芸術のなかの“痛み” 連載6

競走馬の背筋痛


 11月29日に行われたジャパンカップは、期待されたミホノブルボンが故障のため欠場したが、トーカイテイオーが見事世界最強の牝馬たちを抑えて優勝。日本中を熱狂させた。
 競馬の歴史は古い。おそらく世界最古のスポーツの一つだろう。ホメロスのイーリアスに馬が引く戦車のレースが出てくる。紀元前7世紀のギリシアのオリンピアに4頭立ての馬が引く戦車レースがあった。これが取り入れられてから40年がたつと、馬に騎乗して行うレースがオリンピアの種目になった。これをヨーロッパにおける競馬の起源とみる説がある。しかしエジプトでは紀元前1345年、バビロニアでは紀元前3千年から乗用馬のレースがあった。アテネ美術館に、紀元前150年ころに制作されたジョッキーの彫刻がある。
 近代競馬の歴史は、1776年、ドンカスターで行われた第1回セント・レジャーのレースに始まる。このレースは今なお続いていて、このレースと、その3年後から始まったエプソムのオークス、さらに1年遅れて始まったエプソムのダービーおよび1809年と1814年以来続いているニューマーケットの2000ギニーと1000ギニーの5つをクラシックスと呼んでいる。エプソムのダービーの日、ロンドンの会社が休業になり、紳士たちはグレーのダービー・ハットをかぶってエプソムに集まる。クラシックスの他にも賞金額の多いレースがあって、そのひとつのアスコット・ゴールド・カップは、1807年以来の伝統をもつ大レースだ。英国の王室は古くから競馬にかかわってきた。13世紀には、リチャード1世が3マイルレースに金貨40ポンドの賞金を与えた。近代競馬が始まってからも、王室の持ち馬が時々レースに参加して、好成績を上げている。
 現在のエリザベス2世の持ち馬も1957年のオークスと、1958年の2000ギニーを制した。また、王室がアスコット競馬場を所有し、王室がゴールド・カップを観覧する伝統を守っている。このレースは、上流階級の社交の場としても有名だ。
 1980年、エプソムのダービーで、過去40年間の最高記録が出た。このときの優勝馬はゴールの300m前でつまずいたにもかかわらずレースを制した。レースが終わってから、骨折が発見された。この馬は少なくとも300万ポンドの価値があり、最高の手当てを受けた。しかし、その後走行障害が残って、二度とレースに参加できなかった。
 一昨年トーカイテイオーで似たことが起こり、2冠王となったレースが済んでから後肢に骨折が発見された。しかしこの馬は見事に再起して、ジャパンカップの優勝馬になった。ダービーの優勝馬やトーカイテイオーは、レース中の骨折にもかかわらず完走して、レースを制した。骨折があると普通なら痛みがあって走れないが、レース中は痛みを感じなかったようだ。馬にも内因性疼痛抑制系がある。疾走していると、この系が働いて痛みを感じないのだろう。
 フランスの競馬は、1789年のフランス革命以前からあったが「運命を狂わせ、労働者が働かなくなる」という理由で非難された。1830年代ころから、速くて強い馬は戦争に役立つということで種馬所の設立が奨励され、競馬が発達した。フランスの競馬は、ルールや運営ばかりでなく、馬具、騎手の帽子や服までイギリスに真似た。そして、1836年にフランス・ダービーが始まった。フランスには19世紀半ばころまで、イギリスやニューマーケットに匹敵する競馬場がなかった。1857年になってようやくパリ郊外のロンシャンに新しい競馬場が開設され、これがヨーロッパ大陸随一の競馬場になった。観客のための優雅なスタンドやさまざまな設備を整えたロンシャン競馬場は、社交界の洗練された人々のみに与えられる娯楽の特権を象徴した。今世紀に入ってからでも、「パリの流行はロンシャンから」と言われている。1865年フランスの競走馬グランディアトールがパリ・グランプリを制し、イギリスでもダービー、セントレジャー、2000ギニーのクラシックレース3つに勝って三冠馬になった。この快挙にパリ中が歓喜にわき立った。ドガが競馬に関心をもつようになったのもそのころだ。当時のフランス競馬はまだ比較的新しい、観戦のためのスポーツで、主として裕福な有閑階級のものだった。印象派の画家のうち、裕福な家に生まれたマネとドガだけがしばしば競馬場に出かけた。マネにとってはこのスポーツのもつ貴族的な面が大きな魅力であった。ドガは騎手と馬の関係や、サラブレッドの優美な動きに関心をもっていた。1870年代まで、画家たちは前後4本の肢のすべてを真っ直ぐに伸ばした疾走場を描いていた。1870年代に入って、イギリスの写真家エドワード・マイブリッジが高速連続写真撮影法を発明し、それまでの疾走馬の描き方が誤りであることを示した。ドガは写真を積極的に応用した。1880年代以降になると、マイブリッジの研究に影響され、生物学的に正しい競走馬の動きを描くようになった。しかし、レースをしている馬を描いたものはまれである。レース前のトラックにただよう張りつめた雰囲気や、スタートの最初の合図で力を抑制した状態を強調する傾向が強かったのだ。
 ところでウマにも慢性背筋痛がある。これがあると衰弱し、競走馬の場合、レースでの成績が悪くなる。この痛みをもつウマは、人が近づくと不機嫌になる。そして傍脊柱筋が収縮する。背筋を圧迫すると、正常なウマでは局所の筋肉が収縮するがそれ以上のことはない。背筋痛をもつウマはうずくまる。痛みが強いと、倒れて地上に横たわる。圧迫を止めると正常なウマの筋肉は直ちに弛緩する。痛みをもつウマでは弛緩がゆっくり起こる。また圧迫を加えたとき、線維性収縮がみられ、圧迫を解除してからもしばらく線維性収縮が観察される。慢性背筋痛が診断されると、6ヶ月から12ヶ月間休養をとらせる。遊泳させることもある。コルチコステロイド、非ステロイド性消炎鎮痛薬、エステロンの全身投与が行われる。また、局所へのコルチコステロイドと局所麻酔薬の注射も行われている。しかし、レースに出そうとすると、いわゆるドーピングがあって、使用できる薬物が限定される。針治療を行ったという報告もある。レーザーによる治療や生理食塩水の局所注射も行われている。
 腰痛は2本の足で歩行するヒトに特有な症状と考えられがちだが、これは迷信である。