災害医学・抄読会 2005/07/15

政府はあらゆるレベルで災害に対応できる努力をすべきである

(マッカーマンJE:小川和久・編、ロスアンゼルス危機管理マニュアル、集英社、1995、p.250-263)


 自然災害は予知できないが用意周到な対策と準備があればその被害を大幅に軽減することができる。しかし、災害への対策や準備を用意するには、いくつかの大きな障害がある。

 障害1:どんな非常事態や災害も、起こらないものとして簡単に忘れられてしまう。

 障害2:国内の非常事態に対する対策と準備には地方政府から国家、民間、軍部に至るまであらゆる政府機関の広範囲な協力体制が必要である。効果的な対応を調整しようとすると、大概それに伴って、どこが何の任務につくか、対策と準備の経費はどこが持つべきか、揚句のはてには実際の災害に直面してその対策や備えが不十分だと分かったときには誰がその責任を負うか、などに関して各部門間で議論が噴出する。

 障害3:国民はおおむね日々の生活に密着した生活に関心を持つ。その次に、将来起こるかもしれない災害に対する問題に時間を割くのである。

 しかし、政府の最も重要な義務は他国の侵略と大災害が引き起こす惨事の双方から自国民を防衛することである。

 以下にあげるのは今日のアメリカにおいてどのような非常事態への対策が立てられているかという記述と、わが国と日本が突発的惨事に対処するためによりうまく準備するためにはどうすればいいかという提案である。

■米国における緊急事態対策

 機構:1979年、災害時の救援、民間防衛対策及び復旧活動の責務を負うために、連邦緊急事態管理庁(FEMA)が設立された。この任務を与えられたFEMAは合衆国政府の27の省庁の非常事態対策と準備を調整しなければならない。

 計画:連邦緊急対応計画(FRP)は1992年に策定された。FRPは合衆国における初の包括的災害計画である。大災害によって打撃を受けた州、あるいは地方政府へ全国家をあげて援助する基盤を確立した点で重要、かつ真に意味のあることである。

 FRPは「著しい災害や非常事態は人命救助と財産保護に必要な大規模な緊急活動を遂行する州、地方政府の対応能力を上回るものだ」という基本的前提の上に成り立っている。

 FRPの活動編成

 国家の援助が必要な災害発生直後に行われる一連の活動の筋道は以下の通りである。
(1)急事態管理庁長官は必要な事柄を確認、整理し、被災地域への物資の積み込みを調整する。
(2)それぞれのESF(急支援作業部会)の主管各省庁は、州の要求に応じ直接援助の対応活動を始める。
(3)大統領によって連邦調査官(FCO)が災害の現場での責任者に任命される。

 FCOはESFの代表と他の支援スタッフから編成される地域対応チームを率いる。FCOとスタッフは州調整官と直接協力し合う。

■提案

 1.非常事態の責任者は国家指導者及び国に対して非常事態対策の状況全般について年次報告を行うべきである。何がなされて何がやり残されているか、そしてそれに伴う費用なども報告すべきである。

 2.非常事態対策の責任者は閣僚クラスまで昇格すべきである。この昇進により、緊急対策、政策や政府各部門の計画が十分に調整され、対策計画は足りない予算を公正に競うことができる。

 3.軍隊は災害救助に関するすべての職務領域で、まず最初の対応を与えられるべきである。この任務は、政府の他の部署が効果的に機能できるようになるまでに限り続けられるべきである。

 4.総合的な訓練を繰り返すことが重要である。訓練には時間も費用もかかる。しかし、災害が起きてしまったら膨大な費用がかかってしまう。

 5.血液製剤、医薬品、ワクチン、テント、毛布などの災害時に必要な供給品を含む『非常事態対策集積品』も作るべきである。これらの品々はすべて人命を救い、被害を軽減するために必要なものである。

 6.最後に世界の先進指導諸国は災害に対してより優れたグループを組織するべきである。湾岸戦争は、心を同じくする国家が侵略を阻止するために、より強力な連合を形成することができるという事実を証明した。われわれは、災害に対しても同様に行動できるはずである。

