即雙弦偏弦也。蓋或有偏弦。故出雙弦名。凡天下見弦脈人。未有不雙。雙常事也。偏。其變也。故此亦主偏彈言焉。言「左右彈」則包雙彈偏彈義也。此云「長而彈」者即弦脈也耳。『金匱』痰飮篇「凡食少飮多。水停心下。甚者則悸。微者短氣。脈雙弦者寒也。皆大下後喜虚。脈偏弦者飮也」。〈尤怡〉『金匱心典』曰「雙弦者。兩手皆弦。寒氣周體也。偏弦者。一手獨弦。飮氣偏注也」。〈劉桂山〉据焉。又曰「案。徐彬金匱論註云。有一手兩條脈亦曰雙弦。此乃元氣不壯之人。往往多見此脈。亦屬虚。適愚概温補中氣。兼化痰。應手而愈。此本于呉氏崑脈語云雙弦者。脈來如引二線也。爲肝實。爲痛。若單弦。只一線耳。然與經文雙弦義逓別」。〈朱光被〉『金櫃正義』亦曰「兩手皆見弦脈。設一手獨弦。明是病氣有偏著」。〈稻葉元煕〉曰「脈雙弦者寒也二句是客。脈偏弦者飮也句是主。主客對擧」。皆與〈桂山氏〉隱ェ合。今案。『傷寒論』可下篇「脈雙弦而遲者。必心下髷普B脈大而緊者。陽中有陰也。可下之。宜大承氣湯」。『脈經』卷六脾經病證第五篇曰「寸口脈雙緊。即爲入。其氣不出。無表有裏。心下痞堅」。竝是有雙弦雙緊。未擧偏弦偏緊。然則三部寸關尺皆竝見二動。謂之雙歟。尓則「左右」非左右手之謂。而二動竝伴。故蛛#V左右也歟。『脈經』云「寸口」者。總三部之名耳。要之雖兩條脈。亦或有一手人。或有兩手人邪。蓋毅斷之。則『傷寒論』『金匱』『脈經』等文。皆爲兩條義。此經「左右」亦爲兩條竝伴義。全棄却左右手隱ェ而后始明明也。又案。弦緊等皆肝病脈。故特見竝雙兩條。無在他病他脈有此理者也。『脈經』卷四平雜病脈弟二曰「偏弦爲飮。雙弦則脇下拘急而痛。其人豼・ソ㍽ァ惡寒」。『病源』卷廿痰飮候「脈偏弦爲痰」。(補三オ)

神麹斎 11/05 13:58

188:[ 雙弦者脈來如引二線也 ]

多紀元簡『金匱要略輯義』卷三
痰飮谺ャ嗽病脉證并治第十二「……脈雙弦者寒也……」
「案徐云。有一手兩條脈。亦曰雙弦。此乃元氣不壯之人。徃徃多見此脈。亦屬虚。適愚概温補中氣。兼化痰。應手而愈。此本于呉氏脈語云雙弦者。脈來如引二線也。然與經文雙弦義逓別。」

神麹斎 11/05 12:18

187:[ 双弦の脉 ]

先日の日本伝統医学会で面白い発表がありました。参加者は、ほとんど
実技のワークショップにいっていて、地味なポスター発表なので、
あまり、注目されていなかったようですの。
 トウコツ動脉の分岐が、四割以上の被験者にあり(エコー診断)、
触診でも、三割以上の人に2重の拍動を感じられたという発表です。
まさに双弦の脉では、ないでしょうか?
 双弦について、両手の脉が弦だと言うのが多数派のようですが、
それなら、何故双浮や、双緊といわないのか、不思議でした。
外感の場合、両手の脈状が同じことも多いはずです。
奇経の脈診での不思議な記載も、これにより、ある程度合理的に解釈できると
思いませんか?

では

ふの字 10/30 11:49

186:[ 穿鑿について ]

下の「おむみようじ21」さん、「睛明攅竹」さんの投稿に対して、反応を期待したんですけど、まだ何も来ませんね。まあ、無理も無いけど……。
わたし個人としては、どちらの意見にも感服しています。
そこで、「知・識」についての蛇足を少々。
むかし、『太素』に於ける于と於の出現を調べて、『霊枢』の第一篇から第九篇に相当するところにしか于は出てこないから、そもそも出所が特殊なんじゃないか、という迷論を提出したことがあります。だけど、楊上善注は別ですよ、さすがに使い分けているとは思わない。単に注では字が小さいから於より于と書きたいことも有ったんじゃないか。
それに、
ちょっと小耳にはさんだ話ですが、猿(隠者?)と猴(庶民?)は違うとか、だから孫悟空は猿であるとか猴であるとかいう議論も、唐詩の研究者に言わせれば、猿か猴かなんて単に韻の問題で取捨選択されてるだけなんだそうです。
どうも、穿ちすぎというのも、怪我のもとらしい。

神麹斎 10/28 14:47

185:[ 伝統鍼灸… ]

もともと古典的なものをテーマにすることが少ないうえに、古典離れが進んでいるんだと思います。

神麹斎 10/26 09:33

184:[ 伝統鍼灸 ]

今週の土曜日に、日本伝統鍼灸学会が大阪で開催されます。
プログラムを見るとあまり古典的なものはないようです。
この学会に参加するのは、2回目なのでよく知らないのですが、
もともと古典的なものをテーマにすることが少ないのか?
あるいは古典離れが進んでいるのか?どちらなのでしょうか?
 内経医学会からは、小林先生が「古典研究におけるコンピュータ」
と題するワークショップをされるそうなので、楽しみにしております。

では

ふの字 10/26 08:50

183:[ サービスが一時停止 ]

大学病院医療情報ネットワークからの連絡によりますと、
電源定期保守及びUMINサーバの更新作業に伴い、
平成13年10月27日(土)午前8時-平成13年10月27日(土)午後1時
平成13年10月27日(土)午後5時-平成13年10月28日(日)午後7時
のあいだ、サービスが一時停止されます。

神麹斎 10/23 19:03

182:[ 長文の投稿 ]

下の2つの長文は、一度、2回3回と分けて、苦労して投稿されましたが、やはり読みづらいようなので、1回の字数制限を大幅に増やし、管理者の責任に於いてコピーから投稿し直しました。
内容にも、ずっしりと重いものが有ります。
この二つの投稿に対する反応を、大いに期待します。

神麹斎 10/23 18:52

181:[ 「知・識」を少々…… ]

 「知識」とは、『大漢和』には「よく物事の道理を辨へてしる」とあります。つまり、「知」も「識」も「しる」という意味です。「行動」や「帰還」や「上昇」のように同じ意味を重ねてできた熟語を「同義複詞」ともいいます。「知識」もその一種です。細かくみればそれぞれの単語(字)には微妙な差異はありますが、大きくみれば同じ意味を持つ単語(字)を組み合わせてつくられています。
 「それと意識しないうちに、いつのまにか」「しらないうちに」という意味で、「しらずしらず」ということばを使います。これを漢語では「不知不識」と書きます。ここでも「知」と「識」に本質的な違いは見いだせません。
 閑話休題。
 中国の学者、黄侃さんは「訓詁学とは、ことばを用いてことばを解釈すること」とおっしゃいます。しかし「知とは、知のこと」では、なんのことやら、まったく訓詁・注釈になっていません。黄侃さんのことばをより丁寧に表現すれば「訓詁学とは、あることばを別のことばで解釈すること」とでもなりましょうか。『玉篇』にある「知は識なり」とあるのが、その典型でしょう。
 訓詁や注釈という言語表現は、経文という対象が存在してはじめて成立する2次的なものです。経文の存在を無視して、訓詁・注釈を独立させて研究しようとすると、陥穽におちいりかねません。
 『黄帝内経太素』に出てくる「知」字に対して、楊上善が「識」字を多用して注釈をしているからといって、それをもって時代によって用語法が変わったという推定の根拠にするのは、かなり危険だと思われます。
 簡単に言ってしまうと、経文にある「知」を、注釈文でも全部そのまま「知」とするのは、あまりにも芸がない、と楊上善は考え、「識」字を多用したのではないでしょうか。『玉篇』にあるとおり、「識」は「知」を置き換えるのは、もっとも適したことばでしょうから。「隋代に於いて既に、『知は識である。』と注釈する必要性が存在した」というのは、うがちすぎでしょう。
 いくつか例証をひろってみます。(左合昌美氏制作『電腦太素』によります。)

 03-25-5 経文「以我知彼」楊注「謂醫不病能知病人」
 03-25-6 経文「以表知裏」楊注「或瞻六府表脈以知五藏裏脈、或瞻聲色之表能知藏府之裏也」
 上記の2例は、経文にみえる「知」をそのまま注文でも使用されているものです。この部分の楊注が明らかにしたかった内容は、「我」「彼」「表」「裏」とは具体的にいえば、なんのことかということです。「我」とは健康な医者のことであり、「彼」とは病人である、「表」とは六府表脈・聲色之表であり、「裏」とは五藏裏脈・藏府之裏であると、いいたかったのです。それを対比させるためにここでは「知」字をそのままにして別の字には置き換えなかったのでしょう。
 03-26-3 経文「先別陰陽、審清濁而知部分」楊注「按脈之道、先須識別五藏陰脈六府陽脈、亦須審量榮氣爲濁、衞氣爲清、知兩半各有寸關尺三部之別也」
 楊上善は「別」と「審」をそれぞれ「識別」と「審量」という双音詞にうつしかえています。
 03-27-2 経文「按尺寸而觀浮沈滑豼㍽ァ知病所生」楊注「以識病源也」
 ここでは経文の「知」を楊上善は「識」に代えた。しかし、すぐつづいて、
 03-28-2 経文「以治無過、以診則不失矣」楊注「此以診候、知病源已」とある。
 ここには、「知」字がないので、楊上善は「知病源」と注釈する。彼には、同じ文字をつづけて使いたくないという心理がはたらいたのでしょう。「識病源」=「知病源」だと思います。
 05-29-5 経文「余聞之快於耳、不解於心」楊注「快於耳、淺知也、解於心、深識也」
 「知」は浅く、「識」は深く「しる」と、若干の違いがあるようにもみえる。しかし、
 06-11-4 経文「必審察五藏之病形以知其氣之虚實而謹調之」楊注「醫療之道、先識五藏氣之虚實、及知虚實所生之病、然後命乎針藥、謹而調之」
 ここの「知」と「識」には、深浅の別があるとは思えない。
 19-29-7 経文「是謂冥冥莫知其形」楊注「此機微者、乃是窈冥衆妙之道、淺識不知也」
 「淺識」は熟語。『大漢和』にみえる。とすれば「淺知」と代えても不可はない。しかし、うしろに「不知」とあるから、「知らず識らず」と同じで、同じ字は使わない。だから「淺知」「深識」と異なる「しる」字を用いたのではないか。
 22-51-3 経文「此所以知形氣之多少也」楊注「觀人身之強弱、識血氣之盛衰之」
 15-12-6 経文「上醫相音可以意識、五色微診可以目察、能合脈色可以萬全」楊注「耳聽五音、目察五色、以合於脈、用此三種、候人病者、所爲皆當、故得萬全也」
 経文に「識」字があるが、楊上善は注においてこの字を使っていない。おそらく重複を避けたのであろう。楊上善がとりたてて「識」字が好きだったのなら、注文にも使ったかもしれないけれど。
 27-40-7 経文「其濁氣出於胃、走脣舌、而爲味」楊注「耳目視聽、故爲清氣所生、脣舌識味、故爲濁氣所成、味者知味也」
 この「識味」と「知味」にどれほどのちがいがあるのだろうか。
 
 以上、例文をあげました。
 これからみても、楊上善は経文にある「知」字を、そのまま注文で使うのを避けたために、その同義語である「識」字の使用回数が増えたと考えられます。
 こういう訓詁・注釈としての用語・言語表現の特殊性を考慮しないで、楊上善を契機として、それ以降の中国医学書に「識」字の使用が一般化したかのようなとらえ方は、当の楊上善の与かり知らぬことではないかと思いますが、いかがでしょうか。

睛明攅竹 10/23 18:45

180:[ 森立之『傷寒論攷注』の正しい読み方 ]

 『傷寒論攷注』は『傷寒論』の注釈書であると同時に、『本草経攷注』『素問攷注』につづく一連の中国医学古典の研究書シリーズ『攷注』の一部を構成していることを忘れてはならない。/立之は、基本的に『本草経攷注』→『素問攷注』→『傷寒論攷注』の順序で著作した。/内容はみな医学に関わることであるから、当然のこととして疾病名・症候名などは、重複していることが多い。/それらについては、立之はくどいほど詳細に論証する。しかしながら、同じ用語について、3書で同じ論証をするわけではない。同じ論証は、筆者にとっても無駄な作業であるし、読者にとっても退屈なものである。/だからたとえば、『素問攷注』では「『本草経攷注』の何々条を見よ」などとことわり書きがある。/そういうわけで、『傷寒論攷注』を読んでいて、難解な用語に出会い、それについて立之がなんの案語も書いていなかったら、その用語は以前の著作『本草経攷注』『素問攷注』で取り上げられている可能性を想起すべきである。/『傷寒論攷注』の「立之案語の無い経文はとばして読」んではならない。そういう用語こそ、『本草経攷注』『素問攷注』に言及がないかどうか調べなければ、立之の研究成果を十分に取り入れることができない。/厳しくいえば、『本草経攷注』『素問攷注』の両書をひととおり読んではじめて、『傷寒論攷注』に向かう準備ができるのである。/でもまあ、それは無理だしても、『素問攷注』のテキストデータを利用すれば、『傷寒論攷注』に見えるのと同じ漢字・用語について、立之のコメントがあるかないかは瞬時に確認できる(『本草経攷注』もデータ化されていると聞くが)。パソコンが使えないひとのために、立之は『素問攷注』では、「要語」の備忘録を付けてくれている。翻字本『素問攷注』末の「要語目次」を利用すればよい(ヘッダは「用語目次」に間違っているけど)。
 例:『傷寒論攷注』の経文「洒淅惡寒」に、立之はなんのコメントもつけていない、らしい。立之の案語がないからといって、そのまま素通りしてはいけない。『素問攷注』を見てみよう。代表的なところでは、翻字本でいえば、刺瘧篇第36の 540頁下段「洒淅」や、 543頁下段~ 544頁上段「洒洒然」。楊上善の「洒。音洗。謂惡寒也」など、いろいろ先人の注釈がみえる。/立之は、『本草経攷注』上品の阿膠の解説も読め、ともいっている。「阿膠」を見ると、「洒洒」は「洗洗」「悽悽」「嗇嗇」などと同音同義で、人の悪寒の状態を形容しているにすぎない、といい、さらには、寒をにくむさまを形容した虚字であるから、もともと「正体」の字などなく、音にかりて意味をあらわしているにすぎないし、『説文解字』に載せる字〔病+辛〕は、『国語』『本草』『素問』『霊枢』より晩出の俗篆だと、段玉裁『説文解字注』の説の批判まで書いてある。『本草経攷注』と『素問攷注』で、「洒淅惡寒」について、立之は存分に自分の見解を述べているので、『傷寒論攷注』でまたそれを繰り返す必要がなかったのである。
 というわけで、『傷寒論攷注』に立之の案語がないからといって、立之がその漢字・用語について何も思うところがなかった、などと早合点してはいけません。『傷寒論攷注』に書いてないことは、まず『本草経攷注』と『素問攷注』の中に求めるのが、『傷寒論攷注』の正しい読み方ではないでしょうか。

おむみょうじ21 10/23 18:37

179:[ 炭素菌? ]

各新聞社の表記を、それぞれのホームページで見てみると、朝日新聞、産経新聞、読売新聞は「炭疽菌」、毎日新聞は「炭そ菌」。ただし、朝日新聞は、かんじんの新聞記事では「炭そ菌」。なお、NHKはホームページも放送画面も「炭そ菌」。

神麹斎 10/18 08:23

178:[ 近況報告 ]

nttに勤める兄が肩たたきを受けて退職し、セブ島で悠々自適の生活をすることになり、一人残された私は自宅を改築して開業することになりました。築三十年の家は、床下がボコボコでシロアリかと心配しましたが、床を上げてみると床下はカラカラ。大工さん曰く「床板に根性がなくなった」のだそうです。家も生きているんですね。床板の張り替えに伴い不要な物を大量に棄てました。座布団、七十枚もありました。家はそんなに人が入れる豪邸では無いのに。二十枚棄てるつもりが十枚に止まりました。裏の食器棚も一つ。食器も段ボール箱十個。しかしまだ台所には食器棚が四つあります。疲れた。今は片づけに頭が一杯で勉学はさっぱりです。開業目標は2002年2月2日。間に合うかな。

山本朝子 10/11 20:35

177:[ その後いかが ]

山本さん、その後、勉学はいかがでしょうか。
掲示板の書き込みは成功しています。
郷里の話し、あちこち訪問した外国の話し、いろいろ聞きたいですね。戸隠流の話し等々。楽しみにお待ちしております。

小林健二 10/09 14:25

176:[ 実験中 ]

掲示板に書き込めるか試させて下さい。

山本朝子 10/08 20:46

175:[ 実験中 ]

どうしても掲示板に入力出来ないので左合さんに問い合わせてみました。まじめなお話し中に申し訳ありませんが入力出来るか試させて下さい。

山本朝子 10/08 20:44

174:[ 聖者 ]

オサマ・ビンラディンが、聖者に成る為の最も容易にして最も困難な方法。
オサマ・ビンラディン本人が、アフガニスタンの民衆の困難を救うとともに、自らの潔白を証明する為と称して、自らノコノコとアメリカの法廷に出頭する。血迷ったアメリカ人に殺されたりすれば、完璧である。容易に聖者になれる。
そんな危険なことは出来ない。これが困難な点である。しかし、旅客機を操縦してビルにぶつける以上に危険なことなんて、そうは有るもんじゃない。所詮、金持ち・権力者には、自らを投げ出すことは極めて困難であるとみえる。

神麹斎 10/03 15:37

173:[ お経の話 ]

お経の話です。
これが結構面白い。文献学的に仏経典を扱っているので、
医古典を扱う私たちにも共通するところがあるのです。
 
 特に、原始仏教典を現存仏典より探すのは、不可能あることの説明。
あるいは、再編することが、不可能であること。
また、ある仏典のある章が古いことをいいきることの難しさ。
日本人が、自分の基準とする仏教典を選ぶとき、仏教全体を理解した
上に、選ぶというよりいいとこどりする(それも、自分の都合のいいように
解釈を替えたりする)傾向があること。

 なんとなく、どこかの世界と似ていませんか?
また、針灸界でも有名な富永仲基の説を批判的に扱っているので、
この部分もマニアにはたまらないかもしれません。

岩波新書に古くからある本なので、読んでいる人は多いと思いますが、
万が一、読んでいなかったら、一読をお勧め致します。

私は、これを読んで、仏典に関する見方が一変しました。

では

ふの字 10/01 12:32

172:[ 秦檜 ]

現代中国になってから、古来悪名高かった者の幾人かが、再評価されている。秦の始皇帝しかり、魏の曹操しかり。
ところがもう一人、極めて評判の悪い、現在は勿論、ほとんど未来永劫浮かび上がれそうにないのがいる。宋と金が中国の南北を占めていた頃の宰相・秦檜である。
秦檜は当時の和平派の親分である。もともと、始皇帝や曹操に比肩できるような人物ではない。それは功業についてだけでなく、悪行についてもである。権力にしがみついて、裏で汚いこともやったし、賄賂もむさぼった。だけど、それくらいのことは古代中国の役人なら大抵みなそうである。
対する主戦派の代表は岳飛である。こちらは極めて人気が高い。これを迫害したことで、秦檜の人気はますます低い。民族の気節を失った!売国奴!弱腰外交!屈辱外交!
だけど、和平派としては主戦派をのさばらせておくわけにはいかないではないか。まあ、かなり陰険な方法を用いたらしいのは問題だが。
秦檜の方針を肯定的に表現すれば、「南北の均衡的共存関係の樹立」である。おかげで庶民は、つかの間とは言え、黄粱の夢をむさぼることができた。弱腰外交だろうが、屈辱外交だろうが、平和な方が好いだろうに、如何せん、民衆は威勢のいい方が好きである。威勢が好いついでに、たとえ自らの命を落とすことになっても。

神麹斎 09/26 21:31

171:[ 代字の解釈 困ったね ]

「代」に、軟とか弱とかいう意味があることは、工具書に見つからないんですよね。
で、はなはだ心許ないのだけど、『素問』宣明五氣篇「脾脉代」に、王冰がいきなり「閠試ァ弱也」という以上は、何か有るとは思うんですよ。

それに、しっかりと調べつくさないでこんなことを言うのは、若干やばいんだけど、脾の代脈の代を交代と訓む説は比較的新しい?楊上善は、おおむね「息也」ですよね。これは穏息、休息なんだろうけど、休息するというのは一回止まるということでもある。ただ、我々がイメージするような「トトト」ときていきなり途絶えるというのでなくて、ゆったりゆったりと「休み休み」拍ってくるようにさえ感じられる脈、それが脾の正常な脈としての代ではなかろうか。
それとは別に、倉公伝の不揃いな脈、つまり交代の代に近い意味の代脈が有るんじゃなかろうか。
勿論、不自然に休めば次にしわ寄せが来て交雑するという点で、両者は相い通じるのであろうけれど。

極めて独断的なんだけど、『内経』で脅かされるほどは、西洋医は結滞脈を恐れていないような気がする。間歇が規則的か不規則かも、さして診断の基準にはならないようである。問題は、倉公伝に見えるような「参撃並至」(揃わない拍撃が無秩序にやってくる)、これはやばいんじゃないか。
何十動かに一代すると五蔵のうちのどの蔵の気が絶して……云々は、たしかにちょっと大げさすぎるし、図式的(観念的)すぎるかも。

神麹斎 09/25 18:48

170:[ 代脉 ]

代に休息の意味があるのですか?
そう言えば、代脉を医宗金鑑は、疲れてしまって交代を
待っている様子としていました。

どうしても、代と言う字が、軟とか弱に読めません。
強引に言うと、この例にしても、交互、交代の例にみえますよね。
鶏が地を歩くのは、足を交互にだしているというイメージで、
うまく歩いているうちは、交互がスムースに進み、
病気になると、交互がちぐはぐになる。
歩くことを意識するのは、足をいためたときだけですよね。

ふの字 09/25 14:38

169:[ 代脈 またまたまた ]

『太素』巻十五 診候之二「五藏脈診」に、
平脾脉來,和柔相離,如髮樊n,曰脾平,長夏以胃氣為本。
とあり、楊上善は
按脾大脉和柔,胃氣也。相離中間空者,代也,如髮檮s踐地跡中間空也。中間代者,善不見也。(脾大脉の大、あるいは之の誤りか)
という。してみると、脾の正常な脈としての代は、鶏が地を踏みしめるように拍ってくる脈であると思われる。柔らかくゆったりしているととれば、緩とか軟とか濡とか弱とかいう表現に行くであろうし、じれったいと感ずれば容易に結滞の方へも向く。
これによって平脾の脈と、脈数十動に一度滞るとかいう病脈に、同じく「代」字が用いられ、後世の我々が悩むことになったのではないか。
何故、「代」字がゆったりで有りうるか、については確信がないが、取りあえず『荘子・寓言』に「火與日,吾屯也;陰與夜,吾代也」とあり、代はようするに休息することらしい。

神麹斎 09/23 21:04

168:[ ホームページの接続障害 ]

大学病院医療情報ネットワークからの報告です。

ホームページサービス用サーバ(plaza.umin.ac.jp)障害の原因を究明し、9月23日(日)午後5時20分に復旧いたしました。ご迷惑をおかけいたしました。

神麹斎 09/23 18:03

167:[ お宝入手 ]

7月4日に、通販で買った、柴崎保三著『霊枢経新義解-九鍼十二原』に、「丸山変弱蔵」というサインがあった。99パーセント丸山昌朗先生の所蔵品でしょう。うれしかったですねぇ。神様の所蔵品ですから。『新義界』の中身がやはりがっかりだったのでほおっておいたのですが、9月になって気がついた次第。鑑定してもらいたいので、丸山先生の字を見たことがある人は、ご一報ください。9・20

かいちょう 09/20 22:11

166:[ 參舂 ]

実は、「相應如參舂者病甚」を「三人で臼を突くような脈状は病気が重い」と解すること自体にも、違和感が有るのです。楊上善は「脈之相應參動,上下左右,更起更息,氣有去來如碓舂,不得齊一。」と注してます。「參」はつまり「不得齊一」と解すべきでは。森立之もこれに異議を唱えて無いようですし……

「三人で臼を突くような脈状」って誰の説だったけ?

