災害医学・抄読会 100115


広域緊急医療における効率運用のための情報化の課題

(庄野 聡ほか、日本集団災害医学会誌 14: 147-156, 2009)

 平成16年度にDMAT(Disaster Medical Assistance Team)が組織されて以降、能登地震、中越沖地震等に見られるように、災害緊急医療体制は急速に進歩してきている。日本のDMATは、災害急性期(48時間以内)に活動できる機動性を持った、トレーニングを受けた医療チームである。

 DMATが着実にPreventable deathsを減少させるためには、各DMAT相互間はもとより、災害拠点病院(群)、行政機関、消防、警察、自衛隊などとのネットワーク形成を基盤とする運用体制(ネットワーク・セントリック・オペレーション;NCO)の構築が必要である。NCOは、標準化された行動基準または共有化された思考過程にしたがって可能な限り現場の部隊が自律的に状況に応じた判断、行動を実施し、情報を共有し、最低限の統制をすることで結果的に全体として調和がとれた活動を行うことを目指している。従来の運用では、大規模な組織を一つの指揮命令系統だけでコントロールするため、大規模であるが非常に遅く、一定の時間が過ぎなければ効果が表れず、階段状の効果となる。一方、NCOによる運用では、各部隊の自立励起的な個別行動によりながらも情報が共有されるため、センサーの多重化による情報の確度上昇とプロセスの共有による遅滞減少により、効果が曲線状に上昇する。また、効果が不十分な場合もそれを補う行動が直ちに行われるので、さらに効果が上昇する(Fig.1)。

 災害活動では、多種多様な組織やグループが活動に参加するため、単一の指揮系統で活動を行うことは困難である。災害医療活動では、刻一刻と変化するニーズとその優先度を災害活動全体で共有されることが必要であり、医療活動以外のニーズ(被災者の生活物資や安全確保のための緊急復旧など)と調和がとれた活動が必要である。したがって、基本方針とルールの徹底と高速な情報共有により結果的に全体として調和のとれた活動を行うというNCOが災害活動に適応できる。

 災害医療におけるNCOには、ネットワークの形成に加え、DMATを含む個々の機関での整合性を有する情報化が必要である。情報化の進展には、情報収集、情報集約、情報伝達、意思決定支援(必要情報の抽出と分析)という4分野がある。これらの4分野について、該当する既存技術・システムの状況と、新たに必要となる技術や装備を災害医療活動の組織化の観点から検討した。

 まず、情報収集は、NCOでは情報を集めるセンサーに相当するもので、電話やファックス、病院内の患者管理システムなどがある。また、災害時患者情報登録システムや患者トラッキングシステムなどの報告も散見されるが、実災害での検証は十分に行われていない。次に、情報集約は、無秩序に流れてくる情報を短時間内に整理し、情報の使用者が必要に応じて取り出せるようにすることで、従来からの方法としては、送られた情報メモを壁に整理して並べる、表や地図に書き込むなどがある。近年、地理情報システム(Geographic Information System;GIS)の技術なども使われるようになってきている。GISでは地図上に直接表現するという情報の視覚化により、距離と位置関係とともに全体像を直感的に把握することができる(Fig.2)。次に、情報伝達は、情報を流すための信頼性のある通信路を確保する技術であり、従来の通信技術とともに、通信衛星を介したデータ通信や、通信衛星電話を中心にしたローカルエリアネットワーク(LAN)、長距離の無線LANなどが検討されている。最後に、意思決定支援は、集約された情報を分析し、意思決定に直接結びつくように情報を分析・加工する技術である。これは、他の3つの技術に比べ、災害医療を含む災害活動では一般的な具体例が少なく、今までは人間の勘や経験に頼ってきたものと考えられる。今後、予測システムや標準化された活動の判断の自動化、さらに意思決定権限を効率よく委譲または分配を行うシステムなどの技術が研究・開発されることが期待される。

 装備化を中心とする情報化施策がDMATの運用を効率化するためには、技術的課題の他、DMAT等の運用組織に情報要員を配置・強化する等の組織変革も必要である。技術開発のみならず運用体制を含めた情報力の向上と災害活動全体のNCO化により他機関との柔軟な連携が可能となり、DMAT含む広域緊急医療の高度化につながると考えられる。



