災害医学・抄読会 991126

「Phase-0」(阿鼻叫喚の世界)への挑戦!

日本赤十字社の救援活動

河野正賢、メディカル朝日 1995-6, 14-20, 1996


災害救援タイムスケール

Phase-0

発生直後、災害者が互いに助け合いながら外部からの救援を待ち望む時間帯。可能な限りこの時間を短縮することが期待される。そのためには、いち早い災害対策本部の設置と運営が大切になる。

Phase-1

外部からの人的、物的援助が投与され災害対策本部の指揮の下、自衛隊や消防などの公的機関による系統的な救助、救出、応急処置などが実行される段階を示す。負傷者救助では、時間とともに救命率が加速度的に低下することから、可能な限り発災後48時間以内に収容治療、後方病院への転送が望まれる。

Post-Phase-1

負傷者後送や専門病院への収容が停滞し、避難所などに負傷者が残存し加えて既存疾患の増悪や災害神経症などの発生が考えられる。衛生指導や防疫対策にも配慮する必要がある。

Phase-2

Phase-1において被災地内における被害の少ない基幹病院や後方病院などに収容された負傷者に対し、緊急治療が行われる段階を示す。この段階の2週間程度で収容傷病者の生死は決定する。

Phase-3

災害生存者に社会復帰のための医療と療養指導が施されるべき段階。

 今回の阪神大震災で、日本赤十字社は発災後即刻日赤災害対策本部を起き被災地周辺の県内、隣接県の赤十字病院から緊急出動した救護班が、正午には道路損壊を排して神戸市内に到着して、一部は夜を徹して市内の被災害救護を開始した。「Phase-0」の短縮は、人命救援において極めて重大な意味を持つ災害救援の悲願である。国内の激甚災害被災地域の救援は国および地方自治体の災害対策本部を中核とした活動であるが、発災後、災害対策本部の開設には物理的に時間が必要であり、「Phase-1」の展開にはさらに時間を費やさざるを得ない。その間、放置状態の被災地の「Phase-0」の状況を短縮し、負傷者の治療を迅速に開始する手段は小回りの利くNGO救援組織によるボランテイア活動以外に選択肢はない。

 災害被災地へ救護に赴く救護班の班長は医師である。班長は班の管理責任者で、班機能を十二分に発揮するため現地状況に応じて班員を統率管理しなければならない。医師は医療業務のリーダーである。そこで実施する災害医療は、日頃病院で携わっている救急医療を院外で行うものではなく、常に多数の患者群を対象としての行動でなければならない。特に、「Phase-1」の初動活動に於いては、膨大な患者集団に小数の班員で対応するため、班長は個人の救命より集団の治療を優先させる冷酷なトリアージの断行を決意するなど、救急医療だけではなく被災地におけるあらゆる面での指揮統率者でなければならない。災害医療の場では、専門的高度医療の必要は低い場合が多く、むしろ一般内科医、一般 外科医としての幅広い知識と基本診断、治療能力が必要な場合が多い。現代の医療は臓器別に専門分化されているが、専門科医認定資格取得のために狭い最短距離を慌ただしく上り詰めるより、広い医学的裾野の広がりを持った医師が望ましいと思われる。


「司令塔」と「情報」に留意した医療の危機管理体制を

千足康二ほか、メディカル朝日 1995-6, 14-20, 1996


1、はじめに

 阪神大震災に際しての陸上自衛隊第10師団、海上自衛隊、地域の医療施設などの活動を示し、その中で浮き彫りとなった問題点と対策についてこのレポートにて述べる。

2、陸上自衛隊第10師団の医療活動について

  1. 救護所開設(24時間態勢)
  2. 巡回診療
  3. 歯科診療
  4. 夜間電話相談(場合により往診)
  5. 救急車・ヘリによる患者移送
  6. 病院に対する給水
  7. 医薬品集積場における補給管理(薬剤官)
  8. 病院資材運搬
  9. 防疫活動
  10. 偵察隊による救護所の医療情報収集 など

