災害医学・抄読会 090911

災害拠点病院体制とその現状

(原口義座、丸川征四郎・編著 経験から学ぶ大規模災害医療、大阪、永井書店、2007、p.104-117)


〔1〕災害拠点病院としての災害時の活動概要

 災害拠点病院として災害時の動きは被災地域内と被災地域外に分けられる。

【被災地域内の災害拠点病院について】

  1. 物理的破壊(一次被災)
  2. 有毒物質などによる汚染(二次被災)
  3. 患者と患者家族の被災
  4. 医療スタッフと家族の被災
  5. 被災者・負傷者が押し寄せる
  6. 4.と5.によりマンパワーが絶対的相対的に不足する
  7. 医療資源の不足枯渇

 被災地域内の災害拠点病院は1.〜7.のような状態で中心的役割を担わなければならない。

【被災地域外の災害拠点病院について】

 義務的に医療援助に加わることが求められる。

〔2〕医療施設の被災の現状

【被災地域内医療施設被災の実例】

〔3〕災害拠点病院構想と災害拠点病院の役割からみた医療施設の基本

●災害拠点病院構想

 基幹災害医療センターと地域災害医療センターからなるシステムで、541施設が 指定されている。基幹と地域の違いは前者が災害医療要員の訓練・研修機能を有する こと以外は基本的に同様。
 役割は表1、表2のとおりで災害拠点病院以外でも災害医療を考える上で参考になる。

〔4〕基幹災害医療センターおよび地域災害医療センターの準備体制の現状

 2004年に行われた新潟県中越地震では災害拠点病院から被災地への援助に医療班を 派遣した施設が極めて多数あった。150以上の災害拠点病院から応援医療チームが 駆けつけたのは全国的な医療活動の援助展開の元年。

〔5〕災害拠点病院を中心とした医療施設の耐震性

  1. 1981年の新耐震設計施行より古い時期の施設は建築面で不十分である可能性が大。

  2. 増築改築を繰り返した施設も少なくない。建築物間の継ぎ目、ライフラインなどの 問題が起こる可能性。

  3. 筆者が平成18年に行った「災害拠点病院」を対象にした「耐震性に関するアンケート」では、耐震性に関して約70%が法的に満たし、全体では90%近くが基準を満たしてはいたが、一部でも免震施設を有している施設の割合は12%程。

  4. 厚生労働省が行った全国病院調査に関する報告でも病院の耐震化済みは1/3と報告されている。

〔6〕これからの「災害拠点病院」に求められる方向性

 ここでは被災地内で被害を伴った状況での活動に焦点を当てる。
 医療施設は第一に医療従事者と患者とその家族を守らねばならない。

●現状を確認し修復・補足する項目→すぐに可能

〔ハード面〕

  1. 施設の耐震性 
  2. 集中治療室・手術室の医療器具は地震の揺れに耐えられるか?  地下階に設置されている重要な医療器具は?(風水害・洪水)
  3. ライフラインの確認
  4. 建物被害時の脱出ルート
  5. 入院患者・家族に災害時の動き方を説明・了承しているか?

〔ソフト面〕

●今後の災害医療のために比較的容易に整備可能な項目

〔ハード面〕

  1. 施設の免震設備
  2. Real time地震情報システム→信頼性から筆者は否定的
  3. 風水害時の被害予想と体制の整備→ハザードマップ・風水害の知識・感染予防

●将来を見据えた医療施設における中長期的な視点からの科学的アプローチ

  1. 自動災害情報伝達・指揮システム

    1)トリアージ結果の自動転送システム

    2)インテリジェント医療施設・ビルディング・都市化
     災害時の医療対応を瞬時にシステム化・通報指示情報を自動的に収集し、医療スタッフ・物品の配分を自動的に決定。都市計画の一部としてシステムを導入する。

  2. 災害ロボット

まとめ

 わが国の災害医療はソフト・ハード面からの整備が欠かせない。「災害拠点病院体制」が 活動をはじめて10年が経過し、「災害拠点病院」への期待は高い。今後は「災害医療学 を科学的といえるレベルに確立すべきである。


JR福知山線列車事故 医療機関の立場から

(鵜飼卓、プレホスピタルMOOK 4 多数傷病者対応、永井書店、東京、2007、p.269-275)