 ―しかし、始めるなら今すぐである。地震は警告なしにやってくるのだから。


災害派遣医療チームDMAT

(辺見 弘:救急医療ジャーナル 12(5), 21, 2004)


 近年様々な災害による人的な被害、経済的損失、規模、頻度は上昇しており、災害は起きるか起き ないかの問題ではなく、いつ起きるかが問題とされている。そのいつ起きるか分からない災害に備 え、適切な準備がなされれば被害は軽減できる。

 医療が災害時の被害軽減に寄与するためには、発災初期の組織的な救急医療体制が整備されてい ることが必要となってくる。このために、現在では災害拠点病院が認定され、災害拠点病院では医 療救護班を設置することが義務づけられている。さらに、発災直後のDMAT(Disaster Medical Assistance Team)の派遣が望まれている。DMATとは災害現場を想定した訓練を受け、現場での機動 性を持つ医療班のことである。

 DMATはホットラインから出動依頼を受けて10分以内に出動準備を整える。現場までは消防の緊急 車両またはヘリで移動する。現場到着後は現場を管轄する消防指揮所で情報を得てから医療活動を する。現場では消防の指揮命令系に入る。

 全てのDMATで同じレベルの活動を行うことは不可能である。そこでDMATの持つ知識・技術によりレ ベル分けを行い、活動の範囲を制限する事が有効な救護活動につながる。また、対象患者の重症度 と数によってもレベルによる制限を設けることが有用である。

 DMATの活動の必須条件は、DMAT自体が災害現場で安全に活動するための装備と訓練である。また、 安全な活動のためには医師・看護師が単独で行動するのではなく、DMAT組織の一員としてかかわる 必要がある。そのためには医師は、合同訓練に参加し、命令系統や安全確保の理解、災害医療の知 識・技術を身に付けることが必要である。

 DMATの研修体制はBasic training course・Registered Staff training courseを受講し、広域緊急 医療・航空機搬送・試験を受け、医政局長の認定を受けることになっている。東京都の研修ではレベ ルUを目標としており、レベルTのDMATはその後に5日間の研修訓練が必要とされている。東京都で は現在7施設93名が知事の承認を受けて登録されている。さらにAdvanced Courseを用意して多彩な 災害に対応する計画である。

 DMATが円滑に運営されるには、各関係機関の連携が必須であり、DMATをシステムとして構築してい く必要がある。

 行政の救急災害担当部局は、各機関を調節してシステム構築と拡充強化を図ること、隊員の補償 を確立することが重要である。

 医療側は自然災害の備えのみならず都市型の災害にも即応してDMATを派遣し、消防と連携して成 果を示すとともに、研修・訓練により提供する災害医療の質の向上を目指すことが重要である。  消防は災害現場を管理し、DMAT連携隊は緊急車両でDMATを搬送し、指揮本部と適切に連絡をと り、有効にDMATの活用を図る必要がある。

 今後DMATは出動事例の検証を重ね、スキルアップとシステムの円滑な運営を構築して、大災害時に 十分に対応できる全国組織に発展することが望まれる。


被災地からの提言 医師である市民として

(梁 勝則:病院防災の指針、日総研出版、1995、p.47-53)


1.地震の後に起きたこと

 阪神大震災直後の死者のほとんどは家屋の倒壊に伴う圧死であった。これは天災である。しかし、その後は地震と直接関係のない死亡、すなわち肺炎や衰弱による死であった。特に避難所生活をする高齢者においては深刻で、冷暖房設備もない体育館の上、食事も粗末であった。さらに簡易トイレは高齢者にとって遠く、尿の回数を減らすため水分摂取を控え、脱水になる高齢者も多かった。寒さ、栄養の偏り、脱水の上にインフルエンザも流行し、肺炎による死亡が続出した。肺炎を起こさない環境作りが重要であったのだ。これは天災とは言えない。