    i)2.については他のボランティア医師団とのかちあいを避け夜間巡回に切り替えたところ、避難者の方々は日中は片付けや物資確保に忙しく、夜間に避難所に戻る人が多く、好評であった。

    ii)8つのテント村を開設し各避難所を巡回した。1つ1つの機能は民間の施設より規模は小さいが多機能の施設を統合できるところに自衛隊の意義をみる。

    iii)食料や寝る場所の自己確保などの「自己完結性」があることも災害時における自衛隊の有益性である。

3、海上自衛隊の医療活動について

  1. 当面必要と思われる医薬品、防疫用薬品の支援
  2. 近隣住民および陸上自衛隊の給水車への給水支援
  3. 生化学分析機、血球計算機、心電図、ハートモニター、エコー、内視鏡などを陸揚げ
  4. ヘリを搭載しているため、ヘリによる近隣医療施設への移送
  5. 陸上自衛隊とともに救出活動(上記の陸上自衛隊の活動)

    i)3.について、生化学分析機、血球計算機は全く水が不要なドライシステムで発電機さえあれば使用でき非常に有益であった。

    ii)4.について、ヘリで神戸市内の病院に移送したものの混乱していて、神戸外の非被災地の病院も視野に入れるべき。

4、地元の医療機関の状況

 地元の医療システムがダウンし、司令塔となるべきものが無く、初動が円滑にいかなかった。また情報が入らず、ヘリの輸送という、手段も知らない先生方がいた。

5、災害医療の段階

 災害時の医療所要は単一状況ではなく、常に流動しており、その時々に応じた治療体制を取るべきである。

 第1段階:

例えば被災から2日目までは、救命救急にかかわる外傷に対し的確な救命救急処置および迅速な病院への護送が必要であり、大量の患者の中から優先順位を素早くつけ、的確な指示を出さなければならない。情報が錯綜する中で、護送病院との連絡を速やかに取り、必要によりヘリ護送の要請もする。

 第2段階:軽妙な機動力を有した巡回診療

 第3段階:やや落ち着いてきたので救護所治療

 第4段階:慢性疾患管理が主となり地元医師会への円滑な移行

 第5段階:地域保険活動へ移る

 以上は当然オーバーラップするが、その対応は各自治体の司令塔が状況把握・指示をいかに早く行うかで医療支援効率が異なる。

6、さまざまな問題点を踏まえての求められる救護形態について

(救護所展開の要件)

 行政サイド

  1. 情報の収集(医療所要の把握)(いつ、どこへ、いけばいいか)
  2. 司令塔の確立(有効な振り分け)
  3. 問い合わせ窓口の一本化

 派遣サイド

  1. 自己完結性(寝る場所、食料の自己確保)
  2. 継続性(ローテーション態勢)
  3. 責任団体(突然帰られたら困る)

(救護所の撤収)

明確なガイドラインがないため区・市によって差が生じるため、そのガイドラインの作成と全体の一元化が必要。

(診療録の扱い)

診療録は災害医療の各段階により異なる。救命救急は迅速にトリアージを行い、必要事項を書いて送る。EMTは医師の指示を書いた紙票で患者につけるが、その様式を統一することも必要である。 救護所治療にあたっては、従来のカルテを用い、再診や、あるいは撤収時には保健所や医師会等へ申し送り医療の継続を図る。

7、おわりに

 今回の阪神大震災の教訓を風化させないよう、「司令塔」「情報」に留意し、医療における危機管理体制を洗い直してみる必要がある。

   


