災害医学・抄読会 090703

災害の種類とその疾病構造

(高田洋介ほか、小原真理子ほか監修 災害看護、東京、南山堂、2007、p.43-61)


 一般的に災害による疾病構造は外傷が主だが、災害の種類によって特徴的な外傷形態があり、それを知る事は早期から的確な治療を行う上で重要なことである。

I. 災害の種類

 災害は以下のように自然災害と人為災害に分類される。
自然災害:地震、津波、火山噴火、台風、洪水、地滑り、干ばつ、土石流など
人為災害:航空機事故、列車事故、船舶事故、工場爆発、テロリズム、戦争など

 また、都市型災害と地方型災害にも分類される。各々の特徴は以下の通りである。
都市型災害:多数の被災者が発生し易い、ライフラインの途絶、複雑な建築物
地方型災害:交通の便が悪い、病院が少ない、援助物資や患者の搬送が困難

II. 災害医療を行う際に考慮する点

III. 災害時要援護者

 災害援助によおいて、要援護者(災害弱者)という概念があり、CWAPと呼ばれる。C:Children(子供)  W:Woman(女性)  A:Aged people(老人)  P:Poor or patients(貧困者、病人や障害者)。
 これらの人々は、災害時に最も被害を受けやすいとされている。また、外国人など一人で移動・行動が取れない人も要援護者に入る。

IV. 代表的な災害種別ごとの疾病構造

1)地震

 自然災害の中で最も広い地域に人命と財産にダメージを与える災害の中のひとつ。地震において死亡は、即死(頭胸部外傷、出血等)、早期死(胸部圧迫による窒息、循環血液量減少性ショック等)、遅発死(脱水、クラッシュシンドロームなど)に分類されるが、a)血を伴う頭蓋骨骨折、b)脊椎損傷 、c)気胸などの胸部損傷、d)腹腔内臓器損傷、e)骨盤損傷 f)広範囲熱傷、g)クラッシュシンドロームなどは病院への搬送が必要な重症症例となる。また震災のストレスからの急性心筋梗塞、水分摂取不足による脳血管障害、自家用車の宿泊による深部静脈血栓症なども増加しており注意が必要である。

2)津波

 津波による死亡原因は、身体を漂流物やコンクリートや岩に打ち付けたことによる頭部外傷、脊髄損傷、内臓破裂や、溺水による窒息などがある。創の汚染が高度であることが特徴的であり、二次感染予防の為開放創のまま管理することが必要である。

3)風水害(台風・洪水)

 気象衛星や気象レーダーの発達、土木建設の発達、河川の整備などにより防災対策が進んでおり、甚大な被害は少くなってきた。台風や竜巻では飛来物や落下物などに当たる事による機械的外傷、洪水では急激な水位の上昇による溺水が多い。しかし最大の問題は水位が低下してからの感染症で、トイレの冠水などによる汚染状態での避難生活は感染症の集団発生を起こしやすい状態にある。また汚染された食物を摂取することによる食物感染にも十分注意が必要である。また気温、湿度が上昇する夏季では細菌も増殖しやすく、一層の注意が必要となる。

4)列車事故

 大型の交通事故はひとたび事故が発生すると多数の旅客の命を奪う。比較的に列車は安全な乗り物であるが、2005年まででも65件の列車事故が発生している。列車事故では旅客がシートベルトをしていないため、車体などに体を打ち付け、頭部、胸腹部などを損傷する多発外傷となるケースが多い。また閉じ込め事故となった場合のクラッシュシンドロームへの対応も重要で、救出前より十分な輸液を行う事が大切である。

5)爆発

 爆発の過程で発生した高温・高圧ガスにより衝撃波が形成される。また化学工場などの爆発では二次災害の予防も重要である。爆風による管腔臓器(肺、鼓膜など)の損傷、飛来物や破片などによる外傷、転倒による鈍的外傷などが多く、複合的な被害を受ける。特に肺は爆風により爆裂肺となり、肺水腫、肺出血、気胸などをきたすほかに肋骨骨折を伴う場合が多く、また鼓膜や腹部損傷より頻度が高いため注意が必要である。

