災害医学・抄読会 070330

12章 治療

(小栗顕二ほか・監訳:大事故災害への医療対応、東京、永井書店、2005、p.121-125)


 大事故災害では多数の人々が傷病者の治療に従事する。災害直後の数分間に行われる最初の応急手当は通常、自分自身も負傷している可能性のある他の被災者や、災害発生時に現場に居合わせた人々によって行われる。次に、様々な緊急サービス機関が到着して初めて、応急処置の訓練を積んだ大量の人員が現場に投入される。全ての警察官及び消防士は応急救命処置の講習を受けている。各緊急サービス機関の人員がそれぞれの初動任務を遂行すれば、引き続いて急性期医療活動に加わることができるようになる。

 救急隊(救急搬送サービス)は病院の外部で発生するすべての事故災害で行われる応急処置全般に対する責任を有する。救急隊の各人の技能は、救急補助員の一次救命処置からパラメディックの二次救命処置まで幅がある。救急隊の現場活動は救急初療医(ボランティア医師制度)または移動医療チームのいずれかとして現場に派遣される医師および看護師によって補完される。保健医療サービスによる対応を管理棟するものはTriage(トリア−ジ)、Treatment(治療)、Transport(搬送)の医療支援の階層を常に念頭に置くことが不可欠である。

治療を行う場合

 バイスタンダー(その場に居合わせた一般市民)による応急処置の大部分は事故災害現場で行われる。気道確保や呼吸補助などの手技が行われることはまずないであろうが、このような処置は事故災害発生から数分以内に行われる。各種緊急サ−ビス機関が到着し、保健医療サ−ビスの指揮統制がしかるべく機能し始めれば、現場救護所に活動拠点を移して二次救命処置が行われるようになる。閉じこめられた負傷者のような高度救命処置を要する場合は災害現場において処置せざるを得ない。同じように、応急処置のみでよい負傷者が現場救護所にやって来れば、現場にもどさずに救護所で処置することになる。

 搬送準備は現場救護所で、なかでも通常は救急車収容場に隣接した区域内で行われる。

治療の原則

 災害現場における治療の目的は負傷者を健康な状態に戻すことではなく、適切な診断と治療を受けることのできる施設への移動に十分耐えられる状態にすることである。トリア−ジと治療は互いに密接に関与している。

治療の実際

 実際には、プレホスピタル環境でどのような治療をも実施することができる。しかしこれは、全ての治療が大事故災害の現場で行われなければならないという意味ではない。治療の目的はあくまでも病院への負傷者の安全な搬送にある。従って、現場での治療は気道、呼吸および循環に問題のある患者に限定される。そのほかには、脊髄損傷の悪化を防ぐための二次救命処置が搬送準備として欠かせない。時に他の処置(救出のための四肢切断を含む外科的処置)が必要となるが、それは稀である。大事故災害に派遣される救急隊員、パラメディック、看護師および医療従事者はプレホスピタルケアにおける専門能力を習得しているだけでなく、適切なレベルの救命処置訓練を受けて最新の認定証を取得することが不可欠である。

治療を行う人

 大事故災害時に適切な治療を提供するにあたって指摘されている問題は通常、人員の不足ではなく、指揮や管理の欠如である。救急隊員から上級医師に至るまで、あらゆる医療従事者がトリア−ジや現場の指揮管理よりも治療に従事する必要性を感じている。治療は医療支援の第二段階に位置するものである。第一段階(トリア−ジ)を行った上で治療を進めることが、絶対に不可欠である。


後方病院は機能し得たか

(産業時報社大阪支局編集部編、阪神・淡路大震災の記録、東京、1995、p.45-56)


現地支援と後方支援の2面作戦を展開 大阪府立千里救命救急センター(吹田市)