神戸協同病院3カ月の記録

上田耕蔵、メディカル朝日 1995-6, 29-34, 1996


 1月17日、午前5時46分、阪神大震災は地域に壊滅的打撃をもたらした。外傷の患者さんが押し寄せ、少ない職員で診療機能の回復を図りつつ、全国からの支援に支えられて奮闘している状況の中で、病院院長である上田耕蔵医師は「これは大変な経験をしている」と気付いたそうだ。今後の危機管理のために、そして全国からの支援に報いるために記録を残しておく必要性を痛感し、倒れた棚 を起こしカルテを片づけて上田医師はパソコンに向かった。この報告は、震災3ヶ月のデータ、震災発生時の医療活動と震災後関連疾患の報告である。

<救助、患者輸送、情報、全てが不足>

 震災直後は野戦病院そのもの

 上田医師は7時半すぎに自転車で病院に到着した。真っ暗闇の中、うめき声をあげ血だらけの負傷者が溢れていた。神戸共同病院では17人の圧死を確認し、骨折、外傷は数えきれず。電気がつかないため窓際に患者さんに来てもらい、縫合する。泣き声、叫び声、指示する声など騒然とした状況。

 当日は負傷者が多く、外来の待合室にソファーを並べ臨時のベットに転用、 リハビリ室や廊下も寝室となった。1月19日には支援者が急速に増え、院長室も片づけ寝室となった。院内外のあらゆるスペースが職員、支援者の寝る場所と支援物資の置き場所となった。

 困難を極めたベッドコントロール

 3日目から風邪の患者が増え始めた。1週目で外傷患者はほぼ終息。2日目より気管支喘息患者が強い発作を起こして多く来院される。

 地震当日から入院を要する患者さんが急増し、空床確保が重要課題となる。重傷患者の転送だけでなく空床を作るための転院先確保も必要である。周辺病院への電話はつながりにくく、行政サイドからの情報提供もなく、寝たきりの患者さん、退院先が避難所となる高齢者など、退院先の確保に苦労した。病弱者のための専用避難所の増設、地域に高齢者や病弱者のための仮設住宅建設、避難所自体の環境改善が重要である。

 病院機能維持の最大課題は水

 医事コンピュータやCT等大きな機械に異常はなく、地震当日の夕方からはレントゲン撮影が、翌日には血液検査が可能になった。しかし、神戸共同病院には19台の透析機があり、病院機能維持で最大の課題が水であった。透析には6t/日、日常診療には30t/日の水が必要である。当日より、約7km離れた水源地を往復する作業が始まった。地震当日は透析中止、翌日には濃度調節に苦しみながら31人の透析を行った。その後、支援や水道復旧により、2月8日にようやく水く みから解放された。職員不足、水くみ、物資の整理等の新たな業務が増えたが、職員の自発的労働や支援者が支えとなり乗り切った。

<高齢者に集中した2次災害>

 震災後関連疾患(2次疾患)を、1. 地震後のストレス、生活環境の悪化が原因となる、2. 死亡につながる疾患群、と定義し発生状況を検討した。

 震災後関連疾患の概略

 件数(件)平均年齢(歳)65歳以上(人)65歳以上(%)死亡者(人)死亡率(%)
肺炎、気管支炎4572.33680.024.4
気管支喘息1265.0650.018.3
肺気腫479.34100.0250.0
出血性胃潰瘍1071.2990.0110.0
急性心筋梗塞471.0375.0125.0
心不全874.5675.000.0
脳血管障害473.24100.0250.0
全入院19568.313569.273.6

 避難所との関連が強い疾患は呼吸器疾患である。寒冷、過密な集団生活、砂ぼこり、栄養不良など厳しい生活環境がその背景としてある。次に懸念される呼吸器疾患は肺結核である。

 入院と在宅の震災後関連疾患死亡者17人の平均年齢は79.5歳であり、全患者の 平均年齢68.3歳と比べ明らかに高かった。また、65歳以上の比率は全患者の135/195= 69.2% に対して、関連死亡者は16/17=94.1%で、地震による2次災害は明らかに高齢者に集中していた。

