災害医学・抄読会 2004/11/26

大規模災害に対する自治体の取り組み:兵庫県の場合
―阪神・淡路大震災の経験から―

(丸川征四郎、救急医療ジャーナル 12(5)通巻69号、16-20, 2005)


 死者6千余名、負傷者約3万5千名、全半壊家屋約20万棟、焼失家屋約7千5百棟、直接被害総額9兆9千億円(1996年資料)の大惨事「阪神淡路大震災」からの復旧、復興、そして災害に強い都市づくりへの兵庫県の取り組みの一部を述べる。

<災害対応プログラム>

*災害医療システム検討委員会の報告の具体的課題

<医療機関における取り組み>

1.兵庫県災害救急医療システムの整備

 神戸東部新都心に建設された「兵庫県立災害医療センター」を中核とする「兵庫県災害救急医療システム」が整備された。

 A)県立災害医療センター

 B)災害救急医療情報指令センター

 C)医薬品備蓄システム

 D)患者搬送システム

 E)「救護班」派遣体制の整備

2.兵庫県災害拠点病院連絡協議会の設立

 兵庫県内には現在13か所の指定災害拠点病院があり、規模に応じて災害コーディネータが 2〜5名(総計40名)選任されており、年2回の研修会が行われている。

3.地域ケア開発研究所

 救急救命処置に片寄りがちな災害時の看護ケア、および災害看護教育を見直すという視点から設置された。とくに被災者の長期的な身体と「こころの健康状態」をケアする視点からも急性期看護のあり方を再検討することが目的である。

<「健康とこころのケア」における取り組み>

1.人と防災未来センター

2.こころのケアセンター

 大災害を契機として、被災者や被害者のトラウマ(心的外傷)や、その結果として生ずる PTST(心的外傷後ストレス障害)をテーマとした研究、研修や情報発信、相談・診療などを行 っている。

3.まちの保健室

 専門的な知識を持った兵庫県看護協会の看護ボランティアが、復興住宅を訪問して、身体や心の健康相談に応じるもので、とくに高齢者の健康上の不安や悩みなどの相談、閉じこもりがちな方々への訪問活動を行っている。

<その他>

  1. 災害救援ボランティア登録制度
    • 1996年に災害救援専門ボランティア登録制度が発足し、救急・救助、医療、介護、手話通訳、建物、輸送などのボランティアを登録した。
    • この制度は交通費や食費など経費を県が負担する点が特徴的である。
    • 1998年から始まった2期目には、歯科医師、薬剤師や医療技術者の登録が行われ、トラック、バス、船舶などの登録もあった。

  2. 原子力防災計画
    • 放射能漏れ事故などが起こった場合、科学技術庁職員や専門家が到着するまでの地元の対応を示すマニュアル
    • 安全確認、具体的な対応法のほか、地元の専門家、測定機器リスト、受け入れ可能な医療機関、搬送方法、住民避難、情報提供のあり方などが盛り込まれている。

<おわりに>

 本来、災害医療は傷病者の「搬送と救命」という救急医療を内包するものの、その主軸は「災害 の予防」という予防医学に置かれるべきである。すなわち、発災後の傷病者への対応だけでなく、 被災者、傷病者(少なくとも死者や重傷者)を生まない方策をもテーマにすべきである。よって、 阪神淡路大震災の経験と集積されたデータが、地質、土木、建築など工学領域へ、あるいは社会学、 福祉学などの領域へ還元され、災害に強い市民社会の構築に役立っているかを検証することは重要 な課題である。


広域防災訓練における医療への関わり

(上山祐二ほか、日本集団災害医学会誌 9: 274-9, 2004)


 全国各地で行われている大規模な防災訓練の多くは、あらかじめ知らされたシナリオに基づいて各 組織が分刻みに行動するものであり、またその内容も、救出・救助・搬送に重点が置かれ、医療の関 わりが希薄であることがこれまでも指摘されてきた。今後の総合防災訓練において医療がいかに関わ るべきかを明らかにする目的で近畿府県合同防災訓練に参加した医療関係者にアンケートを行った。

