災害医学・抄読会 2005/07/29

災害サイクル、災害種類別・対象者別による被害の特徴

(松下聖子、黒田 裕子・酒井明子監修:災害看護、東京、メディカ出版、2004、p.26-35)


I. 災害サイクル 〜自然災害について〜

1)自然災害の災害医療サイクル

 自然災害はそれぞれ特徴があり、個別のものである。しかし災害医療において、災害発生からの 流れは一定の形式を示している。

 災害医療の目的にのっとった「1つでも多くの命を救うこと」と「心的外傷後ストレス症候群 (PTSD)を発症させないこと」といった医療活動が、最大限の効果をあげる。

2)災害サイクルに合わせた災害医療

  1. 急性期(災害発生後1週)

  2. 亜急性期(2〜3週)

  3. 感染症期:衛生状態の悪化、被災者間の救護活動、集団での避難生活、将来への不安etcが原因。 状況に合わせた感染予防策を行う。

  4. 慢性期(2ヶ月〜3年)

  5. 静穏期:災害への備えをしておくことが最も重要な時期。

    例)地域医療マニュアルの見直し、災害訓練・災害医療訓練、資機材の開発・備蓄

  6. 前兆期:台風等で大雨警報などが発令される時期。的確な情報伝達が必要。

II. 災害種類別による被害の特徴

1)災害の種類

◇災害の原因による分類

◇災害が起こった地域の人口密度・交通の便・救急搬送体制・医療施設数・情報や通信の違いによ る分類

2)被害の特徴

 災害発生時の被害はその種類により特徴があり、看護ニーズも様々である。

 同じ種類の災害でも、都市型・地域型、時間帯、地形などの違いで被害は大きく異なる。

  1. 地震:骨折、捻挫、打撲、切創、熱傷、挫滅症候群、アルコール依存
  2. 風水害:感染症
  3. 火山噴火:熱傷、気道熱傷、呼吸器障害
  4. 大規模事故

III. 対象者別による被害の特徴

1)小児期:周囲の大人に依存しているため、環境の変化は大きな負担となる。

 親による支え・家族に対する学校関係者や専門家による支えが必要となる。

2)成人期:多くの期待や責任が課せられるため、種々のストレスを抱える。

 十分な休養、気分転換、栄養をとること、「喪の作業」を行うことが大切。

3)老年期:自分で対応できる範囲に限りがあるため、不安が強くなる。

 安心感を与えるために長期的援助を行う。

4)身体障害者:避難所、配給等の情報が伝わりにくい。

 一般被災者より不安で不自由な生活を強いられる。

5)外国人:災害に便乗した解雇、言葉の問題、救助策の不十分さなど、多くの問題がある。

6)援助者(ケア提供者):援助者は自己の生活を顧みず被災者の援助にかかわろうとする。自らも被 災者であることを自覚し、援助が出来る状態になってから援助を始めることが大切である。また、 自分自身の限界を知り、ペースを守り、自分を誉めてやることも大切である。


医療機関に求められる防災対策(上)

(鵜飼 卓ほか:病院防災の指針、日総研出版、1995、p.108-114)


 阪神大震災の3年前、1992年に大阪府・兵庫県の病院を対象に行った「大規模災害に対する備え」のアンケートによると、非常食の備蓄を行っている病院は15%であり、飲料水の備蓄もまったく行っていない病院が30%近くにのぼっていた。さらに、医薬品・医療用材料の災害用備蓄を行っている病院は全体の6〜7%程度とごく少数であり、その60〜70%の病院は医薬品使用量の6日分以下なので、災害時にはまたたくまに底をつくだろうと予想される。多くの病院で病床稼働率が95%以上であるのも問題である。

