災害医学・抄読会 990305

阪神・淡路大震災の教訓から:「タフな医療社会」をめざして

石原享介、外科診療 37: 1423-30, 1995


 1995年1月17日未明に発生した阪神・淡路大震災は未曾有の惨禍をもたらした。同時にそれは、地域社会の崩壊に際して医療社会がどのように地域社会に対してその専門性を持って義務を果たすのか、という根源的な問題を提起することとなった。

 震災直後、地域医療体制は地域社会の崩壊とともにマヒ状態に陥り、平素のシステムはほとんど作動しておらず、各病院・個人の独自の活動によって支えられていた。これに対して神戸市東灘区では、地域医療司令部の確立の重要性をいち早く察知した。そこで平時において地域医療システムにほとんど関与しない保健所を広範な救護所における救護医療の司令部とし、3日に1度救護所連絡会を開催し、1)地域医療機関の情報、2)保健所からの要望伝達、3)各救護班の意見集約、4)ボランティア組織の確立とそれとの連携、などを行った。その結果、震災直後司令部の最重要課題であった救護班の適正配置は、震災直後の個人を中心としたボランティアから長期対応可能な大組織派遣医療班への変更、調整が開始され震災後10日で目度が立つほどであった。

 さらには、震災後10日目に避難所とその周囲での高齢者を中心とする社会的弱者の把握が保健婦・ボランティア組織によって行われ、時には福祉と連携し多くの要介護者が救出されたが、同時に彼らの地域社会への多大なる愛着と各種施設への搬送との兼ね合いという点では今後の福祉医療のあり方を再考せざるを得ない。

 救護所での医療実態については、震災直後は外傷(骨折、打撲など)が主であったが長期化するにつれ呼吸器感染症への対応、高血圧・心臓疾患・肝疾患などの慢性疾患への与薬が主となった。これらに対処すべく薬物搬送などをおこなったのはボランティア組織であった。

 2月以降は、救護所撤退と地域医療体制への移行が最重要課題であったため、救護所を地域医療の核と位置付けて、地元医療機関の再建と連携を図りつつ中央市民病院付属東灘診療所を経由して地域中核病院よりの中央市民病院への患者転送、さらには救護所よりの入院紹介を行った。その結果、3月末日をもって東灘区の救護班はすべて閉鎖された。現在では保健婦を中心とした避難所、仮設住宅での訪問活動が継続されている。

 このように、保健所が地域保健医療の司令部として機能し得た最大のポイントは、東灘区保健所が医師コーディネーター参加の必要性を察知し、地域医療システムを熟知し、地元医療機関との仲立ちができる医師を任命したことにある。従来の固定観念にとらわれずに行動しうるコーディネーター機能の存在と医療分野に限らず速やかな司令部機能の確立は社会システムの崩壊を伴う大災害時にはきわめて重要であるといえる。これらが行政組織と両輪のごとく機能して初めて速やかかつ効率的な危機管理が行われるのであろう。


座談会・地下鉄サリン事件の医療対応

相川直木ほか、外科診療 37: 1463-75, 1995


はじめに

 1995年3月20日月曜日の朝に起こった地下鉄サリン事件では、12人の死者を含めて約5000人が被害に遭った。その時の医療対応について桜井健司先生(聖路加国際病院副院長)、稲垣芳則先生(東京慈恵会医科大学救急部)、前川和彦先生(東京大学医学部救急部)、相川直樹(慶応義塾大学医学部救急部)が話し合われた。

要約

 聖路加国際病院(桜井健司先生)では、8時28分頃から徒歩で患者が20人ほど来院しはじめ、8時40分には心臓停止の患者が救急車で運ばれてきたため病院業務の意思統一を図るためコントロールセンターを設置した。心臓停止の患者さんには10分蘇生を行い、それで戻らない場合は諦めた。患者は増える一方であったので歩行可能な患者さんは内科医に診てもらい、重症者には救急部医員が心肺機能保持を施した。桜井先生自身はtriageをおこなった。事件当日に実際来た患者数は640人、3人が心肺停止状態で、その内1人が回復した。

