災害医学・抄読会 2004/12/24

第4章 気候変動の行く末を映し出す太平洋の島々

(国際赤十字・赤新月社連盟:世界災害報告 2002年版、p.84-107)


 異常気象に関連した災害の発生が増え、その規模も増大するにつれ、太平洋上の島国は抜け出すこと のできない悪循環に陥ってしまう。海面上昇は問題の一部にしか過ぎないのである。土地や飲み水の 塩水化により島を離れざるを得ない島民が出る。自然の防波堤の役割をし、砂浜の砂を供給し、島民 の生活に不可欠な食材となる海生動物や魚類の住処となり、観光客を通して貴重な外貨をもたらして くれるさんご礁は、海面温度が少し上昇しただけで死滅してしまう。

 海面の温度と水位の上昇は深刻なサイクロン、干ばつや疾病をもたらす。熱帯地域の多くの島国で は、気温や降水パターンの変化に由来する動物媒介や飲料水媒介による伝染病の発生が多くなってい る。

 災害の抑止と適応に向けた選択肢として、海岸線の保護はコストが高すぎるが、水管理は雨量が不 安定になり、塩水が飲料水に混入しつつある太平洋諸島においては、重要な被害抑止策である。

 太平洋諸島が直面している気候変動に対処すべく、より多くの資源と政治レベルでの緊急取り組み が必要である。しかし、政府の各部門は計画を理解していないし、役割分担もしていない。計画は机 上のもので、現実にはうまくかないであろう。そこには重大な要素が一つ欠けている。計画は持って いるが、いざ災害対策のための予算額を聞くと、返ってくる答えはゼロなのである。

 公の支援は災害救援ばかりに集中しがちなので、災害が起こる直前の準備段階では、警報が出てい るときでさえ、人々は自力で対応しなければならない。多くのコミュニティーが互いに遠く離れてい るため、被災後も数日間そのまま放っておかれることもままある。

 各国赤十字社は地域に根ざし、しかも緊急時に補助組織となるべく合法的に設置されているので、 政府と地域の掛け橋となりうるかもしれない。赤十字の災害リスクの軽減や災害対策へのアプローチ は、地域密着型の自立的手法に基づいている。この手法のポイントは、脆弱性と対応能力評価であ る。これは、地域の人々の手で行われ、コミュニティーを脅かすリスクを増加あるいは軽減させる要 因を見出そうとする手法である。対応能力評価を行うプロセスを経験するだけで、コミュニティーの 災害への意識が向上し、リスクを軽減するために地域で手段を講じようという決意が固められる。

 これを確実なものにするために、指導マニュアルは太平洋諸国の「優先事項、習慣、信仰」を踏まえ たものとした。それぞれのコミュニティーの災害対策委員会および災害計画を作るための指導を受け るだけでなく、災害発生後、自分たちで対応ができるように、救急法の訓練も受ける。

 多くの島の社会は、個人的な所得や利潤競争よりもむしろ、伝統的に協力、贈り物の交換や共有と いったものを基盤としている。この相互扶助のコミュニティーの文化は災害が襲ってきたときに非常 に有利に働きうる。しかしながら、競争原理と利益追求型経済が浸透することで、コミュニティーの 脆弱性に直接的な影響が生じる。かつて人々は必要とする土地、木、道具や知識を先祖から受け継い で手に入れていた。生き残るために必要なものはこれですべてだった。現代的な生活様式、西洋式へ の生活様式への移行は人々を気候変動に対して、より脆弱な立場にしている。彼らは災害への対処や 工夫の仕方を失ってしまう。一部の人々は、これら地域の災害戦略が消滅する前に、そうした戦略の カタログを作ろうと模索している。伝統的な資源管理手法は、例えば、ハワイ原住民の物語、歌や踊 りの中に歌われている。劇を使った手法は楽しく参加型であり、異なる地域でも適応でき、そして健 康から環境まで様々な問題について等しく当てはまる。一番重要なことは、ほとんどの島民たちが自 分たちの歴史を世代から世代に受け継がれてきた歌、踊り、儀式、伝説を通じて学んでおり、寸劇が こうした方法に根ざしているために効果的に働くという点である。この劇場プロジェクトにはある理 論的な裏づけがある。人々は耳にした情報のわずか20%しか記憶していないが、聞いて、見て、話し て行動したことについては、90%を記憶しているというものである。

