Phase-1
Post-Phase-1
Phase-2
Phase-3
今回の阪神大震災で、日本赤十字社は発災後即刻日赤災害対策本部を起き被災地周辺の県内、隣接県の赤十字病院から緊急出動した救護班が、正午には道路損壊を排して神戸市内に到着して、一部は夜を徹して市内の被災害救護を開始した。「Phase-0」の短縮は、人命救援において極めて重大な意味を持つ災害救援の悲願である。国内の激甚災害被災地域の救援は国および地方自治体の災害対策本部を中核とした活動であるが、発災後、災害対策本部の開設には物理的に時間が必要であり、「Phase-1」の展開にはさらに時間を費やさざるを得ない。その間、放置状態の被災地の「Phase-0」の状況を短縮し、負傷者の治療を迅速に開始する手段は小回りの利くNGO救援組織によるボランテイア活動以外に選択肢はない。
災害被災地へ救護に赴く救護班の班長は医師である。班長は班の管理責任者で、班機能を十二分に発揮するため現地状況に応じて班員を統率管理しなければならない。医師は医療業務のリーダーである。そこで実施する災害医療は、日頃病院で携わっている救急医療を院外で行うものではなく、常に多数の患者群を対象としての行動でなければならない。特に、「Phase-1」の初動活動に於いては、膨大な患者集団に小数の班員で対応するため、班長は個人の救命より集団の治療を優先させる冷酷なトリアージの断行を決意するなど、救急医療だけではなく被災地におけるあらゆる面での指揮統率者でなければならない。災害医療の場では、専門的高度医療の必要は低い場合が多く、むしろ一般内科医、一般 外科医としての幅広い知識と基本診断、治療能力が必要な場合が多い。現代の医療は臓器別に専門分化されているが、専門科医認定資格取得のために狭い最短距離を慌ただしく上り詰めるより、広い医学的裾野の広がりを持った医師が望ましいと思われる。
1、はじめに
阪神大震災に際しての陸上自衛隊第10師団、海上自衛隊、地域の医療施設などの活動を示し、その中で浮き彫りとなった問題点と対策についてこのレポートにて述べる。
2、陸上自衛隊第10師団の医療活動について
ii)8つのテント村を開設し各避難所を巡回した。1つ1つの機能は民間の施設より規模は小さいが多機能の施設を統合できるところに自衛隊の意義をみる。
iii)食料や寝る場所の自己確保などの「自己完結性」があることも災害時における自衛隊の有益性である。
3、海上自衛隊の医療活動について
ii)4.について、ヘリで神戸市内の病院に移送したものの混乱していて、神戸外の非被災地の病院も視野に入れるべき。
4、地元の医療機関の状況
地元の医療システムがダウンし、司令塔となるべきものが無く、初動が円滑にいかなかった。また情報が入らず、ヘリの輸送という、手段も知らない先生方がいた。
5、災害医療の段階
災害時の医療所要は単一状況ではなく、常に流動しており、その時々に応じた治療体制を取るべきである。
第1段階:
第2段階:軽妙な機動力を有した巡回診療
第3段階:やや落ち着いてきたので救護所治療
第4段階:慢性疾患管理が主となり地元医師会への円滑な移行
第5段階:地域保険活動へ移る
以上は当然オーバーラップするが、その対応は各自治体の司令塔が状況把握・指示をいかに早く行うかで医療支援効率が異なる。
6、さまざまな問題点を踏まえての求められる救護形態について
(救護所展開の要件)
派遣サイド
(救護所の撤収)
(診療録の扱い)
7、おわりに
今回の阪神大震災の教訓を風化させないよう、「司令塔」「情報」に留意し、医療における危機管理体制を洗い直してみる必要がある。
1月17日、午前5時46分、阪神大震災は地域に壊滅的打撃をもたらした。外傷の患者さんが押し寄せ、少ない職員で診療機能の回復を図りつつ、全国からの支援に支えられて奮闘している状況の中で、病院院長である上田耕蔵医師は「これは大変な経験をしている」と気付いたそうだ。今後の危機管理のために、そして全国からの支援に報いるために記録を残しておく必要性を痛感し、倒れた棚