 1995年1月の死亡は4924人。一年前の1017人を引くと3907人で、4月7日兵庫県警発表の震災死(外因死)3896人とよく一致している。2月の死亡者は1580人で一年前の940人を引くと640人。3月は1187人で一年前の1070人を引くと117人であった。1月から3月の合計死亡数で見ると、対前年差4664人から外因死を引いた768人が震災後関連死亡と考えられる。これらの方は、地震とその後の生活環境の悪化さえなければ死ななくてすんだ方たち、あるいは死期を早められた方たちであったと、思われる。


静岡県内病院のDisaster Planに関するアンケート結果報告

青木克憲ほか:日本集団災害医学会誌 4: 27-32, 1999


【はじめに】

 数年〜数10年以内に発生が予想される東海大地震に対する病院の備えを検証する ために、静岡県下の基幹病院44施設(300床以上、あるいは300以下でも地域医療を中 心的に担っている施設)を対象に平成8~10年の3年間、病院のDisaster Planについて アンケートを行い、3年間解答を頂いた29施設についてのアンケート結果をまとめた 。

【質問項目】

 質問は、日常の救急医療体制、市・県の防災無線機の設置場所とその平時の利用 、水供給システムの耐震化と1日常用貯水量の確保、災害対策本部の設置場所と暫定 本部長の任命、職員の集合場所と来院に要する時間、災害時優先電話の周知や非公 開電話の連絡体制、トリアージエリアの設定と想定外来傷病者数、県内病院との相 互援助協定、傷病者搬送手段とヘリポート設置の有無、集団災害訓練、救急医療情 報システムについてなど、合計21項目に及んだ。

【結果・考察】

 東海大地震は数年〜数10年以内に発生するとされ、阪神・淡路大地震で被害を被 った地域の数倍の範囲に震度7の発生が予想されている。静岡県では行政面での防災 対策は進歩しているが、災害医療の砦たる病院の備えは十分なのであろうか。

 情報面では医療機関同志あるいは応急救護所など行政との重要な専用回線である 地域防災無線が日常的に利用されておらず、いざという時に十分駆使できない可能 性がある。定期的に交信練習をしたり、平時にも活用してその使用に慣れておく必 要があると思われる。

 水供給システムの耐震化ならびに常用貯水量の備蓄についてはこの3年間で改善さ れておらず、2/3以上の施設がベッド当たり1トン以下で24時間以上の断水に耐えら れないと考えられる。

 ほとんどの施設が時間外発災の暫定本部長を宿日直医としているが、どの程度 Disaster Planにおけるその役割を把握しているか検証する必要がある。

 発信規制を受けない災害時優先電話の所在は平成8年では66%の施設が職員に周知 されていたが、平成10年には逆に周知していない施設が69%に増加した。また配備さ れた災害時優先電話の数は各施設2~3個と非常に少なく(浜松医大のみ23個)、大部分 の施設では災害本部関係者のみに知られている。さらに他施設との連絡確保に重要 な非公開の着信専用電話を持っている施設は半数以下であった。

 静岡県は12の災害拠点病院と112の救護病院を指定し、ベッド収容可能数を既存病 床数×0.7(災害時は定床数の1.5倍の収容が可能と見込み、稼動率0.8を引いたもの )と定めている。各施設はそれぞれの規模に応じて定床数の約0.7倍を遵守する姿勢 を示しているが、実際は年々受け入れ人数を減少させ、平成10年では500人以内が 80%を占めるようになってきている。

 また傷病者を健常地域の病院ヘいかに効率良く搬送するかが重要な課題となるが 、発災直後の救急車の運用は不可能と考えられるので、搬送の担い手と期待される 自主防災隊との持続的な協議が必要である。さらに搬送のためにヘリポートを所有 している病院あるいは航空法上場外離着陸場の申請をしている病院はあわせて6病院 しかなく、早急に医療機関の附近に適切なヘリポートの設置を検証すべきである。  この3年間で、系列的な連携に加えて系列を超えたネットワークを重視する病院が 増加した(平成8年で13.8%、10年で37.9%)。