 慈恵医大(稲垣芳則先生)では、合計396人が来院した。慈恵医大では高度救急をやっていなかったので外科医、内科医が集まって一般外来を中止し治療にあたった。稲垣先生と病院長が指揮を取った。

 治療が進むうち、有機リン中毒の疑いがもたれていたが、その症状のひとつである徐脈がみられなかった。よってパムを投与することしかできなかった。実際サリン中毒と判明したのは午前11頃でその時から本当にspecificな治療が始まった。死亡した12名の方は来院時すでに心肺停止状態の方だけであり、来院時よりも悪化したということはなかった。治療初期段階では呼吸循環管理などの対象療法だけであったが、それでも大いに役立ち,十分であった。

 今回は対象療法でで十分対応できたものの、原因物質の究明が遅かった。

 日本では、医師の間でも、一般でもこういうmass−casualtyに対する認識が十分ではない。阪神大震災の頃から言われているように、このような教育や卒後のトレーニングの必要性が重要視されている。

 また、triage(患者の治療優先順位を分類すること)の問題もある。普通の治療ではこういうことが無く、自分の専門領域から治療しがちである。こういった場合は患者のpriorityを重要視すべきで、それをtriageしなければならない。この役には経験豊富な医師が必ずつかなければならない。

 医療と消防署、警察がうまく働かなかったことも問題であった。これらをコントロールすべき機関が必要である。

学生の考察

 以上のことから理想の災害医療について考察したい。まず,すべての医師が呼吸循環管理などある程度の救急医療ができなくてはならない。そのためには現在よりもさらに救急医療に対する教育を行うべきであろう。また、triageは絶対に必要で、経験豊富な医師が適任である。あらかじめ行政などが中心となって災害に対して各施設を統率する機関をつくらなければならないだろう。

 自分としては、どの科の医者になろうとも最低限の救急医療を行えるようにならなくてはならない。これからそのような経験をつんでいくことが大切である。


大事故災害:第5章 救急隊

小栗顕二・監訳、大事故災害の医療支援、東京、へるす出版、1998年、p.33-8


【組織】

 救急隊員はペアになって一人の患者に対応し、各隊員は本部の指令で動く。日常の業務では本部の指令によらず、各自の判断で活動し、一人は直接患者に関わり、他の一名は運転に専念する。 第一線の救急車に乗る2名のうち1人が「パラメディック」としての訓練を必ず受けるということを目標とする。

 このことからすると大事故災害の第一線の現場で活躍する救急隊員の半分は、救急業務に精通していることが望ましい。

【救急隊員が災害現場において果たす役割】

<最初に現場に到着した隊員の活動>

 最初に大事故の現場に到着した隊員は、まず応援の救急車と医療器材を追加要請するかどうかを速やかに判断しなければならないし、多数の負傷者を搬入できるよう病院に最大限の時間的猶予を提供するようにしなければならない。大事故であるとの報告が遅れることが、すなわち犠牲者を増やすことになるのである。

 救急車の乗務員は現場救急指揮官の役割をとりあえず引き受けることになる。すなわち、上司の指揮官がそれを引き継ぐまではその役割を果たすことである。運転者は車内に留まり、救急車と本部との交信維持に専念する。この際、この隊員は1人の負傷者を救助するよりは、他の関係機関に連絡を取り、現場への協力を要請し、事故が拡大しつつあるという情報を提供するほうがより重要である。運転手は本場に現場到着をまず連絡する。そして事故発生場所とみえる範囲での事故の概要を述べるにとどめ、詳しいことは現場に入った救急隊員が偵察を終わってから報告するようにする。報告する内容は下記のとおりである。

<大事故災害の際、最初に報告するべき事項>

E Exact locarion:正確な現場の位置    地図の座標(例:E3,F7)
T Type of incident:災害の種類      鉄道事故、科学災害、交通事故
H Hazards:危険性            現状と拡大の可能性
A Access:到達経路           どの方向から進入するべきか
N Number of casualties:被災者数      重傷度とケガの様子
E Emergency services:救助の方法     現状と今後必要な装備