を起こしカルテを片づけて上田医師はパソコンに向かった。この報告は、震災3ヶ月のデータ、震災発生時の医療活動と震災後関連疾患の報告である。
<救助、患者輸送、情報、全てが不足>
震災直後は野戦病院そのもの
当日は負傷者が多く、外来の待合室にソファーを並べ臨時のベットに転用、 リハビリ室や廊下も寝室となった。1月19日には支援者が急速に増え、院長室も片づけ寝室となった。院内外のあらゆるスペースが職員、支援者の寝る場所と支援物資の置き場所となった。
困難を極めたベッドコントロール
地震当日から入院を要する患者さんが急増し、空床確保が重要課題となる。重傷患者の転送だけでなく空床を作るための転院先確保も必要である。周辺病院への電話はつながりにくく、行政サイドからの情報提供もなく、寝たきりの患者さん、退院先が避難所となる高齢者など、退院先の確保に苦労した。病弱者のための専用避難所の増設、地域に高齢者や病弱者のための仮設住宅建設、避難所自体の環境改善が重要である。
病院機能維持の最大課題は水
<高齢者に集中した2次災害>
震災後関連疾患(2次疾患)を、1. 地震後のストレス、生活環境の悪化が原因となる、2. 死亡につながる疾患群、と定義し発生状況を検討した。
震災後関連疾患の概略
避難所との関連が強い疾患は呼吸器疾患である。寒冷、過密な集団生活、砂ぼこり、栄養不良など厳しい生活環境がその背景としてある。次に懸念される呼吸器疾患は肺結核である。
入院と在宅の震災後関連疾患死亡者17人の平均年齢は79.5歳であり、全患者の 平均年齢68.3歳と比べ明らかに高かった。また、65歳以上の比率は全患者の135/195= 69.2% に対して、関連死亡者は16/17=94.1%で、地震による2次災害は明らかに高齢者に集中していた。
1995年1月の死亡は4924人。一年前の1017人を引くと3907人で、4月7日兵庫県警発表の震災死(外因死)3896人とよく一致している。2月の死亡者は1580人で一年前の940人を引くと640人。3月は1187人で一年前の1070人を引くと117人であった。1月から3月の合計死亡数で見ると、対前年差4664人から外因死を引いた768人が震災後関連死亡と考えられる。これらの方は、地震とその後の生活環境の悪化さえなければ死ななくてすんだ方たち、あるいは死期を早められた方たちであったと、思われる。
情報面では医療機関同志あるいは応急救護所など行政との重要な専用回線である
地域防災無線が日常的に利用されておらず、いざという時に十分駆使できない可能
性がある。定期的に交信練習をしたり、平時にも活用してその使用に慣れておく必
要があると思われる。
水供給システムの耐震化ならびに常用貯水量の備蓄についてはこの3年間で改善さ
れておらず、2/3以上の施設がベッド当たり1トン以下で24時間以上の断水に耐えら
れないと考えられる。
ほとんどの施設が時間外発災の暫定本部長を宿日直医としているが、どの程度
Disaster Planにおけるその役割を把握しているか検証する必要がある。
発信規制を受けない災害時優先電話の所在は平成8年では66%の施設が職員に周知
されていたが、平成10年には逆に周知していない施設が69%に増加した。また配備さ
れた災害時優先電話の数は各施設2~3個と非常に少なく(浜松医大のみ23個)、大部分
の施設では災害本部関係者のみに知られている。さらに他施設との連絡確保に重要
な非公開の着信専用電話を持っている施設は半数以下であった。
静岡県は12の災害拠点病院と112の救護病院を指定し、ベッド収容可能数を既存病
床数×0.7(災害時は定床数の1.5倍の収容が可能と見込み、稼動率0.8を引いたもの