2.災害弱者の緊急支援を

1)一夜で決まったネットワーク

 「長田地区高齢者・障害者緊急支援ネットワーク」は、避難所で倒れてゆく災害弱者を救うものである。ネットワークには全国からボランティア、資金援助が寄せられている。設立は、地元での2つの動きが合流したものである。

2)避難所の調査

 1つ目は「ケアホームながた」。被災直後から高齢者保護に奔走していた。大規模避難所の高齢者の聞き取り調査をし、緊急保護が必要な高齢者をピックアップして、福祉事務所に通報するなど追跡調査をしながら救済に努めてきた。しかし、緊急保護を選択しない高齢者も多く、その数は急速に増えていった。

3)避難所の介護

 2つ目は「林山朝日診療所」。被災以後も高齢者の在宅ケアに追われていた。避難所を取材していたジャーナリストのHから避難所の高齢者の悲惨な状況を聞き、「弱者救済センター」とともにネットワーク作りの会議を1月31日に診療所で持つこととなった。

4)保護施設「サルビア」を確保

 31日、取材中のHが「ながた」の調査団と出会い、診療所での会議に参加することとなった。会議では、その場でネットワークのスタートが決まった。結成の呼びかけをその夜から開始し、同時に神戸市立在宅福祉センター「サルビア」を確保し、「全国介護福祉協会」からの相談要員派遣を取り付けた。

5)広がる緊急救済の拠点に

 2月1日、「サルビア」にベッド18床を運び込み、緊急保護を開始した。たちまち満床となった。一方、ボランティアを中心に避難所を回り、高齢者の相談コーナーを開くなど、具体的介護も進められた。また、実体不明な在宅の高齢者、障害者の大規模安否調査も行った。被災者へのサポートは幅広く、継続的に続ける必要がある。

6)考察

 地震後の悲劇は行政の無策によって起きた人災と言ってよい。行政のシステムは平和時に機能を想定しており、災害時には不利に作用した。根回しや協調は責任の所在を不明瞭にし、平等主義は一般人と弱った高齢者に平等であった。行政だけでなく、医師会・福祉団体・社会福祉協議会も機能しなかった。病院は急患を受け入れるが、緊急医療体制は不備であり、輸送システムも未整備で、その場しのぎの対処しかなかった。

 やむなく作られた2次緊急避難施設で健康を取り戻しても、帰る場所がない人が多く、満床が続いた。 私たちの活動は高齢者問題解決には至らなかったが、意識化の象徴となった。ネットワークを通じて高齢者は社会がサポートするべき集団であることをアピールした。行政が稼働し、高齢者が安心して住める環境が整備されれば私たちの使命は果たしたと考えている。無力であっても無気力であってはならない。

3.大災害に遭遇したとき、医療者にできること

 災害時には平和時に作られたシステムはほとんど役に立たない。1番目は指令系統の崩壊である。2番目は個人としての関与には限界があることである。3番目は個別の努力が体系化されないという問題である。阪神大震災の教訓を生かし、災害マニュアルを作り、健康被害をくい止めるのは医師の仕事である。そのためにどのような態度が必要だろうか。

1)使命感を持つ

 災害時に当日から医療活動に乗り出した医師も少なくなかった。国境なき医師団、AMDA、JOCSなどのNGO医療団も被災地域に乗り込んできた。しかし多くの地域の医師は本来受け持っていた守備範囲の医療しかできなかった。自分自身が被災者であったことも原因であるが、最大の理由は普段、患者が来院して始まる待ちの医療になじんでいたためであろう。通常の診療パターンにこだわらないことを頭の片隅におく必要がある。

2)情報に依存しない

 メディアは注目度の高いものから報道する。倒壊した高速道路やビルは衝撃的であったが、市民の惨状からは遠かった。鉄筋ビルが倒れる傍らでどれだけの木造住宅が倒壊したかを知るきっかけをメディアは十分提供しなかった。しかし医療者の一番の役割は近隣住民の健康を守ることであり、それには自ら実体の把握が必要であった。電話は機能せず、配線が必要な通信手段は容易に破壊された。救急医療には非常時の無線装置が欠かせないことがわかる。