 最も重要なことは「大事故災害だ!」ということを可能な限り早く本部に無線で報告することである。しかし、初動時の数分で、事故の現状と拡大の可能性を掌握することは、特に負傷者の総数を簡単に把握できないときには判断が難しい。

<初期活動の要領>

運転者
・安全が確保できる範囲で現場の近くに停車する
・車屋の標識灯は回し続ける(救急活動の拠点を表示することになる)
・現場到着を司令部に確認する
・救急隊員との連絡を続ける
・上司の指令があるまで車内に留まる
・エンジンを切らない

救急隊員
・現場の偵察を行う
・本部に状況を報告する
・大事故災害宣言をする
・救急車の駐車する場所を選ぶ
・医療チームの要請、追加装備の必要性を判断する
・以下の拠点を決める、すなわち「活動拠点」「駐車場」「避難場所」

 救急隊の活動目的は、現場で負傷者への最大限の手当と適切な病院に患者を輸送するよう迅速に対応することである。

<現場での救急隊員の役割

・前線での統制業務  ・生存者の救助  ・負傷者数拡大の防止  ・苦痛の除去
・他の救急隊との連携  ・受け入れ病院の決定  ・必要な医療班の誘導
・現場での資材の準備に関し保健所との連絡  ・避難場所の設定
・救急車駐車場所、患者収容場所の設定  ・適切な治療と後送の決定(すなわちトリアージ)
・負傷者の搬送方法の手配  ・負傷者の移動状況の記載

【救急隊の関与する医療行為】

 救急隊は負傷者に処置を行い、また病院への搬送を行う法的義務が存在する。大事故の場合にはプレホスピタルケアが重要である。以下その医療行為の範囲


静岡県緊急防災支援室の発足とその活動

小川弘子ほか、日本集団災害医療研究会誌 3: 122-25, 1999


要旨

 1995年の阪神・淡路大震災の教訓を踏まえ静岡県は地震防災対策の見直しを行い、1996年4月1日、静岡県緊急防災支援室を設置した。
この組織は、大規模地震等の発災時、県下9カ所に設置される災害対策支部に室員を派遣し、支部長を補佐して、被害情報の収集・伝達と必要な災害応急対策の連絡調整等を行う。室員は、災害応急対策等を迅速かっ的確に行うために必要とされる専門的知識を持つ県、および市町村やライフライン事業者等の職員により構成している。
 平常時には、緊急時の初動態勢に必要な防災知識の研鑚と通信機器等の取り扱い訓練、図上訓練の推進等による支部と市町村との様々な連携体制の確立や、防災体制の点検・充実のための支援、ライフラインの地震防災対策の強化推進等の業務を行っている。

発足までの経緯

 1976年に東海地震説が発表されて以来、静岡県においては、本格的に地震対策が推進されてきた。その対策は、予知型地震の考え方を基にしていたが、1995年の阪神・淡路大震災を契機に、その教訓を生かし、突発型地震にも対応できるよう大幅に対策の見直しを行った。
 その見直しの1つとして、1996年4月1日、静岡県防災局内に緊急防災支援室を設置し、通称SPECT(Shizuoka Prefectural Emergency Coordination Team)と呼んでいる。

静岡県の防災体制

 静岡県は、東西155km・南北118kmと広域であるとともに、74もの市町村を抱える県である。そのため、地域ごとの調整機関として9カ所に県行政センター(伊豆、熱海、東部、富士、中部、志太榛原、中遠、北遠、西部)を設置している。東海地震等の大規模災害等の発生時には、県庁に災害対策本部、県行政センターに災害対策支部が開設される(Fig.1)

支部の役割とSPECTの任務

 支部で実施する発災直後の活動は、管内市町村の被害状況の収集とその取りまとめをはじめ、救援・救出活動や負傷者搬送等の要請を迅速かつ的確に把握し、本部や他の防災関係機関へ情報伝達等を実施するとともに、状況に合わせた各種の災害応急対策を講ずることが必要となってくる。そのため、地域に密着した業務を実施している支部の役割は非常に重要となる。これらの災害応急対策を実施する支部総括班員(該当者は、県下700名)は、様々な県出先事務所から参集する防災業務に精通していない職員が多いことから、支部の初動時にはかなり混乱する恐れがある。
 このため、支部が初動態勢を迅速に確立できるよう、SPECTは直ちに支部に派遣され、支部長を補佐し、災害応急対策に係るオペレーション等を支援していくことを任務としている(Fig.2)

