災害医学・抄読会 980807

東京地下鉄 "サリン事件"の急性期中毒情報―中間報告―

前川和彦、中毒研究 10: 38-41, 1997


【はじめに】

 1937年にドイツで開発されたサリンは、1988年にイラク軍がクルド人に対して使用したときと、1994年6月の松本サリン事件の無差別使用以外に、人に対して使用された事はない。

 1995年3月20日に発生した東京地下鉄サリン事件に関して稀な化学物質による急性集団中毒と、都市部での災害医療との2つの側面から事件発生後の比較的早期に、サリン中毒患者についてのcomprehensiveな急性期医療情報を収集し、記録することを目的として以下の調査を行なった。

【対象及び方法】

 アンケート調査標を医療機関の担当医に依頼して、事件発生後約2〜4ヵ月の間にサリン中毒による入院患者の医療情報を収集した。

 調査対象は東京都内の医療機関に入院した患者に限定した。

 東京消防庁が事件直後の平成7年3月21日に作成した医療機関リストを参考に、患者が入院したと考えられる都内94の医療機関に調査票を発送した。

 調査の内容は、患者属性、被災の状況、搬入手段、主な検査所見、治療内容、治療薬の効果、入院期間、転帰、その他である。

【結果】

 東京都内62の医療期間に入院した740症例に関する調査票を回収した。これは総入院患者の約74%に相当するものと推定される。

(性別) 男性:462例(62.3%)、女性:246例(33.2%)

(入院患者の性別、年齢層構成)

 男性:20〜40歳代が平均して多い 女性:20歳代が最も多い(58.2%)

=これは通勤、通学客が多い午前8時から8時30分ごろの東京地下鉄乗客の性別、年齢層別分布を反映しているものと推定される。

(被災地の状況)

 地下鉄乗車中に被災したもの:89.7%
 救助にあたった救助隊員:5.1%
 地下鉄職員:4.5% 
 警察官:0.3%

=二次被災者と考えられる入院患者が約10%もあったことに注目したい。

(搬送手段)

 救急車により搬送:43.4%
 徒歩で受診:36.1%
 タクシーで来院:12.2%

=その他自家用車、パトカー、自衛隊車両、消防車など、混乱のなかで様々な車両で搬送されていた。

 入院患者の97.3%が事件当日に受診し、2.8%は翌日以降に医療機関を受診して入院している。事件当日をみると、事件発生後2時間半から3時間が経過したと思われる午前11時までに入院患者の約半数が医療機関を受診していた。

(初診時のバイタルサイン)

 血圧

 脈拍数

(初診時の症候学)縮瞳:90.2% 頭痛:52% 嘔気:35% 呼吸困難:30%

=その他、目がかすむ、目の前が暗い、目の痛みなどの眼症状が比較的多くみられた。筋攣縮あるいは痙攣などの症状は重症例のみに限られ、その頻度は低かった。

(初診時検査)

EEG(382例中)

血中ChE(715例中)
 その医療機関の測定系の基準下限値を100%として低下の程度を表現

=症状のある患者群の血清ChE値の低下の程度を症状別にみると嘔吐、痙攣、昏睡などの症状を呈した症例群での血清ChE値の低下は顕著であった。

(治療)

 アトロピン投与:564例(81.6%) 
 PAM投与:253例(36.6%)
 両薬剤使用:231例(33.4%)

=アトロピン+ PAM治療群での血清ChE相対的回復率は、それぞれの単独投与群、いずれの薬剤も投与されなかった群に比べて有意に高かった。

(入院期間)

 3日以内:506例(76%)
 7日以上:57例(8.56%)

(転帰)死亡:1例 生存:711例

【考察】

 原因物質について;原因物質に関する情報は中毒患者の急性期、慢性期治療には不可欠であるため、日本の警察、検察の情報の非公開性は問題がある。

 二次被災者について;入院患者の1割は二次被災者である。災害状況から適切な判断がされ、医療コントロールが十分に発揮されていれば二次被災は確実に防げた。日本の医師は核兵器、核物質、化学兵器、生物兵器などによる事故、災害対応に関しての無知を反省すべきである。

 症状について;ムスカリン作用である縮瞳、頭痛、目の暗さが多く出現。同じムスカリン作用でも流涙、発汗、気道分泌亢進、徐脈などはあまり出現しなかった。集中治療を要する程の重症例では頻脈、高血圧が出現しやすい。

 血清ChEは症状がある患者群のほうが、無症状の患者群よりも有意に低い。

 治療について;神経ガス中毒の治療法は、ピロスチグミンの予防的投与に加えて、アトロピン+オキシム+ジアゼパムを用いる。もっと多くの症例でPAMが投与されるべきであった。