 農産物輸出への依存は、太平洋諸島の外部からの衝撃に対する不安定性を増す、と国連開発計画は 主張する。いくつかの島国では、農業は外貨収入の75%を占める。しかし、商用の農作物は自給自足 のための農地を犠牲にして栽培されており、こうした国々は、世界の市場と気候という両方の変動に 対して脆弱な体質に陥りかねない。

 災害のリスクを積極的に評価し、優先順位を定め、軽減する、新たな開発のパラダイムが求められ ている。あらゆるレベルにおけるあらゆる政策決定は、それが気候変動の影響に対する脆弱性を高め るのか軽減させるのか、厳しく精査されなければならない。今後は、計画策定者はすべての開発の決 定につき、災害リスクを軽減させるという観点から考える他に選択の余地がないのである。重要なこ とは、成功のためには、リスクに直面しているコミュニティーがこの計画プロセスの中心にいなけれ ばならないということである。

 小さな島の国々は、自分たちだけでこれらを実現することは出来ない。先進国の政治的および財政 的なかかわりが必要とされるのである。世界の中で最も豊かな先進国による、気候変動から引き起こ された災害リスクを軽減するより強力で現実的な取り組みが、先進国自身にとっても最善の策である ことが証明されるだろう。


イラン南東部地震 救援医療チーム活動報告

(鵜飼卓:救急医療ジャーナル 2004年4月号 44-48)


 2003年12月26日午前5時27分(日本時間同日10時57分)頃、イラン南東部の小都市バ ムを中心にマグニチュード6.5の地震が発生した。当初、死者数は200人を超えると報 道されたが、最終的には4万人近い死者が出たと言われ、被災地人口の約1/3〜1/4が 死亡したことになる。外務省と国際協力機構(JICA)は同国の要請を受け、同27日早 朝に国際緊急援助隊医療チーム(JMTDR)の派遣を決定し、第1陣5名、第2陣18名が被 災地に派遣された。

【地震災害の概況】

 被災地はイラン南東部の砂漠の中にあるオアシス都市で、人口は12万人足らず、バ ム市内の人口は約9万7千人であった。住居は日干しレンガを積み上げて泥で塗り固め たもので、震災によって原形をとどめないほどの全壊家屋が多数見受けられた。バム 市と近郊で病院が3病院、保健所23か所、簡易保健所が95か所、全半壊した。またイ ランの水利システムであるカナートは56か所中20か所が使用不能になっている。しか し電柱の多くは被害を受けずに立っており、道路の亀裂も少なく橋も健全であった。

【イラン政府と国際機関の対応】

 被害の甚大さに鑑み、イラン政府は国際機関と全世界にむけて救援の要請を出し た。また、バム市の医療機関は壊滅的被害を受けたため、約1万2千人の負傷者をテヘ ラン等イラン各地の病院に分散搬送した。我々がケルマン空港に到着した12月30日、 空港ロビーに負傷者が集められ、医師や看護師らがこのケアに当たっていた。世界各 国の救助隊が、発災翌日から続々と現地に到着した。

【JMTDRの活動】

 第1陣は震災発生の翌々日に被災地に到着し、第2陣は12月30日早朝にテヘランに到 着、12月31日に現地入りした。機材到着を待ち、到着と同時に診療テントの設営を開 始した。約3時間後には診療開始の目処が立ち、1月1日から診療を始めることができ た。診療患者の内訳は、上気道炎患者が約1/3を占め、次いで腰痛や関節痛などを訴 える患者が多かった。また、頭痛や不眠、フラッシュバックなどを訴える心のケアが 必要な患者が目立ち、小児の喘息や下痢症なども少なくなかった。

【諸外国の医療チーム活動状況】

 今回視察しえた外国医療チームで特に注目されたのは、ウクライナとヨルダンの チームであった。いずれも手術室、X線検査、簡単な臨床検査設備を持ち、40床と25 床の病床を運用していた。また、ウクライナは24時間診療体制であった。これらの 国々がこれだけの大型医療チームを送る能力を持つに至っていることは、今後の JMTDRのあり方を考える上で極めて重要である。