SPECTの室員構成

 SPECTの26名は、県職員と多くの機関から派遣された職員で構成されており、県職員は、土木、建築、水道、病院の技術者を中心に、また、外部組織からは、県警本部、教育委員会、市町村、消防本部、ライフライン事業者より様々な技術や知識を持つ要員が派遣されている(Table 1)
 室長、補佐は、総括的な役割を持ち、他の24名は9つの支部を2〜3名で担当している(Fig.3)
 また、室員は県庁の概ね10km以内に居住し、県下で震度4以上の地震を感じた場合には、ポケットベルが自動発信され、常に30分以内に参集できる体制を取っている。

Table 1 SPECT室員の構成(平成10年3月現在)
派遣元要員数備考
知事部局9人室長1,補佐1,事務2,技師5(土木・建築・無線・水道・看護婦)
警察本部3人警察官3
教育委員会1人教諭1
市町村4人事務4(静岡・浜松・清水・富士)
消防本部3人消防官3(静岡・浜松・沼津)
ライフライン6人事務6(東京電力・中部電力・静岡ガス・中部ガス・NTT・JR東海)
26人

平常時の業務

〈室員の研鑽〉

 室員は、緊急時のオペレーションのために必要となる知識・素養を備えるために、静岡県立大学で開講される総合防災講座の受講をはじめとする防災に関わる各種研修会や、セミナーへ参加するとともに、図上訓練技法の修得に努めている。また、静岡県は各部局において防災対策を推進しており、それらの進捗状況を把握し、防災全般に関わる知識の修得にも努めている。
 一方、担当する各支部管内の防災地図の修正作業やヘリコプターからの上空視察等により、地域の地理・地形を把握するとともに、地域防災訓練等の視察を通じて、様々な実情の把握に努めている。

〈室員の訓練〉

 防災機器、無線等の情報伝達機器の習熟訓練、抜き打ち参集訓練、SPECT専用の緊急防災車両や、防災ヘリコプター、テクノスーパーライナー防災船「希望」による支部派遣訓練等により、様々な状況に対応できるよう努めている(Table 2)

Table 2 SPECTが関わる訓練
訓練項目訓練の概要等
室員参集・支部派遣訓練突発型地震を想定し、ポケットベル受信後参集し、車両や防災ヘリコプター等で各支部に室員を派遣する訓練
室員支部支援業務図上訓練支部の支援業務の検証等を目的にしたSPECT室員の図上訓練
防災機器取扱訓練発電発動機や可搬型衛星地球局、防災無線機器等の取扱等を習熟
情報伝達訓練防災行政無線等による本部一支部、支部一市町村間の情報伝達、またその支援
支部要員研修訓練支部での防災業務に係る研修および訓練の支援
支部イメージトレーニング各支部の総括弧におけるイメージトレーニングの実施と支援
支部図上訓練各支部の総括弧における図上訓練の実施と支援
市町村イメージトレーニング市町村の災害対策本部におけるイメージトレーニングの実施と支援
市町村図上訓練市町村の災害対策本部における図上訓練の実施と支援
津波避難訓練津波対策推進旬間における各沿岸市町村の訓練を支援
総合防災訓練9月1日、中央防災会議が中心となる訓練で、支部開設訓練等を支援
地域防災訓練12月第一日曜日の「地域防災の日」の自主防災組織中心の訓練の支援、視察
防災船訓練支部・市町村・自主防災組織・防災関係機関が参加する防災船「希望」による緊急物資輸送、漂流者救出等の訓練を実施、支援
ライフライン防災訓練ライフライン関係機関相互および行政機関の災害復旧合同訓練の実施、支援
市町村防災ヘリポート設営訓練負傷者搬送訓練や上空偵察等に使用する防災ヘリポート設営を支援

