災害医学・抄読会 990611

第1章.都市災害の問題に対応する

国際赤十字・赤新月社連盟.世界災害報告 1998年版、9-18


 多くの都市が人口1000万人以上に成長し、世界人口の半数近くが都市に住むようになった今日、世界的にみて災害の危険性は高まっているのだろうか?人口や産業の集中とともに災害は増大するのではなかろうか。

 正しい都市行政の枠組みの中で、環境政策,災害予防,災害軽減、災害対策、災害救援がきちんと行われているとしたなら,これらの全ての疑問への答えは,明らかに「ノー」である。そうであれば,災害による死傷者の数は激減し,その他の環境的危険による事故死,病気,傷害は劇的に低下するはずである。しかし,対策が不十分で,都市行政が非効率的であったとしたなら,答えは「イエス」になってしまう。

 まず、災害への危険性を減らすには災害への脆弱性を考えなければならない。同程度の災害でも,時と場所によって死者数が大幅に変動することから,死亡,傷害,物的損害に対して誰が脆弱なのか,なぜ脆弱なのか,脆弱性を減らすために何ができるのかという問題に関心が集まってくる。そして、災害に対する脆弱性を個人、世帯、地域社会などで分析すると,所得水準との関連性が明らかになっている。

 

 人が災害に対して脆弱である状況として,少なくとも以下の4つのタイプが考えられる。

 に居住する人,排水などインフラの整備されていない場所に居住する人など)

 

 このような区分を考えると,一般に低所得世帯が災害の打撃を受けやすいことは明らかである。また,災害に対して脆弱な人々ほど,わずかな援助しか受けていないことが多い。実際,洪水から火災や疫病まで,ほどんどの災害では低所得層の人々が圧倒的割合で多数死傷しており、都市行政当局が,政治的・経済的に力の弱い住民のニーズに対応しない限り,災害脆弱性を減らすことはできず災害の危険性は減らない。

 しかし、いまなお多くの都市行政当局は弱体,非効率,非民主的であり,低所得層と高所得層の危険性の較差は無くなっていない。一部の国は、都市や地方自治体に対して,有効な災害対策,災害予防,災害軽減を実施するための権限や資源を与えることにさえ消極的である。

 このように有効な都市行政がかけている状況であっても、低所得層の社会は,自力で災害脆弱を軽減する手段を講じることができる。そのような直接行動は,国に対する要求を行うための組織づくりにも役立つ。しかし、都市行政当局からの敵意あるいは無関心に直面した場合,地域社会による行動には限界がある。

 結局、都市部における自然災害・人為災害や,その他の環境的危険による死者数を減らすために,最も重要かつ唯一の機関は,有効かつ責任ある地方行政府である。有効な都市行政のみが都市化の度合いを増す世界において,災害の危険性にさらされている人の数を大幅に減らすことを可能にする。

 都市行政の有効性は,行政当局が何をするかだけでなく,何を奨励するかによって評価することができる。すなわち、世帯,地域社会の組織,NGO、および民間企業による努力を援助することである。これら全てのグループの力を災害の危険軽減は向けて結集することにより,大きな成果を上げることができる。しかし,そのためには都市行政当局が住民にとって信頼され,住民の利益を代表するものとして認められなくてはならない。それに必要なのは,地域社会を主体とした危険の特定、災害脆弱性の分析,行動計画を支援し,それらに対応することである。ほとんどの都市では、最も災害に脆弱な住民グループとの間に新たな関係を作り,住民のためにではなく,住民とともに解決策を推進することが必要である。

 このような有効な都市行政によって良く管理された都市で,全住民に基本的サービスが提供され,災害に対して脆弱なグループのニーズに迅速な対応がなされて始めて,都市部の災害の危険性が軽減するのである。


阪神・淡路大震災と集中治療:大阪地区での受け入れ体制

当院の初期対応と近隣3次救急センターの診療状況について

月岡一馬、ICUとCCU 19: 491-8, 1995


 阪神・淡路大震災で、まず、地震発生後当院ではセンター内に異常がないことが確認されたため、救命救急センターでは被災者の来院に備えて入院患者の日常処置伝を早急に済ませるとともに、一般病棟では在棟患者の転院転棟など空床確保につとめ、また一般病棟の一室を重症病棟とすることとした。このように、緊急体制の第1歩は空床の確保であった。

