災害医学・抄読会 2003/12/26

バイオテロ列島防護体制の「空白」

(山本保博、文藝春秋 2003年6月号、305-311)


 地球規模のアウトブレイクとなった新型肺炎SARSは全世界で250人以上の死者と4300人近くの発症 者を出したが、そのウイルスの脅威に驚愕する。しかし、全世界的な感染拡大という事態の周辺で いったい何が起こったかを冷静に見つめると、重大な示唆と警告を与えてくれたことに気づく。

 国際情勢の激変、緊迫化に伴って現実味を帯びているバイオテロリズムは人類の存続にまで関わる 重大な犯罪である。有史以来、人がこの地球上で生き延びてこられたのは、様々な病原微生物と戦っ て、制御してきたからに他ならない。バイオテロリズムはそれを兵器として使用するのだから、いか に人類の存続にとって重大な脅威であるかを改めて認識する必要がある。

 バイオテロリズムに使われうる生物剤の中で最も優先するべきものは天然痘である。死亡率が極め て高いアウトブレイクを考えると天然痘が最も脅威になる。1980年にWHOは天然痘根絶宣言を行い、 天然痘ウイルスは地球上に存在しないはずであった。ところが、旧ソ連が生物化学兵器として大量の 天然痘ウイルスを製造していたという事実が明らかになるなど、現実的な脅威がこの数年高まってい る。

 天然痘の恐ろしいところはこれだけパニックを引き起こしたSARSよりもさらに強い感染力を持つこ と。そして、二次感染、三次感染が確実に起こり、悪循環になると思われるからである。しかも、天 然痘ウイルスには治療薬がなく、死亡率は実に30%とも言われている。さらに、WHOが根絶宣言をし、 その後症例が1997年から出ていないことで患者を診たことのある医者が世界にほとんどいないという のが問題なのだ。しかも、現在の20歳前半以下の人は天然痘ワクチンを摂取していない。最もリスク の高いこれらの若者はこれからの日本を背負っていく人たちです。つまり、国家の存続さえ危ぶまれ ることになりかねないということである。われわれは認識を新たにしなければなりませんでした。 SARS以上の国家緊急事態となる天然痘バイオリズムに対し、われわれはどう立ち向かえばいいので しょうか。

 日本政府も天然痘バイオリズム対策を進めているし、臨床の最前線でも医師たちが全力を尽くせば 死亡率が3割などとはならないと強く思う。しかも、日本のサーベイランス・病院ネットワークは強 固です。沖縄サミット、ワールドカップで実践した同システムが生かされるはずだと確信している。  しかし、SARSの感染が拡大する中、これまでのシステムでは、病原性微生物を完全には叩けないと いう現実的な問題をあらためて感じ取った。そして、日本人一人一人が考え直さなければならない根 本的な問題が浮上してきた。SARSを巡る議論の中には怖いという雰囲気だけが先走りすぎている。し かし、マスクを装着し、手洗い、うがいを徹底することがどれだけ感染防止になるのか、その重要性 の認識がまったく欠けている。それはすなわち一人一人の自己防衛であり自らが病原微生物と対決し てゆくという強い姿勢が欠落していることを物語っている。

 様々な災害、事件に対し、現在の日本の国や地方自治体は、欧米と同じレベルで強い危機感をもっ ている。そういう部分では欧米と遜色はない。ところが、国民一人一人になると様相がまったく変 わってしまう。例えば、エイズ問題やNBCテロなどに国民一人一人がどこまで現実的なリスクを感じ ているかというと、その意識レベルは残念ながら欧米からかなり遅れているといわざるを得ない。国 や行政よりも、実は、国民側が意識を持っていないという現実を直視しなければならないということ である。まさにそこに、日本の危機がある。

 欧米では国民の中にいざという時には自分がやらなければならないという「シビル・ディフェン ス」という概念が明確に存在する。ドイツのケルン市では町のみんなで管理し、運営している巨大な 核シェルターがある。また、コペンハーゲン近郊の町でも、同市の市民センターの講堂に町を百分の 一位に縮小したミニチュアのコペンハーゲンがあった。これは大きな災害や事故発生時に立体のマッ プを見るだけで警察、消防や医療の担当者が瞬時にオペレーションできるためのものである。膨大な 予算が投じられたがこれも実現したのは市民の力そのものであった。

