藤田弘子先生ご逝去

日本ダウン症療育研究会会長
玉井 浩

本研究会の創設者であります藤田弘子先生は2023年7月にご逝去されました。謹んで哀悼の意を表します。
先生は1930年大阪でお生まれになり、1953年大阪府立女子大学文学部社会福祉学科卒業後、1959年には大阪市立大学医学部卒業を卒業されました。その後、米国でのインターンをされ、京都大学医学部小児科を経て、1962年より大阪市立大学生活科学部児童学科に1994年まで勤務されておられました(人間福祉学科教授として退職)。1970年より兵庫県立塚口病院(当時は県立尼崎病院塚口分院)小児科に染色体外来が開設され、先生が担当されました。先生の外来には多くのダウン症のある子が集まり、1973年親たちの願いを結集した「親子教室」が病院で開催され、家族の交流会が始まりました。
1970年代は日本では臨床遺伝外来の草創期にあり、診断されても特に治療や訓練という方法はないと伝えられるだけの時代でしたが、先生はダウン症のある乳児の親御さんたち同士の交流と親子の愛着形成を重要視され、運動発達を促進させる「ダウン症児の赤ちゃん体操」を考案し、ついに1975年「赤ちゃん体操教室」を開設されました。その後、兵庫県立尼崎総合医療センターに引き継がれ、また、体操教室は近畿を中心に、東京、金沢、熊本など全国に広がっています。
先生は、単に運動発達だけではなく、親子の愛着形成の上にダウン症児の発達は促進されるという信念をお持ちであり、これは脈々と現在まで受け継がれています。
ダウン症のある子とそのご家族に対する深い愛情に敬意を表しつつ、ご冥福をお祈り致します。

©The Japanese Society for Clinical Research on Physical and Cognitive Development in Children with Down Syndrome(JSPCDDS)