災害医学・抄読会 2004/09/17

緊急被ばく医療

(青木芳朗:中毒研究 129-131, 2002)


 わが国の緊急被ばく医療は、(株)JCO臨界事故以前と以後では、理念、体制整備とも根本的に変化し た。(株)JCO臨界事故以前は、国および地方公共団体が責任をもつ原子力発電所などの周辺住民への 防災対策と電力事業者が責任をもつ発電所従業員への被ばく医療の二つから緊急被ばく医療は成り 立っていた。つまり、国、地方公共団体は、周辺住民にのみ責任をもつのであり、従業員に対する責 任はなかった。国も地方公共団体も電力事業者も、原子力発電所では事故は起きないという確信があ り、事故が起きたときの危機管理、事後管理を十分議論できなかったため、このようないびつな医療 体制が存続していた。

 平成11年9月30日に発生した(株)JCOの臨界事故により、3人の従業員が重度全身被ばくをし、緊急医 療を受けたが、このうち2人はそれぞれ約3ヵ月後と7ヵ月後に死亡した。

 この事故を受けて、原子力安全委員会は、原子力発電所などの周辺防災対策専門部会の下に、緊急時 医療検討ワーキンググループを設置し、平成13年6月に報告書"緊急被ばく医療のありかたについて"を 了承し、同時に防災指針の改訂を行った。これにより、従来の緊急時医療の概念は"命の視点に立った 緊急被ばく医療"として対策が立てられるように根本から考え方が変えられた。つまり、いつでも、ど こでも、誰でもが、あらゆる放射線事故時に最善の治療を受ける権利があり、そのためには緊急被ば く医療体制の確立が必要であるということである。

 命の視点に立った緊急被ばく医療が、放射線事故時に効果的に実行されるためには、体制的には医師 たちが慣れ親しんでいる既存の救急医療体制の枠組みで活動することが大切であり、そのうえに立っ て放射線医学総合研究所(放医研)を中心とした三次医療機関群(高次緊急被ばく医療機関)の全国 的な横の協力体制を構築することが大切である。

 緊急被ばく医療は、低頻度の医療であるため、これに携わるスタッフは、常日ごろから緊急被ばく医 療にかかわる地域フォーラムや講習会などへ参加し、知識や技術の維持向上、緊張感の維持に努める ことが期待される。われわれは、(株)JCOの臨界事故のことを忘れてはならない。災害は忘れたころ にやってくるのである。

 緊急被ばく医療体制の構築は、化学災害、細菌災害の医療体制を構築する際のモデルにもなりうる。 平成13年6月に防災指針が改訂され、新しい緊急被ばく医療体制の構築の活動が始まっている。全国 18ヶ所(原子力関連地域)の医師、看護師、臨床放射線技師、地方公共団体職員らを対象に講義と机 上訓練を行ってきた。平成14年2月からは、全国11ヶ所(原子力発電所立地県)で"被ばく医療体制構 築支援意見交換会"の会合を開催している。また、全国三次緊急被ばく医療体制の構築のために、全国 の関係大学、医療機関の教授たちの参加を得て、"三次被ばく医療ネットワーク検討連絡会"を開催し て議論を続けている。

 地方公共団体職員らの教育・訓練などは、主として原子力安全技術センターで以前より定期的に行わ れており、医師や看護師に対する教育・訓練は平成8年から放医研で毎年開催されている。

 原子力安全委員会では、平成13年6月に"緊急被ばく医療のあり方について"の報告書をまとめ、同時に 防災指針の見直しも行ってきた。

このように、緊急被ばく医療体制の確立に関しては、さまざまな試みが活発に始まっている。


医療機関前除染エリア

(本間正人ほか:救急医学 26:235-238, 2002)


 除染(decontamination;DECON)とは、人体に危害を加える可能性のある物質を物理的、化学的に除去 し、人体に危険のない状態にすることである。除染の目的は第一に体内への吸収を防ぎ、傷病者の生 命や機能予後を改善することであり第二に災害現場や搬送中あるいは院内において救助者や医療従事 者に対する二次災害を回避軽減することである。いずれの目的においても除染は早ければ早いほど効 果があることはきわめて重要な点である。

 除染の分類としては、方法の観点から、大量の水による希釈除去(湿性除染)、汚染された衣服の除 去(乾性除染)、中和剤による中和・無毒化(化学的除染)、ブラシや吸着剤を用いた物理的作用による 除去(物理的除染)があり、通常は組み合わせて行う。また場所や時間的な観点から、災害現場で行わ れる除染(一次除染)と医療機関などで行われる除染(二次除染)に分類される。今回は二次除染につい て述べる