【今回の活動で得た教訓】

 発生した地震災害に対する対応という点で、日本社会もイランにかなり学ぶべきと ころがある。以下にその要点を述べる。

  1. 多数の負傷者がすばやく分散搬送され、機能を失ったバム市内の病院に負傷者を留 めておかなかったことは、大いに学ぶべきである。

  2. すばやく国際社会に救援のアピールを発し、諸外国からの医療チームを受け入れて その調整の努力をしたことも高く評価される。

  3. 被災地域を分割し、その地域の保健衛生や生活支援の責任を近隣諸州に分担させ、 被災社会の安定化を図ったことは、優れたアイディアといえる。

  4. 今回のミッションでは格段にロジスティック能力が高まり、スタッフは医療活動に 専念することができた。また、ITの進歩により容易に通信、情報の獲得ができた。

  5. 諸外国チームの行動の迅速さには眼を見張るものがあり、到着時期はさほど我々と 違わなくても、素早く診療行動を開始しさらに緊急事態が沈静傾向になると即刻撤収 した。

【今後の災害時国際緊急援助課題】

  1. 大型チームの派遣:臨床検査や画像診断検査などの充実や外科手術、小児科、産婦 人科などを含む総合的なチーム編成を考慮すべきである。

  2. 輸送力:今回機材が到着するまでに50時間以上を要した。今後何らかの方法で迅速 に緊急援助隊と物資を輸送する手段を充実する必要がある。

  3. 国内災害時の活動:JMTDRは、日本国内で災害が生じたときに活動することには なっていない。しかし、日本国内に現時点でこの組織ほどまとまって緊急災害対応の 準備がある医療救援組織は他にはなく、JMTDRは国内災害にも最も有力な救援チーム であると言える。

 JMTDRができてから今回の派遣までの間、チームとして非常に大きな進歩があっ た。しかし、諸外国でも人道支援に関わる組織の強化に力をいれていて急速に進歩し ている。JMTDRの現状では残念ながら、その規模と機能の上で諸外国に遅れをとって いるといわなければならない。


生物テロによる被害の様相

(生物化学テロ災害対処研究会:必携―生物化学テロ対処ハンドブック、診断と治療社、東京、 2003、p30-35)


1.生物テロでの生物剤の使用形態

 生物テロでの生物剤の散布要領としては、エアロゾルまたは粉剤の空気中への散布、水道・井戸水や飲食物への混入、感染 媒介昆虫等の放出、感染患者の人ごみ中への放出が考えられる。

a. エアロゾルの散布

 最も効率的・効果的な生物剤散布は、ヒトの呼吸器系に感染する病原体を空気中に散布する方法である。散布する生物剤の性 状によって、液状生物剤と乾燥生物剤とにわけられる。

b. 水や飲食物への汚染

 細菌やウイルス、ボツリヌス毒素は、塩素に感受性があり、河川や貯水池を汚染させても、塩素消毒が施されている水道水 への効果は低い。しかし、炭疽菌芽胞やクリプトスポリジウム原虫は、塩素抵抗性であるために、生物テロの蓋然性が高まっ た段階での河川や貯水池の警備。警戒は重要である。

c. 感染媒介昆虫等の放出

 感染のサイクルに昆虫や節足動物が関与する場合は、流行が波状的に続いて起こる。テング熱や黄熱等のアルボウイルス感 染症の多くは、感染蚊が経卵感染で次世代の蚊にウイルスを伝播する。この患者発生は蚊の生息性や季節性に関連し、蚊の飛 翔性と人畜共通感染症とから、二次、三次流行時には広範囲の患者発生となることが懸念される。

d. 感染患者の放出

 天然痘や肺ペスト等のヒトからヒトへの感染性を有するものでは、使用の可能性が懸念される。

e. その他

 生物剤を封書や小包に忍ばせるとか、汚染された衣類や毛布類を送る手法は、環境中で比較的安定な炭疽菌芽胞や天然痘ウ イルスで用いられる可能性がある。

2.生物テロを疑う兆候

 医療機関が初めにその兆候を認識し対処する。その際、注意すべき兆候として、1)同様の患者、特に上気道・消化器感染が 不自然に増加している、2)原因不明の死亡例が多発している、3)通常よりも非典型例・重篤例である、4)暴露要因に共通性が ある、があげられる。