 これらアンケート結果と阪神大震災の体験から、鵜飼氏らは「情報システム作りと水の確保が重要」であると提言されている。

 薬の備蓄に関して、情報システム作りが重要となってくる。備蓄は単に、1ヶ月分用意してればいいという問題ではない。備蓄する場所が問題となるからである。いつ起こるかわからない災害に対して、備蓄を行うことにより医療の効率が下がる可能性もあり、2週間分の備蓄を強制する法律が存在しない限り病院に備蓄を定着させるのは難しいと考えられる。それを解決する2つ目の方法としては、備蓄センターみたいなものを作ることである。災害時の医療ニーズは、急性期に必要な点滴類から避難所の巡回医療で必要な風邪薬など刻々と変化していくので単に備蓄センターに医療品があるだけでは不十分であり、どこに何がどれだけ備蓄され、誰がどの命令系統でどこに持っていくのかという情報システム作りが必須となる。これらの医療情報システムの構築はパソコンなどでネットワークを組むということでは機能しない。災害時は停電によって、パソコンが動く保証がないからである。電力に頼らない医療情報システムの構築が必要となる。

 水の確保について、通常、病院には屋上と1階に貯水タンクが存在し、この水はライフライン以外に水冷式の自家発電機にも使われている。阪神大震災では多くが耐震構造になっていない貯水タンクが壊れてしまい自家発電できず病院の機能低下に大きく影響したといえる。貯水タンクは設備の人が考えればいいということではなく、医者もライフラインを確保するために設備なり構造なりを真剣に考えたり、知っておく必要がある。

 また、鵜飼氏らは「救急の初動は情報システムが機能するかが決め手」とも提言されている。

 過去の例では、阪神大震災のような大災害のみならず小さな災害・事故でも電話回線のパンクがほぼ必発で起こっている。このことから、電話回線に頼らない防災無線体系というのが医療機関と消防機関と行政の防災機関との間で絶対に必要であるといえる。ただ、無線にもチャンネルの数には限りがあり混信もある。また、その無線機器ハード側の損傷も考えなければならない。つまり、ひとつの通信手段だけではつぶれたら終わりであり、バックアップシステムとしてほかの通信手段の用意も必要である。ヘリや救急医療センターなど有用だが災害時にどう利用できるかが認知されていないものに通信手段も含めて、普段から使っていくことにより災害時の利用効率もあがり、よりよい救急の初動につながるといえる。


医療機関に求められる防災対策(下)

(鵜飼 卓ほか:病院防災の指針、日総研出版、1995、 p.114-120)


 医療人の災害時に対するモラルはどれぐらいあるのか。災害時、交通機関が一切途絶 して自分の車でも病院に出勤できない状況になったら・・・千里救命救急センターの調 査でそのような状況下では病院まで1時間以内に来ることができる人が3分の1、2 時間以内を含めると3分の2、残り3分の1は来ることができない、という結果で あった。阪神大震災の時では家を放って出勤してくる医師、看護婦の姿があり、日本 の医療人のモラルの高さが見受けられた。しかし、それでも3分の1は出勤できない 状況だった。そのような場合どうすればよいか。アメリカでは地域が大きな震災を受 けた場合には近くの病院で働きなさい、という協定がある。災害の後病院に出勤しよ うとしても渋滞につかまってしまえば意味がないからである。当然前もってアメリカ のような協定があれば、いざ災害が起こった時に行動をとりやすいが、そのような規 定がなくても大きな災害時にはそれぞれ自分が何をしたらよいか、医師は医師なり に、看護婦は看護婦なりに行動することが大切である。

 病院における防災の意味は2つある。一つは病院で火事があった、などの院内の災害 プランがありそれに対する訓練で、日本の消防法にも義務づけられており必ず行われ ているものである。二つ目は、院外で大きな災害がありたくさんの患者を受け入れな ければならないときどうするか、という想定訓練であるがそのようなプランのない病 院が圧倒的に多く、きちんと実行している病院は少ないのが現状である。というの も、アメリカではそういったプランが法律で義務づけられ、それがなければ病院とし て認可されないのだが、日本では消防の立ち入り検査など、火事になった場合のプラ ンの存在が病院認可条件となっているだけで、院外災害プランに関する法律は存在し ないからである。よって日本の病院は院外の災害に対して訓練ができているかという ことに関しては全くといっていいほどできていない。こういった事態に対する対策を 挙げるならば、日本でも院外災害に関する法律を作り、保健所の病院監査項目の中に 病院の災害訓練を入れるなど、院外災害に対する訓練を義務づけるべきである。