 太田所長は同センターでの傷病者受け入れ対応とドクターカーの被災地への出動という2面作戦を命じた。

 ドクターカーは芦屋市が西宮市と神戸市に挟まれた救急医療体制の谷間になっていると推測できたため要請のないまま芦屋市へ出動することを選んだ。一方、センターでは手術の体制を整え、空床25床を用意し、最終的に30人の患者を受け入れた。

 「大阪という医療資源のあるところが近くになかったら、もっと混乱していたのではないか。」太田氏は、後方病院として大阪は大きな役割を果たしたと話すが、震災当日に、被災地外へ搬送された患者は極めて少なかった。その要因は情報機能と搬送機能の寸断であったが、太田氏は「情報がなかったことが最大の理由といわれているが、現地での判断が甘かったのではないか」という。つまり、被災地の病院では「自分たちのできないことまでやろうとしたのではないか。重症患者を被災地外へ搬送するという、災害医療の原則を知らなかったのではないか」と指摘している。

被災地近隣基幹病院としてハブ的役割果たす 大阪市立総合医療センター(大阪市都島区)

 1月17日、地震による被害状況が分からない中、負傷者の搬入に備え、救急センターの一般病棟を患者の転院・転棟などでほぼ空床状態とした。一方、病院全体としては、平常通り外来診療を行いながら、各部署で負傷者の受け入れに備えた。しかし、傷病者は一向に搬入されず近隣の負傷者数人が来院したのみで、現地との連絡、大阪市消防局との連絡もまったくとれなかった。午後5時40分大阪市消防局の救急車が市立芦屋病院から患者を搬送してきて、それに添乗していた医師により芦屋の被害の莫大さが明らかとなった。それにより同センターでは要請を待たず芦屋へ患者選別に出動することが必要と判断した。救急車の手配がなかなかつかなかったため患者を搬入してきた救急車に医師が同乗するなどして現地へ出動した。1月18日になると院内は満床状態となったため芦屋とのピストンを一時、大阪市大病院にバトンタッチし、患者受け入れの再構築にとりかかった。1月19日には自衛隊によるヘリ搬送を開始し、神戸と同センター間をピストン搬送した。

 大阪市立総合医療センターは、震災後から1月24日24時の時点で兵庫県下16病院からの転送により被災者120人を診療(ごくわずかの直接来院も含む)したが、そのうち要入院加療例は93人であった。要入院加療例93人のうち、搬入時あるいは入院後にトリアージを行なった後、大阪市大病院へ20人、近隣三次救急センターへ6人、その他医療施設へ8人の計34人を転送している。後方病院の患者受け入れが大阪市立総合医療センターを核として機能的に動いたといえる。同センター救命救急部長の月岡氏は今回の初動対応について「大阪市立総合医療センターは被災地近隣の基幹病院としてハブ(拠点)的役割を果たしたのではないかと話している。

特殊救急部への搬入患者39人全例を救命 大阪大学医学部付属病院特殊救急部(吹田市)

 阪大病院では被災地からの負傷者の受け入れについては特殊救急部を窓口にした。今回の震災で最終的に阪大病院特殊救急部に搬入された患者は39人、うちクラッシュ症候群15人で心停止例を含め、39人全員の救命に成功した。特殊救急部の吉岡副部長は今回の阪大病院の初期対応について、「特殊救急部に搬入された39人を全員救命できたことは、後方病院としての機能を十分果たした」と話す。「被災地に出向くのではなく、特殊救急部は最重症患者を受け入れる後方病院として待機しておくべきと考え、被災地内への医師の派遣は診療各科にお願いした。実際、39人の搬入は特殊救急部としては限界に近い数字であった。」

 「広域災害では、重症患者を被災地外の後方病院に迅速に搬送する体制が必要だ」と強調する。今回、大阪府内の救命救急センターのほとんどが患者受け入れ準備を行なっていたにもかかわらず、震災当初は患者が搬入されなかった。このため、初動の遅れが問題となっているが、日本の災害医療の欠陥そのものが初動の遅れを招いたのではないだろうか。吉岡氏は今後の災害医療の課題として、災害時の陸路の徹底した規則はもちろん、トリアージの概念の確立、普段からの救急搬送システムの広域化、ヘリ搬送システムの整備、拠点となる救急病院の整備、多種類の情報連絡網の確立−などをあげている。