3.生物テロ被害の型

 生物テロ被害は患者数と致死性から、大量殺傷型生物テロ、少量殺傷型生物テロ、非殺傷型生物テロ、に分類される。

4.生物テロの暴露形式

 生物テロには、公然攻撃と秘匿攻撃の2つのタイプがある。

5.生物テロ被害の影響

 0.5 m/秒の低風速・夜間/早朝の時間帯が最適条件である。

6.感染防御

 暴露前にワクチンなどの能動免疫療法や抗生物質の事前投与がなされた人々では、疾病の予防が可能である。ワクチン療法 は将来的にも生物剤の幅広い脅威に対して最も効果的な予防手段と考えられる。海外では、痘瘡ワクチン、炭疽菌ワクチンの ほか、野兎病ワクチン、ペストワクチン、Q熱ワクチン、コレラワクチン、ボツリヌストキソイドAが使用可能な段階(一部未 承認を含む)である。ウイルスに対しては効果が実証された薬剤はほとんどなく、毒素に対しても効果的で安全な広域抗毒素 剤は存在しない。本邦では、痘瘡ワクチン、ペストワクチン、コレラワクチンのみが使用可能である。


大規模災害に対する自治体の取り組み:JVMATについて

(島崎修次ほか:救急医療ジャーナル 12(5)通巻69号、25-28, 2004)


 JVMAT(Japan Voluntary Medical Assistance Team:日本災害医療支援機構)は災害時の医療支援という命題のもと、災害時 の混乱下において一人でも多くの人命を救うことができるシステムの構築を目指して活動しているNPO法人である。災害ボラン ティアを「災害発生時に自らの意思により医療およびその支援を中心とした人命救助に従事する人々およびその活動」と定義 し、これまで個々に展開されていた彼らの勇気ある活動を、組織として冷静、沈着かつ有効な活動へと発展させることを目指 した。

 発災直後の災害医療活動に求められることはTriage(選別)、Treatment(治療)、Transportation(搬送)の「三つのT」で表現 される。これらを迅速かつ有効に達成するためには災害医療支援活動に必要な知識と技能を備えた「人材」が必要である。こ れは医師・看護師などの医療従事者のみならず、災害医療活動に関わろうとするすべてのメンバーに求められる要件である。 いかに迅速かつ正確に、これらの人材を集め、必要とされる場所に彼らを送り込むかに、その成否が掛かっているのである。

 前述したように、初動期の災害医療支援活動には一定の知識や技能が必要とされるが、このような「必要な」人材を、「自 発的」に参加したボランティアの中から探さなければならない。しかし、混乱した被災地内でこの作業を短時間の内に成し遂 げることは、きわめて困難である。集まってくれたボランティアの中で、作業を担当すべき専門家や経験者が確保できなけれ ば、新たに参加の呼びかけを行わなければならないが、主要な通信インフラが遮断された状況下で必要な人材を確保する手段 は限られており困難である。また、せっかく「必要」な人材が集まっても、身元確認に時間を要したり、資格者であることが 証明できなかったために、重要な活動に参加できなかった例が、阪神淡路大震災において数多く報告されている。

 これらのことからJVMATは、人材の確保・選別のいずれにおいても、ボランティア個人のIDや必要とする人材情報の収集、確 認、検索および伝達を、正確かつ迅速に行うシステムの構築をまず取り組むべき課題に位置づけ、ボランティアの個人情報と データベースの構築、これに連動する複数の情報系や写真付IDカード等のインフラ整備に着手した。この写真付きIDカードは 現地での身分証明として機能すると同時に、被災地内での食料をはじめとする物品の調達のカード決済を可能にする。また、 現地の本部では、各メンバーのID情報を把握し、それを、消息確認など実際の救援活動の中で生かすことで、被災地内でのメ ンバーの円滑な活動を支援する。

