1.対策本部の体制 2.警戒時の体制 3.避難勧告時の体制 4.班編成と任務 の4つの骨子からなっていたが危険が迫っているという認識はほとんどなかった。
1991年5月緊急医療救護対策要領の作成。
の5つの骨子からなる。
今回の反省点の一つとして、ヘリポート利用が考えられるようになり、県外の高次機能の病院にも重症者の受け入れをお願いするということでヘリ搬送体制が確立された。
結局、災害を学び、役割を認識し、実践するということに尽きるといえる。
優先度 | 分類 | 色 | 区分 | 疾病状況 | 診断 | |
第1順位 | 緊急治療 | 赤 | I | 生命、四肢の危機的状態で直ちに処置の必要なもの | 気道閉塞または呼吸困難、重症熱傷、心外傷、大出血または止血困難、開放性胸部外傷、ショック | |
第2順位 | 準緊急治療 | 黄 | II | 2〜3時間処置を遅らせても悪化しない程度のもの | 熱傷、多発外または大出血、脊髄損傷、合併症のない頭部外傷 | |
第3順位 | 軽症 | 緑 | III | 軽度外傷、通院加療が可能なもの | 小骨折、外傷、小範囲熱傷(体表面積の10%以内で気道熱傷を含まないもの)、精神症状を呈するもの | |
第4順位 | 死亡 | 黒 | 0 | 生命兆候のないもの | 死亡または明らかに生存の可能性がないもの |
1995年1月17日の阪神淡路大震災では医師会関係者・消防隊員・警察官・自治体職員・自衛隊員らをはじめ多くの人が献身的に働いたにも関わらず、6000人以上の犠牲者を出した。震災から4年経った今、もう一度大震災における救護のあり方について現実に即した検討が必要なのではないか?まず日本赤十字社の体制・対応について述べた上で、今後より迅速で効率的な救護を行うにはどのような課題があるのか、震災直後の問題点を中心に述べる。
しかし、現地の混乱や地理の不案内なども考慮すると、災害地外の救護班が迅速に出動しても、現場に到着し活動を開始するのに6時間はかかる。この時点で重傷者の後方病院への搬送が完了していなければ、救護班は病院における重傷者の治療、後方搬送を支援しなければならないが、本来救護班は自治体などの組織的な救護が軌道に乗るまでの発災後の3日間を中心に避難所における住民への食料・水・毛布などの配布、さまざまな慢性疾患患者の治療に当たるべきである。大災害、とりわけ大震災で救護班が実際に出来ることは何なのか、被災地の住民が救護班に期待しているものは何なのかをもう一度検証しておく必要がある。
阪神淡路大震災の時被災地はパニックになり、そのなかで軽傷者も含めた負傷者が病院に殺到した。これは現場におけるファーストエイドとトリアージが住民の間に浸透していれば解決できたであろう。また、病院も十分な備えのない中大混乱に陥った。そのような混乱を避けるためには災害地における責任分担が極めて重要である。
(1)現場でのファーストエイドとトリアージ
(2)病院の責任分担
重傷者に対する治療は遅くても数時間以内に行ない、短時間のうちに災害地域外の病院へ後方搬送しなければならない。そのために、大災害時には情報伝達のネットワーク化と決定権の分散化が大切である。また、重傷者は出来る限り迅速に、どんなに遅くてもその日のうちには災害地域外へ搬送し、中等症は可能ならば災害地域内で治療を継続するか、数日のうちに災害地域外へ搬送する。軽傷者は基本的には災害地域内で治療する。という原則を徹底化する必要がある。
2.自力更正
いくつかの報告の中から、心理的サポートについて以下に述べる。
1)誰が被害を被るのか
災害は、直接の被害を被った者ばかりでなく以下のような広範囲な人々に心理的な影響をもたらす。
2)救援者はいかに対処するか
救援者は、遭遇する状況によって、外傷性ストレスを体験したり、活動継続に困難を感じる場合がある。現在、重点が置かれつつある分野は、人々が緊急時にどのような反応を示す可能性があるかを理解し、ストレスの長期的作用を防止し、解決する方法を知っておくことで、人々が自主的に対処できるように訓練することである。ストレスは救援関係者の間で主要な病因となっており、その蓄積は重大な病を引き起こすことから救援関係者のためのサポート・ネットワークが存在する。
3)どのように反応するのか
人々は高いレベルのストレスを体験すると、極めて個人的なパターンで予測可能な反応を示す。反応は、以下の4つに分類される。
4)心理的サポートとは