医療機関での除染が重要である理由

  1. 現場での除染(一次除染)が行われるとは限らない
  2. 迅速な病院搬送が救急の業務の基本である
  3. 救急救命士の処置に限界
  4. 患者は救急車で来るとは限らない
  5. 除染が完了していることを証明する方法がない

医療機関の到達目標

 医療機関での除染の到達目標として、以下の点が重要である。

 (1) 病院をcold(非感染)の状態に保つこと
 (2) 患者の除染(脱衣と洗浄)を迅速に行うこと
 (3) 傷病者のプライバシーや人権に十分配慮すること

病院前除洗で考慮すべきこと(対応)

 汚染された患者が来院する可能性がある場合は、対策本部に加え、セキュリティ部門、情報部門、除 染・治療部門の3部門の迅速な立ち上げが必要である。災害対策本部は命令系統を一本化し、重要な 情報が職員の隅々まで行き渡るような体制作りが必要である。セキュリティ部門は病院内に汚染した 患者あるいは汚染した恐れのある患者が立ち入ることを防止し、除染防止に誘導する必要がある。情 報部門は原因物質や判明した物質に対する適切な対応法や汚染した患者数などについての情報を収集 し、保健所や周辺医療機関、消防警察などの機関との連携が必要である。またマスコミや安否を心配 する外部からの電話などの対応も重要である。除染・治療部門は除染や診療の準備が必要である。ま た汚染区域(hot zone)、中間区域(warm zone)、非汚染区域(cold zone)の明確な区別と、区域間の移 動の制限が不可欠である。

訓練

  1. 訓練設定とゾーニング

     医療機関前の除染を想定して汚染エリア(傷病者集合エリア)、除染エリア、除染評価エリア、病院 エリアを想定した。現場での一次除染を受けていない傷病者はすべて汚染区域(傷病者集合エリア)に 誘導し、そこでトリアージを行う。治療優先順位の高い傷病者より除染を受け、除染評価ゾーンで除 染の効果を判定した後、病院を想定したテントに入ることとした。また、一次除染を受けた傷病者は 除染評価ゾーンで除染の効果を判定した後、病院テントに入った。

  2. 防護服

     5名の訓練者とインストラクター1名が防護服を着用し、医療機関前除染エリアテントにて除染を担 当した。いずれもレベルC化学防護服を使用し、TSTオーバーオール型防護服とブロアーユニット付き を装着した4名は誘導と除洗を、タイベック(プロテックC型)防護服と面体を装着した2名は清拭を主に 担当した。防護服の脱着にあたっては、破損や漏洩がないことを確認するために2名が一組になり、お 互いにチェックし合うことが重要である。

  3. 除染設備

     医療機関救急玄関前を想定して除染ユニットを設置した。用いたユニットはエアーシェルター社を用 いた。

     除染ブースは前室、洗浄室、後室の3室より構成されており、特に後室は絶えず温風エアーが外部より 供給され陽圧となっており、保温とテント内の二次汚染防止が図られる構造になっている。洗浄室に は4機のシャワーが設置され、それぞれ流量の調節が可能であった。歩行不能患者の場合は1名、歩行 可能患者の場合は4名が同時に除染可能である。中央に仕切りが設置可能で、プライバシーに配慮さ れている。洗浄水は温水器により加温され、35℃のお湯が毎分80l供給可能である。汚水はウォーター ポンプによりウォータータンクに貯められる。

  4. 除染方法

     以下のとおり除洗を行った。

     (1) 衣服の脱衣、除去とフーラーズアースを添付し、乾性除染を行った。除去した衣服は袋に入 れ隔離した。

     (2) 大量のお湯(35℃)を用い湿性除染を行った。洗剤を使用し洗浄した。異常な高温や過剰な擦 過により皮膚に傷をつけないことが重要である。顔面、特に眼内も洗浄する。3人1組となり頭部に立 つ1名は呼吸循環や頸部保護に注意を払う必要がある。

     (3) 清拭、保温:洗浄が終わると、タイベック防護服を着用した2名により清拭を行い保温に努め た。

     (4) 検地:医療機関に入る前にに、汚染物質が除去されたかどうか検査することが好ましい。そ のような観点から、今回の訓練では模擬患者に事前に蛍光塗料を塗り、紫外線にて残存する塗料を測 定することにより除染効果を発揮した。