海上搬送によるクラッシュ症候群受け入れ拠点に 大阪市立大学医学部付属病院(阿倍野区)

 大阪市大医学部付属病院では大阪市消防隊が被災地とピストン搬送し、もうひとつの患者搬送ルートとして海上搬送を利用し、クラッシュ症候群患者の受け入れ拠点とした。

 同院救急部・集中治療室の行岡助教授は、今回の震災で千里救命救急センターがドクターカーを出動させたことに関し、「大学病院より救命救急センターの方が早く動けるので出動は評価できるが、マンパワーや病床数が少ないので後が続かない。救命救急センターが動いた後、大学にバトンタッチできるような体制が必要ではなかったか」と指摘する。「今回は初動の段階で個々の病院がばらばらに動き、ボランティア的な色彩が強かった。」と述べた。今後は例えば、被災地のトリアージには救命救急センターが最初に出動し、その後、大学病院がバトンタッチして現地支援と患者の受け入れにあたる、というように、救命救急センターと大学病院がペアになった災害医療体制が必要だと強調する。

後方病院として患者に受け入れに全力 近畿大学医学部付属病院(大阪峡山市)

 被災地を目指して出発したが、被災地の正確な情報が入手できず病院へ引き返し、院長の指示で、後方病院として患者の受け入れ体制を整えることに専念することになった。同院救命救急センター坂田室長は「後方病院として患者の受け入れ対応は十分だったが、初動で出動できなかった点は悔やまれる」と話す。しかし、病院としての対応に問題があったわけではないという。実際、1月17日午前中に出動体制を整えており、アクセスと被災地の情報があれば初動は円滑に運んだと思われる。ところが、被災地の情報がまったくなかったため、闇雲に被災地へ出動することはためらわれたのである。坂田氏は、今回のような広域災害に備え、重症者を被災地外へ搬送できる体制が再構築される必要があるとし、緊急時の連絡手段の確保が不可欠であると指摘する。「日本はセクショナリズムが強いので、地域ごとの災害マニュアルしかできていない。近隣府県を含めた広域の災害マニュアルが必要だ。最低でも近隣府県の連絡体制の確立がいる。いまの救急システムでは緊急時に情報がつかめないだろう」と話している。

出動時に救急医療は終わっていた 関西医科大学付属病院(守口市)

 報道情報からこの地震がただならぬ事態であることを認識し、神戸市保健衛生局などの関係機関に連絡を試みたがほとんど連絡はつかなかった。ようやく厚生省から正式要請があり出動したときには震災から48時間以上が経過しており、本来の救急医療はできず、避難所の救護所で避難民の診療にあたった。今回、初期段階で身動きがとれなかったことに医師側は悔しい思いを隠さない。北澤氏「今回の死者のほとんどは圧死だが、初期体制に混乱がなければ、現在発表されている死者の1割は救えたのではないか」としている。また、同センターの田中助教授は、「今回のようなケースでは、死者を増やさないために、現場で重症度を速やかに判断することが重要だ」と述べ、重症患者は基本的に被災地外へ緊急に転送し、治療すべきだとの見解を示している。

後方病院の受け入れ状況

 近隣三次救命救急センターにおける地震発生から1月24日24時までの診療状況を調査した。兵庫県下での被災傷者のみを検討対象とした。

 調査施設全体の診療状況は入院252例、診察後帰宅274例および診察後転送27例。要入院例(入院および診察後転送)のピークは18日の85例。大阪市立総合医療センター36例、大阪市大19例、大阪大7例で全体の7割以上を占めた。