心理的サポートは、ストレスやトラウマを生じさせる、危機的な、あるいは生命が脅かされる状況におかれた人々に対して、誰もが提供できる心理・社会的援助として定義することができる。このようなサポートの目的は、苦しんでいる人のために安全と、保護と、希望を創り出すことである。
心理的サポートによって、以下のことが実現可能となる。
5)どのように援助するか
サポートの提供者は、自らの能力と災害の情動的側面に対処する方法を検証した上で、被災者たちが災害直後の時期に旨く対処できるように彼らを援助する方法を実践したり彼らに教えたり、災害の衝撃から回復しようとする人々を支援したりする。被災者を援助するにあたっては、人間として(専門家や担当機関の人物としてではなく)存在することを学ばなくてはならない。「いかに存在するか」が最も重要であって、何をなすかは必ずしも重要ではない。
心理的問題に対しては、肉体的に必要な援助が提供されている限りは、災害救援の緊急段階で対処しなければならない。そうすることが、多くの被災者たちが将来専門的治療を必要とするような重大なトラウマに陥るのを防いでくれる。
心理的救急法の分野で成すべき仕事は、災害の危険性にさらされている共同体が、自ら団結して、その構成員を支援できるようにする事である。また、援助機関や救助団体にとっては、救援活動が戦闘の中心に近づき、他の厳しい任務を引き受けるにつれて、スタッフの健康、安全、有効性と言う観点から災害の心理作用はますます関心が高まっている。
災害対策、救援、復興の重要な側面として心理的サポートが果たす役割については、学ぶべきいくつかの教訓がある。
「世界災害報告」では、災害発生に関するデータ、それが人々に与える影響、それが国にもたらす被害額に関するデータを5つの主要な情報源から得ている。各組織について以下に記す。
災害疫学センター(CRED)
ルーヴェン・カトリック大学(ベルギー)の公衆衛生学に本拠地をおく CREDは、既存の災害記録、情報ネットワーク、コンピュ−タ−システムを利用して、世界災害対応データベースシステムを開発した。現在、1900年以降の災害事象に関する 11500件以上の記録を保有し、更新、修正、検索の機能を持つ。入力されたデータは、重複や矛盾がないかどうか、あるいは欠けているデータの補充のために常に見直されている。
米国難民委員会(USCR)
USCRは、非政府組織(NGO)であるアメリカ移民・難民サービスの公的情報と市民参加の部門である。USCRの活動は大きく分けて2つある。一つは難民、亡命者、国内避難民に影響を及ぼす問題を報告することであり、もう一つは、住み慣れた土地を追われた人々に対して適切かつ効果的に対応して、その人々の必要に応えるように、一般市民、公的な政策決定者と国際社会に働きかけることである。
人権侵害の根本的原因に関する学際的研究プログラム(PIOOM)
PIOOMは、オランダのライデン大学によって1988年に設立され、人権とその侵害について研究している。人権侵害は、紛争の激化の指標として扱われることが少なくなく、武力紛争の結果として現れることが多い。このように紛争力学の監視を行って、人権侵害の根本的原因を探ろうというのが PIOOMの取り組みの中心である。
経済協力開発機構(OECD)の開発援助委員会(DAC)
開発援助委員会は、開発途上国が自らの能力を高め、総合的な開発戦略を立てることを支援し、さまざまな論題の中で開発援助の財政的側面、統計的問題、援助の評価、開発における女性の問題について研究している。
世界食料計画(WFP)の国際食料援助情報システム(INTERFAIS)
包括的で総合的な情報データベースによって、食料援助のマネージメント、調整、統計分析の改善に際して、食料援助の割り当てや輸送の監視を可能にしている。
学校が避難所になった場合、被災者の組織化、避難所の運営に教員の果たした役割が非常に大きいようだった。このことは、もし今後何かあったときのためにも参考になるし、地域によりマニュアル化しいてもよいと思う。
2.救援物資の配布状況
送られてくる救援物資特に個人的なものに中には、1つの箱の中にたとえば食料、衣類等が混在していて、それらを避難所で配布する前に、非常に手間をかけて仕分けをしなければなりませんでした。また、マスコミがたとえば衣類がないといえば衣類が全国から大量に届けられました。このようなことに関しては、たとえば救援物資は、地区ごとに集めて送ることなどを災害発生時にマスコミが訴えるなどしたらよいと思うが、難しい問題だと感じた。
3.避難状況に関する実態
