診療のボトルネック(吉永和正、丸川征四郎・編著 経験から学ぶ大規模災害医療、大阪、永井書店、2007、p.300-308) |
大災害発生直後の医療機関の主な役割は、災害現場への医療支援と現場から搬送される患者の受け入れである。急速に患者数が増加する中で受け入れに支障をきたすのは、患者数やその重症度(需要)が医療機関の対応能力(供給)を超えた時点である。医療機関の対応能力の相対的低下は単に受け入れ窓口にとどまらず、収容後の診療の流れの中でも滞る状況が発すると起こるものである。診療のプロセスのどこか一ヶ所が滞ると医療機関全体の律速要因となる。このような場所を災害診療におけるボトルネックと呼ぶ。平成17年4月25日(月)に発生したJR福知山線列車事故を例に、災害診療のボトルネックの実情とその対策を考える。
JR福知山線列車事故は107名の死者と555名の負傷者が出た。このうち113名が兵庫医科大学病院に搬送された。39名は入院、74名は外来受診。入院患者39名中4名が死亡し、他はすべて転院した。対応経過を以下に示す。
09:18 | 事故発生 |
09:33 | 尼崎消防より受け入れ要請 |
09:40 | 病院集団災害受け入れ要請 |
09:53 | 第1症例救急搬入・帰る救急車にドクターカー同行 |
10:00 | 尼崎消防へ制限なく受け入れを伝える |
11時台 | 警察バスによる大量同時搬送(50名程度) |
12:00 | トリアージポストの解散 |
14:00 | 入院患者の回診 |
15:00 | 第1回記者会見 |
16:30 | ドクターカー帰院 |
ボトルネッックの改善には各部門で多くの対策が必要である。各部門でのボトルネックとなる問題点と具体的な対応策をインフラ整備、システム改善、運用方法の変更という視点から以下にまとめた。
部門 | 問題点 | 改善 | ||
インフラ | システム | 運用 | ||
事務 | ・トリアージポスト準備数 ・患者数把握の遅れ | ・セットの増加 ・パソコンの準備 | ・訓練の強化 | |
トリアージポスト | ・患者情報の把握 ・トリアージオフィサーの人数確保 ・トリアージオフィサーへの情報 ・トリアージオフィサーの服 ・車の流れ | ・救急センターの位置の再検討 |
・トリアージチームの編成 ・現場へテレビ、パソコンを置く ・目立つベストなど ・警察との連携 | ・訓練の強化 ・追加訓練 |
救命救急センター | ・受け入れスペース | ・構造の改築 | ・ICU、病棟への早期振り分け | |
放射線 部門 | ・診療現場での撮影
・撮影フィルムの流れ ・外来撮影部門の混乱 |
・ポ−タブル撮影機を配置
・手書き伝票の約束 |
・ポ−タブル撮影への技師の複数配置
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手術室 |
・予定のための患者把握 ・効率的対応 | ・本部情報の把握、情報共有 |
・予定手術との対応の専任 | |
病棟 | ・病態把握の遅れ ・責任体制が不明確 | ・情報把握システム | ・病棟の責任医師を決める |
JR福知山線列車事故は災害医療いう視点から考えると、対応のやさしい災害であったといえる。発生場所は阪神間で、近隣に高次の救急医療機関が多数集まっており、阪神・淡路大震災を経験した地域ということで災害に対する意識も高い。医療機関自体は何ら被害を受けておらず、病院機能はまったく正常に保たれていた。月曜日の午前中ということで、医療機関の人的資源は最も確保しやすい状況であった。天候は晴れで、現場の救助活動やヘリコプター搬送にも支障はなかった。負傷者はほとんどが鈍的外傷であり、熱傷、中毒など特殊な対応を必要とするものはなかった。その中でさえ診療上は多数のボトルネックが存在した。これが夜間、休日で汚染を伴うような事故であれば、ボトルネックは何倍にも増えることが予想される。上記で示したボトルネックは最低限、整備しておかなければならない。