3)自ら動く

 自分がどこでどのような役割を果たすことができるか知っているものは災害時にはどこにもいない。自分自身で探すしかないのだ。被災地を巡り、傷ついている人々を探し、助けることができれば医師の本懐である。また、自ら動くことで連携のきっかけが生まれる。

4)避難所の健康管理のコーディネーターとしての役割

 避難所で死亡した多くの高齢者は室内温度と栄養バランスと排泄介助を含めたケアによって救うことができた。しかしそれを気を止める役割がなかったのだ。避難所は個人や家族の集団であり、秩序ある組織ではないため、自分と家族を守るので精一杯だったからだ。もし医療と福祉と保険と介護の全体をコーディネートする人材があれば、防げただろう。いわば保健所のような役割である。それに最適なのはやはり医師であろう。

5)おわりに

 医療者のできることはわずかしかない。しかし観点を変え、自分自身を医療知識を持つ一市民と定義したとき、その役割は大きくなった。


災害時広域搬送の切り札 ヘリコプタ−はこうして呼べ!

(安部哲夫:ER Magazine 1: 377-382, 2004)


 災害は、種類や広域度により状況は大きく異なるが、現場(被災地)は確実に大きく混乱する。一 体何がその場所で発生しているのか、人的被害はどうなのか、現場で今何が一番必要なのか、情報 は錯綜し時間のみ過ぎていく。いまここにある危機の本質が見えてくるころには、残された時間は わずかである。多くの傷病者が発生している災害時は混乱する被災地内に有効な医療支援を被災地 外から可及的早期に開始する必要が生じる。そのツールとしてヘリコプターを的確に活用すれば、 その被害を確実に低減させることができる。

 災害時に医療の現場でヘリコプターを使うメリットは四つある。まず一つ目として、地上緊急車両 の3倍の速度で、しかも最短距離で移動できること。災害時には現場周辺の医療機関は混乱している ため、ヘリコプターを使えば被災地外の高次医療機関に迅速に搬送することが出来ること。二つ目 として、自然災害で陸の孤島状態になっても被災地から圏外への迅速な傷病者搬送が可能であるこ と。三つ目として、地震などの災害で、脊髄などを損傷した場合振動のある長時間の地上搬送では 予後に大きな悪影響をもたらす。ヘリ搬送であれば患者に負担をかけずに短時間に搬送が可能であ ること。四つ目として、現場に最初に入った医師が傷病者の数やその状況などの医療資源に関する 情報伝達に大きく関与することになる。ヘリコプターで上空からその災害の規模や状況を自身の目 で把握することで、その後の的確な応援要請や医療資機材の選定に役立てることができるなどがあ る。

 では、日本での災害時や医療の現場ではどのような機関のヘリコプターを利用できるのだろうか。 まず一つ目として消防防災ヘリである。政令指定都市以外は県に一機で全国で68機あり消防防災業 務に幅広く活用されている。このヘリは救急専用機ではなく、多目的機がほとんどであるため要請 からすぐに出場できるわけではない。二つ目として警察や海上保安庁のヘリがある。これは患者搬 送や医療資源の投入に活用できるが、災害時においては警察機関であれば、上空偵察、警戒警備、 救助活動などミッションがあるため、あくまでも警察業務としての運用が基本である。三つ目とし て自衛隊ヘリがある。大規模災害時、圧倒的な戦力となる自衛隊であるが、都道府県知事などによ る災害派遣要請に基づき活動が開始されるのため、出動までに時間が必要である。動き出せば、10 人以上の患者を担架に乗せたまま搬送が可能であることや、医療資源を保持しているため大きな戦 力となりうるが、機材は医療用ではないため持ち込む必要がある。四つ目に民間ヘリコプターとし てドクターヘリがある。救急医療活動に必要な各種機器や薬剤、ストレッチャーなどが常時設備さ れている。消防機関などからの要請により、救命センターに隣接しているヘリポートから救急専門 医やナースなどとともに現場へ急行し、患者に救命医療を行うことのできる救急専用のヘリであ る。