〈支部の初動態勢の確立および支援業務〉

 支部の初動態勢のスムーズな確立を支援するために、各支部の防災体制を点検し、支部総括班と班員の活動マニュアルの作成、総括班員を対象とした防災機器や情報伝達機器の取り扱い訓練とイメージトレーニングや図上訓練の実施、また、2次要員を対象とする研修・訓練等を行ってきた。
 平成9年度においては、各支部に防災監が配置されたことにより、発災時の指揮命令体制等が一層整備された。SPECTは、発災時、平常時ともに「支部の支援をする」組織として、防災監と連携を図り、より支部初動態勢の強化・確立に努めている。

〈市町村の初動態勢の充実強化〉

 市町村初動態勢の確立を支援するために、全市町村の防災体制を点検・把握し、ソフト面を中心とした対策の指導、市町村地域防災計画改訂の指導や医療救護体制の把握等を実施している。
 また、支部と共にイメージトレーニング・図上訓練等の実施指導や支援を通じ、初動態勢の充実強化と支部・市町村間の連携体制の確立が図れるように努めている。

〈ライフラインの地震対策の強化推進〉

 ライフライン事業者における地震対策が強化されるよう事業者との「ライフライン防災連絡会」の開催と運営を担い、ライフライン情報広報マニュアルの作成・配布、災害復旧や広域的応援体制に関する課題等の検討、及び防災船を活用したライフライン災害派遣訓練等の実施と支援を図っている。

今後の課題

 SPECT発足後の2年間は、室員自身の研鑽・訓練と支部・市町村を含めた防災全般に関わる現状や課題を把握することにより、本来の支部支援をする組織としての土台づくりをし、概ね所期の目的を達してきた。
今後の課題としては、これらを踏まえ、支部の防災監と緊密な連携を図りつつ、今まで作成したマニュアルやノウハウの検証と室員の専門分野を生かし、様々な状況を想定したより実践的な訓練を重ね、災害応急対策の専門家としての知識・能力の向上をさらに図っていく必要がある。
 また、支部総括班員である職員の防災意識の向上と役割等を十分に啓蒙するとともに、災害応急対策の知識や実践力の向上を支援していく必要がある。さらに、市町村の図上訓練等を指導し、地域事情に合わせた的確な初動態勢の確立に向け支援をしていくことも重要な課題である。


アメリカの行政における災害医療対策をみる

小澤直子、メディカル朝日 1994-9, 34-37


 米国では、国内のいかなる災害にも素早く対応するため、連邦政府による災害政策の制定が、長年にわたって試みられている。

 歴史的に見ると、緊急災害への連邦政府の対応は、1950年に制定された米国最初の災害救急法・市民防衛法(The Civil Defence Act)をきっかけとして大きく変わった。

 1950年代の米国の緊急管理政策は、ソ連からの核爆弾への備えを中心として制定されていた。市民防衛の意識は、62年のキューバ危機によって強化された。さらに大型の自然災害が相次いだことで、国全体として自然災害へ対処する対策面の強化が必要とされた。こういった背景のもと、79年当時のカーター大統領令によって、FEMAが創設された。  FEMAは、今までバラバラに行われていたプログラムを1つにまとめる形で、災害において連邦政府の中心に位置するよう組織された。FEMAの本部は首都ワシントンにあり、全米を10地区に分けて管理、管轄している。

 災害緊急時における危機管理は、まずそこの州や地方自治体で対処することが基本であり、FEMAはそれら地方の対応能力(財源、設備、指導力など)を超えるような災害が起きた場合に、協力やサポートを行うのが仕事とされた。

 FEMAは具体的には、以下のような活動を行っている。

  1. 核戦争に備える各種準備のコーディネート
  2. 国家緊急時における政府プランの調整と統一
  3. 州や地方自治体の災害政策や準備・対応・復旧のサポート
  4. 緊急時における州や地方自治体管理者の能力向上のためのトレーニンケや教育
  5. 原発事故など放射線災害に備える地方レベルでの体制作りの援助
  6. 大統領から指定された災害対する連邦からの財政援助の調整
  7. 山火事や地震などの損害の縮小
  8. 緊急時の食料やシェルターの管理
  9. 災害緊急時のための実用的な方法論の構築
  10. 自然災害における家庭内安全への地域普及プログラムの開発