 この後、負傷者の到着を待ったが、着実に時間は経過していくものの午前10時40分に脳挫傷の患者が1名、その他近隣の軽症者が数名来院したのみであった。その後も大きな動きはみられなかったが、午後5時40分、芦屋から3人の負傷者と負傷した医師が同乗した救急車が来院した。同医より現地で不足している診療材料を聞き、取りあえず救命救急センターにあるものを救急車に積み込み、同医は搬送してきた救急車で芦屋へ帰院した。そこで、今後は当院の医師が救急車に同乗し、現地に乗り込み患者を選別搬送するほうがより効率的と考え、院内に救出医師団を結成し現地からのピストン搬送を行った。

 このようにして、ICU、一般病棟も満杯になってきた。この時、大阪市立大に連絡を取ると、同救急部は「まだ負傷者の搬入なく相当数の受け入れ可能」ということだったので、市大に当院で行っている方法(被災地病院へ行き、トリアージの後、要転送者として帰院する)を紹介し、以後しばらく市大で負傷者搬入を担当してもらうこととした。また当院では再び救急センターに空床を確保し、次の搬入に備えた。その後も各機関や病院に連絡を取り、ヘリコプタ−等による搬入も行われた。

 このようにして1月24日24時現在で、当院は兵庫県下の被災者120人を診療し、うち93人が入院加療を必要とした。その内の34人を他の医療施設へ転送した。この ように当院は大阪においていわゆるハブ病院の役目を果たす結果となった。

 これらのことより大規模災害が発生した場合、被災地の病院も当然被害を受けており、たとえ損傷がなくしかも通常通りスタッフが登院可能で、資材が豊富にあったとしても、負傷者の数は許容範囲を超えるため、病院は必ず機能不全に陥る。この場合、トリアージの後、負傷者を被災地外の病院へ搬出する必要がある。また被災地内の病院外と被災地近隣の病院について言えば、

<被災地内の病院のICU>

 集中治療室の医療レベルを下げることにより、少しでも人的、物的資源を創出し、生存可能な負傷者をより多く救出するため、それらの資源を活用するべきである。

 1人を救出するためにより多数を犠牲にしてはならないという、通常個々の患者に対して行っている集中治療とは全く逆の概念で対処しなくてはならない。

<被災地近隣の病院>

 一般病棟を可能な限り重症病棟化して、被災地病院からの重傷者搬入に備えなくてはならない。

 このように限定された大規模災害時には、被災地内と被災地外近隣病院とでは、その対処を根本的に変えて対処する必要がある。


被災から半年、現状と今後の課題

―被災者を支える開業医の報告―

広川恵一、メディカル朝日 1995-9, 36-41


 この記事では、1995年の1月に阪神・淡路大震災が発生し、6カ月が経過した時点での被災者の生活や介護における問題点について、開業医の立場からの意見を取り上げている。

 筆者は、特に被災者の心のケアと高齢者や、被災前から健康が損なわれていた人たちの介護に焦点をあてて論じている。

 まず、避難所に住む被災者たちの、長期にわたる避難所生活についてでは、震災直後はその日を生きることで精いっぱいだったのが、長期の避難所生活のなかでの共同生活ゆえに生じるさまざまな問題を取り上げている。それは、震災直後の頃と違って、被災者間の人間関係のトラブルや将来に対する不安など、ストレスが大きく関与している。たとえば、仮設住宅の抽選に当たった人とはずれた人が同居し続ける間に、当選者が落選者に気兼ねしたり、避難所では被災者の希望や意見がなかなか取り上げられず、自立した生活ができないことなどである。また、仮に仮設住宅に当選したとしても、住宅地がもともと住宅地にならない場所に建っていたりして、高齢者や障害を持つ人たちにとって不便な場所が多い。そのため、筆者は地域再建のためには、震災で自宅や職場を失った人たちに公的補助をすべきであると論じている。公的補助により、被災者が自立して、震災の復旧に取り組んだ方が、一律に仮設住宅を建てたり一時しのぎに見舞金を支給するより被災者や地域の将来の再建に有効と考えられるからである。