新潟県中越地震の証言

(佐藤和美ほか:インターナショナルナーシングレビュー 28: 4-11, 2005)


激震地の病院における活動/命がけで患者を守り通した看護師たち
(小千谷総合病院看護部長)

 看護部長だった著者は地震発生時に隣町におり、道路が寸断されたため、その日のうちに病院に駆けつけることができなかった。翌朝近所でバイクを借り、4時間かけて病院へ必死にたどり着いた。病院はひどい損壊状態であったが、患者223人は怪我ひとつなく安全に避難させたとの報告を受けた。

 地震直後には看護師たちが「大丈夫ですよ、みんながそばにいますから」と余震が続く中、病室を回ったという。聞き覚えのある声と、頼ってもいいのだという態度が患者の不安を取り除いた。 日頃からの信頼関係が非常時に最も大切な冷静さをもたらすものであることを学んだ。重傷者から先にということや、担架やシーツでの搬送はほとんどすべての職員が毎年の避難訓練で実体験済みで、どの病棟でもそれが生かされていた。体験的な訓練が余震の恐怖に打ち勝って実践されたといえる。

 また看護部長不在の間、看護部次長が的確な陣頭指揮をとった。常にその時に必要なことを的確に行うことを求められている看護師は、たとえ上部からの命令がなくとも「今、何をしなければならないか」を考え、的確な行動に移すことが必要である。

基幹災害医療センターの看護師の活動/院内と避難所での役割
(長岡赤十字病院看護師長)

 著者は院内で大地震に遭遇した。施設に大規模な被害がないことを聞き、傷病者を受け入れる準備に取りかかった。発災から30分後には体制が整い、救急外来で傷病者のトリア−ジ・診療が始まった。数年来積み上げてきた院内訓練が大いに活かされた。平時から訓練に参加し、基幹災害医療センターの職員としての自己の役割と行動を認識することが大切であると強く感じた。市内8カ所の避難所を巡回し、避難時の移動・生活援助、不眠や感冒症状のある被災者への診療、感染予防の避難者指導などと心のケアを行った。活動の中で、集落ごとの自治体制が被災者の心を支えていたこと、高齢者が4割を占め生活介護・支援の需要が多いことを感じた。被災地での救援、支援者の統括は困難を極めている感があり、行政や関係機関・団体といかに連携を図るかが今後の課題である。

阪神・淡路大震災の経験を生かした活動/派遣保健師またはその調整役として
(元兵庫県三木健康福祉事務所保健師長)

 4日間は1つの避難所とその周辺地域の保健活動に従事した。その中で考えたことは、被災された方々への支援者の対応のあり方である。支援する側、される側という二分された考え方ではなく、対等な立場で互いに遠慮せず、言いたいことの言える関係づくりを心がけるべきであると感じた。

 後の2日間は全村避難の避難所を担当している長岡保健所へ出向いた。避難所には全国各地からの派遣保健師が常駐し活動を展開していたが、兵庫県からの保健師はその調整役となった。阪神・淡路大震災時の芦屋では保健所を拠点とした活動であり、所管区域が狭かったため、情報共有や意志疎通が図りやすかったが、今回のように広い地域で多くの派遣保健師が従事する場合、頻回に集合してミーテイングを開くことも難しい。避難所を回りながら駐在している派遣保健師の思いを聞いたり、地元保健師の要望を伝えたりすることも、派遣保健師にできる役割かも知れないと思った。

近県の看護師としての活動/派遣第一陣としての避難所での役割
(公立藤岡総合病院)

 群馬県看護協会からの第一陣として、3日間支援活動を行った。1日目は、意気込んでいたにもかかわらず、避難所にて何時間も待機となり、とまどいがあった。支援活動を行うには現地での情報が少なすぎたという反省が出た。2日目は、午前中地区の持ち場を決め巡回をし、3日目には診療の介助を行い、午後には第二陣に引継を行った。振り返ると、実際に活動できたのはまる1日くらいで、ほとんどが移動と待機であった。十分に支援活動が行えたとはいえないが、第一陣として次へ引き継ぐ道筋を作る役割は果たせたのではないか。また、ボランティア活動は被災者たちの復興が目的であり、逆に地元の自立を妨げるものであったはならないということも学ぶことができ、貴重な体験ができた。