 適材適所の人材配備を実現するためには、被災地全体および各地域の被災状況はもとより救援活動の進歩状況、不足する人 員の種別と人数、すでに配備されている人およびチームの活動状況や疲弊の程度などが、正確かつ迅速に、そして刻々と変化 する状況に対応してリアルタイムに、伝達されなければならない。このためには、画像伝達を含む情報インフラの整備と、伝 える内容とタイミングに関するルール化が必要となる。また一方で、適正な人材配備のためには、行政等に設置された「対策 本部」を頂点とする現地指揮系統との関係を無視できない。この考えに基づき、JVMATは、自治体の危機管理体制を補完するモ デルとして、2003年2月に静岡県との間で「災害時の医療活動に関する協定」を締結した(図2,3)。東海地震などにおける救援 メンバーの輸送及び被災地での災害医療活動への貢献が期待されている。

 我が国では、防災週間、防災の日を中心に、官民の連携による各種イベントや防災訓練が実施されているがJVMATはこれらの イベントに積極的に参加し、さらに医療、行政、NPO、企業、そして市民の各セクターが『対等のパートナーシップ』のもと に、それぞれの得意分野を出し合い、協力して災害医療活動に役立てよう、という新たなボランティアの枠組み、コンセプト を提案している。

 またJVMATでは企業に対して従来型の社会貢献活動(寄付行為、炊き出し等の支援等)に加え、本業分野での本格的な支援活動 への参加、つまり最も得意とする領域において高質の「モノあるいはサービス」による社会貢献を果たし、さらにそこで得た 利益の一部をもって「カネ」による社会貢献に結びつける、新しい「企業フィランソロピィー」の提案である。こうした形態 をとることにより、企業はより大規模かつ継続的な支援活動を展開することが可能となった。

 災害時の医療活動を効果的に成し遂げるためには、医療関係者のみならず、これを支援する多くのスタッフの存在が不可欠 であり、すべての人や組織の知識・経験・技術そして情熱を一つの大きな力に変えるには、行政と民間、個人と組織などの枠 を超えた新しいシステムの構築が必要である。


阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件から10年/地下鉄サリン事件の経験から

(奥村徹、石松伸一:ER Magazine 1: 354-358, 2004)


<阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件から10年>

 救急医療体制と災害医療体制はそのリソースに重なりが多く、歴史的な経緯もあり、通常、災害の 準備や災害訓練というと、救急診療部門が責任を持っていることが多い。しかし、救急医療と災害医 療とはまったく正反対の概念なのである。つまり救急医療では、ひとりの患者を多くの医療者が囲ん で最善の治療を尽くすことになるが、災害医療ではその反対にひとりの医療者が多数の治療を求める 傷病者に囲まれるのである。つまり救急医は、災害に際しては日常の発想を180度転換しなければなら ないことになる。また、災害時には救急医だけでどうにか対応できることはなく、災害対応は病院全 体が取り組むべき危機管理なのである。

 医師の災害観が大きく変わることになったのが、1995年の阪神・淡路大震災、東京地下鉄サリン事件 であった。それまでほとんどの日本の医師にとって災害対応への準備は、火災訓練と同義であった し、災害医学という言葉も労働災害に関わる医学を指していた。しかし、1995年以後、阪神・淡路大震 災は自然災害、東京地下鉄サリン事件は人為災害の代表例として医師の間で、その教訓が語り継がれ ることになった。災害対応医療の専門学会として、日本集団災害医学会ができたのも、1995年以降の ことである。この意味で、1995年は、本格的な日本の災害対策医療のはじまりの年であったといって も過言ではない。1995年以来、トリアージという言葉の概念も浸透してきたし、災害訓練もムラー ジュを使ってより実際的に行われるようになってきた。しかし、トリアージに関わる法的な問題も解 決していないし、医療機関には十分な資材、設備がないなど、災害対応には様々な未解決問題が山積 みである。

 医療はあくまでも災害対応の一部であることを認識し、他の機関といかに円滑な災害対応を行って いくのかを、医療従事者は命の救う観点から追求するべきである。 災害対応は、社会危機そのもの であって、消防、警察、地方自治体、国といかに連携をとっていくかが重要である。

<地下鉄サリン事件の経験から>

1995年3月20日朝に東京都内地下鉄3路線で発生した地下鉄サリン事件は、傷病者数5509人、死亡者12 人を出す大惨事であり、また、この事件は化学兵器が一般市民を標的に使用された世界ではじめての テロでもあった。著者が救急部にいた聖路加国際病院では、事件当日640人の被害者を受け入れ、110 人が入院となり未曾有の対応を迫られた。(表1)