     (5) 仮設病院収容:仮設病院ではパーソナル・プライバシーキットが有用であった。キットはポ ンチョ式の簡易な服、足袋などがセットになっており、一時的な更衣には有用であった。またストー ブなどの保温設備は必須である。

まとめ

 今回の訓練を通して以下の点が明らかとなった。

  1. 防護服の数が除染の効果を決定し、対応できる患者を決定する因子である。

     除染を行う前の誘導や除染には防護服着用が必要であり、防護服の数が病院として対応できる患者 を決定する因子である。同じ防護服を複数のスタッフで使用することは防護服の脱衣の前の自らの除 染が必要であること、再脱着は二次暴露の危険があること、脱着に時間を要し効率が悪いことを考え ると推奨できる方法ではなく、患者対応に十分な防護服を準備することが必要である。

  2. 除染を行う者は肉体的負担が大きい。

     防護服の中は異常な高温で発汗も著しい。さらに除染は高度な肉体労働である。そのような環境の 中で、水分の補給も困難であり、また防護服の数が限定され、自由に交代もできない過酷な任務であ ることを認識する必要がある。したがってそれに耐えうる体力のある者を人選する必要がある。効率 よい作業手順と除染者の負担を軽減する器具に使用が必要である。

  3. 除染テントでの除染は必ずしも効率がよくない。

     歩行不能者の除染は時間を要する。さらに、歩行可能者の除染を、しかも男女別のプライバシーを 考慮しつつ除染テントで行うことは困難である。したがって、シャワー設備を整備し、独歩可能者は 医師や看護士の指導のもとで自ら除染する方法が効率がよいと考えられる。


トリアージの法的問題Q&A(Q25)

(柴田竜太郎・著、有賀 徹・編:平成13年度 厚生科学研究費補助金総括研究報告書 災害時の適 切な Triage実施に関する研究 55-66, 2001)


 課題:医師によるトリアージの際のタッグの付け間違い等を原因として患者が死亡したとして遺族な どが損害賠償請求訴訟を提起した場合について

1)災害救助法の適用があり知事の従事命令に基づいて行われた場合

2)知事の従事命令はなく、都道府県からの協力依頼に基づいて行われた場合

 この場合、公立病院の医師であったとしても、なんら法的根拠のない協力依頼に基づく行為であるため、「公権力の行使」とは認められないと解されます。従って、国や地方公共団体に対する国 家賠償請求は認められず、医師個人又は医師の所属する病院に対する損害賠償請求が問題になりま す。

<実際の訴訟における問題点・対策など>

 トリアージの結果被害を受けたとする患者側(原告)は、訴訟になれば自己に有利な法 的構成を選択的、あるいは 併存的に主張できますから、主張し得る可能性のある契約違反(債務不履行)の主張、不法行為の主 張が全て、あるいはその一 部が訴訟の場で展開されることとなります。そして、そのいずれの場合でも結局、主な論点として争 われるのは、「医師の注意 義務の内容と程度」と「医師が行った行為と患者の死・傷害との間の因果関係」等と思われます。

 被告となる病院、医師側は、債務不履行、不法行為的構成のいずれの場合でも、原告が 主張する過失責任の積極否 認として、「トリアージの判断には絶対的なものはなく、同じ災害であってもその判断にはトリアー ジを行う人員の素養や災害 の状況あるいは時間的な変化によって、種々の異なった結果が導かれる可能性があり、どのトリアー ジの判断が正しいのかにつ いての明確なものがあるわけではない。したがって、『トリアージの判断の妥当性』を判断する一つ の根拠としては、トリアー ジ時の状況の下で収集可能な情報に基づいて合理的な行動が行われるのであれば、たとえ事後的に別 の選択がよりベターであっ たとしても直ちに法的責任が生じるものではない」と主張するか、そうでなくても緊急事務管理の条 文を援用して軽過失部分の 免債を主張することになると思われます。しかし、実務の運用が確定していない現時点において訴訟 を提起された場合、過失責 任が必ず否定されるとの保証はないこと、また、事務管理についても契約関係発生を広く認める等し て事務管理成立の余地を狭 く介する立場もある上、緊急事務管理の適用を否定する見解も有力ですから、軽過失が免債されると は限らず損害賠償責任を負 わされる可能性もあると思われます。

