芸術のなかの“痛み” 連載7

音楽家の“使い過ぎ症候群”


 昔より今に至るまで、数多くの人々が重い心の安らぎを音楽に求めてきた。音そのものはすぐに消えてしまうが、音楽の印象は内部に浸透し、もっとも内なるところに響いて魂を揺り動かす。レンブラントの「ダビデが奏でるハープに聞き入るサウル」は、殺してしまいたいと思っている相手が奏でる美しい調べに心打たれ、己の邪な心を恥じて涙するサウル王を描いたものだ。
 ハーバートが「知慧の投げ槍」の中で「音楽で歯痛はなくならない」と書いていた。ところが音楽で歯痛を和らげようと試みている人がいる。癌患者の痛みの軽減や高齢者のボケ対策に音楽を、運動機能の回復に楽器を使用している施設もある。音楽治療の適用範囲は大きく拡がった。
 反面、音楽がもとで痛みに苦しんでいる人々もいる。それは演奏家たちだ。ピアニストの有痛性痙攣、ホルン奏者の麻痺、チェロ奏者の皮膚炎、イングリッシュホルン奏者の母指障害、打楽器シンバル奏者の肩障害など。これらはいわゆる職業病であろう。この場合、使われる楽器が痛みの現れ方を左右するようにみえる。だが、もっとも多いのは上肢の筋肉痛や間接靭帯の痛みで、すべてのジャンルの演奏者に現れる。同時に機能喪失を伴うことが多く、オーストラリアではこれを使い過ぎ症候群oevruse syndromeと呼んでいる。痛みが筋肉から発生すれば、筋・筋膜痛症候群であろう。オーストラリアの音楽学生の9.3〜20%、交響楽団員の50%以上が使い過ぎ症候群をもっている。交響楽団員の場合、30〜35歳以降に発生した人が多い。ドガが描いたオペラ座のオーケストラの楽士の中にも、この症候群をもつ人がいたように思えてくる。
 この症候群の主要症状は痛みだが、それが現れる前に力が抜けたような感じ、重い感じ、変な感じ、あるいはこわばりがあったり、ピンや針で刺されたように感じる例がある。長時間の演奏を終えて眠りに入ったあと、夜中に痛みが起こって目を醒ます。痛みは手、手首、前腕、肘、肩、肩甲骨部、頸部に現れる。痛みがある筋肉や関節靭帯の部分の腫れに気づくこともある。なおも演奏活動を続けると痛みが次第に拡がっていく。
 痛みに次いで多いのが演奏に使われる筋肉の力が弱まったという訴えで、器用さ、速さ、正確さが失われたように感じる。重症になると安静時痛も現れる。使い過ぎた筋肉や関節靭帯の部分に圧痛がある。手や手首に痛みがある人では、母指の手根中手骨関節や手根関節を伸ばすと痛みが強まる。クラリネットを支えるようにすれば、障害を予防できる。バイオリン奏者は、バイオリンの一端を顎と左肩の間で、他端を左母指と左手側面の間で支えるので、顎と左肩に痛みを感じるようになる。この痛みは悪い姿勢によるものだが、そのままにしておくと頸椎の変性性疾患の進行が加速される。バイオリンを支える簡単な装具を身につけると痛みが楽になるばかりでなく、予防にも役立つ。楽器を保持するときにかかる負担を軽くすると痛みを予防できるという原則は、他の楽器を使う人にも当てはまる。
 治療の第一は安静で、ピアニストやクラリネット奏者の予後は良い。バイオリンやビオラ奏者の場合は症状が慢性化して、頚椎に変性性疾患が現れるとなかなか治癒しない。ピアニストの有痛性痙攣は、書痙に似ていて手に過大な負担がかかったために現れる。指や手首の伸筋が痙攣して、痛みに襲われる。筋力も低下する。筋肉の機能異常に止まることもあるが、腱の炎症を伴う例が多い。
 指の長い人と短い人とでは、ピアノを演奏するときにかかる負担が異なっている。ラフマニノフやリストのピアノ曲を小さな手で演奏するのは大変だ。モーツァルトのピアノ曲の場合は長い指で演奏する方がかえってつらい。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏するとき、片手の親指と薬指または小指を使って1オクターブ(18cm)離れた鍵盤を力一杯、速く、しかも同時に叩くので手を傷害しやすい。ベートーベンのピアノ協奏曲第3番の最終楽章を演奏するときは親指と小指を交互に使って1オクターブ離れた鍵盤を力強く打つので、このときも手を痛める。ベートーベンの作品109番ピアノソナタホ長調とか、作品53番ワルトシュタインソナタの最終楽章のコーダを弾くため2度違う鍵盤を交互に速く叩くトリル、また作品2番の3、ピアノソナタハ長調のスケルツオの楽章のトリオを弾くときのアルペッジオも手を痛めやすい。
 シューマンは、精神病院で1856年46歳の生涯を閉じた。法律を学ぶためにライプチヒ大学へ送られたシューマンがクララの父ウィークからピアノのレッスンを受けたのは、1830年であった。そしてまもなく、右手の力が弱くなっていたことに気づいた。それは、2本の指を動かす筋肉の麻痺によるものであった。この麻痺が徐々に進行して1833年遂に演奏活動を断念する。麻痺した2本の指が示指と中指、中指と薬指、または薬指と小指であったといわれていて定説はない。シューマンの義父となったウィークが「有名になった弟子の一人が指を強化する道具を使ったため、2本の指の腱を痛めてしまった」と書いたため、シューマンは、指を強化する道具の犠牲者であったと言い伝えられてきた。1971年になって、サムスがこの説を否定し「シューマンの手の障害は指の伸筋の麻痺であった。それは梅毒の治療に使われた水銀の中毒症状であった」と結論した。さらに7年後の1978年、サムスの説を退けて「シューマンの手の障害は、後骨間神経麻痺であった」と主張する人が現れた。後骨間神経は橈骨神経の終枝である。シューマンが鍵盤楽器奏者として世に出たころ、バロック時代に人気楽器であったクラビコードとハープシコードがピアノに取って代わられた。演奏法の変更を余儀なくされて猛練習を重ねたのがたたり、後骨間神経を痛めたと解釈されたわけだ。シューマンは演奏活動を辞めて作曲に専念し、音楽界に大きな遺産を残した。