 ではそういう訓練を義務づけたとして更に必要なこととは何であるか。それは防災時 の診療行為システムである。まずライフライン、例えば水、電気などが止まった場 合、病院はどういう態勢をとればいいのか。まずは現在どういう状況なのかを全員が 認識することが大切である。次に大量の患者が同時に押し寄せてきた場合どうさばい ていくか、が鍵となってくる。自分の病院が被災したときどれくらい患者を診ること ができるのか、病院機能が正常の場合でも患者をどのようにトリアージしていくか、 といった災害プランが大切である。また、コンピューターが使えなくなった状況に対 する対策も必要となってくる。今の医療は機械に頼りきっており、超近代病院となる とコンピューターを通さないと診療行為ができないシステムになっている。そのシス テムに慣れてしまうと災害時手作業で診療となったとき、非常に混乱し不安を感じて しまうであろう。

 救急医は災害現場のトリアージのみでなく、普段から機械に頼らな い訓練が必要であると考えられる。また、挫滅症候群(クラッシュシンドローム)な どの、最初は意識清明で血圧、脈拍などに異常なく見かけほど重症感がない人でも、 放っておくと腎不全から敗血症になり亡くなるという症候群の存在なども知っておく 必要がある。そういったある程度の災害医療知識をもつ医師はまだ少なく、日頃から 災害に備えてそういったドクターを何らかの機関が養成する必要がある。他にも災害 対策のアイディアとして、まず災害医療に対するセミナーを連続的に行うことで災害 のパターンがどうなっているか、どんな災害の時にどんなニーズが出てくるのかを多 くの医師が理解できる機会をつくることや、救急医療分野についてある程度の指示命 令を出すことができ、判断材料を与え、地域レベルでその地域の病院がどんな機能を 持っている病院であるかを把握しているような災害医療コーディネーターの指名など が提案される。災害が地域で起こった時、自分の病院だけを考えないで地域のことを 考えて旗振り役になり次の段階の医療人に渡していく、という役割は重要であり、そ ういった人を養成することは今後の災害システム作りに大いに役立つと思われる。

 まとめとして、災害対策といっても大風呂敷を広げるのではなく、現在の救急医療体 制をもう少し大きくすれば、災害時に応用できる。そういう発想を持って今の救急医 療体制を見直すことが大切である。また地域救護計画という何十年も前の災害時の地 域の救護計画指針を、今日の時代に即応した体系として機能するように変えていかな ければならない。


生物剤の医療対処、カテゴリーA、天然痘

(生物化学テロ災害対処研究会:必携―生物化学テロ対処ハンドブック、診断と治療社、東京、2003、p.130-138)


生物剤とは…

 生物兵器として利用される病原微生物あるいはその毒素のこと。その中で生物剤は、感染性微生物,細菌産生毒,植物毒に分類される。

 多くの生物剤では共通の特色として、エアロゾル粒子で拡散することが挙げられる。特に天然痘・炭疽菌は致死率が高く、エアロゾル状態で安定しており、大量生産が可能。

生物剤テロが疑われる場合

 秘匿的暴露時の迅速・的確な把握が必要
⇒テロによるものなのか自然発生によるものなのかの判断がポイント

<生物剤テロの特徴>

 上記の特徴が見られたら生物剤テロを疑うが、その症状は多彩で潜伏期間もさまざまであり、生物 剤暴露の兆候出現は常に遅れがちになるため、初期対応が難しい。そのため、生物兵器によるテロ (バイオテロ)への対応について医療機関・保健所・衛生局・衛生研究所・警察などがよく連携を とることが必要となる。

天然痘

 米国疾病管理予防センターによる生物テロに使用可能な生物剤/関連疾患のカテゴリー分類でカテ ゴリーAに分類されている。

*カテゴリーA:現在、国の安全保障に影響を及ぼす最優先の病原体で、1)容易に人から人へと伝播 される,2)高い死亡率,3)社会的パニックや混乱を起こす恐れがあり、公衆衛生上の影響が非常に 大きい。

 1980年にWHOは天然痘根絶宣言をしたが、旧ソ連邦崩壊後、多くの生物剤研究者と共に天然痘ウイ ルスが流出した可能性が示唆されている。免疫のない個人が天然痘患者に近距離で接すると80%以上 が天然痘を発症し、死亡率は30〜40%にも達するが、種痘を受けていればその危険を免れられるた め、生物剤として理想的な条件を備えている。