 これらのケースを含め、各国の災害現場や医療現場を歩いてもう一つ強い印象を持つ事になったの は、民間防衛や、災害、事件、事故における救急対応の準備のために、資金を使うことが日本は実に 下手だということである。全国には災害拠点病院が存在し災害、事件、事故において救急医療のメイ ンプレイヤーとなるべき医療機関である。そのためには三日分の膨大な薬や材料をストックし、緊急 時の対応に備えなくてはならない。しかし、現実には現在の病院経営は苦しく予算が潤沢な病院はほ とんどなくなってしまっている。すると、いつ起こるかもわからないような災害や事件に向けて薬を ストックするなどということはできなくなってきている。

 それを打開するためには政府や地方自治体の支援がどうしても必要です。しかし、それらを動かす ことができるのは市民の力である。国民全体が考え、コンセンサスが必要である。自分や家族の生命 と安全、病気に対する意識をどこまで持つかが多きく影響する。

 また、大地震や事故現場に対する医療についても日本は空白部分が多いことに気づく。現在欧米で は災害現場から医療行為が始まっている。閉鎖空間医療という言葉で呼ばれているが、これからの日 本に求められる重要な問題である。日本は病院の中での医療では世界最高レベルだが、現場の医療と いうことになると、一気にレベルが下がってしまう。

 例えば、大地震が発生し、手足を柱に挟まれ、あるいは瓦礫の下敷きとなり身動きできない患者さ んをどういう風に助け出すかという試みとともに、同時並行的に、その現場で患者さんをどういう風 に治療していくかということを考えていかなければならないのである。日本でも医師は現場に飛んで ゆくが、まず救出が優先され、治療を行うという概念まだ先行していない。しかし、一人でも多くの 人命を救出するには、現場での医療が不可欠なのである。広範囲熱傷の患者さんが一つの病院に10人 も運ばれてきたら物理的に万全な力を発揮できないのが現実である。そんな時は、ドクターヘリなど による広域搬送のシステムが完備していれば日本全国カバーできるようになる。

 現在、日本では厚生労働省の指揮のもと、七都道府県でドクターヘリ・システムが稼動したばかり である。さらに、近いうちにJVMAT(日本災害医療支持機構)という活気的なシステムが稼動するこ とになっている。

 しかし、有効に機能させるためには実践的な組織作りも必要だし厳格な訓練を行うことも求められ る。また、広域搬送のドクターヘリ・システムも、もっと日本全国に広げていかなければならない。 災害立国の日本の現状を考えると急を要するテーマである。

 日本の広域搬送や現場での治療が十分ではないということが北ドイツの列車事故で明らかになっ た。現場に北のはヘリコプターだけでなくレスキュートレインまでもが来て搬送と現場での治療が高 レベルで行うことができた。また、欧米の高速道路には電話は元より除細動器、応急手当用品や注射 器、点滴までもが完備されている。

 しかし、ハードだけが揃えばいいのではなく、最も大切なのは国民一人一人が救命救急ということ に厳しく立ち向かうこと、その意識を持つことである。それにより国が地域の行政をダイナミックに 動かせることにつながるのです。

 バイオテロリズムのような大規模災害に対する行政や医療機関を効果的に動かすためにも、間違い なく、国民の戦いこそが必要なのである。


トリアージの法的問題Q&A(Q1-Q5)

(有賀 徹・編:平成13年度 厚生科学研究費補助金総括研究報告書 災害時の適切な Triage実施 に 関する研究 19-25, 2001)


医師の義務について

 医師は、患者に対して、以下の義務を負います。

 説明義務、注意義務、守秘義務、届出義務、応招義務、無診察治療の禁止、その他医師法に記載さ れ た義務(処方箋の交付義務、保険指導を行う義務、診療録の記載および保有の他、厚生労働大臣は医 師に対して指示をすることができるといった記載がある。さらに、保険医療機関及び保険医療養担当 規則にも保険医の義務と思われる規定がある。)。

トリアージについて現行法下で起こりうる問題点

(1)救護措置の治療等の実施義務

  1. 現場に赴いた医師、看護婦等の医療チーム

    • 完全なボランティアの場合―医師法19条1項との関係で治療等の実施義務を負うか。同義 務をつくさなかった場合の民事責任と刑事責任の内容。同義務を負う場合の注意義務の程度。