 この筆者の意見には、僕(学生 藤田)自身の意見ではいくつか問題があると思う。もし、被災者に公的資金を支出して、自立した再建を推進すると、復旧後の「まちづくり」の統制が取れなくなってしまうと思う。もし、被災者それぞれに公的補助をして、自立した再建をまかせたら、おそらく復旧後のまちの姿は震災前に戻るだけであろう。それでは、震災に強いまちづくり、次に同じような災害が起こっても被害を最小限に食い止める復旧計画は不可能になってしまうと思われる。例えば、道幅が狭く、消防車が入れなくて火災の消火の遅れた地域の道沿いの土地に、被災者が同じように住宅を再建してしまっては、震災の教訓が全く活かされない復旧になってしまう。やはり、行政が、住民の要望・意見を取り入れて、ある程度、主導的に震災の教訓を活かしたまちづくりを推進していく必要があると考えられる。震災後、半年たった時点で将来の具体的なまちづくりプランをきちんと提示していれば、たとえ不便な仮設住宅に一時的に住むことになっても、将来の不安が少しでも緩和されることによって、自立した地域再建は可能ではないだろうか。行政と被災者が協力してまちづくりを進めていくためには、行政が被災者の意見・要望をよく聞いて、それを取り入れていくことが必要である。そのためにもまちづくりのための地域分権をさらに進めて、地域のニーズにあったまちづくり計画ができるような体制を整える必要があると思う。

 次に、仮設住宅の設置については、ケア付き仮設住宅について取り上げている。これは、高齢者や、被災前から健康が損なわれていた人たちが、仮設住宅では、思うように介護が受けられず、健康の障害や、病弱化してしまう危険があるため、ケアサービスの付いた仮設住宅をつくるというものである。ケア付き仮設住宅の増設は、土地確保とボランティアを含めたマンパワーの確保が重要な課題となる。このため、なかなか増設されず、現状では自助努力とボランティアによるサポートに頼っているが、これには限界がある。これも、地域ごとに介護サービスの拠点をつくるなど、不平等のない公的な介護サービスを提供する体制を整えるのが必要と考える。

 その他の、震災半年後における現在の課題としては、災害時における医療を含むボランティア活動のあり方が取り上げられている。本来、自主的、自由であるはずのボランティア活動が制限され、ボランティアコーディネーターが、参加するボランティアの善意・自主性・やりがいを保証しきれなかったことが問題となった。これは、やはりボランティアは自主的に行動するものなので、コーディネーターや行政が、労力源として計算にいれるのは間違いであると思う。ボランティアは、基本的に被災者側の立場にあるので、被災者との橋渡しになったり、きめ細かいサービスに関わるなど、被災者側と、被災者をサポートする側との潤滑油としての働きを担うものであると思う。どうしても、被災者をサポートする側の計算どうりに動いてもらいたいなら、ボランティアの人たちの生活も保障できるような配慮が必要である。

 この記事を読んで、震災後、半年に起こっている課題は、震災から4年半近くたったいま、どうなっているのか考えてみた。ケア付き仮設住宅の件については、介護保険制度が整いつつあり、地域の行政区ごとにサービスを提供することが決まった。行政の義務として、身辺介助の程度の応じたケアの実施が行われることは、震災後半年に比べれば、一歩前進しているのではないだろうか。震災後のまちづくりについては、僕が今年の99年4月に神戸を通ったときには、震災の爪痕がほとんど見受けられないほどに復旧していた。しかし、被災した市民たちはこの新しいまちづくりにどのような形で参画しているのだろうか。また、被災した市民たちは復旧しつつある神戸を見て、震災のことを早く忘れようとしているのだろうか。それとも震災で学んだ教訓を活かすためにもいつまでも記憶にとどめておくべきと思っているのだろうか。心のケアも重視する医療関係者にとっては、被災者の現在や将来に対する心境などについても話し合っていく必要があるのではないだろうか。この記事の最後の方には被災者などによる経験交流会のことについて取り上げられているが、医師やカウンセラーなどの医療関係者と被災者という関係だけではなく、様々な立場の人たちが話し合いの機会を持つということは、心のケアにとっても、震災後の復興を軌道に乗せるためにもすばらしいことだと思う。