はじめに

 107名の死者と550余命の負傷者をだしているJR福地山線列車事故は、対応から見ると災害医療史上類をみない多くの特筆すべき事項があった集団災害であったといえる。それらは、1)20もの医療機関から医療チームが現場にかけつけたこと、2)医師による二次トリアージが行われたこと、3)その故に現場で黒いタグをつけられた犠牲者が一人も病院に搬送されず、病院の混乱を最小限にとすることができたこと、4)10名以上の傷病者がヘリコプター搬送されたこと、5)重傷者が大阪府下を含めて救命救急センターなど三次救急施設にほぼ適切に搬送されたこと、6)府県を越えた災害拠点病院間の連携が図られたこと、7)confined space medicine (CSM)が行われたこと、8)消防と警察組織がそれぞれに府県を越えて円滑して応援しえたこと、9)病院で死亡した犠牲者を除き、他の犠牲者はすべて法医学の専門家により検死が行われたこと、10)地域の保健所が事故後早期から事故現場と医療機関の情報収集を開始し、また遺体管理に協力したこと、などである。

 1995年の阪神・淡路大地震から学んださまざまな教訓が大いにいかされたとえる。今回、この事故の各病院の対応につき概説する。

1.医療チームの現場出動

(1) 近藤病院(尼崎市内の二次救急病院)

 別の事故の救急搬送に行っていた救急隊員が、救急無線で事故の発生を知り、医師たちに事故情報を伝え、病院スタッフが病院救急車で現場に向かった。9時55分到着。

(2) 兵庫県災害医療センター(兵庫県基幹災害拠点病院)

 尼崎市消防局からドクターカー派遣要請があり、医療チームを即刻出動させた。交通渋滞により10時01分に到着。現場指揮本部に接触して、トリアージポスト(線路の西側)で二次トリアージと応急処置を開始した。多数の傷病者がトリアージポストに搬出されてきて、赤タッグ、黄タッグの継続観察で手一杯となった。このチームの小林医師が現場医療コマンダーとなり関係者に通知したが、全医療チームに徹底はできなかった。第2陣は、ヘリ救急搬送の要因として出発、近くの大成中学校校庭で活動した。無線機や携帯電話など連絡手段がなく現場で活動している先着チームとの連絡もとれなかった。第3陣は、要救出生存者が発見されて救出活動中の医療を行った。

(3) 兵庫医科大学病院(地域災害拠点病院)

 尼崎市消防局からの連絡で事故発生を知って、多数傷病者受け入れの準備を開始していたが、最初の傷病者を搬送してきた救急車が現場に帰るのに同行してドクターカーを現場に出動させた。線路の東側にいた傷病者の救護活動を行った。

(4) 大阪府立千里救命救急センター

 ドクターカーを現場に出動させ、持参した携帯無線機を各チームのリーダーが持ち、以降の連絡が円滑になった。16時過ぎに要救出生存者が発見され、19時30分に再度医療チームを派遣し、夜を徹してCSMを行った。

(5) 済生会滋賀県病院

 厚生労働省からの連絡とテレビ報道で事故の大きさを知り、医療チームの現場への到着したが、遅かったため、他のチームが引き揚げ始めていても現場に残っていたところ生存者が発見され、損壊した列車内に進入してCSMを行うこととなった。さらに生存者が確認されたので、尼崎市消防局を通じて兵庫県災害医療センターのドクターカーに再出動を要請した。

(6) その他の病院

 現場ではなく、直近の尼崎病院、関西労災病院に向かった他の病院の医療チームは、病院の混乱を助け、転院搬送に大いに役に立った。

2.病院対策本部の立ち上げと情報交換

 事故当日、傷病者が搬送された医療機関は55医療施設であり、この聞き取り調査を行った37施設のうち、事故を知って病院内で対策会議を開催、対策本部を設置した医療機関は12施設であった。兵庫県の基幹災害医療センターである兵庫県災害医療センターは断続的に対策会議を開催してドクターカーとの連絡、尼崎病院をはじめ県下の災害拠点病院等の病院との情報交換、大阪府下の基幹災害医療センターである大阪府立急性期・総合医療センターとの連絡などを頻繁に行った。これにより大阪府での病床を確保することができた。事故現場近くの病院は、対策本部などを立ち上げる余裕がなかった。

3.傷病者の受け入れ

(1) 尼崎中央病院(事故現場の直近の医療機関)