 次に、これらのヘリコプターを災害時に患者搬送や救急医、看護婦の現場派遣ツールとして最大限 有効活用するために事前準備として何が必要であるのかだが、ERでヘリコプターを活用するために はER自らの詳細な災害対応計画の設定がある。それにはERと隣接した場所に、高圧電線などの障害 物がなく2方向見渡せるような20M×20M程度のヘリコプターが着陸できる場所を選定しておくことが 必要である。駐車場や学校のグランドなど、候補地を事前に調査し関係機関と調整しておくことが 何よりも重要である。また、ヘリ要請プロトコールの事前整備としては、地震などの広域災害によ りインフラなどに被害を受けた場合、担当部局や緊急通報機関(消防、警察など)と電話で直接連 絡を取るのは非常に困難を極めるため、地域の消防機関や市役所、警察機関などに直接駆け込むの もひとつの方法である。各機関には災害時においても比較的強い防災行政無線や消防無線を所持し ている。やはりここでも災害が起きる前にヘリ要請についてもマニュアルを作成し、関係する機関 との詳細な事前調整がきわめて重要である。ただし、ヘリコプター搬送時に注意することとして三 つあり、一つ目は搬送患者への影響、二つ目は、騒音への影響、3つ目は離着陸時の警戒である。

 最後に災害医療にもっとヘリコプター使うためには、鮮度と品質の高い情報の共有をすること、情 報の共有をすること、WEB上に災害対応している機関を相互に監視できる掲示板を設けること、災害 時にのみすべての運用期間が相互に通話できる無周波数の設定をすること、ヘリコプターの離着陸 場所の情報の統一をすることが必要である。

 日本は世界第3位のヘリコプター所有国である。しかし、これをうまく利用できなければ意味がない ので、平時より災害対応計画をしっかりたて、訓練をしていざというときのために備える必要があ る。


報告7 日本のバイオ犯罪

(杉島正秋・著、杉島正秋・編:バイオテロの包括的研究、朝日大学法制研究所、岐阜、2003、 p.161-185)


 この報告ではオウムをはじめとして日本で実際に起こった四例を検討しバイオテロ対策に関連して 留意すべきと思われる点を考えてみる。

1.戦前の事例(その1)−高橋貞三郎

 最初の事例は耳鼻咽喉科医師の高橋貞三郎が私的動機で行った犯罪である。

 高橋は譲り受けた腸チフス菌一株を培養し、五回にわたりチフス菌を用いた殺人・傷害罪を起こし た。そのうちの三件は自分の診療所のある川口市内の同業者をねたみ、彼らの診療所にチフス菌で 汚染した菓子を贈ったものである。残りは妻に対してチフス菌で汚染した菓子を食べさせ、発病し たため入院した先でさらに薬剤により殺害を計った一件と、恨みを抱く同僚の医師をチフスに感染 させようとイクラの折り詰めを宴会場に持ち込んだ一件である。結局これらの事件で発病者は18 名、そのうち死亡者は四名だった。結局高橋は死刑判決を受けた。

2.戦前の事例(その2)−廣瀬菊子

 この事件は、自分の離婚相手とその家族に対する私怨が原因で、殺人を企てたものである。腸チフ ス菌を細菌検査所より入手し、それを買い求めた饅頭に塗布し、離婚相手の知人の名前で配送し た。これにより、離婚相手とその弟、妹を含めた12名が腸チフスに罹患し、離婚相手の弟が腸チフ スによる敗血症で死亡した。結局、被告人は殺人罪で懲役8年となった。

3.千葉大学チフス事件

 この事件は、千葉大学医学部附属病院の医局員が、診療行為を装って患者の体内に病原体を注入し たり、同僚や親戚などに細菌で汚染した食物を喫食させたとして逮捕・起訴されたものであり、13 の事案について有罪が確定している。

 本件は自白の内容に矛盾があることや、動機が明確でないこと、疫学的観点からみて菌量や潜伏期 間に矛盾があるものがあることから一旦は無罪となった。しかし、自白の内容に犯行を行った本人 しか知り得ない告白が含まれていること、合理的な動機のない異常性格に基づく犯行もあること、 菌量や潜伏期間に関しても矛盾が解決され、結局有罪となり、懲役6年となった。