3 防災会議、災害対策本部、地震災害警戒本部

(佐藤喜久二:主動の地震応急対策、東京、内外出版、2004、24-29)


(1)防災会議と各対策本部の役割

 防災会議の役割は法第14条に定められており、ア 都道府県地域防災計画の作成とその実施の推進、イ 都道府県域で災害が発生した場合にその災害に関する情報の収集や災害応急対策、ウ 非常災害に際して緊急処置に関する計画の作成とその実施の推進など、20項目以上の事務を担う。また、都道府県知事に対する単なる諮問機関ではなく、防災会議自らが策定した防災計画の実行を担う実施機関として位置づけられている。

 災害対策本部は大規模地震防災特別措置法の中で、東海地震に係る地震防災強化地域に指定されている自治体が政府の警戒宣言発令を受けて設置するもので、警戒宣言発令から東海地震の発災までの極めて限られた時間の中で防災関係機構が緊密に連携しながら対策を実行していくという役割を担っている。特色としては、ア 構成機関は防災会議と同様であること、イ 防災会議と災害対策本部の両方の役割を担っていること、ウ 活動期間は短期間と見られていることなどが挙げられる。

(2)現状での課題

 平素における防災会議活動の形骸化があり、地域内で策定される各種災害に対する各機関の対応策を十分に検討・調整していない場合には、各機関が対策本部活動を行うことができず、発災とともに改めて関係機関相互で具体策の検討・調整を始めなければならなくなる。

 また、公共的団体などとの連携体制の不備もあげられます。法第7条に定める地方公共団体の地域内にある公的団体や防災上重要な施設の管理者など、防災会議の構成機関以外の組織や団体と防災会議との実質的な連携の機会が非常に少ないのが現状である。

 最後に、発災時における防災会議の機能発揮への懸念がある。発災時の応急対策に関して、「発災時は災害対策本部が対処する」との認識が一般的だが、これは都道府県知事が活動の中心を平素の防災会議から災害対策本部に移しただけのことで、現行法の趣旨はあくまでも災害対策本部と防災会議が連携を保ちながら応急対策を行わなくてはならない。

 しかし、実際には両組織の連携については現実には難しい。その理由として、ア 地域防災計画の中で両組織の連携については現実には難しい、イ 平素の災害対策本部では警察、自衛隊など一部の関係機関を除き、他の防災会議関係機関との間で具体的な連絡要項について訓練されていないこと、ウ 応急対策に関する自治体と指定地方公共機関など防災関係機構との具体的調整が十分進んでいないことから、災害対策本部として防災関係機関との調整や情報伝達の必要性について十分認識されていないことが挙げられる。


関係機関の生物・化学テロ対処に関わる活動

(生物化学テロ災害対処研究会:必携―生物化学テロ対処ハンドブック、診断と治療社、東京、 2003、p.194-204)


 1994年長野県松本市、1995年東京都での両サリン事件、2001年アメリカでの炭疽菌事件などの発生を踏まえ、日本においてもNBC(Nuclear Biological Chemical)テロへの対策が講じられるようになってきた。

1、消防の活動

 消防は国民の生命、身体、財産の保護、災害の防除および被害の軽減(消防組織法第1条)を任務としており、生物化学テロ災害時もこれに基づき活動を行う。具体的には、以下のようである。