神麹斎 09/20 21:48

165:[ 参について ]

「参撃」は、三部九候論篇に「相應如參舂者病甚」(三人で臼を突くような脈状は病気が重い)の「参舂」と似た意味だとすれば、「参撃並至」は3連拍が2回繰り返されたという意味ではなかろうか。トン・トン・ト・ト・ト・ト・ト・ト・トン・トン、というような結滞脈である。

かいちょう 09/20 17:01

164:[ 脈代 ]

脈代の一つの解として「弱」を挙げたのはやや不注意、配慮を欠いた言い方でした。あれはあくまで郭靄春主編『黄帝内経素問校注』平人気象論における一解でしょう。
本当は「軟」が良いのではないか。また「濡」とも通じる。
ただ、これと滞る、あるいは交替・交錯する脈との関係が分からない。別物がいっしょくたになってしまったと考えるか、共通するイメージを求めるべきか……

神麹斎 09/20 11:05

163:[ 脉代について ]

質問に答えていただきありがとうございます。
三部は、何をさしているのかは、実は良く分からないのです。
扁鵲倉公傳彙攷では、
「上下左右之脉、相応如参臼者、病甚。」という文章を
三部九候から引いて解説しています。
倉公の時代に三部九候が在ったとは、思っていませんが、
並と言う字があるのなら、複数の脉を比較していると
考え、宮川先生が参を三と解釈しているので、三部の脉としました。

脉代の神麹斎先生の説明は、明確だと思います。
ただ、脾の脉の説明で、弱というのは、ピンとこないのです。
脉代は、昔から、何故脾の脉なのかと考えておったのです。
脉代が結滞脉なら、なぜそれが脾を示すのかが、納得できなかったのです。
宮川先生からお送りいただいた「東アジア科学理論の批判的分析」
を読んでいると、ヒントが浮かびました。

陰陽五行説の発展の解説に『老子』の「陰を負うて、陽を抱き、衝気を以って和すると爲す。」
を引用して、「衝気は、陰陽の間に割って入った調停者」と
説明してありました。
『老子』のこの言葉自体は、解説書に何度も引用されているので、何度も読んだの
ですが、五行の解釈につかえるのは、思いつきませんでした。
同心円の外の部分が4分割している丸山先生の本で
良く見た図がつけられていました。

脾は、すなわち調停者であり、他の四脉を調停しているのだと思い至りました。
たとえば、春の弦から、夏の洪にいたる間には、弦と洪の脉が交互にでる
はずだという考えがあったような気がするのです。
宮崎市定氏が「易」の字をトカゲと解釈した『論語』の一節がありました。
相手によって自分自身を変えることは、当時の人には、徳と映ったとおもいます。
因って、脾の脉の徳をしめすのだと考えています。

宮川先生、神麹斎先生はどうお考えですか?

ふの字 09/20 09:19

162:[ 倉公伝の代脈 またまた ]

時参撃並至と乍躁乍大を、べつべつのものとは考えにくい。むしろ同じ状態の別の表現であると思う。
參は不揃い(あるいは齊の反対語かも知れない)。並は、みな、すべて。
乍A乍Bは、二つの状況がめまぐるしく交替することで、AとBに入るのは意味の対立する動詞や形容詞のはず。躁と大を対立しそうな意味にパラフレーズすれば、セカセカとユッタリとなろうか。
そこでトータルして:
代とは、しばしば不揃いな拍動が一遍に現れて、セカセカしたかと思えばユッタリするという脈のことである。
セカセカしただけでは代とは言わない、ユッタリしただけでも代とは言わない。それが一遍に現れると観ずれば時参撃並至と言い、めまぐるしく交替すると考えれば乍躁乍大と表現する。

神麹斎 09/19 23:57

161:[ ありがとうございます ]

 ご多忙中そして腰痛の最中に「営気と衛気」のアップありがとうございます。当方も私自身ではなくパソコンの調子が悪く古いパソコンを持ち出して何とかアクセスしている次第です。
 それから宮川先生、ご理解ありがとうございます。十年も前に書いたものを今になって表に出されるというのもあまり心地よいものではありません。本当にありがとうございました。

Mail 野次馬河童 09/19 21:56

160:[ 代者、時参撃並至、乍躁乍大 ]

「代者、時参撃並至、乍躁乍大」
この文章は、①「代者、時参撃並至」と、②「代者、乍躁乍大」と分けてよめそうです。①は結滞の意味、②は交代の意味。「参撃」は三拍、「並至」は(ふの字さんのいうように三拍一至のようですね)その中で一拍が結滞しているという意味。「乍躁乍大」は、時に早く時に大きく、脈が変化・交代するという意味。「代」とは、結滞でもあるし、交代でもある、ということをいいたかったのだらおうか。果たして、如何。
「参」と「並」があったので、回数と読んだのだろう思う。確かに、「参」を「三」に読めなさそうである。
ところで、ふの字さんがいう「三部の脉が、躁になったり、大になったりする」の三部とは、何を指しているのでしょうか。三部九候? 


かいちょう 09/19 21:45

159:[ 倉公伝の代脈 補足(蛇足) ]

脈について用いられた「代」字には、おおよそ三つの、あるいは三通りの意味が有ると思う。
一つは交代の代、つまり倉公伝・診藉6の例はこれ。交錯してやってくる。
二つめは止、これはひょっとすると滯の仮借ではないか。音は充分近いかどうか、実例があるかどうかは確認してない。ただ、かなり大型の字典でも、代に止もしくはそれに近い意味が有ることを説明する場合、大抵は中医文献を引くのみである。
三つめは弱の意味。脾の脈が代とかいうのは、これだと思う。どこかにすでに考証が有ったと思うが、とっさに出てこない。ただ、郭靄春主編『黄帝内経素問校注』平人気象論で「但代無胃曰死」に注して、上下の文例からすれば、当に弱に作るべしと言う。本当は代に弱の意味が有ると言いたいところだが、筋道がつかめないのではないか。頽(くずれる、しなびる、衰える)と代との関係の可能性を指摘しておくに留める。

神麹斎 09/19 13:41

158:[ 倉公伝の代脈 その2 ]

代者,時參撃並至,乍躁乍大也。
鍵は「參」字の解釈に在ると思う。動詞「まじわる、交錯する」か数詞「三」か。
恐らくは動詞であろう。診藉中では人参の参以外には、22に「參其人動靜」(其の人の動静を参じ)というのが有る。この参も「まじえて」である。後の問答中にも「與天地相應,參合於人」(天地と相い応じ、人に参合す)とあるが、また「まじえて」と解して良いだろう。
そもそも『内経』中に「参」を明らかに三の意味で用いる例は無いのでは?「參伍不調」ですら、王冰注は「參謂參校,伍謂類伍」としている。『太素』には有るが、それでも「鋒鍼者刃參隅」に楊上善は「參音三也」とわざわざ注をつけている。われわれが参=三ととっさに思うほどは、参を数詞として用いなかったのではないか。
倉公傳をしっかり読みこんでいるわけでは無いので、「時參撃並至」の解釈には自信が無いが、少なくともここに三回拍動とか、二回結滞とか、数字を持ち出すのは誤りではないか。
とりあえず「代は、時に参わり謫鰍オて並びに至り、たちまち躁たちまち大なり」と訓んでおきたい。

神麹斎 09/19 10:14

157:[ 倉公傳の代脉 ]

医道の日本に連載中の「湯島聖堂倉公傳講義」毎回楽しみにしています。
大昔に、読んだときは、「良く分からないことがわかった」というのが、
正直な感想でした。
宮川先生の講義を読むと当時わからなかった点が、解結できたり、あるいは
あらたな疑問が湧いたりで、勉強させていただいております。
さて、第六医案の脉の解釈に疑問があります。

代者、時参撃並至、乍躁乍大なり。

の解釈に「『代』は結滞脉であり、時に三回拍動する間に、2回結滞する、
あるいは、躁だったり、あるいは大だったりする。」とされていますが、
よく理解できません。
三回拍動する間に2回結滞するのが、分かりにくいし、その場合「三回拍動
で、一回結滞する」表現するような気がします。
結滞の長さを取り上げるのは、珍しいのはないですか?
また、参撃並至を三回中2回の結滞と読めるのでしょうか?

代には、結滞と共に交代の意味があり、この場合も、三部の脉が、
躁になったり、大になったりするというような意味のような気がしますが、
どうでしょうか?



ふの字 09/18 22:40

156:[ 腰痛 ]

いやぁ、偶然です。小生も、11日(火)の夜から腰痛で、神○斎さんほど重症ではなかったのですが。いつものとは違って、今回はお灸で決めました。腰のお灸は熱い。でもよく効きました。9・17(月)

かいちょう 09/17 16:41

155:[ 営気と衛気 ]

おまたせしました。
宮川さんの「営気と衛気」を、『内経』あの記事をもう一度に、アップロードしました。
古い記事なのでOCRで起こしました。校正ミスが有ったらお知らせ願いたい。

神麹斎 09/17 14:04

154:[ 腰痛(体験談) ]

10年前
内科で病院に入院中、3日4日してから、だんだん腰が痛くなり寝ていても、じっとしていても痛くてしょうがない。

原因は病院のベットにあり。
軟らかいふわふわしたベットに一日中寝ているわけだから腰には良くない。
藁(わら)のマットに変え下さいと看護婦にお願いする。
藁マットは今、出払っていてもう少し待って、とのこと。
この時の気持ちは「一日千秋」の思い出藁マット(堅くて安定があり)を待ち続けた。
やっと藁のマットが手に入る。少しは楽だが今ひとつ。

ここで決断。
妻に思いっきり「熱いおきゅう」を腰にすえさせる(一応米粒くらいの大きさ)。
足をバタバタさせながら、熱さをこらえ我慢して腎兪、大腸兪、次に4壮。
熱かったが、5分もすると嘘のように軽くなる。

これは良く「効いた」
今でもあの感覚は忘れない。

小林健二 09/15 23:36

153:[ 真理集 ]

朝、顔を洗おうとしてかがんだとたん、かくっときて腰に違和感が残った。別にたいした痛みでもないけれど、居間へ下りてきて、家族に腰をやっちゃったみたいだから、外出は取りやめると言う。家族の第一声、一番老人みたい。そこで早くも二つの真理を得た。
「年寄りであることと年齢は関係ない」
「健康な者は、しょせん患者に無慈悲である」
身内の名誉の為に言っておくが、ああしようか、こうしてあげようかと色々言ってはくれる。ところがこれに一々腹が立つ。
「筋は肝の主どりであり、肝の感情は怒りである」
だんだん痛みが増してくる。昼食になる。食欲は有るから、食卓に着こうとする、が容易に着けない。何とか座って、両手に碗と箸を持つ、それだけで腰に響く。
「箸は針より重い」
ずっと椅子にかけていて、動かなくても時々痛む。こんなことは初めてである。
「如何なる姿勢をしていても、腰はそれなりに緊張している」ことを体得し、
「激しい鈍痛」という修辞を得る。
結局、うつぶせがいちばん楽で、そのまま午後を過ごす。尿意を催して、皆川式の要領で起きあがろうとする。しかしできない。まさか垂れ流すわけにはいかない。思い切って、身体をひねって起きあがる。勿論痛い。でもなんとか起きられた。
「少し動いただけでも痛むからと言って、大きく動いたらさらにひどく痛むとは限らない」
大きく動いたら七転八倒ということも有るだろうけど、今回は違った。トイレに立った機会に、そろそろと治療室に行って、おもむろに脈を診る。朝、とっさに診たときは気虚寒湿だったような気がするが、改めて診ると、これはどうしても血虚湿症である。さてと針を取り出して愕然とする。足のツボに手が届かない。
「いつも必要なところに手が届くとは限らない」
手背に腰痛点というのが有ったのを思い出すが、正確な取穴法は覚えてない。本棚から探し出す元気は無い。ままよと圧痛を頼りに置針。はかばかしくない。後谿も同様である。
「生兵法は急場の役にたたない」
「いつも教科書通りに効くとは限らない」
そういえば朝からほとんどニュースを聞いてない。
「患者にとって、腰が痛むことは、貿易センタービルが無くなることより重大事である」
朝から、かく様々な真理を発見し、体得したのに毫も愉快でない。そこでより重要な真理。
「鬱々として楽しまず、というのも肝の病である」
それにしても月曜までに少しは楽にならないと、自分よりはるかに軽い腰痛患者を治療することになる。
「治療者が患者より大丈夫とは限らない」という真理を獲得することになるのかしら。

神麹斎 09/15 22:23

152:[ 黄帝内経霊枢臆解の続き ]

佐合さん、はじめておたよりします。私の事はかいちょうにきいてください。
あの~1994年からずっと続編待っているんですけど。
発売当初、某会に15冊近く売って、みんな続編まってるんですけど。
この本以外の解説は読む気にならないので、
是非とも続編お願いいたします。
そこそこなら売りさばきますので。

Mail 佐藤隆哉 09/14 17:41

151:[ 黄帝内経霊枢臆解 ]

黄帝内経霊枢臆解を「霊蘭之室」にアップロードしました。
宮川氏にえらく持ち上げてもらったけれど、もう本は有りません。FDが見つかりましたので、外字をユニコード漢字あるいは{字素の組み合わせ}に変換だけして、アップロードしました。
1994年に作ったものです。当時は、そこそこ自信が有ったはずなんですが、今となってはいささか心許ない。おかしなところが有りましたら、この談話室に書き込んでください。何とか応えていきたいと思います。

神麹斎 09/13 10:23

150:[ 山の老人 ]

 山の老人はアロアディンといったが、彼は山の谷間をかこいこんで、今までなかったほどの大きく美しい庭園とし、いろいろの果樹をうえた。なかには想像もできないようなきれいな楼閣と宮殿をたてた。すべて金箔をはり、あざやかな色をぬった。いくつかの川には葡萄酒、牛乳、蜂蜜、水がそれぞれあふれるように流れていた。妙齢の美女が楽器をかきならし、上手にうたい、見事に踊っていた。マホメットは楽園について、そこには葡萄酒や牛乳、蜂蜜、水のながれる暗渠がはしっており、入園者を喜ばすために多くの美女がいる、とのべているが、山の老人はこれをもとにして庭園をつくったのだから、この地方のイスラム教徒はこれこそ楽園だと信じこんでいた。
 彼はアシシン〔刺客〕に仕立てるはずの人を除いては、誰も庭園にいれなかった。入口には世界を柏手にできるほど強固な要塞があり、ほかに入口はなかった。彼の宮廷には、この辺の十二歳から二十歳までの武術のすきな少年を多くおいてあった。彼らは老人からマホメットのいう楽園のことを話される。そのあと一回に四人、六人、または十人ずつ庭園に入れるのだが、まず一服もって深い眠りにおとしたうえで、はこびこむ。目がさめると庭園内にいたということになる。彼らは周囲のすばらしい光景を見て、これこそ楽園だと信じこむ。美女たちは満足のゆくまで接待し、青春のよろこびをみたし、彼らはここから出たいなどとは考えなくなる。
 山の老人とよばれている君主は、宮廷を豪華にし、素朴な住民に、彼こそ偉大な予言者だと信じこませている。彼が何かの目的でアシシンを送ろうとするときは、前と同じように、庭園内にいる青年の一人に一服もってねむらせ、宮廷にはこびこむ。目をさました青年は、自分が城にいるのに気づき、面白くないと思う。老人は彼をよびだし、どこから来たかと聞く。彼が、楽園から来ました、そこはマホメットがのべている楽園にそっくりです、と答えるのは当然である。そこで老人は「これこれの人物を殺してこい。帰つてきたら、天使がお前を楽園につれて行くだろう。たとえ死んでも天使が楽園へつれて行く」という。青年は楽園に帰りたいとの希望から、死の危険をもおかして、この命令を遂行することになる。こうして山の老人は意のままに誰でも殺すことができた。またこれによってすべての君主たちの恐怖心をかきたてたので、老人に平和な態度をとってもらいたいばかりに、彼らはその臣下となった。……

マルコポーロ 09/12 22:02

149:[ 今はまだこれで良いか・・・ ]

投稿者からするとまとまりが無いかもしれませんが、雑談レベルで今は良いですよ。管理者がたいへんですから。
当初の目的は「ワイワイガヤガヤ」ですから、当面、書き込みに慣れるまで私はコレで良いです。
百人百様。テーブルに座って雑談も良し、学術談義も良し。

小林健二 09/05 01:02

148:[ さわりたくない、おっかない ]

実のところ、ツリー型にしたほうがコメントなどをつけやすい、かどうか検討したことは有りませんが、どっちにしたって、そういう形式的なことで書き込みが増えるとも思えないし……、
というのは実のところ言い訳で、
実のところは、ユニコード対応にするのに四苦八苦して、もうさわりたくない、おっかないというのが、本当のところです。
もちろん、サービス提供者から、ツリー型を借りてきて設置すれば簡単ですけど、ユニコード対応とツリー型と、どちらを優先するかと言えば、もちろんユニコード対応をとります。
と言うのも、実は逃げ口上で、このCGIを紹介していた方のBBSは実は、ユニコード対応でツリー型なんですよね。どこを、さわればそうなるのかわからない。うっかりさわって壊したくない。

神麹斎 09/04 13:15

147:[ ツリーにしては ]

談話室の書き方なのですが、時系列に並んでいて、
書きこみがしにくい気がします。
ツリー型にして、コメントなどをつけやすい方がいいのでは
ないでしょうか?
この形なら、よくアクセスする人は、ついて行けると思うのですが、たまに読む人は、流れやテーマが分からない
と思いますが、管理者さんはどうおもいますか?
ご検討ください。

ふの字 09/04 12:40

146:[ 巻頭言 昭和46年1月1日発行 『経絡治療』第24号より ]

巻 頭 言

 人間なるものの資格は、自・他の「生」
を、最も厳粛なる事実と認めることから出
発する。
 生き抜くためには、死を賭することもあ
る。しかし、この死とは、より多くの同朋
の「生」の為に、己の死を甦せることにの
み、その意義は生じる。
 医を職とするものは、生と死の意義、個
と全体との関係を、真に深く洞察し得てこ
そ、之亦、はじめて其の資格を得るものと
云えよう。


 ここに居るのは一個の患者である。しか
もこの人は、この家族の一員であり、且つ
この世界の、社会人である。この人への鍼
灸は、一個人への治療ではない。この家族
・社会へに鍼することであり、灸すること
なのである。一つの行為は、その限局され
た一点にのみ作用するものではない。その
波紋はとてつもなく空間に拡がり、時間上
に連鎖反応を伴うものである。こうした考
え方が、東洋思想の根源であり、亦、経絡
治療の本旨なのである。


 鍼をもつものは、鍼で生きる。鍼に生き
るとは、患者を鍼で救い、己の生活も鍼に
依存していることである。
 この「生」とは何か。己の意慾ではな
い。天地自然の意志なのである。この「生」
も進化の過程に於ては、かまきりや、蜘蛛
の雄、はさみ虫の雌のごとく、個の死が直
接に、次の世代の「生」を産むものもある。
しかし現代の人間界では、次代の「生」を
産むに、個の死を必要としない。「生」が
「生」を産み育み行くのである。


 患者の命を育むためには、医療担当者の
生命力の充実が先決の要なのである。
 医療者の生命力とは、健全なる肉体、強
固なる意志力、深く修められた学内容、錬
磨された技術、そうしてなりよりも天地の
徳に則した仁の心--からなるのである。
 天地の徳は、太初から、太始へ、更に太
素の時代を経て、現代へと一瞬も休はず、
逡巡することなく運行されている。
 われわれも、憩うを止めよう、ためらい
を棄て去ろう。今日は、今日であるゆえに
勉めよう。明日は、明日が来るゆえに励も
う。これが天地白然の訓えなのである。