4.オウム真理教

 麻原彰晃が設立したオウム真理教が企てていたバイオテロについてまとめる。

  1. ボツリヌス毒素:麻原はボツリヌス毒素の製造と兵器化に着手したが、結局菌の培養や毒 素の製造に成功せず、何回か散布を試みたが、被害は発生しなかった。

  2. 炭疽:ボツリヌスがうまくいかなかったため炭疽菌を入手し、培養、散布しようとした が、毒性のない炭疽菌であったり、散布装置に不具合が生じたことにより、不成功に終わった。

  3. Q熱その他:Q熱やエボラ・ウィルスを入手、培養して兵器化しようとしたという報道も あったが、それらが成功したことを示すものはない。また麻原は自分や信者たちが生物兵器による 攻撃を受けていて、Q熱に感染していると主張した。

  4. ロシアとの関係:オウムはロシアからサリンプラントの設計図を入手した。また、生物兵 器開発についてもロシアの専門家に接触しようとした可能性がある。

  5. 生物兵器に対するオウムの見方:オウムは終末論を説いており、最終戦争に使われる兵器 として核・化学・生物兵器などに言及している。また麻原は悪いカルマを蓄積している人々を殺す ことは救済の正当な手段であるというチベット密教の教義を援用し、これの実践として生物化学兵 器の製造を行った。しかし、毒性のない炭疽を散布したことは、疑問となる。これは教団幹部によ ると麻原が彼らの精神的な訓練のためにやらせたものだ、ということである。

  6. その後:失敗に終わったバイオテロの企てにより訴追された信者はいない。

 しかし、オウムがやろうとしたことは組織ぐるみであり、財政面での裏付けもあり、また海外の専 門家の支援を得ようとした形跡があり、これらの点で先行する三つの事例とは大きく異なる。

5.9.11テロと炭疽メール事件

 アメリカでの9.11テロや炭疽メール事件、国内で発生した「白い粉」事件などに触発され、日 本政府は「生物化学テロ対処政府基本方針」を決定し、国レベルで具体的対策を策定するとともに 都道府県に対してもテロ対策体制の整備を求めた。

おわりに

 バイオテロやバイオ犯罪の道具となる生物兵器には大きくわけて「生物兵器を作ることは簡単だ」 という見方と「生物兵器を作ることは可能だが容易ではなく、克服すべき技術的困難がいくつか存 在する」という見方が存在するように思われる。オウムの失敗は技術的困難が実際に存在すること を証明したといえる。しかし、先進技術を前提とした場合でも、従来の技術的困難は残るのか、あ るいはハードルが低くなり消滅することになるのかどうかを、これからは薬学など微生物学以外の 観点から生物兵器の技術的側面に関する検討を進めることが必要であろう。ただし、本報告や外国 の事例が示すように、原始的な手法によるバイオテロも軽視すべきでない。犯罪者やテロリストに とって、食品を原始的な手段で汚染することは実行が容易であり、ローテクなバイオテロに対して も社会は警戒を怠るべきではない。


災害看護の現任教育の実際

(山崎達枝、黒田 裕子・酒井明子監修:災害看護、東京、メディカ出版、2004、p.234-245)


〔はじめに〕

 我が国では阪神・淡路大震災以後、病院施設での災害医療・看護の研修会等が徐々に開催される ようになってきている。しかしながら現時点での災害医療・看護教育が確立しているとはいいがた い。自然災害、大規模災害(事故・事件)等の災害の種類やその背景、災害サイクルを通して、被災者 および被災地域のニーズを知り対応するためにもこれらは今後の課題であるといえる。そのため医 療者である私達は、平時より危機管理意識を強く持ち、被害が最小限に留まるよう、減災に向けた 専門的な災害看護教育研修・訓練が必要である。