 緊急災害時における米国での連邦政府の対応、FEMAの役割を上述したが、多数のけが人は戦争に限らず、自然災害、火災、爆発事故、列車・飛行機事故などでも起こる可能性はある。

 80年8月、研究班によって、災害対策についての見直しが行われた。その結果、現在の災害対策には、適切な医療対応が欠如していると指摘され、災害医療対策のシステムづくりが急がれた。すでに戦争時の医療対策としては、国防総省が80年に多数の負傷兵発生に備えるために設立した、一般軍人緊急用病院システム「CMCHS」(The Civilian−Milittary Contingency Hospital System)があり、このシステムは災害医療対策に大いに参考になった。

 CMCHSは、軍関係者でけが人が多数発生した際、退役軍人病院以外の任意の民間病院が、国防総省に協力するためにベッドを確保しておくシステムである。

 CMCHSはその後改良され、戦時には国防総省の医療システムをサポートし、国内の大きな災害時には市民の救済に充てられるようになり、この新システムは81年8月に完成した。さらに、81年12月17日にレーガン大統領が、緊急動員準備委員会「EMPB」(Emergency Mobilization Preparedness Board)を設立し、82年の終わりには、最終的に国家災害医療サービス「NDMS」(The National Disaster Medical Service)が誕生した。

 NDMSが活動を始めるには、災害を被った州知事が連邦緊急管理庁(FEMA)あるいは大統領に直接連絡し、大統領が国レベルの災害に指定することが必要とされる。ただし、災害が国レベルのものまでにならなくても、公衆衝生局条例により、州の保健衛生局の要請で活動することもある。また上記の条例にあるような大災害に当てはまらぬ状況でも、国家安全緊急事態においては、国防総省長官がNDMSの活動に対する権限を持っている。

 NDMSは、災害非常時の州・地方自治体の医療対応面における国レベルの補助的なサポートと、国外での戦闘に備える軍医療システムヘのバックアップを2つの大きな柱としており、具体的な活動目的としては、被災者の避難活動の援助や医療の対応を行っている。  NDMSは患者の状態から病院の手配を決め、地元の連邦コーディネーティングセンターが、赤十字への連結や孤児のための福祉事務所への連絡といった事務を行う。

 連邦コーディネーティングセンターは、現場でのNDMSの最終的な医療提供の調整や、災害地での民間病院がNDMSの一環として患者を受け入れるための手続きに責任を持つ。国防総省に32、退役軍人管理局に40のNDMSのコーディネーティングセンターがある。

 災害時の具体的な医療行為としては、1)医療援助の必要性の評価、2)医療関係者の派遣、3)医療機材、器具、医薬品の提供、4)犠牲者の身元確認、遺体管理、などが挙げられる。NDMSの要請でこれら医療行為を実際の現場で行うのが、災害医療支援隊「DMAT」(Disaster MedicalAssistance Teams)である。

 DMATの人々はNDMSに任意加入している医療関係者たちで、普投は各々病院で仕事をしている。だが、緊急時にはNDMSの連絡でDMATの一員となり、活躍する。この時一時的に国の被雇用者となって、身分保証が行われる。

 DMATは、さまざまな医療関係者で構成され、1チームは約35人。DMAT 1チームで、約80人余の患者への対応が可能であり、もっと大きな災害時には、3つのDMATに15人余から成る運営部が加わってClearing Staging Unitとして行動する。DMATは応急処置をするだけだが、現場で手術などが必要とされる場合には、移動式緊急手術病院「MESH」(Mobile Emergency Surgical Hospiotal)がNDMSによって用意される。

 以上見てきたように、米国の災害医療は、平時のみの災害を対象としている日本と異なり、戦争時を含んだ形での総合的な緊急救急医療としての位置付けが行われている点に、特色があるといえる。


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