 当日98名負傷者が来院、医師23名、看護師30名、事務職員などが対応した。事故直後から自力で来院する負傷者など一度来院し外来が騒然とした。ロビーに臨時受付を作り、緊急ではない患者には帰宅してもらった。病院の付属施設のスタッフ動員し対応にあたった。診察でボトルネックになったのはエレベーターと放射線検査であった。重傷者の転院に困難が生じたが、他施設の応援が役に立った。来院後の死亡例はない。

(2) 関西労災病院(尼崎市内の三次救急病院、現場からの距離4km)

 77名負傷者が来院、医師約30名、看護師40名が対応した。

 尼崎市消防からの連絡で多数傷病者の受け入れの準備を開始していたときに救急車などで次々と搬送されてきた。受け入れ窓口を救急部とし、救急玄関で病院内におけるトリアージを行った。放射線検査は、事故被災患者を優先的に検査した。来院後2名死亡したが、平常時でも救命困難な最重症例であった。CSM careをうけた患者も2名搬送された。衣服が汚れたり靴がない傷病者がおり、帰宅する際に提供が必要となり病衣やスリッパが不足した。

(3) 兵庫医科大学病院

 十分な空床とスタッフがいたため無制限で受け入れると消防局に連絡し、113名が来院した。救命救急センター前でトリアージを行い、赤タッグは、救急救命センター、黄タッグは時間外外来、緑タッグは一般外来と振り分けた。来院後死亡者は、4名。

(4) 県立塚口病院

 52名が来院、医師約17名、看護師60名、放射線技師11名、薬剤師6名、事務職員10名が対応した。診察でボトルネックは放射線検査であった。

(5) 県立西宮病院

 15名が来院、ICUに5名入院、救急医療センターの医師がトリアージとICUで対応し受け入れ体制をとった。

(6) その他の病院

 尼崎市内以外にも西宮市、神戸市、三田市、宝塚市の病院も傷病者を受け入れた。事故当日に55医療機関に負傷者が受診したが、大きな混乱もなく診療が行われた。

 555名の負傷者が多数の医療機関を受診したが、集中治療を要するほどの重症者はすべて救命救急センターないしはそれに準じる救急センターをもつ病院に分散搬送(後送も含め)された。現場で死亡と判断された黒タッグの方は、一例も病院には搬送されず、病院の混乱を最低限にしたことが高く評価されている。

4.広域災害・救急医療情報システムの利用

 兵庫県の広域災害・救急医療情報システム(emis)には、「救急搬送要請」というウィンドウがある。これは、明石花火大会事故の教訓から作られたモードで、中規模の事故などに際しても周辺の医療機関に事故の一報を迅速に知らしめ、効率的な分散搬送を目指すものである。156医療施設と県下15の災害拠点病院に「救急搬送要請」情報が送られ、傷病者の受け入れ可能人数などを入力するようにシステム上警報が作動した。本システムに対する各医療機関の返答入力率が4時間後にはようやく70%に達したものの、30分以内には19%しか応答せず、本システムが必ずしも有効活用されなかったと言わざるを得ない。

5.個人情報の開示

 本列車事故の発生した月から個人情報保護法が施工されたため、各医療機関はその罰則規定に極めて鋭敏になっていた時期であった。したがって、傷病者の情報を公表しようとしない医療機関が少なくなかった。消息を求めて医療機関に問い合わせが医療機関に殺到し、一部の病院では相当の混乱を生じた。


温泉施設爆発事故における東京DMAT(Disaster Meical Assistance Team)の活動報告

(城川雅光ほか、日本集団災害医学会誌 14: 48-52, 2009)


1.はじめに

 東京では事故、災害などで一定数以上の傷病者が発生した場合、東京DMATが出動し現場消防機関と連携して救護に当たることとなっている。都内温泉施設爆破現場においての活動と活動上の問題点について考察を加えて報告したい。

2.事例

 2007年6月某日、14時27分ごろ、都内某温泉施設において温泉くみ上げ施設兼従業員控室が爆発する事故が発生した。この事故で建物外にいた通行人を含む11名が受傷した。内訳は死亡3名、重傷3名、軽傷5名であった。

 14時29分消防覚知、15時に被災者2名の3次救急搬送依頼があり受け入れた。その後、複数の傷病者が瓦礫の下に残っている可能性があり15時30分、都立広尾病院救命救急センターに東京DMATの出動要請があり、15時52分にDMAT登録医師2名、看護師1名が現場に到着した。