平成19年10月〜平成20年2月の間に3都道府県からの9災害拠点病院等(うち7病院が兵庫県下)を、災害医療に上水の使用者として調査対象とした。
(1)給水方法:公共水道、井戸水、および両方の使用
(2)独自水源の保有状況:井戸、雨水利用システム、簡易プール、簡易浄水器、その他
(3)配管系統システム:1系統の配管(従来型)、2系統の配管(上水用、雑用水用の2系統の配管を受水槽からすべて独立分離し、災害時には雑用水用の系統を上水用に切り替えるシステム)
について、文章によるアンケート調査を事前送付し、結果を基に各施設担当者に聞き取り調査を行った。
2. 神戸市水道局の地震対策について(阪神・淡路大震災時、および震災後)
平成19年12月〜平成20年1月の間に上水の供給側である神戸市水道局に対して
(1)給水の供給方法について
平常時は公共水道のみが7施設、公共水道と井戸水の併用が2施設であった。
(2)独自水源の確保状況
井戸施設を保有している施設は4施設で平時でも上水として利用している施設は前述した2施設、雑用水としている施設は1施設、災害時のみ上水として使用する施設が1施設であった。
井戸水システムを保有せず、雨水利用システムを保有している施設は2施設あり、雑用水として使用していた。その他の独自水源を保有している施設はなかった。
(3)配管系統システムについて
1系統の配管システムを使用している施設は6施設、2系統の配管システムを使用している施設は3施設であった。2系統の3施設のうち雑用水用系統に水道局からの上水のみを利用している施設は1施設で、残り2施設は雨水利用システムを利用していた。
2. 神戸市水道局の地震対策について(阪神・淡路大震災時、および震災後)
(1)阪神・淡路大震災時の対応
医療福祉施設に加圧ポンプ付きタンク車を配置し、病院への通水確保や応急復旧を優先した。また、病院を給水拠点とする災害応急対応を行った。
(2)阪神・淡路大震災後の災害対策
水道局の「地震対策マニュアル」で医療機関、福祉施設、その他自治体や国の機関を重要公共施設と定めていることが分かった。具体的には病院、医療福祉施設をリストアップしていて、行動マニュアルによって給水タンク車や給水容器による運搬給水や応急復旧の順序を決めている。ただし医療福祉施設の支援に向かう特別チームは構成されていない。
広域災害発生時の災害拠点病院では上水確保の手段として、2系統配管による雑用受水層に濾過装置を設置する方法がある。また濾過装置を設置しなくても2系統配管システムを用いることにより、大規模災害時には雑用受水槽に、池、湖、プールなどの臨時雑用水源からの水を用いることで機能低下に至るまでの時間を引き延ばすことができる。さらに病院独自の水の供給源からの水を用いることで、早期の機能低下の抑制や水の供給を早期に平常時に近い状態まで回復することができる可能性がある。逆に1系統配管システムで独自の水供給源を保持していない病院には今後優先的に対策を講じることが重要である。
本研究では水の供給に焦点を当てたが、水の使用を制限した医療についても考慮が求められ、調査研究が必要である。また、災害時の病院における水利用ではトイレ用水が増加する。そこで備蓄水として雑用水に注目することも重要である。
災害時の被害の現象は、社会や人々の暮らし・医療のあり方の変化により、近年複雑化してきており、被災者のニーズも多様化してきている。人的・物的に制限された災害現場で医療ニーズと看護ニーズの違いや災害サイクル別による看護ニーズの変化などについて学ぶこととする。
また、対象者が体験している出来事も平常時とは大きく異なる。家族の生命危機のみならず、家や財産の喪失、友人や知人の喪失など計り知れないストレスに曝されている。
看護の立場の人間も、対象者と同様に被災者となる。そのような環境におかれても、看護師として平常心を保ち、できるだけ多くの被災者への関心と気遣いを示すことは看護としての重要な意味を持つ行為である。このような態度を示すことで、被災者にとってたとえわずかでも救いになるものだと思う。