新しい病院災害訓練の試み―同時多数外傷患者に対する院内対応―

大友康裕ほか、日本集団災害医療研究会誌 3: 58-67, 1998


【はじめに】

 これまでの災害訓練は、訓練を実施するにあたり、その訓練のシナリオを予め設定して施行するものが多く、訓練参加者が独自に状況を判断し、対応して行くといった実際の災害時に要求される能力の訓練にはなっていない。

 今回、病名を一切隠し、診断、適切な治療の選択に至るために必要な情報のみを提供し、参加した8の医療チームが、独自の判断で検査及び緊急処置を選択しつつ、最終診断、治療に至るという災害訓練を実施した。

【方法】

 想定は、午前9時に震度7の直下型地震が発生し、定時手術を中止したため、8室の手術可能、人工呼吸器は10台、透析器は3台が即時使用可能、自動臨床検査器械は調整中で災害用の検査機器に変更して測定可能、血液検査、画像診断ともに混雑のため必要最小限の選択で診断をつけることとした。

 重症から中等症の31名の模擬患者が、受傷機転、症状及びその変化の情報を訓練参加医療チームに与える。これらの情報は模擬患者が持参した封筒内に記載されている。封筒は現場救護所のトリアージ用と病院収容後の診療用の2段階に分かれており、それぞれの場面で医療チームに提出される。

 ひとつの医療チームは、医師1から2名、看護婦2名、事務官1名からなり、院内トリアージから、各種検査、緊急処置、投薬を施行し、最終診断をつけ、治療方針を決定し、最終収容先(手術室、集中治療室、臨時病棟、臨時血液透析室、後方病院搬出のいずれか)に移送するまでを担当した。

 午前10時20分に救急車1台、バス2台で計31名の模擬患者(重症から中等症)がほぼ同時に来院。病院前駐車場でトリアージを施行し、重症と中等症に分け、院内医療チームに引き継ぐ。トリアージチーム(2チーム)もトリアージ終了次第、院内対応にあたる。患者数と医療チームの人数からして、各チーム平均して4から5名の患者を扱う必要がある。トリアージが終了した患者は、医療チームの手が空くまで診療開始を待つこととなる。

 前述のごとく、医療チームに与えられた情報をもとに必要最小限の検査、画像診断を選択し、必要に応じた緊急処置、輸液、投薬を施行しつつ、治療方針を決定し、最終収容先に移送する。訓練終了は午前11時30分(訓練時間1時間10分)。  封筒にいれた患者情報以外に、外表から観察される所見の写真も医療チームに提供される。また、災害時に施行可能な緊急検査のデータや画像診断は予め用意されており、依頼するとその結果またはフイルムが渡される。行った処置や検査及び施行した時間を必ずカルテに記載し、その結果や所見も記載する。それぞれの検査に要する時間を予め設定し、診療に要した正味の時間に加算することにした。また診断ミス、必要な検査の脱落、処置のミス、薬剤投与ミスなどはその程度に応じてペナルティーとして診療時間に加算した。

 最終的な治療方針の決定(正味時間、検査所要時間、ペナルティー時間合計)までに、120分以内を救命のための条件とした。

【結果】

 トリアージは31例中28例で正しく行われ3例(9.7%)が誤りであった。一方最終移送先は、予め想定していた予定と5例においてくいちがいを認めた。これらは主に、診断見逃しや状態判断の誤りから発生したものであった。

 診療時間については、トリアージが終了してから医療チームによる診療開始までの時間;7.1±5.5(0〜21)分、正味の診療時間(トリアージ後、診療開始から最終収容先まで移送するまで);19.6±11.1(5〜46)分、総診療時間(正味の診療時間に各種検査時間の総和を加えたもの)67.2±26.4(25〜136)分であった。

 診療内容については、不要と考えられる検査が27件施行されており、時間に換算すると3時間45分となった。また診断、検査、処置、薬剤では、診断ミス;重大3、中等7、軽度1、検査脱落;不可欠2、必要15、処置ミス;重要欠落3、軽度欠落9、不必要4、薬剤ミス;重要欠落1、軽度欠落4、不必要0であった。これらのミスにペナルティー時間を加算すると、計算上の診療時間は105.1±40.1(35〜206)分となり、31例中7例(22.6%)で救命の条件とした120分を超える結果となった。

【考察】

 この訓練ではトリアージの判断に必要と考えられる情報を与えられているにもかかわらず10%ほどのトリアージミスが発生した。実際の災害時では悪条件が重なりこの割合は増加するものと考えられる。トリアージミスは起こりうるものと考え、また患者の状態も変化することから、トリアージカテゴリーを変更することも重要である。  診療内容についてであるが、結果として放射線部門で過剰検査27件及び診断、検査、処置、薬剤のそれぞれに前述の様なミスが発生した。これは各チームに必ずしも外傷の専門としている医師がおらず、全て各医療チームに診療上の判断を委ねてきたことがその要因の一つである。経験豊かな外傷外科医が各チームの間を行き来し、アドバイスし、全体を統括するような対策をたてることにより、ミスをある程度防げると考えられる。