 医療関係参加者は救護者群として医師・看護師・事務職員が44名、模擬患者として看護学生が200名で あった。今回の全訓練に対する医療関係の訓練の割合は、訓練項目数では全48項目中6項目、時間で計 算すると2108分中148分であった。アンケートの結果、今回の訓練において満足したと答えた人にとの 理由には、救護者群・傷病者群共に「いざというときに役立つから」という意見が多く、傷病者群か らは「傷病者の気持ちがわかった」という意見も多く出された。また災害医療に対する知識・技術の 不足を学んだ、という意見も多かった。一方、不満の理由は、時間をもてあましたこと、リアリティ に欠けた、全体としてなにをしているのか分からなかった、などの意見があり、特に傷病者群からの 意見としては「真剣に取り組んでいるのに救護者側が笑っていた」など救護する側の緊張感のなさを 指摘していた。

 今回の訓練において、県という大きな行政単位で、多領域の防災対応部門が関与する防災訓練の中 で、医療部門として十分な関与が出来なかった。結果として、大局的には従来通りの展示訓練とな り、多くの点で反省を残した。今回の訓練が医療救護以外も含めた「合同」防災訓練であり、医療の 関わる訓練が少なかったのが、「時間をもてあました」、「全体の様子がよく分からなかった」とい うアンケートの理由だと思われる。訓練の究極の目的が多くの命を救うことであるとするならば、医 師、看護師、救急救命士ら医療従事者が参加する訓練を充実させることが必要不可欠である。また、 現状では、災害医療そのものの認知度が低く、卒後教育・生涯教育も不十分であり、また医学の授業 でもほとんど無い。参加者に対して、緊張感をもって訓練に取り組む姿勢といった参加者の心得など を伝えることも実効ある訓練には必要な事と考える。

 合同防災訓練の重要な意義に、訓練に参加した行政、消防、救急隊員、警察、医師など、あらゆる職 種の人が同じ場所に集い、互いに議論を重ねながら互いの役割、そして自分自身の役割を知ることが あげられる。医療専門職が企画立案や相互理解・知識の共有化に積極的に関与することは、さまざま な職種のもつ長所を生かした合同訓練を可能とし、ひいては今後の災害対策にとって大変意義深いも のとなると考える。

 今後、このような防災訓練においても、医療の側から積極的に働きかけ、医療救護の必要性をアピー ルすることが重要である。今後多様化する災害において医療活動が求められる場面は多く、医療を絡 めた広域防災訓練の実施が必要である。さらに、平時における災害時医療救護計画にも参加すること が必要である。


第4章 市民社会における大規模イベントの開催

(明石市民夏まつり事故調査委員会:第32回明石市民夏まつりにおける花火大会事故調査報告書 2002年1月、p.135-141)


1.市民の危機対処する能力は年々低下していることを前提にしてイベントの計画を立てる。

 我々は人工的な環境の中で育ってきたために動物的な危機察知能力は経年的に落ちてきており、危機を他人事のように考えてしまう傾向が強い。今回の花火大会でも来場者が自主的に、

  1. 会場の混雑を見て小さな子供を連れた家族はあきらめて帰る。
  2. 迂回路に回ってくれる。
  3. 朝霧歩道橋上では立ち止まらない。
  4. 警備員の言うことに従ってくれる。
という思い込みが主催者側にあったのではないか。逆にそうではないと考えて対処する方策を考えるべきであった。

2.主催者側、警察署側、警備会社側のそれぞれが組織として市民の安全を如何に確保するかということに基本的な視点を置いて、雑踏警備、救命活動に対して合意形成をすべきである。

 群集事故は事前の周到な準備によって回避できるが、関係機関が経験的知識に基づく個人の能力だけでなく組織的に対応すること、市民の安全を如何に確保するかに視点を置くこと、が重要である。

 今回の場合、明石警察署と明石市の協議の結果は議事録として残されていなかった。本来は市民をエンドユーザーとして意識し、合意形成の過程をユーザーである市民に説明することが必要であり、そのために正確な議事録を作成するのは当然の義務である。