<病原体>

天然痘ウイルス(variola virus)
 低温乾燥状態では安定し長く生存する。60℃,30分の加熱、アルコール、ホルマリン、紫外線に より不活化する。

<感染経路>

 ヒトからヒトへ空気感染、飛沫感染、接触感染(発疹や水泡の滲出液)

<潜伏期間>

 平均12日間(7〜17日間)

<症状>

 初期症状は突然の発熱、倦怠感、頭痛である。2〜3日後に一時的に解熱するが、再び発熱すると皮 膚病変が現れる。それは四肢・体幹に一斉遠心性に拡がり、紅斑、丘疹、臍窩のある水泡、膿泡、 結痂、落屑の順に1〜2日間隔で進行し、1〜2週間で痂皮化する。

 *特殊型:急性経過を示す出血型・悪性型は全患者の5〜10%にみられる。特徴的な皮膚所見がない こともあり診断は困難で、潜伏期間が短く5〜6日目で死亡する。

<鑑別診断>

 水痘との鑑別が必要。皮膚所見で、水疱に臍窩がなく、体幹を中心に紅斑、丘疹、水泡、痂皮の異 なる発疹が混在しているのが特徴である。

<診断>

 咽頭・鼻腔・皮膚病変のぬぐい検体からウイルスを同定する。

 同定法には、1)診断のための培養、2)PCR法、3)ウイルス抗原検出蛍光抗体法、4)電子顕微鏡による ウイルス粒子の検出がある。

<発症予防>

 予防ワクチン投与が被爆4日以内であれば有意に発症予防が可能である。ワクチン接種不可能な場 合は、暴露24時間以内の免疫グロブリンの投与で70%予防が可能であるが、現在、高力価の免疫グ ロブリンの供給は困難である。

<治療>

 有効な抗ウイルス薬はなく、対処療法と二次細菌感染症に対する抗菌薬投与が主となる。天然痘が 疑われる患者は、保険所の指示で第一種感染症指定医療機関に転送し、HEPA(high efficiency particle air)フィルターを備えた陰圧個室に隔離する。

<除染>

 生物テロのエアロゾル散布時では、天然痘診断時には天然痘ウイルスは既に環境中から消失し ているため、除染の必要はない。

<致死率>

 ワクチン未接種では30%が死亡する。種痘をうけた人でも3%が死亡する。

<天然痘への対応>

 天然痘は1類感染症に準じ、感染もしくは偽感染の発生時はただちに最寄の保険所に届け出、 患者は第一種感染症指定医療機関に転送する。二次感染拡大防止のために、医療従事者はマスク (N95)・手袋・防護服を着用する。患者収容病院の全スタッフにワクチンの投与を行い、さらに救 急医療従事者、警察官、消防隊、公衆衛生スタッフなども、ワクチンの投与を行う。重要なこと は、患者と接触したか、またはエアロゾルに暴露したかを厳密にチェックし、ワクチン投与と厳密 な観察下(できれば自宅での隔離)に置き、接触ないし曝露後17日以内に発熱がみられた場合は直 ちに受診するように促すことであり、感染の拡大を食い止めることが必要である。


日本赤十字社の災害救護活動について

(勝見 敦ほか:エマージェンシー・ケア 18: 724-730, 2005


 日本赤十字社は災害による被災者の救援を基本的な使命としており、災害救護活動は、その自主 判断に基づいて独自に行われる活動と、国および地方公共団体などの行う救護業務に協力する活動 に区分される。その活動の基盤は、ジュネーブ諸条約、赤十字国際会議の決議をよりどころとした 日本赤十字法、日本赤十字社定款に置いてあり、国および地方公共団体などの行う災害救助には協 力する法的義務がある。日本赤十字社は東京に本社を置き、全国47都道府県に各支部がある。赤十 字病院は全国に92病院あり、うちの57病院が災害拠点病院であり、26病院は救命救急センターに指 定されている。この全国ネットワークを生かして災害救護活動が実施されている。新潟県中越地震 を例にとり救護派遣の流れを説明すると、被災地当該の新潟県支部が日本赤十字社東京都支部に要 請を行い、そこから隣接する各県支部に派遣指示を出し、さらに各赤十字病院に出動要請がされ た。