 今回の訓練の模擬患者のアンケートより、トリアージ後より診療開始までの患者引き渡し所での時間が長かったとの指摘が多数あった。その対策として医療担当者を患者引き渡し所に置き、待っている患者に不安を与えないように現状を説明するなどの対策が必要である。

 また、自院だけでこなそうとせず、予め病院の診療能力を把握しておき、これをオーバーする際には積極的に後方施設へ搬送することが重要である。近隣医療圏間での応援態勢の確立が必要である。


国際緊急援助隊医療チームのバングラデシュ人民共和国竜巻災害医療援助の評価

浅利 靖ほか、日本集団災害医療研究会誌 3: 47-52, 1998


 1996年、5月13日、バングラデシュ人民共和国に竜巻が発生した。同国は平均5回竜巻が上陸し激しい爆風と高波によって多くの犠牲者が生じているが、今回はタンガイル県、ジャマプール県を中心に発生し、35000人以上の負傷者と525人の死亡者という大きな被害をもたらした。

 この災害に対して日本政府は5日後の5月17日から30日まで14日間、国際緊急援助隊医療チーム(以下JMTDRとする)を派遣し医療活動を行なった。 その後、災害とJMTDRの医療活動を評価するために、1年5カ月経過した1997年10月11日から15日の5日間、 調査を行った。

 調査は 病院に搬入後に死亡した症例、 JMTDRの医療内容について行い、さらに聞き取り調査では関係省庁、バングラデシュJICA事務所の担当者、 タンガイル総合病院の医師、 被災者を対象に JMTDRの派遣の時期、 JMTDRの派遣の期間、 二次隊の必要性、 JMTDRの派遣の場所、 医療の質、 JMTDRの派遣後の問題点について調査した。

(1)病院搬入後に死亡した症例の検討

 災害発生後3日間に死亡したのは、病院搬入後死亡した全57例中41例の71.9%で、その死亡原因は29例が頭部外傷、5例が多発外傷であった。さらにJMTDRが活動を開始する前に46例80.7%が死亡していた。病院搬入後の57例の死亡原因は頭部外傷39例、多発外傷7例、骨盤四肢の外傷が5例であった。また、来院時ショ ック状態であったのが8例、感染により敗血症となり死亡したのが4例であった。

(2)JMTDRの医療内容について

 今回の竜巻災害ではトタン板による外傷が多く、JMTDRの医療は創感染のコントロールが主となった。JMTDRが診療したタンガイル総合病院と他の病院とで病院内死亡例を検討すると、JMTDR診療前の死亡者は、 タンガイル総合病院が10例、 他の病院が39例であった。診療期間中では、タンガイル総合病院が2例、他の病院が9例であり、その2例は頭部外傷によるものであった。またJMTDR撤退後に、 タンガイル総合病院では死亡者はみられなかった。

(3)聞き取り調査

1.JMTDRの派遣時期について

 JMTDRは日本政府公式の医療援助隊であり、当事国からの援助の要請を受け、国内で派遣する者を選出し準備して、飛行機を乗り継いで災害地に向かい、災害発生から5日目に活動を開始したことは非常に早い派遣であったといえる。発災後3日間で71.9%が死亡、JMTDR活動開始前に80.7%が死亡している。救命医療を目的とする派遣では超急性期からの医療活動が必要であるが、要請を受けてから、 また海外からの派遣ではその目的を達成することは困難である。しかし災害にはサイクルがあり、災害後の時期・時走による各種のニーズ合わせた救援活動が重要となる。この意味からすると、JMTDRの活動は創感染のコントロールというニーズがあり、災害発生後5日目からの活動は有効であり、派遣時期としては意味あるものであった。

2.JMTDRの派遣期間、二次隊の必要性

 撤退の時期は災害による負傷者が落ち着いた時期で、地元の医療機関に引き継ぐことの可能な時期が撤退のタイミングである。二次隊も派遣されるべきであったと言う意見もあったが、撤退後死亡者が発生しなかったことなどから考慮すると、撤退時期は適切であり、あえて二次隊を派遣する必要はなかったと思われる。

3.派遣場所の選択について

 今回の派遣では、災害のひどい地域、アクセスがよい地域、患者が多く重症者が搬入される病院、の3点で選定された。

4.JMTDRの医療の質について

 本竜巻災害では創感染コントロールが重要であり、JMTDR診療中、撤退後に感染の死亡者がみられず、与えられた環境の中で最善を尽くすという基本が踏襲されていた。海外での医療活動で問題となることに言葉の問題があり、今回は青年海外協力隊の協力があり、解決された。今後は、青年海外協力隊との協力体制も考慮・検討されるべきであろう。