 なお通常の医療過誤訴訟と異なり、医師が事故当時にどのような行為をしたのかがカル テなどの客観的な資料とし て残っていないことが考えられることから、訴訟を提起された場合の証拠となるものとして、患者ご とにどのような対応・診察 等をしたのかがわかるもの(タッグにチェック式の欄を作るなど)を残しておくことも検討すべきで はないかと思われます。

 さらに、実際の訴訟においては、注意義務の内容を特定するため、トリアージにおいて 医師が通常どの程度の対 応・診察をするのかが重要となるので、目安となるような一般的な基準・マニュアルを早急に作成し ておくことが望ましいで しょう。

[医師・病院に注意義務違反が肯定される場合]

 義務違反と患者の死亡・傷害との間に因果関係があるかどうかが問題となります。因果 関係が認められない場合に は、生じた結果について問うことはできないからです。因果関係については、医師の行為(作為のみ ならず不作為も含まれま す)と患者の死・傷害との間にどの程度の関係があれば肯定され、責任を負うのかが問題になりま す。これは訴訟において、全 証拠から医師が適切なトリアージを行っていたならば、患者が実際に死亡の時点においてなお生存し ていたであろう事を是認し うる高度の蓋然性が認められるか否かで判断されます。


第3章 事故への対応

(明石市民夏まつり事故調査委員会:第32回明石市民夏まつりにおける花火大会事故調査報告書  2002年1月、p.131-134)


 2001年8月の明石市の夏祭りにて、JR朝霧駅と大蔵海岸を結ぶ歩道橋上で、花火大会の見物客らが将 棋倒しとなり、子供や高齢者ら11人が死亡185人が重軽傷という事故が起きた。このことから事 故に対する対応について、事故の予防、集団災害医療活動、雑踏警備の指揮・命令系統という視点で 考察する。

<困難な「臨機応変」対応>

 群集の密集現場において、極めて限られた空間で発生する事故に対して、現場で臨機応変な対応をと ることは、困難と考えなくてはならない。したがって、群集が密集して危険となる恐れのあるところ では、事前に準備することとして以下のことが挙げられる。

  1. そこを利用することを避けられないかどうか検討する。
  2. 避けられない場合は、事前に規制をかけて来場者に周知を徹底させる。
  3. ビデオカメラなどによって危険と予測される箇所でモニタリングして、時々刻々の変化に放 送設備などを用いて現場で対応できる状態を整える。この場合ハンドマイクやメガホンは効果がな い。

 万が一事故が発生した場合に気をつけなくてはならないことは、来場者の多くは群集事故の発生を直 後には知らない事実である。したがって、その発生を来場者に知らせ、勝手に行動しないことを要請 する必要がある。そしてどのような行動をとるべきかを広く広報する必要がある。

<集団災害医療活動>

 平時の救急医療体制の整備推進を図るとともに、集団災害発生時に、preventable death(適切な医療 対応がなされれば救命できた可能性のある死亡)の発生を最小限にするために、広域支援を含めた救急 医療体制を確立しておくことが大切である。具体的な方策を以下に挙げる。

(1) 情報手段の整備と充実化

集団災害発生時の初期救急医療の質と効率を決定する重要な第一要因は、情報通信手段の確保であ り、消防機関としての無線などの通信機器の資機材の設備と充実化のための財源的措置が必要であ る。

(2) 消防本部の大規模災害体制運用基準の発令方法の見直し

傷病者が10人以上発生もしくは見込まれる場合に大規模災害第一出動が消防長のよって発令される が、今回その発令は遅れた。今後、救急現場の責任者の判断により迅速に発令できる体制を構築する など、その運用基準や発令方法にたいして再検討だ必要である。

(3) 近隣市町との応援要請の見直し

明石市の救急車の保有台数は、予備車をいれて6台であるので、多数の傷病者発生に備えて、近隣市町 との応援協定や連携方法の再確認と要請方法の簡便化などを図る必要がある。

(4) 日常的な救急医療受入機関の確保

明石市の基幹となる病院に独立した救急部を設置し、市内で発生する重症救急患者への対応が可能と なるようにする。救急部門に複数人の救急専従医を配置し各専門診療科との連携により、より質の高 い救急医療が提供できるようにする。