外傷を伴う災害

(小澤修一、丸川征四郎・編著 経験から学ぶ大規模災害医療、大阪、永井書店、2007、p.387-398)

はじめに

災害(Disaster)とは…

 「PICA(potential injury creating events)=外傷が引き起こされる可能性のある出来事」―Koenig

 人が死んだり、傷つかなければ災害と呼ばないのが普通である。災害が起きれば死に至る重傷から、放置しても自然治癒する軽傷までさまざまな外傷患者が多数発生する。

 災害の種類、場所、時間帯によって受傷機転が異なり、外傷の形態も変わる。

 外傷治療は、最大、最悪の人為災害とも言える戦争によって発展してきた。人をいかに大量に効率的に殺傷するかと、いかに多数を効率的に救命するかは表裏一体の関係である。

 自然災害

風水害は予知可能で、適切な避難誘導が行われれば負傷者の数を極端に減らすことが可能。
 地震は最も予知が難しく、外傷患者の発生が多い(阪神・淡路大震災、イランバム地震、
 スマトラ島沖地震、パキスタン北部地震など).

 人為災害

戦争を除き局地災害であるため、医療機関は被災しておらず、適切な現場対応、重症者の分散搬送、搬送先病院での高度治療が可能(JR福知山線列車事故、日本航空ボーイング747 SR-100航空機事故、高速道路事故、海難事故、工場爆発事故、大火災、自爆テロなど)

阪神・淡路大震災(1995年1月17日午前5時46分発生)

 自然災害と外傷との関係が本格的に調査され、その検証が行われた。

 人的被害は死者6,398名、負傷者40,082名

災害現場での医療

Phase 0 発生直後の時期

 被災地外からの救助が間に合わず、負傷者の救出および応急手当は、負傷を免れたか軽症の一般市民が行う(医師、看護師も含む)。

[Live Saving First Aid]

  1. 外出血に対する出血部の直接圧迫止血処置

  2. 意識が清明なショック状態の負傷者に対する背臥位での両足挙上

  3. 意識障害のある負傷者に対する頭部後屈あご先挙上+開口による気道確保

  4. 必要に応じて行う、口腔、咽頭内の用手的異物除去

  5. 低換気や無呼吸状態の負傷者に対する口対口人工呼吸による呼吸の補助

  6. 呼吸は維持されているが意識障害のある負傷者に対する側臥位での頭部後屈(回復体位)

  7. 瓦礫の下などから救出する場合の、頭部−頸部−胸部を直線状に固定する脊柱保護

  8. 脈拍の触れない負傷者に対する胸骨圧迫心臓マッサージ

Phase 1

救急隊などが被災現場に入り、負傷者を現場近くの安全な場所に移し、駆け付けた医療従事者とトリアージ、トリートメントが行われる。

Phase 2

被災地に専門的な救助体制が整備され、組織立った負傷者の後方施設への搬送が可能となり、安全な場所に設営された救護所で医療活動が行われる。

まとめ

 災害時急性期の外傷に対し、避けられたはずの死を減らすべく、日本版DMAT (Disaster Medical Assistance Team)が本格的に始まろうとしている。その中で、現場、被災地内病院、空港におけるstaging careなどにおける外傷治療が体系化されようとしている。

 救急医としては、ドクターカー、救急ヘリなどでの現場活動、病院内での、初期、決定的治療、集中治療に日頃から慣れ親しんでおくことと、災害はいつでも起こりうるものとして常にイメージトレーニングしておくことが大切である。



災害看護

(森田夏代、山本保博・監修 精神・中毒・災害、東京、荘道社、2007、p.243-248)

 災害看護とは、日本看護協会によって「災害時に私たち看護に携わるものが、知識や技術を駆使し、他の専門分野の人々との協力のもとに、災害を及ぼす生命や健康生活への被害を少なくするための活動を展開すること」と定義されている。災害看護では、一時的な身体的損傷や生活環境(住居など)の損傷にとどまることなく、生活環境の変化に伴う健康障害や社会機能の低下などによる二次的な被害に対応する必要がある。また、災害看護はあらゆる場所で行なわれ、あらゆる人が対象となる。その中には、被災者となった自分が含まれることもありうる。このような特殊な状況下での看護は、通常の看護活動とは大きく異なる。