6)放射線事故

 チェルノブイリ原子力発電所放射線被曝事故により有名になった。被害者は13000人を超え、最終的には40000人に到達するとも言われている。放射線事故の最も大きな特徴は汚染の状況がわからないという点であり、骨髄・血液細胞、腸管、皮膚、神経、心血管系に障害をきたす。もっとも症状が出やすいのは消化器系で、全身倦怠感・嘔気といった初期症状は4~36時間で出現するといわれている。消化器の障害や症状は致死量の放射線を浴びた事を意味している。

V. まとめ

 災害は、健康生活と社 会生活に大きな影響を与える。そのため被災地は、多くの支援を必要とし、支援者の健康管理には十分な配慮が必要である。災害看護の目的は、1)限られた条件下の中で一人でも多くの命を救うこと、2)集団感染症を発生させないこと、3)PTSDを発症させないことである。そのためには、それぞれの災害状況やそれによりどのような疾病構造が発生するかは理解し、災害発生直後から早期に的確な治療を行っていくことが大切である。


基幹病院・拠点病院

(小澤修一、丸川征四郎・編著 経験から学ぶ大規模災害医療、大阪、永井書店、2007、p.51-62)


1.わが国における災害救急医療システム

 戦後の大きな一つの時代転換期は1964年(東京オリンピック開催)で、この年に救急告示病院の制度ができ、Treatmentが始まった。1977年に現在の救急医療システムである初期、二次、三次医療システムが構築されたが、一元化されたものにはならなかった。もう一つの大きな時代転換はプラザ合意の1985年である。癌、心疾患・脳血管障害が三大死因となり、救命救急医療に関しても外因性(外傷、、熱傷、中毒)から内因性(脳血管障害、循環器疾患)にシフトした。規制緩和の流れにより1991年には救急救命士制度が始まったが、実際は阪神・淡路大震災の翌年の1996年に初めて国レベルでの災害救急医療システムが整備されるようになり、Triageの概念が普及し、災害拠点病院、基幹災害拠点病院が指定された。

2.阪神・淡路大震災における医療施設の被害

 病院の被害は次のとおりであった。

3.阪神・淡路大震災の教訓から災害拠点病院に求められる機能

 病院が地震によって機能しなくなった主な理由は1.水の供給 2.通信機能 3.消毒などに必要なガス供給 4.医療スタッフ 5.医療資器材 6.電力供給 7.医薬品供給の不足 であった。

 そのため災害拠点病院には、ハード面では、耐震強化、受水槽の設置、広域災害救急医療情報端末の設置、自家発電装置の設置、医薬品の備蓄が義務づけられた。加えてヘリポートの確保、病院所有の救急車輌の確保も求められた。また阪神・淡路大震災では救護班が大きな役割を果たしたことなどから、災害拠点病院に救護班の派遣を義務づけた。

 災害拠点病院指定の根拠となったのは、平成8年5月10日付での厚生労働省健康政策局長通知、災害時における初期救急医療体制の充実強化であった。主な項目は以下のとおりである。

  1. 地方防災会議等への医療関係者の参加の促進
  2. 災害時における応援協定の締結
  3. 広域災害。救急医療システムの設備
  4. 災害拠点病院の設備(上記記載)
  5. 災害医療に係る保健所機能の強化
  6. 災害医療に関する普及啓発、研修、訓練の実施
  7. 病院防災マニュアル作成ガイドラインの活用
  8. 災害時における消防機関との連携
  9. 災害時における死体検案体制の設備
 地域災害拠点病院と基幹災害拠点病院の差は、研修・研究機能を持つか否かである。

4.全国レベルでの災害拠点病院の整備状況

1)災害拠点病院

 1996年に厚生労働省が各都道府県に災害拠点病院の指定を受けるよう要請して以来、2004年の時点では545の病院が指定を受けている。2003年の時点ではハード面(自家発電装置の設置、受水槽の設置、ヘリポートの確保)はほぼ整備されたのに比べ、ソフト面の整備はまだ十分とはいえない状況だ。全体としては関東、東海で整備が進んでいるのが目立った。