(5) 救急隊員の技術能力の向上

救急救命のプロトコールの作成や、事後検証体制の確立、病院研修を含めた研修体制を推進する。

(6) 災害救急医療対策委員会の設備

市行政や市民の代表者を含め、消防本部、救急医療機関及び医師会との協議会を設置し、日常的な救 急医療体制の整備や推進を図るとともに、医療対応の連携強化や人材育成等について考えなくてはな らない。

(7) 災害現場への救急医の派遣

迅速に救急医等を派遣し、救急医療対応の質的、量的強化を図る。

<雑踏警備の指揮・命令系統>

 2001年度の花火大会において、警察署は雑踏警備と防犯の2本立ての体制をとっていた。これらの総合 指揮する立場のある明石警察署の署長や副署長は現場ではなく、明石警察署にいた。これでは、群衆 事故が起こる直前から起こっている最中、その後に至る過程で警察力を集中することは困難であっ た。

 円滑にかつ的確に雑踏警備を実施するためには、指揮命令系統が花火大会の会場の現場に居て三者の 指揮を執る体制が望ましいと思われる。

 警視庁においては治安と雑踏警備などをまとめて警備部が担当しており、いざという時には警備部長 が総合的に対応できるようになっている。


地縁の援助を活性化する方策

(立木茂雄:現代のエスプリ1996年2月別冊、p.211-221)


1.フォーマル組織とインフォーマル組織

 行政に代表されるフォーマル組織と血縁・地縁・ボランティアなどのインフォーマル組織は、両者の 組織論理の相違により、緊張関係に陥る。

組織論理の相違(T・パーソンズによる)

フォーマル組織インフォーマル組織
感情中立性感情性
機能限定性機能非限定性
サービスの普遍性サービスの特殊性
機能・資格による所属出自による帰属
集合志向自己志向

(例)
 阪神・淡路大震災で、あるドクターは、避難者に感情移入し(感情性)、その時点で自分ができる最 上の仕事は、医療活動ではなく洗髪サービスであると考えた(機能の非限定性)。サービスの対象者 は、避難所でたまたま対面した避難者であった(サービスの特殊性)。それが、本人は納得のゆく活 動に思えた(自己志向)。
 ところが、保健所の職員は、この活動にクレームをつけた。職員の考えは、公私を分離し(感情中立 性)、分業化された職務の遂行であった(機能限定性)。しかも、その対象は可能な限り公平である べきだった(サービスの普遍性)つまり、保健所という組織として、地域住民をどう救援するかが一 番の課題であると考えた(集合志向)。

 M・ウェーバーは、近代社会の大きな特徴は、官僚組織の出現(フォーマル組織)であるとした。近 代官僚組織に比べ、インフォーマル組織は非効率であるとされた。しかしインフォーマル組織は現在 まで存続している。

 フォーマル組織の構造は、提供するサービスが専門的技術・知識を必要とし、平常の場合には、最も 安価で迅速で、より柔軟なものとなり、また金銭による報酬によってより動機づけの高い人員を提供 できる。これに対し、専門技術や知識が必要でないサービスの場合には、フォーマルな知識のほう が、より安価で、迅速で、柔軟なサービスを提供できる。動機づけも高い。

2.フォーマル・インフォーマルサポートの最適選択のための概念枠組み

 E・リトワックは、1)フォーマル組織とインフォーマル組織は、集団の構造が異なる、2)従って組織 はそれぞれの集団の構造に一番マッチした課題を遂行する場合に最適な結果が得られる、と考えた。 集団の構造や、その集団に最適の課題を見つけ出すために、以下の7点を考慮した。1.居住距離、2.関 わり合いの深さ、3.ライフスタイルの共通性、4.規模、5.動機づけの種類、6.分業制、7.専門技術 知識の水準である。

a.フォーマル・インフォーマル組織の比較

b.インフォーマル組織間の違い

c.インフォーマル組織の構造的特性に応じた最適課題の発見にも有効である。

3.フォーマル・インフォーマル組織間リンケージのバランス理論

 フォーマル組織とインフォーマル組織とは山嵐のジレンマの関係にある。

 たいていの生活課題がフォーマル組織からの技術的知識や定型業務と、インフォーマル組織の提供す る日常的知識や非定型業務の両者を必要とする限り、両者は非交渉ではいられない。しかし、両者が あまりにも密着するとフォーマル組織がインフォーマル組織を取り込んだり、排斥したり、両者に衝 突が起こる場合がある。よって、組織間のリンケージに関するバランスが重要である。