    • 派遣の場合―基本的には、上記ボランティアの場合と同様であるが、

      i)国、その他地方公共団体、任意の団体からの任意派遣の場合―派遣団体との間で実施義務を負う 場合があるか検討を要する。

      ii)国、その他地方公共団体、任意の団体との契約による場合―第三者のための契約として、契約 者、患者に対する責任が発生するか。

      iii)災害救助法24条による場合―法令上実施義務を負う。拒否した場合は罰則がある。

    • トリアージによって選別した結果、結果的に救護しなかった場合の法的責任。 救護チームの態勢上、やむを得ない場合には、民事、刑事上の責任を免れるか。

  2. 現場にいる一般市民―原則として救護実施義務はない。但し、災害救助法第25条は「都道 府県知事は、救助を要する者及びその近隣の者を救助に関する業務に協力させることができる。」と している。

  3. 救急隊等の搬送義務―救急隊については消防法上の公的義務がある。

  4. 搬送先の病院―一般病院と救急告示病院、救急医療施設の場合で応招義務に差異を設ける見 解が一般的である。

(2)トリアージの実施上の問題点

(3)実施者の民事上の責任の根拠と問題点

よきサマリア人の法理(立法論)

 トリアージ、救急手当の普及促進を目的として事務管理制度を経由することなく直接的に不法行為 責任から免責措置を講じた規定を置くのが「よきサマリア人の法理」である。

 但し、サマリア人の法理そのものは緊急の治療行為、救助行為の軽過失を免責するためのものであ り、患者選別に関するトリアージにおける軽過失(たとえば過失ある選別によって救護すべき者を救 護しないケースもある)の免責を直接的に目的としたものでないことは注意を要する。


カリフォルニア州知事室緊急事務部(OES)

(小川和久:ロスアンゼルス危機管理マニュアル、集英社、東京、1995、p.184-92)


 ロサンゼルス(LA)がノースリッジ地震による災害を早期克服できた陰に、州知事直属の緊急業務 部(Office of Emergency Services:OES)というカリフォルニア州独持の組織の存在があったこと は、あまり知られていない。

 カリフォルニア州は、全米でも災害が多い事で知られている。しかし、一方では資金力に恵まれた 豊かな州でもあり、1950年以来、OESを設けて独持の災害対策に取り組んできた。

 豊かな経験を持つOESの任務は、各種の危機管理システムをコーディネート(調整)することであ る。そうした下地から、ノースリッジ地震では連邦緊急事態管理庁(FEMA)と共同で救援・復旧作業 に取り組むことが可能になった。OESが存在したことで、ノースリッジ地震におけるFEMAの役割は資 金面だけになった、とさえ言われている。

 OESは、カリフォルニア州のうち、北部、内陸部、南部という3つの相互支援(ミューチャル・エイ ド)地域について、災害対策などを担当している。ノースリッジ地震では、197人の検査官が発生3日 目から1週間にかけての被害状況を調査し、被害評価報告書をまとめた。

 ノースリッジ地震から2年目に入り、担当スタッフは災害対策への再検討を進めているが、危機管 理の第1段階のプリペアドネス(準備)では、防災教育が最も重視されているという。

 1984年以来、毎年4月にカリフォルニア州全体のキャンペーンとして地震に関する防災教育を行っ ている。最初は1日だけだったが、すぐに1か月に拡大されれたという。1週間ずつテーマが決まって おり、第1週が行政組織に焦点を当てていれば、第2週はビジネス、第3週は学校、第4週はファミ リーやコミュニティー、といった具合だ。1995年4月も、第1火曜日の午前10時半に地震が起きるとい う想定で、家庭や学校を含む州全体の防災訓練が行われた。

 ノースリッジ地震の直後、OESはFEMAと共同で被災者のための災害申請センター(ディザスター・ アプリケーション・センター、DAC)を40か所開設した。DACは、災害直後にあらゆる場所に開設さ れ、被災者に可能な限りの援助を与える、日本的に言えば「お助け小屋」と言った存在である。調査に 訪れた95年春の段階でも、このうち5か所がDFC(災害現地センター)として活動を続けていた。