2)今後の課題

5.兵庫県災害医療センター開設までの取り組み

1)災害拠点病院の整備状況について

 平成15年の兵庫県災害医療センター開設までは、神戸大学医学部付属病院が暫定的に基幹災害医療センターに指定された。

2)兵庫県における二次保健医療圏域

 災害拠点病院におけるマニュアルの活用、地域防災マニュアルの作成、広域防災訓練の実施、災害医療コーディネーター研修・災害医療従事者研修、災害ボランティア研修などを実施してきた。

6.兵庫県災害医療センター開設後の取り組み

 兵庫県災害医療センターの役割として、 などが挙げられ、様々な研修や訓練も行われている。


多数傷病者の救済活動・管理の評価

(和藤幸弘、救急医療ジャーナル 17巻3号、p.44-48、2009)


 数傷病者は古典的な「災害の規模による分類」でいう、いわゆるMCI(multicasualty incident)と大災害(mass disaster)を含めた広義の意味で広く使用されている。「MCI」と「mass disaster」の違いは、日常の医療圏で対応可能な規模と、医療圏を超えて救援が必要な規模と考えられる。したがって、その境界は医療圏における救急医療の許容量ということになる。

災害の規模による分類

  1. 多発災害(multicasualty incident;MCI)

     交通機関の事故などにおいて、多数の傷病者が発生したような場合で、その地方の医療能力(救急医療サービス、emergency medical service;EMS)で処置可能なもの

  2. 大災害(mass disaster)

     大地震などで、その地方の医療能力を超えて国などの大規模な援助(国家的災害医療システム、national disaster medical system;NDMS)を必要とするもの

  3. 地方風土病−世界流行病(epidemic-endemic disaster)

     飢饉、疫病、テロ、戦争、難民などの合併したもので、現在でも発展途上国で起きており、世界的な規模での経済的、政治的な解決などを必要とするもの

災害医療の目標

  1. 多数の傷病者発生や地震などによる医療機能の低下によって日常の対応が不可能な状況でも、効率的かつ適切な医療を傷病者全体に提供して一人でも多くを救命すること

  2. 後遺症などを軽減して人的被害を最小限に食い止めること

  3. 多数の傷病者すべてに対して、日常レベルの医療を提供すること

事例の検証と評価

【事例の検証】

 1993年の北海道南西沖地震の津波被害から学術的調査が行われるようになり、1996年に創設された日本集団災害医学会において、国内で発生した災害や多数傷病者発生事例の調査研究が行われてきた。より小規模の多数傷病者発生事例に関しても、我が国では日常のプレホスピタルケアに対するメディカルコントロール体制によって検証可能となってきた。

【災害時の医療に対する評価】

 世界災害救急医学会(WADEM:World Association of Disaster and Emergency Medicine)では、1997年にTask Force for Quality Control of Disaster Managementを創設し、災害評価のTemplateを作成する努力を行ってきたが、これまでに広く使用される有力な評価ツールは開発されていない。 詳細な検証から評価への連携が行われると、傷病者管理の問題点がより明確になり、管理の向上や対策・制度などへの発展につながる。

評価の指標

  1. 災害の大きさ(マグニチュード)

    • 傷病者の規模(数、重症度の分布)

  2. 結果
    • preventable death(防ぎえた死)の数
    • 生存者の転帰に及ぼした影響
    • 介入の質

評価方法

(1)preventable death

 多数傷病者発生時におけるpreventable deathは、「その地域で日常に提供されるレベルの医療なら救命できたが、死亡したもの」と定義する。

 MCIの規模であれば、死亡例の診療録または死体検案書を1例ずつ検討すべきである。外傷によるpreventable trauma death(PTD)つまり「防ぎえた外傷死」は、JPTECなどでも知られている外傷の予測死亡率(Ps)で判定できる。