 また、警備会社は講習会などを開催して警備員の質の向上を目指すべきであり、警備会社の選定の際にはそのような努力をしている組織を選ぶべきである。地域産業の振興という意識から地元の警備会社を優先する傾向にあるが、社会的しがらみよりも人命を預かる覚悟のある警備会社を選定すべきである。警備会社の重要性が高まってきているにもかかわらず、社会的認知がそれほど高くないことも今回の事故の遠因である。

3.災害弱者(子供、女性、高齢者)が雑踏事故で犠牲にならないためには「自分に命は自分で守る」という自助努力に加えて、災害弱者を事故から守る主催者側の仕組みも必要である。それには以下の点が重要となる。

  1. 会場へは早めに出かけて、ゆっくりと時間をおいて帰る。
  2. 成人、できれば男性と同行する。
  3. 主催者側は時間差で来場、退場できるような仕掛けをする。
  4. 迂回の交通手段を十分に確保する。

4.イベントを開催するには適切な会場というハード整備と周到な準備というソフト整備がかみ合わなければならない。市民の安全を確保するために以下のような今後の取り組みが示されている。

  1. イベント開催時には人の導線で立ち止まって見物できないように目隠しになるような工夫を設置する必要がある。(例)歩道や歩道橋の踊り場など。

  2. 来場者が1つの駅に集中することを抑制するために2つの駅に分散するような場所に、イベントの開催場所や夜店の配置を行う。横断歩道の新設や交通規制、迂回路の設置も同時に行う。

  3. 前回の危険箇所には情報機器を備えて事故の防止と万が一事故が発生した場合に円滑に対処できるように努める。

5.地域防災計画への反映。

 地域防災計画の策定において、望ましい計画内容は以下の4つの視点に基づくものである。

1)計画(目的・目標)

事故発生確率をゼロにはできないことを明示して関係機関の努力と来場者の協力を求め、自治体の主催するイベントであれば来場者の多くを占める住民の意見を聞かなければならない。

2)実施・運用

積極的に雑踏警備や整理を実施する義務が生ずることを認識し、周到な事前準備を組織的に行う必要がある。また、運用では警察、消防、警備会社、自治体がそれぞれの役割を明確にして責任を持って実施することが必要である。また、来場者のパートナーシップが必須であることから大規模イベントにはどのような危険が存在するかを事前に来場者に理解を図ることが重要である。

3)評価

過去のイベントの教訓の洗い直しや、その教訓の関係者間での共有化、警備計画の専門家によるチェック、会議録の作成、緊急時の救急・救命体制の検討など。

4)見直し

次の開催までに改良すべき事項や二度とやってはならない事項に対する議論が必要であり、その是正措置の確認が重要である。


第2章 被害軽減(前半)

(国際赤十字・赤新月社連盟:世界災害報告 2002年版、p.40-48)


 ラテンアメリカは、地殻変動による災害から気象災害に至るまであらゆる種類の災 害のるつぼである。特に中央アメリカはハリケーンや山火事、干ばつのみならず、地 震や火山活動の繰り返しが顕著で、世界で最も地質変動が激しい地域である。1960年 から1988年までにアメリカ国務省の海外災害援助事務所は中央アメリカだけで7ヶ国 64件の自然災害を記録している。しかし、この地域の多くの国、特に疎外された貧し い地域は、貧弱な構造しか持たない建築物や立地、そして環境悪化により、自然の破 壊力に対してますます脆弱になっている。このことは1998年にホンジュラスとニカラ グアを襲ったハリケーン・ミッチや1999年のベネズエラ洪水で多くの死者が発生する という結果から明らかである。(ハリケーン・ミッチは死者数20,000人に達し、ホン ジュラスの経済発展を20年後退させたといわれている。)また、2001年エルサルバド ルを襲った地震では死者1,100人のうち700人が急斜面に建てられた住宅で起こった地 滑りでの生き埋めが死因であった。