看護師は専門的な知識を生かして、健康問題に関連した反応への介入や治療計画を個々の患者の日常生活に適応させるように働きかける。また、患者自身や患者の家族が自分の置かれている状況に正しく対処できるように導くのも看護師の仕事である。
●災害急性期の看護ニーズ
医療従事者が絶対的に不足する災害急性期には、患者自身、またはその家族が、適切な健康管理行動を取れることが必要となる。したがって、看護師は診療の補助をすると同時に、健康管理指導を適切かつ簡潔に行うことが重要である。災害時には被災者の反応に応じた指導の工夫などが必要となってくるので、災害サイクルの静穏期に準備しておくことが重要である。
災害初期の看護ニーズとしては救命処置、トリアージ、創傷処置や安否確認などの一人でも多くの救える命を守るための救急対応の援助が中心となる。一方、中長期では慢性疾患患者への指導、環境整備、防疫、慢性ストレス症状などへの対応が必要となってくる。
2.被災者の実態把握
災害時にはどの時期においても常に被災地の全体像を把握することが重要である。その地域の現状とケアの必要な人々の実態を確実に把握し、自立を支えるための社会資源の調整が重要となる。
3.避難所・仮設住宅・在宅生活者への活動
避難所ではコミュニティーの形成に配慮する必要がある。また、不衛生になりやすいので高齢者や傷病者、乳児などに注意を払う必要がある。
仮設住宅ではコミュニティーが形成されにくい。個々の住民への生活状態の確認と精神面への配慮が必要になる。
在宅生活者は生活力や精神力、財源などによって、個々の生活の安定が異なってくるので、定期的な健康状態の把握や相談窓口の充実が必要である。
4.心理面への対応
災害は、被災者および援助者に大きなストレスを与える。身体症状や精神症状は多彩であり、出現時期も多様である。災害から日常へと戻るプロセスで住民の明暗がくっきり分かれ、ストレスが継続し、それに伴って身体症状も慢性化していく。
災害発生時に強い心的衝撃を受けた場合、災害発生後にも何らかの精神的な反応が続くことがあり、後遺症として続くことを心的トラウマという。
まずは、被災現場の状況の把握を行い、被災者のそばに寄り添い信頼関係を形成することや親身になって話を聞くことが重要である。また、日々の変化を把握し、生命への危険を感じた場合は速やかに対処するべきである。
職員やボランティアの心身・健康管理も重要になってくる。健康診断や相談の機会を増やして、健康を損なわないような対応が大切である。
1. 成り立ち
2. 組織構成
このうち医療チームに登録している隊員(JMTDR)は、医師199名,看護師322名を含む733名である。職種は、医師,看護師,救急救命士などの医療従事者であるが、そうでなくても調整員としての登録が可能。JMTDRの管理・運営はJDR事務局が行っている。年3回、隊員の質の向上を目的に中級研修会を行っている。
3. 活動
JDR派遣までの流れは、以下のようになる。
被災国からJDRの派遣要請
メンバーは21名で、派遣期間は原則2週間となる。JDRの診療は、基本的にはテントを張り、フィールドクリニックにて行う。また現地では、現地災害対策本部あるいはOSOCC(臨時現地事務所)が主体となって開くドナーミーティングで各医療チーム間の連携をとり、より効果的な医療支援ができるようにする。
4. 今後
最近10年では、死者75万人、被災者21億人という被害の8割がアジア地区に集中している。また、近隣諸国の大規模災害においては、多数傷病者受け入れと同時に重篤な患者にも対応できるようにならねばならない。よって今後の課題は以下の2点となる。
国内外で起こる災害に対して医師・看護師・調整員らを派遣し、支援活動を行うことを目的に2003年NPO法人として設立。
2. 活動理念
3. 組織構成