〔災害看護教育研修とは〕

 東京都立広尾病院(以下、当院)でも、組織的に対応できる災害医療体制の充実を目指し災害看護 教育研修に取り組んでいる。2004年4月より委託職員を含む全職員に、ベーシック研修として災害医 療の基礎、当院の役割などの内容で行い全職員の人材教育の第一歩を踏み出した。看護職員コース では導入研修、フォローアップ研修、リーダー研修、リーダー研修修了者研修が一定期間を経て設 定されており、看護管理者コースでは次席研修、監督者研修、専門育成コースではエキスパート(災 害看護)研修がそれぞれ設定されている。

 当院の災害看護教育研修の特徴としては、1)全員参加型・ 適材適所型の研修であること、2)講義時間よりもグループワーク・演習時間を多く設定しているこ と、3)研修プログラムがレベル別・段階別研修であること、4)継続性と断続性を重視した研修であ ることが挙げられる。以上のことから、組織的な役割の違いと看護経験年数に応じた教育プログラ ムとすることは重要である。災害看護教育研修方法としては、大きく分けて 1)災害医療・看護の知 識の習得・導入を目的とした講義、2)グループディスカッションによる災害図上訓練(机上シュミ レーション)、3)災害図上訓練(机上シュミレーション)で作り上げた内容をもとに実際に体験する総 合実習、4)判断力、応用力、実践力、総合力を養い、臨機応変に対応できるための看護管理者に対 する教育・研修がある。

 研修修了者は全員が職場において指導者である。しかし、いつ発生するのか不明な災害に対し、看 護職員のモチベーションが低下することは否めない重要な課題である。筆者らは災害看護教育研修 プログラムを立案する際に、1)リーダー研修修了者には修了後の課題として、1年間病棟の問題に取 り組み、その内容について発表する機会を設定する。2)「私の災害看護観」のレポート提出を研修 の最後とする。3)前年度リーダー研修修了者は、職場内導入研修受講者に対し職場内研修としてい くつかの一定のレベルまで出来るよう指導することを義務付けている。などの対策を講じており、 このようなレベル・段階別の適材適所型プログラムが望ましいと考える。また看護師が災害現場で 今何をしなければならないかを導き出せるような研修内容を考え実践していくことが、研修生の関 心を高め、効果的な研修に繋がったと筆者は確信している。

〔災害看護教育研修後〕

 災害看護教育研修後はその評価のため、小テスト形式のアンケート調査および実技試験を実施して いる。また更なる災害看護教育研修の質の向上のための批判的意見を含めた前向きな内容のアン ケートの協力を依頼し、得られた参考意見は災害教育委員会で検討し研修を振り返るなど、可能な 限り次の研修に取り入れている。

 前述の通り、災害看護学は確立されていない。教育方法の文献も数少ない中、災害教育委員を立ち 上げ2年間継続して、災害看護教育研修に取り組んできた。災害教育委員がエキスパート(災害看護) 研修生でもあることから、学ぶ立場からの意見を取り入れながら 1)院内災害看護教育研修内容の精 選、2)カリキュラムの立案から指導計画立案、3)当院独自の教材作成、4)教育の実際および評価を 通じて、災害教育委員の成長と看護職員の人材育成に繋がった。

〔おわりに〕

 ほとんどの教育研修は即臨床の場に必要とされる研修であるが、災害看護教育研修は他の研修とは 若干異なり、すぐに現場で生かせものではない。各都道府県で15人以上の負傷者が発生する集団災 害の確率は2年に一度程度、震度7以上の地震の発生する確率は数十年に一度といわれている。従っ て災害医療・看護を体験し学ぶことはほぼ不可能に近い。災害発生に備え、職員一人ひとりが危機 管理意識を持ち、冷静、適切、機敏に行動できるためには、定期的な研修と危機管理意識は不可欠 である。災害時の適切な行動を体で覚え確認し、加えて防災マニュアルの実効性を検証できる職員 主体の訓練が、減災に対する職員の自覚を促し、連帯を育むことに繋がっていく。医療面では少な くとも被災者、被災地域住民が不安を抱くことなく、安心して生活できるように救急災害医療の知 識と技術を高め、その期待に応えていくべきである。