 そのうちの1か所を訪れると、ビルの一階を借り切ったオフィスの入り口近くに精神科医のデスク が置かれているのが目に付いた。被災後、時間がたつにつれて現れてくる精神面の疲労について、カ ウンセリングを行っているのだ。その奥では、2組の夫婦が被害にあった自宅の補修について専門家 に相談していた。アメリカでは被害の程度によって差はあるものの、被災後直ちに住宅補修の資金が 小切手の形で支給される。DFCに相談に来ていた夫婦は、さらに自宅の補修を完成させるために資金 についてアドバイスを求めていたのだった。

 このような場合、DFCは次の手順で対応する。まず、申請された住宅の被害状況を専門家が査定 し、どれくらいの補修費用が必要かを算出する。次いで、資金問題の専門家によって支援を受けられ る資金の種類についてアドバイスが与えられることになる。支援される資金の種類は、完全な資金援 助に当たるIFG(インディビデュアル・ファミリー・グラント・プログラム)と、ローンに当たるSBA (スモールビジネス・アドミニストレーション)がある。

 借りた補修費用の返済が可能なだけの収入がある場合は、金利が年12%前後と割高だけれどもSBAか らローンする形になり、収入が少なく返済能力がないとみなされると、自動的にIFGが適用される仕 組みだ。

 こうした手厚い援助システムの存在は、まだアメリカ市民にも知られていない面がある。それをPR することも、DACの重要な役目となっている。

 国家警報システム、原子力発電所からの通報システム、地震警報システム、津波警報システム、荒 天通報システム、洪水警報システムなど、種々の災害に応じた通報システムが存在する。

 アメリカ合衆国に対する核攻撃の危険に対しては、平時の緊急事態対策に加え、多数の準備作業を 必要とする。戦争状態においては、戦時非常事態へ移行するために州知事は緊急対策機構に動員をか ける。その際知事は以下のような行動を取ることができる。人命や財産を保護するために必要な命令 や規則・規定を発すること、緊急事態によって実際に発生した損害や発生する恐れのある損害を防止 し、軽減するため州のすべての省庁に対しその人員および装備、施設を活用するよう命じることなど である。

 緊急業務部長は緊急時対応スタッフの責任者としての職務のほか、必要に応じスタッフ召集やその 動 員、物資の受け入れとその配分、関係する連邦政府機関やアメリカ赤十字との連絡維持などの任務を 負う。

 緊急事態機構の管理には指揮管理グループが当たり、運営上の主要な問題点の特定や重要機構に関 する意思決定、緊急情報の提供・指示、などを行う。

 指揮管理スタッフには、通信・警報、状況分析、緊急事態広報、各省庁の長、各部長の長、各部局 の長、緊急資源優先順位管理委員会などのような部署の要員を加える。


第2部 技術解析

(明石市民夏まつり事故調査委員会:第32回明石市民夏まつりにおける花火大会事故調査報告書  2002 年1月、p.84-94)


第1章 花火大会会場への来場者数

 大倉海岸で開催された花火大会の会場に、ピーク時にどれだけの人が来場したかについて検討す る。ここでいう花火大会の会場とは歩道橋を含む大蔵海岸の東地区(約11400u)のうち観客が立ち入 ることのできた約78000uのエリアである。まず、会場の観客エリアをAからLの12のゾーンに区分 し、各エリアごとに撮影されたピーク時の写真から一定面積内の観客の頭数を読み取ることと、聴き 取り調査とにより群衆密度を推計する。次に写真に写らないような背の低い子供(小学生以下)の比率 が全体の約26%であったことを考慮し群衆密度を補正して、それにより来場者数を約8万3千人と算定 した。

第2章 歩道橋上の滞留者数

 過密群衆の生成には、歩道橋利用者の人数が、大きく関わっている。ここでは、歩道橋利用者数を 推定するとともに、歩道橋上での事故発生時の滞留者数や滞留密度を試算する。この滞留者数は、JR 朝霧駅の改札記録と負傷者などの証言、および事故前後の写真を素材として、次のような3つの方法 によって推定する。

a.歩道橋上での流入者数と流出者数の差による比較
b.群衆歩行速度のデータから算定する方法
c.混雑の状態と群衆密度の関係から求める方法

第1節 JR朝霧駅の改札記録と朝霧歩道橋の利用者数

 JR朝霧駅には自動改札4台の通過記録が残されており、臨時有人改札の通行量を考慮して、その1.5 倍の人数を小学生以上の改札通過者数と見積もった。この改札通過者数から花火大会以外の目的利用 者数(1週間後7月28日の平常時の同時刻の改札通過者数とみたてた)との差をもってJR朝霧駅を利用し た小学生以上の花火大会への来場者数と見積もると、16時以降21時までに約1万8千人が朝霧駅改札を 通過したと推定される。