(2)prevented deathの概念

 prevented deathは、「救助、救援、医療などの介入が行われた結果、救命された生存者である」と定義する。

(3)naked damage(絶対被害)の概念

 naked damageは、「すべての介入が行われなければ、つまり被災現場が放置されたならどれだけの死者が発生するか」と定義する。災害や多数傷病者事例で報告される死傷者数は、さまざまな介入が行われた結果であるため、naked damageを用いると、その地域にとってどれだけ重大な事案が発生したかを評価することが出来る。

(4)管理評価への応用(貢献度:contribution ratio)

 貢献度は何もしない結果(絶対被害)を0とし、理想的管理の結果を1とすると、
貢献度=prevented death/(prevented death + preventable death)
の式で表される。貢献度の算出によって理想の管理までの距離が分かる。

(5)2004年新潟県中越地震被害への適用

 2005年3月15日時点での死亡者40例の内、外傷による死亡16例は日常レベルのEMS対応、医療機関の診察がなされたとしても救命できなかった。

 74歳女性が地震から2日後A病院を受診したが、混雑のため自らB病院に移動し受診。急性心筋梗塞で入院加療受けたが同日死亡した事例は、通常なら心カテ施行可能なA病院で治療受けれたものと考えpreventable deathと判定した。

 naked damage(絶対被害)は、死者数(実数)+preventable death=40+30=70人。 contribution ratio(貢献度)は、prevented death/(prevented death + preventable death)=30/(30+2)=0.94

(6)問題点

 規模の小さい多数傷病者発生の事案で、生存者の転帰を対象として議論できる評価方法が必要である。


災害時のトリア−ジにおける諸問題 2)トリア−ジにおける遺族のメンタルケア

(村上典子、EMERGENCY CARE 22: 231-237, 2008)


 災害医療においては、限られた医療資源の中で一人でも多くの人命を救助することが最も重要な使命である。よって、トリアージにより医療機関への搬送優先順位が決定され、黒タッグ装着者はそのまま現場で死亡確認され、病院に搬送されないのが現実である。2005年4月25日に起こったJR福知山線脱線事故では日本で初めて大規模なトリアージが現場にて行われたが、トリアージにおける黒タッグの問題についてはさまざまな課題を残した。その一つに遺族へのメンタルケア(グリーフケア:grief care)がある。

 グリーフケア(grief care)とは一言で言うなら「遺族がその人なりの悲嘆のプロセスをたどっていくことをサポートすること」であり、それは心理関係者のみが行うものではなく、医療関係者をはじめ、遺族にかかわるさまざまな職種が行うものである。悲嘆反応は喪失体験の後に誰にでも生じ得る正常な反応と言えるが、中にはうつ病や心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの病的な状態を呈したり、その悲嘆の程度が甚だしく強かったり、遷延していたり、抑圧されて身体症状化したり、時期が遅れて現れるなど、正常でない経過をたどることがある。これらは複雑性悲嘆(複雑化した悲嘆)と呼ばれ、医療や心理的な治療が必要となることがある。

 遺族の悲嘆には「死別の際の状況」が大きくかかわることを筆者は痛感している。災害における死別では以下のような要因から複雑性悲嘆のリスクは高く、とりわけ早期からのグリーフケアが必要とされる。1)予期せぬ突然の死別、2)若年者の死が多い、3)死因がはっきりしなかったり、納得できない場合が多い(人為災害では特に)、4)遺体が損傷している場合、5)遺体が識別できなかったり、見つからない場合、6)家屋の倒壊や経済的ダメージなど、そのほかの喪失体験も重なる。

 2005年のJR事故は負傷者約562名、死亡者107名という大惨事であり、死亡者107名中100名は現場のトリアージで黒タッグをつけられ、病院に搬送されずそのことが周囲の医療機関の混乱を防ぎ、重症度に応じた適切な傷病者の搬送が行われ、preventable death(防ぎ得る死)の発生を防いだと評価されていた。しかし、遺族の思いはどうであったのだろうか。黒タッグ犠牲者の遺族は、病院では通常行われている「死を看取った医師からの病状説明」を受ける機会は閉ざされており、筆者の調べから多くの遺族が「亡くなったときの情報を求めている」ことが分かった。