 今診ている患者は、一人ではない、この
背景には万人がひそんでいる。且つ宇宙の
開闢から生れ、永遠へと「生」をバトンタ
ッチしている一人なのである。これに対す
る己も亦、永遠の彼方から生じ、久遠の彼
方に手を撃き合っている存在であることを
確認しよう。
            (丸山昌朗)

昭和46年1月1日発行 『経絡治療』第24号より

まるやままさお 09/03 22:39

145:[ やっぱり影印③ ]

困ったことに、「宋槧本とか元槧本とか云ふものを顧みない」というのも、一つの見識なのであって、善本の条件の一つとして、校訂のしっかりしたもの、というのはやはり真実なので有ります。
例えば、仁和寺本の『太素』は、普通には読めません。だから、影印の『太素』より蕭延平本の方が善いという場合は有り得るわけで、ましてや銭超塵教授の校訂になる『太素』が出れば入手して座右の書とせざるを得ないわけで……
でも、蕭延平本は勿論のこと、銭超塵教授の校訂にだって、必ず間違いが有るはずで……
悩ましい問題ではあります。

神麹斎 09/03 18:32

144:[ やはり影印② ]

横田観風『鍼道発秘講義』(医道の日本社)は柳谷素霊(の弟子)が書き写し発表したものが定本である。近年、オリエントから影印本が出たので比較してみたら、やはり柳谷本は結構間違っていたとのこと。素問や霊枢などの古典中の古典は評価がはっきりしていて、大差ないかもしれないが、研究が進んでいない古典の扱いは相当慎重にしないと大やけどをしそうである。書誌学が重要なのはこの辺にもある。臨床に役立たない学問を遠ざけるきらいがあるが、実はそれがいちばん大事なことであるから、もし無視したり見逃したりすれば相当な恥を書く。こういう学問は中国からきたのである。現在の中国の学者が粗略にしているなら、彼らを盲信するのは危険である。「医古文基礎」の翻訳でも注記しないで相当なおしています。アバウトなところが苦労したところでもある。

かいちょう 09/03 17:01

143:[ 歓迎します ]

談話室への書き込み、歓迎します。戯名の使用も、ここの管理者か事務局が、誰だか把握していれば問題にしません。ましてメールアドレスがそえてあれば。
宮川さんの「営気と衛気」の件は、本人と連絡して善処します。

神麹斎 09/02 23:57

142:[ リクエスト ]

外野席どころかはるか場外からのリクエストです。”あの記事をもう一度”で1990年12月号から連載された宮川先生の「営気と衛気」をまとめてでも定期的でもかまいませんので、アップしてもらえないでしょうか。
 追伸、淡話室に書き込んでも良かったんですよね。何か書き込み辛くて・・・。それから私は場外者ですから”野次馬河童”改め本名で掲載させていただきました。馬年の生まれの私は河童(水)の力を借りて気が小さくなっていますのでここへ書き込むには勇気が要りました。

Mail ひびのみきや 09/02 22:24

141:[ 螟迫L一足 ]

医古文の句読の説明に、しばしば「螟迫L一足」というのが引かれる。そして「螟買j一足有リ」でなくて、「螟迫L一,足。」と句読して、「螟買n一有レバ、足ル」と訓めと言われて、おお!なるほど、と感心することに成っている。
ところが実は、そんなに単純でもないのである。
中国の代表的な神話学者に袁珂という人がいて、その『中国神話伝説』という著書に、次のような話が載っている。

……神話が歴史に転化したのは、大半が「下心のある者」のしわざであり、その主なにない手は儒家の一派であったといえよう。儒家は自分たちの主張する学説に適応させるために、いささか苦心して神を擬人化し、神話や伝説に合理的な解釈を付け加えた。こうして、神話は歴史に転化した。ひとたび竹簡に記されると、本来の面目はまったく失われたが、人びとはだんだん竹簡に記された歴史しか信じなくなり、語り継がれてきた神話は日をおって亡びていった。
……「螟煤vは『山海経』ではもともと一本足の怪獣であったが、『書経』の「堯典」では舜の楽官に変じている。魯の哀公が螟狽フ伝説のよくわからないところについて、「螟狽ヘ一足なり といわれていますが、本当に足が一本しかないのでしょうか」と孔子にきくと、孔子は言下に「いわゆる 螟狽ヘ一足なり とは、けっして螟狽ノは足が一本しかないという意味ではない、螟狽フような人は一人でも充分なのだ という意味なのだ」と答えた。孔子の解釈はかならずしもその真意をついていないが、このエピソードから儒家が神話を歴史化した巧妙さを見て取ることができる。
……もともと、東海の流波山に「螟煤vという野獣がいた。姿は牛にそっくりであるが、角がなく、からだが青みがかった灰色で、足が一本しかないのに、海水に自由に出入りができ、そのたびにかならず強風と大雨をもたらし、しかも、目から太陽や月のような光を発し、それと同時に口を大きく開けて雷鳴のような声で叫ぶ。……要するに、螟狽ノとってはひどい災難であるが、黄帝が目をつけ、使者を送って捕まえ、皮をはいで乾し、軍鼓を作ったのである。

神麹斎 09/01 19:02

140:[ やっぱり影印 ]

世の中には書を読むのに、必ずしも善本を求めない人がいて、例えば森鴎外なども、『渋江抽斎』のなかで、「……わたくしは漢籍に於いても宋槧本とか元槧本とか云ふものを顧みない。経籍訪古志は余りわたくしの用に立たない」などととくとくと書いている。
北京の銭超塵教授も、主義からか環境の制限の為か、著書に引用する版本をあまり選ばない。だから、『内経語言研究』に引用する『素問』も『太素』も概ね排印本である。まあそれで、大過は無い。
ただ、最近、重箱の隅をつついて、アレ!?と思うところを見つけたので報告する。
『内経語言研究』58頁、楊上善が当時の読音の外に、古音を説明した例として、
 辭〟@呼隨ヴス,熱轤ス盛也。相莨黴€隶ク螽∑ス(383、384頁)。
頁数は、人民衛生出版社竪排印本の頁数である。
ところが、これを仁和寺本の影印でみると、
23-27-5 辭㈹ト篤反熱熾盛也 
23-23-2 辯・鎌B許嬌反
を統合したものと思われる。
23-23-2のほうは、実際には声符を右の下に蜀汲ノ作る。その字形は『干禄字書』に喬の俗として載っている。
だから、両者は辭№ニ辯・ネのであって、何のことわりもなく、当時の読音と古音の説明に用いるわけにはいかないと思う。これは安易に通行の排印本を用いた報いであると考える。
これ以下数頁にわたって、排印本と影印本の違いからくるミスが有るが、一例だけを挙げる。

神麹斎 09/01 11:49

139:[ い古文基礎 ]

やっと、医古文基礎の原稿をしあげ、ほうほうの体で東洋学術出版社に送った。著作集と医古文基礎とで、島田先生との約束を果たし終えたことになる。著作集は約束したわけではないが、「たのむぞ」くらいは心の中で思っていたかもしれない。二つの仕事から解放されて、さあて何をしようか、それとも何もしないでおこうか、実に楽しみである。それでも、九月は二つの仕事が残っていて、ひとつは長崎鍼灸師会の2時間の講演、もうひとつは医史学会の発表。後者は10分に満たないのだから楽なのであるが、聴衆のことを考えると手をぬけない。10月になれば本格的に放牧状態で、自分のことをひさしぶりにできる。掲示板も積極的に参加させていただきますぞ。

かいちょう 08/31 19:25

138:[ 即と乃 ]

即と乃の違いについて、説明するのに適した例文を見つけたので、紹介します。
『素問』王冰序に、
黄帝内経十八巻,『素問』即其経之九巻也,兼『霊枢』九巻,乃其数焉。
黄帝内経18巻のうち、『素問』がその半分の9巻であることなんて「常識」である、『霊枢』9巻を加えれば、「考えてみれば、上手い具合に、なんとまあ」全部の数となる、くらいのニュアンスの違いは有る。

神麹斎 08/29 08:02

137:[ 病進而危 ]

何だかこのところ、先頃の灸をすえる以来とみに、コクゴのセンセイみたいっ、である。そこで、以下は、「少しは」治療に関係する話。

『素問』脈要精微論に、
渾渾革至如涌泉病進而色迯倥c緜其去如弦絶死
とあり、王冰の注に、
渾渾とは、脈気の濁乱を言うなり。革至とは、脈の来ること弦にして大、実にして長なるを謂うなり。涌泉の如しとは、脉汨汨として、ただ出て返らざるを言うなり。緜緜は、微微にして有るに似れども、甚しくは手に応ぜざるを言うなり。弦絶の如しとは、脈卒に断じて、弦の絶するが如くして去るを言うなり。もし病候日に進みて色迯・ヲとなり、此の脈の如くなれば、皆必ず死するなり。
という。
王冰の注に従えば、「渾渾革至如涌泉」と「病進而色迯倥c緜其去如弦絶死」に分けることになろうか。
『医古文基礎』(1980年、人民衛生出版社)では、これに従う。また色は絶の壊字と言う。色を、『太素』が絶に作り、『甲乙』『脈経』『千金』は危に作る。絶と危の意義は近いと考えれば、色は絶に改めるべし、という主張はいい。
しかし、「渾渾革至如涌泉」ならばこう、という判断はどうなったのか。
これに相応する部分は『太素』では巻16診候之三の雑診に在る。【 】の中は楊上善注。
渾渾單至如涌泉病進【如涌泉上衝人手也】而絶弊弊綽綽其去如弦絶者死【弊弊綽綽未詳脉來卒去比之弦斷此為死候有本絶為化之也】(弊と迯・ヘ同じと考えていいだろう。)
これに従えば、涌泉のごとき脈に対する判断「病進」はできた。しかし「而絶」の落ち着きが悪い。それに『甲乙』『脈経』は、いずれも「渾渾革」を「渾渾革革」に作り、『脈経』『甲乙(明抄本)』『太素』は、いずれも「迯倥c緜」を「迯倡腰綽綽」に作る。
してみれば、対を為す文章としては、「渾渾革革至如涌泉病進而絶(または危)」と「迯倡腰緜緜其去如弦絶死」と考えるべきではないか。

で、何が言いたいかと言うと、医古文の教科書を書くほどの先生の医古文読解力も、必ずしも信用できないと言うこと。勿論、上の私の御託も。

結局、国語の先生か。

神麹斎 08/27 07:38

136:[ 和訓 ]

漢語において、独立して一個のまとまった意志を表現できる単位を句子と呼ぶ。そして句子は、主語・謂語・賓語・補語などに分けられ、その先後次序にはきまりが有る。
その説明のために、例として『史記』扁鵲伝の、
君(主語)有(謂語)疾(賓語)在閻黴€理(補語)
を使ったので有れば、安易に「君に疾有り閻黴€理に在り」などと和訓すべきではないと思う。
昨今は、和訓を旧弊であるとして廃する向きが多い。しかし、その厳格な直訳性にはすてがたい効用が有る。中国人が感覚的に分かったつもりになっている文章にも、和訓しようとすれば語法解析を施す必要を生じる。その際に思わぬ発見をすることは有る。
しかし、和訓は古代漢語を古代日本語に翻訳する作業である。当たり前のことだが、両者の語法がきっちり符合するわけが無い。漢語の形容詞を、場合によっては動詞として訓んでいいことは、漢和辞典にも丁寧に説明されている。
しかし、語法通りに訓んで、何とか日本語になっているのであれば、何も古来の慣習的な和訓に従う必要は無いと考える。ましてや語法の説明の機会においてをや。
上の扁鵲伝の句は、「君は(主語)疾を(目的語)閻黴€理に(連用修飾語)有す(述語)」と和訓することを推奨する。

神麹斎 08/27 07:28

135:[ 平田内蔵吉を知っていますか ]

平田内蔵吉という方をご存知でしょうか。
たにぐち書店「東洋医学の革命児」-平田内蔵吉の生涯と思想・詩-
という本を何年か前に買った。
1901年(明治34年)生まれ
京都大学医学部に入学、一年後、文学部哲学科に転籍。
文学部卒業後、京都府医科大学入学、
平田式熱鍼療法を全国に公演、医科大学卒業寸前退学。
太平洋戦争末期、沖縄戦で戦死。
その間、膨大な著書を書き残し、民間医療の科学的研究、国民体育向上、易を中心とした思想的研究を残す。

「平田の12領帯」の紹介くらいは学校の教科書にあるので知っているかと思う。

小生、20頃、平田氏の著書に興味があり国会図書館に行き、あるものはすべてコピーし製本をした。
まだエンタプライズ出版が出す前の話しです。
平田氏が生まれてちょうど100年、ちなみに大塚敬節氏は1900年生まれ。

先に書いた「東洋医学の革命児」(久米建寿著)の跋文に非常に感銘をうけたので一言。

跋文は平田の次男、平田穂生氏が書いてある。

平田氏の妻が1988年亡くなり、部屋をかたづけていたさい、アルバムを発見、風景写真があり、それを剥がして処分しようとしたさい、写真の裏に「高光る 富士の嶺のごと 強く安らけく 学□とめ□ 吾子 父 穂生へ」という文を発見するところから跋文が始まる。

平田氏の子供は男3人。
長男は健康で学業も優秀。次男(穂生)はきかん坊、三男坊は喘息の病弱。
兄は中学3年の時に自殺。
「父が、医者に見捨てられた病人を何百何千と救っているのは、子供ながら理解できる。その神のようにしたわれる父が、どうして息子の命を救えなかったのか。なぜ、弟の喘息ひとつなおせないのか」・・・
「ませていた私には、父が仕事に打ち込むあまりに、家の中が暗く、優等生の兄が心理的に追い込まれていったことを十分理解していたし、また、弟の喘息も母親の気を引く甘えにしか見えなかった。罪は父にありと堅く信じるようになった・・・」
「けっきょく、私が父を許すようになったのは、父の戦死の報を受けた時である・・・」
「私は、自分の幼児体験の反動で、自分の家庭は大切にする・・・・」という前書きがあり、始めの写真発見後、「脳天を叩かれたようなショックであった」・・・父親の子を思う心にショックを受けたという話しである。
まだ話が続くのだるが、今日はここまで。

小生は平田氏のような存在は非の打ち所がない人ゆえ、家庭も子供も立派である、というイメージを持っていた。現実はそうではなかった。

小林健二 08/26 23:07

134:[ 刺絡療法の歴史の一部訂正 ]

やっと宿題が終わりました。
宮川先生のところへお送り致しました。
文章が途中で消えた(わがパソコンは不調なのです)
ときは、このまま知らん振りしようかとも思いましが、
ナントが出来あがり、ほっとしています。
調子に乗って、蛇足も付けてしまいました。
では

ふの字 08/26 20:16

133:[ ]

古書を読んで、一字の解を求めて字書を紐解き、1,2,3,4とある義項のうちから、さてここではどれが当てはまるかな、などと、ジグソーパズルのピースを探すような態度は、実のところあまり好ましくない。
例えば乃、「すなわち」とか「そのうちに」とか「やっと」とか「あろうことか」とか「かえって」とか「わずかに」とか「つまりは」とか。本当は、それらに共通する語感を求めるべきである。乃では、前提と結果の間に屈折が有る。「条件さえ揃えばそのうちに」「紆余曲折の果てやっと」「どこで狂ったのやらあろうことか」「めぐりあわせのいたずらかかえって」「なんやかや言ってもただそれだけ」「とどのつまり結局は」。
同じく「すなわち」でも即とは大いに異なる。即は直接的である。昨今のギャルがソクなんとやら言うのが、「すなわち」即である。この「すなわち」が乃であるか即であるか、はて、どちらだろう。

神麹斎 08/22 21:53

132:[ 渋江保 ]

羽化仙史という人が、明治四十年に『北極探検』という本を著しているそうな。
明治になって探検隊が北極に行ってみたら、そこには日本人の隠れキリシタンたちが暮らす村があった。彼らは、信仰を守ろうとして日本を脱出して、ヨーロッパを目指したのはいいが、途中で道に迷って北極に居着いてしまった、ということになっている。
いくらなんでも小説だろうけど、この羽化仙史って誰のことだと思います?渋江保、つまり渋江抽斎の末子で、森鴎外の小説中で、比較的好意をもって書かれている人物ですよ。しかも、このテの著作が四十以上も有るんだそうな。いやはや。

下のヒポクラテスの箴言とともに、出処は『偽史冒険世界』(ちくま文庫)。お勧めします。

神麹斎 08/21 20:44

131:[ 外野席 ]

そもそも我々がいるところが外野席であるのは自覚している。でも、外野席だって球場のうちではある。声援はおくるし、時には戦術の批評までする。

神麹斎 08/21 13:44

130:[ 哀其不終而属有疾病 ]

道教の究極の目的は不老不死である、というのが本当かどうか知りませんが、『素問』『霊枢』の理想はそれとは違うように思う。『素問』上古天真論には、「能く形と神と倶にして尽く其の天年を終わり、百年を度えて乃ち去る」と言い、『霊枢』九針十二原に、「其の終せざるを哀しむ」と言う。『素問』『霊枢』の死生観って、本当にそんなに道教的かね。

神麹斎 08/21 00:18

129:[ 人生は短し ]

盛年重ねて来たらず
一日再び晨(あした)なりがたし
              (陶淵明)

少年老い易く、学成り難し
一寸の光陰、軽んずべからず
未だ醒めず、池塘(ちとう)春草の夢
階前の梧葉(ごよう)、既に秋声
              (朱熹)

小林健二 08/20 23:30

128:[ 芸術は長く ]

実は私自身ごく最近になって知ったんですが、例の「芸術は長く、人生は短い」という箴言は、古代ギリシャの医者ヒポクラテスのものだったんですね。しかも芸術は、ARTに相当する言葉の訳らしくて、むしろ技術と訳す方がいいのかも知れない。
  技術は長く 人生は短い
  知識は傲り易く 経験は騙され易い
  判断は難しい

神麹斎 08/20 17:36

127:[ しつこいようですが島田素問 ]

この掲示板に書いている人は、実は問題になっている島田先生の講義を聴いていないはずである。聴いていない人には、それをどうするかという資格はないはずである。最も資格があるのは、力・健二兄弟で、大家さんでしょう。この3名の意向が最も大事だろうと思っている。まあ、掲示板で、ああだこおだといっているのは、それなりに楽しいことだし、責任がないからいいとして、個人的には3人の出方を待ったほうがいいのではないか。なにしろ、聞いていないのだから。

かいちょう 08/20 13:23

126:[ 無題 ]

島田『素問』について:

カセットテープで保存しておくと劣化するので、
MDで保存するか。
パソコンのCDに収める方法だとパソコンが無い人は聞けない。
ただし、パソコンでMP3で編集すると10時間くらいの講義が1枚に収まる計算です。
また、聞きたいところをクリックすれば、そこから聞けるメリットがある。編集するのが大変!

MDでもうまく編集すれば、頭から聞いていかなくても、聞きたいところを指定すれば、そこから聞ける。
いろいろ方法があるが、手間をかけたくない。というのが本心。

テキストの講義資料は作るのにそれほどの労力は必要なし。
テープ(CDか、カセットテープか、MDかの方法)と講義資料が一番良いかも。先のことを考えてMDが良いかな。
テープ起こし、入力、校正、印刷・・・、考えただけで疲れてしまう。

小林健二 08/20 12:38

125:[ 積聚会の会報 ]

会誌交換で、積聚会から2つのPDFファイルが来ています。希望者にメールに添付して送ります。申し込みは談話室管理者または事務局までどうぞ。ただし、積聚会との仁義のためにも、当会会員に限らせてもらいます。(積聚会では有料で配布しているようです。)

Mail 管理者 08/20 11:05

124:[ 島田素問 ]

本当は、テープ起こしはしないで、CDから肉声を聴きながら、資料をめくっていく、ちょうど講義の席にいたような気分になる、そういう形式の方がいいのではないか。講義録として活字化するのは、労力と資金面からかなりの負担になるし、テキストは影印とすれば手いらずだし、どうでしょうか、みなさん。全81篇の講義なので、相当の分量があります。テープで録音していることだし。

かいちょう 08/19 23:16

123:[ 島田『素問』 ]

島田『素問』上古天真論は、先生の講義の雰囲気がよく出ていて、なつかしいものです。どうせならこの口調を残してそのまま本にしたいところです。ただ、実際には、テキストとしてくばったコピーが無いと分からないところが多い。そして、そのコピーは、『素問』経文の両脇に『太素』と『甲乙』を配した、例の原塾時代の形式を踏襲していて、パソコンで入力するとなると、なかなか困難そうです。(先生の現物では一部手書き。)
できれば、これは私個人の好みでもあるんですが、その書物のみを順に読んでいけばそのままわかるような、つまり頁を遡ったり、副読本を脇に置いたりしなくても分かるような形式にしたい。(字書とか資料とかは別ですよ。)そのほうが講義に参加している気分がそこなわれなくていい。
しかしそうなると、かなり編集の手を入れなくてはならない。読みやすくと講義の口調の保全と、けっこう難しい作業になるかと思います。校正はともかくとして、最初のパソコン入力はしかるべき人がやらないと無理じゃないか。
分量的にいえば、講義の中で先生自身が、だんだん簡潔にするとおっしゃってますから、著作集の2倍か3倍、まあ1冊500頁で5冊くらいでおさまるんじゃないか。コピーテキストは話題になっているところのみを載せるとしてですが。5冊本で、著作集なみの単価なら、まあ需要はかなり有ろうかと。
いや、かなり楽しい本になると思いますよ。

神麹斎 08/19 08:37

122:[ 無題 ]

今日、大家さん(島田先生の治療院で働いていた方)からコピーの束を郵送していただきました。

内容は島田先生が1991年5月26日(作成)と書いてある『素問』上古天真論(01)の講演資料(13枚)とテープ起こしをした手書きの原稿(レポート用紙46枚です。

誰か元気のある若い人、パソコンで入力してくれませんか。

小林健二 08/18 23:18

121:[ 文字数 ]

文字数の制限を、きりのいいところで全角に換算して2000字としました。つまり、400字詰め原稿用紙で5枚です。これ以上となるともう論文と言うべきじゃないか、と……。談話の域を超えている。
ちなみに最初は3枚相当、次が中途半端な4枚半相当でした。

神麹斎 08/16 08:40

120:[ あやまち ]