 国内での地震などによる大規模災害での医療活動を想定して、日本赤十字社は国内型緊急対応ユ ニット(domestic Emergency Response Unit;dERU)が考案された。dERUとは緊急仮設診療所設備 と資器材とdERU要員を含めたシステムの総称であり、自己完結型診療所に限定し、小型で小回りの 利くものとなっている。新潟中越地震においても3基のdERUが救護所としてその機能を発揮した。 また、それ以外にも災害に対する準備として災害訓練を定期的に実施している。

 最後になるが災害救護活動について考えるときは、常に人の命を守り、人の苦しみを取り除くた めに何をするべきかという救護の原点に立ち戻るべきである。国、地方自治体、自衛隊などの災害 救護に対する取り組みも大きく変化してきており、日本赤十字社は長年培ってきた災害救援のアド バンテージを最大限に利用し、あらゆる災害に関して他機関との連携を考えたより好いシステムに 進化させていかねばならない。


被災体験と看護ケア

(新道幸恵:現代のエスプリ1996年2月別冊、p.156-164)


 本稿は被災体験を通じて「心のケア」に着目して、さらには対応することとなった過程につい て記してある。患者や看護師の被災体験として共通する点は、命の危険等に対する様々な不安や恐 怖、そして家族の安否ついての不安である。看護師も患者と同様に不安や恐怖を抱えているにもか かわらず、夢中で働く看護師達のエネルギーが消耗してしまうのは、いつ、どんな時であるか心配 となり、心のケアに着目するこことなった。

 患者へのケアの中で心のケアに繋がったと思われるケアは、日常生活用品の支援を整えた点や 患者の洗濯物の一斉洗濯等である。また、心のケアとして行ったケアは、消灯時間と無関係に電気 をつけたまま寝られる配慮や精神神経科医師およびリエゾン精神看護師による病棟巡回が挙げられ る。

 患者同様に看護師も震災により不安や恐怖を覚え、喪失感に苦しんだ人が少なくはないように 見受けられた。そこで看護師に対する心のケアがなされた。心のケアとして行われたケアとして、 精神神経科医師およびリエゾン精神看護師による看護師へのカウンセリングが挙げられる。カウン セリングは看護師の勤務病院以外の精神神経科医師によりプライバシーの保持が確立されていた。 看護師長や主任は、心のケアについて、患者および家族、そして看護師に対して様々に配慮して努 力していた。ここで看護師長や主任の心のケアが置き去りにされていることに気付かされるが、大 災害を体験した人々の心の反応について講演が看護師長や主任の心のケアに繋がった。また、共同 生活による支え合いが心のケアに繋がっていた。被災体験を話し合うことができ、平素よりも人々 の絆が強まり、良いチームワークが形成されたようである。生活の不自由さは患者ばかりではな く、不眠不休で働き続ける看護師にも同様にあった。この生活の不自由さへの対応として、病院専 用の通勤バスの運行、市外公衆浴場までの入浴バスの運行、患者用品以外に看護師用生活用品およ び化粧品等が支援物資として届けられることとなった。

 次第に復旧への歩みが始まり出した頃からPTSDと思われる看護師が極めて少人数であるが報告 されるようになった。看護師は自分自身をケアする人と認識しており、ケアされる人としての認識 を持ちづらい。心理的なつらさを体験しながらも、ケアを必要とする状態とはなかなか認めない傾 向がみられる。そこで最後に筆者は災害発生当初からケアが必要とされる期間まで行われるような 「心のケアシステム」が開発されることを期待している。


湾岸戦争

(金田正樹:災害ドクター、世界を行く、東京新聞出版局、2002、p.130)


200万人のクルド難民を救え

 1991年1月17日 湾岸戦争が開始。2月28日に終戦した。3月になり、イラク国内のクルド族がフセイ ン政権打倒をかかげて奮起した。しかし、残存していたイラク軍に制圧され、約200万人にのぼるク ルド人は難民となってトルコ、イラン国境へ逃避行を開始した。4月になると、イランへの難民流入 は極度に増加した。