大事故災害:第15章 病院の対応

小栗顕二・監訳、大事故災害の医療支援、東京、へるす出版、1998年、p.99-104


 大事故災害においては、病院の内外で指揮と統制が必要である。病院内では医療調整車の指揮のもと主任トリアージ担当医、看護部長、病院事務部長が、主要診察区域の管理、スタッフの召集、治療を責任をもって行う。

 まず主要診察区域の管理であるが、受け入れ準備とsていは負傷者収容を指定された病院を空床にするため、入院患者や救急外来の軽度の患者を事故現場から遠く離れたところへ移動させることが必要となる。さらに優先度別に区域を決定し、手術室や術前術後用のスペースを確保しなくてはならない。

 準備の整った病院を有効に運用するには医療チームの組織化が焦点となる。このとき初期行動が円滑に行われるように主要担当者、研修医それぞれのために行動カードを配布し、余計な混乱や連絡ミスを避ける。このカードは病院職員により常時準備されていなくてはならない。また常任救急スタッフを見分けるため、ベストを着用してもらい、救急部の器材配置など不慣れな点について指導を求めるのがよい。

 医療チームは、負傷治療チーム、負傷者移送チームと手術チームの3つである。チームは班調整者によって指揮される。また、医療活動に関しては主任トリアージ医が統率する。各区域別に見ると、優先度1(即時)、2(緊急)区域では、外科的トリアージ医と内科的トリアージ医が治療班と搬送班の指揮をとり、手術室への搬入までを行う。手術室内、病棟では上級外科医が、優先度3区域では外科および内科専門医がチームの編成、治療について委任される。外科的トリアージ医は1、2区域と手術室と病棟の状況を把握するため、始終連絡をとれるようにする。また、内科的トリアージ医はICUの管理と即時手術や集中治療を必要としない被害者の管理に当たる。病棟、手術室、ICUの確保や準備については、看護部長の指揮のもとに各看護部長に任される。

 そのほか大事故災害において留意すべき点をあげる。一つは救急部が大事故災害を宣言しなければならない場合についてである。これは大事故災害が救急隊に認識されず宣言が発令されなかった場合や、事故災害直後に負傷者自身が避難してきたときのことを指す。

 二つ目は病院に到着したスタッフの行動手順だが、病棟や医局へ行くのではなく、スタッフ報告部署に出頭することが重要である。このことにより、上級者の不足している現場にスタッフをまわすことができる。また搬送についても、麻酔経験や簡易人工呼吸器、麻酔薬品などについて使用経験のあるスタッフの参加が求められるため、高度医療を必要とする区域での作業のために広範囲な訓練を受けた人達を確認する必要がある。

 三つめは記録に関することである。現場で負傷者にはトリアージラベルが貼付されている。これには病院前情報として創傷、治療、観察項目があるので、取り外さずに患者とともに保存する。また、最初に受け入れ区域で、各患者は大事故災害被災者カードを発行され、対応番号のある腕輪がつけられる。これはどのような状態であれ取り去ってはいけない。被害者状況記録については、各診療部門の上級看護婦が定期的に院内の情報センターに送ることで維持する。


第3章.人々に心理的サポートを提供する

国際赤十字・赤新月社連盟.世界災害報告 1998年版、32-41


 災害には地震やハリケーンなどの天災と民族間紛争やテロのような人災とがある。災害は、単に生命を奪い、身体的な後遺症を残すだけでなく、心理的な影響を及ぼし、それは心的外傷後ストレス障害(PTSD)と呼ばれる。身体的な被害の度合いと、このPTSDとは基本的に無関係である。PTSDは、精神的に受けたダメージの問題であり、たとえば軽症者でも目の前で圧倒的な恐怖を体験した場合などに起こる。身体的な障害や、家屋の崩壊などと違い顕著ではないが、心理的、情緒的影響から立ち直ることは、物質的な障害から立ち直ることよりもさらに複雑で、長い時間を要する。