『論語』
過ちては則ち改むるに憚(はばか)ること勿れ(学而)

過ちて改めざる、是れを過ちと謂う(衛霊公)

小林健二 08/15 21:57

119:[ ふの字さんの訂正記事 ]

今日は、お盆休み。久しぶりに覗くと、ふの字さんの島田論文訂正の記事があり、有難く読ませていただきました。著作集編集の段階でも、訂正記事は採用しなかったと思う。先生がご存命であれば、当然訂正したはずであるが。ふの字さんにお願いですが、訂正記事を『内経』に寄せてもらえないでしょうか。できれば、該当ページ数を明示して、わかりやすくしてもらえれば最高です。どうでしょうか。他に、直すべきところがあれば、『内経』に寄稿してください。

かいちょう 08/15 16:26

118:[ 楊上善の揚げ足とり ]

『太素』02-43-7に「血氣與驢資鞄セ則血豸・vとあり、楊上善注に「豸・ケ俟水厓水義當凝也」とある。「音俟」は、声符が同じなんだから文句のつけようがない。俟の音を知らないのは、こちらの責任である。「水厓」は、『説文』に「豸・C水厓也」とある。これもいい。「凝」は、『霊枢』が血豸・テに作っており、岸辺から転じて限界、さらに凝りかたまるという理屈はわかる。
問題は、「水義當凝也」(蕭延平本には水字を缺く)である。『説文』に、「冰,水堅也」とあり、凝は冰の俗という。言うまでもなく、氷と冰は異体字関係にある。してみると、「水義當凝也」でなく、「氷義當凝也」である可能性が有る。水の左にヒと有るように見えるのも、ヒョウと読めということかも知れない。しかしそれでは、氷の出所が分からない。「豸・C氷厓也」になっている『説文』も無いようである。

神麹斎 08/14 12:50

117:[ 冷房関連の話し(2) ]

 ・・・・・・・・・・・
 ハリは痛い、キュウは熱い、漢方薬は飲みにくいものだ、と想像している人が案外多い。しかし実際にはハリを刺してもほとんど痛みはない(手足の末端部のツボは痛いことが多い)し、キュウも味噌灸・生姜灸・灸頭針・知熱灸などは全然跡がつかないし、また直接灸をすえても、疾病のある時には、かえって熱さを快く感じる場合が多い。また、漢方薬は「よくあんな匂いのものが飲める」と思われるが病症に合った薬は、その本人だけは「うまみ」を伴う事が多い。
 それでは、これらの材料を使っておこなわれる東洋医学的治療方法を簡単に説明してみる。
 人間は、本来、健康を保って生命を全うする力を持っている。東洋医学の治病観の基礎には、この自然治癒能力重視の考え方が大きな位置を占めている。疾病は、内傷のある所に外邪が侵入し、経絡の循行を阻害しているのである。従って、漢方薬では、その外邪の侵入部位(身体の表面にあるのか、より深い部位に達しているのかなど)と外邪の性質によって汗・吐・下・和の治療法が決定される。つまり、体表にあれば発汗をうながして外邪を追い出し、一番深い部位に達していれば中和させてしまう、という治療法である。またハリ・キュウでは、変調した経絡の変調の度合い(虚・実などの概念でとらえる)を精密につかみ、これを正常に戻すためにツボを選択し、適当な刺激を行う。こうして、一時的に隠されたり、抑えられたりしていた原因を取り除く方法を講じてやれば、本来持っている自然治癒能力が発揮されて、健康を恢復することができる。ハリ・キュウの場合これを“本治法”といい、いかなる疾病に対しても欠かせない。これに加えて“標治法”を行う。標治法とは、部分的に現われている痛み・こり・シビレなどの訴えに対する対症療法である。この場合には刺絡あり、皮内針あり、灸あり、温灸あり、症状に応じて自由に駆使する。


 このように、東洋医学的治療方法は、身体の変調に応じて治療方法が決定される(これを随証療法という)のを、一つの重要な特徴としている。
 西洋医学の場合は“病名治療”であるから様々な理化学的方法で診察しても結局“病名”が決まらない場合は治療方法が決められない。だから、腰痛症・むちうち症(症状であって病名ではない)などに対して、西洋医学では確立された治療方法がないのに対して東洋医学では、身体がそこにあり、本人の訴えがあり、皮膚を見、匂いをかぎ、脈を診ることができれば、治療方法はおのずと決定されてくるのである。

・・・・・・・・・・

小林健二 08/13 21:17

116:[ 冷房関連の話し(1) ]

この夏の暑さは異常です。
冷房のかけすぎに注意しましょう!
島田隆司先生の隠れた著作に以下のような論文があります。
一部抜粋して掲載します。ご参考に。
文字数が多いので2つに分けて掲載します


合理化病―東洋医学の立場から―

1967年(昭和42)9月
昭和四十三年(一九六八)三十六歳頃(新医協所属の頃)

 ・・・・・・・・・
 「背中が痛む・肩がこる」という訴えの多くの原因はこうした職場環境の中で準備されている。背中から監視されるという条件の中で無意識のうちに背部は緊張し、その上、大きく背中を伸ばすという要求すらも抑えられているから、経絡の循行も妨げられ、背中にある大切な多くのツボ(肺愈・肝愈・胆愈・胃愈……それぞれの臓器を治癒させるツボという意)が凝り、固って痛みを伴ってくる。これらは主として内因である。資本主義社会が提供する様々な欲求不満を底流におきながら、職場の中で“怒り”をじっと抑制せざるを得ない立場に追いこまれながら、主として肝経を傷めることが非常に多くなってきている。加えて、冷房に代表される冷え(外邪―寒)がある。事務系の職場で冷房装置のない職場を見つけるのは困難である。
 春から夏にむけて開放されようとしてきた肉体は職場の冷房で完全に狂わせられる。拡張しようとしていた血管は、再び収縮され、身体の諸臓器のリズムも狂わせられる。逆に秋から冬にむけて、身体の様々な防衛機能を発揮させようと準備していたのが暖房でこれも狂ってくる。(気候の変化に順応することは、東洋医学的には健康保持の不可欠の要件である。)
 こうして内因と外因が準備されているのだから、あとは発病をうながす機会さえあればよいことになる。

 ・・・・・・・・・・・

小林健二 08/13 21:17

115:[ 文字数制限 ]

この談話室への投稿は、一回に(全角に換算して)1800字以内になっています。この前までは1200字でした。まあ、こんなもんじゃないかと思いますが、希望が有ればここにちょっと書き込んでください。増やすことは可能です。
それから一番下の私への連絡用アドレスが間違っていました。これも訂正しました。ご迷惑をおかけしました。

なお、ふの字さんがどなたであるか、管理者は把握しています。したがって「投稿規約のようなもの」違反ではありません。念のため。

神麹斎 08/13 18:52

114:[ 刺絡療法の歴史 ]

神麹斎さん、今日は。
最初に分かっていただきたいのは、島田先生の批判や、校正の皆様の批判をするつもりはないということです。刺絡について、影響の強い島田先生の著作に、間違いがありれば、後学への影響の大きさを恐れるために書いたことを分かってください。私にとって、島田先生との最初で最後の機会となった合宿にも、実は、資料を持参していて、先生にお渡ししようと思っていたのですが、なんとなく恐れ憚られ、わたし損ねて、今は、後悔しています。
さて、本論です。
1)患者数と症例
症例は数え方で、変るのかもしれませんが、69例70人分ではなく、70例72人分です。
2)平均出血量
出血量の書かれていないものや「1合以下(一合として計算しました)」などのあいまいな記載があるので、確定できませんが、5升前後ではなく、2升3合前後です。
3)最小出血量
最小出血量とは書かれていませんが、「少ないものでも……1合」と書かれています。5勺の例があります。
4)大鍼、小鍼との併用例
大針との併用例は13ではなく、16例。小鍼との併用は、20ではなく、21例。三鍼併用は、2例ではなく、なし。(三稜鍼の使用例なら、2例)
平均5升の出血(最小1合)の治験と聞くとすさまじい治療とおもいませんか?2升3合の出血(最小0.5合)でも、大変な出血量とおもうかもしれませんが、詳しく見ていくと、十合以下の例が全体の三割を占めています。また、十合以下の出血例を見ていくと、3合以外のすべての量があり、出血量をコントロールしながら、厳密に計量しているように思えます。
また、先生の論文には記載されていませんが、平均の治療期間(記載があいまいなものも多く、また、日付けが分かっても、当時の暦の知識がないので、自信がありませんが)、70日前後であることを書くことも必要だと思います。
余談になりますが、それでも、現在の刺絡から考えるととてつもない量です。刺絡家の間で、「1合=10分の1合説」があるのをご存知ですか?これの根拠を調べたことがあり、今では、個人的には1合は1合だと思っています。もし、1合10分の一合説の根拠をご存知な方がいらっしゃれば、お教えください。

ふの字(管理者によるアップ) 08/13 18:34

113:[ 刺絡療法の歴史 ]

アップしたのですが、行数が多すぎるのか、受付もらえず、
管理者宛も、アドレスの誤りか、届きません。
正しいアドレスをお知らせください。
では

ふの字 08/13 17:21

112:[ 哲学 ]

哲学が「世界の根本原理や人生のあり方を研究する学問」であるとしたら、医学もまた哲学の一分野であります。患者がきた、刺した、治った、で無い以上は当然のことです。目の前の患者のことを、全体像として把握しようとする。哲学じゃなくて何だと言うのですか。あ、哲学しようと言うんであって、哲学の話をしようと言うわけではありません。

神麹斎 08/13 15:11

111:[ 小学生で刺絡 ]

昔、小学生のころ、毎年しもやけに悩まされていた。
関東は埼玉のいなか、暖房設備もろくになく(ストーブなど無い)すきま風が入る家に、こたつ一つで冬を過ごす。
春を迎え、暖かくなってくると、きまって手の指がタラコのようになり、かゆさで指を何かに叩きつけたくなるような気持ちになる。

小学5年の春、指のかゆさにがまんができなくなり、家に親がいないのをみはかり、一人家の縁側で治療をはじめた。
子供の発想で、指にたまっている血を出せば楽になるだろう、と。

カミソリをこっそり持ち出し実行。
切る時の痛さを軽減するため指の根本を押さえ(自分で考えた)指先を切り、血を絞り出す。全部の指が終わるのにどれくらい時間がかかっただろう。痛さと怖さで一時間はやっていたのでは。
はじめはカミソリが恐くて爪切りで肉を切っていった。衛生問題など頭になかった。
血を絞り出してちり紙で拭き取る。
治療して、すぐにかゆさが消失し、それから以降しもやけにならなくなった。
誰に教えてもらったわけでもない、子供の素朴な治療。
翌日、父に指が楽になったこと、自分で治療したことを報告したら、バイ菌が入ったらどうする、と注意されたのを想い出す。

小林健二 08/12 23:23

110:[ 理論 ]

ありとあらゆるものごとは、陰と陽とに分けられる。そしてまた陰は陰の陰と陰の陽とに分けられ、陽は陽の陰と陽の陽とに分けられる。そしてさらに陰の陰は陰の陰の陰と陰の陰の陽とに分けられる。かくして八卦となる。ありとあらゆるものごとは、八卦のいずれかに属する。ある一つの卦の両隣には似通った陰陽性格の卦が有り、向かいには対称的な陰陽性格の卦が有る。八卦を重ねて六十四卦となる。ある一つの卦の両隣には似通った陰陽性格の卦が有り、向かいには対称的な陰陽性格の卦が有る。ありとあらゆるものごとは、六十四卦のいずれかに属する。従って、ある特定の状況のことが分かれば、別の状況のことを、六十四卦の陰陽性格にもとづいて類推することが出来る。かくして世界はすみずみまで明晰なものとなる。

神麹斎 08/12 22:30

109:[ ご指摘について ]

島田先生の、特に晩年の著作の価値は、「良くまとまっている」ところに在ると思います。実のところ、材料は先人や若手のものそのままであることが多い。別に批判しているのでは有りません。そういうことが出来る立場も能力も、他にはあまり無かったろうと思います。
垣本鍼源についての記述も、たぶんご指摘のとおりだと思います。いくつかの著作の中に、私たちも首を傾げた箇所が無かったわけでは有りません。校正者の能力と時間の限界により(どちらも言い訳に過ぎないことは自覚しています)、そのままになっていることが多々有ることと思います。「まとめる」という著作の性格からも、先生の度量の面からも、遠慮する必要な無いと考えます。なんでしたら、この談話室に具体的な指摘をしていただけたらと思います。

できましたら、「ふの字」さんがどなたであるか知りたいと思います。おおよその見当はついていますが。なんでしたら事務局か管理者だけにでもご連絡ください。

神麹斎 08/12 10:26

108:[ 精緻な虚構 ]

十二経脈に臓腑の名を付けることへの批判は、島田先生に漢方概論の講義をうけたころから、私にとってはむしろ常識です。理論医学というのは、そうしたことを含んでのことです。
世界を陰陽と五行によって説明しつくし、その細部までも整合性の有るものと観る。当然、現代の目からすれば牽強付会でありうる。しかしそれでも、観念的、哲学的であると言われることを恐れない。それが方便であることを知っているから。
手足の三陽と腑との組み合わせなんぞは、全体の構成からすればたいしたことではない。動かせないのは足の陽明と胃の配合くらいのものか。手の三陽に至っては、経脈篇の是動、所生の中にすら、ほとんどそれらしきものは無い。手足の三陰と臓との組み合わせはまだましな方ではあるが、それでも経脈篇に至るまでの試行錯誤は内経自体の中にも見え隠れする。
大腸経の合谷を用いて直腸の激痛を取り除けたと言うのではなくて、手の陽明であることとの関係を探りたい。脾経を用いて心の病に対処することを躊躇するのではなく、火と土の母子関係を利用することの可能性を考えたい。私の言う理論医学とはそういうことです。
陰陽も五行も、ありていにいえば迷信です。しかしこの精緻に組み上げられた虚構を用いるよりも有効な手段を知らない。砂漠の地図は可能であるか、海の地図は可能であるか、天空の地図は可能であるか。もし可能であるとしたら、そこにも私たちの知らない虚構が据えられているのであろう。
でもこの精緻に組み上げられた虚構を完成品だなどとは夢にも思わない。だから古書を読むのです。

神麹斎 08/12 10:10

107:[ 「刺絡療法の歴史」の訂正 ]

島田先生の著作集を読んでいると、「刺絡療法の歴史」が、掲載されているのを知りました。
「刺絡療法マニュアル」からの転載です。
この論文は、良くまとまっている上、示唆に富み、刺絡治療家のみならず、針灸師必読のものですが、一部誤りがあります。
刺絡学会の関先生にも、もし、再版するなら、訂正してほしいと
お願いしておいたのですが....。
垣本鍼源についての綱目は、基本的な数字が違っています。
後学を誤らせないためにも、訂正の機会があれば、訂正してほしいと考えています。
島田先生の論文で、本にできなかった分をCDにする予定と聞いているので、できたら、訂正をお願いしたいのですが....
篠原先生も小曽戸先生も似た間違いをしているようなので、
その間違いが、定着することをおそれます。
懐の深い島田先生なら、笑って許してくれると思うのですが...

ふの字 08/12 08:37

106:[ 足の太陽膀胱経 ]

理論的医学について私見---

五行理論故に、足の太陽経に「膀胱」をつけざるをえなかった。
もっと素朴に人体を縦割りし、手足の三陰三陽に分けて考えることがベストかと思う。
「膀胱」をないがしろにして言うのではないが、「足の太陽経」がかわいそうだ。
臨床で言えば、膀胱経という表現より、足の太陽経と言った方が応用がきくと思う。胆経というより足の少陽というほうが良い。
いかがですか、皆さん。

小林健二 08/12 01:05

105:[ 理論的医学 ]

中国医学を経験医学というのは、誤解です。中国医学は理論医学です。理論が勝ちすぎていると言っても良い。世界は完全に理論立てられている。だから如何なる病にも治療法は既に存在する。問題は、実際に経験したことがないか、あるいは理論の運用が拙劣なだけである。だから理論に習熟し運用に巧みになりたいと思う。
中国医学は理論医学です。理論が勝ちすぎているかも知れない。理論にいわゆる科学的うらづけが無い。そこで、非難する人は、あるいは哲学的といい、あるいは観念的という。
経験によって真理に到達したという人は、いってみれば魔法的な医術の境地である。
魔法的な医術に、はたして、哲学的な医学を揶揄する資格が有るのだろうか?
悩み悶えながら、あたかも万能であるかのごとく治療するのは、確かに欺瞞である。しかし、針の悟りに達するまでの間、按摩したり、灸をすえたりというのも、その点では結局同じことである。敢えていえば、手をこまねいて何もしないでいるのも。
そもそも、迷いを超越した人が、何の用でよその庭を覗きにいくんだろう。自分が手に入れたと称するものを、見せびらかしたいのだろうか。
経験努力が報われて、真理に到達した。うらやましい話ではある。でも、単に自らを信じやすい人と、信じにくい人の差に過ぎないのかも知れない。それに学と術とは、真理に到達する為の両輪だと思う。学により重きをおく人は、とかく信じない。迷いが多いのは宿命である。

神麹斎 08/11 10:54

104:[ 島田先生の著作集が届きました ]

今日、島田先生の著作集が届きました。
編集、校正の方、ご苦労さまでした。
先生を思い出しながら、読ませていただきます。

内経学会のホームページが出来たのをまったく
忘れていました。
「内経」最新号をみて、昨日、はじめてアクセスしました。
これからは、ちょくちょく覗くようにします。
では

ふの字 08/10 17:10

103:[ 在庫のお知らせ ]

B5版霊枢できました。1500円(会員1200円)
「黄帝内経明堂」(共著)品切れでしたが、北里から20冊ほどゆずりうけました。

 上記は事務局からの連絡をHP管理者が伝達します。
 問い合わせは、事務局またはHP管理者まで。

管理者 08/09 22:23

102:[ ユニコードでてんやわんや ]

『諸病源候論』のUTF-8文書、小林さんが色々やってくれて、何とか見られるようになりましたが、下のaeamからshiryouko経由の「諸病源候論」をインターネットで見ようとすると、いくつかの文字が表示されません。例えば「蟾「元方」は「・元方」と見えてしまうはずです。
やはり、漢字文献を扱うには、OSはWindows2000またはMe、ワープロソフトならWord、エディターならakira21(シェアウエア4000円)またはTMEDIT(同)をお勧めします。どうも一太郎のユニコード対応には問題が有りそうです。最新の秀丸なら可能なはずなんですがねぇ、これもまだ成功してません。

神麹斎 08/09 18:00

101:[ 変換補足説明 ]

変換作業補足

左合さんのユニコードテキストを
MS-WORDで直接読み込みます。
(UTF-8)で読み込む

Web形式で保存。

インターネットエクスプローラでWeb形式文書読み込む。
すべてを選択し、一太郎を開く
一太郎文章に貼り付け。
以上の操作でなんとか作業しました。
一太郎ではユニコード版『諸病源候論』を直接開くことは、はダメでした。
難しい

小林健二 08/09 14:06

100:[ データ変換しました ]

できるだけ文字化けしないように
1、一太郎形式
2、MS-WORD形式
3、Web形式

以上の形式でデータ変換しました。
アップ先は
http://aeam.umin.ac.jp/siryouko/syobyo.htm

左合さん、ご苦労様。

小林健二 08/09 14:01

099:[ UTF-8の文字化け ]

合宿で、何人かに『諸病源候論』データ(UTF-8)を渡したところ、軒並み文字化けの報告が有りました。
今のところ正常な表示を確認しているのは:
Windows2000でWord、TMEDIT、Akira21、Notepad
WindowsMeでWord
それと諸病源候論.txtを右クリックして、開くアプリケーションにInternetExplorer

おそらくWindowsMeや98でもWord、TMEDIT、Akira21なら大丈夫ではないかと思っていますが、現在当方に確認できる環境が有りません。
それから一太郎、秀丸でも出来るはずだとは思いますが、最近使ってないので、方法が分かりません。

将来性と汎用性からは、UTF-8がお勧め、というのを真に受けたトラブルなんでしょうけど……

神麹斎 08/08 18:26

098:[ 諸病源候論の校正 ]

『諸病源候論』(宮内省書陵部蔵本)の、初歩的な入力が終わりました。ただし、決定的に校正が不足です。そこで、校正の同志を募ります。
単純な入力ミスの指摘、正字形に統一したのならこの異体字の使用は必要ないとの指摘だけでも結構です。
勿論、多紀元簡(喜多村直寛補)『諸病源候論剳記』、陸心源『諸病源候論校補』あるいは中医古籍整理叢書『諸病源候論校注』、さらには自己の研究に拠って、修正意見を寄せて貰えれば、大歓迎です。

Mail 神麹斎 08/01 08:33

097:[ 假印為應 ]

『諸病源候論』(宮内省書陵部蔵本)小兒雜病中の時氣病候に、
時氣病者,是四時之間,忽有非節之氣,如春時印暖而寒,夏時印熱而冷,秋時印涼而熱,冬時印寒而貅ォ。 云々とある。
ちょっと中国語ができて、感のいい人なら、この印は應の誤りではないかと考えると思う。印も應も、現代中国語音をカタカナで書き表せばインとなる。ところがちゃんと中国語のできる人は、首をかしげるはずである。ピンインで表せば、印はyin、應はyingである。微妙に異なる。古来異なる。
通仮であることの証明には、音が近いことと実例が必要である。音は十分に近い、と思う。どなたか、應と書くべきところに印が用いられた例を、他にごぞんじのかたは有りませんか。
蛇足ながら、『方言』に「厲、印は、為なり。甌、越では印と曰い、呉では厲と曰う」と有りますが、時氣病候の印を為に改めてもやっぱり変でしょう。

神麹斎 07/29 17:43

096:[ 脉診妄言 ]

『太素』卷十六の雜診中(『素問』では病能論)に、

黄帝曰く、逖嘯aむもの有り、診するに右脉は豐奄ノして、左脉は然らず、病主いずこに在るか、と。岐伯曰く、冬これを診するに、右脉は固より當に豐焔ルなるべし、これ四時に應ず、左浮にして遲は、これ四時に逆す、左に在るは當に主病たり、診の腎に在り頗る肺に在るは當に腰痛すべし、と。曰く、何を以てこれを言うか、と。曰く、少髫bフ脉は腎を貫き胃肓に上り肺を閭ウう、いま肺脉を得て腎これが為に病む、故に腎腰痛を為すなり、と。

若干、句讀と和訓に自信の無いところが有るが、右脉は四時に應じ、左脉が病に應ずると言っているように思えてしようがない。本當に、上古の經典には左人迎、右氣口の萌芽は無かったんだろうか。
もつとも、左と右の脉迢€が異なっている時は……云々という記載は、『太素』(或いは『素問』『靈樞』)には、他に無いようである。

神麹斎 07/27 11:15

095:[ 男か女か ]

『諸病源候論』に、胎児が男か女か、判定する奇抜な方法が載っている。
細君がトイレにたったとき、旦那が後ろから声をかける。左廻りで振り返ったら男、右廻りで振り返ったら女だそうである。機会が有ったらお試しあれ。
で、思い出すのは、井上先生から聞いた眩暈の治療法。ひどい眩暈で往診すると、患者は一番楽な姿勢、つまりうつぶせになっているはず。風池や天柱に置鍼し、裏内庭に点灸する。うまくいって発作が治まったら、仰向けにならせる。右へ廻って仰向けになるのは肝虚、左に廻って仰向けになるのは肺虚だそうである。してみると、妊娠のある時期に脈診して、肝虚であれば女、肺虚であれば男なのであろうか。これも機会が有ったらお試しあれ。
また、一般的に肺虚であれば右の寸関尺が左の寸関尺より弱く、肝虚であれば逆といえる。してみると、凌耀星先生の三焦理論にのっとれば、妊娠中に三焦の代謝機能が亢進すれば女、相火機能が亢進すれば男なのであろうか。
まあ、単純に言ってしまえば、左が陽であり、右は陰である。男は陽であり、女が陰である。それだけのことかも知れない。

神麹斎 07/23 22:15

094:[ 無題 ]

先のメッセージにミスがありました。『霊枢』引用のはじめ部分。外字が入っていました。
・泄→鬟ァ泄の間違いでした。

Mail 小林健二 07/21 23:54

093:[ 汚と汗 ]

参考までに、汚と汗の間違いは『素問』にあります。
下の※印は訂正した電脳テキストです。
22-26a06には「汗」に作っています。原典を見て下さい。

◆至眞要大論篇第七十四.
虚者補之.余錫以方士.而方士用之.尚未能十全.余欲令要道必行.桴鼓相應.猶拔刺雪汚※.工巧神聖.可得聞乎.