 到着後すぐに、瓦礫の下より心肺停止患者1名が救出されたため、医師1名、看護師1名で救護にあたったが、現場での処置は困難と判断したために近隣救命救急センターへの搬送を命じた。他医師1名が消防指揮者より現場での救護依頼を受けた。DMATの活動中、現場指揮所より救出作業の進行状況について情報収集するとともに、安全確保のため周辺にある危険因子の評価に努めた。

 行方不明の要救助者1名の捜索中、軽傷従業員1名が気分不良を訴えたが、安静のみで症状は回復した。救助中、瓦礫の下より要救助者の下肢が見えたため救助方法選択のため生死の判定を迫られたが、下肢のみでは判定不可能であり、生存している前提での救助となった。混乱する現場で救助に対して医療から助言できたのはこの時のみであった。

 残る行方不明者1名も心肺停止の状態で発見され、全要救助者の捜索、救護が終了したため19時に撤収命令があり帰院した。

3.考察

 これまでの現場医師派遣とは異なり、DMATの活動は消防機関の統制下で活動を行い、その活動を行う上で必要な消防機関の指揮命令系統などの仕組みについて教育を受けている点が大きく異なる。また消防機関もDMATの教育に参加し、災害や事故発生時にかかわる諸機関がそれぞれの活動を理解していると考えられる。

 しかし、この活動で我々が認識した問題点は4点挙げられ、1.現場で活動する消防機関と効率的な活動をするための関係構築の難しさ、2.自立した安全確保の必要性、3.現場に投入された医療の役割は何か、4.同一施設でDMAT派遣と多数の患者受け入れを行う人的資源の不足であった。

 1の原因は我々が到着時、現場はすでに消防の指揮下にあり救出困難な要救助者の救助に重点が置かれていたために多忙を極めていた。日常から救急だけでなく、救助隊と各医療機関が合同で訓練を行い、互いの持つ能力について相互理解が必要であり、現場指揮所で十分情報を得るために今より早期にDMATが合流する必要があると考えられた。

 2については、消防との間で安全認識のずれが感じられ、消防機関が安全と判断した場合においても常に自主的に危険を発見、評価しそれに備えるべきであると考えられた。

 Tactical Emergency Services(TEMS)とはテロや人質事件などの現場で傷病者に対する活動以外に、現場で活動する犯人逮捕や救助に対応する警察などの組織が最も効率的に活動できるようにすることを目的としている医療チームである。今回の事故がテロ事件ではないという保証は出動時にはなく、テロ事件であった場合は救助隊を狙った2度目の爆発の可能性もあった。そのためTEMSの概念の導入、教育が今後の課題と言える。

 3については、被災者救護以外に災害救助現場で求められる役割として、生命徴候などから予後を推測し、救命の可能性を判断するSAVE法(Secondary Assessment of Victim Endpoint)などのsecondary triage を施行し、medical directorとして救助方法の決定に対する助言や救助隊自身の不慮の事故に対する対応があるだろうと考えられる。

 4については、東京都では、東京DMAT指定施設の多くが救命救急センターであること、東京DMAT指定施設が2次医療圏ごとに一施設が配置されていることから、DMAT派遣と重症患者の受け入れが同一施設となる事態が生じ、対応困難となる可能性がある。DMATの派遣要請と患者受け入れをどこの施設に要請するのが効率的であるか、検討を要すると考えられる。

 救助と医療が円滑に連携をする上ではさらなる相互理解に努め連携を強化しなければならないと考える。


災害訓練の方法

(菊池志津子、小原真理子ほか監修 災害看護、東京、南山堂、2007、p.200-208)


 災害訓練は、災害想定に基づき実際の動きに則して繰り返し行うことが大切であり、それがいざという時の冷静な行動につながる。

 災害は震災、大事故による多数傷病者の受け入れや化学災害を想定し、訓練は各部署において日常業務の中で行い、医療班はいつでも出動できるようにする必要がある。

 訓練の目的は以下の4点である。

1.多数傷病者受け入れ訓練

1)準備

 以下のことを準備する。病院として災害に関する担当部署や責任者を決めておく。企画委員は前回の災害訓練の反省を活かした訓練マニュアルを作成する。新設部門の担当部署はいつでも立ち上げができるようにしておく。部門別責任者による打ち合わせを行う。全職員対象に訓練の要点についての事前説明会を行う。入院患者へ説明する。検証班(各部署のチェッカー、写真ビデオ班、アンケート作成)を用意する。模擬患者を設定する。