  災害看護には、1)看護実践力、2)的確な判断、3)行動力、4)リーダーシップ、5)状況に応じた柔軟な対応能力、6)人間関係の調整能力、7)豊かな感性という能力が必要とされる。また、この能力と同時に、災害看護ではケアを提供する看護師側にも多大なストレスがもたらされることが予測されるため、自身の心身の健康管理や維持も重要な要素の一つとなる。

 次に、必要とされる看護領域は災害の経過とともに変化する。表1に災害の経過と必要とされる看護領域の対応を示す。急性期には、3T〔トリアージ(Triage)、応急処置(Treatment)、搬送(Transportation)〕に沿った看護を展開することが重要となる。看護管理としては、災害発生直後の混乱を防ぐため他機関関係者との協働や初動体制の立ち上げが重要となる。亜急性期では、急性期を脱した術後患者・透析患者の看護や災害特有の外傷を受傷した患者の看護を展開すると同時に、慢性疾患患者は、被災により内服薬の中断や食事療法の維持が困難になるなど、生活環境の変化などを誘因として、症状が悪化する危険があるため、慢性疾患患者の急性増悪に対する観察と予防・指導が重要な看護となる。慢性期では、身体的な看護は継続されるが、同時に精神面での看護(こころのケア)が重要になる。

 そして、災害発生時に看護師がとるべき行動も、災害発生時にどこにいるかによって変わってくる。在宅時に災害が発生した場合には、まず自身と家族の安全を確認する。そのうえで、所属施設の出勤の判断基準に従い、出動を決定する。出勤が不可能な場合には、自宅近くの医療施設や救護・避難所での看護を行なう。勤務時に災害が発生した場合には、まず自身の安全を確認したうえで、所属する病棟の患者の安全確認を行なう。安全確認では、1)患者に使用している医療機器が正常に作動しているかどうかを確認する、2)患者の被災状況(負傷者の有無・程度)を確認する、3)患者の精神的な動揺(パニック状態)の有無・程度を確認する、4)病室内や病棟内の設備の点検を行い、二次災害を予防する、という4つのことに注意し行なう。

 また、災害による被害やその程度は予測が不可能であり、規模により通常の範囲内での救急医療体制では対応できないことが予想される。このため、災害看護は対象となる患者数が、取り扱う医療機関の受け入れ能力を上回る場合に展開される。逆に、対象となる患者数を上回る医療機関の受入れ能力があり、一人ひとりの対象に対して、集中して高度な医療が提供できる状況で救急看護は展開される。したがって、災害看護を展開するか否かの判断は、対象者数と医療機関の受け入れ能力から判断するといえる。

 最後に、看護部では災害発生時に所属病棟でリーダーシップが発揮できる看護師を育成する目的から、専門看護コースの一分野として災害看護教育を行なっている。

〈表1〉

  1. 急性期:災害発生直後〜1週間以内
     救命救急看護、トリアージ、手術室看護、透析看護、外科系看護、緊急時看護管理

  2. 亜急性期:災害発生後2〜3週間以内
     内科系看護(特に慢性疾患看護)、外科系看護、感染症看護

  3. 慢性中期:災害発生後数週間〜3ヶ月以内
     精神看護、地域看護(感染症看護・保健指導)

  4. 慢性後期:災害発生から3ヶ月以降
     地域看護(自立支援や健康生活支援)、精神保健看護、リハビリテーション看護



ミャンマー連邦サイクロン被害に国際緊急援助隊の一員として派遣されて

(川村 透、救急医療ジャーナル 17巻6号、p.59-66、2009)

 私の勤務する三重県松阪地区広域消防組合は、平成13年度からJICA国際緊急援助隊医療チーム(以下、医療チーム)への救急救命士の登録を行なっており、これまでに3度、海外の地震災害地へ派遣している。このたび、平成20年5月に発生したミャンマーサイクロン災害に、医療チームの一員として派遣されたので、その活動内容を報告する。

 ミャンマーでサイクロンによる災害は平成20年5月2日から3日にかけて発生した。しかし、ミャンマー政府が国際支援受け入れを決定するまでに時間を要したため、私が参加した医療チームは災害発生から4週間近く経過してから現地入りした。現地入りした人員は医師4人、看護師7人、薬剤師2人、レントゲン技師1人、臨床検査技師2人、救急救命士1人、業務調査員6人の計23人で、主な携行医療機器は超音波エコー、レントゲン、臨床検査キット、その他診療処置キットである。