第9章 遙かなるアフガン

(金田正樹:災害ドクター、世界を行く、東京新聞出版局、東京、2002、p.215)


 アフガニスタンではうちつづく政治的混乱と内戦で膨大な数の難民が生み出された。1979年のソ連の進行とともに難民が発生したときは、大きな国際問題として報道され、世界中から緊急援助も行われたが、あまりにも長期化すると援助疲れが起こり、次第に忘れ去られていく。アフガン国内ではインフラが破壊されつくし、ただでさえタリバンの政治姿勢に同意できない難民は帰還しようとはしない。

 パキスタンのペシャワールの難民キャンプはUNHCRが管理し、多くの国連機関やNGOの援助活動が実施されている。学校では教室に入れないほどの子供達が学んでいる。日本の社会問題のひとつに登校拒否、いじめ、学級崩壊などという言葉があるが、ここには登校拒否もいじめもない。学ぶことの大切さや喜びを、幼い子供達でもきちんと理解している。皆で助け合わなければ生きていけない。大きい子が小さい子の面倒を見、支えている。平和がどんなに大切で、生きることがどんなにたいへんで、学ぶことがどんなに嬉しいことかを教えてくれる教科書が、ここにある。どの難民キャンプの真ん中も、広い広場になっていて子供達が楽しそうに遊んでいる。その子供達の笑い声、歓声を耳にすると、大人達は心が癒される。キャンプ生活のストレスには、この子供達の歓声が何よりの薬になるのだという。いわゆるPTSDは難民となった大人にも子供にも大きな問題だが、それを少しでも緩和するために、このような試みがなされているのだという。イラン南東部ザボールのニアタク難民キャンプの環境は劣悪で、砂漠に作られた殺伐としたこのキャンプで生活している難民$ O!"@8$-$k$?$a$KI,MW$J:GDc8B$N$b$N$7$+M?$($i$l$F$$$J$$$h$&$@$C$?!#

 同じアフガン難民の庇護国でありながら、パキスタンとイランではNGOの受け入れをはじめ保健衛生の面でも大きな違いがあった。もっとも、難民キャンプの環境をととのえすぎると、祖国との生活レベルの格差が生じて帰国へのためらいが生じかねない。医療援助を行うにしても、庇護国の医療事情を十分ふまえた上での援助でなければならない。

 アフガンではここ数年、旱魃による飢餓のための栄養失調などで病気が増えている。これは自然災害である。一方、内戦による難民は人為災害である。今のアフガンの状態はいわゆる混合型災害と呼ばれるもので、より大型の援助が必要な状況となっている。日本は湾岸戦争以来、緊急の人道援助に何らの進歩もないのが現状である。緊急事態にはすばやい判断力、統率力、実行力が要求されるが、特に救急救命期にはこの能力をそなえた医師の存在が不可欠である。当然であるが、首相官邸にある危機管理センターにも災害医療のプロの存在が必要である。そして、最終的には、やはり外務省国際援助室、内閣府PKO事務局、外務省NGO支援室、JICA緊急援助局をいっしょにした人道援助庁のような部署の設置が求められるのではないだろうか。

 アメリカの空爆でタリバンが崩壊して暫定政権が発足し、20数年におよぶアフガンの内戦は終わった。アフガニスタンの復興にはあまりにも多くの難関が待ち受けているが、特に医療は重要な課題である。インフラの整備とともに病院建設、医療システムの確立が必要である。アフガン国民が健康でなければ、国家の復興は進まない。日本は医療の復興にも積極的な援助を行うべきであり、若い医師、看護師、医療技師を参加させたい。高価な医療機器の供与はいらない。最初は、アフガンの事情にあった装備と薬剤の供与があればよい。途上国での災害現場や難民キャンプでは、高度に分業化、専門化された医療ではなく、患者そのものと向き合う医療の知識が必要になってくる。緊張と混乱が錯綜する災害現場では我慢、慣れ、そして、ここで自分が何かしなければ、この事態は何も変わらないという開き直りの精神が必要になってくる。


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