 洪水災害は、通常、安全な地域で生活することも、自らを有効に守ることもできない、災害にもっとも弱い人々を繰り返し襲う。たとえば、東南アジアや中南米、カリブ海沿岸の国々で繰り返し起こる洪水は、脆弱性の要因をさらに増加させ、場合によってはあきらめや致命的行動を引き起こすこともある。人災の場合には、暴力の勃発と社会の混乱により発生した社会生活の不安によって、このような地域で生活する人々の肉体的、心理的な苦しみはさらに増強することもある。これらの地域の若い人々が自らの環境を破壊するケースさえある。

 以下は報告者(学生 加嶋)の私見であるが、中国では、民主化を求める天安門広場の学生たちを、政府が武力で弾圧した日から十年が過ぎた。NATO軍による誤爆をきっかけに人々は「自由の国」アメリカに対する幻想を捨て、刹那的な若者が増え、街は麻薬やパンクロックが大流行していると聞く。イデオロギーの空白で求心力を失った社会では、若者たちが新しいアイデンティティーを求めても方向が定まらないのだ。この無力感は、避難生活を強いられている難民が抱える心理的な問題と、ネガティブな体験の後に彼らを支える共同体を失ったという点で酷似している。

 PTSDは、認識レベルでの反応、情動的なもの、行動に関するもの、肉体的なものの4つに分類される。認識レベルでの反応では、その災害に関する夢や悪夢を繰り返し見る、物事に集中したり思い出したりするのが困難になる、精神的信条や宗教信仰への疑問が生じる、災害や、災害で失った家族などへの記憶が繰り返しよみがえることなどが抑えられなくなる。情動反応は、民族や分化体系などにより様々だが、感情鈍磨になる、孤独感や分離感を感じる、日常生活にやり甲斐や楽しみを失う、意気消沈している時間が長い、爆発的な怒りや強度の興奮を感じる、将来に対して空しさを感じたり、希望を失ったりするなどの傾向が見られる。行動反応では、自分自身や家族の安全性に対して過剰防衛になる、他から自分を孤立させる、寝つきが悪い、安眠できない、家族との衝突が増える、起こったことを考えたくないがために過度に忙しくする、明らかな理由も無く涙もろくなったり、声をあげてなくといたことが起きる。肉体的な反応には、不眠症、頭痛、胃痛、筋肉の緊張、心拍数の増加などがあり、これらはストレスの累積により悪化し、急性疾患に発展する恐れもある。

 危機直後の心理的サポートは、避難所や食料配布事業とともに、次第に援助活動に組み込まれるようになってきた。WHO、国連難民高等弁務官事務所、UNISEF、国境無き医師団など、様々な団体が災害後の精神的な問題に取り組んでいる。具体的には、洪水などの破壊的な自然災害をこうむった地域社会に対する援助から、紛争中に暴行された女性への支援、チェルノブイリの放射能災害の波及地域において将来の不安を抱える家族の特殊なニーズにこたえるなど多岐にわたっている。

 それらの活動は心理的サポートプログラム(PSP)と呼ばれ、苦痛の直接的軽減にとどまらず、心理的苦痛が適切な被災状況の調査と意思決定を阻害することに理論的根拠を置いている。優れた災害対応を行えば、苦痛を軽減し、援助活動の期間を短縮し、リハビリテーションを加速する。PSPではボランティアを教育し、ボランティア自身が仲間を訓練し、その仲間たちが被災者をサポートすることに重点をおいている。犠牲者と共通の文化体系、宗教の中でこそその効果が十分に発揮されるためである。PSPによって、ある程度の即時の救済、ストレスから生じる長期的な心理的問題の危険性の緩和、肉体的、物質的必要性に対するより有効な対処が可能となる。PSPに最も必要なツールは共感である。心理的サポートの提供者は、自らの能力と災害の情動的側面に対処する方法を検討した上で、被災者が災害直後の時期にうまく対処できるように彼らを援助する方法を実践したり、災害の衝撃から回復しようとしている人々を支援する。

 「いかに存在するか」が重要で「何をなすか」は必ずしも重要な問題ではない。災害の緊急段階においては、一般のボランティアによって提供された心理的サポートは専門的治療を必要とするような重大なトラウマになるのを防いでくれる。心理的救急法の分野でなすべき仕事は、災害の危険にさらされている共同体が自ら団結し、その構成員を救済することである。さらに、スタッフの共感をスツールとしている以上、現場に派遣された要員の肉体的、精神的健康を支える為にも、スタッフが自らのストレスを認め、それに対するケアを求める責任も強調されるべきである。