 これより朝霧歩道橋通行者数は、ヒアリング調査によりJR以外の手段で来場したものが全体の25% と 仮定すると、16時以降約2万3千人ということになり、その4割強の約1万人が、ピーク時の18時30分か ら19時30分の1時間に流入している。なお改札にてカウントされない小学生以下の乳幼児と来場して も歩道橋を利用しない見物客をともに歩道橋利用者の約1割前後とみて、両者を相殺する形で扱うこ とにした。

第2節 流入と流出の差による推定

 歩道橋への流入者数は、先の考察通りであり、1分当たりの流入者はピーク時において約170人/分 である。

 歩道橋南側の階段部分からの流出は、負傷者などの証言と事故直前に撮影された写真とによって推 定される。18時30分までは、スムースに人は流れている。それ以降、夜店などの見物客が通行を阻害 する状況が生まれ、毎分の流出者数は18時30分から19時まで120人、19時から19時30分まで100人、19 時30分から20時まで60人、20時から20時30分まで30人という状態になり、ボトムネックの状態の中で 階段および歩道橋上の滞留者数が膨らんでいき、流入状況を考慮すると事故直前の20時50分には、階 段を含めた歩道橋に約6400人が滞留していたという結果がえられる。

第3節 群衆歩行速度のデータからの推定

 負傷者に対するヒアリング調査から、一人ひとりについて、歩道橋の北側入口に到着した時間、花 火が開始された19時45分頃の位置、転倒事故が発生した20時50分頃の位置が明らかになっている。こ のデータから、流入の時間と転倒時の位置が明確になった147人について平均歩行速度を求め、20時 50分までに歩道橋に流入した人で、歩道橋内に取り残された可能性のある人を、その該当する速度の 発現確率を速度が正規分布しているとの仮定で求め、その確率を流入人数に乗じて求めた。この結 果、事故発生時に歩道橋に残留していた人の数は、約5500人となり、これに後述するように階段踊り 場および階段に滞留していた人の約1000人を加えると、階段を含む歩道橋にいた人の数は約6500人と なる。

第4節 混雑の状況と群衆密度の関係による推定

 混雑の状況と群衆密度の関係については実験の結果として下表のような関係があると報告されてい る。

混雑の状況群衆密度(人/m2)
群衆が普通の速さで歩ける3〜5人
肩や肘に圧力を感じるが、人と人の間に割り込め、手の上げ下げもできる7〜7.5人
前方のものは後方から押されて進む10〜11人
押されて身動きできず、前進は不可能12人前後
押されて苦しい状態12〜13人
非常に苦痛がある13〜16人

 一方事故発生時の現場にいた人の話から、朝霧歩道橋上の混雑状況がわかるので、事故現場の群衆 密 度が推定される。歩道橋の全体にわたって均等に人びとがいたのではないので、約100mの歩道橋を駅 から近い順にA〜Dの4等分し、さらに踊り場をE、階段部をSと合計6つの部分に区分し、上表より各 部分の群衆密度を求めると下表のように推定され、事故当時6450人が歩道橋上にいたことになる。

 ABCDES 合計
群衆密度5人/m27人 /m211人/m213人/m211人 /m2----- 
人数750人1050人1650人1950人830人220人6450人

 以上3種類の方法によって算定した結果を総合すると、歩道橋の上にいたと推定される人数は6400 〜 6500人となる。これらの検討結果を踏まえ、少なくとも6400人が滞留していたことは確かであるの で、6400人を最大滞留人数として採用する。


第7章 バングラデシュ竜巻災害

(金田正樹、災害ドクター、世界を行く、東京新聞出版局、東京、2002、p.172-85)


 1996年5月13日、バングラデシュの首都ダッカの北100kmにあるタンガイル県で、巨大な竜巻が発 生 して多数の死傷者が出た。日本から、国際緊急救援隊を派遣する目的で、まず調査チームが派遣され ることになった。