 インフォーマル組織が付加サービス業務であるか、行政補完的業務であるかによって、フォーマル組 織とインフォーマル組織の最適なリンケージのありようは異なる。

(付加サービス業務・・本来的に専門職による業務外のサービス、インフォーマル的)
(行政補完サービス業務・・専門職によって本来提供されるべきであるがフォーマル組織の時間・労 力・人員不足のために実施され得ないサービス、フォーマル的)

  1. 付加サービス業務は、基本的にフォーマル組織とは独立して活動を行うことができる。したがっ て、最適なリンケージは、組織の長を通じた間接的なものである。

  2. 行政補完サービス業務は、ボランティアは専門職と密接に連携をとる必要がある。この場合、専門 職は自分の職務を、ある程度ボランティアに託すことが不可欠であると同時に、ボランティアは専門 職から離れて自立的に活動を行うことができない。とりこみ防止のために、ある程度の距離を置くこ とが必要である。

4.終わりに

 今回の阪神淡路大震災では、被災者への心のケアが大きくクローズアップされた。災害直後は、毛布 を配る炊き出しをするといった基本的活動がそのまま心のケアに直結した。更に数日すると専門家に 求められたのは、サポートボランティアを組織し、系統的にディブリーフィング活動を進めるととも に、他の関係団体や行政と交渉して、必要な情報を入手し、資源を調達してくるマネージメントや コーディネーション能力であった。しかし、現実には災害時の心理支援について無知なまま、他の専 門職とのネットワーキングに消極的で、いわゆるプロクラステスのベッド的対応に終始した専門家も 多数みられた。


第6章 タジキスタン食糧危機:不自然災害?

(国際赤十字・赤新月社連盟:世界災害報告 2001年版、p.124-141)


 2000年、タジキスタンは過去74年間で最悪の干ばつに見舞われた。国内の穀物生産は、前年に対して 47%落ち込み、100万人以上の人々が緊急の人道援助を要する飢えと栄養失調に苦しめられた。

 今回は、人々の苦しみの大元にある根深い、構造的原因が、目に見える"自然災害"に覆い隠され、 曖昧にされてしまう場合の効果的な人道援助活動が抱えるジレンマについて検証していく。"復興への 障害"をいくつか取り上げて検証し、復興支援に関わる各機関のための教訓を提示し、最後に復興に向 けたより戦略的な方策を推進するための「マッピング」ツールを紹介する。

I.食糧危機からの回復における障害

 タジキスタンの食糧危機は、主としてソビエト崩壊後の体制移行と内戦による負の遺産に起因する 構造的な要因により生じている。具体的には、食糧供給に関する情報の整理、水利管理、土地利用、 土地へのアクセス(耕作権)、麻薬密売といった要因が含まれる。

II.首尾一貫した救援対応への教訓

復興への道筋を計画する:人道援助機関はマクロレベルの復興や構造改革を扱えるようにはなっていない。逆に、人道援助機関の強みは、特定したニーズに基づいて個人、家庭、コミュニティーのレベルで支援を提供できる点にある。人道援助機関が苦痛の軽減に力を発揮できるのは被災者へのアクセスがあるからこそであり、普通こうして人々に近づくことができるのは、各機関が中立の原則を堅持しているからである。また、情報不在の中で計画された単独の援助は他者からの操作を受けやすく、失敗に終わりやすい。効果的な介入戦略の枠組み作りには、復興戦略マップ、あるいは"インパクトグラフ"といわれるものを利用すると、それぞれの対象とする特定の個人や団体に対して果たす役割と責任を明確にする助けとなる。

援助を広い視野に立った復興戦略の中に位置付ける:タジキスタンにおける全体状況の分析は、食糧危機の構造的原因が地勢的、政治的、経済的プロセスに深く根ざしており、救援活動だけでは解決できないことを示唆している。長期的な復興戦略の策定には政治・経済関連機関が責任を持つ必要がある。一方、救援機関は、自分たちの行う救助をより広い視野に立った復興戦略の中に位置付けることによって、その限界を明らかにし、自分たちとは別の、補完的な使命を持つ他の機関による他の介入と関連を持たせなければならない。この作業を進める手段の一つとしてマッピングを取り上げた。

 災害関連のニーズに対する介入には、どんな場合でもより広い視野からの情報、タジキスタンのケースで言えば、慢性的な食糧危機を引き起こしている本当の原因についての情報の裏付けがあるこsとが絶対必要なのである。


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