5.JMTDR撤収後の問題点について

 今回は、現地の医師への引き継ぎが良かったこと、災害後の復興が早く、住居などの復興や義足作成の援助などがおこなわれ、特に明確な問題点は認識されなかった。援助事業を評価するときにはさらに側面から検討すべきであったが、データの収集が不十分で十分に評価しきれなかった。今後は災害治療患者をピックアップできるような工夫が必要であると思われた。


学生とともに震災を乗りこえて

財津秀子ほか、看護管理 6: 158-65, 1996


 阪神淡路大震災から1年、兵庫県立厚生専門学校における震災直後、復旧途上の教育を振り返った。

1)震災直後の臨機の対応

 兵庫県立厚生専門学校では、1名の3年生を亡くし、学生寮が全壊となった。震災当日、職員の中で出勤できたものは、25名中7名で全職員の安否の確認ができたのは6日目であった。学生の安否の確認は連絡網を活用しながらも2日間を要した。この際、毎年作っている学生の連絡網は有効であった。

 授業再開に向けては備品の点検,整理を行い、3月までの授業に支障のないように必要な物品の確認を行い、発注、購入し1週間の休校の後、授業を継続した。寮生の生活の場としては実習室を利用し、3月までの授業を終了することができた。

 次に入学試験の実施に向けては、受験生の現住所を調査した結果、交通が途絶している地区からの応募者は1割弱であったため、予定どうり行えると判断した。筆記試験については校舎では実施できないと判断し、2課程ともに会場を借り、面接試験については面接方法を変えて実施することとした。教育関係機関の協力を得てファックスを流がし、県の広報としてテレビも活用して試験情報を受験生の学校(准看護婦養成所,高校)に流すことができた。その結果、当日の欠席者も例年と同じ程度で無事試験を行い、合格発表も予定どうり行うことができた。

 学院は教育機関としてでなく、県の行政職としての機能、役割も果たさなければならなかったため、職員の当直を実施した。しかし、避難所緊急パトロールの開始や、入学試験、病院実習の実施のため2月22日からは学院長を含む監督職以上で当直,日直を行った。

2)学生の安全と教育のために

   寮の使用禁止と解体撤去の決定に伴い、寮生に対し次のような学生指導、援助を行った。1.学生の生活の場としての実習室の整備,2.余震時の避難先の確認と避難時の注意などの指導,3.余震に備えた避難物品の準備、安全確認、身のまわりの整理整頓などの生活指導,4.食生活、睡眠、清潔などの基本的ニーズの充足への援助などである。

 カリュキュラム運営については1週間の休校の後、入学試験と卒業式は予定どうりの日程で行うこととなったが、その他は各課程とも大幅に延期したり、方法を変更しながらも震災の状況を受け止めた学生、教員、院外の講師の協力のもとに無事実施することができた。

3)教訓と今後の課題

 学院では1994年度までは、定期的に寮,学生を対象に火災訓練を実施し、大雨洪水等の警報発令時には県職員としての地方防災計画の動員計画に沿うよう、防災体制をとっていた。今回の教訓から、あらゆる災害に備えてのマニュアルづくりの必要性を痛感し、現在取り組んでいる。職員の危機管理体制については、兵庫県の危機管理体制を基本に 1.職員の緊急連絡網の見直しと新作成,2.災害時の職員ごとの最寄りの県機関所属所名簿と参集所属一覧の作成,3.災害時の職員の心がけ,災害時における職員の出勤について,災害時の参集場所、配備体制、人員,勤務地での電話の使用法が示された「災害対策カード」の配布,4.広域防災訓練の実施の以上4点に着手している。

 学生の危機管理体制については、1.住所、連絡先の確認と連絡網の徹底,2.災害時の避難場所の提示と現地の確認,3.避難時の対応として学生への通報、誘導、安全な避難のための組織づくりを急いでいる。さらに、災害時に看護学生の能力を活かすため今まで以上にボランティア支援体制を組むとともに、自治体,看護協会,近隣施設などとの連携によるネットワーク作りを進めている。

 大震災を通じ看護基礎カリキュラムについて、看護職としての学生の体験からの希望も参考に救急蘇生法の講義,実技の強化、心のケアやカウンセリング能力の強化、防災訓練の実施の3点について検討をして行く事を考えている。

4)おわりに

 大震災を体験して得た学びは大きく、今後の学生指導や看護教育で活かして行かなくてはならない事は多い。災害時の看護者としては、自ら判断し冷静に行動することが要求される。自己の健康を管理するとともに強靭な精神力をもち、看護の本質である対象の痛みの分かる人を育てて行かなくてはならない。また、看護者として何ができるかの前に、人間として、仲間として、地域住民の一人として何ができるかを自ら考え行動できるように、看護基礎教育の中で考えて行きたい。


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