  1. 活動隊員に対する生物・化学剤の曝露防止(活動隊員の安全管理):2001年度より空気呼吸器外装型化学防護服から陽圧式化学防護服へ防護を強化した。

  2. 被害拡大の防止(生物・化学剤の拡散・拡大防止及び活動隊員、被害者、資機材、救急車等を介した生物・化学剤の拡散防止):消防警戒区域を設置し、関係者以外に対してその区域からの退去を命じ、またはその区域内への出入りを禁止もしくは制限する。さらに人命危険が高いと認められる区域を危険区域に設定し、必要な防護措置を講じた必要最小限の隊員以外は全て出入りを制限する。また、危険区域内から救助した被害者、危険区域内で活動した隊員等を除染するために危険区域の外側に準危険区域(除染区域)を設定し、区域外への被害の拡大防止を図る。

  3. 原因物質の早期特定(簡易検知)と危険性の把握:身体防護措置を講じた必要最小限の部隊、隊員を指定し、風上、風横側の安全な地域から危険側へと範囲を狭める方法で実施する。

  4. 要救助者の救助:身体防護措置を講じた必要最小限の部隊、隊員を指定し行う。

  5. 被害者の一次除染:現場の準危険区域において可能な限り、脱衣、清拭、湯または水による洗浄、うがい、洗眼など被害者に対する除染を実施する。脱衣した衣服はビニール袋等に密封する。

  6. 多数の負傷者に対する救急処置と医療機関への搬送:負傷者の救急車内への収容は一次除染後に行う。また、二次汚染防止のために車内収容に際しては被害者を被覆するとともに搬送にあたる救急隊員は防毒マスクや簡易防護服の着装等による身体防護措置を講じる。医師引継ぎ時には、傷病者の観察結果、現場の状況、化学剤名、他の傷病者の状況等を伝える。なお、医療機関収容後には、拭き取り等による救急車内および使用機材の除染を実施し、救急車を介した汚染拡大防止を図る。

  7. 活動隊員、使用資機材、車両等の除染:危険区域外への汚染防止拡大と防護服離脱時の隊員への汚染防止のため、危険区域内で活動した隊員は、準危険区域へ退出するたびに除染を実施する。除染は、防護服上からシャワーまたはホースでの噴霧注水により行い、完全に除染されたことを確認した後に準危険区域外に退出し、安全な場所で防護服から離脱する。離脱後、隊員はうがい、洗眼および汗のたまりやすい部分の洗浄を行う。

  8. 関係機関との連携:警察、医療機関、保健所と密に連携をとる。とくに原因物質の特定などは全ての機関での相互の情報のやりとりが重要となる。

2、警察の活動

  1. 未然にNBCテロを防ぐ:情勢に応じ、重要施設、公共交通機関、スタジアム等不特定多数が集まる場所についても自主警備と連携した警戒を行っている。また、2001年に発生した同時多発テロ事件を受け、1)生物・化学兵器に転用可能な物質を管理する事業者等に対する盗難防止指導強化 2)空中散布を防ぐための小型航空機の盗難防止対策 3)関連物質の不自然な取引等に関する情報収集の強化 4)生物テロに備えた保健・医療機関等の緊密な連携 が全国の警察に指示された。

  2. 現場での対応:被害状況、現場及び周囲の状況等を確認し、必要に応じ、被害者の救助、原因物資の検知・拡散防止、現場付近への立ち入り禁止、交通規制等の初動措置をとる。併せて、事件性の有無について確認する。

  3. 原因物質の検知:検知機材を用いて現場における簡易検知を試みるとともに、必要に応じ検体を化学警察研究所、科学捜査研究所、地方衛生研究所、国立感染症研究所等の適切な機関に搬送してこれを鑑定する。鑑定結果については可能な限り早急に、自治体、消防、保健所等の関係機関を通じ関係医療機関に伝達する。

  4. 訓練を行う:NBCテロ対応専門部隊や機動隊等の部隊が平素から現場対処訓練を徹底するとともに、消防・自衛隊・保険医療機関等との合同訓練を積極的に行い、現場対処における関係機関との連携を強化に図る。


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