 当日起きた問題点として、救急部ではCPA患者が3人搬送されたとき、すでに救急外来の人的、物的 資源の許容範囲を超えていたことである。しかもあとどれぐらいの数の重症患者が運ばれるのかまっ たく予測できなかった。幸い、聖路加国際病院ではスタットコール(患者の急変があり、応援が必要な ときに「スタットコール○○病棟」という院内放送を行う取り決めになっていた)により、院内非常放 送と同時に大勢の医師、看護士、職員が応援に駆けつけてくれたことで人員充足ができたため、中等 症以下の治療は各科の応援医師に任せ、救急医はトリアージと重症患者の治療に分かれた。しかし、 トリアージといっても、歩行不可能な患者の蘇生の要否を確かめるのみだった。

 他の問題として、被害者の事前情報がない状態での突然の来院による混乱があった。表2に示すよ うに被害者の来院手段をみると、当日受診した640人のうち確認できただけで救急車で来院したのはわ ずかに35人で、残りの多くは独歩、あるいは乗用車やタクシーで運ばれてきた。今回のような多数傷 病者発生時には重傷度や搬送人数などの事前情報はないまま突然来院することが考えられ、そういっ た場合には、身元や所在の確認には時間を要し、まして病院入り口で除染の順番を待つことなどほと んど困難と推測される。

 また、原因物質も分からず、被害者に外出血を伴うような外傷もなかったため、医療者の除染や2 次汚染防護の認識は極めて低かったことも問題であった。また、患者の収容場所やベッドがなくなっ たため、院内の窓のない礼拝堂を臨時の病室として使用したことで、サリンのような揮発性の毒物の 室内滞留を引き起こしてしまった。図1は事件当日現場で勤務した職員に調査した2次被害の発生状 況を示している。幸い症状は頭痛や縮瞳など程度の軽いもので済んだが、礼拝堂で活動した職員の実 に45.8%に2次被害を生じるという事態になった。このことからも、医療者が自分の身を守って、被 害者を拡大させないという確証があってこそ被害者治療が行えるということをもう一度認識すべきで ある。

 表1 聖路加国際病院への受診被害者640人の予後

  当日帰宅   528人
  一般病床入院 107人
  集中治療室入院 4人(CPA蘇生後2人、呼吸停止2人)
  外来死亡    1人
  (最終的に外来死亡1人、CPA蘇生後1人以外の638人は軽快退院)

 表2 被害者の来院手段(確認分498人)

  徒歩   174人    救急車   35人
  タクシー 120人    警察車輌  7人
  一般者   67人    その他   31人
  消防車輌  64人

 図3 2次被害の発生状況


大規模災害の発生から初動期の対応

(辺見弘:臨床と薬物治療 22:174-178, 2003.03)


はじめに

 本邦や世界の情勢からみても、中央官庁から国民一人一人まで災害に対する危機管理が求められる時代である。

 駿河湾トラフ(海溝)を震源とする東海地震は、これまで100年から最長150年の周期で規則正しく発生しており、先の発生から149年目に至った今、いつ大地震が発生しても不思議ではないほど地震のエネルギ−は集積している。地震予知が可能となれば、人的被害を 1/10以下に減少することも可能であるため、地殻の変動をすみやかにとらえ、緊急会議召集から警戒宣言を発令するまでの体制整備が強化されている。

 一方、世界の冷戦時代は終結したが、宗教の自由や民族の独立を求める運動は激しさを 増しており、また、核、細菌、化学兵器などの大量破壊兵器が世界に拡散するようになって、 それらに対する人々の恐怖はより大きなものとなりつつある。ITをはじめとする先端 技術の進歩はわれわれに大きな利便性を与えた一方で、各国の経済力に大きな格差を生じ させることとなり、"富める国" においてテロへの不安が広がっている。自然災害も人為的災 害も、備えを怠ると壊滅的な打撃を被るが、備えがあれば被害を減少させることは可能である。