なお、同文が『霊枢』にあり、これは「汚」です。
『霊枢』九鍼十二原 01-04b03

取三陽.泄取三陰.今夫五藏之有疾也.譬猶刺也.猶汚也.猶結也.猶閉也.刺雖久.猶可拔也.汚雖久.猶可雪也.結雖久.猶可解也.閉雖久.猶可決也.或言久疾之不可取者.非其説也.夫善用鍼者.取其疾也.

Mail 小林健二 07/21 17:25

092:[ 汗って毒? ]

蒸し暑いですねえ、汗だくです。
で、思い出したんですけど、諸病源候論の癰疽諸病候中に、養生法を引いて人の汗が食物中に入って、それを食すると癰逋、になるというのが何カ所か有る。
確かに、古代の中国人は意外と食物の清潔には神経質で、例えば論語の「沽酒市脯不食」(売っている酒や、市場で買った干し肉は食べない)とか「不得其驢ャ不食」(相応しい調味料が無ければ食べない)とかも、実は衛生面を慮ってのことらしい。
でもねえ、人の汗ってそんなに毒ですか。うっかり口にするとはれものができますか。
この汗ってひょっとすると豎凾フ誤りではなかろうか。豎凾ヘ即ち汚である。
汗か豎凾ゥ、つまりはねているかいないか、虫眼鏡を持ち出しても無駄である。昔の抄者も刻者も、つい先頃までの小学教師のようには厳格で無い。
実は、癰疽諸病候中にはもう一カ所、似たような記述が有る。銅器蓋食汗入食食之令人發惡瘡蜈ァ疽。銅となれば緑青か。緑青が食物の湯気で溶け出すことがあるなら、汗ですかね。乱暴に扱って緑青の粉が落ちると考えれば、豎凵i汚)ですかね。
もっとも、人の汚は排泄物だろうけど、汗も含んで。

神麹斎 07/20 15:35

091:[ フォントのダウンロード ]

ここに一時的にダウンロード用にフォントをしまっておきました。
というのは自分でもどこにあったか忘れてしまうので、またよそ行ってフォントが無いと困るときがあるので自分用に保管してあります。
http://aeam.umin.ac.jp/temp1/unicodefont.html

フォントはあっても辞書がないと変換ができません。
ということでここにおいてあります。
ただしMSIMEは、まだ作っていません。あくまでATOKのみ。
辞書ですがここにあります。
http://aeam.umin.ac.jp/
以上

Mail 小林健二 07/15 21:25

090:[ ユニコード用のフォント ]

老婆心ながら、ユニコード用フォントの用意の無い人に:
一番手軽なのはインターネットエクスプローラーを附録CD-ROMに収めているパソコン雑誌を購入して、インストールの際に「最小構成インストールまたはブラウザのカスタマイズ」を選択し、「複数の言語サポート」から「中国語サポート」と「中国語IMF」を選択します。中国語IMFのほうは、中国語ができなければほとんど意味無いけれど、この一連の操作で入手できるMingLiU,PMingLiU,MS Hei,MS Song,SimSunなどのフォントは、一太郎、ワードなどでも利用できます。勿論、この談話室の表示にも。(自分はどうやって入手したかはもう忘れてしまったので、上の方法はある雑誌の受け売りです。)

神麹斎 07/15 14:12

089:[ 投稿規約のようなもの ]

掲示板が新しくなったのを機会に、投稿規約、のようなものを定めようかと思います。
まず、トラブル防止のため、やっぱり匿名はやめましょう。戯名、例えば神麹斎あるいは守神斎あるいは虚舟先生あるいは十元などは、内経の会員なら、ははああの人とわかるんんじゃないかと思う。こういうのはOK。では新しく戯名を使いたい人はどうするか?たぶんあの人だろう、と見当がつきそうな内容を書き添えてもらうか、あるいはEメイルの欄に書き込んでもらう。Eメイルがわかれば、連絡はつきますから。
誹謗中傷、罵詈雑言、揚げ足取りは慎むこと。あたりまえだし、ここの掲示板でそういうことが有ったとは思わないけれど、他ではけっこう多いらしい。もっとも「親しみを込めた」からかいは歓迎します。談話室のにぎわしです。ただし、逆襲されても逆上しないこと!!
内経医学会のだれかに質問したい時は、なるべくこの談話室を利用してください。今までは漢字がたりなくて、肝腎のことが聞けなかったりしたけれど、今度からユニコードが使えるので、かなり突っ込んだ議論も可能だと思っています。
それから、談話室の常連を増やしたい。もっともっと気楽なおしゃべりからはじめましょうよ。例えば、「今日は蒸し暑いね」とか「おや、九州はけっこう涼しいよ」とか。

神麹斎 07/15 14:10

088:[ Windows98でテスト ]

史崧(しすう)と王燾(おうとう)と孫思驍・iそんしばく)は外字を使わないと表示できなかった。
ユニコード対応談話室ということで、これらの問題がクリアーできるかテストします。
逖€血(おけつ)、閻黴€理(そうり)、閹サ中(だんちゅう)、中閼・iちゅうかん)、黄闃ゥ(おうごん)、川闃氏iせんきゅう)
以上テスト終了

平成13年7月15日
小林健二

以上の文章はMS-WORDで文章を作り、この談話室に張り付けたものです。
私が見ているかぎり、ばっちり表示されています。

うに 07/15 09:29

087:[ テスト ]

一丁荳nオ荳・ク・ク・恟芬O上下荳剣s与荳序黴€丑荳剃ク投侍。世丗丘丙荳壻ク帑ク應ク搶裝ク滉ク黴€両荳「荳」荳、荳・並荳ァ丨荳ゥ个荳ォ荳ャ中荳ョ荳ッ荳ー丱串荳ウ荳エ荳オ丶荳キ丸丹荳コ主丼荳ス荳セ丿
日本内経医学会の談話室(旧掲示板)がユニコード対応になりました。上はCJK統合漢字の4E00から4E3Fです。ユニコード対応のフォントが用意されていれば、ちゃんと見えると思います。

神麹斎 07/14 07:12

086:[ おもしろいですね ]

奥が深いですね。初心者にはちと難しいですが、ぼちぼちやっていきますのでよろしくお願いします。河童は古典という流れに流されるばかりです。早く自由に泳いで見たいものです。

野次馬河童 07/03 13:25

085:[ 督とはつまり尻である ]

督は毒なり。なるほどね、そういう手が有りましたか。確かに『説文通訓定声』に、毒は、仮借して督と為すと言い、いくつかの例があがっています。ただし、かんじんの毒の仮借として督字を用いた例はまだ見つかりません。
ここはやはり督は{尸口}ではないかという感触をもっています。実例をあげられないことでは同じですが。{尸口}は『広韻』の音督のグループに在ります。意味は、『玉篇』『広韻』を突き合わせ、校勘を加えると、つまり尻のことらしい。(『内経』no.126の私の報告を見てください)尻のことをトクということが有った、という実例にはなるのかな。鷄督と鷄屎。尻から出るものを、ほんの少し婉曲に尻という、これは修辞の常道でしょう。ちなみに尻というのは、臀部というよりむしろ肛門をさしていることが多いようですね。

神麹斎 07/03 09:18

084:[ 追伸 ]

言い忘れましたが、でもその前後の項を見てみると毒は毒の字が使われているんですよね・・・。どうしてここだけがわざわざ督の字を当てているのでしょうか?やはり督=毒は無理があるのでしょうか?

野次馬河童 07/02 23:19

083:[ 蛇足です ]

 神麹斎さん先日は快い返事くださりありがとうございました。
 ところで、督の件ですが緑書房から出ている諸病原候論には督の字は毒の意味で用いています。そこで毒を調べますと”おさめる”の意味合いで督の字が通訓としてのっておりました。

野次馬河童 07/02 23:11

082:[ ]

『諸病源候論』に鷄督瘡というのが有って、「其の形の鷄屎に似るを以て、因って以て名と為すなり」と言う。これって例の{竹基}の「音督」と関係有るんじゃ無かろうか。
ちなみに、督に屎なぞという意味が有ることは、『漢語大字典』にも、かけらも載ってません。

神麹斎 06/29 06:55

081:[ 見ました! ]

 ”灸”問題?のテレビ放映偶然見ました。野次馬的にニャニャしながら見ました。私個人としては関係な問題ですが、言語はその時代の生き物ですから仕方ないと思いますけど・・・。時代とともにその意味も変化?進化?退化?するのは自然だと思います。
 そんなことより神麹斎さんが思ったより近くにお住まいなのに驚きました。

野次馬河童 06/28 00:47

080:[ 諸病源候論校正一則 ]

『諸病源候論』巻三十四「瘻諸病」のうちの雀瘻候に、
「…服薬すれば物有り、小便に随って出る、状は雀■の如し…」とあって、(台湾)国立中国医薬研究所出版『巣氏諸病源候総論』でも丁光迪主編・中医古籍整理叢書『諸病源候論校注』でも、■を卵と考えています。なかでも『諸病源候論校注』は、周本に拠るとして穀の禾を卵に換えた字に改めるといい、『広韻』の「卵也」を引いています。
でも、これはおそらくは誤りです。底本の文字は(判読困難ですが)、穀の禾を鳥に換えた字であろうと思われます。雀{穀-禾+鳥}の意味は幼い雀。『漢語大詞典』に引く『列女伝』にそういう熟語が見えます。これでこそ前例の蛙だ蝦蟇だ蛇だなどと釣り合いがとれます。

神麹斎 06/27 23:08

079:[ お灸をすえる ]

(共同通信の)松田さんがマスコミに送った記事の中に、ある鍼灸師の団体が、国語辞典にある灸の表現の書き換えを求めて「かつて懲罰として灸が使われたことはない」と主張しているのに対して、私が「『後漢書』光武帝紀には、奴婢を罰するために灸をすることを禁じ、された奴婢は庶民として解放せよと皇帝が命じたとある。これは懲罰だろう」と異議申し立てた、というのが有った(らしい)。
そこでCBC放送が取材にやってくる騒ぎになった。

で、私の意見(言い漏らしたことを含めて):
・基本的に言葉狩りは嫌いです。
・国語辞典にある灸の表現を書き換えてほしい、という気持ちは理解できる。
・ただ、かつて懲罰として使われたことは無い、というのは誤りで、かえって主張を弱めていると思う。そんなことは二千年も前のことだ、と言ってほしかった。
・「小さいころいたずらをして灸を据えられた人は実際、まだ周りにいます」とは言った記憶が無い……んだけど、まあ松田さんと話すときはたいてい酔っぱらっているから確かではない。それに懲罰のために灸をされたと思っている子供、例えばおねしょでもしたんじゃないか。すえられた灸は、子供にとっては懲罰という記憶かも知れないけど、親や灸師にしてみれば治療だよね。いたづらっ子を落ち着かせるための灸なんて習慣も、有ったって不思議は無い。
・最近よく使われるのは、「田中真紀子外務大臣が外務官僚にお灸をすえた」というような表現だとおもう。で、よく考えてみると、これって懲罰と言うより、むしろ治療、教育的指導、折檻だよね。

そこで国語辞典の書き換え案
例えば、マイクロソフトのブックシェルフの
【灸をすえる】
   1 もぐさを皮膚にのせ、それに火をつけて治療をする。
 2 きびしくしかり、とがめること。
1の方は、国語辞典レベルでは文句言ったってしょうがない。
2の方を、「きびしく折檻する。」に改めてもらう。
老婆心ながら、
【せっかん=折檻】(同じくマイクロソフトのブックシェルフ)
(中国、前漢の朱雲が成帝を強くいさめてその怒りをうけ、朝廷から引きずり出されようとした時に、檻(てすり)につかまったため、その檻が折れたという「漢書‐朱雲伝」に見える故事から)きびしく意見すること。きびしく叱ること。転じて、せめさいなむこと。切諫。

神麹斎 06/22 23:07

078:[ 靈蘭之室の引っ越し ]

靈蘭之室を、私個人のホームページから内経のホームページに引っ越しました。
私個人のホームページは、閉鎖するか、完全な趣味の部屋にするか思案中です。

神麹斎 06/09 23:04

077:[ 酒に水を… ]

日本伝統鍼灸学会からわざわざ、44号の記事に誤りが有ったとして、「あら、あの人お酒に水を入れても分からないのよ。家で飲むときはお燗なので、アルコール量が多くならないように水増ししたことがあるのよ」を「でも飲んじゃうと特級、一級、二級の違いは分からないわよ」に訂正すると言ってきた。

言わずもがなのような気がする。事実関係はともかくとして、前の方が、イタズラを告白する奥さんの愛らしさ、気が付いていても言わない島田先生の優しさ(少なくとも酒飲みはそう思う)、鬼の首でも取ったように吹聴する小川さんのおっちょこちょいさ、実にいい話になっていると思うんですがね。

もっとも、島田先生が言わなかったのは、優しさじゃなくて、言ったらかえって興が冷めるのを嫌っただけかもしれないが。酒を口にするのは、別に聞き酒のためじゃないからね。

私だったら、「分からないのよ」を「分からなかったこともあるのよ」に訂正して、金古さんあたりのフォロー「分かってて言わなかったんじゃないの」を創作します。

匿名 06/07 13:06

076:[ ATOK漢字変換の裏技 ]

ATOKを使っていて漢字変換していく時に、漢字候補が小さく見にくいと感じたことはありませんか。
あんがい、知らないで損をしている機能に「候補ウィンドウ設定」機能があります。
特にノートパソコンを使用している方はお進め機能です。
【ATOK13】
・Ctrl + F12 (コントロールキーを押しながらファンクションキーのF12を押す)
・ATOK13のプロパティ画面が表示される。
・〔入力・変換2〕 のタブをクリック
・〔候補ウィンドウ設定(A)〕 のタブの中にある
 〔表示サイズ(S):〕があります。
 そこの〔標準〕→〔拡大〕にして〔OK〕
 これで完了。
【ATOK14】
・Ctrl + F12 (コントロールキーを押しながらファンクションキーのF12を押す)
・ATOK14のプロパティ画面が表示される。
・〔設定項目(Y)〕
・〔候補ウィンドウ〕のタブの中にある
 〔候補ウィンドウを拡大表示(L)〕があります。
 そこのチェクボックスにをチェックを入れる。
 これで完了。

kobayashi 06/06 14:18

075:[ 掲示板を利用したデータベース やりましょう ]

面白そうですね。
すこしずつ出来ていくのが見えると言うのが面白いかも知れない。
ユニコードにしか無い字は後から入れればいいから、何か本を決めてはじめましょう。短めの方がいいかな。
なお、『診家枢要』のデータは既に作ってあります。

神麹斎 06/06 06:31

074:[ 掲示板を利用したデータベース ]

先のユニコードテストは失敗に終わりました。
書き込み時はOKなのですが、「投稿」ボタンを押すと文字化けします。
外字はどうか、テストします。
血

中
肩
理
黄
川
以上です。
当然、外字が統一されていませんと表示は文字化けします。
なんでこんなテストを行うかというと、掲示板を使ったテキストデータベースを行おうという考えです。
あるテーマに基づき、分担でデータを書き込む。
それを左合さんがまとめて、HPにアップする。
いかがですか。
一日、数行でも書き込めば、それで今日の仕事はおしまい。
あとは、山とつもったデータが残る。
いい話でしょ。
参加者募ります。
例えば、『診家枢要』を分担で入力など。

小林 06/05 14:18

073:[ ユニコゥ`ドテスト2 ]

嶄諢
頡僮
ラbラ@
主

ワゥ`ドで俳り処りです

こばやし 06/03 01:34

072:[ 壅業薬鷹 ]

壅業の薬大C任后」
嶄諢
頡僮
主

弌爽 06/03 00:09

071:[ ユニコード表示失敗 ]

この前にある掲示板はユニコードで書き込んだのですが、表示がだめでした。
また、実験します。

小林 06/03 00:08

070:[ 廷i尚紊妊罐縫芥`ド燕幣 ]

おもしろい携です。
嶄諢
頡僮
主

參貧、この廷i尚紊妊罐縫芥`ド燕幣できるかテストしました。
ちゅうかん、おけつ、けんぐう、が燕幣されたでしょうか。
マックはOS・でないと殪尖です。
ワゥ`プロで・匯湊隻、ワゥ`ドで・ユニコゥ`ドで恬った猟をここにコピゥ`すると、燕幣されます。
ここに岷俊菩「・zんでも・が竃るだけです。
おもしろいでしょう。
參貧です。

弌爽 06/02 23:59

069:[ 康煕字典 ]

6月末に『康煕字典』のCD-ROMが発売されるそうですね。しかし28,000円というのは高すぎると思いません?

神麹斎 05/31 23:09

068:[ おそまつ ]

Googleで、「霊枢」を検索したら、いっぱい出てきた。さすがと思ってよく見たら、葬式関係がやたら多い。つまり「霊柩」が紛れ込んでいる。なんともはや。

神麹斎 05/19 07:36

067:[ 発掘と発明と ]

右寸が浮にして洪であれば、肺熱である。これは『診家枢要』に載っている。浮而洪が熱であるのはいい。なにと比べて浮而洪なのか?たぶん、指をおろしてそう思った、でいいんだと思う。中国人の嗜好には比較は無かったんだろう。
日本人はそうは行かない。どの部位に比べてとか、患者の常日頃に比べてとか、理屈っぽい。だから、日本の六部定位脈診は、左右の寸関尺に五行を配当して、相生・相剋の関係からみてどれが理論的に虚しているかを診る。
脈診に五行を取り入れることなんか、だれでも気がつきそうなのに、比較するという嗜好の無い中国人にはできなかった。昭和初期の日本人による偉大な発明と言って良い。伝統に則った発明!!だから、なおさら自慢できる。
中国人が発明した脈診に、比較は全く無かったのか?『内経』の寸口・人迎診はさずがに比較だろうけど、それ以降に発展があったとは思えない。
三部九候診は比較ではない。大先輩の話として、「九カ所を診て比較検討するなんてことは人間業でない。だから廃れたんだ」と聞いた。でも、これも日本人の嗜好に囚われた誤解であろう。例えば、肺の診処に触れて浮数であれば肺の風熱だ、というようなことで良いんだろう。どうして肺の診処に触れたの?触れ得たかったから。これが「臨床家の極意」である。これだったらやって出来ないこともない。
日本で脈状診と言えば井上先生だけど、あの脈診は優れて比較脈診風である。あえて言えば、材料とした書物の誤読あるいはねじ曲げがあると思う。しかし、そのおかげで、まだ風熱では無いけれど、やがてそうなる、と言うような診察の世界を切り開いたのも事実である。大いばりで発明であると言って良い。おそらく中国人には思いつかない発明だと思うし。

神麹斎 05/12 07:02

066:[ わかる! ]

島田先生といえば、食通で酒好きということになっているけれど、今度の『伝統鍼灸』の追悼座談会で、奥さんから聞いた話として、「あら、あの人お酒に水を入れてもわからないのよ。家で飲むときはお燗なので、アルコール量が多くならないように水増ししたことがあるのよ」なんてバラされてました。
なあ~だ、とがっかりする人もあると思うけど、私はここに「臨床家の極意」のようなものをみました。
わかろうとわかるまいと、わかっていると思われようと、わかるわけがないと思われようと、わかると信ずる! わかっていると言い切ってしまう!