 医療機関をつなぐ唯一のネットワークである県救急医療情報システムに診療応需 情報の交信、電子会議掲示板に作成した医療機関被災情報への書き込み訓練を呼び 掛けているが実施率はそれぞれ27%、2%と不良である。これは多くの機関が画面に写 し出された単純な数量情報だけでは動けないとしており、単に本システムの操作性 の問題ではない。一方、平成9年よりE-mailによる災害通信訓練を行ったが、翌年に は18の施設が参加し現状認識の論議や幅広い情報の交換が可能であった。このこと から救急医療情報システムには情報交換システムが同時に作動している必要がある と思われた。

 以上の結果、防災面では水の備蓄、災害医療ではヘリポートの設置および県内病 院間の連絡体制についていっそうの取り組みが必要と考えられた。


長期化したアフガン難民の現状

金田正樹:日本集団災害医学会誌 4: 33-37, 1999


<要旨>

 20年にわたるアフガニスタン内線は、パキスタン・イランへの、260万人もの難民を生み出した。今回、急性期の人道危機に対する緊急医療援助チームとして、日本政府が民間ボランティアからなるHUREX(Humanitarian Relief Experts)を発足させたことを機に、そのシュミレーションスタディーの一環としてアフガニスタン難民の現状をパキスタン・イランで調査した。

<方法>

 パキスタンおよびイランを訪問し、行政サイド・医療専門家サイドから A) General Situation, B) Medical Situation, C) Logisticsの約26項目について調査した(Table.1)。

<結果>

1.アフガニスタン本国(1998.3)

 国内避難民は約250万で、彼らへの援助、難民の帰還、和平後の保険衛生計画のためにすでにUNHCR、UNICEFの国連機関、ICRCが活動していた。アフガン国内ではマラリア、下痢、麻疹、肺炎、結核、妊産婦の疾患が急速に広がりつつあり、特に結核患者は12000人を越え、その75%は妊娠可能な女性である(WHO.1998.3)。また乳幼児・妊婦の死亡率は世界トップクラスで、これは国内状況から公衆衛生がカバーできないためと考えられている。自国による保険行政はほとんど機能していないのが現状であり、国外からの医療援助に頼らなければならない。

2.パキスタン

 国外からの経済援助やNGOの活動は1980年代の半分以下といわれている。

1)Kacha Ghari Camp:17320家族(1家族約 7〜8人)

2)Nasir Bagh Camp:6630家族

3.イラン

 難民は8万といわれているが、実際はNon-camp Refugeesが大半で、その数は膨大である。

1)Niatak Camp:約6000人

<考察>

 同じアフガン難民の庇護国でありながら、パキスタンとイランでは保険衛生面に大きな違いが見られた。パキスタンは政府、UNHCRおよびNGOの協力により、医療面を含めてキャンプの運営は円滑であり、保険衛生的には及第点に近いと思われた。一方イラン側は、難民受け入れが自国の大きな負担であると認識し、その支援費用をUNHCRを通じて国際社会に求め、財政負担以外の国際機関、NGOなどの直接関与は厳しく制限する政策を取っているため、キャンプでは最低限の生活環境を保つに留まっていた。両国共にキャンプでの一番の問題点は感染性疾患の発生であることから予防医学、公衆衛生の管理・指導が最も大切であると認識させられた。これら260万の帰還難民にとって、現在のアフガン国内の医療状況は極めて悪く、施設、医薬品など全ての不足の整備もさることながら、保健衛生を初めとした医療体制の整備が急務となる。このため、診療所の建設、医療器材・医薬品の供与と共に現地医療関係者の教育指導や帰還難民への直接的な医療援助を目的とした、早期のHUREX関与を実施すべきである。


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