2)訓練

 以下のことを実際の動きに則して訓練する。

  1. 災害時新規開設部門の設置

     トリアージセンター、待機エリア(黄)、救護所(緑)、誘導・案内、家族対応、母子救護センター、看取り室、ボランティアセンターなどを設置する。

  2. 災害レベル別諸運用(トリアージタッグ、災害用カルテ、トランシーバ、ホワイトボード、エレベーター、職員召集・登録)

     トリアージタッグ…複写にし、1枚目は受付用、2枚目は災害カルテ用、3枚目は被災患者用などと決めておく。

     災害用カルテ…赤・黄患者用には簡単な災害時用カルテを準備して、トリアージタッグと併用 するとよい。

  3. トリアージ

  4. 患者受付:トリアージタッグに患者の基本情報を記入し、被災患者の名簿を作成する。

  5. 被災患者の流れ

     赤患者…救急口でトリアージ→赤エリアで処置・検査→手術室または救命病棟へ搬送
     黄患者…トリアージ→処理ゾーンで応急処置・必要な検査→待機ゾーンで待機
     緑患者…院外の救護所で診察→処方→帰宅

  6. 緊急度の変更と対応:常にトリアージを行う。その変更と対応について決めておく。

  7. 血液検査、輸血オーダー、放射線検査

2.化学災害訓練

 最も重要なことは除染である。医療者はゾーニング(ウォームゾーン・コールドゾーン)を理解していること、二次災害を防止するために防護服の着用は絶対である。

 訓練の際は初動体制として災害の概要、推定される原因物質、推定される傷病者数、現場除染の有無を確認し、警備、病院内への入場制限を行う。そしてトリアージ、緊急除染エリア(赤)、準緊急除染エリア、軽症エリア、防護服の着脱、事務対応、汚染水の処理、除染設備、医療ガス、救命初療、救急外来、薬剤科対応、放射線科対応、臨床検査科対応について勉強会を行う必要がある。

 検証者として時間検証者(タイムキーパー)を設置し、エリアの立ち上げと防護服着脱時間の測定をする。

3.日常における災害点検

 訓練は日常の中で行うことが大切である。患者を守り、安心して働くことができるように災害対応能力を高める必要がある。そのため日常業務の中でチェックリストにより点検を行い習慣化すること、個人チェックを定期的に行うこと、またチェックできなかった項目に対して早急に改善するよう努力するのが大切である。

4.他職種との連携

 各部署とも役割を決め病院の対応マニュアルに基づいて訓練を行う。また全体マニュアルに基づき、部署ごとに部門別マニュアルを作成することも必要である。

5.医療セットおよび資器材の整備

 新設部門は部門ごとに資機材一覧を作成し、保管場所、準備者を明記しておくことが混乱を防ぐことにつながる。基本セットメニュー一覧を作成し、部門の特性に合わせ追加するのもよい。

6.地域との協働体制

@)保健所を中心とした地域連携

 何らかの原因により生じる住民の生命、健康の安全を脅かす緊急事態(医薬品、食中毒、感染症、自然災害など)の場合は保健所を事務局とする健康危機管理協議会などの連携により対応する。例えば天然痘発生時の対応訓練では患者移送訓練を行いマニュアルの検証をし、新型インフルエンザに対しては、通信訓練を行い、病院→保健所→自衛隊、警察、消防、医師会への連絡網の検証をするとよい。

A)消防との連携

 消防との連携を確認するために、災害現場を想定した合同訓練や病院火災を想定した避難訓練も必要である。

B)登録ボランティア

 災害時、ボランティアの存在は非常に重要である。登録ボランティアとして災害時にも役割を担ってもらえるよう合意しておくとよい。職員とのコミュニケーションを密にしておくことも重要である。

  1. 日頃から院内の隅々までくまなく歩けるよう訓練計画(災害スタンプラリー)

  2. 災害時ボランティアとして活動するための研修計画

     患者移送、無菌操作(手洗い)、ベッドメーキング、事故防止、応急処置(三角巾の使い方など)


災害時に備えた患者教育

(山岸美恵子、薬事 48:2093-2098, 2006)