)と定めている。各施設はそれぞれの規模に応じて定床数の約0.7倍を遵守する姿勢
を示しているが、実際は年々受け入れ人数を減少させ、平成10年では500人以内が
80%を占めるようになってきている。
また傷病者を健常地域の病院ヘいかに効率良く搬送するかが重要な課題となるが
、発災直後の救急車の運用は不可能と考えられるので、搬送の担い手と期待される
自主防災隊との持続的な協議が必要である。さらに搬送のためにヘリポートを所有
している病院あるいは航空法上場外離着陸場の申請をしている病院はあわせて6病院
しかなく、早急に医療機関の附近に適切なヘリポートの設置を検証すべきである。
この3年間で、系列的な連携に加えて系列を超えたネットワークを重視する病院が
増加した(平成8年で13.8%、10年で37.9%)。
医療機関をつなぐ唯一のネットワークである県救急医療情報システムに診療応需
情報の交信、電子会議掲示板に作成した医療機関被災情報への書き込み訓練を呼び
掛けているが実施率はそれぞれ27%、2%と不良である。これは多くの機関が画面に写
し出された単純な数量情報だけでは動けないとしており、単に本システムの操作性
の問題ではない。一方、平成9年よりE-mailによる災害通信訓練を行ったが、翌年に
は18の施設が参加し現状認識の論議や幅広い情報の交換が可能であった。このこと
から救急医療情報システムには情報交換システムが同時に作動している必要がある
と思われた。
以上の結果、防災面では水の備蓄、災害医療ではヘリポートの設置および県内病
院間の連絡体制についていっそうの取り組みが必要と考えられた。
国内避難民は約250万で、彼らへの援助、難民の帰還、和平後の保険衛生計画のためにすでにUNHCR、UNICEFの国連機関、ICRCが活動していた。アフガン国内ではマラリア、下痢、麻疹、肺炎、結核、妊産婦の疾患が急速に広がりつつあり、特に結核患者は12000人を越え、その75%は妊娠可能な女性である(WHO.1998.3)。また乳幼児・妊婦の死亡率は世界トップクラスで、これは国内状況から公衆衛生がカバーできないためと考えられている。自国による保険行政はほとんど機能していないのが現状であり、国外からの医療援助に頼らなければならない。
2.パキスタン
国外からの経済援助やNGOの活動は1980年代の半分以下といわれている。
1)Kacha Ghari Camp:17320家族(1家族約 7〜8人)
2)Nasir Bagh Camp:6630家族
3.イラン
難民は8万といわれているが、実際はNon-camp Refugeesが大半で、その数は膨大である。
1)Niatak Camp:約6000人
「司令塔」と「情報」に留意した医療の危機管理体制を
千足康二ほか、メディカル朝日 1995-6, 14-20, 1996神戸協同病院3カ月の記録
上田耕蔵、メディカル朝日 1995-6, 29-34, 1996
件数(件) 平均年齢(歳) 65歳以上(人) 65歳以上(%) 死亡者(人) 死亡率(%) 肺炎、気管支炎 45 72.3 36 80.0 2 4.4 気管支喘息 12 65.0 6 50.0 1 8.3 肺気腫 4 79.3 4 100.0 2 50.0 出血性胃潰瘍 10 71.2 9 90.0 1 10.0 急性心筋梗塞 4 71.0 3 75.0 1 25.0 心不全 8 74.5 6 75.0 0 0.0 脳血管障害 4 73.2 4 100.0 2 50.0 全入院 195 68.3 135 69.2 7 3.6 静岡県内病院のDisaster Planに関するアンケート結果報告
青木克憲ほか:日本集団災害医学会誌 4: 27-32, 1999
【はじめに】
【質問項目】
【結果・考察】
長期化したアフガン難民の現状
金田正樹:日本集団災害医学会誌 4: 33-37, 1999<要旨>
<方法>
<結果>
<考察>