神麹斎 05/09 23:18

065:[ (無題) ]

『内経』の表紙、前の方がよかったような。

匿名 05/07 07:22

064:[ メカ2 ]

 やはりメカに通暁するも時間がかかる。だから、得意な人は、その分野に相当の時間、そしてエネルギーと金を費やしているはずである。上福岡のK氏なんかその代表でしょう。それと、まだ見たことはないのですが、品川区のA氏は相当の蔵書家のようである。お手軽にというわけにはいかない。古典も、お手軽に読んでみたいが、なかなかそうもいかない。なかなかそうもいかないところがいいところでもある。
 ところで、8月の合宿であるが、会員諸子のアイデアをお寄せいただきたい。
①日程 8月5日(日)~6日(月)
②内容 島田先生の墓に参ずる
    他の企画(たとえば研究発表・討論会)
③宿泊 第1案 島田先生のお墓に近いところ(埼玉県東松山市)
    第2案 本郷(交通の便を考えて)
*①日にちは確定している。細かな時間はこれから。
 ②墓参は確定している。研究発表とか検討会とかをするかどうか、どこでするか。
 ③宿泊はどこにするか。今のところ2案有り。
*何でもいいので、どしどしお寄せ下さい。5/6(日)

宮川浩也 05/062 10:50

063:[ 私はメカに弱い ]

『季刊内経』の山本さんの随筆を読んで身につまされました。いえなに、「私はどうもメカに弱いようだ」のほうですがね。私もファックスは苦手です。ガーギコって……、「……送信しました」と云われても、どうも落ち着かない。本当にちゃんと送れたんだろうか?って。だから、ビデオの録画も苦手です。未だに予約録画は甥にたのんで、「パソコンつかえるのに何で?」とあきれられています。だって、後で視てみるまで、ちゃんと撮れているかどうか落ち着かない。その点、パソコンの失敗はその場でわかる。「……不正な操作……」これも頭に血が上るがね。ビデオの予約録画が苦手な人は結構有るみたいで、患者さんの大学の先生、しかも電子工学が専門なのに、ビデオ録画の担当は奥さんだそうです。「マニュアルを読んでるような暇は無い」と、うそぶいてました。
今、宮川さんや小林さんとの連絡は、ほとんどみんなE-mailです。これだって、ちゃんと読んでもらっているかどうかわからないんだけど、そのうち返信がくるし、どちみち四六時中インターネットにつないでいるワケじゃないだろうからと、2、3日は落ち着いて待っていられる。相手が開いて視てくれたかどうかわかる設定のしかたも有るみたいだけど、メカに弱い人間にはよくわからない。
山本さんもたしかインターネットはやってると思うんだけど、どうしてE-mailで連絡しないんだろう。たぶんあんまりインターネットを活用してないんだろうね。山本さんにしてこれだったら、わが会のパソコン「活用」人口は低いわけだよねェ。

今まで、ファックスもビデオの録画もE-mailも、具体的な大失敗例は無い。まあ、案外と大丈夫なもんですよ。

神麹斎 05/01 23:01

062:[ 諸病源候論影印本の乱丁 ]

東洋医学善本叢書の『諸病源候論』、17-3と17-4が入れ違っています。

匿名 04/30 13:51

061:[ なるほど ]

神麹斎殿

剣状突起の下のツボだから、剣の名と大きな陥凹部の二つの意味を兼ねた穴名が巨闕かと考えたのですが、「神その内にいます」の意味がありましたか。やはり胸という位置の重要さの故でしょうか。道教の文献の場合は、隠語・反語の固まりで、文字通り読んだのでは分からないどころか、わざと誤解させるように書いてあるとも聞きます。医学のツボも一つの名前にいろんな意味が重層的に隠されているのではと考えています。該博な知識を拝借できたこと、感謝いたします。

松田博公 04/292 23:09

060:[ 巨闕 ]

巨闕という名剣が有ったからと言って、穴名の巨闕がそういう意味だというわけではありません。やっぱり大きな宮門くらいの意味でしょう。中に君主がまします。もちろん古くからそうした詞は有るようです。『淮南子』「而神遊魏闕之下」に漢の高誘が注して「一に巨闕に作る。神が内に守るなり」と言っています。

神麹斎 04/29 07:58

059:[ ユニコードの拡張領域Aが使えるフォント ]

ユニコードの拡張領域Aが使えるフォントが手に入ります。
中国の金山公司 http://www.wps.com.cn/download/index.htm から、WPS Office測試版(帯GB18030字庫) をダウンロードし、あらかじめデフォルト言語を簡体字中国語に切り替えて再起動した日本語版Windows2000で、ダウンロードしたzipファイルを解凍し、セットアッププログラムを実行すると、方正宋一と方正黒体という二つのフォントもインストールされます。
結果的に、日本語版Windows上の一太郎でもWordでも、約2万7千字(従来より約6千5百字増える)のユニコードCJK統合漢字が使えるようなります。IME2000やATOK14に辞書登録もできるらしい。
問題は二つ。一つはWPS Office測試版(帯GB18030字庫) は、圧縮された状態で35mbもあって、ダウンロードが容易なことでないこと。それにもう一つ、たぶん日本語版Windows98ではインストールできないと思います。

以上の情報は、電脳瓦崗寨の千田さんからいただきました。

フォント自体は、北大方正集団 http://www.founder.com.cn/fontweb/main.htm から提供されているものだそうですから、直接ダウンロードできそうなもんなんですがね。ここにある方正宋一と方正黒体には、GBの古い企画の漢字しか含まれてないみたい。

かんじんの画面上の見栄えなんですが、MingLiUにはやや劣るけど、まあ我慢できる限界?!

神麹斎 04/28 23:03

058:[ (無題) ]

 本屋の岩波文庫の棚で、小川珠樹、木田章義注解『千字文』を見つけ、ぱらぱらとページを繰ったところ、34ページに「巨闕」が出てきました。そして「剣の名である」「昔、趙王は五張の宝剣を持っていた。……その中で巨闕を最上のものとした」とありました。左合さんに、「 胸の剣状突起の下の経穴・巨闕の穴名が剣の名前だというのは、一般に知られていることなのでしょうか。以前、どこかで聞いたか読んだかしたような気もするのですが」と問い合わせると、以下の答えでした。参考までに再録いたします。

巨闕が剣の名というのは、まあ常識だったと思います。呉越春秋に「越王允常は区冶子を聘して名剣五枚を作る。一に曰く純鈎、二に曰く湛廬、三に曰く豪曹、或いは曰く盤郢、四に曰く魚腸、五に曰く巨闕」などとあります。ただ、穴名の巨闕を剣の名と解しているのは稀ですね。大抵は大きな宮闕、もしくは大きな缺けた処。
何故ですかね。

松田博公 04/28 21:34

057:[ PC利用のすすめ? ]

掲示板、低調ですね。
期待はずれというか、予想通りというか……
まあ、最大の原因はPC人口の低さだと思うけど。
当会の代表的な論客と目される数名が未だインターネットに参加してないらしい。
ひょっとするとそもそもPCを使ってないかも。
それではねえ。
PCを持っている人も、ちゃんと使っているかどうだか。
最近、古医書に引用された『太素』の文章が、現存の仁和寺本に見えるとか見えないとかという論文を見ましたが、篠原氏の資料の引き写しですね。
あの資料にはかなりの見落としがあるのに。
私の『電脳太素』は使ってもらってないみたいで、ちょっとがっかりです。

神麹斎 04/20 07:24

056:[ かたり事にも色々手段ある事 ]

迷信を利用して策を施す話なら、他にも有ります。もっとも、これは名医ではなくて、詐欺師だけどね。

近頃の事也。牛込赤城門前に名題の油揚を商ふ家あり。右油揚名物の段は下町・山手迄も隠れなければ誰知らざる者なし。或日壱人の侍体の者、衣類等賎しからず、かの油揚を銭百文分調ひて、右みせに腰打かけて水も溜らず喰尽し、夫より日数廿日程過て又々来りて、同じ如く油揚を百文分喰ひけるが、其日は時廻りにや油揚売切る程に商ひける故、いささか不審を生ぜし間、其後日数経て来る時、「御身程油揚好み給ふ人なし」とて馳走なしければ、飯・酒は好まず油揚のみ喰ひて、「我等事は江戸中は愚か、日本中の油揚喰はざる所もなし。然るに此所に増る事なし」とて、その住居もあからさまに言はず。「全く稲荷の神ならん」と、家内尊崇なしけるが、去年の暮の事成しが、亦々来りて例のとおり油揚を喰ひ、代銭もまた例の如く払ひて後、「我等も少々官位の筋ありて、近頃には上京いたし侯」など咄して、「路用も大かた調ひぬれど、いまだ少々不足故延引」の由を語りければ、かの油揚屋は兼て神とのみ心得居ける故、「その不足を聞て調達をなしなん」と言へど、曾て承知せず。「元日の間に合ぬぞ残念なれ」など言ひて取り合わざる故、家内信仰の余り深切に尋ね問ひければ、拾五両程のよし故、則ち亭主右金子取り揃え遣はしければ、忝きよしにて、「預りの証文をなすべき」といひしに、「それにも及ばず」とのこと故、「さあらば我等は身に替えがたき大切の品を預けしるしとせん」とて懐中より紫の服紗にて厚く包みて封印きっとなしたる物を渡し、「路用・官金等も調ひし上は明日出立して上京なし、日数五日には立帰りまた上京なすべし」と云ひし故、「いよいよ神速は人間にあらざる事」を感賞して、右服紗包は大切に仕廻置しが、五日過ても沙汰もなし。春に成ても何の沙汰なければ、かの服紗包を解き改みれば、おんじゃく石なれば、始てかたりに逢し事を知りて憤りけるとかや。(根岸鎮衛『耳袋』)

神麹斎 04/13 23:03

055:[ 吊殺鬼 ]

一秀才が受験に赴く。路傍の亭で休息していると、一美婦人がきて坐る。話しかけるとそれは吊殺鬼(人を縫死させる亡霊)で、某家へいって身代りを求めるのだと答えた。某家とは友人の家だったので、急いで報らせにゆくと、姑と嫁とが口論の最中。これを聞いてびっくりし、すぐ争いをやめた。(林蘭編『灰大王』所載「赴考遇鬼」=沢田瑞穂『鬼趣談義』より孫引き)。
で、もしもこの吊殺鬼云々が、友人の家の姑と嫁の口論を心配しての作り話であったとしたら、この秀才は名医である。

科葉師友 04/13 05:27

054:[ 3月の雪で想い出したこと ]

関東に季節はずれの雪が降る。
3月おわりの雪は13年ぶりとのこと。
13年前、昭和63年、日本内経医学会が発足した年です。

記憶によると、3月に左合さんは岐阜へ帰っていきました。
ちなみにこの年は雪が大当たりで、4月の10日我が家の新築に伴う地鎮祭を挙行いたしました。
この日も雪でした。(大雪です)
雪をかき分け、祭事をする場所を作り、たいへんでした。
神主さんの下駄の裏に雪がつまって上手く歩けなかったのを覚えています。
懐かしい思い出です。
個人的な話しで申し訳ないが、この4月に結婚、7月に開業。
それから夜な夜な勉強が出来なくなりました。
まったく、古典に関係に話でした。
また。

小林健二 04/02 19:52

053:[ 根結 ]

孔穴という点と、経脈という線と、どちらが先であるかは、悩ましい問題である。しかし、最も針治療らしい針治療は、点によるものと言っていいだろう。勿論、線はおろか面に対する治療というものも有りうるわけで、何もそれらを否定するつもりは無い。
孔穴というポイントを駆使して、五蔵六府に影響を与えるのが針治療だとすると、手・足、腹・背のポイントを使って、上下、前後に挟み撃ちにすることがメインになる。で、四肢には指先から肘・膝にかけていくつかの重要なツボが並ぶ。数は関係ない。5つ探せば5つ、6つ探せば6つ見つかるというようなものだろう。素問・霊枢にゲキ穴が載ってないからといって、使うのを躊躇することはない。
ただ問題は、我々が常用している、本輸篇のものの他に別のセットが有るらしい。それが根結編に載っている。
面白いのは、ここにも首まわりのツボが載っていること。体幹部や頭部に結するというのも有る。手足の挟み撃ちの他に、いろんなのが有ったということだろうか。後にあまり省みられなくなったのは、やっぱり手足の方がダイナミックだからだろうか。
挟み撃ち挟み撃ちと、五行的な運用は無いのか、というとそういうわけではない。難経六十八難にある井主心下満、栄主身熱、兪主体重節痛、経主喘咳寒熱、合主逆気而泄の出所は知らないが、案外古いんじゃ無かろうか。これも結構、五行にかなっている。逆に言えば、いわゆる五行穴の五行性格も、この程度に考えておいた方がいいんじゃないか。
根結篇の内容は意外と多岐にわたるので、これはほんの一部です。

神麹斎 04/01 23:09

052:[ 雪が降って ]

当地、川口では、桜はほぼ満開。さらに3/31の今日は、ぼた雪が降って、相当に気合いが入っています。この掲示板も神麹斎が独壇場である。この掲示板に書き込むのは勇気のいることで、神麹斎のように滑らかにはいかない。
ちょっと、レベルが高すぎるのではないでしょうか。まずは世間話といこうではありませんか。
本会の月刊誌『内経』もいよいよ四月から季刊になる。おそらく、2月号も、3月号もまだ届いていないでしょうが、発送係のところでとまっているらしいので、もう少しお待ち下さい。
『内経』のタイトルを書いてくれた、書道の先生が今月亡くなってしまいました。島田先生の患家で、小生なども親しくさせていただき、1年半くらいは書道の手ほどきをしてもらった間柄である。その先生が亡くなったこともあるし、季刊として新たに出発するということもあって、表紙を替えようと考えています。デザインは、岐阜の左合さんにお願いしています。お楽しみに。
それにしても、サッカーのフランス戦は、小生意気になっていた面々に、選手だけでなく、マスコミにも、「出直してこいや」とあしらわれたごとき結果になって、よかったですねぇ。今度のスペイン戦も楽しみである。手加減なしにこてんぱんにやられた方が勉強になるでしょう。
来週からは霊枢講義が始まるが、漢文入門講座を荒川さんに代わってもらったので、随分肩の荷がおりて、「霊枢」に集中できるのはありがたい。左合昌美「黄帝内経霊枢臆解(1)」が大いに参考になるが、私家版で、1995年の発行でもう品切れであろう。なかなかの内容なのである。この欄をかりていいたい。早く第2冊目を出して下さい。

宮川 十元 03/31 22:04

051:[ 東洋の神秘 ]

お医者が、鍼灸のことをどお思うかを気にするのは、日本人が欧米人の評価を気にするのと、とてもよく似ている。
それに、ただ東洋の神秘に憧れるお医者は、あんまり賢そうにも見えない。隣の芝生のほうが青そうだからというだけで、のこのこ入ってこられても迷惑である。そういう人は別の偶然があったらオウムでも良かったんじゃないか。
そこに別の合理性、せめて別のマニュアル、が有ることくらいは理解してもらわないと。

神麹斎 03/23 07:08

050:[ 古典の読み方 治未病を例にして ]

『素問』四気調神大論の「是故聖人不治已病治未病」を解釈するにあたって、ただ字書を引いただけでは不十分である。あくまで後の「不治已乱治未乱」との対として理解すべきである。
そして、未乱を治すのうちには、聖人が上にいませば、天下はおのずから治まるという、理想論とも夢物語ともいうべきものが存在する。
これを医に置き換えれば、『太平御覧』に引く扁鵲伝説に思い至る。

扁鵲の兄弟三人は、並びに医を善くする。魏の文侯問いて曰く。「子の昆弟三人、孰が最も善くするか」と。対えて曰く、「長兄は色を視る、故に名は家を出ざるなり。次兄は毫毛を視る、故に名は門を出ざるなり。鵲は人の血脈に鍼し、人に毒薬を投ず、故に名は諸侯に聞こゆるなり。(本当に優れているのは長兄)」と。

これもまた理想論であり夢物語である。ただちに役に立つというものではない。

では、どうするか?『難経』の伝変を防ぐというのは、一つの優れた回答である。しかし、唯一のというわけではあるまい。

『素問』の続きには、已病を治し、已乱を治すのは、「渇而穿井,闘而鋳錐」のようなものである、という譬えがある。つまり、渇するときの為に前もって井戸を掘っておくこと、戦争の前には武器を用意しておくこと。
であれば、病気になる前に、治療法を考察しておくのも、治未病の一つであろうか。
またそもそも「これ故に」の前には、「陰陽に従うときは生き、逆するときは死す」とある。
むかし、中国の宰相は、道ばたに餓死者が転がっていても気にも留めなかったが、荷車を引く牛の喘ぎをえらく気にしたという。冬なのに、たいした荷物でもないのに、としたら陰陽の異常である。これこそが宰相の責任である。でも、それでどうしたか。別に何もしない。
理想の医者は、そもそも病気に罹らせない。どうやって?陰陽に従うことを教えるのである。では、具体的にはどうするのか。べつに何も指示してない。
『難経』の著者は、さすがに臨床家だから、具体的な手段を考え出す。十全ではないにしても。

神麹斎 03/21 23:00

049:[ 虚構 ]

伝統医学の理論というものは、それでもやはり多くは迷信的なものであると思います。
それでも、棄てるわけにはいかない!!
陰陽も五行もつまりフィクションであり、虚構であると思います。
でも、おそらくは西洋医学の理論も、多くは虚構であろうと、ひそかに疑っています。
つまり、私にとってあらゆる理論は、方便である。そして、中国伝統医学の智慧を運用するための方便としては、陰陽や五行が最も有効である。何と言ってもそれに拠って考えられたのだから。
それでもやはり、それがもともと迷信的なものを含んでいく可能性が有ることは、警戒していこうと思います。

神麹斎 03/13 23:11

048:[ 石田教授の過去の記事 ]

石田秀実先生の、日本内経医学会第1回講演「伝統医学の形成期をどうとらえなおすか」のファイルをアップロードしました。『内経』の「記事精選」の中に有ります。

管理者 03/12 07:32

047:[ 方士 ]

上古に方士なるもの有り、漢の季に至りて岐れて三となる。
一に曰く張角、二に曰く左慈、三に曰く華佗。
われらは華佗の末たらん。
しかして張道陵は、張角の類に非ずや。
咒符神水をもってするものと、蔵府経絡をさぐらんとするものと、
あに以て一とすべけんや。

科葉師友 03/06 09:33

046:[ 道教どうする ]

中国人であるかぎり、好むと好まざると、教養人であろうと無かろうと、どっぷりと道教的思考(嗜好?)に浸っていたのであるから、彼らが創り出した内経医学に影響を与えていないわけがない。
ただし、現代の我々が道教徒にならなければ、本当には内経医学を理解できないとか、ましてや道教を信ずればよりよく内経を理解できるというものではない、と信ずる。道教の内経に及ぼした影響の中には、迷信的な部分も必ず有るに違いない。
道教は、基本的には迷信である、と言われれば、道教に関心の有る大部分の人の機嫌を損ねることになる。ただし、これは日本の神道が大戦に際して扇動者でありえたとか、あるいは中世ヨーロッパのカトリックが人間的思考の抑圧者でありえたとか、と同列に言っているのである。
いかに古代中国であれ、信ずれば治る、では医学ではない。信仰としては道教徒であっても、王冰といえども楊上善といえども、そこのところではもがいていたはずである。
現代の最先端の西洋医学者も、一方で敬虔な宗教家であっていい。ただ、最初から何もしないで、お祈りしなさいと言ったんじゃ、阿呆である。
内経を読むのに、道家思想が必要と言った場合、おそらく老荘と道教の双方をさしていると思われる。思考法として現代の我々が西洋的思考法に偏向しているのを是正する効能と同時に、やはりまた古代医学から迷信的夾雑物を取り除く為の知識を期待する。そしてまた、泥沼に陥るのは、警戒してしかるべきである。
〔道教の全てを迷信と言っている訳じゃないですよ。神道だっていつも戦争煽動者だったり、排他的国粋主義者だったわけじゃない。日本の神社のいくつかは半島からの渡来でしょう。新羅神社なんて名前なら聞いたこと有るよね。カトリックに支配された中世ヨーロッパが、必ずしも暗黒でなかったなんて、今やもう常識でしょう。でも進化論を学校で教えるのに反対するのってなんなんでしょう!〕

神麹斎 03/05 23:26

045:[ 伊藤真愚先生 ]

伊藤真愚先生と、島田先生とは、東洋鍼灸で教鞭をとっていて、時を同じくする何年間かがあった。しかし、結局は仲良くはならなかったようだ。島田先生は、東洋鍼灸にたいして改革のようなことをしたかったらしいが、柳谷正子理事長と折り合いがわるく、結局東洋鍼灸を辞めてしまった。
『漢方の臨床』に「望診の研究」を発表したところ、伊藤真愚先生から逢いたいと電話があり、新宿であう。月1回、新宿の法身寺で治療しているから、見にくれば望診を教えてくれるという。島田先生にはいわなかったが、1度だけ見学にいった。伊藤先生の診療態度は至極真面目であり、知略家(島田先生おもっていただろう伊藤先生像)とはおよそかけ離れていた。両者が仲良くならなかったのは、臨床が接点ではなく、教育の場だけでのつき合いだったからだろうと思われる。
伊藤先生からみれば島田先生は学者であり、島田先生からみれば伊藤先生は巧言者だったのか。島田先生もわりと短氣だから自分から手を引いたのかもしれない。島田先生の人物鑑定眼もあまり当てにならない。人物を理解するためには何年もかかるのに、拙速に判断を下してしまうことがある。それを、後からわだかまりもなくくつがえすのが、島田先生の魅力なのだ。
伊藤先生が仏教医学のことを力説していたのはしっていたが、道教までに及んでいたとは知らなかった。お墓参りにもいっていない。墓所を御存知のかたがいたら教えて下さい。

宮川浩也 03/05 22:10

044:[ 道家思想です ]

「素問・霊枢を読むには、やはり、道家思想のことを知らないと」という宮川さんのお言葉につい筆をとりました。今を去る16年前、東洋鍼灸専門学校で教鞭を執っていた故伊藤真愚氏の持論がそれでした。鍼灸は道教医学、仏教医学だという主張です。(禅は老荘的仏教ですし)私には正しさを含むと思われたその主張は、当時、氏のいささか無手勝流で無根拠の素問読解にはばまれ、人心を掴むには至らなかったようです。
 素問の養生(ようせい)に関わる編を見るなら、特に専門の研究者でなくても、そこに流れる思想が「恬淡虚無」の老荘思想であることは分かります。その他、補瀉の手技の理念的根拠付けに老子の発想を取り入れているという中国学者の解説を読んだことがあります。中国では、老荘と素問・霊枢を結びつけるのは当然の視角のようです。
 いうまでもなく王冰や揚上善は道教徒ですし、道教の一切経・道蔵には素問・霊枢が入っているというようなことは、昔から日本の道教学者も言っていますが、王注などの内容に踏み込んだ本格的、思想的研究は未聞です。
 この領域はスローガン的にはともかく、入っていくと左合さんも触れていたように風水や運気論とも関わり、泥沼に脚をすくわれる恐れもありそうです。(別にすくわれてもいいのですが)
 実は経穴名を老荘や道教的に読み込む研究もありました。確か遼源で以前、翻訳出版された黒竜江の中医師の本がそうだったと記憶しています(絶版)。面白いものでしたよ。