はじめに

 新潟県中越地震では10万人、阪神・淡路大震災では30万人の人が避難生活を送ったが、その中には多くの慢性疾患患者がいたことはいうまでもない。災害時に備えて、疾病を持つ患者さんが避難生活を送るときを想定し、薬剤師が患者とともに、平時に何ができるのか、何を為すべきなのかを検証してみる。

お薬アンケート

 新潟県中越地震の際、薬剤師ボランティアが避難所でOTC医薬品を配布する際、お薬アンケートを行った。この際、常用している薬があるかどうかを聞いた。その結果を表1にまとめる。

 お薬相談件数7092件のうち、薬を飲んでいた人は599人であり、そのうち4割が高血圧の薬であった。

 副作用経験者は61人で、風邪薬などでの副作用経験者では、「私は『ピリン禁』です。」などと明確に知っている人もいたが、「痛み止めで湿疹」、「湿布薬でかぶれ」など、あいまいな人も多かった。

患者の薬の把握状況

 阪神・淡路大震災時、医療活動のボランティアの報告によると、「患者さんは、『心臓の薬』『ピンクの薬』と言うし、やっとの思いで握りしめていた薬も刻印がなくて、何の薬だかわからなくて苦労した。」と語っている。多くの患者が、病院任せ、医師任せであり、自分の治療経過について理解していないことがうかがえる。

「お薬手帳」の活用

 慢性疾患で薬を常用薬としている人の多くは高齢者であり、また一般の人にとっても薬の名前はカタカナ符号にすぎない。そこで「お薬手帳」の活用が望まれる。医薬分業が60%に近づこうとしている今日、多くの患者が薬局を利用し「お薬手帳」を手にしている。

お薬手帳の普及状況

 図1、2は、2005年6月の5薬局における、お薬手帳の普及状況である。

 A薬局は規模も大きく、総合病院の前にあり、診療科も様々である。地震の教訓もお話して意図的に交付を進めているが、発行率は4割程度である。

 D薬局は規模も小さく地震の被害を受けた長岡にあるが、普及率は5割と超えた程度である。この薬局は慢性疾患患者が少なく、小児も多いので薬の変更も多く、それなりに手帳の発行は多い薬局である。したがって、同規模のE薬局より普及率が2割程度多い。

 ここで特記すべきは、C薬局の8割を超える普及率である。これはC薬局を利用する多くの方が慢性疾患患者であり、受信するクリニックで「マイカルテ」を発行している背景が理由としてあがる。この「マイカルテ」には検査記録(血圧値・血糖値はもとより、肝機能やエコー・胃カメラの結果まで記載可能)から、薬まで記入できるようになってある。これにより「病識」はもとより「薬識」も備わっている方が多い。

 また、薬の名前を記載するのに、健康手帳を利用している方も多く見受けられるが、この場合は、検査結果の記載が少なく、お薬手帳そのものになってしまっていて、病気の管理としては活用されていない。

 他社の調べによると新潟県内のほかの保険薬局では100%に近い薬局も多いと聞く。それぞれ工夫されて手帳の必要性を訴えていることと思われるが、その結果、多くの患者に「お薬手帳」が普及され、災害時に、以前よりも多くの患者が自分の飲んでいる薬に対して「薬識」は別として、この手帳さえ持って避難すれば、薬の特定が可能ということになる。

処方箋がない場合の医薬品の交付

 2005年3月30日に発出された医薬食品局長通知で大規模災害時における特例が示された。その内容は「医師等からの処方箋の交付を受けた者以外の者に対して、正当な理由なく、販売を行ってはならないものであること」を原則とし、その例外を認める正当な理由の中に「大規模災害等において、医師等の受診が困難な場合に、患者に対し、必要な処方箋医薬品を販売する場合」と定めてある。

患者の「病識」「薬識」の啓発

 新潟県薬剤師会では、薬のセミナーを開催している。この事業は県の委託を受けて行っているのもので年間100回を目標に開催しているが、なかなか100回は開催できない実状ではある。また、ここ数年開催件数が減少している。

 薬事衛生指導員は、2004年度では56人であった。県下の全支部におり、要請があればいつでもセミナーを開催できる状況にある。

 薬局窓口での服薬指導はもちろん、実地訓練も重要であり、行政や各種団体が患者も交えた訓練の機会をぜひ実施していただきたい。


□災害医学論文集へ/ 災害医学・抄読会 目次へ