阪神淡路大震災は、明け方に発生したわけだが、神戸市と北淡町では避難するときの意識について違いがある。避難する場所を選んだ理由として神戸市、北淡町ともに、「自分あるいは、家族で決めた」と答えた人が過半数を超えていたが、「役所・消防・警察等の指示に従った」と答えた人は、神戸市では、わずか3%であったが、北淡町では、26%であった。これはどちらが良いと判断に難しいが、とりあえず公共施設 に問い合わせてみるべきだと思う。
4.避難所生活に対する実態
避難所に避難した後、時間が経つに連れて避難生活で困ったことがどのように変化したかというと、被災直後では、「飲料水」、「食料」、「余震」などの問題が挙げられていた。
しかし、被災後1〜2週間たってくると「トイレ」、「風呂」などのプライバシーの問題が大きくなってきた。さらに時が経つと、「生活再建」、「仕事」、「人間関係」など問題が多様化してきていた。多様化している問題に関して、他人には解決することが難しく、避難所から出て行けるめどを早目に付けることが重要だと思われる。
阪神・淡路大震災は午前5時46分に発生しているので、2時間後には、夜が明けてくる。つまり、明るい時間帯が夕方まで続くわけで、直後の救援活動を明るい中で行うことができた。このように時間帯によって、ラッキーな部分とアンラッキーな部分とがあります。午前5時46分に発生したということは、まだ社会が動いていない時間帯に起こったため、家族全員がそろっており、家族離散する危険性が低かったわけだが、その反面一家全滅というリスクを背負っていました。つまり時間帯などの状況の違いによって、被害はもっと大きかったかもしれないし、小さかったかもしれない。
2.地震発生の季節帯による災害の特徴
阪神・淡路大震災は1月17日に発生したわけだから、非常に寒く、そのため風邪が非常に多くかぜぐすりが足りなくなるほどであったが、逆に、下痢や、集団食中毒などが、おきなかった。季節によって被害や症状は、かなり異なると思うがどの季節なら良いとはいえないと思う。
3.避難所における医療救護活動
避難所の置ける医療救護活動は、救護班が主に行ったわけであるが、ピーク時で1200ヵ所に30万人の避難民が発生していたので、すべてに医療救護班が出動し、救援物資を届けることは、物理的に無理な面もあった。赤十字社では全国動員をかけて、3ヶ月間で約900班の医療救護班が出動し、医療関係者だけでも延べ6000人が出ていました。しかしそれでも充分とはいえませんでした。これに関しては、もっと救護班を増やすことしか解決法はなかったかもしれません。また,応援の医療救護班は、現地の医療機関が復活したら当然引き上げなければ行けないしそれを目標にやっているわけですが、いざ撤退するとすると避難民は不安がりました。避難民にとって医療関係者が常駐しているだけで、安心感を持つものでその撤退の時期を決めるのは、非常に難しいのです。避難民の気持ちは分かるのですが、避難民の自立を促すためにも、救護班の判断のみで撤退した方がよいとのいます。
この場合、地域医療施設の受け入れ能力に関する情報が必要となる。実際には、後方医療施設の受け入れ状況を確認するために、無線などの通信手段による災害対策本部や後方医療施設とのコミュニケーションがより重要な役割を果たす。また、家族からの問い合わせに対応するため情報担当者を定めておき、情報の収集・処理・伝達と、傷病者の搬送・収容先などの情報提供に努めることも大切である。
原則として負傷者の右手首に付けることになっているが、この部分が負傷したり切断されている場合には 左手首、右足首、左足首、首の順で付ける部位をかえる。
日本赤十字社の対応と今後の課題
来栖 茜、日医雑誌 122: 789-92, 1999I、日本赤十字社の救護体制とその大災害で果たすべき役割
II、阪神淡路大震災における日本赤十字の活動
III、災害地における責任分担と自力更正
おわりに
第3章.人々に心理的サポートを提供する
国際赤十字・赤新月社連盟.世界災害報告 1998年版、32-41はじめに
人々に対する心理的サポートについて
第12章.より良い救援活動のために重要な統計を用いる
国際赤十字・赤新月社連盟.世界災害報告 1998年版、p.132-67阪神淡路大震災から学ぶこと 避難所の運営・医療
避難所の運営について
避難所の医療について
おわりに
トリアージタッグの活用法
益子邦洋、日医雑誌 122: 793-6, 1999はじめに
トリアージを行う主体と目的
トリアージの原則
災害発生地でのトリアージ
医療施設でのトリアージ
後方医療施設でのトリアージ
トリアージタッグとその活用法
まとめ