 しかしこのような被害がでた背景として、地域社会がもつ物理的な脆弱性の他にも 要因がある。それは、各国政府や援助機関が災害に対処するように地域に準備させる どころか自らもその備えを怠っていたことである。ハリケーン・ミッチ来襲時では、 効果的な捜索・救助手段や災害後の避難手段がなく、食料や毛布やテントなどの主要 救援物資の備蓄もなかった。この原因として、過去の災害から学ばず、安価でも効果 的な被害軽減策の実施を怠ったこと、さらに国や地方自治体だけでなく国際援助機関 もこのような措置をとらず、策をとらなかったことがあげられる。

 これらをふまえて国際赤十字連盟や赤新月社は調査チームを発足し「各国赤十字社 の運動メンバーの間で連絡調整の不全があり、また災害に対し適切な準備ができてい ない」という厳しい結果を得た。

 そこで国際赤十字社・赤新月社連盟は被害軽減と災害対応の能力を強化し、各国赤 十字社の対応能力を明らかにし、その能力の向上を支援するべく、あらたにPADRU (汎アメリカ地域災害対応ユニット)という地方機関を創設した。その本部は、パナ マにおかれ2001年末時点では、パナマにあるPADRUの倉庫には、水、衛生器具、毛 布、衛星電話、医療品一式、ビニールシートといった救助物資が備蓄されていた。こ れらは、赤十字社の要請から24時間以内にラテンアメリカのどこにでも船舶による輸 送が可能となっている。

 このPADRUの設立によって、2001年11月にキューバを襲った最大風速時速225キロに も及ぶハリケーン・ミッシェルの際は、ハリケーン襲来の数時間前には約70万人の住 民を緊急収容施設に避難させたため、被害は死者わずか5人にとどめることができ た。

 PADRUは現在、各国の援助チームに対して国際赤十字・赤新月社連盟の基準に従っ た研修を実施している。ここで各国のスタッフが国および地域の援助チームの一員と して対応できるように訓練されることは、PADRUの救援が中央集権から地方分権に変 わることを意味している。しかし完全な地方分権とするのではなく、救援物資の戦略 的備蓄、避難方法は地域で行い、大規模な国際救援のマネジメント専門技術などは中 央集権化すべきとPADRUは考えている。


第2章 被害軽減(後半)

(国際赤十字・赤新月社連盟:世界災害報告 2002年版、p.48-59)


災害のリスク軽減

 「階級地震」はロンドン大学のアン・ヴァーリーが「災害とは貧しい人々が日々直面する危機がまさ しく拡大したものである」と定義して作ったもので、その見解は今日では広く知られている。この主 張は、自然災害に対する脆弱性は貧困と不公平と社会的排除の結果であり、したがって経済発展こそ が被害軽減の最善の形態だとする。貧困者が一番被害を受けやすいという証拠は、もちろん山ほどあ る。しかし経済発展自体が脆弱性を軽減するという確信はないとい主張する者もいる。それらの人た ちは、あまりにも極端な主張ではないかと感じているのだ。近年のペルー地震の際には、裕福な近隣 の人々が死んだ中、掘っ立て小屋住まいの人々の中には助かった者もいたのである。さらに、2001年 の地震の際、サンサルバドル近郊のラスコリナスでの地滑りで犠牲となった700人の大部分は中流階級 だった事実もある。

 結論として、貧困以外の要因で人々が災害にさらされていることは明らかである。リスクの高い地 域をどこかを示す地図作成をしなければ、いかなる社会計画や富も人々を守ることはできないのであ る。

 ベン・ウィズナーは、地域の汎アメリカ保健機関は、「特に病院や診療所の保護のために、極めて 単純明快な構想と技術援助を提供することにおいて、指導的役割を果たしてきました。問題なのは各 国政府が時に口先だけで支持し、彼らのアドバイスに従わないことです」と指摘している。政府が中 心とならなければ、人道援助機関や開発機関は指導力を発揮することはできない。また、地域機関に とって問題となるものの一つに、「国の権力中枢」を通じて活動せよという政府からの要求があると 述べ、さらに「地域機関は市民団体や地域自治体まで手を伸ばすべきである」と主張している。ラテ ンアメリカにおける被害軽減の最優先事項は、様々な民間団体をとりまとめ、一貫性のある対策を 作っていけるような民間危機管理システムを構築することである。