阪神・淡路大震災以降の取り組み

 阪神・淡路大震災を振り返ると、医療としての最大の反省点はシステムとしての救急医療 体制の欠如であったと思われ、その反省から、当時の厚生省は1996年、災害時の初期救急医療 体制の強化を目標に、9項目からなる改善策を各自治体の首長宛に発令した(表1)。その 後、地下鉄サリン事件や東海村臨界事故、米国同時多発テロの発生、世界の自然災害へ の派遣などを経験し、厚生労働省において災害医療の取り組みに対する検証が行われた。その 結果、以下の6項目が浮かび上がった。

  1. 地域防災会議に医師が参加するようになったが、救急医療に従事している医師の参加が 不十分である。

  2. 応援協定の締結は隣接した都道府県間ではできあがったが、より広域の地方間での協定が 必要であり、いまだ未整備である。

  3. 医療品備蓄が可能で、耐震性に優れたライフラインとヘリポートを備えた災害医療拠点 病院として、全国で520施設が認定されたが、施設間の格差は大きく、全体ではハード、 ソフトとも完備度は60%程度である。大規模災害に対して自治体の枠を超えた施設間の ネットワーク作りが急がれる。

  4. インターネットを利用した EMISは災害時には都道府県別の救急対応能力情報を提供す ることが可能であり、三宅島噴火や鳥取地震、ワールドカップ開催時には自治体の衛生 担当部局や医療者間の情報交換に有用であった。

  5. 国立病院東京災害医療センターでは、2000名を超える災害医療支援拠点病院の医療従事者 に対して災害医療の知識の普及・訓練を行ってきたが、さらなる充実が必要である。

  6. 沖縄サミットの際には、警察官やマスコミに対して沖縄の個別の救急医療施設を指定して 対応した。VIPに対しては警察、消防、医療が合同指令本部を設けた。医療に関しては、2ヶ所 の拠点病院の院長指揮のもと、本土からの救急医療関係の医師、看護師200名がチーム を組んで災害派遣医療チームとして待機体制を敷いた。

国としての危機管理と防災対策

 1997年5月、内閣の危機管理機能の強化に関して、「災害に対する具体的な対応は 自治体や各省庁の責務ではあるが、各省庁を統合・指示し、すみやかな対処が可能な体制を整備 することは内閣の重要な役目である」との具申がなされ、これを受けて、以下の項目につい て整備が行われ、対応方法が具体的に決められている。

  1. 情報収集・集約体制の整備
  2. 意志決定体制の整備
  3. 緊急事態発生の情報の流れ
  4. テロなどの重大な緊急事態発生時の対応
  5. 大規模震災初動対応

南関東直下型地震に対応した政府の図上訓練

 多摩川河口付近を震源とするマグニチュード7.2規模の直下型地震を想定して、2003年1 月15日、政府13機関および7都県市が、政府と地方公共団体の防災関係組織・体制の連絡 調整機能の検証および確認を目的として、広域防災訓練を実施した。

おわりに

 海溝型の南関東大地震が発生した場合、重症者は、搬送の問題を考慮すれば、被災地の医療 施設で根治治療したほうが生存の機会は増す。しかし、医療資源の枯渇あるいはライフラインの 途絶下では、被災地域での治療は不可能に近く、さらに時間の経過とともに状態は悪化する。自治体はまず、政府よりも早く公的な支援を計画するべきである。

 たとえば、重症者は拠点病院に収容し、状態を応急的に安定化させ、拠点病院から空港へはヘリコプタ−で搬送し、空港から非被災地までは固定翼で搬送する、といったシステムを早急に構築する必要がある。

 災害のフェーズ0とは被災地に公共の支援が届かぬ時期であり、被災者自身が相互に救出救助して救急処置をしなければならない時期である。民間をも活用してフェイズ0期を短縮する体制づくりが望まれる。

表 災害時における初期救急医療体制の強化(1996年5月、厚労省健康政策局)
  • 地域防災会議への医師の出席
  • 災害時における応援協定の締結
  • 自立応援態勢の整備
  • 災害医療支援拠点病院の整備
  • 保健所機能の強化
  • 災害医療に関する普及・啓発・研修・訓練
  • 防災マニュアルの作成
  • 消防機関との連携
  • 死体検案体制


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