大事故災害:大事故災害:第14章 現場での医師および看護婦

小栗顕二・監訳、大事故災害の医療支援、東京、へるす出版、1998年、p.94-8


 大事故災害で任務に当たる医師及び看護スタッフは医療チームの指揮及び管理システムの中に組み込まれねばならない。その医療チームの中で医師や看護スタッフは救急隊員やパラメディックの任務と対立せず、それを補うような姿勢をとらねばならない。医師や看護スタッフは彼らのもつ技術を効果的に使用せねばならないし、そうする事によって結果として他の任務と相補的な関係を築く事になる。

 現場での医療チームは適切に装備され、適切な経験を持ち、技術を持ち、練習を積んでいなければならない。もしそうでならないならば、彼らは他の部門の救助者にとってもマイナスとなってしまう。現場での医師及び看護スタッフは地域社会からの地域初療医システムの一員としてのスタッフ、受入先の病院からのスタッフ、たまたま事故に巻き込まれたりその地域にその事故時に居合わせた為に参加する事になったスタッフなど、様々な立場のスタッフがいるが、それがどのような人員であれ全ての治療スタッフは適切な装備が必要であり、装備の無いスタッフは非常に重篤な危険にさらされることになるので、速やかにその現場にいるだけでも生じる危険から開放されねばならない。

 また、現場のスタッフは医療災害担当官によって、仕事の割り振りをしてもらわねばならない。

 彼らが与えられる仕事としては

1.公的な初療医の資格を持っている場合

 ほとんどの医師は自分用と治療用の双方の装備を持っており通常良く訓練され、更にはその地域についても高い知識を持っている為、指導的な立場や患者の状態評価や治療に関与する仕事が与えられる。

2.病院からきたスタッフの場合

 病院からのスタッフは通常救急隊からの要請によって現場にやってくるが、その装備や医療班の人員構成に基準というものが存在しない為、持っている装備や準備などは様々である。この場合の医療チームの構成員としては外科の専門家よりも患者の状態評価と蘇生の専門家の方が重要である。現場での外科手術の必要性というのは非常に小さく、特殊な場合に医療災害担当官の要請によって必要とされる場合がほとんどだからである。

3.偶然巻き込まれたスタッフ

 当然のことながら、彼らは適切な治療用装備を持っていない為、初期治療以外は対応できない。また、自分用の装備も持っていない為、非常に危険な状態となっている。彼らはできるだけ速やかに他の適切なスタッフと交代せねばならない。

医療チームとして割り当てられる任務

 医療チームは様々な場所に配置されうる。たとえば事故災害の現場に配置されれば前線医療災害担当官の指揮下に入るし、負傷者避難救護所に配置されれば負傷者避難救護担当官の指示で働く事になる。

 全ての災害は異なった状況を呈する為チームの仕事も様々なものになるが、主に、現場でのトリアージ、現場での生存者への治療、負傷者避難救護所でのトリアージ、負傷者避難救護所での治療、移送の為のトリアージ、他部門の救助隊から送られた負傷者の治療、もしいるのであれば移動外科医療班の補助、現場での軽症患者の治療にあたっている救助隊員の補助、現場での死亡確認と表示がある。各段階でのトリアージの優先順位としては、第一優先順位−即時:傷病者は緊急の救命処置を必要としている。第二優先順位−緊急:傷病者は6時間以内に手術か放射線的な止血術を必要としている。第三優先順位−猶予:緊急な処置を必要とするほど重傷ではない。更にはもし必要であるならば、第四優先順位−待機:傷病が重傷過ぎて生存不可能である。という四段階の治療優先順位が有る。

 また、移動外科医療班としては、特に要請の有った場合にのみ現場に行き、手術終了後は元の病院に戻らねばならない。彼らの外科的技術は病院において100%発揮されるからである。また、外科班は通常病院前治療に関する訓練は最小限のものであるので、現場での滞在中は必ず誰かが彼らの監督を行わねばならない。この任務は医療災害担当官や救急隊員によって行われる。


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