 筆者はJR事故遺族からの「遺族の存在を忘れないでほしい」、「初期対応によって少しでも遺族は救われる」というようなメッセージに応える形で、日本でも災害急性期からの遺族へのグリーフケアも視野に入れたシステム作りを考えようと2006年10 月に日本DMORT(Diaster Mortuary Operational Response Team ; 災害時遺族・遺体対応派遣チーム)研究会を発足させた。DMORTとは米国におけるDMATの特殊チームとして災害直後から活動するさまざまな専門家からなるボランティア組織のことである。専門家は検死官、法医歯学者、DNA技術者、放射線技師、葬祭ディレクター、エンバーマー、精神科医、心理カウンセラー、広報担当者などで、遺体の身元確認や修復、遺族への連絡とグリーフケアを行っているといわれている。

 JR事故から得た課題としては、遺体に関する十分な情報収集、早急な遺体の身元確認と遺族への連絡、現場での遺族へのグリーフケアが必要であるということで、これらを行うことによって遺族の悲嘆を和らげることにつながると思われる。

 日本においてはDMORが実際に発足するまでにまだ時間がかかると思われるが、遺族へのグリーフケアという視点を持って災害急性期から医療チームがかかわることは可能であろう。まず一つ目は黒タッグへの記載についてである。搬送優先順位決定のための一次トリアージの際には記載の時間的余裕がないのも無理はないといえ、その後の医師による二次・三次トリアージには死亡確認の意味があり、若干の時間的余裕があると思われる。死亡を確認した時刻の記載は可能ではないだろうか。また医師が確認し、医療チームの看護師や調整員が記載をするという役割分担も考えられる。遺族にとっては自分の愛する家族が放置されて見捨てられていたのではなく、「誰かが看取ってくれた」と思うことの意味は大きい。もう一つは災害現場で黒タッグと判定した犠牲者の遺族に、医療救援者がその場で対面する場合である。混乱している遺族に黒タッグの意味を説明する際には十分な遺族への配慮を持って行う必要がある。特別な心理的技術を要するものではなく「共感を持って遺族の訴えを傾聴し。黙って遺族の心に寄り添っている」ことだけでも十分なのである。

 また、災害の被害者や遺族にも末期がん患者と同様に身体的・精神的・社会的・スピリチュアルな全人的苦痛があると考える。遺族はがん患者のように最初から身体的苦痛があるわけではないが悲嘆反応として二次的に身体疾患・身体症状が現れることもある。こうした災害遺族への全人的ケアには医療のみならずさまざまな職種・施設・機関によるネットワークをもってチームでかかわることが必要となってくる。そのためDMORT研究会はこうしたネットワーク作りにも力をいれている。


被災後の現地の人的資源に対する支援の重要性について―パキスタン北部地震

(丁野美智ほか、日本集団災害医学会誌 13: 15-21、2008)


【活動内容】

 筆者らは、2005年のパキスタン地震後、国際赤十字委員会(ICRC)の下、カシミール地方チナリでBasic Health Unit(BHU)への支援を行った。BHUとは人口1万人に対して1つ設けられている医療施設で、入院設備はないが地域住民の基礎保健を担っている施設である。

 実際に地域住民の生活環境の中では、被災地震以前は政府機関の支援の下、Lady Health Worker(LHW)が基礎保健を支えていた。LHWは、各村出身で、1名ずつ、隣接する小集落を持つ大きな村では2名が家族と共に生活しながら活動する。LHWは、BHUなどから医薬品・衛生材料の供給を受け、住民のために使用する。現地で新生児死亡の大きな原因とされる破傷風については、LHWらの関わりもあり、妊娠中に予防接種をすることが受け入れられており、BHUに接種に来る妊婦が多かった。LHWは管轄の妊婦について直接家を訪問して情報を収集し、妊娠中の生活について指導したり、分娩が開始すると立会い、さらに産後6ヶ月〜1年間は家庭を訪問することによって育児を支援していた。