 筆者含む調査チームは5月16日タイのバンコクに到着し、まず各方面に電話で問い合わせ、情報収 集を行っていたが、その日深夜バングラデシュ政府が正式に日本に救援要請を出し、調査チームはそ のまま15名の医師、看護婦及び調整員らと合流して国際緊急救援隊とし、翌々日タンガイル市へ向か うこととなった。

 タンガイル市総合病院は、廊下まで負傷者で溢れていた。国際緊急救援隊は病院の前に診療用テン トを建て、そこで診療を行うことにした。テント診療活動が始まると、朝から患者が大勢押しかけ、 列を作った。

 バングラデシュの田舎の家は簡単な波板トタンでできていて、患者の症状は、竜巻に巻き上げられ たそれらトタン片による切傷や転倒による骨折、打撲などの外傷が主なものだった。しかし、初期の治 療はされてはいるが、その後放置され、ほとんどの傷が感染を起こし、化膿でドロドロになっている 状態であった。包帯を取ると4〜5匹のウジが出てきた症例もあった。

 途上国では平時にさえ医療スタッフ、施設、医薬品、衛生材料が不足がちで、大災害で一度に何万と いう負傷者が出ると、資源はたちまち底をついてしまい、治療したくてもできなくなる。特にガーゼ は、感染性の外傷があまりにも多いために、持ち込んだガーゼがたちまち底をついたが、タンガイル にはガーゼは底をつき、ダッカまで買い出しに行くことになった。

 また、外傷患者のあまりの多さに、テントの中だけでは処置しきれなくなった。また、病院内で入 院中の患者の手術もしてほしいという要請もあり、手術室を借用することになった。テント診療所は 軽症患者を、病院の手術室では重症患者の傷の洗浄と手術を行った。手術を要した外傷はほとんどが 汚染創であった。汚い傷はまず洗浄、そして創を開放しておくことが基本である。

 日本ではこれほど汚染された傷を見ることはまずないために、参加した医師達も戸惑いを隠せず、 創を開放しておく基本を忘れて縫合してしまう医師がいた。海外での災害救援に必要な医療知識は研 修会で教育しているはずだが、参加要請はいつ来るかわからず、どうしても忘れがちになりやすい。 再研修の必要性を筆者は改めて痛感したのであった。

 病院での治療活動の一方で、災害現場を視察することになった。現場はタンガイルからさらに東へ 10kmのミルクプール村にあった。トタン葺きの民家はもちろん、コンクリートでできた学校さえ跡 形もなく吹き飛んでいた。樹木は先が鉛筆の芯のようになり、村人は、人間が宙を舞うのを見たと話 す。ミルクプールにも患者はたくさんいた為、毎日巡回診療を1チーム派遣することにした。

 このミッションが大きな成果をあげえた要因として、青年海外協力隊(JOCV)の協力が大きかっ た。医者として外傷は見ればおおよそわかるものの、カルテの記載や、患者とのインフォームドコン セント(治療上の情報公開)を行う場合には、言葉が大きな問題になってくる。通常は現地で英語の 話せる通訳を雇い入れることになるが、少しでも医学的知識があるほうが望ましい。

 今回は、バングラデシュで勤務しているJOCVの保健婦、看護婦、そして技術指導に来ている7名の 隊員が通訳として参加、英語でコミュニケーションをとらなくとも、患者との間でベンガル語から直 接日本語で聞くことができ、非常に有用であった。

 救援部隊は結局10日間の診療活動で、約1000人の患者の外傷処置を行った。

 1年後、ミッションの評価を現地でする為、筆者らは災害研究グループ「国際災害研究会」の研究 の一環として、国際緊急援助隊の医療活動の妥当性、有効性、問題点について検討する目的で再びバ ングラデシュを訪れた。

 現地の村人に再会した際、日本から来た救援隊が階級、貧富の差に関係なくすべての負傷者を平等 に診てくれたことに感謝と大きな驚きを感じたと語った。

 ひとつのミッションが終わったら、その活動の妥当性、有効性について客観的に評価しておくこと は以後のミッションにつながる、重要な意味を持つ。評価がなければ進歩もないのである。


電話相談による援助活動

―日本臨床心理士会による『心理相談ホットライン』の体験 ―

(森田喜治、現代のエスプリ1996年2月別冊、p.147-55)


