芸術のなかの“痛み” 連載5

スポーツのあとの筋肉痛


 スポーツはもともと英語であるが、これが世界の共通語となったのは19世紀以来のことである。中世のフランス語のdesportが、14世紀のイギリス人に転用されてdisportとなり、16世紀ごろからsportに短縮された。フランス語のdesportは、気ばらしのために行う遊びをさしていた。
 スポーツの萌芽はすでに旧石器時代にあり、ボクシングとレスリングが最も早くから競技として発達した。
 古代文明で最も豊かなスポーツ文化を育んだのはギリシア文明で、紀元前5から6世紀がその全盛期。もちろんスポーツという語はなかったが、紀元前766年以来、4年毎のオリンピアが行われるようになって、スポーツ競技が組織的に運営された。
 ギリシアでは跳躍、槍投げ、短距離競争、円盤投げ、レスリングの5種競技に卓越した者を最優秀競技者とした。5種競技はgymnastikosと呼ばれ、一技一芸を主とするathletikosと、勝敗を争うagonistikosから区別された。市民は午前中に仕事をすませ、午後になるとギムナシオンという競技施設に出向いて、いろいろなスポーツを楽しみながら政治、経済、宗教、芸術を語りあった。古代ギリシアのスポーツは円盤投げの彫刻に見られるように、なぜか一糸まとわぬ全裸で行われた。だから砂の上でのレスリングなどによる外傷を予防するため、全身にオリーブ油を塗った。練習を終えると特殊なへらで、体に塗った油と砂をこすり落とした。ヴァチカン美術館の秘宝アポキシオメノスは、このときの動作を表している。当時のスポーツの様子はギリシアの甕に描かれた数々の絵から伺い知ることができる。
 スポーツの後でしばしば筋肉痛を経験するが、力いっぱい走ったり、跳んだりしたときに起こる肉離れは、筋線維の急性損傷である。軽症のときは一部の筋線維が過度に伸展するだけであるが、中等症あるいは重傷になると筋線維が断裂する。スポーツによる肉離れの90%以上が下肢の大腿四頭筋と下腿三頭筋に起こる。いずれも抗重力筋である。
 肉離れ以外の筋肉痛は2種類に大別される。その1つは運動時に現れて次第に強まり、運動を止めると速やかに消える痛みである。この痛みは代謝産物が蓄積して発痛物質ブラジキニンが産出され、筋肉に分布する痛覚線維が刺激されて起こる。それと同時にプロスタグランジンが産出され、ブラジキニンによる痛みを増強する。他の1つは、スポーツを終えて何時間もたってから現れる痛みで、この痛みは代謝産物の蓄積で説明できない。筋肉の生理学では、負荷が一定で短縮する等張性収縮と、長さが一定で張力が増加する等尺性収縮を取り扱うことが多い。これらの収縮は、生体から取り出した筋肉でみられる現象である。
 生体内にある筋肉の収縮は、等尺性収縮、短縮性収縮、伸長性収縮の3型に分類される。伸長性収縮は、等尺性収縮中の筋肉が引き伸ばされると起こる。坂道を駆け降りるとき、下肢筋にみられる。このとき筋肉に発生する張力は、等尺性収縮によって発生する張力よりも大きい。スポーツのあと1日から3日たって感じる筋肉痛でもっとも多いのが伸長性収縮によるものが加味される。代謝産物の産生を等尺性収縮と伸長性収縮で比較すると、等尺性収縮の方が多い。痛みは伸長性収縮のあとで断然多いから、代謝産物の貯積が直接的な原因とは考えられない。スポーツに参加してから48時間後、尿中に排泄されるヒドロキシプロリンを測ってみると、痛みがある人で有意に増加している。ヒドロキシプロリンは、結合組織のコラーゲンの分解産物である。この結果から、筋肉内あるいは筋肉を包む結合組織の傷害を痛みの原因と考えるスポーツ医学者がいる。他方、筋肉に特殊な酵素であるクレアチンキナーゼと、筋肉に酸素を貯える働きを持つミオグロビンの血中濃度が高まっていて、尿中にミオグロビンが出現することもある。これらの変化が筋肉の傷害を示すと考え、筋肉の傷害を痛みの原因と主張する人もいる。かつての軍隊で強行軍の後に尿が赤くなる行軍ミオグロビン尿が知られていた。初年兵でこれがよくみられた。ミオグロビン尿は痛みが残らなくてもみられるので、痛みとミオグロビンの関係は疑問視されている。筋肉に痙縮が起こって痛みの原因になると考えるスポーツ医学者もいる。筋肉の小さな傷害が拘縮によるしこりを生じ、それが痛みの原因になる可能性があるから、筋傷害説と痙縮説に接点があると筆者は考えている。
 正常な筋肉が収縮するとき、運動神経線維の末端からアセチルコリンが放出され、筋線維から終板電位が出る。それが引き金になって、筋線維から活動電位が発生する。活動電位が筋線維の横行小管に伝わると、筋小胞体の終末槽からカルシウムイオンが細胞質(筋奬)内に放出され、太いミオシンフィラメントの間に細いアクチンフィラメントが滑り込んで収縮する。筋線維に過大な負荷がかかると筋小胞体が傷害され、活動電位が出なくても筋小胞体からカルシウムイオンが筋奬に出ていく。その結果、太いフィラメントの間に細いフィラメントが滑り込む。こうして筋線維が短縮する。このとき活動電位が出ないので、収縮と呼ばず拘縮と称している。拘縮が発生すると、血流が障害され、これに拘縮によるエネルギー消費の増大が加わって代謝産物が蓄積し、ブラジキニンが産出されて痛みを生じる。このときプロスタグランジンも産出され、ブラジキニンの発痛作用を増加する。
 筋肉が痛みの発生源となると、反射性筋収縮や血管収縮が加わって痛みを強め、痛みの悪循環ができ上がる。また太いフィラメントの間に滑り込んだ細いフィラメントが元に戻るのにATPのエネルギーを必要とするが、血流が悪いとATPの産生が減ってなかなか拘縮が解けない。そのためしこりが残る。これらが慢性化すると、それは筋・筋膜痛症候群である。