松田 博公 03/04 00:13

043:[ 五行説なんて ]

五行説は迷信である。
にも関わらず、五行説に則って「虚すれば母を補」って効果が有るのは何故か。
おそらくは、手足の陰経を対にして用いることに意味が有るのであろうと思われる。
肺虚証に手太陰と足太陰、脾虚証に足太陰と手厥陰、腎虚証に足少陰と手太陰、心包虚証に手厥陰と足厥陰。問題は肝虚証の場合で、経絡治療の教科書としては、足厥陰と足少陰。これは手足の対ではない。ただし、大先輩から肝虚証に隣り合った2経を補ってもあまり意味が無い、足厥陰と手厥陰のほうがいい、と聞いた覚えがある。
で、本質は手足の一対であるとしたら、可能な組み合わせは:
 手太陰+足太陰:肺虚証
 手太陰+足厥陰
 手太陰+足少陰:腎虚証
 手厥陰+足太陰:脾虚証
 手厥陰+足厥陰:心包虚証  手厥陰+足少陰
(手少陰は使わない。別に君主がどうのでは無い。もともと手には2陰経しかなかった。名前の無かったのは厥陰だけど、実質が無かったのは少陰と考えている。)
で、手太陰+足厥陰と手厥陰+足少陰は使わないのは何故か。五行説では相剋だからであるが、実際には何か。 たとえば手太陰+足太陰に意味が有るのは、内経医学の論法で言えば、四肢の支配領域はさておき、体内に於いて腋下・肺系・肺・膈・胃・大腸とか舌・咽・脾胃あるいは心・膈・胃の組合わさった領域の問題に影響を与えることが出来るということだろう。あるいはまた、凌耀星教授の言い方なら三焦の気化系統、現代医学風(?)に言えば代謝の系統を支配することになる。特に肺虚証という名前にこだわらなくてもいいような。
この論法を敷延すれば、手厥陰+足厥陰は三焦の相火系統、調節と制御を支配する。心包虚証と言うべきか肝虚証と言うべきか、こだわらなくても良いような。

神麹斎 03/02 23:30

042:[ 良いお話です ]

■中国古代学者の誇りと意気込み
 『字統』『字訓』など中国古代学・文字研究で知られる白川静さん(90)が、第八回井上靖文化賞を受け、贈呈式でユニークなあいさつをした。
 「殷、周のような三千年も昔の時代に長い間遊びほうけ、帰るのを忘れているうちに、こんなに年を取ってしまった」。思い出話に、まず登場したのは『山月記』『李陵』の中島敦。「私より一歳年上の気難しい兄」と呼び、武田泰淳を「二つ下で、手に負えないヤンチャな弟」、井上靖については「三つしか上でないのに、早くから活躍し、鬱然たる大家の印象があった」。ただ、三十三歳で大学を卒業した白川さんの初任給は六十五円。これは井上靖の五十円、中島敦の六十円よりも高給で、「私の生涯において誇るべきこと」と語り、会場を沸かせた。
 最後に、「この四月には九十一歳。しかし、全集の完結まで三年半はかかるので、『この間はご猶予いただきたい』と申しておけば、あちらさんのお召しもないのでは」と締めくくり、大きな拍手を浴びた。

(2001年2月15日 読売新聞・夕刊より)

小林健二 03/02 01:10

041:[ 道家思想です ]

老婆心ながら、老荘思想と道教は違う。老子、荘子は『素問』『霊枢』からみても古い思想だろうけど、道教なんて三国志に出てくる黄巾の徒のころでも、まだ萌芽でしょう。
基本的には迷信です。お札を飲んでお祈りすれば治る。
『素問』『霊枢』がいつ頃かは、侃々諤々となりそうだけど、ずっとずっと後の『甲乙経』の皇甫謐は、黄巾の徒をやっつけにいった嵩の曾孫です。道教が『素問』『霊枢』の首根っこを抑えているとはとても思えない。
老荘思想については、知りませんよ。これは勉強しなきゃならん。ただ、「素問・霊枢を読むには、やはり、道家思想のことを知らないと」と言われて、風水なんぞに走る人がいるとイヤだから、老婆心まで。

神麹斎 03/01 00:03

040:[ 邪気蔵府病形 ]

 これはかなり重要な篇だと思う。ただ、雑多な資料の寄せ集めという印象は有る。『太素』に於ける于・於の混在などは迷論に過ぎないが、「黄帝曰善」と言った後にただちに「黄帝問於岐伯曰」と続けるなんぞはやはり変だ。清の黄元御なども、四時気篇のかなりの部分が紛れ込んでいると考えているらしい。
 先ず邪気。邪気は身の半ば以上に中る。身の半ば以下に中るのは湿気とあるが、それ以上の詳しい記述は無い。邪気の中るには、陰に中るのと陽に中るとの別が有る。陽に中るにも、面に中れば陽明に下り、項に中れば太陽に下り、頬に中れば少陽に下り、さらに膺背両脇に中ればそれぞれに相応した経に下る。つまりすべからく経に溜まる。では、陰に中る場合はどうか。陰経から入って蔵に行くが、大抵は蔵気が実しているから入れないで府に還る。そこで府に溜まる。勿論、蔵気が実してなければ、邪気は蔵に入り得るわけであり、その五蔵に問題が生じる原因の記述が有る。
 蔵府の病形の記述では、色を見ること、脈を按ずること、病を問うことの併用と、その結果が相応すべきことを言う。ただし、やはり重点は脈に在る。五蔵では脈の急緩・小大・滑渋によって、病症を列記する。そしてそうなる原因、たとえば寒熱とか気血の状況を説き、したがって治療の方針を示す。そして脈に急緩・小大・滑渋が現れれば、尺膚もまたそれに応じて急緩・小大・滑渋の状態になるはずだと言う。ここに、寒熱とか気血の状況を座標軸として、あらゆる病症を説明できる可能性が存在する。
 それと、そもそも五蔵の脈とは何か。前文に、先ずその五色五脈の応を定めれば、その病はすなわち別つべきなり、と言い、その脈の緩急小大滑渋を調えれば病変は定まるというのだから、文脈から言えば、鉤毛弦代石の脈状と思われる。しかし、これと緩急小大滑渋は併用し得るのか。本輸篇には、五蔵の五輸の記述が有り、したがって五蔵と手足の陰経の配当が有る。あるいはその五蔵の経脈の拍動部で緩急小大滑渋を診るのか。これなら確かに可能ではある。例えば、肺の経である手太陰の代表的な脈動部太淵で診た脈が急甚であれば癲疾とするのであろうか。また案ずるに、祖脈の組み合わせで病症を判断するするという発想からすれば、浮沈が欠けている。寸口部の浮から沈に、肺心脾肝腎の五蔵を配当する脈診法は想定し得る。
 またもう一つ、緩急とは何か。楊上善は緊張しているのと弛緩しているの、という。後文に、急は寒、緩は熱というからこれを採る。遅数というわけにはいかない。
 さらにまた一つ、間甚とは何か。例えば小から大まで、小甚・微小・微大・大甚と次第に大きくなっていくということでいいんだろうか。五蔵の病症の記述で、急緩にしろ小大にしろ滑渋にしろ、甚の病症より微の病症の方が重篤そうに思える。気のせいだろうか。ひょっとすると、甚微は緩急小大滑渋の程度を言うんじゃなくて、もう一つ別の脈状ではないか。微渋を微而渋とパラフレーズした注家もある。だけど、例えば、心脈の微急は「心痛背に引き食下らず」だそうだけど、鉤で微(かすか?)で急(緊張)という脈状ってどんなものだろう。
 六府についても病症と取るべき穴の記述が有る。その穴はつまりいわゆる下合穴である。

神麹斎 02/28 23:09

039:[ 道家思想 ]

素問・霊枢を読むには、やはり、道家思想のことを知らないと、本丸に到達できないようであります。池田知久の『老壯思想』(放送大学教材)を読んでみたが、あまりよくわからなかった。もう少し、要領よく書かれたものを教えてください。本来で、講座を開いてもらったらもっと結構。2・28

宮川 浩也 02/28 21:39

038:[ 小針解 ]

これは、要するに九針十二原篇の解釈だから略す。ただ、詳しく言えば九針十二原の解釈ではなく、そこに取り入れられた「古針経」とでも言うべきものの解釈だろうけど。

神麹斎 02/27 23:17

037:[ 本輸 ]

 五蔵の五輸、六府の六輸を列記する。五行の配当は井穴についてだけであり、それも『太素』には無いから、五輸と五行の配当はこの時点ではまだ無かった可能性が高い。とすると、五輸、六輸はどのように利用したのであるか。この篇の後ろのほうでは、四時に応じて選穴。「春は絡脈、諸栄、大経(筋?)分肉の間を取る。」「夏は諸輸、孫絡、肌肉皮膚の上を取る。」「秋は諸合を取る。」「冬は諸井、諸輸の分を取る。」ただし、他篇では四時に於ける五輸穴の運用法には異なることが有る。
 なぜ五蔵では五輸、六府では六輸なのか。おそらくは五蔵だから五輸、六府だから六輸、というに過ぎないだろう。指先から肘膝まで、重要な穴は五つ探せば五つ、六つ探せば六つ見つかる。府に原穴が有るのも、別に深意は無かろう。第一、五蔵の病に原を取れという指示は有るが、六府の病に原を取れとは、あまり言わないようである。六府の病には合を取る。ただし、この合はいわゆる下合穴である。
 心の五輸が今言うところの手の厥陰に在るのには、別に子細は無い。今の手の厥陰が元来の手の少陰であり心の経脈である。心包経なんぞというものが出来たのは、循環させる方便のために、経脈を十二にしたからである。五蔵に対応させるためには、膈以下の脾・肝・腎に応ずる足の三陰と、膈以上の肺・心に応ずる手太陰と手少陰が有れば十分である。そして、今の手少陰にあたる経脈がまだ無ければ(規定してなければ)、今の手厥陰を手少陰と呼んだであろうことは、蓋し当然であろう。
 五蔵六府と経脈の相応は有るが、五蔵と手足の陰経との相応、胃・胆・膀胱と足の陽経との相応と、大腸・小腸・三焦と手の陽経との相応では、記述のしかたが異なる。わざわざ「上~に合す」と言うのは、本体は下に在るということではないか。つまり、胃・大腸・小腸は足陽明、膀胱・三焦は足太陽、胆は足少陽というのが本来では無かったか。それを蔵府の相合を記述する都合と、経脈篇で十二経脈を循環させる都合から、配当を作ったと考える。第一、経脈篇でさえ、手の陽明・太陽の是動・所生病に大腸・小腸の病なんて無いじゃないか。三焦はそもそも何なのか議論の在るところだからしばらく置くとして。
 本輸篇には、五蔵の五輸、六府の六輸の他に、首周りの穴の記述が有る。これももう少し重視していいのではないか。残念ながらどう使うかは書いてないようだけど。
 現在の輸穴学では手の太陽経に在る天容穴を、足の少陽と言っているのも面白い。つまり、どの穴がどの経に属するかも、古来固定された考えが有ったわけじゃないと言うことだから。

第1・2水準に無い字が表示できないみたいだから、まあいいだろうという字におきかえてます。サイワイニトガムルコトナカレ

神麹斎 02/17 23:04

036:[ お誘い ]

会員の権利の中に、
ホームページ掲示板の利用(掲示板利用者には入会を勧誘します)
なんて書いたんで、会員じゃないと掲示板に書き込んじゃいけない、と思っている人があるらしいけど、とんでもない。そんなケチなことは言いません。第一、戯名で書き込まれたら、追っかけようがない。
どんどん書き込んでください。

管理者 02/17 23:02

035:[ 甲乙経 ]

『甲乙經』、医統本と医学六経本と、全く同じなのかどうか、よくわかりません。
医統本(具体的にはオリエントで影印した歩月楼のもの)で皇甫謐の序の末に間(厳密には日を月に作る)暇と言うのを、黄氏の校正本では閑暇に作る。巻之一の精神五蔵第一の肝気悲哀動中云々の下の解曰、その中の医統本で互相成也を、黄氏の校正本では互相成矣に作る。五蔵変{月兪}第二の中程、諸原安合のあたり、医統本では曰なのに、黄氏の校正本では問曰とか対曰とかに作る。
まあ、いずれも意味に変わりはないし、誤植の可能性も有る。巻之二の十二経脈絡脈支別第一(上)の最後の方、太陽脈絶の目白を一作色青白と言うところ、黄氏の校正本では目白のすぐ下に置くけれど、医統本では目白乃死の下に置く。黄氏の校正本の方が妥当ではあるけれど。黄氏というのは何も断らずにこういうことをする人なんですかね。ひょっとして、「本書校注総則」とかに何が書いて有りました?気がつかなかったけど。
黄氏があんなに推奨する本だからねえ、こういう些細な違いが有ると、ひょっとしてどこかに重大な違いが有るんじゃないか、と思うよね、一応。

神麹斎 02/16 10:40

034:[ ↓つづき ]

ちなみに、影印本は北里にあるそうです。

02/15 10:39

033:[ Re: 甲乙 ]

はじめて投稿いたします。よろしくお願いいたします。

下の方で神麹斎様がおっしゃった、「医学六経本」の『甲乙経』ですが、ある人に聞いたところ、医統正脈本と全く同じものだったそうです。全くの同刷ものなのに、黄龍祥氏があのように言うのは理解できない、とその人は言っておられました。
http://lovely.millto.net/~prion/

竹内 尚 02/15 10:35

032:[ GTフォント ]

GTフォント、期待していただけに、がっかりしました。先ず第一に、醜い!印刷用でなく、画面表示用である、とかなんとか、大見得を切っているようだけど、だったらもう一寸なんとかしてよ。
フリーの検索ソフトも使い物になりませんね。これだったら、一覧表を検索にかけたほうが、まだまし。オンデマンド受注生産されるとかいう「新撰漢字総覧」には、もう少しましなものがつくんでしょうが、本気で普及させる気なんて、有るんですかね。改めて「今昔文字鏡」の偉大さがわかりました。満足しているわけではないけれど。
それに、

2月9日より新発売となります「超漢字3」は、従来から販売している「超漢字2」とは別系統の製品となりますので、「超漢字2」から「超漢字3」へのバージョンアップ版や優待制度はございません。ご了承のほどお願い申し上げます。

何ですか、これは!
この機会に、B-right/V→超漢字のユーザーは止めます。これでたぶん、わが会のトロン使用者はいなくなると思います。

神麹斎 02/13 11:26

031:[ 九針十二原 ]

 九針十二原篇の内容は、大まかに三つに分けられる。つまり、九針に関する部分と十二原に関する部分とそれ以外の部分である。そして今「それ以外」と言った部分に含まれる補瀉の手法に関する記述が、最も重要であるとも考え得る。ただし、この部分はひょっとすると九針十二原篇にもともと有ったものでは無いかも知れない。
 現行の『霊枢』の文章を『太素』で見てみると、介詞の于を使っている篇は、ほとんど第九篇までに集中している。これだけで、『霊枢』の第一篇から第九篇までは、他とは出自が異なるとまでは、流石に言うつもりも無いけれど、この部分が何となく特殊なものであるという感触をもった先達は少なくない。
 で、九針十二原篇についてだが、于は十二原穴を述べるところに用いられ、それ以外には於が用いられている。(九針を紹介するところにはどちらも無い。)そこで、『霊枢』の初めの部分には、補瀉の手法という概念は乏しかったのではないか、という予断の下で第九篇までを読んでみようと思う。
 勿論、九針十二原篇の補瀉の手法を主とする部分はきわめて重要なものである。『素問』『霊枢』の諸篇で繰り返し解説されていることからもそれはわかる。だから、この部分の解説を端折るわけには行かないだろう。ひとまず簡単に解説を済ませておく。
 九針十二原篇で主張されている手法は、要するにタイミング、あるいは為すべき時に為し、為すべからざる時には為さず、ということだろう。それと補瀉に当たっての心構えを先ず言う。「写には曰く、これを迎える、迎えるの意は、必ず持してこれを入れ、放ちてこれを出し、排揚して針を得れば、邪気は漏るるを得る。」「補には曰く、これに随う、随うの意は、これを忘れるがごとく、行くがごとく按ずるがごとく、蚊虻の止まるがごとく、留まるがごとく還るがごとく、去るは絶弦のごとく、左をして右に属せしめれば、外門は閉じ、中気はすなわち実す。」若干、手技にわたる部分も有るが、より重要な心構えとして、瀉法では術者が積極的に邪気を排出すべきであり、補法では患者の正気が充実してくるのを気長に待つべきであり術者の思惑通りにはならない。具体的な手技としては、「徐にして疾なれば則ち実し、疾にして徐なれば虚す」が有る。つまり、徐刺速抜が補法であり、速刺徐抜が瀉法である。徐刺徐抜、速刺速抜は何か。これは篇末の「諸熱を刺すものは、手を以て湯を探るがごとく、寒清を刺すものは、人の行くを欲せざるがごとし」がそれに当たるのだろう。すなわち、熱には速刺速抜、寒には徐刺徐抜の手技を行う。経脈の流れの方向に随うの逆らうのという、迎随の補瀉がここに有るとは思わない。
 九針については、形状と用途を述べるが、簡単に言ってしまえば、目的に応じた大きさの針を使いなさい、と言うことだろう。小さな対象に大きな針を用いればいたずらに身体を傷つけるばかりであるし、かといって大きな対象に小さな針では十分なことは出来ず、かえってややこしいものを患者の身体に残してしまう恐れが有る。
 十二原は、五蔵の原二つづつと、膏と肓の原である。五蔵に病が有ると判断したら(邪気蔵府病形篇に詳しく述べる)、原穴を用いて治療する。おそらく、五蔵と手の二陰経、足の三陰経の相応はすでに有ったのだろう。そして、その腕関節部、踵関節部に最重要な穴を発見し利用した。膏と肓についてはいろいろ難しい議論が有るが、要するに体幹部の臍より上の問題には膏の原鳩尾を、臍より下の問題には肓の原??(気海でいいんじゃないか)を取るくらいに考えておきたい。
 五蔵の気が絶するにも、内に絶するのと外に絶するのとの二つ有る。内に絶したときは腋や膺を取ってはいけないし、外に絶するときには四末に取ってはいけない、と言っているようである。何故いけないかはしばらく置き、五蔵の原(腋膺か四末かと言えば四末だろう)を取っていいのは、五蔵の気が内に絶した時である。してみれば外に絶した時には腋膺を取るのであろうし、これがあるいは膏と肓の原の用いどころなのであろうか。
 ところで、五蔵の病に五蔵の原を取るとして、具体的にはどうするのか。おそらく、一番はじめはそこを刺せばいいくらいだったんだろうと思う。後に補瀉の概念が取り入れられて、虚していれば補法を、実していれば瀉法を施すことに発展した。どうなったら補・瀉を施した効果が現れたと考えるのか。鍼解篇では、針下の寒熱で知るという。まあ、最初はそんなような原始的なものではなかったか。
 もう一つ、ここで注目すべきは、その他に血絡が見つかったらすべからく取り除けという指示である。つまり、流れが溢れそうなら汲み出せ、枯渇しそうなら注ぎ入れよ、という他に、もしゴミが有ったら先ず取り除け、と言う。蓋し、当然のことであろう。

神麹斎 02/10 23:12

030:[ 『霊枢』による針灸治療 ]

 針灸の基礎を定めたのが『素問』『霊枢』である、と言うのに異論が有ろうはずは無いし、『素問』『霊枢』に登場する岐伯なんぞより俺の方が上手である、と豪語する治療家もそうはいないと思う。とは言うものの、二千年間、何の発展も無かったと言ったら、それはやっぱり変なのであって、現代中国のいわゆる中医針灸も、現代日本のいわゆる経絡治療も、一つの尖端ではある。
 しかし、長い間には余分なものがくっついたり、大事なものを見失ったりしたことも、それは有るだろう。そこで試みに、今残っている『霊枢』だけを頼りにして、針灸治療はどの程度可能なのであるか、を考えてみようと思う。もっとも、『霊枢』自体が、一人の治療家の考え方でまとまっているわけのものではない。雑多な考察が集まっているようでもあり、さらに後世になって別の人物が別の考えで取りまとめを行っている。だから、最初の篇から順に読み解いていって、これが本当じゃないか、これはひょっとすると夾雑物ではないかと、かなりの独断と偏見をもって、敢えて大胆に話を進めて行こうと思う。当然、反論が有るはずなので、掲示板に書き込んでもらえるとありがたい。
 例によって、この中には島田隆司先生、井上雅文先生をはじめとする原塾、日本内経医学会の仲間から聴いた話が多く紛れ込んでいる。いちいち明記しないのは、それらから示唆を受けてないものなどは無いし、第一誰から聴いたか記憶していることは稀だからである。佳い部分は彼らの手柄であり、しょうもない箇所は筆者の咎である。

これは要するに、掲示板のにぎわし、です。

神麹斎 02/10 23:11

029:[ 大漢和辞典が安くかえます ]

現在、『大漢和辞典』(全14巻)を買うと、23万5200円です。これが、17万5000円で買えます。新品で、梱包箱入りです。希望者は小生にメール下さい。2セットあります。

宮川浩也 02/09 09:51

028:[ 無学を衒う ]

学を衒うのはもとより卑しいワザだけど、無学を衒うというのもね。
大拙とか真愚とか名乗るには、よほど大物でないと、かえってイヤらしい。
大賢のほうがむしろほほえましかも。

匿名 02/06 13:07

027:[ 甲乙経 ]

実は、医統本『甲乙経』の電子化もすんでいるんですが、黄龍祥氏ご推奨の医学六経本と校勘してからと思って、公開が延び延びになっています。
どこかで、医学六経本の影印って、手に入りませんかね。