1.危機介入は電話から

 阪神・淡路大震災は想像を絶するものであり、家や肉親を失った方々、怪我をされた方々は 突然「生存の危機」に晒された。こうした恐怖、不安、絶望、孤立感といった被災の際のストレス は抑圧され、以後長年にわたって様々な側面に影響する。そこで、筆者ら臨床心理士は 「心のケア」が必要であると感じ、電話による心理相談を始める事になった。筆者らは、 不安の感情や体験を他者に共感的に受けとめられることが心を安定させ傷を癒すことを熟知 していた。しかし、日本人は愛情をすぐに言葉にせず自己の中にためこむ心性があるため、 どれだけの利用者がいるか、また早期に相談しない方が良いのではないかといった危惧もあった。

2.ホットラインの開始

 相談に当たる者の研修や対応の仕方のコンセンサスを得るために時間をとり、 必要と考えられる紹介先機関のリストをあらゆる手段で調べた(混乱の中では 自分のほしい情報がどこで得られるかも切実な願いであり、後にこれらの作業が 非常にに重要であることが分かった)。17日の被災から1週間たった24日の午前9 時、大阪、京都、奈良の各県で24時間体制を組み、ホットラインを開局した。開設 と同時に相談が相次ぎ、内容も多様で、多くの人が「心のケア」を求めていることが 分かった。以下の内容は筆者の関わった奈良のホットラインの体験をベースにしている。

3.ホットラインの実施結果

1) 相談件数

 1月24日から2月6日までに相談実施件数は合計108件であった。被災された方が 全体の30%で、被災していない地域の方が70%であった。年代別に見ると子供と老人の 利用者は少ないが、これはホットラインの趣旨のためだと考えられた。性別では男性 と女性がほぼ半々であるが、身体症状として訴えられる内容は圧倒的に女性に多かった。

2) 相談内容

 被災された方からの相談は最初、今後の生活や住居の問題および必要な情報をどこで 得たらいいかというものが非常に多く見られたが、次第に心身の健康に関する内容 (頭痛・吐き気・下痢・耳鳴・手足の痺れといった身体の変調、不安、喪失感、無力感、 不眠)や対人関係(避難所での葛藤、夫婦・親子間の溝、疎開先での葛藤)へと変化 していった。被災されていない方からの相談は地震が再び起こりはしないかという不安、 自宅は倒壊の危険がないかどうかをチェックする機関を知りたい、親戚を引き取ったが 慣れない人間関係に戸惑っているなどの内容であった。

4.ホットラインの意義

 援助活動は被災された方の心が状況と時間毎によって変化していくことを常に見ながら進める必要がある。災害直後はパニックや行動と身体の変調が出るため必要以上に心に踏み込んではならない。次第に張りつめていた気持ちが緩み、現実を受け入れ始めると人々は自分の体験を繰り返し何度も語り始める。これらの表現がきちんと受け止められ共感的、治療的に対応されれば心は癒され、変化が生まれる。そういった関係を危機的状況の中でつくりだす目的で、電話相談は災害直後というタイミングにおいて 非常に有効であると言える。

 ホットラインの開設から2週間を過ぎる頃末さんには、悲しみや不安以外に強い怒りの感情を表出する人が増えてきた。2週目を終わる頃には件数も減少し、様々な他の電話相談が開設されたためホットラインは閉局した。

5.女性の相談と男性の相談

 女性の相談には母乳や生理が止まるなどの体の変調が起こっている者が多く、その根底には夫や親兄弟から「見捨てられる」のではないかという不安があった。男性の相談は失業や無気力、行政やボランティアへの不満の内容が多く、心の弱音を出すことは 少なかった。男性は家よりも社会への帰属感が生きる支えとなっていて社会的アイデンティティーの喪失を最も恐れる。このため、防衛的に不安感を自覚症せず、症状も出せないと考えられる。男性の症状は仮面鬱病や過労死、アルコール依存症、自殺などの現れ方をしていると思われる。

6.今後の課題

 PTSDが問題になるのは数ヶ月から1年たってからのことであり、2〜3年続くため、じっくりと取り組む体制が必要である。被災された方々が被災体験を人生の生き方の中に意味づけし、統合できるように、援助活動を続けていくことが今後の課題である。


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