地域社会における被害軽減の費用

 ペルーの第二の都市、アレキパ周辺の貧しい地域では。2001年の地震において、現地の赤十字が15 の緊急救護班を計画的に設立し、人命を救助した。この救護班には、避難と救急法の基本的な訓練を 受けさせ、地方当局およびその災害対策機関とつながりを持たせた。地震の前夜、パンパス・ポラン コのスラム街の緊急救護班は、避難の予行演習を実施し、災害直後に避難所とするテントの張り方を 教わっていた。

 アレキパ救護班の保護下にあった3万人の住民は、地震発生後うまく対応できたと、長い間赤十字ボ ランティアとして活動した。実際の災害での活躍が認められた救護班は今、欧州連合の資金提供を受 け、ペルー南部の地震発生地帯にもっと広範囲にわたって編成されようとしている。これらのことか ら、どんな貧しい地域でも自然災害に備えて安全対策ができることが証明された。

早期警報が人命を救う

 地震発生が予想されることはまれであるが、異常気象は高い確率で予測できる。キューバでは、効 果的な災害対応計画と国営メディアによる情報の伝播によって、ハリケーン・ミッシェルの襲来の数 時間前には、国で取り決めていた避難方法に基づいて避難する事ができた。中米では、このような警 報システムはハリケーン・ミッシェルの襲来があった3年前にはほとんど存在しなかったが、いくつか の地域では独自のシステムを考案していた。

 早期警戒システムは自然災害、特に洪水に対する防衛の第一線である。まず降水量を測定するプラ ステッィク製雨量計と河川の水位を測定する簡易電子計器が、流域内に設置された。さらに、地域の 緊急事態対策委員会を設立し、コミュニティー・ボランティアを選び、模擬訓練により早期警戒の訓 練を実施した。また、コミュニティーを支援し、ハザードマップを作ったり、特別委員会を設置して 緊急対策プランを立て、捜索・救助、避難所の管理と安全確保、堤防の維持・拡張などを行ったりし た。現在では洪水の発生を2,3時間前に予期し、対策を講じることが可能となった。この早期警戒シス テムは、創設以来、洪水の被害を受けやすい100あまりのコミュニティーにおいて5000人以上の住民に 恩恵を与えている。このシステムの効果は1998年のハリケーン・ミッチが猛威を振るった際、当局に 提供した洪水情報が多数の人命を救うのに役立ったことで証明された。このシステムは、プロジェク トの規模により異なるが、50,000ドル程度で設置できる。これは高性能の単独計器を使用して雨量や 川の水位を測定する、最も安い遠隔測定システムの費用のおよそ4分の1である。コミュニティー運営 による早期警戒システムで最も大切なことは、このシステムが国家危機管理の全面的な支援の下で実 施されなければならないということである。システムが構築されてからも、国はそのシステム管理を 継続しなければならない。

リスクを測定する

 リスクマップの作成は、災害に対する備えを最も必要とする地域を特定するという目的のもの、災 害対応戦略策定において、ますます盛んになっている。しかし実施されている地図の作成は、災害が 発生するリスクのみに重点を置きがちであり、災害の潜在的影響を左右する他の社会経済要因には一 切注意を払っていない。災害が発生するリスクの測定は、自然災害のリスクにさらされている住民の 脆弱性をその対応能力の双方を評価しなければ、完全なものとは言えない。

リスク軽減のための土壌

 ラテンアメリカにおいて、災害がもたらす致命的な結果を軽減するためには、長期、短期の両面の 対策を行う必要がある。

 災害は社会的、経済的発展に損害を与える。被害軽減にさらなる投資をするチャンスを無視するとい うことは、災害によるリスクにさらされている人たちを全く見捨てるものであり、懸命に貧困から抜 け出そうとしている人々の努力を台無しにするものである。