神麹斎 02/05 23:06

026:[ はじめまして ]

 初めまして。福岡市で開業致しております牧角和宏と申します。内科・循環器科を標榜しておりますがメインは漢方です。
 今年に入りまして岩井先生とご一緒させて頂く機会が出来、大変密度の高い勉強をさせて頂いております。
 小生も粗忽ながらHPにて伝統的中国医学に関する情報発信をさせていただいております。皆様方のご参考にしていただければ幸甚でございます。今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

http://members.jcom.home.ne.jp/1639705511/index/index.html

牧角(まきずみ)和宏 02/05 00:25

025:[ 『素問考』なんて ]

 銭超塵先生の金窪七朗『素問考』与丹波元簡『素問記聞』のコピーを、平根君からもらって一読したけれど、全然感心しない。したがって、前に提出した『素問考』なんて「できの良くない学生による受講ノートに過ぎない」という説を撤回するする気にはならない。
 もつとも、私の考察には重大な穴が有るのかも知れないので、結論だけもう一度ここに書いて、批判を誘います。

 多紀元簡は、1790年以前に『素問』の講義をしていたが、侍医に抜擢され多忙になったので中断した。『素問記聞』は、おそらくその頃の受講ノートだろう。『素問考』も内容が『素問記聞』とほとんど同じだから、同様な受講ノートから書き写したと考える。書かれたのは1790年か1792年である。もつとも「桂山先生曰」でなく「桂山曰」なのが不思議と言えば不思議。あるいは桂山先生こと多紀元簡自身の講義用ノートから書き写したのかも知れない。自分で「先生」とは書かないだろう。
 元簡は1801年に侍医をやめさせられて、暇になったので『素問』研究を再開し、1808年に『素問識』の序を書いている。
 多紀元堅も森立之も、『素問考』と元簡の講義の類似性に気がついてないのは、不思議だけれど、1808年でさえ、元堅は14歳、立之は2歳ですよ。講義用ノートなんてものは訂正と書き込みで跡形をとどめて無いだろうし、1790年以前の講義がどんなものだったか知らなくても仕方ないんじゃないか。
 『素問識』を著すのに、先輩たちの考察を大いに利用したことは有るだろうけど、『素問考』を引き合いにして、元堅を盗作者あつかいし、人間性を云々するのは言い過ぎじゃないか。

神麹斎 02/02 12:51

024:[ 本人です ]

>それと、銭超塵さんが、「金窪七朗『素問考』与丹波元簡『素問記聞』」という記事を、北京中医薬大学学報の2000,(1)に載せているらしいけど、お持ちのかたが有りましたら、一読させてもらえませんか。

 初めて書き込ませていただきます。上記の資料をお送りいたしますのでメールにてご連絡下さい。

ひらね 01/28 16:20

023:[ 鼇城公観って1740年以前の生まれ? ]

『医古文知識』の最新号に、長春へ行った本会の平根君(だろうと思う)が、『素問考』の研究というのを載せているけれど、なんだかよくわかりませんね。

鼇城公観こと金窪七朗は、1740年以前の生まれで、だから多紀元簡より少なくとも十五は年長だと言うんだけど、どうしてそうなるのかね。「『素問考』の手跡から看て、書写に力がなく、あまつさえ誤字が多い、だから年齢は半百かあるいはさらに花甲を逾した人の書いたものであり、また子細に校閲をしたものではない。」???なんでこんなことが年齢推定の証拠になるのかね。単に学力不足なだけじゃないか。

それに、小曾戸洋氏の「金窪七朗は元簡の著作を看たことが有る」という説を紹介して、左合というのも類似した看法である、と言っている。まあ、小曾戸氏と並べて名前を持ち出されるのは、名誉なことなんだろうけど、私の趣旨は、『素問考』なんて元簡の『素問』講義の(やや劣等生による)受講ノートにすぎないんじゃないか、ということなんですが。まだ誰も賛意を示してくれませんが、そう書いたつもりなんです。「霊蘭之室」にアップロードしてありますから、いっぺん看てやってください。

それと、銭超塵さんが、「金窪七朗『素問考』与丹波元簡『素問記聞』」という記事を、北京中医薬大学学報の2000,(1)に載せているらしいけど、お持ちのかたが有りましたら、一読させてもらえませんか。

神麹斎 01/26 13:32

022:[ 霊枢講義巻一 ]

渋江抽斎『霊枢講義』の巻一部分を、UTF-8HTMLで試験的にアップロードしました。会員ホームページから霊蘭之室へ入って見てください。
文字化けは起こしてないようですが、フォントの指定法がよくわかりませんので、意図した見栄えとは若干異なります。全体のフォントを指定する簡単な方法をご存じの方がおいででしたら、ご教授願います。無理矢理やってやれないことは無いんだけど、容量が三倍以上になってしまって、全く実用的でない。そんなはずは無いと思うんだけど……
(リンクが切れていたかも知れません。修復したつもりですが……)

神麹斎 01/22 23:05

021:[ 丸山昌朗先生の墓参 ]

丸山昌朗先生の墓参を、2月12日(月)に企画しています。参加希望者は、東京駅横須賀線9:56の電車の先頭に乗って下さい(電車は後に何本か出ていますから、乗り遅れた人はそれに乗ってください)。あるいは北鎌倉の浄智寺に11:00頃に直接集合して下さい。8月5日(日)には島田隆司先生の墓参を企画しています。1/20

宮川浩也 01/20 08:26

020:[ 電脳太素アップロード再開 ]

しばらく中止していた『電脳黄帝内経太素』を校正第2版として、再アップロードしました。

まだまだ過誤は多かろうし、字形の選択に一貫性がいささか欠如していることは自覚していますが、次回第3版のアップロードは、ユニコードの拡張領域Aが自由に使えるようになった後の予定です。(かなり先のことでしょう。)

校正は日常的に続けていますので、(第2版を)ダウンロードしたむねメールをいただいた方には、ある程度たまったところで、「校記補足」をおとどけする方法を考えます。

神麹斎 01/11 23:03

019:[ いやそうじゃなくて ]

協力をお願いしているのは、新人発掘のためでありまして、こういった共同作業から仲間入りして貰おうというわけで、この掲示板を読んで参加してほしいわけです。だから、まったく協力者がいないという意味ではありません。みんなを巻き込んだ方が面白いでしょうから。1月4日みやかわ

宮川 浩也 01/04 12:38

018:[ 論文集と翻訳と ]

ここにわざわざ書かなくても、
当然のことながら、論文集にも翻訳にも協力します(してます?)。
それと、最後の『素問』の講義録もなんとか形にしたいね。
まだテープ起こしの段階らしいけど。

神麹斎 01/03 07:24
017:[ 元旦に ]

 個人的には島田先生の喪に服しているような状況で、新年おめでとうございますとは言えない気分です。結局、年賀状は一枚も書かず、これから返事を書こうかとおもっています。

 今年の事業は二つあって、島田先生論文集と、医古文基礎翻訳です。島田先生論文集は、小林健二さんが主編で、相当の分量で、悪戦苦闘しているようです。論文集編集委員会を臨時に設置する予定ですので、会員(非会員でも)のご協力をお願いします。志願者はこの掲示板にメッセージを書いて下さい。医古文基礎翻訳作業も、最終的な段階に入り、現在読者モニターを募集しています。現在3名集まっています。まったくの初心者でも、相当な人でも結構です。志願者は、やはりこの掲示板にメッセージを。謝礼はありませんが、半額入手の権利くらいはあります。1月1日(みやかわこうや)

宮川浩也 01/01 10:42

016:[ 色のこと ]

小生は、赤緑色弱で、日常生活に大きな支障はないものの、微妙な色の違いは苦手です。赤と緑が交錯したような配色は区別できません。本当は工業系に進みたかったのですが、色弱故に方向を転換しました。現在は、舌診はやはり苦手です。それはそうと、五色は五行の色体表に青赤黄白黒と色分けしているのがそもそもの間違いなのではないだろうか。あのあたりから洗脳されてしまって、ずっと疑問をもたずに来ているような気がする。五味だって、本当にそうかいと思う記述がある。『素問』蔵気法時論篇の記述に因れば、五味は次のように分類されている。

粳米.牛肉.棗.葵.皆甘.
小豆.犬肉.李.韭.皆酸.(韭にらは酸っぱいのか)
麥.羊肉.杏.薤.皆苦.(杏は苦いのか)
大豆.肉.栗..皆鹹.(栗は鹹しおからいのか)
黄黍.肉.桃.葱.皆辛.(桃は辛いのか)

 五穀や五肉に五味があるのかわからないが、五果の五味分類はずいぶん違っているようだ。だから、甘をあまい、酸をすいという風に読んじゃいけないのではないか。とすると、敢えて読みをつけずに、発音そのままにしておくのが一番正解のような気がする。甘はかん、酸はさん。五色も同様で、青はせい、赤はせき、黄はおう、これが一番。
  

宮川浩也 12/30 21:45

015:[ 中国病史新義 ]

范行準著『中国病史新義』(中医古籍出版社、1989年、9600円)

については、すずらん通りの東方書店の雑誌『東方』(1992年3月号)に石田秀実先生の書評が載っている。まあ、有名な本なのである。その一段を紹介しておくぞ。「にもかかわらず私達が范行準の書を訳して無視することができないばかりか、おそらく古典的名著として将来に渉って高くその価値を賞讃していかねばらならないのは、その驚くべき蔵書の数々を精査して記された事実の新しさの故である」「本書を古典的名著と呼ばねばならぬもうひとつの理由は、いうまでもなくこの書が中国伝統医学の疾病史として、唯一無二の質量を誇りうるものだからである。医学史の研究を縦糸とするなら、疾病史の研究はそれに組み込むべき横糸としてなくてはならないものだが、量的な膨大さの故もあって、私達は満足しうるような中国伝統医学の疾病史を、これまで持たなかった。私達が手にできたのは、ほとんど全て医学史の名を冠した書物ばかりであり、しまもその内に記してあるのは、医学の歴史などではなく、医書の書誌と医家の伝記の羅列であった」今すぐ入手できるかどうかわからないが、この書名だけでも覚えておいて損はない。では。(かわぐちし:みやかわ)

宮川 浩也 12/28 22:12

014:[ ]

『中医臨床』に、『素問』に「青で草茲の如きものは死ぬ」と言い、また諺に「青は藍より青より青し」と言うが、グリーンとブルーじゃちと違いすぎやせんか、と質問が有り、本会の岩井氏が回答している。

回答はもうそれで十分なんだけど、ふと思い出したことがあるんで一つ。

中国の辞書編纂者の書いた随筆だったと思う、肝心の書物が本棚で行方不明になっていて心許ないが。つまり、古代漢語の青とは、色合いから言えば今のアオからミドリ、明るさから言えば黒から白に至る幅広いものであった。

これをもってやや飛躍すれば、つまり五行の五色とは、むりやり五つにまとめたもんじゃなくて、そもそも五つくらいしか判別できなかったんじゃあるまいか。白と黒は色じゃない、とまで言えば三色である。

それについて、また別の書物には(これもどんな書物だったかは忘れた)、ホメロスのオデッセイでは海の色を「葡萄酒色」と表現しているそうな。いかに古代でも、エーゲ海がワインレッドということはあるまい。つまり、彼らにはそう見えたということである。今の我々からすれば、彼らはみんな色盲である。エーゲ海の碧と葡萄酒の紅が区別できないんだったら、赤緑色盲だよね。著者に言わせれば、彼ら古代ギリシャ人にとって、我々現代人は超能力者である。

古代中国人には、赤・青・黄の区別はさすがにできたとすると、まだしも我々の境地に近づいていると言うわけか、呵々。

神麹斎 12/27 06:57

013:[ 肓について ]

いの一番に思いつくのが、范行準の『中国病史新義』(中医古籍出版社)です。古典にみえる、身体の部位名、臓腑名、病名などを、文字学的にあるいは訓詁学的に追求した解説書で、タイトルに「病史」とあるけれども歴史書ではありません。A5版で750ページもあるし、内容も難しいので、消化不良を起こしそうです。肓については、膈膜の項で、5ページに渡って展開しています。これがもっとも詳しいと思います。どういう内容かは、直接読んでもらわないと。読んだ結果は、このホームページに書き込んでみんなに還元して下さい。

宮川浩也 12/15 08:07

012:[ ]

内経に『肓』というのが出てきますよね。この肓という場所について歴代の医家で解説している人ご存じないでしょうか。医古文的にもお願いしたします。

佐藤隆哉 12/14 07:35

011:[ 文字コードへの愚痴 ]

よその掲示板に「私、漢字制限論者です」という冗談を書き込んで、バッシングを受けました。まだ、言いたいことは有るけど、また紛糾するのも面倒だから、ここにひっそりと書き込みます。だいたい、漢字文献を扱う人で、今のJISやUNICODEで充分だ、もう増やすななんてのがいるわけが無いから、冗談だと言うことはすぐ分かると思ったんですがね。

それにしても、康熙字典という権威に対するアレルギーも大変なものですね。上からの制定であれ、下からの約定俗成であれ、何らかの規定が無ければ、漢字なんて扱いようが無いと思うんですがね。で、JISや当用漢字やUNICODEという権威よりは、康熙字典という権威の方がましだと思ったんですがね。別に服従するなんて言ってません。

例えば、UNICODEに漢字用のスペースが2万かせいぜい3万しか無いとして、康熙字典(諸橋大漢和でも、漢語大字典でも、中華字海でもいい。「権威」であることにかわりは無い。)から異体字を省いても入らなかったんですかね。基本になる字を網羅しておいて、異体字はフォントの切り替えで対処する。この方がよかったと思うんですがね。勿論、余裕が有れば、本字や古文や或体字なんてのはいれてもいいけど。「足りない」スペースに繁体字と簡体字を並列したり、略字や誤字(譌字)まで入れようというのは理解できないんですが。どれが或体字でどれが譌字か、どうせまた侃々諤々なんでしょうが。

異体字がフォント切り替えであれば、検索でヒットするのも確実になるし、大陸の中国人が簡体字で送ってきたメールを、台湾の中国人は繁体字で、日本人は当用漢字で読む。いけませんかね。もちろん、簡体字で統合してしまった文字を振り分けるソフトは必要でしょうけど、難しいんですかね。

今さら言っても愚痴ですが。(だから、議論ではありません。雑談です。)

JISに俗字が多いのは、阿呆な戸籍係が、誤字を強制したツケですかね。ウチの苗字は士でなくて土だ、なんて言うヨシダさんに気をつかうことは無いでしょう。ちなみに私の苗字、人偏が附いてきても全然気にしません。名前ってそういうものだと思ってます。

「凡そ勘籍の徒、或いは蝮部の姓を転じて丹治部と注し、或いは永吉の名を変じて長善となす。かくの如きの類は不合となすなかれ。」(延喜式 集英社のPR誌:青春と読書 から孫引き)

神麹斎 11/17 23:04

010:[ 滑伯仁の脈診 ]

滑伯仁説「以左尺主小腸膀胱前陰之病、右尺主大腸後陰之病」の出所は、分かりません。
『診家枢要』の所説とは違うというのは、つまり【左右手配藏府部位】の「左手寸口心小腸脉所出.左關肝膽脉所出.左尺腎膀胱脉所出.右手寸口肺大腸脉所出.右關脾胃脉所出.右尺命門(心包絡手心主)三焦脉所出.」と違うということだと思いますが、『診家枢要』の主要部分だと思われる【脉陰陽類成】と【左右手配藏府部位】とでは、改めて見てみると、配当の考え方が大分違うみたいですね。
【脉陰陽類成】に即して言えば、「左寸は心、左関は肝、左寸は腎膀胱、右寸は肺、右関は脾胃、右尺は(一応)三焦」ということに成りましょうか。六府なんぞ配当されてない、と言って良いですよね。少なくとも小腸、大腸は配当されてない。(右関の病症記述の中にかろうじて、腸という字が一回出てくる。考えてみると、『霊枢』経脈篇では、大腸経に大腸の病なんて無いし、小腸経に小腸の病なんて無い。胃腸の病はすべからく足の陽明経に配当されるみたいですね。)
で、問題の左尺と右尺ですが、【脉陰陽類成】の病症では、左尺は男性は精、女性は月経、そして共通して小便の問題、右尺は大便の問題が圧倒的割合を占めています。してみると、左尺と右尺には、小腸だか大腸だか知らないけど、要するに小便の病と大便の病、つまり前陰と後陰の病が配当されている、ということでしょうか。
「以左尺主小腸膀胱前陰之病、右尺主大腸後陰之病」という文句自体は未発見ですけど、『診家枢要』の左尺と右尺の病症を総括すれば、つまりそういうことだ、と誰かが言ったんじゃあるまいか。

神麹斎 10/07 23:06

009:[ 滑伯仁のこと ]

明・李中梓『診家正眼』「内経分配蔵府定位」および清・林之翰『四診抉微』巻4「六部蔵府分属定位」)に引く滑伯仁説に「以左尺主小腸膀胱前陰之病、右尺主大腸後陰之病」とありますが、どこに書いてあるかわかりますか。一応、『読素問抄』『難経本義』『十四経発揮』をみてみたのですが、わかりませんでした。『診家枢要』の所説とは違うのですが。ご示教たまわりたく存じます。

宮川 浩也 10/07 06:47

008:[ 会員情報8 ]

橋本政夫 川崎市
E-mail:VEK04424@nifty.com
 1980年(昭55年)後藤学園卒業
 現在、古典鍼灸研究会(付脉学会)に参加しています。
 日本内経医学会には「原塾」時代から名を連ねさせてもらっています。

管理者 09/04 23:13

007:[ 会員情報7 ]

高橋清治
メール情報板の件、とりあえず拝見しました。いろいろないかしかたがあると思います。
*電子郵便住所(E-mailアドレス)は下記の通りです。
       9812702996@ksv.s13b-unet.ocn.ne.jp
*Faxは  03-3605-7357です。

管理者 09/04 23:09

006:[ 会員情報6 ]

植松弘雄 Tel: 045-803-6502

宮川先生
   いつもお世話になっています。
首記の件メール有難うございました。情報交換のアイデアはすばらしいことと思いますが、当方まだ勉強不足の為情報公開に発信出来るほど情報の蓄積がありません。従って参加するには私個人としては時期尚早と思っています。但しメール情報版は私の勉強のため勝手ながら見たいのです。よってある程度蓄積が進んだ折に時期を見て参加したいと思っています。返事遅れましたことすみませんでした。
以上ご理解方よろしくお願いします。

管理者 09/04 23:08

005:[ 会員情報5 ]

藤野常信
電子メール アドレス :
 tfujino@skyblue.ocn.ne.jp
さて、表題の件ですが、
①賛成
②参加します
③内経学会でメーリングリストを立ち上げてはいかがですか?
 また、雑誌『内経』のメール版を作ったらどうでしょうか?

管理者 09/04 23:07

004:[ 会員情報4 ]

小高修司
中醫クリニック・コタカ
電子メール アドレス :
 kotaka@mbf.sphere.ne.jp

どんな具合になるか不安な面もありますが、一応賛成とします。実は医師会(中央区のですが)でも同じ試みをしており、会員間のメールは全て参加者全員に自動的に配布されております。有益な情報もあるのですが、私のような特殊なことをしている者にとっては、結構煩わしいやりとりも多く、ろくに読まずに消しているものもけっこう有ります。

ここから宣伝です。今月20日に『中国医学で病気を治す』という一般向けの本を、講談社ブルーバックスから上梓します。ご一読賜りご批評いただければ幸甚です。

管理者 09/04 23:06

003:[ 会員情報3 ]

林孝信
電子メール アドレス :
 BYR11214@nifty.ne.jp
●メール情報版についての回答
①賛成か反対か
    賛成です
②情報公開に参加するか参加しないか
    参加します
③他にアイデアがあるか
    今回はメーリングリストだけですが、
    将来は、管理者を決めて内経医学会のホームページを開く

管理者 09/04 23:05

002:[ 会員情報2 ]

金延三
漢方哲学国際医学会
本会は、古典文献に基づき、純粋な古典漢方の立場より、研究・追試・臨床実践を目的に活動している研究会です。
1,鍼法を、『医家気功針』と命名し、現在、素問運気論に取り組み臨床実践しております。
2,現在までの研究段階。毎日の、干支九星を天地人と言う形で、脉診に反映し証を決定し、本治法(五行穴の運用)と標治法(督脉を中心にした運用)を施す。
干支九星より、南政論・北政論・北面・南面そして司天在泉の正不正を判断し証に直結させる段階です。
3,五行穴の運用。二十四節気+土用4回で、年28回証ごとに変更運用。
4,脉診の修得法。主観に陥りやすい脉診を腹診や、同じ脉の中で対事させる相対法を採用。
5,鍼は、銀針で接触針。
運気を扱うため、時間がかかりますが、一歩ずつ前進しております。
漢方哲学国際医学会メーリングリスト参加無料。
 http://www.egroups.co.jp/group/kanpo_ml/よりユーザー登録され入会するか
 直接zuihoin@anet.ne.jpに簡単な自己紹介を兼ねたメールを頂ければ代行登録いたします。古典漢方の情報交換の場として運営したいと考えております。

漢方哲学国際医学会役員
会 長        金  展蔵(延三)(こん のぶぞう)
副会長・学術開発部長 長船 達雄
 同 ・ 同部員   青山 武夫
 同 ・企画推進部長 竹内 幸彦
 同 ・総務部長   奥寺 秀昭
 同 ・財務経理部長 菊地  孝
 066竏窒O027
 札幌市中央区大通西18竏窒P竏窒Q8竏窒T05
           はり・きゅう 瑞峯院
           TEL/FAX 011-614-7659
               0123-23-9860

管理者 09/04 23:04

001:[ 会員情報 ]

左合昌美
〒500-8441岐阜市城東通3-34
「靈蘭之室」というホームページを開いています。
医学経典著作の電子化および公開がメイン。現在は、『太素』(楊上善注を含む)のUNICODE TEXT版、『素問』(王冰注、新校正を含む)のUNICODE TEXT版、『難経集注』のPDF版を公開中。
その他、以前発行していた雑誌『渾敦』を電子掲示板としての再開。

管理者 09/04 23:03
管理者 神麹斎