HuMAの立ち上げは、JDRの中心メンバーとして長年世界各地に飛んで災害救援医療活動を行ってきた人が中心となっている。
登録メンバーは、医師66名、看護師135名を含む合計249名。
4. 活動
災害現場の活動に加え、平時においては、医療機関・教育機関・行政・企業などの災害対策に関する受託事業,災害研修の開催,講師派遣,災害医学研究,出版,国際保健医療協力活動を行っている。
大規模災害時における医療活動の支援(被災地での救命救助活動に必要な人材確保し、効率的に活動してもらう)を主な目的として1998年に行政・医学会・企業の有志が中心となって研究会が発足。2000年NPO法人として認証された。
2. 活動
JVMATが他の災害医療NPOと違う点は、医学会・行政・NPO・企業といった各セクターが対等な関係のもとで、それぞれの得意分野を出し合い、災害医療活動に役立てるというスタイルをとっているところにある。
医療機関を協力病院、医療従事者を医療アクティブメンバー、一般市民,NPO団体を一般アクティブメンバーとして登録し、災害時、被災地における素早い救命救助活動が行えるような運輸、情報等のインフラ構築をJVMATおよびその協力団体を中心に展開する。その結果、メンバーは自分の得意分野を救助活動の中で活かすことができ、より円滑で、効果的な支援を可能にする。
JVMATの大きな特徴は、支援企業が登録されていることにある。JVMATの支援企業が、従来型の社会貢献活動(寄付行為、炊き出しなどの支援など)に加え、本業分野での本格的な支援活動を行うことにより、企業による大規模で柔軟かつ継続的な災害医療および支援活動が展開できる。
以上のように、医療従事者・行政・企業など、多数のスタッフとの連携と役割の分担を図ることがJVMATの使命である。
災害時の医療機関の機能維持に関する調査―水の供給途絶を防ぐ―
(武井英理子ほか、日本集団災害医学会誌 14: 174-180, 2009)
I.はじめに
II.方法
(1)阪神・淡路大震災時の対応
(2)阪神・淡路大震災後の災害対策
について、アンケート調査及び聞き取り調査を行った。III.結果
IV.考察
V.まとめ
その時あなたは何ができる
(石井美恵子ほか、小原真理子ほか監修 災害看護、東京、南山堂、2007、p.74-83)
A.災害急性期の看護と救急看護の違い
B.災害急性期の医療ニーズと看護ニーズ
C.災害初期とは異なる災害中長期の看護ニーズ
各種支援団体(国際緊急援助隊、HuMA、JVMAT)
(小井土雄一ほか、山本保博・監修 精神・中毒・災害、東京、荘道社、2007、p.229-238)
■国際緊急援助隊(Japan Disaster Relief Team:JDR)
1979〜1982年 ・カンボジア難民支援(日本における災害医療の歴史の始まり)
…当時、災害に対する医療チームのなかった日本も日本政府医療チームをカンボジアに派遣。日本で始めて顔の見える支援として評価を得た一方で、人的派遣が大幅に遅れたことなど多くの問題点が残った。1982年3月 ・国際救急医療チームの創設(Japan Medical Team for Disaster Relief :JMTDR)
…医療関係者を現・国際医療機構(JICA)に登録し、訓練・備蓄をし、災害に迅速に対応するシステムを作った。1987年 ・JDRの派遣に関する法律施行 → JDRの結成 1992年 ・国際平和協力法(PKO法)の施行
自然・人為災害 → JDR、難民支援 → 内閣府PKO事務局
・JDR法の改定:自衛隊の派遣が可能となった
→ 外務大臣によるJDRチームの派遣決定
→ JICA・JDR事務局に派遣命令
→ JDR事務局が、JMTDR登録者に派遣依頼・チーム構成
→ 48時間以内に出国■HuMA(Humanitarian Medical Assistance:災害人道医療支援会)
■JVMAT(Japan Voluntary Medical Assistance Team:日本災害医療支援機構)