 災害によるリスク軽減の土壌は、脆弱な地域社会やその政府のみならず、災害対応従事者と開発事 業者の活動全体に及ぶ必要がある。富裕層の人だけでは、災害から人を救うことはできない。たとえ 貧乏であっても、情報を得ることによって、災害に対して十分な備えをすることはできる。


被災者としての直接経験と自己回復課程

(高橋哲、現代のエスプリ1996年2月別冊、p.165-172)


1.はじめに

 今回の特集の中で、おそらく私だけが「私は…」と一人称で書き始めることを許されているのだろ う。だが本当に私がこの特権を享受してもよいのだろうか。心理臨床に携わるものに限定しても、命 をなくされた方をはじめ、私より悲惨なひどい目に遭った方はたくさんいる。

 最も悲惨な目に遭った者の体験の記述が、もっとも迫真的で普遍的であるという考え方がある。 私は、日本臨床心理士会の「阪神・淡路大震災」現地活動本部長として多くの被災された方々と出会 い、それぞれの方が語られる固有の体験をお聞きするという仕事を行った。その中には、本当に悲惨 な体験や苦痛に満ちた体験があった。

 だが、心の受けた打撃は、外的な被害の大きさとは少しずれているようだ。おそらく心の受けた打撃 というものは、その人がそれまでに築いてきたいろいろな関係のネットワークの被った打撃と比例し ているのだろう。

 だが本当は、誰が一番心の傷が深いかと問うこと自体が誤っている。それぞれの人がそれぞれに固有 の私的な体験を生きたのだ、だからこそそれぞれの人がそれぞれに固有の私的な回復過程を持ち、そ してそのそれぞれが唯一無二の重量を持っているのだ。その固有性が集まって、「阪神・淡路」大震災 という一つの共通経験を形作っている。だから私が私の体験を語ることにも、普遍性へなんらかの接 点はあると思える。

2.私の地震体験

 私にとってはこの体験が原点である。

 あの日あのとき私はぐっすり眠っていた。突然目が覚め、地震かなと思っているとおもむろに揺れ だした。その揺れは私が地震と考えていた範疇をはるかに越えており、何が起こったのかわからな かった。箪笥が倒れ、家も倒れると思った。とても長く、死ぬかと思った。おさまったあと、まっ暗 闇の中、散乱した家具や本を踏み越えて外に転がり出た。

 外に出てみると、やはり近所の人たちが驚いて外に飛び出してきている。避難所へ向かう人、とり あえず家の中に戻る人もいるが、幸い私の住んでいる一角には倒壊した家はなく、比較的混乱はな かったようだ。だが私は、怖くて家の中に入ることができず、どこへ避難するといったこともわから ず、ただ呆然と立っていることしかできなかった。

 私は震災の三ヶ月前に父を亡くし、その後一人暮らしをしている。職場の人間関係もアルバイトの 学生諸君を除いてはほとんどない。つまり、家族関係や社会関係の拘束が極めて弱い状態にある。そ のことが私の震災体験を独特に色付けている。自分が責任をもって保護しなければならない家族やそ の他の対象があれば、自分の恐怖や不安は一時棚上げにして、とりあえず"避難所に行くぞ"とか"大丈 夫だから家で休もう"とか行動することができるのだが、それのない場合は、自分自身の恐怖や不安と 正面から向き合わねばならず、そしてその恐怖が体験の幅を超えたものである場合は、呆然と立ち尽 くすしかないのだ。

 明るくなると、家の中や周辺の様子がひどい状態になっているのがわかった。車で10分ぐらいのと ころにある仕事場はビルに亀裂が入り、中は足の踏み場もない。仕事場は壊滅したと思い家に帰る。 散乱した家具や本などを片付けているうちに、状況が少しずつ断片的に耳に届いてくると、だんだん と力が抜けていく。とんでもないことが起こったのだと思い始める。余震がくると、手に持っている 家具や本を投げ出して逃げ出したくなる。余震に恐怖しながら、テレビの前から動かない生活が続 く。

