第52回
2007年8月8日

「死因不明社会」と「脳死寸前の解剖システム」の
蘇生法としてのAiセンター

放射線医学総合研究所重粒子医科学センター病院
江澤 英史

現在の日本は「死因不明社会」である。現在の死因探索システムの骨格は、検死→ 解剖で、剖検率は3%である。社会制度として監察医制度がなければ十分に死因確定が困難だということは理解されながら、医療行政は監察医制度を昭和二十四年から一貫して五都市(発足当初は七都市)に限定して適用し続けている。解剖は医学の黄金律として認められてきたが、適用率3%では普遍的な検査とは呼べないだろう。しかし解剖に関わる学会の上層部の諸先生方は、解剖を基盤としたシステムの拡充に固執している。だが、こうした戦略は行政的に完全に失敗した。そして現在、担当した病理学会理事たちは、マイナス情報を隠匿し続けている。厚生労働省は2007年3月、「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」の看板を掛け替え、「医療事故調査委員会」システムを立ち上げるという対応を行った。その前身である「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」は日本病理学会、日本法医学会が主体となり、平成十八年度には一億二千万、平成十九年度には一億二千七百万の予算を計上し行われた。事業の趣旨は、「医療の質と安全性を高めていくためには、診療行為に関連した死亡について、臨床面及び法医学・病理学の両面からの解剖所見に基づいた正確な死因の究明と、診療内容に関する専門的な調査分析とに基づき、診療上の問題点と死亡の因果関係とともに、動揺の事例の再発を防止するための方策が、専門的・学際的に検討され、広く改善が図られることが肝要である。そこで医療機関から診療行為に関連した死亡について調査依頼を受け付け、臨床医、法医及び病理医を動員した解剖を実施し、更に専門医による事案調査も実施し、専門的、学際的なメンバーで死因究明及び再発防止策を総合的に検討するモデル事業を行うものである」とある。(わかりにくい文章ではあるが、筆者の責任ではない)

モデル事業に参加した医師たちは、今も厚生労働省の主導する枠組みに賛同を示している。だがこれに続く「医療事故調査委員会」設置を目的とし発足した「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」では病理学会、法医学会という解剖実務担当医師は外された。現在この検討会は月二回というハイペースで行われている。メディアも傍聴しているが、報道ぶりを見ているとその内容は理解されていないだろう。第三回では病理学会、法医学会の代表が呼ばれ、その場で病理学会と法医学会の、この問題に対する意識の違いが浮き彫りにされた。法医学会は医療関連死問題は監察医制度をベースとした法医学会寄りの姿勢で解決すべきだと述べ、病理学会は院内の病理解剖システムで対応するのが妥当だと主張したのだ。

その議論を受け、検討会は今やもっぱら法律体系や制度の設計に主題を移し、先日は、解剖の問題についは、「監察医制度はいろいろ難しいところがあるので、今回の議論から外す」という座長の一言で完全に蚊帳の外へと追いやってしまった。つまりこの検討会では今後も解剖に関しての深い議論はもはや行われないだろう。それもそのはずだ。何しろ、厚生労働省は委員選定の際に解剖専門の委員を外してしまったからだ。

つまり解剖を主体として「死亡時医学検索」システムを確立しようとしていた、旧来の学会上層部の諸先生方は行政的な後出しジャンケンに完敗し、コケにされたわけである。  これは解剖に対する法体系が三分化されている現状では予想できたことだ。これを機に解剖の底上げを図ろうとした学会上層部の意図は悪くなかったが、結局モデル事業費という目の前に吊された飴玉争奪に走ってしまったという担当者の見識の浅さのため、厚生労働省にいいようにあしらわれてしまったわけだ。つまり解剖システムは、運用する当事者間ですら制度疲労しており、脳死状態となっているに等しい。

さて、現実は嘆いてばかりもいられない。先輩たちの不手際は、後輩が尻拭いするしかないのである。ここで主張するのは、問題のパラダイムシフトを図ることである。「解剖をきちんとしなければならない」という主張では、行政は聞く耳を持たない。「よりよい医療制度の構築として、死亡時医学検索システムを確立する」と命題を言い替えればいいのだ。そのためにエーアイを死亡時医学検索システムの基幹に据える、というのが根本方針となる。

浅薄な大御所はすぐに、「解剖代わりにエーアイを用いるのは時期尚早」とか反論する(病理学会ホームページ・パブリックコメント参照)。エーアイは解剖の代替検査ではなく、検死の発展的検査である。エーアイを検死システムに組み込んでも、解剖にデメリットはない。現在はエーアイより科学的根拠に乏しい体表からの検死で、解剖の適否が決定されているのだから、エーアイ導入により、その適否が科学的根拠に基づくものになるだけなので、解剖担当者が文句を言うことがおかしいのだ。こうした議論は、医療費抑制を何とかのひとつ覚えのように主張するしかない現在の厚生労働省官僚と、そのおこぼれにあずかった一部担当医による意図的なミスリードである。関連学会を内紛させ、費用拠出を避けようという狙いで、まさしく分割して統治せよ、である。既存学会の上層部は、まさに分割されて統治されてしまったのだった。 エーアイは解剖システムを破壊しない。だが、解剖がエーアイを忌避し続けるのであれば、解剖自体が社会から拒絶されていくだろう。なぜなら「エーアイを施行した後に解剖の適否を決める」という、新しい「死亡時医学検索」の思考法は一般の人にも受容される、きわめて自然で患者の心情を一番大切にする、医療の根幹精神に基づいた検査になるからである。もしもエーアイ導入により解剖が減少したとしたら、それは、解剖自体が社会的適応を図るという研鑽を怠ったための当然の反応である。 ここで画期的なニュースがある。2007年8月、千葉大学でエーアイセンターが成立したのだ。放射線科の山本講師の呼びかけに、病理学の張ヶ谷教授、中谷教授、法医学の岩瀬教授らが賛同し、システムの基礎が確立された。その際中谷教授は、「AiとはAll integrate の略でもありますね」という印象的な発言をされている。つまりエーアイセンターに死亡時医学検索の全てを結集する、という象徴的な意義を見出されたのである。

厚生労働省はモデル事業で、監察医制度のある地域を主体として置いたが、これが全国展開できないだろうということは、モデル事業が始まる前に筆者がすでに指摘している。(第17回1000字提言・2005年1月発信)。厚生労働省が現在目論んでいるのは、東京において、十人以上の専門委員が討議するような、医療関連死調査委員会の全国展開である。だが当然、他の地域でそのようなシステムが回るはずもなく、縮小モデルの模索、などという文言もすべりこませている。

厚生労働省が、本気で医療の建て直しを考えているのであれば、地域医療の再生も含めて、エーアイセンターを中心に展開するのが一番可能性が高いと考えられるのだが、いかがだろう。