 筆者らが到着したのは、発災から4ヶ月が経過したころであるが、復興は進んでおらず、交通は遮断されて近隣の村からの食料や燃料の供給も途絶えることが多かった。また、基礎保健の支援スタッフが死亡したり、LHWの住居が被害を受け、委託された医薬品や衛生材料も使用できなくなったり使い切ってしまい、LHWの活動は満足に機能していなかった。

 筆者らは、到着時の状況をアセスメントした上で、パキスタン政府がうたった「単に被災前に戻るだけでなく、旧前より、よりよいものを目指す」を意味する「Build Back Better」に倣い、活動方針を今まで活動していた第1班〜第4班の管理的支援から、地元スタッフの自立を支援する方向に方向転換を行った。従来通りにBHUのスタッフに対する教育、支援、夜間・時間外を含む診療は引き継ぎ、それに加えて基礎保健の充足を図るために、基礎保健活動の協働者をLHWとした。主な活動の内容は、ワークショップ等でのLHWとの情報交換や、村訪問で、ICRCの基礎保健計画の調査票と独自に作成した質問紙を使用、基礎保健調査を行った。その情報から3つのデータベースを作成し、後続班にLHWへの医薬品供給等を依頼する等、今後の継続的かつ効果的な援助のための基盤作りを行った。

【考察】

 現地は、被災前から、医療資源に対して距離のある生活をしていたが、LHWという地域に密着した基礎保健の人材が活動していた。地震後、彼女たち自身も被害を受け、地域のために保管していた医薬品なども不足する状態となっていた。

 身体障害者を始めとする生育の異常に対するインフラの脆弱な地域では、小児期の死亡や、障害を減少させるためにも予防的な視点での周産期の関わりは重要である。LHWの職務の職責はそのほとんどが母子保健に関わるもので、装備された医薬品もその目的に準じている。地震後、増加した外傷等で、装備品も損壊・消費され、補給がない状態は、LHWの活動に支障をきたしていた。

 筆者らの到着時は、すでに時間的には更生医療の範疇にあったが、全くといっていいほど復旧が進んでいなかった。医療の面では、発災直後からICRCがイニシアチブをとって全ての資材と人員を提供し診療を開始したことで、地域の住民の保健衛生の欠落をある程度埋めることができた。しかし、その恩恵を受けられるのは、数時間の徒歩の後でようやくBHUにたどり着くことができる住民である。日本と大きく医療レベルが違うとはいえ、被災後早期から地元に根付いたシステムを支援することは、地震で被災した住民により受け入れられやすく、さらなる費用対効果を産むことができると考える。

 今回、LHWというパキスタン独自の基礎保健のための要員がおり、特にそれが被災前からカシミール地方ではよく機能しているという情報を得て支援の基礎作りを行った。また活動で得られた村の情報からも、基礎保険の充足が重要であることが裏づけされた。

 今までの緊急支援では、活動の当初から地域の医療面での人的資源を活用したという報告は少ない。同様の資源は、インドネシアの簡易な診療所で、プスケスマスやプストが挙げられる。既存の人的資源の職責や背景、実際の能力を確認しながら適切に支援していくことで救援チームが撤退した後、本来の中央からの支援が回復するまでの継続性につなげられると考える。

 また、災害後の支援に際し、その対象や方法を考えるために、アセスメントをすることは重要である。筆者らはすでに救援活動をしていた中でICRCのOutreach Health Programに沿って調査を行った。災害時に行われるアセスメントはその目的や、災害種別、タイミングによって様々なものがある。

 筆者らの行った調査は、時期的には発災早期に支援内容や場所を選定するイニシャルアセスメントとは言えず、リハビリテーション期での継続的な支援プログラムに向けて行うスルースアセスメントの精度には及ばない。しかし対象をLHWを中心とした、基礎保健の範囲に絞ったことで今後のICRCを含めた継続的な支援活動のために役立つ情報となった。


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