 これではいけないと思う。何かをしようと思う。力仕事でも何でもいい。わたしはましなほうなの だ。みんなもっと大変なのだと自分を慰める。

3.私の回復過程

 何かをしようと思って実際に動き始めたとき、私の回復過程が始まったのだと思う。ここで二つの ことが起こったのだと思える。一つは援助する立場にスタンスを移したこと。多くの論者が指摘して いるように、援助されるものが回復するための一番の近道は、援助する者になることだ。二つ目は、 自分の固有の恐怖、苦痛ばかりに捕らわれていた私が、この大震災を体験した者の共同性に同化しよ うとしたこと。みんなよりましな自分がみんなのために何ができるかと考えたこと。これらのこと は、地域の共同性に同化することで、私にも守るものができたのだと言い替えることができるだろ う。

 まず私の考えたことは、このひどい状況に対抗して、自分を維持するために何ができるかというこ とだ。私はたまたま臨床心理士である。そうすると、臨床心理士としての私が、臨床心理士として状 況に向かいあっていくこと、私にはそれしかできないと考えるようになった。私にとってそのとき臨 床心理士として動くかどうかは、臨床心理士でいられるかどうかの選択であったのであり、それは私 が、すっかりもとどおりではないにしても、今までの私でいられるかどうかの選択でもあったわけで ある。

 ちょうどその時私は二つの研修に参加することができた。一つは私が講師として参加したもので、 もう一つは研修を受ける側として参加したものだ。講師として参加した研修では、臨床心理士として の私の力を必要としている人々が実際にいるのだということを確認できた。研修を受ける側として参 加した方では、私と同じ臨床心理士の立場にある人々が、何かをしよう、しなければならないと切実 に考えているのだということを確認できた。

 人はやはり社会的な存在である。それら二つの暖かい社会関係の中で、はじめて私は、それまで通 りの私であってもよいのだということを確認できたのだと思う。

 その後私は、日本臨床心理士会の現地活動本部長を任され、避難所の巡回相談活動を行っていくこと になる。

4.おわりに

 私の回復過程は、これで終わりというわけではない。私はその後もそして今もまだ長い回復過程の みちのりを歩いている。多くの臨床家の方々や学生諸君、避難所の巡回相談で話した方など、多くの 人に私は助けられ、支えられてきた。

 人は社会関係の中で救われていく。私の救いは、動き始めることによってそのような暖かい人間関 係に出会うことができたことだ。そして震災後しばらくの間は、多くの人がそのような暖かい人間関 係に救われたのだと思う。だが、震災直後の誰でも友達という密接な繋がりが消えてしまいつつある 今、孤独のなかで大きすぎる問題に直面しなければならなくなっている人も多い。

 他にも、経済的問題や生活全体に関わる問題も多く、苦悩はまだまだ続いている。私達の回復過程 は果たしていつ終わるのだろうか。まだまだ長い道程を歩かねばならないようだ。


震災緊急対応時の交通問題―大震災の教訓と都市災害への対応策―

(中川 大:自然災害科学 1995年特別号、18-23)


1、はじめに

 阪神・淡路大震災では、地震直後の緊急対応時において、被災地内及びその周辺の広範囲におい て大渋滞が発生し、救命・救急活動や救援物資の輸送が思うに任せない事態となった。これに対し て、「直ちに交通規制を実施し、緊急車両の通行を優先させるべきであった」という指摘も見られ るが、今回の渋滞は単に交通規制の問題として片付けることはできない。地震直後に機能していた 道路の容量と、その道路に通す必要があった車両数を比較すれば、規制を実施していれば救援・救 助活動が円滑に進んだとは到底考えられず、これは交通運用や交通管理の問題を超えた総合的な防 災計画のあり方にまで及ぶ問題であると認識しなければならない。