 以下現地での活動状況を記す。

 平成20年5月29日の現地時間17時05分にミャンマー連邦ヤンゴン国際空港に到着。我々の活動場所は、ミャンマー南部の海岸地帯に近いラブタという町だが、心配なことにミャンマー国内でもラブタという町の状況がほとんどわからなかった。5月30日の早朝ラブタに向け出発し、300kmの道のりを12時間以上かけて移動し、宿舎に到着したのは19時であった。5月31日の8時には活動拠点となるスリーマイルキャンプ向けて出発し、8時30分に到着、サイト設営場所選定、関係者との協議を行ったのち、診療活動の拠点となる十字テントの設営を行い、午後から診療を開始。この日は63人を診察した。発熱・下痢を訴える小児が多かった。また、診察の結果、骨折の疑いがある患者が数名いたことから、翌日にレントゲン検査の施設を設置することとなった。

 6月1日、新たにエアーテントを設営してサイトを拡張するとともに、レントゲン室専用のテントも設置した。診察患者数は114人。下痢と脱水症状の患者が多い。また、結核感染者が意外に多かった。重症のマラリア疑いの患者がおり、ラブタ市内の病院に搬送した。6月2日、業務に慣れてきたこともあり、スムーズに診療が可能になったため160人の患者を診察することができた。6月3日、診察患者数169人。てんかん発作による転倒で舌をかんだ患者が運ばれてきた。適切な外科治療を施し、大いに感謝された。6月4日、診察患者数159人サイクロンの高波にあい、5歳の子どもを肩車したまま約10時間ヤシの木にしがみついて助かった妊娠7ヶ月の妊婦が、胎児の状態を心配して診察に訪れた。エコー検査の結果、胎児が元気であることがわかり大喜びをしている姿に、こちらもうれしくなり拍手喝采した。

 6月5日、診察患者数142人。極度の栄養失調と肺炎と診断された3歳の女児が点滴処置中に死亡した。7件のインフルエンザ検査で5件が陽性。23件のマラリア検査で8件が陽性。うち2名はインフルエンザとマラリアの併発であった。6月6日、診察患者数147人。血液検査で麻疹1件陽性、デング熱1件陽性、マラリア7件陽性。X線検査を8件実施した。6月7日、診察患者数164人。遠方からの患者が増加し、診療内容も慢性疾患の相談等が目立つようになってきた。6月8日、診察最終日で11時過ぎに診療を終了、診察患者数84人であった。診療活動終了後、我々が診療に使用したテント・自家発電機・医療器材(レントゲンを除く)などの設備をすべてラブタ地区保険所に引き渡した。今後は、そのまま地元の保健所職員が診療を継続していくこととなった。

 このように診療活動を5月31日から6月8日の9日間行ない、連日150人前後もの患者が訪れ、最終的な患者数は1202人に至った。数字の上では大きな診療ニーズがあるように思えるが、その症状としては、上気道炎、外傷・関節炎、下痢、精神症状などが多く、本来、日本の医療チームが目的とする「災害後急性期の医療ニーズに対応する」という面においては、やや方向性の違った活動となった。

 ミャンマーでのサイクロンによる被害は死者・行方不明者13万人以上、被災者240万人以上と記録的な大災害であり、医療チームの診察した1202人という患者数は、微々たる数のように思えるが、日本の医療チームが最も被害の大きい地域に入り、医療活動を行ったという事実については非常に意味があったと考える。そして今回のミッションを通して私の心に残ったことは、ミャンマーの人々の純朴さ、温かさ、そして力強さである。この印象はミャンマーという国の硬いイメージを根本的に変えるものであり、私の心を打つものであった。

 帰国後のこの1年間、ミャンマーでの医療チームの活動をとして自分が経験したこと、感じたことを一人でも多くの方に伝えたいと思い、講演開等に取り組んでいる。このことが、住民の防災意識の高揚に少しでもつながればと願っている。また、私たちの住む地域でも台風の来襲や大地震の発生など大災害が予想されており、医療チームでの経験を糧に、有事の際には応急救護所の設定や運営、また負傷者等の救護などに役立て、微力ながらも今後の消防業務に貢献していきたいと思っている。


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