 4月9日、JICAからの電話でクルド難民の医療援助に国際緊急援助助隊の2次隊としての出発の要請が あった。4月下旬からUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が作る野営病院を運営することにな り、病院の準備ができるまで、イマムホメイニ病院を手伝うこととなった。

赤ちゃんの救命の決め手は「紙おむつと沐浴」

 イマムホメイニ病院の病棟は乳児で満床状態。1つの小児ベッドに5〜6人の子供が寝ていた。点滴 をし、子供用の薬を服用させても、死亡数は一向に改善しない。しかし、一番若い看護師の一言 で、最も基本的な治療に気付かされた。それは、保温である。どんな治療を行っても、オムツが交 換されないため体温が下がり、体力が落ち衰弱して死に至る。乳幼児の死亡率が高かったのは多 分、体温の低下によるものと考えられた。また、現地スタッフとうまくコミュニケーションできな かったことも原因であろう。イランの医療スタッフと共同で難民医療救援をするのは国際協力とい うことで表面的にはよく見えるが、実際は医療レベルの違いもあって決してうまくいくものではな い。難民医療援助に対する温度差は歴然としており、清潔・不潔の区別や、患者の扱い、薬など意 見があったが、もっと注意を払う必要があったと反省した。しかし、保温のための沐浴と紙おむつ が命を救うとは、現場で体験して見なければならない医療であると感じた。

治療だけではすまない災害医療の厳しさ

 イランに来て10日目に、やっとオシナビエの国連の野営病院が完成した。ここで一番危惧したのは 赤痢、腸チフスといった伝染病であった。ともに汚染された水、食料を介しての経口感染であっ た。トイレの数が少なく、山からの小川の水に頼っていたために感染経路は容易に推定できた。難 民を含めた災害医療の難しさは、ここの病気を治しても水、トイレ、栄養、住宅など保健衛生上の 環境を改善しないと、病気そのものは改善しない。特に清潔な飲料水の供給は重要であるという事 実をまざまざと知らされた。

国会議員の無神経な視察ぶり

 5月の連休のある日、2機のヘリコプターで日本の国会議員4名が視察に来た。難民の患者やわれわ れを写真におさめ、20分くらいで去っていった。残していったものは、大きな段ボール箱。中には 高価な日本の抗生物質だった。途上国での抗生物質の使用は慎重でなければならない。初めは効果 的であっても、菌交代現象が起こるからである。さらには、その国の菌の生態系を壊すことになる ので、現地の感染症に対する治療法を把握しておく必要がある。われわれも、第一世代と呼ばれる 抗生物質しか使用していなかった。ダンボールは燃やさざるを得なかった。

初めての難民援助で医療の原点を見た

 クルド難民への医療援助が終わると、多くの問題点が浮き彫りになった。

1) ロジステックの問題

 他国では軍用機を用いて物資を運ぶのに対して、日本にはそれがなかった。医療をサポートするための輸送、通信、物資調達、情報収集、調整、交渉などできるプロがいない。

2) 医療方針のスタンダード化

 治療指針が確立していなかったために、治療方法が異なる場面があった。チームをまとめるコーディネーターが必要である。

3) 医療機材や薬品の整備

 機材や薬品の整備に思わぬ時間を費やしたので、今後は能率的な整理法を考える必要がある。今回のミッションは、難民が大量に流入した1週間後には開始されたので、タイミングとしては非常によかった。イマムホメイニ病院とオシナビエの野営病院で診療した患者数は合計で1万人にのぼったと思われるが、患者への治療効果はかなり高かったと思う。


 難民医療援助は初めての経験であったが、楽しくかつ勉強になった。日本での日常の診療とはかけ離れたいわゆる「医療の原点」を見た。日本では専門の科ばかりを診療していたが、専門分野以外のさまざまな疾患を目の当たりにし、限られた医療資源の中で臨機応変に対応する難しさと楽しさを味わうことができた。さらに、何もわからないフィールドにおかれ、医療体制を作り上げていく過程は非常に興味深いものであり、貴重なものであった。

 こうしたクルド難民援助活動は大きな成果をあげたが、日本のマスコミはその功績をほとんど取り上げなかったため、国民がその事実をあまり知らないことは残念である。それはともかく、あのクルド族がいまだに祖国に帰れず世界を放浪している映像を見ると胸が痛んだ。


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