2、都市型大災害時の交通対策

 今回の大渋滞は、災害時における交通問題が防災対策全般に関わる極めて複雑な問題であること を示したものであると言える。その具体的理由を以下に示す。

  1. 緊急対応時における交通規制や交通制御は、交通処理の技術だけで実施できるものではな い。生き埋めになった家族のもとに駆けつける人や、人命救助には欠かせない理由のある人をも制 止すべきか否かは、明らかに単なる交通問題ではない。

  2. 災害救助のために必要な車両は緊急自動車に限らないということが、総合的な災害対策の なかで明らかになっていない。今回、病人輸送や人命救助において一般車両が大きな役割を果た し、また仮に渋滞が無かったとしてもこれらのすべてを緊急自動車で対応する事は不可能であった ことを考慮すると、平常時から一般車両も含めたそれぞれの車両の役割を具体的に検討・準備して おかなければ、緊急時に交通規制を行う事はできない。

  3. 災害対応のために必要な車両数が道路容量を絶対的に上回っていた。自動車の総量を減ら す方法や、それでもなお超過するものへの対応などを、総合的な災害対策のなかで考慮しておかな ければ、現場の判断のみで対応できる問題ではない。

3、震災時における交通

3-1.一般車両の内容

 渋滞に巻き込まれた自動車自身が渋滞を形成しているが、調査によると、少なくともドライバー 自身は自分はきわめて重要な活動をしているという認識を持っていると考えられる交通だけであ り、一般的な状況下であれば自粛を求めるような交通はほとんど無い。すなわち、渋滞の原因を不 要不急の車の多さに求める事はできない。

3-2.緊急を要する自動車

 災害時には、「緊急自動車」のみが緊急を要する自動車であるとは限らない。

3-3.緊急に輸送すべき物資

 救援物資の内容、輸送の順序の判定とその広報の方法について検討する事が重要である。

4、緊急時における交通対策として今後検討すべき課題と施策

4-1.交通量の根本的な削減

  1. 備蓄を活かす事によって、災害直後には救援物資をむしろ運ばないようにすること。

  2. 被災していない企業や学校等の活動をできるだけ抑制すること。被災地内だけでなく、通常の活動 が間接的に救援の妨げとなっている周辺地域でも必要である。

4-2.運搬順序の判定

 必要なものの中から一番必要なものを判定する能力を持った「組織」が必要である。平常時から常 設されているか、緊急時に非常召集されるよう備えられていなければならない。

4-3.物資の錯綜の回避

 被災地内で救援物資の仕分けを行うと交通の工作を増やす原因となるため、被災地外において物 の流れを管理する事を検討すべきである。

4-4.緊急車両のあり方

 対向車線の車を止める等、緊急自動車の走行自体が容量を減らす原因となる事も考えるべきであ る。また、緊急自動車相互間でも緊急度が違うことへの対策の検討も必要である。

4-5.民間企業も含めた総合的な対策

 各企業の対策も含めた全体としての調整が必要である。

4-6.鉄道などの公共機関との連携

 都市ライフライン復旧等の資材運搬も含めて鉄道の活用が可能となるよう準備をしておくなど、公共機関と道路の連携策も具体的に検討しておくべきである。

4-7.都市構造

 今回の渋滞の最大の教訓は、そもそも都市の構造や市民の生活様式が自動車に頼らざるを得ないものとなっていたという点である。日常から自動車に頼らない都市システムの構築こそ災害時の渋滞を本質的に回避する方法である。

5、おわりに

 本稿では、この震災における大渋滞は、単に交通規制の問題ではない事を具体的に示し、その対策も総合的なものであるべきことを示した。防災計画における交通への対応が、「速やかに交通規制を実施する」というだけのものであれば、次もまた大渋滞である事は間違いない。救援活動そのものが渋滞の原因であり、渋滞を回避する為の方法は、防災計画全体の中で議論されていく必要がある。なお、本稿で対象とした交通問題は、生存者救出の可能性のある初期の数日の緊急対応時におけるものだが、復旧するにつれて時々刻々と発生する交通問題に対しても、災害時の交通対策として分析・研究すべき課題は多い。


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